ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「在日米軍司令部」

2009-01-27 09:19:26 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「在日米軍司令部」という本を読んだ。
日本は63年前、世界を相手に戦ったが、その正面の敵はアメリカ一国であった。
戦端は中国大陸で起きたが、日本の敗北ということになれば、日本を負かして勝利を得たのは、アメリカ合衆国である。
よって、戦いが終わった後、日本はアメリカによって占領された。
表向きは連合軍であったが、実質はアメリカ一国である。
日本を占領したのが、連合軍の極東軍司令部そのものがアメリカの駐日軍隊と完全に一致していたわけで、第2次世界大戦後のアジアは、アメリカ軍の支配するところとなった。
その大元締めが在日米軍の司令部であることはいうまでもないが、日本の地勢的な位置は、アメリカの世界戦略には欠かさないキー・ストーンとなってしまったのである。
最初、アメリカにもそういう意図はなかったかもしれないが、冷戦の深化というのが必然的にアメリカの戦略上に占めるに日本の位置が重くなってしまって、東西冷戦が深刻化するにしたがい、アメリカの戦略上に占める日本の位置が付加価値を増して、今ではアメリカの不沈空母という言葉がそのままあてはまる貴重な存在になった。
その中に住む我々日本人からすれば、独立国の中に、同盟国とはいえ、他国の軍隊が我が物顔に居すわることは許しがたい、と言いたいところであるが、日本はアメリカと戦争をして負けたわけだから、いくら独立したからと言っても、そうそうアメリカと対等の立場で語り合える立場ではない。
日本の対米戦の経緯もよくよく冷静に考えてみると、お互いに抜き差しならない問題の解決を急ぎすぎたわけで、お互いに飲めない要求であればこそ時間を掛けて討議すべきだったかもしれない。
ところが、その場面で、こちら側は我慢の限界が破断しそうになって、我慢しきれなくなって相手の罠に嵌ってしまったし、相手、アメリカ側は、最初から日本を怒らせて罠にはめるつもりで待ち構えていたわけで、結果として最初は良かったが後からは雪崩を打って敗北への道を転がり落ちたわけだ。
その結果として我々は完膚なきまでに敗北した。
そういう成り行きで、その後の世界情勢の推移の中で、東西冷戦を如何に乗り越えるかというアメリカの都合によって、日本は独立を勝ち得たことになっているが、それは真の独立自尊ではなく、日米安保という温室の中の平和であったわけである。
太平洋の東の果てにある孤島の日本が、真に自分の身を自分で守りつつ、諸外国と互して生きていくだけの経費を、当時の日本では工面できないのは目に見えているわけで、それをカバーするためにアメリカが日本の防衛を肩代わりしてくれた。
この部分の金を節約できたから、戦後の日本は経済復興が出来たわけだ。
今の日本人が、アメリカ軍に対して基地撤廃を要求することは、そういう経緯を無視するという事につながると思う。
基地が近くにあれば、何が起こるかわからないという意味で、不安なことは十分理解できるが、過去の経緯を無視して、自分一人で大きくなったような気で、アメリカを非難するという態度は、ある意味で我々の奢りである。
日本は主権をもった独立国で、自分の国は自分で守る、というよりも憲法で戦争放棄しているのだから、日本に軍隊はいらないのだからアメリカよ出て行け、という論法はあまりにも無知に等しい。
21世紀の今日、自分の国を自分達だけで守れる国というのは、この地球上にあり得ない。
自分達で自分達の国を守れないから、お互いに連携し合って、助け合って連絡を密にしなが共同で立ち向かうというふうに考え方が進化している。
日本にあるアメリカの空軍基地の騒音問題というのは、由々しき問題ではあるが、日本が戦争に負け、6年半にも及ぶ占領を受け、日米安保で守られている状況下では、それを改善する方策はありえない。
もう一度アメリカと戦争をして勝つ以外に、基地の騒音問題というのは解決の道はない。
ただし、日本は自由に恵まれた国なのだから、自分の方が基地の無い町に移り住むという選択は、大いにあるわけだが、そういう状況下で自分から住居を変えると国家から一銭も補償金がもらえないが、反対運動を盛大に盛り上げると、国も補償金を出してくれるわけで、それにありつこうという人はかなりの数いると思う。
アメリカにとって日本にある米軍基地というのは、極めて重要なキー・ストーンであることは論をまたない。
ハワイでもフイリッピンでもアメリカ本土との関係は深いが、後ろに工業地帯を控えているという点では、日本にかなうものはないはずで、その上、戦略上を取っても日本の地勢的な位置というのはかけがえのないものだと思う。
時間を63年前まで遡ってみると、アメリカ人は日本人に対して非常な恐怖心をもっていたようだ。
無理もない話で、アメリカのペリーが日本の扉をこじ開けてから、アメリカと対等に戦争するまでたった93年しかたっておらず、その間に清帝国やロシアを負かしてきているわけで、太平洋上の日本の存在を考えると、アメリカも枕を高くして眠れなかったに違いない。
そういうわけで、今のアメリカは、日本の自衛隊とも緊密に連絡を取り合っているが、わが日本、やまと民族には民族固有の欠点があって、それは秘密が守れないということである。
秘密が守れないということよりも、秘密ということに対する認識が最初から甘いわけで、「人に漏らしてはならない」という意味を深く考えない節がある。
それは事の本質あるいは意義を知らないということなのであろう。
自分が人から聞いたこと、教えられたこと、見たこと、目のまえの物が、立場が変わると如何なる影響を及ぼすかというところまで考えが回らないわけで、その部分を安易に考えているから、結果的に秘密漏えいということになってしまうのである。
イージス艦の秘密の部分を、自分のコンピューターに取り込むということの重大さに全く気がついていないわけで、こういうことの本質に無感覚というところが秘密漏えいにつながっているのであろう。
これは昔から我々の民族の特質なわけで、自分の言葉や振る舞いが自国を苦境に落としめ、相手を利するということに思いが至っていないわけである。
話は少々飛躍するが、こういう感覚が我々の自虐史観にもストレートに表れているのではなかろうか。
自分が謙れば、相手は自分を尊い存在と認め、自分を高く評価してくれるのではないかという淡い期待をもって、相手に花をもたせる論議というのが、回り回って自分を窮地の陥れることになるのである。
ある事柄を、交渉相手に見せる見せないという判断は極めて高度な交渉技術であって、それは同時に高度な戦略でもある。
時と、場所と、事案によって、それの使い分けは微妙に変化するわけで、ある時は見せるが情況が変われば見せない、というのは極めて高度な政治的判断である。
我々はともすると寡黙であることに価値を見出す国民であるが、寡黙であるということは、必要な時に必要な言葉を発しないということでもあるわけで、それは逆に黙っていればいいというものでもない。
必要な時に必要なことを言うという場合、その言うべきことの中にも、嘘、ブラフ、真偽の曖昧なことまでが入っているわけで、これの使い分けは極めて高度な戦略であると思う。
核兵器を開発できてもいないのに、「既に開発した」という情報を流すことも立派な戦略なわけで、その真偽を探るのもこれまた立派なカウンター・情報である。
こういう駆け引きが我々は極めて不得意で、自分のもっている情報を全部曝け出してしまえば、相手はこちらの善意や好意に報いてくれると思い込んでいる。
情報が漏れるという点では、メデイアの責任も大きく関与しているはずで、今の日本国民にとって、外国に知られてならない、外国に隠さねばならない情報などあり得ないと考えている節がある。
この事実は、国を守るという意識が最初から欠落しているわけで、自国民を烏合の衆としか見なしていないわけで、主権の存在ということなどいささかも認識していないということである。
メデイアの追い求める知る権利と、国家の国益上の情報には大きな隔たりがあるわけで、国益のためには隠さねばならない事柄も現実には存在するわけだが、メデイアはそれを認めようとはしない。
メデイアはメデイアの論理で、知る権利を前面に押し出して、どこまでも真実に迫ってくるが、その真実には国益が絡むと相手に知られては不味いこともあるわけで、そこを斟酌するのがメデイアの良心の筈であるが、日本のメデイアはそこの部分で非常に愛国心が希薄で、国益を損なっても知る権利を優先させたがる節がある。
防衛秘密の漏えいというのは、こういう高度な政治判断を伴うものではないが、公開してもいい内容か、隠匿しなければならない事項か、の認識が極めて甘いことは確かだと思う。
この機密の保持が非常に甘い、ということはルールに対する認識の甘さでもある。
「秘密を漏らしてはならない」、ということは頭では理解しているが、「この程度の事ならば大勢に影響ないだろう」という安易な思考が秘密の漏えいにつながっていると思う。
それは逆に言うと秘密があまりにも安易に指定されている面もあり、何でもかんでも秘密、極秘、機密とゴム印をぺたぺた押すものだから、どれが本当に秘密事項なのかわからなくなってしまって、結局は外に漏れてしまうということでもある。
秘密を守るということは、漏えいの方ばかりに関心が向いているが、「何を秘密に指定するか」というところまで遡って考えなければならないと思う。
その意味でアメリカ軍というのは、そういう根幹の部分でかなりしっかりしている。
基本的には、ルールの順守というところに行きつくのであろうが、ルールがきちんと順守された組織は極めて民主化の度合いの高い組織だと思う。
この本の主題は、在日米軍の総指揮は一体どこにあるかという疑問に答えるものであるが、我々はともすると組織を動かすのは、上意下達の命令系統だと思い込んでいるが、この在日米軍の組織を眺めていると、組織の行動規範はボトムアップで、下からの要請で組織全体が稼働するようにも見える。
末端のあるいは先端からの情報が、組織図を昇って行って、それがまた命令下達という形でフィードバックするのではなく、末端や先端の情報は、その場から横に広がって、インターネットのように何時でも何処でもその情報にアクセスできる組織に組みかえられているように見える。
従来の軍の指揮というのは、ピラミットのように、強固で、かたい団結で支えられていたが、昨今の軍の組織は、極めて柔軟な組織で、ヤマタノオロチのように頭がいくつもにわかれていて、その都度離合集散する組織に変わっているようだ。
在日米軍というのも、基本的には戦争を前提とした組織であるが、21世紀の戦争というのは、主権と主権のぶつかり合うような正面戦争は考えにくい。
あるのはテロとの戦いだが、これからはこれが主流になるのではないかと思う。
テロとの戦いであれば、警察が対応すればそれで問題はないが、警察では対応し切れないので、軍隊の登場ということになるが、日本人ばかりではなく世界の知識人は、こういう場面で軍隊が出ることに極めて否定的なコメントをする。
01年の9・11事件のあと、オサマ・ビン・ラデインがテロの黒幕だと言われ、彼はアフガニスタンに隠れたが、あれほどの事件を起こした黒幕を、誰も公の場に突きだすことなく匿ったわけで、この現実を一体どういうふうに考えたらいいのであろう。
この事件を契機にアメリカ軍はアルカイダやムスリム原理主義者たちを敵として認識して、討伐に乗り出したが、こういうアメリカの行動を世界の知識人は冷めた目で見、積極的な支援を拒み、何となく相手の方を擁護する発言で言葉を濁し、アメリカを非難する傾向が強かった。
アメリカとしても、正規軍による正面戦争ならば堂々とアクションがとれるが、こういうテロとの戦いでは、少しょう勝手が違うものと思う。
このように21世紀においては、戦争を取り巻く状況が大きく変化しているので、アメリカが取りうる作戦運用も、大きく時代の変化に対応しなければならないことはいうまでもない。
こういう時代の状況に合わせて、組織そのものが、変化していく柔軟性というものが極めて大事と思う。

「文民統制」

2009-01-26 12:45:26 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「文民統制」という本を読んだ。
著者は戦後生まれの学者であるが、全共闘世代に共通して見られるバイアスのかかったものの見方で、自衛隊というものを最初から否定的に捉えている。
この戦後世代の人々が、戦争を否定的にとらえる思考は、人類の理想であり、理念であることは何人も否定できないことであるが、それを観念で推し量れば、再び抜き差しならない事態を招くことにもなりかねない。
我々の歴史をひもとけば、昭和の軍人たちが我が祖国を奈落の底に転がりおとした事実は深く認識しなければならないが、だからと言って「羹に懲りて膾を吹く」ということになっていいわけはない。
そうならないためには周囲の状況に十分注意を払って、自分一人の思い込みや、独り合点や、贔屓の引き倒しにならないように、自分の頭脳で考え、判断し、決断しなければならず、決して人の言うこを鵜呑みにしたり、マスメデイアの愚民政策に依拠してはならない。
政治の状況、世界の現状というものをよくよく観察して、理性と知性でもって未来を推し量らなければならない。
先の大戦に至る過程でも、軍人が独断専横したことは否めないが、それを阻止しうる政治の在り方いうものは、何処かにあったに違いない。
ところがそれがうまく機能しなかった結果として、軍人の独断専横ということになったわけで、軍人の独断戦争を許したという意味で、国民にも、政治家にも大いに責任があったと思う。
戦争というものは、政治の延長線上にある、異形としての政治形態なわけで、あくまでも政治と紙一重の違いという認識が当時の我々の同胞にはなかったに違いない。
政治と軍事を明確に分離して、この間に相互依存、相互扶助という架け橋の存在を認めず、ただただ自分達のみが天皇の赤子だと、それぞれが勝手に思い込んでいたにすぎない。
昭和初期の日本の軍隊は天皇の軍隊と言われていたが、天皇の軍隊というからには、日本民族全体の軍隊であったわけで、その観点に立てば政治家が軍隊を制御する手段と方法は内包されていたに違いない。
軍隊が天皇制を自分勝手に解釈し、自分勝手に天皇の権威を利用したのであれば、政治家も同じ手法に則って、軍部と同じ手法で以って天皇制の権威を利用して、軍隊に対抗する手段と方法も見つけ出されたように思う。
ところが政治家は、軍人のちらつかせるサーベルの音に委縮してしまって、沈黙してしまったではないか。
そしてテロが横行するようになると、そのテロの主役は軍人の若手将校と右翼の跳ね上がりが演じたわけで、これを抑え込むのも基本的には政治家の仕事であったにもかかわらず、政治家はここでも天皇の威を借りるキツネとしての軍部に、正論を投げることに躊躇し、怠惰を決め込んでしまい、有効な手段を講じ切れなかった。
軍人や軍部の専横を政治家は抑え切れなかったというのは、後からの言い訳にすぎず、「人の口に戸は建てられない」という論法が真理であるとするならば、口先で如何様にも軍部を糾弾することは可能であったはずで、政治家の誰一人として火中のクリを拾う勇気をもっていなかっただけのことだ。
こういう時流に対して、当時の我が同胞は誰一人、その本質を見抜けず、表層の流れに惑わされて、泥縄式にその場その場で対処療法で事を処していたので、結果的に泥沼にはまり込んでしまったに違いない。
学者が本を書く際に、主題の言葉から解き明かすという手法は、普遍的な方法であろうが、戦後の日本の安全保障を考える際には、文民統制以外ありえないではないか。
戦後の日本には軍隊というものが存在していないのであるから、軍人が政治の要諦に居座るということは、最初から想定外のことではないか。
自衛隊は、実質、紛れもなく軍隊であるが、我々の同胞は、それを軍隊と認めていないではないか。
自衛隊はどこからどう見ても、押しも押されもせぬ軍隊であるにもかかわらず、それを軍隊と認識しない我々の同胞の考え方というのは、一体どうなっているのであろう。
この現実に鑑みて、今の日本には軍人というのは一人も存在しないわけで、自衛隊の統括も文民統制以外の道はありえないではないか。
この著者が提起している問題点は、2004年7月に「海幕長、防衛参事官制度の見直しを迫る」ということに関して制服組が政治に関与しかかったことを危惧して、この本を書いたと述べている。
ここで問題となることは、制服を着ていると、それを軍人とみなしていいかどうかである。
自衛隊は軍隊ではない、自衛隊を軍隊にしてはならない、と言いながら制服の自衛官を軍人とみなすということは、論理的に矛盾しているではないか。
この矛盾の延長線上に、海幕長=制服組が、シビリアンの領域を犯したというニュアンスで問題提起しているが、「自衛隊は軍隊ではない」という前提に矛盾があるものだから、海幕長=制服組=軍人という図式は矛盾を含んでいるので、筋道の通った話が成り立たないではないか。
日本の防衛に関する組織図は、そのトップが内閣総理大臣で、その下に防衛大臣がいて、その防衛大臣を補佐する位置に政務官、事務次官、参事官という文民のセクションがあって、その下に陸海空の実働部隊があるわけで、「海幕長、防衛参事官制度の見直しを迫る」ということは、大臣を補佐するセクションに専門家を入れよという要求に他ならない。
現場を預かる人間からすれば、当然な要求だと思う。
戦後の日本は、完全なるシビリアン・コントロールで、総理大臣から防衛大臣まで軍事の専門家は一人もいないので、それを補佐すべきセクションにも専門家が一人もいないことは不安なことは言うまでもないではないか。
戦後の日本において、安全保障とか戦争ということに関して、トップの総理大臣から担当大臣まで、すべてがその所管すべき事柄についてずぶの素人がポストについていていいわけないのは当然のことである。
軍事の専門家にそういうセクションを与えるとすぐに戦争をおっぱじめるという思考は、あまりにも幼稚であって、こういう短絡的な思考が最も危険である。
日本の安全に関しては、完全にシビリアン・コントロールが機能していて、これほど脅威のない国家も珍しいと思うが、その内情といえば、戦後の日本政府には一人の軍事専門家もおらず、極めて密度の濃い平和ボケの人々にリードされているという事実である。
問題は、国家の危機管理を、誰がどういうふうに認識するかということで、文官、いわゆる国家公務員上級試験に受かったキャリアー組が、真に国に殉ずる気概を持っているかどうかという点にある。
国家公務員上級試験に受かった官僚、言葉を変えて表現すればシビリアンが、自衛隊の現場を知っているかといえば、それはありえないと思う。
試験、試験に明け暮れるお宅的な受験生が、鉄砲を担いで草の中や土の中を這いまわる者の気持ちなど理解できるわけがないではないか。
彼らは机の上のデータだけを追っているだけで、現実の自衛隊が如何なる活動をしているか、知識で知っていてもその実情を理解しているとはとても思えない。
そういうものがいくら大臣を補佐し、総理大臣を補佐しても、大臣も総理大臣も平和ボケの戦争音痴なのに、そこに平和ボケのシビリアンがノー天気なアドバイスをしても全く意味をなさず、現実とかけ離れた具申しかありえないではないか。
先の大戦の日本の敗北は、戦争のプロであるべき軍部の中で、こういう現実を無視した作戦が官僚的メンツで行われたところにその原因がある。
国家の危機管理ということになれば、防衛省だけの問題ではないはずで、当然外務省も場合によっては国交省や厚生省も関わりをもってくるので、そういうセクションはそれこそ文民しかいないのであっで、ならばせめて防衛省ぐらいは、他省の事務次官と同じレベルの会議に制服を送り込みたい、というのは妥当な要求だと思う。
自衛隊は軍隊ではないと言いつつも、実質は軍隊なわけで、ならば憲法を改正して正真正銘の軍隊にすればよさそうに思うが、そこがそう単純にならないところが不可解千万なところだ。
昔の織田信長や豊臣秀吉の時代でも、戦をするについて情報をコントロールすることは極めて大事であったわけで、そのことは国と国が同じ条件下で存立する基本的で最も普遍的な人類の形態である。
情報を如何に得て、それを如何に生かすか、ということが生存競争を生き抜く最大の課題であったように思う。
我々はともすると戦争というものを平和に対する特異な状況と思いこんで、鉄砲を撃ち合う状況を勝手に想像しているが、それはあまりにも狭義な見方で、それは平和の中にも潜在的に潜んでいるのが戦争の常体である。
人が生きること自体、既にある種の戦争なわけで、そういう個人が集まって国家というものを形作れば、その存在そのものが人との諍なしではありえない。
そこに既に戦争の種は内包されているではないか。
戦後の日本人は、そういう認識をすっかり忘れてしまって、戦争とは鉄砲を撃ち合うことだ、という狭い認識で捉えようとしていながら、時と場合によって、その解釈を自分の都合の良いようにする。
ここで大事なことは情報なわけで、その情報を集め、吟味し、新たな判断を据えたものが本来ならばインテリジェンスとして、確立されなければならない。
自分の今ある位置を客観的に眺め、周囲の状況を冷静に観察し、近未来を予測して、それに如何に対処するかというノウハウを事前に研究することは極めて大事なことだと思う。
我々はこういうきちんと理詰めの考え方がはなはだ不得意で、理詰めで思考を積みあげることよりも、感情に流されて、義理と人情にがんじがらめに絡められてしまうのである。
国防とか日本の安全保障の問題で、キャリアー組の優秀な人間が、こういうものの考え方に立っていれば、制服組が制度の見直しを迫る必要はないわけで、そうなっていないからこそ、そういう要求が出てきたに違いない。
文官も制服組も共に官僚には違いないが、国に対する思い、国家に殉じる思い、国民に奉仕する思いというのは相当な温度差があると思う。
それは官僚になる前の心掛けの段階から違っているように思う。
国家公務員上級試験を目指すような人間は、基本的に点取り虫で、試験の一点二点に一喜一憂した人間だと思うが、一方防衛大学に行くような人間は、出世とは縁遠く、あえて自分から苦難の道を選ぶというように、目先の栄達ではなく、人に貢献する喜びを秘めているのではないかがと思う。
とはいうものの、防衛大学に進む若者も、最初の内は確かに純粋な気持ちで国に殉ずる気でいるであろうが、戦争のない平和な時代に10年も20年も自衛隊という特殊社会に身を浸していると、出世主義の芽が出てくる可能性もあり、出世欲とは別の仕事欲のようなものに蝕まれることを心配しなければならない。
問題は、国家公務員上級試験にうかるような人が、国の事、国家の行く末、近未来の社会ということを少しでも自分の頭脳で考えているかどうかということである。
そういう意味の質問を彼らにぶつければ、当然のこと、彼らはそういうことを常に考えている、と模範解答をするに違いないが、問題はその模範解答である。
そして、この本の著者は、制服を着た人が、国防の見地あるいは安全保障の見地から、国の事、国家の行く末、近未来の社会ということを想定すると、その想定そのものに拒否反応を示し、否定する口実として、再び「戦争をおっぱじめることを画策している」という論理で迫るわけである。
当然、メデイアは大喜びでこの言葉尻を捕まえて離さず、雲蚊の如く集まって、集中豪雨的な非難中傷を浴びせるわけで、その渦の中で良識というものが何処かに押し流されてしまう。
国の事、国家の行く末、近未来の社会のことを研究するということを別の言葉で言い表わせば、それは国家戦略という言葉になるのだが、戦略という言葉尻を捕まえて、非平和的という概念でとらえると大失敗を繰り返す。
我々、日本民族というのは、この国家戦略という概念に極めて未熟で、我々人類がこの世で生きているだけでも、そのことが争いの中での生存だという認識に至っていない。
人は皆友達だと思っているが、友達同士で分かちあうものがある間は、友好を温めておれるが、これが亡くなった時は、直ちに敵になるのだが、我々の民族は海で隔てられているので、その実感に乏しい。
そういう現実に対して、国際社会の熾烈な生存競争の激しさを実感として肌で感じていないので、他者に対して極めて寛大で、自分が謙れば相手はそれに応えてくれる、と勝手に思い込んでいる。
よって、外交テクニックが極めて稚拙になり、結果として国益が侵害されている。
国益を犯されても、人命に支障がない限り、それは大した問題ではないという認識になり、それを相手に指摘し、相手に抗議することに極めて寛容、寛大、控え目になってしまう。
いわゆる軟弱外交となりがちである。

「常識として知っておきたいことわざ」

2009-01-23 07:12:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「常識として知っておきたいことわざ」という本を読んだ。
新聞や雑誌の余ったスペースを埋めるためのエッセイを集めたという感じの内容であった。
ことわざというのは先人の知恵を凝縮したようなフレーズであるが、その一つ一つが極めて示唆に富んでいる。
読みものとしては何だか物足りなくて、次から次へと読み飛ばしてしまったが、この類の本は、一つの事典として、それにふさわしいものを机のわきに置いて、文章作成の際には必要の都度引用するものだと思う。
そういう意味で、いささか物足りない部分があるが、暇つぶしの読書にとっては結構面白い内容であった。
ところが、22日の中日新聞の朝刊にはアメリカの新大統領、バラク・オバマ氏の就任演説の全文が翻訳されて載っていたが、あの就任演説のテレビの映像とその全文を見てみると、民族における言語の有り体を深く考察させられる。
言語というものは、やはりそれを使う民族と深くかかわり合っているように改めて思った。
言語は、そもそも自分の意思を他者に伝えるツールだと思う。
それは当然自分の生い立ちと密接に関連しているわけで、自分の生まれ落ちた場所や、育った場所でそれそれに異なることは言うまでもないが、であるからして、日本人とアメリカ人では、意志の伝え方に非常に大きな差異があることは否めない。
すでに何人もの人が指摘しているように、我々は極めて均一性に富んだ民族なので、以心伝心ということが比較的容易であるが、アメリカ人には人種のるつぼといわれるぐらい多種多様な人々が存在するので、言葉によって自分の意志を他者の伝え、理解してもらわなければならない。
よって、我々以上に演説という、話のテクニックが広範に行きわたった。
オバマ氏の演説をテレビで見ていてつくづくそのことを感じた。
彼は現稿も見ずに19分間も自分の理念を聴衆に語りかけていたが、我々にはこういうパフォーマンスは不得意な部分ではないかと思う。
当然のこと、彼とても全く下書き、原稿なしであれだけのことを口にしたのではないと思う。
壇上に出るまでに何度も何度も原稿に目を通し、記憶し、それを棒読みではなく自分の言葉として語ったと思うが、まさしく演説そのものである。
当然、その原稿の作成にはスタッフが知恵を絞って書き上げたものと推察する。
問題は、自分の意志を言葉によって聴衆に伝える技術、テクニックである。
民主主義の政治というのは、言い換えれば言葉の戦いだと思う。
言葉によって黒を白とでも言いくるめ、赤を青とも言いくるめることだと思う。
これは嘘を言うのではなく、相手を言葉によって納得させるという意味で、嘘を言えばいいというのとは根本的に違っていると思う。
それに引き替え我々のリーダーは、言葉による戦いというのが極めて稚拙で、それが相手の揚げ足取りや言葉狩りに終わってしまっている。
揚げ足を取られる方も、それに対して気の利いた反論をせずにあっさりと自分の非を認めてしまうので、結局は自分のイスを放り投げるということになってしまう。
これを一言でいえば、メデイアに叩かれ、押しつぶされるということであるが、問題はメデイアが失言を単なる失言と認めず、その人の全人格を否定してしまうから、こういう事態を招いているのである。
大臣や、国会議員や、企業経営者も言葉の中で生きているので、その中ではほんの軽い気持ちで失言、不適切な表現をすることも往々にしてあると思うが、一言の失言でその人の全人格を否定することは、明らかに行き過ぎであるが、そのことにメデイアは気が付いていない。
まさしくメデイアの横暴以外の何物でもない。
こういう大きな場面でなくとも、身近な町内会や会社の会議でも、話をすることが極めて稚拙で、ともすると冗長な話の連続になってしまい、時間ばかりを浪費するということになりがちである。
会議や議事の本質を放り出して、過去の歴史を延々と語ったり、将来の不安をこと細かに心配したりと、その場で議論になっている主題から離れた話が飛び交うようになってしまう。
我々はことほど左様に、言葉で意思の伝達をするということに不慣れで、話し合いで事を決することの下手な民族だと思う。
言葉で意思の伝達をするということについて、キリスト教文化圏のひとは、お互いの言葉を信じているようだが、我々は相手の口から出た言葉を信用していない節がある。
キリスト教文化圏の人々は、約束をしたらその約束が実行されることを前提にものを考えているようだが、我々の場合は、約束をしてもそれは実行されることがないという前提で物事を処していると思う。
事実、過去の例から、一度交わした約束が確実に続行されたことがないので、最初から言葉そのものに信用がないのである。
これも歴史の積み重ねの結果だと思うが、出来るか出来ないかわからないまま、「する」と約束するので、結果的にその約束が果たされず、嘘を言ったということになるのだが、その基のところには、実現が曖昧なものを希望的観測で「出来る」と、安易に考えて安請け合いをするから結果的に口から出た言葉が嘘になるのである。
政治の現場では、確かに先のことは予測が出来ないわけで、出来ると思ったことでも実現できなかったことも往々にしてあるとは思うが、そういう事例が重なって言葉そのものに信用がなくなってしまったに違いない。
我々の歴史を振りかえって見ると、戦後もしばらくの間は、弁論大会というようなものが頻繁にあったように思うが、最近はそういう言葉そのものを聞かなくなった。
真偽のほどは知らないが、この弁論大会で演説をするについて、大衆受けのするテーマは反政府、反体制でないと盛り上がりに欠けると思う。
政府の提灯持ちのような演説では聴く方が白けてしまうのも無理はなく、どうしても反政府、反体制でないことにはインパクトに欠けると思うが、こういう内容であるとするならば、必然的に左翼陣営とオーバーラップしてしまうので、体制側としてはそういう機会は出来るだけ疎遠な状態にしておきたい、つまり弁論大会など催すのに後ろ向きにならざるを得ないということになる。
よって、我々の同胞は人前で演説をするということに益々後ろ向きになり、人を演説で魅了するテクニックに開眼しきれないまま、街頭演説ということになってしまうのであろう。
オバマ新大統領も、選挙戦のときの演説と、大統領就任演説ではだいぶそのトーンが違うと指摘されているが、それは当然のことで、この当然のことが当然のこととして通るところが大事なわけで、選挙戦の時と同じ演説では将来の展望に欠けるということになる。
オバマ氏の就任演説を見聞きして、麻生総理の所信表明演説と比較してみようと思ってインターネットを調べたら、動画で見ることが出来たが、その内容は世界的な規模と日本国内というスケールの違いはあるにしても、麻生総理の演説もそう遜色がないように見えた。
ところが、演説中の野党のヤジが実に耳触りで、人の話を聞かない、話し中にヤジを飛ばすことに対するセンスがまことに情けない。
人が話しをしている時にヤジを飛ばすということは、話し手にはなはだ失礼なことだと思うし、一国の総理大臣というものを軽んじているということであるが、これは権威に媚びないという態度の行き過ぎだと思う。
ところが、ヤジを飛ばしている本人はおそらく、それがモラルの逸脱などと考えていないに違いない。
こういうところの無神経、権威を蔑にすることを進歩的と履き違えるセンスのなさ、これらもろもろの事が、民主主義の未熟さを表していると思う。
自分と意見や考え方の違う人でも、相手が演説をしている時は、その人の話を黙って聞いて、話が終わってから反論するのならば、大人の態度であるが、これでは何も躾けられていない幼稚園児の遊戯の域を出るものではないではないか。
これが国民から選出された国会議員の振る舞いなわけで、これではマッカァサーのいう「12歳の子供」の域を出るものではないという日本人に対する評価も、的を得た発言になる。

「日本の瀬戸際」

2009-01-20 08:51:17 | Weblog
図書館から借りてきた本で「日本の瀬戸際」という本を読んだ。
韓国人の女性の学者の日本文化論であった。
先回読んだ本は、中国人の日本文化に対するカルチャーギャップであるが、今回のは韓国人のカルチャーギャップである。
カルチャーギャップというよりも、この女性は日本文化の奥底を探ろうとする、ただの文化比較ではない。
中国にしろ、韓国にしろ、海の向こう側から日本というものを見ると、明らかに日本は先進国として彼らの脳裏に写っているようだ。
しかし、これは基本的にはおかしなことで、アジアの文化先進国といえば、やはり中国でなければおかしいわけで、それが明治以降日本が先進国になったということは、彼ら自身心から考察しなければならないと思う。
海を挟んで向こう側とこちら側で、文化的な格差が生じたのは、やはり地勢的なものも大きく左右していると思う。
そして、惜しむらくは、中国人あるいは韓国人・アジアを語るとき韓国人あるいは北朝鮮の人々という言い方は我々にとって実にまどろっこしいので、ここでは朝鮮人という呼称を使うが、こういう人たちが日本が築いた満州というものを全面否定したことは返す返すもおしいことをしたと思う。
満州という土地は、当時の中国、清王朝の視点で見れば「化外の地」で、いわば無人の荒野に等しい地であったはずである。
中国の古典的な思考からすれば、それこそ夷狄の棲む場所であって、野蛮人の土地と認識されていたわけで、それを日本人が開墾して人の住める地にしたのである。
「化外の地」で夷狄の棲む場所であったとしても、先住民は確かにいたに違いないが、戦後の価値観としての言われ方は、農耕を勤しむ中国の人民を大日本帝国が蹂躙し、抑圧して、搾取したという言い方で糾弾されている。ところが、それは事実の歪曲だと思う。
そして、朝鮮人についても、日本が彼らを「抑圧し搾取し続けた大日本帝国の罪科」というような言い方をされているが、彼らも自分達の歴史を冷静に見返してみるべきだと思う。
歴史を見るのに感情を差し挟むので、歴史観が歪んでしまうわけで、朝鮮民族の近代化は、日本の介入がなければ恐らくありえなかったに違いない。
我々の日本は、自らの力で明治維新という大改革を成し遂げ、それによって近代化を達成したことは周知の事実であるが、朝鮮民族は自らの内なる力で改革を達成する情熱をもっていたであろうか。
彼らはやはり外圧というものがなければ、近代化という脱皮を成し得なかったのではないかと推察する。
あの李氏朝鮮が、内なる力で近代化に乗り出すとはどう考えてもあり得ないと思う。
その最大の根拠は、儒教思想に根ざした中国への過大なる期待で、そこには独立自尊という意識が微塵もないわけで、寄らば大樹の陰という他力本願な思考の中にそれが見受けられる。
19世紀後半から20世紀初頭のアジアは、つまり中国の東北部と朝鮮の周辺は西洋列強、帝国主義諸国にとっては名実ともにフロンティアであり、地球上最後の辺境であり、富の草刈り場であったものと想像する。
その地をロシアは虎視眈々と狙っていたわけで、その前に立ちふさがったのが日本というわけである。
普通に考えれば、ロシアの隣は、中国、正確には清王朝であり、李氏朝鮮であったわけだが、これらがそこで国境をきちんと策定して、ロシアの南下を毅然と食い止めていれば、日本のアジア進出ということは、また違った選択をしたに違いない。
日本は清とも正面戦争をし、ロシアとも正々堂々と戦いを挑んだが、朝鮮とは戦争をしていない。
戦争をしていないのに朝鮮が日本に併合されたということは、それこそ今のはやりの言葉でいえば、話し合いでことが収まったわけで、武力を背景にした話し合いで相手国を占領するほど効果的かつ実り多い外交・交渉もなかったわけである。
それが今の時代は、我々の方が「武力の行使は一切行いません」と、自分の方から手足を縛っているので、先方の朝鮮は、居丈高に振舞っているわけで、この部分に人としての品位のなさが露呈している。
国と国というのは、表面は国益が掛かっているので、口角泡を飛ばして言い合いをしているが、庶民レベルでは個々の人間は極めて友好的だと思う。
先の中国の留学生の本でも、個人としては極めて友好的だが、これに政治が絡むとどういう風に変わるかわかったものではない。
問題は、個人としては極めて温和な人で、決して人に迷惑をかけるようなことをしない人でも、政治が絡むとどう豹変するかわからないという点が最大の問題点である。
この部分に政治的な未熟さあるわけで、政治が絡むところころ変わるような人では、我々としては付き合いきれない。
この本の著者は、韓国の出身でありながら、日本の将来を案じているけれど、日本は案ずるような事態をうまくクリア―するのではないかと楽観的な視野でみている。
我々にはありがたいほど日本を擁護してくれている存在である。
日本の追い求めている美意識の中に、日本の未来があるという趣旨で書かれているが、やはり日本はアジアでは特異な存在で、他のアジア人では日本の真似がしえないという点に着目している。
彼女が最も注目したのが、日本人の文字についてであって、中国から漢字を導入して、それに訓というものを考え出して、漢字の使用範囲を広範に広げたという点に注目している。
日本の文章世界は、漢字を通じてその漢字を日本流の訓読みにすることで、イメージを大きく膨らませることが出来ていることに驚異を抱いている。
そして、今日のように、西洋とのかかわりなしでは近代生活が出来ない事態になったとき、西洋の言葉を漢字で表現する際に、日本から漢字のもとの中国にその翻訳が逆流していることに驚いている。
しかし、中国の共産主義というのは、彼の国にもともとあった漢字を妙なものに変えてしまったので、漢字文化圏が消滅しかかってしまっているが、共産中国もバカなことをしたものだ。
もともとの漢字というのは、その一語一語がそれぞれ歴史を背負い、意味が含まれていたのに、共産中国はそれを全部御破算にしてしまった。
韓国も似たり寄ったりで、今ではすべてをハングルで書き表す傾向らしいが、これを我々の状況に合わせると、文書を全部ひらがなで書くようなものらしい。
この著者は、日本のそういう面を褒め称えてくれているので、そういう意味では、まことに有難い日本の味方である。
特に、日本の生け花やワビ・サビの境地を理解しているという点でも、アジア人の中でも異質な存在だと思う。
日本の神社の神々しさ、枯山水の質素さというものに理解を得る東洋人というのは、極めて珍しい存在だと思う。
こういう日本文化は、日本人である私自身は、彼女と反対にかなり懐疑的な思考をもっている。
日本固有のこういう日本文化が、如何にも井戸の中の蛙的な発想のもとに生まれているのではないか、という風にしか見えない。
ある意味で箱庭文化で、世界的な普遍性に欠いているのではないかとさえ思うが、情報伝達の機能が充実してくると、こういうものが世界的に珍重されてきた。
この現象は、ただもの珍しいから世界の人々が興味をもったというだけのことで、文化そのものはある地域の独特の潜在意識の表れではないかという風にしか思えない。
文化の中に身を晒しているものの贅沢かもしれないが、文化の相違という点では、この本の示す通り、日本文化は西洋文化と比べれば異質であるが、文化などというものは民族が違えば同質なことはありえないわけで、違って当たり前だと思う。
海を隔てた向こう側とこちら側で、文化が違うのは何ら不思議でもなんでもないが、我々の側としては、大昔、海の向こう側の文化は我々のものよりも優れていると思っていて、それをどんどん真似しようとしたことは歴史が証明している。
問題は、この発想そのものだと思う。
相手の文化が優れていると思ったら、臆面もなくそれをどんどん輸入し、真似て、真似の上にさらに工夫を凝らしてオリジナル以上のものにするという発想、および思考である。
このことは、我々の民族は良いものに対して非常に素直にその良さを認め、それを受け入れることに極めて謙虚であったわけだ。
ところが海の向こう側の人々は、これこそ人類至上のものだから、これを乗り越えることは罷りならぬという考え方であったと想像する。
自分達の文化に対して非常に傲慢で、奢り高ぶっていたわけで、相手はレベルが低いから大いに真似して、自分達のレベルにまでたどり着くことには寛大であったが、それはいつしか乗り越えられてしまっていたわけである。
この違いは、そのまま民族の生き様につながっているわけで、民族の生き様といえば、その後ろには悠久の歴史が尾を引いているわけで、それがそのままそれぞれの民族の特質となっているのである。
冒頭に満州のことを書いたが、あの幻の国家は確かに日本が人為的に作り上げた国ではあるが、第2次世界大戦が終わった時、この地に住む人たちがあれをそのまま継承していたとするならば、あの地は今以上に発展していたと思う。
ところがそこに進出してきた人たちは、大日本帝国の遺産を屈辱の対象として、感情でものを推し量ったので、結果としてまたもとの黙阿弥と化してしまったのである。
韓国ではもとの朝鮮総督府の建物を壊してしまったが、その壊す理由も大日本帝国の屈辱の遺産を排除するという理由で壊してしまった。
ここでも良いものを参考にしようという気はさらさらないわけで、日帝の忌まわしき遺産としかみていない。
我々は広島の原爆ドームを屈辱の遺産などとは思っていなくて、平和の象徴として捉えているのと発想が逆転しているではないか。
私個人としては、原爆ドームは屈辱の象徴でしかないが、日本人の大多数の感想としては、平和の象徴として永久保存しようとしている。
海の向こう側とこちら側の発想の違いの根本のところには、結果をどういう風に捉えるかということではないかと思う。
我々の側は、ある結果に対して、そういう結果は何が原因してそういうことになったかを考えるが、彼らは結果のみを見て、その原因にまで思考が及んでいない。
我々は、本来、ことの原因を追及して、その原因に遡って物事を思考する民族であったが、日本の昭和初期の軍人たちは、そこで過ちを犯したので、我々は一旦奈落の底の落ちてしまったわけである。
それとは別に、海の向こう側の人たちは、結果のみを重大視して、その結果に対して感情論で囃し立てるから話がかみ合わないのである。
今ある結果は如何ともしがたいので、その結果を将来に向けて利用するという発想に至らないので、何時まで経っても、屈辱の象徴のままで終わってしまうのである。
韓国の近代化は、日本支配があったからということは歴然としているが、彼らにして見ると、それは認めたくない事実に違いない。
日本の朝鮮支配というのは、我々の明治維新を朝鮮民族に外圧として押し付け、無理やり明治維新に匹敵する改革を断行したという面もあろうかと思う。
日本が強行した、強制したという面で、朝鮮民族にとっては不本意なことであったかもしれないが、それがなければ朝鮮はロシアに支配されていたかもしれないし、共産中国の支配下になっていたかもしれないではないか。
ここで彼らに自制を促したいことは、彼らは自分達の力で独立を獲得したわけではないという事実である。
日本とホットな戦争をして負けて日本の支配下になったわけでもなければ、熾烈なレジスタンス運動で日本から独立を獲得したわけでもない、ただただ時の世界情勢に翻弄され続けた結果として、棚からぼた餅式に独立が転がり込んできたわけで、この歴史的事実は、朝鮮民族の内なるエネルギーの発露、あるいは昇華、血みどろの闘争を経て独立を獲得したわけではないということだ。
棚ぼた式に独立を得る機会が来たと思ったら、南北に分かれてしまったわけで、そこで同じ民族同士で戦争をして、それもお互いに第3者の力を借りなければその戦争もできなかったわけで、考えてみれば「何だこれは!!」の一語に尽きるではないか。
戦争すべき時は統一すべき時であったにもかかわらず、同じ民族どうして血で血を洗ったことになる。
彼の地の若い世代は、自分達の歴史をどういうふうに考えているのだろう。

「日本人と中国人」

2009-01-19 14:59:19 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本人と中国人」という本を読んだ。
著者は中国からの留学生で、文化大革命の頃小学生であったという若い世代の中国人である。
彼が日本に留学して、日本での学生生活をとおして、その日常生活の中で体験したカルチャー・ギャップを面白おかしく綴った内容であった。
イデオロギー的なものが表面に出ていないので読みやすかったが、それぞれの民族の風習の違いというのは、話題としては結構面白いものである。
人間のものの考え方というのは、当然のこと、その育った環境に大きく左右されることは言うまでもない。
この著者は20歳ぐらいまで中国で生きてきたわけで、その後20年以上日本で生活しているので、おそらくもう既に日本での生活の方が長いものと思う。
しかし、意識の中では中国人が抜け切らないので、日々の日常生活での違和感が付きまとっているのであろう。
彼がその違和感を日本語で書きとめるということは、逆に日本人が彼らの目にどういう風に映っているのかいう鏡でもある。
我々は実に人の目を気にする民族である。
だから日本人による日本人論から、外国人による日本人論まで、日本に関する考察にはただならぬ興味を示す。
私もその中の一人であるが、「人がどう思っているのだろう」ということが気になって仕方がない民族のようだ。
その潜在意識の中では、ルース・ベネジェクト女史の「恥の文化」が基底にあることは言うまでもない。
自分が恥ずかしいことをしてるのではないかどうかが気になって仕方がないということである。
ところが同胞同士だと、その「恥ずかしい」という意識は、お互いさまという認識で何処かに置き忘れてしまうので、何ら意識せずにやり過ごしてしまう。
ところが、ここに外国人が混じると、とたんにその潜在意識が頭をもたげて、己の振る舞いが気になって仕方がないということになる。
そして、それは高学歴な人ほど外国人に対する自意識が過剰に反応するわけで、そういう人たちが、日本人論というものを好むということになっているのであろう。
我々日本人から中国というものを眺めると、実に不思議な気がしてならない。
この本の著者も、中国を後進国として認識しているが、これは中国の政府高官も自分達の国を後進国、発展途上国と認識しているようで、これは一体どういうことなのであろう。
私から見れば、明治維新以前の日本、あるいは明治維新の時の日本とおなじ意識の上にあるように思えてならない。
そういう意味で、彼らは先進国に追いつき追い越せという気概に満ちているとも言えるが、だとすれば、世界の現状認識が100年遅れていると言わなければならない。
世界をあまりにも知らなすぎると思う。
中国は今や後進国などではないが、国内にばらつきがあることは否めない。
このばらつきの是正こそ中国の最大の政治課題であろうが、これが容易でないことは事実が示している。
こういう認識のずれというものが世界の不調和音のもとである、ということを改めて考えてみるべきだと思う。
今、世界では、国際連盟、国連というものを調停機関と認識して、国連にあらゆる紛争の調停を頼っているが、国連も万能ではないわけで、調停しきれない場面も多々ある。
しかし、世界平和の理念としては一応国際連盟というものを頂いて、その名の元に、平和活動が推進されている。
この平和的な機構であるべき国際連盟に中国が当初から地位を占めていること自体、現状にあっていないわけで、それが機能不全の根本問題であるが、少なくとも20世紀というのは中国問題に世界中が振り回された世紀だと思う。
20世紀という世紀は、ヨーロッパはヨーロッパ固有の問題で激動したと思われているが、そのヨーロッパの先進国はいずれも中国との関わりをもっていたわけで、中国とのかかわりのない国々というのは、ヨーロッパでも後進国の部類である。
20世紀の先進国といえば、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカと、すべての国が中国との関わりをもっていたではないか。
まさに中国は20世紀のフロンティアであったわけで、そこに後からのこのこと西洋列強に互してはいり込もうとしたのが日本であったわけで、そのことによって世界的列強支配の秩序あるいは序列の大編制替えが行われたことになる。
それが第2次世界大戦であり、中でも日中戦争から対米戦がその天王山であったわけである。
中国は、本来、20世紀の世界秩序の要にならなければならなかったはずである。
それこそ中華というものではないか。
中国の不幸は国土の広さである。
同じように広大な国土を擁した国は他にもあるが、そういう国々は国土が広いという条件を生かしてそれなりに発展している。
しかし、中国は21世紀に至っても、彼ら自身が後進国と自ら認めているのは一体どういうことなのであろう。
思うに、中国人の優秀な人間は皆祖国を捨てて外国で暮らしている。
それは何故かと問えば、祖国で暮らすよりも外国の方が暮らしやすい、という単純な理由でしかないはずで、これでは祖国が栄えるわけがないではないか。
祖国にいささかも愛着を持っていないわけで、中国の知識人、新たに知識人の仲間入りをした人、優秀な人材のことごとくが、自分さえ良ければ故郷の人などどうなっても構わない、ただただ自分の家族や親せき縁者だけが苦労を舐めなければ、他人のことなど知ったことではない、という個人主義の極みでしかないので、祖国を愛する人がいないということであろう。
中国人で外国に合法的に出れる人というのは、ある限られた人だろうと思う。
例えば、この本の著者のように、留学生として堂々と国を出ることが可能な人は非常に恵まれた立場だと思う。
そういう人が一旦外国の地を踏むと、もう祖国には帰らなくなってしまうわけで、明らかに頭脳流出そのものである。
残るのは粕ばかりということになってしまうではないか。
13億の人間から比べれば、外国に出た人というのは物の数ではないかもしれないが、基本的に外国で優れた知識や技能を身につけた人が、祖国の建設に尽力する気がない、というところが彼らの最大の欠点だと思う。
中国だとて、学生を留学生として外国に派遣するということは、留学を終えた暁には、その知識経験を祖国の建設に役立たせることが狙いであることは当然だと思う。
優秀なる人材を、わざわざ外国に追いやるための留学制度ではないと思うが、それを受ける側の人間が、ことごとくその制度を逆手にとって、出たら最後国に帰らないでは制度そのものを廃止するしかないようになってしまう。
ということは、基本的に彼ら中国人には祖国という概念が最初からないのではなかろうか。
自分の生まれ育った故郷はあっても、祖国という概念がないので、祖国のためにとか、同胞のためにとか、国家のために、という発想そのものがないのではなかろうか。
その点アメリカは人種のるつぼといわれながらも、アメリカ人は祖国という概念をきちんと持ち、国家のために尽くすことは気高い行為だ、という認識をきちんと持っている。
この本の中でも書かれているが、著者が幼少の時、両親が田舎に追放されたので、町に住む権利、いわゆる都会の戸籍が得られず、学校に入学を許されなかったと述べられている。
そして入学するためには、中国の伝統である袖の下というよりコネクションを効かせて学校にいけるようになったと述べられているが、この状況そのものがまさしく後進国の実態そのものではないか。
共産主義革命で、彼らは人民の間の差別を解消したのではなかったのか。
人民の中で、食糧を生産する部門と、都市でサービス業を生業としている人を別々の戸籍にして、その間の移動を禁止、監視するなどいうこと自体共産主義と矛盾しているではないか。
この発想そのものが、中国の悠久の歴史をそのまま継承しているではないか。
共産主義の理念はいささかも反映されていないではないか。
アジアの民は、基本的に食糧を生産する部門を軽視、ないしは蔑視する傾向がある。
それは言うまでもなく、食糧を生産する部門、いわゆる農業というのは過酷な労働を伴うので、そういう労働をする人々を蔑視して、それを管理する部門を有難がる風潮が普遍的であるが、これは有史以来の人類の変わらぬ普遍的な思考である。
共産主義というのは、理念の上ではそういう肉体労働をする人々を崇めたてまつっているが、内心では歴史の普遍性から抜けきれず、彼らの上に君臨しているのである。
何といっても数が多いので、その数を味方に引き入れなければならないわけで、農民と労働者を口先では擁護しておきながら、実質は彼らを支配し、抑圧しているわけである。
この本の著者の両親も、いわゆる党の幹部として、文革の時代は抑圧されていたが、その後はやはり公務員としてこういう農民や労働者の上に君臨していたわけである。
そして、彼自身も家族主義から抜けきれず、家族を大事にすることを憚らないわけで、それこそ有史以来の中国の伝統そのものを踏襲しているということである。
彼らの潜在意識の中には無意識のうちに自己愛が埋没しているので、自分がこの世で一番可愛いというのは無理もない話で、この心情は彼らだけのものではない。
この世の人間は皆同じだと思うが、それを彼らは儒教思想と称している。
民主化された社会は、この自己愛と他愛のバランスの問題だと思う。
「自己愛よりも他愛を優先させよ」と、人に求めることは所詮無理な設問であって、そういうことがこの世の人間に求められているわけではない。
「自己愛と同程度に他者も愛せよ」ということが民主主義だと思う。
家族が大事なのは、この世の人間皆同じであるが、それと同じ比重で、他者を愛するということは、心がけ次第で不可能ではないはずである。
そういう視点で周りの人間を眺めれば、自然と「自分さえ良ければ」という思考は後退するはずで、その度合いの差が今日の民主化の度合いの差となっているものと考える。
この本の著者が日本での生活の中で、セックスに関する場面で非常に奥ゆかしい心構えを持っている点は大いに共感を覚える。
公衆の面前で、媚態を晒すことに極めて敏感で、そういうことを受け入れ難い、と感じるのは極めて東洋的な思考回路だと思う。
我が同胞の、あまりにもふしだらな性描写というのは、まさに同胞として赤面の至りであるが、我々の同胞は、その意味でも中国をはじめとするアジア諸国よりも一歩先に奈落の底に向かっているのではなかろうか。
中国でも、あの悠久の歴史を考えれば、我々以上にセックスの奥儀を会得しているに違いない筈であるが、それが公の場に出てこないというのは、明らかに儒教の影響であろう。
ところが、それを公の場に晒して、金儲けに現をぬかしている我が同胞は、実に嘆かわしい存在である。
その意味で、我々は大いなる先進国ではあるが、それが先進国の象徴であるとするならば、日本という国は、ぼつぼつ消滅の方向に向かっているということであろう。
日本という国が消滅するには良い時期かもしれない。
というのは、我々は自分達の尺度によれば、今年で皇紀2600年+69年なわけで、合わせて約2670年も文化を享受してきたのであるから、もうそろそろ消滅しても過不足はないはずだ。
日本がいくらこの地上から消滅しようとも、この地に住む人間がゼロになるということはあり得ないであろう。
世の中は、まさにグローバル化して、それぞれの主権国家の垣根は限りなく低くなっているので、お互いの民族が入り混じってこの地でも生きていくに違いない。
そういう時に割りを食うのが大和民族であろう。
今の日本の知識人という人たちを見ていると、彼らは同胞に気使うよりも異民族に気を使っているわけで、自分達の仲間を異民族に売り渡して、それで世界平和だと喜んでいる。
近い将来、近隣諸国に合併吸収されかねない。
合併吸収というのは昔の日本が犯した朝鮮併合というイメージになるが、そうではなくメルトダウンというように、溶鉱炉の中で鉄が解けるように実態が形を残さず溶けてしまうということである。
異民族に気を使うということの最大の理由は、先の大戦の贖罪意識がそうさせているわけで、それはブーメランのように自分達の方に新たな災禍を投げかけていることに気が付いていない。
要するに、そういう発言をする我が同胞の学者諸氏の深層心理は「良い格好しい」の発想であって、自分の同胞に向かって、自分はこんなに物わかりの良い人間だいうことをアピールして、良い格好をしているわけで、ある種のパフォーマンスに違いないが、それに相手が飛びつかないわけがないではないか。
相手からすれば、「それ見よ、自分の方にも非を認めている人間がいるではないか。ならば金寄こせ」という論理になるのも当然の成り行きだ。
ここで中国が後進国という彼らの論理が、有効に機能するわけで、彼らの論理によれば、「俺達は低開発国だからお前たち先進国は我々に金を出せ」という乞食根性が極めて露骨に顔を出すのである。
この本の著者は、押しも押されもせぬ中国人として「面子」ということを話題にしているが、中国に面子というものがあるとするならば、今更日本に贖罪を振りかざして金をせびるなどという行為はありえない話でなければならない。
中国政府の高位高官がテレビの前で臆面もなく「中国は遅れた国だ」と言っているのは、世界制覇する段階にはまだ至っていないので、その意味でまだスケジュールが遅れているという意味なのであろうか。
中国が面子を重んずる国であるとするならば、世界に向けて自分の国が「遅れている」などということは矛盾ではなかろうか。
中国人が世界に散らばって住んでいるということは一体どう考えたらいいのであろう。
世界に住む中国人が、自らの生活の基盤である地域でどういうふうに見られているかは定かには知らないが、私の推測ではその地の人々と同化しているようには思えない。
あるのはチャイナタウンで、彼らだけでゲットーを作って、その中で暮らしているのではないかと思うが、その割には排斥運動というのはあまりなさそうだ。
彼らがその国の中で中国人のゲットーを作って、その中の小中華を作っているとするならば、相手の国からすれば「庇を貸して母屋を取られる」ようなもので我慢ならないと思うが、そういう声が出てこないということは、彼らの影響力が極めてか細いということなのであろう。

「日本人の精神構造」

2009-01-17 10:20:44 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本人の精神構造」という本を読んだ。
著者は会田雄次である。実に妙な本であった。
冒頭に軍人勅論が記載されていた。
以降、その勅諭に基づいての考察が述べられているが、教育勅語しろ、軍人勅論にしろ、内容的には立派に今日でも通用するものであるが、今時こういうものを目の前に開陳されると、いささか面喰ってしまう。
著者の心情からすれば、今日の日本の現状があまりにもこういう精神からかけ離れてしまっているので、昔を回顧するという意味で、こういうものが冒頭に記されたのかもしれない。
軍人勅論なるものも、内容的には実に良いことを言っていると思うが、いかんせん現代人には読みにくくてかなわない。
この軍人勅論なるものは、明治12年、1882年に明治天皇によってだされたとなっているが、今から126年も前の文章なるがゆえに、我々には極めて読みにくいのもいた仕方ない。
同じ民族の書いたものが読めないということは、やはり考えものではなかろうか。
言語は進化するのが普通だとはいうものの、100年前の文章が読めないというのは、読む側の不勉強を責めるよりも、書き記す側の責任ではなかろうか。
そういう愚痴はさておいて、その内容は極めて正鵠を得ているわけで、今日でも立派に通用する。
ただ惜しむらくは昭和の軍人たちは、そのことごとくがこの軍人勅論を蔑にしてきたことが悔やまれてならない。
しかし、逆転の発想からすれば、昭和の軍人達がこの軍人勅論を蔑にした結果として、新生日本に生まれ変われた、という言い方も成り立つと思う。
ただし、それには想像を絶する犠牲が伴ったわけで、そういうマイナスの面があったことも事実で、新生日本に生まれ変わるにはあまりにもリスクが大きすぎた、ということも周知の事実である。
この会田雄次という大学者は、この軍人勅論の中から、日本人の本質を探し出そうとしている。
彼自身、一兵卒としてビルマ戦線で戦い、戦後、そこでイギリス軍の捕虜収容所で、イギリス軍の実態を垣間見た経験を織り交ぜながら話を展開しているので、イギリス軍と自分の同胞の軍隊を比較検討することで、我々の側の本質をより明確に浮き彫りにしている。
我々は四周を海で囲まれた民族なので、他民族との接触が極めて希薄な環境で生を維持してきた。
よって、他民族と接するときに、相手に対してどういう対応をしたらいいのか、大衆レベルでは不可解なままでいた。
そのことによって我々は異民族との接触の仕方が極めて稚拙で、それがためいらぬ摩擦を生じせしめている場合が多々あるようだ。
明治維新以降、日本政府は西洋に追いつき追い越せという意味合いで、ヨーロッパに数多くの人間を派遣して西洋の思想、思考、技術の習得に努めたが、そういう機会に恵まれた人は少数で、大部分の大衆というものは異民族に対して無知のままであったに違いない。
この著者は、自らの体験で、イギリスの軍隊では将校と下士官では階級章を見なくとも遠目でもはっきりとその差異がわかると述べているが、さもありなんと思う。
というのは、イギリスは昔も今もれっきとした階級社会で、それは産業革命を経ても歴然と残っているということである。
他の本でも読んだことがあるが、イギリスでは乞食でも威張っているという話を聞いたことがあるが、まさしくそういう気風が今日でも生きているということなのであろう。
イギリスには青白きインテリーというのはありえないということだが、さもありなんと思う。
インテリ―というのは貴族で、貴族ならば生育の過程でスポーツ万能に仕立て上げられ、その上に学識経験が加味されるので、イギリスの将校は貴族なるがゆえに、実に勇猛果敢で、日本のインテリ―のように学識のみが優先して、青白く軟弱な将校はいないということであるが、確かにそうだと思う。
貴族には貴族としてのノブレスオブリージがあって、下士官と同じ人間ではなく、一段と上に君臨する誇りと名誉を自覚しているということだ。
下士官というのは一般社会に出れば大衆という位置づけなわけで、彼らは彼らで分をわきまえて、貴族になろうともしなければ、貴族と同じ待遇を要求しようとも思っていないようだ。
此処で「人は生まれながらにして平等だ!」などという思考は全面否定されているということで、誰もそんなことを信じている者がいないということだ。差別を是認しているということだ。
貴族と庶民はあらゆる面で厳然と住み分けをしていたわけで、それが好むと好まざると軍隊という組織の中に集約されても、その生活態度が外側からはっきりと認識し得る、という趣旨の言葉である。
それに対比して、我々の社会を見てみると、我々の社会は実に画一的で、均一的で、同質的なわけで、我々の社会には金持ちと貧乏人の差はあるが、それは常に社会に中で輪廻転生しているわけで、金持ちが何世代も金持ちのまま、貧乏人は何時までも貧乏人のままということはありえない。
親の職業を子がそのまま継ぐということすら昨今では稀なケースで、我々の場合は、何時も子の世代は親の世代を乗り越えて進化している。
ある意味で「極めてバイタリティ―に富んでいる」という言い方にもなるが、逆にいうと、それは社会そのものが川の中の浮草のように、時流というものに翻弄され続け、あっち行ったりこっちに流れ着いたりと、ふわふわしているということでもある。
そしてそれは人間というものに対する見方にも顕著に表れるわけで、彼らがアジア人を見る視線というのは、あくまでも動物に対する視線であって、アジア人を最初から人とみなしておらず、家畜の延長ぐらいにしか見ていないのである。
こういう彼らの生き様も、彼らは歴史から習得したことであって、それはヨーロッパという地域で、侵略したりされたりという彼らの経験則がそういう思考に至らしめたと考えざるを得ない。
やらなければやられるという。戦争である以上、如何なる手段を講じても勝たねば意味をなさない。
そのためには人としての良心も、同情も、慈愛の心も、倫理も、すべて投げ捨てて、とにかく勝つという一事に神経を集中させて、その為にはあらゆる手段を講ずるという発想である。
第2次世界大戦というのは、既にこの時点で地球は大いにグローバル化していたわけで、世界各国は連携し合っていたわけだが、こういう状況下では、仲間以外のよそ者に自分達の手の内を見られては不味いわけで、そういう意味でも彼らは非常に狡猾な手段を弄していた。
例えば、戦闘の最中に相手が戦闘意欲を失って投降してくると、こちら側ではそれらを捕虜として処遇しなければならない。
交戦中に敵の人間を無為徒食のまま生かして連れまわすなどということは、如何なる軍隊でも厄介なことに違いない。
ところが既にグローバル化した国際社会では、そうすることが義務つけられていたが、それは人間の崇高な理念であることは間違いないが、現場では敵性人間に食料をあたえつつ、引き連れて移動するなどということは、面倒なことは言うまでもない。
よって、如何なる国でも投降してきた人間を捕虜として遇するよりも、戦闘中の行為として殺してしまった方が面倒がないことは言うまでもない。
そういうケースで、我々の軍隊も、そうせざるを得ない選択を迫られたが、その殺し方が下手くそなわけで、後になって日本軍は残酷だということになってしまった。
イギリス人は捕虜の殺し方が上手だったので、同じ無意味な殺傷でも、そういう声が出てこない。
イギリス人のやり方は、捕虜に対して故意に不衛生、あるいは食料を制限してわざと病気にさせて、病死させてしまうわけで、病死ならばどこからも文句のつけようがないということになる。
我々の場合は、あからさまに銃殺したり、日本刀で切ったりするから如何にも残酷な悪魔というイメージをを第3者に植え付けてしまう。
同じ人を殺すにも、先のことを考え、国際社会の評判のことを考え、人道という仮面をかぶりつつ、怨恨を晴らすという発想は、我々には思いもつかない思考で、その意味で我々は実に世渡りというか、国際社会の中の立ち居振る舞いが稚拙だということになる。
この本の著者、会田雄次は、本人の体験としてイギリス人の狡猾さを語っているが、同じことはアメリカ人についても全く同じことがいえるわけで、彼らは彼らでイギリス人同様に狡猾で、それも十分に肝に銘じておかなければならないと思う。
だから反米になれということではない。
こういう短絡的な思考が、日本人特有のものの見方で、日本がドイツと同盟を結ぶ直前まで、ドイツは中国に味方して上海で日本を敵として戦っていたにもかかわらず、その敵とあっさり同盟を結ぶという発想は一体何であったのだろう。
そもそもドイツを信用した日本が浅はかであったことは否めない。
ヒットラーの本質を見抜けなかった我々の先輩諸氏は、ものを知らなすぎたということに他ならない。
ものを知らないという面では、ドイツを知らなったばかりでなく、イギリスについてもアメリカについても全くその本質を知らずにいたということである。
もっといえば中国についてもロシアについても知らなかったということにつながる。
イギリスについてもアメリカについても中国についてもロシアについても何も知らなかったということは、世間について、あるいは国際社会について何にも知らなかったということになるわけで、それは自分自身についても何もわかっていないということにつながる。
それを私の言い方で表現すれば、高級軍人が官僚主義に陥って、教育勅語、軍人勅論を何一つ順守していなかったからだということになる。
教育勅語、軍人勅論でも内容的には極めて示唆に富んだ良いことを述べているわけで、これを順守していれば、日本が奈落の底に転がり落ちるなどということはあり得なかった。
ところが、軍部の高級官僚たちが、そういうものを無視しておきながら、下のものにその順守を強要していたので日本そのものが破たんしたのである。
古今東西、軍人(将校は列外である)・兵隊になるというのは、下賤な思考であって、基本的に軍隊というのは人の嫌がるか下等な職域であったはずである。
にもかかわらず、明治以降の日本の貧乏人にとって、職業軍人になるということは立身出世の一番の近道と映ったわけで、だからこそ若くて優秀な人材が集まったというのは、そこに集まってきた若くて優秀であるべき人たちが、立身出世を夢見た下賤な人間たちであったということに他ならない。
出世が出来るから、楽な生活が出来るから、収入が良いから、という理由でそういう職業に群がるというのは、私欲の達成という意味では妥当な選択ではあるが、これも言い方を変えれば一番セコイ職業選択であり、若者の考え方としては最も下賤極まりない思考ではなかろうか。
年端もいかない若者が、最初から金持ちになる、出世がしたい、楽な生活がしたいという安直な希望で職業選択するというのであれば、これは極めて合理的かつ実践的な思考であるが、優秀であればこそ、あまりにも自己中心的で、そういう若者が軍隊という特殊社会の中で純粋培養されれば、国家が傾くのも当然の帰結である。
心の底にそういう潜在意識があったればこそ、いわば貧乏からの脱出の一番手っとり早い手法として、軍人への道があったものと思う。
今でも若者が公務員志望というとき、真っ先に思い浮かぶイメージは、一番安易で、一番安定度の高い、一番楽な仕事を選択しようとする軟弱な人間だなということだ。
昭和の軍人も、金銭欲には非常に淡白であったことは認めざるを得ないが、その代わり出世欲というか、仕事の私物化という面では抜き差しならないものがあったように思う。
そしてエリートの集団として、仲間意識の上に乗っかって、お互いの庇い合いもさることながら、学校時代の席次順位がことを左右するという不合理、不具合に仲間の中から何一つ反省点を見いだせなかった不見識を如何に説明するのであろう。
優秀な人材が集まったエリート集団ならば、席次順の職制、職責、作戦の采配が不合理なことは当然わかっているはずなのに、それを内側から是正しようとしない怠慢はどう説明するのであろう。
こういう状態だから第2次世界大戦中、よその国の軍隊から「日本の将校はアホばかりだが、兵卒は実に勇猛果敢だ」と評価されるのである。
考えてもみよ。14、5歳の若者が、その時点でいくら優秀であったとしても、それが10年20年後にその優秀さをそのまま維持しているかどうか、身の回りを見てみるがいい。
14、5歳の時優秀だと言われた若者は、おそらく進学しているので、その意味では学卒者として優秀というレッテルを維持しているかもしれないが、中身の程は誰にもわからないわけで、それを軍隊の中では頭から是認していたわけで、その結果として我々はそういうエリートたちによって奈落の底に突き落とされたではないか。
こういうエリートをもちあげたのは、いうまでもなく我々の側の大衆という有象無象の無責任な烏合の衆である。
中でも不思議なのが、美濃部達吉の「天皇機関説」であるが、この本の論旨の何処に彼を引きづり下ろすに値する要因があったのだろう。
昨日まで、何の差しさわりもなく講義できたものが、ある日突然ふさわしくない、不道徳だ等と、どうしてそういう支離滅裂な論理が罷り通るようになったのであろう。
これは明らかに国家レベルの個人に対するイジメに以外の何物でもない。
問題は、この時、美濃部氏を擁護する援軍が一人も出てこないという点である。
彼の同僚たちも皆逃げてしまって、「彼は間違っていない」と彼を擁護するものが一人も表れなかったという点が多いなる不思議である。
斎藤隆夫の粛軍演説でも、誰も彼をホローする者が現れなかったということは一体どういうことなのであろう。
この問題には、当時の政党の在り方というものが大きく問われているわけで、政党の在り方を問うということは、突き詰めると我々の議論の仕方、論議の仕方、話し合いの仕方を問うということでもある。
もっと別の言い方をすれば、近代的な政党政治というものが、統治する側もされる側もわかっていなかったということで、一言でいえば民主主義が未熟であったということに他ならない。
ロンドン軍縮協定でも、全権団が国を代表してまとめてきた内容を、「統帥権の干犯」と称して糾弾するなどという行為は、政党政治の最も悪い面が露呈したわけで、党利党略以外の何物でもない。
この時代、昭和の初期、軍部の独断専横ということは否定のしようもないが、それを許したのは政治家の無知蒙昧、私利私欲、党利党略という面も同時に存在していたわけで、こういうことが全部重なり合って、我々は群れをなして奈落の底に転がり落ちたというのが歴史であったのではなかろうか。
戦後になって、その犯人探しをする段になると、もうこの世には軍人という部類の人間は存在していないので、敗戦の責任を全部軍人の所為に押し付けて、口を拭っているのが戦後の知識人たちである。
戦の失敗としての敗戦の責任は軍にあるが、政治に軍人を関与させた、という意味の政治の失敗については政治家にも大いに責任がある。
その軍人になり替わって権勢をふるいだしたのがメデイアである。
戦前の軍人は、いわゆる井戸の中の蛙で、葦の髄から点を覗くという思考回路であったが、それに反し、政治家というのは浮草のように「あっちの水は甘い」といわれるとふらふらとそっちに行き、「こっちの水が甘い」といわれると、またふらふらと浮遊して自己愛に吸い寄せられ、保身に現をぬかしていたわけだが、この時、日本の知識人は口を閉ざして、じっと嵐の過ぎ去るのを待っていた。
その嵐が敗戦という形で通過すると一斉に芽を噴き出したわけである。
ところが中身の人間は、古い意識のままの日本人であるので、いくら表層の模様が民主的であろうとも、その本質はいささかも変わっていない。
軍人はこの世からいなくなったし、治安維持法は封殺されてしまったので、いわば戦後の知識人を抑圧するものは何一つ存在しなくなった。
そして出現したのが知識人の奢り、傍若無人な奢り高ぶった態度であったわけで、それは下賤なにわか成金の行動パターンと同じ様相を呈したわけである。
ここに冒頭に出てきたイギリスのインテリ―との違いがあるわけで、イギリスの貴族は乞食に落ちぶれても元貴族であるという威厳を保持し続けるが、日本の乞食は一獲千金で金持ちになると、とたんに身の程をわきまえず、野放図に振る舞い、再び元の黙阿弥に戻ってしまう。
個人の生き様としてはそれもゆるされる。
金を握った時に本人が良い目をしただけ本人の得であるが、これが社会問題となると普通の人の生活に大きな影響が出るわけで、その社会的な影響そのものが大問題なわけである。

「買春と売春と性の教育」

2009-01-15 13:27:22 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「買春と売春と性の教育」という本を読んだ。
一言でいって売春についての本であるが、売春について本を公刊するということ自体大いなる驚きである。
昔からセックスの本は世間に出回っていた。
春本と称してセックスにまつわる本が密かに出回っていたことは承知であり、そういう本を密かに人に隠れて読むのも大いなる楽しみでもあるが、これがあまりにも公明正大に陽のもとに照らされて、堂々と出回ると見る側の羞恥心が逆に刺激されてしまって、顔をそむけたくなってしまう。
昔から「秘め事」といわれているだけあって、人に隠れて密かにするから奥ゆかしさがあったけれども、こうも正々堂々と陽のもとで行われては、興ざめもいいところだ。
売春という商売は、人類最古の商売といわれているように、大昔からあるにはあったが、昔も今も賤業には変わりない。
賤業だからこそ、隠れてしなければならなったわけで、隠れて控え目に行われていたからこそ、そこに奥ゆかしさがふつふつと沸き出ていたのである。
それを、誰でも同じことをしているというわけで、大ぴらにされては、情緒というものが欠落してしまう。
そもそも、こういうことを大学教授や弁護士が話題にすべきことではないと思う。
当然のこと、教育現場で口にすべきことではないはずである。
性教育をしないから若者が不良になる、というのは知識人の単なる思い込みで、ただただ偽善でしかない。
人類が誕生以来60億人にまで達した事実をもってすれば、何処に教育が介在したといえるのであろう。
セックスが青少年の教育現場で教えなければならないような難しいことであれば、人類はこれほど生きながらえてくるわけがないではないか。
ただ生殖ということであれば、人は教育で以って教えなくとも、自然に習得したからこそ今日があるわけで、その意味でも正しい性教育というのは知識人の欺瞞でしかない。
金銭を介するセックスが不道徳だ、というのは知識人の思い上がりもはなはだしい傲慢な態度だと思う。
その後ろにあるのは、そういう職業、あるいはそういう行為でなければ生を維持し得ない人々に対する偏見でしかない。
賤業に携わる人々を何とか救済しなければならない、という欺瞞でしかない。
もっとも、この命題そのものは、人として非難すべきことではないわけで、立派な大儀ではあるが、その大義をまっとうするには、そういう賤業をこの世から抹殺しなければならないという短絡的な思考には無理がある。
その無理を説きあかし、その無理を解明することこそ知識人の大命題の筈であるが、過去の人類の賢者は誰一人それを成した者がいない。
日本に限らず世界のあらゆる国や民族でも、そういう職業に携わる人々は、経済的な理由でそういう境遇に置かれることは論をまたない。
この経済的な理由を取り除かないことには、その大義は達成できないが、経済的な理由というのにもいろいろあって、昨今の援助交際に見られるように、ただただ目先の金が欲しいという場合も相当にあったものと思う。
ということは、女性のセックスは、昔も今もてっとり早く金を得る手段の一つである、ということに変わりはないということである。
この本の中でも述べられているが、それには当然のこと、その欲求に応ずる側、つまり買春に走る男性がいるということも併せて考えなければならない。
セックスを提供する女性がいて、それに応じる男性がいるから、こういうことが成り立っているわけで、それは世界的に見て極めて普遍的なことだと思う。
それと同時に、金を介してセックスを売買することは不道徳だ、という倫理観も世界的に普遍化しているわけで、その不道徳という認識の度合いに応じて、合法であったり非合法であったりするのである。
ここで日本の売春防止法をそういう視点から眺めてくると、我々の場合、不道徳なものならば一切合さい否定しようという思考が先行していると思う。
ところが、今まで合法であったものをいきなり不合法にするので、その落差があまりにも大きく、全般に心配りが行き届かないまま施行された。
それは理念が先行しただけのことで、実態の究明にまで掘り下げて考察していないので、いくらでも抜け道があったわけで、ある意味で故意に抜け道を作って、理念の実現と現実をうまく調和させたのかもしれない。
日本で戦後売春防止法が出来た時の理念は、そういう境遇にある女性を救済するという理念であったが、その為にはその元締めを根絶させるという意味も含んでいたと思う。
ところが、実際にそういう職業についている女性というのは、教養知性に乏しく、どうしても元締めというか銅元には勝てないわけで、結果として解放されたことにはならなかったわけである。
非合法化されれば、する側としては地下に潜らざるを得ず、そうなると人の見えないところでますます彼女たちの待遇が悪くなってしまった。
ここでオランダではその逆の措置として合法化してみると、それが商売として完全に割り切った認識となり、する側も来る側もビジネスライクになったわけで、社会全体としての公序良俗が維持されたということになったようだ。
売春防止法の有無にかかわらず、日常生活の中で我々を取り巻くセックスにまつわる情報というのは、あきらかに公序良俗の範囲を超えていると思う。
ましてやこういう環境の中で、学校で性教育をするなどということは、公序良俗を自ら破壊しているようなものではないか。
このセックスにまつわる情報過多というのは、明らかに大人の責任なわけで、大人の側がこれだけ野放図であれば、正しい性教育などと口にすること自体おこがましいことだ。
セックス情報の氾濫というのは、当然のことメデイアが大きくかかわっているわけで、正しい性教育ということであれば、まず最初にメデイアの検閲から手をつけなければならないと思う。
しかし、メデイアを検閲するということは、今の社会情勢の中では許されることではないので、残るのはメデイアに携わる人の良心に期待するほかない。
メデイアに携わる人に、公序良俗を順守する気があれば、今日のようなセックス情報の氾濫などということは起こり得ないが、メデイアの側に自浄能力がないから、今日の状況を呈しているのである。
メデイアというのは、普通のことが普通に行われている限り、関心を寄せない。
学校の先生が真面目に授業をしている、警察官が真面目に職についている、これではニュースにならないわけで、学校の先生がセクハラをしたからニュースになり、警察官が万引きをしたからニュースになるわけで、メデイアというのはことほど左様に倫理を踏みにじった時にしかニュースにならないのである。
逆に言うと、倫理を踏みにじった人の存在のみが、彼らが禄を食む源泉なわけで、そういうものを探し求めているわけである。
だとすれば世の中は反倫理、反道徳、公序良俗を踏みにじらなければ、メデイアの存在そのものが成り立たないということである。
普通の良家の子女が、真面目に学校に通い、真面目にクラブ活動をしている間は、メデイアの人たちは飯が食えないわけで、そういう娘さんが援助交際をするからメデイアの人たちは飯が食えるのである。
この事例でも解るように、今日のセックス情報の氾濫を撲滅しようとしたら、メデイアを根絶しなければならないということになる。
そういうことは現実の問題としてはありえないので、最終的にはメデイアの良心と見識に期待するほかないが、これがなかなか安易に期待できないところが難点である。
考えてみれば、メデイアに携わっている人たちというのは、相当に学識・経験に富んだ知性も理性も豊かな人だと思う。
並みの人間以上に立派であるべき人たちだと思うが、そういう人たちがセックス情報の氾濫に口を噤んでいること自体、犯罪的で反社会的な行為だと思う。
戦時中に青春を送った人たちは、男女で肩を並べて歩くだけで不道徳だと言われ、戦後もしばらくのストリップ劇場は、額縁をもってその中での静止した女性を眺めるだけであったものが、今のインターネットでは行為そのものをモロに放映しているわけで、こうなると既にエロチシズムそのものが崩壊していると言わなければならない。
エロ・グロ・ナンセンスは既に消滅して久しい。
あるのは天衣無縫なセックスのみで、おおらかな原始の人間のままの姿である。
人がセックスをするのは自然といってしまえば実も蓋もないが、そのセックスを介して、男と女の心の葛藤が人が生きることの妙である。
その心の葛藤、男女の心のさまよい方、揺れ動く心理、すべきかすべきでないかの迷い、決断しきれない不甲斐なさ、そういう心の動きを抜きにして、女の裸をこれ見よがしに映像で見せても、それはメデイアとして極めて幼稚な表現であることは言うまでもない。
今、世の中にはこういう情報が氾濫しているが、問題は、その基にある大人の感性で、そういうことをしなければ金を稼げない立場の人々を、知性ある人々は指摘し、同時に軽蔑しなければならないと思う。
この本の対談に出てくる、鈴木水南子という女性は、もとセックスワーカーとして堂々と発言しているが、こういう賤業に携わった女性が堂々と社会に顔を出すこと自体、エロスの崩壊そのものだと思う。
金を介して性行為を売買することを、徹底的に不道徳と決めつけ、犯罪と認定し、厳罰に処すという態度を知識人が広汎に喧伝して、徹底的な偏見で以って存在そのものを否定する態度に出なければ、こういう行為は絶滅できないはずである。
ところが昨今では、差別是正の意識高揚で、差別は悪いことだという認識の下、賤業に携わった女性を偏見でもってその存在そのものを否定することは許されず、逆に堂々と世間に向けて発言することが良いことだという機運のもと、そういうことが別の意味で金儲けの手法になっている。
例の従軍慰安婦の問題でも、金がもらえるとなると我も我も元慰安婦だったと名乗り出てくるわけで、こういう発想そのものが賤業そのものではないか。
私は賤業というものを慰安婦に限定して定義する気はなく、セックス産業に携わっている人はメデイアの関係者も含めて賤業だと思っている。
その意味からすると、この本に登場している人達は皆賤業に携わっているわけで、だからと言って、本人がふしだらというつもりはない。
賤業に携わっているからと言って、その人が人格破壊しているとは思わないが、世間ではそういう偏見が横行していることも事実ではある。
人の心というのは、その職業に左右されるものではなく、その人のもって生れた個性として、かなり立派な職業につこうとも、心の卑しい人、心情的に賤業の女性にもとる人も数限りなくいる。
売春婦だからと言って心まで卑しいとはいえないし、売春婦でなくとも、心の卑しい、性根の腐った人間も掃いて捨てるほどいる。
賤業に携わっている心やさしき女性というのは、文学や映画にも数多く登場している。
こういう女性を描くというのは、描く側の良心の発露であろうが、それでも尚偏見というのは根絶できないわけで、この偏見というのはある意味で普通の人々の最大公約数的な認識になっているからこそ、偏見というものがなくならないのであろう。
そういう偏見をなくすには、メデイアによる宣伝しか道がないと思うが、メデイアはメデイアで、その偏見を煽ることで彼ら自身が禄を食んでいるわけで、これでは世の中が良くならないのも無理はない。
こういうメデイアに従事している人の心の卑しさというのは、賤業に携わっている女性の卑しさに比べればもっともっと鮮烈で、それこそ売春婦以下である。
ここで本来ならば知識人という人々が活躍しなければならないはずであるが、この知識人というのも、その精神のもとのところには卑しい根性を秘めているので、なかなかその殻を破れない。
その卑しい根性の最たるものは、何といっても金、経済の問題で、これに尽き惑わされて身の保身が先に立ち、世の中の変革に挑戦することができないでいる。
売春が不道徳だからこれをやめさせる、という施策は史上何度も試みられているにも関わらず、未だにその繰り返しが続いているということは、如何なる方策を持てしても、それはやめさせれないということであろう。
売春防止法も、当時の進歩的な知識人が自分達の理念の実現という意味で、自己満足の域を出るものではなく、極めておおらかなザル法案と化しているわけで、残ったのは法の網を潜る知恵の増殖でしかない。
表向き公然とは行えないので、地下に潜らざるを得なくなったが、非合法化したことによって、管理と統制を放棄したことになり、見えない部分では無法状態になってしまったわけである。
また、昔のようにそういう業界の苦界というイメージも、それによって何処かにとんでしまったので、素人と玄人の境界も消滅してしまった。
産業の衰退というのは、時代の流れの中で阻止し得るものではない。
世の中の推移というのは、好むと好まざると向こうの方から押し掛けてくるわけで、石炭産業が衰退し、繊維産業が衰退し、その他の製造業が衰退するのも歴史の必然であって、日本において女郎屋が衰退するのも時代の波であったに違いない。
時代の波ということは、仕掛けるという行為、あるいは仕掛けられたという作為が存在しないということで、敢えていえば、その時どきの世間の空気とも言わなければ言いようがない筈で、そういうものに押されてセックスの売買ということも、素人と玄人の垣根がないに等しい状態になってしまったのであろう。
まさしくフリーセックスの時代になったわけで、フリーセックスを若い世代が自由気ままに楽しんでおきながら、その結果として子供が出来ると、それは社会全体で責任を負うということになると、私のような古い世代は「ちょっと待てよ」ということになる。
自分の子供を自分で面倒も見きれないものが、何故にフリーセックスに現をぬかしているのだ、ということになる。
逆に、そうだからこそセックス産業が栄えて、子供の出生という心配なしに、セックスが楽しめる場として、今があるのかもしれない。
男と女のセックスは、本質的にはあるのが普通で、それを咎める気はないが、問題は、公衆の面前というか、公序良俗という観点から不特定多数の目の入らない場所でそれが行われている分には何ら問題はない。
問題は、巷間に散らばっているセックス産業の広告の類である。
電車の中に吊り下げられた週刊誌の広告の卑猥な表現であり、新聞に載ってくる週刊誌の卑猥なキャッチコピーである。
大手新聞は、自分ではその類の記事は載せていなくとも、公告として紙面の下の方に週刊誌の卑猥なキャッチコピーを掲載すれば、本誌そのもののセンスが問われるのは当然のことではないか。
そこに大手メデイアの倫理観が問われているにもかかわらず、経済優先思考、言い方を変えれば、賤業に携わる女性と同じ経済思考に陥っているわけで、金のためならエロ・グロ・ナンセンス何するものぞ、という敢闘精神でしかない。
この場合の倫理観においては、知性と理性の塊のようなメデイアの首脳の発想と、賤業に携わる女性の倫理観と比べて、どこがどう違っているのであろう。
モラルの差は本当にあるのであろうか。

「江戸東京の噂話」

2009-01-14 17:51:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「江戸東京の噂話」という本を読んだ。
表題がしめす通り、江戸あるいは東京の噂話にまつわる考察であるが、読んでいて何だか不思議な気がした。
ただ単なる庶民の噂話が考察の対象になることの不思議さである。
今、NHKのBS放送ハイビジョンで、人類の誕生にまつわる話を放映しているが、その中でもホモサピエンスとネアンデール人の葛藤が大きなテーマとなっている。
その中で人類は言葉を習得したことで、今日の発展があると説いている。
言葉というのは人間が生きていくうえで必要不可欠な条件のようである。
無理もない話で、我々、人間というのは、たった一人では生きておれないわけで、群でなければ生が維持できない。
その群を維持するためには、個々の意志疎通が不可欠で、その為には言葉によってそれをなさねばならない。
だから人間が生きていくためには言葉が不可欠であることは言うまでもないが、群れの中で必要不可欠な言葉は限られているわけで、当然、その中から余りというか余裕というか、ゆとりのようなものが生じてくることもありうる。
それが噂話というものになるのであろう。
例えば、共同作業をしているとき、労働歌、つまりワークソングのようなものは自然発生的に生まれてきても不思議ではない。
そこにもってきて人間には好奇心というものがあるので、現状を一歩でも二歩でも向上させようという心理がおのずから作用する。
人々が原始狩猟生活あるいは農耕生活の中でゆとりというものを得ると、言葉そのものが意思疎通の域を超えて、会話そのものを楽しむことを覚えたに違いない。
それが我々の民族の中では話芸として発達してきたものと、私は勝手に推測する。
話芸の中で、口頭で話をしているだけではインパクトがないので、それに伴奏をつけたり、身振り手振りを加えると、それが今日芸能と言われるものになったのではないかと考える。
しかし、こういうものは相手を意識して、演ずるものとそれを鑑賞するものという相対的な位置関係にあるが、そういう相手を特定せずに、自分達の内〃の内に話をしていると、それが噂話となってしまうのではなかろうか。
この噂話の最初の仕掛け人は、意識した相手というものを想定しておらず、取り留めもなく、問わず語らずのうちに、誰に言うともなく口から出た話なわけで、意図もなければ作為もないので、ある意味では無責任な存在であるが、だからこそその無責任さはアメーバ―の自己増殖のように不確定、不定形にひろがって、とんでもない話に展開してしまうのであろう。
この問題は、話そのものよりも、その話を面白がって広める大衆の側に問題がある。
それはあくまでも遊びの域を出るものではないので、そう深刻に考える必要はない。
ところがその話の信ぴょう性が極めて不明確で、真偽のほどが曖昧だからこそ、それを聞いた大衆が不安にかられて、あらぬ方向に走ってしまうと世の中が混乱に陥ってしまう。
この本の中で、数年前にはやった「口裂き女」の話が出てくるが、これは完全に噂話として認識されていたので、人々は噂話を弄んで楽しんだが、我々の今日の生活の中での未来予測というのは、突き詰めて言えば噂話に限りなく近い存在だと思う。
アメリカ大統領がもうすぐ交代するが、オバマ氏が大統領になって、アメリカの政治がどういう風に変わるかという未来予測は誰も正確には知らないわけで、だから誰も断定はしないが、その未来予測の話をするということは、いわば噂話の創設に他ならない。
この場合は、話の発信者が著名な評論家とか大学者だとか、巨大メデイアなので、誰も彼らが噂話を吹聴しているとは言わないが、基本的にはそれと同じことである。
その未来予測が間違っていたとしても、それはあくまでも噂話で終わってしまうので、誰も責任を問われることもなければ、責任を追及する者もいない。
こういう未来予測の話と、巷の噂話ではどこがどう違っているのであろう。
話の規模の相違であろうか、それとも発信者の社会的地位の違いであろうか。
だいぶ昔の話になるが、日本が敗戦から立ち直って独立をしようとしたとき、日本の国立大学の先生方、つまり大学者たちが「日本がソ連や中国の承認のない独立をしたところで、東西冷戦に巻き込まれて混乱に陥るから駄目だ」という論陣を張った。
歴史は、こういう国立大学の大学者たちの未来予測が根本から間違っていたことを証明し、老獪な政治家・吉田茂の見識の通りに推移したが、この大学者たちの当時の論旨は、結果的には噂話の域を出るものではなかったわけだ。
言葉を変えて言えば、根も葉もない噂話を吹聴して人々を惑わしたといえる。
国立大学の大学者が、学識・経験を網羅して考え抜いた結果として築きあげた論理が大間違いであったわけで、ならば大学者の研究、思考回路、学識経験とは一体何なのかと言わなければならない。
この時の論争は、単独講和か全面講和かという言い方で論争を巻き起こしたわけだが、この時の大学者たちの論旨は結果的に大いに間違っていたわけで、その意味で巷間の噂話の域を一歩も出るものではなかった。
ことほど左様に、政治の局面で、野党のいう未来予測というのは、結果的に間違いが多いが、野党や大学者の話は人づてに伝わる話ではなく、メデイアを総動員した情報操作で繰り出される話なので、噂話ではありえないが、内容的にその言っていることが真実かどうかは全く当てにならないという意味で、噂話の域を出るものではない。
「未来予測だからその通りにならなくても仕方がない」というのであれば、巷の床屋談義となんら変わるものではないわけで、大学者や知識人の意味をなさないではないか。
戦争のプロとしての軍人が、負ける戦をしたのと同じで、大学者やメデイアを手足のごとく使いこなしている知識人が、間違った未来予測をするようでは、極刑に処されても当然ではないか。
そもそも人の話の中に真実を求める方が最初から間違っているのかもしれない。
しかし人間というのは人の話に極めて敏感に反応する生き物ようだ。
今日のメデイアというのは、こういう人の話で飯を食っているようなもので、ある事件の真実といったところで、それは話を通じてしか人に伝えれないのである。
テレビでいくら映像を指し示しても、言葉による解説がないことには、その映像の真意がわからないわけで、その意味で言葉、話というのは人間の生活には不可欠なものであるが、世の大学者や知識人といわれるさもしい人々は、それを自己の主張に合わせて、自分の都合の良いように解釈し、自分の都合に合わせて人に自説を説くから鼻もちならないのである。
「嘘も方便」という言い方を我々は古来か使っているが、これこそ我が民族の曖昧さをモロに表した言葉もない。
この「嘘も方便」という処生訓は、ある意味で我々の民族の融通性、柔軟さ、臨機応変の妙を言い表しているともいえるが、こういうことはすべて近代的な民主主義にはマイナス要因でもある。
言葉を、その言葉がもともと持っている本意から離れた別の解釈をすることで、その場を逃げ切ろうという思考を成り立たせている。
だから政治の場で、与野党の論戦が、お互いの口から出た言葉の言葉尻をつかまえての揚げ足取りに終始して、事の本質を語り合うという本来の政治論争からかけ離れたものになっている。
今問題になっている定額給付金の問題でも、二兆円という金をばらまいて、ドン底の景気を浮上させるべく国内の需要を喚起しようという趣旨にも関わらず、野党は反対しているわけで、反対の理由はどういうふうにもこじつけ出来るが、問題は、早急に景気浮上をするということでなければならないはずである。
麻生総理がそれを自ら受けとるかどうか、それこそ巷間の噂話の類のことで、それを国会の場でうんぬんする話ではないはずである。
この感覚のずれこそ曖昧な日本そのものである。
「あいまいな日本」という言葉は、大江健三郎の言葉であるが、如何にも彼の言葉らしく自虐性に富んだ言葉である。
しかし日本の言葉は決して曖昧ではないと思う。
例えば、「私」という一人称を表す言葉は数えきれないほどあるわけで、我々はそれを時と場所とタイミングによって使い分けているわけで、その言葉そのものは極めて厳格に規定されているにもかかわらず、その上尚も解釈が多様化しているわけで、その使い分けは日本人以外には複雑怪奇に映るのもいた仕方ない面はある。
よって語彙の豊富な人は、その言語生活も極めて多様化するが、語彙の乏しい人は、その人の自己表現が単調になるのもいた仕方ない。
ところが昨今では情報過多で、あまりにも情報があふれかえっているので、人々はその選択に迷ってしまって、適材適所の言葉の選択ができないでいる。
有り余る情報の中から、その時と場所とタイミングで如何に適切な言葉を選択するかということも、基本的にはご語彙の豊富な人ほど有利に作用すると思う。

「ツチノコの民俗学」

2009-01-13 11:59:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ツチノコの民俗学」という本を読んだ。
このツチノコなるもの、名前は知っているが、実態を知らないので如何なるものかと思って手にとってみたが、やはり誰にもわからないということがわかった。
この本は、この言葉にまつわる民俗学であって、学問であるからして、その内容が極めて難しい。
まさしく学問として正面から構えているので、学者でもない我々が読むにはいささか苦痛であった。
その上、民俗学として柳田国男が出てくるのは当然としても、現代の漫画にまでその考察の幅が広がっていることには大いに驚かされた。
そもそもこのツチノコなるものが実在するのかどうかというところが最大の問題であるが、その部分が不明なまま、そのツチノコなるものの昔からの民俗学的な考証が主題になっている。
こういう話を集めるということ自体は非常に面白いものだと思う。
実在すかしないか不確定な話を寄せ集めるということは、極めて難儀な作業ではないかと思うのだが、それが文献に残されているということ自体驚きではある。
それこそ柳田國男の領域であろうが、「むかし、これこれこういうことがあったげな」という語り口で言い続けられた話を文献上に残すということは、それこそ民族の英知だと思う。
そしてそれを後世になって読み解いて、それを民俗学とすることは非常に意義のあることで、それこそ人間の好奇心の具現化そのものであろう。
人から聞いた面白い話を残しておこうという発想は、好奇心という衝動に突き出されたとはいえ、もっと奥へもっと奥へという探究心が成せるものだと思う。
正体がわからないという意味で、我々はそれを妖怪とかお化けというもので一括りにして説明しようとしているが、そのわからない部分を解き明かそうというのは、人間の好奇心そのものだと思う。
それは同時に、人間の住むこの世の中には、人間の英知でもっても測りきれない不可解な現象があるということなのであろう。
人間は古来から自分達の英知や知恵で解き明かすことができない現象に対して畏怖の念をもっていたわけで、それを解き明かすということは、従来の価値観に対する大きな挑戦であったに違いない。
例えば、大昔の人間の集まりの中で、集落の近くにある池が子供たちにとって危険だと思われたとき、その集落の大人達が「あの池には悪魔がいて子供を攫う」と言いくるめて、子供たちがその池に近づかないようにしたとすると、これはある意味で人間の危険回避のための方便であったわけだが、それが長い間に昔話になり、説話になり、伝説となり、妖怪の話になったものと推察する。
柳田國男は、日本全国のそういう話を集めて回って、それを集大成したと定義付けていいと思うが、こういう話は、そもそも話の出来る前提として人に倫理を説く要因が潜んでいたのではないかと思う。
人として、してはならないことと、しなければならないことというのは時代が変わっても、環境が変わっても、人として生きている限り変わらないわけで、そういう人間の生き方に対して、倫理を説く手段としてこういう昔話が利用されたのではないだろうか。
幼児に読み聞かせる日本昔話の「花咲かじいさん」や「舌切りスズメ」や「桃太郎」の話なども、人としての倫理を子供に解り易く説明するストーリーになっているわけで、テレビや活字媒体のない時代のメデイアとしての役割を担った存在であったのではなかろうか。
昔の人の生活の中でも、子供に対する教訓めいた話ばかりではなく、大人が大人の話題として面白おかしく話し合うためだけの話、自分達の心の憩いを希求する天衣無縫な話も当然存在していたと思う。
そういう話の中では、当然きっ怪な荒唐無稽な話もあるわけで、それがこの未確認動物に行きつくことになったのではなかろうか。
未確認動物のもう一つの顕著な例がネッシーであるが、この世の中に未だにいるかどうかわからない動物の存在というのは、そのこと自体非常にロマンに富んだ話だと思う。
ネッシーの場合でも、真剣にその存在を確かめようと大真面目に探検までしたわけで、結論としては未だに未確認のままである。
昔から居ると言われたものは、昔のままに信じていた方が、今に生きる現代人にとっては幸せなことではなかろうか。
何も、無理してその正体を暴きだして、メデイア上の英雄になったところで意味がないわけで、それよりも不可解なものは不可解のまま残しておく心のゆとりの方が現代に生きる人間の精神衛生上は大きな効果をもたらすのではなかろうか。
それはそのまま宗教につながるわけで、宗教だとて、神様が本当にいるかどうかいくら議論したところで、意味がないわけで、現実を受け入れて信じるほかないのと同じで、信じる、信じないという行為そのものが大事なことだと思う。
物事の正体を暴いたところで意味はないわけで、ツチノコが実在しようとしまいと、ネッシ―が実在しようとしまいと、現在に生きる人間は、その本質を暴きだしたとて何の意味もないものと思う。
ただただメデイアが大儲けすることは確かであるが、メデイアの人間を食わせるために、我々の夢を売り渡す必要はないわけで、我々市井の市民は、ツチノコとかネッシ―の夢を暖かく温存すべきだと思う。
その正体を暴いたところで、そのことによって得をするのはメデイアだけで、そのことを考えれば、我々の好奇心もメデイア対策に知恵を絞って対処しなければならない。
世界各地で民話とか説話とか伝承話が残っているのは、メデイアの存在がなかったから残っているわけで、その時代に広範にニュースを提供する機関があったとしたら、こういう話は生き残れなかったに違いない。
我々は「広範な知識を習得することは良いことだ」という既存の価値観から抜け出せていないが、この価値観に支配されている限り、昔から伝わってきた昔話の類は消滅することは必定である。
現に今の日本には村そのものが存在していないわけで、あるのは廃村だけである。
昔は確かに村があった、という証拠としての廃村でしかない。
村に年寄がいなくなってしまえば、自然に、昔話、伝説、説話というものがなくなるのは当然で、これもある意味で人間の進化の一過程かもしれない。
それは同時に現代人の衰退の過程でもあると思う。

「日本海海戦かく勝てり」

2009-01-11 08:19:48 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「日本海海戦かく勝てり」という本を読んだ。
半藤一利さんと戸高一成さんの対談になっていたが、この両名の言わんとするところは、東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊が何処を通過するかという場面であった。
そのあたりの経緯は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読めばおおよその理解は得られるが、東郷平八郎にしてみればやはり心配であったに違いないことは言うまでもない。
誰が司令官であったとしてもあの場面では同じことではないかと思う。
バルチック艦隊がベトナム沖を出たあたりでその消息が把握できなくなって、次にどこに現れるかが当時の連合艦隊の最大の課題であったことには変わりはない。
こういうときの総指揮者の判断というか決断力というのは、並々ならぬものがあることは確かだと思う。
しかし、こういう場合の選択の迷いというのは、物事にはついてまわるわけで、その時の決断力がそ人の人生を左右しているものと想像する。
それは個人の一人一人の生活の中にもついて回ることだとも言える。
ただ普通の市民として市民生活をしているものは、天下分け目の決断を迫られるということは、そうそうあるものではないが、それでも人生の過程では様々な決断を迫られて、そのたびに自分では熟慮して決断を下したつもりであっても、結果的にそれが間違いであったということも往々にしてあるに違いない。
こういう選択の場における決断の結果は、後から評価されるわけで、後からではどういうふうにでも言えると思う。
成功事例ならば、評価は一つで「良い決断であった」という一語に尽きるが、これが失敗事例となるとその失敗の原因はさまざまあるわけで、本当はこちらの方の研究が大事だと思う。
成功事例ならばこそ、再びその通りにすればまた同じ成果が得られる、というふうに単純に考えてしまって、日本の歴史はまさしくその通りの道を歩んできた。
しかし、考える機能を持った人間が、成功事例を参考にして同じ手法を使うというのは、よくよく阿呆な作戦ではなかろうか。
特に、戦争というように国益を掛けて生き馬の目を抜く世界においては、成功事例を参考にするなどということはバカの考えることではなかろうか。
日本海海戦で日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を殲滅させたということは、世界のビッグニュースなわけで、当然、世界の軍人をはじめ、他のあらゆる業界の知識人あるいは専門家が、日本の成功事例を詳しく詳細に研究するに違いない。
だとすれば、その同じ手は再び使えないわけで、そこまで知恵が回らなかった我が同胞は、完全に思考能力を喪失していたということになる。
昔から言われているように「勝って兜の緒を締めよ」というのは世界のあらゆる人々に共通する倫理だと思う。
勝ったときこそ、その勝因を分析し、その逆をシュミレーションすべきであったと思う。
勝ったときは、今までの艱難辛苦が見事に功を奏したわけで、ある程度は美酒に酔うということも許されるが、問題はその後で興奮が冷めた時の心の持ちようだと思う。
人間が成すことあるいは行うことには必ず失敗や間違いがあるわけで、これは人間が関与している限り避けて通れない道だと思う。
ある主権国家が威信をかけ、国益を掛けて戦争を始めた以上、その戦争には何が何でも勝たねばならない。
ところが現実には必ず一方は負け、一方が勝つわけで、負けた方は戦争の失敗、あるいは政治の失敗、あるいは外交の失敗ということになって、敗戦国に憂き身をやつすことになる。
この現実から、昭和の軍人の中にも、「戦争はやってみなければ結果はわからない」ということをいう人がいたが、戦争のプロがこういうことを言ってはならないはずである。
日清戦争でも、日露戦争でも、我が同胞の認識、いや世界中の目がやはり同じ認識で、日本が勝てるなどとは考えていなかった戦争に日本は勝ってしまった。
だから戦争の勝敗の予測は、やってみなければわからないということが普遍化してしまったので、こういう言い方が成り立っていたが、それは我々の運が良かっただけの話で、運に頼らなければならない戦争など、本来ならばしてはならないのである。
とはいうものの、現実の戦争は、双方が死力を尽くして戦うわけで、その勝敗には運が左右するケースも多々あるのも事実である。
今の日本人は戦に対して極めて敏感に拒否反応を示すが、そうして戦の実態、戦争の本質を直視することを避けて、ただただ観念論のみで非戦、反戦を叫んでいるとすれば、これまた大きく国益を損なうことになる。
その上、今の我々は民族の誇りというものも自覚することなく、自らのアイデンテイテーさえも失いかねなず、ただただ飯食って糞して寝れればそれで十分と思っているが、こういう人間失格の国民が多くなると、国家そのものが内側から崩壊してしまう。
そうならないためには、戦、戦争というものの本質を知ることが大事であるが、基本的に最良の国家防衛というのは、外交によって世界からの信頼を勝ち取って、ホットな戦を回避することに他ならない。
ところが、世界というのは生き馬の目を抜く修羅場を呈しているわけで、各国の国益が複雑に輻輳して、世界の信頼を得、紛争の因子を分散させることは極めて困難なことで、だからこそ21世紀に至ってもそれが残っているのである。
我々は戦後63年間も戦争に手を汚していないので、憲法9条がそれに大きく関連していると思い込んでいるが、こういう発想こそ世界的な規模で戦争の本質を知らないということである。
我々が戦後63年間平和で来れたのは、日米安保条約で我々の上にアメリカの笠が被さっていたからに他ならない。
この日米安保条約という笠を全部自分の力、つまり日本の自主防衛という形で作り上げるとするならば、今の我々の生活はありえない。
おそらく戦後のひもじい生活が今でも続いているであろう。
この認識の違いは、戦争の本質を知らず、憲法9条さえ守っていれば日本は戦争の災禍から免れるという、極めて幼稚な軍事音痴の思考でしかない。
戦争を避けるということは、日々の生活の中で如何に自分の身を処すかということにつながっているわけで、それには過去の我々の歴史から教訓を汲み取らねばならない。
日本が対米戦に嵌り込んだのは、日本が中国から兵を引かなかったからであって、なぜ中国から兵を引けなかったかといえば、当時の中国に日本の利権があったからであって、なぜそこに利権があったかといえば、我が同胞の貧乏からの脱出願望があったからに他ならない。
ことほど左様に物事はつながっているわけで、ただただ目前の事象に目を奪われて、時の雰囲気にのまれて時流に迎合していては、物事の本質を見失ってしまう。
戦争を回避するということは、こういう一見何の関連性もない事柄から突き詰めて行かねばならないわけで、そのことは軍事の問題から離れて、政治、経済、外交の問題でもあるわけだが、今の日本の平和主義というのは、鉄砲を撃ち合う場面だけを想定して議論をしているので、それは盲人が象を撫ぜているようなもので、事の本質から離れてしまっている。
普通の市民として、戦争のない時期というのは、政治が成功していた期間ということになるはずであるが、これが先に述べた成功事例であるとするならば、成功事例から学ぶべきことはないわけで、その反対側の思考として戦時中の失敗事例を掘り下げて考えなければならない。
ところが、それをすると「お前は軍国主義者ではないか」という批判が起きるわけで、その失敗事例の研究さえ阻止するというのが今日の日本の知識人の姿である。
この構図は、戦時中、軍人が肩で風切って往来を闊歩していた構図と同じで、当時は「軍人であらねば人であらず」であったものが、今では「平和主義者でなければ人であらず」という構図になっているだけのことである。
今では知識人という人たちがメデイアを占拠して、ノーマルな思考の実践を阻止しようとしている図である。
ここで何とも不可解な事は、我々の民族がこういう国家的な英雄を軍神にまで祭り上げるという行為である。
日露戦争の時の広瀬中佐や、東郷平八郎も死後軍神と崇めたてまつられたが、これは一体どういうyことなのであろう。
もっとも我々の民族的な潜在意識としては800万の神様を擁しているので、防人として功績にあった人を、新たな神様と認定するのにいささかもやぶさかではなかろうが、この背景には我々の権威主義が横たわっているのではなかろうか。
もっと意地悪な見方をすれば、そういう風に仕立て上げることで、誰かが何処かで得をしている者がいるのではないかと思う。
そういう雰囲気を作り出すことで、誰かが得をしているものと思うが、果たして誰がその利益に浴しているのであろう。
こういうことは下々から沸き上がってくるものではないと思う。
おそらくメデイアの仕わざに違いないが、当時のメデイアといえば新聞と雑誌しかないわけで、誰かがそういう媒体にこういう雰囲気を醸し出す方向付けをしたに違いない。
メデイアが戦争で死んだ人を神様にまで崇める気風を作り上げて、それに無知蒙昧な国民大衆が無批判に乗っかってしまったので、神格化がのっぴきならない事になってしまったのではなかろうか。
問題は、それを当時のメデイアが鼓舞吹聴したということである。
個人の功績をオーバーに表現する域を超えて、軍国主義と皇国史観の実践活動でもあったわけで、言葉を変えれば戦争プロパガンダの宣伝ということでもあったわけだ。
日本人の宗教観からいえば、死んだ人は基本的に仏様になるものと思う。
日本人の大部分が仏教徒であるとするならば、死んだ人は仏様になるのが普通で、常識的には神様にはならないはずである。
それでも尚且つ軍神として神様になったとすれば、仏教徒が怒って当然だと思う。
現実には軍神と言ってみたところで、そう真正面からとらえる問題ではなく、ただの例え話の延長線のことであろうが、こうして戦功を立てれば神様として祭られるということは、大いに戦意高揚に役立ったわけで、そういう意味があったのかもしれない。
こういうおかしなことが罷り通ったということは、当時の日本の知識階層もそれを容認していたということで、それでこそ日本の全国民が軍国主義に侵されていたことに他ならない。
日本の全国民が、戦功のあった人を神様として崇めるということに何の違和感も感じなかったということは、我々の側に何かそれを受け入れる素地があったわけで、それを解明することこそ歴史から何かを学ぶことではなかろうか。
私の考えでは「戦功のあった人を神として称えることは良いことだ」という思い込みというか、人として気高い行為で、それは他の人にも見習わせるべき行いだ、という善意の押しつけであって、そうすれば我々の住む社会に光明が射すに違いないという期待があったのではないかと思う。
ある意味で、未来に対する期待の神頼みであって、行為そのものは極めて不合理で何の意味もないが、そうすることによって未来展望を描いていたのではないかと思う。
当然そこではメデイアが介在しているわけで、メデイアはそういう雰囲気を喧伝することで、国民に対して「自分達は命をとして戦う行為はしていないが、銃の後ろで国威掲楊に貢献をしているのだ」というパフォーマンスを示している図である。
国難に殉じて亡くなった人を讃えるということは、誰が何といっても尊い行為であるわけで、それをもう一つ仰々しく価値を高めるための方策であったのではなかろうか。
一度そういう価値観が確立すると、後は雪崩を打ってそれに便乗する者があらわれて、ますます付和雷同の輪が大きくなったのではなかろうか。