ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「シべリア抑留者」

2007-02-27 07:53:07 | Weblog
例によって図書館の本で「シべリア抑留者」という本を読んだ。
書棚の背表紙を見たときにはシベリア抑留者の手記、苦労話の類だと思って開いたら、これが案に相違して全く違っていた。
日本には、シベリア抑留者が、その体験した苦労に見合う補償をせよ、と訴えている団体が3つもあるということに驚いた。
全国抑留者補償協議会と財団法人全国強制抑留者協会とソ北会という三つのグループがあるというのも納得できない。
本来ならば、シベリアに理由もなく抑留された同胞60万人は、一つの訴訟団体、一つの原告団としてまとまってロシアに抗議すべきではなかろうか。
その中でも、全国抑留者補償協議会というのは共産党系の団体で、旧ソ連がわが同胞に労苦を強いたのに、その補償を自分の祖国に訴えるというのだから、まともな人間には開いた口がふさがらない。
何故そういう発想になるのであろう。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という話があるが、これは論理的でない議論を揶揄する表現で、シベリア抑留者というのは、明らかに旧ソ連の国際法違反、国際条約違反、人権無視の行為であり、人道上許されざる行為るにもかかわらず、何故その補償を日本にぶつけてくるのか全く理解に苦しむ。
ソ連に抑留された人々の中には、向こうの政治教育で共産党の思想に染まり、ないしは染まった振りをして祖国に帰還しようとした人もいたことは承知している。
然し、日本人でありながら、旧ソビエットの利益に貢献するということは、明らかに売国奴の行為であり、祖国に対する裏切り行為である。
祖国を売る行為というのは、古今東西あらゆる主権国家の中に昔から連綿と少数ではあるが居ることはいる。
日本人だけが祖国を売るわけではなく、アメリカ人でも、イギリス人でも、フランス人でも、そういう人は数は少ないけれどもいることはいる。
然し、普通の主権国家では、そういう人は祖国の法律で罰せられる。
又、どういう行為が売国奴にあたるか、というきちんとした基準もあり、基準が確立しているから、それに対応する罰則もきちんと整えられている。
ところが我が国では国を売るという概念そのものが存在していない。
言論の自由や思想・信教の自由の中に内包されてしまって、きわめて根拠の乏しいものとなっている。
旧ソ連のした悪行の尻ぬぐいを、祖国の政府に肩代わりするように求めても、それだけの理由で身柄を拘束されることはない。
戦後の我々は、その前の時代があまりにも強烈に祖国愛ということが強調されたので、その反動として、祖国という認識を失ってしまって、この4つの島の中でアメリカという庇護者の懐の中で、のうのうと生きてきたので、地球上に存在する他国、よその国、自分とは違う国、自分たちとは違う体制、自分たちを違う考え方の人々が居るということをすっかり忘れてしまった。
だから自分の祖国、自分達の国という概念を完全に喪失してしまった。
国、祖国、主権国家という概念そのものを喪失している。
何かことが起きれば、それは我々の選んだ政府が悪いのだから、その政府をかえれば不都合は払拭されると簡単に思いこんでいる。
確かに、戦後の我々は、自分で自分を守ることを放り出して、他力本願に頼り切って、力の要ることは全てアメリカの抑止力におんぶにだっこで、経済にのみ精力を費やしてきた。
そして、日本全体として経済力が大きくなると、1945年、昭和20年の夏にはさんざん日本から掠め取った、抑留という労働者に対する賃金支払いまで、自分たちの祖国の負担にさせようという思考に至ったのである。
日本にいくら金があるといっても、旧ソ連、現ロシアの負担すべき金まで、我々の血税ではらう義理も論理もない筈である。
そういう不合理の片棒を担いでいるのが、全国抑留者補償協議会であって、この会長であった斉藤六郎という人物は押しも押されもせぬ共産党員だと思う(私のかってな推測では)。
この本の中では「捕虜」か「抑留者」かという言葉の問題も提起されているが、シベリア抑留者はあくまでも抑留者であって、断じて捕虜ではないはずなのに、自分たちから「捕虜だ」という点からしておかしな連中である。
旧ソ連、今のロシアにも、先方は先方なりに言い分はあろうが、それは最初から認識が間違っているわけで、こういう認識の違いはきちんと説明すれば先方も理解するようだが、しかしそれも先方次第だということは、こちらも肝に銘じておかなければならない。
話せば必ず解ってくれるとは限らない。
現に北朝鮮との交渉などというのは、きちんと正論を述べても(本当に正論を述べているかどうかは解らないが、我々の常識からすればそうしているだろうと想像するだけ)先方は一向に解り合う気配はないわけで、外交交渉というものはそういうものだというのが常識である。
然し、自分たちがシベリアで苦労させられたにもかかわらず、その補償を日本政府にせよ、という神経は一体どう考えたらいいのであろう。
自分たちがだまされてシベリアに連れて行かれたのに、そういう国に貢献しようなどという神経は一体どこからきているのであろう。
共産党員として共産主義を信奉しているのならば、日本に返ってくるまでもなく、現地でコルホーズでもソホーズにでも仕事をしていれば良さそうに思うのだが、日本に帰ってきて、日本でソ連に貢献しようとしているのである。
日本はそういう人たちにとってまことに有り難い国なのであろう。
我が国は以前よりスパイ天国といわれているが、それは生き馬の目を抜く国際間の生存競争の修羅場に身を置いたことがないから、スパイや売国奴に対して感性が鈍っているのであろう。
海という自然の要衝があり、アメリカという庇護者の懐の中で、自分で腕力を蓄える気概も持たず、何かことがあれば政府が悪い、アメリカが悪い、と言っておれば時間がそれを風化させてくれるので、きわめてノー天気な気分でおれるわけである。
本来、旧ソ連、現ロシアが60万余のわが同胞に払うべき労務補償費を、日本政府が肩代わりするとすれば、先方にとってこれほど有り難いこともないわけで、それを実現すべく努力している同胞を我々はどう考えたらいいのであろう。
国を守るということは、何も自衛隊だけの専管事項ではないわけで、自衛隊が出なければならない状況というのは、最低の最低の政治的選択なわけで、自衛隊が出る前には一般国民としてしなければならないことが山ほどある筈である。
ところが戦後の日本人の認識は、何かことがあれば、そぐにでも自衛隊が出るような認識で戦争、武力行使というものを見ているが、そんな短絡的なことではないはずである。
こういう観念論的な平和主義者の認識不足が恐ろしいわけで、危機管理というのは、危機が起きてからでは遅いわけで、危機のくる前にそういう危機に備えて対処法を考えなければならないのである。
ところがそれを考えようとすると、専守防衛の趣旨に反する、という議論になってしまうわけで、問題が行詰まってしまう。
以前露呈した東芝機械が旧ソ連に船舶のスクリューを加工する機械を輸出して、ココム違反に問われ、最近ではヤマハが中国へ、リモコン・へりを輸出して同じような責任追及にあっているが、こういうことは敵に塩を送るようなものである。
今は具体的に相手を敵と認識していないので、皆が危機感に欠けているが、敵に塩を送って、それを先方が有り難く思ってこちらの便益をはかってくれれば、それはそれで有意義なことであるが、国際間の取引では、そういう善意は全く通用しないのである。
船のスクリューの加工機械や、リモコン・へりなどは武器ではないから,一向に構わないではないかということは、戦略ということに無知な人の発想である。
こういうものが如何に軍事的に大事かということが解っていないから、のんきなことが言っておれるのであって、そのことによって日本およびアメリカの防衛に可及的な被害が出ていることに考えが及んでいないと言うことである。
戦争は政治の延長だといわれているが、確かにその通りで、戦争になるということは最低の政治選択ということだ。
だとすれば自分の国の統治者に、そういう政治選択をさせる状況を招いたということは、国民の側の責任でもあるわけで、昔の戦国時代でもあるまいに、統治者が自分の私利私欲のために戦争をするなどということはあり得ない。
然し、そうはいうものの湾岸戦争のように、イラクのフセイン大統領が、自分で聖戦と称してクエートに攻め込むということもあるわけで、それもクエートがあまりにも無防備であったからでであって、そういう目に遭わないように常に用心する必要はある。
ところが戦後のわが同胞の知識人という人々は、そういう用心すら専守防衛に反する、と称して用心することすら遺棄するわけである。
クエートはイラクと地続きだからああいう事態が起こりうるが、我々は四周を海に囲まれているので、ああいう不安がないものだから危機管理にきわめて甘いのである。
平和主義というのは卑屈な謝罪外交をするということではないはずで、倫理的に正しいことと正しくないということは万国共通なわけで、相手の非をきちんと正々堂々と正すということは、立派な民族の誇りであると同時に戦争の抑止にもつながるのである。
この民族の誇りというのは相手もそれを尊重するわけで、誇り高い民族ということを相手が認識すれば、そう安易には手が出せないから抑止力になるのである。
それが通じないのが共産主義国というわけである。
旧ソビエットにしろ、中国にしろ、北朝鮮にしろ、万国共通の倫理が普通に通用していないではないか。
彼らにとっては、力こそ正義なわけで、力のないものは語る値打ちもないと思っているわけである。
そして共産主義体制の元では、国民の福祉ということは最初から問題外なわけで、国民というのは統治者の目からすれば戦争の道具、ないしは家畜にすぎないわけで、人間のうちにも入っていない。
だから旧ソビエットは、戦争が終わったあと、我々の側が武器をおいたのを幸いに、満州の日本人を60万人余もかっさらっていって家畜同様に扱ったではないか。
にもかかわらず、その怨念を旧ソビエット、現ロシアに向けるのではなく、自分の祖国に向ける全国抑留者補償協議会の人たちというのは一体どういう神経をしているのかと言いたい。
こんなバカな話があって良いものだろうか。

「国のこころ国のかたち」

2007-02-26 08:17:25 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「国のこころ国のかたち」という本を読んだ。
6人の有識者が座談会形式で自分の思いや考を述べるというものであった。
日本を代表する人たちなので、それなりに見応えのある内容であるが、主催が産経新聞なので、比較的右よりの論調になっている。
戦後の日本に定着した民主主義ということから言えば、6人の有識者が語ることに6人が全部賛同するということはあり得ない。
それこそが民主主義というものであろうが、然し、物事を推し進めるにはどこかでこのまちまちの意見を収斂しなければならないはずで、6人の意見をそれぞれに併記しただけでは物事は前に進まないと思う。
そこが民主主義の難しいところで、仮に意見が3対3に分かれたとしたら物事はその場で頓挫してしまう。
そこで意見が4対2になったとしたら、ここで多数決原理でことを決めるとすると、少数意見をどうするのだという意見が出てくる。
民主主義には少数意見を切り捨てるという勇気も必要なのではなかろうか。
民主主義体制というものは皆が全てに平等ということではないと思う。
我々は民主主義を標榜しながら、皆が全ての点において平等ということを追求しようとするから世の中がおかしくなってしまうのではなかろうか。
民主主義にも欠陥が内在しているわけで、その欠陥の一つが少数意見を汲みきれないという点だと思う。
最大多数の最大幸福をねがっていても、最大多数でないグループの意見というのは反映する場がないということである。
これは全ての人々を皆一律に平等に扱おうとするからこういう誤謬を容認できない、という極端な思考に陥るのであろう。
国家を論ずるとき、人々は政治家のリーダーシップを期待するが、私はこの点について大いに疑問を感じている。
政治家は確かに国の舵取りをしているが、その舵取りに指針を示すべきは、常に物事を研究することを生業にしている学者でなければならないのではなかろうか。
ただし、世の学者というのは、その大部分が過去のことを研究しており、未来に考察を巡らすことは学者としての仕事のうちに入っていないように見えるが、日本の知識人のあこがれるマルクス、エンゲルスは明らか未来学者であったと思う。
人間の歴史を克明にたどれば過去の実績から未来が予測できると思う。
世の学者先生は学問的研究が過去を研究するだけで終わってしまっているから未来予測ができないわけで、本当の学問ならば、その研究の先がまだ残っているのではなかろうか。
過去を研究しているだけならば、学問的遊び以外の何者でもないわけで、知的遊戯の域を出るものではない。
人間の考えることは昔も今もそうたいした違いはないと思う。
性欲、金欲、権勢欲、顕示欲、その他欲望の名前は多々あろうが、人間はこういう欲望に触発されて動いているだけで、人間の基本的な欲望の数が年々増えるというものでもないと思う。
ただここで注意しなければならないことは、欲望を満たすための手段は年々歳々進化するわけで、それが文明とか文化と称されるものであり、人間の欲望がこれと合体すると、悲喜劇が繰り返されることになる。
それをコントロールするのは本来ならば学者でなければならないと思う。
政治家というのは、突き詰めれば、人間の欲望を文明の利器を使って効率よく実現することに精力を集中させる存在だと思う。
昨今の風潮として、学者から政治家を見る目というのは、何か胡散臭いものを感じ取る目つきだ。
学者の視点から政治家を見れば、利権を求めて徘徊するハイエナのように写り、何となく薄汚い妖怪でも見るような目線だと思う。
学者も政治家も、国民とか市民の存在は眼中になく、お互いに胡散臭い気持ちで腹の内を探り合っている感がするが、学者は政治家を啓蒙する気迫を持たなければ駄目だと思う。
国会の中には各種の委員会があり、又政党のなかにもそれぞれにブレーンを抱えているところもあり、その中には大学教授も含まれているが、政治家がそれらの意見を採用するときもあれば、無視する場合も多々あるに違いない。
それは学者の目標と政治家の目標が合致していないからであって、学者は絵に描いたような理想を言うが、政治家は実現可能な実績を求めているからであって、その目指すところが違っているからである。
学者も絵に描いた理想をいうのではなく、国民のおかれた現状に即して近未来の実現可能な案を提示すべきで、それを政治家に説くのが学問を生業とする彼らの使命ではなかろうか。
学者が政治家をリードするということは、学者の側が実現可能な案を提示しないから双方が反発してしまうのである。
学者の未来予測が絵に書いたような理想であっては、学者としての器量がないということである。
道路一本作るにも、橋一本掛けるのも賛否両論があることは当然であるが、賛否両論を併記したところで意味はないわけで、そこで大勢の賛成することならば、それを推し進めようという風にならなければおかしい。
ここで学者や知識人のお知恵拝借となるわけであるが、そのときにそういう偉い先生方が全部反体制の側につくということはおかしな話なわけで、本来ならばこういう場面で偉い先生方が「大勢の方々が恩恵に浴すことなのだから、少数意見の方々も協力しましょう」、と説得にかからなければ学者や知識人としての価値がないではないか。
政治家集団としての政党は、本来的に政権政党を目指すという宿命を抱えているわけで、内心では反対するまでもないと思っていても、それを表面には出せず、野党としては与党に対して反対せざるを得ない。
その野党に学者や知識人が率先して乗っかってしまっては彼らの学識経験というものの意味がないではないか。
小泉首相の行政改革でも、学識経験者や知識人がよってたかって批判するだけでは一歩も前に進まないわけで、現状がゆき詰まっていることは誰の目にもあきらかなわけで、だとしたらそういう人たちは率先して彼に協力してしかるべきだ。
然し、それでは御用学者と見なされるわけで、学者として御用学者といわれることは非常に恥ずかしい思いがし、学者としての矜持が許さないのであろう。
学者が御用学者と見なされるのは、学者が政治家の後を歩くからであって、学者は誇りと自信を持って政治家の前を歩み、政治家にあるべき指針を示すべきだと思う。
学者がメンツにこだわって祖国を欺く言辞を労するようでは、この国も先細りになるのも致し方ない。

「司馬遼太郎と東京裁判」

2007-02-23 07:38:42 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「司馬遼太郎と東京裁判」という本を読んだ。
めっぽうおもしろい。
司馬遼太郎氏は東京裁判史観の上で踊らされている、という論旨であるが、私は司馬遼太郎氏の作品は好きで「坂の上の雲」を始め数多く目を通している。
中でも彼が昭和の初期の日本は、日本の歴史の中でも特に異質な時代であった、というくだりには大いに感銘を受けたものである。
その意味で、彼は東京裁判史観というものを真っ向から否定していると思っていたが、それは間違いだといわれてみると目から鱗が落ちたような気になった。
「坂の上の雲」を読んでいて、司馬遼太郎氏があまりにも乃木希典をこきおろす部分で、これはちょっと異常ではないか、と少なからぬ危惧を抱きつつ読んだものだが、この本の著者、福井雄三氏によると、その部分が彼、司馬遼太郎氏の思い入れの部分で、乃木希典は彼のいうほど愚将ではないという反発が書かれていた。
司馬遼太郎氏が乃木希典をこきおろすその理由は、乃木を旧陸軍が軍神と崇め奉ってしまい、その神懸かり的な思考のまま、宗教的な呪縛を解くことなく、昭和の軍人達が戦争をしようとした点にあると思う。
かくいう福井氏も司馬遼太郎氏を尊敬していないわけではなく、彼の作品に対して畏敬の念を持ってはいるが、畏敬の念を持つことと、彼の思考に全幅の信頼を寄せることとは次元の違うことであって、その意味で彼の思考の中にも東京裁判史観が大きく影響しているのではないか、ということがテーマとなっている。
東京裁判というのは、その整合性を無視して、我々はその結論に従わざるを得なかったわけで、あの時代に物心ついていた人々にとっては、大なり小なり精神形成に影響を及ぼしたことは否めない。
その意味で、司馬遼太郎氏も昭和の初期の日本というものを、日本という井戸の内側からだけしか見れていないわけで、その意味で勝った側から押しつけられた思考以外に選択の幅がなかったに違いない。
私自身の昭和の初期の時代に関する価値観としては、司馬遼太郎氏の思考と同じように感じ、それ以外の価値観はあり得ないと思っていた。
しかし、それは結果から見た思考なわけで、敗戦、未曾有の敗北という結果を直視し、そういう状況に至らしめた原因を突き詰めていけば昭和の軍人に行き着くことは必定だとは思う。
東京裁判では清瀬一郎がいくらその裁判の整合性を正そうと思って、その非合理性を叫んでも、旧敵国側は一瞥の憂いも示さないわけで、我々の側としては、「まな板の上の鯉」と同じような立場でしかなかった。
相手に好きなように料理される他なかったわけで、そのときの若者が、それ以降というもの、それがトラウマとなったとしてもある程度は致し方ない。
然し、司馬遼太郎氏は、昭和の軍人は異質であったが、明治の日本人は素晴らしかった、ということが言いたかったわけで、その意味で、戦後の左翼思想の東京裁判史観とは一線を画していたと思う。
この本の著者は、その明治をも否定的に捉えているわけで、西郷隆盛も勝海舟も、世評に流布されているほど持ち上げるのは間違っていると述べている。
この言い分も、言われてみれば一理ある。
西郷隆盛の反乱も、時勢に取り残された無意味な抵抗だったし、勝海舟の江戸城無血開城も、戦うことを避けた軟弱な平和思考という言い分も、言われてみればそれなりに納得できる。
ただここで著者が憂いていることは、司馬遼太郎氏のみならず、今の我々の全部が東京裁判史観から脱却できずに、日本はアジアで悪いことをした、侵略した、という負い目を担いながら、その負い目があらゆる場面で顔を出し、民族の誇りを失ってしまっている点にあるということだ。
私は最近こういう世論形成は、本来、学者の責任ではないかと思う。
学者にもいろいろあって、左寄り、右寄り、様々な考え方があるのは当然としても、そういう学者が世論の方向性を指し示すのが、学者としての本来の姿ではないかと思う。
戦後の学会、学者の集まり、知識人というのは、全てが左寄りであったが、こんなバカな話はないと思う。
戦前戦中は、大学の先生方の全部が右寄りで、美濃部達吉氏の「天皇機関説」を排斥し、平泉澄の皇国史観を礼賛しておきながら、戦後は掌を返したように左翼になるというのも如何に大学の先生方が無節操で日和見かということではないのか。
司馬遼太郎氏は、昭和の初期の日本は、日本の歴史の中で特別に異質な時代であったといっているが、この時に日本の帝国大学の先生方は一体なにをしていたのか、ということを究明しなければならないのではなかろうか。
そのことは言葉を換えていえば、戦後の大学教授の全部が東京裁判史観に毒されて、進駐軍に、いや占領軍に対して一言もものが言えないほど縮上がっていたということではないのか。
占領軍によって日本の軍隊が武装解除された後になって、のこのこと象牙の塔から出てきて、あろうことか共産主義を吹聴しまくったわけで、こんな知識人や大学教授であって良いものだろうか。
戦前は治安維持法で沈黙を守り、戦後はGHQにビビッテ、その鬱憤の矛先を牙を抜かれた虎に向かって遠吠えをしている図ではないか。
政治家というのは、他の国のことはいざ知らず、日本の場合、私利私欲を極めるという人はまずないと思う。
金が欲しいならば、そういう人は経済界を目指すが、日本の政治家というのは、基本的仁国益の追求が目的だと思う。
国益を追求する過程で少々甘い汁を吸いたい、という欲望に駆られる人も全くないとは言えないだろうが、少なくとも人のため世のためというのが一応のスタンスだと思う。
昭和の軍人政治家だとて、私利私欲の追求で大陸に進出していったのではないと思うが、結果的に、我々の戦争が敗北で終わったということは、政治の延長線上の戦争が稚拙であった、という点では司馬遼太郎氏の思考も間違いではないと思う。
だがここで、我々は何故にそういう過誤を犯したのか、という真相究明はまだまだ不十分だと思う。
戦後の東京裁判史観にこり固まった左翼学者の言い分だと、日本の軍国主義者ないしは帝国主義者達が相手の迷惑も顧みず私利私欲に駆られて際限なく彼の地に攻め込んだ、という認識であるが、そんなに単純な動機ではないと思う。
ここで私の持論を展開すると、あの大東亜戦争、アメリカ流にいえば太平洋戦争は、アングロサクソン系白人のジャパン・パッシングであったと思う。
アメリカのルーズベルトは、日本を叩きたくて叩きたくてイギリスと中華民国を引き込んでそれを行ったと思う。
ところが我々の側は、そのルーズベルトの意図を最後の最後まで知ることなく、ただただ表層的な戦闘場面に目を奪われ続けていたわけである。
この戦争は起きるべくして起きたと思う。
あの時点で仮に回避できたとしても1年後、5年後には必ずしなければならなかったに違いない。
何となれば、日本は自分たちの都合だけで大陸に出掛けたわけではなく、日本が進出しなければならない必然性があったからである。
それは旧ソビエット連邦の存在と、大陸における共産主義者の跋扈がある限り、あの戦争は起きるべくして起きたといわなければならない。
結局のところ、あの戦争は中国がらみの戦争であったわけで、アジアに漢民族がいる限り、遅かれ早かれ戦端は開かれていたに違いない。
中国がきちんとした主権国家であれば、こういうことにはならなかったわけで、中国が独立しているのかいないのか、主権が蒋介石なのか、汪精衛なのか、それとも毛沢東なのか全く混沌としていたし、満州国の建設はアメリカの国益と真正面から衝突していたし、この状況を指して私はアメリカのネイテブ・アメリカンの地、つまりインデアンの土地をヨーロッパ人が席巻した構図と同じだと言いたいのである。
北アメリカ大陸の土地をヨーロッパ系の白人が占領して、彼らの文明を築いたのがアメリカ合衆国の筈で、それと同じことをアジアでしようとしたのが我々であったわけだ。
あの時点の中国の地は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアにとって帝国主義、ないしは植民地主義の富の草刈り場であったわけで、そこに日本が割り込んだからアメリカは怒り心頭にきたという次第だ。
アメリカ、いやルーズベルトの怒りは何処にあったかといえば、我々が黄色人にもかかわらず、白人と同ことをしようとしたからに他ならない。
何のことはない人種差別そのもので、ルーズベルト大統領に人種的偏見であったから日本叩きになったのである。
ところが我々は我々で、井戸の中の視点で世界を見ていたものだから、完全に相手の意図を見誤ったわけで、その結果として敗北があったわけである。
我々は小さな島国の住人なものだから、どうしても視野が狭くなってしまい、自分本位の思考になりがちである。
相手を知るということを疎かにして、自分を中心とした唯我独尊的な思考になってしまい、世界的な視野に立って発言すると、それを異端として排斥してしまう傾向がある。
最近、民間テレビの放送で納豆がダイエットに効くと報道されると、人々が皆納豆を買いに走り品切れになったが、それがねつ造されたニュースだったという笑い話が展開されたが、ことほど左様に、我々は表層的な事象に惑わされやすいのである。
戦前、戦中の軍国主義も、皆この類のことで、一人か二人の熱烈なアジテーターに煽られると、自ら考えることを放棄して、簡単にそのアジ演説に帰依してしまうのである。
一言でいえば付和雷同である。
隣がやれば我が家でもやるということの連続である。
我々の同胞が、こういう潜在的な意識の中に付和雷同的な思考方法を持ち合わせているとするならば、それに警鐘を鳴らし、物事の真相を自らの頭脳で考えるように諫めるのは、同胞としての知識人でなければならず、国の禄を食んでいる大学の先生方でなければならないと思う。
ところが日本の大学の先生方というのは、そういう風な貢献の仕方というのは全くしていないのではなかろうか。
国家から給料をもらっておきながら、祖国の政府にたてついて反旗を翻すことがさも立派なことでもあるかのような有様ではないか。
確かに大学の先生から政治の現状を見れば、まどろっこしく映るであろう。
大学の先生は絵に書いた理想を語ればそれで飯が食えるが、政治家というのは実績を出さなければならないわけで、常に理想と現実の狭間に身を置かねばならない。
無責任な理想だけを語っておれば給料のもらえる大学教授と、常に妥協を迫られる政治家では、発想の元から違うのは致し方ないが、それにしても世の中をリードすべきはやはり国から金をもらって研究をしている学者でなければならないと思う。
司馬遼太郎氏が昭和の初期の時代はおかしかったという中には軍人の専横もさることながら、学者の沈黙も入っているのではなかろうか。
軍人がテロに走り、そのテロを国民の側が寛大な目で見ているとすれば、学者ならば、その国民の側を啓蒙すべきではなかったのか。
それを無責任な国民と一緒になって提灯行列をしているようでは学者としての資質に欠けていたとしか言いようがないではないか。
それにしても反体制側ではあるが、ゾルゲ事件の尾崎秀美は素晴らしい慧眼の持ち主であった。
彼に匹敵する学者が帝国大学には一人もいなかったということは実に情けないことだ。
「治安維持法があってものが言えなかった」という言いぐさは負け犬の遠吠えと同じで、無学文盲が言うならばともかく、学識、経験を積んだ碩学の人の言うべきことではない。
大学教授ともなれば、その裏をかく知恵とアイデアを持ってしかるべきだと思う。
体勢に順応するだけならば知識人や大学教授でなくとも誰でもできる。
それでは教養知性は何のためにあるのかと問いたい。

文藝春秋3月号

2007-02-22 07:23:30 | Weblog
19、20日と例によって通院のため東京に出掛けた。
途中、新幹線の中では読むものがなく、移動中は居眠りでもして暇をつぶす他なかった。
早めにホテルについても何も読むものがないということはこの上なく苦痛である。
それで外に出掛けて「文藝春秋3月号」を買ってきた。
その中に芥川賞の受賞作品があったので、それを真っ先に読んだが、これが受賞にふさわしい作品かと思うと何とも不思議な気持ちになった。
青山七恵「ひとり日和」という作品であるが、これを石原慎太郎や村上龍が絶賛しているのが不可解でならない。
本文の中では、この二人に加えて綿矢りきという、それぞれの世代を代表する三人の鼎談も載っていたが、これを読んで文学とは一体なんなのかさっぱりわからなくなった。
中でも作品の中のセックスの扱い方である。
セックスを表現するのに「寝た」という言い方で一括りに代弁しているが、そのことはボキャブラリーの不足であり、描写の技巧が稚拙ということだと思う。
今回の芥川賞の受賞作に登場する21歳の若い女性が、そうそう若いボーイフレンドと寝るということは実に不可解千万である。
作者自身も24歳ということであるが、24歳の女性が、そうそうセックス経験があるとも思われないのに、そういうものが文学の対象として描かれるということが実に不可解だ。
小説はフイックションだから体験していなくても空想をたくましくして描けばそれで良いというものでもないと思う。
これは倫理の問題だと思う。
作者本人だけの倫理が問題なのではなく、これらの作品を賛美する人、およびそれを受け入れる世間一般のセックスに対する倫理観の問題だと思う。
人間が思春期というものを経て大人になる過程で、若いときに惚れた腫れた、好きになった、という情熱が死ぬまで続くなどということはあり得ず、途中でふらふらと心が揺らいで他の人が好きになることは十分にあり得る。
しかし、好きになったからすぐ寝るというのもあまりにも短絡すぎるし、世の大部分の人は、その衝動を倫理観というもので押さえ、ないしは克服して、不倫とか、不貞とか、よろめきというものを乗り越えようと努力するものだと思う。
実際には一線を越えてしまったとしても、妻に対して申しわけないことをした、という悔悟の念と後ろめたさを背負い込むのが普通だと思うが、文学作品に描かれた情景にはそれが全く見あたらない。
ということは、文学という土壌では、そういう普通の人間の普通の倫理観をあざ笑うかのように、いとも簡単にその倫理を超えることを礼賛している、ということだ。
そして、それをあらゆる文学賞の選者達が褒めそやしているわけで、言ってみれば、不道徳を礼賛している。
性の乱れは文学の中だけの話ではないと思う。
同じ号に、瀬戸内寂聴さんの半生記のような文も掲載されていたが、彼女とて、自分の恋愛遍歴を悪びれることなく自分自身で暴露しているが、いくら文学者として立派な作品を残したかもしれないが、所詮はスケベ女ではないか。
「スケベ女で何が悪い」という開き直りが、モラルや倫理崩壊の元だと思うし、古来の価値観の罵倒につながっていると思う。
自分の本能の赴くままに生きたと言えば、一応は格好がつくけれども、突き詰めれば犬か猫と同じで、畜生の生き様ではないのか。
人間が犬や猫と違うのは、人には理性とか理念とか倫理というものが備わっていて、自然の法則、つまり自己の肉欲を自らの力でコントロールするところにあると思う。
そのコントロールする力が倫理というもので、これがあるからこそ、人間社会には道徳というものが生まれ、そこに社会的な規範が生じ、その道徳や規範を顧みない生き方というのは畜生並みとして扱われてもいたしかたない。
犬猫と同じに見られてはかなわない、という概念があるからこそ、自らの欲望を自らコントロールするように心が苦悶するわけで、そこを描くことが本来ならば文学でなければならないと思う。
その過程をとばして結果だけを並べてみても醜悪以外の何者でもない。
戦後の日本人が獲得した自由という概念は、突き詰めれば、犬や猫と同じように、好きなときに、好きだと思う相手と、好きなだけセックスする自由であったわけだ。
だとすれば我々の社会から倫理観が薄れるのも致し方ないわけで、文学にはその歯止めが期待できないと言うことだ。
それが文学の中だけの話ならば、それも知的マスタベーションですまされるが、文学賞の受賞が一般大衆にももてはやされる時代となれば、当然のことそういう風潮は一般化する。
既に一般化しているから、うら若き女性の作者がこういう小説を書き上げるのであろう。
こういう作品に接した選考委員会の人達は、その風潮を諫める方向に言葉を発しなければならないと思う。
現状ではますます野放図になり、精神的にはより原始人に近づくということになる。

「わが上司、後藤田正晴」

2007-02-21 08:04:31 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「わが上司、後藤田正晴」という本を読んだ。
彼の部下だった佐々淳行氏が、上司であった後藤田さんを書いたものであるが、正直言っておもしろい本であった。
然し、私は個人的には後藤田正晴という人物を評価していない。
それは何故かといえば、彼は先の大戦中のことがトラウマとなって非常に内向的になっていて、それが日本民族の誇りを蔑ろの方向に仕向けているからである。
後藤田正晴と中曽根康弘に関する私の所見はすでにHP上にアップしているが、この二人は日本人には非常に好感度の高い政治家であったが、私は彼らを評価できない。
その根拠は、彼らが憲法改正に非常に消極的なスタンスをとっているからである。
私の言わんとするところは、「今すぐにでも憲法改正せよ」という気はさらさら無いが、彼らには改正する気がないからである。
憲法改正問題というのは自民党の中でもずいぶん前から話題になっていた筈だが、彼らも最初のうちは積極的であったが、自分の立場が上がってくるに従い、そのトーンが下がってしまった。
責任が軽いときには積極的に憲法改正を唱えながら、自分が総理になり、内閣官房長官という立場になると、そのトーンは急に低くなってしまって、自分は「火中のクリを拾いたくない」という感じになってきたところが私は気に入らない。
佐々淳行氏の活躍した時代および事件は、我々世代のものにとってはリアルタイムに見聞きしているわけで、その過程で後藤田氏は佐々氏に、「忍」というキーワードを押しつけたと記されている。
東大安田講堂攻防戦、あさま山荘事件、成田闘争事件等々で、トップが部下に「忍」ということを押しつけるということ、つまりこのことは「警官は殺されても犯人は殺すな」ということで、私には納得できない。
現に警察官が何人も死んでいるにもかかわらず、「犯人を殺さずにことを解決せよ」、という要求は、旧陸軍の参謀が、後ろの方にいて前線の将兵に「玉砕せよ」と言って号令をかけている図と同じではないか。
戦争と治安闘争は違うという言辞は通らないと思う。
戦争で前線にかり出された兵士は、自分に敵対している相手の兵隊が悪人かどうかということとは関係なしに命のやりとりをするが、国内の争乱事件というのは、明らかに警察の敵は極悪人ということが歴然としているではないか。
法律に反しているから警察に取り締まられるわけで、法律に反したことをする人は、どこからどう見ても悪人ではないか。
そういう悪人を捕らえるのに、何故警官が殺されてまで悪人を生かして捕捉しなければならないのか。
東大安田講堂攻防戦、あさま山荘事件、成田闘争事件でも、機動隊の前で犯人達のしていることは明らかに法律違反の現行犯なわけで、どこからどう見ても悪人の行為の筈なのに、何故現行犯逮捕の延長線上の射殺ができないのか不思議でならない。
ここに戦後の日本の世論と称する大儀が人命尊重という旗を振り回すことになるわけで、それがあるため後藤田氏も中曽根氏も腰が引けてしまうわけである。
戦後の日本人は人命尊重という大儀を振りかざすものだから、法律違反に対する感性が鈍ってしまって、極悪犯人の人権ばかりが大手を振ってまかり通るというおかしなことになってしまうのである。
こういう事件を起こしたテロリストの行為は誰が何処からどういう風に見ても反社会的な行為なわけで、こういう犯人を弁護する余地は全くないではないか。
ところが進歩的知識人や大学教授という穀潰し達は、犯人の前にある法律の方が悪い、というわけで、その悪い法律を押しつける当局側の非をあげつらって彼らを庇うから、犯人達が増長するのである。
人の意見は様々あるので、口で言っている分にはいかなる荒唐無稽な議論でも警察が取り締まるということは慎まなければならない。
ところが現実に警官の目の前で反社会的なテロが行われて、それを制するのに取り締まる側が「忍」を強要され、犯人側を思う存分暴れさせるなどということは論理的におかしいと思う。
それはトップが、つまり後藤田氏や中曽根氏が、事後に過剰防衛、人権無視、人命軽視とマスメデイァや世論の矢面に立たされるのが恐ろしくて、前線の指揮官にそう命じたにすぎない、いわば自分は銃後にいて、何かことが起きた場合は前線の指揮官に責任を負い被せる口実にすぎない。
日本は治安が良いといわれているが、決してそんなことはないと思う。
戦前戦後を通じて我々はテロというものをいくつも経験しているわけで、こういうテロに対して我々の同胞は実に寛大な同情を寄せがちである。
戦前のテロ、その代表的なものは2・26事件であり、5・15事件であったが、これらのテロの首謀者こそ死刑になったが、国民の側では、「至誠の情には打たれるものがある」などと、行為は憎むがその信条には深い理解を示すわけで、誰も頭から犯人達を断罪せよとは言わない。
そのことは裏を返して考えれば、もし当局側が犯人達に対して「反社会的な行為だから問答無用」と断罪してしまったとしたら、国民の側はきっと当局側の行為を、行き過ぎと糾弾するであろう。
すなわち我々日本の国民というのは、法を犯す、法律違反、法の網をかいくぐる、ということに対して非常に寛大なわけで、法よりも感情が優先するわけであり、真の法治国家になりきっていないと言うことである。
犯罪者、テロリストにとっては非常にありがたい国と言うことだ。
治安上の争乱事件に対して、当局の対処が非常に甘いということは、反体制側の増長を呼び起こすということで、個々のテロ行為に対して、当局側が問答無用で、片っ端から犯人達を射殺してしまえば、反体制側の増長ということはあり得ないと思う。
取り締まる側が甘いものだから、反体制勢力というのが何処までも増長し、つけ上がってくるわけで、何をやっても殺されることがないということになれば、相手の要求は際限なくふくれあがるのである。
人命尊重はいうまでもないが、反社会的な人間、極悪非情な犯人、民衆に迷惑をかけるような人間は、人権を認めないというぐらいの断固たる措置が必要だと思う。
こそ泥や、窃盗や、空き巣などとは犯罪の質が違うわけで、テロリストに人権など認める必要はないと思う。
そういう観点から後藤田氏や中曽根氏を見ると、彼らは人権問題に対して非常に腰が引けているわけで、自分の部下の命は、同じ体制側にいる人間同士という意味で、相応の弔意を示せば免罪となりやすく、受け入れやすいので、さほど気にならないが、犯人を射殺してしまえば、人命軽視とマスコミや世論に真正面から叩かれるので、それが怖くて及び腰にならざるを得ないのである。
それはともかくとして、この本の著者は、生涯を官僚として生きてこられたので、官僚の裏話的なものもふんだんに垣間見れる。
その中でも、私が特に関心を惹かれたのは東芝ココム違反事件である。
事件そのものは新聞等により起きた当初から知ってはいたが、国益に直結する事件にも関わらず、戦後の日本人には国益という概念が全く備わっていないところに大いなる心配がある。
何処の国にも、祖国の秘密をよその国に売って個人的な利益を得ようとする売国奴というのは存在する。
故意に、意識的に、個人の利益のために国を売る人間とは別に、自分のしている行為が相手国の利益に貢献し、祖国を貶めていることに全く気がつかずにしている人がいるとすれば、これほど恐ろしいことはない。
そこで売買されるものは情報なわけで、目に見える形での命のやりとりではないので、往々に見逃されがちであるが、戦後の日本の知識人というのは、戦争や国益というものを感情的なとらえ方をするので、水面下で祖国をむしばむような行為には全く無関心である。
日本の東芝機械の輸出した装置が、旧ソビエット連邦の国防、それは同時に相手側の攻撃手段でもあるが、の性能向上に貢献しているなんてことは全く空恐ろしいことである。
ところが我々の側には全くそういう認識はないわけで、ただただ単純な法律違反という認識だとすると、小さな蟻の穴が城を崩すということになりかねない。
我々は戦後60年間、外国に対して武力行使ということはしてこなかったが、これは我々の側に平和憲法があるからなどと、ノー天気なことで語れるものではないはずで、周辺諸国の力のバランスでかろうじて平和が維持されてきたということを強く認識しなければならない。
我々が平和に生活できるのも、人々の見えないところで、日夜たゆまず力のバランスを支えている人々がいるからであり、このバランスを支えている人たちは、国民の目に晒されないところで努力しているが、そういう努力は白日の下に公表できないのである。
公表すれば、そのバランスを支える柱が朽ちてしまい、均衡が崩れてしまうわけで、東芝ココム事件の裏事情とは、こういう問題を内包していたわけである。
こういう公表されない部分の活動がうまく機能すれば、戦争という最悪の選択をしなくてもすむわけで、戦争というのは口先の平和論議では抑止することができないのである。
戦争は主権国家としての最悪の選択なわけだが、その最悪の選択も、時と場合にはしなければならないこともあるはずである。
世界の普通の主権国家は、時と場合によってはそういう選択をする心の準備を怠っていないが、我々は、その選択そのものを選択肢の中に入れていない。
だから日本と交渉しようとする相手側は、日本は時と場合によっては武力行使をする気遣いが全くない、つまりどんなことを言ってもしても武力行使はしないことがわかっているから、頭ごなしに高飛車な要求を突きつけてくるわけである。
いわゆるこちらの腹が見透かされているということであり、我々は自分で自分の手足を縛っているということだ。
国家として武力行使をする気が最初から存在していないので、全ての事件を金でもって解決しようとするわけである。
理不尽な要求には実力行使も辞さない、というのは一種の民族の誇りだと思う。
戦後の我々は、暴力は絶対悪だと認識しているので、個人レベルでも「されたら仕返す」、「意地悪されたらそれに対して反抗する」、「殴られたら殴りかえす」、「とられたら取り返す」という人間の基本的人権すら、暴力がともなうと駄目だという認識に立っている。
やられてもやり返すな、やられた方は運が悪い、敵討ちなどとんでもない、暴力はいかなる場合でも御法度、悪事をする側の人権は大事だがされる側の人権は致し方ない、という論理だ。
こういう考え方が後藤田正晴氏や中曽根康弘氏には流れているので、私はこの二人を評価しないのである。
それでは被害者が可哀想だというわけで、ここで又金が浮上してくるのである。
ところが人間の命というのは金では計れないわけで、結局のところそれが天文学的な数字となるわけである。

「日本人の敵」

2007-02-18 21:28:48 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「日本人の敵」という本を読んだ。
渡部昇一とテリー伊藤の対談集であったが、内容はそれなりにおもしろかった。
然し、テリー伊藤というのはいったい何者なのであろう。
テレビでは時々見かける。
変な帽子をかぶって、色眼鏡をかけて、人を食ったような印象を受ける。
然し、言っていることはかなりまともなことを言う。
渡部昇一は今時まれにみる右よりの発言で人気を博している人物である。
私の思考とは一番波長が合う。
今の日本を憂う気持ちというのは皆同じだが、その本質がいったいどこにあるのかという点では各人各様の考えがあるようだ。
まるで盲人が像をなでているようなもので、自分の感性に抵触したところによって、様々な思考が渦巻いている。
こういう世の中というのは、本当はありがたい世の中だと言わなければならない。
人間の織りなす社会で、文化が先に進むということは若者のエネルギーにあると思う。
世の中をクリエイテイブするのは、いかなる生き物においても、若い世代の筈である。
人間の社会ばかりでなく、あらゆる生き物の進化というのは、若者の好奇心がその源泉であると思う。
そういう観点で我々の今の状況をみてみると、今の日本の若者にそういうバイタリテイーがあるであろうか。
学校ではいじめの問題、社会人になればフリーターとかニート、はたまた引きこもりだとか、まことに若者らしくない現象が散見される。
今の日本の若者を作り出したのは基本的にはその親の世代だと思う。
浪人生が自分の妹を殺して切り刻むだとか、大学生が隣人の老人親子を殺害するだとか、なぜ若者がこういう行為に走るのだろう。
こういう家庭の親も特別に変わった親ではないと思う。
自分の子供にそういうことを教えたわけでもないと思う。学校でもそういうことを教えるはずもない。いくら日本の教育が乱れているといっても、学校でそんなことを教えるわけがない。
だとしたら、そういう子供はどこからそういうアイデアを寸借してきたのであろう。
いうまでもなくテレビ以外にないではないか。
いくら変哲な親でも、自分の子供にテレビを見せない親というのはまずいないだろうと思う。
時間制限をする親はいるかもしれない、番組を選択する親もいるかもしれない、然し、テレビの番組というのはそういう防御を多少したとしても、そんなことはお構いなしに一方的に各家庭に押し込んでくる。
私も本当のところは2時間番組の刑事もの、警察もの、推理ものは好きで見る方であるが、殺人が出てこない2時間番組というのはない。
リアルな殺人の描写がないとしても、基本的に殺人がないことには刑事もの、警察もの、推理ものの番組は成り立たないわけで、これを日本中のテレビ局が流していれば、若者が人を殺すということに無感覚になったとしても何ら不思議ではない。
テレビドラマというのは殺人がなければドラマそのものが成り立たないと思う。
テレビを見る人間というのは、私のように定年をすぎた、成熟しすぎた人ばかりではないわけで、若い人がそういうものに常日頃から接していれば、人の命に対して無感覚になるのも当然の成り行きだと思う。
私も正直言って「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事は好きだ。
然し、そのほかの昼間のテレビ番組というのは好きではなく、全く嫌いで、そういうものは努めて見ないようにしているが、世間の人も昼間からテレビを見ているような人は少ないと思う。
少ないけれども見ている人はいるわけで、テレビを見ない人はさほど問題はないが、少ないけれども見ている人にモロに影響が出るわけだ。
普通の家庭でも、子供がどういうテレビを見ているかまでは関知しないはずで、家でおとなしくしていれば親はそれで満足すると思う。
テレビには確かに良い面もある。
我が家の小さな孫などは、テレビから知識を吸収している面が如実に表れている。
私自身は、日本にはテレビ局がありすぎると思う。
その全部が殺人事件を放送しているわけではなかろうが、テレビの放映時間というのは制限すべきだと思う。
民放はコマーシャルを流さなければならないので、放映時間の短縮はまかりならぬ、というのであれば、放送内容をもっと知的にアップすべきだと思う。
然し、そういう番組はおもしろくないというわけで視聴率が上がらない。
この視聴率というのも突き詰めれば、バカ指数に匹敵すると思う。
視聴率の高い番組ほど知的にレベルが低いのではなかろうか。
テレビ局の人間だとて、大学にも行っていない人が番組担当になっているわけでもなかろうに、何故に知的に優れたものが作り出せないのであろう。
これを突き詰めれば、視聴率を高めるために、本来ならば高学歴な人が、本来まともであるべきものを故意に低レベルに合わせて番組を作り、視聴率アップに貢献しているということだと思う。そこで問題とすべきことは、視聴者の選択と、番組を作り、それを放映する側の倫理観である。
今の日本の現状では絶対正義というのがないわけで、正しい倫理とか、正しい生き方とか、正しい人間のあり方という概念が喪失してしまっており、正しい価値観の基準がどこかに行ってしまっている。
何を信じて良いのかわからなくなってきていると思う。
私にとっては、渡部昇一氏やテリー伊藤の言っていることはまともだと思うが、そうではないと思う人が実に大勢いるわけである。
「日本にはテレビ局が多すぎる」と言えば、「いやいやそうではない」という人がごまんといるわけで、どれが正しくてどれが正しくないか、ということが言えない世の中になっている。
どれが正しくてどれが正しくないかわからない、と言うのであれば、人を殺して何が悪いか、ということも成り立ってしまうではないか。
テレビをはじめとするメディァは、朝から晩まで、あらゆる新聞、雑誌が人殺しを報じているではないか。
殺人、強盗、自殺、交通事故、等々、毎日どこかで人が死んでいる、ないしは殺されているではないか。
これでは若い人が、人の死に対して無頓着になることも致し方ないと思う。
今の日本に大学がいくつあるか定かに知らないが、そこを卒業した人はすべからくインテリーの筈なのに、日本全体として一向に知的にならないのはいったいどういうわけなのであろう。
大学というのは、人間の徳育を高めるためにあるのではないのか。
にもかかわらず、大学がこれだけあっても日本人の徳育、知性、理性が一向に高くならないのであれば、日本の大学は全部廃止にすべきではないのか。
もう一度原始の社会に戻るべきではなかろうか。
これは政治の所為ではない。
政治に所為にするのは責任転嫁に当たるものであり、その責任は国民の全部が等しく背負うべきことだと思う。
何が正しくて何が間違っているのか、という価値観の機軸の揺らぎは国民全部の責任だと思う。

「紫禁城の黄昏・下巻」

2007-02-16 09:50:32 | Weblog
「紫禁城の黄昏・下巻」を読み終えた。
かなり重厚な本であったが、私が真に知りたいと思っていたことが下巻の最後のほう、364ページにさりげなく書かれていた。
それはどういうことかというと、この時代の諸外国の評価として、「日本公使館が皇帝を受け入れたのは、日本の帝国主義の狡猾な策略の結果であり、彼らは皇帝がやがて高度な政治の駆け引きのゲームで有力な人質になりうること見越していたからだ」、というものが出回っていた。
ところが真実はそうではなく、「溥儀は自ら進んで日本公使館に身を寄せたよ」、この著者は言いたかったということだ。
ここに至るまでの長い長い過程の大部分は、溥儀の宮廷内、いわゆる紫禁城内の有り体の告発で、それはそれなりに興味を引くものではあった。
そして、この本を読み終えてもう一つの不満が残った。
それは、溥儀が北京の日本公使館に逃れ、その後天津の日本租界の中で7年近くも身を潜めながら、満州国皇帝として再び先祖伝来の地に返り咲いたときの心境が一言もない点である。
それはこの本の著者、R・F・ジョンストンの責任ではないのかもしれない。
彼の溥儀との関わりがこの時点で終わってしまっていたのかもしれない。
私の個人的な溥儀についての関心は、東京裁判における彼の証言である。
このとき彼は日本の信義と恩義を完全に裏切っている。
あの状況における彼の立場には同情を寄せる部分があることは十分承知している。
彼はこのときソ連の捕虜として、ソ連の意向に反する、つまり日本を擁護するような発言をすれば、彼の身の補償があり得ないかもしれないという恐怖が、彼をして日本を告発する発言になったことは十分に窺い知れる。
このときの彼の立場は、ソ連にしろ、中華民国にしろ、当時の戦勝国にとってみれば、この上ない日本告発のカードであったわけで、最終的には彼は中華人民共和国で、日本でいうところの戦犯という立場で、囚人に等しい待遇の中で余生を終われらせたと記憶している。
彼の証言を聞いて、東条英機は自分の家族に、「彼もシナ人であったね!」と、素朴な感想を漏らした、と言われている。
この東条英機のつぶやきの中に、当時の日本人のシナ人に対する最大公約数的な認識が見事に現れていると思う。
東条英機にしてみればラスト・エンペラーとして、もう少しましな答弁、少なくとも皇帝としての威厳に満ちた答弁を期待していたと思う。
ところが案に相違して彼の答えはシナ人らしい保身に満ちていたので、がっかりしたと言うことだろう。
確かに我々があの時代の満州国というものを見た場合、宣統帝溥儀というのは、ある意味で傀儡として利用した部分もあろうが、それは同時に彼自身の自尊心を満たした部分も多々あったに違いないと思う。
それと同時に、満州族の底辺の底上げ、ないしは満州・中国東北3省の開発ということが実現していたのではないかと思う。
東京裁判の時の溥儀の証言は、そのまま彼が紫禁城にいたときに悩まされた宦官や、内務府の旧習に通じる思考であったわけで、ラスト・エンペラーは依然として中国人の、厳密に言えば中国大陸に生きるすべての民族の潜在意識から脱却できていなかったわけである。
彼本人は若いときにR・F・ジョンストンから受けた西洋的な開明思考にいささかも目覚めておらず、中国の民の恒久普遍の潜在的な思考に舞い戻ってしまっていたということだ。
戦後の日本では、同胞の学者からも、「日本は中国を侵略した」という言辞が労されて、そういう人たちは中国に対して贖罪意識にさいなまれているが、この本を読んでみると、あの時代の中国は主権国家の体をなしていないというのが本当の姿だと思う。
日本が中国を侵略したと言うその本旨は、日本が中国東北地方に満州国を作ったことを指し示しているようであるが、この本を上下2巻通して読んでみても、中国には近代的な主権国家というものが存在していなかったというのが本当のところではないかと思う。
特に、満州の地に覇をなした張作霖などは、中華民国の中に自分自身の国というか、テリトリーというか、独裁王国を築いているわけで、主権国家の中の中央と地方という概念が成り立っていないではないか。
それに付け加えて、中央政府、中華民国の政府自体が存在するのかしないのかさっぱりわからないわけで、あるのは国民党軍と称する武装集団だけで、その他は張作霖のような軍閥と称する集団が勝手に地方を牛耳っているというのが実情だったと思う。
だいたい中華民国の国民党軍という武装集団の存在そのものが主権国家の国軍の体をなしていないではないか。
民主政治を標榜する政党が軍隊を持っていることそれ自体が論理的に矛盾しているではないか。
旧ソビエット連邦でも共産党が赤軍と称する武装集団を持っていたことも論理的におかしなことであるが、中国共産党も同じ轍を踏んでいる。
ソ連でも中共でも、国家を成立させた後ならば軍隊を持っても整合性を問われることはないが、中華民国という主権国家の中で、国民党や中国共産党がそれぞれ独自に軍隊を持つということは論理的におかしなことだし、それは中央政府というものが全く機能していないということに他ならない。
結果として、中央政府は国民党軍を一応の国軍と位置つけたようだが、それぞれの地方に跋扈する軍閥も、それぞれの武装集団を擁しているわけで、これではシナそのものが主権国家の体をなしていないということになる。
シナ全土は全く統一されておれず、地方地方には軍閥と称してはいるものの山賊、盗賊、匪賊、馬賊、赤匪が好き勝手なことをしているということではないか。
そういう状況のところに日本が進出したとしても、これは侵略という言葉は成り立たない筈だ。
「侵略」という言葉は、われわれの同胞が日本、つまり自分の祖国を貶め、共産中国を崇め奉り、先方に媚びを売るため使っているわけで、日本がその地に出掛ければ、当然そのリアクションがあるのも自然の成り行きである。
おもしろいことに、この本の著者、つまり皇帝の家庭教師、R・F・ジョンストン自身も、自分が西洋人であるから彼の地の人々からは野蛮人としての視点で見られているということを告白している。
日本人がこの地、中国の地で評判を落としたのは、やはりそこに出掛けた人の資質がそれだけ劣っていたからに他ならない。
つまり我々同胞の奢り・傲慢そのものが、我が同胞の全ての評価を落としたと思う。
この本の著者が描写しているシナの現状を見ると、我々の側に奢った感情がわくのもある程度は致し方ない面がある。
この我々の側の奢りというのも、我々日本民族が潜在的にもっている民族的は性癖だと考えなければならない。
それはどういうことかと言えば、高度経済成長の時、日本の企業はちょっと儲かったと思うと、中小企業のオッサンが掃除のおばさんまで引き連れ海外旅行に繰り出したり、農協がジイサン、バアサンを引き連れてハワイ旅行と洒落込むということは、身の程をわきまえない奢りとか傲慢というもので、当然のその反作用というのが身に降りかかってくる。
ちょっと儲かったと思うと、こういう成金趣味に舞い上がるという態度は、我々同胞の根元的な精神が如何に浅薄であったかということを指し示している。
昭和の初期の段階で、日本人がシナの地でしてきたことは、この類のことと紙一重のことで、日本で落ちこぼれた人間でも、シナに渡れば自分以上に惨めな人間がうようよいたわけで、そこで彼の地の人々を蔑視するという奢りが沸いてきたものと推察する。
今、この本を読んで当時のシナの状況を勘案すると、我々の常識からすれば、如何にも腐敗堕落した人々かということがわかるわけで、その現実を目の当たりした我々の同胞は、シナ人は何と情けない人々かと思うのも無理ない話だと思う。
私の浅薄な知識では、辛亥革命というのは民主勢力が直ちに旧王朝の人々を紫禁城から追い出したと思っていたが、この本を読むと、旧王朝は民主政体との契約によって紫禁城の中に住まわせられていたが、その双方が約束をまもらず、自分の都合で不履行のまま時がたつというところがきわめてシナ的だと思う。
このシナ的な部分というのが、我々日本人には蔑視の対象になるものと思う。
我々は、約束は約束できちんと守らないと、履行し、履行されないと尻の収まりが何となく悪いわけで、そこに我々の潔白さが現れているのだが、シナ人にはこの潔白さが期待できないので、我々の価値観とは合致しないわけである。
そこに我々がシナ人を蔑視する条件が整ってしまうのである。
この本に描かれている宦官をはじめとする宮廷官吏の実態というのは、シナ大陸に生息する人々の潜在意識なわけで、彼らはそのことを悪いことだとも、是正しなければならないということも、全く意識していない。
生きた人間ならば誰しも同じことをしているのだ、という一種の生存権とでも思っている節がある。
その証拠に、共産主義中国の中でも同じことが繰り返されているわけだし、中国の民衆をリードすべき中国共産党員の中でも汚職、収賄、袖の下という行為が連綿と息づいていることから見れば、それは中国の地に生きる人々の潜在意識と見なさなければならない。
しかし、大清王朝の時代以降、外国人、特にヨーロッパ系の人々があの地に足を踏み入れるようになると、いくらシナ人であろうとも、シナの論理観、倫理観では生きておれなくなったわけで、どうしても世界的なスタンダード、いわゆるグローバル・スタンダードを身につけないことにはそういう局面で軋轢を避けられない。
その軋轢に翻弄されたのが清帝国であったわけで、その最後の局面が、この本に描かれている。
シナ人がアジア大陸の中だけで生きている限りにおいては、彼らの汚職、収賄、袖の下という文化もそれなりに意義があろうが、それが価値観の異なる異人種との交流ということになると、それは通用しない。
問題は、それを外側の人間、つまり中国と自分の方から関わりをもとうと思っている側に、中国の側の認識、シナ人の価値観というものを理解する必要がある。
シナ人も自分達と同じ価値観だと思って接していくと足をすくわれる。
小泉首相の靖国神社参詣に関する彼らのクレームも、彼らの外交的な常套手段なわけで、彼らにしてみれば、もらえるものは何でももらっておいて、それでも何か気に入らないことがあれば、今まで受けた恩恵はきれいさっぱり忘れて、そこだけ声高に叫び、より大きな余得を引き出そうとする魂胆である。
それは言葉を換えれば外交巧者ということにもつながるわけで、その基底のところには、汚職、収賄、袖の下というのが彼らの文化になっていることから察すると、4千年とも5千年ともいわれる歴史上の経験の積み重ねなのである。
我々日本人はそういう彼らの処世術によって手玉にとられているということだ。

「日本の常識は世界の非常識」

2007-02-15 07:20:48 | Weblog
例によって図書館の本で「日本の常識は世界の非常識」という本を読んだ。
言うまでもなく竹村健一氏のものであるが、彼ほどにもなれば言うことはその全てがもっともなことばかりだ。
この本の中に書かれていることで、日本人は金の使い方が下手だという指摘は私もそう思う。
今までの日本人は、戦後の復興から立ち上がるという経緯の中で、働くことは苦にしないが、働いて得た金を使うということに関しては実に下手だと思う。
私の所属するサークルでは毎月一回喫茶店に集まって会議をしているが、これなども実におかしなことだと思う。
今日本の住宅事情というのは過剰気味ではないかと思うが、その割には個人の家に招かれることは極めて少ない。
我が家では、私が突然人を招き入れても家内は適当に対応してくれるが、ありきたりの家庭ではそうはいかず、その家の主婦とよほど気心のあう人間でないと、家に招き入れることは御法度のようである。
一般論としてその理由は、今はまだ掃除が済んでいないとか、化粧をしているとか、片ついていないとか、さまざまな理由があるが、来るほうの人はそんなこと意に介していないのではないかと思う。
招いた人が、あの家は内の中が散らかっていてどうしようもない、などと他人の言いふらすとも思われない。
けれども迎える側はそれを異状に気にする。
大方の人がそれぞれに家を持ちながら、客を招き入れることが出来ないということは、それこそ寝るだけの家ということになるわけで、それでは生活を楽しむということにつながらないと思う。
客といっても、いつもいつも遠来の客だけが客ではないわけで、日常生活の中で知り合った人でも、近所の気の会う仲間でもいいわけで、そういう人と玄関での立ち話で終わらせてしまうということでは、人生を楽しむ境地とは程遠いし、家を持った意味がないではないと思う。
しかし、私の身の回りの人間は、大部分がこういう人たちで、だからこそこういう人たちは喫茶店にいってそこで話をしているのである。
それはそれで悪いことではないが、大きな家を構えていながら、客をもてなせないと言うのも、しみったれで狭量な哀れな話ではなかろうか。
寝てテレビを見るだけの家ならば、1千万も2千万もかけることないわけで、プレハブ住宅でもいいわけだが、人を家に呼ぶことは嫌いだが、大きな家で重厚な応接間に空気だけ入れて、人は入れない空間が欲しいということらしい。
これこそ金の使い方を知らないというか、人生の楽しみ方を知らないというか、馬鹿な生き方ではなかろうか。
大体、われわれは家を作るというとき、南向きの一番いい場所を客用の応接間とか座敷にすると思うが、その一番いい場所の部屋を全く使わずに済ませてしまう。
一番いい部屋に客を呼んで、そこで談笑すればそれこそ人生も有意義になると思うが、誰もそうしない。
竹村健一氏ともなると広範な知識で世相を一刀両断しているが、その中にマスコミ批判というのも当然ある。
彼の言い分は、日本のメデイアは表層的なことを洪水のように垂れ流すという点に不満を募らせているが全くそのとおりである。
外国では知識人用とそうでない大衆紙と階層化されているが、日本では知識人も大衆も皆同じメデイアに頼っているといっている。
これはわれわれが平等という概念で生きている証拠なわけで、階層化と差別を混同しているということである。
人間の住む世の中というのは、いかなる体制でも、いかなるイデオロギーの元でも不合理、非合理ということはついて回ると思う。
全員が納得する世の中などというものはこれから先人類がいくら生きようと実現するものではない。
その中で、われわれは安易に政治家のリーダーシップということを口にするが、これも極めて安直な思考だと思う。
政治、行政の舵取りは政治家の役目であろうが、人々の生きる指針を示すべきは知識人の使命だと思う。
つまり、竹村健一氏のようなオピニオンリーダーといわれるような人々が、大衆を啓蒙し、啓蒙された新思考が政治の場に回ってくるというのでなければならない。
問題は、日本のこういうオピニオンリーダーと言われるような人々が往々にして反日的な思考、反体制的な思考、自己の同胞を貶めそうな思考に傾いているということである。
こういう人たち、つまり日本のオピニオンリーダーといわれるような人たちから、同胞の政治家、同胞の官僚というものを見ると、彼らが馬鹿に見えるのは当然だと思う。
国会中継などを見ていても、実にくだらない議論をしている、とわれわれレベルの大衆でも思えてくる。
ましてや知識人の目から国会中継を見れば、まるで漫才か落語の世界に写るのもあながち分からないではない。
しかし、そういう状況の中でわれわれ、日本人の将来の展望を示しうるのは、やはりこういう知識人であり、オピニオンリーダーと呼ばれる人たちでなければならない。
われわれがあの戦争、大東亜戦争にはまり込んでいった経緯を見ると、軍部の横暴は誰の目にも明らかであったが、その前に知識人の沈黙があったことにわれわれは眼をふさいでいるのではなかろうか。
治安維持法があったからものが言えなかったというのは後知恵の詭弁に過ぎない、という認識と反省が足りないと思う。

「文革」

2007-02-14 08:00:29 | Weblog
これも図書館の本だが「文革」という本を読んだ。
文革そのものを書き記したものであるが、この著者は先にデビューしたユン・チャン女史の「ワイルド・スワン」を批判している点に共感した。
同じ世代で、同じように文革を経験しているが、その視点に大きな相違がある。
この本の著者は、「ワイルド・スワン」を読んだことでこの本を書く気になったという点は容認できるし、「ワイルド・スワン」に大いに共感を覚えたという点も素直な感情だと思う。
にもかかわらず「ワイルド・スワン」に対して不満を募らせている点は、ユン・チャン女史が自分の身を安全な場所において、文化大革命とその頂点にいた毛沢東を「悪」と断罪している点である。
その点に関しては私も「ワイルド・スワン」を読んだ時点でそれと同じ感想を持った。
文化大革命そのものについては双方ともほぼ同じような体験をしているわけで、その苦難の日々はそうたいして変わるものではない。
問題は、それに対する視点の相違である。
ユン・チャンは、高みの望楼から文化大革命というものを俯瞰して捉えているのに対して、この本の著者は、文化大革命を行った人々、つまり加害者側にも一定の同情を寄せているわけで、なぜ彼らが加害者になったのかという点を推し量ろうとしている。
文革、プロレタリア文化大革命に対する私自身の疑問は既に記述しているが、文化大革命を推し進めた側の心理を忖度すると、私の推察では、あれは無学で教養のない人々のコンプレックスの裏返しの行為ではなかったかと思う。
20世紀後半の中国大陸の歴史をいろいろ読んでみると、共産主義者のいう階級闘争という意味が最初は理解しきれなかったが、最近はほんのりと分かりかけてきた。
中国の都市と農村というのは、われわれが自分の国の中で認識している都会と田舎という概念が通用していないようだ。
「文革よって下放された」という文言を読んだとき不思議でならなかった。
農村に行かされることが懲罰になるなどということが理解できなかった。
それは自分の身の回りの、つまり日本の既成事実からのイメージで農村と都市というものを見ているからであって、中国の都市と農村というのは、われわれの想像を絶するような格差がある、ということに最近になってようやく気がつくようになった。
これらの本を読んでみると、都市から50kmも離れると、そこはもう原始時代の状態だということらしい。
そこで働いている人たちというのは、まさしく原始人と紙一重で、文明とは程遠い位置で生きているということのようだ。
だからこそ都会の知識人をそういう場に送り込めば、十分に懲罰の意味が成り立つわけで、送られたほうも一刻も早く元の場所、つまり都会に帰りたいという望郷の念に陥るのである。
しかし、今まであらゆる組織の要職にあったものを、誰がどういう手続きで、こういう僻地に下放と称して送り出したのであろう。
それは毛沢東を神と崇める無頼の輩が、毛沢東の権威を笠にきてやったわけで、それを不合理として止められなかったのは、いったいどういうことなのであろう。
文化大革命の中で毛沢東か神と崇められて、共産主義というものが毛神教のような宗教に変わってしまい、人々は全部その神に帰依してしまったということは想像できる。
そのことによって本来の人間としての理性も知性もそこで思考停止に陥ってしまった、ということだと思う。
共産主義革命というものが毛神教に摩り替わったということは、誰かがそれを策動したわけで、それをしたのが例の4人組というものであった。
この社会的なパターンは、われわれもかって同じようなパターンを経験しているわけで、あの戦争中の軍国主義というのは、この文革のパターンと瓜二つではないか。
われわれの場合でも、軍国主義の渦の中で、人間としての理性も知性も麻痺してしまって、愚にもつかない国策とか作戦でわれわれが奈落の底に転がり落ちた構図と全く同じではないか。
いずれもありもしない現人神というのを押し立てて、それに帰依しない人間を抑圧したという意味では、同じ軌跡を踏んでいるではないか。
此処でこの本の著者が文革の加害者側にも同情を寄せている部分を勘案すると、彼らもその時の時代の状況に身を任せた、いわゆるわれわれ日本人もかっては軍国主義に帰依して、我もわれも戦地の赴いたのと同じだというわけだ。
ただわれわれの場合、打倒すべき敵は同胞ではなく、鬼畜米英という外部の人間に向かったが、彼らの場合、それが中国人の同胞に向かったわけである。
その中で、無知蒙昧な下級者が、いわゆる自分たちの上にいる知識人や上級者に矛先を向けた理由として、この著者は、人を貶めて優越感に浸る快感を味わいたい、という欲求の発露ではないかと推察している点は少々疑問に思うが、案外そういうものがあったかもしれない。
人を貶めて自分が快感に思うということは、普通に倫理感のある人ならば最も忌み嫌うべきことで、それは口にすることさえ憚られることである。
ところが、それは同時に誰しも心の奥底に持っているひそかな秘密で、人前には決して晒せないひそかな悪魔、欲望、ないしは欲求ということもあながち無視できない事実だと思う。
毛沢東の個人崇拝が、毛神教として昇華したとき、それに便乗して、そういう人間のひそかな邪心、人の前ではおおぴらには言えない、ひそかな欲求の発露として残酷な仕打ちがまかり通ったのではないかと思う。
それは俗な言葉で言えば、「水に落ちた犬をなお叩く」という言葉で言い表せると思う。
この心境は、人前では理性や知性が邪魔して公言できないが、人々の心の奥底にはひそかにある快感ではないかと思う。
江青女史をはじめとする4人組というのは、毛沢東の威光を笠にして、つまり毛神教を盾にして、心の卑しい人間の深層心理を突いて、それによって自分より能力のある人間を陥れ、権勢をほしいままにしようとしたわけである。
ここに垣間見えるのは、国民不在の権力闘争のみである。
先にも述べたように、中国の現状というのは都市から50kmも離れればもうそこは原始の世界なわけで、そこで麦畑を耕している人たちというのは、中国首脳や党の高級幹部の目から見れば人の形をしていても生きた人間などには見えていなかったに違いない。
「水に落ちた犬をたたく」という心境は、毛沢東の姿勢にもはっきりと現れているわけで、先に読んだ本の中の劉少奇に対する仕打ちというのは、まさしくその言葉が見事に当てはまる。
自分に諫言する人間を面白く思わないというのは、独裁者にはよくある心理として、ある程度は理解できるが、それにしても失脚させるだけで飽き足らず、命まで取るというのはあまりにも人として不合理極まりない話だ。
その現実を見せ付けられれば、その後に続くものは、誰一人その過ちを正そうとするものが現れないのは火を見るよりも明らかなわけで、結局そのとおりに推移して、毛沢東が死ぬまで彼の過ちは是正されることがなかった。
これが「裸の王様」というものである。
結局それで損をしたのは誰かと言えば、中国の10億の民でしかない。
そういう状況下で、共産主義の根源的な宿命は、常に秩序の破壊を繰り返していなければ、回転している独楽が倒れてしまうように、革命にならないわけで、安定した平穏な状態というのは、真の共産主義とは別の主義でなければならないことになる。
だとすると、それはいわゆる修正主義でなければならない。
文革では、この修正主義も標的になっていたわけで、結局のところ文革の渦中においては、完全なる無政府状態であったわけである。
無政府状態ならばこそ、無教養な下層階級が上級者を心置きなく糾弾できたわけで、そしてそれが時の大儀であり雰囲気であったわけで、自分がやらなければ自分がやられるわけである。
上級者や知識人を糾弾するのに、何も理由などいらなかったわけで、ただただ先に大きい声を上げた方が勝ちというわけである。
今日本で問題になっているいじめの問題と同じで、先に「いじめられた!!」と大声で叫んだ方に整合性が出来てしまうのと同じなわけである。
先に「いじめられた!!」と大声で叫ぶと、周りは「いじめたのは誰だ!!」と犯人探しになるが、その時の犯人は誰でもいいわけで、「あいつだ!!」と先に言えば、真偽のほどには関係なく、その人は不運にも犯人にされてしまうわけである。
これが無教養、無学な連中によると、もう言葉でのやり取りは不毛の議論となり、「風が吹くと桶やが儲かる」式に、真実も真理もあったものではない。
無教養で無学な連中がそういう行為に走るというのは、ある意味でコンプレックスの裏返しの真理だと思う。
共産主義革命というのは階級闘争で、階級の撲滅ということが盛んにいわれているが、出来上がった社会主義体制というのは、とんでもない階級社会なわけで、共産党員と非党員ではとんでもなく格差社会であったわけである。
そして都市と農村でも大きな格差があったわけで、文革で加害者の立場になったものは、すべてその格差の鬱憤晴らしという意味があったに違いない。
この本では国共内戦の場面も描写されているが、それを見る限り、中国の統治者というのは自分たちの同胞を同胞とも思っていないようだ。
国民党は国民党で、自分たちの同胞というのは都市に住む行政システムの要員だけで、他の人間は人間の内に入れていないし、共産党は共産党で、自分たちの同胞というのは党員だけで、他の人間はそれこそ虫けら同様とでも思い違いしている。
労働者とか農民のことなど爪の垢ほども考えていない。
そして統計というものが全く信用ならないわけで、あの大躍進の時代の誇大報告というのは一体何であったのかと言いたい。
あの戦争中の日本の大本営発表も、嘘の報告、虚偽そのもの報告であったが、それと全く同じことがここでも繰り返されているわけで、われわれも中国人もすることは全く同じということだ。
しかし、われわれの場合、水に落ちた犬を叩くまではしないはずである。
水に落とすまではしても、それ以上に残酷な仕打ちは、やはり良心が咎めて仕切れないと思う。
中国も、われわれ同様儒教の国のはずなのに、何故に年端もいかない若者が組織の要職にある人にそうそう暴力が振るえるのか不思議でならない。
それをカモフラージュするために孔子批判ということはあったが、共産主義そのものが旧秩序の破壊ということを前面に掲げていれば、そんなものがあったところで社会の秩序が保たれるわけがない。
われわれの軍国主義も外圧(敗戦)で始めて終焉したが、中国の毛沢東教も、彼の死でしか終焉させることが出来なった点は今後の研究課題だと思う。
それと同時になぜ途中で止められなかったかという疑問にも答えを探すべきだと思う。

「江青に妬まれた女」

2007-02-13 17:49:20 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「江青に妬まれた女」という本を読んだ。
中国共産党のNO2にまで上り詰めた劉少奇の奥さん、王光美のヒューマン・ヒストリーであった。著者は譚路美という女性であるが、革命後の中国の状況が克明に記されている。
それにしてもこの時代、今から100年ほど前、ないしは昭和初期の段階で、世界中の知識人が共産主義に如何に幻惑されていたかということが不思議でならない。
先に述べた「異郷」を著した韓瑞穂女史にしても、今回の王光美にしても、普通以上に裕福な家庭に育ちながら、共産党に身を投じているわけで、凡人にはその真意が不可解だ。
なに不自由ない身でいながら、革命の情熱にほだされて、その闘争に身を投じているわけで、いわゆる革命闘士としてわれわれの経験し得ない別の意味の苦難に自ら挑戦し、それを克服している。
しかし、その後に起きた文化大革命というのは、その革命が成就した後の安定期に起きた権力闘争なわけで、ここに至るともうこれは人間の本能丸出しの生存競争になっていたわけである。
韓瑞穂女史にしても、今回の王光美にしても、われわれのような普通の一般の人間からすれば実に恵まれた生い立ちである。
しかるに、こういう恵まれた境遇にありながら、何故に苦難に満ちた共産党とともに歩む道を選択したのか、という点が凡人には不思議でならない。
本を読む側にしてみれば、普通の庶民の何の変哲もない人生など面白くもおかしくもないが、こういう波乱万丈の人生を送った人のヒューマン・ヒストリーはそれなりに読み物として興味を惹かれるのは論を待たない。
知識人が共産主義に興味を抱き、それを実践しなければならないという信条は、その出自が恵まれた者の悔悟の気持ちというか贖罪の気持ちの具現化ではなかろうか。
自分たちは今恵まれた生活をしているが、世の中には自分と同じような生活をしているものはごくわずかで、大部分の大衆、民衆というのは飲まず食わずの生活を強いられている。
この不平等を是正するためには共産主義革命しかない、それを遂行するのは自分たちに与えられた使命だという、いわば運命論というか、善意の救済措置という意識が根底にあったのではなかろうか。
この本の主人公も恵まれた家庭に育ち、本人の才能にも恵まれ、西洋文化圏への留学の切符を二枚も得ながら、それを棒に振ってまで、延安に行っているわけで、そのことは革命というものに対する大きな期待と夢があったのではないかと思う。
それだけ純真で、世の現状に真摯な不合理、不満を感じ、人はすべて平等であるべきだ、という理念に燃えていたのではないかと思う。
若い世代、王光美も、この時点では若かったわけで、若者にとっては現状の秩序に不満を募らせ、旧来の大人の支配している秩序やシステムに反抗することは実に痛快なことではある。
ところが、それには当然それ相当の反作用、いわば報いがあるわけで、そのバランスが均衡していれば、平穏な社会が開けるということになるのであろうが、共産主義というのはその旧来の大人の社会、つまり旧来の秩序というものを全否定するわけで、年端も行かない若者はその先には明るい未来が実現すると思い違いするのも当然のことだと思う。
しかし、彼らは革命でそれが実現したとたん、自分たちが打ちたてたシステムが、打ち立てた瞬間から陳腐化するということに気がついていなかった。
そこで共産主義の理念である「旧来のものは打ち壊せ」、というテーゼを信奉している限り、革命は永久に留まるところがないわけで、共産党員による、共産党内の革命は永久不滅に回転し続けるわけである。
それがいわゆる権力闘争というものであろう。
それと中国共産党のみならず、旧ソビエットの体制を見ても、なぜ共産主義体制が個人崇拝にいってしまうのであろう。
共産主義と個人崇拝は決して相容れることのない対極の事柄ではないのか?
共産主義の理念の中に、人々の平等という意識があるとするならば、個人崇拝の入る余地などないはずなのに、それが一旦権力を握ると、秦の始皇帝ないしは清の西太后のようになってしまうということは一体どういうことなのであろう。
このことは人間は太古以来全く変わることなく、その本質は皆同じということで、共産党員だといって特別に気高い心の根を持っているわけではないということである。
共産主義革命というのは権力を奪還するまでの方便であって、一旦権力さえ握れば、することは古今東西、生まれては消え消えては生まれたそれぞれの王朝の統治とまったく同じだということである。
21世紀において個々の人間の出自のことを話題にすると顰蹙を買いそうであるが、この本の中で問われている、劉少奇夫人としての王光美と、毛沢東夫人としての江青の比較には、その出自が大きく両名の生き方を分けていると思う。
育ちの卑しさ、下賎な出自ということは、その人の生き様に歴然と出ているわけで、今日こういう言葉や表現はそれこそ世間に受け入れられないが、現実はそのまま認めるほかない。
奇麗事を言って事実を覆い隠しても本質が是正されるものではない。
前々から不思議に思っていたことであるが、毛沢東という人はなぜ自分の奥さんを政治の場面に登場させて平気でいたのであろう。こんな馬鹿なこともないと思う。
また本人もなぜ夫の政治的な会議の場にシャシャリ出て、自分のしていることが不都合で不合理な行為だということがわからなったのであろう。
このこと自体が出自の卑しさにつながっているのではなかろうか。
これは外遊のときに奥さんを連れて行くということとはわけが違うわけで、国家首脳が外国に行くときに、奥さんを同伴するというのは、外交としての儀礼なわけで、それが世界の常識であり、外交に対する一種の秩序でもあるわけで、だからといって重要な外交交渉の場に奥さんまで出すというわけではない。
一緒に行っても奥さんは奥さんで旦那とは別の国際親善をするわけで、それが国家同士の外交の慣例であり、万国共通の認識となっている。
ところが文化大革命中の江青の存在というのは、それとはまったく違う次元のことで、日本やアメリカでいえば、閣議の席に総理大臣夫人や大統領夫人がいるのと同じことであり、その夫人が行政面にくちばしを入れるということで、こんな馬鹿なことは考えられない。
この馬鹿なことが通ったのが文化大革命中の中国共産党なわけで、統治が馬鹿なことをしていれば、その犠牲者が出るのも致し方ない。
こういう馬鹿なことは、それぞれに関連しあっていると思う。
その最たるものは言うまでもなく、個人崇拝であるが、この個人崇拝を話題にすると、普通の人々はその象徴である毛沢東を糾弾しがちであるが、そこから既に認識の相違が生まれると思う。
毛沢東の個人崇拝といった場合、本人は周囲から祭られているだけで、自分で自分を崇拝するなどということはありえない。
周囲が毛沢東を崇め奉ったから個人崇拝になったわけで、その非は周囲のものが負うべきだと思う。
ただし毛沢東本人の謙虚さのなさという点に関しては批判を受けるべきで、彼はトップの座を後進にもっと早い時期に譲るべきであった。
革命を目指す、革命を成就させることと、その成就させた革命、つまりシステムとしての出来上がった体制を維持することとは全く別のことではないかと思う。
革命を成就させることは、中華民国としての既存システムを全否定することなわけで、そのことは言葉を変えて言えば、何をやっても許されるということである。
革命のためならば、人を殴打しようが、人を殺そうが、人のものを盗ろうが、相手が資本家と称する金持ちでさえあれば、それは整合性を持つわけで、これは無学な教養のない下層階級の人間にとってはこの上のない喜びであったに違いない。
ところが、それが成功して、中華人民共和国というものがきちんと制定されたならば、今までのようなことは許されないし、許してはならないわけで、それは当然革命を指導するときと社会の安寧を目指すのでは、理念も手法も全く異なるのが当然である。
毛沢東をはじめとする新中国の首脳にはこの部分がわかっていなかった。
その意味で毛沢東は革命が成就した時点でその地位を降りなければならなかったと思う。
共産主義体制の中で個人崇拝の弊害など、旧ソビエット連邦の例を見る間でもなく当然わかっていたろうし、それでなければ指導者としての資質を問われる。
毛沢東の場合本人が死ぬまでそれが問われることがなかった。
同じように血と汗を流しながら革命をなした古き戦友としての劉少奇を、自ら失脚させるだけではなく、命まで奪うということはわれわれには考えられない行為だと思う。
水に落ちた犬をさらに叩きのめすということはこういうことであろ