※2016年1月11日に投稿したものを加筆修正し再投稿しました。
衆議院の小選挙区制度といえば、神聖天皇主権大日本帝国政府下では、黒田清隆内閣と原敬内閣が実施した。敗戦後の新生国民主権日本国政府下では、1956年3月19日に第3次鳩山一郎内閣(1955.11.22~1956.12.20)が法案を提出したが猛反発を受け、審議は大混乱を招き、5月16日に衆議院で修正可決したが、参議院では6月3日審議未了で「廃案」となった。しかしこの後も、小選挙区制度は自民党など保守党の念願であり続けた。現行の小選挙区制度は、細川護熙内閣(自民・共産を除く8党派連立。1993.8~1994.4)が政治改革関連4法を成立させ、1994年2月に小選挙区比例代表並立制度を導入し継続しているのである。
衆議院の小選挙区制度では、定数が1人で、得票数第1位しか当選しない。どんなに競り合っていても2位以下の候補者は当選しない。それだけでなく、2位以下の落選した候補者に投票した有権者の意思は議席に全く反映されない「死票」となっている。
2015年末に実施された第47回衆議院議員選挙小選挙区では、自民党の獲得議席223議席で、得票率は48%であったが、議席占有率は76%であった。候補者を立てた283選挙区で78%にあたる222人が当選(無所属を1人追加公認で223人)した。山梨と沖縄県の選挙区ではゼロであった。
小選挙区の投票率は52%で有効投票総数は5293万票であるが、自民党の得票数は2552万票であった。「死票」は2540万票で全体の48%にあたる。内訳は、自民党17%、公明党0%、民主党70%、維新の党79%、共産党99%であった。
小選挙区制では、大政党にとっては政党の地盤を強化でき有利であるが、少数意見が政治に反映されにくく、価値観の多様化の現代には適していない。政権政党が固定化し、政党政治の形がい化を生じ、社会の発展を阻害する。
小選挙区制の導入で知られた人物に、原敬首相がいるが、彼の導入の意図を見てもその事は明白である。彼は1919(大正8)年に自己の所属する立憲政友会の党勢を伸ばすために、「小選挙区制」を導入した。彼は採用の理由として、①選挙民と候補者との関係を密接にしうる事、②同志打ちを回避できる事、③政党の地盤を強めうる事、④選挙費用を節約できる事、⑤選挙干渉のききめを減少せしめる事、などとした。しかし、本当の狙いは、「立憲政友会の地盤強化」にあった事は明白となっている。当時の大正デモクラシーとよばれる、民主主義的な潮流の高まりに対応しながら(有権者の納税資格要件を10円から3円に引き下げ)、その反面、民衆運動(普通選挙の要求)を抑制する意図を込めたものであり、神聖天皇主権大日本帝国政府の基礎を強めるためのものであった。
小選挙区制は早急に廃止すべきものと考える。
他にも少数意見を政治に反映させるための障碍となっている制度が存在する。この制度はあまり知られていないからか、話題にならないのであるが、「供託金制度」である。国会議員などに立候補しようとする場合、「供託金」を納めなければ立候補できないのである。この制度は、1925年に普通選挙法が制定された際に、導入された。「候補者の乱立防止」というのがその理由で、当時、貧困な労農無産政党系の人々の立候補を阻害する事を目的とした。しかし、この制度は戦後の日本国憲法の下でも廃止されず、今日においても存在し続けているのである。供託金を準備できなければ立候補ができないようにしてあるのである。
その額は、衆院・参院の比例代表で600万円、衆院小選挙区・参院選挙区で300万円。落選した場合、一定の条件(没収点)を満たさない場合には没収されるのである。
外国で同様の制度が存在するのかしないのか、するのであれば額はどれほどであるか。
アメリカ、ドイツ、イタリアをはじめ大多数の国では、制度自体が存在しない。イギリスでは500ポンド(約6万円)、カナダでは1000ドル(約8万円)、オーストラリア(下院)では500ドル(約4万円)で日本と比べて非常に少ない。日本は非常識と思えるほど多い。また、没収点も日本より緩い。
日本国憲法の、第14条「法の下の平等」の第1項で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とうたっている事と、第44条「議員及び選挙人の資格」で「両議院の議員及び選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。」とうたっている事に違反しているのではないか。
この「供託金制度」は、国民主権、民主主義、基本的人権の尊重を「うわべ」だけのものにしているのである。
ぜひ「廃止」しなければならない制度であると考えます。
他に導入しなければならない制度は「クオータ制」であるがここでは触れません。
※参考
○「敗戦後初の衆議院議員選挙制度」1946年4月10日、幣原喜重郎内閣
・婦人参政権、選挙年齢20歳、被選挙年齢25歳
・府県を1区とする大選挙区制
・投票は定数により1人~3人まで記入できる「制限連記制」
○1946年4月10日実施の戦後最初の衆議院議員選挙では、女子の有権者2100万人、婦人立候補者 79人(全立候補者2770人)のうち39人が当選(全当選者464人)
○1947年4月10日実施の戦後最初の参議院議員選挙では、全国区100人と地方区150人を選出、うち女性は10人(4%)
○1947年4月25日戦後第2回総選挙で、吉田茂内閣は、大政党に有利なように選挙法を改悪、中選挙区単記投票制採用
○1994年1月、細川護熙内閣が政治改革関連4法を成立させ、2月小選挙区比例代表並立制度を導入した。
細川護熙の父は細川護貞侯爵で、護貞の妻は近衛文麿の次女温子(よしこ)である。
○1996年10月20日(第41回)総選挙実施(第1次橋本龍太郎内閣、初の小選挙区比例代表並立制度)