※下記は、2015年7月20日に投稿したものに加筆修正し、改めて投稿したものです。
1889(明治22)年、2月11日、紀元節の日に大日本帝国憲法が発布された。東京大学医学部のドイツ人教師ベルツがその2日前(9日)の東京の様子を日記に書いている。
「東京全市は、憲法発布をひかえてその準備のため、言語に絶した騒ぎを演じている。至る所、奉祝門、照明、行列の計画。だがこっけいな事には、誰も憲法の内容をご存じないのだ」
上記のような状況が、世界遺産に登録された事でも、国民の間で生じている。
2014年6月には群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、2015年の7月5日には新たに「明治の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船、石炭産業」がユネスコの世界文化遺産に登録された。
富岡製糸場建設については、大蔵省の渋沢栄一の意見により、フランス製機械の導入、ブリュナなどフランス人技術者の雇用(お雇い外国人)、工女は士族の子女の採用とされた。神聖天皇主権大日本帝国政府は生糸(製糸業)を輸出品の目玉として重要視し、富岡製糸場の工場長であった尾高惇忠は明治初期すでに「繰婦(製糸女工)は兵隊に勝る」と考えていた。又政府にとっての生糸政策の重要性は、黒田清隆内閣の松方正義蔵相による1889年6月演説に、「天皇陛下が外国より軍艦を購入すべしとのたまいたる時、余は日本の軍艦はすべて生糸を以て購求するものなれば、軍艦を購求せんと欲せば、多く生糸を産出せんことを謀らざるべからずと上言したり」との言葉が表していた。日清戦争前、帝国政府は重工業が未発達で兵器用鉄鋼や軍艦を国内で生産できず、官営八幡製鉄所の稼働まで外国に鉄鋼や軍艦の注文をするしかなかった。そのための代金を得るために生糸が欠かせなかったのである。その生糸生産を担った女工労働については『あゝ野麦峠』に詳しい。
その産業革命遺産に含まれる「長崎県の高島炭坑や端島炭坑、福岡県の三池炭坑・三池港、福岡県の官営八幡製鉄所」について、韓国政府が「戦時中、朝鮮半島出身者に対する強制労働があった」とするのに対して、安倍自公政権が「強制労働ではなく徴用工」だと固執したため、審議での発言内容に激論があり、登録が難航したが、結果として、安倍自公政権は「徴用工」に関する説明を日韓両政府ともに「against their will」という英語を使う事で韓国政府と合意し、安倍自公政権は声明で「1940年代、その意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた。また、第2次世界大戦中(韓国が日本の植民地時代)に日本政府としても徴用政策を実施していた事について理解できるような措置を講じる所存である。インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」と「負の歴史」も踏まえた情報発信をする事を約し、登録が決定した。
しかし、登録決定翌日から、菅官房長官は、英語の解釈が韓国政府とは異なると知り、「強制労働ではない」と否定している。しかし、外村大東京大教授によれば、「暴力的な動員や過酷な労働を強いた事実は多くの研究で証明されている、意思に反した事が強制した事。言葉のごまかしは国際社会では通じない」という。
「大日本帝国政府は、1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定した。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。手法は年代により『募集』『斡旋』『徴用』と変わったが、すべての時期で概ね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の「朝鮮人」が主に日本内地に送られた」「内務省が調査のため44年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について“拉致同様な状態”と文書で報告」「徴用は国民徴用令に基づき、国が責任をもって配置するもので国の栄誉を担う労働者だった。弔慰金や別居手当など援護もついた。日本人は戦争初期から徴用された。しかし、朝鮮人にこの制度が適用されたのは戦争末期の44年。徴用令を適用しないまま、多くの動員をした」
「世界遺産」として登録を認められるという事は、その遺産がどのようなものであるかという趣旨を可能な限り明らかにする必要があると思う。それは、世界の人々にとって、未来の人類に対して伝えるべき価値のある遺物であると評価する物だからである。だから、各国の政府や国民の誇りを満足させたり誇示するためのものではない。そして、登録を認められた遺産を持つ国は、それを人類共通の大切な宝として継承するために、世界の人々を代表して保存・保護を責任を持って行わなければならないという事である。また、世界遺産に登録してもらうという事は、世界各国(少なくとも21の遺産委員会)に対し、当該国政府(安倍自公政権)の当該遺産に対する歴史認識が世界的普遍的なものとして共有できるものかどうかを判定してもらう、問う、という意味を持つものである。そして、安倍自公政権は今回、結果として歴史認識に問題がある、という事が明らかになったという事である。
韓国政府朴政権がもし、世界遺産登録に「反対表明」をしなければ、安倍自公政権はもちろん地元の人々や多くの国民は、韓国との歴史について何も触れずに歓喜の声をあげていただろう。メディアもその事を伝えるだけであっただろう。安倍自公政権にとっては朴政権を腹立たしく思っただろうが、国民にとっては隣国との友好を深める上で学ぶ事があったのではないか。
しかし、日本国民は安倍政権もメディアも話題にしない隠していると言ってもよい事を知るべきだ。それは何か。その当時、日本人労働者はどのような環境条件下で働かされていたかという事だ。韓国朴政権は日本国民に、その事を知るキッカケを与えてくれたと理解したい。
ここでは特に「高島炭坑」と「三池炭坑」で日本人がどのような労働環境労働条件下で働かされていたかについて紹介しよう。まず、「高島炭坑」については、1888(明治21)年、政教社の松岡好一が雑誌『日本人』(主幹・三宅雪嶺)に発表した「高島炭坑の惨状」と題するレポート(高島炭坑坑夫虐待事件)を紹介しよう。「高島炭坑」は、1874年から工部省の管轄下にあったが、同年民営化により、後藤象二郎の所有となり、1881年に三菱会社が買収し経営した。レポートによると、坑夫の直接管理は納屋頭をもうけてそれに当たらせていた。
「納屋頭は各地方の博徒その他に依頼し、ほとんど誘拐同様の手段にて雇入れたれば、目下本坑に従事する坑夫は皆その姦計に陥りたるを悔い、悲憤激昂せざるものなし。……坑夫中過度の労力に堪えずして休憩を請い、或は納屋頭、人繰(人夫頭)の意に逆らう者ある時は、見せしめと称して後手に縛し梁上に釣り上げ、足と地と咫尺するに於いて打撃を加え、他の衆坑夫をしてこれを観視せしむ。余(松岡好一)これを聞く、1884(明治17)年の夏この島にコレラ病の侵入するや、3千の坑夫中その大半、即ち1500余名はこの病のために死せりと。炭坑社はその死せる者と未だ死せざる者とを問わず、発病より1日を経れば之を焼き場に送り、大鉄板上に於いて5人もしくは10人づつ焚焼せり。むべなるかな、高島に3回の暴動起こりし事。その1回の如きは竹槍蓆旗を以て炭坑舎を焼き尽くし、機関を破壊し、まさに由々しき大事に至らんとせしが、早くもその警報長崎に達し、警部巡査及び分営軍人の出張ありてわずかに鎮撫せしといえども、舎員の死傷は少なからざらしと。この暴動にや恐れけん、以来炭坑舎は撃剣に熟達せる者を雇入れ、坑内坑外の取締をはなはだ厳にせり。……」(明治文化全集)
また、吉本襄によると、「……納屋頭より坑夫に与えられる賃金は採掘高によって定められていたが、食事代、納屋賃、道具代その他の名目で納屋頭に中間搾取され、坑夫にとっては働けば働くほど借金ができる仕組みになっていた。その待遇は毎日12時間という長時間労働で、坑内には35度以上という灼熱の場所もあった。食事は少量のご飯とおかずで、納屋には冬でさえ1枚のふとんも用意されていなかった。逃亡を企てると、甚だしきに至りてはこれを縛って逆さまに懲役台に釣り下げるといった残酷な刑罰が加えられた」という。
納屋制は「高島炭坑」に特別あったものではなく、筑豊・北海道などの諸炭坑に当時は広く見受けられた。同じようなものに「飯場制」「人夫部屋」「監獄部屋」などがあった。
1873(明治6)年、官営化した「三池炭坑」では、「囚人労働」が行われた。1888(明治21)年民営化により、三井所有、1908年には三池港完成。官営時代に坑口の近くに「三池集治監」を設けて、九州各地の長期刑囚を集め、坑内労働をさせていた。三井払い下げ後もこの囚人労働の使用は継続した。団琢磨は、「坑内作業の囚徒の脱走を防ぐために坑口に鉄砲を持った監視人が立っていた……囚徒の暴動を鎮圧するために囚徒を竹槍にて刺し殺した」と語っている。暴動は73年から5年間連続して起こった。昭和の初期まで継続された。囚人労働が納屋制労働と比較して有利な点は、その労働力の確保をより安価により大量に行えた事である。
金子堅太郎は、「彼ら囚人はもとより暴戻の悪徒なれば、その苦役に堪えず斃死するも、尋常の工夫が妻子を遺して骨を山野に埋めるの惨状と異なり、また今日のごとく重罪犯人多くしていたずらに国庫支出の監獄費を増加するの際なれば、囚徒をしてこれを必要の工事に服せしめ、もしこれに堪えず斃れ死してその人員を減少するは、監獄費支出の困難を告げる今日に於いて、万止むを得ざる政略なり。また尋常の工夫を使役すると囚徒を使役するとその賃金の比較を挙げれば、北海道に於いて尋常の工夫は概して1日の賃金40銭より下らず、囚徒はわずかに1日18銭を得るものなり。しからば即ち囚徒を役する時は、この開鑿費用中工夫の賃金に於いて過半数以上の減額を見るならん。これ実に一挙両全の策というべきなり。……よろしくこれら囚徒を駆って、尋常の工夫の堪えるあたわざる困難衝に当たらしむべきものとす」と語っている。金子は伊藤博文にかわいがられ神聖天皇主権大日本帝国憲法作成に協力し、農商務大臣、司法大臣となり、伯爵となった。
当時の日本の資本主義を象徴する姿は、最新の文明技術(外国人技師を雇い機械導入)と奴隷的労働(労働者は土地を失って流浪する農民や被差別部落民らで、残酷な苦役を強制)の結合というものであった。今日の国民は、我々の祖先がどのような歴史を生きていたのかという事を知り、そこから学び、受け継ぐ事を忘れている。その祖先の生き様や思いこそ「歴史遺産」として受け継がなければいけないと思う。安倍自公政権はそのような国民の遺産を受け継ぐ事にはまったく関心をもたない。価値観が異なるからである。国民は安倍自公政権の価値観に取り込まれないようにしなければならない。魂を売ってはならない。常に彼らは飴(金)で国民の魂(心)を取り込もうとしている。
安倍自公政権は、こういう機会を逃さず利用して、翼賛体制化したメディアを使って、国民意識の統合(挙国一致の意識)を醸成していこうとしている。五輪の場合も同じ意図をもって国民意識を馴らしていく取り込んでいくのである。「国旗国歌」を強制するのもそういう効果を与える支配の道具なのです。それを嫌う国民には「非国民」というレッテルを張り、精神的に弾圧していき、生きてゆきにくくするのである。
登録が決まる世界遺産委員会の取材陣は例年、日本が突出して多い。地元にはテレビカメラが入り、喜びに沸く人々の姿をテレビに映し出していた。メディアが無理矢理に煽っている事が見え見えで、これを見て違和感を覚えた。世界遺産に登録してもらうためになぜ必死になり、登録決定すればするでなぜ歓喜の涙まで流す必要があるのか疑問に思う。最近日本では、観光振興の目玉とするために世界遺産登録をめざす自治体が多くなっているらしい。よく使われる言葉で「経済効果」「町おこし」のキッカケにしたいようだ。つまり、金儲けのために遺産登録に参加するということだ。そのためその遺産から何を受け継ぐのかは明確ではないし、考えてもいないか、金儲けに都合のよい事だけを利用するだけで、本来の意味での「遺産」の意識に乏しいようだ。安倍自公政府でさえも登録申請する時点では、「19世紀から20世紀初頭、製鉄や造船、石炭産業の重工業分野に西洋の技術を導入し、日本が短期間で近代産業国家になった道筋を示している」と位置付ける程度で、日本の近代化を誇りたいためと、景気上昇に利用するとか、商売上得か否か、儲かるか否かの視点だけから判断しており、商売感覚でしか考えていないのである。政府はもちろん国民の多数が精神的貧困、文化的貧困という状態で、文化や思想信条、宗教より金儲けが大事のようなのである。だからこれまで安倍自公政府にそこを見透かされて、経済政策とその政府に翼賛するメディアに足元をすくわれてきたのです。60年安保闘争の後(池田勇人、高度経済成長政策)も、バブル政策も、現在のアベノミクス政策も同じである。国民はずっとエコノミック・アニマルとしての生き方を続けてきたのです。生き続けさせる政策に取り込まれてきたのである。これに気がつかなければ本当の幸せを手に入れる事はできないと思う。つまり、生き方を変える必要があるという事です。その第1歩は安倍政権の政策には必ず裏があるから、疑ってかかり、たやすく同調せず、何を狙っているのかを考えてみる事だ。
メディアは今回の韓国の動向について「過ぎた政治介入」の見出しで「華やかな世界遺産で影の歴史的な事実を強調するのは難しい」「お互いに支持を得ようと繰り広げた外交攻勢」「日韓両国は得たものはなく」「過ぎたる政治介入として世界は教訓にすべき」と締めくくっているがこれはあまり杜撰なまとめ方であろう。「世界遺産登録」の意味付けが浅すぎる、喧嘩両成敗的発想でかたずける(メディアの傲慢)べき問題ではない。メディアは又「なりふり構わぬ言動が目立った。具体的な被害数を途中から使わなくなるなど根拠の不確かな主張もあった」ともいうが、これには呆れてものが言えない。なぜなら、意思に反して連れてきた神聖天皇主権大日本帝国が「人数を明らかにしていない事こそが問題で誠実ではないからだ。敗戦時に戦争関連資料の焼却処分をしている事自体、後ろめたい事をしたという証拠だ。日本側が連れてきたのだから日本側がその数字を明らかにするのが筋だろう。第3者感覚で批判だけして、自分の意見を中途半端に明確にしないのは無責任である。両者を煽る効果しか生まない。メディアは安泰でも、物事の解決の力にはならない。メディアは「客観的ではない」という事が垣間見える。それを悟られないようにしようとしても。揉ましておく事解決させない事がメディアにとっては金儲けのもととなるからであろう。
安倍自公政権は自民党政権であるが、その自民党から「(外相会談で協力を合意したのに)約束が違う」とか「韓国側は(世界遺産委員会で)『強制労働』を主張するとの合意反故を(事前に)言ってきた。完全なる外交上のルール違反だ」と批判しているが、これは自分たちの思惑通りにいかないために、韓国を批判非難しているというだけではないのか。
※日本政府は世界遺産登録の際、なぜ構成遺産を戦前の1910年までに限定したのかは不明。
※小出裕章・佐高信『原発と日本人─自分を売らない思想』より
「自分で物事の是非を判断せず、不都合が起きたら“だまされた”で済ませてしまう国民にも大いなる責任があるのではないか」
「私たちには騙された責任、そして2度と騙されない責任がある」