ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「わが朝鮮総連の罪と罰」

2012-06-05 10:26:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「わが朝鮮総連の罪と罰」という本を読んだ。
近年稀に見る面白い本であった。一気に読み通してしまった。
北朝鮮の話ともなれば興味が惹かれるのは当然といえば当然であるが、それにしても北朝鮮という国は不可解な国である。
日本のメデイアの情報から推察する限り、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国というのは、我々が普通にいう主権国家という体をなしていないと見做さなければならない。
戦前の日本が満州国を作った時、彼の地には張作霖という軍閥が跋扈していた。
彼を列車ごと吹き飛ばして殺したのは日本軍であったが、この日本の軍人の視点から見て、張作霖という軍閥の存在は、人間の内に入っていなかったに違いない。
この時代において、我々同胞の目から見た中国の軍閥という集団は、多分、山賊や夜盗、強盗や馬族という認識で、普通の人間、普通の社会人という視点では見ていなかったに違いない。
当然、今日の価値観からすれば許される事ではないが、人間の認識、特に先入観というものが、そう右から左に代われるものではないと思う。
日本がポツダム宣言を受諾して昭和天皇の詔勅で戦闘を止めた時、当然、そこには条約違反を犯して侵攻してきたソ連軍の存在は認めざるを得ないが、それを朝鮮人は「自分たちが解放を勝ち取った」という認識でいる。
が、これは事実を故意に歪曲した政治的プロパガンダに過ぎない。
確かに、その時点で金日成は抗日戦のパルチザン活動をしていたことは事実であろうが、だからと言って、彼は日本軍を海に突き落としたわけではない。
終戦の一週間前に条約を一方的に破って侵攻してきた旧ソ連軍の尻馬に乗ってきた事は確かであろうが、日本軍と正面切って戦ったわけではない。
朝鮮の人達は、この時、1945年昭和20年8月15日に、本来ならば民族統一を果たすべきであった。
北からソ連軍が入り、南はアメリカ軍に占領されたといっても、朝鮮半島は元々朝鮮民族のものなので、この時にソ連もアメリカも退いてもらうべく運動して当然であった。
しかし、それが出来なかったという事は、一重に彼らの責任であったわけで、この部分にかつては満州を支配していた張作霖と同じように、軍閥、あるいは山賊、あるいはただの強盗団、はたまたただの馬族でしかなかった、という以外に言いようがない。
張作霖の軍閥は何処からどう見ても主権国家たりえないのと同様、北朝鮮も何処からどうみても普通の主権国家たりえていない。
戦時中、日本内地では生産を担う成人男子が兵役に取られて労働力不足になってので、朝鮮から大勢の人が働き口を求めてやってきたことは確かであろう。
戦後、彼ら朝鮮人は、強制労働という事を日本側の責任であるかのように言い立てているが、彼らは日本人拉致ように、朝鮮の海岸から人浚いのようにして連れてきたわけではない。
女衒に騙されたという部分は無きにしも非ずであるが、この女衒も日本人にみならず、朝鮮人が朝鮮人を騙したケースも多々あったと思う。
仮に騙されたとしてもそれは本人の意思であったと思う。
人浚いが浚って来たというのであれば、確かに強制連行であろうが、少なくとも自分の自由意思で海を渡ってきた以上、強制連行という言葉は成り立たない筈である。
この本の中では、彼らの同族意識が伏流水のように文脈の中に流れているが、日本が戦争に負けて、負けた日本に見切りをつけて本国に帰った人も大勢いる。
それと同時に、「どうせ国に帰ってもろくな生活が待っているわけではない」と居残った人もいるわけだが、この本がその居残った人々の祖国への思いを掘り起こしている。
ところが、その祖国なるものがきちんとした国でないところが実に由々しき問題となっている。
戦時中、富を追い求めて日本に渡って来て、戦争が終わって焼け野原の日本に見切りをつけて、再び祖国に帰るという思考は、まさしく「あっちの水は甘いぞ」と言われてふらふらとそちらによろめく図と同じではないか。
常に目先の利益に惑わされ、浅薄なプロパガンダに踊らされて、あっちに行ったりこっち行ったりよろめいているわけで、こういう人が富を取り逃がすのもある意味では当然である。
戦後の帰国船で早い時期に帰国した人は、その後苦難の連続で、何のたよりも無いという事は、彼の地で抹殺されたという事に他ならず、居残った人が賢明だったということになるが、それにしてもそういう人に会いに行くのに、上納金を要求する北朝鮮、あるいは朝鮮総連という組織のやり方は一体どう考えたらいいのであろう。
それにしても日本にいながら、そういう金日成、金正日に傾倒して止まないという感覚は一体何なのであろう。
金日成、金正日の為に日本でいろいろな活動に精を出すという事は、自分の身は一番安全な場に置いておいて、遠くから忠誠のポーズを表明するということであろうか。
この本の中にも記されているが、日本の在日が資金援助して合弁企業を作っても、すぐにその企業が立ち行かなるという事は、北朝鮮の人々には資本主義というものが理解しきれておらず、その前に民主主義というものも理解されていないということに他ならない。
まさしく山賊の大きくなったものという以外に言いようがない。
統治する側もされる側も、近代国家の体をなしておらず、軍閥、夜盗、山賊、馬賊の集団としか言いようがないではないか。
自分たちの力で近代化が出来ないので、日本から金や物を送りつけなければならず、それが全て非合法で行わなければならないとなれば、非常な困難が伴うのは当然である。
その非合法活動に朝鮮総連は力を貸しているわけで、そうであればこそ、それと一蓮托生の朝鮮銀行は健全な経営をしなければならないのに、そこで足を踏み違えたという事だ。
朝鮮総連が本国に送る資金を集めるのに、様々なビジネスを展開したまでは良いが、そのビジネスが軌道に乗って金が潤沢に入ってくるようになると、心に隙間が出来たのであろう。
その結果として驕り高ぶったので、足元を掬われたということであろうが、こういう事は成り金にはよくあることで、今更珍しくもないが、朝鮮総連が失敗したとなると、本国への送金が滞るので、彼らとしては一大危機であったに違いない。
在日朝鮮人の帰国が成ったのが昭和34年1959年という事だが、その時に帰国した人達は、それこそ北朝鮮・祖国をバラ色の国と信じ切っていたということだが、こんな馬鹿な話も無いと思う。この本は、韓光煕という人からの聞き取りで書かれているが、その中で私の関心を引いた記述は、彼らの政治プロパガンダの激しさである。
丸まるの嘘を100遍も大声で怒鳴り、繰り返して言い続ければ、それが真実になるという政治の手法である。
前に日本の政治の局面で、竹下登総理に対する右翼の褒め殺しという戦略があって、それ止めさせるために児玉誉士夫の力を借りたという事があったが、政治的プロパガンダで真実を歪曲するという事も実に由々しき事だが、彼らはそういう手段を臆面もなく使うところが、朝鮮人の朝鮮人たる所以だ。
彼らも、我々日本人が何故彼らを嫌うか、という真髄のところまで知悉していながら、それを臆面もなく使ってくる。
昔も今も、北朝鮮の言う対外的なプロパガンダは、あることないこと一方的に自分の立場を喚き散らす姿であって、こういう振る舞いは我々の価値観では決して受け入れられないものである。
しかし、こういう北朝鮮の言う事を、心の底から信じるというのも、我々からすれば不可解千万な話である。
この本のもとになっている韓光煕という人も、自分は日本にいながら心の底から金日成、金正日を敬いしたり切っているわけで、戦前の我々の天皇崇拝と同じ事ではないか。
これが洗脳と言われるものかもしれないが、実際に目の前の現実を直視すれば、自分に言われてきた言葉が嘘だという事は自ずとわかる筈だ。
それでも尚、主体思想の呪縛から抜けだせないということは、オウム真理教と同じレベルの話である。
韓光煕の場合、本人は何度も北朝鮮に渡っているわけで、北朝鮮の実情もそれなりに理解したうえで、日本で北朝鮮の為に活動していたという事になる。
この部分が、彼らが日本人から嫌われる最大の理由であろう。
日本にいながら、北朝鮮、自分たちの祖国の為に、自分たちは豊穣で豊かな生活を享受しながら、日本の国益を蝕んでいたという事になるではないか。
日本で住んで、日本で経済活動をしながら、儲けた金を非合法に国外に持って出る、などという事は許される事ではない。
この本の中には出てこないが、北朝鮮といえば、よど号ハイジャックの問題を抜きには語れない。1970年昭和45年に起きた「よど号ハイジャック事件」は日本赤軍と称する過激派の田宮高麿らが中心となって、北朝鮮への亡命を企てた事件であるが、彼らの北朝鮮への認識はまさしく噴飯ものであったわけだ。
一言でいって彼らも北朝鮮について何も知らなかったという事だ。
知らなかったというよりも、北朝鮮の政治的プロパガンダに完全に騙されていたということで、その意味では彼らは政治的プロパガンダのテクニックが極めて上手であったという事になる。
政治的プロパガンダで特に注目すべき点は、ほんの些細な反論も許さないという事である。
ただただ一方的に自分の主張のみを声高に大音量で叫んで、それに対する反論はどんな些細なものでも無視し、あるいは反論する機会そのものを一切与えないようにまくし立てる戦術である。
こういうテクニックを、この著者自身、実際に使っているわけで、ただただ自分の言い分のみを一方的に言いまくれば、相手として取りつく島がないわけで、話し合いそのものが成り立たないが、それが彼らの目的である以上、効果はあったという事になる。
彼らは、そもそも同じテーブルについて、ゆっくり話し合って相互理解を求める気はないのであって、最初から自分の言い分のみを声高に叫んで、自分の要求を通すことが狙いなのである。
テ―ブルについて、冷静に、心静かに、お互いの想いを述べあって、双方の妥協点を探る、という交渉を最初から忌避しているわけで、これではいくら会談を持っても事の解決にはつながらない。
その意味では1959年の朝鮮の人達の第一次帰国も、朝鮮総連から祖国の実情について何も知らされないまま、彼らは帰って行ったという事だ。
しかし、日本の朝鮮総連が組織を上げて祖国への帰還を支援したという事になると、彼らは同胞を裏切り、死に追いやったという事になる。
そして、祖国に帰った同胞に会いに行くのに、朝鮮総連に多額の寄付をしなければ海を渡れないなどという事は一体どういう事なのであろう。
その上、祖国に帰国した人は日本で苦労を重ねて得た資産を全て朝鮮総連に寄付して帰ったというのだから、朝鮮総連はまるまる同胞を騙し、同胞から搾取していたということになる。
この国のやることは我々の感覚からするとまさしく常軌を逸した事をしでかしている。
日本人拉致の問題にしても、日本からわざわざ人を浚って行くことはないと思う。
何の為にそんなことをする必要があったのか理解に苦しむではないか。
日本語を話す人が欲しかったとしても、大勢の在日の中にはそんな人はいくらでもいる筈なにのに、何も危険を犯して日本の海岸から人を浚って行くとはないと思う。
金賢姫の大韓航空爆破事件でも、韓国の選挙が近いからと言って、何の罪もない人間を飛行機ごと殺す必要は更々ない筈である。
にも拘らずそれをしたという事は、北朝鮮の行動は理解不可能という事になる。
こういう事実の全てが、北朝鮮という国が近代的な組織だった国家としての在り様ではなく、昔ながらの山賊か夜盗の集団としか見なされないわけで、ある意味でアマゾンの奥地に住む未開人の在り様と同一であるという事だ。
その中の人々は極めて未開であるにもかかわらず、日本や韓国、中国に囲まれているので、文明の利器は極めて手に入り易い位置にいることも確かである。
問題は、その文明に利器を使う人達の意識にあるのだが、彼らにして見ると、近代的な統治という概念が不足しているようで、山賊の親分が自分の親族のみが生き永らえばそれで良しとするみたいなところがある。
統治ということが、人々の繁栄の結果として国家の進展に繋がるという発想ではなく、あくまでも自分の親族の存続の為に、他者に犠牲を強いるという在り様であって、ローマ帝国の奴隷制の再現のような按配である。
北朝鮮の傍若無人ぶりには中国もいささか業を煮やしていると思うが、中国は中国で、北朝鮮が崩壊して難民が大挙して入ってこられても困るので、何とか北朝鮮という国家の崩壊を食い止めたいところであるが、この後の及んではもうそれを食い止めることは不可能であろう。
そもそも北朝鮮と韓国は1945年の8月には同じスタートラインに立っていたわけで、朝鮮半島に入ってきた外国の軍隊が、自由主義陣営と共産主義陣営という相互に相反するイデオロギーであったが故に、民族が分断されたが、元々同じ民族なのだから安易に統一出来る筈なのに、それが出来ないところが彼ら朝鮮民族のアキレス腱なのであろう。
日本人で海外で活躍する人は昔も今も沢山いるが、海外に出た日本人が、東京系と大阪系でいがみ合い、足の引っ張り合いをしているかといえばそんなことはないわけで、彼らは海外であれば何処の出身であろうとも、同じ日本人ということで団結し、日本人の名に恥じない振る舞いをしようと心掛けていると思う。
朝鮮人は何故日本という外国に来てまで南北でいがみ合い、足の引っ張り合いをして、非合法の活動しか出来ないのであろう。
我々日本人の価値観からすれば、人たるもの真面目に働いて、納税を通じて国家に奉仕して、それが廻り廻って福祉という形で再び国民に還元されるという認識で、まず最初に人は真面目に働いて法律を順守することが人たる者のミニマムの義務だと考えている。
自分の利益や保身のために人を騙して、法律の網をかいくぐり、同胞を死に追いやっても何ら良心の呵責に響かない人間などというのは、我々の価値観からすれば、人間の屑でしかない。
この本に登場している韓光煕の生き様は、それを見事に具現化しているではないか。
我々、日本人が朝鮮人を蔑視した時期は、過去の歴史の中には確かにあったことは認めざるを得ないが、こういう背景を知れば知るほど、我々の気持ちとしてはそうなって行くではないか。
しかし、戦後も67年も経って、古い世代がこの世からいなくなった今日、韓国でも日本でも朝鮮人という先入観そのものが消えて無くなって、今の若い人には、そういう意識は見当たらない。
誠に結構な事だと思う。



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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-07-22 07:12:30
自分が先鋒隊になって、行動していろいろ共有して、ホジョンマンの恨み節みたい。奥深いところで、苦悩して無念の中で、死んで行った、同胞も大勢いることを、忘れないで欲しいと思います。
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