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やめられないとまらない「新国立競技場」!安倍政権ワールドは政治を私物化するな!

2015-07-10 19:50:13 | 新国立競技場

 「やめられないとまらない、○○○エビせん」というCMがあるが、それと同じような状況が起こっている。安倍政権は国民から批判を受けている「新国立競技場」の建築計画を実施しようとしているのである。これと同じような状況はこれまでにも起こっている。最も大きな事としては原発を再稼働させようとしている事、国家予算における膨大な国債の発行を繰り返している事などである。どれもこれも思考パターンは同じである。商売でいえば「詐欺商法」という事になろうか。

 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる競技場について、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が総工費2520億円(過去の夏季五輪で1千億円を超えたメインスタジアムはない)の建設計画で工事を進める事を7月7日有識者会議に報告した。有識者会議(座長・佐藤禎一元文部事務次官。JSCの諮問機関)は「異議なし」(審査委員会委員長・安藤忠雄氏は欠席)で了承した。「東京五輪・パラリンピック推進議員連盟」幹事長代理・笠浩史衆院議員(民主党)だけが「(総工費が)膨れる不安にも説明が必要」と述べた。JSCは一両日中にも大手ゼネコンと契約を結ぶという。

 なぜ、「異議なし」なのだ。これは横暴だ。「有識者」はどのような知識を有して結論を出したのか。JSCは2520億円を「目標工事費」としており、それに含まれていない仮設の1万5千席は有識者会議の要望を受けて再び常設化を検討する。開閉式屋根など20年の後に予定する施設整備費は、現時点試算で約188億円。改築後50年間に必要な大規模改修費は1046億円になる。最初の予定総工費自体が非常識であったし、試算によりさらに予想外の膨大な額が出た時点で却下すべきであった。

 こんな税金の使い方になぜ疑問も感じないで進めてきたのか。現在、日本の国は借金まみれ(1000兆円を超える国の借金、国民一人当たり900万円。先進国内ではこんな国はほかにはない。ギリシャは他人事ではない)で、財政再建が重要な課題となっている事をどう考えているのか。また、そんな形で税金(国民の金だ)を使うより、介護保険の負担増、負担限度額認定要件の厳格化、年金の給付金の減少、消費税の8%増税などなど、挙げればきりがないが厳しさが年々増している国民の生活が少しでも安心安定するために使うべきである。こんな事は子どもでも理解できる事だ。という事は安倍政権ワールドには政治的能力がない、政権を担当する資格がないという事を意味する。また、安倍政権ワールドにおいて、「有識者」という名称は国民を欺く(信用させる)ための「隠れ蓑」として使われておりで、賛同者の集まりでしかない事を証明したという事を国民は頭に刻みつけておかなければならない。

 11年3月に起こった福島原発事故後の原子炉・汚染水の処理や地域の復興がまだ先の見えない状況下(今もそうだが)、(メディアが安倍政権に対する翼賛体制化しているために国民に情報を流さず考えさせないように関心を持たせないようにしようと世論操作している)、13年9月、国民からの強い非難の声(ウソをつくな)を無視して、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、安倍首相が「汚染水はコントロールされている」と国際的に「ウソ」をついてまでも招致をアピールして、五輪招致を獲得した日本東京は、このデザインの競技場を造る事をアピールしたわけだが、そもそも招致自体が間違いの元であった。安倍政権ワールドとしては、国民を覆っていた不安な「原発事故」に対する意識を薄れさせるため、国民意識を新しいステージへ「流し込む」ために、「パンと見世物」という政策の「見世物」として「オリンピック招致」を目指したと考えられる(「パン」に当たるのが「アベノミクス」である)。東京都議会の自民党が直接仕掛け、安倍政権がそれに乗り利用し、その政策にメディアが翼賛報道をしたため、都民や国民の多くがその罠にはまったといえる。安倍政権ワールドは原発事故後の復興対策を適当に切り上げ、オリンピック政策へシフトを移したのである。(原発利用に対するメディアの安倍翼賛体制化は強まっている。)

 本来、今回の会議の目的は、建築家の槇文彦氏らが示していた、建設費を1千億円安くできる代替案と現行計画とを比較する事だったが、JSCの河野一郎理事長は、代替案を採用しなかった。その理由は、五輪招致時の「国際公約」など従来の主張を繰り返しつつ、「我々のミッションは、あの形で作る事。やめる、やめないは文科省が決めた事だ」との事。これは極めてお役人的意識で国民のために仕事をしているんだという意識を持っていない無責任な考え方である。自分の命じられた事を、命じた者のために無批判に効率よくこなすだけというものである。こんな人間は「有識者」とはいえない。(「有識者」とは「多方面の豊富な知識を有し、広い視野を持ち客観的な判断ができる人間」の事である。)極端な言い方をすれば、河野氏のような人間は、ナチス・ドイツのヒトラーの下でユダヤ人虐殺の中心的役割を果たしていた「アイヒマン」と同種の人間である。ハンナ・アーレントは「アイヒマン」の罪は「考えない事」であると言った。彼はユダヤ人の虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上の事を考えようとはしなかった。それがどんな未来に繋がるのかを「考え」ようとはしなかった。しかし、「考えない事」こそが罪なのであった。安倍政権ワールドにはそのような人間がたくさんいるのである。

 JOCの竹田恒和会長は五輪招致で安倍首相が「このスタジアムを造る」と発言した事に触れて「国際公約を守るのは重要」と指摘した。またスポーツ界の重鎮からは計画推進を求める声が相次いだ。「国際公約を守るためこの計画をやめる事は出来ない」という事であるが、安倍政権が深い思慮や計画もなく、無責任にアピールした事自体が問題なのであるから、安倍政権は現実に目を向けて誤りを認め国民の声を尊重し、計画を中止し謝罪する事が最も妥当な対応であろう。竹田氏は、「国際公約」という言葉を使って、日本国民が「恥をかく事になってはいけない、信用をなくしてはいけない」というような発言をし、公約は取り消せないかのように思わせ、国民に納得してもらおう(国民の批判を封じよう)と考えているようだが、安倍がそういう無責任な事をしたのだから安倍は「恥をかいてもらって当然」である。それによって、国民自身が「恥ずかしい、信用を失う」と思う必要はない。世界では国民と政権を同一視する評価はしない。これは世界の国々では、政権と国民とは別物であるとする考え方が当たり前(常識)だからだ。国民に被害や損害を与える政権は退場してもらうという考え方だ。また、ひと昔前までの日本の政治は、「いったん決めた事はどんな事があっても最後までやめない」という考え方であったが(敗戦までの日本は、国内外に多大な損害を与えながらも自ら戦争をやめられなかった)、今は臨機応変に物事を処理していく事が大切になっている。「やめられないとまらない」の考え方の時代は終わらせなければならない。そのような考え方にいつまでも染まっている人間は退場してもらわなければならない。また安倍政権の「無責任な言葉」に従うだけの人間も有識者として大きな顔をしてもらっていては国民が困るので退場してもらわねばならない。(安倍政権はまた、1票の格差で違憲状態にあるとされる選挙で大勝した自民党の政権である。また、その自民党は衆院小選挙区制度で、48%の得票率で76%の議席を占有している政党であり、国民の意志を正確に反映した政権ではない)。スポーツ界の重鎮からは計画推進を求める声が相次いだという事だが、彼らも「アイヒマン」と同種の人間と考えてよい。

 下村博文・文科相やJSCへの批判を繰り返した舛添・東京都知事は「(2019年の)ラグビーW杯と五輪に間に合わせて、しかるべきものを造っていただきたい」と述べただけで容認した。舛添氏の変身の理由については、自民党都議団からの「知事として自覚と責任を」という非難と森喜朗・東京五輪・パラリンピック大会組織委会長が「知事ではなく、学者だから」と揶揄したからだという。舛添氏の発言については「オリンピックの言いだしっぺ」として、無責任の一語に尽きるが、森喜朗氏の発言には無視できない問題がある。それは「学者」を馬鹿にした意識がうかがわれるからだ。この意識は「安全保障法制(集団的自衛権)」に対して「違憲」判断をした「学者」に対して安倍政権ワールドが見せた態度にも通じるものであるから。つまり、安倍政権ワールドは「学者より自分たちの方が正しい」という傲慢さを持っているという事だ。下村氏については、そんな事で大金を使うのではなく、児童や生徒、学生たちの教育環境を充実させるために使うべきである。それなら国民は納得できる。しかし、下村氏はこれまでの教育政策から見て、教育を政治のために利用することだけを考えている。教育の在り方や国民の希望とはまったく正反対の考え方である。文科相としては不適格と言うべきだ。(敗戦まで教育は政治のために利用されたが、それと同様の考え方で政策を実施している)。

 アーチ2本で建物を支える特殊なデザインを採用したのは、建築家の安藤忠雄氏を委員長とする審査委員会だった。12年の11月、「象徴的なアーチ状構造の実現は、現代日本の建築技術でしか作り得ない挑戦だ」と評価した。安藤氏については、建築家は自分の夢を実現させる事だけしか考えていないのか。これだけの費用(国民の税金)がかかる事について何も考える事はなかったのかと思う。そういう人間なのか、故意に思考停止していたのか。どちらにしても結果的に無責任きわまりない役割を果たした事になる。先ほど書いたが、「アイヒマン」そのものになってしまっている。

 ロンドン五輪の馬術会場を設計した建築家の山嵜一也氏は「日本の技術力を示すと、繰り返しているが、もはや土建的な技術力を示す時代ではない。発想がバブル期のままだ」という。これこそ時代を読み、国民の気持ちを理解した考え方であると思う。

 最後に、安倍政権ワールドが、どんな形状のものを建築するにしても「新国立競技場」を建設する意図は、「元国立競技場」の元になった「明治神宮外苑競技場」のもつ歴史、戦前の出陣学徒壮行会が開催された記憶を国民から薄れさせるためではないかと思うが。

 物分かりの良い人間は安倍政権に利用される。物分かりの悪い人間は自分を守れる。


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