ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「誰か『戦前』を知らないか」

2007-11-30 09:44:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「誰か『戦前』を知らないか」という本を読んだ。
著者は大正4年生まれの山本夏彦氏だ。
彼は室内装飾の本を出しているようで、その中で若い記者との問答集という形で綴られているが、これが滅法面白い。
著者の年令からすれば、孫の世代の若者と問答しているわけで、内容的には外国人に説明しているような按配だ。
同じ日本人同士でありながら、古い世代と新しい世代が語り合うと、まるで外国人に説明するような問答になるという点が実に面白いが、本当は面白がっている場合ではないと思う。
同じ民族の中でわずか60年の間に価値観がまったく相反してしまっているわけで、これは笑い事ではないのではなかろうか。
本当かどうか知らないが、60年前に日本とアメリカが戦争したことさえ知らないものがいると聞いたときは本当に驚きであったが、この本はそれに近い驚きの連続である。
価値観の相違は日本語の衰退に起因するといわれているが、確かに言葉の乱れが価値観の変異に大きく影響していることは確かであろう。
しかし、言葉の乱れというのも私に言わしめれば大人の責任だと思う。
若者は常に新しいものを創造している。
若者言葉も、若者が若者の間で粋がって特権をエンジョイしているうちはまだ可愛いが、それを大人が言葉の乱れとして認識しつつ、大人自身がそれを使うようになるから全体として日本中の言葉が乱れてくるのではないかと思う。
若者言葉というのはあらゆる国に、あるいはあらゆる民族に大なり小なり存在していると思う。
それを大人が、その都度その都度若者に注意し続ける、そういう言葉使いをたしなめる、そういう言葉使いを是正する努力をせず、自分のほうからそういう若者言葉に擦り寄って、大人自身がそういう言葉を使うから全体として乱れる方向に向かうのではないかと思う。
それにメデイアが輪を掛けるわけで、中でもテレビというのは映像が同時に流れているので、一番影響力が大きい。
テレビ業界というのも、若者だけで成り立っているわけではなかろうに、当然そこには業界として組織が存在するはずである。
経営トップから現場で番組をつくる人々まで、大勢の人がテレビ番組の制作にかかわっているはずで、その組織の中には当然のこと年配者、あるいは熟年といわれる世代の人もいるはずなのに、それがすべて若者文化のほうに迎合するということは、大人の堕落以外の何物でもない。
人類の誕生以来、年寄りが若者の進取的前進を嘆くことは普遍的なことであり、それを全否定するということは文化の衰退以外の何者でもないと思う。
若者の進取性と大人の保守性が拮抗して、徐々に徐々に古いものが脱皮していくことが文化の進歩だと思う。
ところが戦後の我々には、この古いものと新しいものの拮抗が存在せずに、新しければ何でも良しとする風潮が今日の状況を呈したとみなさなければならない。
大人が新しいものにすぐに飛びつき、迎合するということは、大人自身の自覚がないということだと思う。
それも戦後、勝つ勝つと思っていた戦争に敗北したというトラウマが大きく影響していることは言うまでもない。
前にも述べた「明治人大正人」の中で、あの戦争に生き残った大人は、あの戦争の敗北ということで、今までの価値観を全否定されてしまって、生きる自信を喪失していたということは言えるであろう。
あの戦争に負けるまでは、国家のため、同胞のため、年老いた父母のため、うら若い兄弟姉妹のため、と思って国の命ずるままに奉仕してきたが、その結果が敗戦では、自分が今までしてきたことは一体なんであったか、という懐疑の気持ちが拭い去れないことは言うまでもない。
そういう努力の結果が敗戦であるとするならば、今後如何に生きるべきかと自問したとき、自分自身のために生きなければ、国も、国家も、社会も、同胞も、近隣の人も、同輩も信用ならない、という気持ちになるのも必然的なことであったに違いない。
ここで問題となるのが、我々の民族の同調性というべきか、付和雷同的な収斂の法則が大きくものを言うわけで、ある意味では群れの心理である。
戦前の我々が挙国一致で国家に協力したのも、戦後はそのベクトルが反対向きになったとはいえ、やはり群れとして反体制やあるいは若者に迎合する風潮も明らかに群れの心理である。
言葉を変えれば群集心理である。
「あいつがやれば俺もやる」という、付和雷同性である。
この群れに逆らうとそれこそイジメに会うわけで、それは戦前も戦後も見事に継承されているではないか。
戦前、戦中でも、一部の日本人の中には日本の敗戦止むなしと思っていた人がいて、アメリカと戦をしても勝ち目はない、と喝破していた人がいたが、それを封殺したのは我々の群れとしての、その他大勢の同胞、つまり一種の群集心理でそういう声を封殺してしまったわけである。
戦後の左翼は、自分たちの仲間、つまり同胞の国民が、群集心理に追従してこういう結果を招いたので、仲間、同胞を頭から非難するわけにいかず、それを国家が推進したように詭弁を弄しているが、実質は我々同胞が同胞に踊らされていたわけである。
その踊りの音頭とりは、いつの世でもその時代のオピニオンリーダーといわれる人々であって、今の日本ではメデイアがその音頭とりに成り代わっている。
メデイアの中には、当然、学識経験豊富な名実ともに有識者と称される人々がいるはずなのに、どうして今日のメデイアがこれほどまでに自堕落になったのであろう。
民放テレビはコマーシャルで成り立っているといわれているが、コマーシャルならば当然それにはクライアント、いわゆる広告主、広告を出す、広告を注文する側があるはずである。
テレビ局に広告を依頼する側というのは、テレビ局側からすれば大事なお客のはずで、そういう立場なればこそ、テレビ番組にももっと大人としての了見を反映させ、良質な番組を作るべく強い発言がなされてもいいのではなかろうか。
テレビ局のトップにも、番組を作る現場にも、それにコマーシャルを依頼するクライアントにも、それぞれの組織にはそれぞれに大人、精神的に成熟した大人、倫理をわきまえた大人がいるはずなのに、にもかかわらず今日のテレビ放送というのはあまりにも見るに耐えないのは一体どういうことなのであろう。
そのことは、こういう階層に本当の大人、大人としての品格を備えた大人、が存在していないということだ。
そんなくだらない番組ならば見なければいいという言い分も成り立つが、人が見ない番組ならば何故作るのか、という問題に誰も関心を示さない。
人が見ない番組を作り、流すということは、紛れもなく大きな資源の浪費であることに誰も気がついていない。
これを単刀直入に言ってしまえば、国民は、いわゆる大衆は、つまり無知蒙昧の群集は、こういう番組を欲しているということである。
こういう番組がつまらない、ナンセンスだと思っているのはほんの一部の人間のみで、テレビ局のトップ、あらゆるメデイアのトップは、自分さえ儲かればいいということで、番組の良し悪しなど眼中にないということだ。
その結果として、同胞同士の間でも60年というスパンの中で、世代間の思考にあたかも異国の人と見まごうばかりの疎外感が出てきたのである。
この本の著者は言う。
「戦線・戦中真っ暗闇史観」。
これは戦後の民主教育が若い世代に植え付けたわが祖国の歴史観であるが、これとても明らかに大人の仕業で、明治人、大正人の戦争生き残り世代の責任だと思う。
終戦直後の中学生や高校生が、こういう歴史観を普遍化したわけではなく、大人が戦争に負けたとたん、それまでの時代を全否定した結果である。
大体、戦後の風潮によれば、日本の善良な臣民は、いやいやながらに戦争に借り出されて、いやいやながらにそれに従わざるを得なかった、という認識であるが、冗談ではない、軍隊に入って始めて米の飯にありつけたものや、革靴をはいたものまでいたわけだから、軍隊が極楽という人たちもいた。
軍隊に入れば死と隣り合わせの生活を強いられたことには違いないが、軍隊に入らず娑婆にいたとしても食うや食わずの生活を強いられていた人もいたわけで、そういう人々の心を収斂したものが帝国主義的領土拡張につながっていたものと考えなければならない。
しかし、それは結果的に失敗して、結果として戦争に敗北ということになったので、その意味で政策の失敗、作戦の失敗にたいする責任追及は後に残されたもの、あるいは生き残ったものの大きな責任ではある。
でも、これをどこまでも執拗に推し進めていくと、それはブーメランのように自分の身内に舞い戻ってきてしまう。
明治、大正、昭和の初期という時代は、優秀なものはほぼ全員といっていいほど軍隊・軍部の関係者であったわけで、戦争という政策の失敗、作戦の失敗を突き詰めていくと、それは回りまわって自分の身内に舞い戻ってきてしまう。
戦争に勝った連合軍は、そういう背景が微塵もないものだから、自分たちの思うとおりに彼らが責任者と思い込んだ人間に対してどこまでも冷酷に扱えたのである。
まさに1945年昭和20年という年は日本を精神的にも分断したことに間違いはない。

「明治人大正人」

2007-11-27 06:58:07 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「明治人大正人」という本を読んだ。
明治、大正生まれの著名人が後世に言い残しておきたい言葉を綴ったような作品であった。
こういう世代の人たちは、だんだん亡くなって数が少なくなったことは言うまでもないが、この世代の人は実に多難な時代を生き抜いてきたことは確かだと思う。
あの戦争を若い日々に経験しているはずで、そのことは必然的に戦後復興の担い手でもあったということだ。
あの戦争で日本が敗北した1945年、昭和20年8月で、日本の社会は大きく変わった。
旧体制の軍国主義は徹底的に糾弾され、新しいアメリカン・デモクラシーに見事に衣替えしたわけであるが、問題は、この時の我々、日本民族の対応の仕方である。
我々は戦争に負けたということが殊の外大きなトラウマとなってしまって、身も心も見事に洗脳されてしまった。
戦争に負けたということで、旧体制が糾弾されるのは致し方ない。
負けるような戦争指導したリーダーたちが国民からそっぽを向かれるのも当然のことで、これも致し方ない。
勝つ勝つと国民に言いっておきながら、蓋を開ければ見事に負けたわけで、国民に対して完璧に嘘をついていた指導者を、心底、恨み憎むのも当然の仕儀である。
戦時中の戦争指導者が、我々国民を奈落の底に突き落としたことはどう見ても弁解の仕様のない事実なわけで、それに対する怨嗟の気持ちは我々にとって抜きがたいものであるが、それに応えたのは日本を占領した連合軍で、彼らが我々に変わって成敗してしまった。
ところが彼らは彼らの論理で、彼らの目から見て敵だと思った日本の戦争指導者を裁いてしまったが、それは我々の恨みや怨嗟とは位相が少し食い違っていたはずである。
連合軍側が自分たちの敵だと思っていた人物と、我々が「あいつが我々をミスリードしたんだ」という人物は必ずしも一致していなかった。
しかし、これは地球規模で見て「勝てば官軍」という論理は普遍化しているわけで、負けた側としては如何とも仕様がなかった。
そういう経緯の元、我々は戦後復興にまい進したわけであるが、その過程で活躍したのは言うまでもなく、明治、大正生まれの世代の人たちであったはずだ。
敗戦という中で、それまでの旧世代はことごとく排除されてしまって、その後を引き継いだのは、それこそ明治、大正生まれの若い世代の人たちであった。
この本に登場しているような人は、戦争の生き残りであると同時に、その時代においてもすでに相当な実績を誇っていた人たちで、古い旧弊に凝り固まった人々、先輩たちがいないのだから相当に自分の裁量を発揮できたに違いない。
ところが、ここでこういう人たちが旧弊に後ろ髪を惹かれるような気持ちで、思い切った発想の転換ができていなかったと思う。
というのは、日本を占領した連合軍は、政治犯の釈放ということで日本共産党員を開放してしまった。
それは当然といえば当然で、連合軍の中には旧ソビエット連邦が入っており、中国もその後すぐに共産化してしまったわけで、こういう共産主義者たちが勝者の側にいたのだから、パンドラの蓋から出た共産主義者が大手を振って歩くのも致し方ない。
そこに持ってきてデモクラシーで、思想・信条の自由が保障されたものだから、共産主義者だとて大手を振って活動できるわけである。
戦時中あれだけ厳しい軍国主義であったが、敗戦から1年もしない翌年の5月には、「天皇はたらふく食っている、米よこせ」というデモが起きているわけで、これは一体どういうことなのであろう。
あの軍事体制の中で、治安維持法があって、憲兵がにらみを利かせていたにもかかわらず、食料デモに呼応するぐらいの数の隠れ共産党員があの体制の中で息を潜めて生きていたということであろうか。
私の考えでは実際はそうではなかったと思う。
軍事体制の中では立派な軍国主義だったと思う。
ところが敗戦でそれまでの価値観が180度変わってしまったので、次なる新しい体制、つまり共産主義にすばやく乗り換え、宗旨替えしたのではないかと推察する。
典型的な風見鳥、あるいは日和見、あるいは先見性、あるいは目先が利くという類の行為ではなかったかと思う。
戦時中は軍国主義体制にまじめに奉仕した挙句が敗戦となってしまったわけで、このとき明治生まれの人、あるいは大正生まれの人は、人間として一番分別盛りであったと思う。
人格形成でも一番充実した時期ではなかったかと思うが、丁度その時期に価値観が変わってしまったので、自らの指針を失ってしまったに違いない。
だからそれまでの軍国主義に比べればデモクラシーというのはありがたかったわけで、自由であるということはこの上なくありがたい存在であったに違いない。
しかし、我々は自由というものを今まで経験したことがなかった。
自主的ということを経験したことがなかった。
自治ということを経験したことがなかった。
そして目の前には指針というものが何もないわけで、自らをどう振舞っていいか判らなかったに違いない。
デモクラシー、自由、自治、自主性ということに対して、その裏側には責任、義務が、硬貨の裏表のようにくっついているということをまったく意識していなかった。
よって、デモクラシーとは自分のわがままを通すことだという思い違いをしてしまった。
そこに持ってきて共産主義というのは秩序の破壊が大前提になっているわけで、それと自分のわがままを通すということが妙に合体してしまって、旧秩序を破壊しそこにわがままを押し通すことが民主化だと勘違いしたわけである。
こういう思い違いをし、その思い違いを解きほぐして正常に戻すことを怠ったのは、あの戦争に生き残った世代の人たちであると思う。
先にも述べたように、共産主義の是認と共産党員の解放は、戦後の日本を大きくミスリードしているが、そのことによって人が目の前で死ぬわけではないので人々は鷹揚に構えていた。
ところが、今日の我々の社会のモラルハザードはここに起因している。
大学の教授が、自らの祖国を貶めるようなことを教えていて、立派な国になるわけがないではないか。
公立の学校で自分の国の国歌斉唱や、国旗掲揚を拒むような国が他に在るはずがないではないか。
確かに、我々は戦後復興をなして、世界でもアメリカに次ぐ経済大国にはなったが、胸を張って自国を誇りに思えるほど立派な国、国家であろうか。
政府が、テロ対策でテロ撲滅に奔走している人たちに石油を供給するという国際貢献でさえ、しなくてもいいという政治家がいるわけで、これでは一国平和主義で、自分さえよければあとは野となれ山となれと言うに等しいではないか。
こういう政治家、こういう政党に、論理的に、赤ん坊に説いて聞かせるように国際貢献というものを判らせるのが本来ならば明治人であり大正人でなければならないはずである。
戦後の復興の中で、明治人や大正人が我々の本来の民族性というものを後世に指し示さずに今日まで来たということは、この世代の責任だと思う。
戦後の復興の過程でバブルに踊り狂ったのも突き詰めればこの世代の責任だ。
前にも述べたように、戦後のバブル景気というのは、戦前に日本の軍人がイケイケドンドンと金太鼓を叩いていた構図と寸分違わぬではないか。
今までこれでよかったからこれからもこのままでいいではないかという思考で、まるで先見性というよりも自分で考えるという部分がなかったではないか。
従来の巨大な銀行や証券会社がばたばたと倒れるというのは、あの戦争中に日本軍が何も補給のことも考えずに、行き当たりばったり、泥縄式の作戦で、ただただ観念論で先の見通しを予見することもなく、面子と義理と過去の席次で戦争に望んだのと同じで、そんなことで生き残れるわけがないではないか。
それと全く同じことが経済界でもまかり通っていたわけで、あの戦争の反省がまるで生かされていないではないか。
第一、我々はあの戦争の反省、敗因の究明を自らしたのであろうか。
戦後は、ただただ戦争はだめだ、してはならない、平和だ平和だとむなしい平和念仏を唱えるだけで、戦争というものを真に研究したことがあるであろうか。
戦争はしてはならない、すれば人が死ぬということは小学生でも判ることで、そんなことをなぜ日本の大学の教授や文化人と称する人や、メデイアが声高に叫んでいるのだろう。
今のこの風潮を戦後60年間も是認してきたのは明治人、大正人の責任だと思う。
戦争である以上負けることは致し方ない。
しかし、負けたからといって民族の誇りまで投げ捨てることはない。
戦争に負けるということは、基本的に鎖につながれた奴隷にされても仕方がない。
しかし、ならばこそ、次は見返してやるという覇気を失ってはならないと思う。
それは何もまたアメリカと銃火を交えるというわけではない。
戦後復興の結果として、我々の祖国が世界でアメリカに次ぐ経済大国になったのならば、経済大国にふさわしい身の振り方というものを考えるべきだと思う。
それはODAで世界中にお金をばら撒けばいいというものではない。
そんなことをすれば相手から舐められるだけで、大国の尊厳は木っ端微塵になってしまう。
それよりも大国としては、言うべき事は正面から堂々と言うという矜持を持つべきである。
そのためには金を出すときには正々堂々と条件をつけて金を出すべきで、そのことによって我々は逆に信頼を得るであろう。
明治人大正人は戦争に負けたというトラウマから一歩も脱出できずに、自らの民族の誇りも名誉も投げ捨てて、自分さえ飽食の中で生きれればいいという思考に陥っていると思う。

「日本を愛したティファニー」

2007-11-26 09:45:15 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本を愛したティファニー」という本を読んだ。
昔、「ティファニーで朝食を」という映画があった。
オードリー・ヘップバーンの主演で、華麗な作品であったように記憶しているが、そのときこのティファニーというのが何だか見当もつかなかった。
これが宝石店の名前だということがわかったのは相当に遅くなってからだったように記憶している。
要するに、世界に冠たるブランド品の店ということであるが、私にとってはこのブランド品というものが全く「猫に小判」、「馬の耳に念仏」に等しく、その価値そのものが無いに等しい。
生来の貧乏人根性が抜けきれずに、あんなものに金をかける人の気が知れない。
正真正銘の貧乏人の僻みそのものであるが、こういうものにあこがれるという心理も、ある意味で欲望のなせる業であろう。
先に記したバリ島の神々の話でも、人間の欲望について、私の思うところを述べておいたが、世界のブランド品といっても、私のようにそういうものに無頓着な人間には、それを手にしたいという欲望がまったく沸いてこない。
完全に「猫に小判」という存在で、いくら高かろうが欲しくもなければ身につけようとも思わない。
逆に、それにあこがれる人が馬鹿に見える。
しかし、世の中にはそれにあこがれる人が掃いて捨てるほどいるので、人間の織り成す世間では欲望の渦が沸き立っているのであろう。
この本の言わんとするところは、創業者の履歴と、その親族の存在に光を当てると同時に、企業というものにとって如何に信用が大事かということをドキュメンタリーとして縷々述べている。
宝石を扱おうが何を扱おうが、企業というものは突き詰めれば組織であり、組織であるとするならば、それには人間が介在しているわけで、人間が介在しているとなれば、当然その人の心のありようが大きく影響するということは自然の成り行きである。
最終的には人の心のありようが企業存続の大きな要因となる。
日本の経済も戦後の復古を成し遂げた後ではバブルに走った。
走ったというべきか嵌ったというべきか、そのあたりは確たる定義ができないが、こういう傾向は一人や二人の人間の話ではないわけで、当時の日本人全部がバブルに踊った、あるいは踊らされた、踊り狂ったわけで、これは実に不思議な現象だと思う。
戦後、何もない無の状態から企業を立ち上げて、戦後復興という右肩上がりの経済動向の波に乗り、企業そのものは規模拡大したが、その過程でその企業をコントロールすべき人々は完全に人間の心を失ってしまって、ただただ自堕落に自らの欲望を満たすことにだけ精神を集中させたということに他ならない。
この時の我々の民族の精神構造をよくよく見てみると、先の大戦に嵌り込んでいった過程と全く同じ奇跡を歩んでいたではないか。
つまり、時のムードに無批判に順応してしまったという点に、先の戦争に嵌まり込んだ時の反省がどこにも生かされてないではないか。
あの当時、「今、土地投機しないのは馬鹿だ」、「今、株を買わないのは阿呆だ」、「今、ゴルフ会員権を買わないのは能無しだ」といわれたものだが、それは戦時中に「鍋釜まで供出しないのは非国民だ」というスローガンと全く同じことではなかったか。
農地解放で労せずして土地所有者になったにわか成金が、飲み屋の小娘に金をばら撒いたので、年端も行かない小娘がブランド品を見びらかす風潮が蔓延したわけで、そのことが亡国につながっていることに誰一人考えが至っていなかったではないか。
バブル崩壊が第2の敗戦という認識を誰も持たなかったのは、この時は銃火を交え、人が目に前で死ぬということがなかったので、誰も敗戦などという殺伐とした認識を持たなかった。
だが銀行が倒産し、証券会社が倒産するということは、先の大戦で軍人が馬鹿な作戦を遂行したのと同じ精神構造であったわけで、そこには我々が何故馬鹿な戦争、負けるような戦に嵌まり込んだかという反省が微塵も現れていないというれっきとした証左である。
これを深く考察してみれば、ひとえに企業の人となりの現われとみなしていいと思う。
企業というよりも、日本社会のひずみとでも言う外なかったように思う。
資本主義社会の中の企業には当然のこと栄華盛衰があるのは当たり前であるが、その中でも生き残っている企業には、それなりの企業家魂というものがあるのもこれ又当然のことであろう。
企業家魂というと表現が古臭いが、今の言葉にいいかえればコンプライアンスということになろうかと思う。
わかりやすく言えば企業としての倫理観であろうと考える。
ティファニーというのは基本的にはマーチャンダイズ、いわゆる商人、われわれの世代の言葉でいえばブローカーというほうが実感が伴う。
で、そのブローカーとして日本に銃を売りつけたという話が非常に興味を引く部分であった。
その要旨は、アメリカの南北戦争が終わって余った銃を、日本の明治維新の際に長州や薩摩という雄藩に高額で売りつけたというものである。
オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」が、こういう話に結びついているところが非常に面白かった。
この本の著者、久我なつみ女史は戦後世代の人で、この企業が死の商人として利益をむさぼったという部分をこの企業の陰部として認識しているようだが、武器のブローカーが人間のモラルに反する恥ずべき行為というふうに短絡的に考えること自体が平和主義のすり込みだと思う。
戦後の日本人は、平和主義というものを平和、平和と平和念仏さえ唱えておれば平和は実現できると思い込んでいる節があるが、平和というものは武器を取って戦い取る、勝ち取るべきもので、そのために武器の調達というのは必然的なことになる。
あの戦時中、我々の側でも武器の生産というのは、それこそ国家総動員体制で行われていたが、結果的にそれは敗北で終わってしまった。
同じころアメリカでも我々と同じように国家総動員体制で武器を作っていたわけだが、彼らは勝者となったわけである。
負けた我々は、その結果として「武器があったから戦争に嵌まり込んだ」という認識が普遍化したが、勝ったアメリカ側にすれば「勝つためには、あるいは平和を構築するためには武器が何が何でも必要だ」という論理になるのも当然だと思う。
ならば武器の供給は正義のためには良い事だとなるわけだが、問題はこの正義というものが時と場所、あるは時期、時代状況によってころころ変るわけで、座標軸がきちんと定まっていないことが最大の問題だ。
アメリカ側で南北戦争が落ち着き、平安が訪れるとティファニーはそれ以降一切武器に関する取引はしなかったという点に企業の倫理観が如実に現れているが、この部分が企業家にとっては非常に大事な部分ではないかと思う。
昨今の日本のメデイアの報ずる食品会社の偽装問題、防衛省納入業者山田洋行の詐欺まがいの取引等々まるで企業としての倫理観の欠如以外の何ものでもないではないか。
我々は報道された事実から企業側の責任を追及しがちであるが、悪事をした企業が責められるは当然であるとしても、もうひとつ忘れてならないのは監督官庁の存在である。
赤福でも山田洋行でも、当然それらの企業を管理監督する官庁、たとえば保健所とか、防衛省自身が、メデイアが企業の悪事を暴露するまで知らなかったでは、監督官庁の意味を成さないではないか。
内部告発を待っていなければ企業の悪事を暴けないでは、監督官庁としての意味をなしていないではないか。
山田洋行に対する防衛庁でも、メデイアが実態を暴くまで自分たちがだまされていたことに気がつかないでは、子供の使いにも劣ることではないか。
企業側に倫理観が欠け、監督官庁も自らの使命を忘れているとすれば、社会全体としてまさしくすべての階層で倫理観がなくなってしまったと考えなければならない。
今は、まさにその時だと思う。

「神と在るバリ人」

2007-11-25 21:57:00 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「神と在るバリ人」という本を読んだ。
バリ島の宗教に関した見聞録という感じのものであるが、柳田國男や折口信夫のような民俗学的な見地とも一味違った捉え方をしていた。
われわれクラスの凡人からすればバリ島といったところで、少々景気のいい人が遊びに行く場所ぐらいの認識しかないわけで、遊び呆けにいく人間がその地の宗教に関心を示すなどということ自体、極めて奇特なことだという印象しか浮かばない。
しかも、その宗教がヒンズー教ときているのだから、まるで異星人の宗教のようなものでしかないはずだ。
バリ島といえば日本人観光客にとってはマリンスポーツぐらいしかないわけで、観光の目玉がマリンスポーツしかないということは、自然がいっぱいで俗化していないというれっきとした証明ではある。
この島の踊りもそれなりに観光名物であろうが、素朴さが身上ということは、それだけ俗化していないということでもある。
日本の大都会からこういう素朴な島で心身ともにリラックスするということは、時間に追われてストレスいっぱいのわれわれには大いに命の洗濯にはなる。
しかし、そういう島に渡って、その地の宗教について感心を寄せるとなると、やはり構えて掛からねばならないと思う。
島に住む人々と、その地の宗教を考えるとなると、やはり民俗学的な視点を持たねばならないであろうが、人間が宗教に依拠しなければ生きていけれないというのはなんとも忌まわしいことだと思う。
この地球上に住む人間は自分で意識するしないにかかわらず、宗教抜きにはありえないようだ。
われわれ日本人は無宗教ということがよく言われるが、本当は無宗教ではなくて八百万の神を心の内に秘めているというのが実情ではないかと思う。
他の宗教は強烈な一神教で、キリスト教、あるいはイスラム教、あるいはユダヤ教は自らの神を強烈に意識している。
よって彼の地の人々は、自分はキリスト教徒、あるいはイスラム教徒、ユダヤ教徒という風に自らを神の僕と認識しているので、自分の信ずる神は一つしかありえないが、われわれの場合八百万も神があるので、実質それはゼロに限りなく等しいわけで、無宗教という表現にならざるを得ないのであろう。
言葉を変えれば宗教に対して寛容なわけで、この宗教に対する寛容さがそれぞれの民族の文化のバロメーターになっているのではなかろうか。
西洋人が近代文明を築き上げたということは、あの一神教のキリスト教徒の中でも宗教に極めて寛容な人々が、神の領域に踏み込む勇気をもっていたからだとおもう。
黄色人種の中で日本民族だけが19世紀以降の近代文明に追従できたのも、神に対する寛容な精神があったから旧弊を打破できて先に進めたのではなかろうか。
神を奉る意識が強いものほど近代化には立ち遅れたわけで、近代化に立ち遅れたから21世紀になって最後の楽園として、近代化された社会でストレスにまみれた人々が精神の平安を求めてこういう、近代されていない素朴さの残った地に救いを求めに来るのであろう。こういう地に住んでいる人は、ある意味で幸せな部類に入るかもしれない。
日暮れ腹減りで自然のサイクルにあわせて生きておれるのだから、この地球で一番幸せな人たちなのかもしれない。
車も、テレビも、家もコンピューターも知らないまま、海から吹き寄せるそよ風に吹かれて安楽に生きておれればこれほど幸せなこともないかもしれない。
ということは突き詰めると欲望の度合いの格差ではなかろうか。
日暮れ腹減りで自然のサイクルに身を任せて、神を信じきって俗化した欲望を知らずに生きておれれば、人間としてこれほど幸せなこともないに違いない。
われわれは俗化した欲望に追い回されているので、ノイローゼになったり、ストレスを溜め込んだり、自分を不幸と感じたりするのではなかろうか。
欲望というのは他を意識するから、それに追いつき追い越せという競争心が物欲に拍車をかけているのではなかろうか。
自分の身の回りの人間が皆、裸で、腰ミノ一枚で、やしの葉陰で昼寝をしているような環境で、テレビもラジオも持たず世界の情報から隔絶されていれば人々は幸せに暮らせるに違いない。
テレビをはじめとするメデイアがこの世の一部でしかない裕福な生活を映し出すから、人々はそれに追いつき追い越せと欲望をぎらつかせるのであろう。
人間の欲望の前には神も仏もないということだ。

「明快・国会議員白書」

2007-11-20 07:58:10 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「明快・国会議員白書」という本を読んだ。著者は平沢勝栄。彼はテレビにもよく登場しているので、その意味ではよく知っている。
しかし、東大法学部を出て警察畑を歩んで、国会議員に出馬するというのは異例のことではないかと思う。
その異例なるがゆえに、苦労も多かったということが縷々述べられているが、こういう場面になると愚痴っぽくなるのは致し方ない。
彼は国会議員白書という形で政治を語りたかったのではないかと思う。
日本人と政治という関係は我が民族の生き方そのものではないかと思う。
昔から言われているように、経済は一流だが政治は三流というのは、いくら歳月を掛けても直らない民族の特質ではないかと思う。
日本を占領統治したマッカアサーがいみじくも言ったように、我々の政治というのは12歳の子供の民主主義の域を出るものではないようだ。
私自身同胞を見ていてそう思う。
民主政治の理想の形は2大政党が交互に政権を担当して、時計の振り子のように、お互いに協力し合って国を前に進ませるというものだと思う。
ところが我々の場合、他政党を敵とみなして、足の引っ張り合いに徹してしまって、国や国民のためという大儀をないがしろにして、党利党略を優先させ、相互に協力し合うということが皆無のようだ。
厳密に言えば、日々の国会運営ではそうそう敵視しているわけでもなかろうが、メデイアを通じて国民の前にさらされる現実は、そういう風にしか見えない。
明治維新以降の日本の政治は、基本的には民主主義を建前として、選挙で選出された代議員、つまり国会議員を通じて行われているが、この議員を選出する段階から泥試合が展開される。
昔は井戸塀議員といわれるほど私財を投げ入れなければ議員足り得なかった。
しかし、今考えてみると、この井戸塀議員というのは実に立派だったと思う。
つまり、自分の金で票を買って、それで公共という全体に奉仕していたわけで、それゆえに井戸と塀しか残らなかったわけで、今の議員連中から見れば天と地ほどの違いがあるではないか。
問題はその運動の仕方にあったように思う。
正確には知らないが、大昔の選挙運動では、肥え桶かついで糞尿の掛け合いまであったといわれているが、これは選挙というものが村落の縄張り争いの様を呈していたということで、如何にも民主主義の未発達ということを指し示している。
我々の民族の特質として、どうしても農耕民族として稲作を中心にして生きてきたわけで、その中では集落ごとの連帯が強調されてきた。
稲作という水田を管理しなければならないがゆえに、常に集落全体で相互扶助に徹せざるを得ず、その中では特別なリーダーを必要とせず、めいめいの経験の中からリーダーも回りもちでことが収まっていたわけである。
自分がリーダーになったとき、特異な行動をすれば、集落の全員の顰蹙を買いかねないので、そういう欲望は自分の心中に押さえ込まなければならない。
ついつい長いものには巻かれる、出る杭は打たれるという結果が見えているので、どうしてもなあなあと丸く治めることが慣用となってしまう。
この部分が真の民主化を拒んでいる最大のポイントであるが、それは集落を中心とした米作りの場ではうまく機能してきたが、近代的な国政の場ではいかにも田舎くさく、未開で、時代遅れの様相を呈することになる。
我々は近代思想というものを自らの内側の衝動で作り上げたわけではなく、外からの移入によってなんとなく身につけたようなもので、真の近代的な民主主義というものの本質を知らないまま、修得し切れないまま今日に及んでいる。
これはマスメデイアの責任で、メデイアが我々の生活や思考の表層面のみを怒涛のように、集中豪雨的に報道するものだから、国民はその本質を知らないままうわべだけを本質と勘違いして受け入れてしまったのである。
ここでメデイアの偏向を是正する使命を、本来ならば知識人や教養人や大学教授たちが担うべきであったが、彼らもメデイアに幻惑されてしまって、表層の動きしか目に入らなった。
たとえば、伊勢の赤福もちが賞味期限を誤魔化したといって今話題になっているが、もちを食べていいか悪いかまで、法律でがんじがらめにしなければ安心できない社会というのは、社会そのものが既におかしいといわなければならない。
あれをしてはいけない、これもしてはいけない、と国民の側が国家に求めるわけで、法で定めたいけないことをしたからあれは罪人だ、いけないことを明示しなかった、つまり法律でいけないことを定めなかったから、その被害は国家が持て、金よこせという論理である。
しかし、メデイアにはそういう論調は一言も出ていないわけで、「法を犯したから悪人だ」という論調のみが流布されているではないか。
もちを食べていいかどうか、鶏肉の産地が正確にわからないとか、こういうレベルの話まで法律で律しなければならない社会というのは責任のなすりあいそのもので、自己責任を丸まる放棄しておいて、病気になったから国が金を出せというに等しいことである。
赤福もちも、鶏肉も、まだ病人や死者が出ていないので、保障問題には至っていないが、行き着く先は結局そういうことになる。
今生きている日本人には自己責任というものは最初から無いわけで、赤福もちを食べるのも、吉兆の料理を食べるのも、もし万が一のことがあったときの責任を、他者の責任に転嫁しようという下心が見え見えで、それで被害が出たら監督官庁の怠慢だから金よこせという論理になる。
法を遵守することは現代の社会人ならば当然のことであるが、ならばその本人は徹底的に法を遵守しているかと問い直せば、法をきちんと守っている人は案外いないはずだ。
たとえば、道路交通法。これを法律どおりにキチンとまもっているかどうかはきわめて曖昧なはずで、「俺は決して違反をしていない」と胸を張って言える人が果たして何人いるであろう。
国民の生命財産を守るのは国家の責任だ、と声高に叫ぶ人ほど、国歌斉唱にも国旗掲揚にも難癖をつけで、自分の祖国を冒涜しておきながら、中小企業に法の遵守を厳しく迫るというのは、完全に得手勝手というものである。
政治の場面にも往々にしてこういうのがあるわけで、政党が国会審議を拒否するということは、政党たることを放棄しているに等しいことだが、党利党略のためには往々にして審議拒否という行動に出るではないか。
法案審議という国会議員の真の職務であるべき本質を放り出しておいて、何が民主政治だといいたい。それにつけても、こういう場面で、メデイアは審議拒否する政党を頭から強く糾弾することをしないではないか。
審議すべき法案が、気に入ろうが入るまいが、審議を拒否するということは国会議員の職務を放棄するに等しい行為で、反対ならば反対で審議には応じるべきである。
「どうせ反対しても法案は可決してしまうから、審議そのものをボイコットする」というのは国会議員の職責放棄である。職場放棄である。兵隊ならば敵前逃亡で銃殺刑である。
当然、議員の歳費は審議に出なかった分だけ差し引くべきである。
この本の中で平沢勝栄氏も新任議員の悲哀を愚痴っているが、彼の言い分を聞いても、日本の政治は三流の域を出るものではない。
ある意味では三流でも致し方ない部分がある。
というのは国会議員には採用試験とか、入社試験というものがないわけで、ようするに選挙の上手なものは無知蒙昧な者でもなれるというわけだ。
無知蒙昧という言い方は適切ではなく、実際は成りたいものが選挙さえ上手にクリアーすればなれるわけで、そこでは資格審査も人格の審査も無ければ、モラルの有無も問われないわけで、そういう意味で東大出の官僚より優れた頭脳というのは最初から期待できない。
だから、政治家が官僚に振り回されるのは致し方ない。
戦前の日本はこの部分で、政治家が陸士や海兵出の軍人に振り回されていたわけで、そういう意味からすれば、政治というのは常に官僚、軍官僚であったり、東大出の官僚の下にあったわけで、それを突き詰めれば東大卒業生のモラルアップを図らなければ政治そのものが向上するということはない。
しかし、人間の織り成す社会というのは理想には程遠いものだろうと思う。
頭のいい人ほど理想に夢を託すが、この世に人が群れを成して生きている限り、極楽浄土ということはありえないのであろう。
学問があるから偉いというのはただ単なる思い込みに過ぎず、学問があっても、学歴がいくら高くても、金をいくら持っていても、悪いことをする人間はいくらでもいる。
逆に、学も、知識も、知恵も、金もなくても人のために一生懸命尽くす人もいるわけで、そういう人が混在しているからこそこの世は面白いとも言える。
惜しむらくは、日本のメデイアというのは、金も、地位も、学歴も高い人間が悪事を働くと鬼の首をとったようにそれを暴き立てるが、名も無く貧しく無名の人がいくら善行を積んでも、それを評価しない点である。
今の日本のメデイアの状況を見てみると、日本には悪人ばかりで善人が一人もいないような印象を受けるが、巷間にはそういう善意の人も掃いて捨てるほどいるはずだ。
ただそういう人の日々の生活や活動はニュースバリューがないので、メデイアが取り上げないだけで、世の中は悪人ばかりのように見える。

「清水幾太郎の『20世紀検証の旅』」

2007-11-19 10:46:45 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「清水幾太郎の『20世紀検証の旅』」という本を読んだ。
清水幾太郎といえば、日本の代表的な知性そのものということはよく理解しているが、私に言わしめれば今一つ信用し切れない部分がある。
既に故人となっているので、死人に鞭打つようなことは、それこそこちらの知性教養が問われるが、もともと私は教養知性が最初から無いのだから怖いものなしで言いたい放題のことが言える。
私は彼の著作を読んだ記憶はあまりないが、彼が60年安保のとき「今こそ国会へ!」とアジッた記憶は頭の片隅に残っている。
私が彼を信用しきれない部分はこの点である。
このアジで、当時の大学生が国会議事堂にはせ参じ、門の門扉をよじ登り、直接の因果関係はわからないにしても結果的に樺美智子さんが圧死したわけで、その当時の大学教授とか文化人、教養人、マスメデイアが反政府でなければ人であらず、という時代風潮には心底腹を立てている。
彼、清水幾太郎がその当時こういう有象無象の先頭に立って反政府運動に身を投じていたことを考えると、彼らのいうことが心底信用しきれない部分がある。
政府べッタリで一言も反論せず、従順に従えというつもりはないが、軍国主義が時流のときはそれに便乗し、風向きが変わって反政府が時流になると、その時流に都合よく便乗するという性根が気に入らない。
この本は彼の弟子が、彼の旅行に同行した様が描かれているが、その文脈の中で、彼の思想の中には共産主義というものの影響は少なく、真に同胞に憂いの気持ちを持っているがゆえの苦言という部分が見え隠れしている。
だとするならば、私と考えていることが一致する部分もかなりある。
彼の安保反対というのは、日米同盟で日本がアメリカに隷属してしまうという部分を危惧した行為と思われる。
しかし、1945年から1960年代において、我々の置かれた立場は何処からどう見てもアメリカの属国以外の何物でもないではないか。
何しろ我々はアメリカに惨敗したのだから当然の帰結であって、それは今でも然りで、我々はアメリカの属国なるがゆえに、飽食な生活ができているのではないか。
これが完全な自主独立を堅持した主権国家ならば、明らかに立ち行かなくなっているに違いない。
日本がアメリカと同盟を結んでいなかったならば、韓国、中国から明らかに蹂躙されてしまっている。
戦後の日本人で、祖国にために身を挺して外国と戦う気力なる人間がいたであろうか。
アメリカと同盟を結んでいるからこそ、北朝鮮の日本人拉致程度で収まっているが、もし今日米同盟というものがなかったとしたら、我々は完全に今の北朝鮮並の生活になっているであろう。
ということを想像すれば、彼、清水幾太郎があの60年代において反政府運動に身を投じたという過去は、完全に日本の未来予測を見誤っていたということである。
あの時点で、日本はアメリカの属国に徹しきらなければ生きる道がなかった、という認識に欠けていたわけだ。
結果的に、彼の思考は無視されて、日本はアメリカに従属したがゆえに、我々は今飽食の中で生きておれるのである。
日本のオピニオンリーダー、大学教授や、文化人、教養人、そしてマスメデイアが日本の将来を見誤って、間違った指針を示すということは一体どういうことなのであろう。
我々の先輩諸氏があの戦争への道を選択したのも、昭和初期の日本のオピニオンリーダーたちが未来予測を見誤ったわけで、そのときのオピニオンリーダーたちがたまたま軍人であり軍部だったに過ぎない。
その時にも、つまり昭和の初期にも、我々の国では国会議員も、大学教授も、文化人も、教養人も、メデイアもきちんと機能していたではないか。
そういう人たちが何故に軍人、軍部に国の舵取りの主導権を譲り渡してしまったのか、戦後我々はそういう意味の反省をきいたことがないではないか。
口を開ければ、軍部が独断専横した、治安維持法があって自由にものが言えなかった、天皇制を強いられていた、等々の言い訳は山ほど聞かされたが、それに従順に順応したのが昭和初期の文化人、教養人、メデイアではなかったのかと言いたい。
結局、突き詰めると、大学教授に代表されるような文化人、教養人、メデイアというのは、あくまでも虚業に過ぎない。
大根1本、ねぎ1本、釘一本作るわけではなく、あけてもくれても日向にたむろして口角泡を飛ばして床屋談義をして時を過ごしているにすぎない。
戦後、無から日本を今の状況に持ち上げてきたのは当然のこと物作りの現場である。
大根1本、ねぎ1本、釘一本作るにも、それに携わっている人は日夜頭を働かせて、効率ということを考えている。
最も経済的に少ない肥料で、少ない労力で、如何に早く、品質よく、効率よく収益を上げるか常に考えて生きていると思う。
こういう人々を、文化人の目から見ると、汚い野良衣を着て、方言丸出しで、地面を這い回って生きているので、馬鹿か阿呆に見えるのもある意味で当然なことだと思うが、この表層の部分だけを見て、その真相を、あるいは深層を見ることなく、その部分を斟酌する心の余裕、精神の寛容さ、ものの真理を慮る心根、そういうものに価値を見出すことなく口先の議論のみしていたから、軍部、あるいは軍人に主導権を握られてしまったのである。
象牙の塔にこもっていて、本だけ読んでいても世の中の動きが判る訳がない。
世の中の動きがわからないから、彼ら文化人は未来予測が的確につかみきれないのである。
この本の中で、いみじくも彼、清水幾太郎が述懐していることに、大学としては学生を躾けることに失敗したが、民間企業に就職すると見事に企業のカラーに合わせて躾けられると。
この彼の言葉を今一度斟酌すると、大学を出て企業に就職したものは、それぞれの企業のカラーに躾け直されるが、学者の道を選択したものは躾のリセットが無いまま、大学教授として世の中に出るわけで、そのことは躾の無い分未成熟な社会人として世の中に受け入れられ、表層的に文化人、教養人、大学教授としてオピニオンリーダーとして認知されてしまう。
こういう人が、次から次へと次世代を養成するわけ、そういう学生を受けいれる企業は、そこで増すます社内教育でそういう得体の知れない卒業生を躾けし直さなければならないということになる。
私のような無学なものからすれば、オピニオンリーダーともなれば雲の上の存在にみえるが、今の我々のおかれた現実は、この通りのものである。
当然、この現状を直さなければならないという機運は、そのオピニオンリーダーの側から出て然るべき筈である。
ところが現実にはそうならないのは如何なる理由なのだろう。
答えはいとも簡単で、痛みを伴う改革は御免だという心理そのものだ。
この本を読んでいて共感する部分が2,3あって、それは昔の日本の教養人はヨーロッパ文化を第1と考えアメリカについては三流とみなしていた点や、白人が黄色人種を一段と下に見下げているという論旨である。
これらについては私も前々から同じことを書き綴っていたが、日本を代表する教養人と私が同じ考えでは日本を代表する知性、教養が地に落ちたということである。
象牙の塔にこもって日夜あまたの文献を読み漁っている大学者と、額に汗して労働している底辺の下層階級の無学者が同じ考えであってはならないはずではないか。
ならば教養、知性とはいったい何なんだということになるではないか。
こんな馬鹿な話も無いと思う。

大学の仕事

2007-11-16 17:00:20 | Weblog
本日の朝日新聞、朝刊14面にイギリス、ケンブリッジ大学長のアリソン・リチャード女史が東大130年周年を記念してコメントを寄せている。
ケンブリッジ大学といえば私ごとき無学なものでもその名声は承知しているが、そこのトップが女性だということは大いなる驚きであった。
そして、そのタイトルが「大学の仕事は終わらない」という標題であった。
彼女の論旨は読んでみればもっともなことで、学問の重要性は21世紀以降も今まで同様なんら変わるものではないというものである。
彼女は言う。
「21世紀の課題は、優れた賢い個人が本拠地だけで研究したり教えたりすることを超える国際的なアプローチだ。地球的視野は有益なだけでなく必須だ」と述べている。
もっともなことだと思う。
ここで我々が注視すべきことは、彼女、つまりケンブリッジ大学のトップが「優れた個人」と言っていることである。
戦後の我々にはこういう発想が欠けている。
欠けているというよりも、こういう発想を黙殺してきた。
黙殺したというよりも、こういう発想を「悪」と認識していた。
「個人の尊厳」とか、「個性の尊重」といいながら、人よりも秀でた人間を押さえつけ、そういう個人が能力を発揮することを押さえつける志向を推し進めてきた。
知性や学問の低値安定を狙ってきた節がある。
何でも平等という意味で、個人の特性を押さえ込み、人より秀でた能力はスポーツの場合だけ(運動会で順位を競うことを拒む例もあるが)尊重され、学問や知性や感受性という面では、そういう個人の持った特性を押さえ込んで、皆、一律にという思考を推し進めてきた。
この世に生まれ出でた人間で、人と同じというのはありえなず、個々の人間の能力は天と地ほど差があるものを、それを全部平均値の枠の中に押さえ込もうとでもするかのようなことをしてきた。
その意味で、西洋の人々は「個の確立」という概念が定着している分、優れた者も逆にそうでない者もそれにあった対応がなされているが、我々は何でもかんでも平等こそが至上主義であったわけで、学校間の学力の格差さえも是正しようと躍起になった時期があったではないか。
ヨーロッパの人々の生きがいと、我々、日本人の生きがいにはかなりの差異があるようで、その相違点は如何に人生を楽しむかという根本思想の違いだと思う。
この世に生を受けた人ならば誰でもが安楽に生きたいと思うのが当然であろう。
しかし、この安楽という定義に我々とヨーロッパ人の間には大きな差異があると思う。
ヨーロッパの人々は、分に応じた安楽で満足しているに違いない。
というのは、ヨーロッパでは階級制度というのは暗黙のうちに存在するわけで、自分の置かれた社会的な地位あるいは境遇を超越してまで、無限大の欲望を追及するなどということは想定外のことだと思う。
ところが、我々の側は、階級というものは戦後一切消滅してしまったので、それこそ人は平等になったわけだから皆が皆、大学に進学するのが当然で、皆同じように均一に裕福でなければならないという発想に至っている。
よって大学が幼稚園化してしまったではないか。
高等教育などというものは国を担って立つものだけが受ければ充分だ、という思考を超越してしまって、皆が皆、均一の高等教育を授けるべきだという認識に至っている。
人は誰しも教育、あるいは学問、知性、教養というものは、無いよりは有ったほうがいいに決まっている。
しかし、現実の問題として、飲み屋のオッサンや、喫茶店のマスターや、土建屋や、運転手や、その他社会を構成しているすべての職業に高等教育が必要であろうか。
学士様でなければならないであろうか。
今の日本の大学の現状というのは、まさしく経営に失敗した英会話教室のNOVAと同じではないか。
大学の経営というものがまるでパチンコ屋やゲームセンターと同じ経営感覚で行われているではないか。
学問のガの字も有るかどうかわからないような大学が雨後のたけのこのように乱立しているではないか。
大学などというものは基本的にもっと真剣に学問を追及すべき場所であって、学歴社会の免罪符としての卒業証書を乱発すべきところではないはずである。
学歴社会において卒業証書をありがたがる傾向というのは一般社会の方にも責任がある。
民間企業でも、新卒の大学卒業生でなければ、自分の社の社員として認識しないという弊害があるわけで、中途採用では最初から社員として認めないという悪い慣習がはびこっているがゆえに、若い人が学歴ほしさにNOVAのような大学に擦り寄ってくるのである。
公務員の場合は当然登用試験で採用されるが、この場合は基本的に学歴の有無は無関係に行われるべきで、試験の内容として大学出に相当する問題を科すということは明示してもいいが、基本的には学歴を問わないという風でなければならないと思う。
日本に必要な大学は、旧帝国大学の数ぐらいが適正な数だと思う。
そういうところで本当のエリートに真の学問を修めさせるという発想に至らなければ駄目だと思う。
猫も杓子も、あいつが行くから俺もいく、良い企業に就職したから良い大学に行く、などという就職予備校ではないはずだ。
就職のための勉学ならば専門学校で充分で、そういうものは大学とは呼ばせず専門学校のままでいいと思うし、むしろ実践的な専門の技術を習得させる実践力や即戦力のある卒業生にすべきだと思う。
学問などというものはきわめて少数の選りすぐりのエリートだけが励めばいいことであって、あとの有象無象の平均並みの人間は、もっともっと倫理を学ばせて、社会的な悪をこの世から自然消滅させるように道徳的に優れた人材を養成すべきだと思う。
大学の教育が義務教育に等しいほどに低下したということは、大人になっても子供の躾をしなければならないということ裏返しの現象だと思う。

「石橋湛山の戦後」

2007-11-14 07:24:51 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「石橋湛山の戦後」という本を読んだ。
この著者が又変わっている。
1953年生まれの中国人で姜克實という人で、1983年昭和58年に早稲田大学大学院に入学してこれだけの本が書けるということは実に驚くべきことだ。
滞日24年と勘定しても、これだけの書物をものにするということは並大抵のことではないはずだ。
随筆とか小説などというヤワな内容ではない。
石橋湛山といえば日本人でも今その名を知らない人が多いような人物だ。
政治家として、知る人は知っているが、相当にマイナーな人で、政治経済に造詣の深い人でなければ知らない人が多いと思う。
中国の人が、彼、石橋湛山に目をつけるということは実に優れた鑑識眼だと思う。
しかも、日本の戦後という時期に中国人がスポットライトを当てるということは実に稀有なことではないかと思う。
あの戦争を通じて、中国の人の視点からすれば、日本が中国を侵略して、満州国を作って中国人を搾取したという認識が普遍化していると思うが、実際に中国人の日本を見る目というのは一体どうなんだろう。
確かに、日本がアメリカに降伏するまでは朝鮮、台湾、中国を支配していたことは事実であったが、植民地として搾取したという言い分は間違っているのではなかろうか。
この本の石橋湛山の論調によれば、日本が植民地を搾取するなんてとんでもない話で、本土からの持ち出しが多いからそんな政策は止めてしまえというのが、彼、石橋端然の論旨であったはずである。
事実、投資はどんどん行って、彼の地の学校建設から社会的なインフラ整備まで日本人の血税で行われたにもかかわらず、我々はその元も回収しきれていない。
それを侵略とか搾取などといわれたら我々の側としては立つ瀬がないではないか。
媚中派の政治家はそのことを知っているのかと言いたい。
1945年8月15日という日は、中国戦線で日本は降伏したわけではなく、ただ単に戦闘を停止したに過ぎないと思う。
点と線とはいえ、日本は実質中国の地で実効的な占領を行っていたわけで、戦後の彼らの言い分によると、その部分がけしからんと言うわけである。
その後、中国は4年も内戦を繰り返していたことを考えれば、我々はその後の共産中国の誕生に、国民党政府軍の力を削いだという意味で、その誕生に貢献した部分も大いにあると思う。
これは東南アジア諸国が、日本が西洋列強の軍事力を削いだので独立がしやすくなったということと軌を一にしていると思う。
日本が中国を侵略したとされている時期の中国の実態は、世界的な認識で以って語られる主権国家のテイをなしていなかったはずだ。
それは新生中華人民共和国の誕生で以って始めて国際感覚で言うところの主権国家のテイをなしたわけで、それでも台湾の中華民国、蒋介石の存在を考えれば、本当に一つの主権国家たるかどうかははなはだ疑問である。
とは言うものの、実質、中国共産党がその大部分を掌握している以上、便宜的にその掌握部分を主権国家の範囲と認めなければ国際社会として穴が開いてしまうので仕方なく認めているに過ぎないと思う。
ところで、中国の民は実に口達者である。
悠久の昔からこの地に住む民はさまざまな民族、さまざまな国家、さまざまな帝王に支配されてきたので、彼らの武器は弁論となり、その考え方の基底には御身大切という思考が根付いている。
要するに自分さえ良ければ他はどうなってもかまわない。
儲けれるときに精一杯稼いで、後は上手に逃げ切る。
「水に落ちた犬を叩く」、この考え方を維持するには長幼の序がまことに便利なわけで、それを集大成したものが儒教となる。
彼の地に住む人々は、自分を弁護することに非常に長けているので、我々はそれで煙にまかれてしまうのである。
言葉が実にたくみで、支離滅裂な論理をさも整合性のあるように見せかけることに実に長けている。
こういう部分では、我々の側に見事にマッチした諺がある。
「風が吹けば桶屋が儲かる」というものである。
何の関連のないものを実に整合性のある論理に見せかける口舌を指し示す言葉であるが、中国の人々は実にこれが巧みだ。
我々は、小泉首相のときの靖国神社参詣問題でその現実を身を以って体験したわけだが、彼らの国家がそういうことをするということは、彼らの内側に向かっても同じことがなされていると考えられる。
この本の著者はそういう中国で生を受け、その地で教育を受け、その考え方を携えて日本に留学したものと推察する。
当然、そのときには思考のギャップを体験したに違いないが、この本からはそのあたりのことは垣間見えてこない。
個人の考え方の変遷は見えてこないが、石橋湛山の研究という意味では、まことに優れた作品だと思う。
そして石橋湛山の活躍した戦後という時期についても実によく研究されている。
石橋湛山の小日本主義というものはつとに知られたことであるが、彼はその考え方に則って、日本の大陸進出および対米戦に対しても反対の態度を崩さなかったが、しかし、昭和初期の日本人の大義には逆らえなかったということだと思う。
石橋湛山は、「日本は工業化に徹し、貿易に徹すれば自存自衛が可能だ」いうわけだが、あの当時の大部分の日本人は、明らかに大陸進出を願い、殖産興業を願い、海外雄飛を願望していたものと推察する。
戦後60年経過してみると、我々は領地を絞られて、たった4つの島の中で、結果的に石橋湛山の唱えた小日本主義で生きざるを得ず、その成果として戦前我々が描いていた世の中を知らず知らずのうちに築いてしまっていた。
石橋湛山の描いていた小日本主義というものを意識せずに作り上げてしまっていたが、昭和初期の我々の同胞には、今の我々の姿というのは想像だにできなかったに違いない。
戦後しばらくしたとき、手塚治虫氏が「鉄腕アトム」という漫画を描いたが、我々は子供の頃、その漫画に描かれた世界はあくまでも空想の中のことで、そんな夢のような世の中は金輪際ありえないと思っていた。
ところが現実にはそれに近い世の中になっているわけで、先のことは誰にわからなかったわけである。
昭和初期の段階で、我々の先輩諸氏が、大陸進出を願い、殖産興業を願い、海外雄飛を願望していたとしても、それは当時の状況から考えれば致し方ないことだと思う。
だからこそ、それが世の中に受け入れられて大儀と成っていたものと考える。
大儀というものを言葉を変えて言えば、時流であったわけで、時の流れ、当時の人々の潜在意識、人々の潜在的な願望でもあったわけで、それを達成するには軍備、実力行使、武力の行使も容認されるべきだというのが普通の人として民意だったと思う。
問題は、こういう状況下で、その時流、潮の目に乗ること、大儀の実践を国家権力が強要した点にある。
国家権力を傘にきて、威張り散らした下衆な人間が我々の同胞の中に数多くいたということである。
巷の警察官、退役軍人、学校の配属将校、町内会のボス、こういうレベルの人達が人々の個人的な思考を封殺したところに大きな問題点があったわけで、それも裏側から見れば当人の真面目さに起因していると思う。
時流に合わない者、あるいは合わない行為をした者を何が何でも合わせようとしたために、個人的な悪印象を植え付けてしまったことは、ある意味で本人が真面目すぎて、生真面目に大儀の実践を迫ったからに他ならない。
その愚直なまでの真面目さが日本を奈落の底に転がり落とし、又戦後の復興では、その真面目さがプラスに作用して、わずかな日時で我々の祖国を世界第2位の経済大国にまで押し上げたものと考える。
戦前の我々は挙国一致で戦争に突き進んだが、戦後は挙国一致のスローガンは立ち消えたが、がむしゃらに、猪突猛進的に、食うや食わずで復興にまい進したという意味で、実態は挙国一致で戦後復興をなしたということである。
この姿は石橋湛山の説く論旨と全く一致していたわけで、それを中国から来た留学生が我々に指し示したのがこの本だと思う。
その姿を一中国人としてはどういう風に捉えているのであろう。
先に読んだ劉鴻運氏の自伝の中では、「日本人は自分の得た技能を後輩に分け与えるが、中国人はそれを隠蔽して他者が益することを拒み、妬み、自分のみが得をするように動く」ということを述べて、日本人の性質をうらやましいと述べているが、これは彼の地の人の本音だと思う。
又、こういう例もある。名古屋大学に留学して医学博士の称号を得たらアメリカに行ってしまった中国人留学生がいる。
まさしく中国人の姿そのものではなかろうか。
世界各地にいる華僑というのはこういう人の集団ではなかろうか。
彼ら中国の地に住む人々には、祖国という概念がないのではないかと思う。
ただ、他の主権国家と利害が衝突するときのみ、自分たちが損害をこうむらないように、そのバリアーとして、祖国という概念を表面化させるが、そういう時以外は自分たちが主権国家という概念さえも意識していないと思う。
無理もない話で、国土は広大な広さがあり、都市と田舎は天と地ほどの格差があり、同胞としての民族は50もあるのだから、それが皆均一の主権国家の国民という概念は成り立たないのも無理はない話だと思う。

「アカシアの町に生まれて」

2007-11-13 09:49:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「アカシアの町に生まれて」という本を読んだ。
昔の満州、大連にあった南山国民学校という小学校に、ただ一人中国人として入学していた劉鴻運という人の自叙伝であった。
1945年、3月、終戦の年の春にそこを卒業した卒業生は、彼も含めてそれぞれにさまざまな人生を歩んだに違いない。
日本人ならば当然引き上げという体験を背負っていたと思うが、日本人にしろ中国人にしろ、過ごした歳月はみな同じなわけで、歳月というのは国境や民族を分け隔てなく、それこそ平等に降りかかってくる。
歳月がみな同じように平等に巷間の人々の上に降りかかってくるものだとしたら、それを良くも悪くもするのは、それを受け入れる側のそれぞれの受け入れ方ということになる。
この著者は、小学校を卒業してからというもの世の荒波にもまれたわけだが、それは他の同級生も同じような波乱の人生を歩んだに違いない。
しかし、彼は行きがかり上、共産主義に埋没していったわけで、その共産主義的思考が最後の最後まで抜けきれていないと思う。
最後には日本人の同級生と歓談できて嬉しいと述べているが、そこまでの過程を述べる彼の言い方は、非常に愚痴っぽく、その愚痴の中には対日本に関する心情が吐露した部分があり、そこには中国人の悠久の歴史が少なからず反映されていた。
それは、日本の植民地支配を恨む心情で、同じ植民地でも台湾はそういう感情を持っていないが、中国人、シナ人には日本蔑視の感情が彼らの潜在意識として刷り込まれているからだと思う。
彼らの世代の対日感情というのは、もともと華夷秩序の下位の倭に自分たちが支配されたという屈辱と怨嗟、または怨恨が抜け切れていないわけで、これが紅毛碧眼の西洋人だったならばそういう怨恨も沸かないはずだ。
たまたま日本人が彼らの認識から見て東方の野蛮人だったからで、そんな野蛮人に支配されたのはこの上ない屈辱とみなしているのである。
この著者の父親は、日本人と組んで商売に成功して、彼を日本人の学校に入学させたわけであるが、これは当時の中国人の中でも非常に先見の明のある選択の一つであったはずである。
彼の父親の頭の中には、これから先日本人になりきれば自分も息子も安泰に生きられるに違いないという読みがあったものと推察する。
しかし、現実にはその読みは外れたわけで、あの時代から六十年も経ってみると、その読み違いをした人たちが日本を告発するようになって来た。
朝鮮の人たちの宗氏改名の問題も、日本支配の朝鮮では日本名のほうが何かと都合よかったので、朝鮮人もその便宜にあやかろうと率先して日本名を名乗ったという部分がある。
それと同じことで、日本支配の大連においても何かと日本人に擦り寄ったほうが都合がよかったわけで、彼の父親もそういう選択をしたに違いない。
ここまでは本人の責任ではないが、それ以降は本人の選択した道であったわけで、彼が共産軍に身を投じたという点では明らかに彼自身の選択である。
彼の生涯は押しなべて不運であったようだ。
人の生涯の運、不運は突き詰めて言えば結果論として「終わり良ければすべて良し」だろうと思う。
彼の同級生だとて、引揚者として日本で彼と同じ年月を経る間には相当な辛酸をなめたに違いないと思う。
しかし、我々は今、豊饒な世の中に生きておれるわけで、その意味からも我々は幸せな国の一員なわけである。
世の中に対する不平不満というものは何時の世になっても尽きることはないわけで、昔よりも一歩でも二歩でも進んだ生活ができていれば良しとしなければならない。
この不運は彼自身のみならず中国の人々すべてが彼と同じように不運であった。
「ワイルドスワン」を読んでも決してハッピーな話ではない。
「異郷」を読んでも、「紫禁城の黄昏」を読んでも、「マオ」を読んでも決してハッピーな話ではない。
これらの書物を読んでみれば判ることであるが、毛沢東の共産主義のもとでは国民がハッピーになれる余地は全くないわけで、それは中国の悠久の歴史となんら変わるところがなく、皇帝がたまたま共産主義を唱える毛沢東になっただけのことである。
共産主義だから人々の生活が向上したのではなく、それは地球上のすべての変化がそうなさしめただけのことで、共産主義とはなんら関係のないことだと思う。
田舎に都会の人を送ってそれが懲罰になるというシステムそのものが実に馬鹿らしい話ではないか。
この著者も田舎に下放されて、都会に帰りたくて帰りたくて、見事に懲罰の意味を成しているではないか。
日本でもアメリカでも金持ちは田舎に別荘や牧場を持っているが、そこに行くことが懲罰足りえるであろうか。
それが懲罰足りえているということは、田舎と都会の生活に耐えがたいほどの格差があるということで、その言葉の裏には中国の田舎はまるで監獄と同じだということである。
しかし、その前に彼は共産党の軍隊、八路軍に身を投じて、そこで命のやり取りをしていたわけで、こういう行為は若い人間にとってはきわめて躍動的で血沸き肉踊る英雄的な行為に写るものである。
それは民族を超えて人類に共通な心理だと思うが、こういう自然人、人間の原始の潜在意識を戦後の日本人は否定しているが、そちらのほうこそ本来的には非人間的である。
で、彼は同級生が苦労して引き上げてきた後、それぞれに学業に励んだり、それぞれの生業を見つけようと切歯扼腕していた頃、血沸き肉踊る命のやり取りに明け暮れていたわけである。
時代が変わり、そういう場がなくなると、身の置き所がなくなり、故郷に帰ってくれば、ちょうど文化大革命に直面して、中国においても過去の実績、過去の歴史、過去の経験が全否定されて、秩序も、社会規範も何もかもがひっくり返ってしまったので、それこそ身の置き場がなくなってしまったに違いない。
戦後の、つまり中華人民共和国生誕後の中国で、文を書ける人の作品を読んでみると、当然のこと百家争鳴と文化大革命の話が登場するが、国家の基本方針が共産主義である以上、国民の幸せというのは有り得ないにもかかわらず、日本の識者の中にはああいう体制がいいと信じきっていた馬鹿がいた。
この本の著者も頭からああいう体制がいいと信じきっていた馬鹿の一人ではある。
しかし、国民の側からは、自分たちの体制を選べないわけで、好むと好まざると自分たちの体制に順応しなければならない。
共産主義の体制がいいと思い込む人がいる一方で、軍国主義がいいと思い込んでいた我が同胞もいたわけで、その意味では人間はどこまで行っても馬鹿な存在ということも言える。
しかし、人間というのは一人では生きていけれないわけで、群れをなして生きている。
地球上のA地点の群れと、B地点の群れでは、その置かれた環境によってもの考え方が大きく異なることもごく普通のことだと思う。
中国の地に住む人々がわれわれのことを野蛮人だと思い込むことはある意味で自然のことで、我々もまた中国に地に住む人のことを文化の先人だと思う人もいれば、文化レベルが低いと思うのもこれまた自然のことである。
これがいわゆる偏見と言うものであるが、この偏見は無意識のうちの心の中に刷り込まれ,無意識のうちに口から出てしまうので、知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまうから注意が肝要である。
この本は、著者が中国語で綴ったものを旧友が日本語に翻訳しているが、その中で幼少の頃無意識のうちに彼を傷つけていたことを自戒している。
文化人として極めて謙虚な態度であるが、こういう謙虚な態度こそ教養と知性にふさわしいものと思う。
しかし、これも他民族とか国家が絡んでくるといささか話が飛躍しかねないわけで、小泉首相の靖国神社参詣の問題等に対する中国側の対応は、我々の謙虚さを逆手に取った外交手段であったではないか。
我々のほうが謙虚な態度で臨めば相手は何処までも突け入るという態度で押し通してきたわけで、これこそが本当は外交の本質そのものであるが、我々の側がそれに対して謙譲と謙虚さで臨もうとすると、国益を大いに損ないかねない。
日本の文化人、知識人は、政治家ほど摺れていないので、美辞麗句に弱く、知性と教養があるがゆえに、血で血を洗う抗争や、罵詈雑言の応酬という下品な行為を忌み嫌うので、奇麗事で納めようと、どこまでも譲歩を重ね、謙虚な態度で臨もうとするが、その寛容さは相手を利するのみである。
国籍が違っても、民族が違っても、個人と個人のつながりは友情という輪で結ばれるが、これが国家となるともう友情などという感情では測り切れないことになる。

海王丸

2007-11-12 09:16:23 | Weblog
先日の10日、11日に名古屋港に帆船の日本丸と海王丸の2隻が
名古屋港開港100周年を記念して寄港するというニュースを知った。
それで11日は所用があったので10日に出かけてみた。
家を出るタイミングが少し遅かったので、日本丸のほうは体験航海で既に岸壁を離れて姿が見えなかったが、海王丸は停泊していた。
相変わらず大勢の人が見物に来ていた。
休日でもあるのでまさしく老若男女である。
で、船内見学もあったので、それも体験して見た。
練習生はみな若くて、巷の高校生や大学生となんら変わらないが、ここの練習生はきちんと制服を着用しているので、いかにもりりしく清楚に見える。
その中に、女子高校生と見間違いそうなあどけない練習生がいたので、「あなたも帆を張るときはあの高いところに上るのですか?」と聞いてみた。
すると、「ええ、します。」と答えた。
「怖くないですか?」と聞き返すと、「少し怖いです!」と答えていたが、これをどういう風に考えたらいいのであろう。
マストに登るということは、船の仕事の基本なのだろうが、こういう仕事に女性が挑戦しているというのは私のような思考のシーラカンスにとってはまさしく驚きそのものだ。
以前、海上自衛隊の観艦式を体験したときも女性隊員がきびきびと仕事をしている姿を見て驚いたものだ。
男女共同参画などと巷間では姦しいが、そんなものは既に始まって実績が上がっているではないか。
男の職域に女性が進出してくるのは頼もしく思えるが、その反対に女性の職域に男性が入っていくのはどうも女々しく思われて仕方がない。
これは私の偏見だろうか。