ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「ノルウェイーの森」上巻

2010-01-27 16:16:56 | Weblog
順序が逆になってしまったが、「ノルウェイーの森」上巻を読んだ。
先に読んだ感想と大きな違いはない。
この本の内容から色情描写を削除すれば、それはそれなりの立派な純文学になるであろうが、このままではやはりどこまで行ってもエロ本もどきのままだと思う。
私の観念では、こういう作品が世の中にもてはやされる風潮は、それを受け入れる側に作品に迎合する、あるいは迎合したいという潜在意識、精神的な渇望としての包容力があるからだと思う。
人間の思考は、如何に立派そうに見えても、それを受け入れる大衆の側にそれを受け入れる準備が備わっていない限り、それは受け入れらないと思う。
20世紀前半にヨーロッパで共産主義というものが誕生したが、これが世界的な規模で広がったということは、その考え方を実践すればきっと我々の世の中は住みよい物になるに違いないと、心の底からそう思ってそれを受け入れた人が大勢いたからに他ならない。
この考え方を基にして形造られた国家もあるにはあったがそれはわずか75年の成功でしかなかった。
大勢の人間の中には、その考え方を心から信じていた人もいたに違いなかろうが、それを心から信じることなく、人間の基本的な欲望を信じた人も他方にいたわけで、結果としては信じた方が挫折したということだ。
ことほど左様に、この本に人気が出るということは、ここに書かれた内容に共感を覚える人が大勢いて、そういう人たちからすれば、自分もこういう生き方が出来れば躊躇なくそれを選択するに違いなかろうと、考える人が大勢いるという証しだと思う。
現実にはありえないことなので、人々は小説の中にそれを夢想して、密やかに思い描くことで満足しているのであろう。
しかし、この本の書かれている内容が、小説の中の夢想・絵空事だと認識している人はまだまともな精神の保持者であるが、中には「ああいう風でなければ時代に取り残される」と思い違いをする人も出てくるのではなかろうか。
テレビドラマを文字化してみたり、小説をテレビドラマ化するとなると、どうしても色情描写が売り物になるわけで、人々はあれが人間の当たり前の姿だと思い違いをするようになると困る。
行為そのものは普遍的なもので、人類ならば皆同じことをしているが、問題はそれを何時何処でどういう形でするかということで、犬や猫でもあるまいに、まわりの者と片っ端から交尾するでは、人間としての品位に欠けると思う。
問題はこういう品位とかモラルに対して、感性を持っているかどうかということである。
人間ならば皆同じことをしているのだから、何時何処で何をしても構わないという無神経な感受性に対して、羞恥心を持ち合わせているのかいないのかという点である。
人は羞恥心があるから、隠れて行為をするわけで、「誰でも同じことをしているのだから人前でも平気だ」では相手からバカにされるのがオチで、この感受性の欠如が品位の対極にある無粋と称されるものである。
「人間ならば皆同じところに同じように毛が生えているから隠すに及ばない」では、アマゾンの奥地の未開人と何ら変わるところがないわけで、この状態を我々は野蛮と称している。
文学的で妙味な表現方法は、ここで言うように普遍的なことと羞恥心のバランスにあるわけ、例えば若い女性の着衣の奥が見えそうで見えない、見えないからそうっと裾をまくってみる、裾をまくれば相手に気づかれて拒否されるか、それとも許してくれるか、極めて不確実で微妙な心の葛藤を修飾語で塗り固めて文字で綴った時、エロチシズムの昇華としての文学作品として結実するのではなかろうか。
それを一つ一つ名詞を羅列して、事細かに、正確に、そしてリアルに描き出して、何かの実験の報告書のように無味乾燥の文章にしてしまっては、秘め事であるべき行為が白日のもとに曝してしまうようなもので、それこそ犬や猫の交尾と全く同じということになってしまって、人間の行為としては限りなく野蛮なことになってしまう。
ところが、文化人と称する人たちは、普通の規範を普通に順守する普通の人間を限りなく軽蔑しているわけで、普通でないいわゆるアブノーマルなものに無理して価値を押し付けようとする。
だからこういう犬や猫の交尾を写実的に表現した作品に対して限りない称賛を与えるのも、自分自身にエロチシズムに対する深い洞察力に欠けるからであろう。
男と女の間の粋な心の葛藤に対する真の理解がないということなのであろう。
バカな民衆は、犬や猫の交尾にも等しい人間の交接が、人として一番進んだ進歩的なことだと勘違いするわけで、よってだんだんとモラルの低下が浸透するということになる。

いい年こいて、ビートルズの作品の中に「ノルウェイーの森」というのがあるとは、この本を読むまで知らなかった。
ああ恥ずかしい!!!
この本の題名が何処からきているのか不思議であったが、それで納得できた。

「ノルウェーの森」下巻

2010-01-26 07:26:09 | Weblog
何時頃どういうわけだか本棚の片隅に村上春樹の「ノルウェーの森」上下2巻が揃っていた。
それで以前拾い読みした際の感想としては、こんな本が何故ベストセラーになるのか不思議な気がしたものだ。
前は図書館から借りてきて読んでいたが、最近は死ぬ前に自分の家にある本をもう一度見直しておこうと思って、自分の本箱から引っ張り出して読み漁っているが、この本もその中の一つであった。
アルバイト先で読もうと思って持ち込んだが、間違えて下巻の方を持って行ってしまった。
それで順序が逆になってしまったが、一読して最初の印象はいささかも変わらないと感じた。
まるでエロ本もどきである。
文字で表現された色事を、人に隠れてひそひそと読み、一人でニヤニヤする行為というのは大昔からあることだとは思う。
それは間違いなく助兵衛の密かな楽しみであって、助兵衛だけの世界でなければならないはずのものだと思う。
そこには表社会と裏社会の峻別がきちんと備っている状態だからこそ表と裏、光と影、明と暗の使い分けがきちんと確立していたものと私は想像する。
昔から枕絵とか、秘画、あるいは近年になればエロ写真という様なものはあるにはあった。
この地球上に住む人間にとって、セックスは永遠の課題ということはよく理解できるし、それを密かに見たいと願う人間の存在もよくわかる。
だが、敗戦まで我々の国は、そういうものを国家権力で以て抑制し、表に出ることを抑え込んできた。
それが敗戦を契機として、民主化の波に押されるという形で、国家権力による色情感覚に対する抑圧がだんだんゆるくなったきたことは戦後の歴史が証明している。
ただ、この抑制の緩和に我々、民衆、大衆の側が悪乗りして、セルフコントロールが効かなくなってしまったことにある。
日本の政治がまことに不甲斐ないというのは、このように民衆、大衆、国民の側の自己規制、いわゆるセルフコントロールが全く効かないという面にあると思う。
戦後も初期のころのストリップは、上半身裸の女性が額縁を持って立っているだけで、それを見る大衆は大いに興奮したといわれており、それが額縁ショウ―といわれるものであった。
終戦直後の日本の大衆の中で、助兵衛な人間にとってはそれでも大革新の出来事であったはずだ。
それが今では女性のヌード写真は巷に氾濫しているわけで、これは明らかに我々の側に性・セックスに関する感受性が退化している証拠だと思う。
感性が鈍感になっている状態だと思うが、その事については日本の文化人の誰ひとりそれを是正しようと考えている人間がいない。
この本に描かれている人物は、周囲の人間と意図も安易にセックスをするが、その様はまるで犬か猫の交尾に等しく、そのセックスの描写が微細に描かれている。
その登場人物の年齢が20歳として設定されているのだか明らかに異常である。
小説だから空想の絵空事なので、現実を超越していてもかまわないというのは文筆者の思い上がりだと思う。
そもそも文を書くということは読み人を対象に書かれているわけで、人に見せることを前提にしている以上、その中には書く人のモラルというものが内包されているのが当然だと思う。
フイックションとは言うものの、作者の内面にあるモラル、知性、教養が作品に投影さることは当然のことで、それは同時に作品から作者の心の内面を透き通して見れるということでもある。
昔(昭和27年)、チャタレ―裁判というのがあって、D・H・ロレンスの『チャタレ―夫人の恋人』という作品を伊藤整が翻訳したが、その内容に猥褻な部分があるということで、上へ下への大騒ぎになったことがある。
文章表現が猥褻か猥褻でないかと裁判で争うということ自体が、文筆業者の驕りである。
治安維持法のもとでの左翼系の論文や、美濃部達吉氏の『天皇機関説』の論議とは全く異なる低次元の論争であったわけで、結果として、こういう裁判が重なることによって、猥褻の概念そのものがだんだん矮小化され、今の日本では猥褻な表現というものがなくなってしまって一言でいえば何でもあり、タブーというものが全く無くなってなくしまった。
このことは、昔は助兵衛というジャンルの一部の人間がいて、表社会では蔑まれていたものであるが、今ではその垣根が完全に消滅してしまった。
今、巷で売られている週刊誌を覗いてみると、どの週刊誌でもヌード写真満載で、その中の漫画がこれまた交情の姿態を実にリアルに描いているわけで、限りなくエロ本に近い存在である。
売文業者の力量というのは、人間の交情を如何に文章で表現するかにかかっているに違いなかろうが、それは表社会に対する裏稼業での挑戦であるべきで、この裏と表の乖離を無しにしてしまっては、モラルの崩壊というのは際限なく広がってしまうと思う。
昨今の小説を囲む状況に詳しいわけではないが、エロ本と純文学の垣根が限りなく低くなったということは、エロ事に対する感性も限りなく鈍感になっていることだと思う。
昔の人間は、年頃になると、友達の誰かが何処からかそういう類の本を持ち込んで、人に隠れてひそかに胸をときめかせて見入ったものであるが、白昼におおぴらに開陳された女性の裸体を見ても、胸のときめきなど微塵も湧いてこないのも当然のことである。
そういうものを見て胸のときめきを感じず、ただ当たり前の感じしか持ちえないということは、それだけで性・セックスに対する感性が鈍化しているということで、好奇心すら消滅しているということに他ならない。
考えてみれば、この地球上に生きる人間ならば、皆同じことをしているわけで、だからこそ今まで人類が繁栄してきたわけで、その行為は秘密でも秘儀でも何でもないわけだ。
だからと言って何でもかんでも、アッパッパーに呆気らかんとして人前でしてもいいかと言えば、当人は良いかもしれないが、見せられる方は馬鹿馬鹿しくなって、「あっちの見えないところでして来い」ということになるのではなかろうか。
この感覚の微妙なバランスが猥褻という概念なのではなかろうか。
大勢の人間の中には人の行為を見たいと思っている人間がいることも十分わかるが、その反対に、誰でもしていることなので人の行為など見たくもないという人もいるわけで、チャタレ―裁判というのはここに風穴を開けてしまったわけである。
人の行為をあっけらかんとあけっぴろげに表現しても構わないよちうことを公言してしまったわけで、ここで猥褻のタガが大きく緩んでしまった。
今まで国家権力で以て大きく締めつけていた規制が緩んだということは、基本的には民主化に一歩近づいたことではあるが、ここで問題になることが文筆業者、あるいは売文業者が猥褻という概念に対する自主規制、いわゆるセルフコントロールを失ってしまったことだ。
ここに日本民族の悪い癖が露呈して、規制を掛けない、あるいは規制を緩めると際限なく堕落するということである。
自分たちでモラルの限界を自らの力量で築き上げるという精神の作用が全く機能しないということである。
「表現の自由」という権利を得ると、それは何処までも自由奔放の表現が許される思い違いをしてしまって、裏も表もなくなってしまうということだ。
この本は「エロ本もどき」だと私は思うが、それがベストセラーになるということは、社会全般が猥褻という概念に不感症になっているということで、エロ本と純文学の乖離を失ったということだと思う。
エロ本が低俗で純文学が高尚だというつもりはないが、少なくとも住み分けは必要だと思う。
この住み分けが曖昧になるということは、文化のエッセンスを受け取る感性の麻痺、あるいは感受性の退化だと私は思う。

「戦争報道の内幕」その2

2010-01-23 09:22:18 | Weblog
先回、「戦争報道の内幕」という本に関して相当に冗長なコンテンツをアップしたが、あの時点ではまだ半分読みの段階で書き上げたもので、残りの半分を読んだらまだまだ書き足りないことが沢山出てきた。
というのは、あの日米開戦が日本側の真珠湾攻撃で始まったことは周知の事実であるが、あの被害の状況をアメリカのメデイアは詳細に国民に開示しなかった、とこの本の中では述べている。
どうもその部分が信じがたい思いがする。
如何なる政府でも情報を自分の都合によってコントロールするということは往々にしてあるわけで、その事については今更珍しくないが、あの時点でアメリカ政府が真珠湾の被害の詳細を国民に知らせず、アメリカ国民を戦争に引き込んだということはどうにも解せない思いがする。
被害の詳細を公表しなくても、ハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍の基地が日本軍によって奇襲攻撃された、という事実を事実として報道することによって、アメリカの世論を一気に参戦に向けるということが可能であったからこそ、ああいう成り行きになったに違いない。
しかし、これが民主主義の王道ではある。
国民、あるいは世論の声を集約して、その声にこたえる形の政治を行うということが、民主主義の基本中の基本ではあるが、問題は、この国民あるいは世論というものが一つの方向に集約しきれない時である。
国民の声が一つになり切れない部分が、民主主義のアキレス腱であって、その瑕疵を補うものが多数決原理というもので、多数意見に優先権を与えるという考え方である。
これを素直に実施すれば、当然少数意見の側には不満が残るわけで、民主主義の政治体系ではそれを切り捨てることもやぶさかではないという考え方に準拠している。
だから国民という不特定多数の意見を、ある一定の思考に集約させるためには、PR活動をして、国民に対してどういう選択が将来の自分たちにとって有利か、という選択の素材を提供しなければならない。
そこで活躍するのがいわゆるメデイアであるが、為政者の側はそういうことが十分わかっているので、どうしてもメデイアを自分の陣営に引き込んで、自分に有利になるようなPRを願うのは当然のことである。
そのことはメデイアを如何に管理するかということにつながるわけで、情報を周囲の状況に合わせて恣意的に出したり出さなかったりすることになる。
真珠湾攻撃を受けたアメリカが、その被害の詳細を国民に知らせなかったとしても、攻撃を受けた事実は大々的に報道して、当時のアメリカ世論が対日戦に対して消極的であったにも関わらず、それを一気に払拭し開戦を煽る方向に利用したという面は否めないであろう。
9・11事件が起きた時も、これと同じ傾向がみられたわけで、あの事件を受けてアメリカ軍のイラク攻撃はアメリカ国民の選択に完全なる整合性を与えた。
ここに見られる光景は、メデイアが政治の道具になっている姿であるが、政治がメデイアを道具として使いこなしている間は、民主的な政治体制が維持されているということに他ならない。
だが、政治がメデイアを使いこなすのに不手際を曝して、メデイアの独走を許すととんでもないことになるわけで、その事は同時にその国の民主化の度合いが未熟だということを露呈することになる。
その具体的な例が我々の国に見られる。
例えば、戦前の日本を見ると、軍国主義でなければ日本人でない、という雰囲気で包まれていたではないか。
当然、こういう国民的な雰囲気はメデイアによって作られたわけで、田舎のおばあさんや、商店の小僧さんの口コミによって軍国主義が全国的に蔓延したわけではない。
ただ昭和の初期の時代の日本においては、富国強兵という潜在意識は田舎のおばあさんや、商店の小僧さんを含む政治家から官僚まで満遍なく浸透していたに違いない。
戦後の進歩的文化人と称する左翼系の人々は、日本が奈落の底に転がり落ちた責任を、軍部や一部の軍人に転嫁して由としているが、軍部や軍人を構成していたのは他ならぬ、富国強兵を潜在意識として内包していた当時の時代の寵児と言われた秀才たちであった。
そういう秀才たちに富国強兵を説き、アジアの解放を説き、日本式の理想郷を描き出すべく、煽りに煽ったのが未熟だったとはいえ当時のメデイアだったわけだ。
こういう場面でメデイアが我々の好戦的ムードを煽りに煽った点を大いに反省しなければ、歴史から教訓を得ることはあり得ない。
戦争中に、交戦国の双方で、お互いの戦果を報道するのに様々な制約があったことは、この本が示しているように古今東西変わらないことであるが、それと同時にメデイアによる記事の捏造ということも大いに問題がある。
この本は、記事の報ずることと真実が違うということを大きな問題点として掘り下げているが、それは見たものの視点が一つだから起きることであって、いくら時代が進化しても変わることはなかろうが、記事が捏造されていてはメデイアそのものの倫理が問われる。
テレビとか写真というような映像では、カメラを通した光景は真実そのものといえるが、そこに演出という要素が入り込んでくると、活字メデイアの記事捏造にかなり近い不条理が入り込んでくる。
先に述べた湾岸戦争の時のイラク軍が病院を襲撃したというニュースなど、可愛い少女を使ったヤラセだったわけで、そういうことを考えるとメデイアなど一切信用ならないということになる。
我々の側の例でいえば、昭和12年の南京攻略の時に報道された「百人切り」の話など、戦意高揚のためとはいえ明らかに記事の捏造なわけで、こういう戦時中の小さな話を、記者の功名心で以て針小棒大に報ずることで新たな神話が出来上がってしまう。
記事の捏造と言っても、黒を白と言い包める類のものではないが、ジョークを真に受けて真実かのごとく報じたわけで、このジョークが言った当人の文字通りの命取りになってしまったとなると、ことは極めて重大なことと言わなければならない。
戦争という非日常の世界では、戦場の兵士は好きで戦っているわけではない筈で、その心は無意識のうちに荒んでくることはいた仕方ないと思う。
そのために戦意高揚という精神のカンフル剤が必要になるわけで、それが高じて戦場での美談というのが出てくるが、これも要するに明らかなる記事の捏造に他ならない。
「木口小平は死んでもラッパを離さなかった」とか、「肉弾三勇士」だとか、そういう話の一つとしての「百人切り」の話だったと思うが、戦争が敗北という形で終わった時、そのジョークが相手側の憎悪を引き立ててる素材として使われ、それを真に受けて本人が戦犯として処刑されたでは、あまりにも可哀そうだ。
問題は、ここでその話を新聞に書いた記者が、助命のための行動を何一つ取らなかったという人間としてのモラルに帰する。
その話を書いた記者が、「あれはジョークだった」と一言証言すれば、彼らは戦犯という汚名から免れたわけで、たったそれだけの労を惜しむ記者の人間性に大きな疑問がある。
それとも確とした信念で以て、二人の少尉、野田・向井を死に至らしめる作為で以て、助命のための弁護を拒否したのかということである。
メデイアに係わるこういう記者が存在する限り、普通の市民から見てメデイアの人間はインテリーヤクザという蔑称で呼ばざるを得ない。
もう一つ私の我慢できない話に、沖縄戦に関する話で、大江健三郎の「沖縄ノート」に書かれていることで、軍が住民に自決を強要したという記述である。
渡嘉敷島の赤松、座間味島の梅沢、両名の守備隊長は、自決用の手りゅう弾をくれと言う村長を説得して自決を思いとどまらせたが、戦後の補償問題で軍の強要があったと言わないと補償がもらえないかもしれないということで、今までそう言い続けてきたが、真実は強制はなかったという話である。
大江氏はこの話をあくまでも否定して、二人の軍人に罪を追い被せようとしている。
この例に見るように、ある神話が出来上がってしまうと、その神話を否定することは極めて困難ということだ。
「百人切り」の話でも、沖縄の自決強要の話でも、神話を否定することはなにも難しいことではない筈だが、それが出来ないということはあくまでも個人のメンツの問題なのであろうか。
神話に対して「本当はこうだ!」と真実を暴露すると、そのことによって損をする人間がいるから、神話が何時までも神話として在り続けるのであろうか。
あらば日本誕生のアマテラスオオミカミの神話も、そのまま神話として継続すればよさそうなものなのに、一言「神の国」と言おうものなら、上へ下への大騒ぎになるということは一体どういうことなんだろう。
メデイアが政治の道具であることは論をまたないが、我々日本人、日本民族というのは実に政治の下手な民族であるからして、その延長線上でメデイアの使い方も極めて稚拙である。
まず根本的な欠陥は、我々日本民族というのは秘密の保持ということができない。
今、問題になっていることに、民主党の小沢幹事長の政治献金の話が浮上しているが、検察が情報をリークして小沢一朗の人気を落とそうと企んでいる、といわれている。
こういう話が出ること自体、秘密が守られていないという明らかなる証拠なわけで、「火の無いところに煙は立たない」という例もあるように、検察の中の誰かが漏らしていることは間違いないと思う。
日本の民主主義は三権分立で、立法、行政、司法となっていることは学校教育で習うが、本当はもう一つこれに加えてメデイアという立場があり、このメデイアの本領はこの三つの権力構造を厳格に監視する使命を持っているように思う。
監視するためには内容を知らなければならないので、そこで知る権利という言葉が出てくるわけであるが、メデイアに従事する人間は基本的にずるい人間で、人を踏み台にして自分だけ利益を得ることに何の逡巡も覚えない輩が多い。
メデイアに係わっている人間は、額に汗して働くことを忌避し、他人のしたことをああでもないこうでもないとケチをつけることで糊塗を凌いでいるわけで、自分では釘一本、大根一本作るわけではなく、その意味で典型的なインテリ―ヤクザである。
彼らの内面に潜んでいる本性が、さもしく卑しい根性なので、そのさもしさ、品性の無さ、品位の無さ、厚かましさが彼らの仕事、つまり取材の場面でモロに開示されてしまう。
取材される方もされる方で、メデイアに取材されることを名誉なことだと勘違いして、嬉々としてそれに応じているが、本当のメデイア嫌いは取材の時点でそれを拒否するので、世に自分の評価を問うこともできない。
それはそれで本人の世渡り下手というだけで、全く人畜無害であるが、メデイアの傍若無人な態度というのは実に鼻持ちならない。
「報道」という腕章さえつけておれば、何処でもお構いなしに大きな顔して乗り込んでくるわけで、その横柄な態度というのは明らかにメデイアに従事する人の倫理感の問題であり、思い上がった態度だと思う。
そもそも日本のような狭い国で、今の新聞社の数ほどのメデイアが必要であろうか。
今のテレビ局の数が日本の国情に合った数だろうか。
新聞にしろ、テレビ局にしろ、出版社にしろ、あまりにも数が多すぎると思う。
資本主義体制の中の自由主義なのだから、自由競争は当然だというのは理屈的にはわかるが、これから先の資源の有限か、省資源ということを考えれば、あまりの過当競争は資源の浪費に直結すると思う。
新聞でも、出版でも、テレビ放送でも、資源の浪費とは無関係に見えるが、その認識こそ省資源の敵なわけで、あまりの過当競争なるが故に、報じなくてもいい、ニュースネタとして価値の無い物でも記事にし、放映することになるわけで、それが積もり積もって国民全般のモラルの低下に結びついているものと考える。
新聞ネタにしろ、テレビネタにしろ、人々が真面目に額に汗して働いている姿ではニュースにならないではないか。
八百屋のオバサンが朝早くから夜遅くまで商売に精を出す、道路工夫が額から球の汗を流して作業をする、幼稚園の先生が一生懸命子供の世話をする、看護婦さんが病院内を走り回る、こういう日常生活の当たり前の光景にはニュースバリューがいささかも存在していないが、国家の存立というのはこういうことが下支えになっているわけで、だとするとこの場面でメデイアの意義というのは一切存在しないということになる。
ところがメデイア側のインテリーヤクザは、国の存立は自分たちが支えていると勘違いしている。
ここに認識のズレがあるかぎり、社会の自浄作用というのは機能してこない。
メデイアはあくまでもオオカミ少年であって、「オオカミが来るオオカミが来る」と遠吠えだけはするが、オオカミに対して如何に対処するかという答えを期待すべきではない。
メデイアは何処まで行っても虚業の延長であり、砂上の楼閣を夢見る理想主義の仮の姿であり、実業に携わるものからすればインテリ―ヤクザの域をいささかたりとも出るものではない。
1993年に椿発言という問題が起きた。
テレビ朝日の椿貞良という報道局長が、細川政権樹立のために世論をメデイアによって誘導しようとした事件で、当時は大問題になったが、この事件でも放送界の在り方というか、メデイアの存在理由を完全に履き違えた発想であって、自分たちが第4の権力だと完全に思い違いをしている構図だ。
インテリ―ヤクザの本質そのものであって、いわゆる報道、あるいはメデイアの驕りそのものである。
その深層にはバランス感覚を喪失した無知そのものが如何なく発揮されていた。
メデイアは国民に対して選択の資料のみを提供する立場であって、椿貞良の考えていたことは、かってのドイツのナチズムの中のゲッペルスが、宣伝省として国民の意見をナチに誘導しようとした構図と全く同じ思考に嵌っていたわけだ。
こういう無知な人間が、組織のトップにいるから世の中がミスリードされるのである。
そこには自分の頭でものを考えてメデイアとして何を報じて何を報じないかを峻別するという意識が最初から欠落している。
まさしく無知としか言いようがない。
こういう人間が放送界の組織のトップにいたわけで、世論をメデイアが誘導することの危険性にいささかも気が回っていなかったということだ。
メデイアとして情報を発信する側は、それを受け取る側よりも教養知性に優れていなければならないことは当然であるが、だからこそメデイアに携わる人は、普通の人よりも上に位置するという錯覚から免れないのであろう。
この錯覚こそ傲慢であり、無知であり、謙虚さの欠乏ということになる。
そしてメデイアの情報発信というのは、たった一人の人間のなせる業ではないわけで、毎日のテレビのニュース、毎日の新聞の記事というのは、大勢の人の手を経て国民の前に啓示されるわけで、椿発言が世に出るということは、その組織全体の体質が椿貞良の思考を代弁しているということでもある。
そうでなければ、そういう個人の発言が世に出回るということはあり得ず、どこかで篩に罹って削除されるべき性質のものだと思う。
そういう篩が全く機能しなかったという点にこそ、注意を喚起すべき事柄だと考える。
そして巷間には「人の噂も75日」という俚諺にもあるように、すぐ忘れ去られてしまうわけで、次から次へと同じような問題が提起されるのである。
メデイアはそういうことが飯の種なわけで、ニュースは自ら作り上げるもののようだ。
何度も言うように、メデイアには人が真面目に真面目に働いている限りニュース種は無いわけで、「犬が人を噛んでもニュースでないが、人が犬を噛めば大ニュースになる」というのはまさしく真理である。

「戦争報道の内幕」

2010-01-21 11:11:33 | Weblog
この本もいつごろ買った本だかトンと記憶になく本棚の片隅にあった。
「戦争報道の内幕」という本で、内容的にはそう古いものではない。
2004年に初版発行となっているので、そうそう大昔というわけではないが、何時ごろ読んだものかはさっぱりおぼえていない。
しかしところどころに付箋が張り付けてあるところをみると、読んだ時にはその部分で大きく感動したか感銘を受けたに違いなかろうが、記憶にはいささかも残っていない。
人間の記憶なって実にいい加減なもので、特に私のような落ちこぼれの人間の記憶力などというものは、おそらく猿以下であろう。
ひところのテレビコマーシャルでは「猿でも反省はする」というキャッチコピーがあったが、きっと猿の方が私の記憶力より良いかもしれない。
この本は要するに戦争報道とメデイアの関係を深く掘り下げた内容であったが、世界中の大部分の大衆にとって、戦争報道は嘘で塗り固められているというもので、あの第2次世界大戦中の我々の報道は「嘘ばかりだった」という現実は、我々だけのことではなく、世界的に普遍的なことであったようだ。
我々はあの戦争の反省として「報道とは真実のみを報ずるものでなければならない」という認識を新たにして、戦時中の我が報道班の報道の仕方を糾弾したものだが、あれは世界中で似たり寄ったりのことをしていたようだ。
考えてみれば無理もない話ではある。
一つの物を見るのに、視点は360度、上下左右、あらゆる方向から見ることができるのに、報道する側の人間は、自分の視線で見た一面のみを見て「これが真実だ!」と報道するわけで、報道されない部分の方がはるかに多いのに、「真実は一つだ」ということになるのであろう。
その記事を見たり聞いたりした人は、時間が経つと「あの報道は嘘を報じた」ということになりがちであるが、全く嘘を報じたわけではないが、結果的には真実の一部を報じたにすぎなかった、ということは往々にして起きることだと思う。
戦争と報道ということを論じようとすれば、丸々戦争について論じるということになってしまう。
戦争とメデイアということでも同じ結論になってしまう。
主権国家が戦争をするということは、同時に、如何にメデイアを管理するかの問題に直結しているわけで、戦場に取材班を入れるか入れないかのところから問題は生じてくる。
戦時中、我々の側では、従軍記者という呼び方で取材班が戦場にまで来ることができたが、これは国民に対して「自分たちはこのようにして敵と戦っているのだ」という宣伝に寄与するためであって、戦果の記録という性質のものではない。
自分の国がどこかの国と戦争をしている、敵と戦っているともなれば、自分の国の戦意高揚を図ろうとするのは、何処の国でも同じだと思う。
その意味でメデイアは戦争に協力させられる運命であるが、戦争中にメデイアを管理すること自体が、既に戦争遂行の一手段でもあるわけで、先の戦時中に我々のメデイアが真実だからと言って勝手気ままに自由に報道できなかったのも、ある程度はいた仕方ない面がある。
ここで問題となることが、メデイアは如何に祖国の戦争に貢献するかということで、自分の祖国が血みどろの戦いをしているのに、「自分はこの戦いに意義を見いだせないので反対だ」などと自分勝手なことは許せないものと思う。
如何なる理由があろうとも、自分の祖国が戦いをしているのならば、その戦いが少しでも有利になるように国民は尽くさなければならないと思う。
祖国が始めた戦争に対して一国民としての個人が、正悪、善悪、善し悪しを思い描いて批判することは許されても、非協力は許されないのではなかろうか。
だとすると、ヒットラーのような独裁者の言うことも無条件に聞けということになるが、「人は如何に生きるか?」と問うた時、正悪、善悪、善し悪しという価値観では測り切れない筈だ。
ヒットラーは国民から推されてトップに立ったわけで、クーデターで政権を盗み取ったわけではない。
ならばある程度の不合理・不条理を国民は甘受しなければならないことになる。
戦後の日本の平和主義の人達は、戦争に良い戦争と悪い戦争があるという認識でいるようだが、良いも悪いもなく、始まってしまった戦争ならば、勝つまで国民は徹底的に祖国に忠誠を誓うべきだと思う。
メデイアもその意味で戦争協力をすべきであるが、これは極めて難しいことで、メデイアが知り得たことを全部報道していいかというと必ずしもそうとは言い切れない。
軍事作戦というものは、秘密裏に行動しなければ効果を損なうわけで、不用意な発言で敵を有利にしてしまう報道も数多くあり、その事を考えるとメデイアの存在そのものが考えものということに落ち着く。
主権国家が敵国と戦争するということは、それこそ国を挙げての巨大な、そして国の存亡を賭けて戦うわけで、微に入り細に入って細心の注意を払って戦いを遂行している以上、そういう細かいところをメデイアに嗅ぎつけられて報道でもされたら、それこそ再起が望めない状態になりかねないことになる。
そう考えるとメデイアの扱いには細心の注意が払われるのは当然のことであろう。
これが昔のように、狼煙や、伝令や、有線電話の時代ならば前線にメデイアの人間がうろついてもさほどの弊害はあり得ないが、昨今のような情報化社会になれば、情報は一瞬のうちに地球を何周も回ってしまうわけで、それだからこそ、ますますメデイアを戦場から離れた場所に隔離しなければならないことになる。
湾岸戦争の時、CNNのテレビクルーは攻撃する側からではなく、攻撃される側から映像を送り続けてきたが、こうなるとまさしく戦争そのものがテレビゲームになり変ってしまっている。
攻撃する側もディスプレーの画面を見ながら作戦を遂行し、攻撃を受ける側、つまりイラクは、敵国のアメリカ人のテレビクルーを率いれて、「アメリカの攻撃が如何に非情か!」を全世界に向けて宣伝をするわけで、その宣伝に加担しているのがアメリカのテレビクルーときているのだから、誰が真の敵かさっぱり分からない状態になってしまっている。
湾岸戦争の時に、イラクのバクダットに入り込んで映像を流し続けたCNNのテレビクルーなどは、我々の古い価値観からすれば売国奴に匹敵する存在だと思う。
戦争とメデイアについて言えば、我々はこういう宣伝戦が実に下手くそだが、中国は実に巧みだと思う。
主権国家と主権国家の付き合いの中で、一番有意義なことは、言葉という弁舌で以て、自己の利益を保持し、面子を維持し、経費を節約し、相手に恩義と感じさせることであって、その対極にある一番下手な付き合いが、いわゆる戦争という武力行使に至らしめることである。
我々は中国とあらゆる面で深く関わり合いたいと思っているので、相手はこちらの本心を見抜いて、常に日本の上に立とうと画策し、その具体的な例が日本を戦争の加害者と見立てて、「中国人民は日本人から如何に残酷な仕打ちを受けたか」ということを世界に向かって宣伝し続けている。
これは明らかに戦争報道の延長戦線上の作為であって、対日宣伝、抗日運動の一環であるが、このように相手の急所、対中関係でいえば日本人が中国人を戦争中にいじめたという自虐意識を突くわけで、その突き方が如何にも巧妙で、我々はそこを突かれると返す言葉を失ってしまう。
こういう攻撃、つまりこういう外交交渉が国益にとって一番有利なわけで、言葉のみで相手の切っ先を制する外交手腕というのは紛れもなく一番効果的な戦争抑止力になっているということだ。
とはいうものの、中国側の論理は実に荒唐無稽なわけで、我々はこういう荒唐無稽な議論をそうそう継続できるものではなく、すぐに嫌になってしまって放り投げてしまうが、相手は延々とそれを続けて、我々が根負けするまでそれをし続けるのである。
この戦いは文字通り言葉による舌戦であるが、我々はともすると論理的に整合性のない話には最初から取り合わない気質があるので、黒を白と言い包めるような話にはついていけれない。
そういう意味では極めて淡白で、この淡白な気質が大事な時に大きく作用して、不利な立場に追い込まれてしまう。
最初に述べたように、人間が自分の見たことを言い伝えるということは、真実ではあるが真実の全部ではないわけで、伝えられたことよりも伝えられなかった部分の方が多く、結果として嘘を言ったということになりがちである。
やはり生きた人間の社会は、最初に言葉ありきであって、この言葉そのものが両刃の刃である。
人間の社会は好むと好まざると人間によって管理されており、その管理はおのずと言葉によって行われているが、社会を管理するものが戦争という政治の手法をとった時、当然、そこでは言葉によるコントロールが生まれてくることも必然的なことだと思われる。
敵の情報を伝えるのも言葉であり、味方の戦いぶりを知らしめるのも言葉であり、それを推し進めている者にとっては何を知らせ、何を黙っておくかという選択は、当然重要な課題になると思われる。
見たことを言葉で伝えようとする者は戦場に派遣された専門家、具体的な言葉でいえば戦争特派員あるいは従軍記者ということになるが、戦争を推し進めている立場からすれば、そういった人たちが見たことの全てを真実の一部とはいえ何の規制も掛けずに洗いざらい公表していいとは限らないと思う。
勝ち戦だからと言って、何でもかんでも不用意に公表すれば、相手にこちらの次の作戦を探り当てられてしまうこともあるので、やはり戦争の情報というのは、何処までも管理されてしまうことになる。
先に述べたCNNのテレビクルーが、敵側の領域から攻撃される状況を放映したということは、アメリカ政府の側からすれば明らかに利敵行為なわけで、場合によっては反逆罪に問われる可能性は十分ありうる。
これが旧ソ連邦であったり、中国であったならば、完全に極刑になるところであろうが、アメリカなればこそそれが商売として成り立っているのである。
それに比べ、ベトナム戦線ではアメリカ軍は報道陣を自分たちの陣営から取材させたが、結果的にその報道は、アメリカの内側に嫌戦気分を掻き立ててしまい、反戦運動を助長させてしまった。
当然と言えば当然のことで、自分たちの息子や夫がベトナムのジャングルを這いまわって、あまり意義の見いだない、何時終わるともわからない戦闘に明け暮れている光景を見せられれば、「こんな戦争は早く終わらせてしまえ」という世論になる。
アメリカ政府の意図としては、彼らの同胞が戦地でこんなに苦労しているのだから銃後においては彼らにもっと心の支援を送れ、というつもりであろうがそれは逆効果になったわけである。
それに引き換え、湾岸戦争では地上戦というものは極めて少なく、航空機による攻撃が主であったので、特派員やメデイアの記者を現地に送ることがなかったため、ある意味で戦争報道は締め出されてしまっていた。
この時に話題になったのが、イラクの軍隊がクエートに侵攻してきた時如何に残虐な行為をしたかというニュースをでっち上げたことがあった。
いたいけな少女にイラク軍の残虐行為をテレビカメラの前で語らせる、というヤラセの報道であるが、これは古典的な戦争報道のパターンを踏襲した見事な事例であった。
メデイアを戦争遂行に如何に貢献させるかの古典的な例であったが、そういうものを同じメデイアが再び糾弾することになったわけで、戦争報道は突き詰めれば戦争そのものだと思う。
ただ我々日本人というのは、こういうことを分けて考えたがる。
戦争は軍人の専門領域、メデイアは文章で生業を立てるもの、という風に単純に分けて眺めがちであるが、現代の国家総力戦というのは、そういう単純な社会構造では立ち行かないので、一度戦争ともなれば、国家の存立そのものが戦争というシステムの中に埋没してしまう。
我々は戦後65年間も戦争を体験していないので、戦争という概念も認識も失っているように思う。
こちらが手を出さなければ相手は決して攻撃してくることはない、と頑なに思い込んでいるので、その傾向に少しでも警告を発する発言は、寄ってたかって封じ込めようとするが、既にこの時点で戦争報道は始まっている。
日本の近隣諸国は、日本の国内のそういう報道も詳しく分析しているわけで、戦争の火の気もないうちから、相手は敵状の分析を行っている。
我々の側のメデイアは、周辺諸国に具体的な銃器の姿が見えない限り、相手を丸々信用しているわけで、それに反し、我々の内側で「万一の時はどうしよう!?」とほんの少し心配を漏らすと、もう軍国主義の復活だと大騒ぎする。
この感覚のズレ、認識のズレをどういう風に考えたらいいのであろう。
あの戦争中に、日本の新聞が嘘ばかり報道していた、ということは戦後よくよく事情が分かってみればいた仕方ない面があったことは否めない。
それと同じ報道は世界中で同じようにあったわけで、日本の報道だけが特に極端な嘘を故意に流していたわけではないということは分かった。
戦争中の報道が嘘であったということとは異なる次元で、平和時においても自国の利益のために宣伝的な報道を恒常的に流すという政策も当然ありうるわけで、その典型的な例が、中国の抗日戦の抵抗を展示した各種の博物館である。
嘘も百万回も唱えれば真実になってしまう、というれっきとした証拠であるが、これなども中国側が明らかに報道の面で臨戦体制でいるということに他ならない。
我々は戦争と平和をきちんと分けて考えたがるが、銃器が目の前に出てこない限り、それは平和な状態だと思い込んでいる。
これは完全に認識にズレているわけで、銃器など目の前になくとも既に言葉の戦いが始まっているということに全く無頓着である。
戦争で一番上手な戦いは銃器を使わない戦争であって、それは外交交渉で国益を維持、乃至は守ることであって、外交交渉そのものが既に言葉の戦争であるが、戦後65年を経験した我々は、この部分に極めて疎い認識しか持ち合わせていない。
戦後65年間も実際の戦争を真剣に考えたことがないので、どういうことが国益で、どういうことが相手を利する利敵行為かということすらわかっていない。
戦争という言葉を安全保障という言葉に置き換えると、何となく緊張感が和らいでしまって、神経が弛緩してしまう。
戦争という言葉を使うと、戦場で鉄砲が火を吹いている光景を思い浮かべるが、安全保障というと円卓を囲んだ国際会議というイメージを彷彿させる。
ところが、こういう認識そのものが実に甘い。
しかし、我々の戦後65年を見ると、国益が少々犯されても、国民の大部分はのほほんと生きてこれたわけで、その事によって命を張って鉄砲をぶっ放すことなどナンセンスだという認識であろうと思う。
民族の名誉や誇りで生きていけるわけでもなく、明日から食うものが全くなくなるわけでもなく、そういう時でも誰かが何とかしてくれるに違いない、という極めて楽天的な思考にどっぷりと浸かっているのが現状だと思う。

「謀殺・下山事件」

2010-01-18 14:11:25 | Weblog
例によって買い物に行ったスーパーの本屋で買った本であるが、標題に大いに惹かれた。
「謀殺・下山事件」。
この事件に関しては前々から関心を持っていたが、おぼろげながらの記憶では、確か松本清張もこの事件に関して本を書いていると思った。
この本の著者は矢田喜美雄という人だが、奥付きによると朝日新聞の記者だったということだ。
朝日新聞の記者の書いたものというと、読む側としてはどうしても構えてかからねばならない。
世間の人は当然皆知っているであろうが、朝日新聞は明らかに偏向しているので、その偏った部分を自分の裁量で修正しながら読まねばならないので、大いに気を使う。
で、下山事件というのはあまりにも有名な事件で、未だにその真相が解明されていないという実に不可解な事件である。
昭和24年、まだ占領中の日本国有鉄道で大量の人員整理、今の言葉でいえばリストラであるが、それを迫られた国鉄総裁の下山定則氏が常磐線の五反野駅近くで轢死体で発見されたというものだ。
それを誰が実行したかが未だに解らないわけで、この著者も含め松本清張らの見解も、アメリカ軍の陰謀ではないかという論調である。
当時の状況から考えると、朝日新聞や松本清張ならずともそういう結論に達するのが一番妥当のようでもある。
昭和24年という年は一体どういう年であったのだろう。
年表をひも解いてみると、この年の7月1日に国鉄が9万5千名の人員整理を発表し、それから7月6日に下山事件、7月15日に三鷹事件、8月17日に松川事件と、立て続けに国鉄に関する大事件が起きている。
この流れを見てみると、当然、普通の日本人の認識からすれば、これらの事件は共産党の革命の一環ではないかと考えるのが必然的な流れだと思う。
こういう先入観で物事を見てはならないということは重々分かっているが、昔からよく言われているように「火の無いところに煙は立たない」わけで、普通の人が「これは臭いぞ!」と感じたとするならば、そこには何か火種があると勘ぐりたくなるのも人情というものだと思う。
日本国有鉄道はこの年の6月1日に発足したばかりで、下山定則氏はその初代総裁としてわずか1カ月しかその職についていなかったということになる。
この年に起きた3つの大きな国鉄関連の事故は、どうしてもこの人員整理に伴う共産主義者たちの反政府運動、反体制運動、抵抗運動という流れで見ないことには整合性が成り立たないように思う。
そもそも日本が敗戦を迎えたことにより、国鉄以前の国家直属の鉄道、鉄道省と言っていたころの事業主体は、引揚者や復員兵を一手に引き受ける受け皿でもあったわけで、そのことによって多くの余剰人員を抱え込むことになっていた。
それがこの日、いわゆる1949年、昭和24年6月1日を以て、日本国有鉄道として半官半民の公共事業体として衣替えしたということなのであろう。
この時に余剰人員を整理しようとしたわけで、それに対して労働組合側が猛反発をしたということであろうが、問題はこの労働組合の中になぜ共産主義者がかくも多く入り込んだかという点である。
終戦に伴って外地からの引揚者や戦場から復員してきた若者に当座の職を与えるという点では当時の国有鉄道の存在価値というのは大きなものがあったに違いない。
戦後の復興を目指すにあたり、国の鉄道経営もスリム化しなければならないことは誰の目から見ても必要不可欠の事柄ではなかったかと思う。
この時代の国鉄マンは自分の職業に非常な誇りを持っていたように思う。
例えば、広島に原爆が投下されても鉄道は真っ先に普及したであろうし、終戦の詔勅がラジオで放送された時でも東京の省線、いわゆる山手線はいつもと変わらず動いていたと言われている。
このことは当時の国鉄マンが自分の職業になみなみならぬ誇りを持って職務を遂行していたわけで、昔小学校の先生が聖職と言われたように、鉄道マンも自分たちの仕事を恐らく聖職と捉えて、そう認識していたのではなかろうか。
ことほど左様に、聖職としての理念をただの労働として、働く意欲のもとにある精神を卑下し、格下げをしてしまったのが戦後の民主主義であったわけで、戦後の民主主義という言い方は、私に言わしめれば非常に甘い言い方で、私が言うとすれば共産主義の廉価盤というものに当たると思う。
基本的に学校の先生の労働組合、日教組をはじめとする国鉄内の様々な組合が共産主義者に占領されてしまったから、本来聖職であるべきものがただの労働者に成り下がってしまったのである。
敗戦によって旧国鉄が一時的に引揚者や復員兵を吸収したが、戦後の復興ではそういう人を再び野に放ち、経営主体をスリムにしなければならなかったわけで、そこで労働組合の大きな抵抗にあうわけであるが、問題はこの組合員の中の過激分子としての共産主義者の立ち居ふるまいである。
戦争中に治安時事法で牢屋に拘束されていた共産主義者の数はそう多くはないと思うが、それが戦後になって、占領軍により政治犯の解放がなると一気に巷にあふれ、今にも革命が起きるかのような状況を呈するということは、一体どういうことなのであろう。
戦時中にもこれだけの人が隠れ共産党員として巷に隠れ、国防婦人会とか、挺身隊とか、それぞれの部隊の中で自分の信念を隠して潜んでいたのだろうか。
私個人の見方としてはそうではなく、状況に合わせて自分の身の振り方を当意即妙に使い分けているのではないかと思う。
それは共産党員のみではなく、我々日本民族として、民族ぐるみで時代の時流に便乗することを狙っているわけで、共産主義者の動きも、この時流という大きな川の流れの中の数ある渦巻の中の一つの渦に過ぎないと思う。
我が日本民族というのは、どうも民族全体として付和雷同する民族的な潜在意識を内包しているようで、それは海や川に住む小魚の群れが、何かのきっかけで一斉に方向転換する図と同じで、同じ仲間として群れで行動したがる習性があるようだ。
自分一人では何も決断できず、何も定めることができず、何処に行ったら良いかもわからないわけで、常に「人の振り見て我が振り直す」という性質が我が民族の特質でもあるようだ。
だから戦前の我が同胞、我が民衆、我が大衆の動きを観察すると、軍国主義が時流になると我も我もとそれに群がり、ある意味で「バスに乗り遅れるな」という現象になり、戦後になってベクトルが逆向きになって共産主義がはやり出して、これが一世を風靡し、時流の上昇気流になりそうだと思うと、猫も杓子もそちらになびくという現象を呈したものと私は考える。
そうでなければ、治安維持法が廃止されてほんのわずかな時間でこれほど共産主義者の天下が来るとは思えないではないか。
共産主義者のいう世直し、いわゆる革命というのは、まず前提条件として既存の秩序を木っ端微塵に砕くことから始まるわけで、日教組や国鉄の組合を占拠した共産主義者たちは、ここにエネルギーを注ぎ込んでいたわけだが、これはやっている方としては実に楽しいゲームであろう。
既存の秩序を木っ端微塵に壊されては、既存の体制としては叶わないわけで、当然のこと、その防衛に当たる。
こうした状況では当然二つの対立軸が屹立するわけで、この時問題となってくるのが知識人という部類の人種の存在である。
日本の知識人というのは果たして本当に知識人なのであろうか。
これは戦後の左翼運動に関してばかりではなく、戦前・戦中の軍国主義の潮流に対しても、知識人が本来兼ね備えているべき理性、知性、知恵、学識経験というものが一向に機能しておらず、軍人のサーベルの音に委縮して縮み上がってしまっている図でしかないではないか。
戦後は戦後で、共産主義者のやることなすことに非常に寛大で、「彼らが怒り狂うのはいた仕方ないので体制側が反省すべきだ」などと無責任極まりない言辞を弄している。
戦後においても、彼ら知識人としての本領、本質はいささかも発揮されることなく、ただただ数の多さに引っ張られて時流に迎合するのみでしかない。
知識人として一般大衆から崇められ奉られている存在ならば、その持っている理性、知性、知恵、学識経験でもって、浮ついた思考や軍人の狭量な思考に対して堂々と立ち向かって、その非を説いて回らなければならなかったと思う。
日本の敗戦ということで、進駐軍が上陸してくると、今まで鬼畜米英と教えられていたことが全く嘘で、占領軍、昨日まで敵であったアメリカの兵隊たちは、チューインガムやチョコレートをふんだんに振りまく陽気なヤンキーであったわけで、そこではじめて自分たちは、自分たちの為政者に騙されていたということを悟るわけである。
その意味で終戦直後の我が同胞が自らの政府を信用ならないと思い込むのも必然的な成り行きではある。
そして昭和24年6月1日に、今まで政府直属の鉄道から公共事業体としての日本国有鉄道として衣替えして再出発するその最初の総裁に下山定則氏が成り、就任一カ月で何者かに殺されてしまったが、その後にも次から次へと不可解な鉄道事故が起きるともなれば、共産党と共産主義者が真っ先に疑われるのも当然のことだと思う。
テレビの刑事ドラマではないが、下山定則氏を抹殺したとして一番利益を得るのは一体誰であろう。
誰が下山氏を抹殺するほど恨んでいるのであろう。
この本の著者も松本清張氏も、はっきりとは断定していないが、この事件の後にはアメリカの謀略があるのではないかという見方をしている。
だとすると、アメリカ占領軍の誰が、どういうセクションが、どういうポストが、彼を抹殺することに価値を見出しているのであろう。
彼は殺される前日に、9万5千人のリストラは申し渡して、その役目はすでに果たしてしまったわけで、その後で彼を抹殺しても意味がないと思う。
あの事件の評価として、彼が抹殺されたことであとの人員整理がスムーズに捗ったといわれているが、ならば彼はその人柱であったということなのであろうか。
しかし、これに類する不可解な事件は、その後立て続けに起きているわけで、下山事件だけがその後のリストラにまつわる2つの事件の露払いであったとは思えない。
三鷹事件も松川事件も、共産党員が関与しているのではないかという疑惑は最初からつきまとっていたが、結論的には証拠不十分ということで犯人と思しきものは無罪となっている。
証拠が見つからなかったので、容疑者は無罪というのは、今日の裁判のシステムでは致し方ないが、被害者、殺された側はこれではあまりにも可哀そうだと思う。
戦後の民主的な日本の裁判では、被害者の無念さよりも、「疑わしきは罰せず」として、生きている悪人の方により寛大な判決を出して由としているが、この現実を見聞きする真犯人の心境はいかばかりなのであろう。
容疑者ということは真犯人かもしれないわけで、ただ証拠の整合性が確立されないというだけで、自分で手を下したものとして、どういう心境でその後を生きるのであろうか。
この下山事件に関しては、容疑者も真犯人もわからないまま時が過ぎてしまったわけで、その上捜査が途中で中断されるということは、如何にも不自然さが目立つ。
この捜査が中断されたという点からして、この著者も松本清張も、上からの圧力でそうなった、ならば当時の状況からしてアメリカ占領軍いわゆるGHQからの圧力であろうと推測しているわけである。
当時、警察の捜査に圧力を掛けれる存在というのは確かにアメリカ軍しかいない筈で、だとするとアメリカ軍GHQは下山氏を抹殺することにどういう意義があったのだろう。
9万5千人のリストラは下山総裁の問題ではあるが、アメリカ占領軍の問題ではないし、GHQの問題でもないわけで、その意味で一番現実味のある見方が、国鉄の組合員の怨恨という線が一番妥当性に富み、説得力がある。
ところで、我々の民族の死生観というのは実に残酷な面を秘めているように思えてならない。
自分の思う通りにならないときは相手を殺す、という極めて直截的で残酷な発想は、我が民族の若者の間に執拗に潜んでいるように思えてならない。
戦前の旧陸軍の若手将校の反乱から、特攻隊で散華していった若者、はたまた戦後の全共闘世代の若者が引き起こした凄惨な事件まで、日本の若者の死生感には一本の共通した筋があるように思う。
それは「公に殉じる」というもので、「公に殉じる」ためには自分の命などいささかも惜しくはないという感情であるが、この感情が他者に向かうと極めて残酷な行為まで容認するようになってしまう。
命など惜しくはないという感情が内に向くと、神風特別攻撃隊として敵艦に体当たりする行為になるが、外に向くと「問答無用」として一刀のもとに切り捨てる行為になるわけで、その奥底にある精神の糧はともに「公に殉じる」という思考である。
戦後の全共闘世代にもそれと同じものがあるというのは納得できないと思う方も多いと思うが、彼らが角棒を振ったのは、それが基底にあったからだと元赤軍派の幹部がテレビカメラの前で述懐していた。
「公に殉ずる」気があるならば、何故あのような無意味な破壊を繰り返したのだ、という論理になるが、彼らは純粋に革命を夢見ていたわけで、その意味で彼ら自身は公に殉じるつもりでいたが、彼らを取り巻く取り巻き連中は、彼らの本音を理解することなく、統制を無視して行動したと言っていた。
何のことはない、昔、日本軍の関東軍というのが政府の言うことを無視して独断専行して日中戦争を引き起こした構図同じだということだ。
これに見るように、テロに走る人間にも、彼らなりの論理はあるわけで、「公に殉ずる」という言葉は、実に使い勝手の良いフレーズではある。
この伝でいけば、国鉄総裁を血祭りにあげるというのも、ある種のテロだとすると、それを実効あらしめたのは国鉄の組合員、中でも強力な共産党細部ではなかろうか、という結論は必然的に出てくる。
この事件のあとの二つの事件では、それぞれに容疑者も逮捕されているが、この事件に関しては一人の容疑者も割り出せないというのは実に不可解であるが、それにもまして捜査が途中で打ち切られたという点がなおのこと不可解千万である。
今考えると、この頃の警察の捜査にも相当に大きな瑕疵があったのではないかと思う。
というのは警察機構がアメリカによる占領期間中ということで国家警察と自治警察に分離していた時期で、お互いの意思の疎通もままならぬ時期であったに違いない。
この事件の結論としては、アメリカのCIA辺りが日本人の労務者を使って引き起こした事件ではないかということになっているが、案外このあたりが真相かもしれない。
しかし、そうだとするとアメリカは何故下山定則氏を抹殺しなければならなったのであろう。
彼らから見て、下山氏を殺して得になるようなことは何もないように思うが、その意味からも不可解な出来事といわなければならない。

「インターネットと中国共産党・『人民網』体験記」

2010-01-15 07:57:23 | Weblog
近くのスーパーに買い物に行ったついでに、そこの本屋さんの文庫本のコーナーを覗いた時、偶然目にとまったので購入した。
「インターネットと中国共産党・『人民網』体験記」という表題である。
著者の佐藤千歳氏は、読み始めるまでは男か女か名前では判断しかねたが、読み進めていくうちの女性ということが分かった。
北海道新聞の記者であったが、2005年に中国の「人民日報」の下部機関というか、「人民日報」のインターネット部門、いわゆる「人民網」に出向という形で中国に渡った人の体験記録であった。
いわば中国に関する最もホットなルポルタージュという面を併せ持っているコンテンツである。
奥付けによると、著者は1974年生まれということなので、まだ30代半ばの女性ということで、いわゆる過去の中国というのは実体験していない世代ということになろう。
しかし、如何なる国でも、この世代というは現実の社会を切り盛りする最も活性化に満ちた世代ということは言えるであろう。
21世紀の日本では、もう既に共産主義の神話は色を成していないが、中国では依然とその勢力が生きており、社会全体にその威光を放っているということを縷々述べている。
日本と中国の関係は、昔も今も綱引きの綱のようにあっちに寄ったりこっちに寄ったりと不安定であるが、それぞれの民族が違う以上、当然のことであるに違いない。
この吸引力の強弱、綱引きの綱の緊張状態そのものが国益を具現化しているが、我々の側にはその認識が非常に希薄だと思う。
我々には国益の象徴である国の威光、国家の威厳、民族の誇りというものがないので、その面を相手側から侮られても、敵がい心さえも湧いてこない。
経済の関係が破壊されない限り、民族の誇りも、国の威光も全く眼中にないわけで、ただただ貿易面に支障がない限り安穏と構えている。
日本人と中国人の関わりを論ずる段になると、相手は必ず「日本の侵略」というキーワードを出してくるが、私に言わしめれば、これは中国という国が歴史を政治および外交のツールとして見做している、としか思えない。
19世紀後半から20世紀そして21世紀という時の流れの中で、中国という国を眺めてみると、当然、日中戦争がその最初に出る言葉ではあるが、この時期の日中戦争の中では、中国国内の国共内戦というものが大きくのしかかっているをことを考えなければならない。
南京の虐殺博物館で見せられる展示は、対日戦、彼らの言い方では、抗日戦の悲惨さを強調しており、その中で日本の残虐行為のみが強調されているが、彼らの国共内戦の中ではこういうことが一切なかったのかと言いたい。
しかし、先方にしてみれば、自分たちの戦争の悲劇を全部日本の所為にしておけば、政治的にも外交的にも有利なわけで、そういう教育をそれ以降も引き続き行っているということなのであろう。
我々が広島や長崎の原爆(平和)記念館に、被爆直後の写真を展示して「これがアメリカの残虐性だ」、「アメリカ人はこれほど残虐な人たちだ」、「だからその怨念を決して忘れてはならない」と、青少年に言い続けている図である。
時の経過は日本人も中国人も見事に公平に享受しているわけで、その同じ時の経過の中で、一方はいつまでもいつまでも被害者意識を誇示し続け、もう一方はきれいさっぱり忘れてしまっているわけで、この両者が心を一つにするなどということがこれから先ありうるであろうか。
第2次世界大戦というのは1945年に終わったはずであって、それ以降我々の国は一度も戦争という武力行使をしたことがないが、中国ではそれ以降も国共内戦が続き、共産革命は長引き、朝鮮戦争を支援し、周辺諸国に兵を出し、文化大革命では彼らの同胞を数限りなく抹殺しておきながら、日本のしたことだけを後生大事に誇示し続けるという態度を我々はどう考えるべきなのであろう。
「あの展示を引っ込めよ」という要求は、確かに内政干渉になるので我々の側として言い出せないが、その思いに彼らがうすうす気がつきながら、歴史を政治・外交の道具として使い続けるということは、中国人の政治巧者の本領発揮という確たる証拠であろう。
我々の側が、我々の犯した過ち、民族の汚点に自虐的な改悟の気持を持っていることを知った上で、彼らはそれを上手に利用し、自分たちの被害者意識を政治のツールにとして利用する魂胆で展示し続けていることは明々白日だ。
そこが歴史を政治・外交のツールとして使っているれっきとした証拠という訳だ。
国共内戦の惨状というのは、彼ら自身がお互いに殺しあった事例なわけで、その事については殺した側も殺された側も、同じ同胞であったので、何ら問題がないが、異邦人としての日本人にやられたことは、子々孫々に至るまで怨嗟の気持ちを持ち続けようということだろう。
そしてそれを未来の自分たちの子供に対しても教えるというのだから、われわれの感覚からすれば理解に苦しむ行為であるが、彼らにはその感覚は悟り切れるものではない。
この本にも言葉の端はしに出ているが、今日、21世紀の今日においても、彼の国では見事に階級闘争が生きているわけで、あの共産主義革命は一体何であったのか、文化大革命は一体何であったのか甚だ不可解ではないか。
毛沢東の共産主義革命は階級闘争であって、社会から貧富の差を排除するのではなかったのか。
階級の差を無くすことにあったのではないか。
あの革命は、ただただ資本家を殺し、土地所有者を殺し、金持ちを殺すだけだったのかと言いたい。
戦争が政治の延長であるとするならば、革命も政治の延長線上にあるわけで、だとすれば階級闘争とか平等社会も政治的なスローガンの一つに過ぎず、政権を取りさせえすれば後は為政者の保身のみが残ったということなのであろうか。
中国という広大な土地を一括管理しようとすれば、誰がそれに挑戦しようとも並大抵のことではない、ということは彼の地の歴史が証明している。
毛沢東がいくら共産主義を基調とする政策を実施しようとしても、全ての地方で毛沢東の統治が行き渡るということは極めて困難なことで、困難であればこそいくら暴力で以て地方の人士を抑え込もうとしても、地方には地方の処世術が生き残るわけで、それが基本的には汚職とか贈収賄という形で統治の内側に潜伏してしまうに違いない。
この本にも描かれているように、それが「人民日報」の群集工作部という形で苦情処理の機関になっているようであるが、こういう機関が十分に機能しないところが、中国の中国たるゆえんである。
「人民日報」というのは、中国共産党の正式の広報機関であって、その中の群集工作部というのは、民衆の不平不満を吸収する機関なのであろうが、所詮は民主主義というものが皆無の中で苦情を受け入れようとしても、為政者にしてみればそんな苦情があること自体苦渋の状況なわけで、自分たちの施政に苦情の存在そのもの許されていない筈だ。
この本の中には、建国60周年記念のことも描かれているが、基本的にこの国には民主主義というものは存在していないわけで、あるのは共産党による独裁政治のみ。
人々は皆ヒラメやカレイのように上ばかりみているようである。
著者が出向した「人民網」というのは「人民日報」のインターネット版なわけで、「人民日報」の記事を各国語に訳して発信するというものであるが、ここで働いている人はそれぞれに外国に留学経験を持っているようなエリートであるにもかかわらず、そういう人たちが自分たちの現状を内側から刷新するという気遣いは微塵もない。
ただ宮使えの習性として自らの保身にのみ汲々して、大過なく過ごすという惰性に陥っている節がある。
悠久の中国の歴史を鑑みれば、一人や二人の力で大勢に変革を与えることは難しいことはよくわかるが、毛沢東はそれを行い、それに成功したわけで、インターネットという21世紀の武器を使えば、今までの歴史ではし得なかったことも可能になるのではなかろうか。
日本では今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が話題を沸騰させているが、あれに登場する人々は、個人の至福よりも公の至福を優先させたわけで、それが日本の近代化を推し進めた潜在能力となったものと私は考える。
ところが中国では、昔も今も、個人よりも公を優先する考え方が全くないわけで、孫文も、蒋介石も、毛沢東も、頂点に上り詰めたら最後、公、公民、大衆、民衆という存在を忘れてしまった。
「人民網」という21世紀の最先端の技術集団に身を置く中国の善男善女も、自分の立身出世のみにうつつを抜かして、公民のためという意識は微塵も持っていない。
自分が特権階級になったら最後、後の人のことなどきれいさっぱり忘れてしまっている。
「民主主義が未熟だ」という意味で、中国は先進国から何時までも糾弾され続けているが、その意味からすれば、中国には中国の事情というものがあることは理解できる。
あまりにも国土が広すぎて全国を均一的に統一できないという地勢的な面もあると思うが、それは今までの歴史ではそうであるかもしれないが、これからはインターネットという情報伝達のツールができた以上、大きく変わってくるかもしれない。
日本でも過疎と過密の問題が大きくなりつつあるが、我々の場合、社会的なインフラ整備が行きわたった結果として人々は都市に集中してしまったが、彼の地の場合はその逆で、社会的なインフラが未整備であるが故に地方が取り残されているわけで、それに制度そのものが輪を掛けている。
そもそも如何なる民族でも食料を生産する階層が社会の基盤を形造っているが、民主化の遅れたところほど、この認識が遅れており、農村に対する手当が立ち遅れている。
共産主義の中国では、農民の存在が政治的なパフォーマンスの中では誉めたたえられているが、現実においては農民など人間の内にも入れておらず、まるで大昔の農奴という認識でしかないではないか。
文化大革命のときは、都市のインテリー達に対して、刑罰の意味で農村に下放と称して送り出したわけだが、ならばその地で営々と農業に勤しんでいた農民は、生涯牢獄で暮らしていたということになるではないか。
下放に出されたインテリー達も、農村での生活は十分に刑罰に値したわけで、彼らは彼らで一刻も早く都会に帰ることを切望していたことから考えると、農村が人の住む場所ではないということを身をもって体験したことになる。
ならばそういう人たちを救い、農村の現状を何とかしよう、という運動も起きていないわけで、突き詰めて言えば、インテリーはインテリーで農民を自分たちと同じ人間だとは見做していないということになる。
共産主義の社会になっても末端の地方では汚職や贈収賄が頻繁に起こっているということは、主義主張で人々の有史以来の考え方が安易に変わるものではなく、そういう内面にこそ有史以来の人間の英知と知恵が埋もれているということなのであろう。
共産主義社会になっても汚職や贈収賄がなくならないということは、人々が公平で、民主的で、なおかつ公明正大な社会を信じていないということであり、その根底にある思考の澱としては、賄賂を使ってでも自分一人が良い目を見たい、という人間の根源的な願望であろうと想像する。
汚職や賄賂が横行するということは、考えてみれば人間の潜在意識に根差しているわけで、人と同じことを同じようにしていては何時までたっても利益は回ってこないということで、そういうものを受け取る方は受け取る方で、自分の努力が自分に報いてくれるし、送る方は送る方で目先の利益がかなえられればそれはそれで良いわけで、両方がそれぞれに得するのである。
これに対する不満は、送った側が送っただけの価値を得られなかったときに出てくるにちがいない。
その不満が集積すると衆を頼む暴動となるわけで、中国の為政者にとってはこの暴動が一番怖いわけである。
中国の為政者にしてみれば、自分たちも暴力で政権をとったので、次の世代が自分たちに対して暴力で迫ってこれた時には甚だ困るわけだ。
先に述べた日本への怨恨は、こういう暴動のガス抜きの機能も併せ持っているわけで、その意味でも中国の為政者は対日批判というものを政治のツールとして使い分けているのではなかろうか。
日本が昭和の初期という時期に中国に対して理不尽な振る舞いをしたことは確かに事実の一部ではあろうが、あの時の時代状況を考えれば、中国人が日本人に対して一切の暴力沙汰をしていないということも言い切れないわけで、単刀直入に言えば喧嘩両成敗と言うべきところであろう。
けれども、相手はそれを素直には聞き入れないことも確かである。
我々の国は今更国威とか国益ということを言うつもりはさらさらないが、先方はそうではないわけで、国威も国益も立派に生きているので、今なお国威掲揚になみなみならぬ努力をしている。
大陸間弾道ミサイルを建国60周年には堂々と展示して、「自分たちの国はこんなに強いのだぞ」ということを内外に誇示しているのである。
毛沢東の言葉に、「中国は核戦争を少しも恐れてはいない、一億の民が核戦争で死んでもあと十億残っているから」というものがあるが、こういう国とは基本的に平和外交ということはあり得ない。
南沙諸島のような小さな島の帰属問題でも、話し合いをするよりも武力行使を先にされれば日本としては対処の仕方がないわけで、いくら国際的な論理や倫理を説いたところで、結論は一目瞭然である。
我々は太古の大昔から中国に対しては常に慎重に対処してきたが、昭和初期の日本の軍部は、その日本の伝統を軽んじて、相手を見くびった行動をしてしまったので、先方の怨嗟の感情を逆撫でしてしまった。
そして我々の民族は、有史以来、羨望の眼差しで中国を見ていたことが戦後になってもそのまま生きていたわけで、その分、寛大な対処の仕方になってしまっている。
太古の昔は、日本の文化は中国から流れてきた関係上、我々は中国を師と仰いでいたが、明治維新を経ると立場が逆転したと勘違いしたのが日本の昭和初期の軍人たちであった。
この我が同胞の思い上がった軍人たちが日本から消えると、今度は、中国に対して贖罪意識で凝り固まった人たちが中国との関係を云々するようになった。
そこでこういう贖罪意識で凝り固まった人たちは、先方が被害者意識をちらつかせると、蛇に睨まれた蛙のように思考停止に陥ってしまう。
中国は、私のような世代の人間からすると、人倫に長けた大人の国で、道義的には極めて寛容な国だと思っていたが、現実は極めて功利的な国であって、究極の合理主義の国でもあったわけだ。
その顕著な例が、歴史認識を政治や外交のツールと見なす点である。
自分の国の反日感情を、対日外交の局面に合わせて、出したり引っ込めたり、煽ったり抑制したり、と自由自在にコントロールするのである。
その意味では中国人の政治というのは実に大人の貫録が備わっており、我々のように単純明快な部分はいささかも存在しない。
考えてみれば、我々は中国大陸における戦いでは果たして本当に負けたのであろうか。
満州では1945年8月9日にソ連軍の侵略を受けたことは確かであるが、その他の中国の地で日本軍は東シナ海に突き落とされたであろうか。
点と線であったとしても、日本軍は彼の地で戦闘を継続していたわけで、決して負けていたわけではないと思う。
思えば、この時点で中国の人々は国共合作で抗日戦を戦い抜いていたことは確かであるが、この日から彼らの行ったことと言えば、彼ら同士で、彼らの同国人同士で、彼らの同胞をお互いに殺しあったわけで、この時の惨状、惨劇までを日本軍の所為にして、反日感情、排日感情を煽るということは、如何にも中国人らしい政治巧者である。
日本が高度経済成長を達成したころ、国内では人件費が高騰して、物作りを人件費の安い中国にシフトしたが、こういう点にも我々の同胞の読みの浅さ、先見の明の無さ、目先の利益に目を奪われるという政治と経済の稚拙さがよく出ていると思う。
中国からあれだけ叩かれ、悪口を言われ、金(ODA)をむしり取られてもなお日中友好と呪文を唱えている愚は何と説明したら良いのであろう。

「小説帝銀事件」

2010-01-12 10:04:34 | Weblog
年が明けてから近所のスーパーに出かけた際、そこの本屋で購入したものであるが、表題に魅せられて購入した。
「小説帝銀事件」。
著者は松本清張。
私は個人的にはこの作家をあまり好ましく思っていない。
というのは彼は共産党と共産主義に極めて寛容なポーズをとっていたからである。
この本の後ろの方の解説によると、この本の初版は昭和34年に文芸春秋社から出た単行本となっており、昭和34年と言えば西暦で1959年、今から50年前、半世紀前の作品ということになるが、この後から松本清張は「日本の黒い霧」というシリーズを出したとなっている。
この「日本の黒い霧」シリーズを全部読んだわけではないが、ここに流れている彼の思想は反政府、反体制、反自民、反資本主義というものであって、このころの時流に見事に符合している。
逆に言うと、時流に乗ったから彼が人気作家であり続けたとも言えるし、彼がうまく時流に便乗したともいえる。
彼の場合、有名な大学を優秀な成績で卒業して作家になったわけではなく、新聞社の中で長い下積みの生活を経て作家デビューを果たしたわけで、その意味からして彼が左翼的な思考に傾倒するのも無理からぬ面が無きにしも非ずである。
あの時代に青春時代を経験したものならば、大なり小なり左翼系の思考に陥ることは無理もない話で、自分でものを考える人ならば、必然的に時の時流に翻弄されてもいた仕方ない。
そういう面を頭の隅に入れたうえでこの作品を読むと、やはり体制批判のニュアンスが見え隠れしている。
帝銀事件そのものは戦後に生きた日本人ならば誰でも知っている大事件である。
東京都の衛生局の人間と偽って行員に青酸カリを飲ませて金を奪ったという事件そのものは当時の日本人ならば誰でもが知っているが、問題は真犯人、平沢貞通が本当にそれを行ったかどうかである。
この本の著者松本清張はどうもそうではなさそうだと読者を誘導するように物語を仕向けている。
その延長線上に、裁判が正しかったかどうかという問題点をあぶり出そうとしているが、私も国家体制のすることなすことが全部どんな場合でも正しいなどとは考えていない。
現に我々が戦争に負けたということは、国家のすることなすことが間違っていたというれっきとした証拠なわけで、だから為政者の言うことを信じてはならない、ということは歴史の教訓としての経験則だと思う。
日本の戦後の時代というのは、アメリカ進駐軍に占領されていたという事情もあって、不可解な事件が多発したことは紛れもない事実であるが、だからと言って自分の祖国、現実の統治機構に楯ついても意味を成さない。
この本にも縷々述べられているように、平沢貞通は紛れもなく虚言癖があり、普通の人とは倫理観が大きくずれているわけで、だから抹殺しても良いということにはならないが、冤罪として処断するには問題がありすぎると思う。
著者はこの本の中ではっきりとそういう主張を展開しているわけではなく、そのニュアンスをほのめかしているだけであるが、その後の日本の犯罪史の中では冤罪ということが大きく取り上げられる機会が非常にたくさん出てきた。
名張の毒ぶどう酒事件も結局は犯人は誰かさっぱり分からないということになってしまったし、国鉄にまつわるもろもろの大事件も結局は犯人とされた人たちは証拠不十分で無罪となってしまった。
こういう冤罪にまつわる問題で、世間、いやもっと正確に言えばマス・メデイアと言うべきであろうが、こういう勢力は冤罪事件の責任を警察に負わせているが、これは根本的な誤りなのではなかろうか。
警察が犯人を逮捕したといったところで、その時点ではまだ犯人と断定されたわけではく、犯罪の容疑者に過ぎないと考えられる。
その容疑者に対してさまざまな証拠を示して、「確かにお前が犯人だな」と本人に納得させて検察に送致するのではなかろうか。
その後の裁判で以て犯罪者として確定し、そこで犯人に間違いないということで、刑が言いわたされる、という流れなのではなかろうか。
私はこういう刑事事件の取り扱いに習熟しているわけではなく、ただテレビドラマを見て想像して言っているにすぎないが、私自身は、警察を擁護する筋合いは毛頭なく、そういう義理も微塵も持ち合わせていない。
だが、冤罪事件に関する報道は、警察を糾弾するものばかりで、裁判を批判する者は極めて少ないのが不思議でならない。
冤罪の根源は、私の想像によれば、裁判官が負うべき性質のものだと思う。
裁判が警察の言うことを鵜呑みにするから、してもいないものが犯人にさせられて刑に服すというバカなことが起きるのではなかろうか。
裁判官は、本来の職務である裁判の過程の中で、警察による自白の強要があったかなかったかを調査するのは当然のことで、警察の行きすぎがあったとしたならば、この時点で明らかにされて当然だと思う。
裁判の中では当然弁護士も立ち会っているわけで、裁判官がいて、検察官がいて、弁護士がいて、この三者が一生懸命その犯罪の本質を審議して、結果的にそれが間違いだった、被告は犯罪を犯していなかった、などというバカな話があってたまるかと言いたい。
ならばこの三者、裁判官、検察官、弁護士は一体何を審議したのだと言いたい。
警察は刑の確定には立ち会っていないわけで、それなのに冤罪の責任が警察にあるというのは論理的に不合理ではないか。
この帝銀事件に関しては、私の頭の中に、旧陸軍の731部隊の関係者の仕業ではないかという漠とした思いが抜けきれないまま残っている。
それも松本清張氏の本を読んだ記憶かもしれないが、この犯罪の手口からそういう連想が湧き起こるのも時代背景を知っているものの習性なのかもしれない。
松本清張氏は,この時期のこういう難解な事件にメスを入れるという意味では大活躍をした作家ということになろうが、その心の奥底には自分の祖国の統治者を信用してはならない、という毅然たる意志を秘めていたようにもみえる。
あの戦争で生き残った者、生き抜いた者という立場からすると、無理もない話かもしれない。
未曾有の試練を掻い潜って生き延びたことからすれば、自分たちの政府、自分たちの行政、自分たちの指導者を決して信じてはならない、という思いが心の内に沈潜化するのも無理からぬ話なのかもしれない。

「台湾・朝鮮・満州・日本の植民地の真実」

2010-01-11 09:36:04 | Weblog
例によって自分の本箱から目に付いたものを引っ張り出して読んでみた。
「台湾・朝鮮・満州・日本の植民地の真実」という本で、これもいつ購入したかトンと記憶にない。
著者は黄文雄氏。
テレビの映像で彼の姿を垣間見たことがあるが、その風貌は独特の雰囲気を漂わせていた。
台湾生まれの学者であるが、読んでいるとお尻がむずがゆくなるぐらい日本びいきで、我々の先輩諸氏に対して敬虔な思いを語ってくれる、実にありがたい味方という感がする。
今の日本の進歩的文化人の中では生息不可能なぐらい正々堂々と過去の日本を擁護してくれている。
小林よしのり、櫻井よしこ、石原慎太郎あたりがこういう論陣を張るのであれば、納得しながら見ておれるが、台湾の人からこういうことを言われると、あまりにも嬉しくて舞い上がりそうな気分になる。
台湾の李登輝なども日本を擁護してやまないが、それを聞く側の我々の方は、恐縮してしまって素直な気持ちで聞き入れることに躊躇しがちだ。
我々が、自分たち同胞の先輩諸氏が過去にアジアで行った行為に対して誇りが持てないのは、言うまでもなく中国や韓国の内政干渉が怖くて震え上がっているからであって、この内政干渉そのものが国家間の諍いの根源である。
明治維新以降の日本のアジアでの振る舞いは、世界的な視野で見れば、アジアの解放であったことは世界が認めるところだと思う。
この本が縷々述べているように、台湾でも朝鮮でも、日本が統治したからこそ近代化を成し得たわけで、日本がその地に進出していなければ、未だに未開のままであったに違いない。
こういう地域では、日本の明治維新に匹敵する変革が、彼ら自身の力で出来なかったから、結果としてそれが日本によってなされたわけで、その事はその後の彼の国の発展に大きく寄与しているはずだ。
植民地という言葉は、帝國主義と表裏一体をなす言葉だと思うが、それまでの西洋型の先進的な帝国主義というのは、あくまでも富の草刈り場という認識で、現地の人々の至福ということは、九牛の一毛たりとも考えていなかったはずである。
ヨーロッパの先進国の植民地支配というのは、現地の人々を自分たちと同じ人間とも見做していなかったに違いない。
古い映画のシーンで見たことがあるが、西洋のキリスト教の価値観では、女性の裸体を人に見せる、見られるというのは慎むべきことで、忌み嫌われる行為の筈であるが、現地の人の前では平気でそれをするということは、明らかに現地の人々を自分と同じ人間と見做していない証明だと思う。
帝国主義というものに対する認識も、我々は西洋列強よりも遅れたわけで、その上東洋の価値感では富を収奪するという発想は今までになかった。
ただ征服した相手から財宝を略奪するということは、そのこと自体が戦争の目的でもあったが、コロニーを作って、そこから富だけを吸収するという発想は東洋にはなかった。
今日、19世紀末から20世紀、21世紀のアジアというものを敷衍的に眺めてみると、アジアの中の中国の歴史があまりにも長すぎたことに、この時代の不幸が埋没していたものと思う。
この考えを掘り下げていくと、基本的には個の人間の生存に行き着いてしまうが、アジアの大部分を占める中国、昔風の言い方をすればシナであるが、このシナがあくまでも統一国家を作ろうと画策するから,アジアの混沌が払しょくしきれないのではなかろうか。
今の共産中国、中華人民共和国になってもなおチベットやモンゴルを支配下に置こうと画策しているわけで、中国の民がアジアを一つに統一しようとするから,アジアは混沌の渦から出れないのではなかろうか。
アジア大陸を一つに統一するということは、究極の中華思想なわけで、中国の指導者がこういう夢を抱いている限り、アジアの平安はあり得ない。
そもそも、いかなる地域、いかなる地方でも、人を人と見ること自体が人としての驕りであったかもしれない。
ヨーロッパの宗主国の人が、現地の人を人と見做していないのも、現実を直視した結果としての意識のフィードバックであったかもしれない。
というのは、19世紀の中国の海岸、いわゆる沿岸地方にたどり着いたヨーロッパの人々の見たものは、人間がゴミの中に蠢くゴキブリのように目に映ったのではなかろうか。
戦後、名画として誉れ高い『慕情』という映画は、ウイリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズがジャンクの上でデートするシーンがあるが、そのジャンクの漕ぎ手は完全に中国そのもので、赤子を背中に括りつけた母親とその夫が船を操っているシーンがあって、銘々白日に中国の現状を描き出している。
あの映画は朝鮮戦争の始まったころだから1950年、昭和25年代であるにもかかわらず、中国の最先端の都市・香港でさえあれである。
よって海岸から一歩奥に入れば、延々とあの状況が繰り広げられていると思う。
我々の戦後もあれと同じであったが、そこから如何に早く脱出できるか否かが問題だと思う。
過疎と過密が入り混じって、キリスト教文化圏のヨーロッパ人から見ると、まさしく人が人とも思えなくとも不思議ではないと思う。
で、本論に戻ると、日本は結果的にこういう地域に分け入って、そこに社会的なインフラ整備をしたわけであるが、我々は海で囲まれた民族なので、まさしく「井戸の中の蛙」の状態でいたわけだ。
何について無知だったかと言うと、それは地球上に普遍的に広がっていた人種差別について無知だったということだ。
シナに渡っても、台湾に渡っても、その地に住んでいる人を、自分と同じ人間だと見做していたが、これが世界の常識からみると大間違いであったわけだ。
丁度、今でいうところの一国平和主義、あるいは非武装中立論と同じで、自分たちでは良いアイデアだと思っていても、世界には全く通用しない唯我独尊的な自己満足でしかなかったわけである。
この人種差別に対する認識不足が今問題になっているわけで、我々同胞の先輩諸氏は、日本の支配下の原住民の人たちを、自分たちと同じレベルに引き上げようと一生懸命努力し、その効果も実績もそれなり上げたが、これが今日彼らの糾弾のもとになっている。
つまり、彼らの世界では、政権が変わると、新しい政権は前政権を全否定するのが普遍的な行為であって、いくら社会的なインフラが整備されても、その意義が理解されない。
前政権の実績は、新政権では御破算にされてしまい、元の旧弊に戻ってしまうのである。
こういう政権交代が大問題なわけで、我々が彼らのためと思ってしたことでも、政治形態が変わるとそれが悪行となってしまい、そうならないためには現地の人々の日本擁護論が出てくれば我々としてはありがたいが、そういう発言は反体制、反政府という言い分で以て封じ込まれてしまう。
アジアの人々の政治感覚というのは実にいい加減なもので、仏教、道教、儒教その他もろもろの思想で、皆それぞれに言いたいことを言い合って、統一的な見解というものが全くないので、最後は武力行使で事を解決するということになってしまう。
眼の前にある黒い物を白と言い包めて平気でいることが政治の本質と心得ているので、現実に、黒い物を何が何でも白と相手に認識させようとすれば、最終的には武力で脅すしかないことになる。
戦後の日本の進歩的文化人の自虐史観というものはここに立脚しているわけで、この部分で相手の不合理・不整合な言い分をあくまで正そうとするならば、相手は最終的に武力行使に行き着いてしまうから、自分の方に非があるわけでもないのに、相手の言い分を飲まざるを得なくなる、ということに行き着いてしまう。
最近の日本のアジア外交で、日本が安易に謝罪するのも、明らかにこういう思慮に欠けた行為でもある。
相手は最初から黒を白と言い包める魂胆でテーブルについてくるわけで、中国と韓国、それに北朝鮮以外のアジア諸国の首脳で、こういう不合理な問題を突き付けてくる国はないはずだ。
戦前の日本が台湾、朝鮮、満州で如何なるインフラ整備を行ったかということは、この本の中に縷々述べられているが、問題は、そういう内容を知ってか知らずか日本の政治家、日本の外交官が安易に謝罪してしまうところにある。
自分たちの同胞の先輩諸氏が現地の人々に如何に貢献したかということを知らずに、相手の言い分のみを鵜呑みにして、自分たちの先輩諸氏の実績を貶めている姿はあまりにも自虐的すぎると思う。
それは自分たちの歴史を全く知らないということに通じている。
政治家や外交官たるものが自分の祖国の歴史をろくに知らないということは実に由々しき問題であるが、ここに戦後の日本の歪みが集約されているわけで、ある意味で我々は天に向かって唾を吐いてそれが自分の顔に落ちてきた感がする。
戦争に敗北したということは、政治の失敗、作戦の失敗ということで如何ともしようがないが、問題は、その後の我々の民族の生き方、生き様にある。
戦争に負けた以上、戦勝国に支配され、社会秩序が蹂躙されることもある程度はいた仕方ない。
ここで我々の同胞の中でかろうじてあの戦争で生き残った人たちの思考が最大の問題となるが、敗戦当初は確かに我々の祖国は灰燼と化しており、食うに食い物なく、働こうにも職場もなく、住むに家もなく、塗炭の苦しみを味わったわけだが、ここであの戦争で生き残った我々の同胞は完全にPTSD(心因性外傷後ストレス症候群)に罹ってしまい、精神が元の正常値に戻ることがなくなってしまったものと推察される。
物質に圧力を加え続けて限界点を越えると一気に破断するのとおなじで、あまりの試練に耐えきれなくなって、精神が平常心を失ってしまって従来のものの考え方を見失ってしまったというわけだ。
思えば、戦前は自分の祖国の指導者の言うことを鵜呑みにして、頭から信じ切っていたものが蓋を開ければ敗戦であり、メデイアからは嘘ばかりを吹き込まれていたことが分かれば、今後一切そういうものを信じてはならない、と考えるのも自然の成り行きではある。
確かに敗戦直後は住むにも家のない状態ではあったが、生き残った人たちも、自分たちの為政者が信用ならないとは思いつつも、自らも生きねばならないわけで、生き続けた結果が戦後の復興を成してしまったことになる。
その積み重ねでアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になってみると、アジアはまだまだ我々と比べて立ち遅れているわけで、ならばそういう地域に大判振る舞いをして金をバラまけば、もっと評価が上がるのではないかという憶測が謝罪外交になったのではなかろうか。
日本の慣習の中では、謝るということは「謙譲の美徳」として通用しているが、日本以外では自分の非を自ら認めるということになるわけで、謝った以上「非を認めたのだから補償をするのが当然だ」という論理になる。
日本の政治家や外交官がアジアで安易に謝罪するというのも、当然のこと、メデイアの反応を気に掛けながらのパフォーマンスなわけで、メデイアが謝罪を煽らなければ、こういうことにはならなかったものと推察する。
メデイアというのは完全にグローバル化しているわけで、日本のメデイアだけを注視していても大勢はつかめないが、海外のメデイアは日本の意図とは関係なく報道するので、そこで評価を得たいというのが日本の政治家や外交官の思惑だと思う。
日本というのは四周を海で囲まれた特異な国なので、世界的に見て非常にいじめやすい、いびりやすい、いじめてからかうには実に具合の良い国で、中に住んでいる人間は、実に生真面目で、理想を真正面から捉え、真面目に立ち向かおうとする極めて珍奇な国に映っていると思う。
だから我々は常にからかいの対象にされているわけで、トランジェスターラジオの売人だとか、兎小屋だとか、侵略国家だとか言われて、ジャパン・パッシングされつづけ、哄笑の的にされているが、それに対して論理的に整然と、国際的に権威ある場で反駁する人士も現れないので、世界から軽く見られるのである。
日本が国際連盟の場で人種差別撤廃を叫んでも世界は少しも動じることなく却下した。
同じ国際連盟における満州国建国の件では、西洋列強はこれを承認しなかったが、こういう一連の動きは、世界中が日本を蔑視しているということに他ならない。
西洋列強から見てアジアのモンゴロイドは人間の内にも入っていないわけで、我々は今ヨーロッパにも簡単に旅行するが、彼らは我々を心から受け入れているわけではなく、ただ日本人は金を落とすから、ことを荒立たせないようにしているにすぎない。
こういうことを知った上で彼らと付き合わねばならないが、アジアの民はそのあたりのことをもっと無遠慮にあからさまにぶつけてくるので、ある意味では気が楽である。
アジアの民と我々日本人は、どこか精神の深層部分で潜在意識の中に違うものがあって、我々の倫理感では黒を白と言い包める行為は、卑しい人の行為で、人にあるまじき行為という価値観であるが、これが中国や韓国では究極の処世術になっており、これができなければ彼の地では生きていけない。
あることないこと嘘で固めた虚像を並べられて、それに対して論理的に反駁すると、それを敵意と捉えて、なお一層の難題を吹っ掛ける手法というのは、やはり歴史に裏打ちされた処世術であろうが、相手がこういう態度に出るとこちら側としては打つ手がない。
支離滅裂な論理を、大きな声でむやみやたらと門前で言いたてられると、それを黙らせるには銭を握らせるほかない。
全く整合性のない、黒を白と言い包める手合いの論理を言い立てるということは、相手の知性の問題に帰するが、我々の倫理感からすれば実に見下げた忌まわしいことだ。
しかし、仮にそうと思ったとしても、相手は国益を掛けて言ってくるわけで、この感覚が我々には理解しがたいことだ。
こういう論理の不整合、支離滅裂な議論、根拠のない言い分、というのは彼らの国の中の政治の局面でもごく普遍的に存在しているのではなかろうか。
韓国では政権が交代すると、元大統領あるいは前大統領が告発されて、すぐまた減刑されるという妙なことが起きるが、これも黒を白と言い包める類の政変であって、もともと整合性のない物をあるように見せかけなければならないので、こういう変な事態が起きるのではなかろうか。
中華人民共和国の文化大革命も、この類の騒動で、もともと何ら整合性のない話を、あたかもあるように見せかけなければならないので、論理的な矛盾を隠し切れずに、ああいう惨劇となったのではなかろうか。
あの戦争、日中戦争、あるいは太平洋戦争、第2次世界大戦というものが終わって半世紀以上を経過したことになるが、あの戦争ではアジアにおける西洋列強の覇権を日本が木っ端みじんに粉砕したという事実は免れないと思う。
日本のあの戦争に対する本義は,アジアの解放にあったわけで、その意味からすれば、我々の祖国は戦争に負けたとはいえ、結果的にはその目的を達成したということになる。
ただただ我々にとってまことに不甲斐ないこととして、我が民族の政治的手腕の稚拙さというものは何時になっても克服できないようで、まことに不甲斐ない。
19世紀後半から20世紀の日本は、アジアに対して多大な貢献をしているが、日本の政治家や外交官は我々の先輩諸氏がアジアにそういう貢献をした事実を完全に無視して、ただ先方から言われるままに、謝罪するなどという愚が罷り通っていいものだろうか。
あまりにも自分たちの同胞の行った業績に無頓着で、無知であり、歴史を知らなすぎる。

「靖国神社と日本人」

2010-01-08 08:20:51 | Weblog
例によって自分の本棚から関心の赴くまま手にとって引っ張り出したものがこの本であった。
「靖国神社と日本人」。
著者は小堀桂一郎氏。多分、中国から首相の靖国神社参詣について内政干渉受けた時期に、それに憤慨して読んだものに違いない。
今はこの問題も沈静化しているが、基本的に日本の政治家というのは、外交音痴だということを内外に曝したということであろう。
昨年、平成21年、2009年NHKは約一年間にわたって「日本と朝鮮2009」という特別企画を教育テレビで行っていた。
それを年末から正月にかけて一気にまとめて放映したが、我々の祖国・日本というのはアジアとの係わりなしではありえないわけで、その意味で中国をはじめとするアジア諸国と仲良く連携しなければならないことは当然のことである。
仲良くするということは相手に対して卑屈になればそれで達成されるというものではないと思う。
そもそも仲良くする、平和的な均衡を保つ、ということからして人為的な行為であって、その人為的な行為という中に、相手に対して卑屈で、媚び諂うという態度も立派な人為的な行為であるが、ならば自分たちの民族の誇りはどう扱うのかということに行き着く。
人間の存在を考えた場合、個人と個人のレベルならば、双方の諍いを調和する手段というのは、国家権力として認められている。
よってそれぞれの個人はその権力の庇護のもとに、関係を調和しながら生きておれるが、これが国家間の関係としての国際社会となると、それぞれの国家を上から管理監督する機関というものが存在しないので、いわゆる無法地帯となっているのである。
人類は2度の世界大戦を経験したことで、「こんな無法状態であってはならないから何とか約束事を決めよう」というわけで国際連合というものを作ってはみたが、これには各主権国家を拘束する警察力がないので、ある意味で紳士協定であって、守るも破るもその国の自主判断であり、それを統率する力は最初から具備していない。
この状態を一言でいえば、ゆるい規約はあるが実質、警察力を欠いた無法状態だということに過ぎない。
戦後の我々の同胞は、自分たちの先輩諸氏が無謀極まりない戦いを世界に対して挑んだ結果として、祖国が灰燼と化し、町は焼け野原になったので、もう金輪際そういうことは決してしてはならないと肝に銘じたわけだが、それはそれでいいのだが、その時の反動として過剰に国際摩擦に敏感になりすぎてしまった。
完全にPTSD(心的外傷後ストレス症候群)に嵌まり込んでしまって、気持ちが萎縮してしまい、ほんのちょっと牽制球を投げられると、震え上がってしまうようになった。
それが中国からの内政干渉となっているのだが、問題は中国から一言言われたからといって、それがそのままホットな戦争になるわけではないので、それを見越して安易な気持ちで相手国のご機嫌取りに徹するところが、私の目から見て非常に無責任に見える。
内政干渉されて平つくばっている政治家も不甲斐ないが、それにもまして、その内政干渉を相手国に扇動し、煽っている我々の側のメデイアの存在をどういう風に理解したら良いのであろう。
宮沢喜一、中曽根康弘、金丸信、後藤田正晴などという自民党の政治家は、全く国益などというものを眼中に置いていない。
中国に媚びるだけの人で、こちらが卑屈になれば相手は高飛車になるのはものの道理である。
自民党の党員、しかも自民党の中のドン、ある意味の実力者だからこそ、中国に媚びて、自分では国益の擁護をしているつもりかもしれないが、ここで戦後の日本人のPTSDが大きく作用してくるわけで、物事の本質を見失っている。
国際社会の外交は正邪、善悪、善し悪しという価値基準で動いているわけではなく、食うか食われるか、殺すか殺されるか、生きるか死ぬかという自然の摂理の中で機能しているわけで、その中では人間の良心というものを捨ててかからねばならない。
戦後の我々は,諍いで血を見ることを極端に忌み嫌うが、他国との交渉、他民族との駆け引きというのは、血を見る覚悟でしなければ相手は信用してくれない。
中国から「靖国神社に参拝に行くな」と言われて、素直に相手の言うことを聞いている限り、相手はそういう態度を常にしてくるわけで、脅せば引っ込むということを学習する。
この地球は国際法など有名無実の存在であって、まさしく無法状態である現実を直視せよと言いたい。
戦後の日本人は、その陽炎のような国際法、あるいは国連というものを過大評価して、盲目的に頼りきっているが、こういう実情そのものが政治の稚拙、外交の茶番劇の感を呈しているのである。
政治、外交というのはパワー以外の何ものでもない。
パワーと言う時、それは軍事力のみがパワーであるわけではなく、経済力、政治力、外交力、交渉のノウハウその他もろもろの処世術そのものがパワーたりえるわけだが、我々はともするとその中の軍事力のみにパワーの概念を固定化させてしまいがちである。
靖国神社には国難に殉じた人たちが眠っているわけで、それを国民の代表としての首相が公式に参詣できないなどというバカな話があってたまるか。
先に名前を挙げた自民党の政治家たちは、このバカな話を中国の言うがままに実践したわけで、心ある日本人ならば、こういう自分たちの首長を石を持って打たねばならない。
自分たちの祖国の国難に殉じて散華していった人たちの魂の慰霊に対して、よその国から叱られて踝を返すような我が同胞の政治家には、国民の審判が下りて当然である。
自分たちの国家元首が、自分たちの国難に殉じた英霊を参詣しないようであれば、ただちにその職責から引きずり下ろすべきではなかろうか。
国家反逆罪に当たるのではなかろか。
私は個人的には祖国の国難に殉じた御霊には敬意を表するものであるが、この靖国神社と軍国主義の結びつきには非常に懐疑的な思いを抱かざるを得ない。
「靖国神社で会おう」と言って死んでいった若人のことを考えると、意図的にそう仕向けた老練な指揮官、あるいは司令官、あるいは高級参謀の存在を素直には看過できない。
こういう殉国という美名のもとに、若人を死に追いやった指揮官等も、戦闘で死ねば同じようのその御霊はここに慰霊されるであろうが、死に追いやられたものと追いやったものが同じところに同じ価値観で慰霊されるというのはどうにも不可解な思いがする。
靖国神社にはA級戦犯が合祀されているから、ここに参詣することはあの戦争を肯定することになる、という論理は私の見解としては納得するものではないが、ここに祀られている英霊の中には、名実ともに勇猛果敢に戦場で倒れた人ばかりではなく、名実ともに非業の死を遂げた方も多いのではないかと思う。
戦場で敵の弾に当たって名誉の戦死をされた方は実に幸運だと思うが、ここに祀られている方々の中にはそういう幸運な方ばかりではなく、補給が途絶えて戦う前に力尽きて落命された方々も大勢いると思う。
その事を思うと私のような戦後世代の者は素直で純な気持ちにはなれない。
この本の著者はA級戦犯という言葉に抵抗感をあらわにしているが、言葉はともかくとして、死に追いやったものと、追いやられて死んだ者が、同じ場所で会するというのはやはり私としては違和感をぬぐえない。
A級戦犯が、戦争犯罪という罪を犯した犯罪者であるかないかという問題とも関連して、彼らは当時の日本の実質の指導者であり、戦争遂行の実践者であったことは確かで、勝った側がそういう人たちを懲罰するのは人間の感情としてごくありきたりのことだと思う。
ならばここに祀られている英霊たちは、彼らを戦場に送り込んだ自分たちの指導者を、同じ戦場で散った同胞として迎え入れるであろうか。
戦争は国難なのだから、立場は違っても仕方がないと大きな包容力でそれを容認することができるであろうか。
このあたりのことを考えると私としても複雑な心境になるが、要は、あの戦争の総括を日本人自身がしようとしていないので、一つの国難として日本国民の上も下もなく、皆同じ試練を同じようにこうむったわけだがから、全ての国民が平等という意味で帳消しにしたことにあると思う。
ただ勝った側のアメリカにしてみれば、靖国神社というのは、日本民族の敢闘精神の淵源だと思っていたので、この根本を絶つという意義は大いにあったに違いない。
これが存在する限り日本人は再び力を持ち返した暁には再度アメリカに挑戦してくるかも知れないという心配は拭い去れないものがあったと思う。
先に述べたように、自民党の政治家が中国から「靖国神社に参詣するな」と脅されて、震え上がった情けない同胞もさることながら、中国にそう教え込んだ我が同胞のことは、どう考えたら良いのであろう。
私流の言い方をすると、中国の国益に貢献する我が日本人という言い方になるが、こういう日本人は中国から表彰でもされるのであろうか。
20世紀後半から21世紀に掛けては地球はグローバル化して、どこでも大体好きな所にほぼ自由に行ける。
ビジネスでも観光でも、ほとんど自由に行き来できるので、個人的には自分の国籍がどこであろうとも関係なく移動乃至は他の活動ができるわけで、あまり自分の祖国という概念は必要ない。
自分の祖国という概念が喪失すれば、それに伴って国益という概念もきわめて価値が薄れてしまうので、政治家としても国益などという古典的な概念を恥も外聞もなくかなぐり捨てて、なんら恥じるところがないということなのであろう。
人間は、自分の祖国の恩恵に浴して生かされている、という受動的な感謝の気持ちではなく、自分は統治者や為政者という体制に抵抗して、自らの意思で生きているのだ、と思い上がった思考に嵌まり込んで、他者の存在を否定して生きているのだろうか。
確かに、この靖国神社に眠っている英霊の生前の大活躍があったからこそ、西洋列強は日本の存在に一目置かざるを得ず、日本を徒や疎かに扱えないという思いで、日本の占領政策が一段と熾烈になったということは言えるかもしれない。
ここに眠っている英霊の活躍については、我々の同胞よりも日本以外の人々の方が、その真価を正当に評価している。
どうして我々は同胞の活躍を正当に評価することに尻込みをして、躊躇するのであろう。
そこには我が民族の根本的な民族習俗としての精神的な特徴があるものと思う。
それは我々の民族の無責任性ではないかと思う。
我々は太古から「万機公論に決すべし」ということに価値を認め、あらゆる決定事項を合議制で執り行ってきたが、この合議制、万機公論的に議論して物事を決定するということは、責任の所在については全く曖昧模糊としているわけで、合議して決めた以上責任は全員に分散してしまう。
よって、「誰それの責任だ」ということは成り立たない。
中国から脅されて素直に言うことを聞いたとして、誰も直接的な損害を被ったわけではなく、メデイアが中国の国益に奉仕したとしても、その事によって日本が損をしたという歴然たる証拠は上がらないわけで、目に見える損害は何処にもないので、自分たちのしたことの売国奴的な行為の意味に無頓着である。
まさしく精神がグローバル化しているわけで、自らの民族のアイデンテイテーについても全く自覚しておらず、宇宙人のような気分になっているということなのであろう。
主権国家の国民、特に若い世代がこういう無国籍人の集合だとすると、もう主権国家そのものが成り立たなくなると思う。
先に述べた自民党の総理経験者たちでさえも、自分の祖国のアイデンテイテーを意識することなく、ただただ相手の言うなりになっている見下げた国家元首であるとするならば、その下の国民がそれ以上に高い見識と誇りと名誉を重んずるなどということはあり得ない。
私がこきおろした自民党の政治家たちも、基本的には先の大戦の生き残りの人たちであるので、彼らこそ大戦の悲劇を身をもって体験しており、PTSDの度合いもより大きく、中国との脅威を肌身で感じているのかもしれない。
そのことは同時に日本という国に見切りをつけたということかも知れない。
だとすれば、ごく自然に国家そのものが衰退化するのも、水の流れを見るごとく当然のことであろう。
繁栄の頂上まで登りつめれば、後は下降線をたどるのも自然界の摂理なわけで、そう驚くことはないが、誇りを失った人間は、もう生きている価値はないと思う。
この本の中には東京裁判史観という言葉がしばしば出てくるが、あの戦争を生き残った我々の同胞が、何故に勝利者の価値観をそう安易に受け入れたのであろう。
生きた人間は、自分自身が生きんがために精神を売るということも十分にありうることではあるが、それは緊急避難的な処世の術であって、占領を解かれた暁には、従来の民族の本質の価値観に一刻も早く復帰するのが、これまた自然の摂理ではなかろうか。
我々は、占領を解かれ独立を回復し、自主的に独り立ちの機会を得られたにもかかわらず、何故に占領期の戦後民主主義から脱却しようとしなかったのであろう。
あの戦争で我々は200万人以上の同胞をなくし、都市は大部分が灰燼と化し、国民は筆舌に尽くしがたい苦難を背負いこんだことは事実であるが、これも国際社会で生きるか死ぬか、食うか食われるかの生存競争の結果であって、正義だとか不正義だとか、善悪、善し悪しという価値感を超越したものである。
その現実に目をつぶり理想を追い求めるドンキホーテを演じている愚に思いが至らない。
人は名誉や誇りでは生きていけないわけで、中国から叱られて素直に謝るということは、名誉や誇りをかなぐり捨てたわけだが、ここで大和魂を持ち出して、名誉と誇りを粋がって吹聴してみたところで、中国にある日本企業を接収すると言われたら身も蓋もないわけで、それがあるからこそ自民党の政治家も叱られっぱなしで項垂れているのである。
その部分が国益と言えば国益であるが、それを克服するには言葉の戦いしかあり得ない。
外交交渉しかあり得ないが、この外交がこれまた我々は実に下手で、どうしても我々は国際社会を上手に泳ぐということができない。
荒野のガンマンに成り切れない。

「日本海海戦の深層」

2010-01-04 21:48:14 | Weblog
昨年の年末に近くのスーパーに買い物に行って、そこの本屋で購入した本であるが、「日本海海戦の深層」という本を読んだ。
著者は別宮暖朗という人だが全く面識のない人だ。
どうも銀行員のようだが詳細は私の知るところではない。
しかし、面白いもので、この著者は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を目の敵にしている。
「坂の上の雲」は昨年末からNHKも取り上げて,大々的に自社宣伝に努めているので、国民的なテレビドラマになりかかっている節がある。
私も特に意図したわけではないが、数年前に全8冊一気に読みとおした作品である。
この作品が世に出たことによって,世間では司馬遼太郎史観というものが出来上がったように見受けられるが、そういう風潮こそ軽佻浮薄というものではなかろうか。
この作品は当然のこと江戸時代の封建主義から脱却して、明治維新をむかえた日本が近代化を推し進める過程を肯定的に捉えているわけで、ある意味で日本人の応援歌という部分が無きにしも非ずである。
しかし、それはあくまでも小説であって、歴史的事実や物事の真実を説きあかすものではなく、歴史的事実や当時の人々の思いを小説という形で代弁しているにすぎず、あくまでもフイックションである。
トルストイの「戦争と平和」という小説も,同じようにその当時の世相と人間の心のありようを微細に描きだしているわけで、それと同じである。
小説家の司馬遼太郎氏が如何なることを言ったとしても,それはあくまでも彼個人の思考の産物であって、彼が自分の思考を他者に押し付けるというようなものではない。
問題は,こういう一小説家の作品を、今に生きる自分たちの教科書として崇め奉り、我々はそうあるべきだと,暗黙の強制を強いる軽佻浮薄な無責任体制にあると考えなければならない。
司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」を描いた。
書いた著者としては、それを多くの人に読んでもらいたいと願うのは当然のことで、出版社も売らんがために工作をするのもこれまた資本主義の世界である限り当然の成り行きでもある。
その意味からして、著者が少しでも多く売れるように工夫を凝らして作品を仕上げることも当然あり、それに出版社が輪を掛けて、売らんがための宣伝をすることも十分考えられる。
それにうまい具合に便乗して、「我々の将来もこうあるべきだ」と言い出しかねない疑似経世家、あるいは理想主義者が現れてこないとも限らない。
この本の著者は、この作品に真正面から批判を浴びせることを意図してこの本を書いているようであるが、少々大人げない。
この本が小説であるということを忘れている。
物語が極めて真実に近い体裁をとりつつもフイックションであるということを忘れている。
「坂の上の雲」の作者は、あの激動の明治時代を生きた3人の若者、つまり秋山兄弟と正岡子規の生き様を描きだそうとしているわけで、戦史を忠実にトレースすることを意図したわけではないと思う。
司馬遼太郎がこの作品で問おうとしていることは、人間の内面ではないかと思う。
つまり、社会に出て活躍する人たちの心のありよう、その人が潜在的に内に秘めているモラルが如何に高潔で、人間として優れているかを問おうとしているのだ、と私は推測する。
これは私の推測であるが、司馬遼太郎氏は、自分自身が旧帝国陸軍の将兵であった経験からして、旧軍の内部告発をそれとはわからないように作品の中に埋没させているのではなかろうか。
秋山兄弟を前面に出すことによって、戦時中、軍神と言われ、崇められていた人の化けの皮をはがすことをもくろんでいたのではなかろうか。
この本の作者にとって、主題であるべき東郷平八郎が、秋山真之の後ろに描かれたことに不満が募ってしまって、その部分に我慢ならない義憤を感じているのではなかろうか。
私もこの「坂の上の雲」を読んでいて、乃木稀典に対する評価が不当に低いことが不思議でならなかった。
ここには司馬遼太郎氏の旧日本軍軍人に対する怨恨の気持が隠されているのではなかろうかと思う。
司馬遼太郎氏のように旧軍隊の経験を持ちながら戦後を生き抜いた人には、軍隊に対する怨嗟の気持は並々ならぬ深い物があるように思う。
特に高学歴で、軍隊の中では低い階級に置かれたものほど、その内部矛盾に悩まされたに違いないし、その不合理、不条理、不整合に我慢ならない物を抱え込んで生きていたに違いないと思う。
高等教育を受けていないものならば、身の回りの不合理を運命と諦め、不運とみなし、自分をそれになじませて心の平衡を維持していたかもしれないが、高学歴の教養人ともなれば、そんな器用なこともできず、もろもろの不合理はすべて心の内側に沈下して澱となってしまったに違いない。
21世紀に生きている我々日本人は、やはり歴史から何も学んでいないと思う。
今の我々は戦争反対という概念が血肉まで昇華してしまって、日清・日露の戦役さえも肯定することを躊躇する向きがあるが、こういう傾向そのものが極めて危険だということ自体を理解していない。
こちらが戦いを挑まなければ、相手も決してこちらの意思を踏みにじって、日本に対して戦争を仕掛けることはない、と実に安易に考えている。
戦争が嫌なこと、如何なる国の人々も戦争を嫌っているということを考えてもいない。
戦争を嫌悪しているのは我々日本人だけだ、と思い違いをしている。
こういうことは無知以外の何ものでもないわけで、アメリカは好きで戦争をしていると、自分の誤った認識に気がつこうとしない。
戦争というのは政治の延長線上の最悪のシナリオであって、そうならないために、それぞれの国の首脳というのは知恵を絞り切る努力をしているのである。
にもかかわらず不幸にして戦争という事態が引き起こされるわけで、それにはそれぞれに主権国家、あるいはそれぞれの民族に、誇りというものがあるわけで、その民族の誇りあるいは国家の主権とが国益と表裏一体をなしているので、話し合いで妥協点が見いだせなくなると、この国益との軋轢が生じ、それが武力行使という風に拡張するのである。
話し合いの席で、片一方が無限に譲歩すれば、戦争という武力行使にはならないが、それでは国民が納得しないし、国益というものが無に帰すわけで、国家の存立そのものが成り立たなくなってしまう。
第2次世界大戦後の我々日本というのは、世界の中の経済の均衡、軍事力の均衡、外交の均衡の中で浮草のようにきわめて不安定な状況で、右往左往、浮き上がったり沈んだり、水草のように時流に翻弄されながら漂っているのである。
戦後65年間というもの、地に足を据えて自分の力で立っていることがなく、四方八方からつっかい棒で支えられながら、何とか倒れずに来れたわけで、これまでの過程の中では、日本の主権が他国に犯されたこともたびたびあったが、この平衡の壊れるのを恐れて、何一つ有効な処置をとってこなかっただけのことで、決して真の平和を自ら築き上げてきたわけではない。
ただただ目先のトラブル回避をしただけのことで、骨抜き、軟弱、腰ぬけであっただけのことである。
それでも人命が損なわれなかったので由とすると言うのが、今の日本人の大部分の思考であるが、これでは国が衰退に向かうのは当然のことである。
「坂の上の雲」に描かれた日本というのは、右肩上がりの成長に向かいつつあった日本であったが、この成長曲線は太平洋戦争の敗北で一度は折れ曲がってしまったが、それも戦後の復興で再び右肩あがりのグラフを描くことになった。
ところが、それが平成の時代になると右肩下がりの下降線を描くようになってしまった。
一主権国家の繁栄と衰退はサインカーブ、コサインカーブと同じで、一度頂点を極めれば、後は右肩下がりになるとは言うものの、それがわかっているつもりではあっても、それに身を預けるというのはどうにも我慢ならない。
この右肩下がりの元凶、ないしは遠因を問えば、当然のこと、戦後の民主教育にあると考えるのが妥当な思考だ。
戦後の民主教育の弊害は、言うまでもなく日教組が教育界を占拠してしまったことにあるわけで、この日教組の指針は共産主義に主導された傾向であったが、我々にとってまことに不幸なことに、その方針がアメリカの占領政策と見事に一致したことにある。
アメリカの占領政策は言うまでもなく、日本民族の弱体化であったわけで、あの戦争でアメリカに正面から向かって戦いを挑んできた日本民族、大和民族を、骨の髄から骨抜きし、大和魂の壊滅を図ることが至上命令であったわけで、その占領政策と日教組の共産主義的な民主教育というものが見事に利害の一致を見たわけである。
成績に優劣をつけてはならない。子供の自主性を重んじる。個の確立と称して我儘の奨励。人権と称する怠惰な生活態度の奨励。
こういう戦後教育の徳目は、民主的な教育ということで日教組に支持されていたが、それはアメリカの日本愚民化政策と見ごとに軌を一にしていたわけで、日教組が支持されればそれに伴ってアメリカの占領政策が功を奏してくるということになったわけである。
そのもう一つ深いところに潜んでいた要因が、あの戦争を生き抜いた日本人の同胞が密かに抱いている、同胞の指導者を恨む怨嗟の気持である。
あの戦争を生き抜いた同胞からすれば、自分たちは戦時中の我が同胞の指導者に騙されていたという怨みがましい気持ちは決してぬぐいきれないものがあったと思う。
よって、その後の生きざまの中では、決して指導者・統治者を信じてはならない、という思いがあったに違いない。
だから公に奉仕する、上の者に忠誠を誓う、人のことより我が身が大事だ、という唯我独尊的な思考が広範に広がってしまい、自分さえ良ければ後のことは関知しないという発想に陥りやすくなったものと考える。
昭和20年8月15日までの日本は、見事なまでに学歴尊重の社会であり、年功序列の社会であり、天下りの社会であり、官吏優遇社会であり、人治の社会であり、それはことごとくが軍隊組織から派生した社会倫理であったわけで、それが戦後になり変な方向に変異してしまった。
戦後の復興経済のなかで日本独特の社会的な慣行を作り上げtしまった。
社会の変化の根本問題というのは、如何なる国でも官吏の運用に尽きると思う。
官吏つまり官僚を如何にコントロールするかが政治、あるいは行政の主眼となってしまって、昭和の初期の軍人の独断専横も、突き詰めるとこの問題に行き着いてしまう。
この本の中でも東郷平八郎はシビリアン・コントロールの真の意味を真に理解していたという風に描かれているが、これは非常に難しい問題で、今日の鳩山政権において真のシビリアン・コントロールをまともに実施したら、日本という国が成り立っていくかどうか実に疑わしい。
戦後64年間というもの我々はシビリアン・コントロールもどきのことを行ってきたが、それはアメリカとの日米同盟で何とか曲りなりに政治家主導で来れたが、これは完全に独り立ちした国家で真にシビリアン・コントロールが可能かどうかはまことにもって心配である。
シビリアン・コントロールということは、政治家が軍人の上に君臨するということで、軍隊は政治の道具に成りきるということである。
戦前の我々の政治の在り方は、外見上はシビリアン・コントロールであったが、軍部が政治家の言うことに全く聞く耳を持たなかったので、軍部の独断専横だけが目に付いたし、軍部が政治家の言うことを聞かなかったという点で、軍部が戦争を私物化していたと私が言うところである。
その軍部が完全に官僚化してしまって、軍官僚の、軍官僚による、軍官僚のための戦争をしていたところが最大の問題点である。
考えなければならないことは、この軍の独断専横を当時の日本国民も、当時の日本のメデイアも、当時の日本の知識階層も支持し、エールを送っていたことを自省しなければならない。
そして軍部が失敗をする、要するに作戦の遂行に失敗し緒戦に敗北、ないしは敗退しても、その責任追及を国民の側から言いださなかったことである。
軍部が情報を隠匿したという部分があったとしても、戦勝国が懲罰の意味で行った極東国際軍事法廷の後になっても、我々の側から間違った国家運営、間違った戦争遂行、戦争に負けるような作戦を行った高級参謀たちに対する懲罰、責任の追求、業績に対する懲罰という声が一言も上がらなかったということは、我々の国民の側にも戦争に加担したという、後ろめたい贖罪意識が作用したということだろうか。
自分の祖国を奈落の底に突き落とした人間ならば、政治家だろうが、軍人だろうが、国民からヤツサギにされてもいた仕方ないのではなかろうか。
現にイタリアのムッソリーニはそういう処罰を受けたわけだが、我々はそういうことをしていない。
極東国際軍事法廷というのは連合軍として勝った側が彼らの論理で、彼らが憎いと思った敵の首脳を血祭りに上げただけのことで、我々日本人が、奈落の底の突き落とした同胞の責任を問いただしたわけでもなく、間違った政治的指導に対する懲罰の意味で裁いたわけでもなく、奈落の底に突き落とされた国民としては、そういう人間に対して何も報復行為をしていないのは一体どう考えたら良いのであろう。
結果からみて、軍部が軍部のために行った戦争で、一番被害をこうむったのは国民であったことになるが、戦後の日本人で、誰一人この部分を突く人がいないというのは一体どういうことなのであろう。
司馬遼太郎が、「坂の上の雲」で描いた軍神と称せられる人に非常に厳しい批判の目を向けるのは、こういう高級将校に対する怨嗟の気持があったからではないかと想像する。
しかし、この軍神という扱いも、本人から言う訳ないので誰か周囲の人がそういう太鼓もちというか、お追従というか、ごますりというか、提灯持ちのような人がいて、その人が半強制的に言うように仕向けられたのではないかと想像する。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」が評判になると、司馬遼太郎史観というものが一人歩きして、それに対抗する本がまた現れ、NHKまでが映像で放映するという過剰反応が出現しているわけで、こういう言う大衆心理というのは,非常に些細なきっかけで群集心理を形成し、それが軍国主義であったり、反政府運動であったり、反体制運動に転嫁しやすくなるのが我々日本人の精神的な特質ではなかろうか。
去年、平成21年の日本の政治の状況を見ても、日本中が雪崩を打って民主党に走り寄ったが、蓋を開けてみると、民主党でも明快な政治手腕を発揮した訳ではなく、自民党時代と大した変りはないが、何故に日本の大衆というのは、自民党に見切りをつけて民主党にすり寄ったのであろう。
考えられるただ一つの要因は、メデイアの自民党叩きと、それに対応した民主党擁護の論陣だけであって、国民は自分の頭で考えた結果でそうなったわけではない。
この鳩山政権がシビリアン・コントロールするかと思うと、もう日本はこの先の将来はないと思わなければならない。
鳩山政権には真の戦争の本質も、真の平和の本質も理解されないものと考えなければならない。
まして外交の本質もわかっていないようで、こういう人に日本丸のかじ取りを任せた日本国民の見識というのも疑ってかからねばならない。