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世界遺産登録になぜ歓喜の声?国民は遺産から日本資本主義を学ぶべきだ。

2024-07-28 09:31:35 | 世界遺産

※下記は、2015年7月20日に投稿したものに加筆修正し、改めて投稿したものです。

 1889(明治22)年、2月11日、紀元節の日に大日本帝国憲法が発布された。東京大学医学部のドイツ人教師ベルツがその2日前(9日)の東京の様子を日記に書いている。

 「東京全市は、憲法発布をひかえてその準備のため、言語に絶した騒ぎを演じている。至る所、奉祝門、照明、行列の計画。だがこっけいな事には、誰も憲法の内容をご存じないのだ

上記のような状況が、世界遺産に登録された事でも、国民の間で生じている。

 2014年6月には群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、2015年の7月5日には新たに明治の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船、石炭産業がユネスコの世界文化遺産に登録された。

 富岡製糸場建設については、大蔵省の渋沢栄一の意見により、フランス製機械の導入、ブリュナなどフランス人技術者の雇用(お雇い外国人)、工女士族の子女の採用とされた。神聖天皇主権大日本帝国政府は生糸(製糸業)を輸出品の目玉として重要視し、富岡製糸場の工場長であった尾高惇忠は明治初期すでに「繰婦(製糸女工)は兵隊に勝る」と考えていた。又政府にとっての生糸政策の重要性は、黒田清隆内閣松方正義蔵相による1889年6月演説に、「天皇陛下が外国より軍艦を購入すべしとのたまいたる時、余は日本の軍艦はすべて生糸を以て購求するものなれば、軍艦を購求せんと欲せば、多く生糸を産出せんことを謀らざるべからずと上言したり」との言葉が表していた。日清戦争前、帝国政府は重工業が未発達で兵器用鉄鋼や軍艦を国内で生産できず、官営八幡製鉄所の稼働まで外国に鉄鋼や軍艦の注文をするしかなかった。そのための代金を得るために生糸が欠かせなかったのである。その生糸生産を担った女工労働については『あゝ野麦峠』に詳しい。

  その産業革命遺産に含まれる「長崎県の高島炭坑や端島炭坑福岡県の三池炭坑・三池港、福岡県の官営八幡製鉄所」について、韓国政府が「戦時中、朝鮮半島出身者に対する強制労働があった」とするのに対して、安倍自公政権が「強制労働ではなく徴用工」だと固執したため、審議での発言内容に激論があり、登録が難航したが、結果として、安倍自公政権は「徴用工」に関する説明を日韓両政府ともに「against  their  will」という英語を使う事で韓国政府と合意し、安倍自公政権声明で「1940年代、その意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた。また、第2次世界大戦中(韓国が日本の植民地時代)に日本政府としても徴用政策を実施していた事について理解できるような措置を講じる所存である。インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」と「負の歴史」も踏まえた情報発信をする事を約し、登録が決定した。

 しかし、登録決定翌日から、菅官房長官は、英語の解釈が韓国政府とは異なると知り、「強制労働ではない」と否定している。しかし、外村大東京大教授によれば、「暴力的な動員や過酷な労働を強いた事実は多くの研究で証明されている、意思に反した事が強制した事。言葉のごまかしは国際社会では通じない」という。

 「大日本帝国政府は、1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定した。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。手法は年代により『募集』『斡旋』『徴用』と変わったが、すべての時期で概ね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の「朝鮮人」が主に日本内地に送られた」「内務省が調査のため44年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について“拉致同様な状態と文書で報告」「徴用は国民徴用令に基づき、国が責任をもって配置するもので国の栄誉を担う労働者だった。弔慰金や別居手当など援護もついた。日本人は戦争初期から徴用された。しかし、朝鮮人にこの制度が適用されたのは戦争末期の44年。徴用令を適用しないまま、多くの動員をした」

 「世界遺産」として登録を認められるという事は、その遺産がどのようなものであるかという趣旨を可能な限り明らかにする必要があると思う。それは、世界の人々にとって、未来の人類に対して伝えるべき価値のある遺物であると評価する物だからである。だから、各国の政府や国民の誇りを満足させたり誇示するためのものではない。そして、登録を認められた遺産を持つ国は、それを人類共通の大切な宝として継承するために、世界の人々を代表して保存・保護を責任を持って行わなければならないという事である。また、世界遺産に登録してもらうという事は、世界各国(少なくとも21の遺産委員会)に対し、当該国政府(安倍自公政権)の当該遺産に対する歴史認識が世界的普遍的なものとして共有できるものかどうかを判定してもらう、問う、という意味を持つものである。そして、安倍自公政権は今回、結果として歴史認識に問題がある、という事が明らかになったという事である。

 韓国政府朴政権がもし、世界遺産登録に「反対表明」をしなければ、安倍自公政権はもちろん地元の人々や多くの国民は、韓国との歴史について何も触れずに歓喜の声をあげていただろう。メディアもその事を伝えるだけであっただろう。安倍自公政権にとっては朴政権を腹立たしく思っただろうが、国民にとっては隣国との友好を深める上で学ぶ事があったのではないか

 しかし、日本国民は安倍政権もメディアも話題にしない隠していると言ってもよい事を知るべきだ。それは何か。その当時、日本人労働者はどのような環境条件下で働かされていたかという事だ。韓国朴政権は日本国民に、その事を知るキッカケを与えてくれたと理解したい。

 ここでは特に高島炭坑」と「三池炭坑で日本人がどのような労働環境労働条件下で働かされていたかについて紹介しよう。まず、「高島炭坑については、1888(明治21)年、政教社の松岡好一が雑誌『日本人』(主幹・三宅雪嶺)に発表した「高島炭坑の惨状」と題するレポート(高島炭坑坑夫虐待事件)を紹介しよう。「高島炭坑」は、1874年から工部省の管轄下にあったが、同年民営化により、後藤象二郎の所有となり、1881年に三菱会社が買収し経営した。レポートによると、坑夫の直接管理は納屋頭をもうけてそれに当たらせていた。

納屋頭は各地方の博徒その他に依頼し、ほとんど誘拐同様の手段にて雇入れたれば、目下本坑に従事する坑夫は皆その姦計に陥りたるを悔い、悲憤激昂せざるものなし。……坑夫中過度の労力に堪えずして休憩を請い、或は納屋頭、人繰(人夫頭)の意に逆らう者ある時は、見せしめと称して後手に縛し梁上に釣り上げ、足と地と咫尺するに於いて打撃を加え、他の衆坑夫をしてこれを観視せしむ。余(松岡好一)これを聞く、1884(明治17)年の夏この島にコレラ病の侵入するや、3千の坑夫中その大半、即ち1500余名はこの病のために死せりと。炭坑社はその死せる者と未だ死せざる者とを問わず、発病より1日を経れば之を焼き場に送り、大鉄板上に於いて5人もしくは10人づつ焚焼せり。むべなるかな、高島に3回の暴動起こりし事。その1回の如きは竹槍蓆旗を以て炭坑舎を焼き尽くし、機関を破壊し、まさに由々しき大事に至らんとせしが、早くもその警報長崎に達し、警部巡査及び分営軍人の出張ありてわずかに鎮撫せしといえども、舎員の死傷は少なからざらしと。この暴動にや恐れけん、以来炭坑舎は撃剣に熟達せる者を雇入れ、坑内坑外の取締をはなはだ厳にせり。……」(明治文化全集)

 また、吉本襄によると、「……納屋頭より坑夫に与えられる賃金は採掘高によって定められていたが、食事代、納屋賃、道具代その他の名目で納屋頭に中間搾取され、坑夫にとっては働けば働くほど借金ができる仕組みになっていた。その待遇は毎日12時間という長時間労働で、坑内には35度以上という灼熱の場所もあった。食事は少量のご飯とおかずで、納屋には冬でさえ1枚のふとんも用意されていなかった逃亡を企てると、甚だしきに至りてはこれを縛って逆さまに懲役台に釣り下げるといった残酷な刑罰が加えられた」という。

 納屋制は「高島炭坑」に特別あったものではなく、筑豊・北海道などの諸炭坑に当時は広く見受けられた。同じようなものに「飯場制」「人夫部屋」「監獄部屋などがあった。

 1873(明治6)年、官営化した「三池炭坑」では、「囚人労働」が行われた。1888(明治21)年民営化により、三井所有、1908年には三池港完成。官営時代に坑口の近くに「三池集治監を設けて、九州各地の長期刑囚を集め、坑内労働をさせていた。三井払い下げ後もこの囚人労働の使用は継続した。団琢磨は、「坑内作業の囚徒の脱走を防ぐために坑口に鉄砲を持った監視人が立っていた……囚徒の暴動を鎮圧するために囚徒を竹槍にて刺し殺した」と語っている。暴動は73年から5年間連続して起こった。昭和の初期まで継続された。囚人労働が納屋制労働と比較して有利な点は、その労働力の確保をより安価により大量に行えた事である。

 金子堅太郎は、「彼ら囚人はもとより暴戻の悪徒なれば、その苦役に堪えず斃死するも、尋常の工夫が妻子を遺して骨を山野に埋めるの惨状と異なり、また今日のごとく重罪犯人多くしていたずらに国庫支出の監獄費を増加するの際なれば、囚徒をしてこれを必要の工事に服せしめ、もしこれに堪えず斃れ死してその人員を減少するは、監獄費支出の困難を告げる今日に於いて、万止むを得ざる政略なり。また尋常の工夫を使役すると囚徒を使役するとその賃金の比較を挙げれば、北海道に於いて尋常の工夫は概して1日の賃金40銭より下らず、囚徒はわずかに1日18銭を得るものなり。しからば即ち囚徒を役する時は、この開鑿費用中工夫の賃金に於いて過半数以上の減額を見るならん。これ実に一挙両全の策というべきなり。……よろしくこれら囚徒を駆って、尋常の工夫の堪えるあたわざる困難衝に当たらしむべきものとす」と語っている。金子は伊藤博文にかわいがられ神聖天皇主権大日本帝国憲法作成に協力し、農商務大臣、司法大臣となり、伯爵となった。

 当時の日本の資本主義を象徴する姿は、最新の文明技術(外国人技師を雇い機械導入)と奴隷的労働(労働者は土地を失って流浪する農民や被差別部落民らで、残酷な苦役を強制)の結合というものであった。今日の国民は、我々の祖先がどのような歴史を生きていたのかという事を知り、そこから学び、受け継ぐ事を忘れている。その祖先の生き様や思いこそ「歴史遺産」として受け継がなければいけないと思う。安倍自公政権はそのような国民の遺産を受け継ぐ事にはまったく関心をもたない。価値観が異なるからである。国民は安倍自公政権の価値観に取り込まれないようにしなければならない。魂を売ってはならない常に彼らは飴(金)で国民の魂(心)を取り込もうとしている

 安倍自公政権は、こういう機会を逃さず利用して、翼賛体制化したメディアを使って、国民意識の統合(挙国一致の意識)を醸成していこうとしている。五輪の場合も同じ意図をもって国民意識を馴らしていく取り込んでいくのである。「国旗国歌」を強制するのもそういう効果を与える支配の道具なのです。それを嫌う国民には非国民」というレッテルを張り、精神的に弾圧していき、生きてゆきにくくするのである。 

 登録が決まる世界遺産委員会の取材陣は例年、日本が突出して多い。地元にはテレビカメラが入り、喜びに沸く人々の姿をテレビに映し出していた。メディアが無理矢理に煽っている事が見え見えで、これを見て違和感を覚えた。世界遺産に登録してもらうためになぜ必死になり、登録決定すればするでなぜ歓喜の涙まで流す必要があるのか疑問に思う。最近日本では、観光振興の目玉とするために世界遺産登録をめざす自治体が多くなっているらしい。よく使われる言葉で「経済効果」「町おこし」のキッカケにしたいようだ。つまり、金儲けのために遺産登録に参加するということだ。そのためその遺産から何を受け継ぐのかは明確ではないし、考えてもいないか、金儲けに都合のよい事だけを利用するだけで、本来の意味での「遺産」の意識に乏しいようだ。安倍自公政府でさえも登録申請する時点では、「19世紀から20世紀初頭、製鉄や造船、石炭産業の重工業分野に西洋の技術を導入し、日本が短期間で近代産業国家になった道筋を示している」と位置付ける程度で、日本の近代化を誇りたいためと、景気上昇に利用するとか、商売上得か否か、儲かるか否かの視点だけから判断しており、商売感覚でしか考えていないのである。政府はもちろん国民の多数が精神的貧困、文化的貧困という状態で、文化や思想信条、宗教より金儲けが大事のようなのである。だからこれまで安倍自公政府にそこを見透かされて、経済政策とその政府に翼賛するメディアに足元をすくわれてきたのです。60年安保闘争の後(池田勇人、高度経済成長政策)も、バブル政策も、現在のアベノミクス政策も同じである。国民はずっとエコノミック・アニマルとしての生き方を続けてきたのです。生き続けさせる政策に取り込まれてきたのである。これに気がつかなければ本当の幸せを手に入れる事はできないと思う。つまり、生き方を変える必要があるという事です。その第1歩は安倍政権の政策には必ず裏があるから、疑ってかかり、たやすく同調せず、何を狙っているのかを考えてみる事だ。

  メディアは今回の韓国の動向について「過ぎた政治介入」の見出しで「華やかな世界遺産で影の歴史的な事実を強調するのは難しい」「お互いに支持を得ようと繰り広げた外交攻勢」「日韓両国は得たものはなく」「過ぎたる政治介入として世界は教訓にすべき」と締めくくっているがこれはあまり杜撰なまとめ方であろう。「世界遺産登録」の意味付けが浅すぎる、喧嘩両成敗的発想でかたずける(メディアの傲慢)べき問題ではない。メディアは又「なりふり構わぬ言動が目立った。具体的な被害数を途中から使わなくなるなど根拠の不確かな主張もあった」ともいうが、これには呆れてものが言えない。なぜなら、意思に反して連れてきた神聖天皇主権大日本帝国が「人数を明らかにしていない事こそが問題で誠実ではないからだ。敗戦時に戦争関連資料の焼却処分をしている事自体、後ろめたい事をしたという証拠だ。日本側が連れてきたのだから日本側がその数字を明らかにするのが筋だろう。第3者感覚で批判だけして、自分の意見を中途半端に明確にしないのは無責任である。両者を煽る効果しか生まない。メディアは安泰でも、物事の解決の力にはならない。メディアは「客観的ではない」という事が垣間見える。それを悟られないようにしようとしても。揉ましておく事解決させない事がメディアにとっては金儲けのもととなるからであろう。 

 安倍自公政権は自民党政権であるが、その自民党から「(外相会談で協力を合意したのに)約束が違う」とか「韓国側は(世界遺産委員会で)『強制労働』を主張するとの合意反故を(事前に)言ってきた。完全なる外交上のルール違反だ」と批判しているが、これは自分たちの思惑通りにいかないために、韓国を批判非難しているというだけではないのか

※日本政府は世界遺産登録の際、なぜ構成遺産を戦前の1910年までに限定したのかは不明。

※小出裕章・佐高信『原発と日本人─自分を売らない思想』より

 「自分で物事の是非を判断せず、不都合が起きたら“だまされた”で済ませてしまう国民にも大いなる責任があるのではないか」

 「私たちには騙された責任、そして2度と騙されない責任がある」

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世界文化遺産「軍艦島」徴用の説明センターを安倍政権は東京設置。韓国政府の遺憾表明は当たり前だ!!

2024-07-28 09:11:31 | 世界遺産

 安倍自公政府は2020年6月15日、ユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」を説明する施設「産業遺産情報センター」の一般公開を始めた。しかし、元島民の「徴用工差別はなかった」とする証言などを展示しているため同日、韓国外交省が「施設」が朝鮮半島出身者に対する「強制労役の事実」を歪曲して伝えていると冨田大使に抗議をするとともに、報道官名で、展示内容は「歴史的事実を完全に歪曲する内容を含んでおり遺憾である」との抗議声明を出した。

※以下は2017年12月10日に投稿したものに加筆修正し改めて投稿したものです。当時の状況を知る事ができると思います。

 2015年7月5日に世界文化遺産に登録された長崎市の軍艦島(端島炭坑)など「明治日本の産業革命遺産」に関し、安倍自公政権は2017年12月1日、登録の際に日韓両政府間でなされた約束の履行方法として、東京に新設する総合情報センター(インフォメーションセンターの事か?)で「徴用の歴史を紹介する」、つまり、「戦時中に朝鮮半島出身の労働者が軍艦島などで働いた事を含め、多様な情報を発信する」とする方針ユネスコに報告した。

 それに対し韓国・文政府外交省報道官は同月5日、「遺憾」の意を表明し、「日本は国際社会に約束した通り、強制労働の犠牲者を記憶にとどめるための措置を、誠実に速やかに履行する事を求める」と述べた。また、朝日新聞によると、韓国外交省関係者、「(歴史を紹介する)施設が東京に設置される事を含めて、様々な問題がある」と述べている。さらに韓国ハンギョレ新聞など韓国メディアでは「日本が軍艦島の朝鮮人強制労働についての説明資料を現地から1200㌔も離れた場所に置く」と批判している。

 なぜ、韓国政府や、韓国メディアや韓国国民からこのような受け止め方をされるのであろうか。安倍自公政権はどのような約束をしたのであろうか。そして今回の安倍政権の方針は、韓国側から見てその約束をどのように違える内容であるという事なのであろうか。当時を振り返ると、

 産業革命遺産に含まれる「長崎県の高島炭坑や端島炭坑、福岡県の三池炭坑・三池港、福岡県の官営八幡製鉄所」について、韓国政府が「戦時中、朝鮮半島出身者に対する強制労働があった」としたのに対し、安倍自公政権が「強制労働ではなく徴用工だ」と固執したため、審議での発言内容に激論があり、登録が難航したが、結果として、安倍政権は「徴用工」に関する説明を日韓両政府ともに「against  their  will」という英語を使う事で韓国政府と合意し、安倍自公政権は声明で「1940年代、その意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた。また、第2次世界大戦中(韓国が日本の植民地時代)に日本政府としても徴用政策を実施していた事について理解できるような措置を講じる所存である。インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」と「負の歴史」も踏まえた情報発信をする事を約束し、登録が決定している。

 この経過から見れば、韓国側とすれば「安倍政権にごまかされた」という受け止め方をしても仕方がないと思える。「約束」を誠意を持って履行しようとしているとは言い難いが、みなさんどうでしょう。

 しかし、このような事になるであろう事はすでに予想可能であった。なぜならそれは、登録決定の翌日の時点で、菅官房長官が、英語の解釈が韓国政府とは異なると知り、「強制労働ではない」と否定発言をしていたからである。なお、それに対しては、外村大東京大教授が暴力的な動員や過酷な労働を強いた事実は多くの研究で証明されている。意思に反した事が強制した事。言葉のゴマカシは国際社会では通じない」とメディアを通して述べていた。

 今回上記のような方針を公表する事によって安倍自公政権は、登録時の「約束」は「口先だけ」であった事を暴露するとともに、どのような事実を突きつけられようと、「戦時中、朝鮮半島出身者に対して強制労働をさせた事実」を絶対に認めたくない認めないという意識世界(価値観、歴史認識=歴史修正主義)に生きているという事を改めて暴露する事になったという事である。

 ちなみに、神聖天皇主権大日本帝国政府は、1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定した。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。手法は年代により『募集』『斡旋』『徴用』と変わったが、すべての時期で概ね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の「朝鮮人」が主に日本内地に送られた。内務省が調査のため44年に朝鮮に派遣した職員は動員の実情について『拉致同様な状態』と文書で報告していた。徴用は国民徴用令に基づき、国が責任をもって配置するもので、国の栄誉を担う労働者だった。弔慰金や別居手当など援護もついた。日本人は戦争初期から徴用された。しかし、朝鮮人にこの制度が適用されたのは戦争末期の44年であった。徴用令を適用しないまま多くの動員をしたといわれる。

 安倍自公政権はわがままのし放題を憲法改悪によって正当化しようとしている。主権者国民は可能な限り早く退場させなければ、主権者国民にとって日本国は安心して生きていけない国、住みたくない国になってしまうだろう。

※別稿「世界遺産登録になぜ歓喜の声?遺産から何を学ぶべきなのか?」(2015年7月20日投稿)などもあわせて読んでください。

(2020年6月16日投稿)

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安倍自公政権は「明治の産業遺産」について世界遺産委での韓国政府との約束を反故にするな。近鉄は生駒トンネル建設事故死の朝鮮人労働者慰霊碑建立

2024-07-28 09:00:44 | 世界遺産

 2019年12月1日までに安倍自公政権は、世界文化遺産に登録された長崎市の軍艦島など「明治日本の産業革命遺産」に関する保全状況報告書をユネスコに提出した。安倍自公政権は、2015年の世界遺産委員会では「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいた事を認め、当時の徴用政策について理解できるような措置を講じる」と表明していたが、今回触れていない。そのため、韓国政府は安倍自公政権に対し「朝鮮半島出身の強制労役の犠牲者を記憶に止める措置をとる事を約束した」と主張し、「約束通りの措置をとる」よう要求している。

 近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道会社生駒トンネル建設において、朝鮮人労働者が落盤事故により死亡している。

 1910年9月、大阪~奈良間に電車を走らせようと、大阪電気軌道会社が創立された。大林組の大林芳五郎らが創立委員となり、社長に広岡恵三、専務に七里清介、取締役に岩下清周らが就任した。大正時代の初期には、大阪~奈良間にはすでに国鉄(現JR関西線)が走っていたが、生駒山を迂回していたので、2時間近くもかかっていた。それを50分前後に短縮しようとした。この事業の最大の難関は生駒山であった。山をぶち抜くトンネル案と、ケーブルで山頂を越そうという案と、2つの案が出た。トンネルでは膨大な経費が必要なのでケーブル案に傾きかけた時、岩下が現地を見に行き「遊覧電車ならともかく、高速電車をケーブルにすると後世の物笑いになる。どんな事があってもトンネルにすべきだ」と主張した。

 1911年6月19日、大阪上本町~奈良三条間の30.6㌔の鉄道敷設に着手した。同年7月4日から全長3388㍍、幅6.7㍍、高さ5.5㍍のトンネル工事が、東西から同時に始まった。当時、国鉄中央線の笹子トンネル(4.7㌔)が日本で最長であったが、これは単線狭軌で、複線広軌では生駒トンネルが最初の試みであった。1913年1月26日午後3時半頃、生駒トンネル東口から700㍍の坑内で、レンガを積み上げ中、落盤事故が発生し、153人が生き埋めとなり、19人が死亡した。

 生駒駅の北側にある浄土真宗西教寺では工事関係者の葬儀や法要が営まれた事から当時の追悼式の文書や工事期間中の過去帳が遺されている。生駒トンネル西口から下った浄土真宗称要寺(東大阪市日下町)境内には大阪電気軌道会社と大林組が建立した「招魂碑」がある。裏面には24名の傷病没名が刻まれ、その中に朝鮮人労働者の名がある。

 生駒駅から宝山寺への参道を登ると、右側にハングルのルビがふられた「宝徳寺」があるが、戦後外国人に対し認められた最初の宗教法人である。この寺は住職の趨南錫(故人)が生駒トンネル工事で酷使された同胞の話を知り、トンネル工事にゆかりのあるこの地に建てたものである。境内には1977年11月、地元の有志と近畿日本鉄道の協力し、本堂より一段高い敷地に「韓国人犠牲者無縁仏慰霊碑」を建立している。

 生駒トンネル工事の現場に朝鮮人労働者が働きに来ざるを得なかった背景の一つに「韓国併合」以前の朝鮮での鉄道工事がある。生駒トンネルの工事を請け負った大林組は当時のゼネコンとでもいうべき他の土木請負会社とともに、日露戦争(1904~05)を契機として朝鮮での鉄道工事に参入している。京釜鉄道(ソウル~釜山)の一部と臨時軍用鉄道の一部、さらにソウル~義州間の停車場や機関庫の工事を請け負い、以後の日本国内の請負工事に実績を上げていく。大林組と朝鮮人労働者との関係はこの時期から密接になり、生駒トンネル工事にも朝鮮人労働者が就労する事になったといえる。また、大林組は「韓国併合」後の日本国内での請負工事で、朝鮮人の労働力を最大限に利用し私益を上げていく。

 生駒トンネル工事の歴史は、単にならと大阪の地方史ではなく、これ以後に続く「朝鮮人強制連行・強制労働」の起点であり序章であるといえる。

 1914年1月31日未明、生駒トンネルは貫通し、4月30日に開業した。

 1964年7月、車両の大型化にともない、すぐ南側に新しい生駒トンネルが貫通し、50年にわたるお勤めを終えた。

(2019年12月12日投稿)

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朝日新聞「被爆国から2023香川剛広氏5月31日」に不信感

2024-07-24 23:10:34 | 核兵器

 広島平和記念資料館の「芳名録」に記した各国指導者の「言葉」について、香川剛広氏は、「核兵器のない世界を目指すという理想に向けた思い、ヒロシマの心が、指導者たちに確実に伝わったのではないか」としているが、指導者たちの「言葉」を安易に思い込みで断じてはならない。それはその「言葉」が「核軍縮に関する広島ビジョン」の内容と一致するものではないからである。「広島ビジョン」について香川氏自身は、「核兵器をはじめ各国とのギリギリの調整の中では文言交渉は難しかったのだろう」、と岸田首相自身の本当(核兵器禁止?)の「意志」を反映させるため努力したが十分にできなかったかのような主張をしているが、これまでの岸田自公政権の主張からみれば、国民からすればそれは誤った評価であると考えざるを得ない。加えて香川氏は、「外務省では(核兵器禁止条約を)署名、批准すれば、日米安保条約の義務に反するという解釈が基本だ」と、さも国民もその事を理解をすべきであると強いるように主張しているが、この主張は「平和文化センター」の役割と「理事長」の職責に照らして相応しくないのではないか。

 そして、ヒロシマの役割として、「市民レベルで海外との交流を通じて被爆の悲惨さを伝えていく事。そして平和のための地道な活動、協力を草の根レベル、市民レベルで広げていく事だ」と主張しているが、これは今日分かり切った「おざなり」の教科書的主張であり、これまでの反核運動や近年の核兵器禁止運動と何ら変わらぬ、誰もがすでに認識し実践してきている姿勢認識に過ぎない。

 そして結論のように、「独裁者に対抗するには、市民の声をもっともっと強くしないといけない。道が遠いようでもそれが王道」と主張するが、この「独裁者」とは誰の事を指すのかをなぜ明確にしないのか納得できない。なぜなら国民から見れば、独裁者は他国に存在するのではなく、日本の「自公政権」、現在では「岸田自公政権」であるといってもよいからである。岸田自公政権が、戦前の独裁者であった神聖天皇主権大日本帝国政府が起こした侵略戦争と同様の過ちを二度と繰り返させないために、その政治姿勢に対抗抑止する必要に迫られている状況にあるからである。市民国民は、「日本国憲法」の「前文」にある「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる事のないようにする事を決意」すべき状況に陥っているからである。この事を理解できず「独裁者」を「明確」にしていないのであれば、「広島平和文化センター理事長」の資格はないだろう。

(2023年6月1日投稿)

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ハンセン病家族訴訟についての新聞などメディアの見出しは安倍首相美化の印象操作:「首相『異例』判断」や「人権侵害を考慮」など

2024-07-23 20:30:50 | ハンセン病

 新聞などメディアは、元ハンセン病患者の家族への熊本地裁判決について、安倍首相が2019年7月12日、談話で正式に「控訴しない」と発表した、と報じたが、その新聞などメディアが付けた記事の見出しの言葉にうかがえる考え方に対し、主権者国民の立場から放置できない極めて重大な問題を感じている。

 その見出しの言葉は、「首相『異例』判断」や「人権侵害を考慮」というものである。   

 熊本地裁判決は、厚生相(現厚労相)、法務相、文部相(現文科相)など政府の責任を広く認定し、賠償を命じた。それに対し、新聞などメディアの報道は、安倍自公政府としては、控訴して高裁の判断を仰ぐのが規定路線であり、また、別の患者家族が起こしている訴訟が最高裁で係争中であるため、熊本地裁判決を控訴せずに確定させる事は困難であるという考え方が大勢であったが、安倍首相が、「異例の事ではありますが、控訴しない事と致しました」と表明した談話の言葉をそのまま「見出し」に使い、新聞などメディア自らもその通りとして「異例」と認めた報道しているのである。そこには、安倍首相の談話を、かつて昭和天皇を美化した作り話である「聖断」(反対意見を抑えてポツダム宣言受諾を決定した)というものの「安倍版」のように印象づけようとする意識がうかがえるのである。そうであればそれは明らかに故意に事実でない解釈をして(メディアが無意識に上記のような解釈をするならばメディアを業とする資格はない)国民に対し首相を美化する印象操作をしていると考えるのが妥当であろう。日本国憲法下の政府では政策の最終決定は反対や異議を有する閣僚に首相が理解を求め最高権限を行使して行うのが当たり前だ。それを英雄であるかのように美化する必要はない。神聖天皇主権大日本帝国政府の首相じゃあるまいし、何も驚く事ではないはずだ。

 新聞などメディアは上記のような記事を書く手法ではなく、原告団長の林力さん(94)の「(控訴しないのは)当然の事だと思います。多くの方々、世論の支援があってここまで来た。無念の中で死んでいった多くの(ハンセン病療養所)入所者の人々も喜んでいる事だと思う」という言葉を、政府に侵害されている権利を保障させるために闘う主権者国民の運動を大きく取り上げる事こそ使命としなければならないのではないのか。また、談話には「人権侵害」という言葉は使用していないし、政府による「人権侵害」であるにもかかわらず、「差別が存在した」という加害者意識のない表現をしている。判決は、元患者の隔離(談話では「施設入所政策」と表現)という国策が、家族への偏見と差別という「社会構造」を作ったと断じ、就学や就労の拒否、村八分、結婚差別などの「人生被害」をもたらしたと指摘しているにもかかわらず、安倍首相(談話)は、「差別」(=人権侵害)が政府の政策が根本原因で生み出された事を認めていないのである。それにもかかわらず、新聞などメディアは安倍首相の考え方を糾す事なく、「人権侵害を考慮」という見出しを付けているのである。これは明らかに安倍首相を美化する印象操作をしていると考えざるを得ない。そして、新聞などメディアは安倍首相を幇助していると言わざるを得ない。これまでの政府を幇助してきたように。新聞などメディアは、自己の加害責任にほうかむりしてその謝罪もせずに、国民に対して説教を垂れる事は偽善と傲慢以外の何ものでもなく許されない。そして、責任の負い方は、その国策実施にどのような立場で関わってきたかなどの関わり方によってその軽重もそのあり方も異なるものである。東久邇宮内閣が、負うべき者の戦争責任を曖昧化しようとした「一億総ざんげ」のように、国民に責任を負わせようとしてはならない。

 安倍自公政府声明の内容は、「判決には従えない」と司法と原告や主権者国民に不平不満や文句を権力を悪用して「声明」というカッコつけた名称で言っているだけだ。すべてその責任を認めたくないための「屁理屈」であり、国民に責任転嫁しようとするものである。また、森首相もそのような発言をしたが、公然と司法権を罵倒した考え方であり態度である。政府声明は三権分立の司法への司法権への圧力をかける事を目的としたものであり、三権分立を形骸化させ行政権が牛耳ろうとするものである。新聞などメディアは、前代未聞のこのような態度価値観の安倍首相、安倍自公政権に対して、無視するぐらいの対応が必要である。記者が無視されるように。無視する事によって国民が不利益を被る場合には、政府の非常識や無法を糾すべきであろう。元福岡高裁部総括判事・森野俊彦弁護士が「控訴断念は本来、訴訟の基本的な争点を是認した事と同じだ。政府の対応は、法律論的には相当問題がある」と指摘しているように。

 菅官房長官は政府声明を「法的拘束力はないが、政府としての大変重い意志表明だ」と説明したが、古い意識に凝り固まっている体質が露わになった。自己の正当化と権力維持のため、自己に都合の良い価値観や意識をご都合主義で「正しい」ものとして持ち出し、国民に対してそれを押し付けようとするその姿勢を改めようとしない事がこの件においても露わになった。時を経るとともに、その時間が短い場合もあるが、人間の意識や社会の意識はより良いものに変化発展してゆくものである。安倍自公政権はそれを認めないという事を政府声明で露わにしたという事である。このような事例が他に多々ある事に思い当たるだろう。自民党員公明党員はもうすでに、価値観や意識は化石人類に属しているのである。彼らを権力の座から追い払わなければ国民の権利は保障されず真に幸せにはなれない。国民の進歩発展も国の進歩発展もない。

(2019年7月19日)

 

 

 

 

 

 

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