ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「日本はなぜ旅客幾をつくれないのか」

2007-07-30 11:37:50 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本はなぜ旅客幾をつくれないのか」という本を読んだ。元エンジニアの書いた本で非常に読みやすかった。
結論からいうと、日本で世界に通用する飛行機が出来ないのは、戦後の日本には大きな勝負に打って出る勇気のある企業経営者がいなかった、という一言に尽きる。
その勇気を出せない前提条件の中に、日本の官僚の存在があることは否定できないが、それは官僚を含めた日本人全体の民族の本質から掘り起こさねばならないということの行着いてしまう。戦前の日本の航空機を作るエネルギーは、作る側のエネルギーだけでなく、国策としてそれが是認されていた、という前提的な条件がそろっていたからであって、戦後の我々の国の在り方とは根本的に異なっていたからあれだけの実績を上げることが可能であったということだ。
つまり、戦争遂行という大義の下で、挙国一致体制であったからこそ世界の航空界をリードするような立派なものが出来得たわけで、その前提条件の忘失した戦後の我が国では、もう戦前と同じことは出来ないのも当然のことだと思う。
開発に金が掛かるということは戦前、戦後を通じて何ら変わることはないわけで、要はそのことを認めるかどうかの問題で、戦前はそれを認めたが、戦後はそれを認めなくなったということである。国策として、新しいものを作れというゴーサインがあれば、技術者はそれに答えるべく努力するが、問題は、戦後日本の官僚の中でそのゴーサインを出すセクションがないということである。
よって、民間企業の側からアイデアを提供しても、成否もおぼつかないものにゴーサインを出す勇気のある官僚がいないものだから、結局は、自主開発の芽がつみ取られてしまうということだと理解できる。
戦前、戦中は、戦いに勝ちたい、勝たねばならないという目前のニンジンを追いかける心理があったものだから、藁をも掴む思いで新しいアイデアに果敢に挑戦せざるを得なかったが、戦後はそのベクトルが消滅してしまっているので、敢えてリスクを背負い込むことを避けたがる心理も分からないことではない。
成否の分からないことに投資して、結果が悪ければ税金の無駄使いという非難がでるのは当然のことで、それを回避したがる官僚の心理というのはよく理解できる。
戦前は戦争遂行という大前提を万人に認めていたので、新しい挑戦にも果敢に立ち向かえたが、戦後はリスク管理が先走って、新しいものに挑戦するということに臆病になってしまったという面はあると思う。
その臆病さの中に、メ―カーから所管官庁、使用者側の思惑というものまでが絡まってしまって、結局のところ。日本における巨大プロジェクトには尻込みをするという状況になったものと思う。
第2次世界大戦後の世界は明らかにグローバル化したわけで、それぞれの国がそれぞれに巨大プロジェクトをする必要はなくなった。
便利なものならば、それを完成品として調達できればそれで済むことである。
特に、軍用機の場合でも、秘密裏に開発して、出来あがったものを秘密にしたところで、すぐに暴露されてしまわけで、そんなことに巨大な投資をしても意味がないことになってしまった。
優れたものならば、それを完成品として輸入しても十分に抑止力になるわけで、巨大な投資をして後追いしたところで意味がないわけで、そういう認識が普遍化したがゆえに、飛行機の新たな開発に国家が関与する傾向は大きく後退してしまった。
我々はもの作りには実に秀でた民族だと思う。
研究費、開発費というものが潤沢に用意できればアメリカと同等に争えると思うが、それはものを作るというところに限られてしまい、出来上がったものを如何に運用するかということになると、途端にアイデアが枯渇してしまう。
こつこつと自分の手でものを作ることには秀でているが、作るべきものがどういうもので、それは何のために作るのか、というコンセプトの確立ということになると極めて稚拙なアイデアしか提供できない。
要求性能を上から与えられ、それに答える形でものをつくるということには秀でているが、自分のアイデアを形に変えて、それをこういう場面でこういう風につかえば効果があるよ、というボトムアップでことをなすということには極めて臆病だと思う。
戦前のゼロ戦の開発、戦後のライセンスによる飛行機作りという面にそれは如実に現われていると思う。
ところが、自分からこういうものを作る、作りたいという段になると、官憲の壁が立ちはだかって、一向に前に進めないことになるわけで、それはアイデアを提示する段階からそのノウハウが稚拙で、結局は官僚の事なかれ主義の前に敗北するわけで、その原因を何処までも掘り下げていくと、結局、自分達の民族の組織論に行着くと考えざるをえない。
戦前のように、一方的で、なおかつ強力な軍部という権威、権能で、否が応でもそれに答えざるを得ない状況では、我々は究極の答えを出し切るが、戦後の民主的な世の中になれば、あるトラブルの解決を大勢で話し合って解決しようとすれば、議論百出で答えが何処かに飛んでしまう。
巨大プロジェクトを立ち上げるかどうかというときにも、議論だけが百出して、全員を納得させようとすれば、プロジェクトをしないということになってしまうわけで、その結果として、今日の日本の航空界の現状になっているものと思う。
新しい戦闘機の開発、新しい輸送機の開発をしようとしたとき、メーカー、防衛庁、通産省、運輸省、大蔵省がそれぞれに言いたいことを言えば纏まるものも纏まらないのが当然で、それが今日の状況だと思う。
戦前はこういう場合、戦争遂行という大儀が各省の発言を押さえきってしまったが、戦後はそれが出来なくなったので、今後とも日本では巨大プロジェクトというのはあり得ないと思う。
車や家電製品のようなものはどう転んだところで国運を左右するということはあり得ないので、民間に任せっきり済むが、航空機ともなると国の信頼に直結しているわけで、仮に世界各国の信頼に応えるものが出来たとしても、今度はそれを輸出して資金の回収が許されるということもないわけで、その意味でも非常に難しい問題だと思う。
それと同時に、我々は未だにアメリカの占領下におかれているという現実である。
日本がアメリカより優れたものを作り上げようとすると、アメリカはそのアイデアの内から芽をつぶそうと考えるわけで、こういう現実を日本の国民はあまりにも安易に考えていると思う。
安易にでも考えていればまだ良い方で、それよりも全く無関心だと思う。
民需品の場合はアメリカもかなり寛容に振る舞えているが、これが一旦軍需品となると非常に神経質に反応するわけで、アメリカ製品で日本より優れた分野というのが軍事品や航空機部門のみになってしまった以上、先方が敏感になるのも致し方ないが、その意味で我々は未だにアメリカの占領下にあるのと全く同じである。
しかし、今の我々の同胞の中でそれを実感している人がどれだけいるのであろう。
アメリカは対米戦のかなり前から日本との戦いを想定していたように、日本でアメリカの軍事力を少しでも凌駕しそうなものがあると、早速それを芽のうちからつみ取っていくという深慮遠謀のところがあるわけで、我々はその点を十分注視しなければならない。
それが如実に具現化したのが、次期支援戦闘機の選定で、それがF―16に落着いたいきさつである。
その成り行きを追ってみると、やはりアメリカは日本など心から信用していないわけで、アメリカ国益優先が見え見えであるが、日本は先の対米戦がトラウマとなって、アメリカの従僕に成り下がっている。
一言でいってしまえば、我々はアメリカの従僕であった方がこの世知辛い世の中で生きやすいのかもしれない。
徹頭徹尾、アメリカの属国に成り下がっていた方が生きやすいと思う。
日本民族の誇りや名誉で腹が膨らむわけでもなく、自主独立だといったところで、自分の祖国の国旗掲揚や国歌斉唱に反対する同胞がいるような国で、自主独立もヘチマもないもので、いっそのこと星条旗ならば何の抵抗もなく掲げるかも知れないではないか。
平成19年7月29日の参議院選挙では自民党が大敗し、民主党が大勝したが、これは国民が憲法の改正に反対という意思表示だと思う。
そのことは同時に憲法9条についても今まで通り触ってはならぬ、ということを指し示していると思う。
ことほど左様に我々の同胞は、自分の国がアメリカの属国のままでいた方が良いという選択であるわけで、民主党の戦略としては今後アメリカとの話し合いで基地の縮小なども問題になるであろうが、アメリカが何処までそれに答えるかどうかである。
民主党の面々は、自分達が大声で基地撤退を叫べば、それがアメリカに通じると思っている幼稚さである。
いくら革新の首長が基地撤廃を叫んだところで、アメリカはアメリカの国益に沿って動くわけで、基地周辺の住民の意向などを汲み取って動くわけではない。
アメリカは日米安保条約が有ろうがなかろうが、アメリカから日本を見れば、日本は何時まで経っても敵・enemy・エニミーであることに変わりはない。
このことを我々は一刻たりとも忘れてはならない。

「歴史の鍵穴」

2007-07-24 06:51:00 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「歴史の鍵穴」という本を読んだ。
実に不思議な本であった。
日本の普通の書籍には珍しい横書きである。そして、著者の経歴が今一よく分からない。
作者が著名な人でないから価値を認めないというわけではない。
むしろ、その反対で、これだけの内容のものをどういう人が書いたのだろうか、という畏怖の念の方が強い。
巻末の著者略歴を見ても、大阪市大を出たところまでは分かるが、人生の大部分をどういう生き方をしたのかがよく分からない。
還暦を過ぎて歴史の勉強をし直したという点は理解できるとしても、ならば歴史研究者としてアマチュアということであろうか。
本文を横書きにするについて、西洋の文字を日本語との対訳形式にしたかったからだと、言い訳めいたことが書かれているが、この本の内容を対訳形式で表記したかったという未練が残っていたのであろうか。
翻訳だからといってその内容が見劣りするというものでもない。
しかし、翻訳ならば、その原典をもっと明確に表示すべきであって、その点が今一不明確なところが惜しい。
ざっと読み流してみて、多分フランスの文献の「欧州連合の存在意義」という論説を翻訳したものではないかと思う。
だとすれば、この本はフランス人の視点から見た近現代の歴史ということになるわけで、そう方向性が決まれば、それなりに非常に面白かった。
フランス人の見る近現代史は、やはり我々とは明らかに視点が違っているわけで、その位相の違いを著者は異文化通電という言い方をしている。
が、その位相の相違は私にとって快い刺激となっている。
我々凡人はどうしても母国語でしか歴史というものを学ばないが、母国語で書かれたものをいくら読んでも、同胞の価値観から逃れることは出来ない。
同胞の中の意見の相違を見比べているだけで、それをいくら回を重ねても発想の転換に結びつかない。
何処まで行っても井戸の中の蛙の状態から脱しきれない。
同胞としての均一化した思考の枠からでることが出来ず、外の視点から見た歴史というものにはならない。
この中では歴史とか、戦争とか、平和というものを哲学的な一塊りの概念として捉えて語っているが、我々はそういうものを感情論を通じて眺めている。
そのことについては、私の持論としている、理性と知性が感情論よりも前に来なければならないという論拠につながっているのであって、我々のように正邪、善し悪し、正義・不正義という価値観で歴史を眺めてはならないという論旨に通じている。
この本の主題は、EUの存在意義の本旨が戦争回避の集大成の結果であった、ということを解き明かそうとした書であった。
確かに、ヨーロッパといわず人類の歴史は戦争の歴史であったことは間違いのない事実であるが、それを克服したヨーロッパの英知を称えるにやぶさかではない。
その英知に至るヨーロッパの人々の精神の葛藤を書き記したものである。
地球規模で見た場合、ヨーロッパは昔も今もやはり先進国なのであろう。
中世から20世紀に至までのヨーロッパは名実共に人類の先進国であったが、その先進国たる由縁は数多くの戦争を経験したという点に集約されているわけで、21世紀においてもその延長線上に先進国の名を恣にしているようだ。
地球上の他の地域がヨーロッパに今日においてもなお追いついていない現実は、極端な言い方をすれば、まだまだ戦争の経験が足りていないということかも知れない。
東西冷戦が終結したとき、旧ソビエット連邦は崩壊してバラバラになった。
一方の勝ったはずのアメリカは、国内経済が低迷して経済力というものは低下した。
その中で、ヨーロッパは新たな結束を成したわけで、域内の相互平和を確立することに成功したわけである。
アジア大陸、南北アメリカ大陸では、ヨーロッパ諸国が経験した数々の戦争を未だに経験していないように思う。
アジア大陸では中国が大きな面積を占めているが、その広大な面積の土地が近代的な意味での主権国家として確立したのは1949年、いわゆる第2次世界大戦後まで待たなければならなかったわけで、主権と主権の衝突というヨーロッパ諸国がかって経験したような国家総力戦という意味の戦争は一度も経験していない。
その意味でヨーロッパ人が経験した戦争のむなしさというものを中国人は分かっていないはずだ。
それと同様に、ソ連崩壊後に分裂した旧ソビエット連邦の諸国でも、中国と同じ状況にあるわけで、自分達の部族間戦争の犠牲者は過去に掃いて捨てるほどいたであろうが、主権と主権の衝突というような国を挙げての近代的な戦争を経験したことはないはずである。
南北アメリカ大陸の諸国も、これと同じで、ヨーロッパ人が先住民を抑圧したことはあったとしても、今それらの国民を成している人たちが、自分の国の主権を掛けて国家総力戦というような戦争をしたという経験はないはずである。
1982年にフォークランド紛争というのがあったが、あんなものは戦争のうちに入らない。
ことほど左様にヨーロッパ以外の地域では、まだまだ戦争の経験が少ないものだから、戦争のむなしさというものが分かっていない。
だからヨーロッパ諸国が100年前に経験したことを今追従しているわけで、そういうことから考えると、ヨーロッパというのは何し負う先進国といわなければならない。
その先進国の真ん中から、過去の戦争というものを眺めてみると、国家の存亡を掛けて双方が死に物狂いで戦ったことが如何にも陳腐に見えるわけで、そういう境地に至ったからこそ、域内の平和構築が諸国民の了解事項となりえたのである。
ところがアジア大陸、ないしは南北アメリカ大陸では、そういうことを未だに経験していないわけで、第1、主権国家という概念すら出来上がっていない筈である。
戦後の日本の進歩的知識人は、主権ということを殊更忌み嫌うようであるが、それはこの地球上で生きることに対する無知と同時に人としての奢りそのものである。
自分の属する祖国が主権を行使しているからこそ、国際社会に認められているわけで、自分の祖国に主権がなければ、そのまま奴隷に成り下がってしまう筈である。
我々が日々の生活を送っている中で、国家の主権などということは意識していないので、市井の人間にしてみれば、主権があろうがなかろうがあまり意に介さないのが常態ではないかと思うが、そういうことに関しては、島国の住人なるが故に無頓着だと思う。
ところがヨーロッパの人々は過去の戦争から、そういうことに関する感覚がとぎすまされているので、だからこそ戦争のむなしさ、その対局として平和への希求が強く、それが域内の結束という形で具現化したものと考える。
そこには感情論の入り込む隙間は存在せず、人間の理性と知性で固めた論理でことが出来上がったのである。
日本の周辺地域でこういう概念が未だに出来上がらないのは、まだまだ我々は主権と主権のぶつかりあう、民族の生存を賭け、国家存亡の戦争というものを経験していないからだと思う。
我々の経験した敗北というのは、対米戦の敗北であって、中国や朝鮮とは民族の存亡を賭けた戦いといものは全く経験していないではないか。
中途半端な戦いで、不完全燃焼のまま今日に至っているので、民族の不信感を双方が未だに払拭することが出来ず、お互いに口喧嘩をしている図でしかない。

「中国農民はなぜ貧しいのか」

2007-07-23 19:28:50 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「中国農民はなぜ貧しいのか」という本を読んだ。
実に読みにくい本で、最後まで読み通すことが出来なかった。
なぜこうも読みにくいのかというと、これは明らかに学術論文で、一般向けの教養書でないからである。
細かい数字の羅列が多く、統計数字がこと細かく並べてあるので、全く面白味に欠けていた。
そもそも中国を語るのに統計をアテにすること自体が間違っている。
おおよその目安程度の認識で統計やグラフ、あるいは各種報告書の数字を参考にするぐらいの認識ならばいざ知らず、数字を真正面から真に受けて物事を語ろうとすれば、大きな錯誤が生じてくると思う。
新生中国が1949年に誕生したとしても、そのことによって中国の文盲が一気に解消されたとはとても思えないし、行政システムの中で下級レベルの官僚、あるいは党の下級党員が誠実に業務をこなしているとはとても思えないからである。
統計の信用性というのは、それこそ文明の進化の度合いと軌を一にしているはずで、文明の遅れているところでは、統計による計測そのものが成り立たないと思う。
この本を読んでまず最初に驚いたのは、未だに中国では農民というものを一人前の人間と認めていない点である。
まさしく中国の4千年とも5千年とも言われる歴史が、21世紀にいたってもそのまま生きているわけで、1949年の共産主義革命による新生中国の誕生も、ただたんに君主が交替しただけのことで、中国人の民族的な本質はいささかも変わっていない。
無理もない話で、民族の本質などというものがそうそう安易に変質するものではない。
我々だとて、戦前と戦後で、我が日本民族の本質はいささかも変わっていないわけで、そのことを考えれば中国のみをあざ笑うわけにはいかないのは当然である。
この本を読み始めて最初にショックを受けたのは、中国では農村と都市で戸籍が違うということであり、こんな馬鹿な話は我々の認識では考えられないことだ。
これでは戸籍の意味がないように思うが、それが現実にあるわけで、その現実の本旨とするところは、農民というものを人間の内と見なしてないということに他ならない。
これが民主主義を標榜する共産主義、社会主義の現実の姿であったわけで、まさしく中国の共産主義というものが、共産党員の共産党員のための政治と化している現実の姿なのであろう。
如何なる民族、如何なる国家にとっても、その国民を養う基幹産業は食を賄う食料生産者のはずで、食料を生産するということは、人類誕生のときから自然を相手の仕事であり、過酷な労働を伴う作業であり、そういう階層を如何に管理運用するかが政治、あるいは統治の基本の中の基本な筈である。
日本がアメリカに敗北したとき、勝ったアメリカは真っ先に日本の農民を解放したではないか。
この時のアメリカの意図は、日本の農家の貧困が日本をしてアメリカに刃向かわせた、だから日本人を貧困から脱出させれば、二度とこういうことをしないだろうと言うものであった。
そういう意図のもと、農地解放を元資本家、元地主の意向など全く無視して、情け容赦のない施策を実施して、農民を解放し、そのことによって日本の農民の意識改革が進み、それが弾みとなって日本全体の経済力の底上げが実現し、その後の高度経済成長が実現したわけである。
それ以来というもの、日本の農家は、ある意味で政府が過保護にしているので、その後の世界的潮流の中で、また新たな軋轢に直面している。
ところが中国の共産党の政府というのは、革命が成就したら最後、再び過去の歴代の君主と同じように、農民を生かさぬよう殺さぬよう飼い殺しのままにして、都市の住民にのみ視線を向けていたわけである。
無理もない話で、工業化というのは目に見える形でその発展段階を認識することが出来るが、農民の姿などというものは政治の中枢にいる人たちの目には映らないわけで、食料などというものは、時間が来れば自ずと目の前に現われてくるものだ、という認識であったものと思う。
1960年代の文化大革命のとき、都市の有識者を農村に下放するということが頻繁に行われた。
これは都市の不穏分子と思われたもの、要するに少しでも批判的な意見を言うか、言いそうと思われる人たちに対して、反体制というレッテルを貼り、あるいは貼ることによって、そういうインテリーに対して刑罰として農村での作業に従事させるということであった。
ところが、私としてはインテリーを農村に送り込むようなことが刑罰に値するのかと、実に不可解な思いをもっていたが、農村の実態が分かってみると確かにそれは都会に住むインテリーにしてみれば大きな刑罰に値するわけだ。
だとしたら、その農村で生まれ、育ち、日々農作業に従事し、食料を生産しつつ死んでいく農民というのは、まさしく牢獄の中で生きているに等しいわけで、こんな馬鹿な話は信じられなかった。
農村と都市では別々の戸籍があって、農村から都市に住まいを移すことが出来ないということは、我々の感覚からすれば完全なる基本的人権異の侵害に当たるものと思う。
差別そのものではないのか。
これが毛沢東に率いられた革命の前の中国の現状ならばまだ納得が行く。
ところが革命は1949年に成就して、中国共産党は中国全土を手中に収めたわけで、ならばその中で農村と都市で格差などあってはならなのではなかろうか。
中国共産党隷下の人々は、農民であろうと、工業労働者であろうと、等しく基本的人権を持った中国人民であって、ただただ従事している職業の相違だけではなかったのか。
ところが中国共産党の施策は、その格差の是正には全く無頓着で、一向にそれを是正しようともせず、農民はそれこそ食料を生む機械とでも言いたげな施策を続けていたのである。
今日、日本企業の中国への進出が著しいが、これも用心に用心を重ねなければならない。
金にめざとい日本の資本家たちなので、その点はぬかりなくしているように思うが、これが案外アテにならない。
中国に進出する企業の大部分は、本当の意味の資本家ではなく、あくまでも企業経営者であるわけで、経営の感覚は優れているかも知れないが、相手の潜在意識まで考察するという点ではまことにお粗末なわけで、バブルを招きバブルを崩壊させたのもいわゆる日本の企業経営者たちの状況判断能力が劣っていたからに他ならない。
日本の経営者が経営感覚に優れていれば、バブル経済などというものはあり得ない筈であるが、経営感覚が出鱈目であったからこそ、そうなったわけである。
こういう未来予測にまことに心許ない経営者がいくら集まっても、ゼロをいくら積み上げてもゼロなのと同じように、そのうちに大火傷をするのがオチであろう。
我々日本人は、中国というとどうしても文化的な先輩という潜在意識を払拭しきれず、理性と知性で相手を見る際に腰が引けてしまう。
同じ黄色人種だし、同じ漢字文明を共有しているし、同じアジアに生息し一衣帯水の位置関係にもあり、ついつい話せば分かるという感覚に陥りがちであるが、ここに我が方の甘さがある。
戦前に、我が同胞があの地に無鉄砲にも入り込んで大東亜共栄圏を夢見たという事実は、我々が如何に相手、つまり中国人の本質を知らなすぎたかということである。
あの時代、つまり昭和の初期の段階で、日本を食い潰して大陸にわたり、中国人を騙したり日本人の同胞に寄生したりして大言壮語を吹聴して糊口を凌いでいた大陸浪人とか大陸ゴロと呼ばれた人たちがいた。
こういう人たちの言うことは全く無責任なことばかりをいっているわけで、それを真に受けた同胞もかなりの数いたと思う。
大陸ゴロの言う嘘も、大本営発表の嘘も、嘘であることの代わりはないわけで、我々として親から引き継いだ自分の頭脳で、自分の思考で、相手、つまり中国のことを考え抜かねばならない。
毛沢東の言った言葉として「中国人が原爆で1億死のうが2億死のうが、まだ中国人は生き残れる、だから核戦争など怖くはない」という主旨のものがあるが、中国の為政者にとっては、国民の存在などというものはまるで汚い海辺に沸くシャコかシシャモぐらいのものでしかないのである。
「中国人が1億死のうが2億死のうがまだ生き残れる」という発想は、明らかに中国古来の発想そのもので、これは旧日本軍が中国に攻め込んだ時にも見事に出ているわけで、時の張学良は何処までも撤退した事実に現われている。
我々のアメリカとの戦いでは、負けが込んで来ると、本土決戦を大まじめに検討していたが、中国人の発想は「1億死のうが2億死のうがまだ生き残れる」という発想なので、この考え方の相違を我々は肝に銘じておかなければならない。
国民の命など屁とも思わない為政者というのは、戦う相手としてまことに手強い存在だと思う。
アメリカも日本と戦うに際して、日本軍は死を顧みず攻撃してくるので、恐らく心底怖かったろうと思う。
だからそれに対抗するために物量をふんだんに投入したのであろう。

「迷走・日本の原点」

2007-07-18 09:07:40 | Weblog
例によって図書館の本で「迷走・日本の原点」という本を読んだ。
著者は桜井よしこ氏である。
桜井女史はまれにみる男っぽい論調の人で、私には彼女の論調はすべて正論のように見える。大衆に迎合しないところが良い。
変に物わかりの良いポーズを取ることなく、感情論に押し流されることなく、ものごとの本質をストレートに突いていると思う。
我々人間の住む世界には人間の数だけ意見もあると思う。
百人百様というように、十人十色というように、人の意見というのはそれぞれに違っているのが当然である。
そうした様々な意見のなかで、高等教育を受けた人、いわゆる知識人といわれるような人は自らの接する情報の量が普通の人より格段に多いはずである。
その数段多い情報から自分の考えを形作るので、そういう人の意見は傾聴に値するということになるのがごく普通の有り体の筈である。
ところが、そういう知識人も現代の日本社会を生き抜くには人気商売に徹しなければならないわけで、人気を維持するためには大衆に迎合しなければならない。
評論家は自分の論説が売れなければ糊口を凌げないわけで、そのためには売れる商品、つまり大衆に人気のある論文を書かなければならないことになる。
それよりも前に、高等教育を受けた人、いわゆる知識人としては、一般大衆というものをある意味で見下げた信条をもっているのが普通だと思う。
「馬鹿なやつらに俺が教えてやる」というひそかな自負心を持っていると思う。
本来ならば高等教育を受けた人はそうであっても良いわけだが、そういう人たちが庶民を王様に見たてて、大衆のご機嫌取りをするところが卑屈に思える。
大衆にアピールすべき思考が、綺麗事に徹しきってしまって、大衆や庶民が傷つかないように思考を巡らし、攻撃しても一向に差し障りのないところに矛先を向ける。
このようにして大衆受けを狙っている中で、 それをフォローするのが肩書きといわれるもので、これがあるとないでは書いた作品の付加価値がうんと違ってくると思う。
無名のものがいくら良い作品を書いたとしても世間はそれを認めない。
ただ単に市井の一つの意見としての扱いでしかない。
このように世の評論家というのは論評を書いては、それをメデイアで発表しないことには生きていけれないわけで、生きるためには売れる作品でなければならない。
売れる作品を書くとなれば、大衆や民衆の対極に位置する政府や行政の肩を持つようなものではならないわけで、どうしても当局側を悪玉にし、民衆側を善玉に想定しなければならない。
経世の書がコマーシャリズムに毒されて、大衆受けする論評しかこの世に出回らないという風潮は極めて嘆かわしいことだと思う。
評論家といわれるような人が、自分が生きんが為とはいえコマーシャリズムに毒されて、大衆受けする論評をまき散らすということはある意味で知識人のモラルハザードだと思う。
大衆というものは無責任きわまりない存在で、究極のエゴのはずであるが、それを近年ではエゴイズムとは言わずに、大衆の潜在的な政治的欲求という表現で、個人のエゴイズムを擁護する風潮が顕著になってきた。
大衆受けを狙って、大衆の我が儘を我が儘と正面から言わずに、個人の自由とか価値観の相違など綺麗事で誤魔化すから、大衆は何時まで経っても、ことの本質を知覚しきれないままでいるのである。
我々日本人の歴史の中で約65年ほど前までは、この世に生を受けた人間の存在価値は、自分を含む諸々の人に奉仕することが美徳とされ、それを一部の同胞が拡大解釈して、天皇陛下のためというスローガンにすり替え、そのために国民全部が苦難に立ち至った。
それが戦後の民主教育では、自分以外の諸々の人に対する奉仕は苦役そのもので、個人の自由、いや自由を超越した我が儘を蔑ろにすることだからまかりならぬ、という風潮に変わってしまった。
国家こそ国民に奉仕する存在で、国は国民の望むものを無制限に分け与えるべき存在だ、という風に考え方が逆転してしまったので、国民の側に自分達の希望や願望を叶えることの出来ない祖国など敬愛するに当たらないという気持ちになってしまった。
よって、その後の日本の進歩的知識人といわれる人々は、その大命題、つまり国が国民に奉仕するという線に沿って、個人の我が儘の奨励ということに大車輪で向かったわけである。
この風潮は、日本人の特質を見事に表しているわけで、一旦世間の風向きが「これこそ我々の大命題だ!大儀だ!」と確信すると、事の真偽、真贋、本質を深く考察することなく、脇目もふらずにそこに邁進して、それからはずれたものをそれこそ異端者として排除しようという思考に至るのである。
戦前、戦中の我々同胞にとっての大儀・大命題というのは、いうまでもなく「鬼畜米英」、「撃ちし止まん」であったわけで、それを我々同胞は何の疑いもせずに全国民がその目標に邁進したいたではないか。
それが失敗に終わると、今度はベクトルが逆向きになって、我々は「祖国の政府に騙されてはならない。政府、行政、官僚というものは悪の権化で、国民の奈落に送り込む存在でしかない」というようになってしまった。
ある事柄が大儀となり、それが大命題となると、それこそ全国民が大まじめでそれに突き進んでいるではないか。
知識人といわれる人たちが普通の国民よりもより多くの高等教育を受けた人たちであるとするならば、大命題に対して糞まじめに邁進する国民に対してことの本質、物事の真贋、日本という国家の誇りと名誉、そして国益というものを解りやすく説かなければならないと思う。
それを放棄したまま大衆と一緒になって、ただただ御輿を担ぐだけでは知識人としてのモラルを欠いていると思う。
大衆というのは極めて無責任で、自分の得になることしか考えない。
自分が損することは回避しようとするのが普通なわけで、それでは国全体が立ちゆかないのであれば、大衆に少々の辛抱を求めるのが政治であり、統治であろうと思う。
そして、それを説くのが本来ならば知識人の知識人たる由縁でなかろうか。

「敵国日本」

2007-07-10 07:18:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「敵国日本」という本を読んだ。
ヒュー・バイアスという人が1942年、つまり昭和17年に書いた本である。
まさしく日米戦争の最中に書かれた本だ。
この著者は何年も日本で取材をしていて、それを外国人向けの記事にしていた人ということで、彼は当時の日本というものを実に的確に捉えている。
あの時代の日本の姿というものをかなり正確に捉えていたという点では、例のスパイ、リヒアルト・ゾルゲなどもかなり正確に当時の日本を捉えていたことから考えると、当時の日本というのは、外国人の目から見ると容易にその不自然さというものが目に映っていたのであろう。
外国人が正確に日本を掌握していたことから考えると、我々日本人にどうしてものの本質が見えていなかったのであろう。
但し、この本を読んでいて恐ろしいと思ったことは、当時のメデイアが戦意高揚のために誇張して報道したことが真実と捉えられていることである。
この中に出てくる大逆事件の甘糟大尉の話、南京陥落の虐殺事件、百人切りの話、こういったものは今日では真相が明らかになっているが、当時は真相の隠蔽と同時にその裏返しの心理として戦意高揚のために誇張して報道されていた。
ところがそれを外国人記者は真に受けて受け止めているわけで、それを逆にまた世界に向けて発信していたわけである。
ゲニ、報道というものの影響は恐ろしいもので、日本人以外の民族では、この扱いが実に巧妙である。
プロパガンダと情報を織り交ぜて、真実に蓋をし、それと同時に相手を誹謗する方向に作用させる。その手練手管は我々日本人のお呼びも付かないテクニックである。
メデイア、この場合は新聞であるが、新聞が戦意高揚のためとはいえ、真実とかけ離れた誇張した報道をしたことによって、相手は「新聞の報道によると日本人はこれほど非道、残虐なことをした」と逆に利用されてしまったわけで、これは書いた本人が自分で「誇張して書きました」と訂正をしていないので、日本人の全体の信用問題に関わってしまっているではないか。
現に、今日、これが既成事実として相手側の公式見解として定着してしまっているではないか。
我々はこの事実、つまり日本人がしたと言われている残虐行為が真実とかけ離れた、誇張された報道で、この報道によって相手側から糾弾を受けている中で、その新聞報道記事を書いた人間に、何故、ことの真相を述べ、ねつ造した記事を書いた責任を追及し、その罪を問おうとしないのであろう。
明らかに、この報道によって日本の国益が損なわれているにもかかわらず、その張本人を処罰することに何故躊躇しているのであろう。
相手の報道を逆手に取る外交手腕こそが、いわゆる戦略的な思考というもので、我々はこういう駆け引きに実に疎い。
ある意味でお人好し、お人好しを通り越して馬鹿に限りなく近いということである。
この本に限っていえば、著者の日本を見る目というのは実に正確で、日本は彼の思い描いたとおりの軌跡を歩んでしまった。
彼は最初から日本は負けるといい、日本の中国進出は強盗以外の何ものでもない、という決めつけ方である。
ただ不思議なことに、我々の歩んだ道は彼の指摘したとおりであったが、何故我々はそういう道を選択したのか、という部分の考察が抜け落ちている。
つまり、当時の日本人の考え方というものは正確に掌握されているが、そこに至るまでの先方の考え方に関しては、考察が完全に抜け落ちている。
無理もない話かも知れない。
この本の題名も「敵国日本」なわけで、敵国としての日本を考察しているわけで、日米という二つの国の外交を語るものではなく、明らかに題名が示しているように敵国としての日本に関する考察なわけで、日米関係の考察ではないわけだから、それも致し方ないのかも知れない。
アメリカ人が、敵国としての日本をこれだけ深く考察しているとしたら、当然、日本側にも「敵国アメリカ」を考察した書物があっても良さそうに思うが、果たしてどうなのであろう。
ここでも我々は「敵を知り己を知れば百戦危うからずや」という太古の戒めを無視し続けていたのではなかろうか。
同胞を弁護する意味で、当時の知識人の立場を擁護すれば、あの時点で日本の知識人が「敵国アメリカ」という本を執筆したとしても、結論は日本の敗北ということになるものと思うが、だとすれば、そういう内容の本は当時の日本では発禁になることは請け合いだったろうと想像する。
我々が歴史から教訓を得るとすれば、そういう真実を述べるものに封印をしてはならないということであるが、問題は、それこそ、この真実に問題があるわけで、如何なる扇動的な文書でも、それが真実かどうかは分からないから困るのである。
真実も、その寄って立つ持ち場立場で変わってしまうわけで、その見極めはことのほか困難だと思う。
この著者は、昭和初期の日本の政治状況がまことに不可解だといっているが、まさしく言われるとおりで、あの時期、日本は民主的な議会制度が生きていたにもかかわらず、何故軍部に主導権を握らせてしまったのか、彼ならずとも不可解なことである。
戦後、日本を占領したマッカァサー元帥がいみじくも言ったように、「日本人の政治感覚は12才の子供だ」ということはまことに的を得た発言で、我々の民主政治というのは明らかにこのレベルであろうと思う。
その最大の原因は言葉にあると思う。
日本語の中に、民主政治というものとソリの合わない要因が隠れているのではないかと思う。
言葉の中というよりも、言葉そのものの使い方の中と言わなければならないかも知れない。
明治憲法の欠陥はこの著者も指摘しているが、憲法自体が完璧でないところにもってきて、その運用面において解釈でことを済ますという点の不具合を、この時点で指摘している点には大いに驚かされる。
言葉の解釈で、正反対の結論に結びつけるという点が、日本語の曖昧さの最たるもので、これを議会審議の場で持ち出すから、物事の本質が迷路に紛れ込んでしまうのである。
一つの言葉が、解釈によって幾通りにも受け取れるというところに政治が混迷する原因があるわけで、そこに健全な政党政治が成り立たない理由の一つにもなっていると思う。
そのことは同時に、物事の本質が政争の道具になってしまっていて、自分の属する政党にとって有利か不利かという党利党略に左右されて事が運ぶので、真の解決に至らない。
物事を審議して何らかの結論を出さなければならないというときは、誰にもこれがベストだという結論に自信がないから審議をしているわけで、にもかかわらず、それを党利党略で自分の党に有利に導こうという意志が働くから、本当の答えから遠のいてしまうのである。
その過程で言葉のアヤが微妙に解釈されて、それが本来の意図と全く違う結論に導かれてしまう。
戦前では統帥権について、戦後では憲法9条についてこのことが言えていると思う。

「世界の中の日本・最良の選択」

2007-07-04 20:25:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「世界の中の日本・最良の選択」という本を読んだ。
著者は、テレビにも時々登場していた俵孝太郎である。
1930年生まれということで私よりも十歳年上であるが、この世代の人間は、どうも世相を見る目がひねくれているのではないかと思う。
無理もない話で、先の戦争の結果から人生が始まっているわけで、ある意味で無から有を生じさせたというか、戦後の復興をそのまま体験してきた世代なので、同胞に対する不信感が一番強い世代ではないかと思う。
こういう職業の人、知識人といわれる人々は、ご幼少の頃もそれなりに早熟であったので、自分達の親が日本政府から騙されていた、ということを身をもって体験しているわけで、そういうものに対する不信感というのは終生拭い去ることがなかったに違いない。
だから何処か醒めた目で世相というもの眺めている。
私とはわずか十年の違いであるが、価値観はずいぶんとかけ離れているように思える。
この本は2002年に書かれているので、小泉政権発足直後に書かれており、小泉政権の最初のケツマズキ、つまり折角論功報償的に起用した田中真紀子外務大臣の更迭から論を展開しているが、著者はこの件で田中真紀子の肩を持ち、小泉さんの失敗だと言い立てている。
ところが、私に言わしめれば田中真紀子の方が大臣の器ではなかったと思う。
田中真紀子が外務省の改革に熱意を示したことは、それはそれで結構なことであるが、その手法があまりにもものを知らなすぎたと思う。
外務省の改革をしなくてもいいというわけではないが、するからには、それ相応の手順とか手法というものがあるわけで、ただ中小企業のワンマン経営者のように、がむしゃらにすればいいというものではない。
外務省の改革ともなれば、それがそのまま国益と直結しているわけで、そういうことを全く度外視して、小さな子供が駄々をこねるような我が儘を通していいというわけには行かないと思う。
その点に関して、この著者は田中真紀子の肩を持って、小泉首相を糾弾するような論調を書いているが、そこに長年、政治記者として政界の裏表を見てきたひとなりの価値判断が横たわっていたのであろう。
彼の既成概念の中には、「古い自民党体質こそ政治だ!」という過去の認識で凝り固まっているのであろう。
田中角栄、中曽根康弘、後藤田正治、宮沢喜一、等々の古い自民党の政治家こそ、政局のキーパーソンであって、小泉純一郎というような自分とは一回りも違う若い政治家など頼りにならないという思いも分からないではない。
しかし、人類の進化というのは、若い者が主導する変革があってはじめて前に進むわけで、人生の先輩、いやその道の先輩、先達たちが、そういう若者の後押しをし、責任を与え、暖かく見守ってこそ全体としての前進があるわけで、「あの若造が何事か!」というような醒めた目で見ていては、よい結果は生まれないと思う。
今の日本の政治というのは、独裁者のワンマン政治ではないわけで、多くの国民の要望に優先順位を付けて、それを調整する部分が非常に多いと思う。
小泉純一郎の改革路線も、政治改革が突然湧き出てきたわけではなく、改革しなければならない項目は以前から掃いて捨てるほどある中でどれから手を付けるかの問題に過ぎない。
彼、小泉純一郎が、「自民党をぶっつぶしても改革をする」といっているのならば、人生のOBとしてそれに諸手を挙げて応援してしかるべきだと思う。
それに棹さす勢力というのがそれこそ抵抗勢力で、自民党のOBがそちら身を置いてはならない。
ところが、こういう勢力は改革されると自分が困るわけで、結論として総論賛成、各論反対ということになる。
その改革の指針を声高に叫んだので、それが初期の小泉人気であったことは否めないが、評論家と称する人々は、そういう国民の気持ちをせせら笑ってぃたわけだ。
小泉氏のいう抵抗勢力に与していたわけだ。
この著者のように、戦前生まれの者が、戦後の大学教育を受け、花形企業で立身出世をして、政府の委員を何年も続けた人から国会議員を見れば、居並ぶ国会議員たちがある意味でアホに見えるのも当然だと思う。
彼ら、優良企業の人間としては、一度入社試験を通過すれば、あとは将来の地位が保証されているという意味で、エスカレーターに乗った様なもので、戦前、戦中の陸士や海兵と同じである。
ところが国会議員というのは,長くて4年ごとに毎回毎回、選挙という篩を掛けられ、資格試験、選抜試験を科せられているようなもので、一度関門を潜ったからといって安閑とはしておれない。
だから任期中、本来ならば国会審議に精力を傾注しなければならないところであるが、関門を通過した途端に次ぎの関門に備えなければならない。
その延長線上で、国民に対するパフォーマンスとして、耳障りのいい発言ばかりをしなければならず、本当のことが言えない。
ついつい我田引水、我田引(鉄道)、我田引(道路)、我田引(公共工事)ということにならざるを得ないのも宜なるかなである。
その点、知識人とか評論家というのは、そういう心配が最初から無いので、その意味で言いたいことはいえ、言ったことに責任もないわけである。
とはいうものの、この著者は、この本の中で非常に良いことを言っていた。
日本の国土は地球の330分の1、日本の人口は世界の2%。
330mの商店街に間口1mの店を構えた商店に例えると、2%の人たちは当然、間口1mの店の仲に収りきれないので、商店街に出ていって、ぽん引きをしたり、チンドン屋を繰り出したりと商売に余念がないわけだが、これを端から見るとどういう風に映るかという問題提起をしている。
この例え話は非常に分かりやすい現実の我々の姿だと思う。
私は他の論説で「日本人は世界の嫌われ者だ」ということを強調しておいたが、この例からもそれは自ずと理解できると思う。
我々は、自分が島国の住人なので大陸国家の人々が潜在意識として我々のことをどう考えているかということに無頓着だと思う。
自分達の立ち居振る舞いを他の人がどう見ているかということを全く意識していないわけで、その意識していないことが相手の潜在意識を刺激しているわけで、それがこの例え話によく表れている。
自分では良かれと思っていても、あまりにも傍若無人に唯我独尊に振る舞っていれば、相手は我々の存在が鼻についてくるわけで、その無頓着なところが恐ろしいというわけだ。
この部分には私も大いに共感するものがあった。



「天使にラブソングを」

2007-07-03 07:43:00 | Weblog
昨夜、2日の夜、NHKBS2で「天使にラブソングを」という映画を放映していた。
テレビでこの映画を見るのは2度目であるが、何度見ても面白い。
ストーリーはそう凝ったものではない。
ギャングの殺人を目撃したキャバレーの専属歌手が、その証言をするまでの間、修道院に匿われることになったが、そこでの生活のギャップがおもしろおかしく展開するというもので、そりゃあ面白いわけだ。
キャバレーの専属歌手という一番世俗的な環境で生きてきた人を、修道院というもっとも敬虔なものと組み合わせたのだから。
そこでは賛美歌がラップ・ミューミュージックに変わってしまうわけで、それもおばあさんに近い年代の修道尼たちがあの衣装のまま身体全体で表現するのだから。
その音を聞きつけて町のヤンキーがぞくぞく教会にくるという設定も笑える。