ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「東京駅はこうして誕生した」

2008-09-30 17:54:55 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「東京駅はこうして誕生した」という本を読んだ。
というのも、今年の夏、がんの検診で上京した折、東京駅の周辺を散策していたら、丸の内側で工事をしていた。
その工事用の囲いの壁面に、東京駅の歴史が写真パネルと説明文で表示してあった。
ゆっくり読んでみたい衝動にかられたが、如何せん、街頭の看板のようなものをじっくり読むというわけにもいかないので、そのうちに本にでもなるであろうと思って、その場では写真を眺めるだけにした。
東京駅の歴史を掘り下げるだけでも相当に面白そうに見えるが、純粋な歴史そのもの、つまり誰がどうしたという事実の羅列だけでは、歴史の興味としては通り一遍のものでしかないと思う。
そういう事実ならば書いたものを見れば済むことである。
しかし、歴史の面白さというのは、そういう事実の羅列から、如何にイメージを膨らませることができるかということにあると思う。
東京駅の設計を、誰がして、どういうレンガをつかって、どういう業者がそれを取り行ったか、という事実の羅列ならば資料を見ればそれで理解できる。
この本はそれにまともに応えるものであった。
それにまともに応えるものであったとしても、その事実を克明に記憶しても意味をなさないわけで、私としてはそういうことは読んだ端から忘れてしまう。

東京駅というのは、日本の近代化の象徴でもあったわけで、日本という国の威信を具現化していると思う。その当時の日本で考えられる最高の技術で以って作られていると思う。
これと同じような赤レンガの建物といえば、旧海軍兵学校の建物がこれと同じスタイルで、今も立派に使用に耐えて残っている。今の海上自衛隊第1術科学校として立派に生きて、昔のままの機能を果たしている。
以前、丸の内にあった1丁ロンドンを言われた三菱の建物も、明治を代表する建物であったに違いなかろうが、民間という立場から負の遺産として持ち続けることができなかったのであろう。
現代の資本主義体制の中では、会社そのものを維持するためには、常に利純・利益を作りだす運動を止めるわけにはいかない。
常に走り続けなければならない自転車のようなもので、立ち止まるということが許されない。
常に資産価値が少しでも上がるように、資産を運用しなければならないが、資産によっては、古い建物は効率が悪く、昔を懐かしむ情緒だけには頼れないわけで、基本的にはスクラップ・アンド・ビルドということにならざるを得ない。
1丁ロンドンは消えて、東京駅は残ったということは、東京駅そのものに時代を超越する付加価値があったということで、駅というものの効率化を時代の要求にうまく対応してきたということで、常に改良に改良をくわえ使い勝手を改善してきた結果だと思う。
1丁ロンドンという建築物は、フロアーを時間貸ししているようなもので、スペースを賃貸するという業態そのものの変革が遅かったので、消滅の憂き身を見たのであろう。
また逆に、同じ面積当たりの収益が悪いので、より良く利益を上げるために高層化の必要に迫られて、消滅したという見方も出来る。
しかし、この東京駅が関東大震災と東京大空襲を生き残ったということは素晴らしいことだと思う。
特に、関東大震災では全く無傷で、震災の復興に素早く対応できたということは、鉄道マンの心意気を示すものだと思う。
話は少しばかり飛躍するが、昔の国鉄マンというのは実に健気だったと思う。
東京大空襲でも広島の原爆でも、被爆した当初こそ機能不全に陥っていたとしても、すぐに復旧させて列車を走らせているわけで、こういうことは実にすばらしいことだと思う。
自分たちの社会的な使命を十分に自覚して、それに応えようとする態度は実に見上げたものだと思うが、こういう鉄道マン、国鉄マンの心意気が敗退していったのは一体どういうことなのであろう。
私の父は死ぬ前に自分史の様な物を書き遺して逝ったが、それによると終戦の日、昭和20年8月15日でも、東京では鉄道が正常に動いており、玉音放送の時間だけ停車して、乗客はホームで放送を聞いて、それが終ったら何事もなかったように日常生活に戻ったと書かれていた。
昔の鉄道マンたちは、このように極めて職務に忠実で、かつ実直に務めていたはずなのに、それがどこでどう位相が食い違って、社会的な反感を買う組織になってしまったのであろう。
単刀直入に言えば、国鉄の組合の中に共産主義者が紛れ込んだ時からだと思う。
それを「何時からだ!!」という風に、確定することは部外者としては極めて困難であって、またそうする必要もないが、国鉄の中に戦後の混乱期に乗じて共産主義者が大勢潜入したことにその理由があると思う。
麻生内閣で入閣してたった5日で辞めた中山国土交通相の発言ではないが、日教組と国鉄の組合は、相手が国家であるがゆえに、とことん反対するが、こういう行為に国民の不満がもっとあってもいいと思う。
元の国鉄マンというのは、自分たちは国民に対して奉仕する立場だということをよく理解し、それによく応えていたと思う。
それに反し、戦後の国鉄の組合というのは、どうしてああも非民主的になり、国民に迷惑をかけても何とも思わない人たちに変わってしまったのであろう。
時の為政者に不平不満を持つのは地球規模でみて極当たり前のことであるが、だからといって国民を巻き込んで、自分たちの政治的野望を実現するという発想は、共産主義者に共通するものである。
しかしながら、ならば日本の知識人というのは、そういう運動を抑制する方向に発言してしかるべきではなかろうか。
にもかかわらず、日本の識者と言われる人たちは、それを煽る方向に発言していたではないか。
その前の戦時中に、軍国主義を煽りに煽った構図と瓜二つで、時の時勢に便乗するしか能がないのが日本の知識人の生き様である。

基本的に国有鉄道というのは国民のあらゆる階層に平等にサービスを提供すべきものだと思う。
大都市だけが便利で、田舎では一日に一本の列車しかないでは、国民に対する平等のサービスになっていないと思う。
そういう国民へのサービスという点から考えれば、国鉄の民営化というのは時代に逆行することになるが、100円儲けるのに500円もかかる状態でも困るわけで、民営化の道も避けられない時勢ではある。
我々、国民として憂うべきことは、鉄道マンの心の衰退である。
国民に対する奉仕の精神、お客に対するサービス精神の履き違い、勤労に対する意欲の衰退、こういうものが目に見えないだけに余計心配であるが、これは測る手法がまだ確立されていない。

東京の大都市化はまさしくアメーバ―のような自己増殖であったわけで、それに拍車をかけたのが山手線という環状鉄道の存在であった、という視点は新しい物の考え方だと思う。
確かに結果から見ると、山手線の駅に私鉄がターミナル駅を作って、それが沿線を外側に拡大していったという論理は、整合性のある見方だと思う。
東京と地方の格差というのは今更もう否定の仕様もない。
良い悪いの段階を超越して、今ではそれにどう対応するかの問題になってしまっており、人が東京に群れ、地方が過疎化するのも当然のことである。
東京の肥大化が本当に問題であるとするならば、今までに是正のチャンスは2度あったということになり
、言うまでもなく最初は関東大震災の時であり、2度目は東京大空襲のときであったが、この二つの大災害を経験したにも関わらず、人々は東京を元の姿に戻す選択をしたわけである。
焼け野原になった地を捨てることなく、その焼け野原に再び家を建て、店を開き、商いに精を出したのである。
東京を元の姿に戻すことの意義はどこに潜んでいたのであろう。
東京の機能を地方に振り分けるという発想は、2度の大災害を経験しても微塵も沸いてこなかったわけで、如何に東京というネームバリューの魅力が大きかったかということだ。
関東大震災で無一文になっても、東京大空襲で無一文になっても、東京に居さえすれば再起できると人々は考えていたに違いない。
人々のこういう考えはどこから沸いていたのであろう。
私が思うに、やはりそれは人の数だと思う。
震災で丸焼けになっても、空襲で丸焼けになっても、その周りをうろついている人の数は、田舎の繁華街をうろついている人の数よりも多かったわけで、人さえおればそこにビジネスチャンスは転がっていたということだと思う。
人の数が少なく、キツネやタヌキ歩き回っている田舎では、人を相手のビジネスチャンスはいくら待っても来ないわけで、その意味で東京はいくら災害に遭おうが、人々がこの街を去ろうとしないのである。
私の住んでいるところも極めてローカルな地域で、鉄道なども空気を運んでいるようなもので、何処をどういじればこの鉄道が黒字になるのか見当もつかない状態である。
ところが、東京ではこういうことは無いわけで、鉄道さえ敷けば人はそれを利用するわけで、そのことだけでも人が東京に集まる大きな理由である。 
版籍奉還で、江戸城の前に屋敷を構えていた大名が一斉に国元に還ったと言われているが、こうい激動の時に、東京を離れる人と、ここにやって来る人がいたわけで、そのどちらが意義ある人生を送ったかと考えた時、その勝敗は明らかに違っていると思う。
東京が魅力あふれる街であり続けた原因が、環状線、いわゆる山手線の存在にあるというのは説得力のある言辞だと思う。
東京と大阪の魅力の違いというのは一体どこらあたりにあるのであろう。
都市機能を東京に集中したということは、すでに東京にそれを引き付ける魅力があったから、そういう風になったわけで、都市機能が充実したから魅力が生じてきたというものではないと思う。
京都から江戸に都を移すときも、なにもわざわざ遠く離れた江戸でなくとも大阪でも良かったのではなかろうか。
同じように、都市を象徴するお城はあったわけで、長旅をする必要もなく、大阪ならば何でも安直にことが納めれたのではないかと思う。
徳川時代を通じて、江戸が表舞台であったとはいえ、大阪だとて江戸に劣らず繁栄していたわけで、天皇がわざわざ江戸に行かねばならない必然的な理由は無かったと思うが、なぜ大阪では駄目であったのだろう。
この本の中では、首都東京というのは誰からも命名されていないということが書かれていた。
つまり明治維新の際、誰も日本の新しい首都を東京と定めた人がいないということだ。
既成事実の積み重ねで、言わずもがなのうちに首都が東京と定まったということだ。
考えてみると実に曖昧模糊とした話だが、日本の国旗も国歌もこれと似たようなもので、何時、いかなる時に、何の誰べえがきちんと定めたということは未確定のまま、それが成り立っているわけで、そういう点では我々は実に不真面目のようだ。
由緒言われがあるよう見えているにもかかわらず、実はじゅっくり掘り下げていくと何にもないということで、玉ねぎやらっきょの皮のようなものだ。

「なぜ戦争は終わらないか」

2008-09-25 17:34:26 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「なぜ戦争は終わらないか」という本を読んだ。
不思議な本だ。
ユーゴスラビアの内紛というか、その国の消滅を詳細に述べた本であった。
われわれ日本人にとってユーゴスラビアというのはあまりにも遠くて未知の国であった。
この内紛に関連して明石康氏や緒方貞子さんらが飛び回っていたことは、当時の日本のメデイアを通じて知らないわけではなかったが、そこで何が起きていたのかはさっぱり理解できていなかった。
理解しようとしても、なにせ現地の事情に疎いものだから、さっぱり要領を得なかった。
地球上どこにでも転がっている民族紛争ぐらいの認識しか持っていなかった。
しかし、この本の著者はこのユーゴに10年近くも住んでいたわけで、その紛争を肌を通じて感知してきたことは間違いなかろうと思う。
奥付けによると、この本の著者、千田善氏は1958年生まれ、昭和33年の生まれで、押しも押されもせぬ戦後世代である。
だとすると物の見方そのものが完全に戦後世代の物の見方になっている。
その意味で、我々旧世代のものからすると、いささかの違和感は免れない。
この本の主題は、ユーゴスラビアにはそれぞれたくさんの民族が同居して、それらがそれぞれに自己主張するので、戦乱が収まらないという主旨だ。
ところが、自己主張さえしなければそういう事態にはならない、ということを述べたかったと思う。
これは全くもって真理なわけで、まさしく戦乱の種、戦争の種は、お互いの自己主張に原因があることは当然であるが、ならば人間は自己主張なしで生きられるかという点に尽きる。
本文中に、数ある部族の中で、マケドニアはそのいう手法で以って、戦乱の渦に巻き込まれなかった時期もあったが、大統領が変われば他の部族と同じ道を歩むことになったわけで、そのことによって人々が幸福になったわけではないと、述べている。
不幸の到来がその分先伸ばしされただけで、結果的には、してもしなくても同じ結果を招いたことになる。
基本的に、人間は諍い続けながら生き延びるわけであって、諍いが避けられないものであるとするならば、それを克服する手段を常に考えて生きねばならないということである。
日本人の知識人としてアメリカを糾弾することは意図も安易に行われているが、アメリカが今日の世界で史上最高で最強の軍事国家ということは誰しも認めざるを得ない。
つまり世界のトップなわけで、トップの地位にいるということは、周りからは糾弾の嵐が吹き叫ぶわけで、それを擁護する論調は低調をきたし、それをあえて展開する者はいない。
ユーゴの紛争とは別の場面でも、アメリカのユニラテラリズム・唯我独尊的な行いを非難する論調は数々あれど、それは逆に、アメリカでさえも容易に解決できない難問を、迅速、かつ明快に決着できないことへの焦りのようでもある。
ユーゴの地での民族紛争が、乱れた麻のように輻輳した現状を、誰もが有効に解決できないままでいながら、その問題解決をアメリカにぶつけておいて、アメリカがそれをスムースに処理出来ないからといって非難しているようなものだ。
アメリカの力に頼る前に、自分たちでことを解決すれば、アメリカの出る幕は無いわけで、アメリカの出る幕がなければ、アメリカのユニラテラリズムもあり得ない。
それと、国連に対する期待においても、国連に紛争解決の手段と方法を期待する方が最初から間違っている。
国連というのは、わかりやすい例にたとえるならば、町内会で、町内会に入ったからといって町内のごたごたが一気に解決するというものでもなく、町内会に入ることと問題解決とは別の次元の話である。
町内のごたごたを提訴したから、そこで話し合いがもたれ、話し合ったらそれで一気に問題解決に向かうというものではない。
町内会のメンバーになったならば、メンバー同士のごたごたを、その長老が納得のいくように治めてくれるというようなものではない。
この地球上に生きている人間は、自然の真理に基づいて生きているわけで、理念や、理想や、知性や、理性で生きているわけではない。
人間は本来持っている人間としての欲望に支配されて、自然の欲求に基づいて生きているわけで、ユーゴスラビアの内紛もその顕著な例である。
この本の著者も単純明快に答えているが、その内紛の根源は領土問題である。
それぞれの民族にとって「生きるべき土地を如何に確定するか」という問題である。
旧ユーゴスラビアも第2次世界大戦後は共産主義国の一員として東側陣営の中にいたわけで、その時には共産主義という大きな重しが、そこに住む様々な民族の上に均等に被さっていた。
ところが旧ソビエット連邦が崩壊すると、その重しがなくなってしまったわけで、言葉は悪いが、いわゆる言いたい放題ものが言える時代が来たわけである。
共産主義の抑圧から解かれて見ると、「俺たちの土地は一体どこなんだ!」という疑問がわいてきたわけである。
今までは様々な民族が様々に入り混じって住み分けていたが、自分の隣に気に入らないものがいることに何となく居心地の悪い思いをしていたものが、それを共産主義の手前、我慢していた。
ところが、それぞれに自由にものを言ってもいい状況に置かれると、自由にものを言うことが自己主張につながったわけである。
この自己主張で、意見や思考が合うもの同士が集まると、いわゆる民族意識というものが醸成され、それに様々な利害得失が絡み、紛争に発展したとみなさなければならない。
こういう場面で、あくまでも「血で血を洗う抗争は厭だ」と言って、妥協に妥協を重ねて隠忍自重することも、生き方の選択としてはありうるが、果たしてそれを受け入れるものがいるかどうかはわからない。
ユーゴスラビアの紛争というのは、ある意味で共産主義という抑圧の重しが取れたことによって、人間が原始の心に先祖返りしたことでもある。
昔も今も、学問を積んだ知識人は、頭の中が知識で一杯なものだから、何でもかんでも知識と学問で分析したり解明しようとするが、物事はもっと単純明快で、自然そのものを見つめていれば、事の次第はなるようにしかならないということが分かる。
この本の著者も、アメリカや国連がユーゴスラビアの内紛の解決に冷淡だ、ということを嘆いているが、それは言うまでもなく当然のことだ。
「アメリカは世界一の軍事力を持った国だから、ユーゴの内紛にもっと力を入れよ」と、願う方が最初から間違っている。
アメリカはアメリカの国益を図って行動しているわけで、アメリカの国益にとって利するものがない、という話に積極的になるわけがないではないか。
それに反し、国連というのは、最初から各国間の福祉に貢献すべく設立された組織なのだから、国益とか利害関係で行動を左右することは理念に反している。
アメリカも主権国家の一つとして国策を誤ることはたびたびある。
そのアメリカの国策の誤りを、部外者としての我々がとやかく言ったところで、アメリカは痛くも痒くもないないわけで、そういう批判に応じてアメリカが国策を変えるということもあり得ない。
この本の表題の「なぜ戦争は終わらないのか」という主題は、「ユーゴスラビアの内紛はなぜ終わらないのか」ということであって、我々のイメージしている戦争とはいささか異なっている。
戦争など、内紛であろうが、内戦であろうが、テロであろうが、無いに越したことは無い。
しかし、繰り返し繰り返し起きているわけで、そのことから見れば、これは人間のもって生れた業だと思う。
人間が生きるということは、平和と戦争の二つしかないわけで、平和でないときは戦争中ということである。
ならば、平和な時を長引かせればいいわけで、その為には如何なるノウハウがあるか、と考えればいい。
この本でも述べているように、ユーゴスラビアの内紛も、最初の内は話し合いでことを解決しようとしていたが、その話し合いが暗礁に乗り上げた時、それを武力で解決しようとしたから、それがエスカレートしたわけで、ここが最大のポイントである。
話し合いが暗礁に乗り上げた時、それを如何に切り抜けるかで戦争は回避されるが、ここで双方がそれぞれに少しずつ妥協すれば、最悪の事態は避けられるはずである。
ここで双方が妥協に応じれない、応じようとしないから、話し合いが暗礁に乗り上げ、我慢しきれなくなった方が、最初に拳を振り上げることになる。
妥協に応じれないという部分に、国益があり、それに付随した権益や権能があり、メンツがあり、誇りがあり、名誉が掛かっているわけで、そういうものを一切合催投げ捨てるとなれば、それは自死を意味するわけで、それを容認できるかどうかの問題にいきつく。
共産主義が世間を席巻していた時は、人々は言いたいことも言えず、それこそ耐えるのみであったが、その重しが取れたとたんに、今までの鬱憤が一気に息を吹き返して、収集がつかなくなったという図式であろう。
この地に10年も滞在した日本人から見ると、この紛争は日本でいえば青森の人と、東京の人と、名古屋の人と、大阪の人と、九州の人が、「俺の土地はどこだ」、「ここは俺の土地だから出て行け」、「お前は自分の仲間のところに行け」と言い合っている図のように見えるのではなかろうか。
その言い合いの中で、自己主張を押し通そうとするから、妥協点が見えず、最終的には殺し合いに発展しているわけで、その殺し合いには号令を掛けるリーダーが必要なことは言うまでもない。
今までは、狭い土地にいくつもの民族がひしめき合って生きてきたが、共産主義という共通の重しがなくなったとたんに、自分たちの我の応酬になったわけである。
世界的規模、あるいは地球規模でみれば、あくまでもコップの中の嵐にすぎないわけで、そんな些細な紛争に大国がシャシャリ出る方がおかしいわけで、それを期待するなどもっとおかしい話だと思う。
国連が介入してくることは、ある程度、整合性があるが、アメリカやNATOの出る幕ではないと思う。
国連は確かにこういう小さな紛争に介入しても許されるであろうが、国連は国連で万能ではないわけで、日本でいえば村と村の水争いのような紛争にまで介入するにはいささか小廻りが効かないように見える。
当事者がお互いに殺し合いをやめて、平和裏に生きる道を模索するほか、この地に平安は無いと思う。
領土を巡る争いといったところで、前世紀のような帝国主義的な植民地獲得戦争とは意味が違うわけで、要するに自分たちの住む場所の取り合いなわけで、部外者が介入できる筋合いのものではない。
アメリカが出てくれば、当然、空爆という手法を使うことは必然である。
アメリカだとて自分の国の兵士が殺されるのを黙って見ているわけにもいかないので、当然安全な場所からの攻撃という意味で空爆になるのは当然のことだ。
紛争解決のための話し合いというのも実に虚しいことの積み上げで、明石康さんでも緒方貞子さんでも、そういう虚しい実績の積み上げである程度の功績を挙げているが、当事者にはこういう仲介者の虚しさというのは理解しがたいことに違いない。
何度も何度も同じことの繰り返しの議論を積み上げて、妥協点を探るという行為は、実に敬虔な行為だと思うが、当事者からみれば、自分たちが得する事案は全くないわけで、きっと腹立たしい気持ちでいたに違いない。
彼らにしてみれば、目に見える形で相手からの妥協が欲しいわけで、そういう手土産もないまま、交渉の場に付くということは、相当に危険でもあったであろう。
民族紛争というのは実に無意味な争いである。
どちらが勝ったとしても勝利を祝うような気持ちにもならない虚しい行為だと思う。
民族の間のお互いの嫌悪感というのは、よくよく掘り下げて考えてみれば、長年の間に醸成され、人為的に作られた概念にすぎないわけで、科学的な根拠は全くない筈である。
問題は、この作られた概念にある。
自分たちの民族が統一国家として独立するということも、独立したからと言っていきなり裕福な国になれる訳でもなく、実態は今までの続きでしかないわけで、明らかに独立した、自主独立を獲得した、という概念の産物でしかない。
独立してもしなくても、今までの生活がいっぺんに良くなるものでもない。
しかし、このユーゴスラビアではそういう機運が高まって、それぞれに独立しようとしたが、したらしたで自分たちの領地を拡大しようという欲望が押さえられなくなった。
そこで自己主張の連鎖反応が起きて、際限なく殺し合いが継続するという事態を招いたのである。
何度も言うが、この内紛は、この地に住む人たちの、自分たちの問題なわけで、アメリカも国連もただの部外者にすぎない。
そういうものの介入に期待してはならないと思う。
この本の著者は旧ユーゴスラビアの民族紛争を戦争という言葉で一括りしているが、戦争という言葉をこういう使い方をしてはいけないのではなかろうか。
言葉というのは、人間の意志や、気持ちや、あらゆる事象を人に伝えるツールであるので、厳密な使い方をしないことには、その真意が伝わらないように思う。
広い意味では経済戦争とか、人材獲得戦争などと比喩的に使われることも往々にしてあるが、民族紛争とか、テロとの戦いを、戦争という言葉で言い表すことには妥当性があるだろうか。
人の殺し合いという意味では同じであるが、人が殺し合うということは人間・人類のもっている業のようなもので、太古から連綿と引き継がれてきた行為ではなかろうか。
戦争という状況下では、人が人を殺しても許されるということは、これも人間の都合によって都合よく定められた、人為的な概念であって、今に生きる人間は、それを容認している。
そもそも生きた人間の作る社会において、正しいとか正しくない、正義・不正義、善悪、善し悪しなどこういう思考そのものが、人間の作りだした人為的な概念にすぎないわけで、自然界の生き物の一種という視点からみれば、人類・人間の奢りではないかと思う。
生き物の一種族としての人間の在り方も、基本的には弱肉強食の世界で、優勝劣敗という自然の法則に支配されているわけで、そこでは同情とか、慈愛とか、博愛という感情が入り込むこと自体、人類・人間の奢りではないかと思う。
人間は「考える葦」と言われているが、その「考える」という行為が、人為的な概念を作りだしているのではなかろうか。
太古の人々は、戦争も天変地変と同じ感覚で受け入れていたのではなかろうか。
地震、雷、火事、親父というのが日本人としての怖い物の代表として認知されているが、天災とか自然災害というのは諦めがつく。
しかし、戦争も普通の人々にとっては、災害と同じようなもので、人為的には何らコントロールのきかないものという認識であったのではないかと思う。
戦争も「人々の努力で回避できるものだ!」という認識は、ずいぶん後になってから生まれ出た概念であって、これも人々が頭の中で描いた人為的な概念の一つではなかったかと思う。
人々が殺し合うという現象・事象は、人間の誕生以来、連綿と継続された人々の生き様である。
人々は、この世に誕生して以来、お互いに殺し合って生きてきたように思う。
今日の平和な日本においても、親の子殺し、子の親殺し、怨恨による殺し、金の貸借にかかわる殺し、全く理由のない無差別殺人、こういうものが日常生活の中にごろごろあるのに、戦争による殺し合いだけが罷りならぬ、という論法も全く整合性に欠けるではないか。
日本の平和主義の人たちも、われわれの周りで起きている日常的な殺し合いに対しては、どう考えているのであろう。
テレビドラマは毎日毎日殺しのテクニックを開陳しているわけで、毒殺、扼殺、車を使った轢き殺し、突き落とし、刃ものによる殺傷などなど、殺人のノウハウをこれでもかこれでもかと見せびらかしているではないか。
「はぐれ刑事純情派」、「相棒」、「水戸黄門」などなど、必ず人が殺される場面が登場しているではないか。
これは人間というものが如何に人を殺すことに執着しているかということだと思う。
我々の身の回りの殺し合いは刑法で管理されていると言ってもいい。
しかし、主権国家同士の殺し合いは、これを裁く法律というものが存在していない。
あるにはあるが、それを実効あらしめ、管理し、維持し、権威を持った組織がないので、弱肉強食の自然の原理が作用して、極めて不整合な効果しかえられない。
公平な措置が取られないので、不平不満、不信感の連鎖反応が起きて、再び自然界の原理に帰趨して、強い国の我を飲まざるを得ないということになる。

「誰がための官僚」

2008-09-24 09:24:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「誰がための官僚」という本を読んだ。
いや、読もうとしたが、途中で棒折れになった。挫折だ。
最後まで読み通せなかった。
相当に長大なもので、かなり読みでがあると思って借りてみたが、内容が悪い。
読んでいる最中に先に進むのが嫌になってしまった。
平成5年から始まった省庁再編成が行政改革の一環ということはわかるが、われわれ一般国民の側から見て、行政システムのあまりにも細部にわたる知識というのは大した意味がない。
省庁間の力関係などというのは知らないでも済んでいく問題に他ならない。
著者自身があとがきで述べているように、「省庁改革という大がかりな手術を受けることになった霞が関の内部の動きを追ったレポート」となっているが、われわれ国民の側から見て、霞が関の内部の動きなど問題ではない。
霞が関の外に対する動き、外に向かうインパクト、国民に向けた、思考、意思、対応が問題なわけで、内部で如何様にマグマが躍動しようとも、それは国民の側に立てば二次的なものにすぎない。
われわれにとって大事なことは、国民に対してどういうアプローチをするかであって、内部の動きなどどうでもいいことである。
ただこの本の言わんとするところは、政治家が官僚の下に位置する現状を憂いているわけで、その部分は傾聴に値する。
そもそも官僚は行政という意味からしても、政治家の下で、政治を具現化することが彼らの本来の使命のはずであるが、政治家が不勉強なるがゆえに、この立場が逆転している点については、この本の著者の指摘は的を得ている。
この本の「官僚」という文字に惹かれて、読む気が喚起されたが、内容は読むに値しないものであった。
ただ「官僚」という言葉には、本の内容の如何に関わらず、私なりの思いがある。
官僚、いわゆる国家公務員というのは、基本的に公僕であるべきだと思う。
公の僕であるべきだと思う。
公の僕であったからこそ、戦後の一時期、手当ても非常に少なく、給料だけではとても生活が維持できない時があり、官僚としての暗黒の時代があったことは確かである。
そういう状況を鑑みて、戦後もしばらくの間、公務員のなり手のない時期もあった。
しかし、公務員、官僚というのは、給料の高においては民間企業に及ばないが、安定した職業だという認識は太古から連綿と息づいている。
だから封建主義の残滓を引きずっていた戦後もしばらくの間は、長男は家を守らねばという立場上の制約から、地方の官吏に応募したケースがしばしばある。
そして、戦後の復興期を経ると、民間企業との格差が広がり、その格差を縮める措置が取られた。
ところが、民間企業というのは景気の変動に左右されて、給料も上がったり下がったりする。にもかかわらず、官吏、公務員というのは法律で給料が定められているので、景気の変動にリンクしていない。
景気の変動にリンクしていないという点が、極めて安定した職業というわけで、この安定した職業という点が人々を魅了したのである。
日本人は誰でも義務教育を受け、その中の一部のものは更に高等教育を受けて社会に巣立つが、この高等教育の段階で成績の優秀なものはその大部分が民間企業に流れる。
それは高級という経済の面もあるが、その前に民間企業には挑戦に値するチャンス、あるいは頑張ればその見返りが期待できる、ということも覇気に富んだ若い人を引き付ける大きな要因だと思う。
当然、大勢の若者の中には最初から国家公務員を目指す者もいるが、それはそれで立派なことである。
ところが、問題は、公務員を目指す動機である。
いい若い者が、未来に対す挑戦から逃げて、安定しているからとか、給料の変動がないからとか、仕事が楽だからとか、少々給料が安くても天下りがあるという動機で公務員を選択したとしたら、極めて由々しき問題だと思う。
現実には公務員を選択する若者の職業選択の動機は案外こういうものであるようだ。
国家公務員が安定した職業だ、という言葉の中には、何もしなくても出世が出来る、という意味も含まれているのである。
国家公務員、官僚の仕事は、とにかく何もしないことだと思う。
すればしただけ失敗のチャンスが多くなり、それはすべてマイナス評価につながるわけで、最初から手を出さなければ失敗することもなく、マイナス評価になることもない。
これが官僚の世界だと思う。
民間企業では、採用したばかりの優秀な社員に自社の伝統としての企業理念を植え付ける教育を施し、企業存立のコンプライアンスを教え込み、ビジネスに果敢に挑戦することを教え込むが、官僚ではこういうことは無いわけで、どこまで行っても、保身の術を模索するのみで、新しいことへの挑戦というのはありえないと思う。
無理もない話で、如何なるシチュエーションでも、官僚自らが考え、企画し、推進するということは無いわけで、その全てが民間への丸投げであるからして、彼らは許認可権さえしっかり握っていれば、それで存在価値を示したことになる。
民間企業では上から下まで如何に儲けるか、如何に利潤を上げるか、如何にコストを下げるか、乾いた雑巾を絞るように知恵を出し合っているが、公務員にはこういう試練は最初から無いわけで、あるとすれば一度確保した予算を如何にゼロに使いきるかということでしかないと思う。
そして彼らは自分の仕事を自分で作って、それをあたかも国民からの希求でもあるかのように見せかける。
この仕事というのが国民の福祉につながるものであるならば、それはそれで公務員としての存在価値を認めざるをえないが、この仕事というのが公務員のための公務員の仕事になっているところが、国民不在の行政と言われる所以である。
例えば公立学校の先生も教育公務員であるが、彼ら彼女らの仕事の多さというのは一体どういうことなのであろう。
子供に授業を教えるという、純粋に先生という職務のほかに、何故にああも余分な仕事があるのであろう。
その一つ一つの仕事に、それぞれに存在意義があるのだろうれど、果たして本当にその仕事が必要かどうかはまた別の問題だと思う。
もろもろの雑用を「しなければならない!!」という発想そのものが、極めて公務員的であり、官僚的なわけで、その発想の元を考察する勇気がないのである。
しなくてもいい仕事がだいぶあるように思うが、彼らに言わせればその全部が大事な仕事というわけだ。
どうでもいい仕事を大事な仕事と思うところが、官僚の官僚たる所以である。
教育公務員に、いわゆる学校の先生に、過度な仕事を押し付けているのが、案外、国民の側にあることも確かである。
幼児、児童の殺害事件が多くなると、その保護まで先生の仕事に押し付けるなどということは、確かに国民の側の官僚あるいは国家に対する過大な要求なわけで、このあたりの説明責任こそメデイアの責任のはずであるが、日本のメデイアはそういう方向には全く機能しない。
子供が自分の親、あるいは家庭内で危害を加えられても、校長先生がコメントを求められている。
こんなバカな話もないではないか。
子供の命が大事だということは当然のことであるが、家庭内のことまで校長先生のコメントを求めるという感覚は明らかおかしいが、メデイアはそれに全く気がついていないではないか。
こういうことが先生に過度な仕事を押し付ける原因だと思う。
こういうメデイアの非常識な対応がモンスター・ペアレントを生み出している。

「私は勉強したい」

2008-09-23 08:19:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「私は勉強したい」という本を読んだ。
中国の僻地、帳家樹という中国の典型的な内陸部の田舎の少女が、家が貧しいがゆえにミニマムの教育さえままならないという現状が、少女の日記を通じて告発されている。
日記そのものは、いたいけない少女の日常生活を綴ったもので、それほど感動すべきものでもない。
日本でいえば、「おしん」のような境遇であろうが、「おしん」は貧しい境遇を経て大人になるが、この本ではそこまでの過程は語られていないわけで、幼少時代のままで終わっている。
私は実に意地悪は発想をする癖があって、自分でもその根性の曲がり方が気に入っていないが、この貧しい少女の日記が、何故にフランスを経由して、日本語の本としてここにあるのかが不可解である。
この本の発行の魂胆が、こういう可哀そうな子供が大勢いるから、そういう人たちを支援して、皆で豊かな社会を作りましょう、という発想のもとに、こういう本が発行されていると思う。
この発想は、先進国の人々の奢りだと思うし、善意の押し売り、押しつけだと思う。
自分は福祉という善行を行って、人助けをしているのだ、という自己満足に過ぎないと思う。
貧しい人に、ものを恵む時の気持ちというのは優越感に満ちたものだと思う。
ほんの端した金でも、恵まれた方はお礼を言うわけで、その礼を受ける側には明らかに優越感が芽生えると思う。
確かに、今の世界には富と貧困が偏在している。
金持ちはどこまでも金持ちであり、貧乏人はどこまでも貧乏である。
貧乏人に物や金を恵むことは気持ちが良いわけで、その快感というのは自分が善行を施したという自己満足に由来すると思う。
貧しい人に物や金を恵むということは、世界的な規模、地球的な視点で見て、良い事、善行、気高く価値ある行い、という価値観が普遍化しているわけで、この価値観を覆す思考というのは現時点ではありえない。
だから、そういう行いに対して、あれば売名行為だとか人気取りだとかいう言葉で反駁が出来ないわけで、そういう人達は大手をふって自分たちの思い上がった思考を実践できるのである。
この本の存在そのものが、それを目の当たりにしているのではなかろうか。
中国の奥地の貧しい少女の日記を、豊な国の人たちがメデイアを利用し、人々の同情を煽り、その善意の高揚した気分を利用して金を集め、それで中国の僻地での教育を高上させるということは、道義的にも立派な良いことで、誰も異論を差し挟む余地がない。
今の地球上には、富と貧困は同時代的に偏在しているが、こういう貧しい地域というのは他にいくらでもあると思う。
考えてみれば、この貧しさこそが人間の本来の姿なわけで、富んだ生活の方こそ、人間の本来の姿からすれば異端な部類だと思う。
異端な生活であればこそ、常に危機にさらされているわけで、原始の自然の生活ならば、現代人が憂うべき危機や不安もかなり少ないはずである。
現代人であればあるほど、原始の人間の生活から程遠い生き方をしているわけで、それが少しでも後戻りしようものなら、たちまちパニックに陥る。
私は子供のころから西部劇が好きでよく見たものであるが、あの西部劇の背景に描かれている場面(荒野)と、アジアの奥、中国の奥地からモンゴルの一体の光景というのは実によく似ている。
しかし、そこに登場する人間には、実に大きな隔たりがあるわけで、西部劇に出てくるガンマンは実に格好いいが、裸馬で駆け抜ける蒙古人の姿というのは如何にも野暮ったい。
西部劇に登場するインデアンというのは基本的に我々と同じモンゴロイドであるが、それでも蒙古人よりはスマートに描かれている。
この見た目の格差というのは一体何なのであろう。
どこからそれが出てくるのであろう。
何がそういう違和感を覚えるのであろう。
西部劇の舞台のアメリカと、アジアの奥地の地勢的な条件はたぶんよく似たものだと思う。
ただ我々が映画の画面を見てアメリカの方が格好よく見えるというのは、西部劇にはキリスト教文化圏の臭いがするが、ネイティブな人達は後ろの方に追いやられてしまっているからだと思う。
つまり、アジアの奥地の人々は、その地で生まれ育ち、その場を離れたことがなく、栄々と何世紀も前のしきたりと伝統を守りながら生きていたので、彼らは彼らの小宇宙に満足しきってしまい、他の世界を知らないからであろう。
一方、アメリカのガンマンたちは、銃というキリスト教文化をひっさげて、ネイテヴな人々を駆逐しながら、西部を征服してそこに白人の世界を築いたわけである。
つまり一言でいい表わせば、アメリカ大陸では文化が接木されて、もともといたネイティブな人々と新しい人たちが重層的に重なり合って社会を形つくっている。
一方アジアの奥地では、そういう変遷もなく、人々は戦争という形で多少は血の混じり合うことがあったとしても、全体としては太古からの民族がそのままの姿で生き残っていたということがいえる。
けれども、そのことが何故貧乏なままなのか、という答えにはなっていないわけで、それにはまた別の理由があるに違いない。
その前に、アメリカ大陸では砂漠地帯を人間の手で緑の大地に変える努力をした。
ところがアジアではそういう発想が根付かなかったのは一体どうしてなのであろう。
地球上に住む人間で、自分たちの住んでいる環境が過酷ならば、その地を離れるか、あるいはその地を改良することを考えると思う。
その地を離れることが一番安易な方法であるが、そうそう移転先が見つかるわけもないというのも厳しい現実であろうと思う。
それに反し、自分たちの住んでいるところを変える、つまり土地の方を変えるということは大変な事業ではあるが、一度完成させれば子々孫々利用できるというメリットがある。
中国でも南の方には人工的に作られた水路や灌漑用水というのは沢山あるだろうが、山奥の僻地にはそれがないのも当然のことではある。
当然、この現実にも、政治の力が作用しているわけで、南の肥沃な地域には投資がなされるが、山奥の辺鄙な場所では、投資をしても見返りが期待できそうもないので、誰も土地の面倒を見ないということだと思う。
この地球上の土地には、人々が忌み嫌う土地というのもあるわけで、例えば日本が統治する前の台湾は、中国人からすれば化外の地であったし、今の中国東北部、旧満州も、台湾と同じように中国の人々からは化外の地並みに扱われていた。
つまり、中国人が好き好んで赴任する地ではなかったはずで、こういう土地がモンゴルであり、チベットであり、内蒙古という土地である。
この本は、少女の日記という形ではあるが、あきらかに中国の現状を暴露するものである。
現在の中国、目覚ましい経済発展の象徴としての北京オリンピックの開催の裏側には、こういう悲惨な現実があるということを暴露している。
それは同時に共産主義の破綻をも表しているわけで、共産主義による社会構築が完全に行き詰って機能していないということの告発でもある。
それはある意味で、人間の生存という観点からとらえれば、ごく自然な成り行きなのかもしれない。
人間の極々自然の願望というのは、楽して儲けたい、いや、何もせずに食えれば、寝て暮らせれば、というのが本音だと思う。
人々の心の中の本当の心ではそう考え、そう思っているに違いない。
ところが人間には、その怠惰な心を律する感情も同時に兼ね備わっているので、本来ならば人間の本音ではあろうが、そういう怠惰で我儘な感情を戒める思考も自然発生的に湧き出てくる。
片一方では「怠けたい」、その反対側では「それでは駄目だ」、「勤勉たれ」と、それを戒める感情が湧き上がるわけで、人々はこういう葛藤を経ながら生を享受している。
ところが、これは一見、個人個人の問題のように見えるが、これに地勢的な条件をかぶせると、これが地域の特性となって固定化しがちである。
無理もない話で、山奥、僻地で、他との接触が少ないところでは、人間というのはかたまって生きるが、その小集団のままで長い年月を経ると、それなりに生活の知恵と経験によって、伝統や慣習、因習が確立して、それが親から子、子から孫という風に引き継がれ、それは結果として新しいものを、新しいことを、外から来た思考を、外から来た人、ものを拒むという現象を引き起こす。
言い方を変えれば排他的、保守的ということになるが、こうなるとその内側の人々というのは、自分たちの小宇宙に満足してしまうのである。
だから、現代文明がすぐ隣にあっても、それ見て、欲しいとか、羨ましいとかという感情をもたないので、そこでは競争も成り立たない。
住む世界が違うという認識に至ってしまえば、住み分けということにならざるを得ないが、豊かな側に住んでいる人たちにすれば、先方も我々と同じ価値観を共有し、同じ夢を持ち、同じ願望を持っているに違いないという思い込みの嵌ってしまう。
この思い込みの部分が奢りになるのである。
我々は確かに飽食の中で生きているので、食べ物について、まずいとかうまいといって一喜一憂しているが、彼らは一枚のナンがあればその他は何もいらないわけで、比較すること自体を知らないで生きているものと思う。
問題は、こういう現状に直面すると、すぐに「そういう可哀そうな子供を救わなければならない」と考えることである。
このいたいけない少女が、「学校で十分勉強がしたい」という思いは、嘘偽りのない本音であろうが、だからと言って、直ちに救援の手を差し伸べることは、あくまでも恵まれた立場の思い上がった発想で、それは相手の主権をも犯す行為につながると思う。
その国の教育は、その国の主権にもかかわることだと思う。
中華人民共和国も、国家の主権として、中国人の教育にはそれなりに力を傾注していることは当然のことで、そういう努力はしても直ちに全土に同じようにというわけにいかないのもこれまた当然のことであろう。
沿岸部と内陸部、富裕な地域とそうでない地域の格差も、一気に是正できないのも当然のことである。
中国で毛沢東の中国共産党が全土を手中に収めたのが1949年のことで、もうすでに半世紀がたっているわけだが、この半世紀という時間の流れというのは考察するに十分な価値を秘めている。
日清戦争から日本が敗戦するまでの間が約半世紀、日本の敗戦から今日までが半世紀プラス13年。我々の日本国も、国内には過疎という問題を抱えているが、ここに描かれているような社会的な格差とは意味合いが異なっている。
ここに描かれている中国の実態というのは、中国の奥地ではいささかも福祉が行き渡っていないということである。
それは、物、施設の不足のみではないと思う。
教育というものに金を掛けて、将来、国に貢献する人材を育てよう、という思考は全く存在せず、ただただ共産党員の先生が仕方なく嫌々しているという風にしか感じられない。
ただ文中にはテレビがあるということが描かれているので、テレビがあるということから発して、徐々に外の世界の情報を得、そのことによって資本主義に目覚め、欲望を満たす快感というものが覚醒されてしまうかもしれない。
アメリカのネイティブ・アメリカンも、彼らだけの極めて民族的な生き方を選択しているが、それは彼らが自分の世界に閉じこもって他の世界を認めようとしないからであって、だから我々が彼らに同情を寄せる必要はない。
彼らは彼らの意志でそういう生活を選択し、そういう生活をエンジョイしているわけで、彼ら自身の意志でそういう耐乏生活をしているのである。
外の世界から、たまたま偶然によって、そういう世界に足を踏み込んだものが、その文化と文明の格差のびっくりして、「救済しなければ!!」という思考に至るのは、少々短絡的すぎると思う。
人に金を恵むという行為は、非常に気持ちの良いことで、下手をすると嵌り込みそうであるが、恵む相手を直視する必要がある。
果たして本当に、この時、この場、このシチュエーションで、相手に金を恵むべきかどうかを、よくよく熟考することが肝要だと思う。
日本から中国に渡されているODAも、日本側としては戦争の賠償という意味を込めて、軍備には回さない暗黙の了解のもとで払われているのに、もらった相手は、それを軍備増強の資金に回しているわけで、日本は自分たちの金で、日本に向けた武器を作るような、阿呆な形になっている。
相手にしてみれば、恵んでもらった以上、何に使おうが勝手だという論理であろうが、こういう人情の機微、国民感情の機微を、民族性の機微を我々はもっともっと研究しなければならない。
人に金を恵む行為というのは、気分がいいものだと思う。
もともとケチ、吝嗇な人は、人に恵むという発想そのものを持ち合わせていないので、こういう感情を味わう機会も少なかろうが、人に金を恵む、寄付する、献金するという行為は、極めつけの自己満足に浸れる。
1997年自動車事故で亡くなったダイアナ妃は地雷撲滅運動に献身的にかかわっていたといわれているが、これも考えてみればおかしな話で、地雷の除去など、埋めた側が責任をもって除去すべきことなのに、何故に第3者が関わらねばならないのであろう。
この運動も、地雷除去という崇高な運動というわけで、それに協力することは何か立派なことのように思われているが、本来ならば埋めた側に除去するように口やかましく言いたてるべきことなのではなかろうか。
日本のように、何のかかわりもない国が、地雷除去に協力するというのも、おかしな話だけれど、行為そのものは崇高なことなので協力せざるを得ない。
中国の内陸部の奥で、学校の問題もさることながら、その前に髪菜(ファーツァイ)の採集が環境破壊を起こしているという問題の方が重要だ。
髪菜(ファーツァイ)というのは私自身も知らないが、この本の解説によると、砂漠地帯の土の表面に生えるコケ状のものらしく、良い値段で取引されるので、乱獲がこうじてそれが環境破壊につながっているらしい。
こういう僻地に住む人々にとっては、自分たち自身が生きんがために働いているわけで、環境破壊になろうがなるまいが、自らの命を掛けてそれを採り、売って、換金して、生きていかねばならない。
見たこともない裕福な国の人々のことよりも、目の前の自分の家族の生活の方が大事なわけで、環境破壊だろうが、古代遺跡の崩壊であろうが、自らの生活には何ら関係ないわけで、彼らにしてみたらあずかり知らぬ事柄であろう。
環境破壊だとか、歴史的な遺跡の崩壊だと言ってみたところで、それは所詮、豊な国の思い上がった文化至上主義の危機に他ならないわけで、現地の人にしてみたら、恐れるに足る何の価値もない。
ただただ豊かな国の豊かな人々の、架空の、あるいは虚像の価値観の崩落にすぎず、地球の歴史、人類の歴史からすれば、ほんの些細な出来事にすぎない。

「天国の流れ星」

2008-09-22 07:15:10 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「天国の流れ星」という本を読んだ。
表紙に麗々しく若い男性の写真が載っていたので不思議な思いで手にとって見た。
ページを開いてみると、2001年1月、JR新大久保の駅で、酒に酔ってホームから線路に転落した人を助けようとして、列車に轢かれてなくなった韓国人青年の話であった。
その事故のこととともに、彼の純愛物語でもあったわけで、素直に感動を覚えた。
その純な行動に対して、彼の周囲の人々が、彼の善意の行動を無にすることのないように、こういう本にして後世に残すということも大いに意義深いことだと思う。
ただここで私としては少々疑問に感じられることは、彼が韓国の若者であったから、日本において大きな感動の渦を巻き起したのではないかという、邪悪で意地悪な感想である。
韓国の純な若者が、日本人の酔っぱらいを、危険をも顧みず救助しようとして、自らの命を犠牲にしたという面が暗黙のうちに強調されているのではないか、という底意地の悪い発想である。
この本の発行の主眼が、韓国人の美談を強調するように仕向けられているように見えてならない。
この時は、日本人の関根という人物も彼と同じように行動して、同じように命を落としているが、この本の中では冒頭にその事実が述べられているだけで、この本の主題は明らかに韓国人の美談に焦点が当てられている。
これはこれでいた仕方ない部分もある。
本を発行する目的が、それをPRするためのものである以上、枝葉のことは省略されてもいた仕方ない。
この本が李秀賢という韓国の若者の美談を褒め称えることは、彼の行為から推し量って当然なことではある。
彼の行為そのものが、人間の良き行いとして、国家という枠組みを超えて賞賛されるに値することであったことは論を待たない。
韓国人が日本人を、命を張って助けようとした、というところに人々は感激するわけであるが、ここで韓国人、日本人という言葉が介在すること自体が、本当は考えるべきことではなかろうか。
この本の中でも語られているが、この彼の行為は、韓国人、日本人という垣根を限りなく低くする方向に向かうべく強調されている。
ところが、そもそも垣根の存在そのものを21世紀に生きる我々は根本から考え直すべき時ではなかろうか。
彼のこの行為が、日韓関係の改善によい効果をもたらすであろう、という発想そのものが、この両国の間の垣根を意識した発言であるわけで、そういう垣根の存在そのものを問い直すべきが新しいアジアの思考でなければならないと思う。
しかし、それはあくまでも理想論であって、現実には国境の壁をなしにするなどということは、近未来においてもあり得ないことだと思う。
この本の中でも、日本人と韓国人の話となると、歴史認識が陽になり陰になって見え隠れするわけで、双方の国民レベルでも、それは伏流水のように厳然と流れている。
こういう話になると、双方の主張は水掛け論となり、収拾がつかなくなってしまい、結論的には、相互理解が暗礁に乗り上げるということになる。
それは人間の在り方、有史以来の人間の生存にとって自然のことであり、民族が異なれば相互理解などあり得ないというのが自然界の法則だと思う。
ただあるのは、双方の歴史認識の相違を容認しつつ、どこで妥協し、どこまで受忍出来るか、という点にいきつくと思う。
この韓国の若者の自己犠牲を伴う人助けの話は、日本と韓国の双方で美談として大きく報道されているが、日本人同士の美談というのも毎日の生活の中でいくらである話だと思う。
コンビニ強盗を追いかけて反対に殺されてしまったとか、喧嘩の仲裁に入って逆に被害をこうむったとか、こういう話も常日頃、巷にはいくらでも転がっているが、そういう話はたいして大きく報道されることは無い。
犯人を追いかけて逆に殺されてしまった場合など、殺人事件としてはそれなりの報道をされるが、美談として奉られるようなことはない。
ところが、その当事者が韓国人だと、国を挙げての称賛になるわけで、意地悪な見方をすれば、政治的に利用されているという風にも取られかねない。
確かに、日本の若者は、電車の中のマナーが悪いのは事実であるが、悪いのもいるが、良い人も大勢いるわけで、それはどこの国の社会でも同じではないかと思う。
悪いことはニュース性を備えているが、良いことはニュース性に乏しいわけで、人々の口に上りにくい。
マナーの良い行いというのは、そうであって当たり前であり、話題にもならないが、「今時の若者のマナーが悪い」という話ならば、いくらでも尽きることなく語りつがれるのである。
ただ国家の境界線としての国境というのは、人間が人間のために考えついた概念にすぎないが、民族性というのは人為を超越した思考だと思う。
地球上のある地域で、営々と生き続けた人々は、長年の生活の知恵と経験とともに生き続けたわけで、そこで刷り込まれた概念は、生きる場所を多少変えたところで、そう安易に是正できるものではない。
だからこそ、それが民族性となって何世代も尾を引くわけで、それゆえに我々と朝鮮民族の間には歴史認識を共有できないのも無理からぬ話である。
先方から見れば「謝罪が足らない」という言い分になり、われわれ側からすれば「何も悪いことをした覚えがない」という言い分になるのである。
ところが20世紀から21世紀という時代の科学技術の進化というのは、この民族性などお構いなしに進化するわけで、つい60年前の認識ならば、近代化に成功した日本と、それに取り残されたアジアという認識が一般的であったが、こういう認識そのものが今では意味をなさないこととなった。
インターネットとか携帯電話の普及で、実質、昔風の国境というものは消滅しているが、その一方で昔ながらの民族性は未だに頑迷に人々の心の中に居座っている。
この本で語られている主題も、「韓国人が身を呈して日本人を救った」という意味で、民族性をことさら強調しているわけで、これが同じ国同士の人々の事件ならば、これほど話題にはならなかったに違いない。
ここで我々が韓国に学ばなければならならないことは、この本の中では一言も触れていないが、韓国の徴兵制である。
我々の国もかっては徴兵制があり、その徴兵制のもと天皇の名において戦争が遂行され、結果として大敗北を帰したので、今の我々は徴兵制など口にしようものなら、それこそ異端者とされかねないが、徴兵制という言葉はともかくとして、若者を一堂に集めて試練に立ち向かわせる制度というものは必要だと思う。
若者に国を愛する気持ちを強制的に教えるというのも、何かと差しさわりがあろうが、今の若者の自堕落さというのは、なんとかして解決の糸口を探さなければならないと思う。
今の日本の若者というのは、上からの強制という事を一度も経験しないまま大人になっているわけで、これでは自己中心主義になるのは当然である。
戦後の民主教育では、上からの強制ということが罪悪視されていたので、何でもかんでも自主性を最優先できたものだから、自分が何をすべきか解らないまま右往左往している図だと思う。
彼、李秀賢の正義感が、軍隊生活によって培われたというのは確かに短絡した思考であろうが、若者が一定期間、ある試練の場に身を置くというのも、長い人生にとっては悪いことではないと思う。
平均寿命が70代80代にもなったのだから、その中で2、3年、徹底的に管理された生活を送るということも、その後の人格形成に大きく貢献するものがあると思う。
軍隊という戦争を目的とする組織ならずとも、若者が規律と秩序のタガを強制的に嵌められて、その中で自己を見つめる機会を与えるという制度も、民族の将来にとっては有意義なことだと思う。
20世紀までは、地球上のあらゆる先進国で徴兵制がしかれていたが、それは同時に民族意識の強化とも連動しており、国威掲楊の象徴でもあったが、人々の人権意識が普遍化するにしたがい、徴兵制が志願制に大きく推移した。
戦争の近代化、あるいは戦争の合理化に伴い、昔のように鉄砲担いでおっちにおっちにの時代ではなくなったわけで、数さえ揃えればことが済む徴兵制の時代ではなくなったことは事実だ。
自分の意志で任務にあたるという積極性がなければ、任務は遂行できないわけで、嫌々集まってきたものに、崇高な任務を強制的に押し付けても、ものの役に立たないことは自明のことだ。
そういう意味では、嫌がる若者を徴兵制で集めて、いくら鍛えても効果がないだろうが、若者が嫌がる試練に対して、ある程度強制的に自己犠牲を強いる機会を与え、精神的な苦難に耐え、それを乗り越える試練の場を与えるということは、考えてみる値打ちはあると思う。
通過儀礼として、若者がなにがしかの試練の輪を潜ることによって、社会人として一人前に認めるというシステムがあってもいいと思う。
私は刑務所に入るようなことをしたことがないのでよくは知らないが、テレビの報道で見る限り、刑務所というのはかなり厳しく生活が管理されており、その分秩序と規律が維持されているにようにみえる。
今の日本の若者はあまりにも放任されているわけで、それに少しでも枠をはめようとすると、まず最初に文化的知識人という人たちが反対のノロシを上げるが、この戦後の日本の放任主義というのがモラルハザードを引き落としているのではなかろうか。
今の日本で、社会的に重要な地位を占めている世代といえども、戦後の民主教育の中で育った世代であって、その意味では今の若者と同じ放任主義の中で社会生活をしてきた世代である。
自分で自分を律する術を他人から教わらないまま、自分の意にそわないことを強制されて、それに屈した苦い経験がないまま地位を得た人たちなので、他人の痛みや下々の痛みを自ら体験したことがない人が高い地位を占めていると思う。
そこにモラルハザードの大きな原因があると思う。
企業の経営者や、組織のトップが世間に対して謝罪するということは、その企業なり組織のトップのモラルの問題なわけで、そういう立場の人が、人としての倫理を蔑ろにしていたということに他ならない。
あまりにも自由ということは、そのまま無秩序に通じてしまうわけで、この過剰なる自由というものを如何にコントロールするかということがより良き社会の建設につながると思う。
他から守るべき規範というものを強制的に植え付けられた経験がなく、あくまでも自主判断で事を推し進めなければならなかったので、どうしても自分に甘く、そこにモラルハザードの原因が潜んでいると思う。
何が何でもここはこうすべきだ、理由の如何を問わずここはこうすべきだ、という規範がないわけで、ならばいくらかでも有利な方向にと心が動くのが当然に成り行きであり、それがそのままモラルハザードにつながっていくわけである。
戦後の民主教育では、人の嫌がることを強いることは全面的に否定されたわけで、そういう世代が社会のトップを占めるようになったのが昨今の日本の現状だと思う。
こういう精神状況の日本と、韓国の人々を比べると、韓国の人々は、我々の感覚からすると如何にも古臭い思考から脱却できていないように見える。
若者が年寄りを大事にすることが如何にもダサいことのように我々には見える。
人前で正義を実践することが、如何にも受けを狙った行いのように我々には見えるのである。
戦後の民主教育が日本の若者にこういう感覚を植え付けたわけで、それは我々が天に向かって唾を吐いたわけである。
それをしたのが戦後の日本の進歩的文化人と称する非日本人であり、反日日本人であった。
特に、日本の教育現場の犯した罪は大きい。
それとメデイアの責任を合わせて考えなければならない。

「今も私は熱中時代」

2008-09-20 07:27:44 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「今も私は熱中時代」という本を読んだ。
何だか妙な本だった。
昔、「熱中時代・刑事編」というテレビドラマがあったらしい。
私は見たことがなかったがこの中で水谷豊とこの本の著者ミッキー・マッケンジーというアメリカの女優とが共演したらしいが、その成り行き上この二人がくっついてしまって、その惚れたはれたという芸能界特有の下ネタの話だと思って寝ころんで読んでいた。
ところがこの結婚が破局を迎えたことによって、ミッキー・マッケンジーの方に大いなる魂の覚醒が起きて、話が宗教の話に展開していったので、最後の頃は姿勢を正して読まなければならなくなった。
水谷豊の方は平成20年の時点で「相棒」というテレビ番組にレギュラーで出演しており、私は好んで見ている。
あのトボケた演技に何ともいえぬ、面白さが漂っている。
その彼の前妻がアメリカ人であったわけで、キリスト教文化圏の人々はセックスに関して自分を律することに寛容で、われわれの感覚からすると如何にもだらしないという感が否めない。
好きという感情が昂じてくると、安易にセックスに結び付けがちであるが、このあたりの感覚は古いモラルの私には理解し難いところだ。
人間の欲情というは時も場所もわきまえずに沸き立つことはわかるが、だからと言って、すぐさまそれがセックスに結びつくというものでもなかろうが、このあたりの感覚というのは私としてはきわめて不可解な部分である。
その延長線上の問題として、すぐに結婚という事になって、一時的な気分の高まりが冷めれば、またすぐ離婚という過程も、私のような古い人間には理解し難いところである。
双方ともに、我慢する、妥協する、辛抱する、熟慮するというところが全く無いわけで、まるで盛りのついた犬のようなありさまというのはどうにも解せない。
自然といえばあまりにも自然すぎる。
動物的といえばあまりにも動物的でありすぎる。
人類・霊長類としての威厳も尊厳も全く見当たらないわけで、ただただ動物的な生でしかないではないか。
こういう、如何にも動物的に生きて、セックスをほしいまま楽しんでおきながら、それが行き詰まると宗教に逃げて、魂の救済を乞うなどということは、あまりにも人として傲慢すぎると思う。
魂の救済など求めずに、ただただ動物的に肉欲の遍歴を続けるというのならば、動物的な人生であったといえるが、都合のいいところだけ人間の理性に立ち返って、都合のいいところだけ動物的な本能の赴くまま行動するでは、真面目で、敬虔な人々を愚弄するに等しいではないか。
人生の成長の過程で、若い時にはそういうことに気がつかなかったというのは、後知恵の詭弁にすぎず、それまでの人生がいくら短かろうとも、その人に知性と理性が備わっておれば、文化としてそういうことは身につくはずである。
特に、敬虔なクリスチャンならば、そういう宗教の戒律は教わらなくとも身に備わってしかるべきだと思うし、現実の人間はそういう風にして生きていると思う。
ただここで問題なことは、有名人の物語となると、勤厳実直な人のストーリーというのはストーリー足り得ないという事だ。
真面目な人が真面目に生業に精を出して、真面目に生きているとしても、それは物語として可笑しくも面白くもない。
一見、真面目そうな人がその裏側でふしだらな生活を送っているから、その意外性が物語として面白くもあり、おかしくもあるわけで、真面目な人が真面目に生きていてはストーリーが成り立たない。
だからテレビのドラマでも映画でも、非日常なことが主題になるわけで、その気になって昼間テレビを見ていると、各局でそれぞれに犯罪のドラマ化を競って取り扱い、人々はいとも安易にセックスに耽り、不倫が常態化し、真面目にこつこつと働くことがバカに見えるのも無理ない話である。
そういうドラマを大勢の大人が知恵を絞って、面白おかしく作り上げているわけで、真面目な人が真面目に生きる姿はドラマ化されるチャンスが最初から無いのである。
この本の著者も、10代の時はただ有名になることだけを願い、そういう方向に努力を重ね、その過程で熱い恋をして、数年にしてその恋も破綻をきたし、その後、魂の救済に走って、再び心の平安を探しえたので、それがストーリーとして成り立っているのである。
彼女の恋が、専業主婦として家庭の中で昇華してしまったとしたら、物語そのものがあり得ない。
人間が、大きな魂の障壁にぶち当たって、そこで宗教に逃げるということは、ある意味で人間の弱さを露呈していると思う。
本当に心が強靭な人ならば、宗教に逃げるなどという選択はしないと思う。
この本の著者、ミッキー・マッケンジーは、最初の結婚の破たんは、水谷豊が彼女を専業主婦にしておきたかったという点にあるように思えるが、これを表現するのに彼女は「日本人の邪悪なサタンのしわざ」という表現で、日本の既存の価値観を批判している。
これこそある種のカルチャーショックであろう。
結婚した若い男女は、そこで「一家を成す」という認識がアメリカ人の彼女には理解し難いことであったに違いない。
彼女の育った社会的な感覚では、「一家を成す」という概念そのものが存在していないわけで、結婚しようがしまいが、個としての人間の意思が最優先であって、人は自らの意思に従うべきだ、という認識であったに違いない。
ところが我々の感覚では、主婦は家を収めて、稼ぐのはもっぱら亭主の役目という認識が普遍化しているわけで、ここで両者の心の溝が埋め合わすことができなかったものと推察する。
現代の若い日本人でも、基本的には家庭内の分業、妻は家を守り、外で稼ぐのは亭主の役割、という役割分担は認識しているが、基本的に日本の若い男は給料が安いので、それを埋め合わせるために主婦も働かざるを得ないというのが現実だと思う。
若い男と女が結婚する。
世間知らずの若い二人が、どういういきさつであろうとも結婚という契りを結んで、それが終生変わらないというのも、考えてみれば稀有なことだと思う。
結婚の時点では分からなかった相手の欠点が、日時が経つうちに鼻もちならなくなるということも当然ありうるであろうが、それを言い出したら結婚など最初からあり得ないはずだ。
当然、双方の意にそわない結婚というのも掃いて捨てるほどあったに違いなかろうが、それでも添い遂げるのが我々の過去の価値観の中では普通のことであった。
ところが今では、そういう古い価値観は否定されて、厭なものを我慢してまで辛抱して一緒にいることは無い、という考え方が普遍化してきた。
それはそれで結構なことではあるが、ならば犬や猫のように誰とでも寝ていいかという問題とは別の話だと思う。
愛情の破たんがトラウマとなって、心が宗教に傾注するというのも、綺麗事の言い逃れのような気がしてならない。
この場合の宗教は聖書、いわゆるキリスト教であって、宗教で心が癒されるならば「鰯の頭も信心から」ということであって、キリスト教でなければならないということではないはずである。
しかし、キリスト教であったということは、既存の価値観に引っ張られたということだと思う。

「団塊の肖像」

2008-09-17 08:21:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「団塊の肖像」という本を読んだ。
著者は橋本克彦という人だが、私の知っている人ではない。
1945年生まれということで、本人自身も極めて団塊の世代に近いので、自分自身もその中に入れて考えているようだ。
この本の著者の書き方は、極めて軽いノリで書かれている。
極めて若者風な書き方になっているが、ノリの軽さというのも、我々のような昭和時代のシーラカンスの世代にはなかなか受け入れ難いものがある。
やはりわれわれのような古典的な人間は、まともな書き方でないと受け入れ難いものがある。
しかし、内容的には極めてまともなことが書かれているわけで、その意味では興味深く読み通せた。
団塊の世代は日本の戦後復興とともにあったわけで、その意味では戦争の落とし子そのものである。
1945年昭和20年8月15日の終戦・敗戦で、日本の内外で日本兵の戦闘が終わり、外国で生き残った兵隊も、内地で出陣を待っていた兵隊も、それぞれに復員してきた。
兵隊のみならず、旧日本領であった地域の人々も、敗戦で今までの生活の基盤を追い出され、日本国内に引き上げざるを得なかった。
そういう外地にあった兵隊たちは基本的に若い人たちで、戦争中は禁欲を強いられていた。
従軍慰安婦の問題が一世を風靡した時期があったが、戦地という状況の中で、若い男が性欲を押し殺すことはあきらかに不条理であろうと思うが、それを軍が直接関与するということは、明らかに事実の歪曲だと思うし、無知をさらけ出すことだと思う。
ただ若い男の集団としての軍隊の傍に、それ目当てに集まってくる女たちがいることは、どこの世界でも同じであるが、軍が前線にまで女を引き連れて戦闘をするなどということは考えられないし、それは無知による誤解を通り越して、金ねだりのねつ造した話以外の何物でもない。
ただ、特攻隊員が今生の別れに肉欲を貪って旅立つということは充分に考えられる。
こういう場面で、従軍慰安婦の問題を提起して、政府から金をむしりとろうとする、あさましくもはしたない発想の対極に、特攻隊員に思い残すことなく任務達成出来るようにと、そういう形で国に御奉公する愛国心があったことも忘れてはならない。
あの時代、針灸師は彼ら自身の生業を通じ、慰安婦は彼女らなりの生業を通じ、日夜、辛酸を舐めつくしているであろう兵士の心の慰安、身体の休息を自ら買って出ることで、国家に奉仕する、国家に貢献することを願い出た人たちがいたことを忘れてはならない。
日本が戦争に負けたということは、当時の軍人がこういう下々の人たちの期待を全面的に踏みにじったということである。
負ける戦争ならば馬鹿でもできる。
日本の海軍兵学校や陸軍士官学校、はたまた東京帝国大学を出た官僚たちの戦争指導は一体何であったのだ。
日本が戦争に負けたということは、海軍兵学校や陸軍士官学校はたまた東京帝国大学の教育がいささかも功を奏していなかったということで、負ける戦争ならば馬鹿でもチョンでも出来る。
事実、日本が戦争に負けたということは、こういう連中がバカであり、チョンであったということに他ならない。
海軍兵学校や陸軍士官学校はたまた東京帝国大学を出た、本来ならば優秀であるべき人たちの馬鹿げた戦争指導によって、我々は奈落の底に突き落とされ、その結果として敗北した。
その敗北の結果として、大勢の若者、兵士として出征していた大勢の若者が故郷に帰り、家に帰り、再会を喜び合った。
当然ここでは自然発生的に愛情の交換、抑えられた欲情の解放、生きている確認としての行為が行われたわけで、結果としてそこで新しい生命が誕生したわけである。
日本各地で一斉にこういう状況を呈したので、日本各地で一斉に新しい生命が誕生してしまった。
この時点では日本はまだまだ廃墟であったが、この日本中で一斉に誕生した新しい生命が成長するにしたがい、あるいは前後が逆かもしれないが、戦後復興の過程で新しい生命が成長したのかもしれないが、この世代の子供たちは日本の戦後復興とともにあったことは間違いない。
この新しい生命が育つに従い、日本の社会も安定し、復興も軌道に乗り、その行きついた先が高度経済成長であり、その後の停滞基調である。
別の言い方をすれば戦後の第一世代と言うことでもあるわけで、彼らの弱点は戦争という悲劇を自ら体験していないというところにあると思う。
戦争を体験していないということは、自らの手を汚したことがないということでもある。
彼らのほんの少し前の世代は、明らかに軍国少年・少女の世代で、自ら軍国主義の旗を振った記憶が贖罪として心の隅に横たわっているが、団塊の世代にはそういう心の澱のようなものは一切存在しないわけで、その面では実に天真爛漫に振舞える。
そこにもってきて彼らは戦後の民主教育を正面からまともに受けてきたわけで、ここで前の世代との紐帯が見事に断絶してしまっている。
問題は戦後の民主教育の中身である。
戦前、戦中の軍国主義というのは、突き詰めると草の根の下から沸き出た軍国主義だったと思う。
ところが戦後の民主教育ではそれでは具合が悪いわけで、上から押し付けられたものだ、という風に教え込まれた。
この部分の認識を解明することが、この時代の知識人の使命ではなかったかと思うが、こういう知識人は、自分自身の視点を、皆が皆、共産主義、社会主義国に向けてしまって、自分の足元を見るということを怠ってしまった。
遠い遠い海の向こうの光り輝く共産主義、あるいは社会主義というものだけを見つめて、そういう夢を食う獏に成り下がってしまい、自分の足元を固めるという地道な作業を怠ってしまった。
その結果として、軽薄な表面上の薄皮のようなスローガンを鵜呑みにして、それに惑わされてしまった。
その最大の過誤は、間違った平等主義と、義務と責任の履き違えである。
その典型的な例が、「先生と生徒は同じ人間だから対等であって、平等であるべきで、立場の違いがあってはならない」という思考である。
これでは教育が最初から成り立たないわけで、それこそ戦争中に「天皇は神様だ!」という等しい暗愚な思考ではないか。
こういうバカなことが戦前、戦中、戦後を通じて生き残っているということこそ驚くべきことではないのか。
戦中は「天皇は神様だ!」という話に異論を唱えれば、そのことだけで刑務所送りであったが、戦後はいくら異論を唱えても、それだけで刑務所に入れられることはなくなった。
すると、大勢の人がその整合性に欠けた話に同調するわけで、「そんなバカな話はない、納得出来ない」と異論を唱える人が一人もいない。
「先生と生徒が平等であるとするならば、教育は成り立たない」という正論を誰も吐かないということは一体どういうことなのであろう。
いくらでも異論を唱えることができる状況の中で、「おかしいなあ!!」と思うことに対して沈黙を守るということは、天に向かって唾を吐くようなもので、その因果応報は自分に降りかかってくると思う。
ただ、事の正否よりも、「先生と生徒は平等だ」という倫理の中には、思考の新旧の違いがあって、それに異論を唱えることが「古い考え」だと思われることを回避するために、沈黙を守るということもありうるかもしれないが、だとすればそれこそ日本民族の本質を曝け出すということになる。
戦後の民主教育の良いところは、自分の意見をはっきり言う習慣を得たことである。
自分の意見をはっきり言えれば、異論も堂々と言えるが、するとそれは仲間内からイジメという形でブーメランのように帰ってくるわけで、上から抑圧でないところが極めて陰湿である。
とは言うものの、従来の「長いものには巻かれる」という因習を正面から否定するもので、その背景には権威を恐れないということがあると思う。
権威を恐れないので、上からの抑圧はないが、仲間という横からのイジメが暗黙の圧力になってしまう。
団塊の世代が権威を恐れないのは、彼らを教えた世代が、まさしく権威の崩壊を目の当たりに見たので、その影響が大きく作用していると思う。
今まで、権威という鎧で覆われていたものが、その実態が実は空で、中身が何も詰まっていない、という現実に晒されたのが、終戦、敗戦の際に露わに現出してしまった。
そういう経験をへた先生から権威の喪失を教わったのが、この団塊の世代だと思う。
そして彼らが生まれ落ちたときはまだ世の中は混乱していたが、その混乱を鎮静化させたのが彼らの親の世代だったわけで、彼ら自身がそれに貢献したわけではない。
彼らは自らの成長とともに身の回りがだんだん豊かになって、自分自身は困窮した時代というものを経験したことがない。
欲しいものは幾つも目の前にあり、それは何時でも自分のものとすることが出来たわけで、それを得るために血のにじむような苦労をするという経験もない。
こういう世代は実に素直に成長するわけで、家が裕福であればその心も素直に伸びるが、この素直さがはなはだ問題なわけだ。
血のにじむような努力してでも得なければならないものは何一つ存在していないわけで、望めば何でも手に入る時代になった。
その意味で、素直な心で大人になると、世の中の歪みが気になってきて、この世の中の悪や不正を見逃す心の寛容さに不純を感じ、許せない気持ちが昂じてきたのである。
そしてそれは「正しい人間」の当然の行いで、正しいがゆえに、それに棹差すことが憚られ、その考え方は自己増殖する。
先の「先生と生徒は平等だ」という論理も、人間としては平等だが、教える立場と教えを受ける立場という立場の違いは平等ではありえない。
一つの言葉の中に、正しい部分とそうではない拡大解釈の部分があるわけで、戦後の民主教育では、その正しい部分のみを抽出して全体を包み込もうとするから思考が混乱するのである。
そして、この団塊の世代の正しさを求める純真な者にとっては、その裏側にある汚い部分、いかがわしい部分を綺麗さっぱり払しょくしたいわけで、そうなると世の中の潤滑油が機能しなくなって、ぎくしゃくとした摩擦が生ずるようになる。
一言でいえば、純情な世間知らずの若者の青臭い正義感とでもいうべきであろう。
この団塊の世代はとにかく数が多い。
数が多いということは、物事を決める際に極めて強力なエネルギ-になるわけで、民主主義の多数決原理の中では非常に有利である。
それが全共闘世代の本質にそのまま引き継がれている。
この全共闘の連中も基本的には青臭い正義感の集合体であって、その潜在意識の中にはまぎれもなく日本民族のDNAが潜んでおり、それは一応もっともらしい理由付けにフォローされてはいるが、むき出しの好戦的な敢闘精神である。
「正義のためには人を殺しても良い」というむき出しの闘争精神、敢闘精神が隠されているのである。
問題は、彼らが「自分は正しい事をしているのだ」という思い込みに浸ることである。
この思い込みが根底に潜んでいるので、自分の行為が正しい事であり、それを認めないのは相手が悪いという論理になる。
これらの人々は、それぞれに純で、真面目で、正義感が強くて、自分たちは有意義なことをしているのだ、という思い込みに浸っているので、他者の行為が許せないわけで、結局のところ内ゲバを志向し、仲間同士で殺し合いということに行きつく。
戦後の日本社会でも様々な抵抗運動があって、運動を推進する側と警察の間では内戦状態を呈する感があったが、ここに日本民族の根源的な戦闘精神、極悪非道な殺傷を何とも思わない人知を超えた残虐さというものを私は感じる。
あの戦争中、日本軍の占領下ではひどい事が行われたと言われているが、私はまんざら嘘ではないと思う。
戦後の学生運動や、労働運動の過激さを見ても、我々の同胞は実に残虐な性癖を兼ね備えている。
デモ行進一つとっても、デモの目的は示威活動なわけで、静かにプラカードを持って歩くことが本来の姿であるが、彼らの場合はジグザグ行進で故意に警察を挑発しており、明らかに共産党員が仕掛けていることは明々白日である。
全共闘世代の一部のものが武装闘争に走るというのも、我々の民族の持つ残虐非道なDNAの表れであって、それこそ好戦的な資質の具現である。
戦中に特攻隊員として南の海に散華していった若者も、基本的にはその心の内に、純で、真面目で、正義感が強くて、自分たちは有意義なことをしているのだ、自分の父母兄弟、学友、故郷の人々のために自分さえ犠牲になればそれに貢献できるという思いであったろうと思う。
その純な心が自分の内側に向かって内向すれば自己犠牲の形を取るが、これが外側に向かうと内ゲバという形で他者に対する残虐な行為という形になる。
あの戦争中に純な若者の心が内側に向けばそれは自己犠牲という形になったが、それが外側を向くと被支配者に対する理不尽な暴虐という形で露呈したのではないかと思う。
どちらにしても我々、大和民族の潜在意識の中には、人間の業としての残虐な行為を引き起こす、強力で好戦的な精神の因子を内包していると思う。
それが戦前のテロ行為であり、神風特攻隊であり、戦後は、あさま山荘事件であったり、大菩薩峠の大量殺戮であったり、テルアビブ空港の乱射事件であったりしたわけである。
こういう事件はなにも団塊の世代だけの特異な行動ではなく、純な若者が正義を短編急に実現しようとする過激な行為であって、時代を超えて現出している。
団塊の世代は戦後の民主教育を真正面から受けてきたわけで、彼らの精神構造には旧来の思考による秩序とか因習に価値を置く気風は極めて希薄であるが、民族の根源的な潜在意識としての残虐性はそのまま引きずっている。
その意味で彼らは極めて民主化された思考を持っているようにみえるが、群れをなしたとき、その残虐性は正義漢というお面をかぶって露呈してくるのである。
団塊の世代の論議とはかけ離れるが、昭和20年の8月の東京の現状を目の当たりにして、それでもなお徹底抗戦を主張した我が同胞の思考をどういう風に考えたらいいのであろう。
彼らは特別に偉い地位のものではなく、高い階級の軍人でもなく、組織内では極めて中庸な地位と職域に属していた人たちであったが、そういう人たちが従来の価値観を、つまりメンツのみで他者をより以上の奈落に落とすことを厭わなかったわけで、これを邦人・同胞に対する究極の残虐さと言わずした何と表現したらいいのであろう。
反撃するに何の武器もないまま、つまり竹槍で近代化したアメリカ軍の上陸を阻止する、という発想そのものがあまりにも無知であり、バカであり、愚昧であって、それがなされた時の結果を考えると、彼らの邦人に対する残虐性に身の毛もよだつ思いがする。
沖縄戦を見るがいい。
これと同じことが団塊の世代の全共闘の学生にもあったわけで、独りよがりの正義感に酔いしれて、自分では正義と思い込んでいたことが如何に陳腐なことかを知らなかったわけである。
生きた人間の生、焼け残った地で右往左往している庶民、国民、市民、同胞よりも、彼ら自身のメンツに重きを置いたわけで、この一事をもってしても彼らの同胞に対する残虐性は誤魔化しようがないではないか。
「独りよがりの正義感で以って他者の迷惑を顧みない」、これこそ戦後民主主義を根本から考え直すべきことではなかろうか。

「廃墟に立つ」

2008-09-15 10:44:57 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「廃墟に立つ」という本を読んだ。著者は色川大吉。
サブタイトルに昭和自分史となっているが、どうも妙な本だ。
色川氏が自分のことを書いた自分史ではいないようにも見える。
全編を通じて登場してくる主人公は、谷一郎という人物で、この主人公が色川大吉氏そのものかどうかがいまいちはっきりわからない。
普通の本ならば「あとがき」にあたるところが「追記」となっており、その冒頭に「野本貢の遺構と当時の『谷の日記』をベースに、そのほんの一部を抜粋して構成したもの」と記されている。
その文節の終りには「自分の中に歴史を発見する同時代史的な自分史叙述のささやかな試み」となっている。
本人の自分史なのか、それとも自分史風の新たなジャンルのフィクションのか、そのあたりがどうにも曖昧な読み物だが、最後の最後に、「私の日記」となっている点からやはり本人自身の自分史だと推察できる。
本人の自分史であろうとなかろうと、他人のヒューマン・ヒストリーを自分史風に記述したものであろうとなかろうと、今から約63年前の日本の敗戦直後の世相が如何なく描写されている点ではよく描かれている。
色川大吉氏は、私にとっては、あまり好きなタイプの人間ではない。
日本の典型的なインテリーであって、そういう部類の人間にありがちな反政府、反体制のポーズが好きになれない。
以前、田原総一郎の「朝まで生テレビ」に出演していた彼の主張は、徹底的な一国平和主義で、この世のあらゆる不具合事項はすべてが政府の責任で、なにもかもこの世の中で悪いのは現行政府の責任であり、国民には一点の瑕疵も存在しないという彼の論調には反発を覚えたものだ。
この本が彼の自身の自分史であろうとなかろうと、彼の体験からストーリーが組み立てられているとなれば、彼がこういう思考に陥るのもむべなるかな、と思わせる部分が多々あった。
彼は旧東京帝大の学生であった時に、学徒出陣で出征し、海軍の下級将校の軍歴があるが、敗戦になり、また元の旧東京帝大に復学したと述べている。
ここで、あの時代の大学生というものを掘り下げて考えなければならない。
あの時代、昭和の初期の頃、日本国民の大部分はまだまだ貧乏であった。
近代化したとはいえ、国民の大部分はまだまだ農業に依存しており、その国民の大部分を占める農家というのは、意識の中では江戸時代の旧弊を引きずったままで、農村、今の言葉でいえば地方は貧乏そのものであった。
貧乏であったがゆえに、その貧乏からの脱出が庶民の夢であり、その手段として学歴を得ることが貧乏からの脱出の免罪符であった。
貧乏からの脱出の免罪符としての学歴を得るのに、貧乏人は貧乏なるがゆえに授業料免除の学校、つまり軍人養成機関、海軍兵学校、陸軍士官学校等を選択せざるを得なかった。
ところが家が裕福な者は、人の嫌がる軍隊などにわざわざ身を投ずる必要はないわけで、学問の王道の道を選ぶことも可能であったわけである。
軍隊というものは古今東西、人々からは忌み嫌われる存在であったが、日本の近代化の過程では、軍人になることが立身出世の一番の近道で、日本国中の人々が軍人養成機関への入学を羨望の眼差しで見ていたのである。
この現実こそ草の根の軍国主義の具現であり、上から強制された軍国主義ではない。
如何なる主権国家の軍隊も、その組織の中では将校と兵という差別を引きずっており、日本の軍人養成機関もその例にもれず、この差別の上の階層、つまり将校としての人材を養成することを目的とした機関であった。
この場では、最初から軍組織の上の階層、つまり兵という人間を管理監督する職務を執り行うことが保障された職域であったので、ここに士農工商という身分制度が否定された混沌の中から、貧乏からの脱出を目的とした立身出世を夢み、それを目指す有象無象の若者が群れてきたのである。
結果的に見て、こういう連中に日本は奈落の底に突きおとされたわけである。
色川大吉の家は使用人を抱えた裕福な商家で、当時としては恵まれた家庭環境であったようだ。
よって、彼自身も純粋に学問というものを目指したにちがいないが、そこへ時勢の波が押し寄せて、本人の意思とは無関係に下級将校に配されたに違いない。
そこでは人並みに体制に順応していたが、これが敗戦ともなれば、その思いも千路に乱れるのもいた仕方ないことだと思う。
旧帝国大学のエリートが、海軍のエリートに横滑りして、そこでは人並みに果敢に戦争遂行に努めていたが、それが結果として敗戦、完膚なきまでの完全なる敗北であってみれば、こういうエリートとしての彼の精神の混乱は、如何なる手段をもってしても避けられなかったと思う。
凡俗な人間ならば、素直に現実に同化することも容易かもしれないが、鋭利な精神や繊細な感受性をもった俗にいう秀才ならばこそ、そうそう安易に目の前の現実に追従することができなかったに違いない。
自分たちは、時の権力者に騙されていた、という怨嗟の気持ちはそう安易に払しょくしきれないのも無理のない話だと思う。
この本は、その時の日本のインテリ―の心のありようを極めて詳細に書き綴っている。
こういうインテリー、戦前・戦中でも、帝国大学に行くような秀才の目から為政者というものを眺めた場合、はらわたが煮えくりかえるような嫌悪感にさいなまれるのも無理ないことだと思う。
この本の中では物事、世の中の本質が、あからさまに語られている部分も多々あるが、本人が極めて真面目なのであろう、そういうものを是正し、善導しなければという方向に思考が向いてしまっている。
旧制東京帝国大学に行くような秀才の目から、政治家、官僚、商社マン、俺が村の村長というような現実に世の中を動かしている人たちを見ると、その全てが阿呆やバカに見えるのも当然のことだと思う。
自分たちをさんざん騙し続けてきたほんの少し前の我が同胞の為政者を見れば、彼らが真面目であればあるほど、そのたどり着く先は反政府、反体制にしかないように見えるのも無理ない話だ。
彼らは秀才なるがゆえに数多くの書物を読み、秀才仲間で寄り集まって議論を戦わせ、理性と知性に磨きをかけていることは論をまたないが、そうなると人の織り成す行為、生きるという行為、生存を維持するという行為、欲望を満たす行為、こういうものをすべて彼らの目線による善し悪し、良不良、正義不正義という価値観にあて嵌めて考えようとする。
「為政者が国民の要望に応えないのは悪いことだ、だからそういう政府は倒せ」となるが、国家、政府、行政というのは、国民の一部が声高に叫んだからといって、そう安易に政策を変更できるものではない。
この時に、こういう秀才の嵌るロジックに、国家とか行政、政府、軍部という国家権力の側は、善良で勤勉な普通の一般国民とは別の人間だ、という認識に陥ることだ。
そういう連中も自分と同じ日本国民の同胞だということを忘れてしまって、何か別の星からきた異星人、エリアンかのような認識で語るところである。
国会議員の堕落は、その人を選んだ選挙民の堕落だということ忘れて、選ぶ方の人間はみな清く正しく美しく生きている善良で、勤勉で、人畜無害な国民だという認識に立って、選ばれた側のみを血祭りに挙げて糾弾する。
この本の中でも語られているが、麻の栽培でも農家は商売人に騙され続けているという話から、女工哀史、蟹工船の話等々、ここで出てくる資本家というのは、他の星からきた悪徳異星人、あるいは強欲なエイリアンではないわけで、それらはすべて我が同胞の強欲な人々の心ない行為であったわけである。
帝国大学を出たような人達は、そういう強欲な同胞を改心、改悛させることが彼ら日本のインテリ―の具体的な使命ではなかろうか。
だからこそ共産主義による革命によってそれを実現しよう、という発想に行きつくのであろう。
「資本主義社会だから金儲けして何が悪い」という反論が当然出てくるが、その論理を突き崩すのが高等教育を受けた人たちの大命題ではなかろうか。
金儲けは決して悪い事ではないが、その儲ける手段として、他の人間を足蹴にするような手段は罷りならぬ、ということを説くべきではなかろうか。
商売人が農家を騙す、女工哀史、蟹工船の話というのは、日本の資本家の民度の低さをそのまま物語っているわけで、だから共産主義革命をしなければならない、という話には直接はつながらないはずである。
彼が復員して大学に戻ってみると、大学には共産党員が蔓延していたが、彼自身は党員になるにも大きな迷いがあったが、最後にはなってしまっている。
彼自身、共産主義に大いなる疑問を持っていたという旨、描かれているが、いくら本人がそう言っても、なってしまった後の弁解としてははなはだ信ぴょう性に欠ける。
今になって綺麗事を並べているようにしか聞こえない。
戦前の帝国大学の学生が、学徒出陣で出征し、再び復学してみると、今までの価値観は180度転換してしまっているので、今まで対極にあった共産主義に走るという精神の編歴は何も不思議ではない。
きわめて繊細な心の持ち主が、若くして国家に忠誠を誓い、国に殉ずるにやぶさかでないと思っていたものが、敗戦になって国破れて山河ありという状況に置かれたら、自分たちは見事に騙されていたことが白日の下に晒された。
その反動として、共産主義体制で日本の再興を夢見るという発想も、当然のなりゆきだと思うが、それにしてもあまりにも日和見ではなかろうか。
問題は、この場面で、共産主義の本質をどこまで深く理解したかどうかだ。
それよりも、その共産主義の理念を弄んでいる人々のありようをどこまで理解しているかどうかである。
「資本主義体制は、資本家が労働者を騙して、酷使して、儲けを貪るからけしからん」と言い募っている共産主義者でも、その党内では熾烈な権力闘争が起きているわけで、仲間内の権力抗争の中で、理念のみが空回りを起こしているという現実を直視できるかどうかに尽きる。
終戦直後の日本の社会は、混乱の極みにあったわけで、こういう状況下では要領のいいものが上手に立ちまわって、人を騙して富を集中し、上手く隠しおえたものが丸儲けしたことは確かであろうが、それこそ原始の社会に近い状況であったのだから、人間の方も原始の本能の赴くまま、あるいは動物的吸覚で金儲けの匂いをかぎ取ったものが勝ちで、こういう現実を学究肌の秀才は受け入れがたかったに違いない。
秀才なるがゆえに、そういう現状を是正するには共産主義革命によらざるを得ない、という思考に行きつくものと思う。
しかし、彼は秀才なるがゆえに、その共産主義の欺瞞性もこの時点で見抜いているわけで、その意味では党員になることに大いに迷ったというのも大いに整合性に満ちた話である。
大学を卒業してからは地方の田舎の新制中学の先生になって、その村の封建制と戦いながらの教職であったそうだが、東京大学を出たものが田舎の中学校の先生では、如何にも頭脳の持ち腐れという面が否めない。
この田舎で先生をしている親友・野本貢は、この村きっての秀才で、家族の期待を背負って学問を修めた結果として、自分の出身の田舎の新制中学校の先生では、家族の期待に反しているわけで、その親友が死んだとき、その仲間としての谷一郎が家族から恨まれるのもある意味では当然の帰結であろう。
片田舎の村一番の秀才が東京に遊学したからには、中央で大いに活躍して故郷に錦を飾ることが、送り出した側、つまり家族であったり故郷の人々の期待に応えることであったわけで、それが新制中学校の先生として帰ってきて、周りのものに何かしらあやしげな話を吹聴するでは、周囲の人間としては心穏やかでいられないのも当然の成り行きではある。
野本や谷という健気な人間の行動も、真面目な青年の青臭い正義感から来ているのかもしれないが、これは四民平等で身分制度が壊れた際に、士分を除く他の階層から一挙して授業料免除の学校になだれ込んできた一般大衆の発想とは逆の志向である。
裕福な家に生まれ、学問を修めて、片田舎の旧弊の破戒し、新しい生き方を指し示すために地方の学校に赴任するという行為は、極めて健気な心意気ではあるが、どこまで行っての世間知らずの若者の青臭い正義感の域を出るものではない。
世間知らずの、金持ちのおぼっちゃまの無鉄砲な行為としか映らないであろう
学問というものは物事の本質を究めるものでなければならないと思う。
その意味で歴史学というのは我が同胞の根源的な思考の出所を探る方向を志向しなければならないと。
例えば、あの戦争中、我々の同胞は多数意見に逆らうものを抑圧し続けてきたが、そのエネルギーがどこから沸いてきたのか、その根源を探ることが必要だと思う。
誰が見てもばかばかしい、「天皇陛下が神様だ!」などということを誰が押し付けたのか、その深淵を真摯に探る必要がある。
今流の言い方をすれば、「皇国史観の押しつけ」ということになるが、「天皇陛下が神様だ!」などと言うことを否定する発言を徹底的に抑え込んだその根本のところには一体何があったのであろう。
これも極端なことを言えば、旧東京帝国大学の平泉澄という学者が、その歴史学の基のところにいたわけで、旧東京帝国大学には皇国史観の化けものと、マルクス史観の化けものの両方がいたわけで、これを突き詰めると東京帝国大学とは一体どうなっているのかということに行きつく。
まるでお化け屋敷ではないか。
こんなお化けのような学者が研究と称して、「象牙の塔」に巣くっていたということになる。
色川大吉のような秀才、インテリ―から、日本の政治を司っている政治家、官僚、行政、ビッグ・ビジネスの経営者などを見れば、皆どれもこれも薄汚い金の亡者、金儲け主義者、銭の奴隷のように見えるかもしれないが、学問の世界でも同じようなことが起きている。
ということは、「人間が生きる」と言うことは綺麗事では済まないということである。
清濁併せて飲み込まなければ人は生きてはおれないということである。
美濃部達吉の『天皇機関説』を排斥したのは同じ大学の教授仲間であったではないか。
その対極として、平泉澄の皇国史観を持ちあげた学者仲間も、大学という聖域の中いたではないか。
敗戦という価値観の転換の中で、今までの皇国史観を追い出して、マルクス史観の学者が「象牙の塔」を乗っ取るということは、彼らインテリーといえども、自ら軽蔑する俗世間の政治家やその他のものと同じことを、彼ら自身もしているということに他ならない。
無理もない話で、彼らが口先でいくら立派なことを唱え、政治家、官僚、行政、ビッグ・ビジネスの経営者を軽蔑しようとも、彼ら自身もその軽蔑している同胞と全く同じ民族に属しているわけで、だからこそすること成すことも、その軽蔑する相手と軌を一にしているのである。
この本の主人公は、色川大吉氏そのもののようだが、やはり秀才なるがゆえに大衆、民衆、庶民というものの本質を見事に見抜いている。
こういうものたちは、ずるく、欲張りで、抜け目なく、要領よく、日和見で、自己愛に長けている等々民衆の本質を見事に見抜いているが、それにも増して彼自身、根が真面目なのであろう、こういう民衆を善導しなければならないという使命感に苛まれている。
革新的な思考に走る若者はすべてこういう精神構造に陥っている。
世の中を少しでも良い方向に仕向けなければならない、その為には現行政府を倒さなければならない。
いくら政府が変わっても、彼らの思い描く良い社会というのが実現しないわけで、だから年がら年中、現行政府に反対し続けるということになる。

「日本の空を問う」

2008-09-10 07:31:29 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本の空を問う」という本を読んだ。
二人の経済学者が経済の視点から空港の問題を掘り下げるというものであった。
だから空港、飛行場、飛行機についての技術的で専門的な話が出てこないので、私としてはいささか物足りなかった。
空の旅というのも今では極めて一般化して、誰でも安易に空の旅が楽しめるという意味では結構なことであるが、これもある意味でインフラ整備であって、公共事業の一環をなしている。
公共事業となると、俺が町、俺が村という意識が強力に前面に出がちである。
旧国鉄の赤字というのも、地元選出の代議士が、票集めに有利というわけで、採算性を度外視して新線をひこうとしたことにも大きな理由があるように、高速道路も、新幹線も、空港も、地域の発展に貢献するに違いないという甘い観測で以って、誘致の競争を招くことになりがちである。
成田空港が日本を内乱状態にまで陥れた末にようやく開港して約30年が経過したといわれている。
この30年の間に、関西国際空港も中部国際空港も開港したわけであるが、開港した当初は華々しく各航空会社が路線を開設したが、その後は逐次撤退してしまった。
これは一体どういうことなのであろう。
基本的には関西にも中部にも国際空港を必要とする需要は最初から無かったということだ。
しかし、今の日本の空港の在り方を考える場合、中部と関西の国際空港の有効利用というのは極めて大事な要件だと思う。
東京国際空港、成田空港というのは、当初の反対運動の影響で以って、未だにその機能を大幅に制約されている。
そして、その設立の趣旨の段階から、羽田とはきちんと役割分担が決められているので、今更それを反故にするわけにもいかないが、現実の問題としては、なし崩しに反故せざるを得ない状況に向かっている。
30年も前の古い約束が意味をなさなくなってきているわけで、それほど航空業界の状況が切迫しているということである。
とは言うものの、日本の各県で一つずつ空港が要るというものでもない。
神戸空港、静岡空港などというのは一体どういう風に運用するのであろう。
成田、関西、中部のそれぞれの国際空港が都心とのアクセスが容易でないという問題を抱えていることは承知しているが、空港と都心のアクセスの問題などは、空港ができる前から解っていることなわけで、それを出来上がった後で取り上げてもいた仕方ない。
今、日本の経済は、アジアの追い上げを受けて、途方に暮れているというのが実情ではないかと思う。
第2次世界大戦後の復興レースで、今までは日本が先頭を走ってきたが、ここにきてアジア諸国が日本を追い抜こうとし掛かっているわけで、その手始めにアジアの諸国は交通のインフラ整備を完備したのである。
日本の近代化の時でも、まず最初に港を開いたのとおなじなわけで、アジア諸国も自らの近代化にあたってインフラを整備したわけで、そのインフラ整備も21世紀という時代にマッチした規模を目指したので、既存の施設に依存し続けた日本は相対的に後退してしまった。
最初に案が出たのが1962年昭和37年で、それから様々な反対運動を経て一応の開港にこぎつけたのが1978年昭和53年で、その間16年間も反対闘争が続いたわけで、開港当初としてもすでにその時点でその時代の要望に応えることができなかったに違いない。
出来上がって開港したと同時に時代遅れになっていたということである。
この現実は、日本の航空行政というものが、時代の推移に合わせた運動・行動にはなり得ないということであって、先進国の中では大きくリードをされるということに他ならない。
アジアの新興諸国は、新しい空港を建設する際にも、既存の権利を振りかざして自己の利益を得ようとする、人権主義者の存在が少ない分、計画は順調に推移したが、これはある意味で国家権力が住民の意思を抑圧した面も無きにしも非ずである。
住民に犠牲を強いたとはいえ、結果として21世紀にふさわしい空港ができ上がったわけで、このことがその後の経済発展に大きく寄与しているに違いない。
日本が今、各県に一つづつ空港を抱えたところで、それには何の意味もないと思う。
神戸空港や静岡空港を、誰がどういう風に利用するのであろう。
個人の自家用飛行機が個人的に利用するのならば充分に説得力があるが、航空会社が旅客の運送を目的とした運用を考えるとなると、採算性はおのずと限られてくる。
外国との関係で一番目立つのは、何といっても東京国際空港、いわゆる成田空港であろうが、ここでは計画案の時代から因縁が付きまとっているわけで、我々が考えるべきは成田の機能を如何に関西と中部に振り分けるかということだと思う。
東京に用事で来るお客を、関西や中部で降ろしてどうなる、ということになるが、ここで知恵を絞るべきだ。
アジアの新興国のように安易に広くて使い勝手のいい国際空港を新たに作ることが出来ないとなれば、今あるものを如何に上手に使い回しするかにかかってくる。
日本の空港では時間制限があって、自由に離発着できないというデメリットがあるわけで、これが大きく自由競争を阻害している。
この時間制限というのは、空港周辺の住民の騒音公害に備えるための措置で、日本の場合、空港が民家に極めて近いところまで迫っているので、このような措置もいた仕方ない面がある。
こういう問題を回避するために、関西と中部では海の中を埋め立てて空港が作られたが、その分都心とのアクセスで不利になった。
成田でも都心とのアクセスが良いというわけではないが、乗換えの不便さは何とも代替のしようがない。
日本各地から成田に来る便が少ないので、地方の人が海外に行こうとすると極めて不便をかこつ。
日本国内の便は羽田に集中し、海外にいく便は成田に集中しているので、この間の乗り換えがまことに不便である。
成田を国際線専用とし、羽田を国内線専用とするという住み分けの約束も、約半世紀も前のことで、もうそろそろそれを見直す時期に来ていると思う。
旅客機の運用となれば ハブ・アンド・スポークにならざるを得ないと思うが、日本の場合、このハブ空港が二つに分離してなおかつ離れているし、その上双方に様々な制約が覆いかぶさっている。
時間制限もその一つで、こういう悪条件は空港周辺の住民の人権から生存権までが絡んでいるわけで、そう安易に排除できる筋合いのものではない。
既存のものを改良出来ないとなると、発想を根本から変えなければならない。
突き詰めれば、関西空港と中部国際空港をいかに上手に使いこなすかということになると思う。
成田に飛んでくる客が全部成田で降りるかどうかという点に注目する必要がある。
成田で降りた客が、再びここで飛行機を乗り換えて他の地域に行くというのであれば、その機能は関西空港と中部国際空港で代替させることが可能である。
代替不可能な要件は、成田で完全に降りて、都内に向かう客である。
特に、東京に用事のある人間は、成田を今まで通り利用するほかないが、これが物・荷物ともなれば多少事情が異なってくる。
物、荷物であれば、多少の時間的ロスは許容されるわけで、関西や中部に降ろしておいて後で陸走するということも可能なわけで、これが可能ならば成田と他の国際空港と住み分けが可能ということにつながる。
成田への集中を、貨物便に限り地方に振り分けで、成田の便数を緩和し、その分地方に配分することが可能になる。
21世紀に至れば、空港の利用価値というのはこれまで以上に重要になってくることは必然であるからして、それには慎重に対応しなければならないが、今の日本の状況では新たに国際空港を作るということはもうあり得ないので、今あるものを如何にうまく運用するかに知恵を絞らなければならない。
航空輸送というのもある種のインフラの整備であることは言うまでもないが、こういう視点で眺めた場合、ハードウエアーの発達は目覚ましいものがあるが、ソフトの面では従来の人間の煩悩を克服することがはなはだ困難である。
空港周辺の人たちに、「21世紀は航空需要が目覚ましく伸びるから、騒音公害についても我慢せよ」ということは言えないわけで、騒音公害が克服されないならば、「空港など作るな」という論理に整合性が出てしまう。
日本は国土が狭いうえに、人権意識も極めて高いわけで、こういう状況から鑑みて、もう新しい国際空港を作る余地は日本中を探しても見つからないというのが現状だと思う。
だとすれば、経済の軸がアジアの新興国の新しい空港周辺にシフトしていくのもいた仕方ないわけで、それを目の当たりにして、我々が右往左往するのもおかしな話だ。
経済の基軸がアジアの新興国にシフトしたとしても、我々が慌てふためくことはないわけで、従来の規範をきちんと踏襲すれば、世の中がひっくり返るなどということはないと思う。
アジアの新興諸国の経済が伸びるということは、地球規模でみてパイが大きくなるということで、それは良い事だと思う。
皆が一様に少しずつ良い生活ができるようになるということで、人間の進化としては、極めて有意義な話だ。
その中で日本の成田空港の意義は少しづつ地盤沈下して、成田闘争で反対し続けた人たちの希望に沿う方向に向かうのではなかろうか。
彼らにしてみれば、成田空港の滑走路にペンペン草が生えることを究極の希望としているわけで、アジアの新興国が新しい国際空港を幾つも開港するということは、そういう方向に向かうということである。
日本は第2次世界大戦後の復興レースで、今までは先頭を走ってきたけれども、先頭を走るということはその時々のトラブルを試行錯誤を繰り返しながら克服してきたということでもある。
後発のグループは、そういうトラブルを一つ一つ乗り越えるという試練を経なくとも、まっ白いキャンバスに思う存分自由自在に絵をかくような開発が可能である。
すると文化とか文明とか経済の基軸も少しづつ新しい都市、地域、地方にシフトするに違いない。
東京が今まで以上に一極集中である限り、成田空港の現状は時代に取り残されて斜陽化するに違いない。
少なくとも日本国内では航空機による移動というのはメリットが相殺されて、魅力がなくなると思う。
高速道路の充実や、新幹線やリニアの発達で、国内の旅客輸送における飛行機のメリットは小さくなると思う。
それとは逆に海外渡航に関しては今まで以上に飛行機に依存する度合いが大きくなるが、成田のキャパシテイ―に限界がある以上、その大幅な改善は望めない。
だから今まで以上に関西空港と中部国際空港の有効活用に知恵を絞るべきである。
海外から日本に来る人の流れが、東京を目指している限り、この二つの国際空港は非常に不利な立場に立たされるわけで、その意味では日本に来る人に対して、東京以外の都市の魅力を宣伝する以外に道はなさそうである。

「謝罪無用!」

2008-09-09 06:50:01 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「謝罪無用!」という本を読んだ。
サブタイトルに「日本外交・土下座に終止符を」なっている。
当然のこと、日本の近隣諸国に対する外交があまりにも土下座外交に傾注してしまっているので、それに対する批判である。
相手の言い分を丸飲みすれば外交が成り立つ、と考えること自体、外交ということの本質を知らないということで、その外交を語る前に、人間の存立、存在、在り方そのものに無関心であるということを曝け出しているのではなかろうか。
人、人間、ホモサピエンス、こういうものをじっくり眺めていれば、そこからおのずとそれらが織りなす社会というものが見えてくるはずであるが、戦後の日本の政治家というのは、こういうものの考え方が出来ないのであろうか。
二国間の外交ということは、いわば交渉事であって、それは善意と善意の褒め合いではないわけで、双方の利害をどこで折り合いをつけるかという駆け引きの場である。
ただただこちらが善意丸出しで、なんの下心もないということを示せば、それで相手が納得するという訳ではない。
労少なくしてより多くの利益を導き出そうと考えるのは当然のことで、その為には腹の中でどう思っていようとも、表面上はニコニコと握手をするポーズをとるわけで、国益がかかっているともなれば、そんな芝居は朝飯前の芸当である。
戦後の日本の政治家には、こういうことが本当に解っているのかどうか、はなはだ不安だ。
戦後の日本の政治家は、自分たちの祖国が「鬼畜米英」と侮っていた相手から完膚無きまでに痛めつけられ、その後約6年半という占領時代を経験しているので、祖国の誇りというものを完全に見失ってしまっていると思う。
戦後の政治を担ってきたのは、我々のいう普通の認識では保守本流というもので、急進的な左翼とか革新とは一線を画した政党であったが、保守を標榜しながら、祖国への忠誠とか、誇りとか、先祖や先輩諸氏の名誉というものに全く価値を見出さない新人類に成り下がってしまっている。
ただただ対処療法で、その場の危機を右に左にと、身をかわしながらすり抜けようとしているだけで、あとは自然と話題が沈静化するのを待つ、というまことに頼りない有態である。
日本が近隣諸国から靖国神社の問題、あるいは教科書の問題、はたまた慰安婦の問題という風に、次から次へと謝罪要求が出てくるということは、先方の国内問題だと言うことに気が付くべきである。
相手側の国内問題であるにもかかわらず、それをいちいち真に受けるから、そのたびごとに、こちらの立場が悪くなるわけで、最初から無視すれば、先方は振り上げたこぶしを下ろすタイミングを失し、立場が逆転する筈である。
地球上のそれぞれの場所に陣取った人間は、その長い歴史の過程の中で、それぞれに独特の考え方を築き上げてきたことは当然のことだと思う。
お互いに相互の行き来はほんとんどなかったわけで、自分たちの仲間内で、それぞれの生き方に対する独特の考え方が醸成されたとしても、何ら不思議ではなく、当然の成り行きだと思う。
これをごくごく単純化して明快に言い表わせば、中国人、朝鮮人、日本人と、それぞれの民族の潜在意識は、それぞれに微妙に違うということが言えていると思う。
それをもっと単純化すれば、中国人の場合は中華思想。自分たちが世界で一番偉い民族で、周辺諸国の民族は全部野蛮人だという思考である。
朝鮮人は自主性というものに乏しく、常に強いものにすり寄って身の保全を図る、という事大主義が彼らの民族の潜在意識の中にある。
シナが強ければシナの属国に甘んじ。この時代がめっぽう長かったが、ロシアが強くなればロシアになびき、日本が強くなれば創氏改名までして擦り寄って保身を図ったわけである。
そこでわが日本民族というのは、謙譲こそが民族の最高の価値観であったわけで、「男は黙って何とかビール」ということになるわけである。
大雑把に見てこういうのがアジアの諸民族の潜在意識だと思うが、昨今の日本政府の土下座外交というのも、この「謙譲の美徳」という価値観に大きく引きずられていると思う。
こちらが謙って謝罪すれば、先方もこちらの気持ちを斟酌して、寛大な処置をとってくれるのではないか、という甘い期待があるように思う。
「話せば解る」という論理だろうが、これは日本人同士ならばともかく、異邦人には端から期待できないことで、それがわからない政治家であるとするならば、政治家足り得ない人間だと言わなければならない。
こちらが謙れば、先方はそれだけ強気になるというのが、世界的には整合性があるわけで、こちらが下手に出れば、先方は居丈高には出ないであろうというのは、あまりにも甘い観測で、限りなくバカに近い発想である。
「謙譲の美徳」などと言うことは、日本以外では通用しない概念であって、それで以って外交交渉にあたるということは、国を売るに等しい行為である。
日本の首相が祖国の英霊に参拝するのに、何故に中国の干渉を受けなければならないのか。
誰に聞いても、こんな理不尽なことはないではないか。
問題は、中国がこう言うクレームをつけた時に、そのことに対する我が方の毅然たる態度、そしてそれを世界に向けて発信しなかったことは、我が方の処置として返す返すも残念なことであった。
1985年に中曽根首相が中国のご機嫌とりに、靖国神社公式参拝のお伺いを立てたことからこういう事態が続いているわけで、中曽根康弘という日本人は、日本の首相が自分たちの先輩諸氏の英霊を祀った施設に国民を代表して参詣することの是非がわからなかったのであろうか。
結果論からすれば、その是非がわからなかったから中国にお伺いを立てたということであろう。
これが元大日本帝国海軍主計中尉のなれの果ての愛国心の残骸である。
これでは戦争に負けるのも当然ではないか。
馬鹿馬鹿しくて話にならない。
こういう人間が戦争中アメリカと戦争していたのだから日本が負けるのもむべなるかなという他ない。
それと不思議でならないのが、中国とか韓国という外国の国益を助長する日本のメデイアの存在である。
これは一体どういう風に考えたらいいのであろう。
地球上の人間が皆一つの国家の国民になれたとしたら、それぞれの主権国家の国民・国家・国境という枠は解消するかもわからない。
だからと言って、すべての人間が自分の生まれ育った土地を離れて放浪の旅に出るとも思われない。
国境というものは消滅したとしても、自分が生れ育った地域まで否定することはできないはずで、ならばそこで地域の利益というものは依然として生き残ると思われる。
自らの故郷の利益を放棄して、自分とはかかわりの薄いあさっての地域の人々の利益に貢献するということは、故郷を同じにする者としての感情としては面白くないのも当然だと思う。
外国の国益に貢献している我が同胞の心情というのは一体どうなっているのであろう。
昔は非国民とか、売国奴という言葉があったが、今はこういう人たちをどう表現するのだろう。
中国や韓国が日本政府にイチャモンをつけてくる裏には、我が同胞のこういう裏切り行為があるということは、公然の秘密になっているが、日本人に知恵をつけてもらって、それで動くという中国や韓国の政府というのは、本当のところは情けない存在だ。
話は飛躍するが、この本の中では日本の賠償の問題にも言及しているが、第2次世界大戦後のアジアの復興ということを考えた場合、日本の果たした約割りは実に大きなものがあるように改めて思った。
その事に関しては、普通、日本が西洋列強の力を削いでしまったので、アジアが独立できたといわれているが、それも大きな理由の一つではあるが、それにもまして日本がアジア諸国に賠償という形で金をばらまいたことも大きな理由になると思う。
第2次世界大戦後の世界では、真の戦勝者というのはアメリカ一国で、他の国は勝ったとはいえ大きな痛手を被っていたことは確かである。
旧ソビエットをはじめ、イギリスも、フランスも、オランダも、戦勝国とはいえ青息吐息で、とても宗主国の威厳を維持することはできなかったわけで、その間隙にアジアの諸国が独立を得ることは出来たが、その事と、国の発展とはまた別の問題であった。
独立したてのこれらの新興諸国が、その後、自存自律していく過程で大きく寄与したのが日本からの戦時賠償であったに違いない。
日本がアジアに賠償を支払えたのも、突き詰めれば、日本そのものの経済復興が順調に推移したからに他ならないが、これを大きな枠組みでとらえると、日本がアジアの盟主になっていたということである。
しかし、この文言は中国にしてみれば面白くなかろうが、現実に、アジアの発展、アジアの経済復興は、日本の存在なしではありえないわけで、それは一昔前の大東亜共栄圏の思いもよらない形をとった実現ということでもある。
中国と韓国から提示されている、日本の首相の靖国神社公式参拝の問題も、突き詰めて考えれば、中国と韓国のガス抜きの面があるわけで、中国や韓国の国内で、政権批判の火の手が上がると、その矛先を散らす目的で日本パッシングを開始するわけである。
日本叩きをすることによって、国内のナショナリズムを煽り、政権批判をかわす材料に利用されている節がある。
日本の政府と外務省は、糞真面目にそれに付き合わされているわけで、その真面目さが裏目に出て、先方にすれば一言いえばザクザクと金が出てくるわけで、いわば日本叩きは「打ち出の小槌」のようなものに成り下がったわけである。
中曽根康弘、海部俊樹、宮沢喜一、村山富一、河野洋平、細川護熙、後藤田正晴、よりもよったり中国人の僕、公僕、下男、草履取りのような政治家がそろったものだ。
これではアカイアカイ朝日新聞が、中国や韓国に媚びを売らなくても、日本の政府として立派に相手の下僕になりさがることが可能なわけで、先方にしてみれば、これほどありがたい存在というのもまたとない。
国内で政治不満が高じてくれば、日本叩きをすればガス抜きができ、その上、打ち出の小槌からはODAという金がザクザクと出てくるわけである。
中国と韓国の日本叩きの材料というのは、靖国神社のみならず、教科書の問題も、パンパンの問題も、強制連行の問題も、材料に事欠かないわけで、彼らは一言日本に対して文句をいえば、金がザクザクと出てくるという錬金術を会得してしまったのである。
こういう発想が、そもそも他人の支配を受けざるを得ない状況に彼ら自身を追い込んだに違いない。
中国人の日本に対する態度、韓国人、朝鮮人の日本に対する態度をよくよく掘り下げてみてみると、これは恫喝の態度で、脅しをしているのと同じであるが、国際社会でこんなことが通用するわけもなく、その通用しないことに日本の政治家は意図も安易に応えているのである。
この国際社会で脅しをする認識、モラルの欠如、これは中国人と朝鮮人の生きざまそのものを表しているわけで、中国・朝鮮の悠久の歴史が、そのまま現在に生きているのであり、中華思想・事大主義そのものではないか。
中国や韓国が問題にしているすべての問題が、日本の国内の問題で、それを外からとやかく言うということは、中国こそがこの世で一番の偉い存在で、日本などは俺の足元に膝まづけ、という露骨な態度であるにもかかわらず、日本の首相は誰ひとりそれに反発しようとしない。
悠久の中国の歴史をひも解いても、中国がアジアで主導権を握ることは今後ともあり得ないであろう。
自分よりも優れた存在に敬意を表わそうとしない民族にリーダーたる資格はない。
そして、我々日本民族も、決してアジアではリーダー風を吹かしてはならない。
われわれには「謙譲の美徳」を持った人もいるが、同時に、すこし景気がよくなるとすぐに舞い上がる軽佻浮薄な人も多いわけで、数の上では謙譲の美徳を心得ている人よりも、軽薄ですぐに舞い上がる人のほうがはるかに多い。
よって、我々には他人・他民族をリードする値打ちを持った人が少ないということだ。
われわれは物つくりには長けた民族で、物つくりを通してならば他者に貢献する機会はあるが、自らがリーダーシップをとって人を纏めたり、人をリードしたり、人を一定の方向に方向付けるなどということは、民族的に不得意なわけで、そういう点では黒を白とでも言いくるめる才能をもった人たちに任せるべきだと思う。
物つくりの世界では、「謙譲の美徳」というのは立派に生き残れるが、その分リーダーシップという点では冴えないのもいた仕方ない。
われわれは、黒を白と言いくるめる才能には欠けているが、そういう才能と、民族の誇りを売り渡すということとは全く別の次元の問題なわけで、そこを履き違えてはならない。
歴史教育に関連して、共通の歴史認識などという言葉が行きかっているが、こんなバカな話もない。
普通の主権国家では、その国の歴史認識によって自分の国の歴史を子供に教えているわけで、利害の相反する隣国同士で、歴史認識を共有するなどということがあり得ないのが当然ではないか。
仮に、A国からB国に攻め入ったA国の英雄は、相手側からすれば極悪非道な犯罪人でしかないわけで、このA国とB国の間で共通の歴史認識など成り立つわけがないではないか。
お互いに、自分の国の歴史は、祖国の歴史認識に則って作られるわけで、その歴史認識を自分の国の若い世代に語り継ぐのは、主権国家の主権そのものではないのか。
ことほど左様に、利害の異なる国の間で、共通の歴史認識などというものはありえないはずだ。
我が国の政治家たちは、自分の国が先の戦争でアジア諸国に多大な迷惑を掛けたと思い込んで、それが贖罪意識となっているから二言目には謝罪の言葉になるが、この先入感こそ間違っている。
ところが、その間違いに自ら気がつこうとしない。
その間違った先入感そのものが、極東国際軍事法廷、いわゆる東京裁判史観というものであって、この裁判そのものが、勝った連合軍の報復裁判であったということは、日本の政治家も十分に分かっているはずである。
あの裁判が極めて不合理、不条理なものだということは十分にわかっているが、だからと言って、その不合理、不条理を正す術はないわけで、勝った側の指し示したことを黙って受け入れざるを得ない。
このことによって、日本の政治家のみならばず、日本の人々の中で、いくらかでも頭が良く頭脳明晰な人間は、民族の誇りも、気概も、魂も、吸い取れてしまったのである。
吸い取られるというよりも、自ら捨てしまったのである。
無理もない話で、こういう人達は戦前・戦中は並み以上に国家の指針に忠実であったわけで、その結果として、自分たちは国家とか行政に見事に騙されていたことがわかってみれば、今まで持ち続けた自己の矜持を自ら捨てさりたいと思うようになったとしても不思議ではない。
こういう心の葛藤を経ることで、われわれはより以上求心力を高めて、物つくりに精を出したが、こういうことは中国人や朝鮮人には不得意な分野で、彼らの価値観では物つくりということに価値を見出していない。
彼らの価値観からすれば、物つくりなどは下種な人間の仕事で、高貴な人は、口で黒を白とでも言いくるめることに精を出すわけで、ここに日本人と他の人々の違いが潜んでいる。
彼らの間では、口での論争に価値観がシフトしているわけで、その結果として「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理で、日本の「打ち出の小槌」を叩きまくっているのである。
考えてみると、我々日本人というのは、実に自己PRが下手だと思う。
靖国神社の問題、教科書の問題、パンパンの問題、強制連行の問題等々、どの問題も国際会議の場に持ち出せば、先方の不合理な態度が逆に問題となり、その行きすぎ、内政干渉、民主化の後退等の問題に振り替えることが可能に違いない。
で、相手の騒ぎを利用して、こちらが得点できる大きなチャンスであったが、それを意図も安易に見逃してしまった。
こういうことは我が民族は実に不得意だ。