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「白紙撤回」の裏にある安倍政権の狙いを見抜こう!新国立競技場建設計画

2015-07-25 12:47:45 | 新国立競技場

 安倍政権は、「新国立競技場」の建設計画について、「白紙撤回」を決断した。(白紙撤回による事後処理上の国民の追及すべき課題については別ブログ参照)。国民の猛烈な反対抗議や良識あるアスリートの声などによって、「このままでは、みんなで祝福できる大会にする事は困難であると判断した」と発表した。しかし、安倍首相は国民に対してこの混乱に対する「謝罪」はしていない

 それどころか、最高決定権をもつ責任者であり、己が引き起こした問題であるにもかかわらず、責任も感じないような第3者的な態度を装って、収拾のつかない状況を解決するために私の力で「決断」したと言わんばかりの発言であった。この手法はアジア太平洋戦争を終結させる際に使った昭和天皇による「聖断」の手法と同じである。天皇を気取っているのか?また、「聖断」は天皇はもちろん政権ブレーン(天皇ワールド)、天皇制大日本帝国の為政者たちの地位と権力を維持するために行われた演出であったが、その効果をも狙っているのだろう。

 国民は手放しで満足するのでなく、この「決断」をどのように考えるかが大切である。安倍政権は、国民の反対抗議に応えたように見えるが、この先もどんな事でも自民党の数の力で国民が「横暴」と批判しようが押し切っていけるという安心感余裕をもっているのである。だから、安易に国民からの評価に動揺したり危機感を意識した末での決断ではないと考えるべきだ。彼は国民よりも、「世界各国の政権や国民」が、自己や安倍政権に対して否定的な悪い評価をするのを避けようとしたと考えた方がよい。彼らが自己に対する国民の評価に敏感であれば、安保法制を衆院で「強行可決」して、なお政権の座にはおれないはずだ。

 しかし、そのような気配がまったく感じられない。安保法制の「強行可決」について、彼らは彼らの論理では、世界に対して説明可能であると自信をもっており、「五輪」に関しての「ごり押し」はどのように説明しても納得してもらえないと判断したと考えるべきである。彼らが真に意識しているのは「世界各国の政権や国民」の彼らに対する評価だと考えた方が自然である。国民は勘違いせず、今後彼らが打ち出してくる他の新しい政策に注意を向け、対抗していく心構えをもつ事が大切である。安倍政権の今回の「決断」は、自己を利するため、「アメ(懐柔)とムチ(弾圧)政策」の「アメ」なのである。国民を「懐柔」するためなのである

 すでに、安倍政権は目標である「天皇制大日本帝国への回帰」の達成に向けて「五輪」を利用する計画施策を、色々な面で実施し始めている。この「新国立競技場建設計画」の件で、国民の関心を高め、「五輪」を利用して「日本人の民族主義昂揚と意識統合」に取り込んでいく効果を狙っているとも考えられる。国民はその「裏の意図」を見抜く力を磨かなければならない。安倍政権を退場させるためには彼らの目的が何か、彼らの政策にはどういう「裏の意図」が込められているのか、を見抜かなければ、国民は彼らの罠にはまってしまう事になる。

1936年ベルリン夏季オリンピック(「ヒトラーのオリンピック」と呼ばれた)

「ヒトラーは当初、「ユダヤの祭典」であるとして開催に難色を示した。しかし、側近から大きなプロパガンダ効果が期待できるとの説得を受けて開催する事に同意した。開催を決定したのちは、オリンピックを“アーリア民族”の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会と位置づけ、ドイツが総力を挙げて開催準備を進め、短期間でスタジアムや選手村、空港や道路、鉄道やホテル、実験段階であったテレビ中継などの受け入れ態勢の整備がすすめられた。ナチスのユダヤ人迫害政策や反ナチス運動の弾圧政策に対して、開催権の返上要求や参加ボイコットの動きが起こった。それに対して、ヒトラーはオリンピック期間の前後に限り、迫害弾圧政策を緩める事を約束して実施にこぎつけた。金メダル獲得者のなかに、植民地支配下にあった韓国朝鮮民族の、日本国籍で胸に日の丸をつけての参加を認められた孫基禎がいた」

 安倍政権の体質は、国民を騙して、彼らの目的を達成しようとする極めて悪質な、民主主義を冒とくするものである。ナチス・ドイツと同一である。安倍政権で得をするのは安倍政権ワールドだけであり、彼らは国民を彼らに奉仕する「奴隷」のような存在として扱おうとしているのである。

※「自民党憲法改正草案」での「国民の権利義務」

「改正草案」第12条「国民の責務」では「この憲法が目民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により保持されなければならない。国民はこれを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴う事を自覚し、常に公益(国家)及び公の秩序に反してはならない」とし国家が国民に対して制限を加えている。

憲法第20条「信教の自由」3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」に対して、「改正草案」では「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについてはこの限りではない」とし、国民に「靖国神社国営化」を認めさせようとする意図がみえるとともに、「創価学会」を支持母体とする「公明党」への牽制がみられる。

憲法第21条「表現の自由」について「改正草案」は、1項で一切の自由を保障するが、2項で「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害する事を目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をする事は認められない」と天賦人権説を否定している。理由は「改正草案」の説明では「我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものである事が必要」としている。

国民は、追い詰められている。

※戦争責任の問題 ちくま学芸文庫『伊丹万作エッセイ集』

「さて、多くの人が、今度の戦争(アジア太平洋戦争)で騙されていたと言う。…日本人全体が夢中になって互いに騙したり騙されたりしていたのだろうと思う。…騙されるという事もまた一つの罪であり、昔から決していばって良い事とはされていないのである。…“騙されていた”と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でもすでに別の“ウソ”によって騙され始めているにちがいないのである」

 


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