例によって図書館から借りてきた本で、「戦争観なき平和論」という本を読んだ。
著者は保阪正康氏。
氏の論考は左翼的なイデオロギーに汚染されておらず、極めてニュートラルな思考だと思っている。
この著作も、戦後の平和論争が感情におぼれて、理性的な思考から逸脱していることへの警鐘であるが、ものを考えるについて、過去を断ち切っては考察が成り立たないわけで、その意味で歴史を振り返るという視点で貫かれている。
歴史を振り返る過程の中で、昭和世代の人間3000名にものぼる人たちにインタビューして、戦争というものの輪郭を描き出そうとしている点には敬意を表せざるを得ない。
これだけ多くの人にインタビューを試みたということは、言い換えれば日本人の本質を探り当てる、ということになるのではなかろうか。
その結果として、表題のように戦争観なき平和論というわけで、これはいわば日本人の平和を希求する論拠がすべて感情論に陥っている、と言い換えられているように思う。
あの戦前の軍国主義というのは、戦後64年たった今、どのように考えればいいのであろう。
先に読んだ「至情・『身はたとへ』と逝った特攻隊員」という本に登場する若者は、その大部分が学徒であって、一銭五厘のハガキで召集された人たちとは違っているはずであるが、彼ら、いわゆるインテリーであるにもかかわらず、自ら率先して国家の危機に殉じているわけで、これを今に生きる我々はどういうふうに理解したらいいのであろう。
大学生、学徒が自ら率先して軍務につくというのは、なにも我々日本民族だけの特異な出来事ではなく、先進国の若者は我々同様、学業を終えないまま軍務についた例は数多くある。
この本は、我が身は大空に散華しても、その後の日本には幸あれと願いつつ、散華していったわけで、だからこそ「至情」であったわけである。
それに引き替え、参謀本部で戦争指導と称して安全地帯に身を置いていた高級参謀、参謀肩章を幾つもぶら下げた参謀たちは、こういう若人の心情を如何様に考えていたのであろう。
軍隊の組織は言うまでもなう官僚組織であって、官僚として極めて無責任な対応をし続けていたということではなかろうか。
この本の中で語られている大本営発表という嘘も、どういうふうに考えたらいいのであろう。
大本営というからには、前線の戦闘指揮所とはおのずと違っているわけで、ここで任務に就いているのは皆高級参謀ばかりであったはずであるが、それが国民に対して嘘の報告、虚偽の戦闘報告をしていたということをどういうふうに考えたらいいのであろう。
こういうところに詰めている軍人というのは、それこそ本来優秀であるべき軍人の筈であるが、その優秀であるべき軍人が、天皇の赤子である国民に対して、嘘の報告をしていたことをどういうふうに考えたらいいのであろう。
問題は、我々日本人が優秀であるべきと思う、その優秀の中身でなければならないはずである。
優秀な軍人が戦争を指導するのであるならば、負けるなどということはあってはならない筈ではないか。
優秀であるべき軍人が、優秀でなかったから日本は敗北を帰したのではないのか。
戦後64年たった今でも、我々日本人の古い世代には、海軍兵学校あるいは陸軍士官学校を出た人は優秀である、という迷信が息づいていると思う。
あの戦争を大局的な視野で考察すれば、軍人が政治を蔑にして、軍人の独断専横が戦争を引き起こし、優秀であるべき軍人が蓋をあければバカだったから日本は敗北を帰したことになる。
そこから教訓を得るとするならば、当時の日本の政治家は、何故にバカな軍人の横暴を抑え切れなかったかを考察すべきである。
その意味で、バカな軍人を抑え切れなかった昭和初期の政治家は、二重にバカだったわけで、そのバカさ加減は現在においても立派に継続されている。
そのバカの本質は、官僚としての無責任体質だと思う。
例えば、大本営発表の嘘なども、真実を伝えると国民の戦意に影響が出るであろう、という心配から真実を隠したわけで、それは海軍と陸軍の間でもお互いに真実を隠し合ったわけで、これでは国家総力戦そのものが成り立たないのも当然である。
私がこういう立場の人々をバカだバカだというのは、お互いに協力し合って戦争をしている、戦争する以上はお互いに協力し合わなければそれが成り立たない、ということが双方の高級参謀には解っていなかったという点があるからである。
海軍兵学校に、あるいは陸軍士官学校へ、大勢の競争相手を蹴散らして入ったは以上、その時点では確かに人並み以上に優秀であったに違いないが、その後の官僚システムの中で10年20年と年を重ね、地位も職階も上がってくると、ごくごく常識的な思考能力が退化して、「井戸の中の蛙」のような思考に陥ってしまったところにある。
それぞれの養成機関を卒業して、それぞれに職務に就き、その職務を遂行しているうちに、自分の枠、陸軍なり海軍なりの枠がいわばリトル・ワールドに嵌り込んでしまって、まさしく「井戸の中の蛙」、「葦の髄から天覗く」、という状況に陥ってしまったものと推察する。
陸軍でも海軍でも、若い士官、いわゆる純粋培養された若い士官がそういう弊害に陥ってはならないというわけで国費で留学などさせても、昭和の軍人たちは世界の状況と、将来の展望を肌で感じて、目で見、耳で聴いては来なかったわけで、リトル・ワールドから出ることができなかったわけである。
その前の世代は、国是が西洋列強に追いつけ追い越せであったがゆえに、何でも吸収しようとしていたが、その後の世代は、日本が西洋列強と肩を並べる位置にいたので、もう習得すべきものは何もない、という思いに至ったものと推察する。
まさしく奢りそのもので、自分が奢り高ぶっているものだから、周りの状況がさっぱり目に入らなかったに違いない。
ここで問題とすべきことが人間の知性である。
昔の海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人が優秀であったという迷信は、確かに入る時点では優秀であったに違いなかろうが、その優秀といわれる部分に人間としての美徳が、あるいは冷静な知性が、あるいは沈着な思考力があったかどうかは価値判断の基準に入っていなかったに違いない。
こういうものはペーパーチェックでは測れないから、それがあったかどうかはさっぱりわからなかったに違いないと思う。
ただ彼らが優秀であったというのは、ペーパーチェックでは確かに高得点をとったという実績だけであって、それがその人物を測るバロメータになっていたわけである。
旧日本軍の最大の愚行は、このペーパーチェックの実績がその人物の評価を決定付けたという点にある。
ペーパーチェックの実績が、その人がその組織にいる間じゅうついて回るわけで、組織の中で人の配分は適材適所に配するというのが極めて常識的な思考であるにもかかわらず、日本軍の中ではそうはなっていなかったのである。
ということは、旧日本軍の中では、理性や知性、合理的な思考というものが何の値打にもなっていなかったということだ。
結局、日本軍の中では、海軍も陸軍も、自分達の組織の中だけで物事を見ていたわけで、天皇のためというフレーズも、自分達の利益のために天皇を利用しただけのことである。
本当に天皇のためということを考えたとすれば、それは当然天皇の赤子のためという風に、今の言葉に言い換えれば、国民の側に還元されてしかるべきである。
ところが、天皇のためと称して、自分達の利益にそれを利用していたので、天皇にも背くことになったが、そこは老獪な彼らのことなので、直接的な言葉で奉上するわけではなく、作戦が成功したのか失敗したのかさっぱりわからないということになったものと推察する。
こういう場面で、人間の理性とか知性がさっぱり機能しないということは一体どういうことなのであろう。
海軍兵学校でも、陸軍士官学校でも、入ってきた人間はその時点では確かに優秀であったであろう。
その中で行われた教育もそれなりに優れたものであったであろう。
ならばそこを卒業した人たちが何故に、理性も知性も合理的な思考も失ってしまったのであろう。
こういう教育機関においても、通常の部隊においても、初年兵を虐める、新人を虐めるということの不合理になぜ思い至らなかったのであろう。
こういう教育機関に選抜されて入ってきた人たちは、それなりにミニマムの教養知性は備えているはずなのに、それに何故に鉄腕制裁が必要であったのであろう。
この不合理に旧軍では軍隊の組織が壊滅されるまで気がつかなかったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
俺が村の、俺が町の、一番二番の秀才が、厳しい選抜試験をクリア―して集まってきたものに対して、口でいうのではなく、口頭で指示すのではなく、何故に鉄腕制裁を加えなければ規律が維持できなかったのであろう。
戦後の各階層の手記あるいは戦記ものを読んでも、初年兵時代の先輩からいじめは数多く告発されているが、その理由や原因については言及したものがないように思う。
ただ言えることは、この鉄腕制裁というのは、軍隊だけの特殊な在り様ではなく、当時の日本社会全般に幅を利かせていたわけで、教育現場でも先生が児童をぶん殴るケースが往々に散見されるのは一体どういうことなのであろう。
この風潮が下級兵士によって海外でも現地の人に対して何の違和感もなく行われたので、相手にしてみれば、日本兵は人をぶん殴る野蛮な人たちだという概念が生まれてしまった。
昭和初期の日本人は、人をぶん殴るという行為を野蛮な行為などはいささかも認識しておらず、それが躾として当然の行い、教育の一環ぐらいにしか思っていなかったに違いない。
日本全体がそういう雰囲気であったので、それが軍人の養成機関の中で行われたとしても、何ら違和感を感じずに許容していたのであろう。
問題はそれを許容していた知識人の存在と世間一般の認識である。
海軍兵学校でも陸軍士官学校でも、そこを卒業すれば職業軍人として世のリーダー足るべき地位に就くことが約束されていたにもかかわらず、自分達が経験してきた鉄腕制裁の不合理を、誰一人突いたものがいないということは一体どういうことなのであろう。
こういう不合理を、内側から突き崩す機運がいささかも出てこないということは、一体どう解釈したらいいのであろう。
先に述べた、軍の官僚システムの中で、学校時代の成績で出世が左右されるということなども、理性的な思考に立てば不具合・不合理だと当然考えられてしかるべきことなのに、誰もそれに気がつかないということは一体どう考えたらいいのであろう。
鉄腕制裁のことでも、普通に理性と知性で考えれば、大の大人を殴って鍛える、殴って躾るなどということは、ナンセンスの極みであるが、それがどうして誰にもわからなかったのであろう。
そこにあったのは、私に言わしめれば、究極の無責任体制であって、自分自身はすでに経験して、地獄の苦しみを通過してしまったので、自分と同じ苦しみを後輩が受けることに何の疑問も感じず、自分さえ良ければ人のことなど構っておれないという思考ではなかろうか。
優秀であるべき人たちが選抜されて集められた集団で、野蛮人や家畜を躾けるような意味のない行為に、誰も疑問をもたなかったというのは不思議でならない。
ナンセンスなことを、「それは実にナンセンスだ!」と誰もいわなったので、それが集約されて、結局、日本は奈落の底に転がり落ちたのではなかろうか。
勝ち目のない戦闘に一銭五厘でかき集められた兵士をドンとつぎ込むという無責任も、そういうところに原因があったのではなかろうか。
前線の将兵にしてみたら、与えられた命令は勝つ見込みが有ろうが無かろうが遂行しなければならないが、そういう立場に追い込む側の戦争指導者、具体的には参謀本部の参謀肩章を幾つもぶら下げた高級参謀は、勝つ見込みのない戦闘に新たな兵力をつぎ込むことが亡国の振舞いであったことに気がつかなかったのだろうか。
勝つ見込みのない戦闘に兵力を投入することはナンセンス以外の何物でもないが、誰もそういう視点で個々の戦闘を見ていない。
この本の中だったと思うが、昭和の軍人にはさっぱり戦争というものが理解されていなかった、と書かれていたが確かにそう思える節がある。
戦争を理解していない軍人、国家総力戦という認識の欠けた昭和の軍人を我々はどう考えたらいいのであろう。
これは私の持論であるが、昭和の高級参謀たちは、戦争を私物化していたのではないかと思う。
自分自身の保身のために戦争をしていたのではないかと思う。
本当に戦争に勝つ気があれば、とても考えられないような愚昧きわまる作戦があまりにも多すぎる。
前にも記したが、連合軍のつまり敵側の高級軍人の日本軍に対する評価は、「前線の将兵は実に勇猛果敢だが、高級参謀はバカだ」という評価である。
連合軍でなくとも、我々の同胞からでさえも真底そう思える。
これは一体どういうことなのであろう。
優秀だとされていた、海軍兵学校、陸軍士官学校、その上の海軍大学あるいは陸軍大学の教育は一体何であったのかということになるではないか。
負けるような戦争をする軍人はバカ以外の何物でもないはずであるが、今日に至っても旧軍人にたいするこういう評価は起きていないのではなかろうか。
昭和時代を生き抜いた古老の頭の中には、いまでもこういう学校を出た人は優秀であった、というイメージが抜け切れていないように思う。
こういうイメージが今でも生きているということは、我々の民族の中には理性や知性や合理性で物事を考え、判断するという価値観が未だに息づいていないということである。
戦後、アメリカの民主化運動で、我々は軍国主義をかなぐり捨てて民主主義を会得したような気でいるが、ここでも理性と知性と合理主義で物事を測るという思考方法にはたどり着いていない。
戦前のイデオロギーが逆向きになっただけのことで、いわば屋根の上の風見鶏の矢の方向が逆になっただけである。
戦前は老いも若きも国に殉ずることが誉であったが、戦後はそれが逆向きになって、国家の言うことを聞かない人間が英雄として崇め奉られるようになった。
これは戦前の反動という見方もあろうが、戦後は民主的な国家運営になっているわけで、国政は国民から選ばれた人たちによって運営されている。
いわば我々の政府は、我々が選んだ国会議員の中から選出されているわけで、そのことは国民の総意を内包したものといえる。
とはいうものの、個々の国民の個々の願望や期待に応えようとしても、それは民主国家であればこそ、様々な手続きを経なければならないので、すぐにというわけにはいかない。
それは同時に、国としてあっちに行こうとすれば反対、こっちに行こうとしても反対というわけで、右に行っても左に行っても反対運動が起きるわけで、結局の所立ち往生するほかない。
こういう政治の局面でも、我々は冷静に議論をして、理性と知性で以って物事を判断するということが出来ない。
この本の中にも述べられているが、美濃部達吉の「天皇機関説」の問題でも、美濃部氏が理論整然と反論をしても、誰もそれで納得していないわけで、結局は国体を蔑にしているという阿呆みたいな話が大衆をはじめとする日本の全国民を覆ってしまった。
斎藤隆夫の粛軍演説というのも、彼は政府を理論整然と問いただしているわけで、決して粛軍演説などではなく政府の対応を聞いたに過ぎないにもかかわらず、反軍演説にしてしまったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
美濃部達吉の例でも、斎藤隆夫の例でも、当時の国家議員でこの演説を自分の耳でしっかり聞いた人間は大勢いるはずなのに、彼らを擁護する人が一人も表れないということは一体どういうことなのであろう。
この時代、軍人が威張っていたことは確かであろうが、そのことと理性や知性が消滅することは次元の違うことであって、こういう人々に対して誰一人擁護の手を差し伸べなかった、ということは極めて奇怪な我々同胞の行動といわなければならない。
戦後の基地や空港を巡る土地収用の問題でも、各地で反政府運動が沸き起こったが、土地を取られる農民の苦痛は察して余りあるが、この問題は個の利益と公の利益の衝突なわけで、そのバランスを何処に置くかに尽きると思う。
しかし、戦後の我々同胞の進歩的な人々は、こういうケースの場合、弱いものの見方というわけで、土地を取られる農民の側に肩入れをして、政府の行いは許されないというニュアンスでこの問題を知見している。
ならば公の利益は何ら考慮すべきものではないのかと反論すると、それは政府が他の手段を考えればいいということになるが、何処にもって行っても、何処かで同じことが起きるわけで、これも戦前の軍の高級参謀のしていたのと同じレベルの無責任極まりない言動につながる。
イデオロギーの向きが逆向きになっているだけのことで、無責任体制という意味では一貫している。
ここでも冷静な知性で以って、農民を説得するという基本の中の基本が全く無視されて、その場その場の対処療法でことが行われるので、出来上がったものが中途半端なものになる。
我々の日本という国は、地球上の地勢的な条件からして、地下資源の全くない小さな島で、大陸に進出しようという発想そのものが極めて実現不可能に近い夢であったわけで、それと同じパターンでこの狭い日本で新たに基地を作ったり新たな空港を作る余地は最初から無いわけである。
だから政府としては、「反対運動があるならば、我々は空港をもう作りませよ」といえばいいのである。
政府がそういえば、日本は21世紀の世界から取り残されることになるので、我々は戦後のようなひもじい生活を余儀なくせざるを得ず、天に向かって吐いた唾が自分の顔に降りかかって、初めて自分の考えが浅薄であったことに気がつくのである。
著者は保阪正康氏。
氏の論考は左翼的なイデオロギーに汚染されておらず、極めてニュートラルな思考だと思っている。
この著作も、戦後の平和論争が感情におぼれて、理性的な思考から逸脱していることへの警鐘であるが、ものを考えるについて、過去を断ち切っては考察が成り立たないわけで、その意味で歴史を振り返るという視点で貫かれている。
歴史を振り返る過程の中で、昭和世代の人間3000名にものぼる人たちにインタビューして、戦争というものの輪郭を描き出そうとしている点には敬意を表せざるを得ない。
これだけ多くの人にインタビューを試みたということは、言い換えれば日本人の本質を探り当てる、ということになるのではなかろうか。
その結果として、表題のように戦争観なき平和論というわけで、これはいわば日本人の平和を希求する論拠がすべて感情論に陥っている、と言い換えられているように思う。
あの戦前の軍国主義というのは、戦後64年たった今、どのように考えればいいのであろう。
先に読んだ「至情・『身はたとへ』と逝った特攻隊員」という本に登場する若者は、その大部分が学徒であって、一銭五厘のハガキで召集された人たちとは違っているはずであるが、彼ら、いわゆるインテリーであるにもかかわらず、自ら率先して国家の危機に殉じているわけで、これを今に生きる我々はどういうふうに理解したらいいのであろう。
大学生、学徒が自ら率先して軍務につくというのは、なにも我々日本民族だけの特異な出来事ではなく、先進国の若者は我々同様、学業を終えないまま軍務についた例は数多くある。
この本は、我が身は大空に散華しても、その後の日本には幸あれと願いつつ、散華していったわけで、だからこそ「至情」であったわけである。
それに引き替え、参謀本部で戦争指導と称して安全地帯に身を置いていた高級参謀、参謀肩章を幾つもぶら下げた参謀たちは、こういう若人の心情を如何様に考えていたのであろう。
軍隊の組織は言うまでもなう官僚組織であって、官僚として極めて無責任な対応をし続けていたということではなかろうか。
この本の中で語られている大本営発表という嘘も、どういうふうに考えたらいいのであろう。
大本営というからには、前線の戦闘指揮所とはおのずと違っているわけで、ここで任務に就いているのは皆高級参謀ばかりであったはずであるが、それが国民に対して嘘の報告、虚偽の戦闘報告をしていたということをどういうふうに考えたらいいのであろう。
こういうところに詰めている軍人というのは、それこそ本来優秀であるべき軍人の筈であるが、その優秀であるべき軍人が、天皇の赤子である国民に対して、嘘の報告をしていたことをどういうふうに考えたらいいのであろう。
問題は、我々日本人が優秀であるべきと思う、その優秀の中身でなければならないはずである。
優秀な軍人が戦争を指導するのであるならば、負けるなどということはあってはならない筈ではないか。
優秀であるべき軍人が、優秀でなかったから日本は敗北を帰したのではないのか。
戦後64年たった今でも、我々日本人の古い世代には、海軍兵学校あるいは陸軍士官学校を出た人は優秀である、という迷信が息づいていると思う。
あの戦争を大局的な視野で考察すれば、軍人が政治を蔑にして、軍人の独断専横が戦争を引き起こし、優秀であるべき軍人が蓋をあければバカだったから日本は敗北を帰したことになる。
そこから教訓を得るとするならば、当時の日本の政治家は、何故にバカな軍人の横暴を抑え切れなかったかを考察すべきである。
その意味で、バカな軍人を抑え切れなかった昭和初期の政治家は、二重にバカだったわけで、そのバカさ加減は現在においても立派に継続されている。
そのバカの本質は、官僚としての無責任体質だと思う。
例えば、大本営発表の嘘なども、真実を伝えると国民の戦意に影響が出るであろう、という心配から真実を隠したわけで、それは海軍と陸軍の間でもお互いに真実を隠し合ったわけで、これでは国家総力戦そのものが成り立たないのも当然である。
私がこういう立場の人々をバカだバカだというのは、お互いに協力し合って戦争をしている、戦争する以上はお互いに協力し合わなければそれが成り立たない、ということが双方の高級参謀には解っていなかったという点があるからである。
海軍兵学校に、あるいは陸軍士官学校へ、大勢の競争相手を蹴散らして入ったは以上、その時点では確かに人並み以上に優秀であったに違いないが、その後の官僚システムの中で10年20年と年を重ね、地位も職階も上がってくると、ごくごく常識的な思考能力が退化して、「井戸の中の蛙」のような思考に陥ってしまったところにある。
それぞれの養成機関を卒業して、それぞれに職務に就き、その職務を遂行しているうちに、自分の枠、陸軍なり海軍なりの枠がいわばリトル・ワールドに嵌り込んでしまって、まさしく「井戸の中の蛙」、「葦の髄から天覗く」、という状況に陥ってしまったものと推察する。
陸軍でも海軍でも、若い士官、いわゆる純粋培養された若い士官がそういう弊害に陥ってはならないというわけで国費で留学などさせても、昭和の軍人たちは世界の状況と、将来の展望を肌で感じて、目で見、耳で聴いては来なかったわけで、リトル・ワールドから出ることができなかったわけである。
その前の世代は、国是が西洋列強に追いつけ追い越せであったがゆえに、何でも吸収しようとしていたが、その後の世代は、日本が西洋列強と肩を並べる位置にいたので、もう習得すべきものは何もない、という思いに至ったものと推察する。
まさしく奢りそのもので、自分が奢り高ぶっているものだから、周りの状況がさっぱり目に入らなかったに違いない。
ここで問題とすべきことが人間の知性である。
昔の海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人が優秀であったという迷信は、確かに入る時点では優秀であったに違いなかろうが、その優秀といわれる部分に人間としての美徳が、あるいは冷静な知性が、あるいは沈着な思考力があったかどうかは価値判断の基準に入っていなかったに違いない。
こういうものはペーパーチェックでは測れないから、それがあったかどうかはさっぱりわからなかったに違いないと思う。
ただ彼らが優秀であったというのは、ペーパーチェックでは確かに高得点をとったという実績だけであって、それがその人物を測るバロメータになっていたわけである。
旧日本軍の最大の愚行は、このペーパーチェックの実績がその人物の評価を決定付けたという点にある。
ペーパーチェックの実績が、その人がその組織にいる間じゅうついて回るわけで、組織の中で人の配分は適材適所に配するというのが極めて常識的な思考であるにもかかわらず、日本軍の中ではそうはなっていなかったのである。
ということは、旧日本軍の中では、理性や知性、合理的な思考というものが何の値打にもなっていなかったということだ。
結局、日本軍の中では、海軍も陸軍も、自分達の組織の中だけで物事を見ていたわけで、天皇のためというフレーズも、自分達の利益のために天皇を利用しただけのことである。
本当に天皇のためということを考えたとすれば、それは当然天皇の赤子のためという風に、今の言葉に言い換えれば、国民の側に還元されてしかるべきである。
ところが、天皇のためと称して、自分達の利益にそれを利用していたので、天皇にも背くことになったが、そこは老獪な彼らのことなので、直接的な言葉で奉上するわけではなく、作戦が成功したのか失敗したのかさっぱりわからないということになったものと推察する。
こういう場面で、人間の理性とか知性がさっぱり機能しないということは一体どういうことなのであろう。
海軍兵学校でも、陸軍士官学校でも、入ってきた人間はその時点では確かに優秀であったであろう。
その中で行われた教育もそれなりに優れたものであったであろう。
ならばそこを卒業した人たちが何故に、理性も知性も合理的な思考も失ってしまったのであろう。
こういう教育機関においても、通常の部隊においても、初年兵を虐める、新人を虐めるということの不合理になぜ思い至らなかったのであろう。
こういう教育機関に選抜されて入ってきた人たちは、それなりにミニマムの教養知性は備えているはずなのに、それに何故に鉄腕制裁が必要であったのであろう。
この不合理に旧軍では軍隊の組織が壊滅されるまで気がつかなかったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
俺が村の、俺が町の、一番二番の秀才が、厳しい選抜試験をクリア―して集まってきたものに対して、口でいうのではなく、口頭で指示すのではなく、何故に鉄腕制裁を加えなければ規律が維持できなかったのであろう。
戦後の各階層の手記あるいは戦記ものを読んでも、初年兵時代の先輩からいじめは数多く告発されているが、その理由や原因については言及したものがないように思う。
ただ言えることは、この鉄腕制裁というのは、軍隊だけの特殊な在り様ではなく、当時の日本社会全般に幅を利かせていたわけで、教育現場でも先生が児童をぶん殴るケースが往々に散見されるのは一体どういうことなのであろう。
この風潮が下級兵士によって海外でも現地の人に対して何の違和感もなく行われたので、相手にしてみれば、日本兵は人をぶん殴る野蛮な人たちだという概念が生まれてしまった。
昭和初期の日本人は、人をぶん殴るという行為を野蛮な行為などはいささかも認識しておらず、それが躾として当然の行い、教育の一環ぐらいにしか思っていなかったに違いない。
日本全体がそういう雰囲気であったので、それが軍人の養成機関の中で行われたとしても、何ら違和感を感じずに許容していたのであろう。
問題はそれを許容していた知識人の存在と世間一般の認識である。
海軍兵学校でも陸軍士官学校でも、そこを卒業すれば職業軍人として世のリーダー足るべき地位に就くことが約束されていたにもかかわらず、自分達が経験してきた鉄腕制裁の不合理を、誰一人突いたものがいないということは一体どういうことなのであろう。
こういう不合理を、内側から突き崩す機運がいささかも出てこないということは、一体どう解釈したらいいのであろう。
先に述べた、軍の官僚システムの中で、学校時代の成績で出世が左右されるということなども、理性的な思考に立てば不具合・不合理だと当然考えられてしかるべきことなのに、誰もそれに気がつかないということは一体どう考えたらいいのであろう。
鉄腕制裁のことでも、普通に理性と知性で考えれば、大の大人を殴って鍛える、殴って躾るなどということは、ナンセンスの極みであるが、それがどうして誰にもわからなかったのであろう。
そこにあったのは、私に言わしめれば、究極の無責任体制であって、自分自身はすでに経験して、地獄の苦しみを通過してしまったので、自分と同じ苦しみを後輩が受けることに何の疑問も感じず、自分さえ良ければ人のことなど構っておれないという思考ではなかろうか。
優秀であるべき人たちが選抜されて集められた集団で、野蛮人や家畜を躾けるような意味のない行為に、誰も疑問をもたなかったというのは不思議でならない。
ナンセンスなことを、「それは実にナンセンスだ!」と誰もいわなったので、それが集約されて、結局、日本は奈落の底に転がり落ちたのではなかろうか。
勝ち目のない戦闘に一銭五厘でかき集められた兵士をドンとつぎ込むという無責任も、そういうところに原因があったのではなかろうか。
前線の将兵にしてみたら、与えられた命令は勝つ見込みが有ろうが無かろうが遂行しなければならないが、そういう立場に追い込む側の戦争指導者、具体的には参謀本部の参謀肩章を幾つもぶら下げた高級参謀は、勝つ見込みのない戦闘に新たな兵力をつぎ込むことが亡国の振舞いであったことに気がつかなかったのだろうか。
勝つ見込みのない戦闘に兵力を投入することはナンセンス以外の何物でもないが、誰もそういう視点で個々の戦闘を見ていない。
この本の中だったと思うが、昭和の軍人にはさっぱり戦争というものが理解されていなかった、と書かれていたが確かにそう思える節がある。
戦争を理解していない軍人、国家総力戦という認識の欠けた昭和の軍人を我々はどう考えたらいいのであろう。
これは私の持論であるが、昭和の高級参謀たちは、戦争を私物化していたのではないかと思う。
自分自身の保身のために戦争をしていたのではないかと思う。
本当に戦争に勝つ気があれば、とても考えられないような愚昧きわまる作戦があまりにも多すぎる。
前にも記したが、連合軍のつまり敵側の高級軍人の日本軍に対する評価は、「前線の将兵は実に勇猛果敢だが、高級参謀はバカだ」という評価である。
連合軍でなくとも、我々の同胞からでさえも真底そう思える。
これは一体どういうことなのであろう。
優秀だとされていた、海軍兵学校、陸軍士官学校、その上の海軍大学あるいは陸軍大学の教育は一体何であったのかということになるではないか。
負けるような戦争をする軍人はバカ以外の何物でもないはずであるが、今日に至っても旧軍人にたいするこういう評価は起きていないのではなかろうか。
昭和時代を生き抜いた古老の頭の中には、いまでもこういう学校を出た人は優秀であった、というイメージが抜け切れていないように思う。
こういうイメージが今でも生きているということは、我々の民族の中には理性や知性や合理性で物事を考え、判断するという価値観が未だに息づいていないということである。
戦後、アメリカの民主化運動で、我々は軍国主義をかなぐり捨てて民主主義を会得したような気でいるが、ここでも理性と知性と合理主義で物事を測るという思考方法にはたどり着いていない。
戦前のイデオロギーが逆向きになっただけのことで、いわば屋根の上の風見鶏の矢の方向が逆になっただけである。
戦前は老いも若きも国に殉ずることが誉であったが、戦後はそれが逆向きになって、国家の言うことを聞かない人間が英雄として崇め奉られるようになった。
これは戦前の反動という見方もあろうが、戦後は民主的な国家運営になっているわけで、国政は国民から選ばれた人たちによって運営されている。
いわば我々の政府は、我々が選んだ国会議員の中から選出されているわけで、そのことは国民の総意を内包したものといえる。
とはいうものの、個々の国民の個々の願望や期待に応えようとしても、それは民主国家であればこそ、様々な手続きを経なければならないので、すぐにというわけにはいかない。
それは同時に、国としてあっちに行こうとすれば反対、こっちに行こうとしても反対というわけで、右に行っても左に行っても反対運動が起きるわけで、結局の所立ち往生するほかない。
こういう政治の局面でも、我々は冷静に議論をして、理性と知性で以って物事を判断するということが出来ない。
この本の中にも述べられているが、美濃部達吉の「天皇機関説」の問題でも、美濃部氏が理論整然と反論をしても、誰もそれで納得していないわけで、結局は国体を蔑にしているという阿呆みたいな話が大衆をはじめとする日本の全国民を覆ってしまった。
斎藤隆夫の粛軍演説というのも、彼は政府を理論整然と問いただしているわけで、決して粛軍演説などではなく政府の対応を聞いたに過ぎないにもかかわらず、反軍演説にしてしまったわけで、これは一体どういうことなのであろう。
美濃部達吉の例でも、斎藤隆夫の例でも、当時の国家議員でこの演説を自分の耳でしっかり聞いた人間は大勢いるはずなのに、彼らを擁護する人が一人も表れないということは一体どういうことなのであろう。
この時代、軍人が威張っていたことは確かであろうが、そのことと理性や知性が消滅することは次元の違うことであって、こういう人々に対して誰一人擁護の手を差し伸べなかった、ということは極めて奇怪な我々同胞の行動といわなければならない。
戦後の基地や空港を巡る土地収用の問題でも、各地で反政府運動が沸き起こったが、土地を取られる農民の苦痛は察して余りあるが、この問題は個の利益と公の利益の衝突なわけで、そのバランスを何処に置くかに尽きると思う。
しかし、戦後の我々同胞の進歩的な人々は、こういうケースの場合、弱いものの見方というわけで、土地を取られる農民の側に肩入れをして、政府の行いは許されないというニュアンスでこの問題を知見している。
ならば公の利益は何ら考慮すべきものではないのかと反論すると、それは政府が他の手段を考えればいいということになるが、何処にもって行っても、何処かで同じことが起きるわけで、これも戦前の軍の高級参謀のしていたのと同じレベルの無責任極まりない言動につながる。
イデオロギーの向きが逆向きになっているだけのことで、無責任体制という意味では一貫している。
ここでも冷静な知性で以って、農民を説得するという基本の中の基本が全く無視されて、その場その場の対処療法でことが行われるので、出来上がったものが中途半端なものになる。
我々の日本という国は、地球上の地勢的な条件からして、地下資源の全くない小さな島で、大陸に進出しようという発想そのものが極めて実現不可能に近い夢であったわけで、それと同じパターンでこの狭い日本で新たに基地を作ったり新たな空港を作る余地は最初から無いわけである。
だから政府としては、「反対運動があるならば、我々は空港をもう作りませよ」といえばいいのである。
政府がそういえば、日本は21世紀の世界から取り残されることになるので、我々は戦後のようなひもじい生活を余儀なくせざるを得ず、天に向かって吐いた唾が自分の顔に降りかかって、初めて自分の考えが浅薄であったことに気がつくのである。