昨日は村田奈津恵さんを中心に書いた。一晩寝て、引っかかるものを感じた。その時父親はどうしていたのか。車の中で娘が老人を移動させ、電車が来て跳ねるのを見ていたのか。少なくとも、自分が安全な場所にいて、娘のそばにいなかったことだけは確かだ。これが日本人の、父親の、現実なのだろうか。
引っかかっていたのは、父親がプレスに、普通に語っていたことだった。助けに行く時間はなかったとの事だが、時に笑いのような表情も有った。今、事故の経緯が分かってきた状況で、振り返ると信じがたい。私だったら、とても冷静ではいられない。自分が許せない。直後にプレスの前に顔をさらす事は到底できない。
老人は首をレールの上において倒れていたが、奈津恵さんが遮断機をくぐり、駆け寄ってレールの間に体を移動させた。6~7秒後に電車が来て跳ねたという。私が父親なら、危険性は十分認識できていたので、あわてて車のミッションをニュートラルに入れ、追いかけなくてはならない。
とっさにそれが出来るとは言えないが、努力はしなくてはならない。何とか娘の後を追えたら、十分余裕が有れば娘を手伝うが、危険性が高い場合は、悪いけど、娘の体を思い切り引っ張って電車の反対方向へ倒す。いずれにして悲惨な状況になることは変わらない。娘には随分叱られるかもしれない。叱られてもそれがベストだ。
奈津恵さんは老人を助けることに集中し、自分の身の危険性が冷静に判断できなかったと思う。優しい人だったに違いない。天使がいたんだ。何としても残念です。言いようがない。
今後も、場面は異なっても、同じような状況が起こり得る。父親として、人として、自分ならどうすべきか、頭の隅には入れておかなくてはならない。
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