例によって図書館から借りてきた本で「戦争特派員」という本を読んだ。
文字通り戦争特派員の自叙伝風の読み物であったが、とにかく読み辛い本であった。
字は小さく、ページ数は多く、分厚な本で、こんな読み辛い本も最近では珍しい。
戦争特派員というから最近の戦争に関するものかと思ったら、第一次世界大戦の頃の話で、イタリアのエチオピア戦争に関する話題から始まっているので、その意味では少々古すぎる話題であった。
日本の年号でいえば、明治の初期の時代のことで、この時期にイタリアがアフリカのエチオピアで如何に帝国主義的な略奪に現を抜かしていたかが克明に記述されていた。
それとその後に続くスペイン内乱に乗じたドイツとイタリアの干渉について、くどくどと記述されている。
スペインの内乱に乗じて、ドイツがゲルニカというスペインの小さな街を空から攻撃したのは1937年、日本の年号でいえば昭和12年のことで、日本では盧溝橋事件が起きて日中戦争に嵌り込んでいった時期である。
ここで興味深いことは、このドイツ空軍のゲルニカ爆撃の真偽が一般市民というか、戦場から離れた人々の間では疑問視されていたという事実である。
こういう事実は実に不思議なことだと思う。
昨今の我々の間でも、日本軍による南京大虐殺がこの年に起きているわけだが、これもその真偽がいまだに議論に種になっているわけで、なぜこういう不可解なことになるのであろう。
この本の主題は、現地でドイツの爆撃を体験した報道記者が、リアルタイムに記事を送稿したにも関わらず、その内容を素直に信じる者がいなかったということだと考える。
戦争特派員が目の前の事実を見たまま送稿しても、それを受け取る側の人間は、自分の想定外の事件をそのまま素直に受け入れることが出来ない。
つまり、人は自分の体験からかけ離れた想定外のことを素直には受け入れることが出来ず、相手は嘘を言っているかもしれないという疑心に駆られ、そこで人為的な策意を思い巡らし、自分が騙されているという風に受け入れてしまうのかもしれない。
ただ、事実は一つしかないが、その一つしかない事実に対しても、見る視点が変わると様々な解釈が成り立つわけで、その一つの事実から導き出された真実には、さまざまな見方が成り立つということは言えると思う。
一つの事実に対してある報道が流され、その報道に対してその事実を否定する報道が政治的なプロパガンダとして流されると、その事実は茫洋とした海の中に嵌り込んでしまい、本当の真実が霞んでしまうことになる。
その両方の記事を見た人は、果たしてどちらが真実なのかわからなくなってしまうわけで、事実を公表したくない側としては、真実を打ち消すニセ情報は大いに有難い存在となるのである。
このゲルニカも、そういう意図のもとに、ドイツによる非人道的な行為をカモフラージュすることに成功した例で、それは日本の南京大虐殺にも同じことが言えている。
これは明らかに一種の情報戦、情報による戦争が仕掛けられているわけで、ある真実に対して、それに対抗しうる偽情報を流すと、真実がわからなくなってしまうという具体的な例である。
「それで得をするのは誰か」と考えれば、自ずと仕掛け人は判明するはずであるが、解ったところでそれが個人の犯罪ならばそれで終わりであるが、国家の行為だとすると、事件の真犯人が分かったからと言ってそれで事件の解決にはならないわけで、そこが国際関係の極めて難しいところである。
世界大戦というのは、結局それが原因で起きているわけで、ドイツがゲルニカという街を無差別に攻撃したのだから、世界は寄ってたかってドイツを袋叩きにしよう、というわけにはいかない。
イタリアがアフリカのエチオピアで毒ガス兵器を使っている、ドイツがゲルニカの街を攻撃した。よって平和を愛する諸国は力を合わせてイタリアやドイツを叩きましょう、と単純にはならないわけで、それは何故かといえば叩く側にも国民というものがあり、道義的に義憤を感じたとしても、それが自国民に如何にフィードバックするかを考えなければならないからである。
世界というのは綺麗な理想や理念、美しい道義で動くことはないわけで、世界を動かすエネルギーは、国益に他ならない。
国益ということは、自国民の安心と安定した生活というものを内包しているわけで、地球の何処かで非人道的な行為が行われているから、直ちにはせ参じて救済するというわけにはいかないのである。
行動を起こす前に、それが自国民の安全と安心に如何なる関わり合いがあるのかを計算しなければならず、その綿密な計算に基づいて見返りが期待できるという場合のみ行動に移すわけである。
この本の例でいくと、スペインのゲルニカという街をドイツが空から攻撃した。
その事実を知らせる一報は確かに届いているが、それを確認・検証する手段は他にないわけで、その事実を知られたくない側は、ここで偽情報としてその第一報を否定する記事を出すと、これは水掛け論に終始するわけで、真実は藪の中となりかねない。
こうなると完全に情報戦の領域に入るわけで、一つの報道がその真実を巡って水掛け論の輪が大きくなればなっただけ、情報戦の成果だといえる。
この本の主人公ジョージ・スティアは、1944年、第2次世界大戦中にアジア戦線でなくなっているので、原爆の被害を知らずに済んだが、彼が戦争特派員の目で原爆の被害者を見たとしたら、どういう風にそれを表現するのであろう。
彼は戦争特派員としてアフリカのエチオピアでイタリア軍が行った毒ガス攻撃の実態を見、ドイツによるスペインのゲルニカの街の攻撃を目の当たりにして、殺される側の悲惨な姿を世界に発信しているが、その悲惨な状況というのも、人間の過去の残虐さの集大成であって、今までの人間が知覚し得た範囲の残虐さであった。
ところが原爆の被害というのは、過去の人間の思考の内にある残虐さを超越したものがあったわけで、戦争特派員の彼ならば、それをどういう風に表現したであろう。
彼、ジョージ・スティアは、ゲルニカの街を空から攻撃するドイツ側の兵士の気持ちについては一言も思いを巡らしていないが、私は爆弾を落とす側の人間の気持ちというものを少しは考えてみたい。
太平洋戦争の末期、日本が完全に制空権を喪失した時点で、アメリカの戦闘機は日本の本土内において、地上を逃げまどう人間を面白半分に追いまわしたようだ。
これは明らかに優位に立った側のゆとり、余裕ではないかと思う。
こういう余裕が敵側に生まれた状況は、戦略の成功と、その戦略を成功ならしめる国家的な物資の豊富さが背景にあると思う。
それで、敵地まで進出して戦闘機に乗り、爆撃機に乗り、攻撃を仕掛けている人間というのは、おそらく二十歳前後の若者だと思う。
少なくとも、入れ歯がたがた、腰の曲がった年寄りが飛行機を操縦しているわけはなく、こういう若者が出撃を命じられた時、彼等はどういう気持ちでその命令を受け入れているのだろう。
日本の特攻隊というのも、帰還することのない出撃であったが、敵側は帰還することが前提の出撃であったわけで、自分達は生き延びることを前提としているにもかかわらず、敵つまり日本人は対しては、一人でも多く殺すことが大儀となっていたわけである。
それが戦争だと言ってしまえば、話は終わってしまうが、任務だからと言って、飛行機に乗って爆弾を人の上に落とすことに彼等はどういう感情を抱いているのであろう。
彼らには、自分が人を殺している、という実感がないのではなかろうか。
高い空から機銃で地上の人間を撃ったとしても、それで撃たれた人が死んだかどうかはパイロットにはわからないと思う。
その上、戦争中のことでもあるので、敵を殺すことは名誉なことであり、自分の良心に呵責を覚えることではなく、そこで逡巡することのないよう訓練さられていると思うが、本当はこの部分が一番の厄介な点である。
訓練されたから、空から地上の人間を銃で撃って、本人の良心に何の呵責も感じない人間であってもらってははなはだ困ると思う。
一人一人の人間は、平和な時ならば決して人を殺すような人ではなく、それを肯定することもなかろうが、一旦戦争状態になると、一人でも多く敵を倒すことが「善」となってしまうわけで、これは一体どういうことなのであろう。
これは個人のレベルから国家のレベルに至るまで、同じジレンマを抱え込んでいるわけで、冷静な理性で考えれば、戦争はすべきではないということを十分に理解しているにもかかわらず、考えれば考えるほど、呻吟すればするほど、事態は避けられな方向に転がってしまうのである。
この本の主人公ジョージ・スティアは、ゲルニカの街に対するドイツの空襲を極めて残酷な人でなしの行為として糾弾しているが、彼の死後、我々の経験した事実は、彼の想像を絶するものであったに違いない。
我々は、彼が生きておれば糾弾の言葉も失うほどの惨劇を経験したことになる。
こういう歴史をじっくり考えてみると、ヨーロッパ系の白人から有色人種を眺めると、白人の側には有色人種に対する偏見は拭い去れないものがあるように思える。
当然といえば当然で、地球上の人間というのはたった一人で生きているわけではなく、大勢の人と連携して生きているわけで、ここに人間の持つ「業」が潜んでいる。
人は仲よく暮らすに越したことはない。
向こう三軒両隣り、仲良く暮らすに越したことはないが、これが案外「言うは易く行うは難し」であって、理想通りにはいかないわけで、何故そうなるかと問えば、やはりそこには人間の個性、如何にものごと考えるか、如何に人の言うことを信じるか、如何に良心の規範に忠実かというそれぞれの個人がそれぞれに持っている魂の個性に左右されると思う。
ただこの地球上に住む人間の共通認識で、間違いのないことは自己愛である。
自分自身がこの世で一番可愛いという自己愛は、万人共通のもので、この自己愛が集合すると、郷土愛、祖国愛、愛国心と昇華し、行きついた先が国益偏重主義になってしまうわけで、ここまで来る過程の中で、それぞれの人の集団の間、いわゆる民族、種族、国家、国家の連携という中で、自己愛の形がさまざまな形に変化するわけで、その変化が今度は軋轢を生むことになり、結果的にホットな戦争という形に進化するものだと考える。
人が人を殺すなどということを好んでするものはいないと思う。
しかし、そう言いながらも人間は太古から殺し合いを演じていたわけで、これは言い方を変えれば、自己愛と自己愛の衝突、あるは我と我のぶつかり合いであったわけで、こういう場合、我々の先祖は、きっと話し合いから交渉に入ったものと推察するが、その話し合いでは納得のいく結果が得られなかったので、戦争という手段になったものと思う。
戦争は確かに政治の延長線上の統治の手法だと思う。
政治と戦争は、簡単に線引きの出来ない人間の集団生活の在り方であって、平和な時というのは、ただただ武力行使を中断している休戦状態の在り体だと思う。
今の南北朝鮮は、正確にいえは戦争中にもかかわらず、平和の状態が維持されているので我々から見ると、双方が平和を享受しているように見えるが、内側では如何に国威を維持するか細心の注意で以って図られているに違いない。
しかし、表面的には平和な状態で、話し合いで物事を解決しようとしているが、それは約半世紀にわたって効果が表れていないわけである。
言い方を変えれば、話し合いでは何も物事は解決しないということである。
日本の北方4島の問題から、日本人拉致の問題に至るまで、話し合いでことが解決するとうことはあり得ないが、だからと言って、こちらから武力行使をしてまで解決を急ぐ、あるいは解決するだけの覚悟が我々の側にあるかと問えば、それだけのリスクを負うだけの勇気を我々は持ち得ていないのである。
だから一向に物事は解決せず、解決したわけではないが、我々の置かれている立場は、明日の糧にも困る状況ではないわけで、危ない橋を渡るまでもなく問題を先送りして、話し合いの場が向こうから転がってくるのをじっと待ているわけである。
国益ということ考えた場合、北方4島にしろ、北朝鮮の日本人拉致の問題にしろ、日本の全国民を危機に晒してまで、その奪還に執着するほどのリスクを考えると、犠牲者には申し訳ないが今の選択が一番政府にとっては無難なわけで、これが戦争に負けた結果としての我々の現実の姿なわけである。
我々は敗戦国だ。
日清戦争、日露戦争では勝利したが、日中戦争から日米戦争においては連合国に負けたのである。
戦争に負けるということはこういうことであるが、今の日本人には、戦争に負けた者の心の在り様というのはまるで陳腐な光景に映るに違いないと思う。
これだけの経済成長の中で、過去に日本が連合国の軍門に下ったという事実さえ認識し得ないのではないかと思う。
この本では、事実の報道が歪曲して広がっていく過程が暴かれているが、それも戦争に勝つための手段の一つではあるわけで、情報の操作で戦いを有利に導くことは極めて重要なことではある。
報道というのは実にややこやしい存在で、一つの話に尾ひれがつくと、その収拾は極めて困難になる。
例の南京大虐殺に関連して「百人切り」という話が報道されて、それが独り歩きしてしまって最近まで決着がつかなかった。
要するに南京攻略戦の際に、陸軍の将校二人がお互いの自慢話の中で、どちらが先に中国人を百人切るかという競争をしたということになっているが、実際にはたわいもない茶飲み話であったものを、それが戦意高揚を狙いとするプロパガンダ的に報道されたことによって、二人の将校はもとより日本軍の残虐性を露わにした報道として、裁判で争われるということにまでなった。
これこそ極め付きの情報戦の成果であって、この記事を書いた記者、この場合は戦争特派員は、見事に祖国を敵に売り、自分の同胞を戦争犯罪人に仕立て上げ、祖国の顔、民族の誇りに泥を塗ったわけである。
この話の最大の問題点は、この裁判で問われている二人の将校に対して、その記事を書いた記者・戦争特派員が真実を述べなかったところにある。
彼は、「あれは二人の将校が冗談で言っていたことを戦意高揚のために面白おかしく脚色した」といえば、誰も傷つくものはいなかったが、彼はそれをしなかった。
そのことによって日本民族が如何にも残虐な集団であるかのようなイメージを国際的に流布したわけで、そのことで得をしたのは言うまでもなく中華人民共和国である。
二人の将校が「冗談で言っていた」ということ故意に言わなかったその記者は、日本民族を卑劣な残酷者に貶めることに成功したわけで、中華人民共和国に大いに貢献したことになる。
その記者は当時、東京日日新聞、現毎日新聞、浅見一男記者であって、私の想像するところ、極めつけの隠れ共産党員ではなかったかと想像するが真実のほどは知らない。
あの戦争中の厳格な天皇制の中でも、こういう生粋の共産主義者が軍国主義の仮面を被って我々の周りにいたわけだ。
ゲニ恐ろしきは記者と称するインテリヤクザである。
文字通り戦争特派員の自叙伝風の読み物であったが、とにかく読み辛い本であった。
字は小さく、ページ数は多く、分厚な本で、こんな読み辛い本も最近では珍しい。
戦争特派員というから最近の戦争に関するものかと思ったら、第一次世界大戦の頃の話で、イタリアのエチオピア戦争に関する話題から始まっているので、その意味では少々古すぎる話題であった。
日本の年号でいえば、明治の初期の時代のことで、この時期にイタリアがアフリカのエチオピアで如何に帝国主義的な略奪に現を抜かしていたかが克明に記述されていた。
それとその後に続くスペイン内乱に乗じたドイツとイタリアの干渉について、くどくどと記述されている。
スペインの内乱に乗じて、ドイツがゲルニカというスペインの小さな街を空から攻撃したのは1937年、日本の年号でいえば昭和12年のことで、日本では盧溝橋事件が起きて日中戦争に嵌り込んでいった時期である。
ここで興味深いことは、このドイツ空軍のゲルニカ爆撃の真偽が一般市民というか、戦場から離れた人々の間では疑問視されていたという事実である。
こういう事実は実に不思議なことだと思う。
昨今の我々の間でも、日本軍による南京大虐殺がこの年に起きているわけだが、これもその真偽がいまだに議論に種になっているわけで、なぜこういう不可解なことになるのであろう。
この本の主題は、現地でドイツの爆撃を体験した報道記者が、リアルタイムに記事を送稿したにも関わらず、その内容を素直に信じる者がいなかったということだと考える。
戦争特派員が目の前の事実を見たまま送稿しても、それを受け取る側の人間は、自分の想定外の事件をそのまま素直に受け入れることが出来ない。
つまり、人は自分の体験からかけ離れた想定外のことを素直には受け入れることが出来ず、相手は嘘を言っているかもしれないという疑心に駆られ、そこで人為的な策意を思い巡らし、自分が騙されているという風に受け入れてしまうのかもしれない。
ただ、事実は一つしかないが、その一つしかない事実に対しても、見る視点が変わると様々な解釈が成り立つわけで、その一つの事実から導き出された真実には、さまざまな見方が成り立つということは言えると思う。
一つの事実に対してある報道が流され、その報道に対してその事実を否定する報道が政治的なプロパガンダとして流されると、その事実は茫洋とした海の中に嵌り込んでしまい、本当の真実が霞んでしまうことになる。
その両方の記事を見た人は、果たしてどちらが真実なのかわからなくなってしまうわけで、事実を公表したくない側としては、真実を打ち消すニセ情報は大いに有難い存在となるのである。
このゲルニカも、そういう意図のもとに、ドイツによる非人道的な行為をカモフラージュすることに成功した例で、それは日本の南京大虐殺にも同じことが言えている。
これは明らかに一種の情報戦、情報による戦争が仕掛けられているわけで、ある真実に対して、それに対抗しうる偽情報を流すと、真実がわからなくなってしまうという具体的な例である。
「それで得をするのは誰か」と考えれば、自ずと仕掛け人は判明するはずであるが、解ったところでそれが個人の犯罪ならばそれで終わりであるが、国家の行為だとすると、事件の真犯人が分かったからと言ってそれで事件の解決にはならないわけで、そこが国際関係の極めて難しいところである。
世界大戦というのは、結局それが原因で起きているわけで、ドイツがゲルニカという街を無差別に攻撃したのだから、世界は寄ってたかってドイツを袋叩きにしよう、というわけにはいかない。
イタリアがアフリカのエチオピアで毒ガス兵器を使っている、ドイツがゲルニカの街を攻撃した。よって平和を愛する諸国は力を合わせてイタリアやドイツを叩きましょう、と単純にはならないわけで、それは何故かといえば叩く側にも国民というものがあり、道義的に義憤を感じたとしても、それが自国民に如何にフィードバックするかを考えなければならないからである。
世界というのは綺麗な理想や理念、美しい道義で動くことはないわけで、世界を動かすエネルギーは、国益に他ならない。
国益ということは、自国民の安心と安定した生活というものを内包しているわけで、地球の何処かで非人道的な行為が行われているから、直ちにはせ参じて救済するというわけにはいかないのである。
行動を起こす前に、それが自国民の安全と安心に如何なる関わり合いがあるのかを計算しなければならず、その綿密な計算に基づいて見返りが期待できるという場合のみ行動に移すわけである。
この本の例でいくと、スペインのゲルニカという街をドイツが空から攻撃した。
その事実を知らせる一報は確かに届いているが、それを確認・検証する手段は他にないわけで、その事実を知られたくない側は、ここで偽情報としてその第一報を否定する記事を出すと、これは水掛け論に終始するわけで、真実は藪の中となりかねない。
こうなると完全に情報戦の領域に入るわけで、一つの報道がその真実を巡って水掛け論の輪が大きくなればなっただけ、情報戦の成果だといえる。
この本の主人公ジョージ・スティアは、1944年、第2次世界大戦中にアジア戦線でなくなっているので、原爆の被害を知らずに済んだが、彼が戦争特派員の目で原爆の被害者を見たとしたら、どういう風にそれを表現するのであろう。
彼は戦争特派員としてアフリカのエチオピアでイタリア軍が行った毒ガス攻撃の実態を見、ドイツによるスペインのゲルニカの街の攻撃を目の当たりにして、殺される側の悲惨な姿を世界に発信しているが、その悲惨な状況というのも、人間の過去の残虐さの集大成であって、今までの人間が知覚し得た範囲の残虐さであった。
ところが原爆の被害というのは、過去の人間の思考の内にある残虐さを超越したものがあったわけで、戦争特派員の彼ならば、それをどういう風に表現したであろう。
彼、ジョージ・スティアは、ゲルニカの街を空から攻撃するドイツ側の兵士の気持ちについては一言も思いを巡らしていないが、私は爆弾を落とす側の人間の気持ちというものを少しは考えてみたい。
太平洋戦争の末期、日本が完全に制空権を喪失した時点で、アメリカの戦闘機は日本の本土内において、地上を逃げまどう人間を面白半分に追いまわしたようだ。
これは明らかに優位に立った側のゆとり、余裕ではないかと思う。
こういう余裕が敵側に生まれた状況は、戦略の成功と、その戦略を成功ならしめる国家的な物資の豊富さが背景にあると思う。
それで、敵地まで進出して戦闘機に乗り、爆撃機に乗り、攻撃を仕掛けている人間というのは、おそらく二十歳前後の若者だと思う。
少なくとも、入れ歯がたがた、腰の曲がった年寄りが飛行機を操縦しているわけはなく、こういう若者が出撃を命じられた時、彼等はどういう気持ちでその命令を受け入れているのだろう。
日本の特攻隊というのも、帰還することのない出撃であったが、敵側は帰還することが前提の出撃であったわけで、自分達は生き延びることを前提としているにもかかわらず、敵つまり日本人は対しては、一人でも多く殺すことが大儀となっていたわけである。
それが戦争だと言ってしまえば、話は終わってしまうが、任務だからと言って、飛行機に乗って爆弾を人の上に落とすことに彼等はどういう感情を抱いているのであろう。
彼らには、自分が人を殺している、という実感がないのではなかろうか。
高い空から機銃で地上の人間を撃ったとしても、それで撃たれた人が死んだかどうかはパイロットにはわからないと思う。
その上、戦争中のことでもあるので、敵を殺すことは名誉なことであり、自分の良心に呵責を覚えることではなく、そこで逡巡することのないよう訓練さられていると思うが、本当はこの部分が一番の厄介な点である。
訓練されたから、空から地上の人間を銃で撃って、本人の良心に何の呵責も感じない人間であってもらってははなはだ困ると思う。
一人一人の人間は、平和な時ならば決して人を殺すような人ではなく、それを肯定することもなかろうが、一旦戦争状態になると、一人でも多く敵を倒すことが「善」となってしまうわけで、これは一体どういうことなのであろう。
これは個人のレベルから国家のレベルに至るまで、同じジレンマを抱え込んでいるわけで、冷静な理性で考えれば、戦争はすべきではないということを十分に理解しているにもかかわらず、考えれば考えるほど、呻吟すればするほど、事態は避けられな方向に転がってしまうのである。
この本の主人公ジョージ・スティアは、ゲルニカの街に対するドイツの空襲を極めて残酷な人でなしの行為として糾弾しているが、彼の死後、我々の経験した事実は、彼の想像を絶するものであったに違いない。
我々は、彼が生きておれば糾弾の言葉も失うほどの惨劇を経験したことになる。
こういう歴史をじっくり考えてみると、ヨーロッパ系の白人から有色人種を眺めると、白人の側には有色人種に対する偏見は拭い去れないものがあるように思える。
当然といえば当然で、地球上の人間というのはたった一人で生きているわけではなく、大勢の人と連携して生きているわけで、ここに人間の持つ「業」が潜んでいる。
人は仲よく暮らすに越したことはない。
向こう三軒両隣り、仲良く暮らすに越したことはないが、これが案外「言うは易く行うは難し」であって、理想通りにはいかないわけで、何故そうなるかと問えば、やはりそこには人間の個性、如何にものごと考えるか、如何に人の言うことを信じるか、如何に良心の規範に忠実かというそれぞれの個人がそれぞれに持っている魂の個性に左右されると思う。
ただこの地球上に住む人間の共通認識で、間違いのないことは自己愛である。
自分自身がこの世で一番可愛いという自己愛は、万人共通のもので、この自己愛が集合すると、郷土愛、祖国愛、愛国心と昇華し、行きついた先が国益偏重主義になってしまうわけで、ここまで来る過程の中で、それぞれの人の集団の間、いわゆる民族、種族、国家、国家の連携という中で、自己愛の形がさまざまな形に変化するわけで、その変化が今度は軋轢を生むことになり、結果的にホットな戦争という形に進化するものだと考える。
人が人を殺すなどということを好んでするものはいないと思う。
しかし、そう言いながらも人間は太古から殺し合いを演じていたわけで、これは言い方を変えれば、自己愛と自己愛の衝突、あるは我と我のぶつかり合いであったわけで、こういう場合、我々の先祖は、きっと話し合いから交渉に入ったものと推察するが、その話し合いでは納得のいく結果が得られなかったので、戦争という手段になったものと思う。
戦争は確かに政治の延長線上の統治の手法だと思う。
政治と戦争は、簡単に線引きの出来ない人間の集団生活の在り方であって、平和な時というのは、ただただ武力行使を中断している休戦状態の在り体だと思う。
今の南北朝鮮は、正確にいえは戦争中にもかかわらず、平和の状態が維持されているので我々から見ると、双方が平和を享受しているように見えるが、内側では如何に国威を維持するか細心の注意で以って図られているに違いない。
しかし、表面的には平和な状態で、話し合いで物事を解決しようとしているが、それは約半世紀にわたって効果が表れていないわけである。
言い方を変えれば、話し合いでは何も物事は解決しないということである。
日本の北方4島の問題から、日本人拉致の問題に至るまで、話し合いでことが解決するとうことはあり得ないが、だからと言って、こちらから武力行使をしてまで解決を急ぐ、あるいは解決するだけの覚悟が我々の側にあるかと問えば、それだけのリスクを負うだけの勇気を我々は持ち得ていないのである。
だから一向に物事は解決せず、解決したわけではないが、我々の置かれている立場は、明日の糧にも困る状況ではないわけで、危ない橋を渡るまでもなく問題を先送りして、話し合いの場が向こうから転がってくるのをじっと待ているわけである。
国益ということ考えた場合、北方4島にしろ、北朝鮮の日本人拉致の問題にしろ、日本の全国民を危機に晒してまで、その奪還に執着するほどのリスクを考えると、犠牲者には申し訳ないが今の選択が一番政府にとっては無難なわけで、これが戦争に負けた結果としての我々の現実の姿なわけである。
我々は敗戦国だ。
日清戦争、日露戦争では勝利したが、日中戦争から日米戦争においては連合国に負けたのである。
戦争に負けるということはこういうことであるが、今の日本人には、戦争に負けた者の心の在り様というのはまるで陳腐な光景に映るに違いないと思う。
これだけの経済成長の中で、過去に日本が連合国の軍門に下ったという事実さえ認識し得ないのではないかと思う。
この本では、事実の報道が歪曲して広がっていく過程が暴かれているが、それも戦争に勝つための手段の一つではあるわけで、情報の操作で戦いを有利に導くことは極めて重要なことではある。
報道というのは実にややこやしい存在で、一つの話に尾ひれがつくと、その収拾は極めて困難になる。
例の南京大虐殺に関連して「百人切り」という話が報道されて、それが独り歩きしてしまって最近まで決着がつかなかった。
要するに南京攻略戦の際に、陸軍の将校二人がお互いの自慢話の中で、どちらが先に中国人を百人切るかという競争をしたということになっているが、実際にはたわいもない茶飲み話であったものを、それが戦意高揚を狙いとするプロパガンダ的に報道されたことによって、二人の将校はもとより日本軍の残虐性を露わにした報道として、裁判で争われるということにまでなった。
これこそ極め付きの情報戦の成果であって、この記事を書いた記者、この場合は戦争特派員は、見事に祖国を敵に売り、自分の同胞を戦争犯罪人に仕立て上げ、祖国の顔、民族の誇りに泥を塗ったわけである。
この話の最大の問題点は、この裁判で問われている二人の将校に対して、その記事を書いた記者・戦争特派員が真実を述べなかったところにある。
彼は、「あれは二人の将校が冗談で言っていたことを戦意高揚のために面白おかしく脚色した」といえば、誰も傷つくものはいなかったが、彼はそれをしなかった。
そのことによって日本民族が如何にも残虐な集団であるかのようなイメージを国際的に流布したわけで、そのことで得をしたのは言うまでもなく中華人民共和国である。
二人の将校が「冗談で言っていた」ということ故意に言わなかったその記者は、日本民族を卑劣な残酷者に貶めることに成功したわけで、中華人民共和国に大いに貢献したことになる。
その記者は当時、東京日日新聞、現毎日新聞、浅見一男記者であって、私の想像するところ、極めつけの隠れ共産党員ではなかったかと想像するが真実のほどは知らない。
あの戦争中の厳格な天皇制の中でも、こういう生粋の共産主義者が軍国主義の仮面を被って我々の周りにいたわけだ。
ゲニ恐ろしきは記者と称するインテリヤクザである。