ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「対話できない教師、叱れない親」

2011-10-29 17:33:24 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「対話できない教師、叱れない親」という本を読んだ。
著者はカニングム久子という人で、名前からしてアメリカ人と結婚した元日本女性だろうと推察する。
長崎県出身ということだ。
本の前半は、アメリカに渡った日本人駐在員の奥様方の子育てに対するカウンセリングを通じて、躾としての教育論から問題を掘り下げている。
日本民族の教育を考えるに就いて、我々の次の世代に対する躾という意味の教育の在り方というのは、実に由々しき問題だと思う。
巷間の話題の中には、「モンスター・ペアレント」という言葉まであって、子供の教育を語る前に、その子の親の教育から問題視しなければならないところまで来ているようだ。
その根源は、言うまでもなく戦後の民主教育の所為であることは自明のことであるが、何故、戦後の日本教育がこうまで陳腐化したのかは、当然の事、日本を取り巻く諸外国の思惑が、日本の教育を骨抜きにしたということである。
日本が第2次世界大戦に嵌り込んで行った背景には、我々自身の貧乏からの脱却を願う余りの帝国主義があったことは否めない事実だと思う。
その我々自身の願望の実現に向けた我々の努力とその成果は、その当時の国際社会にとっては、まさしく驚天動地のことであって、日本を取り巻く周辺諸国にとっては目の上にタンコブ以上の鬱陶しい有り体であったに違いない。
明治維新を経た日本が、日清・日露の戦争に勝つということは、アングロサクソン系の西洋人からすれば、想定外の出来事であって、そんな力を内包したモンゴロイド、黄色人種、猿並みの思っていた野蛮人が、白人を打ち負かす、アメリカに対して互角に戦いを挑んでくるなどと言う事はあってはならないことであった。
その日本がアメリカに負けたとなれば、その負けている間に日本人の持つ本質的な牙、刺、大和魂、民族性、優秀な資質というものを全部骨抜きにしておかなければ、自分たちの存在が危ぶまれる、という判断になるのも当然のことである。
日本人を従来の日本のままにしておけば、また何時仕返しをされるか判らないので、徹底的に民族としての骨抜きをしておかなければ枕を高くして眠れない、という心境に至ったものと想像する。
で、敗戦後の日本を統治する権限を委譲された、アメリカ極東軍司令部、いわゆるGHQのマッカアサーは、敗戦後の日本に5大改革を押し付けたわけで、その中には当然のこと教育の改革も含まれていた。
戦前の日本の教育は、天皇制を賛美する傾向がことの他強かったので、外国人の視点で当時の日本人を見ると、それが日本民族の強さの根源だと勘違いした部分が多々ある。
だから、日本を負かしたアメリカのGHQ及び元連合軍としては、何としても日本という民族を骨抜き、腰ぬけの軟弱な民にしておかねばならなかったのである。
一度は戦争で負かした日本が、しばらくして再起し、従来の白人支配の世界を再び同じような戦争の渦中に引き込むような事をさせてはならない、その為には徹底的に日本人、日本民族から、民族の魂、大和魂、肝っ玉を抜き取って、軟弱で、ひ弱な衆愚、卑屈で、日和見で、利に聡い、自尊心を欠いた虫けら同様の民のままにしておかねばならない、と考えたわけである。
このアメリカの方針は、旧ソビエット連邦も、新生中華人民共和国としての共産主義者の陣営にとってもまことに利に叶った思考であったわけで、その指針が戦後の教育改革の中で、民主化と称されて日本全国で展開されたわけである。
戦後、日本が敗北した直後、日本に進駐してきたマッカアサーは、当然のこと教育改革を指令して、教育の民主化を推し進めたが、その中で教員に組合の結成を許した。
そもそも主権国家の教育の指針というのは、国家の所管事項なのではなかろうか。
主権国家の主権者は、国民の教育に深く関わって、「自分たちの子弟には、こういう教育を施して将来こういう国民に仕立て上げる」という指針を示すことは、統治者としての専管事項なのではなかろうか。
ところがアメリカという国は我々とは国の成り立ちが違っているわけで、州によってかなり大きな自治権を認められているので、「自分たちの子弟の教育は、自分たちで考えるから国家は関与するな」というものである。
だから州の教育委員会が学校に関与しているが、我々の国はアメリカの一州にも満たないほどの矮小な国土で、アメリカの制度をそのまま日本に転化し得ないのは当然である。
だが、戦後の日本の教育界は、アメリカの制度をそのまま真似たので、国家の関与が希薄になった分、先生、組合員、いわゆる共産主義者の跋扈が甚だしくなった。
共産主義者の本質的な使命は、日本民族の内部からの弱体化であったわけで、内部から民族の魂を食い散らして形骸化した上で、革命を成功させようという狙いがあった事は言うまでもないが、それに戦後の日本の国立大学の先生が深く関わっていたことを忘れてはならない。
これはアメリカの占領政策としての日本民族の弱体化の方針と、その意図と利害得失が完全に一致していたわけで、この時に教育界に入り込んで共産主義者の教育が、今日の日本の混迷を形作っているのである。
日本が戦争に負けた時、昭和20年8月に、兵役が解除になって元の職場としての学校や、新たに学校の先生として赴任した人はかなりいたと考えられる。
そういう人は、自らの過酷な体験や、みじめな境遇を経ることによって、共産主義に共鳴した人もかなりいると思う。
そういう人は、主義主張を越えて純情で、心が清らかな人達ばかりだと思うが、だからこそ、この世の矛盾が我慢ならずに、理想の世界を追い求めていたに違いない。
こういう純情で心の清らかな人が、その理想を追い求めれば追い求めるほど、現実の乖離は深くなるわけで、それは戦前の若者が富国強兵が実現すれば豊かになれると思い違いしたのと同じように、平等社会が実現できれば人々は心豊かに生きれると思い違いしているのである。
戦前の軍国主義が否定されて、天皇陛下の為の政治が、国民の為の政治として主権在民という言葉で詠われるようになったが、国民が国民の為に政治をするのであれば、自分の祖国の国旗や国歌を心から畏敬の念を持って敬ってもバチは当たらないと思う。
民主国家で、主権在民なのだから、国民のどんな我儘も許されるというのは、論理的に整合性が成り立っていないわけで、「祖国の国旗や国歌を敬うのが嫌ならば、日本国籍を捨てて他国の国籍を得なさい」という事になる。
日本国籍を持ったままで、日本の国旗と国歌を蔑にする態度は、日本の国内では許される行為ではない。
戦後の日教組のいう「民主教育」という言葉の弊害は、人権という概念であって、人権という言葉を水戸黄門様の印ろうのように免罪符として遣う点である。
そもそも、子供に人権をあると認識して、子供も大人も同じ人権という言葉で一括りするので、論議がかみ合わないのである。
大人の格好をしていれば、すべて均一の人権があるかという話も大いに疑問があるわけで、この人権という言葉がまさしく免罪符としてあらゆる場面で権威を振りかざしているので、物事がおかしくなるのである。
つまり、生まれたばかりに赤ん坊でも、成人と同じ人権という言葉で一括りしようとするので、大きな齟齬が生じるのである。
特に、幼児期の躾の場面で、生まれたばかりの赤ん坊を一人の人格者として捉えるので、ついつい甘やかすことになり、結果として躾に失敗するという事になる。
母親の子を愛する無償の愛の対象としての赤ん坊と、その赤ん坊が後に大人の期待に応えてくれる立派で晴れがましい人間としての大人と同一視することは間違っている。
赤ん坊から大人になるまでの間に、社会人としての立ち居振る舞いを備えること、つまり躾が完備出来た人間のみに人権が備わるわけで、人間の形をしたもの全てに人権があるわけではない。
若い母親が、赤ん坊の意思を尊重すると称して、幼児期の躾をスポイルしたら、その赤ん坊は野放図な大人になり、社会的に自立できずに世間の厄介者になってしまう。
戦後、日本の教育界に君臨してきた日教組という共産主義者の集団は、彼らの基本的立ち位置が、日本民族を骨抜きにして、日本に共産革命を起こすことを最終目標としていたが故に、日本の次の世代を担う若者の教育を根本的に破壊する点にあったわけで、その目的はかなり部分成功している。
戦後66年を経過した日本は、まさしくアメリカの狙い通り、共産主義者の狙い通り、彼らの政策は見事に功を奏しつつある。
今の小学校の学級崩壊も、それらの子の親の世代の教育の結果であったわけで、そういう親を教えたのが戦後の第一世代の今の若者のおじいさんおばあさんの世代である。
今の80代の世代は、終戦の状況を身を以て体験しているので、この世代は戦後の民主化教育を何の抵抗もなく受け入れざるを得なかった。
この世代の子供の世代は、戦後復興の高度経済成長の中で、自分の子供の教育などに関わっておれなかったので、母親と学校に任せっ切りであった。
この世代の子供が、今の小学生であり中学生であるわけで、ここまで来るともう日本人ではなくて、異星人という感覚でしかない。
この本の後半ではアメリカでの実態も述べられているが、アメリカの高校生の婚外妊娠、出産、シングルマザーとうとうという言葉は一体どうなっているのであろう。
アメリカでの大人という定義は、恐らく州によって違っているであろうが、少なくと高校生が妊娠して子を産むという現象は、私の想像を越えた行為である。
これがアフリカのマサイ族だとかアマゾンの奥地の現住民というのならば納得できるが、アメリカという文明国の中で、高校生が子を産むなどという事は考えられない。
高校生が赤ん坊を連れて登校するなどという事は想像もつかない。
ならば、その赤ん坊を産んだ高校生は学校に何しに来ているのだろう。
そういう生徒に行政は教育を施さねばならないのだろうか。
父親は一体何処の誰なのだろうか。
高校生が学校に赤ん坊を連れて登校し、授乳の時間まで用意されているとなると、果たして高校生としての教育が成り立っているのであろう。
この現実を見せつけられると、改めて「教育とは何ぞや」という原点に立ち返らなくてはならない。
この問題と同時に、高校生の銃による殺傷事件のことも述べられているが、こういう現実を踏まえて、教育とは一体何なのであろう。
近代化した民主主義の世界では、何処の国でも、どの民族でも、基本的には高学歴志向である。
小学校よりも中学校、中学校よりも高等学校、高等学校よりも大学という風に、普通の人々は高学歴に惹かれる。これは一体何故なのであろう。
世の中には勉強の好きな子がいるのと同じように、嫌いな子も同じようにいると思うが、世間一般では勉強の好き子は話題に上がるが、勉強の嫌いな子は決して話題にもされない。
世の中で功なり名をなした人は、その大部分が勉強の好きな部類の人であったことは間違いないが、社会全般という大きな枠組みで捉えた時、決して「駕籠に乗る」人達だけで成り立っているわけではなく、学校の勉強など大嫌いだが「駕籠を担いだり、草鞋を編むことの好きな」人達の存在があって始めて社会そのものが成り立っていると思う。
人間に執って、教養・知性というのは無いよりは在った方が断然有利であるが、学校という施設は勉強の好きなものにだけ開かれるべきだと思う。
学校というのは、公立であろうと私立であろうと、ただで生徒に奉仕する機関ではないわけで、生徒にあることを教えるという行為には金が掛かっているので、赤ん坊を抱えて登校するような生徒に、それを享受する資格が備わっているであろうか。
正式に結婚して、たまたま「年が若い」という理由ならばまだ納得の余地があるが、未婚で、父親も判らないでは野良犬や野良猫と同じなわけで、これが果たして人権というにふさわしい有り体であろうか。
この本にも述べられているが、そういう人間は、その親も同じような過程を経ているので、代々父親も判らない子を産んでは、生活保護を受給する生き方しかなく、トータルとして社会の重荷になっている。
18歳の女子高生が赤ん坊を産む、当然、その高校生には生活能力がないので、親にパラサイトしなければならないが、その親も生活保護を受けているでは、社会に対してなんらプラス効果を果たしていないわけで、そんな社会は当然のこと生き残れずに衰退に向かうと思う。
この地球上に生まれた人は、普遍的な思考として高学歴を望むが、学歴を得て、それを生かして名を成し功を上げた人は教育の効果があったと言える。
ところが、意味もなく学校に行くでは、行政の教育投資が無駄になっていると思う。
飲み屋のオーナーや、喫茶店の店主や、コンビニの店長や、スターバックスの店長に大学教育など本当は必要ないと思う。
にもかかわらず、日本でも、アメリカでも、その他の先進国でも、大学教育というのは今では義務教育の観がする程普遍化してしまって、進学しなければならない、進学すべきだ、もっともっと充実すべきだ、という論調であるが、この風潮の中には勉強の嫌いな人間のことは何一つ加味されていない。
ただ人間は成長の過程では考え方が大きく変わるのが普通で、若い時は若気の至りで「勉強など嫌いだ」と思っていたが、社会生活を重ねるにしたがって好奇心が刺激され、自分の身の回りのことをより深く知りたいという欲求に突き動かされることも往々にしてある。
そういう時に、そういう人にも門戸を開いておくことは当然であろうと考える。
高等教育というものが、本人の確たる意思で門をこじ開ける人に開かれているのならば、大いに納得であるが、進学する人が周囲の雰囲気に吊られて、あいつが行くから俺も行く、出ておけば就職に有利だ、という発想で門を叩くのであれば、大いに疑問を覚える。
世間の学歴尊重の基底には、「大学を出た人間ならば社員として使えるに違いない」という待望論があると思うが、そもそも企業が大学出に期待を掛けることからして、機会均等を犯していると思う。
最近は差別の問題から転化して、応募要項に学歴を記す欄を無くしたという企業も出てきたらしいが、出来る人間というのは、本来学歴とは関係のない話だと思う。
如何なる国でも、学校という施設に対する期待は、自分の国に貢献する若人に学識経験を付与する使命を背負っていると思う。
自分の国に貢献する若者を仕立て上げるべき施設であって、そのことを通じて自分の祖国も立派になり、それに伴って一人一人の国民も豊かになることが期待される施設だと思う。
学校で得た学識経験で以て個人が先に豊かになって、個人が豊かになることによって祖国が豊かになるという構図も大いにありうると思う。
なので、身体の立派な若者を、ただ単に遊ばせておく施設ではない筈であるが、先進国の学校教育、特に高等教育機関は何処でも大人の遊園地化しつつあるようだ。
高校生が赤ん坊を作って、その親子が社会的に大いなる貢献をして、社会の為にな何か立派な仕事をして、納税する立場を維持できればいいが、恐らくそういうことは期待できないのではないかと思う。
避妊の仕方を知らないままセックスをするような若者が、その後、社会の役に立つ立ち居振る舞いが出来るわけがないではないか。
そういう連中に何故に行政は教育を授け、生活保護を与えなければならないのかと問いたい。
ただ日本でもアメリカでも、教育に関しては非常に視点が甘く、本質的に勉強が嫌いな子供にまで何とかして授業を受けさせようとするが、それは勉強の嫌いな子供にとっては拷問にも等しい行為だという事に気が付いていない。
人間の生き方、人の社会というのは「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」で成り立っているわけで、高学歴を目指すという事は「駕籠に乗る人」に成りたいからそれを目指すわけで、自分で駕籠を担いだり、その草鞋を作ることが好きな人にとっては、学歴など最初から不要なのである。
だから学校というのは本来勉強の好きな人だけが行けばいい所であるべきで、金が無かったり、勉強が嫌いだったり、先生が気に入らなければ、行く必要はさらさらないと思う。
にも関わらず、世間の人は、何が何でも良い学歴が欲しいと願っているのである。
ただ「勉強がしたい」という人には大きく門戸を開いておくべきだと思う。
そういう意味では年齢制限など最初から設けず、「来るものは拒まず、去るものは追わず」の精神でなければならないと思う。
大学というような高等教育の場も、本来ならば万人に解放されるべきで、先生方の独壇場にしてはならないと思う。
日本民族の倫理観の低下と、アメリカの婚外妊娠の蔓延などのケースを見ると、もう世も末という感じがする。

「いまこそ国益を問え」

2011-10-27 17:47:21 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「いまこそ国益を問え」という本を読んだ。
著者は桜井よしこ女史。
この著者、妙齢な美女でありながら口から出る言葉は非常に辛辣できつい言葉である。
言葉だけ、いや文章から推察する限りにおいては、とても女性とは思えないような内容である。
彼女の存在はかなり前から知ってはいたが、この本の表紙からとてもその内容が思い浮かばないくらいだ。
近頃の風潮としては、男性よりも女性の方が余程しっかりしているような気がしてならない。
この本はおもに2008年の世情が主題となっているので、少々タイミングのずれを感じるが、その論旨はいささかもブレていない。
考えて見れば、物事の真理とか根拠というふうに、核になる部分というのは時代の推移によってそうそうブレる筋合いのものではないはずで、その意味で彼女の言う論旨は全て正論ではある。
しかし、人が社会生活をする上で正論のみでは動かないのもこれまた真実ではないかと思う。
正論と偽善の間に、生身の人間の悩みがあるわけで、その葛藤を掘り下げることが、これまた「小説よりも奇なり」となるのである。
その意味で評論家というのは極めて安易な存在で、究極の極楽トンボのままで居れる。
周りの者の悪口を言っているだけで、具体的なことは何もせずとも食っていけるわけで、口先ではいくらでも正論が言えるが、物事の当事者ともなれば、そういう綺麗ごとでは成り立たないことも多々あると思う。
彼女も、国益という言葉をこれだけ前面に出してしまうと、どうしても綺麗事だけを口にする連中を敵に回さねばならなくなる。
たまたま彼女がこの本の中で、大江健三郎の『沖縄ノート』の話が出ているので、国益という言葉に固執すると、私はどうしてもこの大江健三郎という小説家の人格と価値観に不快感を覚えずにはおれない。
昭和の初期の我が同胞の政府及び旧日本軍が、実に無意味な戦争に国民を駆り立てた不合理は、いくら糾弾しても心の癒されるものではないが、軍人だからといって鬼か夜叉であるかのように同じ同胞を見做す思考というのが果たして小説家というような文化人の考え方としてあっていいものだろうか。
小説家だから想像をたくましくするという事はあるかもしれないが、事実を調べもせずに、ただたんなる自分の思い込みで、個人としての軍人を糾弾する行為は、明らかに人間としての理性を欠いた不遜で尊大な思い上がった所業だと思う。
昭和20年という時代状況の中で、アメリカ軍が敵前上陸して来る沖縄の島、目の前で文字通りの死闘が展開している中で、戦闘の渦中にある地元住民が生きる可能性を見出せず、自決しようと考えることは、当時の日本人の心情としては必然的な行為だろうと思う。
その中で、梅沢裕氏と赤松喜次氏は住民の「自決用の手榴弾をくれ」と言う要求を拒絶して、生き延びるように諭しているわけで、これは私に言わしめれば、あの過酷な状況の中における極めて希有な、大いなる美談だと思う。
それを事もあろうに大江健三郎氏は真逆に捉えて、「軍の指揮官が自決を強いた」と記述したわけで、その真意は一体何であったのだろう。
敵に囲まれた集落の中で、長老格の老人が先行きを慮って、若い指揮官に自決用の手榴弾をくれと言ってくる中で、若い指揮官が長老格の老人に、生きることを説く光景を思い浮かべると、私個人としては目頭が熱くなる思いがする。
あの戦争が軍部の独断専横で始まった事は否めない事実であり、政府の戦争指導が稚拙であったことも事実であり、そういう事実の積み重ねの結果として、日本の敗戦があったけれども、個々の将兵に敗戦の責任があったわけではない。
私に言わしめれば、『鉄の暴風』と言われる状況の中で、この二人の指揮官のとった処置は極めて優れた采配だと思う。
いくらアメリカ軍が掃討作戦、ローラー作戦で攻めて来ようとも、民間人には戦う義理は少しもないわけで、そういう意味から自決する必要もなく、白旗を掲げてアメリカ軍の前に出て行けば、命だけは助けられたにちがいない。
結果として、この二人の指揮官が手榴弾を渡さなかったので、地元住民は自決せずに生き延びたわけが、一旦死に損なったら今度は生きるために知恵を絞らねばならず、戦後の補償を得るためには、「軍に命令されて自決を強要された」と言った方が有利だったので、嘘の証言をしたということである。
これが事の真相だろうと私は考えるが、敵の攻撃、アメリカ軍の敵前上陸、『鉄の暴風』、収容所へ隔離、戦後の生活等々の混乱のことを考えると、真相の究明ということも非常な困難を伴う作業だったと思う。
そして、そういう混乱した状況を政治的に利用する人達の存在こそ憂うべき事柄だと思う。
桜井よしこはこの『沖縄ノート』を著した大江健三郎を糾弾しているが、彼女の意見には私も完全に共感を覚える。
問題とすべきは 何故、大江健三郎ともあろう者が、我が同胞を辱め、貶めようと、公的機関を使ってまで我を通そうとするのかという点である。
それと同時に、この裁判では大江健三郎の著述を、名誉棄損で告訴した梅沢、赤松両名の方が敗訴している。
要するに、大阪地裁は軍の住民への自決の強制はあったと結論つけているわけで、原告は当然控訴したけれど最高栽でも大阪地裁の判断は覆らなかった。
結論として、「命令したかしなかったか」の真実は水掛け論なわけで、物的証拠がないので、世評に迎合し、順応し、世間に受け入れやすい無難な判断になったということだと思う。
沖縄の慶良間島と渡嘉敷島において、昭和20年にアメリカ軍が上陸したが、その時島の守備隊として防衛に当たっていた日本の指揮官に対して、島民が「自決用の手榴弾をくれ」と言い募って来た。
それに対応した指揮官は「民間人の自決は意味がない」と言って諭し、延命を助言した。
ところが戦後になって、住民の復興支援の中で、軍の関与を強調すれば、支援が受けやすいという状況があったので、「軍から強制された」と虚偽の申告をしたため、それがさも真実かのように定着したという事だ。
この一連の情勢の変位の中で、戦後の沖縄で、軍の強制で犠牲になったという言辞を弄すれば、支援が受け易かったという背景そのものが既に世論の左傾化を示している。
既にこの時点、昭和20年の敗戦、沖縄の場合、島全体が占領された時点で、つまり昭和20年6月の時点で、沖縄の人々の心は日本民族に対する離反、祖国に対する不信感が歴然と表面化しており、彼らの深層心理の中では完全に日本民族、大和民族に対する怨嗟の感情が醸成され、左傾化していたということである。
無理もない話で、沖縄という島のおかれた地勢的な位置からして、沖縄は如何なる国に所属しようとも、何処までいっても「辺境の地」なわけで、主権の核心に成りえない位置にある。
つまり、「沖縄国」にでもならない限り、主権の中心には成りえないわけで、その意味からして何処の国に所属しようとも、辺境であることに変わりはない。
言い方を変えれば、如何なる国に所属しようとも、ひがみ根性を払拭し切れないということである。
日本に属する前は清国と薩摩に二股膏薬を貼っていたわけで、両てんびんに掛けて、都合の良い方にすり寄るという生き方しか選択の余地がなかったと言うことだ。
だから彼らは主権国家の中の、つまり今の日本の例でいえば、主権の中心から一番離れた場所で生きているわけで、そういう立ち位置に生きる彼らは、自らの存在感を誇示するために、主権者に対して反発をして、存在感を示さなければ加護が受けられないのである。
つまり、乞食に徹して、物乞いをしなければ生を維持できないのである。
昔ならば、主権から離れた辺境は、何の手当てもなく据え置かれたが、戦後の民主国家は、日本全国、津々浦々に至るまで公平に福祉を実践しなければならない。
だとすれば、乞食として物乞いを効果あらしめる為には、中央の注目を引きつけねばならず、中央の言う事に素直に従っていては存在感が薄く見られるので、強力な抵抗勢力としての演出をしなければならない。
戦前の我々の同胞は、お上の言う事に実に素直に従って、結果として奈落の底の突き落とされたわけで、沖縄の人達も、その経験を踏まえて、「金輪際、政府に騙されてなるものか」という心根で以て、住民の政府に対する不信感は抜き差しならない物になってしまった。
ここまでは沖縄のおかれた事情ということで理解できるが、小説家としての大江健三郎が、何故に、個人の名誉を踏みにじってまで、同胞を故意に貶めるような仕儀に至るのかという疑問である。
小説家として、戦前の軍部を批判し、負けるような戦争を推し進めた戦争指導者を糾弾する心情は、あの戦争で生き残った日本人ならば皆同じように共有するものだと思う。
だからと言って、それを個人の名誉を踏みにじるような文章に仕立てて、それを金儲けに繋げるでは、余りにも教養人としてあさましい振る舞いと言わざるを得ないではないか。
それと同時に、このケースの場合、名誉棄損で告訴した者が敗訴するという事は、訴えた側が嘘を言ったという事になるわけで、それを審議した裁判官の心理も不可解千万である。
そこにあるのは究極の左翼思想であって、「悪いのは我々日本人同胞の政府であり、日本の軍隊であって、こういう政府や軍隊は存在するだけで悪だ。日本人は中華人民共和国に奉仕し、大韓民国に奉仕し、朝鮮民主主義人民共和国に奉仕し、中華民国に奉仕すべきだ」という発想ではないかと考えられる。
究極の同胞不信の発想であって、言い換えれば、「日本人、日本民族というのは存在するだけで悪だ」という思考を裁判官が示したということだと思う。
大江健三郎が風評をよりどころとして著述して、後から真実が解明されて、その風評は間違っていたならば、著者としては素直に謝罪すればそれで問題は終わってしまう。
ところが、最高裁はこの大江健三郎の記述を歴史的事実として認定してしまったわけで、真実を葬り去ったという事になる。
風評を既成事実として認定してしまうと、南京大虐殺や、従軍慰安婦問題のように、どこまでも言われなき事柄に謝罪し続け、金を要求され続けることになるが、それで国益はどうなるのであろう。
桜井よしこ女史は、この本の中で、大江健三郎に関する記述はこの部分のみであるが、私としてはこの部分が一番心にひっかかった部分である。

「周恩来と日本」

2011-10-20 10:18:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「周恩来と日本」という本を読んだ。
サブタイトルには「苦悩から飛翔への青春」となっている。
著作者としては一人の人間が書き下ろしたものではなさそうで、王詠祥・高橋勉編著、周恩来穎超研究会訳となっている。
この体栽から推察すると、王詠祥という人が中国語で書きためたものを高橋勉氏が編集して、それを周恩来穎超研究所が日本語に翻訳したという事なのであろう。
読み始めて冒頭から余りにも大げさな賛辞が続いて、もう少しで放り出す所であった。
こういう大げさな賛辞、いわば褒め殺しのようなゴマの摺り方は、どうにも鼻に付く。
権威にへつらっているような感じがして、どうにも不愉快な感じがするが、読み進んでいくうちに、その内容に引き込まれた。
この本は、要に、周恩来が1917年大正6年から1919年大正8年まで日本に留学しようとして滞在していたが、結局は目的の学校に入学することが叶わず、その分中国革命にそのエネルギーを注ぎ込んだという話である。
如何なる立志伝中の人物でも、その人格形成の基礎には教育があるわけで、周恩来もその意味で、日本で勉学に励んで、それなりの教養知性を身につけるつもりで東京まで来たことは確かである。
ところが、彼の場合は、たまたま運が悪くというか、受験勉強の方法が悪かったのか、結果として東京高等師範学校も、第一高等学校も失敗したので、官費留学のチャンスを失ってしまい、引き上げざるを得なかったという事だ。
彼は日本に留学するについては、友人知人、或いは親戚縁者からかなり借金をして日本にわたって来たらしいが、こういう状況は今の蛇頭の有り体と全くウリ二つではないか。
日本と清王朝が戦った日清戦争は1894年明治27年、日露戦争は1904年明治37年、周恩来が日本の地に足を踏み入れたのは、日清戦争から約23年目に当たるわけで、その間の日本はまさしく旭日の勢いであったに違いない。
そういう背景があればこそ、孫文も、蒋介石も、日本に学ぼうと考えたのだろうと思う。
丁度、日本が太平洋戦争に敗北して、20年ぐらいたったころから、我々の同胞はそれこそ戦勝国のアメリカになびいたのと同じことがそこでは展開していたわけだ。
負けた国の人間が、自分達を負かした国へ渡って、何かを学び取ろうという考え方は、ある意味で当然の思考遍歴なのかもしれない。
自分達を負かした国には、何か学ぶべきものがあるだろうと考えるのは当然だと思う。
我々の近現代史を俯瞰した時、この明治の後期から昭和の初期の時代の我々同胞の精神構造、ものの考え方、国際的な場での立ち居振る舞いというのは、どうにも品位を欠いたものであるが、これは一体どういう事なのであろう。
当然、単純に思い浮かぶのは、日清・日露の戦いに勝ったが故の驕り、慢心、不遜な思考という事は誰の目にも明らかだと思う。
だとすれば、それに対する反省が内側、つまり我々の同胞の中から、目の前の行きすぎに対する自責の念が何故出なかったのだろう。
江戸時代の鎖国を解き、明治維新を経て、日清・日露の戦いに勝利したので、日本の勢いというものが、まさしく登る太陽のように眩しく見えたのは、我々日本の同胞のみならず、中国人も、朝鮮人も、そう思い、そう感じ、そう期待していたに違いない。
ところが現実の日本は、押しも押されもせぬ帝国主義であり、軍国主義者であったわけで、その萌芽がこの頃から芽生えて来たという事なのであろう。
それが対華21カ条というものに象徴されているわけで、それは合わせて中国人に対する蔑視でもあったわけだ。
周恩来という人は、毛沢東と並べられて、新生中華人民共和国の巨頭の一人であるが、この二人には毛沢東が悪玉で周恩来は善玉という構図が成り立っている。
毛沢東には悪評がついて回っているが、周恩来にはそれがない。
しかし、この両名は新生中国の車の両輪であったことは否めないわけで、この両名の連携軸の上に、中国の民衆が乗っかっていたということであろうが、その事を端的に言えば、中国人の生存競争の生の実態であったわけで、そこには人間の理性や知性の及ばない、本質そのものがモロに露呈していたという事なのであろう。
人間の本質といえば、言うまでもなく生きることであり、生き抜くことであり、子孫を増やすことであり、自己の利益を最優先することであり、自己の欲望を最大限満たすことであり、人を踏みつけてでも自分が生き残ることである。
それを中国の民の13憶が日々繰り返しているということである。
ここで、人類の発明した学問は、そういう赤裸々な人間の本質、つまり人間が生まれ落ちた時から本質的に持っている、自然の感情、自然の摂理を、理性や知性で覆い隠してカモフラージュすることである。
人間がネコやイヌと同じように自然の欲求のまま行動していては、野生動物と同じなわけで、それでは万物の霊長としての估券に関わるので、理性と知性で以て、「自然界の自然のままの生き方ではないよ」、とアピールするのが学問という自己欺瞞の振る舞いだと思う。
人間、霊長類と称せられる人類が、野生動物と同じ行動パターンを呈していては、自然界に君臨する値打ちもない。
それで、尤もらしく「考える」という行為によって、自然界の動物とは行動パターンを異にすることが、学問と称する欺瞞行為である。
だから、学問を習得した人は、元の自然の摂理を超越した思考をすべきが本来の姿であるが、どうしても人間の意思が弱いが故に、自然の摂理に従う方が楽なので、楽な道を選択してしまい、そこを克服しきれずに引きもどされてしまう。
例えば、自分がトップで、自分を支えてくれるスタッフが大勢いたとして、自分のやり方を批判し、盾突き、苦言を呈する部下は、真にトップの事を思って言っているのだろうけれど、実際の感情としては小うるさくて、疎ましく思い、疎遠にしたくなるもので、結果としてゴマを摺ってすり寄ってくる部下を重宝したくなるというものだ。
人間の歴史はこの繰り返しなわけで、誰かがトップになっても何時の間にかその組織は崩壊して、又新しい組織が誕生し、そして崩壊して行くという繰り返しが人間の歴史だと思う。
その中で大きく後世に名を残す人の存在は、良きつけ悪しきにつけ、その連続性の中で特異な動きをなした人だと思う。
人類には脳の中で考えるという機能が備わっているので、自然界の動物とは行動が同じではなく、銘々の個々が、それぞれに物事を頭脳の中で考えるという行為が出来るので、本能のみで身の処し方をしているわけではない。
つまり、銘々の個々の人間は、自分達でリーダーを選択し、選択したリーダーに従うかどうかも、自分たちの銘々の脳で考えるので、個々の人間の動きは極めて複雑怪奇になるのである。
選択されたリーダーも、自分で考える能力が備わっているので、ついてくる者を如何に使って、自分の得になるように振舞うか知恵を絞るようになる。
それが統治するものとされるものという二極分化になるわけだが、人間の社会が未成熟の状態ならば、その大部分の人は、自分が如何に虐げられても、それを天の定めだと認識して、「世の中全てこんなもんだ」と了解している。
ところが此処で教育というものが進んで、他者の行動とか有り体を知るようになると、自分との比較において不平不満が出、個人の欲望を満たす欲求が強まり、自分たちは他者に虐げられ、差別され、搾取されているから自立しようという運動になってくる。
ところが、辛亥革命までの中国では、社会のリーダーは部族のリーダーが兼ねていて、部族の中の力のある者が他者を押さえつけて君臨し、専制君主で治まっていたが、近代化して社会が成熟して来ると、そういう専制君主では統治が成り立たず、人民の中から人民の為の統治を代行する者を選出することになったので、部族のトップであろうとも統治の手法を失ってしまったのである。
人民の中から自分達を統治する人間を選出するのだから、選出された方は統治権を人民から委嘱されるわけで、それはあたかも部族のトップが持つ統治権と極めて酷似していることになり、新しい部族の専制君主制となるのである。
基本的には人民から選出された統治者は、人民の為にこそ統治権を行使すべきであるが、この部分が案外難しくて、人民の為と言いつつ、自己の利益、自我の欲求に従順な施行という事も大いにありうる。
中国という国はアジア大陸の大部分を内包するような大きな国なので、ある地方のブロックごとに自治を認めて、合州国のような形態にすればよさそうに思うが、それをどうしても中央集権的な国にしようとするものだから、必然的に地方と中央で格差が生じてしまう。
そんなことは太古の昔から判っていそうだが、それがそうならないところが人間の愚かな所なのであろう。
人間の生き方は基本的に自然の摂理に則って、「猿の軍団」の在り方に酷似しているわけで、同族の中の力のある者が周囲のものを引き連れて生き続けるわけで、他の集団を認めてそれと連携して、双方が無理なく生存し続けるという発想は、長い歴史を引きづっている部族こそ、しにくい形態であろうと思う。
アメリカのように、新参者がお互いの利益と相互扶助を認める意識があれば、そういう理想郷が実現しえるが、悠久の歴史を抱えた種属では、過去の歴史が邪魔をして、そういう発想には至らないのが中国の現状だと考える。
何処まで行っても中央集権を追い求めるので、中央と辺境では格差が生まれるわけで、そこには当然のこと不満が鬱積して、流血の騒ぎに至るというのが定番である。
だが私に言わしめれば、悠久の歴史を誇る中国人が、アメリカや日本に留学するという事も実に不思議なことではなかろうか。
今、中国経済は陽の登るが如く隆盛を極めているが、その中で中国のオリジナルのものが何一つないという事は一体どういう事なのであろう。
偽ブランド品の横行、知的財産権の侵害などという事件は、中国にはオリジナリティーが一つもないということを示しているわけで、これは一体どういう事なのであろう。
人類の発明品の中で、羅針盤も、紙も、火薬も、中国の発明品と聞いているが、20世紀以降の文明開化の時代になると、そういう人類の生存に貢献するような発明品が一つも現れないという事は一体どういうことなのであろう。
日本と中国の関係で言えば、日本の文化は中国の川下に当たることは今更言うまでもないが、その川下に、上流の中国から何故に留学に来るのかと不思議でならない。
それは、あの時代の日本の近代化に幻惑された軽率な振る舞いであったわけで、あの時代の日本、明治維新を経て、日清・日露の戦いに勝つた日本の姿に、同じ日本人も、又アジアの諸国民、諸民族が幻惑されるのも無理ない話ではある。
だからこそ孫文も、周恩来も、蒋介石も日本に来たのであろうが、やはり彼らは大陸の人間で、日本の薄っぺらな繁栄の裏側にまで洞察力を効かせて、底の浅い好景気の本質を見抜いていたという事なのであろう。
私の意地の悪い見方で言えば、目先の利徳を追って日本に来てみたけれど、得るモノを得たら長居は無用と、火傷をする前に身を翻して、さらなるジャンプの機会を追って本国に帰ったという事だろうと思う。
人間というものを人類という大きな視点で眺めると、それぞれの地域に住むそれぞれの民族は、それぞれに特異性を持っていると思う。
それはある意味で当然のことであり、人として普遍的なことであるが、人の在り方として大きく「口舌の徒」と、物つくりの得意な人という分け方が成り立つと思う。
アジアの民は、基本的に、モノ作りとして体を動かすことよりも、皆でワイワイと、人の噂に華を咲かせて政治を司る方に価値を置いている。
漢民族でも、朝鮮民族でも、文武両道と言いつつ、文治の方に価値を置いているわけで、自分達を力で守るという方には価値を見出していない。
まして物を作る人には何の価値も見出さず、そういう事をする人はとして、奴隷並みの扱いでしかなかったわけで、この考え方がアジア大陸の大部分の民族には普遍的に広がっていた。
アジアの人々の気風としては、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という比喩の中で、「駕籠の乗る人」にばかり注目されるが、如何なる社会でも、「駕籠を担ぐ人」がいなければならないし、「草鞋を作る人」がいなければ社会そのものが成り立たない。
この世に生まれ出た人は、全て、駕籠に乗る立場を羨望することは当然であるが、誰でも彼でもなれるものではない。
日本が明治維新を経て近代化に一歩先んじたのは、この「草鞋を作る人」の存在価値を自覚した点が大きなポイントになっていると思う。
最初に西洋の進んだ文物を見て、「あれと同じものを自分で作ってみよう」という発想が、その後の日本の近代化の底力として底流に流れていたと想像する。
中国や朝鮮では、物を作る人の価値を認めず、ものを作る行為を、や奴隷のする下等な仕事として、卑下し、軽蔑して、自らそれに取り組もうとしないので、近代化に立ち遅れたに違いない。
政治・統治という時、その具体的な仕事は、皆でより集まって、人の噂話や揚げ足取りに現をぬかして、ああでもないこうでもないと議論することであって、それこそ文字通り「口舌の徒」であるが、物つくりというのは自分のアイデアを自分の裁量で実践できるわけで、その過程がやっているものにしか分からない面白さがあると思う。
ところが「口舌の徒」にはその面白さが理解できないわけで、お互いの価値観は何処まで行っても平行線のままという事になる。
中国の共産革命でも、毛沢東も、周恩来も、物つくりの本質的な意義を知らなかったと思う。
だから近代化を推し進めるに際して、大きな失敗を経験して、その経験から学んだ部分は多々あろうが、失敗に伴う犠牲という事にまで思いが至っていないと思う。
最近の事例でも、高速鉄道が事故を起こしたら、その事故を起こした車両を地中に埋めて隠ぺいするなどという発想は、まさしく物つくりの精神を軽視する思考そのものではないか。
失敗の原因を究明して、それを明日への教訓に生かすという思考に至っていないわけで、それでは未来の展望は期待できない。
モグラ叩きの原理と同じで、頭を出しかけたモグラは次から次へと叩くが、叩き続けているうちに時間が経過して、旧態依然のままの状態が何時までも続く、という事なのであろう。
今日の中国は経済成長が目覚ましい、その目覚ましい繁栄の裏側に何が隠れているかが問題だ。
この経済成長が偽ブランド品と知的財産の侵害で成り立っているとしたら、我々はそれをどう考えるべきなのでなのであろう。

「復員・引揚の研究」

2011-10-17 09:48:49 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「復員・引揚の研究」という本を読んだ。
著者は田中宏巳という人で、1943年生まれの防衛大学校の講師だった人だ。
標題から、当然の事、大東亜戦争の幕引きに関する記述という事は察しれるが、何故我々はああいう愚かな戦争を推し進めたのであろう。
10年ほど前、ガンを患って東京築地にある国立がんセンターに通院した時期があった。
その時に、診療の空いた時間に、皇居の北側にある千鳥が淵戦没者墓苑を訪ねたことがあった。
そこに設置してある大きなレリーフの世界地図を見ると、あの戦争で日本が進出した地域が全部網羅してあるという事が一目瞭然と理解できた。
太平洋のほぼ全域とアジア大陸のほぼ全域が描かれていて、かつての日本の版図が描かれているが、これを見て私はつくづく日本が何と愚かな戦争をしたのか不思議な気持ちになった。
戦後になって、新生日本の厚生省は、この地図で描かれた全地域から遺骨の収拾をしたわけで、言い方を変えれば、旧日本軍はこの全域に軍隊を派遣したということである。
そういう思いでこの地図を眺めると、私のようなバカな頭脳でも、これだけの地域に兵隊を送り出して補給はどうしたのだろう、と素朴な疑問が湧いた。
この本の著者も素直に、旧日本軍は太平洋の全域に兵隊をばら撒いたので、兵力の集中を欠き、敗れるべくして敗れたと述べているが、誰が見てもこういう戦争の仕方は愚の骨頂でしかない。
我々が戦争の敗北を語る時、なんとも不可解なことは、我々は確かにアメリカからは完膚なきまでの敗北であったことは否定のしようもないが、アジアの南の部分と中国大陸では果たして本当に負けたかという事は甚だ疑問だと思う。
それと、国際社会の生存競争を生き抜く、勝ち抜くという事は、基本的には武力に依存する他ないという事が歴然としているが、元々、我々の祖国は資源小国で、世界を敵に回して戦い続けることなどどだい無理だったわけで、昭和初期の日本の指導者には、その現実が本当に解っていなかったのだろうか。
世界各国の軍人が旧日本軍に対して下す評価は、「下士官以下の兵は世界一優秀であるが、高級将校は上に行くほどバカだ」という事が定着していたと聞くが、日本の軍人が自分たちの世界的評価を組織が解体されるまで知らずにいたのだろうか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を見ると、昭和初期の日本の戦争指導者、東條英機、島田繁太郎、松井石根、山下泰文、板垣征四郎、辻政信、永野修身等々の軍人は、今回の戦争、第2次世界大戦、大東亜戦争をどういう風に考えていたのか不思議な思いがする。
戦後になって巷間によく言われているように、海軍兵学校や陸軍士官学校に進学した若者は優秀であったと言われているが、昭和初期の日本の政治的リーダーは、その大部分がこういう学校のOBであったではないか。
そういう優秀な学校を出た、優秀と言われた若者達のOBが、結果として日本の奈落の底の突き落とした事を、戦後の我々、昔流にいえば銃後の国民はどう考えればいいのであろう。
日本を焦土と化した根本的な理由は、海軍兵学校や陸軍士官学校のOBとしての軍人と、東京帝国大学法学部出身の内務省の官僚達の杜撰な統治であったわけで、こういう人たちは私ごときが足元にも及ばない程の秀才、秀逸であった筈なのに、そういう人が何故、あまりにも愚昧な戦争を煽り、刈り立て、推進し、結果として祖国を灰にしてしまったのか不思議でならない。
千鳥が淵戦没者墓苑の大きなレリーフに描かれた世界地図、主に太平洋とアジア大陸が描かれているが、これを眺めて、我々の先輩はどうしてこんな愚かな戦争をしたのか、と感じない人は極めつけの愚鈍だと思う。
この本にも描かれているが、太平洋の小さな島に送られた兵隊たちは、アメリカ軍と戦う前に、マラリアや飢えと戦わねばならなかったわけで、こんなバカな作戦があってはならない。
そんな所に兵員を送る決断をした司令官は、戦争のプロフェッショナルの資格が最初から欠落していると言わねばならない。
我々が戦後66年を経た今でも、歴史の教訓として考えなければならないことは、組織として、プロとしての資格を欠落した者をそのままプロとして使うという温情主義、まさにぬるま湯的な処遇の撲滅である。
この時期の日本の兵制において、海軍は海軍兵学校のOB,陸軍は陸軍士官学校のOB、官僚は東大法学部のOBで成り立っているわけで、その組織の中では先輩、同輩、後輩で成り立っている。
上を見ても下を見ても、右を見ても左を見ても、全部自分たちの同窓生なわけで、お仲間の集団である。
誰かが大きなミスをしても、そのミスを庇い合う土壌が必然的に出来上がっているわけで、ミスした者を厳しく糾弾して、イジメ抜くという事は心情的にあり得ない。
どこまで行ってもぬるま湯的な雰囲気は払拭し切れず、庇い合ってお互いの保身に繋げていたのである。
太平洋全域に兵隊を少数ずつ配置するアイデアだって、自分たちの先輩か、同輩か、後輩の誰かが、その人なりに理由つけをして、その人なりの整合性をくっつけて提案してきた以上、頭から否定して、突っ返すことが出来なかったに違いない。
だから総体的に見てバカげた案であったとしても、同窓生としてしぶしぶ顔を建てて、不承不承であろうとも承認せざるを得ず、結果として何の罪もない兵隊を無駄死にさせてしまったという事だ。
昭和初期の日本社会の雰囲気で言えば、天皇陛下の赤子としての皇軍兵士を、敵と戦う前に、マラリアや飢餓で死なせるなどという事は、帝国軍人の高級参謀としてはあってはならないことではなかろうか。
牟田口廉也のインパール作戦、栗田健男の謎のレイテ沖撤退など、戦史をひも解けば高級参謀の失敗の数々が数えきれないほどあるわけで、そういう失敗の集大成として日本の敗戦があったわけだ。
私が不思議に思う事は、海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、こういうところを卒業してきた人が本来バカである筈がない。
なのに何故彼らは自分のバカさ加減が自分で自覚できなかったのかという点である。
俗に「バカは自分のバカが判らない」とは言うが、だから「バカだ!」と言われるとも言えるが、世界的な視野でみて、日本の下士官は優秀だが、日本の高級将校、高級参謀はバカだ、という認識は世界的に認められていて、世界の指導者は全部その事を知っていた。
知らなかったのは日本の戦争指導者のみで、そのバカな戦争指導者が、バカな作戦をしたものだから、天皇の赤子である皇軍は、本来の敵であるアメリカ兵と戦う前に、マラリアと飢餓で倒れてしまったわけだ。
国を統治する、いわゆる政治という事には、失敗も数限りなくあることは認めざるを得ないが、統治が上手く行った時は、人々は全くその実績を評価しない。
この本では戦争の後始末として、海外に派兵させられた軍人軍属の撤退と、民間人の撤収の事が記されているが、この事業は実にスムースにいったと思う。
将兵の数約300万、民間人の数も約300万、戦争が終わって何とかかんとか引き揚げの拠点にまで辿りつけたものは、比較的スムーズに移行が完了したが、こういう風に目標と目的が明快な事業は実にスムースに事態が推移する。
ところが、大東亜戦争というのは最初から明確な目標もないまま軍部がずるずるとなし崩し的に嵌り込んで行って、最終的には泥沼から足が抜けなくなってしまい、アメリカを敵に回してしまったから結果として祖国を恢塵にまで貶めてしまった。
軍部の独断専横を止め切れる才覚のある人がおれば、こういう事には成らなかった。
そういう人材は軍部の中にはいないわけで、どうしても軍部の外の人となると、例の治安維持法で口を塞がれているわけで、一編の法規をかたくなに順守する知識人というのも何とも不可解な存在だと思う。
私の皮肉な見方からすれば、治安維持法の存在を盾にして、言うべき事を言う勇気のないことを隠ぺいしていたという事ではなかろうか。
その事を真摯に反省すべきであるが、その時に考えなければならないことは、軍人・軍部の独断専横と言ったところで、野武士や山賊の集団ではないわけで、きちんとした海軍兵学校のOBや陸軍士官学校のOBで、その辺りの有象無象の輩ではなかったはずだ。
なのに、そういう人達に何故理性ある、乃至は知性的な議論をして、論理的に整合性のある説得が出来なかったのかということになる。
もっと極端の言い方をすると、我々は戦争の遂行は実に下手だが、戦争以外の統治なら極めて上手にこなすという事だ。
戦争が下手だという事は、おかしな言い分と思うかもしれないが、日清・日露の戦いに勝ってしまったが故に、我々は戦争が上手だと勘違いしてしまったが、基本的には我々は対外戦争が事の他下手だった。
日清・日露の戦いに勝って、本来ならば「勝って兜の緒を締めよ」であるべきところを、我々は慢心してしまって、成功事例に酔いしれてしまって、もの事を合理的視点で眺めるという事を忘れてしまったわけだ。
そういう愚劣な振る舞いを、我々レベルの低俗な人間がするならば何ら不思議ではないが、海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たような秀逸の人々が、そういう合理性を欠いた思考回路に嵌り込んでしまったという点が不思議でならない。
ならば、こういう学校で国費で執り行われた教育は一体何であったのかと、学歴コンプレックスの私としては思えてならない。
明治維新以降の日本政府は、日本という我々の祖国が映えある国家として、未来永劫、下々の平和と安寧を願って、戦争のプロフェッショナルを養成し、官僚のプロフェッショナルの育成に勤めて来たわけで、国土を恢塵に化すような輩を養成してきたはずではないと思う。
本来、優秀であるべき海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たOBが、何故、国家を潰すような仕儀に至ったのであろう。
いくら日本軍の高級参謀が愚昧だと言ったところで、一人や二人の司令官の作戦の失敗でこうなったわけではないはずで、日本の敗北ということは、軍、政府、官僚をひっくるめた国家としての組織それ自体のメルトダウンとしか言いようがないと思う。
国家としての国体がメルトダウンしても、邦人の復員・引揚げの事業はせざるを得ないわけで、そういうことになればなったで、その場に直面した人が全知全能を傾けてそれを遂行したという事だと思う。
戦後になって、我々の祖国は台湾と朝鮮を植民地支配し、満州に傀儡国家を作って、帝國主義的搾取を行ったかのような言い方をする人がいるが、全く実態を理解していないと思う。
台湾と朝鮮の統治は極めてスムースに行われ、日本の統治の最大の受益者は、彼の地の元々の住民であったはずである。
台湾と朝鮮の統治も、我々の側の深層の心理の中には、領土の拡充という要因も含まれていたとは思うが、我々は西洋先進国の帝国主義丸出しの、ただたんなる富の収奪という発想ではなかったわけで、現地人も日本人も共にその地の繁栄に貢献しようという温和な発想であった。
この理念は充分に生かされて、我々には現地の人々を搾取するという発想はなかったが、現実の生活面では現地人との間に大なり小なりトラブルが生じたことは否めない。
ただこの場合、現地で我が邦人が、現地人に対して優越感を見せびらかして、尊大に振る舞い、威張り散らす輩がいたことも事実だとは思うが、そういう輩はどういう民族にもおり、何処にでもいるわけで、だからと言って日本人がトータルとして台湾人や朝鮮人を蔑視しているというわけではない。
我々の側に如何に悪意がないと言っても、統治されている側からすれば、異民族に統治されている事に変わりはないわけで、いくばくかの違和感がぬぐい切れないのも当然ではある。
この台湾総督府、朝鮮総督府のトップに軍人がなった事は、当初は反乱の危惧を考慮してそうなっていたが、民間人に移行しても何ら支障なく遂行された。
という事は、戦争以外の大きなプロジェクトも、我々の民族は案外上手にこなしてきたわけで、戦争というビッグ・プロジェクトを軍人がやると、大やけどをして祖国を灰にしてしまったという事になる。
戦争のプロフェッショナルが本来の自分たちの職務を完遂できない、自分たちの本職を全うできないでは話にならないではないか。
戦争に負けるような軍人ならば、「給料返せ」、「恩給を返納せよ」、「死者を生涯弔え」という欲求が銃後の民から出ても何ら不思議ではないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑に掲げてある地図、アジアの大部分と太平洋の大部分の地図を眺めて、こんなに戦域を拡げれば、勝てる見込みは最初から望めない事は一目瞭然とバカでもチョンでも判る。
こんなバカでもチョンでも判ることが、昭和初期の日本の軍人、海軍兵学校や陸軍士官学校を出たOBとしての戦争指導者たちに理解できなかったという事をどういう風に考えたらいいのであろう。
世界の軍人が、「日本の高級将校はバカばかりだ」というのも、大いにうなずけるが、本来、優秀であった筈の日本の軍人が、何故こうも愚昧な立ち居振る舞いをするようになってしまったのであろう。
その根本のところには、私の個人的な思考ではあるが、明治維新の時の四民平等という理念による階級制度の全否定がその根本原因だと思う。
そもそも江戸時代には、士農工商エタヒニンという身分制度が屹立していて、人々を統治する武士という階層は、全人口の10%以下だったと思われる。
その武士は、武装集団としての機能と、政治家としての機能、官僚としての機能を併せ持っていたわけで、一人で何役もこなすマルチタレントであった。
そういう集団が国内に300近くもあって、それぞれに自治が確立されていたが、これが近代国家となると、一つに集約されて、統治するセクションと武装集団、要するに国の用心棒のようなセクシュンに分離された。
そこで政府は近代化を早急に実現すべく、人材を手っ取り早く集める為にペーパーチェックを課して、その成績順に人材を登用するシステムを考案した。
このシステムは非常に公平な面もあるが、学業成績が立身出世のバロメーターになったことで、点取り虫の世界になってしまい、実務の実績と立身出世がリンクしないようになり、そこに齟齬をきたす幣害を内包していた。
これを是正しようとすると、既得権益を侵すことになり、既存の先輩が異議を差し挟み、その弊害が除去されないまま組織解体まで来たという事だと思う。
海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、それぞれの組織の中では、それこそ先輩、同輩、後輩でつながっているわけで、いわば全員が同じ釜の飯を食った同窓生で、何か不都合なことがあっても、お互いに庇い合うという精神構造が出来上がっていたに違いない。
プロジェクト遂行の中で何か大きな失敗や瑕疵があっても、それをとことん追求して、失敗の原因を究明し、その失敗を教訓として生かすという発想がないものだから、失敗を隠してお互いに庇い合うことをした。
その失敗の原因を何処までも追及するという事をせず、お互いに庇い合うので、失敗の本質が判らずじまいになり、結局は同じ失敗を繰り返すという事になったのである。
だから戦争以外の大きなプロジェクトでは、少々の失敗しても人命が直接損なわれることがないので、問題にならないが、それが戦争では直ちに人命にかかわってくるので、失敗は許されない筈である。
ところが、こういう場に居合わせた司令官や高級参謀にとっては、兵隊の人命など1銭5厘のハガキ代でしかないわけで、いくら作戦の遂行に失敗しても何ら痛痒を感じず、人的被害に何の痛みも感じていないので、同じことを何度も繰り返すのである。
それを見た世界の戦争のプロフェッショナルたちは、「日本の高級将校、高級参謀はバカではないか」という感想になるのである。
日本のような資源小国が、アジア大陸と太平洋という2正面戦争が成り立つわけがないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を眺めて、日本の戦争指導者は何とバカだったのだろう、と思わない人はいない筈だ。
日本の戦争が敗北であったという結果から、軍人が責められるのは当然であるが、軍人や軍部の独断専横を許した他の者の責任も、いくらかは考察する必要があると思う。
東大法学部というのはあの時期内務省に多くの人材を送り込んでいた筈で、その内務省を通じて大いに戦争遂行に尽力したように思えてならない。
それとは別に、政治や統治を批判すべき役割を持った集団がいると思う。
つまり、メデイアや大学教授や知識人と言われる人々で、こういう人達が軍人の独断専横に何処まで抑制的なブレーキを仕掛けたかという点も戦後の反省としては必要ではないかと思う。
不思議なことに、あの戦争中も、日本の国会は完全に機能していたわけで、その中で軍人が肩で風切って闊歩していたことは容易に想像できる。
だが、それに対してメデイアや、大学教授や、知識人と言われる人々や、政治家は、彼らに対して、論理的に整合性を持った議論で、冷静に、理性的に、知的な論理で以て、そういうアホっぽいバカな軍人に、何処まで彼らの愚を説いたのであろう。
何もせずに、軍の組織が自壊するまで傍観していたと言うのであれば、これもまた実に無責任な話だ。
ここで素朴な疑問が湧くわけで、こういう指導者は無学文盲の輩ではなく、最高度にレベルの高い教育を受けているわけで、その結果としてこういう愚にもつかない仕儀を招いたとなると、彼らの受けた高度の教育は一体何であったのかという事だ。
日本の最高学府で学んだ秀才の導き出した結論が、日本を焦土化することだったとしたら、我々は高度な教育というものをどう考えたらいいのであろう。
日本を焼け野原に仕向けた責任者は、当時の日本で最高の学問を享受した最も優秀と言われた人たちであったわけで、そういう人がどうして自分の祖国を奈落の底の突き落とすような政治をしでかしたのであろう。


「『恥の文化』という神話」

2011-10-15 10:39:39 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「『恥の文化』という神話」という本を読んだ。
著者は長野晃子という人で、1938年生まれの東洋大学の社会学部の名誉教授名ということだが、私と同世代の人だ。
しかし、この標題からも推し量れるように、ルース・ベネジェクト女史の『菊と刀』に対する反論というか、批判というか、反発する内容ということは一目瞭然と察しが付く。
ルース・ベネジェクト女史の『菊と刀』に対して、反論を提起することは日本人として当然のことであるが、ただ下手に振舞うと、彼女の名声に対するやっかみと執られかねない状況を呈するから、その点には注意が肝要だと思う。
この著者も、その傾向が顕著で、ルース・ベネジェクト女史の論旨が、ヒュー・バイアスという人の二番煎じだ、ということが綴られているが、こういう論旨が出るという事は、既に彼女に対するやっかみとか嫉妬の領域に入るのではないかと思う。
特に、学者の書く作品は、小説家の書く作品とは違うわけで、前の研究者の実績の上に、新しいアイデアを積み重ねていくわけで、その部分で先人の実績の残滓が残っている事もままあると思う。
学問というのは、先人の実績の上に又新しい実績を積み上げて成るものだと思う。
何の関係もない空白のスペースに、いきなりある特異な実績が湧きたったり、降り落ちたりするものではない筈である。
ある人の功績には、その前に居た人の実績が何らかの形で反映されるものだと思う。
小説ならば、個人の頭の中だけで考えたことを文字に移せば、それはそれなりに成り立つが、社会科学では、或いは人文科学では、フイックションではありえないので、過去の先人の実績の上に、あらたな実績を積み上げるものである以上、誰かの影響が作品の中に反映されていたとしても何ら不思議ではない。
この本の著者は私と同世代であるが、私が若い時にこの本を読んだ時の率直な感想は、「対戦国の女性が日本の土を一歩も踏まないのに、よくこれだけ大和民族の本質を掘り下げたものだ」、という驚異が先に立った。
この『菊と刀』が日本で出回った当初の、日本の知識階層の反応は、極めて冷ややかなもので、大声でこの本の評価を吹聴するものはいなかった。
つまり、敗戦直後の日本の学者には、この『菊と刀』に匹敵するような研究そのものが現実にはありえなかったと同時に、この本は我々日本民族をまさしく丸裸にして世間に曝した様な印象を受けたに違いない。
少なくとも私自身は、そう感じて、アメリカの女性に日本男子が丸裸にされて、街頭を引き回されている構図が頭の中をよぎった。
私のような鈍才、愚才がそう感じたのだから、大学教授というような人ならば、私が感じる以上に鋭敏に大和民族としての恥辱を思い浮かべたのではないかと思う。
ただ日本の知識階層は、思想的に極めて軟弱というか、独善的というか、一人よがりなタコつぼに嵌り込んでしまって、小宇宙的な視野でしかものが見えず、象牙の塔に逃げ込んでしまって、外からの大きな視野で物事を見つめる勇気を持っていない。
本来が農耕民族なので、田舎の代官様や地主様というような古い価値観に盾突くことが出来す、我が身の平安を願うあまり、波風を立てることを忌避する安全志向を目指す水飲み百姓の根性そのままだ。
それは大学の自治という概念に極めてよく現れている。
すなわち、学問としてならば、何をどういう風に研究してもいいが、大学という施設が治外法権の場ではないという事は当然のことであって、シャバで悪事を働いても大学に逃げ込めば官憲の力が及ばない、という論理は明らかに間違っている。
しかし、戦後の日本の知識階層は、こういう風に大学の自治を故意に曲解して憚らなかったではないか。
最高学府の人間が、こういう考え方をいささかも恥じないという事は、実に嘆かわしい仕儀ではないか。
「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という屁理屈ばかりを並べて、明らかに自明なことを極度に曲解して悪知恵を働かせることに長けている学識経験者という輩を我々はどう捉えたらいいのであろう。
戦後の日本の学識経験者が、べネジェクト女史の『菊と刀』を評価しなかった背景には、彼女がアメリカ国務省の仕事として戦時情報局というセクションに属していたので、我々の概念でいえば対日作戦の遂行者の一人というわけで、彼女の立場が純粋にアカデミックな立場ではなかったから、そういう意味の反発もあったに違いない。
それと、この本の執筆が、対日占領政策に寄与する目的を持っていた、という点も見逃がせないポイントであろうが、私のような俗人は、こういうアメリカの施策に対して驚嘆を覚える。
日本とアメリカは、正面から5分と5分の戦いをしたわけで、結果的には物量に勝るアメリカに日本は負けたが、その戦いの本質を我々は大いに研究する余地がある。
あの太平洋戦争を始める時点で、我々の側に勝ち目はないという事が薄々わかっていたにもかかわらず、奈落の底に転がり落ちて行った経緯は、真摯に検証する必要がある。
アメリカは物量に優れていたので、それさえ同等であれば日本は負けなかった、という仮定は成り立つかもしれないが、これではまさに関ヶ原の合戦レベルの思考であって、こんな戦争を想定していたとするならば、海軍兵学校も陸軍士官学校も不要だ。
日本が過去において海軍兵学校や、陸軍士官学校を擁していたという事は、関ヶ原の合戦レベルの戦争を想定していたのではなく、最小の努力で最高の戦果を得る手法を考えていたのではないのか。
鉄砲も弾も無いのに「精神力で戦え」などと言ってもどだい無理な話で、こんなナンセンス極まりないことを何故に海軍兵学校や、陸軍士官学校のOBが支持していたのだ。
戦争のプロフェッショナルを自認する連中が、自分たちの行いの不合理さ、不整合さ、支離滅裂な思考や行為を何故自覚できなかったのだろう。
まさしくバカの上塗りそのものではないか。
海軍兵学校や、陸軍士官学校は当時の日本の優秀な人材が蝟集していたので、彼らならば銃がなくても弾がなくても戦争遂行が可能だったとでも言うのだろうか。
敵のアメリカ人からすれば、「何故、日本人はそんなバカな戦争を続けるのだろう」といぶかるのは当然の事だと思う。
「そういうバカな民族を統治するにはどういう手法が一番ベターなのか、一つ大学の先生方研究してくれ」、という要求が軍から大学にあっても当然だと思う。
この部分の発想の相異を、日本の大学の先生方、及び日本の知識階層は気が付くべきであった。
昭和の初期の段階で、軍人の専横が甚だしくなって来た時、軍人の横暴に論理的に整合性を持った理念で以て、そういう跳ね上がった思考に対して、その矛盾を説き、武力による解決が相手の反感を招く、という極々当たり前の論理を展開すれば、元々が優秀な頭脳の持ち主である青年将校なのだから、自然の摂理を理解しないという事はないと思う。
それが出来ずに、軍部に対して傍観者の立場で、象牙の塔に引き籠ってしまったのが、この時代の大学教授という知識階級であったわけで、この大学教授をはじめとする知識階層の身の振り方、身の処し方が、日本とアメリカでは大きく異なっている。
この本の著者、長野晃子東洋大学社会学部名誉教授も、戦後の日本の知識階層の一人として、象牙の塔の中から人の著作の揚げ足取りには所為を出しているが、日本政府が将来の日本国民を如何様に育てあげるべきか、日本民族の未来に資する対応は如何にすべきか、という大きな視点が抜け落ちている事に本人自身が気が付いていない。
大学と軍、べネジェクト女史の場合は国務省であるが、が協力し合って、アメリカという国が如何に効率的に占領国を統治するかを研究するということ自体、日本の知識階層には想定できない事だと思う。
過去の日本では、軍からの依頼を受けて大学が研究をするという事は、兵器の開発にはいくらかあるようだが、人文科学の面で、台湾や、朝鮮や、満州の統治に関して、国や軍から大学が何らかの助言を求められるというケースは皆無ではなかったかと思う。
また軍は軍で、大学に助言を求めるという事は、軍の估券に関わると思っていたかもしれないが、こういう事はそれぞれの民族の発想の相違なわけで、ものを考える時の元の元のところの思考の起点が違っているので、これは何とも参考の仕様がない。
生きるという事に関して、我々は水稲を育てて、春に田植えをして秋に取り入れをすることを生業にしているが、西洋人は、陽がな羊や牛を追っていたわけで、物事の考え方は根本的に違って当然である。
だからルース・べネジェクト女史の書いた『菊と刀』が、少々我々の実態の描写と違っているからと言って、鬼の首でも取ったかのように振舞う必要はない。
著作は著作として、その努力は素直に認めるべきで、細かい揚げ足取りに終始してはならないし、我々が考えなければならない事は、戦勝国が敗戦国を統治するのに、相手の本質をよりよく知るという謙虚な態度だと思う。
戦勝国が敗戦国を統治するについて、如何にすれば最小の努力で最大の効果が得られるか、と大学に研究を委嘱するという態度・発想は、我々の発想にはない物の考え方だと思う。
20世紀の近代化国家としては、本来ならば、戦争をする前に相手国の国民性やら、国情やら、軍備の配置について開戦前に詳細に大学に研究させて、その研究成果によって、戦争のプロフェショナルとしての軍部が、開戦を何時如何なるタイミングで、どこから攻め入るかという計画を研究するのが本筋だと思う。
昭和の初期という時代に、我々の側にこういう思考が果たして存在していたであろうか。
政府も、軍部も、大学も、日本の先行き、アジアの先行き、地球規模の政治と外交の確執を解きほぐす思考というのはありえなかったわけで、ただただその場その時の時流に対処療法的に対応するのみで、綿密なプランに沿って将来を組み立てるという思考は我々の側にはなかった。
私個人としては、この『菊と刀』を一番最初に読んだ時、まさしく感嘆そのものであった。
アメリカの大学教授が、国務省に協力したという形であったとしても、日本の土を一歩も踏まずにこれだけの事を書いた、という事が驚きそのものであった。
本の内容の可否は、それぞれの読み方によって、それぞれに価値が違ってくるであろう事は当然であって、それはそれで由とすべきである。
だが日本の識者は、その内容にこだわり過ぎて、その内容の可否を論ずることに姦しく、この本が出版された背景を見ようとしていない。
こういう部分に、我々同胞の近眼視的な視点があって、教養知性に溢れた学識経験者ならば、そういう近眼視的な物の見方ではいけないので、全体を大きく俯瞰する視点をもたなければならない。
そんなことは学者ならば当然わかっていることで、そのわかっているのが当然なことを順守しないから、世の中がいびつに偏向するものと考えられる。
昭和初期の日本だって、立派に民主主義は機能し、議会制民主主義は生き残っていたにもかかわらず、教養知性に溢れた学識経験者が粗暴な軍人、粗野な青年将校と称する無頼漢のサーベルの音に委縮し、それこそべネジェクト女史の言う恥の文化を身を以て体現していたわけで、戦後まで生き残ったこういう人たちは、べネジェクト女史にどう反論できるのだと言いたい。
学徒出陣で出征した若者が特攻機で勇ましく散華して行く中で、それを送り出した側の教養知性に溢れた学識経験者らは、家の中で軍人のサーベルの音に縮み上がっていたということだ。
戦後における戦争への反省の中で、あの狂気の戦争を遂行したのは軍人・軍部の独断専横だった、という言辞が普遍化して誰もがその論旨を安易に受け入れているが、その裏側では当時の日本の知識階層がそういう風潮を陰になり陽になって支援していたという背景がある事を忘れてはならない。
戦争のプロフェッショナルの軍人・軍部が間違った道を歩んでいる時、その間違いを知性と理性で正すべき使命を負った当時の日本の知識階層、政治家、大学教授からメデイアの幹部が、その使命を放棄したという点も、我々は追求して然るべきだと思う。
戦後まで生き残ったこういう知識人にとって、彼らが高等教育で享受した教養・知性とは一体何であったのだと言いたい。
戦後の日本で、ああいう状況の中でかろうじて生き残った学識経験者が、ルース・ベネジェクト女史の『菊と刀』を読めば、彼らとしては身の置き所がなかったに違いない。
それこそ街中を丸裸で引き回されている心境にいたったと思われる。
地球上に生存する諸民族は、その置かれた地勢的な条件によって、その生き様は多様に違ってくると思う。
けれども、それぞれの民族のそれぞれの生き方には、どれが悪くてどれが良いという価値基準は基本的に存在していないわけで、それぞれの民族はそれぞれに自ら種を維持する為に最良と思われる手法を自ら考え、自ら実践して、それぞれの民族を生きながらえている。
つまり、言い方を変えれば、生存競争を生き抜いているという事になるが、この生存競争を生き抜くという行為には、正邪、善悪、善し悪しという価値基準が当てはまらない。
そういう価値判断で地球上の人類を眺めると、善人悪人、良い人に悪い人という言い方になってしまい、それは嵩じてくると「侵略した、しない」という論理なってしまう。
ところが、これは陽がな学問を積んだ人の自慰的で独善的な思考なわけで、自分は学者であって為政者とは別のポジションから人々の有り体を傍観しているから、こういう独りよがりな思考に陥るのである。
有象無象の人々を引っ張っていく為政者の立場からすれば、他者から何と言われようとも、自らの人民を引き連れて行かねばならないわけで、侵略であろうとなかろうと、良い事であろうとなかろうと、隷下の人々を飢えさせるわけにはいかないので、人々を引き連れて前に進まねばならない。
それが生存競争の現実なわけで、そういう場では綺麗事を言ってはおれないわけで、何が何でも自らの人民の為に生き抜かねばならないのである。
人類の過去の歴史の中では、為政者が私利私欲で、人民を酷使して、自分だけ良い目をした為政者も数限りなくいたので、その他大勢の人民の中には、自分たちで自分たちのリ―ダーを選出しようという動きが出て来て、それが民主政治と言うものである。
だから、今の先進国の政治形態はおおむねそういう線になっている。
とはいえ、それぞれの民族の政治形態は、それぞれの民族が自分たちで良いと思った手法を選択しているので、皆同じではないが、自分たちの国が少しでも良い国に、住み易い国にと思う心は皆同じだと思う。
自分たちのリーダーの立ち居振る舞いが良い評価を得ることは案外難しく、誰でもけなすことはできるが、ならばどうすれば良い国、住み易い国に出来るか、となると答えはないという事になる。
我々の場合、高等教育機関で学業を積んで、学識経験豊富な知識人になると、政治家という職業に携わっている人たちが、阿呆に見えるようになるのも或る意味では納得できる部分がある。
これは如何なる民族でも基本的には普遍性がある事実だと思う。
しかし、自分の国を良くしようと思ったら、学者も政治家も協力し合わなければならないことも自明のことであって、如何なる国でもそれは普遍的なことであり、アメリカは比較的スムースにそれをしているが、我が国ではそれがならないというところに大きな問題があると思う。
その大きな問題というところが、学者の側の軍に対する嫌悪感だと思う。
花鳥風月を愛し、自然を友としようとする、人畜無害の暇つぶしを生業とする学者が、陣地を取ったり取られてして血なまぐさいことを生業とする軍人と相容れるわけがないではないか。
テクノロジ―の分野では、お互いの好奇心がすり寄るという事があるかも知れないが、基本的に象牙の塔は軍の対極の位置にあるものだと思う。
学者が、政治家や軍人を蔑視する考えそのものが、日本が奈落の底に転がり落ちた遠因ではないかと思う。
先に述べたように、学者が軍人のサーベルの音に縮み上がっていたというのはこのことを指している。
学者と軍人を2つ並べてその本質を掘り下げた時、人類の理想としては軍人に学者以上の広範な学識経験が必要なのではなかろうか。
何となれば、軍人には必然的に実効力としての武力が備わっているが、学者にはそういう力はないわけで、いわば人畜無害というわけだ。
武力を行使する機会と権力をもった軍人ならば、それを行使する際には学者以上に広範な知識と高い理想・理念と、深い愛情を備えた人でなければ、その力の行使に不安が伴うわけで、安心して軍人の行為を見ておれない。
しかし、学者の立ち居振る舞いというのは最初から最後まで、徹底的に無責任でおれるわけで、計画がいくら当初の案からはずれようとも、それに対する責任という事は問われないわけで、言い放なしのしっぱなしで済ませれる。
厳密に考察するとこうなると思うが、我々の過去の歴史も、今現在の状況もこういう風にはなっていない。
戦時中、軍人のサーベルの音に縮み上がっていた学者が、戦後、軍人が追放されると、それこそわが世の春を謳歌して、戦争の敗因の責任を全部軍人と軍部に追い被せて、「当時は治安維持法があったのでモノが言えなかった」としらを切っている。
一遍の法律をそれほどまでに遵守していたとしたならば、日本に警察は要らないではないか。
「治安維持法があったからモノが言えなかった」という論理は、「原発は事故を起こすから作るな」という論理と全く同じなわけで、目の前の事象に対して極めて短絡的な反応をしているということであって、あまりに幼稚な思考回路を指し示しているということである。
それは人間の英知を根本から否定する思考であって、人間がものを考えて進化することを拒否する考え方である。

「中国 危うい超大国」

2011-10-12 10:06:09 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「中国 危うい超大国」という本を読んだ。
スーザン・シャーク著、徳川家広訳という本で、結構新しい作品であり、膨大な分厚さであった。
このスーザン・シャークという女史は、アメリカのクリントン政権下において、対中国関係の外交面で表舞台に立って活躍したアメリカ屈指のチャイナ・ウオッチャーということだ。
彼女の論旨は、その全てが的を得た正鵠を示しているので、我々としてはそれを大いに参考にすべきではある。
しかし、私の個人的な視点から見ると、彼女もやはり西洋人の本質をそのままその思考の中に出してしまっているので、我々とはその潜在意識の部分で少なからず違和感を感じずにはおれない。
そもそも中国人は、紅毛碧眼の西洋人に接する時と、同じモンゴロイドのアジア人に接する時では、その最初の出会いからして違っている。
アングルサクソン系のヨーロッパ人に接する時にはそれこそコンプレックスの塊であるが、それが同じアジア人に接する時は優越感の塊となるわけで、この極端な態度の変化は、彼らの基底にある中華思想のなせる技だと思う。
こういうアジアの状況、アジアに住むモンゴロイド系の潜在意識というのは、アングルサクソン系のヨーロッパの人々には理解しがたいものではないかと思う。
中国の歴史は4千年とも5千年とも言われているが、ヨーロッパの歴史もおそらく同じ時間であったに違いないが、記録というものがないので、その分曖昧な部分は否めない。
その中国の悠久の歴史の中で、中華思想は連綿と生き続けていたわけで、何代も何代にもわたって、漢民族は「この世で一番優れた民族だ」ということが語り継がれてきた。
中国人の全ての人が「漢民族こそこの世で最も優れた民族で、他の民族は全てが漢民族より劣る存在で、そういう野蛮人、別の言葉でいえば夷狄ということになるが、そういう人々は漢民族に従うべきだ」という認識から脱し切れていない。
ところが19世紀の後半に、中国の沿岸に来襲した西洋人は、漢民族、その時に実際に中国を統治していたのは女真族、いわゆる満州民族の清であったわけだが、漢民族にしろ、女真族にしろ、アングルサクソン系のヨーロッパの人々の出現は想定外の出来事であった。
彼らが持ち込んだ銃器の威力にはド肝を抜かさんばかりに驚かされて、それ以来というもの、紅毛碧眼のヨーロッパ人に対してはコンプレックスの塊となってしまったのである。
ところが彼ら、中国人の古典的な宇宙観では、漢民族こそがこの世で最も優れた民族であって、中国をとりまく周辺の民族は全て夷狄であり、そういう野蛮人は漢民族の皇帝に対して朝貢をして当然であった。
そうすれば漢民族の皇帝としては寛大な措置を講ずる、という統治の仕方で以てアジアを支配していたのである。
東アジアでは朝鮮までがその中国、漢民族、いや厳密には女真族の支配に汲々と服従していたが、こと日本、倭の国に限っては、その支配に屈しなかったのである。
我が民族の先輩諸氏が中国の支配に服しなかった理由は、我々の強い意志というよりも、地勢的な条件で、我々と中国の間に海があったという単純なものであろうと思うが、歴史的な結果として、我々は大陸の民族の支配には一度も下らなかったという実績が残った。
逆に、19世紀の終わりには、日本は彼らの巨大な大清帝國を正面戦争で打ち負かしてしまい、20世紀初頭には、これまた中国の地で戦争をして実効支配してしまった。
彼らが日本、つまり彼らの言う夷狄の一つである、倭に敗北してしまったということは、我々が考える以上に彼らにとっては大きな屈辱であったに違いない。
これが西洋人のような紅毛碧眼の人達に征服されたのならば、その屈辱感は日本人のものとは比較にならない程温和であり、ある意味であきらめの境地であったに違いない。
我々が対中問題で常に頭に入れておかねばならい事は、中国人、特に漢民族というのは、自らの非を決して認めないということである。
日本と清が戦争をして、清が負けたのは、「清は決して悪くないが、日本が侵略的な意図を持っていたからだ」、という論理を展開するが、自分たちがなぜあの小さな日本に負けたか、という自らの反省は一切しないのである。
自分たちの敗因を論理的に分析して、それを将来の参考にするという思考にはならないわけで、その場その時の状況に合わせて、ただただ感情的にわめき散らすというだけで、それは一種のパフォーマンスでしかない。
19世紀末のアジアの近代化の時期のついては、アジアの如何なる国も同じような状況であったと思う。
ヨーロッパからの予期せぬ外来者の来襲は同じようにあったであろうし、それに対する処置も、それぞれに似たり寄ったりであったろうと想像するが、その後の対応では歴然と差が出て来たわけで、その対応の差が近代化の格差となったという事だ。
この近代化の格差も、基本的には当事者の意識の所為であるが、それは同時に自分たちの対応の不味さということにもなるが、彼らはそういう認識には至らないのである。
「自分達の対応の不味さ」という認識に至らないということは、彼らは自己の反省をしないということで、自分たちの敗北の原因を他者の所為にするわけで、「勝った側が悪い」という論理になる。
嘘か本当か知らないが、彼ら中国人は、夫婦喧嘩も家の中で夫婦だけでするのではなく、街頭にまで出て自己の主張の正当性を何の関係のない人にまで誇示すると言われているが、まさしくこれと同じ行動パターンを演じているということだ。
この本の著者は極めて鋭い観察眼のチャイナ・ウオッチャーなので、その観察も実に的を得た正鵠であるが、その鋭い観察眼で戦後の中国人の思考を分析している。
その彼女の目に写る現象でも、中国人は対日問題を中国国内の大衆の不満の鬱積に対するガス抜きとして利用している、という指摘は的を得た視点だと思う。
特に、革命の実行者が世を去り、革命を自ら体験していない世代が多くなると、過去の実績に疎く、目の前の現実に幻惑されて、その場その時の雰囲気に流されて、大衆受けのする決断を迫られるわけで、それはある意味で中国の大衆の本音の表明でもある。
つまり、中国の人々の底流に脈々と流れている潜在意識の表れ、とみることも出来るわけで、それを一言で表現するとするならば、中国の歴史に連綿と引き継がれている中華思想、中国こそが周囲の夷狄から崇められるべき立場の民族であって、その秩序を乱す考えは断固排除すきであるという、中華思想、華夷秩序という思考方式となる。
ヨーロッパ系の人々では、いくら中国に対する鑑識眼が練れていようとも、中国の悠久の歴史の真髄は、文献からしか得れないと思うが、中国の周辺の諸民族は、それを体験として皮膚感覚で理解し合えるのである。
この本の著者も、西洋人のチャイナ・ウオッチャーとしては極めて優れた才能をひけらかしているが、アジア人の深層心理を探る、という点に関しては現場の人間の方に一分の利があるように見える。
特に、20世紀初頭の日本の大陸進出については、教科書通りの認識しか持ち合わせていないようにしか見えないので、その深層の部分については言及が掘り下げられていない。
今の中国の若者、建国の苦労を知らない世代、革命の経緯を知らない若者は、中国共産党が単独で、自分たちだけの力で革命を成し、建国の実績を上げたかのように思い込んでいるが、中国の大地において中国共産党が革命を成就させた背景には、旧日本軍の中国進出という事態があったればこそ、革命が成し得たわけで、中国共産党だけでは国民党政府を打倒できなかった、という現実を真摯に直視する必要がある。
日本が日中戦争に嵌り込んで行った背景には、盧溝橋事件があったことは論をまたないが、この事件こそが中国共産党の罠・策謀であって、我々はその罠に嵌められて国民党政府軍と交戦するに及んだのである。
その後の経緯としては、日本軍が国民党政府軍を追い詰めたので、共産党が中国の地で有利なポジションを得ることが可能になったのであって、そういう事実は革命の当時者、建国の当事者の世代は、そういう経緯を充分に承知しているので、何の整合性もない荒唐無稽な反日の議論は出てこなかった。
歴史の現実を真摯な目で直視すれば、日本は1945年8月15日、中国との戦争に真から敗北したわけではない。
日本は連合軍に、その中でもアメリカ軍に敗北したのであって、中国の大地で国民党政府軍に敗北したわけでもなく、中国共産党の八路軍によって東シナ海に追い落とされたわけでもない。
中華民国が連合軍の一員であったが故に、連合軍に敗北した関係上、武器を置いて戦うことを一方的に止めただけで、中国の国民党政府軍に敗れたわけでもなく、共産党軍に敗北したわけでもない。
日本が中国の地で戦うことを止めた後になっても、国民党政府軍と共産党軍はその後4年間も戦い続けていたわけで、結果的に共産党軍がシナ本土を席巻して、中華人民共和国の建国ということになったが、その後、中国共産党は自分たちの国の建国を全部自分たちの功績として、その実績を横取りしてしまったのである。
それでも、この時点で、革命を自ら推し進め、建国に自ら身を挺した世代は自分たちの建国に日本の存在があったればこそ、その事業が成し得たという実感を共有していた。
ところが中国の存在、中華人民共和国という共産党の作り上げた国が、世界に認知されると、彼らは自分の存在を少しでも大きく見せようと様々な手法を講ずるわけで、それはエリマキトカゲが敵を威嚇する心理と同じことを演ずるようになったのである。
その手始めとして、反日教育があったわけで、日中戦争に最中において、日本軍は筆舌に尽くし難い極悪非道な行為を行った、という反日キャンペン―である。
この反日キャンペーンや反日プロパガンダは、まさしく「白髪三千丈」という誇大妄想に近いもので、そこに持ってきて先に述べた、夫婦喧嘩でもわざわざ通りまで出て自己の正当性をあかの他人にまで吹聴する仕儀と同じ論理を展開して、その整合性の無さはいみじくも「風が吹くと桶屋が儲かる」式の極めて杜撰な論理構成である。
その整合性の非をいくら相手に説いても、こちらの言うことを聞く耳を持たないでは話にならない。
自分の言い分だけを声高に叫んで、相手の言い分に対しては聞く耳をもたないでは、大人の冷静な議論にならないわけで、それを黙殺すればしたで、またまた何とも整合性のない報復手段を講ずる。
全く、やんちゃ坊主そのままの児戯の体をなしているので、この現状を見せつけられれば、とても威厳ある大人の振る舞いとは言えない。
そもそも過去に日本に支配されたからと言って、日本を恨みたくなる心情は判らないでもはないが、その根本は、自分達が日本に支配されるほど愚昧だったわけで、その部分を他者の、つまり自分たちの怠慢を棚に上げて日本の所為にして、相手をののしるというのは彼らの得意技というか、彼らの本質そのものだと思う。
彼らは、日本が戦争に負けて中国本土で戦うことを止めてから4年間も自分たち同志で戦い続けて、その結果として、かろうじて中国共産党がシナ本土を制圧できたが、この時代の中国共産党には人材がいなかったと思う。
毛沢東が蒋介石に追われて中国全土を逃げ回っている時に、良い人材が共産党の元に集まってるわけがない。
行った先々で、夜盗や強盗、山賊や馬賊というような無頼漢が、共産主義の何たるかも判らないまま、「資本家、地主、金持ちを殺して、貧乏人にその財産を分け与えよ」と言いくるめられれば、それに付き従うようになるのもありえる話である。
結果として、そういう連中が徒党を組んで北京に流れ込み、中華人民共和国の建国に大いに貢献したに違いない。
そういう無頼の輩の集合体が、国家という体制を上手く運用できるはずもなく、それが曲がりなりにも歩み始める契機には、毛沢東のカリスマ的な独裁政治が必要であった。
だが、一旦出来上がった共産主義国家の中でも、世代交代が重なるに従い、革命の苦労、建国の苦労を知らない世代が登場してくるわけで、彼らは彼らで、ある意味で軟弱であるが、その分国家の体制そのものが近代化してきているので、建国の時の理念とのマッチングが不可能になってきた。
彼らの建国も半世紀を越すと、完全に近代化を成して、国力がそれなりに付いてくると、必然的に国力にふさわしい立ち居振る舞いをしなければならないようになるわけで、その部分が唯我独尊的な利己主義になってしまうのである。
彼らの民族的な特異性は昔から変わることなく、究極の利己主義なわけで、彼らの生き様の中には、他者の為という概念は微塵もないわけで、自分さえよければ後は野となれ山となれというもので、それが国策にも歴然と表れるわけで、その意味では彼らのイデオロギーには何の意味も待ち合わせていない。
彼らが一応の近代化を成して、近代国家として世界の舞台に立つかどうかという時に、彼らにとって潜在的な問題は日本に対する扱いであった。
主権国家の教育の内容に嘴を差し挟むなどということは、実に大人気ない行為であるが、彼らはそれを臆面もなくするわけで、この感覚はまさしく野蛮人そのものだと言わなければならないが、彼らにはこういう感覚が理解しきれていない。
主権国家の教科書は、当然、その国の次世代を担う若者の為に、主権の基軸としてその国の理念を説くことは主権国家として当然のことであって、それこそが主権の主権たる理由そのものではないか。
日本の教科書の記述には事細かく嘴を差し挟むが、ならば日本が中国の教科書にイチャモンを付けたらどう思うか、という配慮はまったく無視して、ただただ一方的に自分たちの言い分だけを声高に叫んで、こちらの言い分を聞こうともしない態度は、頭から日本を蔑にしているということである。
前にも述べたように、彼らが日本の支配に下ったということは、彼らの政治にも不手際があって、日本の進出を防ぎ切れなかったという反省があってしかるべきだと思う。
日本がアメリカと戦って負けて、アメリカ側が一方的に極悪非情な仕打ちをしたからヤンキー・ゴ―・ホームというかといえば、我々の場合はそうならない。
負けたのは我々の戦い方が不味かったのだからいた仕方ない、という反省の上に立って、「もうああいうバカなことは金輪際しないよ」と身を引き締めている。
それに引き換え、共産中国は、まるで乞食が金持ちに金をねだるが如く、執拗に金の無心をしているわけで、中国の大衆、民衆、人民には、民族の誇りというものがないのかと言いたい。
ただこの本の著者がいみじくも言っているように、中国の政治家、今の統治者にとして、中国の大衆や民衆に、日本に対する反日キャーンペンを言わせることは、中国の大衆の不平不満、うっ憤のはけ口としてのガス抜きの面も大いにありうるという話は真理をついていると思う。
この反日運動がいつ何時政府批判、共産党批判に転化するかも知れない、という不安は統治者にとってみれば払拭しきれない切実な不安だと思う。
21世紀の地球にとって、人間の欲望はかなりの程度充足された状態になるのではないかと思う。
食糧も、家も、インフラも、車も、身の回りのものは十分とは言わないまでも、かなりの程度満たされてくると、何が何でも獲得しなければという欲求は抑制されてくると思う。
いわゆる成熟した社会ということになるが、そういう社会では、もうこれ以上の資源の無駄遣いは抑制される方向に向かうと思う。
ところが中国のような国は、この社会が成熟するという概念が湧かないと思う。
中国人の欲望は尽きるところがないわけで、最後の最後の水の一滴までも、自己のものとして所有権を主張集して止ないと思う。
彼らの論理では、「この議題は整合性に欠けているから、最初から論理的に議論を組み立てて、納得のいく答えを導き出そう」、という発想は頭からないわけで、何の関連もない議論でも、声が大きく、何度でも同じことを繰り返して、相手が迷惑がって議論を投げだすまで大騒ぎを演じるという態度を通すのである。
人と人の潤滑油としてのモラルなどという概念は、最初から存在していないわけで、あるのは相手に自分の言い分を如何に聞かせるかであって、その為の手段は一考に厭わないのである。
今の中国が情報を操作し、検閲を実施し、当局の意向のままに大衆を操作するマシーンに成り変わっているということは、如何に民主化が遅れているかということであるが、この地では民主化ということはあり得ない話だと思う。
そもそもこの国、中華人民共和国の建国の理念は「権力は銃口から」というものであって、こういう思考の中から民主主義というものが生まれてこないことは当然ではないか。
こういう国が建国から約半世紀経って、国民のガス抜きが必要になって来たということは、既にその建国の理念が退化したということであって、それは民主化に一歩近づいた現象でもある。
だ、とするならば、中国の周辺諸国としては歓迎すべきことであるが、それは同時に、アジアの不安定要素の勃興でもあるわけで、決して予断を許すものではない。
中国でも日本でも他のアジア諸国でも、それぞれの時間は皆平等なわけで、再生日本の誕生の時期と、中華人民共和国の誕生の時期の間には少しばかり時間的なずれはあるが、その同じ時空間を共有する中で、社会の成熟度において大きな格差が生じたということは、それらの国を成り立たせている中味の人間の資質に依るところがあると言わなければならない。
日本人も、中国人も、韓国人も、それぞれに西洋列強、アメリカ、イギリス、フランスという国に、大勢の留学生を送り出している。
そういう意味ではお互いにやっていることは大差ないが、社会の成熟度のおいては大きな差が出たということをどういう風に考えたらいいのであろう。
その答えは、それぞれの民族の生い立ちに依拠する価値観の相異だと思う。
それぞれの民族の、それぞれ固有の価値観は、それぞれが住んでいる地勢的な条件の元に形作られるのは当然の帰結であって、日本は島国であるが故に、入ってくるものを拒まず出てゆくものも拒まず、良い物は素直に参考にして、自分のものとすることを厭わないが、中国と韓国はそうではない。
彼らは、自己の価値観を不動のものと考え、自分達がこの世で最高、最良の宇宙を形作っている、という概念から脱し切れなかった。
人の意見を聞く耳を持たないわけで、大衆の不満のガス抜きをするということは、大衆の意見を正面から聞き、それを真摯に受け止め、大衆の期待に応える度量を持たないから、ガス抜きということをしなければならないのである。
中国の大衆のガス抜きの為の反日プロパガンダであるとするならば、それには何の整合性も見い出せず、まさしく「風が吹くと桶屋が儲かる」式の荒唐無稽な論理展開ということになる。
中国の言う事が須らくこういう無責任極まりないものであるとするならば、我々はよくよく注意して、彼の地の言動に注意を払わねばならない。
中国がこれだけ経済発展を遂げても、尚中国の地から人々が外に溢れ出るという事は一体どういうことなのであろう。
先に読んだ蛇頭の話によると、日本に流れ込んでくる蛇頭は中国の底辺の人々で、こういう底辺の人々から上層階級で海外留学するような人まで、自分の祖国を捨てるという事は一体どういう事なのであろう。
こういう人々が、自分の祖国ではない他の国の中で、中国人のゲットーを作って彼らだけのコミニュテーを形作られては、既存の主権国家は方はたまったものではない。
庇を貸して母屋を取られる様なものだ。
この本の著者はアメリカの大学の教授で、彼女の視点はグローバルなものであり、日本にだけに限定した思索ではないが、実によく書かれた本だと思う。

「たたずまいの美学」

2011-10-09 17:35:33 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「たたずまいの美学」という本を読んだ。
サブタイトルには「日本人の身体技法」となっていた。
標題の「たたずまい」という言葉も極めて日本的な言葉だと思う。
この「たたずまい」という言葉は英語ではどう表現するのであろう。
和英辞典で牽いてみるとatmoshpereという単語が出てくるので、西洋にもあることはあるのであろう。
しかし、このサブタイトルにもある様に、日本人の身体技法に美意識を感じるのは日本人の身贔屓ではなかろうか。
日本人の立ち居振る舞いを、日本人が見れば、そこに我々の民族的な美意識が覚醒されたとしても、それは我々の側の自己満足のような気がしてならない。
現に、西洋人の日本人に対する認識は、今に至っても「イエロー・モンキー」ぐらいにしか映っていないように思われてならない。
日本人の立ち居振る舞いに美意識を感じる西洋人は極めてまれな存在であって、彼らの大部分の認識では「イエロー・モンキー」の域を出るものではないと思う。
古い話で恐縮だが、日本がアメリカと戦わねばならない状況に追い込まれたのは、ドイツと手を結んだことが遠因であったが、この時のドイツのヒットラー総統は、我々日本人を完全なる「イエロー・モンキー」としか見做していなかった。
日本が中国と戦っていたさなかには、ドイツは中国の蒋介石軍を支援しており、それが掌を返したように日本と手を組むと言う事は、彼らが如何に日本を甘く見て、その場その場の状況で使い分けをしていたかということに他ならない。
約束を誠実に守る気などさらさらなく、ドイツが成そうとしていた対ソ戦の為に、ソ連の注意を東に向けさせて、戦争準備の時間稼ぎの為だけに日本を使ったに過ぎず、ドイツとしてはまともに日本と手を組む気など最初から無かったと考えられる。
それを見抜けずに舞い上がっていた当時の我々の同胞の政治指導者の知性と理性も押して知るべしである。
西洋人からすれば、我々日本人をはじめとするアジアのモンゴロイド系の人間など、まさしくモンキー並みにしか見ていない。
ただ、世の中が進化して、アジア系のモンゴロイドでも西洋人を武力で排除する力を持つようになると、つまり今日のようにグローバル化が進むと、公式の場での交渉では、相手の尊厳を考慮して威厳をそこなうことのないように一応の礼節でもって遇することは彼らの教養として今でも生きている。
しかし、非公式の場で、アジア人がいないところでは、彼らの認識としてはやはり彼らの本音として、モンゴロイド系人種の蔑視の態度は変わらないに違いない。
日本人が同胞の立ち居振る舞いの中に美意識を感じるのは、やはり同胞としての身贔屓だと思う。
世界中に幾つの民族が存在するか定かには知らないが、それらの個々の民族は、自分たちの置かれた自然条件と、自然の環境に素直に順応しながら種を維持し続けて来たと考える。
地形とその地形に付随する気候と、その気候に付随する生成物を上手に利用することによって、種を永らえて来たと想像する。
つまり、我々日本人は、温暖多雨な地勢的な条件から稲作を開発し、その事によって子子孫孫、生を永らえて来たが、地球上の他の地域の人間は、動物を追い、家畜を飼いならして種を維持してきた人もいるわけで、そういう民族の生き様そのものがそれぞれに異なった価値観を派生させているに違いない。
稲作を生業とする我々のような民族が「ああ!美しい姿だ」と感じることと、家畜を追い回して生きている人たちが「ああ!美しい」と感じる対象は、おのずと異なっているのが当然である。
この本の中には、農作業をするときのそれぞれの民族の執る姿勢の相異が述べられているが、同じような農作業でも、農業の在り方によって、それぞれの民族の基底の格好が違うのはある意味で当然なことだと思う。
この本は、純粋に学問の見地からそれぞれの民族の立ち居振る舞いに言及しているが、私はある意味で戦争オタクで、あらゆるものを戦争と結び付けて考える癖があるが、人と人が戦うという状況に置いた時、地球上の民族では、その戦うという根本のところで非常に大きな考え方の相異がある。
このことは今の若い日本人は全く意識していないが、先に述べたドイツ人の日本人蔑視の思考も、この部分の潜在意識がなさしめているわけで、それは戦うという事の本質が、発想の次元の認識のレベルで異なっているということである。
この本の本旨は、我々、日本人の日常生活における「たたずまい」の美しさを説くものであって、決して戦いの奥義を説くものではないが、この我々の美意識としての立ち居振る舞いの「たたずまい」というものは、生存競争を何が何でも生き抜くという切実な希求とは別次元の思考である。
この本の中では、日本の古武術の奥義に関する記述があって、「コツを会得する」と言った場合の「コツ」は「骨」の意味だと説かれているが、これはあくまでも個人の武術の要領なわけで、ここで言う武術も、勝つ為の奥義を強調するのではなく、「コツ」の概念を理解することに意味を見出している。
こういう、精神性を説くことが日本文化の基底に脈々と流れているわけで、結果よりもその過程を大事にするという考え方である。
その意味で、私はこういう日本文化の精神性を頭から否定するにやぶさかでない。
華道、茶道、武道のことごとくが、結果よりもその過程を尊ぶ気風に満ちているわけで、この部分が日本文化の極めて虚構じみた点だと思う。
結果さえ納得できれば、その過程など、どうでもよさそうに思うが、我々の日本文化は、そうではなく、その結果よりも、その結果を導いた過程が大事なわけで、こんなバカな話もないと思う。
花を花瓶に生けるのに何故ああでもないこうでもないと屁理屈がいるのだ。
お茶を呑むのに何故ああでもないこうでもないと屁理屈を言った上で、心にもないお世辞を言いつつ呑まなければならないのだ。
国体の護持のためには、日本民族が絶滅してでも尚戦い続けるのだ、という信念、精神論など、バカバカしくて話にもならないではないか。
お茶など飲みたければさっさと好きなように飲めばいいではないか。
「ワビ」だとか「サビ」だとかわけのわからないことなど言っている暇に、さっさ自分で火を起こしてお茶を入れて飲めばいいではないか。
門外漢の一人として言えることは、茶道の本質が、ただお茶を呑むというだけではなく、その場における心の葛藤、言葉で言い表すのではなく、言わず語らずの内に相手の心を読む、という点に茶道の真髄があることは理解できる。
しかし、これを西洋人に理解させようとしても甚だ難しいことは論をまたないが、問題は、我々の民族の間で言わず語らずの内に相手の考えていることを推察するという、気配り、配慮、空気を読むという振る舞いである。
私のような凡人は、やはり口から出た言葉でしか相手の本音は理解できず、それでも裏切りということは十分にあると思う。
我々の同胞の間でも、私のような天の邪鬼は端から相手されないので、こういう人間に茶道や華道を理解させるということは難しいことだろうと思う。
こういう発想が日本で生まれ、日本という風土の中で育まれて来たということは、それぞれの民族のおかれた地勢的な条件が大きく作用していることは当然であろう。
ところが、お互いの民俗学の上での研究ならば、それはそれだけのことであるが、ここが国家主権と国家主権が合い塗れた場合、相手を知るという場面でこういう研究が大いに役立つ。
ぶっちゃけて言えば、戦争になった時、相手の本質を知るのに民俗学は大いに役立つ、と言うことになるが、今の日本の学者ではそういう場合の協力を潔とはしないに違いない。
私が西洋人と我々同胞ではもの考え方が根本的に違うと言うのは、そもそも発想の次元から違うわけで、同じ一つの目的を達成しようとして、それぞれが全く違う発想で以て、目的を達成しようとするということである。
その顕著な例が乗馬という行為である。
馬を乗用として使うには、鞍の存在が無ければならない事は洋の当時を問わないわけで、日本人もアメリカ人も、乗馬をするには鞍なしでは成り立たない。
厳密に言えば、裸馬に乗るということもあるにはあるが、それは特異な例であって、普通は鞍を使うことは論をまたない。
そこでアメリカの西部劇で見るカウボーイの使う鞍と、日本の殿様の使う鞍を比べて見ると、その違いは歴然としている。
アメリカのカウボーイの鞍は実用一点張りで、何処にも無駄な部分がないが、日本の殿様の使う鞍はまさしく装飾過多で漆塗りでさえある。
ジープと高級セダンの違いと見做すと解りやすい。
この違いは、まさに使用する人の認識の差以外の何ものでもないわけで、文化の発想の原点にまでさかのぼる意識の相異だと考えざるを得ない。
で、この馬に乗る、乗馬する際にも、こまごまと屁理屈を付けくわえて講釈をすることが日本においてはある種の文化と称せられているということだ。
それが華道であり、茶道であるわけで、その屁理屈に裏打ちされた立ち居振る舞いが、この本が言わんとする「たたずまい」ということだと考える。
馬に乗る、馬を移動の手段と考える、馬によって人間の能力を軽減するという発想は、農耕民族としての我々日本人には極めてなじみにくい発想に違いない。
だから馬の利用はどこまでも贅沢品としてあるので、それなりに富裕層でなければ、つまり大名のような殿様でなければ維持さえ出来ないわけで、移動の手段などという発想は、我々の側には想定さえ出来ないのである。
こういう例は他にもあって、雪の上を移動するのに、ヨーロッパではスキーが発達したが、我々の側は輪カンジキになったように、雪の上を移動するという目的は同じにもかかわらず、出来上がった手法はまるで違うわけで、これはまさしく発想の次元の相異でしかない。
この相異は言うまでもなく、それぞれに生きて、生活をする地域の地勢的な要因が大きく影響しあっているのであって、ヨーロッパを生活の場とする西洋人と、農耕民族で限られた小さな領域で固まって生活をする我々の物の考え方の相異が、地域の特性を如何なく反映している、という証拠だと思う。
だから我々日本人は、生活の中で、日本人としての生き方をしつつある中で、世界に類のない独特の立ち居振る舞いをしているわけで、その生活の中の立ち居振る舞いに美意識を感じるという感覚は、ある意味では身贔屓でもあるが、同時に我々の感覚がそれだけ繊細だということでもある。
我々、日本人の女性が和服を召すと、自然とその行動に抑制が掛かって、大股で歩いたり、機敏な動作が出来ないので、それがまた見方によっては、「たたずまいが整う」という見方も成り立つ。
「たたずまい」とは対極の位置に「はしたない行為」というのがあって、江戸の末期に日本に来た外国人が顔をしかめた行為がそれで、働く男性の尻ハショイという風俗である。
これが西洋人の感覚からすると野蛮に映ったらしい。
無理もない話で、一日中、体をはって動き回る労働者が、着物の裾をしたまで下げていては動きが取れず仕事にならなかったに違いない。
飛脚や、駕籠カキや、川渡しの人足が、上品に着物の裾をおろしていては仕事にならない。
日本人の「たたずまい」というのは日本における人々の生き様の中のTPOであったのではなかろうか。
その時の場所と状況に応じた立ち居振る舞いならば、我々の感覚として、それに美意識を感じていたということだと思う。
それが「粋」であったり「イナセ」という価値観であったと思われる。
自分たちの日常生活の中に美意識を感じるということは、そうとうに文化的に洗練され、繊細な感覚が研ぎ澄まされていたということで、それは世の中が平和でなければあり得ない状況だと思う。
激動の時代では、人々の間にそういう心のゆとりというか、精神の緩慢さというものはあり得ないわけで、目先の利益に振り回されて、生活の中に美意識を感じる、などという意識は生まれてこないと思う。
だから、日本では目の前の合理性よりも、心のゆとり的な精神性が重んじられるので、さきに述べた華道や茶道のように、日常生活の中の立ち居振る舞いに、ああでもないこうでもないと屁理屈を述べたてて、その議論を楽しむという、いわば遊び的なものの考え方が流行ったに違いない。
日本人が和服を召して、床の間に花を生ける、茶室で茶をたてる、筆と墨で書をしたためる、などという行為、立ち居振る舞いは、我々同胞が眺めても確かに美意識を感じる。
日本文化の良さを身を持って体験し、それに触れたことを心から幸運と思うので、それを異文化の西洋人の視点で眺めて見ると、そこには大きなカルチャー・ショックを受けることは不思議でもなんでもない。
私自身は戦争オタクで、物事を戦に例えて考える癖が付いているので、その観点からこの文化の相異を発想の次元にまで遡って考えるのが常である。
そういう見地から我々の民族の根源的、潜在的な無意識のうちの発想の仕方というものを考えて見ると、時代状況を厳密に考察しなければならないと思う。
日本文化の中の「道」という概念、茶道、華道、書道、武道というものの考え方は、江戸時代という約250年にもわたる平和な時代に熟成したわけで、押しも押されもせぬ平和の産物である。
世の中が平和だったから花を生けるのに、或いは茶を呑むのに、ああでもないこうでもないと、ただただ時間の浪費のような議論が成り立っていたわけで、そういうことを念頭において、ならば激動の時代には我々はどういうもの考え方を組み立てれば良いか、ということになる。
江戸時代に熟成した日本の文化は、昭和から平成の世になっても、根底から払拭されたわけではなく、戦後の混乱を克服した暁には見事に復活したが、この時には既に西洋の文化の波が日本を席巻していたので、文化を下支えする部分ではそのせめぎ合いが演じられていた。
だが、日本の大衆は、そういうことに無頓着なまま時流に流されていた。
20世紀から21世紀、昭和から平成という激動の時代に、我々の同胞が西洋の文化を追従し、それでいて日本の伝統的な文化も同時に享受するということは、我々の日本民族というものが極めて柔軟な思考方式を持った民族だということに尽きると思う。
私の持論であるが、地球上の人類は全て同じ時間を共有しており、それぞれの民族の近代化のスタート・ラインは皆同じ時に同じ様に出発したと考えている。
しかし、今日、このように各民族、各国家に格差が生じたのは、それぞれの民族が持つ潜在的な物の考え方の中に柔軟性の有る無しではないかと想像する。
江戸時代の末期に、西洋人は日本ばかりではなく、朝鮮にも中国にも同じように来襲していたが、我々はそれをしぶしぶとはいえ受け入れて、彼らの先進性を見て、追いつけ追い越せという発想になった。
ところが朝鮮と中国は何処までも排除することにこだわったので、その分、近代化に後れをとったのである。
この近代化の時間差は、そのまま彼らの民族の潜在意識の覚醒の時間差でもあったわけで、民族としての思考の柔軟性の欠如であった。
ただこういう文化を論じる時、忘れてならないことは、我々の民族の真面目さであって、人が誠実なことは基本的にはプラスの要因であるが、あまりにも生真面目なるが故に、それが齟齬にまで至ってしまうケースが往々にしてある。
日本の伝統文化である華道、茶道、書道、武道等々においても、初心者に対しての最初の指導は「楽しめばいい、難しい理屈な抜きでいい」、と言いながら、教えることが弱い者イジメに転嫁してしまうケースがあるわけで、最終的には金の問題に行き着いてしまっている。
日本の伝統文化の立ち居振る舞いは、確かに見る人が見れば実に麗しく、優雅なたたずまいで、心を落ちつかせるものがあるが、今の指導者の中には、それを教え普及させることを金儲けと心得ている人もかなりの数いると思う。
知らないものが知っている人から教えを乞うて対価を払うというのは充分に理解できる。
しかし、ならば金を受け取る方、つまり先生の側は、金を払う生徒に対してサービスを提供すべきであって、それが威張ったり、叱ったり、いじめたりするでは、人に教える前に自身の精神修養をせよと言いたくなる。
この我々同胞の真面目さは、その裏の意味するところは頭の固さであって、極めて教条主義的な思考の持ち主が一見すると「生真面目な」という評価に繋がりかねない。
だから、伝統的な日本文化の講釈が延々と継承されて、それを伝授する行為が金儲けとして成り立っているのであろう。

「諜報員たちの戦後」

2011-10-07 11:45:31 | Weblog
例によって図書館から借りて来た本で、「諜報員たちの戦後」という本を読んだ。
サブタイトルには「陸軍中野学校の真実」となっていた。
この陸軍中野学校が戦後の日本で注目を集めるきっかけは、1974年、昭和49年に小野田寛郎氏がフイリッピンのルパング島から帰還した時からではないか、と私は勝手に考えている。
この時、彼、小野田寛郎氏が何故に戦後も29年間もフイリッピンの孤島で戦い続けたのか、という疑問に対して、本人が言う事には「残置諜者として、任務を遂行していたので、上官の命令がない限り出頭できなかった」と言ったので、にわかに彼の所属していた部隊の本質が浮き彫りにされたという経緯があった。
彼はこの本で言う陸軍中野学校二股分校で、残置蝶者としての教育を受け、そういう命令を受領してルパング島で潜伏していたわけで、戦争が終わったことを薄々知りつつも、尚任務を遂行していたという意味では、世界的に見ても見上げた軍人魂だと私は思う。
この彼の出現で、陸軍中野学校の存在がにわかに世情を賑わしたが、基本的にはこの学校の存在は、そうそう社会に賑やかに登場してはならない存在と思う。
諜報員の養成ということは、近代国家ならば当然の施行であって、旧日本軍はそれに気が付くのが甚だ遅かったように私には思える。
どうしても、戦という場合、正面装備が話題を浚ってしまうが、これは洋の東西でも変わらない真理だと思う。
ところが、正面装備を補助する機関として、諜報員を如何に考えるかで、戦、いわゆる戦争の効率が大きく左右されることもありうる。
日本でも戦国武将は乱波という影武者、いわゆる忍者を使って敵の情報を集めるなどということはしていたわけで、それでいて乱波の存在は公式には認めていないので、彼らはいくら戦功を上げても、論功報償にはあずかれなかったのである。
忍者はそれを十分承知の上で、自分の大将に仕えるわけで、そういう意味では陸軍中野学校の存在も、決して世間で騒がれる存在であってはならないものと考える。
だが、今、戦後66年も経た時点で、この陸軍中野学校をというものを考えた時、大きな教訓がその中には埋没されていると思う。
それは、当時の日本の置かれた表向きの考え方を全面否定して、「敵を知ることが敵を制する最良の手段だ」という発想にあったようで、これは私に言わしめれば、戦争、殺し合いを生業とする人の、基本的信仰でなければならないと思っている。
ところが、当時の日本の軍部には、そういう発想はいささかも存在していなかったわけで、彼らは敵を知りもしないのに、ただ単にその場のムードで相手に挑んだので、手ひどい惨敗を期したのである。
この本を読んだので急に日本の情報戦に危惧を抱いたわけではないが、この地球上において主権国家が主権を維持しつつ存立するということは、まさしく生き馬の目を抜く修羅場において、食うか食われるかの生存競争を生き抜くということではなかろうか。
そして、この地球上に数多ある主権国家というものは、必然的に統治するものとされるものという2重構造で成り立っているわけで、人々の命はそれぞれの国の統治する側の人に預託されている。
統治する側の人が、国民の命の価値をいささかも考慮しない場合は、その国の国民は大きな惨劇を負わねばならないことになるわけで、それが日本の場合、先の日中戦争から太平洋戦争の流れであったということだ。
しかし、よくよく考えて見ると、この時、つまり昭和の初期という時代においても、日本の議会制民主主義はきちんと機能していたように思う。
確かに軍人によるテロは頻発していたが、テロに狙われる頻度は、金持ちが押し込み強盗に入られる頻度と大した変わりはなかったと思う。
つまり、あの時代のオピニオンリーダークラスの人達は、テロを恐れ、押し込み強盗に入れらる事を恐れ、見えない敵、軍人のテロという架空の恐怖に縮み上がってしまって、言うべき事を言う度胸を失ってしまったのである。
国を形作っているのは、統治するものとされるものという2重構造であるが、議会制民主主義を下支えしているものは、ものを言う人と、それを聞く人の2重構造になっている。
ものを言うべき人が、軍人のサーベルの音に縮み上がって、言うべき事を言うべき場所と、言うべきタイミングで言わなかったから、日本は奈落の底に転がり落ちてしまったのである。
一言でいって、大衆とか、庶民とか、民衆というのはバカだ。
こういうバカがものを言って、それを聞いたバカが言われたこと真に受けて、バカな行為に走るのが大衆というバカの本質である。
今回の東日本大震災において、東電の福島第1発電所の原子力発電所が被害を受けて大きな事故を引き起こした事はまことに不幸なことであるが、東電側の対応の不味さは非難されてもいた仕方ないが、この震災の復興に関連して、日本国民の支援でも随分いい加減なものがある。
口先では東北の震災復興を支援すると、綺麗ごと言いながら、福島の薪を燃やしてはならない(京都)、福島の花火は上げてはならない(愛知)、という言い草はまさしくバカの言い分そのもので、そのバカの言い分をバカな住民が真に受けているという構図ではないか。
これと同じバカが昭和の初期の日本を席巻していたわけで、ここで本来ならば教養・知性のある知識階層、メディア、大学教授というようなオピニオンリーダーが、言うべき時と場所で、言うべき事を言うべきであった。
陸軍中野学校というスパイ養成機関においては、あの時代の日本ではまさしく別世界のような教育が施されていたということは驚くべき事だが、その本質はあれから66年を経た今日でも、いささかも評価されていない。
明治維新から日清戦争までは約26年間、日露戦争までは36年という時間があった。
太平洋戦争で焼け野原から再生して今日まで66年間である。
戦後という時空間の中では、我々は自分たちだけで生きて来たわけではなく、世界の人々の相互扶助があったればこそ、生き馬の目を抜く国際社会で生かされてきたわけで、その意味で今の日本の若者が平和を願う気持ちは充分に理解し得るものである。
しかし、戦後の平和教育の中で育まれた戦後教育の中では、人の生き方のノウハウの中に、平和教育あればこそ平和の裏側の現実をいささかも教えなかったことは、今一度、考えてみる価値があるのではないかと思う。
「平和の裏側」と言った途端に、もうアレルギー反応を起こすような風潮は、まさしく、先に述べた福島の薪や花火の話と同じレベルのバカな話になってしまうわけで、こういうバカな話が大手を振って罷り通る世の中というのは末恐ろしい社会だと思う。
昭和の初期の時代に、日本全国津々浦々に至るまで軍国主義一辺倒に汚染されたということは、この福島の放射能汚染に見られるように、何の根拠もない風評被害のようなもので、この何の根拠もない風評に対して、きちんとした社会のリーダーたるべき人が、きちんとした対応をしなかったから、有象無象のバカな民衆の大群に押し切られて、日本全国津々浦々に至るまで軍国主義一辺倒になってしまったということである。
我々の先輩が時代の趨勢に抗し切れずに、明治維新を成し、近代化にまい進して、その為には富国強兵こそ最短コースだと見定めて、その道を掛け上がって来たが、その時の富国強兵は正面装備の誇示こそが、国家的なスローガンたりえたわけで、その裏側で正面装備を下支えする影武者に対する評価は、誰一人として正当に見積もっていなかった。
特に、我々日本人には武士道に対する憧憬の念がぬぐいされないので、我々の同胞のなかでは、この武士道こそが人物評価の最高の名誉とされていたが、この思いが近代というか現代というか、国家総力戦という生き方とは真っ向から対立する思考なのである。
武士道というのは戦国時代の戦い方の基本であって、対峙した相手に対して、どうどうと正面戦争を仕掛けるもので、確かに男らしく、正々堂々として、男の美学を彷彿させるが、戦いというのは勝たなければ意味がないわけで、いくら男らしい戦いぶりであっても、負ければ何の意味もない。
ところが我々の同胞は、太平洋戦争で敗れて国土が焦土と化しても尚、意味のない男の美学に酔って、その負けっぷりに価値を認めようとした。
これを称して、私は「軍人が戦争を私物化した」と唱えているが、我々の民族の基底にある武士道というのは、近代から現代の国家総力戦という新しい戦争の仕方にはマッチしていないのである。
しかし、9・11事件以降というものは、この新しい戦法も既に時代遅れとなったわけで、そういうこと言ったり書いたりすることを日本のメディアは露骨に嫌がるが、それは同時に、そういう連中は真の人間の生き様に無頓着だという事に気が付いていない。
世の中は常に変わっており、常に進化し続けているので、戦争が国軍と国軍の正面衝突という時代は既に過去のものであって、今はテロとの戦いでもわかる様に、非対称の戦争なわけで、それに対応するにはそれこそインテリジェンスで戦う他ない。
つまり、これから21世紀の戦士は、全員が陸軍中野学校のようなスパイでなければならず、身分を隠してテロリストの集団に潜入しなければならないということにある。
アメリカ映画にあるように、潜入捜査官のような戦い方が21世紀の戦争の本流になるのであろう。
こういう時代の変わり目において、我々、日本民族の対応の仕方というのは、あらゆる場面で後手後手と後追いになるような気がしてならない。
つまり、我々はどうしても武士道の精神を根底から否定し切れないので、チームによる団体戦というイメーズを思い描くことが不得意で、少数精鋭という思考に取らわれすぎるような気がしてならない。
「戦いに勝つ」ということに対して、我々は精神性をその中に見出そうとして、その戦いの過程に美学を見出そうとするが、我々以外の人間は「何が何でも勝てば良い」と、素直に結果のみを追い求めて「勝ち」にこだわる。
我々、日本人はその誕生の時からチームワークという事には不慣れな民族なのではなかろうか。
農耕民族として稲作をして生きてきた過程において、強力なリーダ-の存在が不要なコミニュティーを形作ってきたわけで、リーダーの役も回り持ちであった事を考えると、他者との諍いを如何に生き抜くか、という発想には元々不慣れな思考であったに違いない。
我々にとって「他者」と言ったところで何処まで行っても同胞であったわけで、他者が異民族などという事は、まさしく想定外の事であったに違いない。
それが近代化に伴って、清、或いはロシア、或いはいアメリカと戦うという時、相手を知るということに対して認識が甘かったに違いない。
日清・日露の時は、たまたま運が良かっただけで勝てたが、この時、自分達の勝利が「たまたま運が良かっただけだ」という認識が国民全体に欠けていたに違いない。
その事を今流の言い方をすれば、国が情報を開示せずに国民に対して隠匿したという言い方になるが、情報を開示したとしても、国民が政府を擁護する雰囲気は生まれなかったものと推察する。
民族の本質などというものは、そう安易に変わるものではない。
我々が民族として正面装備を大事にし、影武者を疎かにする思考というのは、これからも変わることのない民族の本質だと思う。
そして、戦後66年間も戦争ということに真剣に立ち向かわなかった我々の同胞の危機管理も、大きな齟齬を内包していると思う。
戦後の平和教育の中で、「戦争は悪で、何が何でもすべきではない」という思考から一歩も脱却できないということは、無知に直結しているわけで、自分がバカだと認識していないバカほど始末に負えないというのも世の中の真理である。
鳩山由紀夫や管直人が戦争という政治の一形態に対して、どういう認識を持っているか甚だ心配である。
民主党のトップのみならず、自民党においても、若い政治家の中には戦争という政治のある状態を政治としてどこまで認識しているか甚だ心配である。
自衛隊は表面上の正面装備はそれなりに整えているが、問題とすべきは、その裏側にどういう影武者を配置しているかということであるが、これは当然の事、公表すべき事ではないので、それはそれでいた仕方ない。
憂うべきは、それを取り巻くバカな国民の側で、特にマス・メディアは、情報開示を錦の御旗に仕立てて、「何でもかんでも情報を曝せ」と迫るわけで、こういうバカに対して、どこまで餌で吊り続けるかという問題である。
政治家がメディアからマイクを突き付けられて、しどろもどろに答弁している図がテレビに映っているが、あの答弁を見ていると、政治家も実にだらしないと思う。
その一方で、そういうテレビの画面に自分の顔を写すことで、自己のPRと捉えている向きもあるので、どちらもどちらであるが、もう少し絵になる答弁がありそうに思う。
取材記者からマイクを突き付けられて、そこでテレビに顔が映るのを好機に、出来るだけ良い所を演出しようとするから、答弁がしどろもどろになるのであろう。
メディアに媚びを売ろうとするから足元を掬われるのである。
メディアなど最初からインテリーやくざだと認識しておれば、彼らに足を掬われる事もないが、なまじスケベ心を出して顔を売ろうとするから墓穴を掘るのである。
中野学校というのは情報戦の本質を突く所であるが、今の日本人で、その本質を理解する人が果たして何人いるか、と甚だ心配である。

「戦争サービス業」

2011-10-05 10:17:39 | Weblog
例によって図書館から借りて来た本で「戦争サービス業」という本を読んだ。
サブタイトルには「民間軍事会社が民主主義を蝕む」となっている。
著者はドイツ人のロルフ・ユッセラーという人だ。
民間軍事会社というのは先の湾岸戦争からイラク戦争を通じて、イラクにおけるアメリカ軍の護衛にこの民間の警備会社が活躍したということで、知る人ぞ知る事実となった。
そもそもアメリカ軍を警備する民間企業という構図そのものが不自然極まりない。
民間企業を護衛する軍隊というのならば、論理的にも整合性があるが、それが逆転しているところにイラクの特異性がにじみ出ていると思う。
この湾岸戦争もイラク戦争も、基本的には国家対国家の全面戦争ではなくて、あくまでも巨大軍事大国に盾突いたテロの大規模なもの、という認識でしかないものと思う。
先の大戦、第2次世界大戦においては、アメリカはドイツのUボートによる無差攻撃に対する反発という形で参戦したが、太平洋においてはアジアを席巻する日本に対して、先制攻撃という形で参戦して来た。
アメリカ側としては先制攻撃したい所であったが、アメリカ国民がそれを許さなかったので、ルーズベルト大統領は日本を罠にかけて、「リメンバー・パールハーバー」という事態を作り上げ、その事によって戦争に入って来たのである。
しかしこの「リメンバー・パールハーバー」というフレーズを喚起することによって、アメリカは対日戦では国を挙げてそれこそ真剣に戦いに挑んできた。
アメリカがこれほど挙国一致で国を挙げて真剣に戦争をした相手は、日本以外に他には存在しない。
その後の朝鮮戦争でも、或いはベトナム戦争でも、国を挙げて挙国一致で戦ったという感じはしない。
無理もない話で、朝鮮戦争で北鮮軍が攻め入ってきたと言っても、アメリカ本土に攻め入ったわけではない。
ベトナム戦争でもアメリカ本土にベトナムの共産党がロケットをぶち込んだわけではないので、普通のアメリカ市民にしてみれば、何処遠い国の戦争ごっこのぐらいにしか映っていなかったに違いない。
それが2001年の9・11事件に対するイラクへの報復という段になると、イラクとアメリカの対立ということは最初から成り立たないわけで、軍事的にイラクにはアメリカに勝つ勝算は全くない。
それはアメリカにも充分判っていたけれど、それでも尚イラクを攻撃したということは、イラクの政治態勢を根本的にひっくり返すのが狙いだったわけで、その後に作るべき民主的なイラク政府に期待をいだいた行為であったのである。
イラクのサダム・フセインがイラク国民を抑圧していたので、その抑圧されたイラク国民を開放するつもりでいたところが、イラクの人々は基本的にアメリカと同じ価値観を持った人々ではなく、アメリカの方針に素直に納得する人々ではなかったわけである。
対日戦に勝った時のアメリカは、日本に丸腰で上陸してきたが、イラクに渡ったアメリカ兵は、丸腰で歩ける状態ではなかったわけで、「俺達がフセインを倒してやったのに何が不満だ!」という気持ちだったと思う。
この不安定というか、無政府状態というか、誰が敵で誰が味方か判らない場所で、アメリカ軍が軍としての行動をしようとすると、四方八方からテロの攻撃に曝される状況で、そこにアメリカ軍を護衛する民間警備会社の存在意義が生まれたのである。
アメリカ軍の物資を運ぶコンボイを警護する民間警備会社の要員にすれば、彼らはアメリカ軍の人間ではないので、何をしでかしても軍規に拘束されることはないので、ある意味でやりたい放題したい放題で通るということでもある。
当然のことながら、相手側の市民の反感を買うこともあって、現地の人々からすれば、アメリカ軍も憎いがそれを警護する警備会社の人間も同じように憎いわけで、テロの標的としては遜色ないことになる。
本来ならばアメリカ軍の行動を警備するのは、アメリカ軍自体ですべきであるが、イラクの社会情勢はそれを許さないところまで行っていたのである。
別の見方をすれば、物資の補給の出来ない飛び地に陣営を構える作戦そのものの是非が問われるべきであるが、アメリカ軍は地上では身動きも出来ない状況に置かれたようだ。
しかし、軍の業務を民間の企業に肩代わりする方向は、これから先も多くなることはあっても、少なくなる事はあり得ないと思う。
日本の自衛隊を例にとっても、自衛隊が災害派遣に出動して、隊員の食事の世話や、風呂の世話などという作業は、純粋な隊員でなくとも出来るわけで、そういう部分は民間企業に委託しても充分に整合性を確保できると思う。
昨今のあらゆる先進国の軍隊では、女性の進出が目ざましいが、女性に出来る仕事ならば、民間企業に委託しても充分に整合性を見出せると思う。
補給、通信、諜報という分野で、長年国費で養成した筋肉モリモリのマッチョな男性をそんな職域で使うことはないわけで、そういう男性は、それこそ特殊部隊の要員に差し向けるべきで、軍隊、軍部の仕事というものを仔細にオペレーションリサーチすれば、当然、軍の人間でなければならない仕事というのは絞られてくると思う。
大抵どこの国の軍隊でも、給養班というのがあって、兵員の飯作りに励んでいると思うが、こういうセクションならば民間に委託してもなんら不思議はないが、そうなればなったで、新たな問題は、その民間企業を何処まで監視し、管理できるかという点に関心を向けなければならない。
20世紀までの軍隊は、何処の国の軍隊でも、自己完結型の組織であった。
司令官から飯炊きまで、一つの組織の中で完全に機能し、職務が遂行可能であった。
それは国と国が同じ立場で戦争を遂行するイメージが生きていたからであって、今のように非対称の戦争ということになると、昔の軍と言うイメージそのものが時代に合わなくなってしまって、イラクにおけるアメリカ軍の行動をどういう風に見るべきか、指針が失われてしまっている。
アメリカ軍が最新鋭のハンビーに機銃を据えて物資を運ぶコンボイを警備しても、自爆テロや火炎瓶の攻撃に対処できないでいるわけで、戦闘で死ぬ兵士よりも、戦後処理の部分で死ぬ兵士の方が多いなどと言うバカなことになっているのである。
こういう状況下で、世界のメディアは、アメリカ軍の行動や行為を非難する論調がかしましいが、本当にそれでいいのであろうか。
私の個人的な思いとしては、アメリカはイラクや、イランや、アフガニスタンに何ら関わり合うことなく、さっさと引き上げて、現地の事は現地の人間に任せればいいと思う。
何も世界の警察官ぶらなくても、放置しておけばいいと思う。
しかし、それで済まないところが悲しいわけで、その原因は、こういう地域には地下資源が眠っているという現実があるからである。
と言うことは、その基底の部分に、人間の欲望としての我欲の尽きることのない欲求が潜んでいるということになる。
先進国アメリカの我欲の追求も、人間としての基本的な在り様の一つではあるが、この地球上の、いわゆる低開発国の人々の在り様も、何とも言葉では言い表せない状況を呈していると思う。
基本的に我々先進国の人間は、イラク、イラン、アフガニスタイン、その他アフリカのさまざまな国々を、我々と同じ主権国家の一員と見做して話をしているが、この前提そのものが間違っているのではなかろうか。
イラク、イラン、アフガニスタインを、我々と同じ価値観を共有する民主主義の政治体制の元に導こうとしても、それは未来永劫あり得ない話かもしれない。
それを阻害する要因としては、宗教の存在を否定することは出来ないが、彼らが今の自分達の宗教に固執する限りにおいては、我々と同じ価値観を共有する民主主義の体制の確立と言うことはあり得ないと思う。
イラク、イラン、アフガニスタインの人も、アフリカの奥地の人々も、アマゾンの奥の人々も、ヨーロッパ人も、中国人も、日本人も、人類の起源という観点から見れば、同じ時空間を共有しているわけで、お互いの歴史的時間は皆同じだと思う。
世界の4大文明の発祥には時間差があったとしても、誕生の時から比べれば、微々足るもので、その差異は無視してもいいと思う。
つまり、世界のあらゆる民族にとって、文化・文明の出発点、スタートラインは皆同じであったと言ってもいいと思う。
しかし、21世紀の今日、イラク、イラン、アフガニスタインとヨーロッパ先進国、およびアメリカ合衆国との文化とか機械文明の格差は一体どうして出来上がってしまったのであろう。
ヨーロッパやアメリカは、こういう未開な人々の地の下に眠っている地下資源が欲しくて欲しくて仕方がないが、その上に暮らしている未開人は、その使い方さえも知らないわけで、ただ自分たちが宝の山の上に生きている事だけは概念的に理解しているが、その地下資源の真の価値は知らないままでいる。
アメリカを始めとする先進国は、こういう土地の人々に民主的な国家を作ってもらって、その国家と合理的なおかつ人道的な整合性のある商取引をしようとしても、それを狙っているのは何も物分かりのいい先進国のみではないわけで、如何なる汚い手段を使っても、何が何でも横取りしたいと思っている国もあるわけで、混乱は一層複雑になる。
こういう未開な国では、国家の軍隊というものが極めてあやふやな存在で、国家の基盤そのものが非常に不安定なものだから、軍隊もある意味で私兵に近く、暴力団に極めて近似しているわけで、果たして我々の認識で本当に軍隊と言えるかどうか大いに疑問である。
こういう地域に、先進国の石油掘削会社が事業をしようとすると、本来ならば、その国の軍隊に保護を求めるのが筋であるが、その軍隊があてに成らないとなれば、自国の警備会社、いわゆる民間軍事会社に保護を依頼しなければならないことになってしまう。
ここで、国の主権を代行する正規の軍隊ならば、国際的な規約も、その国の憲法も、その国の軍規も、それはそれなりに機能するが、民間軍事会社となるとそれを規制するものは何もないわけで、そこでは完全に無法地帯ということになってしまう。
中近東でも、アフリカの奥地でも、南米大陸でも、いわゆる未開の地域というのは、正直なところ救いようがないと思う。
イラク、イラン、アフガニスタインを始めとして、世界の未開地に先進国の善意の人々がNPOとして入り込んでいるが、アメリカ軍が世界の警察官ならば、彼らは世界の救世主であるが、それほどまでして彼らの面倒をみる必要はないと思う。
今の先進国は、かつてはより良い社会の建設を目指して、殺し合って殺し合って、殺して殺されて、今日を築いたわけで、今の地球上の未開の人々は、その先進国の歩んだ過程を今トレースしていることになる。
先に進んだものが、自分達の行程を憐れみの目で見る必要はないと思う。
この本が危惧している問題提起は、民間軍事会社を使う立場、要するに主権国家の為政者の側が、こういう企業に軍事を委託することによって、真に経費節減と同時に安全保障が担保できるかどうかである。
軍事の根本原理は専守防衛だけではないはずで、その中には当然、先制攻撃も入っているが、こういう戦争はあくまでも20世紀までの戦争という意味で、古典的な戦争と言える。
ところが東西冷戦が消滅した今、こういう古典的な戦争はあり得ないようになったので、新しい時代の新しい戦争をイメージしなければならない。
それは非対称の戦争で、テロとか、クーデターとか、民族解放とか、という実態の極めて曖昧な掴みどころのないアメ―バーのようなものとの戦争で、こういう諍いは先進国ではあり得ないが、未開な地域では国家そのものが極めて不確定的な存在で、その中で国家の枠をきちんと確立した国というと、結局はサダム・フセインのイラクのように民主化の遅れた国ということになってしまう。
ところが先に述べたように、先進国の国家の存立には、こういう未開地の地下にある膨大な資源に依拠しているので、それがために先進国も関わりを持たずに居れなくなったのである。
そこでは社会のシステムがきちんと整っていないので、テロやらクーデターが日常茶飯事で、そこで自己の利益を確保、あるいは維持しようとすると、民間軍事会社にその警護を委任しなければならなくなった。
企業から施設の警備を委託された民間軍事会社の方は、自分のところの社員は、金で命を売り渡しているわけで、死んだからと言ってそれが統計の数字に表れるわけはない。
死んだら死んだで、そのまま放置されるのみで、それは金で命を売り渡したものの当然の帰結であることは論をまたない。
だが、そんな事とは全く無関係に、民間軍事会社の人間であろうとも、その国籍は大きな価値を持っている。
民間の人間であろうと軍の人間であろうと、テロをする側から見れば、人質としての先進国の人間の価値は、国籍が大きく物をいうわけで、傭兵でも、正規の軍人でも、NPOの人間でも、その人の国籍によって価値が大きく違っている。
同じ人質であっても、先進国の人間の命は大きな価値を産む事になる。
テロ組織の側の人間からすれば、アメリカ人の死体を凌辱すれば、彼らの評価は大きく上がるわけで、イスラム文化圏内における存在感を大きくアピールすることになる。
人間の命の価値も、そこにメディアの介入がなければ、価値は生まれないわけで、いくらアメリカ人を人質にとって大きな身代金を提示しても、メディアが報じてくれない事には、それは価値を生み出さない。
そういう意味では彼らは決して未開人ではないわけで、非常に狡猾なネゴシエーターでもある。
中近東やアフリカの奥地、南米の奥地の人々が未開人のままであることは、基本的には彼ら自身の生き方の選択の結果である。
先にも述べたように人類のスタートラインでは皆同じであったわけで、それが21世紀の今日、これだけの格差が生じた事は誰の責任でもない。
その中で、アメリカが世界の警察官ぶるのは、アメリカ人の陽気さの表れであろうが、「こういう人々を何とか救済しなければ」と言って活躍しているNPOの人々の行為も、矢張り先進国の人々の勝手な思い込みと同時に、驕り高ぶった僭越な行為だと思う。
後進国の人々の世界は、それはそれなりに小さな宇宙を形成しているわけで、そこへ先進国の人々が勝手に善意に満ちた愛の手を差し伸べることは、そういう人々を頭から見下す行為だと思う。
彼らが先進国の基準からすれば未整備な環境で生きていようとも、それが彼らの宇宙なわけで、それを先進国から見た価値観で「可哀そうだ」という感想は、先進国の驕りだと思う。
今の日本の若者は非常に心が優しいので、大自然の法則に抗うことを避けたがる傾向があるが、大自然というのは極めて非情なわけで、人間の善意とか行為などというものは、いとも安易に跳ね飛ばされてしまう。
そういう場では、人間の善意も行為も何の助けにもならないが、今の日本の若者は、その真実の根幹の部分を知らな過ぎる。
だから言葉の上の綺麗ごとに惑わされて、未開の人々、低開発国の人々、抑圧されている人々を救済しなければならないと思い込んでいるが、それは無知による思い込みに過ぎず、彼らの小宇宙に土足で踏み込むような行為なのである。
だからイラクに進駐したアメリカ軍は、イラクの民主化という戦後復興の行動にさえ、訳の判らないテロリストの餌食にされているので、ここではそれぞれの双方の宇宙観が異なっているのである。
まさしくキリスト教文化とイスラム文化の衝突なわけで、そこには共通の価値観、宇宙観が存在していないので、無用な殺傷が絶えないのである。
それを解消するには、アメリカはイラクから撤退して、イラクの事はイラク人に、現地の事は現地人に任せるべきである。
彼らがいくら同胞どうしで殺し合いをしようとも、傍観者を決め込んで、手を出さない事だ。
ただアメリカがそうしようとしても、他の国が手を出して、そこの利権を手に入れようと画策するので、アメリカとしては傍観者に徹し切れないことになる。
今の先進国だって、過去には熾烈な殺し合いを経て今日があるわけで、後発の国が、今、そういう殺し合いを演じていても、先進国の人間が聖人ぶって、殺し合いの非を説くことは僭越な行為だと思う。
我々が歩んできた道を、彼らも踏襲しつつあるわけで、歴史から学ぶべきは彼らの方である。
人間の生と死は、人類誕生以来の大課題なわけで、人が死を悼む行為は普遍的なもののようにみえるが、個々の例では必ずしもそうではなく、肉親同志で殺し合うケースも、国を越え民族を越えて何処にでもあるわけで、ならば人の死を憐れむ感情というのは一体何なんだということになる。
親子兄弟で殺し合う人間という種において、その同じ種が、「戦争で人と人が殺し合うことはいけません」などと言ってみても何ら説得力がないではないか。
日本の進歩的と言われる文化人の類は、こういうスローガンを声高に叫んで悧巧ぶっているが、そういうことを声高に叫ぶ人というのは一種のパフォーマンスを演じているだけで、人気取りであると同時に、それが糊塗を凌ぐ手段でもあるわけだ。
要するに、平和主義者という職業なわけで、そういうことを言っておれば食っていける世の中というのは、イラクやイランやアフガニスタンとは別の宇宙に生きているということでもある。
私の価値観でいえば、究極の詐欺師であり、世の中を惑わす瞽女と同じだ。