昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

全日本プロレス分裂騒動(1)

2018年12月27日 20時00分13秒 | 2000全日本プロレス
6月9日日本武道館大会の試合後、三沢社長が毎シリーズ恒例となっていたシリーズ総括を行わず会場を後にした事がわかり、翌日各マスコミが三沢へ電話取材をして社長解任(5月28日後楽園大会終了後に開かれた全日本プロレスの臨時役員会において三沢社長を解任する動議が提出され、賛成多数で可決された。)と3月31日全日本プロレスとの契約が切れた後に契約更新をしていないことが判明。
また契約更新について、選手会とオーナーサイドで契約内容の話し合いが難航し選手全員が全日本と契約しないままシリーズに参加していた事も判明。

6月13日午後4時から東京・虎ノ門の法律事務所で全日本プロレスの役員会が開かれた(渕正信は家族が急病のため欠席)が、出席した10名の役員のうち三沢光晴、百田光雄、田上明、小橋健太、百田義浩、大八木賢一の6名が辞表を提出して退席し、役員会は約10分で終了。

6月14日午後5時過ぎ全日本プロレスの事務所で川田利明が記者会見を行い、全日本プロレスと契約を更新した事を発表。
全日本プロレスはこの日から契約の更新を開始し選手に電話連絡をしたものの、会社に現れたのは川田だけだった。
選手以外では和田京平レフリーと木原文人リングアナが契約を更新。
また馬場元子オーナーの声明文がマスコミに配られた。
馬場元子オーナー声明文
 今回の全日本プロレスをめぐる一連の動きにつきまして私の考えを述べさせていただきます。
 夫である馬場さんが思いもよらぬ時期にこの世を去り、私は、馬場さんの遺志を継ぎ、全日本プロレスの隆盛に導いてくださる後継者として三沢光晴選手に代表取締役に就任していただきました。
 ところが、三沢社長は、その職務を全うしないまま、今回の解任劇を演じ、私は狐につままれたような想いです。
 私は、馬場さんの生前は、馬場さんの妻として夫の意を汲み、時には会社のため憎まれ役もはたして参りましたが、これは全て、会社のため、レスラー、社員のためを想ってのことでした。
 そして、三沢選手の社長就任後は、役員として必要な助言はいたしましたが、会社の経営についてはそのほとんど全てを三沢社長にゆだねてまいりました。
 ある報道によれば、私が会社の「金庫」を手放さなかったことが対立の原因であるかのように申されておりますが、そのような事実は一切ございません。
 このたびの、ことに5月28日の社長解任劇の伏線は、今年の2月からの三沢社長の動きに当たります。三沢社長は、代理人弁護士を立て、これまで会社で開いていた取締役会をわざわざその代理人事務所で開くようになりました。そして、そうした時期に符合し、全日本プロレスの子会社に対する支払いが違法であるとか不当であるとか声高に主張し始め、それ以降の役員会は毎回そうした話ばかりで、全日本プロレスの実質的な運営に関する話は全くなされなくなりました。
 全日本プロレスは、本体である同社と子会社4社を以て構成運営され、それぞれに社員を抱えておりますが、私は、馬場さん時代からの経営を引き継ぎ、三沢社長の承諾のもと子会社の経営をなしてまいりましたので、違法だとか不当だとかと難詰される覚えは全くございません。
 今回の解任劇、辞任劇の発端は、5月28日に開催された臨時役員会にあります。当日は、全日本プロレスの興行のさなかで、私は、なぜそうした日に役員会を開く必要があるのか不思議に思いながら会に臨みました。そうしたところ、役員である百田義浩氏より突然三沢社長を解任する旨の動議が提出され、何の納得のできる説明のないまま可決されました。
 私は、訳もわかりませんので反対いたしましたが、今回辞任した取締役の賛成で可決されました。そして、昨日の辞任劇です。
 昨日、私は、今一度三沢社長に原点に戻って全日本プロレスの社長に復帰してもらうように話し合うつもりで出席いたしましたところ、6名の役員ですでに示し合わせていたのか、次から次に辞任するとの言葉を残して退席し、数分で役員会は終了し、私は狐につままれたような気分でした。
 今にして思えば、今回の解任劇、辞任劇は、数か月前から三沢社長が独立を目指して計画したものとしか思えません。あまりにも流れが出来すぎているからです。
 選手との契約をずるずると先延ばしにしていたこともそうですし、三沢社長が保証している全日本プロレスの借入金を役員会に何も話のないまま最近億単位で返済していることも今から思えばなるほどと思います。
 今回の事態に遭遇し、馬場さんがこの場にいてくれればと思いとても悲しく悔しい気持ちがいたします。何の責任もとらずに任務を放棄した三沢社長とその同調者に対しましては憤りの念を禁じ得ませんが、私には残された選手と社員を守る義務があり、いかなることがあろうと全日本プロレスを存続する決意です。
 幸い今回の事態にもかかわらず川田選手、渕選手が馬場さんの遺志を継いで全日本プロレスを盛り上げることを誓ってくださいましたので力を合わせて頑張りますとともに、今後の事につきましては株主であります日本テレビ様とよく相談のうえ方針を決定し改めて皆様にご報告申し上げますので、今までに変わらぬご協力をお願い申し上げます。
 また、ファンの皆様にも大変ご心配をおかけしておりますことをお詫び申し上げます。
 平成12年6月14日 全日本プロ・レスリング株式会社 馬場 元子

6月15日全日本プロレスから2000サマー・アクション・シリーズの日程と参加外人選手が発表された。
同日、全日本プロレスの選手会が開かれ、今後についての話し合いが行われた。

6月16日午前、三沢ら選手23人、練習生1人、レフリー・リングアナ6人計30人の辞職届が内容証明郵便にて全日本プロレス事務所に届けられた。
同日午後6時家族の急病の為に九州に行っていた渕正信が帰京し、全日本プロレスの事務所で契約を更新。

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