例によって図書館から借りてきた本で「アメリカの本音」と云う本を読んだ。
サブタイトルには「日本人が知りたくない」とクレジットがついているが、非常に刺激的な表題である。
著者は日高義樹氏、彼の「ワシントン・リポート」というテレビ番組は好きで、機会があれば見るようにしているが、見落とす事も多い。
テレビに登場しているメディア関係者にも、それぞれに個性というか品の良さが如実に表れる。
例えば、田原総一郎などは、相手を怒らせてでも本音を引き出そうとして、その手法に強引さが見え隠れしているので、総体として下品である。
立花隆等は、自分の方が知の巨人なるが故に、自分で相手の思っている事を組み立ててしまう。
その点、日高義樹などは純粋にインタビューアーとしての本質を継承しているのではないか、と私なりに評価している。
ただしこの本は7年も前の事を書いているので、いささか時代遅れという感がする。
国際的な政治外交というのは、まさしくカレントというだけあって、水の流れの如く、極めて流動的で、瞬く間に時代遅れになってしまう。
だが、日本でもアメリカでも、メディアが大騒ぎすることが、必ずしも事の本質をついたものでない、ということは厳然たる事実で、我々はメディアの言うことの裏を、様々な情報を酷使して、真剣に考えなければならない。
この本は2001年の同時多発テロ以降のアメリカの姿勢を顕彰する過程で、ブッシュ大統領の政治手腕に言及しているが、アメリカという国は、常に何かに挑戦し続けている国だと思う。
ある意味で自転車操業に通じるものがあるみたいで、常に挑戦というペダルをこぎ続けていない事には転んでしまう国なのではなかろうか。
アメリカという国の建国の過程を見ても、世界の他の国とは全くその過程が異なっているわけで、彼らは基本的にその地に根を張って生きて来たネイティブな人々ではない。
元々の土地に住みついていたネイティブな人々と、入れ替わってしまった人たちである。
地球上の他の地域の人々は、有史以来その土地で生きて来た人たちであるが、アメリカに限っては、途中でそういう人々が入れ替わってしまって、人種が接ぎ木されたような状況である。
自然界の植物でも、途中で接ぎ木すれば、本来の能力よりも有効な成果を引きだす事が可能なように、それと同じ事が人類においてもあったものと思う。
ネイティブな現住民がいた所に、ヨーロッパから流れ着いた人たちが移入し、後になってきちんとした住み分けをしたということは、人種を含めてそれに付随する文化ごと接ぎ木したようなものである。
接ぎ木の場合、接ぎ木をする先の部分を穂木といい、その土台になる下の部分を台木というらしいが、ネイティブ・アメリカンという台木に、ヨーロッパの人間と文化が穂木として接ぎ木されたものと考えられる。
地球上の他の地域の人々は、そのほとんどが、その地に根ついたネイティブな人々であったが、アメリカではそうではなく、接ぎ木されていたので、その生命力が他よりもたくましくなったと言える。
文化が接ぎ木されると何故生命力が旺盛になるかと言えば、古臭い伝統の束縛がないからである。
我々の身の回りの例でいえば、儒教思想というのは既に栄華を得た人の論理で、そういう人が自分の地位を維持するために、先人を敬い、師を仰ぎ、老親に孝行せよと説くわけで、それでは後に続く若者は、先輩や師匠を踏み越えて先に進めないではないか。
これでは文化の進展は望めないのも当然である。
これだからネイティブなアジアン、エイジアン、アジアの現地人は近代文明に一歩遅れをとったのである。
農作物は収量の増産を計って苗の時に接ぎ木をする例が多いが、接ぎ木をしたのとしないのでは収量が違うと云う事は、接ぎ木をする事によって、本来の性質に何かのインパクトを与えた、何かの刺激を与えた、ということではないかと思う。
人間の集合を民族という枠で捉えた場合、それは物事の考え方の相異ではないかと、私は勝手に想像している。
今年も夏が来て、敗戦記念日が近づくと、66年前の事をメディアがもっともらしく騒ぎ立てているが、あの戦争を敗北と認識した時点で、我々はその敗北の責任を掘り起こして、その責任者を追及し、糾弾しなければならないのではなかろうか。
極めて個人的な事であるが、今年の夏、古い荷物を整理していたら、71年前の母の日記が出て来た。
昭和15年、1940年、私が生まれた時の育児日記が出て来たが、それによると既に戦争前からさまざまな品物の統制が始まっていて、炭から粉ミルク、砂糖等々あらゆるものが統制されていたらしいが、そういう国民的努力をしても、結果として敗北であったとなれば、その失政の責任者は、石を以て撃たれて当然だと思う。
勝った側が、勝った側の勝手な思い込みで、日本側の指導者を制裁するのは、それはそれでいた仕方ないが、問題は、我々の同胞の中で、その同胞に途端の苦しみを与えた、同胞の処遇である。
勝った側が勝手にやったのだから、それで戦に負けたことの禊は済んだとはならないと思うが、我々は戦後66年間、その部分を真剣に考えてこなかったのではなかろうか。
日本の元首が靖国神社に参詣すると、アジア諸国からとやかく言われる。
その度に右往左往する政治指導者は、まさに戦争を止められなかった政治指導者と同じ轍を踏んでいるわけで、その部分に民族としての政治的DNAがあって、この発想の相異は接ぎ木でもしない事には克服できない事柄なのかもしれない。
昭和15年という年は皇紀2600年で、その式典を見に行ったと母の日記には記されているが、その事は日本民族が過去2600年も連綿と継続した事を云っているわけで、だとすれば途中で接ぎ木されたアメリカ人の思考とは、大きな乖離があっても何ら不思議ではない。
問題は、あらゆる面でグローバル化した国際社会で、アメリカと如何に付き合って、我々のアイデンテイテイーを如何に確立するかということに尽きる。
こういう発想に立った時、日本のメディアは、色々言われている表層面だけを見て、その受け売りに徹してしまっているところに、日本人の物の見方の浅はかさが横たわっている。
日本人も、近世以前ならば外国の文化に畏敬の念を持ていたが、それが明治時代に日清・日露の戦役に勝利した事によって、我々は潜在意識の中の謙虚さを失ってしまったものと考えられる。
遣隋使、遣唐使、元寇の乱というときは、我々は外国人に対して畏敬の念を以て接していたと思う。
ところが明治時代に日清・日露の戦役に勝ってしまったことによって、明らかに驕った精神を持ってしまったわけで、この時点で、我々の民族の美徳であるべき謙虚さとか、謙譲の美徳を失ってしまったものと考えなければならない。
世の中の変革は、常にその時のリーダ-によってなされるわけで、我々の民族として謙虚さを失ったという事は、我々の民族のリーダ-達がそういう謙虚さや謙譲の美徳を失ってしまったという事だ。
日本の高度経済成長華やかリし頃、ジャパン・イズ・No1、アメリカ何するものぞ、という風潮が日本中に蔓延していたが、まさしく太平洋戦争前の我々のアメリカ認識と全く同じ轍を踏んでいるではないか。
こんな事の不合理、不条理を、アメリカに留学した日本の知識人がわからない筈がないではないか。
にも関わらず、あの時点で「日本の経済はバブルだから注意しなければならない」と、警告を出した人はいないわけで、「今、投機しない奴はバカだ」と、バカ呼ばりするほど、驕り高ぶっていたのである。
ちょっと金回りがよくなるとすぐに舞い上がる輩は、名実ともに「軽佻浮薄の輩」と云うことであるが、昔はこういう人の事を成り金と云って、知識人たちは軽蔑して眺めていた。
ところが、今では成り金こそ人々の憧れの的になっている。
東京大学を出たような人までも、成り金に憧れを抱いているようで、こんな知的センスの日本人ばかりであるとするならば、日本という国そのものがメルトダウンしてもいた仕方ない。
日本という土地に住んでいる人が、皆、そういう思考をもつようになれば、それこそ国家という概念も消滅するわけで、そうなれば民族の誇りも、名誉も、アイデンテイテイーも一切関係ないわけで、「友達の友達は友達だ」で、皆仲良く生きていけると思う。
併し、我々はそれでハッピーかもしれないが、我々の回りには、その我々のハッピーを妬む人間もいると思うが、それに対してはこういうハッピーな日本人は如何に対応するのであろう。
そういう時になって、国家に頼ってこられても、その時には頼るべき国がないわけで、偏狭なアジア諸国の言いなりになって、彼らの立ち居振る舞いを指を咥えて見ている事になる。
そもそも日本の国土から、日本人が外国人に浚われるなどという事は、100%完全なる主権侵害であって、国際社会に訴えて、その非常識さ、不合理さ、非常理さを国際世論に訴え続けなければならないことである。
本来ならば武力を使ってでも、浚われた日本人を救出しなければならないところである。
日本の国土から日本人が浚われるということ自体、日本が舐められているという事に他ならないが、日本の政治家の中には、これを真剣に考えている人が一人もいないということである。
こういう身近な問題はひとまず棚に置いておくとして、我々の国が資源に乏しい事は古の昔から赤ん坊でも知っている事であって、だからと言って、アメリカと戦争するのに、その資源を東南アジアからもって来て、日本で加工してそれで兵器を作ってアメリカと戦争をする、という発想は一体どこから出て来たアイデアであったのだろう。
世界中が平和な時ならば、こういうアイデアにも整合性があるが、片一方で中国と戦争しながら、こういうアイデアが出てくるという事は、如何に世の中の動きに無頓着かという事を、自ら暴露しているような馬鹿な発想である。
このバカさ加減に気がつかない政府首脳というか、知識人というか、軍官僚というか、当時の日本のリーダーは、如何にバカで阿呆だったかという一語に尽きる。
こういうリーダーが戦争指導していたとすれば、勝てる戦争でも勝てないのが当然である。
サブタイトルには「日本人が知りたくない」とクレジットがついているが、非常に刺激的な表題である。
著者は日高義樹氏、彼の「ワシントン・リポート」というテレビ番組は好きで、機会があれば見るようにしているが、見落とす事も多い。
テレビに登場しているメディア関係者にも、それぞれに個性というか品の良さが如実に表れる。
例えば、田原総一郎などは、相手を怒らせてでも本音を引き出そうとして、その手法に強引さが見え隠れしているので、総体として下品である。
立花隆等は、自分の方が知の巨人なるが故に、自分で相手の思っている事を組み立ててしまう。
その点、日高義樹などは純粋にインタビューアーとしての本質を継承しているのではないか、と私なりに評価している。
ただしこの本は7年も前の事を書いているので、いささか時代遅れという感がする。
国際的な政治外交というのは、まさしくカレントというだけあって、水の流れの如く、極めて流動的で、瞬く間に時代遅れになってしまう。
だが、日本でもアメリカでも、メディアが大騒ぎすることが、必ずしも事の本質をついたものでない、ということは厳然たる事実で、我々はメディアの言うことの裏を、様々な情報を酷使して、真剣に考えなければならない。
この本は2001年の同時多発テロ以降のアメリカの姿勢を顕彰する過程で、ブッシュ大統領の政治手腕に言及しているが、アメリカという国は、常に何かに挑戦し続けている国だと思う。
ある意味で自転車操業に通じるものがあるみたいで、常に挑戦というペダルをこぎ続けていない事には転んでしまう国なのではなかろうか。
アメリカという国の建国の過程を見ても、世界の他の国とは全くその過程が異なっているわけで、彼らは基本的にその地に根を張って生きて来たネイティブな人々ではない。
元々の土地に住みついていたネイティブな人々と、入れ替わってしまった人たちである。
地球上の他の地域の人々は、有史以来その土地で生きて来た人たちであるが、アメリカに限っては、途中でそういう人々が入れ替わってしまって、人種が接ぎ木されたような状況である。
自然界の植物でも、途中で接ぎ木すれば、本来の能力よりも有効な成果を引きだす事が可能なように、それと同じ事が人類においてもあったものと思う。
ネイティブな現住民がいた所に、ヨーロッパから流れ着いた人たちが移入し、後になってきちんとした住み分けをしたということは、人種を含めてそれに付随する文化ごと接ぎ木したようなものである。
接ぎ木の場合、接ぎ木をする先の部分を穂木といい、その土台になる下の部分を台木というらしいが、ネイティブ・アメリカンという台木に、ヨーロッパの人間と文化が穂木として接ぎ木されたものと考えられる。
地球上の他の地域の人々は、そのほとんどが、その地に根ついたネイティブな人々であったが、アメリカではそうではなく、接ぎ木されていたので、その生命力が他よりもたくましくなったと言える。
文化が接ぎ木されると何故生命力が旺盛になるかと言えば、古臭い伝統の束縛がないからである。
我々の身の回りの例でいえば、儒教思想というのは既に栄華を得た人の論理で、そういう人が自分の地位を維持するために、先人を敬い、師を仰ぎ、老親に孝行せよと説くわけで、それでは後に続く若者は、先輩や師匠を踏み越えて先に進めないではないか。
これでは文化の進展は望めないのも当然である。
これだからネイティブなアジアン、エイジアン、アジアの現地人は近代文明に一歩遅れをとったのである。
農作物は収量の増産を計って苗の時に接ぎ木をする例が多いが、接ぎ木をしたのとしないのでは収量が違うと云う事は、接ぎ木をする事によって、本来の性質に何かのインパクトを与えた、何かの刺激を与えた、ということではないかと思う。
人間の集合を民族という枠で捉えた場合、それは物事の考え方の相異ではないかと、私は勝手に想像している。
今年も夏が来て、敗戦記念日が近づくと、66年前の事をメディアがもっともらしく騒ぎ立てているが、あの戦争を敗北と認識した時点で、我々はその敗北の責任を掘り起こして、その責任者を追及し、糾弾しなければならないのではなかろうか。
極めて個人的な事であるが、今年の夏、古い荷物を整理していたら、71年前の母の日記が出て来た。
昭和15年、1940年、私が生まれた時の育児日記が出て来たが、それによると既に戦争前からさまざまな品物の統制が始まっていて、炭から粉ミルク、砂糖等々あらゆるものが統制されていたらしいが、そういう国民的努力をしても、結果として敗北であったとなれば、その失政の責任者は、石を以て撃たれて当然だと思う。
勝った側が、勝った側の勝手な思い込みで、日本側の指導者を制裁するのは、それはそれでいた仕方ないが、問題は、我々の同胞の中で、その同胞に途端の苦しみを与えた、同胞の処遇である。
勝った側が勝手にやったのだから、それで戦に負けたことの禊は済んだとはならないと思うが、我々は戦後66年間、その部分を真剣に考えてこなかったのではなかろうか。
日本の元首が靖国神社に参詣すると、アジア諸国からとやかく言われる。
その度に右往左往する政治指導者は、まさに戦争を止められなかった政治指導者と同じ轍を踏んでいるわけで、その部分に民族としての政治的DNAがあって、この発想の相異は接ぎ木でもしない事には克服できない事柄なのかもしれない。
昭和15年という年は皇紀2600年で、その式典を見に行ったと母の日記には記されているが、その事は日本民族が過去2600年も連綿と継続した事を云っているわけで、だとすれば途中で接ぎ木されたアメリカ人の思考とは、大きな乖離があっても何ら不思議ではない。
問題は、あらゆる面でグローバル化した国際社会で、アメリカと如何に付き合って、我々のアイデンテイテイーを如何に確立するかということに尽きる。
こういう発想に立った時、日本のメディアは、色々言われている表層面だけを見て、その受け売りに徹してしまっているところに、日本人の物の見方の浅はかさが横たわっている。
日本人も、近世以前ならば外国の文化に畏敬の念を持ていたが、それが明治時代に日清・日露の戦役に勝利した事によって、我々は潜在意識の中の謙虚さを失ってしまったものと考えられる。
遣隋使、遣唐使、元寇の乱というときは、我々は外国人に対して畏敬の念を以て接していたと思う。
ところが明治時代に日清・日露の戦役に勝ってしまったことによって、明らかに驕った精神を持ってしまったわけで、この時点で、我々の民族の美徳であるべき謙虚さとか、謙譲の美徳を失ってしまったものと考えなければならない。
世の中の変革は、常にその時のリーダ-によってなされるわけで、我々の民族として謙虚さを失ったという事は、我々の民族のリーダ-達がそういう謙虚さや謙譲の美徳を失ってしまったという事だ。
日本の高度経済成長華やかリし頃、ジャパン・イズ・No1、アメリカ何するものぞ、という風潮が日本中に蔓延していたが、まさしく太平洋戦争前の我々のアメリカ認識と全く同じ轍を踏んでいるではないか。
こんな事の不合理、不条理を、アメリカに留学した日本の知識人がわからない筈がないではないか。
にも関わらず、あの時点で「日本の経済はバブルだから注意しなければならない」と、警告を出した人はいないわけで、「今、投機しない奴はバカだ」と、バカ呼ばりするほど、驕り高ぶっていたのである。
ちょっと金回りがよくなるとすぐに舞い上がる輩は、名実ともに「軽佻浮薄の輩」と云うことであるが、昔はこういう人の事を成り金と云って、知識人たちは軽蔑して眺めていた。
ところが、今では成り金こそ人々の憧れの的になっている。
東京大学を出たような人までも、成り金に憧れを抱いているようで、こんな知的センスの日本人ばかりであるとするならば、日本という国そのものがメルトダウンしてもいた仕方ない。
日本という土地に住んでいる人が、皆、そういう思考をもつようになれば、それこそ国家という概念も消滅するわけで、そうなれば民族の誇りも、名誉も、アイデンテイテイーも一切関係ないわけで、「友達の友達は友達だ」で、皆仲良く生きていけると思う。
併し、我々はそれでハッピーかもしれないが、我々の回りには、その我々のハッピーを妬む人間もいると思うが、それに対してはこういうハッピーな日本人は如何に対応するのであろう。
そういう時になって、国家に頼ってこられても、その時には頼るべき国がないわけで、偏狭なアジア諸国の言いなりになって、彼らの立ち居振る舞いを指を咥えて見ている事になる。
そもそも日本の国土から、日本人が外国人に浚われるなどという事は、100%完全なる主権侵害であって、国際社会に訴えて、その非常識さ、不合理さ、非常理さを国際世論に訴え続けなければならないことである。
本来ならば武力を使ってでも、浚われた日本人を救出しなければならないところである。
日本の国土から日本人が浚われるということ自体、日本が舐められているという事に他ならないが、日本の政治家の中には、これを真剣に考えている人が一人もいないということである。
こういう身近な問題はひとまず棚に置いておくとして、我々の国が資源に乏しい事は古の昔から赤ん坊でも知っている事であって、だからと言って、アメリカと戦争するのに、その資源を東南アジアからもって来て、日本で加工してそれで兵器を作ってアメリカと戦争をする、という発想は一体どこから出て来たアイデアであったのだろう。
世界中が平和な時ならば、こういうアイデアにも整合性があるが、片一方で中国と戦争しながら、こういうアイデアが出てくるという事は、如何に世の中の動きに無頓着かという事を、自ら暴露しているような馬鹿な発想である。
このバカさ加減に気がつかない政府首脳というか、知識人というか、軍官僚というか、当時の日本のリーダーは、如何にバカで阿呆だったかという一語に尽きる。
こういうリーダーが戦争指導していたとすれば、勝てる戦争でも勝てないのが当然である。