ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「戦争観なき平和論」

2009-02-26 08:22:25 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「戦争観なき平和論」という本を読んだ。
著者は保阪正康氏。
氏の論考は左翼的なイデオロギーに汚染されておらず、極めてニュートラルな思考だと思っている。
この著作も、戦後の平和論争が感情におぼれて、理性的な思考から逸脱していることへの警鐘であるが、ものを考えるについて、過去を断ち切っては考察が成り立たないわけで、その意味で歴史を振り返るという視点で貫かれている。
歴史を振り返る過程の中で、昭和世代の人間3000名にものぼる人たちにインタビューして、戦争というものの輪郭を描き出そうとしている点には敬意を表せざるを得ない。
これだけ多くの人にインタビューを試みたということは、言い換えれば日本人の本質を探り当てる、ということになるのではなかろうか。
その結果として、表題のように戦争観なき平和論というわけで、これはいわば日本人の平和を希求する論拠がすべて感情論に陥っている、と言い換えられているように思う。
あの戦前の軍国主義というのは、戦後64年たった今、どのように考えればいいのであろう。
先に読んだ「至情・『身はたとへ』と逝った特攻隊員」という本に登場する若者は、その大部分が学徒であって、一銭五厘のハガキで召集された人たちとは違っているはずであるが、彼ら、いわゆるインテリーであるにもかかわらず、自ら率先して国家の危機に殉じているわけで、これを今に生きる我々はどういうふうに理解したらいいのであろう。
大学生、学徒が自ら率先して軍務につくというのは、なにも我々日本民族だけの特異な出来事ではなく、先進国の若者は我々同様、学業を終えないまま軍務についた例は数多くある。
この本は、我が身は大空に散華しても、その後の日本には幸あれと願いつつ、散華していったわけで、だからこそ「至情」であったわけである。
それに引き替え、参謀本部で戦争指導と称して安全地帯に身を置いていた高級参謀、参謀肩章を幾つもぶら下げた参謀たちは、こういう若人の心情を如何様に考えていたのであろう。
軍隊の組織は言うまでもなう官僚組織であって、官僚として極めて無責任な対応をし続けていたということではなかろうか。
この本の中で語られている大本営発表という嘘も、どういうふうに考えたらいいのであろう。
大本営というからには、前線の戦闘指揮所とはおのずと違っているわけで、ここで任務に就いているのは皆高級参謀ばかりであったはずであるが、それが国民に対して嘘の報告、虚偽の戦闘報告をしていたということをどういうふうに考えたらいいのであろう。
こういうところに詰めている軍人というのは、それこそ本来優秀であるべき軍人の筈であるが、その優秀であるべき軍人が、天皇の赤子である国民に対して、嘘の報告をしていたことをどういうふうに考えたらいいのであろう。
問題は、我々日本人が優秀であるべきと思う、その優秀の中身でなければならないはずである。
優秀な軍人が戦争を指導するのであるならば、負けるなどということはあってはならない筈ではないか。
優秀であるべき軍人が、優秀でなかったから日本は敗北を帰したのではないのか。
戦後64年たった今でも、我々日本人の古い世代には、海軍兵学校あるいは陸軍士官学校を出た人は優秀である、という迷信が息づいていると思う。
あの戦争を大局的な視野で考察すれば、軍人が政治を蔑にして、軍人の独断専横が戦争を引き起こし、優秀であるべき軍人が蓋をあければバカだったから日本は敗北を帰したことになる。
そこから教訓を得るとするならば、当時の日本の政治家は、何故にバカな軍人の横暴を抑え切れなかったかを考察すべきである。
その意味で、バカな軍人を抑え切れなかった昭和初期の政治家は、二重にバカだったわけで、そのバカさ加減は現在においても立派に継続されている。
そのバカの本質は、官僚としての無責任体質だと思う。
例えば、大本営発表の嘘なども、真実を伝えると国民の戦意に影響が出るであろう、という心配から真実を隠したわけで、それは海軍と陸軍の間でもお互いに真実を隠し合ったわけで、これでは国家総力戦そのものが成り立たないのも当然である。
私がこういう立場の人々をバカだバカだというのは、お互いに協力し合って戦争をしている、戦争する以上はお互いに協力し合わなければそれが成り立たない、ということが双方の高級参謀には解っていなかったという点があるからである。
海軍兵学校に、あるいは陸軍士官学校へ、大勢の競争相手を蹴散らして入ったは以上、その時点では確かに人並み以上に優秀であったに違いないが、その後の官僚システムの中で10年20年と年を重ね、地位も職階も上がってくると、ごくごく常識的な思考能力が退化して、「井戸の中の蛙」のような思考に陥ってしまったところにある。
それぞれの養成機関を卒業して、それぞれに職務に就き、その職務を遂行しているうちに、自分の枠、陸軍なり海軍なりの枠がいわばリトル・ワールドに嵌り込んでしまって、まさしく「井戸の中の蛙」、「葦の髄から天覗く」、という状況に陥ってしまったものと推察する。
陸軍でも海軍でも、若い士官、いわゆる純粋培養された若い士官がそういう弊害に陥ってはならないというわけで国費で留学などさせても、昭和の軍人たちは世界の状況と、将来の展望を肌で感じて、目で見、耳で聴いては来なかったわけで、リトル・ワールドから出ることができなかったわけである。
その前の世代は、国是が西洋列強に追いつけ追い越せであったがゆえに、何でも吸収しようとしていたが、その後の世代は、日本が西洋列強と肩を並べる位置にいたので、もう習得すべきものは何もない、という思いに至ったものと推察する。
まさしく奢りそのもので、自分が奢り高ぶっているものだから、周りの状況がさっぱり目に入らなかったに違いない。
ここで問題とすべきことが人間の知性である。
昔の海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人が優秀であったという迷信は、確かに入る時点では優秀であったに違いなかろうが、その優秀といわれる部分に人間としての美徳が、あるいは冷静な知性が、あるいは沈着な思考力があったかどうかは価値判断の基準に入っていなかったに違いない。
こういうものはペーパーチェックでは測れないから、それがあったかどうかはさっぱりわからなかったに違いないと思う。
ただ彼らが優秀であったというのは、ペーパーチェックでは確かに高得点をとったという実績だけであって、それがその人物を測るバロメータになっていたわけである。
旧日本軍の最大の愚行は、このペーパーチェックの実績がその人物の評価を決定付けたという点にある。
ペーパーチェックの実績が、その人がその組織にいる間じゅうついて回るわけで、組織の中で人の配分は適材適所に配するというのが極めて常識的な思考であるにもかかわらず、日本軍の中ではそうはなっていなかったのである。
ということは、旧日本軍の中では、理性や知性、合理的な思考というものが何の値打にもなっていなかったということだ。
結局、日本軍の中では、海軍も陸軍も、自分達の組織の中だけで物事を見ていたわけで、天皇のためというフレーズも、自分達の利益のために天皇を利用しただけのことである。
本当に天皇のためということを考えたとすれば、それは当然天皇の赤子のためという風に、今の言葉に言い換えれば、国民の側に還元されてしかるべきである。
ところが、天皇のためと称して、自分達の利益にそれを利用していたので、天皇にも背くことになったが、そこは老獪な彼らのことなので、直接的な言葉で奉上するわけではなく、作戦が成功したのか失敗したのかさっぱりわからないということになったものと推察する。
こういう場面で、人間の理性とか知性がさっぱり機能しないということは一体どういうことなのであろう。
海軍兵学校でも、陸軍士官学校でも、入ってきた人間はその時点では確かに優秀であったであろう。
その中で行われた教育もそれなりに優れたものであったであろう。
ならばそこを卒業した人たちが何故に、理性も知性も合理的な思考も失ってしまったのであろう。
こういう教育機関においても、通常の部隊においても、初年兵を虐める、新人を虐めるということの不合理になぜ思い至らなかったのであろう。
こういう教育機関に選抜されて入ってきた人たちは、それなりにミニマムの教養知性は備えているはずなのに、それに何故に鉄腕制裁が必要であったのであろう。
この不合理に旧軍では軍隊の組織が壊滅されるまで気がつかなかったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
俺が村の、俺が町の、一番二番の秀才が、厳しい選抜試験をクリア―して集まってきたものに対して、口でいうのではなく、口頭で指示すのではなく、何故に鉄腕制裁を加えなければ規律が維持できなかったのであろう。
戦後の各階層の手記あるいは戦記ものを読んでも、初年兵時代の先輩からいじめは数多く告発されているが、その理由や原因については言及したものがないように思う。
ただ言えることは、この鉄腕制裁というのは、軍隊だけの特殊な在り様ではなく、当時の日本社会全般に幅を利かせていたわけで、教育現場でも先生が児童をぶん殴るケースが往々に散見されるのは一体どういうことなのであろう。
この風潮が下級兵士によって海外でも現地の人に対して何の違和感もなく行われたので、相手にしてみれば、日本兵は人をぶん殴る野蛮な人たちだという概念が生まれてしまった。
昭和初期の日本人は、人をぶん殴るという行為を野蛮な行為などはいささかも認識しておらず、それが躾として当然の行い、教育の一環ぐらいにしか思っていなかったに違いない。
日本全体がそういう雰囲気であったので、それが軍人の養成機関の中で行われたとしても、何ら違和感を感じずに許容していたのであろう。
問題はそれを許容していた知識人の存在と世間一般の認識である。
海軍兵学校でも陸軍士官学校でも、そこを卒業すれば職業軍人として世のリーダー足るべき地位に就くことが約束されていたにもかかわらず、自分達が経験してきた鉄腕制裁の不合理を、誰一人突いたものがいないということは一体どういうことなのであろう。
こういう不合理を、内側から突き崩す機運がいささかも出てこないということは、一体どう解釈したらいいのであろう。
先に述べた、軍の官僚システムの中で、学校時代の成績で出世が左右されるということなども、理性的な思考に立てば不具合・不合理だと当然考えられてしかるべきことなのに、誰もそれに気がつかないということは一体どう考えたらいいのであろう。
鉄腕制裁のことでも、普通に理性と知性で考えれば、大の大人を殴って鍛える、殴って躾るなどということは、ナンセンスの極みであるが、それがどうして誰にもわからなかったのであろう。
そこにあったのは、私に言わしめれば、究極の無責任体制であって、自分自身はすでに経験して、地獄の苦しみを通過してしまったので、自分と同じ苦しみを後輩が受けることに何の疑問も感じず、自分さえ良ければ人のことなど構っておれないという思考ではなかろうか。
優秀であるべき人たちが選抜されて集められた集団で、野蛮人や家畜を躾けるような意味のない行為に、誰も疑問をもたなかったというのは不思議でならない。
ナンセンスなことを、「それは実にナンセンスだ!」と誰もいわなったので、それが集約されて、結局、日本は奈落の底に転がり落ちたのではなかろうか。
勝ち目のない戦闘に一銭五厘でかき集められた兵士をドンとつぎ込むという無責任も、そういうところに原因があったのではなかろうか。
前線の将兵にしてみたら、与えられた命令は勝つ見込みが有ろうが無かろうが遂行しなければならないが、そういう立場に追い込む側の戦争指導者、具体的には参謀本部の参謀肩章を幾つもぶら下げた高級参謀は、勝つ見込みのない戦闘に新たな兵力をつぎ込むことが亡国の振舞いであったことに気がつかなかったのだろうか。
勝つ見込みのない戦闘に兵力を投入することはナンセンス以外の何物でもないが、誰もそういう視点で個々の戦闘を見ていない。
この本の中だったと思うが、昭和の軍人にはさっぱり戦争というものが理解されていなかった、と書かれていたが確かにそう思える節がある。
戦争を理解していない軍人、国家総力戦という認識の欠けた昭和の軍人を我々はどう考えたらいいのであろう。
これは私の持論であるが、昭和の高級参謀たちは、戦争を私物化していたのではないかと思う。
自分自身の保身のために戦争をしていたのではないかと思う。
本当に戦争に勝つ気があれば、とても考えられないような愚昧きわまる作戦があまりにも多すぎる。
前にも記したが、連合軍のつまり敵側の高級軍人の日本軍に対する評価は、「前線の将兵は実に勇猛果敢だが、高級参謀はバカだ」という評価である。
連合軍でなくとも、我々の同胞からでさえも真底そう思える。
これは一体どういうことなのであろう。
優秀だとされていた、海軍兵学校、陸軍士官学校、その上の海軍大学あるいは陸軍大学の教育は一体何であったのかということになるではないか。
負けるような戦争をする軍人はバカ以外の何物でもないはずであるが、今日に至っても旧軍人にたいするこういう評価は起きていないのではなかろうか。
昭和時代を生き抜いた古老の頭の中には、いまでもこういう学校を出た人は優秀であった、というイメージが抜け切れていないように思う。
こういうイメージが今でも生きているということは、我々の民族の中には理性や知性や合理性で物事を考え、判断するという価値観が未だに息づいていないということである。
戦後、アメリカの民主化運動で、我々は軍国主義をかなぐり捨てて民主主義を会得したような気でいるが、ここでも理性と知性と合理主義で物事を測るという思考方法にはたどり着いていない。
戦前のイデオロギーが逆向きになっただけのことで、いわば屋根の上の風見鶏の矢の方向が逆になっただけである。
戦前は老いも若きも国に殉ずることが誉であったが、戦後はそれが逆向きになって、国家の言うことを聞かない人間が英雄として崇め奉られるようになった。
これは戦前の反動という見方もあろうが、戦後は民主的な国家運営になっているわけで、国政は国民から選ばれた人たちによって運営されている。
いわば我々の政府は、我々が選んだ国会議員の中から選出されているわけで、そのことは国民の総意を内包したものといえる。
とはいうものの、個々の国民の個々の願望や期待に応えようとしても、それは民主国家であればこそ、様々な手続きを経なければならないので、すぐにというわけにはいかない。
それは同時に、国としてあっちに行こうとすれば反対、こっちに行こうとしても反対というわけで、右に行っても左に行っても反対運動が起きるわけで、結局の所立ち往生するほかない。
こういう政治の局面でも、我々は冷静に議論をして、理性と知性で以って物事を判断するということが出来ない。
この本の中にも述べられているが、美濃部達吉の「天皇機関説」の問題でも、美濃部氏が理論整然と反論をしても、誰もそれで納得していないわけで、結局は国体を蔑にしているという阿呆みたいな話が大衆をはじめとする日本の全国民を覆ってしまった。
斎藤隆夫の粛軍演説というのも、彼は政府を理論整然と問いただしているわけで、決して粛軍演説などではなく政府の対応を聞いたに過ぎないにもかかわらず、反軍演説にしてしまったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
美濃部達吉の例でも、斎藤隆夫の例でも、当時の国家議員でこの演説を自分の耳でしっかり聞いた人間は大勢いるはずなのに、彼らを擁護する人が一人も表れないということは一体どういうことなのであろう。
この時代、軍人が威張っていたことは確かであろうが、そのことと理性や知性が消滅することは次元の違うことであって、こういう人々に対して誰一人擁護の手を差し伸べなかった、ということは極めて奇怪な我々同胞の行動といわなければならない。
戦後の基地や空港を巡る土地収用の問題でも、各地で反政府運動が沸き起こったが、土地を取られる農民の苦痛は察して余りあるが、この問題は個の利益と公の利益の衝突なわけで、そのバランスを何処に置くかに尽きると思う。
しかし、戦後の我々同胞の進歩的な人々は、こういうケースの場合、弱いものの見方というわけで、土地を取られる農民の側に肩入れをして、政府の行いは許されないというニュアンスでこの問題を知見している。
ならば公の利益は何ら考慮すべきものではないのかと反論すると、それは政府が他の手段を考えればいいということになるが、何処にもって行っても、何処かで同じことが起きるわけで、これも戦前の軍の高級参謀のしていたのと同じレベルの無責任極まりない言動につながる。
イデオロギーの向きが逆向きになっているだけのことで、無責任体制という意味では一貫している。
ここでも冷静な知性で以って、農民を説得するという基本の中の基本が全く無視されて、その場その場の対処療法でことが行われるので、出来上がったものが中途半端なものになる。
我々の日本という国は、地球上の地勢的な条件からして、地下資源の全くない小さな島で、大陸に進出しようという発想そのものが極めて実現不可能に近い夢であったわけで、それと同じパターンでこの狭い日本で新たに基地を作ったり新たな空港を作る余地は最初から無いわけである。
だから政府としては、「反対運動があるならば、我々は空港をもう作りませよ」といえばいいのである。
政府がそういえば、日本は21世紀の世界から取り残されることになるので、我々は戦後のようなひもじい生活を余儀なくせざるを得ず、天に向かって吐いた唾が自分の顔に降りかかって、初めて自分の考えが浅薄であったことに気がつくのである。

「至情・『身はたとへ』と征った特攻隊員」

2009-02-24 07:29:06 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「至情・『身はたとへ』と征った特攻隊員」という本を読んだ。
戦陣に散った防人たちは死を前にして歌を詠んでいったものが多い。
その数ある歌の中で、枕詞というか「身はたとへ」というフレーズを含んだものを抽出して考察を加えたものであるが、正直言って涙なしには読めない。
「身はたとへ」というフレーズは言い換えれば、自分は死んでも、あるいは自分は死んでしまうが、その死の目的は何なのためだ、という気持ちの表現である。
戦後64年もたった今の時点からあの戦争を、あるいは特攻隊員の存在を考えるとき、特攻攻撃をしなければならない状況というのは、既に交戦能力を喪失した状況であったわけで、ノーマルな知性ならばもうこの時点でギブアップしてしかるべきときであった。
戦争であるからして、前線で兵士が死ぬことは当然であるが、我々日本民族の死に対する価値観はやはり常軌を逸していると思う。
あまりにも死が安価だと思う。
当時の我が方の戦争指導者にとって兵隊の命の値段は一銭五厘のハガキぐらいの価値しか認めていなかったのではなかろうか。
この認識の差は近代日本が抱え込んだ病原菌であった。
がん患者が、自分のがんを末期症状が出るまで自分自身で認識し得ないのと同様、身体の中でじわじわと醸成されてきた奇胎なアメーバ―状の掴みどころのない何ものかによって、我々はアリ地獄のような奈落の底に転がり落ちたわけである。
20世紀のアジアを大きな視点から俯瞰してみると、それは中国問題に尽きると思う。
中国が自分の力で自立するまでの足掻きであって、その過程で、その中国の外側から西洋列強をはじめとして、日本を含も帝国主義というものがアジアを蚕食しようとした構図だとみなさなければならない。
それと、西洋列強の白人による黄色人種への差別が重なり合っていたと思うのだが、差別ということは今に生きる現代人の認識からすると、負の価値観しか認められないので、あまり大きな声を出したくない部分である。
人類の進化を地球規模で眺めてみると、やはりヨーロッパ系の西洋文化というのは、他の地域よりも一歩リードしていたわけで、その力がアジアに及ぶのも歴史の必然ではあった。
とはいうものの、アジアでは漢民族の存在というのも彼らにしてみたら無視できないわけで、ここを意のままに統御することは到底不可能なことと、彼らも認識せざるを得なかった。
よって、海の近くの沿岸部に少々足場を築いただけで内陸にまでは及ばなかった。
しかし、アジア大陸というものが、彼らの視点から見て、富の草刈り場であることには変わりはないわけで、なんとかしてこの地に彼らの本拠地を築きたい、というのは彼らの切なる希望であり、夢であり、至高の目的であったのではないかと推察する。
ところが、ここで日本という極東の小さな島の民族が屹立しており、それが近代化をなして、西洋列強とほぼ同じ力を蓄えると、彼らにしてみれば、それがどうにも承服しかねたわけである。
日本という国が、目の上のタンコブと同じ存在になってしまったわけだ。
よってヨーロッパ諸国はお互いに協力し合って、それが結果として連合国を形作り、連携してアジアの黄色人種の日本という民族の行く先を封じ込めなければならないと画策した。
ところが、その西洋先進国の中でも多少足並みが乱れて、ドイツとイタリアは他の西洋列強とは違う思考をしてしまったので、それは逆に日本の進むべき指針に錯誤を生じさせる結果を招くことになった。
問題は、我々の祖国の先輩諸氏が、第一次世界大戦をオペレーションリサーチしなかったことにある。
このことは我々の同胞のものの見方を如実に具現化しているわけで、我々にとって第一次世界大戦というのは、あくまででも「他山の石」であり、「隣の火事は大きいほど面白い」という思考から抜け切れていなかったということである。
この第一次世界大戦はすでに国家総力戦を呈していたが、我々の先輩諸氏は、その意義を考えたことがなかったということだ。
明治維新を経て、日清・日露の戦いで勝ってしまったので、この時点で自らを見失ってしまったということだと思う。
自らを見失う過程が非常に大事であったにもかかわらず、我々はそれを祖国が奈落の底に突き落とされるまで、そのことに全く思いが至らなかったということだ。
それは同時に我々の民族のものの考え方が、政治には向いていなかったという点に行きつく。
我々が明治維新を経た時は、西洋先進国に追いつき追い越せということがある意味で国是になっていて、誰もが言葉にしなくても意識の底にそのスローガンが染み込んでいた。
ところが、日清・日露の戦いで勝ってしまうと、我々の国は西洋先進国と肩を並べてしまったわけで、マラソンでいえばトップ集団の中に入ってしまった。
そこで、周囲の競争相手は恐れるに足らずという認識に陥ってしまった。
トップグループの仲間入りをしたと言っても、日米開戦の時点で我々のキャリアーはわずか70年余りの歴史しかなかったわけで、ギリシャ、ローマ時代を経た西洋列強には知性、理性、デモクラシー、統治のノウハウについて、あるいはそのテクニックについて足元にも及ばない格差があったわけである。
ところが昭和初期の我が方の軍人には、この文化の重層的な隠れた部分の格差がさっぱり見えていなかったわけである。
というのも我々は政治的に極めて未熟な民族であって、天皇統治でも、幕府の統治でも、人々を統治するものをすべてお上と称して、自分達と同じ人間ではなく、エイリアンであるかのような認識でいたわけである。
だから、統治ということが一つのプロジェクトの遂行という認識には今日に至っても思い至っていないので、自らが自らをコントロールして、最良の結果、最も効果的な施策を考えだす、という思考に至っていないのである。
ただ天皇がいる、幕府が存在する、そこに転変地変が起きると、ただただそういう上の人からの指示まっているだけで、自分達、つまり下々の中から、こういう場合にはこう対応しようというアイデアは最初から存在していないのである。
すべての事が対処療法で、事件が起きたり、災害が起きた後から、その対応方法を考える。
そこで日清・日露の戦いで勝って、西洋列強と肩を並べて見ると、周りは依然として帝国主義で植民地を経営して、そこから富を収奪しているので、我々も彼らと同じことをしてもよかろうという発想になったわけである。
この点に関しては、国の指導者のみならず、軍隊もメデイアも国民も皆が皆同じ思考に浸っていたわけで、誰の責任でもないことは言うまでもない。
ただここで問題となることは、明治維新から日米開戦まで約70年の歴史と述べたが、この間に海軍兵学校あるいは陸軍士官学校を出た優秀な軍人が大勢輩出していたということである。
第2次世界大戦の、ひいては日米戦争の敗北の責任は、一重にこの70年の間にこういう軍人養成機関を出た、優秀であるとされている軍人の責任に帰結する。
こういう機関で養成された高級軍人は、それぞれの軍官僚の組織に配属され、その中の職務を経る過程で、それぞれに国費で海外の事情を見る機会が与えられているにもかかわらず、西洋事情を何一つ汲み取ってきていなかったということである。
こういう戦いのプロ、戦争のプロが、国家総力戦というヨーロッパの最先端の戦争事情を何一つ汲み取ることなしに、西洋列強に戦火を交えたわけである。
古典的な戦術を述べた孫子の兵法にも、敵を知ることの重要さが述べられているにもかかわらず、日本の海軍兵学校あるいは陸軍士官学校を出た優秀な軍人といわれる人々は、それを侮っていたわけである。
これは、言い方を変えれば、我々の政治の問題に行きつく。
敗戦後の日本に君臨したダグラス・マッカアサーは、アメリカ議会で演説した際、「日本の民主主義尾は12歳の子供のものだ」と言ったといわれているが、我々の政治に対する認識は、まさしくその通りだと思う。
それは今でも一向に変わっていないわけで、我々は、論理的に、合理的に、議論を積み重ね、盤石な計画を立てて、それをそのプランに従って一つ一つこなしていく、という政治はいまだかって経験したことがない。
大正から昭和初期の政治も今と全く同じで、ヘドロの水から沸き上がる泡を一つ一つ対処療法でこなしているようなもので、すべきことを計画に従って着実にこなしていくという政治が成り立たない。
昨今の100年来の危機だと言われている経済クラッシュについても、「クラッシュから抜けだすには如何なる手法をとるべきか」という問題は、政治の課題として与野党で見解の違いがあってはならないことではなかろうか。
一刻も早くそういう状態から抜け出すには、与野党で無為な議論をしている暇はないように思うのだが、政治家にはそういう意識が最初から存在しておらず、相も変わらず揚げ足取りに終始している。
昭和初期の政治も、恐らくこれと同じようなことを言い合っていたので、その間隙に軍部が割り込んできて、政治そのものが乗っ取られてしまったのではなかろうか。
問題は、優秀であるとされた海軍兵学校あるいは陸軍士官学校の先輩、古の卒業生たちが、彼らの後輩であるはずの青年将校の行きすぎた行動に戒めの言葉をかけなかった点にある。
青年将校たちが政治システムを攻撃し、跳ねあがった行動をしている時に、彼らの行動を容認し、擁護しようとしたということは、後輩を可愛がって、その心情を理解しようとしたわけで、それが政治を根底から破壊していることに思いが至っていない。
これは自分の後輩の犯した罪を慮って、人情で以ってその者たちに甘い処断しようとしたわけで、この部分で理性と知性が感情の中に埋没してしまったことになり、政治の腐敗、司法の腐敗、軍部の腐敗、一般大衆の精神的腐敗につながったわけである。
軍隊が軍人をかばうこと、これこそ官僚の典型的なことなかれ主義であり、保身そのものである。
前にも何度も書いたことであるが、この頃の軍隊、いわゆる陸軍も海軍も、それぞれに徹底的に官僚機構に凝り固まってしまっていて、戦争そのものが自分達の存在意義を示すためのパフォーマンスになってしまっていた。
何が何でも勝たねばならないという思考は抜け落ちてしまっている。
だから結果として玉砕、全滅ということがわかっていても、死ぬための作戦を遂行しなければならなかったわけである。
それはそうだと思う。
作戦本部の高級参謀、参謀肩章を幾つも下げた高級参謀は、前線にいるのではなく、参謀本部という安全地帯にいるわけだから、自分に死の恐怖があるわけではなく、死ぬのは赤の他人であるし、一銭五厘であつめられたゴミのような兵隊であったわけで、いくら死んでも我が身は痛くも痒くもなかったわけである。
ただただ軍隊という組織を温存せんがために、犬死に等しいような死を強要していたということである。
この本の主題は、そういう犬死に追いやられた側の告発の書になっているが、死に直面した遺書であるので、その全てが感情に押し流されているのはいた仕方ない。
もともと和歌というのは感情を書き記すものであって、死に直面して如何に考えるかが大きなテーマとなっている。
戦後しばらくして、「きけわだつみの声」という本が出版されて、これが反戦思考に満ちているというわけで一世を風靡したが、後に死を肯定する部分が故意に削除されていたということが明らかになった。
この本は逆に、自ら進んで死を受忍した歌であって、進んで国家に殉じる若者の心情を掘り起こしている。
前にも述べたが、特攻攻撃をしなければならい状況というのは、完全に交戦能力が絶たれたことであって、それ以降いくら攻撃を仕掛けたところで、それは犬死でしかなかったわけである。
優秀であるとされた海軍兵学校や陸軍士官学校を出た戦争のプロが、この道理がわからない筈はない。
特攻で散華していった若者にも、それがわからないはずはない。
送る側も送られる側もそれは十分にわかっていたに違いないと思うが、それでも逝かざるを得なかったということを今どういうふうに考えたらいいのであろう。
爆弾を抱えた飛行機で敵の軍艦に突入することに成功したとしても、それで戦局が大きく有利になるなどということを信じて逝ったのではないと思う。
戦後64年を経過して、私など戦後に育ったものとして、兵学校や士官学校出の軍人が馬鹿だったから負ける戦が避けられなかった、と無責任なことを言っているが、ここに描かれている若人たちは、国に殉ずるという大義のためとはいいながら、自らの死を受忍、受容しているわけで、これは一体どういうことなのであろう。
戦後の文化人と称する人々は、これを軍国主義の押しつけでこうなったと言い、皇国史観に洗脳されたからこういう発想になった、と言っているが果たしてそうであろうか。
私が思うに、国家危急の時には、その国の責任ある国民としては、こういう思考に至るのが人間としてノーマルな状態ではないかと思う。
若者が祖国の国難に殉じる行為というのは、如何なる主権国家でも崇め奉られるにふさわしい行為ではなかろうか。
その国難を引き起こしたのが、本来、優秀であるべき兵学校や士官学校出の先輩としての高級参謀、高級将校という戦争指導者であったとしても、自分を含も国民と国家そのものが危機に瀕していることは歴然としているわけで、政治の不合理をとやかく言っている暇はなかったと思う。
前線で、将来有為な人間を散華させた責任は、こういう人たちに帰すべきであるが、果たしてそういう理性的な判断がその後成し得ていたであろうか。
本来優秀であるとされていたこういう軍人養成機関を出た人たちが、政治家の頭を押さえつけて、自らなれない政治に手をつこんだ結果とはいえ、一旦戦争を引き落とした以上、原因の如何を問わず、戦わねばならないことは言うまでもない。
ここで詠まれている和歌は、いづれも特攻隊として散華していった人たちの辞世の句である。
その一つ一つが胸を打つものであるが、当時の戦争指導者たちがこの歌に接したとしたら、どういう感想を抱くであろうか。
実に健気で、純真な思いが読む者に伝わってくる。
それと同時に、今の同世代の人たちが、この人たちと同じ立ち居振る舞いが出来るであろうか。
特攻隊員として、大空に散華するという極端な例を引き合いに出すまでもなく、国家に殉ずる、公に殉ずという場面は、今までもありうることであろうが、その時にこのような純な心でいれるものであろうか。
若い時には純であったが、年を経るにしたがい穢れるというのはよくあるケースであろうが、戦後64年を経過した今日の若者は、若いから純だということは言い切れないと思う。
例えば、暴走族の存在、成人式に暴れる若者、これを若くして大空に散華していった若者と比べると、どこがどう違うのであろう。
基本的な違いは社会の違いではなかろうか。
その時々の若者に、その時々の特徴が出るのではなく、その時々の社会の側に、その時々の特徴が出るわけで、今日の若者が自堕落なのは、彼らを取り巻く社会が自堕落だということだろうと思う。
戦後64年経過したということは、戦後も4世代目に入ってきているということだ。
戦後の第1世代は、敗戦という外部要因で価値観が180度変わってしまって、ここで描かれている古い日本の価値観は完全に消滅させてしまった。
戦後の第1世代は、自ら戦争の実体験を持っているので、「ああいう辛酸は二度と経験したくない」という思いが払しょくしきれない。
そういう思いで第2世代を育てたので、第2世代に規範を上から有無を言わせず教え込む、ということに尻込みをした。
だからこの世代で自由と我儘を履き違えてしまったわけで、世の中の規範やルールは率先して守らねばならないという考え方を放棄してしまった。
この世代がいわゆる全共闘世代で、彼らは国家とか体制というものを悪者という視点で見るので、国に殉ずるなどという思考は全く考えも及ばない。
国家などというものは、打ち出の小槌とおなじで、叩けばいくらでも金が出てくる存在ぐらいにしか思っていない。
国家を叩いて出てくる金は、日本の善男善女が汗水たらして働いて得た金の一部を租税として納めた中から出ているわけで、国家が打ち出の小槌をもっているわけではないということ故意に考えないようにしている。

「涙の射殺魔・永山則夫と60年代」

2009-02-23 07:46:19 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「涙の射殺魔・永山則夫と60年代」という本を読んだ。
実に読みにくい本であった。
この本の奥付けにある著者紹介によると、朝倉喬司氏は岐阜県出身、1943年生まれ、早稲田大学中退となっているが、いわば私と同世代に近いが、いくらか全共闘世代に近い存在だ。
そういう視点でインターネットで著者の経歴を検索してみると、奥付き以上のデータは出てこなかったが、著作の多いのには驚いた。
しかし、この本も殺人犯の永田則夫の犯罪を暴くという意味では、そう傑出した作品ではない。
私が思うに、早稲田を中退して出版社で録を食みながら、こういう犯罪者を飯の種にしている神経の太さというか、罪悪感の希薄さというのは不可解千万である。
普通のモラルを逆なでして、世間の常識に抵抗することによってセンセーショナルに話題を沸騰させようとする意図が見え隠れする。
永山則夫などという人物は、ただの犯罪人であって、彼の行為には何一つ同情を奮い立たせる要因は見当たらない。
彼の生い立ちが貧乏で、彼自身薄倖の身だから犯罪に走るのもいた仕方ない、などとは到底思えない。
貧乏で、薄倖であっても健気に働いている人はいくらでもいるわけで、そんなことで彼の犯した罪が減刑されるわけがない。
しかし、この著者のトーンはなんとなく彼の生い立ちの不幸が、彼をこういう犯罪に走らせたのだから、死刑にするにはいささか可哀想だというニュアンスで描かれている。
その基のところにある著者の心情が、いわゆる全共闘世代に共通する反体制であって、資本家を悪者にしたてたいというイデオロギーに侵されている。
そして、言葉の言い回しが実に難解で、はなはだわかりにくい文章である。
そのわかりにくさの元のところにあるのが、がこれまた全共闘世代に共通する難解な言い回しが多用されているからである。
永山則夫が横須賀で拳銃を盗んで試し撃ちをする場面の猫写で、「かって日本という国のこれからに向けて、北方の強国に照準を合わせて何発も砲弾を放った戦艦が近くで眠っている公園で、・・・・・」などと回りくどい表現をしている。
私に言わしめれば、たった一言「戦艦・三笠」と、書き表わせば極めてわかりやすい場面なのに、何故にこのように回りくどい表現をするのであろう。
文字あるいは言葉を弄んでいするにすぎない。
これは、彼の潜在意識に潜む固定観念で以って、彼らの精神的よりどころとなっている中国や共産主義国を単刀直入に表現する言辞を使いたくなかったということなのであろう。
つまり、彼ら全共闘世代というのは、中国をはじめとする共産主義国がユートピアであって欲しかったわけで、それをぶち破った我が同胞を真底愛せない気持ちでいるわけである。
自分の同胞よりも、中国あるいは他の共産主義国の人民に憧憬のまなざしを向けているわけで、心の奥底にそういうわだかまりがあるので、なんとかして中国をはじめとする共産主義国家に受け入れられるように、日本という祖国の足を引っ張りたいのである。
この本の奥付けではノンフィクション作家という肩書になっているが、いわゆる売文家である。
売文で生計を立てているとなれば、売れる文章を書かなければ生計が成り立たない。
よって、売れる文章を書くということは、大衆に限りなくすり寄り、迎合しなければならないわけで、その為には政府や国家の提灯持ちのような記事では文が売れず、どうしてもそういうものに立ちむかうポーズを取らなければならない。
ただの殺人鬼の永山則夫を本の題材にするということは、その話題性に惹かれたわけで、ここでも食わんがための方策というのが見え見えである。
資本主義社会なのだから何を題材にして、それを如何様に料理してもそれは著者の自由であり、それこそ裁量そのものであるが、その中にも公序良俗に反しないというミニマムのモラルの順守は当然である。
問題は、この公序良俗の範囲というか幅の広さであって、彼ら全共闘世代に共通する認識としては、この範囲を無制限に拡大しようとする向きがある。
そのことは言い換えればそれの全面否定ということになる。
この本の場合、ただの殺人鬼の記述にしてはあまりにも手がこみ入りすぎて素直には読めない。
手がこみ入りすぎて回りくどい表現が多いという部分に、全共闘の影を見え隠れしているように思う。
永山則夫などと言ってみたところで、ただの人殺しであって、ただの人殺しを如何に深く考察したところで、将来の犯罪防止に役立たせる手段が解明されるものでもない。
石川五右衛門の辞世の句ではないが、「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」であって、人のいるところ必ず犯罪というのは存在するわけで、死刑もどんどん施行するべきである。
死刑反対の運動も随分と姦しいが、どうして悪いことをする人間の擁護しなければならないのだ。
法律や社会のルールを守れないような人間は、どんどん抹殺すべきではないのか。
罪を犯せば、法律で定める刑罰を科すのは当然のことではないのか。
何も悪いことをしない人間を死刑にするわけではなく、泥棒をしたり人を殺した人間を警察が捕まえ、裁判にかけ、法が確定したその法を素直に実施するだけのことで、何ら人権問題に抵触する筋合いではない。
国家権力で以って罪を犯した人間を処罰するだけのことで、それが厭ならば最初から悪いことをしなければいいだけのことではないか。
永山則夫のように、家が貧乏で幼少のころから辛酸をなめて生きてきた人でも、犯罪に走らない自制心のある人はいくらでもいるわけで、家が貧しかったから犯罪を犯しても仕方がないでは通らない論理だ。
人の形をしていればすべてに人権があるというのは、人間の思い上がりに他ならない。
人が人である限り、人として守らなければならないルールをきちんと守っているからこそ、人として認められているわけで、人としてのルールや規範も守らない人間は、最初から人並みの人ではない。
そういう人にも同じように人権があるというのは、あまりにも綺麗事にすぎる奢り高ぶった思考である。
犯罪者を矯正する施設があるが、その施設の維持費は誰が負担しているのだ、ということを考えるべきである。
人として人並みに普通に働いている人が、収入に応じて定められた租税を払うことで、租税も払わず悪いことをした人間に飲み食いをさせているのである。
こんな不合理な話もないと思う。
きちんと人としてのルールを守り、倫理を順守し、身を粉にして働いて、税金を納め、福祉を享受している人間からすれば、働きもせず悪いことをする人間など、鞭で叩いて半殺しにしたい気持ちになるのが自然であって、当然のことであり、そういう人にまでなぜ人権などと称して、ただで飲み食いさせなければならないのだ。
21世紀の今日、あらゆる人が高等教育を受けて知識過乗の文化人になってしまったが、そういう人の口から出る言葉は、理想や理念で塗り固められた綺麗事でしかない。
綺麗事で以って、良い子ぶっているだけのことで、彼らの思っている良い事というのは、自然の摂理から離れた人為的な虚像であって、人間のもって生れた本質は「働かざる者食うべからず」である。
この殺人鬼でも何度も職に就きながら、その就いた職が長続きしないわけで、ここで我慢して本人が一生県命その職を続けていれば、殺人鬼などにならなくても済んだに違いない。
我々の社会を構成している大部分は、こういう人たちで成り立っているわけで、生まれ落ちた家が裕福で何不自由なく育った人というのは、数の上では少数派だと思う。
大部分の人がその生育の過程で大なり小なり問題を抱え、悩みを抱え、それを自分自身で解決しながら成人になるものだと思う。
私が我慢ならないのは、早稲田に進学できたような知性的に優れた人が、全共闘世代に共通する思考から脱却できずにいるにも関わらず、こういう犯罪者を飯の種にして稼ごうという魂胆である。
単純な正義感の持ち主ならば、こういう人間を容認できないはずであるが、彼の場合、こういう人間に同情を寄せているわけで、その部分があまりにも偽善的でありすぎる。
偽善を売り物にしている構図である。
死刑廃止を唱える輩も偽善を売り物にしているのであって、私からすれば鼻もちならない存在である。

「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」

2009-02-21 07:57:13 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」という本を読んだ。
言うまでもなく、「朝まで生テレビ」で放映されたものの書籍版であるが、生の討論も書籍にしてしまうと緊張感が感じられず、気の抜けたビールのようなものだ。
主題に応じて肯定派と否定派の配分が均等になるように塩梅されていて、一見活発な意見が丁々発止と飛び交ったように見えるが、言っている内容は私にとっては目新しいものはなにもない。
日本の近代史、あるいは現代史に興味のある人間にとって、避けて通れないテーマであるので、期待して読んでみたがさほどのことはない。
田原総一郎もジャーナリストの一人なので、物事を出来るだけセンセーショナルに持っていきたい潜在意識があるため、極端な物言いをして、戦争を善悪という価値観で括る意識が前面に出すぎている。
こういう発想そのものが極めて感情的な思考で、人間の織り成す行為を正邪とか善悪という価値基準では測りきれないという視点に思いが至っていない。
戦争などというものは、勝てば官軍で負ければ賊軍になるわけで、負けた以上如何様に処断されても文句が言えない。
負けたことの恨みは、何処にもぶつけれず、自分の蒔いた種を自分で刈り取るようなものだから、そのエネルギーが内向きに同胞の方に降りかかっている。
だからこそ自虐的な歴史観となって、勝った側に負けたが側が謝罪しなければならないという論理になっている。
終わった戦争に対して謝罪するということは最初からおかしなことで、戦争に負けるということは、負けるような政策をとったから負けるのであって、それはあくまでも政策の失敗である。
目下、世界的に100年来の大不況に陥っていると言われているが、この不況から脱出する一番の特効薬は、50年前ならばどこかで戦争をおっ始めれば不況は何処かに消し飛んでしまったにちがいない。
ところが今は、世界中が皆平和主義になって、戦争をしないから不況が蔓延するわけで、これも政治の責任である。
「朝まで生テレビ」に出演しているそれぞれの人は、今の日本の知性を代表しているような人々であるが、日本がかって戦争への道を突き進んだ時も、おそらく当時の日本では最高の知性がそういう方向に志向したのであって、誰も負けると解っていて戦争という手段を選択したわけではないはずである。
この場に集まっている日本の知性と思しき人々は、あの戦争を同胞の中の戦争好きなものが勝手に始めた、という認識で一致しているが、この部分に日本民族の思考方式が見事に反映されている。
誰でもが言うように、あの時代の我々の同胞は確かに奢っていたし、アジア、特に中国に対して蔑視していたことは事実であろう。
それはあくまでも結果論であって、なぜ当時の日本人がそういう思考に至ったのか、という視点が抜け落ちた議論になっている。
我々は、こういう話題で話し合うとき、それぞれの人物の個々の発言を抜き出して、誰がこう言った、あれがこう言った、という個人の実績をあげつらう議論になりがちであるが、それは極めて矮小な事実の羅列であって、その事実の裏に脈々と流れている時勢の奔流というものを探り当てなければならない。
つまり、軍部とか、政党とか、財界という枠の中の人間を見るのではなく、もっと大きな視点から民族という一括りの大きな枠組みで、人間というものに目を向けなければならないと思う。
地球規模で人間というものを捉えてみると、ヨーロッパ系の白人と、アフリカ系の黒人と、アジアの黄色人種では、もの考え方がそれぞれに違っているはずである。
その違いは、それぞれの民族の生い立ちと生活環境が異なっているからであって、一人の赤ん坊を同じ環境で均等に育てれば、その相違は出てこないであろうが、人間というのは生まれ落ちた場所で、それぞれに違った環境で生育するものである以上、それぞれに異なった思考に至るのは自然の摂理である。
人類の誕生から今日に至るまでの間に、ヨーロッパ系の白人が他の黒人や黄色人種よりも文化の面で一歩リードしたことは否めない事実である。
これを善し悪しとか、善悪という価値観では測れないことは言うまでもない。
そこでヨーロッパ系の白人は大航海時代を他の人種よりも一歩先んじて迎えて、その結果としてアメリカ大陸やアジアに進出してきた。
彼らヨーロッパ系の白人のもっていた航海術や鉄砲というものを、アフリカの黒人やアジアの黄色人種では克服することができなかったので、これらの地域はヨーロッパ系の白人の植民地となってしまった。
この事実を言葉を変えて表現すれば、ヨーロッパの白人はアフリカの黒人やアジアの黄色人種を人間とは見なしていなかったということである。
ヨーロッパ系の白人は、他の地域に住む先住民よりも文化的に比較にならないほど進んでいる、と自らも思い、他の民族もそう認めざるを得なかったのである。
今の日本の文化人、特に「朝まで生テレビ」に出演するような文化人は、こういう認識に立っていない。
彼らは、今日の常識からして、14世紀から15世紀のヨーロッパ人も、アフリカの民やアジアの民をヨーロッパ人と同じ人間として認識していたに違いない、という思い込みで歴史を論じている。
人間の形をしていればあらゆる人間に基本的人権が存在するのだ、という思い込みでものを言っているが、現実にはこの時代のヨーロッパ人からアフリカの人間やアジアの人間を見る目というのは、そんな善意に満ちた視線ではなく、彼らからすれば家畜でしかなかったわけで、もの言う家畜にすぎなかったに違いない。
アメリカの黒人奴隷を扱う場面を想定すれば、黒人奴隷の売買というのは、明らかに家畜の扱いそのものではないか。
問題は、20世紀までヨーロッパからアジアを見れば、そこはヨーロッパ人の富の草刈り場であって、住んでいるのは野生のバファローか無学文盲の土人、人の形をした家畜でしかなかったわけで、文明の枠外であったということだ。
彼らの認識するヨーロッパ人と同じ人間の住むところではなかったわけで、そこでは人間的な倫理も、理性も、知性も、全く意味をなさなかったわけである。
これが19世紀から20世紀までの世界であったわけだが、その時勢の流れの中で、彼らが日本にたどり着いてみると、この地に住むアジアの民は、他のアジア人やアフリカの黒人とは異質の存在であった。
イギリス、オランダの商人が日本人を騙して富を収奪しようとしても、なかなか素直にいうことを聞かず、のらりくらりと時間稼ぎをして、彼らの思うようには制御できなかったのである。
この、のらりくらりとした対応は、我々の側では海を越えてやって来たエイリアンに対して、どう対応していいのかわからず右往左往して、決断が下せないまま時が過ぎただけのことであったが、彼らにしてみたら今までの人種とは異質な、新たな脅威であったに違いない。
彼らにしてみると、確かに最初の出会いには我々の側にカルチャーギャップがあって、彼らも鷹揚に自分達の文化の優位性を誇示できたが、しばらくすると同じものを自分達の手で作ってしまったので、今度は彼らが驚くばんになった。
その後、我々の同胞は、文明開化で西洋の先進技術をどんどん取り入れて、近代社会を作り上げてみると、その時点でもアジアの民は一向に近代化に向けて脱皮していなかったので、西洋人と同じことをしてみたらこれがまんまと成功したわけで、ここで成功事例ができ上がってしまった。
成功事例は出来上がったが、世界は地球規模でより一層進化していたわけで、西洋列強でも帝国主義的な植民地経営というものに懐疑的な空気が出始めていた。
というよりも、第1次世界大戦を経ると、武力に依存する国威掲楊、国力増進というものが、その被害の拡大に伴い虚しく思えるようになってきたわけで、戦争の虚しさが身に染みてきた。
その虚しさを顧みた時、そういうものを出来るだけ回避する方策が考えられるようになってきた。
ヨーロッパで産業革命を経て技術革新がどんどん進むと、それが戦争に応用され、第1次世界大戦ではその結果として国家総力戦になってしまい、戦争の被害が双方の非戦闘員にまで及ぶようになり、その反省として戦争にもルールを作らなければならないようになって来た。
戦争のルールを決めるということは、ある意味で人間の理性のなせるわざであるが、基本的に戦争というものは生存競争なわけで、昔の古典的な決闘とは訳が違う。
国家総力戦で、国家元首から巷の乞食まで敵と戦っている時に、理性ではルールの順守ということはあるかもしれないが、国家の存亡がかかった戦いともなれば、理性よりも本能が優先してルールなど何処かに消し飛んでしまうのが自然の摂理であった。
現に、歴史はそれを見事にトレースしているわけで、勝てば官軍で勝者の論理が居直っているではないか。
これまで述べた視点で、あの戦争、大東亜戦争を見てみると、この「朝まで生テレビ」の論者とは全く別の視野が開ける。
彼らは、人間の生き様としての時流というものを全く無視して、個々の人間の言葉尻にこだわりすぎている。
我々の同胞は、あの戦争を総括する際にも、学歴というものにあまりにも価値を置きすぎていると思う。
旧帝大出、海軍兵学校出、陸軍士官学校卒業という学歴にあまりにも価値を置きすぎて、そういう人達は立派で優秀な人たちだ、という固定観念に嵌りすぎて、そこから抜け切れていない。
そういう人たちが立派で優秀であれば、それこそ「なぜ負けるような戦争をしたのか?」ということになるではないか。
そういう人たちが立派でも優秀でもなかったから、日本はみすみす負ける戦争に嵌められたではないか。
考えても見よ。15歳ぐらいでたった一回のペーパー・チェックをクリア―すれば、その後そのままエスカレーターに乗るようにエリートコースを歩むことになるわけで、その不合理を我々の同胞の誰一人として暴こうとしなかったということは一体どう考えたらいいのであろう。
今の官僚システムは、その年齢を大学卒の年齢、つまり22、3歳まで繰り上がっただけのことで、基本的には同じことである。
男の人生で、15歳以降、その成長、とくに精神の発育が大きく変化するのが自然の姿であるはのものが、この時点で将来が見事に規定されてしまうわけで、そういう人たちが主体的に戦争を指導したのがあの戦争であった。
この戦争を始めた人たちには、世界を見る目がなかったことは確かであろう。
私がこの年になるまでいろいろな書物を読んでみても、日本の組織というのは、視点が常に内向きで、自分の組織の内側に向かっているように思える。
組織の存在意義を無視して、自分達が何のために、誰のために、何の目的で存在しているのか、という考察がさっぱり存在していない。
旧日本軍というのも、押しも押されもせぬ立派な組織であり官僚であるが、彼らの存在意義を彼ら自身いささかも考えていないわけで、ただただ組織を温存させるための口実を探し求めていたに過ぎない。
軍隊が、軍隊の存在意義を深く認識するために戦争をしていたわけで、そこには銃後の日本国民のためとか、天皇のためという目的は何処かに消し飛んでしまって、自分達で自分達のために戦争をしていたことになる。
軍隊は、政治あるいは外交の道具であるべきものが、その軍隊が逆に政治や外交をコントロールしてしまったのが、あの昭和初期の日本の現状であった。
それを一言で表現すれば、大日本帝国の陸海軍のモラルハザードであり、組織のメルトダウン、溶解でしかない。
この討論の中でも、「日中戦争には戦争をする大義名分が欠けている」という話題が沸騰しているが、まさしくその通りで、それも無理ない話である。
彼らは国にために戦闘をしているわけではなく、彼らの存在意義を誇示するためにのみ戦っていたわけで、いわばしないでもいい戦争をしたということに尽きる。
あの戦争を通じて、世界の戦争のプロ、いわゆる世界の高級軍人の日本軍を見る視点というのは大いに考えさせられる。
彼ら、世界の高級軍人の日本軍に対する評価は、「兵隊は極めて優秀で、勇猛果敢だが、高級将校はバカだ」ということだ。
さもありなんと思う。
負ける戦争をするような軍人は、バカとしか評価のしようがないではないか。
結果が全てだ。考えても見よ。15、6歳でエリートコースに乗って、軍隊という特殊な社会の中で純粋培養された人間が、高位高官となり組織を指導し、出張すれば行った先々で煽てられて、持て囃されて、芸者を上げてどんちゃん騒ぎを繰り返して、世間が見えるわけがないではないか。
世の中の動きが肌身で感じられるわけがないではないか。
こういう連中が、日本という国のかじ取りをしていたとすれば、結果はおのずと知れているわけで、歴史はその通りの軌跡を描いたことになる。
それで日本は敗戦となり、アメリカに占領されたが、アメリカの占領は極めて寛大なもので、そこに東西冷戦とそれに付随して朝鮮戦争が勃発して、そのどさくさに日本は経済復興をなしてしまった。
この復興の過程で、我々は価値観を180度転換してしまった。
問題は、この価値観の転換にある。
今までカチカチの軍国主義者が手のひらを返したように平和主義者になってしまったわけで、この変革は大いなる日和見以外の何物でもないが、これこそがわが日本民族の潜在的なしたたかさなのかもしれない。
浦賀にペリーが4隻の軍艦を従えてやって来た時も、我々の側は何の対応も取り得ず、ただただうろうろしていただけで、積極的なアクションをとったわけではなく、その後不平等条約を結ぶはめになったのと同じ構図が展開されたわけである。
我々は自分達の外側からやってきた衝撃に対して、ただうろうろして無為のまま右往左往している間に状況が変わって、それに対処療法的に便乗することで国難を回避してきたわけである。
とは言うものの、この価値観の大転換は、メダカやイワシというような小魚の大群が何かのきっかけで一斉に方向転換する図と同じなわけで、これを私は付和雷同と称しているが、こういうことが国全体として起きたわけである。
明らかに、ち密な理論や、知性や、学識を積み上げて結論を出した末の行動ではなく、その場その場の行きあたりばったりで、右に行ったり左を向いたりの対処療法というものである。
平和主義というのは別に悪いことではないが、今になって日本はアジアに対して侵略の謝罪をせよというわが同穂の論旨には釈然としないものを感じる。
これは明らかに自分一人が良い子ぶっている綺麗事にすぎない。
今の日本人の空気から察すると、良いことをするのにメンツも誇りも気にすることはない、という感じであるが、ここでも人間の本質を見ることなしに、自分の思い込みだけでものを言っている節がある。
アジア近隣諸国が日本の戦時中の行為に難癖を付けるのは、相手側の戦略であって、日本に文句をつければ金を引き出せる、ということを彼らが学習した結果である。
あの日中戦争で、日本が攻めると彼らはどんどん奥に逃げて行ったのも、今になってみると彼らの戦略であったわけで、こういう戦略に我々がまんまと嵌るのも、我が方の認識不足が成しているのであって、それは結局、相手を知らないということに尽きる。
相手の戦略を知らないまま、相手の言うことを正直に、額面通りに真に受けるから、何時までも謝罪を要求されるのである。
国と国の付き合いというのは、一言でいえば弱肉強食であって、それを武力で行わない時には、キツネとタヌキのばかし合いに匹敵する熾烈な駆け引きの場である。
労せずして相手から如何に金を引き出すか、ということは先方にとって見れば、極めて有効な政治的あるいは外交的な戦略なわけで、我々はそれに対してあくまでも善意で応えようとするからバカにされるのである。
今の我が同胞は、自分達が相手からバカにされても、もともと民族の誇りというものがないものだから、痛くも痒くもないわけで、全く痛痒を感じていない。
こういう人たちが、今の日本の平和主義者である。
戦前の我が同胞が、アジアの民に対して蔑視的な感情を抱いていたことは確かであろう。
しかし、今の我が同胞たちが、自分が平和主義という立場で以って、アジアから沸き上がる日本に対する謝罪要求に対して、全く痛痒を感じていないということは、相手を知らないということもさることながら、自分の傲慢さにも気が付いていないということである。
彼らの認識、つまり日本の平和主義者から見れば、我々は金持ちなのだから、開発途上国には手厚いフォローをしてしかるべきだという論理であろうが、この金持ちが貧乏人に金を投げ与えることが、相手の自尊心を如何に傷付けているかに気が回っていない。
相手国の謝罪要求も、日本側でそれをフォローする動きも、メデイアによってニュースとして取り上げられるわけで、メデイアに一度のってしまうと、それは相手国の総意のように映り、その対応もこちら側の国を挙げての措置としなければならないような空気になってしまう。
綺麗事を言って、自分一人が善人ぶって良い子になったとしても、現実にその払うべき金は国庫から出るわけで、彼ら彼女らのポケットマネーから出るわけではない。

「大地の声」

2009-02-19 09:14:27 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「大地の声」という本を読んだ。
表題をみた時、満州の本かと思ったらこれが大間違いで、アメリカインデアンの本であった。
アメリカインデアンといえば、戦後、アメリカの西部劇を見て育った我々世代は、開拓者を脅かす悪者というイメージで今まで来たのも無理ない話だと思う。
当時の西部劇というのは、白人の側から見た価値観でしか描かれていないわけで、実際は白人の側がネイティブな人々の平和な生活の中に押し入ったにもかかわらず、そういう視点はいささかも描かれていなかった。
その後、世の中が進化してくると、それがある意味で文明の衝突であったことが徐々に解き明かされてきた。
西部劇というものが、本来の先住民であるインディアンを征服しつくした結果として、西洋文化の立場からの物語であった、ということがだんだん理解されてきた。
そうなればなったで、私は不思議でならない。
あの広いアメリカ大陸を自由に闊歩していたアメリカインディアン、いわゆる先住民としての彼らが、どうした数の少ない白人、いわゆる移住者から逆に放逐、あるいは抑え込まれてしまったのか不可解千万である。
民族学というか、民族的にはもともとはアジアに生きていたモンゴリアン、モンゴロイドが、アリューシャン列島を経由してアメリカ大陸に渡ったとされているようであるが、だとすればアジアの民とアメリカ大陸の先住民としてのインデアンは、同じ人類としてほぼ同質の資質、人間的な遺伝子を兼ね備えているに違いない筈である。
しかし、人類の歴史を敷衍して眺めてみると、アジアに居残ったモンゴロイドは、いくつもの部族に分かれてはいたものの、巨大な帝国、統一国家を何度も築き、そして消滅していった。
ところがアメリカ大陸に渡ったモンゴロイドとしての彼らは、いくつかの部族に分かれてはいたが、それらが統一国家をつくったという記録はないようだ。
そもそも文字をもたないということが不思議でならない。
古代の西洋人は、ローマ人にしろギリシャ人にしろ、統一国家を作ったという実績、あるいは文字をもっていたという実績、あるいは農耕を推し進めたという実績で以って、アジアのモンゴロイドよりは数段と進化した存在だったことは間違いなさそうだ。
文化の比較という課題につきあたると、文化の源泉である人間の誕生にたどり着くと思うが、人間の誕生はヨーロッパ系の白人も、アジア系の黄色人種も、アフリカの黒人も、誕生の時期はほぼ同じとみなしていいと思う。
1万年、1億年という単位から比べれば、100年200年という誤差は誤差の内に入らないと思う。
同じスタートラインに立ちながら、あるグループは非常に進んだ文明をもつようになり、あるグループは旧態依然として自然のままに生きるという格差が生まれるということは一体どういうことなのであろう。
そして21世紀の今日では、物質文明があまりにも進みすぎて、公害問題が提起されるようになると、未開人としての物質文明に汚染されていない人々に羨望のまなざしが向けられるようになった。
ヨーロッパが大航海時代をむかえ、ヨーロッパ系の白人がアジアやアメリカ大陸に渡ってみると、そこにはヨーロッパの価値観から見ると野蛮人がいたわけで、その野蛮人に対して、自分達の価値感を押し付けようとした。
価値観を押し付けるだけならばまだ良い方で、その野蛮人から富を搾取しようと考えたから、その考え方そのものが諸悪の根源であったのである。
西洋人と接触した時点で、その地にもともといた先住民、アジアの民もアメリカインディアンも、極めて泰平な世を謳歌していたに違いない。
アジアの民、特に中国においては、何度も巨大な帝国が出来ては消え、消えては出来たわけだが、それはアジアの枠の中での出来事であったわけで、所詮人の集まるところでは戦争が絶えなかったということである。
その意味ではアメリカ大陸の先住民としてのインディアンにおいても全く同じなわけで、部族の違うインディアン同士では諍いは絶えなかったに違いない。
ヨーロッパが大航海時代を迎え、ヨーロッパ人が地球規模で世界各地に進出すると、その先々で現地の人々との間で文明の衝突が起きたわけで、その対応の巧拙で、未開人がそのまま未開のままで終わったところとそうでないところが現れたわけである。
我々の日本は、西洋人との文明の衝突をうまく乗り切ったが、黄色人、モンゴロイドの中で、我々ほどそれを上手に乗り切ったところは他にない。
ヨーロッパの文化に対して一番対応のまずかったのが、アメリカインディアンであり、インディオと呼ばれた人たちだったと思う。
彼らは、17世紀の初頭に、アメリカ大陸の東側のほんの小さな土地をイギリスに使わせたにすぎなかったものが、結果的には「庇を貸して母屋を盗られた」ということになってしまった。
これと同じ構図はインドでも中国でもあったが、インドや中国は、長い年月がかかったとはいえ、そういう文化的な侵略には打ち勝って、土地を全部奪われるということはなかった。
アメリカインディアンは、他から移住してきた開拓者たちに土地を盗られてしまい、逆に自分達が居留地に押し籠められてしまったわけで、先祖代々の土地は移住者たちがほしいままに使ってしまった。
この本は、そういう彼らの生き方を、現代文明の殺伐とした生活の裏側にある現実として、大自然に抱かれた恵まれた環境で、人間味あふれる在り方であるかのようなニュアンスで書かれているが、確かに大自然のままのおおらかな精神状態でおれるには違いなかろうが、それは価値観の相違であって、現代でいうところの貧乏を厭わなければ、こういう生活も良いに違いない。
ところが、今に生きる人間は、あまりにも欲張りすぎて、こういう自然の中で自然のままに生きるということは考えられない。
今に生きる人々は、猫も杓子も、良い車に乗って、良い家の住んで、良い食べ物の食べて、優雅な旅行を楽しんで、地位も名誉も金も人並みに欲しいと願っているわけで、それを追い求める限り、徹底的な合理主義で貫かねばならない。
自然を愛するなどと感傷的なことに浸っておれないのである。
とはいうものの、アメリカ大陸の開発というのはアメリカに入植してきた人々の手でなされたわけで、ここに先住民としてのインディアンと、入植者との価値観の相違が横たわっていたに違いない。
ネイティブ・アメリカンを我々日本人と置き換えて見てみると、我々も西洋文化に接した時は度肝を抜かれるほど驚異であったことは間違いないが、ここでの対応が彼らとは全く異なっている。
彼らは西洋の優れたものを物々交換で手に入れるところまでは知恵が回ったが、同じものを自分達で作るというところまでは考えなかった。
西洋の白人のもっていた銃については、その有効性を十分に認識して、それを自分達のものにしたいという欲望をもつところまでは我々と同じであったが、彼らはそれを自分達で作ろうというところまでは、ついに至らなかった。
そのことは、その時点で、作る素材も、作る手法も、作るノウハウも、彼らは持ち合わせていなかったということである。
ところが我々の場合は、無いものは何とか工夫して代替のものを考える、という思考の柔軟性があったわけで、この思考の柔軟性があったがゆえに、西洋人のもっていた大部分のものを、模倣とはいえ同じようなものを作り上げた。
この知的好奇心が、西洋人に支配されることも、「庇を貸して母屋を盗られる」ということもなかったわけである。
先に、人類、民族の起源は皆同じスタートラインであったと述べたが、スタートラインは同じであったが、その後、文字を開発したかどうかで民族の在り方が大きく変わってきたように思う。
文字で何かを表現するということは、一つの事柄を大勢の人に伝達できるということで、それだけ知識や知恵の拡散に大きく寄与することになる。
そのことは、知的レベルの底上げにつながるわけで、それが進めば進むほど、社会が豊かになるということである。
問題は、この社会が豊かになる、豊かな社会というものが、西洋近代の価値感なわけで、個人として果たしてそれが本当に「良き事」なのかどうかは、はなはだあいまいな部分があるように思える。
その部分を解き明かそうとしたのがこの本であるように思える。
彼ら、ネイティブ・アメリカンたちは、アメリカ大陸で分散して割拠しつつ、統一国家というものをついに作らずにきてしまったが、それはあくまでも西洋近代の価値観で見ているからそういう思考につながるが、彼ら自身は、大自然の中で、我々がキャンプを楽しむような、穏やかな気持ちで生活しており、それ以上もそれ以下も望んでいなかったということではなかろうか。
狩りは共同で行うときもあれば、単独で行うときもあるが、獲物は皆平等に分配し、お互いに相互依存しながら生を楽しむという生き方は、非常にシンプルで現代人から見れば穏やかで平和な暮らしに見える。
第一あれも欲しいこれも欲しいという欲望が小さいので、それだけでも極めて精神衛生上喜ばしいことである。
そこに入植してきた開拓者たちは、西洋の価値観を引きずっているので、より多く、より豊かに、より金持ちに、という思考が抜け切れないものだから、そういう欲望をもっていないネイティブな人々は、さも家畜に等しいような生き物にしか見えなかったに違いない。
同じモンゴロイドでありながら、我々とネイティブ・アメリカンでは、発想の段階からこれだけの差異があるのは一体どういうことなのであろう。
私の独りよがりの思い込みでは、それには文字の存在が大きく介在していると思う。
ネイティブ・アメリカンの中には、農耕に勤しむ種族もあったようだっが、結果として彼らは封建制度というシステムも確立することなくきてしまったようだ。
このことは、やはり文字の不在がそうなさしめたのではないかと思う。
南北アメリカ大陸の先住民というのは、結局、ヨーロッパ系の白人に土地を奪われ、その統治のもとに下ってしまったわけで、そのことを思うとアジアのモンゴリアン、モンゴロイドと何処がどういうふうに違っていたのであろう。
同じような歴史を経て、このように文化に格差が生じるということは、一体どう考えたらいいのであろう。
この本の作者は、言外に、こういうネイティブ・アメリカンのように、平和志向で、ささやかな欲望で満足し、日暮れ腹ヘリの自然に良く順応した生き方が素晴らしい、という価値観を説こうとしているが、現代ではそういう生き方こそ贅沢の限りであって、普通の人はそういう心のゆとりさえ持ち切れない。
現代に生きる我々は、もう完全に現代社会の歯車の中に組み込まれた存在なので、自分一人が歯車の外に逃げ出すわけにはいかなくなってしまっている。
好むと好まざると、大勢というものにもまれつづけて、それとともに時流に乗って流され続ければならないわけで、自分一人がその大勢に逆らえば大きな波乱が湧きおこってしまう。
ネイテブ・アメリカンやアイヌの人たちは、熾烈な帝国主義や資本主義に毒されていないので、日の出とともに起き日没とともに寝につく、という極めて自然に即応した生活が出来ているであろうが、今の現代人にそういう生活が出来ないのは、基本的には現在の経済システムから抜け出せないからである。
彼らと我々では全く価値観が違っているわけで、この価値観の違いは容易に克服できるものではない。
1960年代にはヒッピーなどと称して、近代文明から離れて生活することが流行った時期があるが、あれとても所詮は粋がった一部の人間の跳ね返りにすぎず、永続性のあるものではなかった。
アジアのモンゴロイドが大きな帝国を作り、アメリカ大陸のモンゴロイドは大陸に分布してそういう統一国家を作らなかったということは、人々の欲望の在り方の相異ではなかろうか。
前に、文字の存在が人々の生き方に大きく影響しているのではないかと書いたが、欲望というものも、他との比較で沸き上がるわけで、身の回りに自分が羨ましいと思う対象が一切無ければ、それを得たいという欲望は起きてこない。
その欲望のもとのところに、文字でその欲望を次の世代に引き渡していく、という作用が継続されたのではなかろうか。
それは同時に自らの歴史を書きとめるということでもあるわけで、その中の成功事例を参考にし、失敗事例を戒めとして、文字に書かれたものを様々に参照してきた、ということではなかろうか。
そしてそれは必然的に人々の信仰と結びつくわけで、宗教を後世に残す時に、文字の役割が大きく貢献したが、アメリカ大陸のモンゴロイドは宗教がシャーマニズムの域を出るものではなったがため、文字の必要性を感じることなくきてしまったのではなかろうか。
私の個人的な考えでは、人種によって文化的な、あるいは知能の優劣は存在しないと思う。
あるのは教育を受ける環境の相違のみで、生まれ落ちた赤ん坊を、アメリカ人の家で育てるのと、アフリカのマサイ族の集落の中で育てるのでは、年を経るごとに大きな差異が生ずるということだと思う。
こういう問題を我々は貧困の問題ととらえ、格差の是正と叫んでいるわけであるが、貧困とか格差というのは、人間の社会から追放することは不可能だと思う。
そういう理想の実現を目指したのが、共産主義革命であったではないか。
その革命を経た国も沢山あるけれども、そういう国々が今どうなっているのかと自問自答すれば、答えは自ずからわかる。
今、アメリカのネイティブな人たちは居留地の中で貧困のラインをさまよっているということであるが、これも彼ら自身の問題に行きつく話だ。
ヨーロッパ人に「庇を貸して母屋を盗られた」という実績から鑑みて、彼らがアメリカ社会で主導権をとって活躍するということは考えられない。
オバマ大統領は、黒人の最初の大統領であるが、黒人にそういうことが出来るならば、ネイティブ・アメリカンでも同じことが出来そうに思うが、たぶんそうはならないと思う。
なぜならば、黒人は白人と同じフィールドで戦ってきたが、ネイティブ・アメリカンは居留地という別枠の中で生活しているわけで、白人とも黒人とも同じ土俵に立っていないから、ある意味で「籠の鶏」と同じなわけで、これからも大統領が出るということはありえないと思う。

「チンチン電車と女学生」

2009-02-13 08:39:45 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「チンチン電車と女学生」という本を読んだ。
正直言って読み始めてすぐに涙が出そうになった。
昭和初期、日本がアメリカと戦火を交えた頃、男性の多くが出征して普通の社会生活の中で男性の職場が女性に入れ替わった頃の話で、それに呼応していたいけない少女達が広島市の路面電車の運転手や車掌として活躍した話であった。
戦争という国家プロジェクトを如何に耐え抜くかという課題は、なにも我々だけの特別な試練であったわけではない。
あの第2次世界大戦という地球規模の大混乱の中では、世界の主要な先進国は、皆それぞれに国家総動員がなされたわけで、我々の日本だけが特別に女性に試練を追い被せたわけではない。
戦争とは別次元の話かもしれないが、旧ソビエット連邦では、それこそ共産革命とそれに続く国家建設のために、女性にも男性と同じレベルの仕事が強要されたわけで、女性だからといって肉体労働が免除されたわけではない。
当時でも豊かであったアメリカは、対日戦で需要がひっ迫した航空機産業に女性が大勢採用されて、B-29の製造に女性があの飛行機の胴体に潜り込んでリベット打ちに従事している映像も見たことがある。
戦争という未曽有の国家的な危機に際して、女性もその能力に応じて国家に貢献するということは、そう珍しいことではない。
私が驚くのは、そういう事態にいたいけない少女、今の高校生ぐらいの少女が、そういう仕事に就いたという点である。
沖縄の戦跡巡りをした時も、例の「ひめゆりの塔」を見学したが、ここでも活躍した少女達は、皆同じ世代の若い生徒たちであったことに大いに感銘を受けたものである。
この本の主題である少女達は、基本的に貧しい家の出身で、広島の鉄道会社の経営する企業に就職という形で採用され、働きながら勉学をするという大義に引きつけられて応募したことが綴られているが、そのことを言葉を変えて表わせば、要するに貧乏からの脱出願望であったということになる。
が、しかし、これは昭和の初期の日本には普遍的なことであったに違いない。
私自身も、本でそういうことを様々に読んではいるが、いま戦後63年を経過して改めて戦争責任を問うとき、その根底には、やはり貧乏からの脱出願望が横たわっていたことを考え直さなければならないと思う。
この少女達が自ら国策の意義を真に理解して、出征兵士の穴埋めに仕事をするということは、本人は全く自覚していなかったに違いない。
目の前の現実は、ただ日銭を得ながら勉強が出来るという状況に身をゆだねただけだと考える。
こういう思考は、この少女達だけではなかったはずで、昭和初期の日本では、これが社会全般の潜在意識として蔓延していたものと想像する。
我々が日本人として今考えなければならないことは、戦後、こういう歴史が封殺されてしまっていたという事実の方である。
昭和17年に設立されたこの電鉄会社の経営する企業内学校が、原爆投下とともに消滅してしまって、歴史から消え去ってしまったという現実である。
建物の消滅はいた仕方ないが、原爆で生き残った人々の記憶からも、綺麗さっぱり消え去ってしまったということは非常に由々しき問題だと思う。
原爆投下という未曽有の事件で、広島市全体が壊滅的な被害にあって、その時の阿鼻叫喚は察して余りあるが、その電鉄会社そのものは企業として生き残っているわけで、その会社で仕事をしていた人たちが一人残らず死滅してしまったということはどうにも考えにくい。
兵役として出征して帰らぬ人となった人も当然いるであろうが、その時点で現役を超えた人たちや先輩という立場の人も、一人や二人は生き残ったにちがいない。
ところがそういう人達が、いたいけない少女が電車を運転していたという事実を一切語らずにいるということは不思議でならない。
この本は、そういう誰も語らない話を掘り起こしたという意味で、大変な労作だと思う。
私の出鱈目な推測によると、ここで仕事をしていた彼女たちは、当然、原爆に遭って亡くなった方々もいるに違いないが、そういう人たちも原爆の犠牲者として一括りにされてしまっていたのではなかろうか。
生き残った方々は、生き残ったという事実でもって、そのこと自体が亡くなった方々に対する自責の念というか、我が身の幸運に感謝しつつ、昔の話に封印してしまったということではなかろうか。
300名足らずの仲間の内で、ある人は原爆で命を落としてしまったが、自分は幸にも生き残れた。生き残った者が、死者を尻目に自分の苦労話を愚痴ったり懐古してみても意味がないし、死者に対して申し訳がないという思いで沈黙を通したのではないかと想像する。
この本を読んでみて、そういう埋もれた話を掘り起こした著者も立派だが、今まで一言も世間に愚痴っぽく訴えなかった昔の少女達も実に立派だと思う。
沖縄のひめゆり部隊の少女達も、サハリンの電話局で最後の最後まで自分の職場を死守した電話交換手の少女達も、実に立派だと思う。
我々が考えなければならないことは、こういう事例を我々は忘却のかなたに追いやってしまってはならないということである。
原爆投下という大惨事の前に、こういうささいな美談がかすんでしまって、それが細々と掘り起こされると、今度はそれを政治的に利用しようとするパワーが働くということである。
原爆投下という阿鼻叫喚の巷の現出は、我々の同胞の施策の失敗が遠因であるかのように、争点をずらした論議に陥り易く、他者に起因する惨劇を、自己の内側に反映させて、自虐的な視点に立ってしまうからおかしなことになるのである。
原爆投下を、自分達の為政者の失政が招いた惨禍だというふうに、相手の非を認めず、非を自らの内側に見出そうとするから物事がおしくなってしまったのである。
人が社会生活をする上で、自己の責任を他者におい被せる責任転嫁ということは、人間の根源的な罪深い行為として糾弾されるのが当然であるが、我々の場合は、それが逆転していて、他者の責任を自己の責任として自ら背負いこんでいるから不自然なのである。
ただし、結果論からすれば、このおかしな論理で戦後を生き続けてきたので、戦後63年間にわたって我々は再び戦火にまみえることがなかったことは確かである。
今になってみれば、「だから戦後の平和主義は成功であった」ということになるが、それでは飼いならされた家畜の生涯となんら変わらないわけで、それでも血で血を洗う抗争をするよりはましだ、という論理に行き着く。
現に今の我々の周りはそういう雰囲気が充満しているわけで、今更、国に殉ずる行為が卑下されても、誰もそれを憂うものがいないではないか。
先の大戦では、先進国ではどの国でも、男も女も祖国の大義に殉じているわけで、我々の祖国でも全く同じことが起きていたわけである。
ところが戦争が終わって我々の祖国が敗北という現実を突きつけられると、我々の国では祖国に殉じるという価値観が全面否定されてしまったわけで、エコノミック・アニマルという価値観しか存在し得なくなったということは、地球上に生きる人間にとっては極めて異質なことではないかと思う。
異質であろうが無かろうが、血で血を洗う抗争は厭だ、という我々の戦後の潜在意識もわからないではないが、主権国家の国民の一人として、祖国に殉じるという行為は如何なる時代や場所においても、その価値観がその本質を失うというものではないはずである。
昭和初期の我々同胞の生き様というのは基本的に貧乏からの脱却であったと思う。
この本で語られている少女達も、軍務についた壮年男子の代替などとおおそれた動機ではなく、ただ単なる口減らしと勉学への魅力に惹かれただけのことで、基本的には貧乏からの脱出であったものと思う。
あの時代に、若き有能な日本男子の大部分が軍人にあこがれた動機も、この少女達の潜在的な動機と全く同じだったと思う。
当時の日本全体の状態を大きな眼で眺めてみれば、軍隊に入って初めて米の飯にありつけたものや、入営して初めて革靴をはいたものも大勢いたわけで、それほど当時の日本は貧しかった。
そもそも兵隊になるということは、洋の東西を問わず、人の嫌がる仕事であったわけで、軍隊に入る、兵隊になるということは、如何なる社会でも、如何なる国家でも、一番過酷な仕事であり、人々から蔑まれた職業であったわけである。
しかし、キリスト教文化圏では職業軍人、要するに将校といわれる人たちは、その出自が貴族であったので、どこまで行っても貴族として農奴を扱うような認識で兵隊たちを扱っていたに違いない。
ヨーロッパの職業軍人、いわゆる将校から兵を見れば、兵隊を人間などとは考えてもおらず、家畜並みの認識しかなかったものと思う。
ところが明治維新を経た我々の側は、農奴であろうが、商人であろうが、職工であろうが、たった一回のペーパーチェックをクリア―すれば、キリスト教文化圏の貴族に匹敵する待遇が得られたわけで、生まれ落ちた時から貧乏からの脱出願望をもった若者が、日本全国から雲蚊の如く集まったのも無理ない話である。
結果としてそういう連中が日本を奈落の底に突き落として、広島と長崎に原爆投下の遠因を作ったということになったが、ここで我々が真に歴史から何かを学ぶとするならば、それは戦略思想である。
戦略という言葉を、それだけ抜き出して考えると、戦争に付随する思考のように思われがちであるが、そもそもそこから既に間違っている。
戦略思想ということは、突き詰めれば如何に生きるかということに尽きると思う。
戦後63年間、我々はエコノミック・アニマルに徹して平和裏に生きてきたが、その結果としてアメリカに次ぐ経済大国になってしまった。
その過程においては、我々は自ら自分の国を守るということをアメリカに丸投げしてきたわけで、国防費というものを限りなくゼロに近く抑えて、それを経済に振りあててきたことが大きく作用している。
しかるにそれは綿密な計画のもとで、ち密に事実を積み上げてそうなったわけではなく、ただただやみくもに働き続けた結果として、そういう事実が残っただけのことで、そこには戦略的で綿密な計画にそって努力したわけではない。
ただただ行きあたりばったりの、泥縄式の対処療法の結果として今日があるわけで、戦後63年間も平和で来れたというのは、ただ運が良かっただけのことである。
それに比べると戦前の日本には大義が厳然とあったように思う。
アメリカに対する宣戦布告の声明でも、アジアの解放と大東亜共栄圏の確立という大義は、決して間違ってはいなかったと思う。
ただそれを推し進めるにあたって軍部が主導権を握ってしまって、軍部が政治、外交を蔑にして独断専横した事実は認めざるを得ず、そこに我々が奈落の底に転がり落ちる遠因があったことは論をまたない。
明治維新で四民平等になり、日本の貧乏人の中の優秀であると思われた若者がこぞって貧乏からの脱出を夢見て集まった軍人養成機関において、その教育の内容が間違っていたからこそ、彼らが実践した施策がことごとく破たんしたのである。
優秀であると思われていた彼らが考えた貧乏からの脱出の手法が、思いのほか底が浅かったわけで、所詮は貧乏人が貴族になり替わって、貧乏人根情から抜けきれないまま、賢人ぶって貧乏人の兵卒をコントロールした結果だと思う。
それの対極の位置には、富豪や大地主あるいは起業家の子息として、人の嫌がる軍隊の機関に関わりをもたずに学問に打ち込めた人達も当然居た筈である。
問題は、こういう人たちが貧乏人の成り上がりである軍人達に立ち向かう勇気をもっていなかったという点にある。
不幸にして、こういう恵まれた環境でのびのびと生育出来た人たちは、根が純情でボンボン育ちであったがゆえに、理想に燃え、理念に被れ、共産主義に走ってしまったところにある。
当時の貧しい人々に人間らしい生活を上から与えなければならないという、人間のやわな美意識にかられて、人は一生懸命働けばそれに等しい対価を得なければならないという理想に幻惑されて、そういう理想主義に走ったまでは良いが、それは当然貧乏人の成り上がり者の官憲からは抑圧されるわけで、結果的に抑え込まれてしまった。
戦後63年たっても、旧海軍兵学校や陸軍士官学校の出身者を立派な人物だと認識する風潮はいささかも衰えていないが、世界の戦争のプロ達が日本の旧軍隊を見る目というのは、実にしっかりとその本質を見抜いていた。
世界の軍人たちは、「日本の兵隊は実に有能果敢だが、高級将校はバカだ」と評している。
全くもってその通りだと思う。
ところが日本ではそういう評価ではないわけで、この認識のズレは一体全体どういうことなのであろう。
身内の身贔屓ということであろうか。
世界の戦争のプロ達が、「日本の高級将校はバカだった」と言っているのに、我々は兵学校や士官学校の出身者を有能な人物ととらえているわけで、この認識の違いは一体何であろう。
これは我々の民族の組織論に行き着くのではなかろうか。
ひめゆり部隊の少女、チンチン電車の運転手や車掌を務めた少女、サハリンで最後の最後まで職場を死守した電話交換手の少女、こういう人達は皆組織の底辺の人たちであった。
貧困からの脱出が動機だったとはいえ、自分の職場と職責を健気に守り通したわけで、外国の軍人が言うように、軍隊の組織であれば最下層の兵士たちであったわけである。
そういう最下層の人々は、それぞれの職場で健気に職に就いているのに、その上のクラスは、そういう下々の功績の上に胡坐をかいていたわけで、俗に「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と、下賤な心持の人に限って、駕籠に乗ることばかりを考えているということであろう。
人として生まれてきたからには、誰でも駕籠に乗る立場になりたいと思うのは、人情として当然であろうが、世にいう優秀な人、頭の良い人というのは、その目的達成の近道として最も効果的な手法を自ら考えて実践するわけで、その手段としてその時代の一番人気のある職業につこうとする。
明治維新から昭和初期の時代を経て日本が廃墟になるまで、それが軍人になることであったわけで、こういう時流に便乗して甘い汁を吸おうという発想そのものが極めて下賤な思考であったが、今に至ってもそれが下賤な思考だと誰も思っていない。
昭和20年8月で、日本のそれまでの理念であった大義が見事に御破算になってしまったが、その後芽生えた国家的理念は平和主義というもので、何が何でも血を見る行為は罷りならぬ、という極めて偏狭な博愛主義である。
我々の同胞の在り方というのは、時の大義を観念でもって型に嵌めこんでしまうということにある。
戦前は軍国主義という型に嵌めこんでしまって、それからはみ出たものを非国民といって袋たたきにして何とも思わなかった。
戦後は、それが平和主義というものになり、その型に嵌めこもうとして、それに少しでも異論を唱えようとしようものならば、如何にも戦争大好き人間として排除しようとする。
戦前も戦後も、我々、日本民族の中身が変わったわけではなく、変わったのは大義としてのものの考え方であって、我々の思考が観念論に振り回されるという本質はいささかも変わっていない。
この観念論が組織に乗って上から流されてくると、戦前ならば何の疑いもなくそれに殉じていたものが、戦後は、それに逆らうことが民主化と称する新しい生き方となってしまった。
この新しい生き方というのは、それはそれなりに有意義なものであるが、その結果として我々の国家としての大義というものは雲散霧消してしまったので、船頭を失った船のようなもので、行く着く先が誰にもわからないということになっているのである。
この本の中で述べられているエピソードで、こうして健気に運転手あるいは車掌として任務を遂行しているのに、従軍看護婦や看護婦特攻隊に志願して、より直接的に戦闘の現場に行きたいという衝動にかられたことが描かれているが、彼女たちの気持ちが何とも不思議に思われる。
当時の日本人はどうしてそうそう死に急ぐ心持になったのであろう。
オーストラリアのカウラ捕虜収容所の集団脱走なども、何の意味もない無為な行為であり、ただただ折角助かった命を無駄にしたにすぎないが、どうしてこういうことになるのであろう。
戦後わかったようなことを言う評論家という人達は、上からの強制があったかのようにいうが、ここで描かれた事実でも、組織の上からの強制などではなく、いたいけない乙女の心の内側からの衝動でそういう行動に走っている。
前線の兵士が、絶望的な状況に追い込まれても尚持ち場を死守する、ということならば素直に納得できるが、うら若き乙女がそういう心境に至るということは何か解せないものを感じる。
戦局がいよいよ断末魔にいたろうとも、戦争の帰趨と少女達の立場というのは何一つ関連性はないわけで、敗北の責任だとて彼女たちにはいささかも無いにもかかわらず、それでも尚死に急ぐということは一体どういうことなのであろう。
私は今でも広島の「過ちは二度と繰り返しません」というスローガンは納得できないでいるが、このスローガンも、そういう死に急ぎの心理を代弁しているのではなかろうか。
ひめゆり部隊の女生徒も、サハリンの電話交換手の女性たちも、そういう健気な行為を押し通して死に急がなくても、早めに戦場から離脱し、身の安全を確保して戦線から離れても、彼女たちは明らかに非戦闘員であるからして誰も咎めはしないけれども、彼女たちはそうしなかった。
彼女たちは結果として死に急いだ。これは一体どういうことなのであろう。

「戦略の本質」

2009-02-09 13:11:54 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「戦略の本質」という本を読んだ。
非常に重厚な本で読みでがあった。
サブタイトルには「歴史に学ぶ逆転のリーダーシップ」となっているが、まさしく内容もその通りのもので、実に良書だと思う。
ただし、我々日本人にとってこの戦略という言葉はあまりなじみのある言葉ではないように思う。
私個人の問題として、40年前に航空自衛隊に身を置いた経験として、戦略空軍という言葉に普通の人以上になじんでいたので、私にとっては何ら違和感なく心の内に響くものがあるが、我々日本民族には戦いというものを戦術と戦略に分けて考える思考は、もともと存在しない概念なのではないかと思う。
この本は、戦略というものの考え方を追求するのに、過去の戦績を事例として引き出して、過去の戦争で成功した逆転の成因を、戦略という視点で掘り下げた著作である。
戦略・Strategyと、戦術・Tacticsという、戦に対する思考方法は、あの戦争を語った数多ある戦記読み物にはあまり登場していないように思う。
あの戦争つまり大東亜戦争というのは、我が民族に忘れ得ぬ教訓を数多く残したが、その教訓の中にも戦略と戦術という概念を述べた反省の書というのはあまりないような印象を受けるが果たして実態はどうなのであろう。
あの戦争つまり大東亜戦争を戦略と戦術という視点で眺めてみると、我々は数多くの失敗を重ねてきたが、その中でも特に腑に落ちないことに、補給の軽視ということがある。
旧軍の中ではよく言われた「輜重兵が兵ならば、チョウチョ、トンボも鳥の内」という言葉に顕著に現れているとおり、ことほど左様に補給を侮っていたわけで、海軍兵学校や陸軍士官学校というそれぞれのエリート校を卒業した面々も、結局、大日本帝国陸海軍が消滅する間際まで、補給の大事さには気がつかないまま消滅したのではなかろうか。
補給の概念を蔑にしていたので、自分達の物資を集積し搬送する意義も、敵の物資がある拠点に集結する真の意味も理解することなく、ただただ関ヶ原の合戦のような一騎打ちの戦法のみを戦闘と勘違いして、金科玉条と信じ込んでいたので、物資不足で負けたと思っておるが、その本質は補給の意味を理解していなかったから負けたのである。
あくまでも戦後の日本にとって、戦略と戦術というものの考え方は、勝ったアメリカ側の思考方法、あるいは概念であって、我々の民族の内側から沸き出た思考ではないと思う。
日本の近代化の中で、我々の民族の内側からふつふつと湧き出た思考あるいは概念でなくとも、我々は今現在そういうものを縦横に使いこなしているので、それが他所から移入されたものであろうとも、上手に使いこなせばそれはそれで何ら問題はない。
これは善し悪しの問題を超越した話であるが、我々日本民族というのは、ここでいう戦略とか戦術という概念そのものを最初からもっていなかった、ということは胆に銘じてしっかりと認識しておかねばならないと思う。
自由とか民主主義という概念も、最初は日本人のものでなかったことを考えれば何ら不思議ではないが、新しい概念を身に付けるのは、やはりそれなりに掘り下げた本質の研究ということが入用なのは言うまでもない。
我々、日本人の発展というのは、精密な計画に沿って、それを一つ一つ積み上げ、一つ一つクリア―して、計画の達成を見るという形のものではなかったはずである。
マスター・プランはぶち上げるが、それを達成するの過程では、まことに行き当たりばったりで、出たとこ勝負をくりかえし、なんとなく目標に近づくという形で近代化がなされた。
人間の生存ということは基本的に戦い、つまり生存競争の違う形での実践であると思う。
直接的に人と人が食物をめぐって血で血を洗う闘争をしているわけではないが、いわゆる経済というものを突き詰めて考えれば、行きつく先は食物を巡る知恵と知恵の衝突だと思う。
この本が述べている戦略と戦術というのは、歴然とした戦争という血で血を洗う命のやり取りの場での戦略と戦術を述べているが、人間の生存そのものが既に戦略と戦術なしではありえないと思う。
日本の明治維新という近代化は、西洋列強に追いつき追い越せという命題が、日本民族のコンセンサスとしての大きな戦略目標であったといえる。
その目標を達成するために、強力な軍隊を作り、国民には教育を施し、近代産業を作り上げる、というもろもろの政策が戦略目標を実現させるための戦術であったわけだ。
我々は今、自分達の歴史を振り返って、こういう視点に立って自分達のしてきたことを眺める事が出来るが、これを戦後の日本に当てはめると、国民的なコンセンサスとしては国土の復興ということが大義となり得たにちがいない。
ところが、その実現に向けた戦術的な方策においては、様々な意見が湧き出て、収拾がつかなくなってしまった。
結果として、復興はなったが、出来上がったものはまことに不格好で、整合性に欠け、混沌の渦の中で翻弄されているがごとく形を留めていない。
人間の生存、人間が地球上のある地域で生き続けること自体が、政治そのものであり、その政治を司る人々、昔ならば王侯貴族であり今ならば為政者と行政担当者ということになるが、政治そのものがここで言うところの戦略と戦術で成り立っていると思う。
この本は戦略と戦術という概念を字義のとおりに捉えて論を進めているので、「戦史に学ぶ」という形になっているが、私に言わしめればこういう発想が我々の民族の中から出てこなかったという点を掘り下げるべきだと思う。
なぜ、こういう思考が我々の民族の内側から出てこなかったかと自問自答することが大事だと思う。
我が民族は、物作りには実に長けている。
物作りには長けているが、思考とか思索ということになると世界に向けて発信するのに腰砕けになっている。
それには言葉の問題も大いに関係あるとは思うが、アイデアを世界に向けて発信するということは、極めて不得意のように見受けられる。
日本人の思考を司っているものの考え方というのは、その大部分が外国から移入された思考であって、日本民族古来のものといえば神道ぐらいしかない。
数々ある仏教、あるいはキリスト教、あるいは西洋哲学、はたまた中華思想、すべて外来のものであって、日本自民族の古来のものの考え方が世界に向かって発信していったということは聞いたことがない。
しかし、物作りにおいては、日本製品の評価は世界的に好評を得ているわけで、これは一体どう考えたらいいのであろう。
一言でいえば、日本人の生きざまの中には、戦略も戦術も存在していないということに他ならない。
ただただ行き当たりばったり、泥縄式で、事が起きればその場で対処療法を講じて、その場しのぎを繰り返すのみで、恒久的な対策はついに行わずに済ませるということである。
こういう視点で、本来の意味としての戦略も戦術という概念で以って先の日本の戦争、大東亜戦争というものを眺めてみると、まさしく見事にそう云う思考が欠けていることが一目瞭然と理解できる。
「歴史は繰り返す」とはよく言われる言葉であるが、今の100年に一度の経済的なクライシスでも、事前に解らなかったことが不思議でならない。
これは我々日本人だけの問題ではないが、世界的に見て今のような世界同時不況というものが予測できなかったという点で、人間の英知はいくらも進歩していないということの見事な証明だと思う。
アメリカの3大自動車メーカーから日本のトヨタ、日産、ソニーから松下電器、NECから日立等々の大企業が軒並み不況の波に飲み込まれるということは、人間の英知というものがこの世にあるかどうか全く分からないということではないのか。
アメリカのプライムローンの問題、リーマン・ブラザーズの倒産、これらは人間の欲望がもたらした災禍というべきことであろうが、こういうことを予知し、その対抗策を事前に抗じれなかったということは、人間の頭脳は太古の昔からいくらも進歩していないということに他ならない。
日本のトヨタ自動車が、地球規模でみていくつ工場を持っているか正確には知らないが、トヨタの経営トップとしては、車を作ってそれが売れている間は頂点に達した時のことなど眼中になく、その後は下降線をたどらざるを得ずどこで下げどまりになるか、という終着点のことなどを考えてもみなかったということであろう。
つまり、自分の企業の最終局面、つまりどこまで行ったら事業展開を自粛して守りの態勢を築くかという思考は、一度も湧き出たことがなかったということだと思う。
右肩上がりの成長が、何時までも何時までも続くという前提で事業計画がなされていたに違いない。
こんなバカな思考はありえないではないか。
自由主義体制の中の資本主義経済で、未来永劫、右肩上がりの成長が続くなどということは、あり得ないことはバカでない限り自明のことではないのか。
しかし、現実に起きたことといえば、世界のビッグ・ビジネスの大部分が、同じようにどこまでも右肩上がりの成長を前提とした経営戦略を取っていたわけで、それが外れたので今不況の波を沸きたったわけである。
どこまでも右肩上がりの経済成長が続くであろうという願望は、あくまでも個人の希望的観測であって、取らぬ狸の皮算用的な思考で経営をしていたところに不況の原因が潜んでいたわけで、それは煎じつめれば、個人の欲望のコントロールの失敗ということであろう。
個人の欲望が人々の理性とか、モラルとか、気高い理念というようなものを全部飲み込んでしまって、赤裸々な欲望のみがにじみ出て、それがマネーの獲得という方向に集約されてしまったため、物が売れない、物が余る、という現象が起きものと思う。
今に生きる我々が本当に憂うべきことは、こういう事態に対して学問とか高等教育がいささかも事態改善に貢献しきれていないということである。
そもそも「何時までも右肩上がりの成長というものがありえない」ということを説くべきが、高等教育であり知識人の役目であるはずだが、日本をはじめ世界の知識人、オピニオン・リーダーは、こういう事態が起きるまでそれを予測した人がいないということは一体どういうことなのであろう。
学問とか高等教育というのは、人間の生活を豊かにするための方策であったはずであるが、今のような事態を予測し、回避すべく警鐘を鳴らすのが、本来の学問であり高等教育でなければならないのではなかろうか。
本来、学問というものは個人の至福を追及するものではなく、社会に貢献すべきものであった筈であるが、近代化という過程では学問の意義が個人の至福の追求にすり替わってしまった。
戦略と戦術という言葉で言い表わせば、個人の立身出世のために学問を成すということが、そのものずばり戦略と戦術になっている。
立身出世して、一番有利な職業選択をする、つまり労が一番少なく実入りが一番多い職業につくことが戦略であって、その為にそれに一番適った学問を修めること戦術なわけで、こういう人が多くなると、学問の意議というのは見事に失われて、高等教育が立身出世の免罪符になり替わってしまった。
人は苦労してまでも学問を身に付けるということは、世界共通の価値観として普遍化しているが、そうは言いつつ、その目的は立身出世、あるいはより高額な報酬の獲得というように、あくまでも個人の欲望を如何に満たすかという方向に作用してしまっている。
米ソの冷戦が終焉して世界は地球規模で資本主義体制に組み込まれてしまったが、それは言葉を変えて表現すれば、地球規模で個人の欲望の限りない追求が是認された状況の現出ということである。
個人の欲望をコントロールする歯止めがなくなってしまった状況で、本来ならば、ここで宗教に依拠する倫理観や、高等教育から導かれるべき理念、理想の概念の普遍化というものが無知な人々の前に立ちはだかって、個人の欲望の肥大化を抑止する方向に作用すべきであるが、そういうものが今は全く機能していない。
ただただ「あいつがやるから自分もやる」という付和雷同の群集心理のみで、自己の信念というものを喪失してしまってので、自分で考えるということを遺棄しているのが今の状況だと思う。
日本だけではなく、世界的な規模で眺めても、大学いわゆる高等教育の価値が目減りした状況というのは実に由々しき問題だと思うが、この点についても誰も警鐘を鳴らしていない。
今の100年に一度の大不況に至ったのも、こういう高等教育を治めた経営者の事業実績であり、高等教育を治めた高級官僚の行政手腕の結果であるわけで、ならばそういう人々が治めた高等教育というのは一体何であったのか、という疑問がわき出て当然ではないか。
ところが現実には、そういった疑問を誰も提起せず、誰も不審に思うものがいなかったわけで、世の中が大混乱に陥ったさなかに、その犯人探しに躍起になっているというのが世にいう学問であり、高等教育であるわけで、これでは全く世の中の為になっていないではないか。
ただここで注意しなければならないことは、成功した戦略や戦術というのは全く評価されないということである。
日本の製造業の現場では、安全第一という標語が滅多矢鱈と目につくが、普通の会社では安全操業というのは当たり前のことであって、だからこそ事故なく日々過ごせたという実績は何ら評価されることがない。
これは私の価値観からすればおかしなことだと思う。
安全操業が何カ月も、何年間も、何十年と続けば、誰かがその実績と功積に対して表彰してしかるべきだと思う。
いくら優秀な企業で、何十年と安全操業をしていても、一旦事故を起こせば、過去の実績は見事に消し飛んでしまって、世間の評価は地に落ちてしまう。
日々、無事故で操業するということは、普段の細かくて小さな努力の積み重ねであるが、こういう目に見えない努力は誰もそれを評価しないわけで、派出で、目に見える、華々しいパフォーマンスは、何かと話題になるが、ルーチン化したような細かい気配りには誰も注視してくれない。

「危機と戦う」

2009-02-03 07:03:35 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「危機と戦う」という本を読んだ。
文字通り危機管理の本であるが、危機管理ということになると、我々の国は相当に遅れていると思う。
そもそも我々日本人の国家と国民の在り方そのものが、既に世界的な規範から外れている。
そのことを突き詰めていくと、行きつく先は民主主義の不完全燃焼ということになるのであろう。
我々日本人にとって真の民主主義というものが達成可能かどうかということに行きつくと思う。
我々の民族の生い立ちというのは、必然的に海という自然の外壁に囲まれているので、外部との接触が制限されている。
それは良いことでもあり同時に悪いことでもあったわけで、そういう環境にはぐくまれて、どうしても外界との接触に乏しい民族として、極めて純度の高い民族となってしまった。
それは大陸と離れた絶海の孤島の生き物が、大陸の生き物と別の進化をするのと同じで、我々日本人の創世記の歴史も、動物の進化と同じ過程を経たに違いない。
そういう環境の中で、何世代も代を重ねるにしたがい、自分達は独自の進化をして、井戸の中の蛙的な存在であったけれども、自分達の外にも自分達と同じ人が生きているということは、長い歴史の中で必然的に知るところとなった。
どうも自分達の住む小宇宙の外に、もう一つ違う世界があるらしい、という空想はますます大きくなり、好奇心のある人は、その夢に挑戦してそれを自分の目で確かめたいと思う人が出てくるのも必然的な流れであったであろう。
我々、日本人という民族には潜在的にこういう精神構造が刷り込まれているのは民族の特質ではないかと思う。
その特質をもう少し噛み砕いて述べると、我々はあらゆる物事を他との比較で認識するということである。
目の前に見本があれば、それと同じものを寸分違わず再現出来るが、無から有を作ることは極めて不得意である。
2009年、2月現在、世界的な不景気風が吹きまくっているが、我々の国が先頭に立ってこの不景気を突き破るという発想には我々はなれないし、そういう発想そのものが我々の内側からは出てこない。
人の振りを見て、その人に同調するということはできても、自分が旗を持って先頭を歩くことはできない。
私には自分達の政府、為政者、統治者を責める気はない。
こういう人たちの足を引っ張る我々の側の大衆、国民、選挙民、市民、消費者、弱者と称する怠け者、正義の仮面をかぶったメデイア、こういう人たちに真っ向から立ち向かう気でいる。
自分達の政府、為政者、統治者を選択して政治を委託しているのは国民であり、市民であり、消費者であるわけで、自分達で選んでおいて、その選ばれた人を批判するということは自己矛盾ではないか。
複雑な選挙システムを経て為政者が決まるのであるからして、自分の希望した人が必ずしも好ましいポストに収まるとは限らないが、基本的には国民が公平な選挙システムで選出した自分達の政府、為政者、統治者である。
だとするならば、そういう人たちを批判するということは、天に向かって唾を吐いているのと同じで、自分達の馬鹿さ加減を天下に晒しているのと同じではないか。
大勢の国会議員の中には、首をかしげたくなるような人間が紛れ込んでいることは確かであるが、それとても選挙民から選ばれたという意味では選良の一人であって、それは選んだ選挙民の責任である。
そういう馬鹿に投票した自分達の馬鹿さ加減を天下に晒し、自分の馬鹿さ加減を棚に上げ、それをそうとも感じず、さも自分は良いことをしている気でいるのが、日本のメデイアであって、わが日本民族が真の民主主義を習得しきれず、民主主義の良いとこ取りだけをして、さも民主国家であるかの振りをしている部分が、極めて児戯に等しい。
だから物事を何でもかんでも自分との比較で見る癖がついていて、自分と比べて良いか悪いか、進んでいるか遅れているか、大きいか小さいかという価値基準になるのである。
危機管理という話であれば、当然に9・11事件に話が及ぶのもいた仕方ないが、この本でも述べられているように、あの事件では日本人の同胞も40名近く犠牲になっている。
然るに、我々は、それを全く意に介していなくて、日本人の犠牲者など居ないかのような印象を受けるが、これは私の感覚からすれば極めておかしなことだと思う。
その不思議さの一つには遺族の対応も含まれている。
遺族が、この事件を人為的な行為で引き起こされた、という感覚で受け取っていない節がある。
まるで不可抗力の天災事変のように、人の力では避けられないもののように受け入れている節があるが、ここにも日本人の命に対する感性がしのばれる。
9・11事件で命を落とした人は、それがあたかも天災であって、人間がかかわった行為ではない、という認識に入り込んでしまえば、相手を恨む感情は抑え込まれて、四方八方丸く収まる形にはなるかもしれない。
あの事件をテロではなくて天災だと決めてしまえば、怨恨の情は沸き上がらず、あきらめやすいかもしれないが、あれはれっきとしたテロ行為であったわけで、だとすればテロを起こした敵に対する報復という観念は当然出て不思議ではない。
ところが、日本人の感情ではあまり露骨にこういう表現にはならないが、アングロサクソンの血は、それでは収まりきれないというのが その後の経緯である。
「やられたら、やり返す」。これこそ人間の基本的人権ではなかろうか。
この地球上に住むあらゆる人間にとって、最も普遍的な基本の生き様ではなかろうか。
あらゆる価値観を超越した真理だと思う。
9・11事件で日本人の犠牲者が出ても、我々は他人事のような扱いしかしていないが、この感覚こそ、危機管理の盲点だと思う。
自分の同胞が理不尽に敵から攻撃されても、それを敵からの攻撃と認識せず、事故だと言いくるめて平然としているようでは、亡国の行為としか言い様がないではないか。
これは日本政府の責任ではなく、日本のメデイアと国民の責任である。
政府というのは、様々な悪口を言われながらも一応主権国家の統治者として、世界標準で行動しようと腐心するが、それをそうさせてはならじと抵抗するのが政府の対極にいる野党であって、その野党の提灯持ちがメデイアなわけで、メデイアの良心の欠落こそが、この世の最大の欠陥なのである。
危機管理ということを一言でいえば、「地震、洪水、火事、テロ、戦争というときにどう対応すればいいか」を考えることであるが、その中で忘れてならないことに「そいう時にはメデイアを如何にコントロールするか?」ということを入れなければならない。
メデイアに対して公開して良い情報と、公開してはならない情報というものを厳然と峻別しなければならないが、我々はこういう秘密の保持ということに極めて稚拙なわけで、秘密が守れない。
自然災害ならばメデイアをコントロールする必要はないが、これが人為的なテロや戦争となると、何でもかんでも情報を公開すればいいというわけにはいかない。
そのあたりの機微が今の日本人には皆目輪郭さえつかめていないのも、平和が長すぎた所為であろう。
あらゆる状況下で、メデイアを逆に情報収集に役立たせればいいと思われがちであるが、これが大間違で、被災地におけるメデイアに携わる人間の立ち居振る舞いは、既にその時点で人間失格なわけで、ゆめゆめ「メデイアだから」といって大目に見てはならない。
自分たちの日常生活の中の身の回りの例に置き換えてみても、立ち入り禁止の策の前で取材しているメデイアの人間などいるであろうか。
腕章さえ付けていれば、立ち入り禁止であろうがなかろうが、そんなものを無視して取材するのがメデイアの人間なわけで、彼らにしてみれば、世間の普通の良識、良心、規範、ルールを順守していては仕事にならないわけで、そうまでしなければ禄を食むことが出来ないという意味で、泥棒稼業と同じであって、その意味でまさしくインテリー・ヤクザそのものである。
こういう連中が、あたかも訳知り顔に危機管理を説くから、我々の祖国は、まともな危機管理もできないのである。
9・11事件で、我々の同胞が目に見えない敵から攻撃された、日本人が日本の国土から北朝鮮に拉致された。これは実質、我々の祖国が戦争を仕掛けられたということにほかならない。
ところが、我々の同胞は、誰ひとり戦争を仕掛けられたなどとは思ってもいない。
この認識は明らかに平和ボケの顕著な例であろうが、我々の皮膚感覚からすれば、敵というのは海の向こうから雲蚊の如く集団で海岸線に押し寄せてくるというイメージでとらえがちなので、そうでない形態では、それを敵と認識し難いものと思う。
特にメデイアに携わる人たちも、戦後63年というもの、本物の戦争を見たことも触ったこともないわけで、イメージとして空想するしかないので、戦争というものを映画の中だけでしか認識し得ないものと思う。
国を統治する一番合理的な手法は、独裁政治であって、独裁政治であれば、指導者の一声で如何様にも迅速に対応出来るが、民主政治では何一つするにも、他者の了解を得なければならないので、初動態勢が遅れることはいた仕方ない。
私個人は、9・11事件の日本人被害者の存在、北朝鮮の同胞の拉致事件等々すべて仕掛けられた戦争だと思っているが、私以外の人は、これは戦争などではなく、日本が世界に対する金のバラ捲きが足らない為の当然の帰結だから、もっともっと世界に金をばらまけと考えている人もいるようだ。
民主政治では、危機管理においても、国民や市民という素人の考えを加味しなければならないので非常に手間暇が掛かるわけで、それはそれでメデイアの格好の餌になるのである。
為政者がこうしようとすれば、その事案に対して賛否両論が出ることは、民主政治が正常に機能しているということであるが、政治というのはすべてを納得させることは最初から不可能なわけで、どちらかに決着を迫られれる。
しかし、メデイアというのは、ある事案の賛成も、反対も、その両方を煽りに煽って、その結論を出来るだけ長引かせて、論争を繰り返すことで自分達の存在意義を確認し合っている。
ところが、その事案の結論については極めて淡白なわけで、その事案の中身にはほとんど興味を示さない。
要するに、メデイアにとっては、為政者も、与党も野党も、賛成派も反対派も、一般国民も市民も、生産者も消費者もないわけで、ただただ論争が熾烈でありさえすれば、それで飯が食っていけるのである。
本来ならば、こういう場面で知識や経験に富んだ知識階級という人たちが、良心や良識に則ったしかるべきコメント出せば、世の中も多少平穏になるのであろうが、こういう人たちは往々にして反政府という立場を露わにするので、ますます混乱の輪が大きくなるのである。
知識階層に「政府の提灯持ちを演じよ」と言うつもりはないが、ここでもメデイアの在り方が大きく問われるわけで政府が行おうとする施策には、思いつきや行きあたりばったりの事案が皆無とは言い切れないが、その大部分は国民の要望に応えるためのものであって、独裁者の思いつきの施策などではないはずである。
あらゆる施策にも、当然、賛否両論はついて回るわけで、にもかかわらずメデイアがその反対意見のみを拡大、誇張、さも亡国の案の如く喧伝するというのは如何なものであろう。
「やられたらやり返す」という、人としての自然の権利、人としての普遍的な思考、基本的人権のその基の基の部分における考えた方についても、「やられてもやり返すな」、「やり返してはならない」という考えも全く存在しないとは言い切れない。
我々の同胞の中の高等教育を受けた知識人といわれる人々は、こういう極めて希少価値のある、類まれな珍奇な意見に共感を覚えているわけで、世界的にみて異例な意見であるからこそ、それに存在価値を見出しているという風にも取れる。
「やられてもやり返してはならない」という考えは、非常に欺瞞に満ちたキリスト教精神の具現のように見えるが、そういう事が言えるというのも、自分がそういうことを言っても何の処罰の対象にならない安全地帯に身を置いているから、そういう格好良いポーズが取り得ているのである。
この部分に知識人の奢りが潜んでいる。
昭和初期のように、警察官がサーベルの音をがちゃがちゃ言わせていた日には、沈黙を決め込んでいたものが、世の中が引くりかえった途端に、手のひらを返したように威丈高で豪慢なもの言いをするということは、知識人にあるまじき浅薄な行為ではなかろうか。
日本の知識人の心根が、もともと浅薄であったが故に、時代の奔流にカメレオンのように身を委ねて、状況に合わせて身を処してきたに違いない。
我々のような無学なものは、大学出というだけで、その人物を畏怖の念をもって尊敬してしまうが、そういう知識人と言われる人々が、古い慣習とか、習貫とか、価値観を全部否定してかかるので、学問のないものは何を信ずればいいのか解らなくなってしまうのである。
この人たち、つまり日本の知識階層が公言してやまない政府批判、つまり自分達で選出した政府がそんなに悪いものならば、そんな政府は変えれば良さそうに思うが、そういう手直しを何度も繰り返した結果として、今の政府があるわけで、彼ら、つまり日本の知識人にとっては、如何なる世が到来しても、不平不満が残るということであるならば、日本の知識人の存在意義は一体何なんだということになる。
日本の同胞の中の高等教育を受けた人々の言うことが全部出たらめであったとするならば、我々の危機管理の一番の手始めは、そういう高等教育を受けた人々を、この日本の地から追い出すことでなければならない。
こういう人達は、日本国民が民主的な選挙で選出した自分達の政府を頭から信用しておらず、北朝鮮や、韓国や、中国の国益を擁護しているわけで、まさしく我々日本国人民にとっては敵対行為をしているに等しいわけである。
危機管理の面から考えれば、こういう危険要因は芽の内に摘んでおくことが危険回避の最も普遍的な政治的な行為ではなかろうか。
頑丈な堤防も、蟻の一穴から崩壊することもあるわけで、民主主義を後退させてはならないなどと綺麗事を言いながら、国内に蟻の一穴を掘っているようなものである。・
危機管理の一番の要は、メデイアを如何に管理、運用、コントロールするかの問題に尽きると思う。
今日の日本のメデイアには、大学出でない者は一人もいないはずで、全部が全部、むかし風にいえば知識人であり、インテリ―であるが、それは同時に民主主義政治体制の良いとこ取りだけをして、その良いところの裏側にある義務を放棄して憚らない人たちの集合である。
知識人というのは高等教育を受けた分、口舌も立つわけで、黒を白も言い包める術に長けているので、こういう整合性のない論理を縦横に酷使して、国民や市民を煙に巻くという意味では、老獪な政治家と50歩100歩である。
この知識人という人種の中には、当然のこと、メデイアの人間も内包されているわけで、この世の全ての諸悪の根源は、突き詰めるとメデイアの良心と良識に行き着く。
政治の失敗といったところで、政治は情報なしではありえないわけで、政治家の判断材料とか、決断の根拠には必ずメデイアというものが介在していると思う。
そのメデイアがインテリ・ヤクザに蹂躙されている限り、真の危機管理はありえない。