例によって図書館から借りてきた本で「先生、日本のこと教えて」という本を読んだ。
著者は1962年生まれ、当年とって44歳の若い現役の先生である。
この先生が、今日、公立の学校で行われている社会科、特に歴史、近現代史において、その偏向の度合いがあまりにもひどいので、その実情を世に問いかけるという意味で、この本を書かれたようだ。
それは、この著者の主観だからどういうふうに受けとってもいいが、問題は戦後60年間という時の経過の中で、我々の同胞がどうして自分の祖国の威厳というか、威信というか、誇りをなくしてしまったのであろうか、という自省のほうがはるかに重要だと思う。
明治維新以降、日本がアジアに進出したことを、何故悪いことをしたという認識で捉えるのであろう。
何故、旧社会党の村山富一元首相と、小泉純一郎首相の言葉が、瓜二つのように似かよったものになるのであろう。
旧社会党の面々も、自分達の同胞がアジアで悪いことをして迷惑を掛けたという認識を何処から引きずり出してくるのであろう。
それはひとえに60年前に日本を裁いた連合国側の認識からそういうものの考え方に至っていることは一目瞭然であるが、そのことは同時に自分達の先輩のしてきたことをきちんと直視せず、進駐軍を介してきた情報をそのまま受け売りしているということである。
それが為、先方の言う事は正しく、我々日本人の言う事は信用ならないということで、この東京裁判史観、極東国際軍事法廷の価値観が正しいという認識に基づいているから、我々、日本人の先輩諸兄がアジアで悪いことをしたという認識にさいなまれているものと考える。
このことは、一方の側からのものの見方のみに頼っているから、目の前の事実を、自分の目で見、自分の頭で考え、自分の頭脳で認識することが出来ず、先方の言うことを丸飲みする以外に自己認識の道がなく、自分達の父や兄弟や伯父達は、アジアで悪いことばかりしてきた、という価値観になるのである。
問題は、こういう若い先生が、現状を憂いて問題提起しなければならなかった状況である。
若い社会科か歴史科の先生が、「この授業はあまりにもひどすぎる」と思うに至る状況である。
こういう状況が戦後60年間続いてきたところに問題の根源があると思う。
私自身も中学高校のとき、昭和30年代の初頭、先生が左翼かぶれの先生で、治安維持法で引っかかったことを自慢し、中華人民共和国では蝿は一匹もいない、などと真剣に我々に向かって言い放っていた。
そういう先生に教わっても、特別に悪人に育ったわけでもなく、不良にもならずに来れたところを見ると、教育などというものは個人の人格形成に何の影響もない、と言うことかもしれない。
戦後の偏向した教育を受けたところで、その所為で共産党員が格別に増えたわけでもなく、社会党が特別に伸びたわけでもなく、こういう革新勢力が見事に衰退したということは、戦後60年にも及ぶ偏向教育といわれるものが、日本人の心の持ちようについて何の影響も与えることが出来なかったということである。
教育などというものは、人間の精神の形成に何の影響力も持ち合わせていない、ということに他ならない。
我々はともすると、学校現場で偏向した教育がなされれば、そこを巣立つ若者は、全部、革新的な志向の持ち主になるのではないかと心配しているが、決してそんなことはないと思う。
しかし、ここでよくよく教育というものを考えてみると、戦前の我々の先輩諸氏の受けた教育というのは、徹底的な軍国主義のつめこみであったわけで、学校で教えられた皇国史観というものに何の疑いも持たずに国の為に殉じた、ということをどう考えたらいいのであろう。
我々戦後世代は、偏向した左翼思想で教育されても、誰も左翼に行ったり(厳密に言えば極端な行動や思考をした人間もいるにはいたが)共産党に入党した人間はいなかったが、戦前の同世代の若者は、何ゆえにそうやすやすと国家の刷り込みに順応したのであろう。
この本の著者は、そういう教育の実態を憂いているが、私の関心は、この若い先生の前にはベテランの、年季のはいった経験豊かな、より人間性の闊達した老練な教師がいたのではないかと思う。
問題は、そういうベテランといわれるような老練な先生が、何ゆえにこういう偏向した教育を受け入れたのか、という疑問である。
当然、日教組の存在を私が知らないわけではない。
日教組というものが何ゆえに、自分達の政府の足を引っ張り、自分達の将来を担う若者に、自分達は悪人で、アジアで悪いことをした、という教育を刷り込もうとするのであろう。
日教組の人間も同じ日本人として、そんなことをして良いわけないということに気がつかなかったのであろう。
日教組が共産主義者の集まりで、自分達の政府よりも、旧ソ連や中共に近親感を抱いているとしても、自分達の同輩や同胞に、現実とはかけ離れた嘘で固めた虚構の概念を押し付ける必要はないと思う。
政治、外交、戦争というものは人がするのであるから、その中には失敗というのも当然ある。
戦争で負けるということは、その失敗なわけであるが、失敗しからといって、それは悪でもなければ善でもないわけで、まして正義でもなければ不正義でもない筈である。
しかし、極東国際軍事法廷いわゆる東京裁判というのは、そういうことに対して勝った側の論理で、こういう決着のしかたをしたわけである。
偏向した教育を子供達にしている人たちは、極東国際軍事法廷いわゆる東京裁判の価値観を正しいものとして受け入れているのである。
そして、その価値観を冷静な目で考察しないということは、戦前の皇国史観を全く疑うこともせず、真っ正直に正面から捉え、国難に殉じていった若者と同じ精神構造であるということである。
彼らは、皇国史観を国家が若者に強制したと言い募っているが、彼らのしている行為も全くそれと同じで、共産主義者が、末端の細胞に、党に殉じて死ぬことを強要しているようなものである。
学校現場で偏向した教育を行っている人々は、戦前に治安維持法が怖くて物がしゃべれず沈黙していた人と同じなわけで、党の言うことに異議を差し挟んで抵抗する勇気がないということと同じである。
それにしても学校というところで、我々の民族のありもしない事を捏造してまで、自分達の民族を貶め、悪し様にののしり、外交の国益に貢献して、嬉々としている現状は大いに考えなければならない。
著者は1962年生まれ、当年とって44歳の若い現役の先生である。
この先生が、今日、公立の学校で行われている社会科、特に歴史、近現代史において、その偏向の度合いがあまりにもひどいので、その実情を世に問いかけるという意味で、この本を書かれたようだ。
それは、この著者の主観だからどういうふうに受けとってもいいが、問題は戦後60年間という時の経過の中で、我々の同胞がどうして自分の祖国の威厳というか、威信というか、誇りをなくしてしまったのであろうか、という自省のほうがはるかに重要だと思う。
明治維新以降、日本がアジアに進出したことを、何故悪いことをしたという認識で捉えるのであろう。
何故、旧社会党の村山富一元首相と、小泉純一郎首相の言葉が、瓜二つのように似かよったものになるのであろう。
旧社会党の面々も、自分達の同胞がアジアで悪いことをして迷惑を掛けたという認識を何処から引きずり出してくるのであろう。
それはひとえに60年前に日本を裁いた連合国側の認識からそういうものの考え方に至っていることは一目瞭然であるが、そのことは同時に自分達の先輩のしてきたことをきちんと直視せず、進駐軍を介してきた情報をそのまま受け売りしているということである。
それが為、先方の言う事は正しく、我々日本人の言う事は信用ならないということで、この東京裁判史観、極東国際軍事法廷の価値観が正しいという認識に基づいているから、我々、日本人の先輩諸兄がアジアで悪いことをしたという認識にさいなまれているものと考える。
このことは、一方の側からのものの見方のみに頼っているから、目の前の事実を、自分の目で見、自分の頭で考え、自分の頭脳で認識することが出来ず、先方の言うことを丸飲みする以外に自己認識の道がなく、自分達の父や兄弟や伯父達は、アジアで悪いことばかりしてきた、という価値観になるのである。
問題は、こういう若い先生が、現状を憂いて問題提起しなければならなかった状況である。
若い社会科か歴史科の先生が、「この授業はあまりにもひどすぎる」と思うに至る状況である。
こういう状況が戦後60年間続いてきたところに問題の根源があると思う。
私自身も中学高校のとき、昭和30年代の初頭、先生が左翼かぶれの先生で、治安維持法で引っかかったことを自慢し、中華人民共和国では蝿は一匹もいない、などと真剣に我々に向かって言い放っていた。
そういう先生に教わっても、特別に悪人に育ったわけでもなく、不良にもならずに来れたところを見ると、教育などというものは個人の人格形成に何の影響もない、と言うことかもしれない。
戦後の偏向した教育を受けたところで、その所為で共産党員が格別に増えたわけでもなく、社会党が特別に伸びたわけでもなく、こういう革新勢力が見事に衰退したということは、戦後60年にも及ぶ偏向教育といわれるものが、日本人の心の持ちようについて何の影響も与えることが出来なかったということである。
教育などというものは、人間の精神の形成に何の影響力も持ち合わせていない、ということに他ならない。
我々はともすると、学校現場で偏向した教育がなされれば、そこを巣立つ若者は、全部、革新的な志向の持ち主になるのではないかと心配しているが、決してそんなことはないと思う。
しかし、ここでよくよく教育というものを考えてみると、戦前の我々の先輩諸氏の受けた教育というのは、徹底的な軍国主義のつめこみであったわけで、学校で教えられた皇国史観というものに何の疑いも持たずに国の為に殉じた、ということをどう考えたらいいのであろう。
我々戦後世代は、偏向した左翼思想で教育されても、誰も左翼に行ったり(厳密に言えば極端な行動や思考をした人間もいるにはいたが)共産党に入党した人間はいなかったが、戦前の同世代の若者は、何ゆえにそうやすやすと国家の刷り込みに順応したのであろう。
この本の著者は、そういう教育の実態を憂いているが、私の関心は、この若い先生の前にはベテランの、年季のはいった経験豊かな、より人間性の闊達した老練な教師がいたのではないかと思う。
問題は、そういうベテランといわれるような老練な先生が、何ゆえにこういう偏向した教育を受け入れたのか、という疑問である。
当然、日教組の存在を私が知らないわけではない。
日教組というものが何ゆえに、自分達の政府の足を引っ張り、自分達の将来を担う若者に、自分達は悪人で、アジアで悪いことをした、という教育を刷り込もうとするのであろう。
日教組の人間も同じ日本人として、そんなことをして良いわけないということに気がつかなかったのであろう。
日教組が共産主義者の集まりで、自分達の政府よりも、旧ソ連や中共に近親感を抱いているとしても、自分達の同輩や同胞に、現実とはかけ離れた嘘で固めた虚構の概念を押し付ける必要はないと思う。
政治、外交、戦争というものは人がするのであるから、その中には失敗というのも当然ある。
戦争で負けるということは、その失敗なわけであるが、失敗しからといって、それは悪でもなければ善でもないわけで、まして正義でもなければ不正義でもない筈である。
しかし、極東国際軍事法廷いわゆる東京裁判というのは、そういうことに対して勝った側の論理で、こういう決着のしかたをしたわけである。
偏向した教育を子供達にしている人たちは、極東国際軍事法廷いわゆる東京裁判の価値観を正しいものとして受け入れているのである。
そして、その価値観を冷静な目で考察しないということは、戦前の皇国史観を全く疑うこともせず、真っ正直に正面から捉え、国難に殉じていった若者と同じ精神構造であるということである。
彼らは、皇国史観を国家が若者に強制したと言い募っているが、彼らのしている行為も全くそれと同じで、共産主義者が、末端の細胞に、党に殉じて死ぬことを強要しているようなものである。
学校現場で偏向した教育を行っている人々は、戦前に治安維持法が怖くて物がしゃべれず沈黙していた人と同じなわけで、党の言うことに異議を差し挟んで抵抗する勇気がないということと同じである。
それにしても学校というところで、我々の民族のありもしない事を捏造してまで、自分達の民族を貶め、悪し様にののしり、外交の国益に貢献して、嬉々としている現状は大いに考えなければならない。