「紫禁城の黄昏」という本を読んだ。
これは図書館の本ではない。久しぶりに自分で購入した本だ。
金を出して自分で本を買うということも一年振りぐらいだ。
本を買わないというのは、金が掛かるということもさることながら、われわれレベルだと一度読んだ本はもう2度と読まないという点からしても、買うということがもったいないという意識があるからだ。その上、蔵書がたまって困るということもある。
その点、図書館の本ならばそういう心配は一切ないわけで、まことに都合がいいわけだが、この本に限っては、自分で買って読みたかった。
上下2巻の本であったが、まず上巻の方は辛亥革命前後の記述である。
辛亥革命が起きる前後に、清王朝が如何に対応したかという部分の記述であるが、この本の著者は清王朝最後の皇帝、宣統帝溥儀の家庭教師を勤めた人で、清王朝の最後を内側から見ていたわけで、その意味でわれわれの知らない部分を大胆に描き出している。
しかし、私は思春期にパール・バック女史の「大地」を読んで以来、しばらくの間はそういうものから遠ざかっていたが、数年前、ユン・チャン女史の「ワイルド・スワン」「マオ」を読み、今回「紫禁城の黄昏」というものを読んでみると、どうにもシナ人というものが不可解に思われてくる。
アジア大陸にはさまざまな民族が住んでいたことは周知の事実であるが、あまりにも陸地の面積が広すぎるので、地域地域によってそれぞれの王国ができ、それらが栄華盛衰を繰り返すということは理解できる。
しかし、地方地方でさまざまな民族が群雄割拠しているので、アジア全体として統一国家というものができないのが不思議でならない。
あまりにも陸地が広すぎるということなのであろうか。
われわれが習う歴史では唐、宋、元、明、清等々の王朝の興亡は習うが、それらがアジア全域を統一国家としたという風には習わない。
つまり、中国の地に次から次に王朝ができては消え、消えてはできても、常にその周辺に夷荻の存在があったわけで、国家統一ということはいまだに存在し得ない。
アメリカ大陸、南北アメリカ大陸にも先住民としてアジア系の人たちがいたが、きわめて大雑把に言って、この人々も統一国家を作ることなく現代のアメリカ社会に埋没してしまっている。
この地の先住民も、基本的にアジアから出てあの地に流れ着いたモンゴリアン、モンゴロイドであったわけで、そう考えるとモンゴリアンというのは自分たちの統一国家というものを作る気質が先天的に欠けているのであろうか。
中国の歴史というのは、極め大雑把に言ってしまえば、ヨーロッパ人に席巻される前のアメリカ大陸の先住民、いわゆるインデアン、インデオと同じだということではなかろうか。
アメリカの先住民も、ヨーロッパ人が来るまでは、地域地域に群雄割拠しながら、勢力を大きくしたり小さくしたり、つまり民族同士の興亡を繰りかえしていたが、大陸をひとつの国家として統一するということはなかった。
それはアジア大陸の中央部で、いわゆる中国の地で、さまざまな王朝が勃興しまた衰退していったことと同じなのではなかろうか。
南北アメリカ大陸にはヨーロッパ人が移住して、結果的にはその地はヨーロッパ系の白人に支配されてしまっている。
先住民としての現地の人々は、それぞれの社会の隅に追いやられてしまっている。
アジア大陸においては、かっての帝国主義華やかりし頃には、そういう民族の危機というのが現実にあったわけで、この本の著者R・F・ジョンストンという人も、その帝国主義の手先の一人であったわけだ。
それで、その手先の一人の視点からアジアの先住民としての満州族の王朝のものの見方を見てみると、それはアジアのあらゆる民族に共通する潜在意識が透けて見えるということだと思う。
アジアに住んでいる諸民族の共通認識というのは、いわゆる孔子の儒教思想である。
仁儀礼知信を最良の徳と説く思想は、アジアに住むあらゆる民族の精神にはっきりと刷り込まれているわけで、民族が違ってもそれが共通基盤となっているように見える。
ところが王朝の交代というのは、統治者の儒教思想の濃淡でいかようにも裁量が許されてしまうわけで、言葉を返せば、自分勝手にその儒教思想を解釈してしまうわけである。
それはなんとなれば、アジア大陸では何時なんどき他民族に支配、専制されてしまうかわからないので、他人がまったく信用ならないという現実からきていると思う。
故に、この地の住む人々は徹底的な個人主義に固まっているわけで、自分以外の他人を信用するということがなく、すべてのことが個人の利益につながるかつながらないかが価値の基準になっているのである。
だから人のために何かをなすという意識がまったくないものだから、その個人主義を全うするために、儒教思想を利用し続けてきたわけである。
ここで問題となるのは、彼らが古い価値観から脱却しようとせず、頑迷な考え方に固執する理由である。
意識改革ということが彼らの脳裏にはまったく見られないということである。
辛亥革命というのは旧態依然たる大清帝国を近代化しようとするものと定義されているが、この本によると、それは漢民族の国家を再興するというニュアンスで語られている。
このときに意識改革をしようとしたものがいたことはいたが、いかんせん数が少なく、無教養な大衆の中に埋没してしまった。
毛沢東の共産主義革命が成功しても、国の本質を形成する人々の潜在意識の実態は早々急激に変わるものではなく、その中の人々の意識は、古来の思考から脱却することをかたくなに拒んでおり、それをきれいさっぱり払拭することは不可能であった。
統治するものの形態が多少変わったとしても共産党員とそうでないものの乖離は当然旧思考のままで、表層的なスローガンが変わっただけである。
この時代の中国、いわゆるシナというのは、清王朝、中華民国といったところで、統一国家の体をなしていなかったといったほうが正鵠を得ていると思う。
ところがこれを中国の外側から見ると、西洋諸国はこの当時の中国の実態を自分のご都合主義で自分にとって都合のいいように解釈していたようだ。
一言でいえば、帝国主義的利得の草刈場そのものであったわけだ。
アメリカ大陸にヨーロッパから新天地を求めて渡ったのと同じ感覚できたものの、アジアは多様な文化を内包していたので、成功すると部分と撤退せざるを得ない部分がまだら状に展開したのである。
日本などはヨーロッパ人に入り込む隙を与えなかった部類の数少ないアジア人だったと思う。
清王朝も、われわれが文字の上から学ぶかぎり、一応は統一国家に見えるが、その中で各地方の軍司令官が自分の兵隊たちを私物化するということは、われわれの理解を超えることだ。
軍人がシステムとしての武力集団を私物化すれば、官僚がやはりシステムとしての行政を私物化するのも当然のことで、そのことは公に殉ずるという意識そのものが最初からないということにつながる。
中国の人々は徹底的な個人主義なわけで、公、おおやけ、というものの意識、概念が最初から存在していないのではないかと思う。
それも無理ない話ではないかと想像する。
私が想像するに、中国の大衆、民衆、特にこの時代のそういう類の人々は、人間ではないという意識が中国人からも、そしてヨーロッパ人からも、そしてわれわれの同胞からも、そう思われていたのではないかと想像する。
公園に「犬と中国人は入るべからず」などという看板があったということはそういうことだと思う。
それは清王朝の施策が悪かったということを超越して、もっと根源的に、人間の生の姿、太古の民族移動、原始の人間の姿を呈していたのではないかと思う。
文明の対極に位置する、人間の姿をした動物以外の何者でもない、という存在であったのではなかろうか。
広大なアジア大陸の奥地に住んでいた人、道もなく、電灯もなく、水道も、耕地もない山奥に生きてきた人が、文明の光に導かれて都会に出てきたとすれば、必然的にこのような情況を呈するのではなかろうか。
この本の著者は、そういう社会とは大きく隔たった、王朝の内部という別世界に起居していて見聞したことを書いているが、紫禁城を一歩離れれば、そういう状況が展開していたのではなかろうか。
こういう状況を目の当たりにすれば、公に殉ずるなどという奇麗事は通らないということが一目瞭然であったに違いない。
そんなものは放り投げておいて、まずは自分の保身を図らないことには、何時なんどきわが身がそういう状況におとされるかわからないわけで、稼げるうちに私服を肥やさねばならないという思考になるものと考える。
それに反し、自分の主君に対する忠というのは多少存在するが、それとても絶対的なものではないわけで、自分の都合によってきわめて日和見な態度にならざるを得ないはずだ。
アジア大陸、中国の地に生きる人々にとって、他民族ばかりではなく、同胞からも何時自分の家、家財、財産、集落が壊滅あるいは殲滅されるかわからない不安が付きまとっているわけで、それに対処するには他人のことなど構っておれなかったかというのが現実ではないかと想像する。
われわれの国ではそういうことはありえないわけで、四周は海で取り囲まれ、治安というものがしっかりしているので、いつも枕を高くして眠れるが、彼の地ではそうは行かないわけで、常に自分に身は自分で守ることを心に思い煩っていなければならない。
奇麗事で人のことなどに関わりあっておれないのも無理からぬことである。
この本は清王朝、宣統帝溥儀の最後の最後まで、彼らを食い物にしていた官僚の腐敗、醜態を描き出しているが、この生き方そのものが中国の民の潜在的な志向である、と言うことをわれわれは肝に銘じて知っておかねばならない。
彼らは自分たちの自身の力というものを実によく知っている。
知ってるから、生き馬の目を抜く国際社会を、自分の力で切り開いて生きようなどとは最初から考えず、敵対勢力を戦わせて、自分は「漁夫の利」を得ることを考えているわけである。
中華民国の蒋介石も、中国共産党の毛沢東も同じ手法、手段で、覇を競ったではないか。
それに引き換えわれわれから見た中国というのは、太古における文明の先駆者というイメージを払拭しきれず、相手を先輩と崇め、一歩遜った思考になってしまうので、相手からみれば日本に対しては尊大に振舞ってもかまわないという思考になってしまうのである。
その点、ヨーロッパ系の人々はそういう意識がまったくないものだから、あくまでもアジアの未開人という認識で迫ってくるので、彼らには贖罪意識がまったく存在しないということになる。
これは図書館の本ではない。久しぶりに自分で購入した本だ。
金を出して自分で本を買うということも一年振りぐらいだ。
本を買わないというのは、金が掛かるということもさることながら、われわれレベルだと一度読んだ本はもう2度と読まないという点からしても、買うということがもったいないという意識があるからだ。その上、蔵書がたまって困るということもある。
その点、図書館の本ならばそういう心配は一切ないわけで、まことに都合がいいわけだが、この本に限っては、自分で買って読みたかった。
上下2巻の本であったが、まず上巻の方は辛亥革命前後の記述である。
辛亥革命が起きる前後に、清王朝が如何に対応したかという部分の記述であるが、この本の著者は清王朝最後の皇帝、宣統帝溥儀の家庭教師を勤めた人で、清王朝の最後を内側から見ていたわけで、その意味でわれわれの知らない部分を大胆に描き出している。
しかし、私は思春期にパール・バック女史の「大地」を読んで以来、しばらくの間はそういうものから遠ざかっていたが、数年前、ユン・チャン女史の「ワイルド・スワン」「マオ」を読み、今回「紫禁城の黄昏」というものを読んでみると、どうにもシナ人というものが不可解に思われてくる。
アジア大陸にはさまざまな民族が住んでいたことは周知の事実であるが、あまりにも陸地の面積が広すぎるので、地域地域によってそれぞれの王国ができ、それらが栄華盛衰を繰り返すということは理解できる。
しかし、地方地方でさまざまな民族が群雄割拠しているので、アジア全体として統一国家というものができないのが不思議でならない。
あまりにも陸地が広すぎるということなのであろうか。
われわれが習う歴史では唐、宋、元、明、清等々の王朝の興亡は習うが、それらがアジア全域を統一国家としたという風には習わない。
つまり、中国の地に次から次に王朝ができては消え、消えてはできても、常にその周辺に夷荻の存在があったわけで、国家統一ということはいまだに存在し得ない。
アメリカ大陸、南北アメリカ大陸にも先住民としてアジア系の人たちがいたが、きわめて大雑把に言って、この人々も統一国家を作ることなく現代のアメリカ社会に埋没してしまっている。
この地の先住民も、基本的にアジアから出てあの地に流れ着いたモンゴリアン、モンゴロイドであったわけで、そう考えるとモンゴリアンというのは自分たちの統一国家というものを作る気質が先天的に欠けているのであろうか。
中国の歴史というのは、極め大雑把に言ってしまえば、ヨーロッパ人に席巻される前のアメリカ大陸の先住民、いわゆるインデアン、インデオと同じだということではなかろうか。
アメリカの先住民も、ヨーロッパ人が来るまでは、地域地域に群雄割拠しながら、勢力を大きくしたり小さくしたり、つまり民族同士の興亡を繰りかえしていたが、大陸をひとつの国家として統一するということはなかった。
それはアジア大陸の中央部で、いわゆる中国の地で、さまざまな王朝が勃興しまた衰退していったことと同じなのではなかろうか。
南北アメリカ大陸にはヨーロッパ人が移住して、結果的にはその地はヨーロッパ系の白人に支配されてしまっている。
先住民としての現地の人々は、それぞれの社会の隅に追いやられてしまっている。
アジア大陸においては、かっての帝国主義華やかりし頃には、そういう民族の危機というのが現実にあったわけで、この本の著者R・F・ジョンストンという人も、その帝国主義の手先の一人であったわけだ。
それで、その手先の一人の視点からアジアの先住民としての満州族の王朝のものの見方を見てみると、それはアジアのあらゆる民族に共通する潜在意識が透けて見えるということだと思う。
アジアに住んでいる諸民族の共通認識というのは、いわゆる孔子の儒教思想である。
仁儀礼知信を最良の徳と説く思想は、アジアに住むあらゆる民族の精神にはっきりと刷り込まれているわけで、民族が違ってもそれが共通基盤となっているように見える。
ところが王朝の交代というのは、統治者の儒教思想の濃淡でいかようにも裁量が許されてしまうわけで、言葉を返せば、自分勝手にその儒教思想を解釈してしまうわけである。
それはなんとなれば、アジア大陸では何時なんどき他民族に支配、専制されてしまうかわからないので、他人がまったく信用ならないという現実からきていると思う。
故に、この地の住む人々は徹底的な個人主義に固まっているわけで、自分以外の他人を信用するということがなく、すべてのことが個人の利益につながるかつながらないかが価値の基準になっているのである。
だから人のために何かをなすという意識がまったくないものだから、その個人主義を全うするために、儒教思想を利用し続けてきたわけである。
ここで問題となるのは、彼らが古い価値観から脱却しようとせず、頑迷な考え方に固執する理由である。
意識改革ということが彼らの脳裏にはまったく見られないということである。
辛亥革命というのは旧態依然たる大清帝国を近代化しようとするものと定義されているが、この本によると、それは漢民族の国家を再興するというニュアンスで語られている。
このときに意識改革をしようとしたものがいたことはいたが、いかんせん数が少なく、無教養な大衆の中に埋没してしまった。
毛沢東の共産主義革命が成功しても、国の本質を形成する人々の潜在意識の実態は早々急激に変わるものではなく、その中の人々の意識は、古来の思考から脱却することをかたくなに拒んでおり、それをきれいさっぱり払拭することは不可能であった。
統治するものの形態が多少変わったとしても共産党員とそうでないものの乖離は当然旧思考のままで、表層的なスローガンが変わっただけである。
この時代の中国、いわゆるシナというのは、清王朝、中華民国といったところで、統一国家の体をなしていなかったといったほうが正鵠を得ていると思う。
ところがこれを中国の外側から見ると、西洋諸国はこの当時の中国の実態を自分のご都合主義で自分にとって都合のいいように解釈していたようだ。
一言でいえば、帝国主義的利得の草刈場そのものであったわけだ。
アメリカ大陸にヨーロッパから新天地を求めて渡ったのと同じ感覚できたものの、アジアは多様な文化を内包していたので、成功すると部分と撤退せざるを得ない部分がまだら状に展開したのである。
日本などはヨーロッパ人に入り込む隙を与えなかった部類の数少ないアジア人だったと思う。
清王朝も、われわれが文字の上から学ぶかぎり、一応は統一国家に見えるが、その中で各地方の軍司令官が自分の兵隊たちを私物化するということは、われわれの理解を超えることだ。
軍人がシステムとしての武力集団を私物化すれば、官僚がやはりシステムとしての行政を私物化するのも当然のことで、そのことは公に殉ずるという意識そのものが最初からないということにつながる。
中国の人々は徹底的な個人主義なわけで、公、おおやけ、というものの意識、概念が最初から存在していないのではないかと思う。
それも無理ない話ではないかと想像する。
私が想像するに、中国の大衆、民衆、特にこの時代のそういう類の人々は、人間ではないという意識が中国人からも、そしてヨーロッパ人からも、そしてわれわれの同胞からも、そう思われていたのではないかと想像する。
公園に「犬と中国人は入るべからず」などという看板があったということはそういうことだと思う。
それは清王朝の施策が悪かったということを超越して、もっと根源的に、人間の生の姿、太古の民族移動、原始の人間の姿を呈していたのではないかと思う。
文明の対極に位置する、人間の姿をした動物以外の何者でもない、という存在であったのではなかろうか。
広大なアジア大陸の奥地に住んでいた人、道もなく、電灯もなく、水道も、耕地もない山奥に生きてきた人が、文明の光に導かれて都会に出てきたとすれば、必然的にこのような情況を呈するのではなかろうか。
この本の著者は、そういう社会とは大きく隔たった、王朝の内部という別世界に起居していて見聞したことを書いているが、紫禁城を一歩離れれば、そういう状況が展開していたのではなかろうか。
こういう状況を目の当たりにすれば、公に殉ずるなどという奇麗事は通らないということが一目瞭然であったに違いない。
そんなものは放り投げておいて、まずは自分の保身を図らないことには、何時なんどきわが身がそういう状況におとされるかわからないわけで、稼げるうちに私服を肥やさねばならないという思考になるものと考える。
それに反し、自分の主君に対する忠というのは多少存在するが、それとても絶対的なものではないわけで、自分の都合によってきわめて日和見な態度にならざるを得ないはずだ。
アジア大陸、中国の地に生きる人々にとって、他民族ばかりではなく、同胞からも何時自分の家、家財、財産、集落が壊滅あるいは殲滅されるかわからない不安が付きまとっているわけで、それに対処するには他人のことなど構っておれなかったかというのが現実ではないかと想像する。
われわれの国ではそういうことはありえないわけで、四周は海で取り囲まれ、治安というものがしっかりしているので、いつも枕を高くして眠れるが、彼の地ではそうは行かないわけで、常に自分に身は自分で守ることを心に思い煩っていなければならない。
奇麗事で人のことなどに関わりあっておれないのも無理からぬことである。
この本は清王朝、宣統帝溥儀の最後の最後まで、彼らを食い物にしていた官僚の腐敗、醜態を描き出しているが、この生き方そのものが中国の民の潜在的な志向である、と言うことをわれわれは肝に銘じて知っておかねばならない。
彼らは自分たちの自身の力というものを実によく知っている。
知ってるから、生き馬の目を抜く国際社会を、自分の力で切り開いて生きようなどとは最初から考えず、敵対勢力を戦わせて、自分は「漁夫の利」を得ることを考えているわけである。
中華民国の蒋介石も、中国共産党の毛沢東も同じ手法、手段で、覇を競ったではないか。
それに引き換えわれわれから見た中国というのは、太古における文明の先駆者というイメージを払拭しきれず、相手を先輩と崇め、一歩遜った思考になってしまうので、相手からみれば日本に対しては尊大に振舞ってもかまわないという思考になってしまうのである。
その点、ヨーロッパ系の人々はそういう意識がまったくないものだから、あくまでもアジアの未開人という認識で迫ってくるので、彼らには贖罪意識がまったく存在しないということになる。