週刊文春はこれまで激しく小保方氏とSTAP細胞を攻撃し非難してきたのだが、今回は立花隆氏と森慎也氏の対談形式で、やや支持する論調となった。森氏は信じられないと言っているが、立花氏はあり得ると断言している。
以前、立花氏はハーバード大学のチャールズ・バカンティー教授と対談している。バカンティー教授はネズミの背中に耳(人の耳似)をつけた耳ネズミで知られ、STAP細胞の実験は、同教授の常識破りな発想が基調にあると指摘している。
コペピについて立花氏は早稲田大学理工学部ではそのようなカルチャーが有ったのではないかと発言。巨大大学で否定できない状況は有った。元々、小保方氏は一芸に秀でる選考の入試だったのではないか。
かつて、立花氏は田中角栄を厳しく追及した。これまで東大出身者の小保方バッシングが激しい中、東大卒であることを考えてもちょっと驚きである。
八代弁護士は毎日系のひるおびで、小保方総攻撃になりそうなところを弁護士の立場から随分温かく援護した。過激な魔女狩りの様な雰囲気を中立な場所まで戻していたのである。
このテーマで全マスコミが小保方叩きに走るようであれば、韓国社会と何ら変わらない。八代弁護士は法律や裁判ではこうですよ、戦術的なテクニックではこうですよと行き過ぎた非難を正したのだ。
私が小保方氏を暖たかく見るのは、実は私自身がかなり型破りで、多くの不可能を実現しながら評価されなかった事と重なっているように思う。私の方法は常識的ではなかったかもしれないが、私的には正当で大変理に適っていた。だから成功した。
日本は教科書暗記型の優等生を評価する。しかし、教科書エリートは結果を出せない。結果を出せなくても、日本人はそれで満足するのだ。例えば先の大戦、エリート達が戦争を始めるも大敗、降伏拒否で更に多大な死者を出したが国民は文句言っていない。
日本のエリートは決して過ちを認めないし、反省する事も無い。昭和天皇が私はどうなっても良いから降伏すると言わなかったら、日本人が全員竹やりでアメリカ軍に総攻撃した可能性がある。当時は一億玉砕と声高に叫んでいた。
確かにSTAP細胞の試験は生物学の常識を外れている。エリート研究者達は若い女性の偉業を含め、許せないし、感情的に攻撃する。その、全体的な方向や流れの勢いを一般の人が追う。羽を失った鳥を叩くのだ。
勿論、結果がどうなるかわはからないが、50%以上本物であろうとの予想は持ち続ける。バカンティー教授や笹井氏の発言は何かの根拠を示しているように思える。
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