つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

清沢洌『暗黒日記』1945年1月1日から学ぶ

2024-09-12 17:48:02 | アジア・太平洋戦争

 清沢洌(1890.2.8~1945.5.21)は、リベラリストとして神聖天皇主権大日本帝国政府軍国主義を批判した人である。以下に紹介するのは彼の著『暗黒日記』1945年1月1日の内容である。

「昨夜から今暁にかけ三回空襲警報なる。焼夷弾を落としたところもある。一晩中寝られない有様だ。……日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由からであった。戦争はそんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼等は味わっているのだ。だが、それでも彼等が、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。彼等は第一戦争は不可避なものだと考えている。第二に、彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に、彼等に国際的知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位をあげることも必要だ。

 日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総ての問題はここから出発しなくてはならぬ。日本が、どうぞして健全に進歩するように─それが心から願望される。この国に生まれ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿るのだ。いままでのように、蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように─。「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない。……ダンバートン・オークス案は成立するであろう」

ダンバートン・オークス案……1944年8月~10月、ワシントン郊外の左記の地で、米・英・ソ・中の代表が国際連合憲章原案を作成した。連合憲章は、「2度までの絶大な戦争の惨害から将来の世代を救う」(前文)目的のもとに、1945年6月26日に調印された。

(2024年9月12日投稿)

 

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戦争絶滅受合法案を成立させよう

2024-09-12 16:32:44 | 戦争遺跡

 「戦争絶滅受合法案」は、デンマークの陸軍大将フリッツ・ホルムが起草したもので、長谷川如是閑(1875.11.30~1969.11.11)が『我等』(1929年1月号)の巻頭言で紹介した。2004年には高橋哲也氏が2004年1月17日付『しんぶん赤旗』に紹介した。以下に紹介しよう。

「 戦争絶滅受合法案

戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、10時間以内に次の処置をとるべきこと。即ち、下の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。

一、国家の元首。但し、君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。

二、国家の元首の男性の親族にして16歳に達せる者。

三、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官

四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し、戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。

五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。

上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべき者にして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し、健康状態に就ては招集後軍医官の検査を受けしむべし。以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。」

(2024年9月12日投稿)

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靖国神社信仰を国民に強固にさせた福沢諭吉

2024-09-12 10:48:29 | 宗教

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、戦死者を「お国のための名誉の戦死」と称し、天皇=国に対する国民の模範とし、「誉の家」と称賛したが、それは政府の冷徹な計算による政策であった。福沢諭吉は「時事新報」の論説『戦死者の大祭典を挙行すべし』(1895年)によって、この政策を支持し、国民に靖国神社に対する信仰を強固にさせるうえで大きな影響を与えた。

 論説は「戦争に備えて死を恐れずに戦う兵士の精神を養うために、可能な限りの栄光戦死者とその遺族に与えて、戦死する事が幸福であると感じさせるようにしなければならない。そのための方策として、帝国の首都東京に全国の戦死者の遺族を招待して、明治天皇自らが祭主となって死者の功績を褒め讃え、その魂を顕彰する勅語を下す事こそが、戦死者と遺族に最大の栄誉を与え、戦死する事を幸福と感じさせる事になる」と主張している。

(2024年9月12日投稿)

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日本政府の戦没者個人データ保管と靖国神社の「御祭神名標」データベース化の問題

2024-09-12 09:14:46 | 宗教

 日本政府は戦死者に関する個人データをどのように保管しているのだろう。陸軍に所属していた旧軍人の兵籍及び戦時名簿などの資料は第一復員省(陸軍省の後継機関)、地方世話部をへて、現在は本籍地所在地(敗戦時)の府県に移管されている。海軍に所属していた旧海軍の履歴などの資料は第二復員省(海軍省の後継機関)、地方復員部をへて、現在は厚生労働相社会・援護局に移管されている。ちなみにこれらの資料は軍人恩給遺族年金を支給するための基礎資料となっている。

 敗戦後、厚生省は戦死者の名前や身上に関する調査に基づいて、戦死者各人の戦没者カード「祭神名票」を作成した。そして、日本国憲法の政教分離原則違反行為であると知りながら(1985年11月6日の参院予算委員会で、野党議員の追及を受けた増岡厚相が『援発第3025号は不適切あったと認めざるを得ません。憲法に照らして違憲の疑いのあるような事はあってはならない』と認めた。)、これを靖国神社に送付していた。この事は今日、国民周知の事実となっている。そして、靖国神社は、この「祭神名票」に基づいて戦死者の「合祀」を行っていた事も同じく国民周知の事実となっている。

 ここで主権者国民にとって問題にしなければならない事がある。それは日本政府は、戦死者各人の個人データを保有しておりながら、それを国民には公開していないにもかかわらず、靖国神社には提供していたという事である。

 加えて、靖国神社は、1999年の「御創立130年記念事業」の一環として、遺族・崇敬者からの御祭神調査の問い合わせに迅速に対応するためとともに、永久保存を期すために「御祭神名標」のデータベース化を行っている事である

(2021年2月1日投稿)

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