ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

、「露探」

2008-01-30 21:01:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「露探」という本を読んだ。
日露戦争の頃、つまり1904年、明治37年頃、日本がロシアと戦火を交えるに当たり、日本の情報をロシアに流すかあるいはその恐れのあるスパイのことを察し示しているが、実際にそういうことがあったかどうかを検証した本であった。
実際にはそういう行為をした人が居たかどうかは不明のままであるが、相手を露探と言って、誹謗中傷することによって貶めるということはあったらしい。
つまり、いじめの口実として露探という言葉が使われたらしい。
そういうことが詳しく検証されているが、それはそれとして読み物としては楽しめるが、ここで考えなければならないことは、我々同胞のいじめの構造である。
ありもしないことを、「あいつは露探ではないか?」と言うことで、相手を窮地に陥れる行為は今でも十分に生きていると思う。
今、話題になっている小中学校のいじめの問題もこれとまったく同じ構図であるし、こういうことは政策としても、あるいは立身出世にも大いに利用されていることだと思う。
人の噂も75日というが、確かに、噂そのものは75日で消えるかもしれないが、その根も葉もない噂によってこうむった被害は75日程度では回復されないと思う。
これの大掛かりなものが、中国の反日運動があって、南京大虐殺などで「30万人の大虐殺」などと声を大にして叫んでいるが、これこそ根も葉もない噂の大合唱だ。
ところが、それを何度も何度もあらゆる機会を捉えて大合唱をすると、根も葉もない噂が真実になってしまうから困るのである。
その最初の根拠は、極東国際軍事法廷で暴露されたことから始まるが、それ以降年を重ねるに従い被害者数が年々増加して、今では30万人で確定していることの不思議さを誰も指摘しない。
誰も指摘しないから30万という数字が真実味を帯びて、それが真実になってしまったではないか。
もっとも、ここまでの過程で、いくらその誤りを正そうとしても、相手がこちらの言うことを聞かず、自分たちの都合のいいことだけを声高に叫んでいるので、声の大きい方が信用されるということになっている。言葉の戦いというのは暴力を伴っていないので、奇麗事のように受け取られているが、民主主義というのは言葉の戦いだと言われつつ、嘘や方便も言葉の戦いでは武器となるわけで、言葉の戦いといっても洗練された国際感覚が最終的にはものをいうと思う。
あの第二次世界大戦でキリスト教文化圏の連合軍が何故中国を味方に引き入れ、日本と敵対したかと考えると、やはりそこには国際感覚というものが伏流水のように流れていたように思う。
蒋介石は自分の国がキリスト教文化圏の連合軍に散々食い物にされても、それでもなお彼らと手を組んで、日本に対して抗戦をしたかということは彼の天与の国際感覚であったと思う。
それに比べると我々の祖国は国際的にはまったく孤立していたわけで、その意味でまさしく国際感覚が劣っていたということに他ならない。
国際感覚が劣っていたからこそ地球規模でいじめにあったわけで、それが第二次世界大戦であり、太平洋戦争であったものと考える。
日本がいじめにあうということは、我々が他の民族と比べて突出していたからで、「出る杭は打たれる」ということである。
小中学校のいじめでも、何か人と違う印象をもったものが対象とされるわけで、人よりもアクシュンが一歩遅いとか、あるいは早すぎるとか、あるいは弱そうだとか、人より良い物を持っているとか、とにかく平均よりもどこかしら突出しているといじめの対象とされる。
そのいじめに対して反撃する、特に腕力で以って反撃すると、今度は「暴力はいけない」といわれるので、いじめはますます顕在化して、人に隠れていじめをする側は見逃されるが、そのいじめに公然と抵抗すると、抵抗した方が糾弾されるわけである。
「あいつは露探だ!」と言われて、弁解すると、「弁解するからには何か後ろめたいことがあるではないか」という論理になる。
この構図はそのまま昭和初期の我が祖国の置かれた立場と、当時の世界の認識と見事にマッチしているではないか。
こういう状況下で生き抜くためには国際感覚こそもっとも肝要だと思うが、悲しいかな我々にはその国際感覚というものが十分に醸成されていなかった。
相手の毒に対して、毒を以って制ずるという発想を、武士道に反する汚い行為だと認識しているが、これこそ究極の国際感覚の欠如だと思う。
四周を海に囲まれているので、どうしても「井戸の中の蛙」的思考になってしまって、「葦の髄から天覗く」ということになってしまう。
唯我独尊的に、我々が「良い」と思っていることは地球規模で、あるいは全人類にとって良い事に違いない。その良い事を推し進めるのに何が悪いという思考になりがちである。
1932年、昭和7年に日本は満州国を建国した。それに関連してリットン調査団が柳条湖事件調査のため来日したが、その対応と事後の処置が極めて不味かった。
この部分に、自分たちが良い事だと思っていることは世界が認めるに違いない、という安易な思い込みが見られる。
我々の考えていることと、世界の考えていることには位相のずれがあるということに気が付かず、その部分に国際感覚の未熟さがあった。
我々は「西洋列強のしていることと同じことをして何が悪い」という思考であるが、西洋列強、キリスト教文化圏の人々からすれば「白人のすることはいいが黄色人種のジャップがすることは罷り成らぬ」という意識があったわけで、我々はそれを測りかねたわけである。
西洋人、キリスト教文化圏の人々の深層心理を慮ることをしなかったわけで、その部分に国際感覚の未熟さが潜んでいたことになる。
これが同じ黄色人種でもジャップではなく、中国人や朝鮮人ならば、彼らも鷹揚に構えて目くじらを立てずにおれたけれども、何しろ相手は日本人、ジャップだったから彼らの癇に障ったわけである。
日本人でない中国人であったから、蒋介石は連合軍側に引き入れられたわけで、彼は体よく利用されただけであるが、利用されること自体が彼ら中国にとっては国益であったわけである。
そういう支援があったにもかかわらず蒋介石は中国を統一できず、共産主義者に国そのものを乗っ取られてしまったではないか。
アメリカも中国を支援しておきながら、その見返りは何もなく、アメリカの若い兵士の血を染めてようやく我々を屈服させたが、結果から見るとアメリカの中国支援は何であったかといいたい。
アメリカに対しては、我々は完璧に敗北し、国土は灰燼に帰すまで打ちのめされたが、中国戦線では我々は本当に敗北したのだろうか。
1945年、昭和20年8月の時点で、中国の各地に展開していた日本軍は敗北したのであろうか。
天皇陛下の終戦の詔勅で、日本軍の将兵は一方的に武器を置いたわけだが、これは戦闘を停止しただけのことで、戦争の敗北とは次元が違うことではなかろうか。
ということは、我々は中国に対しては敗戦国ではなく、降伏したことにもならないのではなかろうか。
その辺りになんとなく不思議さを感じる。
国の最高司令官(昭和天皇)が敗北を認めたのだから、「敗北だ」と言われるとなんとなく「そうかな」とも思うが、ならば中国の地における現実の実効支配は一体何なんだということになる。
この日まで日本軍は国民党軍あるいは八路軍(共産党軍)と銃火を交えていたにもかかわらず、一夜にして相手の、敵側の実効支配に移るというのも全く腑に落ちない話だと思う。
その上、その後の流れとして、敵側の人間が「あいつが戦争犯罪者だ」と言えば、指名された人間は逃げも隠れもせず、獄につながれ刑に服すなどということがあっていいものだろうか。
この本の述べようとする本旨からずれてしまったが、ようは根も葉もない噂を流して、人を糾弾するということはメデイアの知性、理性、理知にかかわっているわけで、報ずる側にそれがないから犠牲者、被害者が出るわけだ。
報ずる側に無責任体勢がある限り、いつの世になってもこういうことは後を絶たない。
昨今は虚偽の報道ということがやかましく言われているが、そういうことのないようにメデイアの組織内部で自浄作用が多少とも利くようになったが、それでもなお昨今報じられてるように、NHK内部でインサイダー取引が現実にあるわけで、メデイアの自浄作用も「百年河清を待つ」という感じでしかない。
メデイアの一線で活躍する人は、昔はインテリーヤクザといって、まともな人は彼らを蔑視していた。
彼らは蔑視されても致し方ない存在であった。
NHKの事例でも分かるように、情報に一番最初に接しれる立場を利用して、自分だけ得をしようと画策するわけで、していることはヤクザ、あるいは暴力団と全く同じではないか。
新聞ゴロという言葉もある。
自分の得た情報で相手を恫喝して金品をむしり取るというのもヤクザと同じ手口だし、それの延長線上に「露探」といって、相手の政治生命や社会的地位を貶める行為があるわけである。
この本の著者は、最後に「露探」と「軍神」を同列に掲げて、双方ともメデイアの作り上げる虚像だと断じているが妥当な見解だと思う。
その意味で、メデイアも自らが食わんがために、虚像だろうと実像であろうと、あることないこと記事として国民にばら撒かないことにはならないわけで、その中身を斟酌するのは国民の側の責任なのかもしれない。報道されたことを鵜呑みにするのではなく、自分で中身をよく吟味して、真実かどうかを推し量らねばならないのかもしれない。
だとしたらメデイアの受け取り手というのは阿呆のようなものだ。
虚偽の報道に金を払うことになるわけで、こんな馬鹿な話はないと思う。
伊勢の赤福餅の行政処分は、病人や怪我人や死者を出したわけではないが、趣味機嫌をごまかし、期限切れのものを有効利用したかどで処分を食らったわけだが、嘘の報道を掴まされて、それに金を投じている我々は、一体誰に苦情を持っていけばいいのだろう。
報道の中に虚偽があったということは、赤福餅の賞味期限のごまかしに匹敵する詐欺行為ではないのか。
我々は報道されていることは全部が真実だと思って金を投じているのである。
それが嘘だった、虚偽だった、根も葉もないことであったでは、金返せとなるのも当然である。

「大東亜戦争の正体」

2008-01-28 18:22:33 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「大東亜戦争の正体」という本を読んだ。
私自身も、我ながらかなり右に傾いていると自負しているが、その私さえも舌を巻くほど強力な右翼的というか、国粋主義的というか、とにかくその舌鋒には驚かざるを得ない。
お互いに国粋主義的、あるいは愛国的という部分で、共通する認識も各所にあるが、その主張があまりにも強烈なるがゆえに、その私でさえも尻込みしたくなってしまう。
言わんとするところは、私の視点からすれば至極当然なことばかりで、それでこそ主権国家のあるべき姿であって、正論だと思う。
普通の主権国家の普通の存在感であるとは思うが、今の日本の国民的なコンセンサスから推し量って、それを実践するとなれば、国民の大部分を敵に回さねばならなくなると思う。
たとえば、内閣総理大臣が靖国神社に公式参拝するということは、普通の主権国家の普通の認識ならば、極々普通のことでなんら問題にすべきことではない。
それに対して中国と韓国がクレームをつけてくる。
この本の筆者は、それは「相手が悪いのだから正々堂々と正面から胸を張って参詣すればいい」という論調であるが、中国や韓国がクレームをつけてくることは現実の問題であって、筋がとおらないとか、内政干渉だといったところで、相手がそう言ってくる以上、我々の側の為政者、あるいは統治者、内閣、政府は相手の言ってきたことに対してなんらかの対応を迫られる。
自分の思ったとおりの意思をそのまま通すか、それとも相手の言うとおりにしてご機嫌をとるか。
戦前の大日本帝国であるならば、相手がいくら言ってきたところで、それを撥ね付ける力というものが我々の側に備わっていた。
相手がクレームをつけたことに対して、そのクレームを無視するということは、こちら側にそれを撥ね付けるだけの実行力が備わっていなければならない。
早い話が軍事力であって、「こちらの面子をつぶすような発言は許さないよ」という毅然とした矜持を持とうとすれば、その背景に軍事力を後ろ盾にした「いざとなればいつでもそれを使うよ」というはっきりとした意思を持っていなければ、相手の言うことを跳ね返すことは出来ない。
この問題は、中国あるいは韓国から差し出された踏み絵としての靖国神社問題である。
いざと言うときに日本は武力を使うかどうかを探るための踏み絵に違いない。
先方からそういわれると、日本側としては、「いつでも伝統の宝刀を抜くよ」という我々の側の確たる信念がないものだから、相手の言ったことに対して強く反発できないでいるのである。
結果として相手の言いなりになるということになる。
現実の政治・外交を扱っている為政者、政治・外交の当事者にすれば、相手の言い出したことに反発、反論すればそれがどういう形で跳ね返ってくるか分からないので、結果として相手の言いなりになるしか、とるべき手段がなかったということだと思う。
中曽根元総理だって、小泉元総理が「行く」と言い出したら「止めとけ」と釘をさしたわけで、その言葉の裏には、我々の同胞の中に中国の国益を擁護するグループがいるということで、反日日本人、非日本人というものが我々の同胞の中にはたくさんいるから、首相が中国や韓国の言うことを無視して行動すれば、そういう同胞の反発が収拾つかなくなってしまう。
だから、政治性的判断、政治の決断として「止めておけ」ということだと思う。
日本の首相が、中国や韓国から言われたからといって、祖国の英霊にも参詣できない、などという馬鹿な話はないと思う。
それを言うほうも言うほうだが、中国や韓国の言い分を我が同胞が許容し、容認し、歓迎し、フォローする反日日本人、非日本人の存在は如何ともし難い。
反日日本人、非日本人というのも不思議なことに自分の私利私欲でそういう発言をするわけではなく、彼らの心の内の欲求も、日本人全体のため良かれと思ってそういう発言をしているものと推察する。
共産主義者が日本の将来の為に、血で血を洗う革命が必要だ、という論理と同じである。
もう一方の為政者、首相のほうも、英霊の遺族の思いを心しながら、その中には票につながるという下心が潜んでいるかもしれないが、一応普遍的な常識の線に沿って行動しようとしているわけで、その意味では日本人全体のため、日本民族のため、中国や韓国の言うことに屈してまで口論を避けよ、トラブルを回避せよということだろうと思う。
ベクトルの思考が相反しているにもかかわらず、その根のところでは「我が同胞のため」という部分でつながっていると思う。
これが政治というものであり、その政治の延長線上として外交があり、その先に戦争あるいは武力行使というものがある。
日本は承知のように憲法で戦争放棄を世界に向けて宣言しているようなものだから、相手は日本に対して何を言っても、戦争あるいは武力行使というリアクシュンはないということを十分知っているからこそ、日本に対して言いたい放題のことが言えているのである。
ここで、この本の著者が言っているように、我々の祖国は、中華人民共和国あるいは大韓民国、朝鮮人民民主主義共和国と果たして戦争をしたかどうかということを考えてみる必要がある。
東京国際軍事法廷は、事後法で推し進められたので、その判決には整合性がないというのは当然のことで、その時点で成立もしていない国家に対して、その後何年もたってから国家として「謝罪せよ」などと言うことは論理的に成り立たないはずである。
これらの国々は日本が戦争に敗北したからこそ、その後、主権国家として成立でき、民族としての自存自立が可能になってわけであって、そのことから考えれば彼らから感謝されこそすれ謝罪を要求されることなど主客転倒していると思う。
その過程の中で、我々の側が相手側の人々を苦しめたことも多々あったことは否めないし、無益な殺傷があったとすればそれは謝罪も致し方ないが、ならば相手側は自分たちの同胞を殺めたことがなかったかと言えば,これは彼らの同胞同士の殺し合いの方がはるかに陰惨であったわけで、自分たちのしたことには頬被りして、相手のみを責めるというのも、極めて大陸的、シナ的、朝鮮人的である。
我々がアメリカに敗北して意気消沈しているとき、彼らは中国共産党と国民党との確執、朝鮮半島で南北に分かれての朝鮮戦争、これらの諍いにおける彼ら同士の殺し合いを棚に上げて、日本に対して「謝罪せよ」という論理は全く整合性がないではないか。
自分たちの殺し合いには蓋をして、我々に対してのみ大声で糾弾するということは、ご都合主義そのもので、まさしくタカリの構図であり、それを言う指導者、国家指導者の品位の問題に尽きる。
この本の著者は言う。
日本は戦争に負けたが、結局は大東亜戦争の目的であったアジアの開放には勝利した、という論理は極めて説得力がある。
我々の古い言葉に「負けるが勝ち」という言葉があるが、20世紀のアジアの現状を見えるにつけ、これは的を得たことになる。
戦術としては、あらゆる戦闘場面で敗北を帰したが、我々の戦争目的はアジアの解放にあったわけで、戦後60年たってみると、それは見事に確立されており、その意味でこの著者の言うことに全面的に共感を覚える。
中国や韓国が、日本の首相に対して「靖国神社の参詣を止めよ」「謝罪がたらない」と声をそろえて言い募っているが、こういう認識こそが彼らの後進性だと思う。
日本と清王朝が銃火を交えた日清戦争のとき、清の西太后は違和園の建設に膨大な国費を投じて、軍艦を建造する金までそちらにつぎ込んだと言われているが、これを今流に表現すれば軍備の金を文化施設に投じた良い事となるが、結果的に大いなる時代錯誤であったわけで、王朝そのものが消滅してしまったではないか。
大東亜戦争肯定論ではないが、今の時点で世界、特にアジアを眺めてみると、結果的に日本がアジアで暴れまわったので、西洋列強のアジアにおける軍事力を削いでしまったということは確かだと思う。
だからこそ、それが故に、アジアの民は西洋列強の植民地から解放されたという現実が残っている。
日本は確かに個々の戦闘では敗北した。
連合軍、特にアメリカの豊富な物量を前にして、劣勢な武器と補給もままならない中で、玉砕するまで戦ったことに対して、キリスト教文化圏の人々は、その日本人の献身さ、気高い奉仕の精神、愛国的な振る舞いに舌を巻いたのである。
そういう英霊が眠っているのが靖国神社である。
アジアの開放、西洋列強の植民地からの解放は、そういう我々の同胞の血であがなわれたのである。
とはいうものの、その敗北の原因を内側の視点で見ると、我々は如何に杜撰な戦争をしたかという反省になるが、日本の外側つまり相手側から見ると、日本の軍隊というのは実に恐ろしい存在に映っているわけで、この恐ろしさは一体何なんだということになっていたのである。
彼らの目、つまりキリスト教的ヨーロッパ人の視点から見ると、「日本の兵隊は実に優秀で、果敢に戦闘を繰り出してくるが、あいつらの将官は一体何をしているのだ」という評価であったらしい。
兵は優秀であるが、高級参謀は阿呆だということだ。
日本の政治家が、中国や韓国から恫喝されて意図も安易に謝罪するのも、彼らヨーロッパ人の目から見ると「一般国民は実に健気に振舞っているのに、国の高級参謀は一体何をしているのだ」と映っているものと思う。
日本人のバイタリテイーには、世界が一目おいていると思う。
1945年の8月という時には、日本の内地、日本の各地の都市、東京、大阪、名古屋という都市は焼け野原であった。
それに引き換え、朝鮮の各都市は戦災を受けたものが少なく、社会的基盤は正常に機能していたわけで、この時点で日本と朝鮮が同じスタートラインに立っていたとするならば,彼らの方が断然リードしていたわけだ。
それがそうならなかったところに民族の気質の違いがある。
アジアの指導者の中には、そのことを十分に理解している人も大勢おり、中国の毛沢東から周恩来までそういう見方をしているが、中国の指導者も世代交代しているし、我々の側も当然それと同じ時間を共有してういるので世代交代が進む。
すると過去の歴史も双方でその解釈が微妙にずれてくるわけで、歴史というものが政治のツールとして作用し始めた。
歴史が外交の切り札となってしまったわけだが、そのこと自体が指導者の品位、モラルの問題なわけで、それを正すには、本当のことを相手に対して説かなければならない。
ところが、こちら側も真の歴史を知らないものだから、何が真実か知らないまま、盲人が像を撫ぜるような議論になり、それが煩わしいのでさっさと謝罪してしまうということになる。
日本は戦争放棄を憲法で明言しているので、中にはそれを逆手にとって、無理難題を押し付けて金をせびり取ろうとする暴力団まがいの国もあるということだ。
我々からすればモラル、あるいは倫理観の問題であるが、モラルや倫理観というのは当然、地域あるいは民族ごとに異なっているわけで、世界共通のモラル、倫理というものはなく、こちらのモラルを相手に押し付けるわけにも行かず、相手にすればモラルも倫理観も関係なく、ただただ目前の利益、あるいは恫喝によって相手から金さえ取ればそれでいいわけである。
武力で脅すような下司な手法を使わずとも、口先で金を引き出せればこれに越したことはないわけである。
中国や韓国の言い分も、この時代錯誤に等しいわけで、特に南北の朝鮮民族に関して言えば、自らは自分たちの独立自存に何一つ汗も流さずに、棚ぼた式に振って沸いてきた自主独立のチャンスを生かすことも出来ず、他者に寄りかかろうとする心根は、そのものずばり事大主義で、依存症そのものだ。
その依存症なるが故に、自らの不甲斐なさを棚に上げ、自ら反省することもなく、他者の所為に転嫁して、「自分たちが統一できないのは日帝36年があったからだ」という詭弁を弄しているのである。
朝鮮の歴史は、日本支配の前はことごとくが中国の王朝に擦り寄り、指示監督を仰がないことには生きれなかったわけで、自主独立という気概そのものが欠けていたではないか。
清が強そうに見える間は清に擦り寄り、ロシアが強そうだとロシアに擦り寄り、日本が強そうだと日本に擦り寄り、日本が負けると掌を返したように、水に落ちた犬を叩くようなことを平気でしたわけである。
その延長線上に「日本の謝罪が足らない」という論理が潜んでいたわけだ。
日本が大東亜戦争で西洋列強の国力を削いでしまったということは歴然とした事実だと思う。
だからこそアジアの諸民族が自主独立の機会を得られたわけで、その意味からしても朝鮮民族の統一がいまだに出来ていないということは、アジアの中でも特に民主化の度合いが低いということになる。

「シベリアの河上肇」

2008-01-25 08:26:39 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「シベリアの河上肇」という本を読んだ。
著者は落合東朗という人だが、この人がシベリア抑留中に目にした河上肇の詩が頭の中に残っていて、その彼が河上肇にまつわる思いを綴った作品であった。
その河上肇の詩の載っていたのが、多くの抑留者に読まれていた「日本新聞」の中の記事だったというわけで、私には「日本新聞」と来れば、それに付随して著者とは又別の感慨がある。
「日本新聞」と河上肇とは、共産主義という太い線で結ばれていたわけで、私はこういう場面に共産主義者の老獪さを見る思いがする。
「日本新聞」というのは言うまでもなく、シベリアに抑留された人々に共産主義を洗脳するため、ソ連側が日本人を使って発行させた新聞で、当然、日本人の中の共産主義者が旧ソ連および共産主義を称揚する目的で、その運営から記事までを扱っていた新聞である。
1945年8月9日、ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破って旧満州になだれ込んできて、8月15日の日本のポツダム宣言受諾の後、旧満州の軍民もろとも60万人をシベリアに抑留したが、その浚ってきた、あるいは拉致したというべきか、その60万の日本人をソ連領内の各地のラーゲリ、収容所に収容して重労働に使用したことは言うまでもない。
この拉致してきた日本人に対し、共産主義思想を植えつけようと画策して、その中の日本人の中で特に共産主義者をピックアップして、彼らに日本語による教宣活動をさせた。
その手段として使われたのが「日本新聞」という日本語の新聞であった。
何故その新聞に河上肇のことが書かれたかといえば、当然、河上肇という人は押しも押されもせぬ立派な共産主義者で、警察に捕まって5年も牢獄に放り込まれながら転向しなかったというわけで、彼らの仲間内では英雄に祭り上げられていたからである。
その彼の詩が、この「日本新聞」に載っていたので、この著者はそれを思い浮かべて彼のことを文にまとめたというものだ。
著者自身が河上肇に傾倒して共産主義者になったかどうかはこの本からは分からないが、河上肇の生活ぶりにはかなり筆を裂いている。
私はシベリアに抑留された同胞の中に、自分たちを拉致し、しかも相手から重労働を課せられておきながら、そういうソ連に味方する同胞の存在というものが理解しかねる。
普通に学問のある、普通に高等教育を受けた日本人ならば、ポツダム宣言受諾後のソ連の振る舞い、日ソ不可侵条約の一方的な破棄というものが、整合性の有る行為かどうかということは自然に理解しえて当然だと思う。
終戦の一週間前に火事場泥棒的に参戦して、まるまる「漁夫の利」をせしめようという老獪な行為を許せるかどうか、冷静に判断してしかるべきだと思う。
そういうソ連に、身も心も帰依して、日本人同胞に共産主義を植え付けようとする同胞の気持ちはまったく理解しがたいことだ。
共産主義者、および共産党員というのは、自分の祖国の存亡など党の存亡に比べればプライオリテイーがきわめて低いわけで、祖国への忠誠よりも共産党への忠誠のほうを優先させ、祖国へ奉仕するよりもソ連への奉仕の方が大事であったにちがいない。
だから自分たちが何の根拠もなくシベリアに拉致されても、ソ連に対する恨みはまったく存在せず、ソ連のような社会主義的な国家建設が最良のものと思い込んでいるのである。
実に馬鹿げた話だ。
これが我が同胞である。
これが我が同胞の知識階級の真の姿だ。
河上肇は終戦直後に牢獄の中の過酷な生活がたたって、出獄後半年足らずで、翌年の1月30日に亡くなっているが、彼の人生は一体なんであったのか実に不可解だと思う。
彼は死ぬまで共産主義革命をなしたソ連をユートピアだと信じて疑わなかったようだが、彼は現実にソ連が日本人同胞を60万人もシベリアに拉致した事実を知っていたであろうか。
5年間も牢獄の中にいて情報に疎かったであろうけれど、彼の信じて疑わなかった共産主義というものの欺瞞性を知らずに、だただた祖国に背いて、背いた結果として牢獄につながれて、人生を棒に振ったとしか私には思えない。
学者として、マルクス・エンゲルスを読むのはいい、共産党宣言を翻訳するのもいい、資本論を翻訳するのもいい。しかし、それの欺瞞性を見抜けなかったということは学者としては痛恨のミスだ。
マルクス・エンゲルスの論文の欺瞞性、資本論、共産党宣言の非現実性に気が付かないということは、基本的に人間を知らなかったということだ。
彼の目に映る人間というのは、政治家とか、資本家とか、軍人とか、官吏とか、ようは安逸な生活をおくっている人々だけで、大衆というものを見ていないからこういう認識の乖離が生ずるのである。
確かに、彼らは労働者というものには関心を寄せているが、それはガラス窓から街行く人々を眺めているようなもので、自らハンマーを握って鉄を打ったこともなければ、鋤を持って畝の一本も作ったことのないインテリーの域を一歩も出るものではない。
共産主義というものが、労働者と農民を前提とした思考なるがゆえに、労働者の救済、農民の救済ということを口にはするが、自分の出自は裕福な家系なわけで、そちらに足を踏み込まなければ搾取する側なわけで、搾取される側の気持ちなど分からないのも当然である。
日本の文化はあらゆるものが海外に起源を有するわけで、そういう意味ではあらゆるものが最初は上流階級に広がり、それが年月を経ると共に下層階級にまで浸透する形で広がった。
共産主義、コミニズムもそれと同じで、最初は帝国大学の学者さんが、難しいヨーロッパの文献を翻訳することで日本の大衆に広がっていった。
ところがこれを翻訳し研究していると、ここに書かれていることは非常に美しく、人間の夢を描き出しており、我々もこういう理想郷を作り出さなければならないと思い始め、それを実践しなければという思いに駆られた。
それが河上肇ほか数多の進歩的知識人という学者であったわけだ。
ヨーロッパの原書を読んで、そう思い込むところがある意味で極めて典型的なお坊ちゃんであったわけだ。
お坊ちゃんだからこそ、鉄を打つ労働者、畝を作る農民の気持ちを心から理解することがなかった。
ただただ貧しい人を救済しなければ、という極めて感情的かつ少女趣味的な奇麗事に惑わされて理想卿を追い求めていたに過ぎない。
共産主義というのは、一種の宗教だと思っているが、彼もまさしく共産教という宗教に幻惑されていたわけで、それはオウム真理教の麻原章晃に惑わされた有名大学出のインテリーたちと同じだ。
河上肇の翻訳したマルクスあるいはエンゲルスの論文そのものは立派なものだと思うが、それも仏教の経典と同じようなもので、内容的には人間としてそういう境地にまで至らなければならないかもしれない。
ところが、生きた人間はそういう夢を食う獏のようにはなれないわけで、もって生まれは煩悩に決別できず、理想郷を現実化しようなどという境地には至らないものだ、というのも明らかなる現実である。
仏教の説話も立派なことを説いているが、だからといってそれを国家レベルで、社会改造までして実践しなければなどと誰も考えていないではないか。
そういう理想郷の建設のためには天皇制を否定し、社会秩序を御破算にして、金持ちを殺して革命をしなければ駄目だなどという考え方は、いかなる世であろうとも公序良俗に反すると映るのが当然ではないか。
いかなる理由付けをしようとも、人を殺して、同胞を殺してまで世直しをする、などということが容認されるわけがないではないか。
何故こんなことが旧帝国大学を出たような知識人、インテリーに分からなかったのであろう。
どうして、目的のためならば手段を選ばない、という考え方を容認するのであろう。
こんな極々当たり前のことが何故帝国大学を出たような人、あるいは帝国大学の先生方には分からないのであろう。
学問というのは一体何なんだ。
学者のどこに学問があるのだ。
戦後は、思想・信条の自由が保障されたので、戦前戦中に治安維持法で牢獄につながれていた共産党員が英雄のように扱われ、煽てられ、あたかもオピニオン・リーダーのようにもてはやされたが、大衆は案外冷静で、そうそう共産党員に票を投じたわけではない。
大衆というのはメデイアの表面には余り顔を出さないもので、それに反し、共産主義者や共産党員は大きな声で叫びまくり、メデイアを自分のほうに引きつけようと画策して、派手なパフォーマンスを繰り返してニュースバリューを提供しているが、大衆というのはまだまだお上のほうに信を置いているのである。
それに学者というのはどこまでもお坊ちゃんで、政治というのは生きた人間が運用するという現実を忘れている。
ソビエット連邦の共産主義社会体制は、善良な人々が最良の統治をしていて、その社会には不平不満はもとよりいかなる階級制度も存在せず、貧富の差もなく、人民はみなおいしい食糧にありつけて、ゆりかごから墓場まで国家がきちんと面倒見てくれると思い込んでいる。
馬鹿か!と言いたい。
まあ、お目でたいと言えばそれまでであるが、学識経験豊富な知識人の認識がこうであってははなはだ困ることではなかろうか。
人間が生きるということは、他者とのかかわりの中で生かされているわけで、自分ひとりの力で生きているわけではないはずである。
他者とのかかわりということは集団の中で、その集団の庇護の下に生かされているわけで、無人島で一人で生きているわけではないはずである。
集団の中で生かされているとなれば、その集団のルールに従わないときには集団からボイコットされても致し方ない筈である。
集団のルールには様々あって、共和制のこともあれば君主制のこともあるが、少なくとも統治者あるいは為政者の下で様々なルールが確立され、様々なシステムが構築されているはずである。
その中には自分の気に入らない、自分では容認できない、自分では承服できないものも少なからずあることは当然のことであろう。
だからといって、自分の属する集団のルールやシステムを全部転覆していいという法はないと思う。
少々気に入らないことでも我慢して、自分の方が折れるということも生きんがための方策だと思う。
戦後は、共産主義も現行法に触れない限りは容認されているわけで、その意味では結構な世の中であるが、共産主義者の「自分の気に入らないことは我慢することなく、大きく騒ぎ立てて我慢しなくてもいい様にしよう」という運動は脈々と流れている。
しかも、その運動の表面には共産主義というものが見えなくなっており、民主化の結果だといわれているが、民主化が進むということは、その見えない部分に共産主義の浸透があるということである。
個人と国家の関係というのは、統治されるものとするものの対立という構図であるが、統治される側がする側に対して言うことを聞かないということは、亡国への道を歩みかけたということでもある。
今の日本の知識人の中で、そのことに思いを巡らしている人が果たしているであろうか。

「北朝鮮を継ぐ男」

2008-01-23 08:58:28 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「北朝鮮を継ぐ男」という本を読んだ。
1919年大正8年に日本統治下の朝鮮に生まれた主人公が、日本で教育を受けた後、日本の戦争敗北の後、日本のくびきから脱した朝鮮において、反政府運動に身を投じ、結局のところ日本に亡命して生を永らえたという話である。
共産主義者としていかなる国でも、いかなる体制でも、既存の社会秩序を破壊する運動に現を抜かしておいて、それが挫折したからといって、再び既存の体制の中に身を寄せて生きるということは、私にとっては我慢ならない行為に見える。
私がこういう人間を信用できない理由は、自分の祖国に弓を引いたにもかかわらず、その弓を引いた国の庇護のもとに生き続けたという大矛盾にある。
この人の人生はまさしく時代の変遷を身を以って体験しているわけで、その時々、その時代時代を見事に書き表しているが、だからこそ歴史の真実が透視されてくる。
例えば、彼も彼の兄も反政府運動に身を投じたという容疑で警察に捕まる。
そうすると彼の父親は非常に莫大な袖の下、今の言葉で言えば賄賂であるが、それでもって自分の息子を警察から救出している。
主人公の立場からすると、反政府運動で警察に身柄を拘束されるそのこと自体が不合理と映っているが、問題はそれよりも、そういう容疑者が袖の下で意図も安易に解放されるという古くからの朝鮮の風習、法の無視、あるいは法という権威の低下、袖の下という前世紀の封建主義的な処世術が20世紀にも生き続けていることの不思議さを問題にしなければならないと思う。
反政府運動に生涯を賭けた人と、きちんと社会秩序を遵守して汲々と生きた人では社会に対する視点の向け方が決定的に違っていると思う。
この世に生まれ出でた人間は、統治する側とされる側に大きく二分されるのはごくごく当たり前のことで、数の上から比較をすれば、統治する側というのはほんのわずかな人数であって、生きた人間の大部分は統治される側に属する。
数の大小にかかわらず、生きた人間の集団が、統治するものとされるものという対比で見れば、統治される側が膨大な数になるわけで、その中には当然統治するものに対する不平不満が渦巻くのも当然の成り行きであり、そういう不満が潜在化するのも自然の成り行きである。
この主人公も、子供のころの日本統治下の朝鮮で、日本人による朝鮮人の抑圧、圧迫、差別を目のあたりにして、それには我慢ならなかったと述懐しているが、無理もない話だと思う。
ところが、この日本による朝鮮民族の抑圧ということは、その接点では朝鮮民族が彼らの同胞を抑圧しているわけで、警察に捕まっても賄賂を渡せなすぐ開放されるということに如実に現れているではないか。
然るに、自分が警察に捕まって父親が膨大な賄賂で開放してくれても、その父親が賄賂を使うという行為には何の違和感も感じていないわけで、むしろ賄賂を吊り上げたものを憎むという、社会の民主化とは異次元の方向に鬱憤を晴らしている。
統治するものとされるものという二極対立の中で、統治されるものの不満は尽きることはないが、統治する側にしてみれば、人々の平穏な暮らしを作るためという大儀の元で施政をしている筈であって、それは必ずしも統治されている側のすべてを納得させるものではない。
ここで、政府のすることが気に入らないから、それを反政府活動につなげて良いかどうかを考えるのが学歴に依拠する知識人の思考でなければならないではないか。
無学文盲の人ならば、一遍のプロパガンダで踊りだしたとしても許されるが、少なくとも高等教育を受けた知識人が政府、あるいは行政のすることが気に入らないからといって、ストレートに反政府運動に走っていいわけないではないか。
反対意見を述べることは自由であるが、自分の思うとおりに為政者が動いてくれないから、そんな政府ならば直ちに打倒せよというのは明らかに極論であり、それを直ちに実行に移せば弾圧されて当然である。
自分が警察に捕まって、父親が賄賂でそれを開放するというところに、民主化の度合いが低いことに主人公は気が付いていない。
こういう人々、いわゆる活動家という類の人たちは、自分は世直しという気高い高貴な仕事をしていると思い込んで、自分は何も悪いことをしていないが、警察、国家権力、為政者、相手が悪いから善良な自分たちを拘束するという風に自分自身を捉えていると思う。
自分は世直しに奔走しているから善人の極みであって、その良き人を捕まえたり拘束したりするとは何事だという論法であるが、そういう思い込みを解きほぐすのが本来ならば高等教育を身につけた教養知性でなければならないではないか。
この主人公が朝鮮民族の自立を希う心情は察して余りあるが、戦前の朝鮮の人々には、まだまだそういう機運が未熟で、その証拠が彼の父親が賄賂で息子の安寧を買いとろうとした点に如実に現れているではないか。
それにも増して、日本の敗戦で旧宗主国のくびきから解かれたにもかかわらず、祖国統一がいまだに実現していない点にそれが見事に表われているではないか。
この時代に、日本人のみならず朝鮮人の中にも聡明な若者が共産主義に傾倒するのはある程度は致し方ない。
それこそ青年の純真さであり、純朴さであり、若々しい正義感でもあり、人は平等であるべきだ、貧富の格差は是正されてしかるべきだ、というのはそういう青年たちをひきつけるに十分な魅力を備えた思想であったことは十分理解できる。
日本人の同胞の場合、そういう若者の熱情を共産主義に向けたものもいないではないが、大部分の当時の若者は、国家に殉ずる方向にむけて、散華していったものが大勢いたことを忘れてはならない。
若者の純真さを国家にささげるか、思想、イデオロギーに捧げるかでその評価は180度の価値観の相違となる。
だが、共産主義体制の実現に向けて既存の秩序を破壊してまで早急にしなければならない、というのはどう見ても彼らの思い過ごしであり、跳ね上がりである。
ここでそういう思考の渦巻きを整理、調整、秩序立てるのが本来、高等教育で培われた教養知性であり、それに依拠する理性でなければならない。
この本の主人公も、早稲田で学んだ教養知性がそういう方向には作用せず、彼ら自身の民族的な政府に対してさえもベクトルが反対向いてしまったわけである。
だから、新生大韓民国の中でも地下にもぐらなければならなくなったわけで、結果的に朝鮮民族の自主独立を詠いながら、終始自らの民族に弓を引き続けたわけで、私の第三者的な率直な意見からすれば、口先で民族の自尊自衛をいうだけの穀潰し以外の何物でもないということに尽きる。
ところが、この主人公は日本の敗戦によって日本というくびきから開放された朝鮮の状況をつぶさに白日の下にさらけ出してくれている。
その様子から察するに、朝鮮の人々はやはり自らの力で、自分たちの国を作るという器量に欠けていると思う。
だからこそ、日本に支配されるまでは清国の属国として朝貢という行為を長々と続けていたわけで、日本によってそれが封鎖されると、今度はそれを日本に向け我々の側に擦り寄ってきたものも大勢いたわけで、結果的に見てそういう連中が日本という権威を傘にきて朝鮮の人々を抑圧したわけで、そういう一連の流れの中で、日本の統治が崩壊すると、自分たちで何をどうしていいのかわからなくなったというのが本質ではないかと思う。
いままで長年の間、他のものから管理監督され続けてきてので、いざ自立を促され自分の足で立つときになると、何をどうしていいのか皆目見当が付かないという状況だと推察する。
この主人公も、そういう状況下で、アメリカ支配の占領地で、まがりなりにも独立を目指して試行錯誤している韓国政府が、自分たちの思うとおりの施策をしてくれないからといって反政府運動にのめりこんだわけだが、自ら自主独立のノウハウを持っていない政府のやることに最初から期待するほうが阿呆だ思う。
李承晩大統領の施策が気に入らないといって、反政府運動に走るなどということは、あまりにも人間としての資質を欠いていると思う。
李承晩大統領だとて大韓民国の統治者、為政者になってはみたものの、何をどうしていいのか皆目見当も付かなかったに違いない。
ならば、朝鮮民族のインテリーを自負している人たちは、大統領をフォローしてしかるべきではないのか。
そういう発想に至らなかったのは、彼自身が自らの民族の本質を知らずに、ただただ朝鮮民族の自存自衛、自主独立を希い、空想し、夢見ていただけのことで、民族としての大衆の気質を無視した結果である。
その根底には、彼自身が共産主義者であったので、その彼の思考に琴線の合わない李承晩大統領の施策が気に入らないという部分は、共産主義者に共通するものであるが、それだからこそいかなる政府からも抑圧、あるいは弾圧されるのである。
自分の政府に楯突くものが、その政府から抑圧されるのは当然のことで、どこに行っても既存の政府に対して反抗するものを歓迎してくれるところなどあるわけないではないか。
韓国で現行政府に抵抗して官憲に追い払われて、北朝鮮に逃げて「韓国ではこれこれしかじか活躍してきました」と言ったところで、北朝鮮で額面どおり受け取ってくれないのも当然のことではないか。
いくら韓国で民主化運動をしたといっても、北朝鮮の側から見れば、そういう人間を信用しない、信用できないのは当然のことではないか。
自分の祖国に楯突くものはどこの国に行ったところで信用されない当然のことである。
自分の祖国がいくら不合理なことをしているとしても、その祖国に素直に殉ずる人は、いかなる国でも愛国者として崇められるが、祖国に反旗を翻す人間を信用する人がこの世にいると思うほうが浅はかだ。
この主人公は朝鮮戦争の内情を裏側からリポートしているわけで、その情報も今となってはいささか古いので情報としての価値はないが、我々の認識を再度確信させるものではある。
朝鮮戦争というのは朝鮮の人々にとってはまことに不幸な出来事であるが、それも朝鮮民族の自らの選択なわけで、同胞同士が血で血を洗う抗争を繰り返したことになる。
北朝鮮の共産主義国家体制の矛盾もいまさらレクチャーされても既知の事実のみで、驚くにはあたらないが、これも彼ら自身の選択なわけで、我々としては如何ともしようがない。
この主人公は最後に日本に亡命ということで今日に至っているが、日本に亡命したからこそ北朝鮮の体制を暴露することで糊口を凌いでいるわけで、その意味で今の日本には感謝こそすれ、あだやおろそかに批判などできる立場にないと思う。
この類の本に「ワイルド・スワン」という本がある。
この本の著者も文化大革命の中国からイギリスに亡命して、身の安全を確保してから文化大革命の内情を世界に向かって暴露した。
私が不思議でならないのは、早稲田をはじめとする日本の高等教育の場としての大学を出たような人が、何故共産主義の本質を見抜けなかったかという点である。
東大を出たような人が何故共産主義に身も心も奪われてしまうのであろう。
共産主義を象牙の塔の中で研究するだけならまだ許せるが、共産党員としてさまざまな政治活動、政治活動ならまだ良いが、実践活動として現行社会秩序の破壊という行為にまで発展するということは一体どういうことなのであろう。
高等教育ということは人間の思考の形成にいかなる効果あるのであろう。
この本の主人公は朴甲東という人で、彼のインタビューを自伝風まとめた著者がいるので、著者が主人公に成り代わって自分史風に書かれている。
朴甲東という人は結果的に日本で安逸に暮らせているのでその波乱に富んだ人生も物語として面白おかしく読めるが、こういう物語を読むとついつい伊藤律のことに思いが行ってしまう。
彼の場合、日本共産党員として中国に潜伏して、結果的に友党である中国共産党に廃人にまで追いやられて、生きた屍として日本に戻ってきたわけで、せっかく東京帝国大学まで出ていながら彼の人生は一体何でっあたか、人事ながら不憫に思えたものだ。

「ヒトラーの女スパイ」

2008-01-22 08:14:44 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ヒトラーの女スパイ」という本を読んだ。
オーストリアのシュテファニーという数奇な運命を背負った女性の一代記であるが、彼女自身の運命よりも、その時代の流れの方が数段に興味深いわけで、その時代の流れの中で翻弄されたというべきか、自らアクテイブに泳ぎきったというべきか、そのあたりが非常に面白かった。
ヨーロッパの近現代史そのもので、個人的に興味の尽きない物語であった。
この本を読んでみると、第一次世界大戦で、その戦勝国がドイツに過酷な賠償を要求したことがその次の第二次世界大戦の遠因になっていたということがよく理解でいる。
ドイツのヒトラーも平和、平和ということをよく口にしていたわけで、それを真に受けたイギリスのチェンバレンが結果的にだまされたということになる。
それはそうだ。無理もない話だと思う。
普通の人間、普通に常識のある人間ならば、自ら「戦争をしたい、戦争で解決する、武力行使は当然の正義だ」などと人前でいう筈はないわけで、当然、誰でもが「物事は平和裏に解決したい」というのが人間のあるべき姿として当たり前のことである。
政治、外交というのは、誰でもが当然のことを当然のように言っている中にどれだけ真実があるかを見抜くことだと思う。
相手の言うことの中に、どれだけの真実、嘘でない部分、信じるに足る部分があるかを洞察する能力だと思う。
いわば真の信頼関係がどれだけあるかどうかを探り出すことだと思う。
そういう意味でわれわれは実にそういう面の考察が未熟だと思う。
というのは、表向きの話し合いだけではそれを探り出すことは不可能で、どうしても裏の工作、汚い仕事、人を罠にかけるような危ない作業抜きではありえないわけで、この本の主人公はそういう面で活躍したということである。
あの先の大戦だって、我々は中国との外交に振り回されたわけで、我々の潜在的な願望と、中国の潜在的な欲求を見極めることに失敗したわけで、相手との対応の仕方、あるいは言い方によって随分成り行きは変わったに違いない。
我々の富国強兵を熱望する気持ちがあまりにも優先しすぎて、相手を冷静な目で見てその真意を探りそこねたわけだが、その前に日清、日露の戦いに勝った時点で、アジアの人々のものの考え方というものをもう少し深く考察していれば、中国戦線という泥沼に足を取られることもなかったのではないかと思う。
歴史を反省するに、我々が奈落の底に転がり落ちた遠因は、中国との対応にあったわけで、戦後の我々もそういう意味の歴史の反省は不十分だと思う。
我々は「中国で悪いことをしたのだから謝る」というだけでは、歴史の表層を舐めているだけのことで、戦争の原因を探り当てたことにはならないはずである。
相手が何を求めているかを探ることが外交の本質だと思う。
相手が真に求めていることが果たして何であるかを知り、それに如何に対応し、如何に処置するかは政治の範疇になるが、その相手とすべき対称も時々刻々変わるわけで、その見極めが極めて難しいが、それをするのがプロの外交官であり、プロの政治家でなければならない。
この本の主人公シュテファニーは、そういう面で確とした信頼性を持っていたに違いない。
彼女の信念は、自らのイデオロギーに基づいてある特定の国のために尽くすというわけではなく、その時その場に応じて、自分の気の向くままにあっちに寄ったりこっちに寄ったりしていたので、他者の目から見てスパイに見えたのも無理からぬことである。
ただただ社交界という場面で、上手に泳ぎまわるということはある種の才能であって、そういうものを兼ね備えていたからこそヨーロッパの社交界を泳ぎきれたのではないかと思う。
無学な私が勝手に推察するに、ヨーロッパでは社交界というものが第二次世界大戦が終わるまで歴然と生き残っていたに違いない。
今でもある程度はその残滓が見え隠れしているが、さすがに21世紀ではそういうものも存在しきらなくなったようだ。
というのも、貴族という階級の消滅が社交界というものを同時に消滅させてしまったに違いない。
貴族と最近の金持ち、つまりと成金とは、やはり根本的に違うと思う。
貴族が没落するのと、成金が破産するのとは、無一文になる現象として結果が同じように見えても根本的に違うと思う。
これは貴族が偉かったというわけではない。
貴族の中にも下賎な心情の持ち主も当然いたであろうし、成金のにわか長者の中にも、すばらしい真情の持ち主もいたに違いない。
それでも元貴族と成金の違いは歴然とわかるものだと思う。
彼女はそういう貴族社会の中で生きたかったろうが、彼女の生きた時代は、そういう時代が消滅しかかっていた時期でもあったわけで、そこに彼女の過酷な運命が潜んでいたように思える。
この本を読んでいても、共産主義のことはあまり話題として出ていないが、私はヒトラーの政策というのは共産主義に対する恐れからああいう思考が出来上がったのではないかと思う。
確かにヒトラーの行為は19世紀の植民地獲得競争の流れの中で語られているが、その表層の流れの下には、共産主義に対する恐れが隠れていたのではないかと思う。
ナチズムは完全なる反共主義でもあったわけで、共産主義の立場からすれば、植民地主義あるいは帝国主義というものは対極の思想なわけで、ヒトラーが民族主義と領土拡張を旗印にしているとすれば、それは帝国主義に限りなく近い考え方であったわけで、当然のこと、共産主義とは相容れないことになる。
ところが、この時代には既に共産主義というのはヨーロッパにも広範に広がっていたわけで、その状況は国を治める立場からすればまことに困る状況であったに違いない。
当時のヨーロッパの状況として、貴族というものが歴然と残っている状況下で、近代化された工場もどんどん出来てきて、物質文明はどんどん進化し、それは同時に無産階級のものが農業とは別な領域で生存が保障されてくる時代になった。
ところが、その人たちが自己の権利を主張するようになると、貴族と無産階級の格差を容認できなくなり、その行き着く先が共産主義ということになる。
ところが、これは私がこの本を読んでいて、本の主題から離れて漠然とそう思っただけのことで、誰もそのことを指摘した人はいない。
当時の人は、まだまだそこまでは共産主義の威力を深読みする人はいなかったが、私はヒトラーの国家社会主義ドイツ労働党の結成には、その底流にこういう意識が伏流水のように流れていたのではないかと思う。
ヒトラーの出自を問えば決して上流階級の出ではないわけで、彼の出自からすればむしろ共産主義者になったほうがいいぐらいであるが、その彼が自国の領土拡張を願い、それを実践したということは、なるがゆえに人間の本質を追い求めるのではなく、また人としての理想のみに溺れることなく、実利を優先させたということかもしれない。
農業以外に生存の道が開かれるということは、工場労働者、勤労者という生き方の選択が出来るようになったわけで、そのことは共産主義の温床がいくらでも出来るということでもあり、既存の社会通念とは真正面から衝突する思考でもある。
人々は、この従来の社会通念と真正面から衝突するという部分に恐れを抱いたわけで、それは当然といえば当然で、通常の社会通念と正面衝突するということは、ほかならぬ現行の社会秩序の破壊ということであり、そこに嫌悪感を抱く人も当然いたわけである。
そういう不安のわだかまりの真ん中に、「国家がすべてを管理監督して、全国民が一致協力してユートピアを作るのだ」というプロパガンダを上げたので人々は一気にそれに群がったわけだ。
このプロパガンダは共産主義のプロパガンダとよく似ているわけで、その違いは革命を介在するかしないかの違いでしかない。
一方は、血で血を洗う革命を起爆剤として使用とするのに対して、もう一方は民族主義というか、民族の優位性を強調することでそれを起爆剤にするという違いであったわけである。
ところがこの本を読んでみると、ナチズムというのは初期のころはヨーロッパ諸国の間にもかなり同調者がいたようで、この本にも大きく取り上げられているイギリス人のロザミア卿などはシュテファニーを介してヒトラーとの接触を図っているわけで、ナチズムの称揚というのは何もヒトラーの専売特許だけではなかったわけである。
無理もない話で、ある遅れた国が、先進国に一国でも早く追いつこうとすれば、あらゆるものを国家管理として、統制という形で上からの指示命令で行えば、追いつく期間はきっと短縮されるに違いないという論理は、大きな整合性があったに違いない。
ただしここで言う「先進国に追いつき追い越せ」という目標が、植民地の獲得による領土拡張主義であったというところに注意を要する。
そのためには軍備を充実しなければならなかった、というのは当然の帰結である。
日本が日独伊三国同盟を結ぶ根拠も、案外こういうところにあったのではないかと想像する。
この本の主題に話を戻すと、この本の主人公シュテファニーは、こういうヨーロッパの中でそれぞれの国の外交の場で、その話し合いのきっかけをセットアップすることによって生きてきたようであるが、それは彼女の持った天性の資質が大きく寄与している。
それはそれとして、主権国家の主権とは一体何のか、実に不可思議な思いがする。
イギリスの主権、フランスの主権、ドイツの主権、日本の主権、これは一体どういうことなのであろう。
昔の映画で「風とライオン」という映画があった。
この映画の中で、キャサリン・へップバーン扮するアメリカ商人の妻が、ショーン・コネリー扮するアラブの盗賊に浚われるという設定で、アメリカ大統領は断固アメリカ市民を救出するという場面があったが、これこそ国家主権そのものだと思う。
それぞれの国が、それぞれに「自国民を保護する」という主権を持っているからこそ、それに付随して国益というものが生じるのではないかと思う。
ヒトラーが自分の国はイギリスやフランスよりも遅れていると思い込むのも、概念として主権というものを意識しているからだと思う。
これが国家単位だから主権が付きまとうが、地方政府レベルならば主権ということはありえないわけで、これは一体どういうことなのであろう。
自分たちのテリトリーは、それぞれに自分たちの統治方法で人々を統治しているから、他からあれこれ言わないでくれというものが主権なのであろうか。
これを個人レベルに置き換えてみると、向こう三軒両隣りがそれぞれに町内の寄り合いに出て議論しているようなもので、隣地との境界が少し入りすぎているとか、犬が黙って入ってきたとか、家の物が盗まれたとか、柵が壊れただとか、という雑多なことで口角泡を飛ばして議論しているようなもので、一家の大黒柱であるべき亭主が家族を代表して議論している分にはなんら問題はないが、ここで奥さんが子供を味方に引き連れて亭主の足を引っ張るようになると一家は苦境に立たされる。
当然そうなればその家の利益は損なわれるわけで、その家族そのものが安逸に暮らせなくなる。
この本の主人公はそういうときに、それぞれの亭主にあっちの陰口、こっちの陰口を言いふらして回るような存在であったに違いない。
本人に悪意はなかったかもしれないが、傍から見れば当然スパイに見えたのも自然の成り行きであったろうと思う。
外交交渉ということは自国の利益を守ることに尽きるわけで、外交で相手の領地を得る、外交で自国の立場を有利にする、外交で対立するもの同士を戦わせて漁夫の利を得る、これが最高の外交であり、最良の政治であって、戦争、武力行使は政治・外交の選択して最低、最悪の手段である。
戦後の日本の知識階級の平和主義というのは一体何なんだろう。
口先で平和、平和といっておればこの世から諍いというものがなくなると本当に思っているのであろうか。
平和というものを真剣に希求するとすれば、その対極にある戦争について徹底的に掘り下げて研究しなければならないではないか。

「江戸・東京の噂話」

2008-01-21 13:37:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「江戸・東京の噂話」という本を読んだ。
内容的には、巷間に出回っている根も葉もない噂話を考察するというもので、柳田國男が全国各地の民話を集めて民俗学の体系を作るようなものではなかった。
街の噂話を集めて、多少考察を加えて新聞のコラムとして発表したものの集大成であるが、こういうことはある意味で大人の遊びという範疇で捉えなければならない部類のものであろう。
街のあちこちでささやかれている話について、ああでもないこうでもないと考察をすることは、大人の遊びとしてはそれなりに面白いものだと思う。
新聞や雑誌のネタとしてはそれなりに価値のあることに違いない。
ところがそれを学問にまで押し上げようとすると、私にはなんとなく違和感を覚える。
この本は、それを狙ったものではなく、ただただ大人の遊びとして、町の噂話の中にはこういうものがあるよという程度のもので、それ以上の考察を目指したものではない。
私がなんとなくこういうこと、つまりただ単なる街の中の噂話を学問にまで練り上げようとする知識人の態度が気に入らない。
民俗学というのは、こういうことの延長線上にあるのではないかと思う。
昨今、漫画というものがどうも学問の対象になっているようだが、こういうことが不可解でならない。
小学生の時、街の貸し本屋の漫画をむさぼり読んでいたころ、教科書が漫画で出来ていればもっと勉強したのにと思ったものだが、昨今は漫画を読む根気がない。
また、私にとっては心理学というのも実に不可解な学問である。
大体、昨今の学問というのは実に多岐にわたり枝分かれしているわけで、学問と学問の領域というものが実にあいまいになりかけている。
科学というものが進化してくると、その裾広がりの先端のほうで、お互いにオーバーラップしてくることはある程度必然的なことで、それは致し方ない部分もあろうが、我々の生活空間にはまだまだ学問として成り立っていない空白の部分があることも確かだろうと思う。
そういう空白の部分に誰かが足を踏み入れると、それを新たな学問として認知するということは、ある程度は人間の学に対する願望の現れであり、知的好奇心を満たす一種の牽引力かもしれない。
漫画学が学問でないというならば、経済学のどこが学問だと反論されかねない。
哲学のどこが学問だということになりかねない。
学問などというものは、自ら「これが何々学だ!!」と宣言すれば、それで世間一般には認知されるのであろう。
人間の知的好奇心というのはそれでいいのだと思う。
何々学が人間の生活、人々の将来にどういう影響を与えるのかということは、下世話な話であって、学問が人間の生活や生き方に何らかの影響を与えるものだ、と思い込むほうが知に対する僭越な態度で、学問はただただ学問であれさえすればいいのかも知れない。

「ネイティブ・アメリカンの世界」

2008-01-19 08:20:52 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ネイティブ・アメリカンの世界」という本を読んだ。
いわゆるアメリカインデアンのことであるが、我々の世代はどうしても西部劇に出てくるインデアンを連想しがちである。
数年前、アメリカ旅行をしたとき、ナバホ族の姿を見て多少とも認識を改めたが、昨今、マイノリテイーの問題に関連して、ネイティブ・アメリカンが巷間の話題に上っている。
昔、西部劇を見ていたときからそう思っていたが、ヨーロッパ大陸から渡ってきた人たちと、その土地の土着の人々の間に文明とか文化の格差があれば、当然その間の軋轢は生じるのではないかと思う。
惜しむらくは、彼ら土着の人々が、文化的、文明的にヨーロッパの人々よりも劣っていたことは紛れもない事実で、だからこそ水が低い方に流れるが如く、今日の状況を呈したのではないかと思う。
今日の時点で、そういう事実を前にして、進歩的と称せられる人々は、白人あるいはキリスト教徒たちの原住民への圧迫であり、抑圧だとして贖罪意識を強調しがちであるが、それは知識人の奢りだと思う。
アメリカ大陸に先祖代々生き続けた彼らは、元をたどれば、アジア大陸からアリューシャン列島を島伝いに渡っていったアジア人、モンゴロイド、モンゴリアンであったわけで、我々東洋人と同じ先祖を持つ人たちである。
ただ惜しむらくは彼らは文字を持たず、統一国家というものを一度も作ったことがなかったという点に文明の稚拙さがあった。
私は西部劇を見るたびに心の奥底で中国との比較を行っていた。
アメリカ大陸のインデアンと中国人は同じではないかと思い続けていた。
その違いは、アジア大陸に生き続けた中国人は、太古の昔から文字を持ち、統一国家を何度も作ったが、アメリカに渡ったモンゴロイドはそれがなかったのが不思議でならなかった。
アメリカ大陸にヨーロッパ人が足を踏み入れるまでは、彼らネイティブ・アメリカンは、それぞれの種族に分かれて、大陸のあちらこちらに散在して生きていたものと考える。
その数は50とも60とも言われているが、ただそれをひとつに統一する勢力がなかったので、ヨーロッパ人が入ってきても、一致協力して対抗する術を持っていなかった。
ところがアジア大陸でも同じようにさまざまな部族が大陸の各地に散らばって生きていたが、その中の力を持った種族が、他の種族を押さえつけて統一国家を作ったものの、力を持った種族は時とともに変遷して、入れ替わり立ち替わり興隆したが、そのたびに統治機構の変換ということがあった。
人類の中のある種の人々の興隆と衰退、支配と被支配を今日的な感覚で論ずることは、知識人の驕りであり、傲慢であり、人としての真の人間性を蔑ろにする行為だと思う。
ある土地のなかで、その土地に従属している人間を管理するためにはやはり統治という手法が入用なわけで、その統治を実効有らしめるためには文字の介在ということが不可欠であったに違いない。
アジア大陸のモンゴリアンは、この文字を持っていたので、土地とともにあった人間を一括管理することが可能であったが、当然のこと、この文字を自由自在に操れるのは一部の人間でしかなかったわけで、大部分においてはアメリカ大陸の人々と大して変わらなかったはずである。
しかし、一部の人々とはいえ、文字を使いこなせる人がいたということは、種族の存続にとって大きな影響力を備えていたわけで、そこに中国の悠久の歴史の源が潜んでいたということになる。
一方、アメリカ大陸に渡ってきたモンゴロイドは文字を持たなかったので、結局のところ最後の最後まで未開人のままで終わってしまい、土地そのもの、大陸そのものが外来のヨーロッパ人のものとなってしまったわけである。
アジア大陸も極めて大きな土地で、文字をつかさどる人々がいるとしても、それはごく限られた人たちで、大陸を面で捉えればアメリカの原住民の状況と大して変わらない。
ハリウッド製の西部劇は白人の視点で作られているので、インデアンというのはたいてい悪者として描かれ、正義の白人に撃たれるというシチュエーションで演出されていたが、とは言うもののそれに登場するインデアンは勇ましく見えたものだ。
裸で、馬を疾駆させ、槍あるいは銃で白人に敢然と戦闘を挑むインデアンは、負けるとわかっていても勇ましく見えたものだが、あの状況が何故中国ではないのか不思議でならなかった。
中国も19世紀ころから西洋列強のアジア進出に翻弄されて、沿岸部をほしいまま列強に蚕食されたにもかかわらず、あの西部劇でインデアンが白人に抵抗したような挑戦は一度もしていないのではなかろうか。
その理由を私なりに考えてみると、それは伝統としての文化が未知への挑戦を拒んだということではないかと思う。
中国に根ざした儒教思想というのは、長老の功というものを尊重することが大前提になっているので、人々がこの考え方を踏襲している限り、若者の未知への挑戦ということはありえない。
文化、あるいは文明の発展、進展というのは常に旧習、伝統、因習、常識の打破から始まっているわけで、先人の考え方に見も心も委ねて、それに従順たらんとすれば、未知への扉は永久に開かれないということであり、過去の中国はこの状態であったのではないか想像する。
20世紀初頭の清王朝の没落を見ても、彼ら中国人は自らの伝統に胡坐をかいて、自分たちの文化、あるいは伝統の範囲でしかものが見えていなかったわけで、その意味ではネイティブ・アメリカンがほんのわずかなヨーロッパ人に屈服した構図とおなじで、キリスト教文化圏がレベルの低い中国土着の文化を打ち負かしたというものだと思う。
中国の文化は基本的に農業を主体とした封建制度であり、封建制を維持するためにそれにふさわしい思考が生み出され、それが儒教思想であるが、ネイティブ・アメリカンの場合は、生存の主体が狩猟と採集生活ではなかったかと推察する。
中国では農業を主体としていたので、アジア大陸の中でそれぞれ人間の集団として大きな組織で存在し続けたので、その中ではやはり人間の経験則でそれなりの伝統と称する文化が醸成され、それが離合集散を繰り返していたものと思う。
ところがアメリカ大陸の原住民は、あまり農業に主眼を置いていなかったので、種族同士の結束が比較的弱く、強固な結合というのがなかったに違いない。
結果的に意図も簡単にヨーロッパ人に土地を取られてしまったということになる。
こういう現象は我々の身の回りのもあるわけで、我々とアイヌ民族との関係、あるいは南の方でいえば琉球との関係というのはネイティブ・アメリカンとヨーロッパ人の関係に酷似している。
アイヌの人々は数の概念を持たなかったので、物々交換で本土の人間は相手を誤魔化して収奪したといわれているが、こういうことはインデアンと入植者の間でも普遍的にあったものと推察せざるを得ない。
文化や文明の度合い、あるいは密度に格差がある場合、その接点においては高いほうから低いほうにそれが流動していくということは自然の摂理だと思うので、そこに大きな軋轢が生じるのも当然の成り行きだ。
ということは、この地球上に住む人間にとっては普遍的な自然の振る舞いなわけで、お互いにそれぞれが自己の生存を秤にかけて、その場その場で判断し決断した結果であって、結果的にそれが大きな隔たりを生じたとしても、それを正邪、あるは良し悪し、正義不正義という価値判断で測ることは出来ないと思う。
こういう部族に限らず、地球上のあらゆる人間、あらゆる種族は、同じ時間を共有しているにもかかわらず、19世紀から20世紀にかけてこのような大きな差異、文化的に大きな差異を生じてことは、彼ら自身の必然ではないかと思う。
現代においても彼らが近代文明に適応できない、適応することが上手くない、という特質があったからこそ、このような文化的な差異が生じたものと考える。
近代文明に取り残された種族が、それゆえに不幸だということはないわけで、彼らは彼らなりに幸福感に浸っているが、それを第三者が「彼らは近代文明に浴していないので何とかせよ」という思考は、明らかにそれを唱える人の驕り以外の何物でもない。
率直にこういうことを言うと、知識人、識者という人から「お前の考えは間違っている」と反発が来そうだが、自然を自然のまま正直に述べれば、こういうことにならざるを得ない。
この地球上にはさまざまな人種が、それこそアジア大陸からアメリカ大陸にかけて生息していたに違いないが、その中でも一番最初に文化の花を咲かせたのはエジプトであったり、ギリシャ、ローマであったり、揚子江流域の人々であったが、16世紀ころから今日に至るまで、その文化の花を地球規模で蔓延させたのは、紛れもなくヨーロッパのキリスト教徒たちである。
一般的に彼らをひっくるめて白人と言ってもいいはずであるが、黄色人種は、近代から現代に至る間には、文化面でいたく精彩の欠けた存在であった。
それを打ち破ったのは言うまでもなく我々日本人、日本民族であったわけで、他の有色人種は日本人の働きを見て、「自分たちもやれば出来る」という自信に覚醒したと思う。
ところがここで言うアメリカ・インデアン、ネイティブ・アメリカンの人々は、博物館の展示品をなってしまっているわけで、そういう事実に甘んじている彼らだからこそ、殖民してきた白人に対して抵抗できなかったし、抵抗したとしても失敗に終わったのではなかろうか。
彼らの不甲斐ないところは、ヨーロッパ人の持っていた武器をはじめとする合理的な品物を、それと同じものを自分たちの手で作ろうという発想そのものを持たなかった点にあると思う。
これはアジアの民の中国人にも当てはまるわけで、それに反し、我々は、ヨーロッパ人の持ち込んだ品物を見て、あれと同じものを自分たち手で作ってみようと考え、試行錯誤の上それを実現したわけで、この違いが同じ黄色人種、同じモンゴリアン、同じモンゴロイドとして大きな相違になったものと思う。
21世紀になれば、現代文明、現代文化というのは、広範に地球規模で均一化しており、その中には日本を追い越した部分もあるであろうが、自分たちでものを作り上げる能力を備えた部族は、ほとんど存在していないといえるのではなかろうか。
中国の経済成長が目覚しいといわれているが、中国の産業は、日本の50年前の状況と同じで、ただただ安い労働力で模造品、あるいは組立工場に過ぎず、中国の独自の製品で世界を席巻しているものが果たしてあるであろうか。
中国はネイティブ・アジアンとして、アメリカのネイティブ・アメリカンと同じようなもので、自らのアイデンテイテイーを未だに確立できないでいるのではなかろうか。
確かに、共産主義という強力な吸引力を持つイデオロギーで人々を押さえつけてはいるが、それは沿岸部と人口集中した都市だけの現象で、経済成長の波は陸地の奥深くまででは浸透していないのではなかろうか。経済のアンバランス、人口密度のアンバランス、政治のアンバランスというのは中国にとって大きなアキレス腱だろうと思う。
ところが我々の眼にはそういう部分は見えてこないので、我々は表面的な経済成長のみに目を奪われているのが現状ではなかろうか。

「現代の航空戦・湾岸戦争」

2008-01-17 08:49:23 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「現代の航空戦・湾岸戦争」という本を読んだ。
1991年の湾岸戦争を検証する内容であった。
今、戦争の是非を問う馬鹿はいない。
戦争など最初からせぬに越したことはない。
しかし、東西冷戦が終焉した後も、旧ソビエットの呪縛から逃れた周辺の衛星国は競って軍備の増強をしたし、東西の最強軍事国のハザマに隠れてどちらの側に身を寄せるか逡巡していた諸国も、冷戦の緊張が解けるや否や、こぞって自国の国防に力を入れたということはどういう風に考えたらいいのであろう。
戦後の日本の知識人の思考からは、この答えはおそらく引き出せないであろう。
我々は憲法で軍事力というものを一切保持しないことを詠っているわけで、それを平和憲法として崇めている日本の識者の目から見ると、こういう小さな国の軍事力、武力の保持というのは理解されないであろう。
その上、軍事技術というものは商品として国家間で取引されており、武器を売る側、それを買う側が存在しているが、我々はそういう行為を禁じてみすみすビジネスチャンスを放棄している。
言葉は悪いが、吹けば飛ぶような小さな国が、乏しい予算を割いて他国から武器を購入するということは、武器を持つということこそが人間の誇りと尊厳をあらわしているわけで、必ずしもそれらの国の人々が好戦的な思考に嵌っているということではない。
しかし、他国から武器を買う、自国で武器を開発あるいは生産できない、という現実こそがその国がきわめて軍事的に弱いということの象徴でもある。
武器を保持することは、一人前の人間として、あるいは国家として自立しているということの象徴で、そのことがそのまま戦争に直結するわけでもないが、戦後の我々はそういう思考を頭から否定して、武器さえ備えなければ他国が侵略してくることはないという観念論に陥っている。
これが日本の常識が世界の非常識で、世界の非常識が日本では常識になっている根本原因だと思う。
第二次世界大戦で連合軍に敗北した我々の民族は、そのことによって徹頭徹尾ある特定の国の奴隷になることを肝に銘じたに違いない。
一部のものはアメリカの奴隷に、他のあるものは共産主義国のソ連、あるいは中国の奴隷に成り下がることによって、民族として生き延びようと図ったわけである。
奴隷という選択をすれば、確かに民族としての生存の保証は得られるかもしれないが、自主性というものは剥奪されて当然である。
戦後の日本の知識階層というのは、こういう選択を自らの政府に迫ったわけだが、わが民族を統治しようとした老獪な政治家は、そういう選択を退け、自存自衛の道を模索したわけである。
しかし、わが民族の中で「奴隷への道が再び血を見ることがない最良の選択だ」と思い込んでいる知識階層がいる限り、真の自主独立ということは夢想に終わるわけで、今もその過程の中にいる。
戦後の知識人が、戦争放棄を金科玉条のように思い込んで、世界中の主権国家がそれをすればこの地球上から戦争という馬鹿なことは一掃される、と思っているが確かに理論上はそうに違いない。
だが、人間というのは、そういう理想通りに行動し、理想通りに動くものではない、ということは人類の歴史そのものがあらわしているではないか。
人間の生存というのは不合理、不整合、不条理、無意味な行為の積み重ねの上に成り立っているわけで、人が理想通りに動く存在であれば、旧ソビエットの崩壊、中国の改革開放などということはありえないではないか。
だとすれば人間の行為の中でもっとも不合理な戦争という行為も、人間の生存にとって不可欠なことだと認識しなければならないはずである。
主権国家を個人にたとえれば、泥棒や強盗というのは誰でもが、「してはいけないこと」だという認識は共有しているはずである。
しかし、現実の人間の集まりの中には、そういう「してはいけないこと」をする人間がいるわけで、だからこそ警察というものが必要不可欠になっているではないか。
主権国家の集合には、この警察に値する強権力を持った存在、あるいは組織というものがないわけで、秩序を乱すものに対して制裁を加える存在がないのである。
今の国連というのは、一見そういう機能があるように見えるけれども、自ら警察力を持っているわけではなく、ただただ便宜上、ある特定の国にそれをゆだねているだけである。
別の表現をすれば、今の地球上の国家の集合は、無法地帯と同じなわけで、強い者勝ちの世界である。
この強い者勝ちの無法地帯の中で、民族の生存を維持するためには、それ相当に身構え、用心し、四周の状況を常に監視し、火種を探し出し、それに備えなければならない。
そのためには戦勝国が押し付けた憲法に戦争放棄の条項が詠われているとしても、その矛盾を乗り越えて、身分相応の備えを保持するということも当然のことである。
自主権を持った主権国家が、戦争放棄を宣言するということは、自らの生存を他人任せに委ねるということに他ならない。
だからといって直ちにミサイルをぶち込んでくる国もありえない。
なんとなれば、戦争放棄して自ら戦争をしないといって宣言した国に武力攻撃すれば、関係諸国が黙っていないからである。
クエートに侵攻したイラクを多国籍軍が叩くという構図がまさにそれで、イラクの言い分に寄れば「もともとイラクの領域を奪還しただけだ」というものであるが、その言い分は国連で通らなかったから多国籍軍に袋たたきにあったのである。
ここで云う「関係諸国が黙っていない」という部分に誤解があるようで、それは日本のために相手に対して報復してくれるという意味ではなく、自国の国益にとって損得勘定をした上で何らかのリアクションをするに違いなかろうという意味で、報復が確約されていると意味ではない、ということを考えておく必要がある。
それを見越して平和主義者たちは「だから日本の平和憲法は有意義だ」といっているが、それは自らの生存を他人に委ねているということである。
つまり、おとなしく奴隷の地位に甘んじておれば、宗主国はその奴隷を見放すことはなく、保護してくれるに違いない、という他力本願の夢想に酔っているということである。
それはさておき、戦争は科学である。
桶狭間の合戦や関が原の合戦と違い、近代の戦争は科学である。
国民のすべての英知を結集して科学的に自分の国の存在と周辺諸国つまり相手国を分析、解析して、最高、最良の対処療法を見つけ出さなければならない。
今、日本はアメリカと同盟関係にあるが、だからといってアメリカがいつもいつも日本を助けてくれるとも限らないし、同盟関係がいつ解消されるかもわからないので、アメリカについても常に分析、解析は必要であり、他の国についてはなお更のことである。
武力行使というのは最後の最終的な最悪の選択である。
我々はともすると武力行使のみが戦争だと思っている節があるが、そもそもそこからもう既に戦争を知らないということだ。
我々は、外交と戦争というものを分けて考えているが、外交が上手に機能して国益が保持できれば、武力行使などせずにすむわけで、それを称して戦争は政治の延長だといわれるゆえんである。
戦争と外交が密接にリンクしているとすると、外交官も軍事情報に精通しなければならないし、軍人も外交関係、外交問題に精通していなければならないはずで、お互いに自分の専門の分野に閉じこもってしまってはならないはずである。
戦争が科学であるとするならば、航空戦力というのは科学とテクノロジーの集合体なわけで、ここに国家の存亡が掛かってくるのも当然のことである。
その意味で今の日本には潜在的な戦力というのは大きなものがあることは言うまでもないが、問題はそれを生かす人間のほうにある。
先の大戦でも、我々はアメリカに伍して非常に大きな交戦能力というものを秘めていたが、所詮はそれを使う側の人間のほうが稚拙であったので、結果的に大敗を帰したわけである。
先の戦争で我々が大きな交戦能力を持ちながら、結果的に敗北したということは、軍隊、軍部の官僚主義に負うところが大きいわけで、本来人間の集団というものは失敗から物事を学ぶものであるが、我々は戦争に敗北するという失敗を経験したことがなかったので、戦争を科学する精神に欠けていたのである。
先の戦争を振り返ってみるに、我々は敵と戦う前に日本人同士で戦わねばならなかった。
それは陸軍と海軍の反目ということもさることながら、その前に陸軍でも海軍でも、その組織の中の上下関係で争いをせねばならず、組織の中の不合理、不条理、不整合は結果としてその組織が消滅するまで解決できなかった。
それは組織を構成する人たちの人間性を指し示していることであり、組織の中の虐めという行為を温存したままで、目の前の敵と戦えるわけがないではないか。
旧軍人の中には、このことを指摘した人が独りもいないわけで、だからこそ「上官の命令は天皇陛下の命令だ」という言辞で、組織内の弱い者いじめが罷り通っていたではないか。
これでは勝てる戦争でも勝てないのも無理がなく、戦闘にまぎれて憎い上官殺しがなかったほうが不思議なくらいで、その意味で日本の下級兵士はよく戦ったと思う。
旧日本軍を他の国の人々から眺めると、「日本の兵隊は実に優秀だが、将校は世界一の馬鹿者ぞろいだ」という評価らしいが、実に的を得た至言だと思う。
その馬鹿者ぞろいの将校は、日本では最優秀な士官学校や海兵出身なわけで、ここでもまさしく日本の常識は世界の非常識につながっているということではなかろうか。
結果的に、我々の内側では最優秀と思い込んでいた士官学校や海兵出身者たちが、戦争というものを私物化して、国民全部を奈落の底に転がり落としたということである。
本来、優秀であるべき士官学校や海兵出身者たちが、近代の戦争が科学の実践であることに思いが至らず、観念論と精神主義に陥って道を誤り、結果的に日本全国民を奈落の底に落とすような仕儀に至ったのは、人間性の本質を知らなかったことと同時に、同胞の根源的な思考回路に考えが及んでいなかったからである。
つまり、わが同胞の根源的な本質は、時のムードに左右されやすく、時のムードつまり時流に便乗することに価値を見出し、それがそのまま保身につながっていたということである。
大勢の人の言う事ことは正しいに違いない、という思い込みである。
戦後の日本の知識人は、あの戦争は軍人に騙されていやいや戦争協力させられたと、軍人に責任転嫁しているが、戦前は日本の国民全部が軍国主義に毒されていたわけで、軍人はそれを具体的な形として実践したに過ぎない。
当事者としてみれば、自分は祖国と同胞の国民に対して良い事をしたつもりでおり、当時の国民はそれを事後追認することで、そういう行為をフォローしたわけである。
20世紀以降の主権国家が他国と戦をするといった場合、それはおのずと国家総力戦になる。
だとすれば、それは当然挙国一致という体制が不可欠であって、我々は先の戦争でも挙国一致して戦争に協力したという意味で、交戦力を秘めていたわけであるが、今の私たちにそれが果たして存在しているであろうか。
もし今の私たちにそういうものがあるとしたならば、媚中外交とか、北朝鮮への人道支援とか、尖閣諸島の問題とか、北方四島の問題等についても自主性に即した意見が出て当然だと思う。
平成20年1月15日のNHKテレビの報ずるところによると、この日東京都内で、迎撃ミサイル配備の可否を検証するために調査が行われたと報じられていたが、きっとこれにも反対運動が起きるに違いない。
自分の国、自分住むところに来るかもしれない危機に対して、防御しなくてもいいと言う発想をどう考えたらいいのであろう。
自然災害や、くるくると言われている地震に対する防災に関しては比較的素直に受け入れる人々が、いったん国防、あるいは戦争、武力衝突が予想されるとなると、とたんに拒否反応を示すということはどういうことなのであろう。
こういう人に限って、何か事態が起きると「国家は何をしているのだ」と責め寄るに違いないが、このあたりのことをどう考えたらいいのであろう。

「よど号と拉致」

2008-01-15 18:13:15 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「よど号と拉致」という本を読んだ。
NHKが同じ題名の番組、NHKスペシャルを企画構成し、それを放映したときの裏話というか、放映にいたるまでの話を綴ったものであった。
そもそも「よど号事件」というのが驚天動地の出来事であったので、その思いに駆られて読み進んでみたが、「よど号事件」とは直接関係する部分は少なかった。
しかし、この「よど号事件」を引き起こした犯人の妻たちが、その後の日本人拉致に大いにかかわっているという意味では興味をそそられた。
戦後の日本では、新憲法の下で人々の思想・信教の自由が保障されており、基本的には何を信じようとその本人の自由ではある。
信じることは本人の自由であるが、信じたことをそのまま実践するということまでは保障されていないはずであるし、人の基本的な倫理から考えても、人様に迷惑になるような行為は、当然、規制されてしかるべきである。
この「よど号事件」というのは1970年、昭和45年におきた事件で、その犯人たちの年齢は私の世代よりも少し若い人たちで、事件当時、彼らは20歳代後半であったはずである。
当時の日本は高度経済成長の真っ盛りで、その矛盾だか歪だかが渦巻いており、それが若者に反映して、過激な学生運動が盛んな時代であった。
しかし、世界的には東西冷戦の真っ盛りのときでもあり、共産主義体制、社会主義体制というものがユートピアとして崇められていた時代でもある。
こういう社会的な雰囲気の中で、日本の進歩的と称する文化人や学者や評論家という類の馬鹿たちが、盛んにそういう体制の国家を賞賛するので、少しばかり現状に不満を持つ若者は、みなそういう学者や評論家に騙されて、日本も「より良き社会を作るには革命をしなければならない」と単純に思い込んでしまったものが大勢いた。
この時代の進歩的学者や評論家という人たちは、完全に未来予測を見誤っていたわけで、彼らを信じた若者は結果的に見事に騙された。
こういう学者や評論家という人たちはそれへの悔悟をしたことがあるであろうか。
その前に、学者や評論家が未来予測を見誤るなどということがあっていいものだろうか。
天気予報でもあるまいに、間違った予測ならば学者ならずとも占い師でも出来る。
「よど号事件」を引きおこした連中も、そういう単細胞の連中であったが、こういう若者の跳ね返りというのは、わが民族の背負った宿命ではなかろうか。
昭和初期に起こった軍人の反乱、青年将校の反乱、いわゆる5・15事件や2・26事件を引き起こした連中も年齢的には彼らと同じ年頃であったし、事件の根底に流れていた思想も、「現状を転覆しなければ世直しは成就しない」という思考においても共通するものがあったと思う。
ただ昭和の初期の青年将校のクーデターは、軍隊という武力集団の内部からの発露であったが「よど号事件」や浅間山荘事件、連合赤軍の一連の事件というのは、軍隊組織の外側の若者によってなされたという違いはあるが、その動機の部分には相通じるものがあるように思える。
昭和初期の青年将校の反乱に際しても、社会全般の雰囲気としては、決起した若者に同情的な国民の支持があったので、その後のわが祖国は暗黒の時代に嵌まってしまった。
当時の国民が、決起した青年将校に同情的であったという点に関して言えば、彼らが「世直しのためには宦官を成敗しなければならない」という当時の社会的な不満を代弁していたからに他ならない。
そのことによって、暴力の前に支配階級が屈して、沈黙してしまったので、そこに軍部の独断専行を許す根拠が生じてしまった。
昭和45年ころの一連の過激派学生の跳ね上がり現象に対しては、国民の支持は得られず、ただ少数の進歩的と称する馬鹿学者が同情的なコメントを寄せたに過ぎない。
過激派の行為が国民の支持を得られなかったのは、いわゆる大衆という群像にとっては生きんがために汗みどろに働かざるを得ず、イデオロギーを弄んでいる暇などなかったわけで、労働から乖離した知的遊戯にふけることがなかったからだと推察する。
そして内ゲバと称せられたように、過激派といわれる人たちのあまりにも浅はかな思考についていけず、彼らがあまりにも残酷で、人としての倫理にも欠けていたので、国民の支持が得られなかったわけだが、自分たちのしている行為が国民大衆の支持を得られるかどうかという判断が、自ら出来ないという部分に彼らの馬鹿さ加減があった。
この本の主題は、「よど号事件」を掘り下げるものではなく、その「よど号事件」を引き起こした連中が、日本から嫁さんを呼び寄せ、その彼女らに同胞の拉致をさせたという点にある。
嫁さんを呼び寄せたという部分は、正確にはそうではなかったかもしれないが、いずれにせよ日本から北朝鮮に自らの意思で渡った彼女らと、向こうで結婚したという部分では結果として同じだと思う。
問題は、自らの意思で北朝鮮に渡った彼女たちの思想である。
彼女たちは日本国内にいるときからチュチェ思想に嵌まっており、北朝鮮の思考様式に何の疑いも持たず、そこのユートピアを信じていたわけで、自らの信仰に忠実足らんとして、同胞の拉致に加担していたという事実である。
この事実を別の表現であらわせば、彼女たちは同胞を浚ってまで、北朝鮮に貢献しようとしていたということになる。
国益などという言葉を大上段から振り下ろさなくても、この現実をどう考えたらいいのであろう。
日本国内で、こういうチュチェ思想を教え、宣伝し、広めようとする人、もの、建物、組織を野放しのまま
にしておいていいものだろうか。
結局、戦後の日本では、そういうことを口にすること、つまり北朝鮮とのかかわりを含め、ある特定の思考を抑圧するということに極めて臆病で、行政も、警察も、メデイアも、それを口にすると思想・信教の自由に抵触するという危惧から、誰もそれを口に出来なかった。
この部分でも、戦前のわが国の状態に極めて酷似していると思う。
戦前の我々の同胞は、治安維持法に畏怖し、軍人を礼賛することで身の安全の願っていたわけで、そこで秩序の破壊、組織の疲労、制度疲労に対して、何の意見も口に出していうことをしなかったから、全体として奈落の底に転がり落ちたわけである。
戦後の我々は、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の思想のわが国での蔓延に制限を加え、取り締まることは日本国民の信教の自由を侵すから駄目だ、という呪縛から脱げられずにきたわけである。
結果的に、その思想に被れた同胞が、わが同胞を北朝鮮に売り渡したことになったわけである。
「よど号事件」の犯人たちの妻となった彼女たちは、恐ろしいことに中学生や高校生のときからすでにチュチェ思想に嵌まっていたわけで、中学生や高校生にそういうことを教え込む組織を、日本側でつぶせないということはまことに由々しき問題だと思う。
そういうことを考えると、結局は戦前の治安維持法に行き着いてしまうと思うが、そうならないようにするにはどうしたらいのであろう。
戦後の知識人で、戦前には治安維持法があってものが言えなかった人たちは、ここで知恵を絞ぼり、アイデアを捻出すべきではないのか。
日本人が日本人を北朝鮮に売らないようにするには一体どういう手立てがあるのだろう。
この本に限っていえば、この本は「よど号事件」の犯人の妻たちがヨーロッパで日本人を拉致したという点に主眼が置かれ、その線に沿って描かれているが、その裏に見え隠れする国際間のスパイ合戦の模様が浮かび上がっている。
主権国家間では情報収集と、その対応策として情報の漏洩防止ということはセットになっている。
公開できる情報と、決して公開できない情報というものがこの世には存在するはずである。
ところが我々日本人というのは極めて情報というものの扱いが下手だと思う。
相手から情報を探り出すことも下手ならば、自らの持っている情報を隠すことも極めて下手だと思う。
そのいい例がプライバシーに関する考え方で、最近の激烈な報道合戦の中で、私生活を暴かれることに対する恐怖からプライバシーの保護ということは強調されるが、私生活を暴くことと、個人の秘密というものの相違をメデイアの側が認識していないからこういう論理になるのである。
その一方でメデイアは情報開示を迫るわけで、プライバシーの保護と情報開示が同じナベの中で料理されていることになるが、こんな馬鹿な話もないと思う。
この二つは共にメデイア側の問題で、メデイアはまったく相反する要因を自らの生存、生き残りのために大騒ぎをして、その両方の良いとこ取り、自分にとって都合のいいところだけを誇大に宣伝している図であって、普通の大衆の立場からすれば質のいい、いうなれば品質の優れた情報を提出されればそれに越したことはない。
プライバシーの問題は、メデイアの傍若無人な取材にたいするアンチテーゼであったにもかかわらず、それが個人の秘密を暴かれたくないという、取材される側の願望となって世間に広まってしまったわけで、基本的にはメデイア側が自分で自分の首を絞めたに過ぎない。
その極端な例が、ダイアナ妃の報道で、彼女の死の真相は公開してはならないものの代表なのであろう。
問題は、彼女を報道すれば、それがメデイア側の飯の種につながるという現実である。
彼女の記事あるいは写真でさえあれば、それがメデイアとして成り立つということは、それを求める大衆がそこに存在しているということでもあり、大衆の側には人の私生活を覗き見したいという願望があるわけで、
メデイアはそれに答えることによって禄を食んでいる。
メデイアの堕落は、大衆の覗き見趣味に迎合しようというところにあるわけで、そのバランスを考えることがメデイアの良心であり、知性と理性であると思う。
この本に書かれた本旨は、NHK特集として「よど号」の妻たちによって行われた日本人の拉致という事件を放映するまでの取材の苦労話であるが、これを見てもテレビの映像というのは完全に作る側の意図の元に脚本が練られ、ある特定の作為によって築き上げられているわけで、それを別な視点から見れば、作る側の意図でどういう風にも作品のテーマを思考させることが可能ということである。
そこにメデイアの怖さが潜んでおり、その怖さの本質というのはメデイアの良心そのものである。
今、私が家のテレビのスイッチを入れると、何局の放送が見れるのであろう。
地上波、BSとあわせると十局近くの放送が見れるが、国民の側がこれほどの放送を望んでいるのであろうか。
この十局近いチャンネルの中で、大人が安心して見ておれる番組があるかというとそれがひとつもない。
資本主義社会において、国民の側が望もうが望まなかろうが、ただただ金になりさえすれば放送局を作るというのが現実ではなかろうか。
ハードとして放送局を作れば、それで報じるコンテンツ、つまりソフトも同時に作らなければならないわけで、結果として取材合戦になる。
取材合戦になれば強引な取材がまかり通るようになり、結局のところ行き着く先はコンテンツの堕落ということになる。
放送の内容がつまらなくなったので、大衆は誰も見ない、誰も見ないからもっとインパクトの強いものを求め、ますます作品の低俗化が進むということになる。

「昔話の森」

2008-01-14 20:43:43 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「昔話の森」という本を読んだ。
内容は昔話を検証するというものであるが、古老の語る昔話をああでもないこうでもないと検証したところで、意味があるであろうか。
私にとってはまったく意味をなさないもので、あるがままに後世に伝えればそれで良いではないかという思いがした。
人々の伝承による昔話なのだから、地方地方によって多少その内容が異なっても、そんなことは学問として取り上げるべきことではないように思う。
昔話のルーツをたどったところで、そんなものは学問の中の学問に過ぎず、ただただ知識を弄んでいるに過ぎない。
桃太郎の話がどういう意図の元に話されようと、それは古老が後世のためになどと、大上段に大儀を振りかざして話すものではないはずで、ただただ田舎で、娯楽もない中で、暇つぶしに語って聞かせ、それをただ黙って聞いただけの事だと思う。
大学者がああでもないこうでもないと学問の俎上に載せるべきことではないと思う。
こういう昔話が学問として成り立つということは、まさしくサルのセンズリと同じで、人間の生存には意味のないことだと思う。
しかし逆説的にいうと、その意味もないことに熱中できるというのも人間だけの特性で、それであるからこそ万物の霊長といわれるゆえんなのであろう。
哲学などというものはただただ理屈をこねるだけのことを学問と称しているだけで、まさしくサルのセンズリ以外の何物でもない。
人間以外の生き物ならば、生存に不可欠な行動をするのみで、食べるものさえ充分にあれば、余分な行動はしないはずである。
(ある種の動物には人間と同じように遊ぶという行為も見られるようだ。)
人間だけが、自らの生存に何の役にも立たない、それこそ愚にも付かないことをして、それを学問と称して悦に入っているわけである。
人間がそういうことをする存在になったということは、食料に余裕が出てきたということで、個々の人間がそれぞれに自分の食糧確保に走り回らなくてもよくなってきたから、愚にも付かないことを考えて、遊んで暮らす部類の人間の存在が許されるようになったということであろう。
日本各地の昔話というとき、どうしても方言が登場してくるが、これを文字から読み解こうとすると実に読みにくい。
この狭い日本でも、沖縄から北海道、東北地方にいたるまで、さまざまな方言があって、それを文字で表し、文字から読み取るということは実に難儀なことだ。
方言ばかりでなく、時系列でも我々の言葉は大きく変化しているわけで、方言が二次元の面の広がりだとすると、時系列の言葉の変化は三次元の縦の変化となり、その変化を文字に置きなおし、それを又文字から読み取るということは凡庸なもの、私のような無学なものにとっては実に難儀なことだ。
私が常々思うことは、日本の古典、平安朝の文学が今の私たちではまったく読めないという現実である。
平安朝などという大昔まで遡らなくても、昭和初期に書かれた「国体の本義」という文部省の刊行した書物でさえ、今の私たちでは読みきれない。
こういう言葉の変わりようというのは、日本以外にもあることなのであろうか。
私は英語には極めてよわいが、たとえばイギリスのシェークスピアの作品を今のイギリスの若い人たちも普通に読めるものなのだろうか。
アメリカの「風とともに去りぬ」は、今のアメリカの若者は普通に読めるのであろうか。
中国では、おそらく今の若者が古典を普通に読むということはありえないような気がするが果たしてどんなものだろう。
我々に限って言えば、おそらく50年前の文学作品は、今の青少年も普通には読めないと思う。
60過ぎの大人でも、特別の研究者以外はすらすら読むというわけには行かないと思う。
事ほど左様に、言葉というものは変化するものだ。
日本の各地に残っている昔話といえども、そのままの言葉で語られている間は意味を成さないと思う。
だからそれを共通語としての標準語で書き表すというのであれば、それはそれなりに意義があるように思うが、その話のルーツが何処にあって、それがどう変化したかなどという検証は知を弄んでいるに等しいことだと思う。
問題はこの知を弄ぶことが、学問として認知され、学問を深めることは良い事だという常識がこの世に蔓延しているから、学者というものの存在が許されるのであろう。