ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「困った人間関係」

2010-02-24 17:47:14 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「困った人間関係」という本を読んだ。
精神科医の素人向けの解説書のような内容であった。
特に恋愛に関する部分ではまるで村上春樹の「ノルウエーの森」を読んでいるようなものである。
この小説を読んだときには、今時の若者の心理状況はなんとも不可解に思えたものだが、それを精神分析の手法で読み解いてみると、こういうわけのわからない思考が今の若者の大部分を占めているということなのであろう。
小説が精神分析に近寄ったのか、精神分析が小説のネタになったということなのか、とにかく昨今の人間の心の内は極めて複雑怪奇になっているということなのであろう。
人間の心などというものは、物理や理科のようにきちんと答えの出るものではなく、曖昧模糊とした揺らぎの現象が生きた人間の心象風景なのであろうが、それにしても人間の心が素直でなくなったということは、生きにくい世の中になったということなのであろう。
「困った人間関係」ということは、人々の生き様が他人にとって迷惑な存在になったということであって、他人の行為が迷惑と感じなければ、困ったことにはならない。
自分は困ったと感じることは、自分の方にも原因があるかもわからない。
普通の場合、他人の行為が困ったなと感じた時、自分が迷惑を被ったと思うから困ったという感情が出るわけで、自分がそう思わなければ困ったことにはならない。
自分が困った困ったと思うことは、他人からそれ相応の迷惑を被ったと感じているからそういう感情に支配されるのである。
例えば、最近よく言われることに嫌煙権という言葉があるが、これも随分と奢った感情の発露だと思う。
嫌煙権を声高に叫ぶ人は、他人のタバコの煙で自分が迷惑を被っているから「タバコを止めよ」という論理で他者に迫って来るが、他人のタバコが嫌ならば自分が避ければいいのであって、人に「タバコを吸うな」という論理は傲慢さそのものだと思う。
タバコを吸う人のマナーが悪いことも、嫌煙権の主張に大きな要因として作用しているが、「タバコが健康に悪いから止めよ」という論理はいささか傲慢な論理だと思う。
タバコが健康に良かろうと悪かろうと、吸う人の自己責任なわけで、個人の自己責任の範疇まで、「健康に悪いから止めよ、迷惑だから止めよ」、という言い分は傲慢そのものだし、親切の押し売りそのものである。
嫌煙権を声高に叫ぶ人は自分が如何に傲慢かということには気が付いていないわけで、ただただ自分に迷惑を掛けてもらいたくないという我儘でしかない。
自分が我儘を言っているということを認めたくないので、「匂いがイケない」とか、「煙がイケない」とか、「健康によくない」という理由をこじつけて、自分の我儘を他者の所為に転嫁しようとする意図が潜んでいる。
そこにあるのは自分本位な我儘な傲慢さ以外の何ものでもない。
自分の立ち位置はいささかも譲る気が無く、余所から煙が漂ってくると、その煙の発生源を根絶しなければ納得しないわけで、究極の自己中心主義・ジコチュウだと思う。
自分が迷惑だと感じたり、嫌だなと思ったことを、他人の所為にする時に、相手を「困った人だ」と決めつけることは戦後の民主主義教育の所為だと思う。
日本が敗戦を迎えるまでは、辛抱するということが我々、日本民族の美徳として認められていた。
極端な話として、「欲しがりません勝つまでは」という標語が出回っていたくらいで、この標語の裏側には「あなた方にあげたくても、あげるものがありません」よ、ということを端的に示していたわけで、別の言葉で言えば物欲の究極の抑制であったわけだ。
それと裏腹に、国家が必要とするものは有無を言わせず強引に召し抱え、搾取し、取り上げたわけで、それが敗戦を契機として、そういうものが全否定される世の中になった。
こういう極端から極端への変動の中を生き抜いてきた我々日本人というのは、戦勝国アメリカの押し付けた民主主義に飼いならされるよりほかに選択の道が無かった。
ところがこの民主主義というものも、我々が時間を掛けて習得したものではないので、それを受け入れた我々の側は、それぞれに勝手に自分の都合の良いように解釈してしまったわけだ。
極端な話、たった一日で軍国主義から民主主義に磨り変ったわけで、その転換があまりにも急であったが故に、その中身を検証する間もなかった。
ここで民主主義の本質を間違えたまま我々は来てしまったということだ。
民主主義の本質を、自分の都合に合わせて良いとこ取りだけをして、盲人が像を撫でたように、自分勝手に自分の都合のいいところだけ自分に都合の良いように解釈して、それで民主主義の全部を掌握したような気になってしまったわけである。
その最大の失敗は、民主主義は万能だと思違いした点である。
民主主義は完全無欠で、如何なる瑕疵も内包されておらず、全員が一律に平等でなければならない、というふうに誤ったまま認識した点である。
我々が民主主義の本質を誤ったまま身に付けた最大の原因は、やはり戦後の民主教育の実践の場としての学校だと思う。
戦前・戦中の軍国主義も、学校教育の中で拡大、拡散したように、戦後の民主教育も学校教育を通じて戦後の日本人の精神の血肉になっていったものと考えざるを得ない。
こうして見てみると、学校教育の影響というのは国民意識の高揚、あるいは人格形成、論理や倫理の掘り下げに大きな効果をもたらしたということになるが、主権国家というのは如何なる国も、それを考慮に入れて国の運営をしているのではなかろうか。
だからこそ戦前の我々は軍国主義に嵌り、戦後の我々は祖国喪失に陥ったということではなかろうか。
戦後の民主教育というのは、基本的に先生の労働組合、日教組に牛耳られたことにあることは誰でも認めることであるが、ならば何故に我々の同胞、戦後の日本をリードしてきた同胞が 日教組の指針、つまり共産主義に傾倒してしまったのであろう。
世の中の推移というのは基本的に若者のエネルギーによって革新されるものだと思うが、戦後、敗戦直後の我々の置かれた環境を考えてみると、街には住むに家なく、食うに米なく、働こうにも職もなかったわけで、あの戦いに生き残った同胞は、それこそ自らの国家に騙されたという実感をひしひしと感じていたに違いない。
だとすればその反動として、これから先は国家の言うことは信じてはならない、信じれば又同じ轍を踏むにちがいない、ならば革命で旧体制を破壊しなければならない、という思いに至ったものと推察する。
これがあの戦争を生き残った若い世代の体験から得た信念だとすれば、彼らにとっては古い価値観の破壊こそ新生への道であったわけである。
あの戦争で生き残った若い世代が、旧秩序、古い価値観の破壊を目指すという指針は、勝利にために血を流したアメリカ占領軍にとっても好ましい方向であり、日本に革命を輸出しようとしていた旧ソビエット連邦にとっても好まし方向であったわけである。
ここで本当に真剣に考えなければならないことが、知識人の存在である。
戦前に高等教育を受けた知識人は、戦争中は沈黙を守り、戦後自由にものが言えるようになると、一斉に反政府、反体制、反自民を声高に叫ぶようになったが、この態度は我が同胞の知識人として極めて卑屈な態度だと思う。
こういうことを言うと必ず「当時は治安維持法があって自由にものが言えなかった」という反論が起きるが、冗談ではない、幼稚園児ではあるまいに、お上が一言「いけません、だめです」と言ったことを金科玉条として遵守する素直な人が何処にいるのかと問いたい。
車に乗れば道路交通法に拘束され、それを遵守することが義務つけられているが、一旦停止、スピード制限を法律通り遵守している人が果たしているであろうか。
その事から考えて、一編の法律があるからと言って、「ものが言えなかった」、という言い分は、「官憲が怖くてものが言えなかった」というだけのことで、サーベルの音に恐れおののくあまり、法の網を掻い潜る勇気がなかっただけのことではないのか。
ただ私としては当時の知識人に少しばかり同情する部分もある。
というのは、近隣や友人という身近な人の密告というものがあって、不用意な発言をすると告げ口されて、嘘も本当にされて、ろくでもないトラブルに巻き込まれるという心配のあったことも事実だろうと思う。
同胞が信じれないという点も確かにあったと思うが、こういう環境の中で、気の弱いというか、従順なというか、そういう学者が保身のために象牙の塔に閉じこもって、敗戦という解放を迎えた途端、急に勇気リンリンと反体制、反政府、反軍部の論旨を展開して良い子ぶっていたわけである。
こういう日和見な学者、知識人が戦後の日本の教育界の中で、共産主義を礼賛し続け、既存の秩序や倫理、人倫を否定的に教え、ついさっきまでの軍国主義を非難し、誤った民主主義を教え続けた結果が、今日のモラルの低下を引き起こす最大の理由だと思う。
「困った人間関係」というフレーズを言うならば、国政の場にこそ困った人間関係というのは存在すると思う。
そもそも人間が群れを作って社会という枠組みの中で生きるについては、他者の存在こそ困った存在だと思う。
自分と考え方の違う人間が周りにいることそのこと自体が困った存在だと思う。
この本のように、人間の希求を掘り下げて掘り下げていけば、最終的にはそこにたどり着いてしまうものと思う。
だとすれば、人間が生きるということそのものが他者からの迷惑を既存の存在として捉えて、それに如何に対応するかが主題でなければならない。
この本の表題である「困った人間関係」を国政レベルに敷衍すれば、今の民主党政権の施策は、反対派から見ればそれこそ困った施策なわけで、許し難い行為になる。
例えば、普天間基地移転の問題でも、民主党政権は「現地の民意を組んだ施策」と声高に叫んでいるが、それは同時にキャンプシュワブに移転するという自公民政権の時に、練りに練って長い年月を掛けてようやく妥協点に至った経緯があるわけで、こちらの民意は完全に踏みにじられたということでもあるわけだ。
妥協点に至ったと言っても、それは話し合いの末、妥協に妥協を重ねて、かろうじて折り合いをつけたというだけであくまでも苦肉の策であって、反対者が納得して賛成に回ったわけではなく、民主主義の原理にもとづいて多数意見に集約されただけのことである。
その後改めて、賛成か反対かと問えば、基地などが来ることに心から賛成する人などいるわけないわけで、当然、反対だという意見になることは目に見えているではないか。
政治というのは、万人に公平に至福をもたらすものではなく、政治の恩典からこぼれ落ちる人も当然内包しているが、それを限りなくゼロにする努力は必要であろうけれども、100%完全には成り得ない。
それにもかかわらず、苦労を重ねてやっと妥協に至った案を再びひっくり返すということは、この本の言う「困った人間関係」の最たるものだと思う。
政治の根本は大勢の人の至福の追求に貢献することではあるが、それは党利党略に則った人気取りであってはならない。
大勢の人に金をバラまけば、もらった人は喜ぶが、その先がどうなるかを考えて、その場の人気取りで金をバラまけばいいというものではない筈だ。

「機長からアナウンス」

2010-02-21 07:46:53 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「機長からアナウンス」という本を読んだ。
飛行機に関する本となると、どういうわけか自然と好奇心がそちらの方を向いてしまって手が伸びる。
この本も面白かった。
機長の書いたエッセイ風の読み物で、興味が尽きない。
丁度、この本を手にした時、東京に出ることになっていたので新幹線の車中で読んだが、東京に着いたら最初は市ヶ谷の陸上自衛隊の駐屯地を見学しようと思っていた。
ところが道中、家内と語り合っている内に、「羽田空港に行ってみよう」ということになって、そちらに行ってしまった。
私も多少は飛行機お宅を自認する方であるが、未だにあの巨大な飛行機が空を飛ぶということが信じられない気持で一杯である。
翼の上を通過する空気の流れが揚力を作り、それが機体を持ちあげるのだ、と言われても未だに完全に納得しているわけではない。
そのため旅客機に乗った時は出来るだけ窓のある席を取って、翼の動きを観察するのだが、確かに上がったり下りたりするときには補助翼、フラップが出たり入ったりすることは確認出来る、
ところが、空気の流れを確認出来るわけではなく、未だに不思議でならない。
そして、今時の旅客機の上昇角度は12、3度と書かれているが、私が感じるときはスキー場のかなり急な斜面を下から上に駆け上がるような感じがするもので、すぐにでも失速するのではないかと心配でたまらない。
シートベルトをして、普通に座っていたものが、ドドンという脚が地面を離れるときの大きな音と共に、急に足が上にあがって、背中が後ろの倒れる感じがして、こんな角度で大丈夫なのかと不安にさいなまれる。
落ちたら自分一人が死ぬのではなく、この周りの全員が死ぬのであれば、まあ寂しこともないかと、悟りに近い心境でいる。
とにかく、あの巨大な機体が空に浮くこと自体が不可解千万である。
この本の内容と羽田空港とは何のかかわりもないが、民主党政権になって前原国交相が、羽田と成田の運用一元化の話をしたり、日本航空の経営再建の話とか、話題に事欠かないので羽田空港の見学となった。
しかし、用もない大人が、空港の中をうろうろする姿というのもさえないものである。
羽田に行くとなれば、常識的には浜松町からモノレールになるわけで、当然我々もそのコースで行ったが、このモノレールは実に有効に生きている。
それで一番奥の第一ターミナルまで行って展望台に登ったが、ここから見る光景は実に雄大なものだ。
成田空港を作るときの最大の理由が、羽田が手狭になったという理由であったが、成田闘争でもたもたしている間に羽田の方が徐々に拡張されてしまって、今では羽田が手狭という理由がなくなってしまったようだ。
私個人としては成田闘争の反対派農民というのは国賊だという認識でいる。
個人のエゴを国益よりも優先させる思考など、到底許しがたいものだと思う。
この時の反対派の言い分は、基本的には国が地元住民に何の説明もないままこの地に空港建設を決定したことにあるというものであるが、冗談ではない。
そんな言い分は、騒動の後の後付けの理由であって、本当は補償金の値上げを内に秘めた反対の為の反対に過ぎず、当時の時流に便乗した左翼系の反政府団体に利用されたにすぎない。
左翼系の革命ゴッコに利用されただけだが、それを反対派の内側から言うわけにはいかないから、あくまでも先祖の土地を死守するというポーズをとったにすぎない、と私は推察している。
もし仮に事前に国が説明したとしたら、反対運動など起こさずにスムースに建設が出来たかといえば、そんなことは考えられないわけで、事前説明があろうがあるまいが結果としては内乱に等しいような革命的闘争に持ち込んで、補償金の値上がりを謀った筈だ。
問題は、この反対運動を支援した、左翼系の支援団体の存在である。
土地を接収される農民の反対というのは解らないわけではないが、国家がタダで土地を取り上げるわけではなく、それ相応の代償があるわけで、そういう手当がある以上、何が何でも反対ということはあまりにも欲張りすぎると思う。
ところが左翼系の人々、あるいは進歩的文化人といわれるような人たちは、土地を取られる側を無条件で弱者と認識し、何でもかんでも国家権力の側が悪者だという構図で語るので、世の中が混乱に陥るのである。
戦後の民主主義の世の中で、国としても国民全体の至福を追い求めなければならないわけで、当時の状況下で羽田空港が手狭になったので何処かに代替の空港を作らねばならない、ということは国民的欲求であったはずだ。
そんなことは左翼系であろうとなかろうと、進歩的文化人であろうとなかろうと、解りきったことだが、こういう場面になると弱者の側に身を置くことが格好いいわけで、人々の賛同を得やすい。
土地を取られる側に、「お前たちは我慢せよ、国の施策に協力せよ」とは、前の戦争の反省からも、誰でもが言い難いし、無慈悲に聞こえるし、人でなしの鬼に見えるわけで、損な役回りは誰でもが嫌な筈である。
だから誰もそういう言い方はしないので、勢い世の中は全部反対かのように見える。
ならば国民の潜在的な欲求としての「新しい空港が必要だ」という施策は、誰がどう推し進めるのだということになる。
土地を取られる側が反対するのは当然のことであるが、世の知識人という人たちは、そういう人たちに対して、「新しい空港はこの先の日本にとっては必要なのだから何とか理解してくれ」と説得するのが人としての道なのではなかろうか。
特に知識人、文化人、教養人と言われるような人ならば、時代の推移に伴って羽田が手狭なことも理解できるし、新しい空港が必要なこともわかるし、地元民の反対の気持もわかるとしたならば、その反対運動を懐柔する方向に世の中の意見を集約すべきが、知識、文化、教養を備えた人たちの使命なのではなかろうか。
反対することは何時でも何処でも誰でも安易に出来る。
この時の日本の知識人、あるいは文化人というのは、成田闘争において反対派に肩入れしでいたが、それは人の成す人為的な施策に対して一番安易な民意の表現であったわけで、それはバカでもチョンでも出来ることであったわけである。
当時の知識人は、反対派を説得するという火中の栗を拾う危険を避けて、誰でも出来る安易な反対運動に現を抜かしたということである。
私個人としては成田闘争のことを考えると、日本の航空行政は羽田に集約して成田は廃港にすべきだと思う。
そして全面ラッカセイの畑にして、それを農民に返すべきだと思う。
如何なる国、あるいは如何なる民族でも、社会的なインフラ整備には反対運動が付きまとってきたわけで、そのインフラ整備が評価されるのは50年後100年後であることも珍しくない。
それはその土地に住む人のものの考え方が大きく左右するわけで、開明的な人々ならば出来たインフラを如何に使い切るかに知恵を出そうとするが、保守的な人々は何時までも恨みに思って、過去にのみ思考を巡らせることになる。
当然、結果は大きく差が開くことになる。
成田闘争で「先祖伝来の土地を国に取られてたまるか」という意気込みは究極のエゴイズムだと思う。
昔の大金持ちは金持ちであるが故に、社会的インフラ整備には積極的に協力した人もいる。
自分の土地が道路の建設に掛っているならば「ただで使え」とか、鉄道が通るなら「駅の土地は俺が出す」とか、社会的インフラ整備に寄与することが名誉であった。
それに引き換え、戦後の農地解放によって、貧乏人や今までの水飲み百姓が一応土地持ちになったので、その貧乏人根性で「俺の土地を取られてたまるか」という心理になったものと推察する。
戦後の日本では、こういう我儘な人間を攻撃するとイジメと言われて、そういうことをしてはならないことになっているので、個人の我儘は何処までもエスカレートすることになる。
こういう時に公正な判断をすべきが本来ならば司法ということになるのだろうが、この司法も案外偏向していて、普通の基準よりも相当左に軸足を置いていることがある。
何でもかんでも国家や政府を悪人に仕立てておけば実に安易であるが、それでは国民の全体に薄く広く負担が被さってくるわけで、一人ひとりの個人の負担は解らず、誰もそれを負担と考えないので、何となくそれで通っているわけである。
最近はアジアにおいて大きな空港が次から次と建設されて、それらがハブ空港として機能し始めたが、日本は成田が中途半端なのでハブに徹しきれない面がある。
その事に鑑みて、前原国交相は成田と羽田の一元化運用といったわけだが、成田闘争を引き継いでいる成田空港は廃港にしてラッカセイ畑にすべきだと思う。
羽田を日本のハブ空港として、成田はピーナッツ畑に還元すべきだと思うが、一度出来上がったものはもう元には戻らないであろう。
成田闘争の反対派農民というのは、左翼乃至は全共闘の代理戦争を演じていたわけで、そういう意味からも馬鹿であったというわけだ。
アジアのハブ空港の建設はある意味で開発独裁であることは論をまたないが、独裁政治で強引に空港が出来上がったとはいえ、将来恩典に浴すのは独裁を許した彼ら自身だと思う。
飛行機の話に戻すと、世間ではあまり話題にならないが、飛行機が飛ぶということはパイロット一人の力ではないわけで、今の飛行機、特に旅客機にとっては、航空管制抜きでは存在さえしえない。
ところが、この管制官には全く陽が当っていない。
パイロットはちやほやされるが、そのパイロットにあれこれ指示しているのが航空管制官だ、ということはあまり知れていないのではなかろうか。
大方の人がパイロットというのはバスの運転手と同じように、一人であの飛行機を飛ばしているものと思っているのではなかろうか。
管制官の仕事も実は大変な仕事であるが、世間ではあまり評価されていないような気がしてならない。
確かに、飛行機は日本以外の国ならば軍であったり、民間であったり、警察、消防というような組織に所属するが、管制する方の管制官は国家公務員なわけで、その待遇は大きく違う。
しかし、世の中の移り変わりというのは実に妙なもので、民間航空会社のパイロットが肩で風を切って歩いていたものが今ではすっかり影をひそめて、代わって公務員の方が景気が良いわけで、その意味から航空管制官も優遇されているかというと案外そうでもなさそうだ。
ここで問題となってくることが、日本航空の経営問題であるが、日本航空が経営難に陥るなどということは旧世代の人間には考えられないことだ。
以前、パンアメリカンという航空会社があったが、これも何時の間にか無くなってしまっていた。
航空会社の倒産というのは一体どういうことなのであろう。
日本航空のサービスは定評があったが、結果的に見てそれが経営の足を引っ張っていたということなのであろう。
それともう一つは給料の高さにあったに違いない。
日本航空というのは、最初は半官半民の事業であったが、それが民間になった当初から社員の給料が高すぎたわけで、給与体系そのものが時代遅れというよりも、経営感覚が時代錯誤に陥っており、良いとこ取りをした結果ではないかと思う。
日航程の企業体ならば、優秀な人材が内部にいくらでも居そうなのに、経営危機に陥るということは一体どう考えたらいいのであろう。
結局、企業というのは人で成り立っているので、良い企業というのは人を如何に上手く使っているかということなのであろうか。
民間企業であるからには、利潤追求は至上命令で、その目標遂行のために人を如何に使うか、ということなのであろう。
単純に考えれば、売り上げを伸ばしてコストを下げれば利潤は出てくるが、売り上げが伸びない要因、コストが下がらない要因を掘り起こす人間が出てくれば利潤は出せるということになる。
こんなことは誰でも解っていることだが、それが何ゆえにこういう優良企業で出来なかったのだろう。
ここで考えなければならないことは、日本航空は優良企業でなかったから、経営危機に陥ったという現実であって、我々が優良企業だと勝手に思い込んでいたことが過ちである。
外から見ると優良企業に見えていたが、内情は少しも優良ではなかったからこそ、経営危機に陥ったということである。
こういうシーンを見ても、現場は一生懸命働いていると思うが、そういう他人の努力の上に胡坐をかいていた経営トップの怠慢にあったのではなかろうか。
パイロットでもスチュアーデス、今はキャビンアテンダントというらしいが、こういう現場は、それこそ一生懸命仕事をしていたと思う。
ここで本題に戻ると、今の旅客機は200人300人という乗客を一気に運んでいるが、これはいわゆる飛行機利用の大衆化であるわけで、こうなるとお客の中にも不届きな人間が紛れ込むことになるのもいた仕方ない。
よど号ハイジャック事件とか、9・11事件は例外としても、日常的に厄介なお客というのもあるに違いない。そういうお客のあしらいもスチュアーデスの大きな役目であって、慣れてはいるであろうが、その分人間の本質が丸見えなのであろう。
ところが飛行機というのは途中で止まるということが出来ないので、トイレでの喫煙などという行為は、甚だ厄介なことであろうと察せずにはおれない。

『ロケットと深海艇の挑戦者』

2010-02-20 07:22:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「メタルカラーの時代6『ロケットと深海艇の挑戦者』」という本を読んだ。著者は山根一眞。
この著者の「メタルカラーの時代」というシリーズは出版当初はずいぶん読んだ。
今でも物置の中にはそのハードカバーのものが2、3冊あるはずだ。
当初は週刊誌に連載されたものが再編されてハードカバーの本として出回った。
実に良い内容のもので、日本の技術を礼賛する内容のものであった。
まさしく日本の高度経済成長を下支えする技術の紹介という内容であった。
著者が、それぞれの業界のトップ、あるいは第一人者にインタビューして、その技術の奥義を披露するという内容のものであった。
で、この編ではそれが宇宙ロケットと深海艇にスポットが当てられたというわけだ。
その後、日本経済はアメリカのリーマンショックに起因する不況の波をモロに被り、低迷し続けて今日に至っているが、これはある意味で人々の驕りの結果だと私は思う。
資本主義というものが頂点にまで上り詰めたということでもあろう。
人間の究極の願望は、労せずして富を得ることだと思う。
人々が額に汗して働くことを卑下し、金に金を生ませることを夢見た成れの果てだと思う。
人間が富を追い求めるということは人類の基本的な存在意義ではあろうが、この地球上に生きる人間が全て同じ夢を追い求めている限り、そこには貧富の差は歴然と存在し続けるわけで、それを最近の日本人は否定するかのような発言が幅を利かせている。
アメリカで起きたリーマンショックというのは、その究極の姿であったわけで、日本でもその錬金術に魅せられて、その後を追ったものが続出した。
しかし、こういう生き方の否定を、183年前、カール・マルクスが「共産党宣言」で世に問うているわけで、その壮大な実験を経た国もあるが、最終的には人間の生き方というのは、自然の法則に回帰せざるを得なかった。
その自然の法則こそが資本主義という生き方であって、この地球上の人間は、等しく富を追い求める存在であるということに行き着いた。
そのことは同時に、人間の住むこの世には、富むものとそうでないものが共存するということに他ならず、貧富の差というものは解消しきれないということである。
しかし、個々の人間の生き様というのは、必ずしも富だけを追い求める者ばかりではなく、自分の生きる目的とその価値を、自分自身の夢の実現に見出している人も、かなりの数存在するということをこの本は指し示している。
ただし、そういう人たちも、個人でたった一人で、唯我独尊的に自分の目標にがむしゃらに立ち向かっているわけではない。
やはりそういう目標の追求も、組織の中の一員として、組織の命題の一環としての目標であるわけで、ただ単に個人の夢であったわけではない。
現代という時代は、たった一人の個人では克服できない要素があまりにも多くあって、個人の力だけではなんとも太刀打ちできない。
そこで登場してくるのが組織力であって、この組織というものは我々のイメージとしてはピラミッド型の三角形であるが、この三角形の組織が機能的に動ける状況というのは、横の連携や縦の連携がうまく機能しなければ意味が無いわけで、一言でいえば総合力だと思う。
日本の技術が世界的に秀でているのは、この技術の領域で優れているということであって、これが政治の状況になると、いわゆる縦割り行政になって、横の連携が機能していないということになる。
技術というのは「親亀の上に子亀を乗せて」という風に、下から上に段々と積み重ねていくもので、いくつかの課題をブレークスルーしながら前に進むものだと思う。
技術者の喜びというのは、不可能と思われていた課題に、勇猛果敢に挑戦し、艱難辛苦の末に、その課題をブレークスルーした時の気分こそ生き甲斐であったのではなかろうか。
よく言われるように、あの戦争中に活躍したゼロ戦の開発は、軍部の過酷な要求に対して、技術者がそれをクリアーすべく知恵を絞って、それこそ乾いたタオルを絞るようにアイデアを絞りだした結果である。
日本の技術はそういうものの上に成り立っているに違いない。
ここでの技術者の心構えとしては、金儲けという考えは微塵も紛れ込んでいない筈で、ただただ目の前の課題を克服することにのみ、精神を集中させていたに違いない。
戦後の復興を成した世代は、先の大戦の犠牲者であると同時に、ただただ金儲けにのみに専念していたわけではないが、戦後の第2世代、第3世代になると、最初から恵まれた環境の中で生育したので、繁栄の後に血の滲む努力があったことに思いが至らず、ただただ金さえ儲ければ人生は幸せだと勘違いしたところにバブルの崩壊があったものと思う。
「メタルカラーの時代」で山根一眞がインタビューした人たちは、それぞれに組織のトップとして栄誉を得た人たちであったが、日本の技術というのは、この人たちだけのものではなくて、まだまだ活字にはならない大勢の人たちによって支えられていると思う。
彼の著作に登場した人たちは、そういう下支えした人たちの代表であって、個人プレーの成果ではない筈である。
今年の2月(平成22年)、民放のプライムニュースという番組に伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長が出演していたが、彼は商事会社の人間でありながら、日本の技術を賞賛していた。
彼の言い分によると、日本の技術は中間層の知的優秀さにあると述べていた。
その彼の言葉の中に、技術というのは日進月歩で進化しているが、それは同時に生まれた瞬間から陳腐化するということでもあるので、常に先頭を走り続けなければならないと述べていた。
もっともな論旨だと思う。
技術者は常に技術の切磋琢磨を考えているが、企業家とか経営者というのは、その技術を金儲けにつなげようと考えるわけで、それはそれで資本主義社会の中では当然のことである。
戦後から今日まで、日本とアジア諸国では全ての面で大きな格差があった。
つまり、日本では人件費が高いがアジア諸国では人件費が安かったので、もの作りが賃金の安いアジアにシフトしていった。
その時に、もの作りに要する機械と、それを使い切るノウハウも共にアジアに流れたわけで、アジア諸国では、それを元に経済的に大きく飛躍した。
こうなると短時間の内に日本のライバルにまで浮上するようになったわけで、日本のもの作りは相対的に沈下するようになった。
これがいわゆる産業の空洞化といわれる現象で、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長に言わせると、そんなことは自然の流れであって、当然の成り行きだということだ。
だからこそ日本は技術の先頭を走りきらねばならないわけで、目の前にぶら下がったニンジンを追う馬に徹しなければならないということだ。
こういう状況下で、我々の若い世代が、額に汗して働くことを拒み、乾いたタオルを絞るような思考の絞り込みを拒み、金、金と金を追いまわす体たらくを見るのは如何にも自堕落な印象を受ける。
この本の著者、山根一眞は、もの作りにこだわっているから「メタルカラーの時代」なのであろうが、もっと大きな視点に立って考えてみると、戦後の我々は公に殉ずるという意識が極めて希薄だと思う。
何も戦時中の滅私奉公とか勤労奉仕を賛美することはないが、いつの世になっても、公に殉ずる精神・気持ちというのは人間社会の基盤でなければならないのではなかろうか。
その意味で、鳩山首相の脱税などもっての外で、「知らなんだ」などという言い分が通るわけないではないか。
公に殉ずるということは、公共の福祉に貢献するという意味であって、必ずしも死ななければならないということではないと思うが、公共の福祉に貢献するということは、今に生きる我々には極めて大事なことだと思う。
公に殉ずというと何となく大げさに構えがちであるが、公共の福祉に貢献するということは、日常生活の中でほんのささやかな善意の積み重ねで済むわけだから、誰でも何処でも出来ることである。
この例のごとく、人間の精神の領域は社会のソフトウエアーであろうが、技術というのはあくまでもハードウエアーなわけで、この方面では日本人は世界的に見て極めて優秀であることは論をまたない。
しかし、そうはいうもののやはり民族の特性というのは有るわけで、その第一は我々は未知の荒野を切り開くフロンティア・スピリットに欠けるという面ではないかと思う。
眼の前に見習う見本がある場合とか、実現不可能な命題を示されたときは、敢然とその克服に闘志を湧き立たせ情熱を燃やすが、自分が先頭になってしまって、「さてこれから何をどうするか」ということになると自分を見失ってしまう。
何処を向いて、何をどうしたらいいのか解らなくなってしまうわけで、その場で足踏みをしている間に、アジアの勢力に足元を掬われてしまうことになる。
17、8日と久しぶりに東京に出てみたが、あまりにも外人が多いので、果たしてここが日本かと見まごうばかりであった。
世の中がグローバル化したので、東京に外人が多くても驚くにはあたらないが、中でも中国人の進出が多いのにはいささか面喰った。
「中国は今景気が良い」とはメディアが報ずるところであるが、この景気の良い中国でも、中国人のかかわった技術革新というのはあり得ないわけで、これは一体どういうことなのであろう。
昔は軍事技術が民間の技術を牽引したといわれていたが、今では民間の技術が軍事技術に応用されつつあるようで、技術の流れが逆転してしまった。
最もホットな話題としては、日本のゲームソフトをアメリカの軍部が大量に買い付けたとか、北朝鮮が同じことをしたとか言われているが、日本のコンピューターもハード面ばかりではなく、ソフトの面でも世界を凌駕しつつあるように思われてならない。
日本が世界に誇りうる資産は、人間の頭脳ではないかと思う。
コンピューターのソフト開発が話題になった時、インド人の数学の能力が大いに賞賛されたが、基本的にはインド人の生き方そのものが世界から受け入れられないと思う。
そこに行くと日本人の知識とか頭脳というのは、世界の欲求に応えるのに十分なキャパシティ―を秘めていると思う。
アジアの中で、中国人でもインド人でも所詮は自分たちの持つナショナリズム、あるいはアイデンテイテイ―を捨て切れずに、民族回帰に尽きてしまうわけで、至福の帰属が我が身と家族に戻ってきてしまうので、公共の福祉に還元されずに終わってしまう。
基本的には個人の富の蓄積に終わってしまうわけで、彼らはそのためにこそ身を粉にして働くということになる。
21世紀の科学技術の中に、中国人の考案したシステムがあるかといえば皆無だし、インド人の考案したシステムがあるかといえば、これも皆無なわけで、その点日本人は独自にそういうシステムを考案し、構築しているわけで、その点は世界に誇っていいと思う。
ただし残念なことに、それは技術という枠の中での話で、その成果を如何に活用するか、という政治の絡む話になると俄然生彩が衰えてしまう。
もの作りの現場で、そのための機械とノウハウをアジアに移転するとき、民間レベルでただただ経済の枠組みの中だけでそういうムーブメントが起きたが、それを政治的に如何に生かすか、という発想は政治とか外交の面からは一切出てこなかった。
それを行えば経済の管理、ある種の管理貿易につながりかねないという危惧は当然あって当たり前であるが、そういう心配そのものが全く無かったところにこそ問題がある。
この本に述べられているロケットの開発でも、軍事利用ということは爪の垢ほども交じっていないわけで、純粋無垢の民需品という位置付けで語られているが、技術者の視点ではそれこそが正論であり、正当性を担保するものであるが、政治家、あるいは外交官、あるいは安全保障にかかわるものの視点からは、複合的な視点もあってもいいと思う。
ここまで掘り下げて考えると、それこそ行政の縦割りが衝立として立ちはだかってくるわけで、幸か不幸かそれだからこそ日本は平和国家であるということも言える。
つい先日テレビを見ていたら、今中国では春節というわけで、中国の正月休みらしく、中国人が大勢秋葉原で買い物をしている光景を映していた。
彼らが買って帰るものには、電気炊飯器や電気かみそりの類であったが、こんなものが中国で大量生産できないのか不思議でならなかった。
先に出した伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長の話によると、出来ることはできるが歩留まり品の確率の問題だと言っていた。
つまり、不良品が10分の1か、1万分の1の違いだということだ。
こう言われると、日本製品が世界で高い評価を得ている理由が納得できる。
歩留まり品、つまり不良品を市場に出さないという信念が、日本製品の評価の源にあったわけだが、その神話が崩れた点が、今回のトヨタのリコール問題の根源である。
私はトヨタから金をもらって弁護するわけではないが、新しい技術には初期不具合というものが潜んでいることも事実であって、マイクロソフトでも同じような不具合があったことを考えれば、トヨタだけを責めるのも酷な面がある。
新しく開発した技術には、十分に練れていない部分があることは否めないが、それを如何にカバーするかは、企業・経営者の見識にかかわってくるわけで、ここで問題とすべきは企業のコンプライアンスである。
それにしても、旧ソビエットや中国で車の生産が出来ないというのも実に不思議なことである。
21世紀の今日では、それなりに大量生産も可能になったであろうが、それは我々の50年前の姿であるわけで、今頃それが出来たとしても、我々としては何ら驚異ではない。
旧ソ連、今のロシアでも、今日に至っても乗用車の大量生産は出来ていないわけで、戦車やミサイルの大量生産が可能なのに、なぜ乗用車のそれが出来ないのであろう。
自由主義国では軍事技術が民需品の生産に波及してくるのが常態であるが、これらの国では何故にそれが起きないのであろう。
そこにはきっともの考え方の相違があるものと思っていい。
ならば、ものの考え方がどういう風に違うのであろう。
その一番顕著な例が、我々日本人はもの作りには長けているが、政治的には何時までたっても12歳の子供の域を出るものではないということに表れていると思う。
政治的に極めて不如意な状態というのは、今の鳩山政権の普天間基地の移転の問題に顕著に表れているわけで、いくら自民党政権のしたことが気に入らないからと言って、一度取り決めた計画を白紙に戻すような思考が受け入れらる筈が無いではないか。
ただただ人気取りで、出来もしないことをさも出来るかのように喧伝すること自体が、政治的に12歳の子供の振る舞いに尽きる。
民主主義というものが、少数意見を内包し、全部の至福を成すものではない、という原理が全く分かっていないということに他ならない。
こういう基本の中の基本がわからず、わかろうともしないものが、国家の舵取りをしている現実は、実に由々しき問題であるが、今までの日本の指導者の全てが、その意味では不適格者であったということになってしまう。
そのことが日本の政治が3流という現実なのであろう。

「日系人の歴史を知ろう」

2010-02-19 07:18:11 | Weblog
例のよって図書館のヤングコーナーから借りてきた本で「日系人の歴史を知ろう」という本を読んだ。
岩波ジュニア新書の本で、非常に読みやすかった。
子供向けというわけでもないだろうが、非常に分かりやすい書き方がしてあったので読みやすかった。
日系人と言うからには当然移民の末裔にかかわる話ということは予測がつくが、自分の生まれた地を離れて稼ぎに行くということは並大抵のことではないと思う。
そういう前提のもと、今、日本に来ているブラジル人の在り様から話が始まっているが、金儲けのために余所の土地に出向くということは、資本主義の根源にかかわる話であり、商売の極致だと思う。
人間の普遍的な行為として、自分の生まれ育った土地を離れ、金を稼ぎに出向くということは、人間がこの地球に誕生して以来連綿と続けられた行為だと思う。
ところが我々は島国の住人であるからして、この小さな4つの島のみが全宇宙だと思ってきたので、海の向こうまで出稼ぎに行くとなると大決心が要ったわけである。
日本が海外にまで移民を出すようになったのは、明治維新当初からであるということは今回初めて知ったが、問題はそれを斡旋する業者の存在である。
こういう業者は実に嘆かわしい存在で、自分では額に汗して働くことをせず、そういう仕事をする人を斡旋して、その上前をピンハネすることを生業にしているわけで実に許しがたい商売だと思う。
しかし考えてみると、そういう商売もかなり前から存在していたようで、日本が近代化のレールに乗るようになった過渡期の時期には既に存在しており、江戸時代にも顕著に散見できたようだ。
昭和初期の女工哀史に見るように、はたまた軍隊の駐屯地に集まってくる慰安婦の周旋のように、人集めを周旋する仕事というのはかなり昔からあったようだ。
それの現代版が、今の派遣労働者といわれる人たちで、今日本に来ている外国からの人達も、大なり小なりそういう斡旋業者の手を経て日本に来ているようだ。
日本の初期の海外移住も、基本的にそういう斡旋業者の手を経て海外に渡っているわけで、我々が憂うベきことは、移住や出稼ぎに行く本人よりも、それを斡旋する業者の監督である。
出稼ぎに出る人と、先方の受け入れ側との折衝のために、そういうことを効率よく手配してくれる人の存在は双方にとって有意義であろうが、そこに悪徳業者の入り込む隙が出来るわけで、こういう不埒な業者が送り出す側と受け入れる側の両方から暴利を貪る。
彼らに掛ったら人間の命も商品と同じ値打ちにされてしまうわけで、彼らは本人達には良い事ばかりを並べたてて今すぐにでも金がザクザク儲かるような話を持ちかけてくる。
一番悪いのは、そういう話で騙される本人が一番愚かなことは言うまでもないが、こういう風にして騙す側が、騙される側よりも数段と頭がよく、巧妙なわけで、結局は騙された側が泣き寝入りにならざるを得なかったに違いない。
そして「海外雄飛」などと格好いい言葉に釣られて、それにホイホイと乗る方が馬鹿を見ることになるわけだが、ここで行政というか国家の側がその斡旋業者をよく調べもせず、業者の並べ立てる美辞麗句を真にうけて受け売りする姿である。
国家というか行政というか官僚サイドも、斡旋業者の口車に乗せられて、自分が騙されたとも知らずに、移住者や出稼ぎ人に対してユートピアの実現を鼓舞することである。
あの戦争、戦後の我々の認識では太平洋戦争であるが、その前と後では海外に渡る人の認識も大きく変わったようで、戦前の人たちはあくまでも出稼ぎであって、行った先で骨を埋める気はなかったという。
しかし、戦後渡った人たちは最初から行った先で骨を埋める気で行っているので、その気構えはそうとうに違っていたと思う。
出稼ぎというのは、その言葉のイメージからも全く信がおけないわけで、接する人の気持ちも違ってくるのが当然だと思う。
今日本に来ている派遣労働者の人たちは、当然、出稼ぎに来ているわけで、金が貯まったら本国に帰る気でいる。
本人たちがそういう気であるならば、受け入れる側も、それに見合う対応しかできないわけで、恒久的な付き合いというのは生まれないのも当然である。
行った先で、その国に骨を埋める気であるとするならば、受け入れる側もそれに見合う対応が出来るが、何時帰るかわからない相手に恒久的な対応はし得ないのも無理ない話だと思う。
日本から向こうに行っても、向こうから日本に来ても同じことだと思う。
出稼ぎとしてただ単に金儲けに来ている人にそうそう手厚い対応はし得ないのは当然だと思う。
こういう異民族との接点に立つとき、往々にしていじめという言葉が出るが、これも少しばかりおかしいのではなかろうか。
日本に来たブラジル人の子弟が、日本の学校の中でいじめられるということをよく聞くが、子供のいじめなど民族を超えて世界中同じようなものではないかと思う。
子供を集めて一部屋に押し込んで、子供同士で「喧嘩するな」と言っても無意味ではなかろうか。
いじめられたと言うと、すぐに加害者と被害者という対立軸で捉えがちであるが、子供の世界では当たり前のことであり、大人の社会でも普通にあるわけで、それをことさら「ブラジル人だから」と言って強調することもないと思う。
我々の国が過去に行ってきた海外移住という施策は、私に言わしめれば棄民という面が大いにあったと考える。
最初から棄民と言うつもりはなくとも、外務省をはじめとする担当セクシュンが、先方を十分に研究することもなく、ただただ綺麗ごとで美しく人を引き付ける夢のような事ばかりを並べ立てて勧誘した部分が大いにあると思う。
戦前の満蒙開拓団などはその典型的な例で、あたかもユートピアがすぐにでも出来上がるかのように宣伝して、結果的には文字通り棄民そのものであったではないか。
この惨劇も基本的には政府の宣伝に踊らされた方が馬鹿を見たわけで、そういう意味では、体制批判がなされても当然であるが、政府が鐘太鼓をたたいて大宣伝することにホイホイと乗った方が悪い。
自分自身の不明を恥じるべきだ。
政府が音頭をとるということは、言い換えれば官僚が采配を振るうということで、この官僚がアイデアの細部にまで気を回すということはあり得ないわけで、そういうものを信じる方が胡乱である。
だから先に述べた本多勝一の言い草ではないが、「政府や国家の言うことは信じてはならない」ということに行きつくわけである。
ところが、その前に、出稼ぎに行くという行為を再考しなければならない。
この場合、東北の人が冬の仕事ない時に都会に出稼ぎに出る、という話とはいささか次元が違うわけで、こういう場合ならば地元に帰るべき家を維持しながらの一時的な働き場を求めて都会に出ることである。
今のブラジルからの労働者というのは、こういうケースの大掛かりなものであるが、民族を超えて国境を越えて、仕事のないところから仕事を求めて人が移動するということはある意味で普遍的なことである。
基本的にはアメリカ合衆国の誕生はこういうムーブメントの成果でもあるわけだが、既存の国家の中に他から異民族が流入してくれば、不要不急のトラブルが増えるのも当然のことである。
今、ヨーロッパでも中近東からの人の移動で頭を悩ませているわけで、我々の歴史でも中国東北部で食糧生産と雇用の確保を願いつつ進出した結果が侵略という言葉で今糾弾されている。
南米への移住には、武力という背景を持たず、民力のみでそれを行おうとしたので、国家としての保護が無かった分、入植者が苦労を強いられたことになった。
そもそも日本には仕事が無いので、新天地に行って何年か働いて金を得て帰る、という発想こそが卑しいものだと私は思う。
いわゆる日銭稼ぎの場として、出稼ぎをということを考えているとするならば、浅薄な思考といわれても仕方が無いと思う。
貧乏学生のアルバイトでもあるまいに、そういった安易な思考で海を渡る決心をすること自体が、生きるということを舐めた行為だと思う。
何にでも例外というのは有るわけで、移民、移住、開拓者として成功を収めた人間も、確かにいるであろうが、そういう人が如何に過酷な使役に耐え、苦労に苦労を重ねた結果として成功があるということに思いを致すこともなく、ただただ結果のみに幻惑されて、その後を追うということは、まさしく愚者の行為そのものである。
問題は、そういう愚者を騙して私利私欲を貪る斡旋業者や周旋屋の存在である。
これは我々の生きている環境が資本主義体制である限り、こういう商売も成り立つわけで、世の賢者はこういう商売をもっともっと叩かねばいけないと思う。
今でいえば、労働者派遣業というものであるが、こんなのものは昔の言葉でいえば女衒であって、女郎屋に騙した女を売りつける最も卑しむべき商売である。
こういう商売が、労働者派遣法で保護されつつ商売が成り立つことこそおかしな世の中なのに、騙され続けている労働者は、そのからくりにいささかも疑問を感じていない。
企業、つまり経営側はアホな労働者よりも頭が良いので、便利な斡旋業者、労働者派遣会社を上手に使うわけで、馬鹿を見るのは騙され、ピンハネされ続ける現場の労働者ということになる。
この労働者の派遣が国を超えて行われるようになると、それこそ女衒の方も巧妙化し、なおかつ国際化し、グローバル化してきたのが今の状態だと思う。
出稼ぎを希望する人に支度金を与え、渡航費用を貸し与え、労働者をそのシステムでがんじがらめにしておいて金を吸い上げるというのは、昔の女郎屋や置き屋が前借り金で女郎を引きとめたシステムと全く同じではないか。
企業あるいは経営者からすれば、労働者を自前の社員として抱え込むと、中で労働争議や内部告発で組織内から企業そのものが蝕まれる危険があるわけで、派遣会社から派遣される労働者を使うということはそういうリスクから免れる。
だから、状況に合わせて増やしたり減らしたりできる派遣労働者の存在というのはありがたいものに映っていると思う。
使われる身の労働者の方はどこまで行っても馬鹿だから、時間が自由になるだとか、拘束されないからだとか、自分の能力に応じて報酬が払われるなどと、まさしく昔の移民が騙された構図と同じように、夢を見つづけて盲目になっている。
経済状況が変わればそのしわ寄せはモロに彼ら派遣労働者に覆いかぶさってきたわけで、その時になって「何とか救済せよ」と言われても、世界中が苦境にあえいでいるときに救済措置のしようが無いではないか。
経済の変動に微妙に対応できるショックアブソーバーの役目をしているのが派遣労働者の存在で、企業や経営者はそれを上手に使って企業そのものの存続を図っているのである。
そもそもコツコツと地味に働く気が無く、自分の好きな仕事ではないとか、拘束されるのが嫌だとか、時間に縛られるのが嫌だとか、我儘をいう人間が報われないのは今に始まったわけではなく、太古の昔から普遍的なことであって、突き詰めれば本人が馬鹿だということだ。

「滅びゆくジャーナリズム」

2010-02-16 08:26:23 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「滅びゆくジャーナリズム」という文庫本を読んだ。
著者は本多勝一。
1996年に初版で出ているので、もう15年近く前の本ということになるが、彼が多くの著作をものにしていることはよく知っている。
しかし、この本の論評は「朝日ジャーナル」に収録されたものである。
「朝日ジャーナル」と言えば、私自身がまだ若かりし頃、解りもしないのに粋がって小脇に抱えていたものだが、それが1992年に廃刊になったと言うのだから、本多勝一がジャーナリズムの滅亡と嘆くのもよく理解できる。
この頃から朝日新聞そのものがアカイアカイアサヒと言われたわけで、それは反体制を貫き通したからに他ならないが、問題は、この反体制というポーズは良いことだと朝日新聞が社を挙げてそういうスタンスをとった点にある。
「第4の権力」として政府や行政を監視するという意味で、反体制を売り物にしなければメディアのものが成り立たないと思い込んだ点にある。
この本多勝一と言う人も、常に反体制側に身を置く人であったわけで、体制批判を身上としていた。
体制批判を身上とする限り、それは自分の属する組織までも、反体制の立場で臨まざるを得ず、朝日新聞からすれば飼い犬に噛まれたようなものであろう。
ここで語られている彼の朝日新聞社内の体制批判というのは、ある意味で愚痴と見まごうばかりの低次元の論争になり下がっている。
社内の権力抗争を文章にするとこういう表現でしかし得ないのかと言うぐらい低レベルの言葉のやりとりになっている。
そもそも組織内のおける自分の愚痴を文字で言い表すともなれば、そうそう名文が浮かんでくるわけもなかろう。
彼がこの本の中で自分の愚痴を開陳しようとした、その表現のツールとしての語彙は極めて品のない文言の羅列で、実に品位に欠ける文章だと思う。
彼が他人に対して罵詈雑言をいうのは、彼の考え方の表れであり、彼自身の主観そものであって、それに品のない語彙が使われようとも、それは彼自身の責任である。
彼は自分自身が高潔な人間だと思っているのかもしれないが出てくる言葉は極めて品位に欠けている。
彼のこの作品を読む限り、彼の批判を免れる著名人はおそらく一人もいないに違いない。
この世の著名人は、彼を除いた全部の人が批判の対象になるわけで、彼が正面から悪口雑言を浴びせない人は、おそらく中国人か、北朝鮮の人か、公園を占拠している人畜無害なホームレスのみであろう。
他の人々は彼の悪口から逃れる人は皆無に違いない。
世の中の人をことごとく敵に回して本当に良いのだろうか。
私が思うに、世の中というのは、メディアを賑わしている著名人で成り立っているのではなく、決してニュースソースの種にならないような人々が、黙々と黙ってルーチン化した仕事をこなすことで成り立っているのではなかろうか。
彼は、人の集団、つまり世の中の組織というものを体制側と反体制側に分けてとらえようとしているが、体制側というのはきちんと定められた規則や秩序に従って、ルーチン化した仕事を黙々とこなす人達の集団であって、反体制側の人達は、そういう健気に仕事している人を批判して、規則や秩序を遵守することを妨害しようとするわけで、 この思考そのものが共産主義と軌を一にしている。
今時、共産主義というのも流行らないが、この規則や秩序を遵守することを否定的に捉えて、規則や秩序をきちんと守っていては世の中は一歩も進化しない、と説くのが彼らの潜在的な使命であるわけで、そのためには「武力闘争も辞さない」と言うのが戦前の共産主義者たちの主張であった。
戦後の日本共産党は、その「武力行使を辞さない」という部分を引っ込めたけれども、既存の規則と秩序の破壊は未だに熱望しているわけで、問題はこういう思考をきちんと持った共産党員ではなく、勇気がなくて共産党員に成りきらないが、その主張には大いに賛同するという共産党のシンパの存在である。
今はこういう骨のある共産党員は少なくなってきたので、武力行使だとか革命などと大声で叫ぶ者はほとんどいなくなった。
しかし、今でも既存の規則や秩序を変えて、人々は何もかも平等でなければならない、という極めて共産主義に近い考え方が社会主義という言い方で人々の共感を得つつある。
体制側を批判すると言うことは、「既存の規則と秩序を変えよ」と言っているわけで、それは極めてマイルドな共産主義と言わねばならない。
本多勝一に言われなくとも、この世の人間は統治するものとされるものという選別はあるわけで、統治するものがすべて悪人だという論旨は、非常に大衆受けする命題であるが、言っている本人はあまりにも傲慢すぎるのではなかろうか。
自分があまりにも傲慢なので、人のすることなすことが皆気に入らないわけで、他人への批判となるのではなかろうか。
彼が批判の対象としている人の中には、私も共感し共鳴するケースも無きにしも非ずであるが、その批判の仕方にはあまりにも品位に欠ける面があり、大新聞の記者にあるまじき言辞を弄している。
彼は公然と真正面から人を批判するので、相手からも批判されているが、こうなると議論の争いではなく、シャモの喧嘩に等しく、相手が馬鹿ばかしくなって論争をやめると、勝利宣言をするところなどまさしく正真正銘のインテリ―ヤクザそのものである。
彼の初期の著作に「中国の旅」というのがあって、これで南京大虐殺にまつわる大論争が展開したわけだが、当時、昭和12年に南京で虐殺事件があったことは確かであろうが、それが大であったか小であったかで、その後論争が続いている。
ところが、ここでの問題は、彼の言う「真実」と「事実」に関する禅問答のような思考の展開である。
彼は「真実」という言葉は使いたくないと言って、「事実」を強調しているが、この彼の論理は私に言わせれば少々おかしい。
彼の「中国の旅」が議論を呼んだ点は、この本が中国人の言ったことをそのまま書いているわけで、中国人が言ったことに嘘を加えたわけではなかろうが、中国人の言った言葉が「真実」かどうか、正しいかどうかを考察することなく、言った通りに書いたが故に、日本人の残虐性をことさら強調した作品になっている。
中国人の語った言葉を正直に、そのまま記載したという点で彼は「事実」を書いたわけであるが、その「事実」を「真実」と頭から決めてかかって、「日本人は中国人を虐殺したのだから贖罪の気持を忘れることなく、中国の国益に奉仕せよ」というニュアンスの文章に、批判がないわけがないではないか。
どうして同じ日本人でありながら、同胞を貶めることに贖罪の気持が湧かないのであろう。
これも本人の驕り、傲慢さの成せる技ではなかろうか。
中国共産党が日本憎して1949年の建国以来、反日教育をし、反日キャンペーンを張り続けていた中で、先方の言った言葉のみを真に受けて、同胞の言葉を信じない記者というのは、私ならば許せない。
こういう人の特徴として、ああ言えばこう言い、こう言えばああ言うという風に、そういう術に長けているので、まともな倫理観では御せない部分がある。
黒を白とも言い包め、反対に白を黒とも言い包めるわけで、こういう人間に掛ったら、普通の倫理観は通用しないので、まともなディベートが成り立たないと思う。
体制批判というのは基本的に売国的行為だと思う。
体制というものはおしなべて従順な国民の集合体なわけで、人々が黙って既存の規則と秩序の中で社会生活を営んでいるから、本多勝一のような新聞記者が自分の会社の悪口を言いながらも食っていけるわけで、この体制が崩壊したら反体制を旗印にしている新聞記者など一瞬のうちに粛清されているものと思う。
自分以外のものを全部悪しざまに罵るということは、完全に驕りであり、傲慢さの表れだと思うが、それは同時に人間の品格の欠如でもある。
こういう人たちは、そもそも最初から人間の品格などという曖昧模糊とした価値観に煩わされることもなかろうが、私が不思議でならないことは、こういう人物が世間でもてはやされるという現象である。
メディアを論ずるときによく言われることに、「犬が人を噛んでもニュースではないが、人が犬を噛めばニュースだ」と言うのがあるが、世間では体制側に対して反対のポーズをとることが格好いい姿に映るのかもしれない。
体制側、つまり普通の人が普通に決められたことを普通にこなして、文句も言わず黙々と事に当っているとするならば、それはニュースでもなんでもないわけだが、世の中というのはそういう人々で成り立っているわけで、赤旗を振り回してデモをしている人が動かしているわけではない。
ところがメディアにしてみれば、普通の人が普通に仕事している限り、ニュースソースには成り得ないわけで、なんとしてもデモをしている人が叩かれるか殴られるか殺されるかしないことには彼ら自身が干上がってしまうわけである。
だから反体制のポーズをこれ見よがしの指し示さないことには、彼らの存在価値を失ってしまうことになる。
よって批判というものは、体制側のあらゆる場面に向かうわけで、自分以外は全部敵で、陳腐で、時代遅れで、悪辣で、権力に固執し、金儲けに現を抜かす堕落しきった人間である、という論調になるのである。
彼らは批判することこそが彼らの、つまりメデイアの存在意義だと認識しているが、人の実績、あるいは人の功績、業績、その他あらゆる行為を非難中傷することは一番安易な自己保存の行為である。
自分であるプロジェクトを企画し、立案し、それを計画し、実行し、推進することは並以上の苦労が想定されるが、にもかかわらず果敢にそれに挑戦しなければならないが、批判することはそういう過程をいささかも考慮することなく、意図も安易に批判出来るでわけで、こんなイージーな思考もまたとない。
彼自身、こういう過程を踏んで様々な作品を世に出してきたわけで、出来上がった作品は誠心誠意心をこめたつもりでも、他人から見れば「これは間違いだ」、「これはおかしい」と批判されることもある面ではいた仕方ない。
人は万能ではないので、それはそれで受忍すべきであって、それを全人格を否定されたかのように受け取って反駁しようとするから品のない言葉の応酬になるのである。
問題は、誠心誠意尽くし切った作品ということは、彼の主観、彼のものの考え方の集大成であるわけで、その中に自分たちの同胞を貶める言辞を入れ、相手をおおだてあげ崇め奉り、自分はそういう俗物の上に立つ善人だ、というポーズをするから鼻持ちならない嫌悪感を感ずるのである。
体制側も様々な問題を抱え込んで、それを一つ一つクリア-しながら、実績を積み重ねばならないが、批判する側にはそういう苦労は何一つないわけで、実に安易な行為でしかない。
確かに体制側も万能ではないわけで、計画が杜撰であったり、首脳部が意味もない変更を迫ったり、携わっている人たちが私利私欲で働いていたりと、様々なトラブルを抱え込んでいることは十分に推測できるが、だからと言って体制側を全否定することにはならないはずだ。
彼らのしていることは、そういう寛容の精神には縁がないわけで、体制側のすることは全て立錐の余地もなく悪いことだという言い方で貫かれている。
大の大人が自分の属する組織、あるいは国家の政治に対しても不満が無いなどということはあり得ない。
それは有って当たり前であって、不思議でもなんでもない。
ただ私に言わしめれば、メデイアはそういう不満を取り上げることによって飯を食いつないでいるわけで、だったらそういう不満に対しても敬意を表して、節度を持った接し方をすべきではなかろうか。
自分を批判する相手に対して、罵詈雑言を投げつける反批判というのも、実に情けないことで、節度を持った言葉の応酬が出来ないという点に品位の欠如が露呈している。
自分を批判した相手に対する反批判の下劣な言葉は見るに堪えないものがある。
本人は心に思ったままのことを思った通りに正直に文字にしたと言うだろうが、問題はここにあるわけで、心に思ったことが、ことほど左様に下劣な言い回しであったところが最大の問題点である。
彼の言う「事実」がここにも表れてくるわけで、彼が心の中で下劣な言い回しで思ったことを正直にそのまま表現したからこそ、このように下劣な文書になったという点が大きな問題点である。
心の中で思ったことを、再び心の中で斟酌して、ストレートに書けば人が気を悪くするから、ここは少し控えめにしておこう、ここは少しオーバーに表現しておくというように、「真実」をいくらか曲げても十分に推敲して表現すれば、驕りとか傲慢さというものはかなり歪曲になるものと思う。
ところが彼は何でもかんでもストレートに心に思い浮かんだことを「真実の声」として正直に表現したので、彼の心の奥底に潜んでいた驕りや傲慢さが浮き上がってしまったわけだ。
彼はジャーナリズム、ジャーナリストというものがこの世の至上のものだと思っているようだが、これは彼の思い違いで、情報というものは為政者や統治者、あるいは組織のトップの処世の道具に過ぎない。
そこを履き違えているから彼を批判する人に対して腹が立つのである。
彼は「俺はこんなに良い情報を提供しているのにそれを評価しない」と言って腹を立てているわけで、それは御釈迦様の掌で大暴れしている孫悟空の姿でしかないが、彼はそれに気が付いていない。
彼のオピニオンには彼の主観が入っているわけで、その彼の主観に「世の中の規則や秩序は全てくだらないからこういうものはすべて壊せ」というメッセージが内包されているので、世の人はそういうものを無意識のうちに察知しているに違いない。
彼には世間に対する感謝の気持ちが欠如しているので、全てが自分の敵に見えるのであろう。
哀れな男よ。

「時代劇と風俗考証」

2010-02-15 07:25:59 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「時代劇と風俗考証」という本を読んだ。
正直に言ってまことに難しかった。
かろうじて面白く思ったのは、最後の部分のエピローグのこぼれ話のみであとは非常に難しい話であった。
この本の趣旨はテレビや映画の時代劇において、如何に時代考証を厳密に巡らせて、当時の状況を間違いなく再現するかというところにある。
その為には本物の知識がないことには実物に近づけないわけで、「本物はこれこれだ!」という論考である。
いよいよ春も近づいて雛祭りもまじかになってきたが、それが済むと5月の端午の節句で、武者人形が飾られる。
ところが、あのお雛様や武者人形の調度品にはそれぞれに名前がついているわけで、当然と言えば当然のことであるが、それを全部覚えようとするならば、壁に絵ときを張って日夜眺めながら覚えなければならない。
お雛様の衣装だって、その一つ一つに名前が付いているわけでだし、武者人形だって、その備品一つ一つに名前があるわけで、それを覚えようとしたら相当な努力が必要になる。
私のようにもう半分棺桶に足が入りかけた人間には、今更それを覚えようなどいう気は起きない。
考えても見よ、十二単衣の一枚一枚に名前があるわけだし、武者人形の身に付けている備品一つ一つに名前があるわけで、それが時代とともに変化しているとなると、時代劇を作るときに可能な限り本物に近づけようとする努力は大変なものだと思う。
その一つ一つの名前にそれぞれにそれを表す漢字があって、そういうものは総体的に一括りの知識として覚えなければならないので、とても私のマニュアル・コンピューターでは処理しきれない。
で、そういう漢字は飛ばして読むわけだが、すると幼稚園児が新聞を読むようなもので、まことに不甲斐ない。
しかし、平安時代の女性の洗髪の場面をテレビで再現することには失敗したとなっているが、そのことを思うとやはり不思議な気がする。
百人一首の絵札に描かれている長い髪の女性がどういう風に髪を洗ったのか、ということは非常に興味深い話になる。
もともと昔の人はそうたびたび風呂には入らなかったといわれてはいる。
それは洋の東西を問わず、やはり風呂に入るということは、贅沢な行為ということであったのだろう。
そうかと思うと、他の本では、江戸時代の女性は極めておおらかで、肌を人に見せてもあまり心の抵抗を感じていなかったと述べたものもあった。
これも考えてみれば十分納得の行く話で、人間はもともと裸で暮らしていたわけで、先祖返りをしたに過ぎないということになる。
女性の入浴に関して言えば、江戸時代の銭湯はもともと混浴であって、その頃は我々の羞恥心というものはさほど意識されていなかったようだ。
ところがこの混浴の風習が、文明開化を経た明治維新以降になると、外国人から見て「野蛮な行為だ」と指摘され、意識的に恥の概念が醸成されたわけで、有るべきものを隠すことが普遍化したのである。
羞恥心というもの、つまり公衆の面前で裸体を曝してはならないということが、御上の命令で普遍化したということで、それが新しいエチケットして定着したということなのであろう。
そう考えると、百人一首の絵札に描かれている女性の十二単衣という着物は、見せるためのファッションではなく、あくまでも保温のためのものではなかろうか。
百人一首の絵札には華麗な姿で描かれているので、我々はそれをビジュアル的に捉えて、人に見せるためのファッションと見做しているが、基本的には保温のためのファッションなのではなかろうか。
彼女たちの住んでいた家についてもこの本では考察されているが、寝殿作りといったところで、開けっ放しで、簾や屏風でプライバシーを獲得するといった見たところで、夏はともかく冬は寒風が吹きぬける寒い住まいだったに違いない。
そこに描かれている女性は、いづれも貴族の女性なので、労働をすることはなく12枚も重ねておれるであろうが、身を粉にして働かねばならない下々のものは、ああいう恰好とは無縁であったに違いない。
で、ここで私流に考えを深めると、あの時代の律令制のもとで、身分制度が厳しいことは解らないでもないが、その身分制度が一人一人の行動まで律するということは、どう考えたらいいのであろう。
つまり、登庁するときと、自宅でくつろぐ時にも、階級による統率から免れず、位階に従って立ち居振る舞いが管理されるということは、我々には極めて不可解なことに映る。
平安時代、室町時代というは、今ほど時代の推移が早くなくのんびりしていたので、そういう服装規定のようなくだらない話を延々と言い合いながら時を過ごしていたということなのであろうか。
雛飾りの中に牛車が飾られているのを見るが、あの牛車というのが日本ではあまり発達しなかたっというのだから面白い話だと思う。
しかも道路整備が整った洛中のみで使われて、洛外に出るときは輿を利用したという話は、非常に興味あるものであった。
私のイメージではどうしても西部劇の馬車を思い描いて、それとの比較にならざるを得ないが、そうなるとてんで次元の違う話になってしまう。
西部劇の馬車は速さが生命であるが、我が方の牛車は、何処までいっても社会的なステータスであって、持っていることを誇示するだけのものであったようだ。
実用性というのは端から除外されている。
位階による行動規範の管理から、実用性の微塵も見受けられない牛車の使い方に至るまで、これらは全て形式主義そのもので、実用性というものが全く存在していないということである。
これを21世紀の我々はどう考えたらいいんであろう。
そういう無意味なことこそ文明であり文化が熟成したということなのであろうか。
歴史の研究という場合でも、研究者の視点は王朝文化や為政者の意向のみを追い求めて、誰それがこう言ったああ言ったという話が主流であって、その間に生産方式が如何に合理化に向かったかという話はマイナーな研究と見做されている。
基本的に、政治の研究、歴史の研究ということは、誰それがこう言ったああ言ったという話に尽きるわけで、その話を裏付ける書面が見つかったときは鬼の首でも取ったように優越感に浸るわけである。
本来、歴史というものが人間の生き様を問うものであるとするならば、生活様式の合理性の進化を探らなければならないと思う。
寝殿作りという壁のない柱だけの家の中で、寒風吹きすさぶ中、簾や衝立でプライバシーを保護する不便な生活から如何に脱出したかの話の方が明らかに面白いと思う。
我々は日々の生活の中で、不便だなと思う瞬間に次なる合理化のアイデアが頭の中をよぎるわけで、その全部が具現化するわけではないが、百の中の一つ千の中の一つが具現化することによって、少しずつ進歩してきたものを思う。
この本の中には出てこないが、私は、我々日本人の正座ということに非常に興味がある。
この正座という座り方は一体何時頃から出てきたものであろう。
この本には平安時代から室町時代までは女性は、片足を立てた胡坐座りをしていたようで、『チャングムの誓い』に登場する昔の朝鮮の女性と同じであるかのように記されている。
正座という座り方は、ある意味で拷問に近いものを感じるのは私だけだろうか。
私は個人的に正座を長い時間することが出来ない。
平安朝時代の我々の同胞も、昔の朝鮮のように男も女も胡坐座りであったようで、人間の姿勢としてはこの方がよほど無理がないように思える。
日本で何時頃からこういう正座が人々の間に広まったか甚だ不思議であるが、この習慣の推移はただ単に行儀の善し悪しだけではなく、他の要因が潜んでいるような気がしてならない。
確かに正座の方が端正に見えるし、品良く見えるけれども、それは衣服がだんだん短くなると、素足というか脛を隠す必要からこういう姿勢が普遍化したのだろうか。
これはあくまでも私の勝手な推測にすぎないが、平安時代の貴族は、長い裾の着物を着ていたわけで、その中では胡坐座りしていてもさほど品位が問われることもなかったに違いない。
そもそも胡坐座りから正座に移行するときには大きな価値観の変革があったに違いない。
人々の美意識が大きく変化したのではなかろうか。
現代の我々の生活は極めて西洋風に近い生活をしており、家の中でも椅子の生活が多くなったので、正座をする機会というのは大幅に少なくなった。
しかし、昔も今も正座が拷問に近い姿勢ということには変わりないと思うが、それに慣れた人は何の苦痛も感じないだけのことで、人間の自然の姿にとっては極めて異端なポーズではないかと思う。
華道や茶道の世界では今でも正座が基本のようであるが、その中には合理性というものは微塵も存在せず、ただただ形式美のみを追い求めているにすぎない。
文化というものは、ことほど左様に日常生活の中で屁のツッパリにもならないことを、ああでもないこうでもないと言い募って暇をつぶすことなのであろうか。

「海賊の掟」

2010-02-12 08:20:51 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「海賊の掟」という本を読んだ。
「海賊の掟」などという題名を目にすると何となく少年のころ読んだ冒険物語を想像してしまう。
しかし、この本は海の安全を願う真面目な本であった。
海賊というものは一言で行ってしまえば人間の生誕とともにあり、人間が船を利用するようになると同時に生まれ、それが21世紀の今日まで生き残っているということである。
別の言い方をすれば、人間は体制と反体制のどちらかで生きているわけで、きちんとした政治システムの中で統治されつつ生きている人と、そういう統治の枠に入り切らずに生きている人たち、というように2種類の人間が生存するということだと思う。
体制の枠の中で生きている人は、それなりにおとなしく素直な人たちなのであろうが、枠の外で生きている人たちは、既存の秩序という束縛に絡められることが性に合わないわけで、唯我独尊的に好き勝手に生きているということであろう。
しかし、秩序を尊重して生きている人からすると、そういう人たちの存在は大迷惑ということになる。
にもかかわらず、人間の生き様という視点からすれば、秩序の順守ということは人々が無駄に思い患うことのないようにミニマムのルールを編み出した結果であって、その枠の中でルールを守って生きている限り、トラブルを最小限にできるというある種の工夫に過ぎず、同時に相互扶助でもある。
ところが、この枠の外で生きようとすれば、すべてのことが自己責任に直結しているわけで、文字通り弱肉強食の世界に直接的に身を曝すということである。
昔は統治の機能が不十分であり不完全であったので、その規制の網を掻い潜ることも可能であったが、昨今ではそういうことも非常に困難になってきたので、通常の秩序の枠の外で生きるということは、かなり難しくなってきた。
よって現代の海賊は普通の街の犯罪者と同じ感覚で見られるようになってきていると思う。
海賊行為が犯罪だという認識も相当に新しい認識であって、人間が誕生以来犯してきた犯罪の中で海の上で行われる行為のみが海賊という範疇で語られる。
普通の陸地で行われる犯罪行為は、山賊であったり夜盗であったり、盗賊であったりと、これも人類誕生の時から同じように繰り返されてきた。
海賊にしろ、山賊にしろ、そういう行為が犯罪として非難される根本原因は、そういう行為が既存の秩序に反し、統治のルールに反し、平和に暮らしている人々の人心を混乱に貶めるから、為政者から糾弾されるのである。
しかし、自分のしている行為が他者にいかなる影響を及ぼそうとも、自分自身は生き延びねばならないわけで、自己保存のために選択する手段が、合法的かどうかは実行者には関係の無いことに違いない。
実行者にとっては、自分のしている行為が合法的であろうが無かろうが、自分自身が生き延びねばならないわけで、その意味で生きんがための海賊であり山賊であるということになる。
この本の出だしも、ソマリア沖の海賊の話から展開しているが、ソマリアでもマラッカ海峡の海賊でも、その海賊の出る背景には貧困があると述べているが、普通に聞けばもっともな話に聞こえる。
大昔から、海賊や山賊が出る背景には貧困があることは自然の流れであるが、そもそも貧困とは何であるか、という定義から始めなければならないと思う。
アメリカをはじめとするヨーロッパ系の先進国は、ある日いきなり突然変異で文化的な先進国になったわけではない。
こういう先進国も、あるいは我々日本民族も、ソマリアの人々と同じ、あるいはマラッカ海峡のインドネシア側の人々と同じ時間、つまり同じ長さの歴史を持っていることを忘れてはならない。
人類誕生の時から数えて、全く同じ時間経過を共有しているわけで、ヨーロッパや日本だけが時間的に先に進んだわけではない。
歴史的な時間の経過という意味では、地球上に住む人類は皆同じ歴史を共有しているわけで、皆同じ時間を天の盟主から戴いているのに、文化的に大きな格差が生じるということをどう考えるべきなのであろう。
21世紀にいたってもソマリア沿岸の人々は貧乏なので海賊をする、マラッカ海峡のインドネシア側の人々も貧乏なので海賊行為に走る、だからこの地球上から貧乏を無くせという論理は、あまりにも荒唐無稽だと思う。
同じ時間を共有しながら、方一方は先進国になり、もう一方は先進国になりきれず海賊をしなければ生きれない、という現実がどうして生まれたのか考えるべきではなかろうか?
こういう人々は、基本的に近代的な市民感覚を持ち合わせておらず、だからこそ倫理的にも、近代あるいは現代の社会的なルールを無視し続けるわけで、ただただ人間の形をした動物に過ぎない。
ところが、世界の中の先進的な進歩的知識人といわれる人々は、人権意識を振り回して、こういう人たちも我々と同じ価値観を持った人間として扱うことに固執している。
そういう扱いは、確かに人間の善意に満ちた気高い思考であるが、これはこれで自己満足に嵌っているわけで、彼らに対してドル紙幣をバラまけば、貧困に伴うトラブルが解消されるかとなると、そう安易に解決されるものではない。
前にも述べたように、こういう人たちは倫理の枠、秩序の枠の外側で生きており、統治の枠外で生きているので言って聞かせれば治るというものではない。
彼らにしてみれば、それをしなければ生きておれないわけで、それでは真面目に秩序を守り、法に従って動いているありきたりの人々はたまったものではない。
この本を読んでみると、地球上の数ある為政者の中には、こういう海賊を手なずけて自国の富の蓄積に利用しようとした例もあるわけで、基本的に富の収奪には人間の倫理観というのは何の突っ張り棒にもならないということだ。
今流の解りやすい表現で例えれば、国家が海賊を支援してその上前をピンハネしたということになる。
そのことは言い方を変えると、為政者であっても、海賊行為という犯罪性に対して極めて甘い認識しかもっていなかったということに尽きる。
それはそのまま大航海時代の帝国主義による植民地経営の理念に直結しているように思える。
つまり富の収奪のためには如何なる行為をしても許されるという、極めて素朴な富への執着であったものと推察せざるを得ない。
為政者による海賊行為の容認も、植民地経営による富の収奪と同じレベルの意識でしかなかったわけで、海賊行為そのものが忌むべき行為という認識が、まだ醸成されていなかったということなのであろう。
ここで非常に面白い記述に直面した。
それは日本の海賊を述べた部分で、倭寇には偽倭寇があって、朝鮮人や中国人が日本人の身なりをして海賊行為をしていたということであるが、これはそれらの国々が有史以来、日本を食い物にしてきたれっきとした証拠だと思う。
最近の日中あるいは日韓の諸問題、例えば従軍慰安婦問題でも、南京大虐殺の問題でも、彼らは自分たちの言い分のみを声高に叫んで、一方的に言い捲るのみで、こちらの言い分を全く聞こうとしないが、倭寇に関してもそういう面があるということは、はなはだおもしろい点だと思った。
倭寇というのは本来日本の海賊であったが、中国人や朝鮮人が倭寇の振りして海賊行為を行えば、その悪行を日本側に押し付けることが可能で、実に狡猾な手法である。
ソマリアの海岸に住む人や、マラッカ海峡のインドネシア側に住む人々も、我々と同じ時間、同じ歴史を共通しているが、彼らが何ゆえに今日に至るまで貧困にさいなまれているのか考えるべきだと思う。
それは彼ら歴史の中にこそ、その理由が潜んでいるわけで、人々がその地で生き続けるということは、何代も何代もその地で生きてきたわけで、その人々の歴史の中にはその地に住む人々の考え方そのものが伝承されていると思う。
その考え方の中に、封建主義的な伝承、伝統、あるいは習慣というようなものが、人々のものの考え方を規定しているようなものがあるとするならば、彼らのものの考え方は進化しないことになる。
地球的な規模で見れば、西洋列強のように進化した地域は、自分たちで新しいものを考え、その新しいものの考え方を実践し、常に古いものの考え方を打ち破るという挑戦をし続けてきたわけで、こういう人々が次から次へと新しいものを取り入れてきた結果として、他よりも抜きんでたわけである。
海賊、山賊、人のものを掠め取らねば生きれない、ということは自ら新しいことに挑戦する勇気を持っていないわけで、何時も何時も人が作ったものを横から掠め取ることしか、彼らの頭脳が働かないわけである。
自分で新しい物の考え方に挑戦せずにおいて、他の者が作り上げ、築き上げ、成果を出しつつあるものを横から掠め取る生き方をしている限り、何時までたっても脱皮できないわけで、それが今のテロの温床になっているのではなかろうか。
ものを作り、それを遠く離れた地域に売り込みに行くということは、実に大変なことで、そういう地道な努力をショートカットしようという発想そのものが、貧乏から脱しきれない根本問題である。
古い考えからの脱出を拒んでいる要因や理由は様々あるのであろうが、その中でも最大のものが恐らく宗教であろう。
宗教の中でも日本の神道以外のものには恐らく教義というような核になる哲学を秘めているはずで、その部分に考え方の柔軟性が欠けていると、その頸木から脱することは難しく、何時までたっても近代化の波に乗り切れないと思う。
思考の奥底では精神の近代化を受け入れないが、日々の生活の中では便利な文明の利器を使うことに躊躇しないわけで、自分が便利だと思えば、その時は迷うことなく宗教の奥義を捨て去り、近代文明の利器を使いこなすわけである。
つまり敬虔なイスラム教徒を自認しながらで、その時々の都合に合わせて宗教の奥義を使い分けているということである。
これが海賊の生き方であると同時に、今世界中を困惑させているテロリストの生き方とも相通じるものがある。
テロリストと海賊の違いは、行為を行う時に大義を掲げるか掲げないかの違いのみで、大義を掲げればそれはテロリストの行為となるだけのことである。
現代の海賊を論ずるとき、どうしても海賊行為をする側にのみ視点が行ってしまうが、その裏側に襲われる船の側にも大きな問題があるようにも思う。
というのは、今の船舶というのは極めて合理的に運用されているわけで、その大きさに比べてその船を運用する人間の数が極めて少ないように思う。
操船のための機器も自動化が進み、少人数で大きな船を動かすことが可能なわけで、乗組員の数も極めて少人数で運用しているはずだ。
こうなると航行中の不慮の事故に際しても対応が十分に回らないわけで、いきなり襲いかかる海賊に対しても手の施しようがないという事態になる。
今の海賊は大きな船で襲いかかるのではなく、小さな船で襲いかかり、火器で乗組員を抑圧し、目的を果たすわけで、事前に小さな船が寄ってくることを察知しさえすれば難を免れると思うが、その時に見張り勤務というのが人手不足で疎かになっているから襲われるのではなかろうか。
近代化ということは合理化との戦いであって、巨大な船を動かすのに少人数で済むということは、海賊にとってみれば獲物はたやすく見つかり、仕事は安易になったということである。

「ぼくはアメリカを学んだ」

2010-02-11 07:52:58 | Weblog
例によって図書館のヤングコーナーから借りてきた本で、「ぼくはアメリカを学んだ」という本を読んだ。
著者は1972年生まれなので現在は38歳ということになるのだろうが、読み終わってどうも変な思いがしたものだ。
高校時代は落ちこぼれで、アジアを放浪して歩いた人間が、UCLAを出て学者になった、というのだからある種のサクセスストーリーなのであろうが、そういう華々しさが漂ってこない。
こういう世代は、私達オールド世代から見ると、何とも危なっかしく、掴みどころのない存在に見える。
高校時代は落ちこぼれという点では同じ境遇の身として共感を得やすいが、そういう中で自分を鍛えるというか、現実逃避というか、放浪の旅に出るという部分で、なんとも不可解な思いがする。
わずか17歳でというか、17歳にもなってというか、青春まっただ中にいながら、何も目的が見つからず、現状から逃避しようという心の持ちようが何んとも現代的のように見える。
この世代ならば、大いに迷い、大いに挫折し、大いに奮い立つのが青春であって、目の前のあらゆるものに挑戦し、時には跳ね飛ばされてしっぺ返しを食いながら、生きているものではなかろうか。
この年頃の若者で、将来をきちんと見据えて、その目的達成のために綿密に計画を立て、確実にそれを実行するような若者がいたとするならば、逆にその方が末恐ろしく気持ち悪く思う。
この世代の若者の心理というのは、如何にも不安定で、迷いに迷っている姿こそ本物の若者であろうが、何も目的がなく、ふらりと何処に行くという目的もなく旅に出るという心理は不可解千万である。
それこそ若気の至りということであろうが、こういう無責任、無目的な行為が出来るということ自体、他人の善意にすがっているわけで、別の言い方をするならば人の好意を食い物にしているということである。
そのこと自体に本人が気が付いていないということである。
私個人としては、そういう人間を好きになれないし、友人にもしたくない部類の人間だと思う。
唐突な話であるが、何処の国の軍隊でも軍隊である以上、こういう世代の人間の集合であるが、軍隊に身を置く人間には、こういう考え方の人間が一人もいないと思う。
軍隊の存在理由というのは言うまでもなく戦争に勝つための存在であって、彼らはその目的のために日夜訓練に励んでいるわけで、無目的、無目標、何をしていいかわからない、何処に行けばいいのかわからない、などという曖昧な行動は寸分ともあり得ないわけで、私個人としてはこういう世界が好きだ。
人はいくら自分がなりたいと思っても、思うようになれないのが普通であって、それでも精一杯その目標に向かって努力するのが普通の若者の生き様だと思う。
自分がいくらなりたいと思っても、さまざまな要件がその希望を阻むわけで、そのたびに挫折を繰り返すという意味で、若者の生き様は紆余曲折を経ることになる。
にもかかわらず、目の前の目標に全力で突進するところが若者の若者たる所以だと思うが、何の当てもなく、ただただぶらぶらとあっち行ったりこっちに行ったりと時間を浪費するような生き方は褒められるものではない。
そんなことではその後の人生がまともになるわけがないではないか。
金がないので、行きあたりばったり人の好意に甘え、人の善意を食い物にして、ほっつき歩いたとしても、本人はそれで面白く楽しいかもしれないが、ただただ善良な人を食い物にしているだけである。
こういう人間が最後には学者になるのだから、そういう意味ではサクセスストーリーであろうが、その専門分野がアメリカの中の差別を掘り下げた研究というのだから、なんとも不可解である。
アメリカにはネイティブな人々、つまりインディアンが大勢いることは承知しており、そのインディアンが差別されていることも知識としては知っている。
しかし、彼はそういう人と交わって、それを研究対象に選択したわけで、これも意地悪な言い方をすれば、そういう人たちを食い物にしたということが言える。
インディアンと生活を共にすることで彼らを理解することが研究には大いに役立ったであろうが、研究したからと言って、彼らの生活を向上させることには至らないわけで、ただただ研究材料にしたに過ぎない。
この地球上には人類学的な民族が果たしていくつ存在するのか定かには知らないが、この本の言うところによるとアメリカ大陸には500以上のネイティブとしての種族があるとなっている。
こういう人々の生き様というのは当然のこと地勢的な条件によって大きな影響を受けていると思う。
例えば、アメリカのネイティブ・インデイアンはアメリカという大地の地形、気候、風習によって、彼ら自身の生き様を律していたに違いない。
そのことは言い方を変えれば、彼らは彼ら自身の価値観を持って生きてきたわけで、そこにヨーロッパからの移民が入り込まなければ、彼らのユートピアはその場で完結していたに違いない。
ヨーロッパから人々が大挙して他の地域に進出するという現象がなければ、この地球はしごく平穏のまま人々は平和に暮らしていたかもしれないが、ヨーロッパで文化文明が興隆してくると、そのエネルギーは全地球方向に噴出しだした。
こういう流れが無くとも、人類は徐々に少しずつ進化していったかも知れないが、ヨーロッパのみが文化的に突出してしまったので、その影響が急速に他地域に広がってしまった。
日本もそういう影響をモロに受けたことになるが、我々はそれに対して比較的上手に対応した。
アジアの人々は、日本ほどうまく対応できなかったが、それでもネイティブ・アメリカンよりはうまく対応した。
それに比べるとネイティブ・アメリカンの対応は実に稚拙であったわけで、結果としてアメリカの大地をヨーロッパ人の末裔に乗っ取られてしまった。
現在のアメリカでは、ヨーロッパから移住してきた人々の末裔が完全に牛耳っているわけで、ネイティブ・アメリカンの末裔はアメリカの繁栄にいささかも貢献していない。
我々の言葉には、「庇を貸して母屋を取られる」、という諺があるが全くその通りであって、最初にヨーロッパ人がアメリカにたどり着いた時、その地にもともと住んでいたネイティブ・アメリカンは、疲れ切って息絶え絶えでたどり着いた彼らに食料を与え、暖をとらせ、温かく迎え入れたが、歴史は彼らの温情に報いることをしなかったわけで、社会の隅に追いやってしまった。
私が常々不思議に思うことは、ヨーロッパ人はその時点で銃というものを持っており、その威力は原住民の目から見るとまさに驚異的であったと想像するが、地球的な規模で見て、それと同じものを自分たちで作ろうと考えた民族が日本人以外に無いということだ。
これは人間の進化を考える上で実に不思議なことだと思う。
日本人は猿まねの民族、何でもすぐ模倣する民族という風に、悪い印象、卑下した目線で語られているが、この真似をしようとする民族、良いものはすぐに見習おう、良いものはすぐ同じものを自分たちで作ってみようという発想が他の民族にはまるで無いとうことはどういう風に考えたらいいのであろう。
ヨーロッパのキリスト教文化圏の人々は確かに優れていて、新しい思考、斬新なアイデア、高遠な哲学というものを実に深く、広く掘り下げているが、ヨーロッパ以外の地に住む人々が、それと同じことをする文化的な基盤を持たなかったとしても、便利なものは誰が見ても便利なわけで、ならばそれを真似をしよう、同じものを作ってみよう、という考えぐらいは誰かが思いつくのではなかろうか。
今、我々が立っている21世紀という状況から、地球上に住む未開な民族のことを考えると、アポリジニとかアフリカのマサイ族とか、アマゾンの奥地の名も知らない人々の生き様というのは、我々が考えているほど悲惨ではないかもしれない。
腰蓑一つで、一本の槍のみが全財産であるとするならば、こんな幸せな生き様も他にありえないわけで、ならば何もあくせくと働いたり出世を願う必要はないことになる。
我々は、尽きせぬ欲望を抱えているから、金が欲しい、出世がしたい、大きい家に住みたいということになるわけで、そういうものを全否定すれば、生きることは極めて安易な行いとなる。
今の日本は、身の回りにあまりにものが豊富に出回っているので、逆に何も欲しくないという傾向が強まり、若者が無気力になっているものと考える。
ヨーロッパから新大陸アメリカに渡ってきた人々は、最初に渡ってきた清教徒のような心の清らかの人たちばかりではなく、明らかに心が邪で、富の収奪を目的とした不道徳な人々も、当然、大勢いたわけで、それに対してネイティブな人々があまりにも無抵抗であったわけだ。
ネイティブな人々も、自分たちの大地の中で、お互いの小競り合い程度の紛争は常に抱えていたに違いなかろうが、キリスト教文化圏というような異文化との接触には、まさしく想定外の出来事であったに違いなく、その対応を如何にするか甚だ苦慮したに違いない。
この時点で、ヨーロッパから来た人たちは銃を持っていたわけで、そういうものを目の当たりにした時、彼らの側にそれと同じものを自分たちで作ろう、作ってみよう、研究してみようという発想が全く湧いていないという点が、彼らのその後の生き様を決定つけたものと私は考える。
アメリカという大地に、ネイティブな人々の末裔と、移民してきた人の末裔が混在して生活するとなると、その中では文化的な相違がまだら模様になるわけで、両者で価値観が全く違うとは言うものの、お互いに影響を与えあうことになる。
ところが、文化的な意識が弱い方は、人間の本質的な素朴な欲望に抗しきれず、何処までもアリ地獄に堕ち込んで、這い上がれなくなってしまうという点にある。
ネイティブな人たちが人種のるつぼの中で自信を持って活動できれば、落ちこぼれるということもなかろうが、基本的に彼らは何らかのハンデイーを背負っているので、結果的に落ちこぼれてしまう。
行くつく先がドラッグとかアルコールとなるわけで、悪のスパイラルに嵌り込んでしまい、蟻地獄に突き落とされるということになる。
彼らの背負っているハンデイーというのは恐らく自分たちが白人ではない、ネイティブの血を引いているというコンプレックスではないかと思うが、アメリカは基本的には自由の国なわけで、今のオバマ大統領の出現でもわかるように、やろうと思えば何でも実現できる可能性を秘めた国だと思う。
今のアメリカで成功した人たちでも、もとはと言えばガレージで事業を始めた人が大部分なわけで、そういう意味ではネイティブだから成功できないという言い分は成り立たないと思う。
人間が本来基本的に来持ち合わせている思考としては、苦難と安逸を目の前に提示された時、どちらを選択するかと言われれば、誰でもが安逸の方を選ぶわけで、その意味で文明の利器というのは誰にとっても便利な道具であって、安易にそれを利用する。
自分の家に行くのに、馬やロバでとぼとぼと移動するよりも車を利用した方がはるかに楽で便利なことは誰でもが認めることであるが、ならばその車は誰がどういう風にして作っているのか、ということには全く無頓着でその先の思考が止まってしまっているのである。
これが彼らネイティブの人々がアメリカ社会の片隅に追いやられた最大の原因だと思う。
こういう現状を目の当たりにした部外者は、彼らの境遇を何とかしなければと善意で以て啓蒙し続けるが、こういう社会的な偏見はそう安易に治るものではない。
この世に生きた人間は、感情というものを一人一人が持っているわけで、その全人類が等しく持っている感情に、偏見を一斉に無くせと号令を掛けたとしても、それが実現することはあり得ない。
生きた人間に対して、「あいつを可愛がれ」、「あれを憎んではならない」、「あいつを愛せよ」と他者がいくら説いたとしても意味を成さないわけで、人が群れをなして生きている限り、偏見はなくならないと思う。
好きなものは理由の如何に関係なく好きだし、嫌いなものもそれと同じで、理由の如何に関係なく好きになれないわけで、これは如何ともし難いことである。
教養のある人たちは、そういう悲惨な状況に置かれた可哀そうな人々を救済すべきだ、と声高に叫ぶことによって、自分を偽善者に見せかけているが、アポリジニとかアフリカのマサイ族とか、アマゾンの奥地の名も知らない人々に、自分たちと同じ生活態度をするように強制して見たところで、それは彼らの救済にはならない。
むしろ彼らの周囲から近代的な文化を遠ざけることこそ彼らの幸福に寄与する行為だと思う。
アメリカの先住民に対する施策では、彼らのテリトリーを厳格に管理して、その垣根をもっと高くして、彼らの自治を尊重することだと思うが、恐らくそういう施策を彼ら自身が喜ばないだろうと思う。
仮に人間の集団を、種族、部族あるいは民族という括り方をしたとしても、お互いの生存競争の中では、自然淘汰という現象があるものと思う。
弱肉強食というとあまりにもえげつない表現であるが、地球上に存在する人種でも、自然淘汰で消滅する民族もあるという現実に冷静に立ち向かうべきだと思う。
ネイティブ・アメリカンをスペイン人が殺戮したという場合も過去にはあったが、それとは別の次元で、ネイティブ・アメリカンが自ら消滅の道を歩んだという場合も大いにありうる。
ネイティブ・アメリカンの人々に、現代人として我々と同じ価値観を持てと言っても、彼らの長年の習い性ではそれと同じことができないわけで、結果として落ちこぼれ、ドラッグやアルコールに依存するということになってしまう。
それは他者がそういう道を強制したわけではなく、彼ら自身がそういう道を選択するということである。
彼らの中から、今のアメリカ社会に自らを嵌めこんで、彼らと同化して、彼らと同じ努力を重ね、彼らと同じ価値感を持つとすれば、彼らと同じような成功の道はあると思う。
アメリカ社会には偏見があることは歴然としているが、アフリカ系の黒人は苦しい環境を生き抜いて、その偏見を乗り越えようとしている。
ネイティブ・アメリカンの人々にとっても黒人と同じ道は開かれていると思う。
何といってもアメリカは自由の国なわけで、成すも成さぬも本人次第であるから。

「ルート66」

2010-02-09 07:48:57 | Weblog
図書館から借りてきた本で、ニューヨークの本を読んだ後、何の気なしに書棚を見たら、「ルート66」という本が目に付いた。
私が最初にアメリカ旅行をしたのが2000年の3月のことで、この時はラスベガスからグランド・キャ二オンを回ったおり、その時このルート66をほんの少しかすめたことがあった。
ルート66と言えば、私のような軽佻浮薄のアメリカかぶれには忘れられない思い出がある。
言うまでもなく、あのナットキングコールの歌と、昔のテレビ映画「ルート66」そのものである。
この本によるとナットキングコールの歌の方は1946年にホビー・ドループという人によって作られたとなっており、テレビ映画の方は1957年に製作されたとなっている。
1957年と言えば日本の言い方では昭和32年、私の年で丁度高校を終えるか終えない多感な時期に放映されたということになる。
この歌とテレビ映画との関連は定かには知らない。
このテレビ映画の主題歌であったのかどうか、そのあたりのことはよく知らないが、このテレビ映画「ルート66」は当時の若者の心を大いに魅了したことは確かだと思う。
バドとトッドという若者がシボレー・コルベットを駆って、道中でさまざまな出来事に出合いながら旅をするというストーリーであったと記憶する。
私は軽佻浮薄なアメリカかぶれを自認しているが、自分の目で初めてアメリカを見たのは2000年、平成12年であったが、その時見たアメリカは私のイメージを壊すものではなかった。
しかし、テレビの画面でしか見たことのないアメリカの光景と、本物のロケ―ションはやはり違っていて、本物に圧倒される思いがしたものである。
この時は観光旅行だったので、ガイドに案内されてバンでの移動であったが、窓外に見える光景は、これぞアメリカだと思わせるものであった。
テレビ映画をよく見ていたので、大体の想像はできていたが、やはり国土の広さを実感したものだ。
それが如実に現れるのが道路であって、日本の道路とは大いに違う。
この相違は、日本とアメリカという地勢的な要因で、なんともいた仕方ない面があるが、我々の国ではあらゆることが箱庭的に細やかにならざるを得ない。
そこに行くと、アメリカの大地はやはり大きくて広くて天に突き抜けるようなおおらかさがある。
我々の国土は狭いうえに急峻な山に囲まれているので、道路もその山を這うように縫うように作られているが、アメリカでは先が見えないほど一直線に伸びており、道は上下に浮き沈みしているが、我々の場合は左右にそれこそ紆余曲折している。
このアメリカの道路も自然にできたわけではなく、人々が知恵と汗をかき集めて築いたわけで、そういうことを成し遂げるところがアメリカ人の偉大な所だと思う。
アメリカ大陸に渡ってきたヨーロッパの人々は、結果的に大西洋から太平洋に至るまで鉄道を引き、道路を作ったわけで、こういうことが何故その地に有史以来住み続けてきたネイティブな人たちには出来なかったのか不思議でならない。
道、道路の有用性については、古代ローマの時代にすでにそのことは解っており、ローマ帝国はそれを取り入れて、道の整備を怠りなく行っていたわけで、それは生活道路であると同時に軍用道路でもあったわけで、人類の思いつくことは案外似たり寄ったりの部分があるということだ。
私の浅薄な知識によると、朝鮮民族は近代化がすぐそこまで迫ってくるまで、道路の重要性には全く無頓着であったという風に聞いている。
そういえば韓国のテレビ映画「チャングムの誓い」に出てくる集落の場面には、道らしい道が描かれておらず、野っぱらの中の小屋掛けという感じの民家が雑草の中に見え隠れするという風に描かれている。
それから察すると、彼の地では道路の有用性というものが近代にいたるまで見直されたことがないらしい。
その点、我々の国は大昔から5街道の整備ということがあったわけで、道に対する認識は一歩進んでいたように思う。
とはいうものの、戦後の、しかも21世紀という時代になると、我々の国では道路が大きな社会問題と化した。
例の高速道路無料化の問題で、民主党政権はこれをマニフェストに掲げて見たものの、いざ実行に移す段になると、様々な問題が噴出してきた。
私の考えでは、基本的に道路は無料にすべきだと思う。
しかし、日本のような狭い国土に車があふれるほど集中するとなると、その交通渋滞を放置しておくわけにもいかない。
よってバイパスを作って車の流れを分散させる手法をとらざるを得ず、そこで渋滞に巻き込まれずに目的地に行けるという経済効果が生まれ、付加価値のついた道路の建設ということが出てきた。
それと合わせて、用地買収の減価償却を利益者負担で解決する、という2重の意味で有料にせざるを得なかったに違いない。
アメリカの場合、砂漠の真ん中に一直線に道路を作って、後からその道路に人が集まるというのではなく、我々の場合は、人の住んでいるところを次々と結んでいかねばならず、尚そのうえ既得権の田や畑を犯すことなく、避けて通さねばならずアメリカと同じ発想ではありえない。
21世紀の今日、道路と言えば必然的にクルマのため道路ということになるが、こういう過去の発想はもう時代遅れではなかろうか。
今、都会の中での車での移動というのは完全に機能を喪失しており、メリットは何一つあり得ない。
大きな荷物とか重い荷物があるときはいた仕方ないが、身一つで移動するときは車のメリットは完全に失われている。
にもかかわらず人は車に乗りたがる。
私たちの世代が「ルート66」のテレビ映画に夢中になった時代は、わが国ではまだまだモーター・リゼイションに至ってはおらず、車を持つということは社会的なステータスであり、羨望のまなざしであり、大きな夢であった。
ところが今では自転車代わりぐらいの感覚で、ゴミを捨てに行くのにもそれを使っているわけで、完全に移動の道具になり下がってしまっている。
思えばこの間、約60年という開きがあるわけで、私のような人間までが車に乗っているということは、それだけでもう相対的な価値が下がったということであり、それが道路という道路からあふれているわけで、ならば有料で以て新たな価値観を提供する道路が出来ても不思議ではない。
私は常々思っていることであるが、鉄筋コンクリートの道路というのは、恒久的な施設であるわけで、そうたびたび改修工事をするものではない筈である。
ならばそういう施設には複数の目的を併せ持ったというか、多目的・多用途の複合施設のような発想が出来ないのかということである。
どこかの国では高速道路を戦闘機の発着に利用して、国防に資するということをしていると聞いたことがあるが、我々の国ならば海に囲まれているので、護岸堤防と道路を兼ね合わせることなどは当然考えられてしかるべきだと思う。
海岸や河川で、護岸工事は護岸工事で行い、その下に同じように道路工事をするなどということは実に無駄なことだと思う。
当然、道路の下には電話、電気、上下水道、ガス管というような社会的なインフラを集中的に埋設して、メンテナンスもそこで同時に行えるようにするなどというアイデアが出てもよさそうに思う。
昨今の東京の地下鉄は大いに整備されて実に便利になったが、この地下鉄についても、もう少し多用途に使う方法を考えてもいいのではなかろうか。
せっかく高いお金を掛けて地下にトンネルを掘るのだから、そのトンネルを地下鉄のみの単一使用ではなく、各種のインフラ整備にも合わせて使えるように工夫されても良いように思う。
例えばレールの下に電気や水道、ガスの管を敷設するなど、多用途に使えるよう工夫が施されてもいいと思う。
所管官庁が縦割りになっているのでそれは不可能だ、という言い分は実に思慮に欠けた物言いで、そんなことは最初から解っているからこそ、それを打破しなければならないわけで、それを推し進めるのが行政改革の理念ではないのかということだ。
今の日本で道路の事を考えるならば、鉄道との関係を十分に掘り下げて考えるべきだと思う。
例えば、車を列車に積んで都市間の移動は鉄道によるという方法を真剣に考えるべきだと思う。
高速道路の無料化も、東名・名神は除外されそうであるが、無料化になると有象無象の大衆が我も我もと群がるわけで、実にあさましい貧乏人根性を呈することになるが、都市間の移動を鉄道にゆだねれば、コスト削減にも大いに役立つと思う。
ただ鉄道と車の接点に問題が残っているわけで、ここを如何にスムースに繋げるか、という問題が解決されれば大いに考える値打ちが出てくると思う。
我々、大和民族というのは複合的な思考というのが極めて不得意なのかもしれない。
道路は道路、鉄道は鉄道、水道は水道、電気は電機、ガスはガスというように、それぞれに別々に縄張り争いをしているわけで、それを複合的に組み合わせて全体として一つの都市を形作るという考え方を苦手とするのかもしれない。
東京の地下に地下鉄用のトンネルを掘ったならば、そのトンネルに出来る限りの機能を併せ持たせるという発想には至らないわけで、このトンネルはあくまでも地下鉄用のものだ、とこだわり続けるのである。
このように複合的な思考が出来ないというのは日本人の特質であり、お役所仕事の縦割り行政の根幹をなすものであろう。
複合的な思考を日常的に考えておれば、我々の今日の在り方もかなり大きく変わっているに違いない。
例えば先に述べた鉄道の複合的な利用なども、それを推し進めればきっと輸送業務の効率化が可能だと思うが、相も変わらず一人の運転手が夜っぴきで運転し続けているわけで、高速道路は渋滞し、荷物が延着するということは計り知れない経済的な損失を被っているということだと思う。
運転手が個人的に披露するという問題を超えて、渋滞に嵌ることで他の運転手の疲労をも蓄積し続けているが、それが目に見えるものではないので、何となく見過ごされてしまっている。
東海道沿線、あるいは太平洋ベルト地帯の荷物の搬送を全て鉄道コンテナーに替えたならば、かなり良い環境が再現されるのではないかと思う。
ただそういうことをすると、その分、運転手がいらなくなるので、雇用の面で失業者が出るかもわからず、その意味からも現状維持が続いているのかもしれない。
アメリカはやはりどこからどう見ても我々の想像を絶する巨大な国だと思う。
というのは今述べたコンテナによる鉄道輸送を既に行っているわけすで、しかもコンテナーを2段に積んで鉄道で輸送している。
こういうことは我々の方では発想すらできないことである。
誰が考えても鉄道輸送の方が便利だ、という部分も残っているわけで、発想が均一化しないところがアメリカの強みだと思う。
このルート66がアメリカのマザー・ロードとして活躍したことは解るが、やはり如何に有名な道でも、時代の進化には勝てないようで、その意味では我々の東海道53次の運命とよく似た面がある。
道というものは一度作ったら未来永劫在り続けるというものではなさそうだ。
道そのものはいささかも進化しないが、その上を通るものが次から次へと進化してしまうわけで、片一方が元のままでもう一方が進化してしまえば、当然、合わないようになるわけで時代遅れとなり、新しいものが古いものに取って代ってしまう。
よって今ではこのルートも新しいインターステートという高速道路に寸断されてしまって、昔の面影もないらしいが、こうなると不思議なもので昔を懐かしがるものが出てきて、懐古趣味に耽るものがあらわれてくる。
しかし、若いころに見たアメリカ映画は実に楽しかったし、羨ましかったものだ。
そういう映画に出てくるアメリカの若者に、なんとも言えぬ憧れと羨望のまなざしで見ていたものだ。
我々が当時、1950年代、昭和30年代、そういう感情を抱いたということは、敗戦からほぼ10年近くが経ち、経済復興のとっかかりをつかみ、日本が徐々に右肩上がりの空気を感じていたころで、テレビでアメリカのこういう生活に触れて我々もああいう生活を目指そうと思っていたからではなかろうか。
丁度、我が家がそうであったように、この頃日本ではテレビが各家庭に普及しだして、テレビを通じて我々はアメリカ人の生活というものを目の当たりにしたので、こういう生活にあこがれたのは私一人ではなかったと思う。
ただ惜しむらくは、我々があこがれたのは、アメリカ人の家や、車や、生活様式のみで、彼らの深層心理については全く無頓着であったわけだ。
彼らはヨーロッパ人や、ユダヤ人や、黒人や、ヒスパニックを国内に内包しながら、U・S・アメリカを如何に一つに纏め上げてきたのか、という国家の根本にかかわるその根幹を知ろうとしなかった。
つまり、我々日本人とアメリカ人の精神的な相違の根本は民主主義の認識の違いだと思う。
この民主主義というものは、我々にとって輸入された概念であって、我々が古来からもっていた思考ではなかった。
我々は、野球がアメリカ伝来のスポーツであることは知っているが、アメリカ人が真に好むスポーツはむしろアメリカンフットボールである。
この二つのスポーツの大きな相違点は、野球は個人プレーに重きをおくが、アメリカンフットボールは徹底的な団体競技で、それぞれに国民性をモロに表している。
このチームで何かを成す、チームで事を進める、という発想が我々は不得意なわけで、どうしても個人が個人がという思考になってしまう。
個人が組織に磨り変っても、その組織が他の組織と連携して、という発想には至らないわけで、どうしても競争という形になってしまう。
お互いが競争するのと、お互いが連携し協力し合うのでは結果は完全に違ってくるわけで、こういうものの考え方を我々は苦手とする。
小さなコミュニティの中で、我々ならば和気藹藹と合議制でリーダ-も変わり番こに勤めて、わけ隔てなくトラブラないように気を使ってきたが、アメリカ人の発想ならば、誰か一人が元気な発言をして、それに賛同するものは黙ってついていくが賛同しないものはそのまま残る。
ついていくものも残るものも、お互いに自己責任なので、凶と出るか吉と出るかはわからないが、それが運命だと認識している。
ことほど左様に、我々とアメリカ人は発想の根本から相違があるわけで、この相違はそれぞれの地勢的な環境から生まれてきたものと考えなければならない。
日本の急峻な山と、アメリカの何処までも開けた大地では、物の考え方もおのずと違って当然だと思う。

「ニューヨーク『秘境』探検」

2010-02-08 08:38:53 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ニューヨーク『秘境』探検」という本を読んだ。
発行が1999年となっていて9.11事件の前の話でいささか古いのが難点である。
ニューヨークの秘境というタイトルからもおおよそ察しが付くように、普通の観光案内とは一味違う解説書であって、ずぶの素人にはいささか難解だと思う。
それだけに、しっかり掘り下げて読めば一通りの事情通にはなれる。
ニューヨークに何日か滞在した経験のある人には面白く読めるが、ただ単なる旅行者の目では、いささか描写が細かすぎるように思える。
かといってニューヨークの歴史を深く掘り下げているわけでもなく、その意味で中途半端な存在だと思う。
しかし、ニューヨークというのは世界各地から集まってきた人たちで成り立っていることはよくわかるが、ここまで来る間の道のりというのは大変な行程であったと想像する。
アメリカン・ドリームという言葉があるが、私が考えるに、今はひところの勢いは寂れているが、やはりアメリカは世界のアメリカだと思う。
我々の感覚からすれば、アメリカは巨大な国土の国であるが、国土の広さだけを比べれば、アメリカよりも大きな国は他にもある。
例えば中国、あるいはロシアというのは、国土の広さのみを比較すればアメリカよりも大きいだろうが、アメリカのように繁栄しているとはどうみても言い難い。
最近中国の躍進が目覚ましいといわれているが、中国では沿海部と内陸部の格差の相違が大きく、アメリカ並みとは到底言えないものと思う。
世界でアメリカのみが繁栄して他の地域がそれと同じことが出来ないというのは、やはり移民と根つきの住民の違いだと思う。
南北のアメリカ大陸の住人というは、基本的にはネイティブな人々も居るには居たが、今その地で権勢を誇っているのは、そういう昔からいたネイティブな人々ではなく、皆ヨーロッパから流れてきた移民の子孫である。
20世紀から21世紀のある特定の地域の隆盛というのは、ネイティブな人々が繁栄しているのではなく、全て移民として他の地域から流れてきた人たちによって経済あるいは文化の隆盛があるわけで、如何なる地域でもネイティブな人々がその地で経済や文化に活力を与えているわけではない。
考えても見よ、中国の人々が移民で成り立っているだろうか。
ロシアの人々が移民で成り立っているであろうか。
南北アメリカ大陸に住んでいたネイティブな人々は一体どうなったのであろう。
こういう人たちは現代の物質文明の中でよその地から来た移民の勢力に淘汰されてしまって、彼らの本来のテリトリーをはく奪されてしまって、社会の片隅に追いやられてしまった。
中国でもロシアでも、もともとその地に住み続けてきた人たちは、その地域のネイティブな住民であったわけで、こういう人たちは時代の変革に対応しきれず、経済的にも文化的にも進展しきれないまま取り残されてしまったわけである。
古来から生き続けた原住民が淘汰されて、移民として移入してきた人たちが繁栄したのか、という問題は、古いカビの生えた歴史を持たないという点に尽きると思う。
有史以来連綿と生き続けた人間の集団には、年老いた人間に都合の良い思考が形造られて、若者の挑戦を封じ込める作用を果たしていたからである。
年寄りを敬え、年長者を尊重せよ、師の影を踏まず、女は不浄だ、こういう古典的な思想は老獪な年寄りが若者の頭を押さえつけるにまことに好都合な考え方であって、ある地域で人間の集団が移動することなく、営々と農業を営む時にはまことに都合よく出来ていた。
大きな変革を嫌う農業主体の社会体制の中では、統治者にとってまことに都合の良い考え方であったわけである。
ところが人々が新天地に移住し、新たな人生を開拓しようとした場合、過去の伝統的な思考を守っていては自らの生存そのものが危機に瀕しているわけで、頭の古い年寄りの言うことなど聞いておれない。
危機に瀕した時は、自分の頭で考え、自分の判断力で判断し、自分で結論を出して前に進まねばならないわけで、過去の経験や過去の事例など何の参考にもならない。
年寄りの経験則に従うのではなく、それに対して新鮮で斬新な思考で対抗する勇気が必要であったに違いない。
これがアメリカ人のバイタリティーだと想像する。
無一文で新大陸に渡った人たちは、自分の命以外失うものがないわけで、これほど強いこともない。
あれをしてはいかん、これをしてはいかん、これはこうすべきであれはこうべきだ、とやかましく言うものが周りにいないわけで、何処まで行っても自己責任ではあるが、自己責任である限り、何をやっても許されるわけである。
人が営々と住み続けている土地の住人では、こういうことはあり得ないわけで、ちょっと変わったことをしようものなら、すぐに後ろ指を指されるわけで、伝統と慣習にがんじがらめにされてしまっている。
アメリカの深層を少しでも掘り下げようとすると、そこにはユダヤ人の問題が伏流水のように流れているように見える。
ヨーロッパからアメリカの新世界に流れてくる人々の根源的な動機は、宗教上の圧迫から逃れるというのが顕著なものであろうが、それに絡んで人種問題も複雑に絡み合っているわけで、人種と宗教が深く関わり合っている以上そういうパターンも当然ありうる。
同じキリスト教徒でも旧教と新教では全く別の宗教のようなもので、そこにユダヤ教というものが絡んでくると、ますま複雑になる。
私は無学者なので実はよくわからないが、何故、世界中でユダヤ人というのは嫌われるのであろう。
私の知りえる浅薄な知識では、ユダヤ人がキリストを十字架に掛けたから、それ以来の怨念だという風に覚えているが、こんな真偽の程も曖昧なことで2千年以上もいがみ合うというのも馬鹿げた話だと思う。
しかし、現実には今でもキリスト教文化圏ではユダヤ人を忌み嫌っているわけで、世界の民族から石を持って追われているということは一体どういうことなのであろう。
こうしてヨーロッパを追われて新天地、新大陸、新世界にたどり着いたユダヤ人たちは、過去の偏見から逃れて自由に振る舞えるようになると、たちまち頭角を表してあらゆる場面で成功を収めるようになった。
ユダヤ人が成功を収めると、当然、他の民族の人たちはその成功をやっかみ、ねたみ、恨みを買うようになるわけで、再び偏見が醸成されてしまうのである。
第2次世界大戦中のドイツのホロコーストはあまりにも有名であるが、ユダヤ人の迫害というのはドイツだけことではなく、ヨーロッパ諸国では大なり小なりユダヤ人を迫害しているわけで、ただ規模の大小の違いだけである。
これだけヨーロッパの人々が忌み嫌うということは、そこに我々日本人では分からない要因が潜んでいるのではなかろうか。
宗教上の神話に近い話が原因だとは思えない。
ただ我々のようなキリスト教文化圏の外野席から見ている限り、ユダヤ人の職業というのは、銀行家であったり、学者であったり、芸術家であったりと、知的労働が多く、肉体労働というものに価値を置いていないように見受けられるが、この部分が従来のキリスト教徒とから忌み嫌われるのではなかろうか。
アメリカという新世界に移り住んだキリスト教徒は、額に汗して働くことを厭わず、勤勉に価値を見出していたわけで、肉体労働に果敢に取り組まないユダヤ人を、自分たちの仲間として受け入れ難かったのだろうか。
知的労働ということは言うまでもなく口舌の徒なわけで、この認識は世界共通の心理であって、額に汗して働かない者を、自分たちの仲間として受け入れなかったのかもしれない。
それと合わせてユダヤ人は流浪の民で、第2次世界大戦が終わるまで自分の祖国というものを持っていなかった。
この事実も、自分の生まれ育った地域に根をおろして生きてきたキリスト教徒からすれば、心から信用できないという思いを払拭しきれなかったかもしれない。
土地つきの住民は、自分たちのテリトリーをこよなく愛することで、近代的な国民国家を形造っているが、祖国を持たず時代の状況に合わせて流浪する人々を、心から信じれないと思うのも無理からぬことだと推察する。
何世代も何世代も同じ土地を耕し、額に汗して労働している人からすると、貧乏人に金を貸して利子をとる、治療したと言っては病人から金を取る、ものを教えたと言っては金を取る、ただただ口先で金を巻き上げるユダヤ人の存在は許しがたいことであったのかもしれない。
だからヨーロッパ全域でユダヤ人の迫害があったのではなかろうか。
ヨーロッパの人々もユダヤの人々も、それぞれの地域の中でお互いに生き抜いてきたわけで、それぞれの双方には潜在意識として、お互いの嫌悪感を育んできたものと推察する。
それが海を渡って新世界に来てまで尾を引いたのであろう。
もともとアメリカ大陸にはネイティブな人々として俗に言うインディアンという人々がいたわけで、そこへキリスト教徒としてのヨーロッパ人は入ってくる、ヨーロッパの人々が新世界に渡るについては、ただただ宗教上の圧迫という事情のみではなかったと推察する。
あらゆる面で現状打破をしよう、しなければという潜在意識を持ち、旧社会に対するあらゆる不平不満を克服せんがために新世界を目指したものが大勢いるに違いない。
そういう人たちが無から有を作り上げるには、それこそ額に汗して働かねばならなかったが、その環境の中ではヨーロッパの旧弊に煩わせることなく、自由自在に思考をめぐらすことが可能であったので、ネイティブな人々を差し置いて斬新的なコミュニティ―を作ることに成功したのであろう。
ある程度出来上がったところに、先駆者と同じようにヨーロッパの旧社会で抑圧されていたユダヤ人が入り込んできたが、先駆者の築きあげた新世界はヨーロッパの旧社会よりは社会規範の束縛が緩かったので、ユダヤ人も自分たちの才能を如何なく発揮することが出来たのであろう。
彼らは肉体労働で汗をかくことよりも、知的労働に長けていたので、必然的にコミニュテイ―の上層部を形造り、新世界を進化させる強力な担い手いになった。
そうなればなったで、再びヨーロッパ系の人々のねたみや怨みを買うようになるわけで、それが社会問題化していったのであろう。
この本はニューヨークの街の観察であるが、この街の発展にネイティブな人々がいささかも貢献していないという点が全く不思議でならない。
最近の進歩的な学者は、アメリカ文化はヨーロッパ人に侵略された結果だというニュアンスでネイティブな人々に焦点を合わせようとしているが、あのニューヨークの街を作り上げたのがネイティブな人々ではなく外来人によって作られたということをどう考えたらいいのであろう。