ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「苛立つ中国」

2008-10-30 21:58:14 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「苛立つ中国」という本を読んだ。
北京大学に留学した若い富坂聡という人のチャイナウオッチである。
戦後世代の、しかも中国に留学した人の中国への洞察であるので、一見左翼的な視点があるかと思ったが、そうでもなくその思考は極めてニュートラルであった。
ただ、我々世代のものが世に出回っているはあまたの本から推察した中国観とはあまり大した相違はない。
やはり、我々の先輩諸氏が見た中国と本質的に同じということである。
前にも記したが、人間は生まれ落ちた場所によって、考え方も生き方も全く違うわけで、その相違が民族というものを形つくる。
アジア大陸で生まれ落ちたものと、四周を海で囲まれた小さな島に生まれ落ちた人間では、それぞれの成長の過程で考え方も生き方も違ってくるのが当然であって、このことからも「人間は皆平等だ」などという言葉が嘘八百なことが一目瞭然ではないか。
大陸で生まれ、そこの習俗の中で育ち、そこで教育を受けたものと、日本で生まれ、飽食の中で生育した我々とは考え方も生き方も、まるまる違うのは当然である。
しかし、人間は過去の経験から人生の教訓を得ることは、民族が違っても共通の思考だろうと思うが、そのこと自体が民族性の相違である。
ただ我々は、四周を海で囲まれた島国の住人で、なおかつ同胞が極めて均一的な人間の集合を成しているので、他人・他民族を疑うということに警戒感が薄い。
その点、大陸で生を受けた人たちは、東から、西から、あるいは北から、南からと、常に異邦人に襲われる危険を意識しながら生きなければならなかった。
こういう潜在意識は、それぞれの民族に刷り込まれているわけで、後天的な教育では消し去れないものである。
それぞれの個人が、いくら高等教育を受けたところで、持って生れた潜在意識を払しょくすることがないまま、その上に高等教育が接木されるのである。
だから、それぞれの地で生まれた個人が、いくら高等教育を受け、高位高官に上り詰めても、もって生まれた潜在意識というのは、そのまま残っているわけで、これがいわゆる民族性というものを形つくっている。
この本を読んでみると、中国人の普遍的な中華思想というのは、見事な民族性を指し示している。
それは同時に、我々の側にも同じものがあるわけで、それは「葦の髄から天を覗く」ような偏狭な視点である。
中国人の日本蔑視というのは、有史以来、連綿と継続しているわけで、これこそ典型的な民族性である。
彼らにとっての日本にたいする認識は、未だに、東夷・夷狄を超えるものではなく、野蛮人の域を出るものではない。
ところが心の奥底でそう思いつつ日本に来てみると、とても日本の現状には溶け込めず、そのギャップの大きさに恐愕のあまり、見事に挫折するわけで、すると本人の挫折を日本の所為に転嫁するのである。
問題は、自分の挫折を他に転嫁する口舌のテク二ックが究極の中華思想ということである。
自分が世界の中心だから、自分の挫折は周りが悪い、という論理になるのである。
これこそ究極の中華思想ではないか。
自分が世界の中心で、その自分が世界の中心に位置することが出来ないのは、すべて周りが悪いから自分の中心軸が定まらないのだというわけで、我々の側の発想ならば「何を思いあがっているのだ」という思考に落ち着く。
これでは両方で完全に価値観が食い違っているわけで、我々は中国と接するとき、この価値観の食い違いを肝に銘じて認識してかからねばならない。
我々はともすると安易に「話し合えば理解し合える」という空想を抱きがちであるが、相手は5千年前から生き馬の目を抜く世界を生き抜いてきた連中ということを忘れてはならない。
先にも述べておいたが、中国人は夫婦喧嘩も街頭に出て道行く人巻き込んで自分の正当性を強調するといわれているが、これを別の言い方をすればプロパガンダを高らかに掲げると、人々がその周りに集まってくるということでもある。
つまり、根も葉もない嘘でもデマでも、声高に何回も同じことを繰り返して叫び続ければ、それが真実になるということでもある。
そして、こういう演出が彼らは極めて上手で、それによって我々は常に被害を被っている。
この本は、中国での反日デモをつぶさに観察することによって、そのデモの本質に迫ろうとした著作であるが、それを突き詰めると、結局のところ嘘も何回も言えば真実になる、という中国人の現実に突き当たるということを指し示している。
日本でいえば、流言飛語が真実になってしまうというわけで、プロパガンダが極めて有効に機能するということでもある。
これが中国人の本質なのであろう。
反日のエネルギーの後ろに、反日教育の効果が有効に機能しているわけで、異論を唱えれない共産主義体制の中で、上から有無を言わせぬ反日教育を押し付けられ、それをいささかも疑うことなく信じ切っている人たちが、反日の大義名分が何であろうとも、ただただ反日というだけで盲信する大衆の潜在意識に火が付くわけである。
この本では、そういう中国大衆のエネルギーを、中国政府、及び中国共産党も内心恐れているということが述べられている。
当然といえば当然のことで、中国民衆のエネルギーが、反日に向かっている限りは心配することはないが、そのエネルギーが少し矛先を変えて、政府批判になることを極めて恐れているのである。
中国の民衆が、反日を掲げてデモること自体が、ある面で民衆の運動、いわば大衆運動なわけで、ある意味では民主化の具現でもあり、中国政府の立場としては、こういうことがはなはだ迷惑なわけで、そのエネルギーがあまりにも野放図になると今度は逆に抑圧にかかる。
こういう点にも、中国の政府、いわゆる為政者というのは、民衆とか大衆というものをいささかも考慮に入れていないわけで、ただただ管理すべきものという認識から一歩も出ていない。
先に、生まれ落ちた場所が違えば考え方も生き方も違って当然と述べたが、そのことに付随して、中国人は法に対する考え方も我々とは大きく異なっており、こういう違いを考慮せずに向き合えば、必ず破綻をきたすであろう。
法というのは、如何なる国でも、人間が便宜的に考えだした人為的な概念であって、自分たちがお互いにスムースに生活出来るように、という自己規制を強いる概念である。
お互いにそれを順守しなければ、自分たちに災禍が降りかかってくるので、そうならないように、お互いのミニマムのルールとして守っていきましょうというものである。
ところが中国の民は、有史以来、侵略したりされたりの連続であったわけで、そういう概念が永続するとはいささかも考えておらず、基本的には「俺がルールブックだ」ということになる。
この世で信ずるに足るのは自分一人、俺しかいない、俺が法律だ、だから俺は好きな時に好きなように勝手気ままに振舞って何が悪い、という発想に行きつくのである。
19世紀以前ならば、これでもいい。しかし、今日の世界というのは完全にグローバル化しているわけで、人、もの、かねというのは、地球規模で動き回っているので、中国だけが独善的な自己中心主義では、他との軋轢が生じるのも当然のことで、摩擦が生じてしまう。
グローバル化した社会ならば、価値観も共通でなければならず、その共通の価値観の中で、同じ認識のもとで生きなければならないわけで、その価値観にギャップがあるとするならば、その境界では軋轢が生じ、摩擦が生じるのは当然のことである。
中華人民共和国の建国当時、1949年の中国は、確かに貧しかった。
しかし、それ以降、世界的な経済成長に便乗して、中国もそれなりに豊かになった。
それまでに社会基盤整備が遅れていた分、先進国のように社会的な基盤整備の階段を一つ一つのぼる苦労を経ずして、一気に携帯電話やインターネットを駆使する社会に成り替わってしまった。
こうなると国家としては大衆の情報を一元的に管理することが不可能になってきて、上からの強権力で抑圧されるままの大衆、国民ではなくなってきた。
こういう状況下で、中国の大衆の反日デモというのは、中国民衆の草の根の潜在意識の発露だ、と見なさなければならない。
その潜在意識のもう一枚下には、中国政府による上からの強権的な反日教育があったことはいうまでもない。
国家が上から押し付ける体制維持を目的とした教育というのは、我々も十二分に経験しているわけで、戦前戦中の「鬼畜米英」というスローガンの下での軍国教育に如実に表れている。
中国政府の反日教育というのも、それと軌を一にしているわけで、そういう教育の結果として反日、排日という機運が盛り上がったに違いない。
ただし、中国政府としては、民衆が反日をスローガンとしつつも、国家の抑圧の手のとどかない場所で、自主的に民衆の総意としての行動を起こされることに並々ならぬ危機感を感じているのである。
この反日の矛先が何時如何なるきっかけで反政府、反体制になるかもしれないという危惧を感じており、その為に民衆の自発的な行為そのものにあまり信をおいておらず、常に抑圧する準備を怠らない。
現在の中国の共産主義という体制の中では、何事によらず、民衆、大衆の自主的な行動というのは。為政者にとっては痛しかゆしの存在なのである。
この本の中で述べられている反日活動家というのは、いづれも日本に滞在した経験がある連中で、その経験からおして、日本嫌いになった節が伺える。
その最大の特徴は、日本に来てみると、彼らの思い描いた状況ではなかった、という点に尽きるが、そんなことは異国に渡れば誰でも同じことを経験するわけで、それを「日本だから」と限定するところに、彼らの不遜な奢りがあり、自己中心主義でもあるわけで、そこに中華思想が潜在意識として横たわっている最大の特徴だと思う。
アメリカ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、日本人、中国人と、それぞれに持って生れた考え方生き方というのは違っているわけで、他国に行って自分の生き方を通そうとしても相当な困難を伴うのは当然のことだ。
「相手が自分を受け入れないのは相手が悪い」という論法は、極めて中国人的ではないか。
如何なる国の人でも、日本に来て日本で生活をしようとすれば、日本になじむ努力しなければならず、その努力の過程で挫折して、自分の国に帰る人も当然いるわけで、それを相手の所為にするところは極めて自己中心的な思考である。
この本には、中国に進出した日本企業のことが書かれているが、西洋の企業では管理職にも中国人を起用しているが、日本企業はそれをしないから嫌われていると述べている。
ここにも三者三様の物の考え方が表れている。
西洋の企業は、中国進出を完全に金儲けのチャンスと割り切っているので、「ネズミを捕るネコは黒い猫でも白い猫でも構わない」という論理である。
これは完全に帝国主義的植民地主義の姿を変えた形である。
根底に流れている思考は、究極の資本主義で、如何に効率よく儲けるかという姿である。
ところが、日本企業というのはそこまで徹底した資本主義に踏み切れずに、あくまでも自分もパートナーも共に共存共栄を図ろうとする慈悲の心が事業経営の一枚下の奥底に眠っているものだから、究極の資本主義には成り切れない。
これも戦前の日本がアジアを支配しようとした発想にそのまま通じるわけで、西洋列強はアジアからの搾取を第一義に考えていたが、我々は同じ黄色人種として、ともに共存共栄を目指し、ともにボトムアップを図ろうとした思考の延長線上にある。
徹底的な搾取には徹し切れないのである。
姿形が同じ黄色人種として、相手から搾取するという思考には徹しきれず、ともに協力して、ともに豊かになりましょう、その為には私が主導権を握りますのでよろしく、というのが当時の日本の良心であったが、その過程で、あこぎな我が同胞が現地の人々を抑圧したケースもままあったことは否めない。
そういう我々の側の潜在意識を理解していない中国人は、目先の金が欲しわけで、10年も20年も先のことなどどうでもいいわけである。
中国大陸に生を受けた人間として、10年も20年も先のことに思い巡らす精神の余裕はないわけで、今金を握っておかなければ、明日にでも天下がひっくり返るかもしれない、という危惧を抱いて日々生きているのものと想像する。
これは誰も言わないことであるが、中国人には基本的に紅毛碧眼の西洋人には卑屈な態度で接する弱いところがあるように思う。
ところが、姿形の同じ黄色人種には居丈高に振舞うところがあるのではなかろうか。
それはともかく21世紀は、良かれ悪しかれ中国の世紀だと思う。
それは中国がアメリカをしのぐ経済発展をするという意味ではなく、世界は中国に振り回されると言うことだ。
現に、昨今、日本に来る食糧品の中の残留農薬の件なども、未だに真偽のほどは定かでないが、中国に起因している可能性が大であるわけで、中国が世界の工場となっている今、欠陥商品の震源地は中国ということにならざるをえない。
2、3年前アメリカでは輸入された玩具の塗料に有害物質が含まれていたという話から、ドッグフードに有害物質が混入していた例、知的財産の権利保障など、中国の一挙手一投足がそれぞれに世界に影響を与えているわけで、そういう意味から21世紀は中国の世紀だと言わざるを得ない。
今、中国は世界の工場となって、物作りの総本山になっているが、こういう場面で、人々が法を守る意識が低かったり、契約や約束を守らなかったり、ルールを無視するということが頻繁に起これば、世界からブーイングが起きる。
そのブーイングに対して、「自分たちは悪くない、お前たちが悪いのだ」という開き直りの態度を示せば、収拾がつかなくなってしまう。
というのも、彼らの自己弁護の論理が極めて異質なわけで、その意味で従来の先進国の認識やコンセンサスを無視して、自己中心的な思考で論駁されると、我々は話し合いのチャンスさえないということになる。話し合うということは、同じテーブルに着くということであって、それは共通の土俵に登るということでもあるが、価値観が同じでなければ話し合いそのものが成り立たない。
民族が違えばこの価値観も当然違うわけで、それを共通の認識の場に導くのは、教養と知性と理性でしかない。
ところが、我々のいう教養と知性と理性という概念と、中国人のいう教養と知性と理性とが別物であるとするならば、相互理解は成り立たないのである。

「中国は日本を併合する」

2008-10-27 13:19:02 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「中国は日本を併合する」という本を読んだ。
非常に衝撃的な本であった。
戦後の日本人は中国を見るとき、どうしても贖罪意識を払しょくしきれず、中国の現実を見落としがちであるが、この本は、そういう日本人の見落としがちな部分に焦点を合わせている。
考えてみると、我々日本人の中国を見る目というのは、あの遣唐使の時代から同じ思考のままで来ているような気がしてならない。
我々、日本列島という海洋国家の立場からすると、どうしても文化の先達という意識が拭い去れなくて、何となく畏敬の念を無意識のうちに持ってしまうのではなかろうか。
思えば、日本の文化というのは遣唐使に限っていえはダイレクトに入ってきたに違いなかろうが、それ以外にも歴史に残らない行き来というのはあったに違いなく、そういうものが混然一体と融合して、今日の日本があるものと推測する。
ところが近世になって日本が近代化してみると、対岸のアジア大陸の我が先達は、旧態依然の状況にあったわけで、ここで水が低い方に流れるように、パワーバランスの逆流が起きたわけである。
そこで、文化の進展とともに、その文化を享受する人間の側にも、その文化の進展に呼応した認識の進展がついてこなければならないはずである。
縄文時代ならば、その状況にふさわしい考えが人間を支配し、封建時代ならば、やはりその封建制度に依拠した社会になるわけで、これがより一層近代化すれば、その時代状況にマッチした精神構造にならなければならない筈である。
ところが、地球上の人類は一か所にかたまって生きてきたわけではなく、地球上にバラバラになって生きてきたわけで、その間には広大な空間があった筈である。
その空間を挟んで、それぞれの地に、それぞれ別個に生きてきた人間は、それぞれに異なった社会を作り、それぞれに異なった宇宙観、世界観を持ち、栄華盛衰を繰り返してきたのである。
この地球上で別々に世界を持っていたので、それぞれの民族では生活のレベルも違い、文化の度合いも違い、それぞれに生きることの認識も違い、これを今流の言葉で表現すれば、個性を持ち、その個性が格差を作っていたわけである。
豊かで、強くて、民主的な集団と、いつまでも農業を主体とする封建制度から抜けきれない集団と、この狭い地球上で混在する状況にあいなったのが19世紀から20世紀という時代だと思う。
こういう人間の存在の在り方というのは、今の日本の知識人がこだわる善し悪し、善悪、正義不正義という価値観では測れないわけで、自然界に自然にある天与のものである。
アジア大陸の東岸に、ヨーロッパ人がアフリカを迂回してたどり着き、金銀財宝を持ち帰る、という構図は自然界の人間の自然の振る舞いなわけで、それを善し悪し、善悪、正義不正義という価値判断で眺めることは、人間の自然の生き様を否定することになる。
アメリカ大陸にヨーロッパから人が渡って、ネイティブな人々を追いやって、土地を開拓するというのも自然の成り行きなわけで、これも善し悪し、善悪、正義不正義という価値観で、否定することはできない。
こういうことは人間の生存にとって必然であるわけで、水が低い方に流れるのと同じである。
ただ、こういう場面に直面して、川の中の岩のように、そういう流れに抵抗することは、その民族の知恵で十分にあり得ることだ。
ヨーロッパの人々が富を求めてアジア大陸の東岸に押し寄せる、あるいはアメリカ大陸の東岸から西に向かって開拓してくる、こういう状況に対して先住民として大いに抵抗することも十分に自然の権利であり、自然界の摂理であり、川の中の大きな岩となって、流れに抵抗することも大自然の必然的な在り様である。
地球上の人間の生存というのは、基本的に弱肉強食、優勝劣敗であるわけで、これこそ自然界の自然の法則である。
まさしく野生動物の生存競争と同じなわけで、これこそ人間の真の姿だと思う。
人間は片一方ではこういう自然の法則に準拠しながら、もう一方では「無為な殺生は可哀想だから止めましょう」という慈悲心に苛まれるわけで、この部分にこそ野生動物とは違う人間の最も人間らしい人間性の発露である。
現代人はこの部分を抜き出して、それこそ人間の英知だと自己満足に浸っているが、それは自然界から見れば人間の奢り以外の何物でもない。
人類は、人として人間性というものを持っているからこそ、チンパンジーやゴリラとは違うわけで、しかしそれは同時に善し悪し、善悪、正義不正義という価値観を自らの精神の中に引き入れてしまったので、幸不幸、憎悪、喜怒哀楽という感情を刺激し、それを醸成させる方向に作用させてしまった。
人間の精神が高揚してくると、仲間意識を強く感じるようになって、国、国家、主権というものを意識するようになった。
もともと人間の集団にはリーダーが不可欠なわけで、いかなる人間も大なり小なり自らのリーダーに統率された存在ではあるが、時代がすすむとこのr-ダーというものが国、国家、主権という概念の中で、捉えられるようになってきた。
しかしそれは、それぞれの民族がそれぞれに選択すべきことで、近代から現代になるにしたがい、リーダーの在り方に様々な態様が現れた。
で、19世紀のアジア大陸では、広大な土地を支配し、管理すべきリーダーが極めて無能で、社会そのものがきちんと組織だって機能していなかった。
戦後の日本の知識人は、中国の話をするとき、この部分を見落として、中国と日本は同じレベルに社会制度の整った主権国家だ、という認識で話をするから贖罪意識が抜けないのである。
国とか、国家とか、国家主権という概念は、極めて現代に近い時代の概念であって、昭和初期の中国、清、あるいは中華民国という言い方が、果たして我々の持っている国家という概念にあてはまるかどうか極めて難しいと思う。
清が果たして大日本帝国と同じレベルの国家であったであろうか。
中華民国についても、それと同じことが言えるわけで、そういう意味からも、当時の日本は相手を普通でいう主権国家とは認めがたく、それと戦争になった時、戦争という言葉を使わずに、事変という言葉を使っていたものと思う。
戦争という言葉を使うには、交戦国同士がきちんとした主権国家同士でなければならず、日中戦争においては、相手が主権国家の体をなしていなかったので、戦争という言葉が適合しなかったものと考える。
いわば、ヨーロッパ人がアメリカ大陸の先住民を追いやりながら、アメリカ合衆国を作り上げた構図と酷似しているわけで、相手を先進国と同じレベルの主権国家だと見なすから、贖罪意識にさいなまれるのである。
だからといって、そこに住む人々を滅多矢鱈と殺していいという論理は成り立たないのは当然であって、ただそういう無秩序の地に分け入ったからといって、それに対して侵略という言葉が成り立つかどうかは大いに疑問だと思う。
アメリカ合衆国はネイテイブ・アメリカンを侵略した結果出来たと言ったら世界はどういうであろう。
そういう無秩序の地を秩序あらしめるための実験が、満州国の建設ではなかったかと私は考える。
あの広大な満州の地を日本人の手で開墾すれば、広大で肥沃な農地が出現して、現地人も、シナ人も、日本人も、皆幸せになれるのではないか、という理想があったのではないかと思う。
そういう歴史的事実から既に63年、約70年を経過して、いま中国ではそういうかっての日本がしようとしたプロジェクトを「侵略」と悪意をこめて批判しているが、口先では日本に対して贖罪を説きながら、ODAはちゃかり受け取るというところは非常にしたたかである。
中国人はメンツを重んずる民族だ、という風に我々は認識しているが、ことが金のことになると、メンツなどしごくあっさりと投げ捨ててしまうではないか。
アジア大陸の中の中国というのは、未来永劫、統一されるということはないものと思う。
中国が統一するという場合、どこまでが中国の主権の及ぶ範囲か、というのは未来永劫、確定しないにちがいない。
しかし、人間というのは、国境などという人が仮に便宜的に作った概念など、あろうがなかろうが生き抜く知恵をもっているわけで、そのことは究極のボーダーレスということになる。
この著者の論点の中に、このボーダーレスの意図的な拡大が、中国の野心というニュアンスで描かれているが、ある程度核心を突く論理だと思う。
この野心が、アジアの奥地に向かっている間は日本への影響は微々たるものであろうが、それが海、特に太平洋に向かって現れるようになったので、注意しなければならない、と警告を発しているのである。
清、中華民国という時代は、確かにアジア大陸は混とんとしていた。
ところが中国共産党が国民党の蒋介石を台湾に追いやった後は、一応は「秦の始皇帝」並みの統一国家らしきものに体裁を整えた。
こういう統一国家のようなものが出来上がっても、人間のすることは大昔とたいして変わるものではなく、権力の専制に陥るわけで、この点については太古から人間の生き様は何ら進化するものではない。
一言でいえば、覇権主義に陥るわけで、権力を無限大にまで拡大しようとするわけである。
これこそ中国の歴代の王朝が繰り返してきたことであるが、20世紀の、特に第2次世界大戦後のヨーロッパの先進国は、その無意味さに気がついた。
だから戦後の時期というのは、そういう先進国は植民地というものを力づくで維持することを放棄して、相互理解と互恵貿易で、富の標準化に努めたわけである。
ところがその時点でも、従来の覇権主義に固執して、覇権を力で維持しようとしたのが旧ソビエット連邦と今の中華人民共和国ということになるのである。
第2次世界大戦が終わり、日本の覇権がアジアから一掃されたタイミングで、中国共産党がアジアを席巻したわけである。
ところが、この時期に至っても、中国の人々、特に国家の首脳クラスの人にとっては、中国の5千年とも言われる中華思想から脱却できないでいるのである。
アジア大陸において、いくら王朝が生まれては消え、消えては生まれても、中国の地に中国人がいるかぎり、中国人の中華思想というのは払しょくしきれないはずだ。
しかし、中国人にこれがある限り、中国人の覇権主義というのも消滅しないわけで、地球の最後は中国人によって消滅に至ると思う。
我々、日本というのは、太古からアジアの民とは一衣帯水の位置にいるわけで、これをアジアの民から見ると、いくら世紀が変わろうとも、日本は東の夷狄でしかないわけで、いくら日本が高度経済成長しようとも、彼らの心の中では日本を蔑視する潜在意識は抜けないのである。
彼らにしてみれば、有史以来、日本は文化の下流なわけで、中国側からすれば、日本は中国を崇めたてまつるのが道理だという論理になる。
戦後の日本の知識人は、戦前の日本の軍人がアメリカの本質を知らず開戦に踏み込んだのと同様に、中国の本質を知らないまま、中国に贖罪の気持ちを表し、卑屈になり、彼らの利便を図っているわけで、これは無知以外の何物でもない。
戦前の日本の軍人が、アメリカについて無知であったがゆえに侮って、完膚なきまでに惨敗したのと同様に、戦後の日本の知識人は、中国に対する無知なるがゆえに、第3、第4の惨敗を招く可能性を指摘せざるをえない。
その最大の欠点は、日本の民主化と中国の民主化が同じレベルにあるという思い込みである。
今の日本の知識人の欠陥は、中国が今でも共産主義体制であることは承知しているが、共産主義というものが人間の理想を掲げているので、共産主義を旗印にしている中国も、その理想に近い存在だという思い込みから抜け出せない点にある。
ところが現実の中国の指導者というのは、極めて人間性に富み、自然の摂理に素直に順応して、弱肉強食、優勝劣敗をそのまま実践しようとしているようである。
中国の指導者、王朝のリーダーは、有史以来、富国強兵を無限大にまで希求しているわけで、今の中国のリーダーは、中国国民の至福よりも、核兵器の開発が大事であったわけである。
我々の認識ならば、文字通り富国強兵で、国が豊かにすることと強い軍隊を持つことがイコールであるが、彼らにすれば、武力を強化して、それで以って富の収奪を志し、その次に国を豊かにするという手順になるが、問題は、ここでいう国という概念である。
中華人民共和国誕生以来、彼の国の指導者にとって、国民という民衆、大衆、庶民の存在というのは、意識の中にないと思う。
戦時中、日本の軍隊の中では、徴兵で集められた兵士の命は鴻毛よりも軽いといわれたが、まさしくそれと同じ論理が今でも公然と中国の指導者の中にあると思う。
毛沢東が建国当初、原爆に関する論議の中で、「中国には6億の民がいるが、そのうちの3億が死滅しても残りの3億が必ず国を再興するであろう、だから原爆など怖くはない」といったという話がある。
この言葉の裏には「人民の命など、取るに足らない問題だ」という意識が潜んでいると思う。
ところがである。昨今、中国側が対日交渉の切り札にしている、「南京虐殺30万人」という数字も、極めて政治的な数字で、こういうことをメンツの国が外交交渉の切り札にするという意味で、中国5千年の潜在意識も変わってきたのかもしれない。
メンツよりも実利を追うようになってきたのかもしれない。
しかし、こういう変わり身も、中国の有史以来の知恵でもあるわけで、時と場所とタイミングで、いろいろ言葉を変えることはメンツとは何ら関係なく、今年はオリンピックを開催したにもかかわらず、残留農薬の問題が持ち上がると、中国の外交筋が、自らの国を後進国と規定して責任を逃れようとする態度にはいささか驚いたが、まさしく言葉の国だと思う。
言葉のやり取りが論理とかけ離れていても、そのことには全く執着せず、声の大きさと繰り返しの回数で、最後は黒を白と言い包めてしまう。
嘘か真か定かには知らないが、笑い話の一種だろうと思うが、中国では夫婦喧嘩も街頭で行って、道行く人を巻き込んで、自分の言い分の正しさを認めさせようとする、と聞いたことがある。
こういう芸当は、日本人からすると一番軽蔑に値する行為で、われわれならば「男は黙って何とか」という価値観であって、沈黙こそ金で、饒舌というのは卑下されるべき価値観である。
この本は、そういう中国の裏事情を詳しく述べているが、我々は軍事というと最初から避けて通ろうとするところに民族の危うさが潜んでいる。
平和、平和と念仏を唱えておれば、平和は向こうからやってくると思っているところがまことの危うい。
日頃そういう態度でおりながら、いざ本当に危機が来ると、「対処の仕方が悪い」と、政府の責任に転嫁するわけで、本当は自分で天向かって唾を吐いたことを忘れて、それが自分に振り掛かってくると、他者の所為にするのである。
やはり日本が中国に飲み込まれる時は、遅かれ早かれやってくるに違いない。

「時代小説に会う!」

2008-10-24 17:13:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「時代小説に会う!」という本を読んだ。
読んでみて一体何が書いてあったのか皆目記憶に残らなかった。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
小説の解説をしたいのか、著者の批評をしたいのか、登場人物を語りたいのか、さっぱり要領を得ない。
この本の著者、高橋敏夫という人は、奥付きによると、1952年生まれ、団塊の世代そのものである。
早稲田大学第1文学部卒で、その後大学院に残って博士号をとったと述べられているが、この時代の大学というのは大学紛争で荒れに荒れた時期ではなかろうか。
ただただ難解な言葉が時々出てきて、如何にもこ難しい感じを受けるが、その言わんとするところはさっぱり要領を得ない。
その意味では、私自身のブログも、この本と同じように、何を言わんとするのかさっぱり要領を得ない、と思われているのかもしれない。
こういうインテリーに属する人は、国家権力には極めて敏感に反応するが、それも無知のなせる業ではなかろうか。
昔の人のように、戦争体験を経て反体制に鞍替えするというのならば、まだまだ説得力に富むが、戦後世代で、まともな軍隊生活、軍隊生活とまでいかなくてもきちんとした組織だった秩序の中に身を置いたこともない人間が、粋がって反体制を叫ぶなどと言うことは、無知に等しい。
考えてみると、団塊の世代というのは、組織の中で既存の秩序やルールをきちんと守る、遵守するということをしてこなかった世代ではなかろうか。
今はこういう世代が社会の中核を成し、組織であれば管理職、家庭であれば母親なり父親としてあるわけで、そういう世代が秩序を守る、規則を守る、ルールをきちんと順守する、ということを次の世代に申し送っていないのではなかろうか。
私がこの著者に対してこういう憤りを感じる点は、言葉の端はしに、現行政府に対する批判がましい物言いがしてあるからであって、知りもしないのに今の日本がだんだんと戦争への道を進みつつある、というような、現状認識に我慢ならないからである。
1952年に生まれたものが20歳になるのは1972年で、昭和47年、全共闘世代がテロに走りまわっていたころで、この頃に大学生活をしていたとなれば、そういうものの影響を全く受けなかったとは考えられない。
だから、この世代の反体制というのは、彼らの精神の奥底に刷り込まれた潜在意識になっていると思う。
当然、平和を希求することは悪いことではないので、誰しも反対はできないが、だからといって、体制側や当局側がエイリアンのような極悪人であるかのような発想は、思考のシーラカンスに等しい。
大学院を出て博士号をとったような人の論旨であってはならない。
空き缶を集めているホームレスが言うのならば、軽い気持で聞き流せるが、大学院を出て博士号をとった人が、全共闘世代の刷り込みを真に受けるようでは世も末だ。
だから現実に世も末になって、毎日毎日、愚にもつかない事件がメデイアを賑わしているではないか。
大学院を出て博士号をとったような人は、どういう形で社会に対して貢献しているのだろう。
この本、「時代小説に会う」と言ったところで、ここに書かれていることは全くどうでもいいことばかりで、最後まで読み終えた印象として、時間の無駄使いだったというものだ。
時間を無駄に浪費するぐらいならば、まだエロ小説でも読んで、どきどきと本能を刺激をした方がよほど、世のため人のためになる。
小説などというものは、所詮、読むことを通じての遊び以外の何物でもないわけで、ある意味でパチンコをするのと同じなわけだ。
とは言うものの、遊びの中にも、もっともらしい倫理を説くものから、何の意味もない荒唐無稽なものまで、千差万別あるわけで、もともと荒唐無稽な小説に、もっともらしい解説や批判の言辞を弄したところで、屋上屋を築くようなもので社会的には何の意味もない。
人々に対して何一つ貢献するものでもない。
読む者にとっては、ただただ時間の浪費、本屋にすれば、ただただ資源の無駄使い、ましてこういう本を自分の金を出した買う人の気がしれない。
焚書に値する代物だ。

「人生をたのしむ言葉」

2008-10-21 06:41:03 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「人生をたのしむ言葉」という本を読んだ。
著者は清川妙さん。
1921年生まれということだから、当年87歳ということで相当な高齢だ。
で、書かれていることは、それぞれにもっともなことで、感動しながら読んだが、問題は、日本の古典だ。
この著者は日本の古典を学んで、それでもって市民講座、カルチャーセンターの講師をしているという経歴なるがゆえに、著者にとって古典は飯のタネであろうが、私にとって日本の古典はまさしく外国語でしかない。
古事記、日本書紀、平家物語等々、英語以上に難解だ。
英語は辞書を引けばわかるが、日本の古典に関して言えば、辞書の引き方もわからない。
千年も前の我が同胞の言葉が、何故に外国語以上に難解になってしまったのであろう。
言葉の変遷というのは、我々日本人だけの問題ではなさそうで、西洋でもラテン語などというのは、今は死語になっているらしいが、死語になったものを21世紀になってもなお研究するということは一体どういう風に解釈したらいいのであろう。
古事記、日本書紀、平家物語を21世紀になってもなお掘り下げて研究するということは一体どういう意義があるのであろう。
これから先の将来にわたって生き残る日本人、および日本人以外の人にとって、そういう古いことを研究することは、なにがしかの利便、メリット、合理性があるということなのであろうか。
純粋科学の分野では、日本は基礎研究に非常に冷淡だと言われている。
今年はどういうものか日本人が4人も同時にノーベル賞を受賞するという慶事に巡り合えたが、この人たちの研究も、我々凡人からすると一体何の意義があるのか皆目見当もつかないというのが本音だと思う。
学問というものが、目先の利益追求のみではならないということは、理性、真理としては納得できる。
合理性の追求のみでは、真の学究にはなれないということは、理屈では理解できるが、人と金と物をつぎ込んだ高度な学問が、人間の生存に何ら意義を成さないものであるとするならば、凡人としては全く納得できるものではない。
この本の場合、日常生活の喜怒哀楽を古典と照合して語っているが、普通の人間が日常生活の中で出会う様々な出来事を、古典と照らし合わせることに意味があるのかどうか私には実に不可解である。
日本には、古典の研究者というのは掃いて捨てるほどいると思うが、そういう人達は、古典を研究してその研究成果をどういう形で社会に還元しているのであろう。
大学をはじめとする高等教育の機関というのは、国の金で立派な研究をして、その研究成果は、国民に還元されてしかるべきだと思う。
古典の研究や、考古学、あるいは純粋科学の基礎研究というのは、社会に対する還元が目に見える形でなされていないので、我々にはその学問の存在意義そのものが不可解に見える。
世間一般では、そういう意義を認識しているかもしれないが、私個人としては全く理解しきれない。
というのも、私は個人的に古典にはいささか恨みを持っているわけで、この恨みは決して忘れることができないからである。
小学校から中学校に上がった最初の古文の時間に、いきなり指名されて平家物語の冒頭を読まされた。
小学校の時は自分でもかなり本を読んでいたつもりでいたが、古文というものがこの世にあることはその時初めて知ったわけで、予習のつもりでページを開くことは開いたが、出だしから皆目読めず、壁にぶち当たった。
で、そのまま学校に行ったら運悪く最初にあてられてしまい、平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・・・・・」という出だしの部分が読めなくて、先生から叱責され、1時間立たされた記憶がある。
この屈辱は生涯消えることなく、それ以来、「古典などけっして勉強してやるものか!」と心に言い聞かせた。
だから私は古典に恨みを持ったまま、人生たそがれてしまったわけだ。
しかし、言葉が時代とともに変化するというのは身をもってわかる。
普通の生活をしている中でも、言葉が変化しているということは実感できるが、それが積み重なって千年前の言葉は、その子孫でさえ理解不可能ということになってしまったのであろう。
そこで再び、そういうものを研究している人に批判の矢が向くわけで、この本にもたびたび出てくるが、徒然草で吉田兼好が「これこれしかじかのことを言っている。それは現在のこういう場面のことを言っている」、という話につながるわけで、ただただ引き合いに出す言葉であったとすれば、まことに無意味なことだと思う。
徒然草で吉田兼好が「ああ言っている、こう言っている」といくら言ってみたところで、それには何の価値もないわけで、ただただ物知りぶるだけの効果でしかないではないか。
知識自慢、物知り自慢をしているだけのことで、他には何の意味もなければ意義もなく、これを学問というに至っては私には実に不愉快なことに見える。
中学生になったしょっぱなに、強烈なカルチャーショックと屈辱を受けて、「決して古典など勉強してやるものか」と思ったけれども、いよいよ墓場に片足入れるころになって、「古典には一体何が書いてあるのだろう」という好奇心が少しづつ沸いてきた。
それでもまだ門を叩くところまで行っていない。
俗に「温故知新」という言葉がある。
「古きを訪ねて新しきを知る」ということらしいが、古いことがこれから先の指針になるなどということは、ただの思い込みに過ぎないのではないかと私は考える。
「歴史から学ぶ」という言い方もあるが、この言い方ならば、まだ納得がいく。
ところが、古典から学ぶべきものというのは私には考えられない。
「歴史から学ぶ」というのであれば、「過去の失敗事例を研究せよ」という意味で、それを研究して、これから先、将来にわたって同じ失敗を繰り返さないように、というのであれば十分に納得できるが、古典研究というのは、そこまで明確に定義はしていないと思う。
例えば、源氏物語というのは小説で、今でいえば村上春樹の「ノルウエーの森」や、先に悪口を書いた「下町の迷宮、昭和の幻」(倉阪喜鬼一郎)のような作品を、それから千年たった今日、「ああでもないこうでもない」と、学者や、評論家や、知識人と称する人々が、口角泡を飛ばして議論しているわけで、考えてみればバカみたいな話ではないか。
徒然草というのは、団伊久磨の「パイプのけむり」のようなエッセイを、千年後に「ああ言っていた、こう言っていた」と口角泡を飛ばして議論しているようなもので、真面目に考えたらバカみたいな話ではないか。
人が書いた小説やエッセイを、古いという理由だけで、何故にそう有難がるのであろう。
今の世でも、人の書いた作品に対して「ああでもない、こうでもない」と、自分では書けもしないのに、人の作品に講釈をする、評論家、学者、知識人と称する人がいるが、それと同じではないか。
人間の心の動き、例えば、男女間の感情のもつれ、親子の間の無償の愛情、思いやり、気づかい、嫁しゅうとの心の戦い、そういったものは千年前も今日も何ら変わるものではないはずで、それをわざわざ読みにくい字を一つ一つ追いながら読む意味など全く無いと思う。
ただただ学者の優越感を満足させるだけの行為であって、社会的、あるいは人類の進歩に何ら寄与するものではない。
学者、知識人の「サルのセンズリ」以外の何物でもないが、ただこういうことが学問ということになれば、それで学者、大学教授というのは飯が食えるわけで、ただただ学者に飯を食わせための方便にすぎない。
しかし、現実の問題として、言葉が変わっていくということは実に面白い。
ほんの50年も間が空くと、理解不可能に近くなる。
例えば、あの戦争中の日本語(難解な漢字と、句読点のないカタカナ表記)というのは、昭和15年生まれの私でさえもう判読できない。
戦争中に日本の軍人、特に高級参謀であったような人たちの言語というのは、もう私たち無知なものでは理解不可能だ。
というのも、この時代の知識人、いわゆる学問を積んだ人々の知識の根底には、漢文の素養が刷り込まれていて、それが随所に露呈しているので、その場面に遭遇すると、漢文、漢詩の素養のない我々はお手上げになってしまう。
あの戦争、日米開戦になろうかというとき、日米交渉に関わる日本側の電文がアメリカ側に傍受されていたということが戦後明らかになったが、その中で日本語の電文が非常に誤解されて翻訳されていたという話がある。
無理もない話で、もって回ったような言い回しの表現が随所に出てくる日本側の電文は、日本人でも真意を理解し難いのに、敵性人のアメリカの翻訳者が間違うのも当然のことだと思う。
それは当時の我々の同胞の中でも、外交交渉の案文を起案するような知識人は、漢文の素養を十分に習得しているので、その調子で電文を起案したがため、意味が逆になることも往々にしてあったようだ。
交渉を督励する趣旨が、相手に逆の意味に理解されて、結局は交渉決裂という結果に至ったと言われている。
当時の我々の言葉が、ストレートに意味と行動を結びつけるものであったならば、傍受した電文も素直に翻訳され、素直に受け入れられていたかもしれないが、持ってまわったような回りくどい言い回しで、くどくど述べられていたとすれば、誤解され、反対の意に取られることも充分ありうることだと思う。
言葉が時代とともに変化するのは日本語ばかりではなく、ある意味で地球規模で起きていると思うが、これが積み重なると、自分自身で読み書き出来ないようになるのだから困ったものだ。
日本人の書いたものを日本人が読めないのだから、それが読める人というのは、ある種の特殊能力を持っているようなもので、その能力を持っていることが他者に対する優越感となり、人に講釈をするということになるのだろうか。

「華岡青洲の妻」

2008-10-17 09:16:33 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「華岡青洲の妻」という本を読んだ。
著者は有吉佐和子。
既に映画化もされ、何度もテレビドラマにもなっていると思うが、遅ればせながら読んでみた。
実に良い作品であった。
著者の力量が随所に光っている。
先に読んだわけのわからない小説とは雲泥の差である。
ついつい引き込まれて感動の渦に巻き込まれてしまった。
女性の筆力というのも実にたいしたものだと思う。
この地球上の如何なる民族も、大なり小なり農業というものを生業にしている限りにおいては封建思想、封建主義という過程を経てきたものを思うが、この考え方は徹頭徹尾、男尊女卑の世界であったはずだ。
ところが、この世の人類というのは、男と女しかないわけで、大雑把に捉えて人類の半分が男で、その残りの半分が女である。
しかるに、封建主義という考え方の中では、女性の存在というのは全く無視されているが、これは実に無駄で、無意味で、もったいないことだと思う。
封建主義の世の中では、男があらゆる主導権を握り、男の考え方、男の視点でものごとが決められていたが、それでは人類の半分にもわたる女性の意見や考え方も汲み取ることができないわけで、その中には男では思いもよらない優れた思考があるかも知れない。
にもかかわらず、男社会ではそれを見落としてしまいがちである。
女性を「産む機械」と口を滑らせて大臣の椅子を棒に振った人がいたが、この世が男と女で成り立っているにもかかわらず、その半分を占める女性の意見や考え方を無視するということは、せっかくの知識や知恵の泉、数多くのアイデアを自らドブに捨てているようなものである。
農業を主体とする社会では、押し並べて封建主義というのが広汎に広がっていたが、これは男性にとってはまことに都合のいい考え方で、あらゆる場面で優位なポジションを維持したいと願う人にとっては、変えたくないシステムであったに違いない。
ところが人類の半分が女性だとすれば、その女性の中にも優れた能力や、アイデアや、考え方や、斬新な思考が埋没しているかもしれないわけで、それを掘り起こさず、無駄に放棄することは男性社会にとっても、ひいては人類全体にとてもマイナスかもしれないということに人々が気がついた。
20世紀の中ほどになると、地球規模で戦争が起きたが、こうなると如何なる国でも国家総力戦の体制を取らねばならず、こういう時代が到来すると従来の封建主義のように、「これは男の領域だから女は駄目だ」等ということいっていれなくなって、女性の社会進出が恒常化してきた。
男性が兵士として戦場に駆り出された穴埋めに、女性もあらゆる社会的な場面で男性の代わりとして働かざるを得なくなった。
こういう必要に迫られて、女性の社会進出が顕著になると、今まで男性でなければ駄目だと思っていたあらゆる場面で、女性でも十分できるではないかということになったので、頑迷な封建主義、封建思想というものは大きく後退したわけである。
純粋に力を要する肉体労働は、いつの世に至ろうとも女性に不向きであろうが、それ以外の仕事ならば、女性ではできない仕事というのはほとんどありえないようになった。
科学技術の進化が、この世から真の肉体労働というものを駆逐してしまったので、今では女性で出来ない職域というのは限りなく少なくなっていると思う。
女性礼讃が長々と続いたのは、先に読んだ小説があまりにもつまらなくて、それが立派な大学の文学部を出た男性であるにもかかわらず、あまりにも作品の出来が見劣りするので、日本の男は一体何をしているのかという憤慨にかられたからである。
たかだか2、3の小説を読んで、日本の男性を一括りにしてこき下ろすことは無謀なこととは承知しているが、日本の男はどこからどう見てもやはりひ弱で脆弱で軟弱だと思う。
それが小説という作品の中にまで顕著ににじみ出ているところが、世紀末ということなのであろう。
その愚にもつかない作品を商品化するビジネスの感覚というのも併せて世紀末の状況を呈していると思う。
さて本題に戻ると、この作品は嫁と姑との確執を見事に描き出したものである。
100%完全なる封建主義に凝り固まった紀州の片田舎で、医者の生活を通じて、そこの嫁取りの話から始まって、嫁と姑が競い合って生体実験に我が身を供した話である。
この世において嫁と姑の確執というのは永遠の課題ではないかと思う。
男と女の愛情というのも、突き詰めれば、解っていそうで何もわからない永遠の謎ではあるが、この小説は嫁と姑の確執、およびそれに付随して母親と子の愛情、夫婦として男と女の心の移り変わり、そういうものが屡々語られているが、そこをえぐり出す筆力というのは実に見事なものだと思う。
婿が留守の間に嫁を迎え、その婿が帰ってくれば、当然、婿と嫁、長男としての母親の愛情の注がれ方、母親と嫁で長男、いわゆる婿の取り合いが始まるわけで、それに伴う両者の心の動きが見事に浮き出している。
しかし、嫁と姑の確執というのは地球規模において普遍的なものではなかろうか。
今まで本当の意味で家族として親子水入らずで波風の立たないように平穏に暮らしていたところに、息子の嫁という立場の者が居すわるようになれば、母親とその嫁との間で心の行き違いが生じるのも当然といえば当然のことではなかろうか。
これもよくよく考えてみれば、封建主義という思考の中で、長男が嫁をもらうという生活の形態がそうなさしめていることで、自然界の動物のように、結婚というものが個と個の結びつきと、単純に割りきってしまえばそういう確執も起こらないのではなかろか。
ただ人間という動物は、家族を構成して生きているわけで、それが封建主義の中では「家」という形態を構築するので、その狭い家の中で二人の女が主導権を如何に発揮するかという問題から、こういうことが起こりうるのであろう。
この小説の場合も、家に迎え入れられた嫁は、婿さんがいない間は嫁と姑で仲よく生活出来たが、婿が帰ってくると一人の男を巡って二人の女の心の葛藤が生じるわけで、それはあくまでもお互いの心の中の葛藤であって、表面には出ていないがゆえに、双方の心の内は他者では計り知れない陰湿な葛藤が展開されていたのである。
この小説の素晴らしいところは、その母としての心情と、嫁としての心情が如何なく描かれている点が実にすばらしいと思う。
やはり、こういう部分へ女性として視点が向いているのであろう。
男性では気がつかない微妙な心の動きが述べられている。
子を思う母親の情愛と、夫を気遣う妻の情愛が、同じ一つの屋根の下に同居しておれば、その二つが時を移さず衝突するのは必然であって、それが嫁と姑の確執に昇華するのは当然のことである。
にもかかわらず、封建主義というのは、こういう場合、嫁の立場を抑圧する方向に作用するわけで、嫁はそれに耐えて当然という認識が普遍化していた。
封建思想の奥底には東アジアを席巻している儒教というものが根底に流れているので、その儒教に依拠する限り、年長の者を敬わねばならず、必然的に嫁よりも年上の婿の母親の姑が、主導権を握るということになる。
我々の潜在意識の中に儒教というものが横たわっている限り、まさしく男にとっては都合の良い世の中であったわけだが、今、我々の歴史を振り返って反省すると、こういう不合理な世の中を改革する動機が、我々の内側からの衝動として湧き出たのではなく、外圧によってしか意識改革が達成されなかったことである。
先の大戦争が国家総力戦であったがゆえに、女性も銃後の守りのみならず、出征した兵士の穴埋めとしてあらゆる職域に進出せざるを得ず、そのことによって過去には盤石であった封建主義というものに風穴があき、それに戦後のアメリカ流のデモクラシイ―が覆いかぶさって、結果として戦前まで続いた日本の封建主義というものは瓦解した。
神代の時代から続いたであろう我々の封建主義というものが、内側のエネルギーではなく、外圧によってしか変換できなかったという事実を、我々は肝に銘じて真摯に考え直さなければならないと思う。
江戸時代から明治を経て今日に至るまで、我々は家制度を何の疑いも持たずにそれを受忍していたが、自分の身の回りで、自分の母親と自分の嫁さんが言葉に言い尽くせないほどの苦渋を抱えて生活している、という現実から目をそらしてきたわけで、ここでも日本の男の不甲斐なさが如実に表れていると見なさなければならない。
まさしく封建制度というのは男にとってはまことに都合の良いシステムであったわけで、そういうぬるま湯の中から率先して出ようとしなかった日本の男というのは、実に不甲斐ない存在だと思う。
そして女性は女性で、自分が虐げられ、いじめ抜かれ、意地悪され続けた怨念を、後の世代にそのまま申し送る気でいたわけで、その悪循環をどこかで断ち切る勇気を誰ももたなかったのである。
昔のわれわれの同胞が、家制度に依存して生きてきたというのは、ある意味で弱い者同士が結束し合って生き抜いてきたということでもあろう。
食糧の豊富な時は、若いもの同士が新婚生活をおくるのに親との同居などすることなく生きてこれたが、食糧が乏しくなると、少ない身入りを大勢で分け合えば融通の幅が大きく取れるが、構成人員が少ないとその融通をきかせる余裕に乏しく、緊急の度合いがより深刻になってしまう。
大家族ならば、お互いに頼り頼られ、助け助けられて、それぞれの持ち場立場で工夫を凝らし、生き抜くアイデアをより多く考えだすことが可能だが、少人数の家庭ではその幅が極めて狭く、生きぬく手法の選択の幅が極めて少ない。
戦後、封建主義が消滅したからといって、日本全国が一気にアメリカン・デモクラシーに成り替わったわけではなく、封建主義の残滓はつい最近までわれわれの身の回りで散見することができた。
ただこの小説の優れたところは、そういう嫁姑の葛藤が表面上は表に出ず、双方の心の奥底に深く沈潜して、表向きは理想の嫁姑という形で描かれているところであり、それがため双方の内なる心の葛藤のすさまじさを余すところなく描写しているところにある。
一言一言の会話の中に、その裏側にある心の揺れ、皮肉、真意の歪曲、そういうものの描写が見事に描き出されている。
華岡青洲が麻酔薬の研究で生体実験をする際に、母親と嫁が競い合って実験台になることを求める時の会話など、実に壮絶な心理描写だと思う。
そして最後に姑も死に、自分もメクラになり、最後に小姑を見送るときの言葉など、実に巧みな言葉のやり取りだ。
母親にとって自分の血肉を分けた長男、自分にとって最初の男の子が、嫁という赤の他人の女とマグワうという現実を、なかなか受け入れ難い心情というのは、なんとなくわかるような気がする。
ここで一人の男を挟んで、母親と嫁というのは敵同士になってしまうわけで、並みの家では、この場合の敵対する心情が相手に対するいじめという形で現出し、俗な言葉でいえば嫁いびりということになる。
ここで当の男がうまく采配を振るえば、事なきを得るであろうが、それは容易なことではなかろう。
男の前では派手な喧嘩は控えているであろうが、心の内では双方に憎悪の炎が燃え盛っているわけで、この小説はその部分の描写が実に優れている。
文学というのは古今東西、男と女の確執を描き出して、その愛の絡を面白おかしく描いているが、現実の人間の生には男と女の問題よりも、嫁と姑の絡みも人間の存在には欠くことのできない事象なわけで、それを描き出した小説というのは案外少ないのではなかろうか。
無理もない話ではある。
というのは、人間の寿命というのはつい先ほどまでは「人生わずか50年」であったわけで、こういう寿命の短い時期ならば、嫁と姑が諍う期間は極めて短いので、文学の題材としては見落とされがちであったのであろう。
ところが昨今では人は80過ぎまで生きるわけで、こうなると姑もなかなか死なず、嫁と一緒にいる時間もそれだけ長くなるわけで、当然、双方の確執も隠しきれなくなって表面化してくる。
人類はこの地球上に誕生以来というもの、須らく長寿願望を捨てずにきたが、今日においては長寿は一種の罪悪でさえある。
ところが現世の人々はそのことを口にすることを憚っている。
長寿を否定することに尻込みしている。
そのことは嫁姑の確執を内側から解きほぐす勇気を持ち得なかったのと同様に、従来、連綿と引き継いできた古い思想から脱皮できないのと同じで、精神構造はいささかも進化することなく古いままで、21世紀に適した時宜を得た思考には至っていないということである。
人間の長寿が最後に地球を滅ぼすと私は考える。
子孫に美しい地球を申し送りたいのならば、年寄りは早く死んでやることだ。

「ニューヨークの魂」

2008-10-15 15:52:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ニューヨークの魂」という本を読んだ。
著者は鬼島紘一という人。
奥付きには何も記載がないので経歴は不明。おそらく若い人であろう。
この本は先に読んだ小説と比べると滅法説得力がある。
題名が「ニューヨークの魂」となっているのでも分かるように、ニューヨークのことがふんだんに出てくるが、それも2001年の9月11日のWTCビルの事件に絡んでニューヨークが描かれている。
臨場感あふれるタッチでそれが描かれている。
ドキュメンター・タッチで9・11事件を解き明かす、という風に大上段に構えたものではなく、ある意味で小説なのかドキュメンタリーなのかわからないくらいその境界線が曖昧になっている。
私があの事件についてさまざまメデイアから受けた印象からすると、今少しリアリテイ―に欠けるのではないかという感じはするが、それでもフィクションとしてこれだけ描ければ大したものだと思う。
もし仮に、この9・11事件を掘り下げて、「何故ああいう事件が起きたか?」と、深部を探るとするならば、どうしてもテロリストの内側を探らねばならないであろうが、これは被害者の側を描き出すことによってニューヨークに住む人々の魂を描こうとしている。
ここで、書いた本人は気が付いておらず、ほとんど意識もしていないであろうが、国家というものが如何に国民のために機能するかしないか、ということが言わず語らぬうちに描かれている。
著者の気持ちとしては、そういう意図を前面に打ち出す気は無かったかもしれないが、それが文中にジワリと浮き出ている。
というのは、あのWTCのビルには日本の企業、いわゆる日本のレストランもかなりの数出店していた。
ところが日本政府はそういうものに対するフォローが全くなされていないわけで、企業ばかりではなく、在留邦人、あるいは旅行者にたいしても、こういう突発事件に対して全くフォローしようとする気がないということである。
それに反し、ニューヨーク市は綿密に被害調査をして、罹災証明を発行したわけで、ここに市民、あるいは国民に対する行政のサ―ビスに対する感覚のずれが存在する。
あの事件では正確な数字は知らないが、おそらく30数名の邦人が犠牲になっているが、その犠牲者になり替わってテロリストに何らかのアクションを取る、対抗措置を取るという気が、最初から我々の側、つまり日本人には存在していない。
この地、あるいはこの周辺で店を出していた人たちの被災状況をニューヨーク市は親切にフォローしたことが、その店の従業員の言葉として描かれているが、日本政府はそういうフォローを一切していないわけで、ここに日本の官僚の了見の狭さが如実に表れている。
日本の官僚は、本来、日本国民に対してサービスを提供すべき立場であるにもかかわらず、サービスの指向する方向が、自分と同じ官僚に向いているわけで、いわゆる官官接待になっているのである。
そういう意味で、日本の官僚というのは、国民を置き去りしたうえで、官官の間では極めて緊密に、そして強固な組織としてピラミットが形成されているのである。
そういう光景が登場人物の会話を通じて実に控え目に出ている。
ある種の批判であろうが、正面から口角泡を飛ばして相手に悪口を浴びせるのではなく、嫌味タラタラじわりじわりと皮肉交じりの意地悪をするような記述の仕方に大いに感心する。
この本は、表題のほかにもう一遍、「アフガンの義足士」という作品が掲載されていたが、こちらはテロリストの温床といわれているアフガニスタンの模様が、絨毯の取引を通じて縷々述べられている。
二つの作品で9・11事件の内側と外側を語るというような感じである。
しかし、テロの温床といわれるアフガニスタンというところは一体どういうところなのであろう。
アフガニスタンの貧困だけを取り出して、この国を支援すればテロがなくなるという単純な問題ではないと思う。
貧乏な国というのはなにもアフガニスタンだけではなく、アフリカの諸国などはアフガニスタンと大して変わらないのが現状だと思う。
どうしてこの地球上にはこういう格差が出来上がったのであろう。
私の乏しい知識からすれば、こういう格差は宗教のなせる技だと思う。
「アフガンの義足士」という作品を読んでみると、この中に描かれているタリバンというはまさしくスターリンや毛沢東、はたまたカンボジアのポルポトと全く軌を一にしているわけで、人を人とも思っていないよいうに描かれている。
「アフガンの義足士」に描かれている義足士というのは、地雷で足をなくした人の義足を作るという意味であって、民族紛争であるにもかかわらず、地雷をそこらじゅうに敷設するということは、到底我々には想定し得ないことだ。
イスラム原理主義というのが、如何に人々を苦しめているか、ということをタリバンは分ろうとせずに、ただただ自分たちの勢力拡大のみに関心があり、その為の殺人は聖戦となるのだから真に困ったことだ。
こういう考え方を持つ宗教集団を我々はどういう風に取り扱えばいいのであろう。
戦後の日本人で多少とも文化人あるいは知識人と呼ばれる範疇の人々は、「話し合えばいい」と言う。
貧富の格差を是正すればいいという。アメリカが手を引けばいいという。現行政府が政権を移譲すればいいという。
はたしてこういう文化人や知識人の言うことが正しい真実であろうか。
私に言わしめれば、こういう類の人々の言うことはすべからく綺麗事の羅列で、それを真に受けたらより以上の混乱を招くと思う。
世界の知識人が寄り集まって知恵を集めて議論しなければならないことは、こういうテロリストはアフガンの山の中を裸足で駆けまわっていたような人間ではなく、れっきとした良家の子女で、教育もきちんと受け、本来ならば私の軽蔑する知識人の側に身を置くべき人たちであったのである。
この構図は、オウム真理教の麻原彰晃を取り巻いた大学出のインテリ―たちの構図と全く同じで、本来、優秀であるべき若者が、何故に宗教の原理主義に走ったかということを解き明かさねばならない。
これこそ世界の知識人の緊急にすべき仕事だと思う。
基本的には20世紀後半の宗教の堕落だろうと思う。
人間という生き物は「考える葦」であるが故に、その心は極めて気癪で、繊細で、もろく、打ちひしがれやすく、その度に宗教に寄りかかって生きてきた。
宗教は、そういう人間の弱い心の支柱であったが、20世紀後半ともなると、この支柱が支柱たりえなくなって、心の拠り所としての価値を喪失してしまった。
これはあらゆる宗教に共通したことで、キリスト教も、日本の仏教も、おそらくイスラム圏においても同じであったに違いない。
無理もない話で、物質文明がこれほど発達すれば、千年も二千年も前の教義が現代に通用する筈もなく、宗教の戒律を真摯に受け入れている真面目な人から見れば、宗教の堕落以外の何物でもない。
考えても見よ、イスラム教徒が一日に何回もお祈りして時間を無駄つかいしている間に、トヨタの車は何台出来上がるのだ。
タリバンが夜間に移動するとき、何で移動するかといえば、やはりトヨタの車を使っているではないか。
イスラム原理主義者が宗教的回帰を願うならば、鉄砲もトヨタの車も使わずに、ロバと剣でテロをしてみよと言いたい。
宗教的回帰といいながら、自爆テロをするときは爆薬も、車も、鉄砲も、皆文明の利器を使っているではないか。
今の地球上に存する格差というのはどうして出来上がり、どうすれば解消できるのであろう。
今のアフガニスタンには数種の民族が入り混じっているらしく、それらの民族紛争が根底にあるようだが、民族が違ってもお互いにそう大した生活の違いはないはずで、お互いに仲良く暮らせばよさそうに思うが、それがそうならないところが複雑怪奇だ。
戦後の我々は、人と諍うことを極端に忌み嫌って、何事も話し合いでことを解決することを旨としているが、人というものは基本的に争う存在ではなかろうか。
戦後の我々の民主教育では、個の尊重が強調され、権力や権威に媚びたり、自己主張を控えたりすることが封建的という言葉で封殺されたが、それは個と個のぶつかり合い、我と我の衝突を奨励することでもあり、言い方を変えれば、諍の奨励、抗争の助長、闘争の督促ということである。
ところが、それをモロに、むき出しの形でするのではなく、「法律という枠の中でそれを行え」と、物わかりのいい知識人は逃げるが、そういう理性のあるものならば、最初から諍いそのものをもっと上手く回避するであろう。
法律の枠の中でのこういう行動ならば確かに血を見ることはない。
しかし、これはきちんとした法体制が確立した場所でならばそういうことも可能であるが、国際間の間にはこういう法体制というものが確立されていないわけで、突き詰めれば、強もの勝ちという自然界の不文律がそのまま法律ということになってしまう。
確かに、今でも国際法というのは存在して、一見機能しているかに見えるが、何の拘束力もないのだから遵守するもしないも、当事者のモラルを期待するほかない。
遵守しなかったからと言って、誰もそれに科料を科すことができない。
アフガニスタンの貧困は目に余るものがあるが、だからといって外からいくら支援したところで、アフガニスタンが今の先進国のレベルにまで上がってくることはきっとないと思う。
地球上の先進諸国が今日あるのは、やはりそれらの国の人々の努力の結果であって、アフガンが貧困なのも、やはりそこに住んでいた人たちの努力の軽重の結果だと思う。
アメリカが豊かなのはアメリカ人の努力の結果であって、日本が今日繁栄しているのも、やはりわれわれの努力の結果であって、アフガニスタンが今日貧困に悩んでいるのも、その地に住む人々の努力が足りなかったことだと思う。
今、豊かな国になっているとしても、昔から豊であったわけではなく、歴史という試練を潜り抜ける過程においては、汚いことも、危ない橋も、先行きの不安に駆られたことも、不義理なことも、残虐なことも、理不尽なことも、したりされたりして今日に至っているわけで、決して公明正大な綺麗な道ばかりを歩んで来たわけではなかったはずだ。
ただ言えることは、こういう国の舵取りにおいて、あらゆる局面や試練に際して、宗教にすがるということは、古い過去はともかく、近代においては如何なる先進国もしなかったに違いない。
アメリカや日本、その他ヨーロッパの先進国においては、人々が早い時期に宗教を捨て去り、宗教の戒律から解き放たれたから、富の蓄積が出来たのであって、タリバンのように宗教への回帰現象のようなことを続けていれば、今日の発展はありえない。
しかし、こういう国の人々も宗教を捨てたわけではない。
比重の置き方に知恵を絞っただけで、宗教そのものを否定したわけではない。
アメリカもキリスト教そのものを否定したわけではなく、日本も仏教を否定したわけではない。
100年も200年も前の宗教の教えに束縛されることなく、新しい科学の力に信頼を寄せただけで、物質文明を受け入れて楽できるところは大いに楽をして、無駄な労力を回避し、合理化し、その楽できた分のエネルギーを他に回すことを考えついたわけである。
タリバンもアルカイダも自分の都合によって、都合のいい文明の利器はちゃかり使うわけだが、ただ人々の志向が自分たちの思いと違う方向に進みかけ、自分たちにとって都合が悪い先行きになると、自分たちの都合にあった論理を展開して、それを他者に押し付けるのである。
他人に対して、自分の都合を押し付けることなので、当然、そこでは相手との軋轢が生じ、こうなると後は力が事の成り行きを支配するということになる。
アフガニスタンの中で、様々な民族がそれぞれ民族抗争をしている限りにおいては、それはコップの中の嵐で済んでいた。
ところが、それがアフガン以外の地で行われるようになれば、当然、どこの国でも自衛措置を取るわけで、ニューヨークのWTCビルが破壊されて、アメリカ大統領が「これは戦争だ!!」というのも無理ない話だと思う。
日本の識者の中にはアメリカのアフガン攻撃を非難する論調もあったが、それは対岸の火事を眺めて喜んでいる第3者の無責任な発言にすぎない。
あの9・11の状況を見て、アメリカに「アフガンへの攻撃を自重せよ」というのは、あまりにも無責任すぎると思う。
「アメリカの富がアラブ諸国のテロを引き起こす原因だ」という論調も、あまりにも「風が吹けば桶屋が儲かる」式の無責任極まりない論調だと思う。
アメリカの富はアメリカ人が築いたものであり、日本の富は日本人が切磋琢磨して築いたものであり、クエートの富はクエート人が地下の恵みから得たものであり、アフガンの貧困はその地に住む人々の歴史の結果であって、アメリカの所為ではない。
ムスリムの人々が「アメリカの富がけしからん」というのは、筋の通らない話で、それは妬み以外の何物でもない。
「人は生まれながらにして平等だ」とはよく言われるフレーズであるが、これはあまりにも無知で偏向した思考であり、生きた人間の世界は決してそんな甘いものではない。
この世に生まれ出た人間は、生まれ落ちた時、場所、家で、運命というものを背負ってこの世に出てくるのであって、そのもって生まれた運命は、生まれ落ちた瞬間に不平等にさらされ、格差の中に埋没し、決して平等などではない。
確かに、生まれ落ちた赤ん坊は一見平等に見えるが、その赤ん坊の生まれた環境が彼の人生を左右する。
アフガンの子供が道で物乞いをしなければ生きていけれないのと対照に、先進国の赤ん坊は、暖かい保育器の中でのうのうと命をはぐくまれるのである。
しかし、この格差も、それぞれの民族の永年にわたる努力の積み重ねの結果であって、他者の所為ではない筈である。
人間の潜在的な能力は、いくら民族が違い、生まれた場所が違っても、そう大して変わるものではない。
その意味では、この世に生まれ出た人間は、確かに、皆、平等だと思うが、それは個の潜在能力であって、この潜在能力は置かれた環境によって大きく左右される。
現に、9・11事件のテロリストなども、ほんのわずかな時間に、巨大な旅客機を操ることをマスターしたわけで、アラブの人だから白人と同じことが出来ないということはないわけで、今までにそうならなかったのは、彼らの物の考え方の相違が白人と同じではなかったからである。
この部分に宗教への確執が大きく左右しているわけで、潜在能力には差がないが、近代文明に対する思考を後ろ向きにとらえる宗教の教義が、こういう格差を生じせしめているのである。
宗教の教義が教育を阻害し、新しいことを知る喜びを否定したことが最大の原因だと思う。
そのことが、もともと平等に持ち合わせている個々の人間の潜在能力の芽をつぶし、思考の近代化、民主化を阻害しているのである。
過去の人間の生き様を敷衍してみると、如何なる民族、如何なる国家でも、守旧派と革新派の対立というのは人類の歴史そのものであって、すべてのものがこういう確執を克服して今日がある。
アフガニスタンでもその例にもれず、タリバンとかアルカイダというのは明らかに守旧派であって、祖国の近代化をしようという勢力に対して抵抗をしている。
何でも新しければいいというわけではないが、古き良き時代を再現するに、人を殺してまでその整合性を強調するという発想は、完全に時代遅れであり、今日では受け入れ難い思考である。
しかし、こういう人々に対して、その非合理性、不合理性を説く術を我々は持っていない。
いくら口先でそれを説いても、相手が聞く耳をもたない以上、何とも進展がない。
日本の進歩的知識人というのは、こういう場面で、その説得を政府の責任として、自らは蚊帳の外に出て外野席から政府批判を煽るだけだから、信頼されないのである。
今日のアメリカをはじめとする先進国は、2度の大戦を経ることによって、戦争の無意味さを肝に銘じて悟ったので、自己主張を戦争という手段で押し通すことを戒める知恵を得た。
これこそ人間が歴史から学んだ大きな成果だと思うが、そうはいうものの、部分的には今でも小競り合いは根絶できていないわけで、その一つの表れがテロという形で露呈しており、これは価値観の共有が不均衡だからこういう事象が起きるものと考える。
この価値観の不均衡の根底に横たわっているのが、教育への認識の相違だと思う。
この教育の不均衡の根底には、宗教の教義が大きな影響を占めているわけで、タリバンの唱える女性への戒律の押しつけには、それが如実に表れている。
ムスリムの人たちが女性の能力を過小評価することは実に不可解なことで、人間の半分は女性であるにも関わらず、その女性たちの潜在能力、隠れた能力を全く顧みないというのは実に馬鹿げたことだと思う。
この価値観の不均衡の溝を埋めるものとして、本来ならば、先進国の知識人の啓蒙活動、あるいは啓発活動というものがなければならない筈であるが、聞く耳をもたない連中に苦慮する政府への批判はあっても、そういう連中に説き聞かせる努力を怠っている知識人への批判は一向に上がってこないのは一体どういうことなのであろう。
知識人の中には当然メデイアの人間も入っているが、メデイアはタリバン、あるいはアルカイダに対して、反テロ活動に関するキャンペーンを打ちあげたという話は聞いたことがない。
メデイアがムスリムに対して反イスラムキャンペーンをしたという例は聞いたことがない。
メデイアの常とう手段は、宗教の自由を高らかに叫ぶことはあっても、ムスリムの前近代的思考、反民主的思考を正面から攻撃した例はないに等しい。
信教の自由という綺麗事を旗印にして、テロを指向する宗教団体に対して、正面から論戦を挑んだメデイアというものが果たしてあるのだろうか。
富の偏在がテロの温床だという論理は、如何にも整合性があるかに見えるが、それはある種の思い込みにすぎない。
テロというのは今後とも根絶はできないものと考える。
その意味では新しい戦争の形態である。
戦争の形態がテロという新しいスタイルになった以上、それに対する対応も新しい思考で当たらねばならないが、ここで問題となってくることは公と私のバランスである。
テロを徹底的に抑え込もうとすれば、私権に制限が加わるようになり、私権をあくまでも尊重するつもりならば、テロの抑圧が不徹底になる。
ここでメデイアが為政者に対して協調路線を張って、私権が多少犠牲になっても無意味な殺傷をするテロを抑えこむ方向に機能すればいいが、メデイアというのも人気商売で、人気が出ると思われる方向になびくのが常であるから困るのである。
メデイアが為政者と肩を組んでいてはメデイアとしてメンツが立たないわけで、どうしてもメデイアである以上、為政者に対して対峙する立場を保持しなければならない。

「下町の迷宮、昭和の幻」

2008-10-14 14:00:20 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「下町の迷宮、昭和の幻」という本を読んだ。
著者は倉阪鬼一朗。
私の知っている人ではない。
1960年、昭和35年生まれ。100%完全なるフィクション。読んでいて全く面白くない。
作者が何を言いたいのかさっぱり理解に苦しむ。
ただただ言葉の羅列のみで、その言葉の中には通常では使わない言葉がちりばめてあったので、落葉の中を歩いていて突然栗の実やドングリの実を見つけたような軽い驚きは感じるが、所詮はそれだけのものである。
文学というものは所詮この程度のものなのであろう。
感動も、驚嘆も、ましてや教訓も、何一つ存在していない。
洋の東西を問わず、この世には文学者とか小説家というのは掃いて捨てるほどいるが、所詮、文学というのは言葉の遊びの域を出るものではない。
しかし、その言葉の遊びの中にも、人々を感動させる作品も、これまた数多あるわけだが、この著者のこの作品に関しては、そういうものが一切ない。
私が本のページを開くときには、その先に何か好奇心を満たすサムシング的なものがあるのではないか、という期待でページを繰って行く。
ところが、この作品では、ページを繰ってもくっても虚しさのみしか出てこない。
読み終わった後では、「読んで損をした、時間を浪費した」という感じしか受けなかった。
時間の浪費以外の何物でもなかった。
私にとっては何の値打もない作品であるが、こういう作品でも、こうして立派な本になり、図書館の書棚に並ぶということは、この作品に価値を見出している人が私を除いて大勢いるということなのであろう。
私にはそこが不可解だ。
「何がそんなに詰まらないのか」という点を斟酌すると、「作者がこの作品で世間に何を訴えようとしているのか」という点がさっぱりわからないということであろう。
おそらく作者自身も、世間に対して、本人自身、何を訴え、何を言いたいのか解っていないのではないかと思う。
だから、ただ意味もなく言葉をならべ、この先どうなるのかなと思ったとたんに先が閉ざされ、文章が切れてしまっている。
言葉がジグソーパズルのように並んでいるが、その並び方が我々の基底の概念を刺激するような並び方にはなっていないので、無味乾燥、意味不明、支離滅裂という表現でしかない。
起承転結の「起」まで読んできた読者は、そこで突き放されて中途半端な気持ちのままで放り出される。
作者が何を言いたいのか自分自身わかっていないので、こういう作風になるのではないかと思う。
ところが、こういう作品でもこうして本になるということは、出版業界としてはなにがしかのビジネス・チャンスがこの作品にあるということだろうと思う。
これは出版業界だけの問題ではなく、日本のメデイア全般に言えることであろうが、まさしく価値観の断絶に違いない。
67歳の、そう大して利口でもない、年金生活者にとっては、この本の価値というものがさっぱり理解できないが、我々の世代よりも後の世代にとっては、この作者のこの作品にもなにがしかの読むに足る価値があるからこそ商品としての本となって市場に出まわったのであろう。
この部分に、旧世代と新世代の価値観の断絶があるように見える。
同じ小説家でも、小説というスタイルで、世間に自分の思ったこと、考えたこと、心の奥にしまってある何かを訴えようという気迫のある人の作品は、それなりの好奇心が満たされて、読む人の心を引き付け、感動を呼び起こす。
旧世代の我々は、そういうものに心惹かれるわけで、ただただ文字あるいは言葉がならんでいるだけでは、触手が動かない。
好奇心が起動しない。
読んで損をしたと感じさせるような先品は駄作だ。

「明石海峡大橋物語」

2008-10-08 07:56:34 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「明石海峡大橋物語」という本を読んだ。
著者は岩井正和氏。
奥付きによると「経済紙の記者だった」となっているが、文章は極めて読みにくかった。
自分の解っていることは、人も既に解っているに違いない、という思い込みこで貫かれている。
とても物書きの文章とは思えない。
以前、山根一眞氏が「メタルカラーの時代」というシリーズを出したが、これは読みやすかった。
この本、表題が明石海峡大橋となっているが、その本題は最後の部分にほんの少し登場するとだけで、大部分は新日鉄の内情の暴露のようなものだ。
新日鉄という会社も、昔の中小の製鉄会社を統合されたもので、基本的にはまるまる民間企業というものでもない。
明治維新以降の日本の近代化の過程で官立の工場を統合して、鉄の生産に合理性をもたせる目的で集合した企業体なのであろう。
民活民営化とは逆の軌跡ではなかったかと思う。
この本が読んでいて面白くないのは、新日鉄の社内の事情にあまりにも首を突っ込みすぎて、新日鉄の歴史と、吊り橋の話と、最後に明石大橋が登場というわけで、論旨が分散してしまっているところに難点がある。
新日鉄の話も、吊り橋の話も、明石大橋の話も、それぞれはそれぞれに興味を引く話ではあるが、立派な表題を掲げた以上、表題に沿った話を展開しないことには「看板に偽りあり」という形になってしまう。
「企業は人なり」という言葉があるように、企業の盛衰も人がなすわけで、その意味で人が登場することはいた仕方ないが、この人の描き方も中途半端で、出ては消え消えては出てくるという塩梅である。
新日鉄という企業も、昭和45年に旧来の製鉄各社が合同して新しく生まれ変わったわけで、その始祖まで遡れば、江戸時代にまで至るわけで、そんな古い話は意味をなさない。
この著者の言いたかったことは、そういう寄せ集めの企業が吊り橋の素材から、その工法を含めて巨大な吊り橋を作り上げるに至る過程を描きたかったに違いない。
昭和45年といえば1970年、今から約40年も前のことなわけで、この間には様々な世の中の変化というものも潜り抜けてきた。
そういう世の中の変動につれて、新日鉄という企業も大いに揺れ動いたに違いなく、そこに著者は感動を覚えたに違いない。
よって著者の視点は物つくりに向いているが、私に言わしめれば、四国に三本も橋がいるのかという課題の方に興味が傾く。
こういう公共工事は、昭和44年に制定された新全国総合計画で、当時の景気を背景にしてイケイケドンドンの雰囲気の中で巨大プロジェクトが推進された時期である。
四国に住む人間から見れば、本土とのつながりが密になる橋は、いくつあっても邪魔にはならないわけで、そのことと投資した資金が有効に生きるかどうかは別の問題である。
旧国鉄の政治路線でも、地元民からすれば、無いよりはあった方がいいわけで、国鉄側の採算性というのは地元民とは何の関係もない。
ただ、ものを作る側としては、こういう時期に次々と巨大プロジェクトをものにするということは、得も言えぬ大きな喜びを感じるのではないかと思う。
本州と四国の間にいくつ橋ができようとも四国に生きている人間としては、橋はいくつあっても一向に構わないわけで、そのことと経済効果というのは何ら関係のない話である。
我々、日本人というのは確かに物つくりには並々ならぬ才能と能力を持っている民族だと思う。
前に述べた蒸気機関車でも、模型を見ただけで同じものを作り上げ、それを実用化するまでに仕上げたわけだし、この本に書かれている巨大で長大な吊り橋だとて、見よう見まねで作ったと書いてあるわけで、こういう才能は実に大したものだと思う。
ここで我々、物つくりに優れた民族も、真摯に考えるべきことがある。
それは戦争中に我々の先輩諸氏は戦艦「大和」を作った。
そして飛行機では「零戦」を作ったことはよく知られたことで、これこそ物つくりに長けた日本民族の真骨頂でもあるが、我々は物つくりには長けていても、その運用では物つくりほど長けていないということを悟るべきである。
橋でも、トンネルでも、新幹線でも、一応作り上げてしまえば、その後の運用ということはさほど考えることはない。
ここが本当は最大の問題であって、この点の問題点の意味を我々は深く掘り下げて考えない。
戦艦「大和」でも「零戦」でも、日本人以外の黄色民族では、あれに匹敵する功績を挙げ得る民族は他にあり得ない。
しかし、物つくりでは決して我々の右に出る能力のない民族に、政治的、外交的な立ち居振る舞いでは我々は完全に彼らの後塵をかぶらされている。
漢民族は彼ら自身では飛行機も戦艦も作りえないが、本来、彼らの敵であるはずのヨーロッパ系の白人を取り込んで、第2次世界大戦では戦勝国に名を連ねているではないか。
我々は戦艦「大和」を作り、「零戦」を作る能力を持ちながら、敵を取り込んで自分の味方に引き入れ、さらなる敵を倒すという戦略、戦術、世渡り、外交巧者、政治の老獪さのような知恵はいささかも持ち合わせていなかったわけである。
見よう見まねで、世界で超一流の物を作ることはできても、相手の力を利用して、相手を騙し、相手の裏をかき、労せずして漁夫の利を得るような、そういう老獪な立ち居振る舞いはできないわけで、マッカアサーがいみじくも言ったように、12歳の子供の政治感覚でしかない。
我々は、物つくりには長けているが、その運用が下手だという部分をもう少し掘り下げて考えてみると、旧国鉄の場合でも、この長大な吊り橋の場合でも、その運用が赤字になっているという点に、経済効果が十分に発揮されていないということだと思う。
旧国鉄の赤字の問題も、道路公団を含む吊り橋の問題においても、採算割れが大きな問題となっているが、これを経済の問題ととらえるから妙案が浮かんでこないわけで、これを戦争という視点で見れば解決策はあるように思う。
旧国鉄の赤字も、日本道路公団の赤字も、これを戦争という視点から見るという発想そのものを我々は遺棄するわけで、国鉄も道路もそれぞれ単独の問題ととらえがちであるが、こういうものが国民全般の福祉に貢献しているという発想になっていないから、それぞれ別個に解決策を探し出そうとしている。
国鉄や道路の問題を、国民全般に対する利益還元という視点に立てば、それに立ち向かう心構えとしては国家総力戦で立ち向かわなければならないわけで、そうなれば省益とか、縦割り行政の縄張り争いというものも自然と解消されて、官僚の姑息な自己中心主義も後退するものと考える。
我々は戦後60年余りも戦争というものを実感したことがないので、戦時体制というものの概念も沸かないかもしれないが、危機に対応しようとすれば、それぐらいの心の準備は当然のことで、小泉内閣はそういうものをイメージして、改革改造を叫んだのではなかろうか。
小泉氏もいわゆる戦後世代なわけで、そういう意味で戦時体制という言葉を使うのに遠慮があったわけで、その分、改革ということを声高に叫んだものと推察する。
旧国鉄の赤字路線は技術革新とは別物のように思われるかもしれないが、新幹線と赤字路線を別々に考えるから、儲かっているところとそうでないところという区分けが出来るわけで、これを一つにするアイデアこそが運用の妙であり、知恵の出しどころであり、営業の発想の元でなければならない。
新幹線は儲かるが、ローカル線は赤字だ、では現状をそのまま認めているだけのことで、そんなことは子供でも解っていることである。
子供でも解っていることをただ黙って見ているだけでは、余りにも大人としての知恵がないではないか。
ここに物つくりの才覚と同じ才覚がなぜ生まれてこないのであろう。
物つくりの才覚は決して個人のひらめきに頼っているわけではなく、人まね、サルまね、模倣、反復練習、盗み見、垣間見、観察という人間の五感をフルに働かせて、知恵を絞り、試行錯誤を繰り返し、練ってねって練りぬいてアイデアを導き出しているわけで、そういう思考の結果として秀でたものが出来上がっているのである。
その秀でた物の運用にも、物つくりと同様の思考の積み重ねがどうして存在しないのであろう。
それは物を作る人と、それを運用する人では、思考回路が根本的に違っているということだと思う。
この本の表題である、「明石海峡大橋」を作る人は、橋さえ作ればその人の責任は完遂され、「よくやった!」と賞賛され、本人も肩の荷が下りるであろうが、この時点で問題はそれを運用する側に移る。
それを運用する側は、明らかに官僚なわけで、道路公団とは名ばかりで実質官僚である。
官僚であるからには、自分の任期中に大過なく時が過ぎればいいわけで、橋の減価償却を達成しようがしまいが、あずかり知らぬわけだ。
官僚がいくら知恵をしぼったところで、借金の返済が目に見えて好転するわけもなく、努力してもしなくても結果はまるで目に見えないわけで、ならば「止めた!」ということにならざるを得ない。
所詮、官僚というのはどこまで行っても税金泥棒の域を出るものではなく、ただただ仕事しているふりをして日々生きている人たちにすぎない。
物つくりの人たちは、自分が作ったという実績が目に見える形で残るが、官僚の仕事いうのは一切眼に見えるものとして残らない。
その虚しさは察して余りあるが、彼らはそれを虚しいとも感じていないわけで、そういう感覚が欠落しているからこそ、官僚足り得ているのである。
私も今年の春この明石海峡大橋と鳴門大橋を利用して四国まで足を延ばしたことがある。
橋も立派で景観も素晴らしかった。
ただ通行料金の高いのが玉に傷であるが、建設費が多額になったから通行料金にそれが反映されている、では子どもの発想である。
そんなことならば馬鹿でもチョンでも言えるし実行できる。
大人が言うべきことではないし、そんなことを言うようではあまりにも知恵がなさすぎると思う。
そんな計算は橋を作る前から解り切っていることで、その料金を如何にするかということこそ、橋を運用する側の根源的な問題ではないか。
橋はいくつあっても住民の福祉にそのまま貢献する、しかしそれを作るには金が掛かるわけで、その金はどうするのかということは、物つくりとは別の次元の話になる。
戦艦「大和」の建造は、膨大な国費と人材と物資を投入して、世界でも超一級の戦艦を作るには作ったが、その費用対効果は如何ほどのものがあったかと言わなければならない。
建造の理念からすれば、明らかに起死回生を大命題にしていた筈であるが、それを運用した側は、その命題に応えるような使い方をしたであろうか。
この明石海峡大橋も他の同じような吊り橋も、いくらあっても住民の邪魔になるものではないが、その借金返済の手立てはどのようになっているのであろう。
橋の運用ということは借金を如何に返すかという問題に尽きると思う。
橋はいくつあってもいいが、それを渡るたびに高額な通行料を取られるでは無いも同然で、地元の福祉に貢献するということにはならない。
無料であってこそ、四国の人々に喜ばれるのであって、そんなことは作る前から解り切ったことではないか。
橋そのものは物つくりの本領を如何なく発揮して出来上がるが、その利便性を如何に地元に還元するかという問題は、橋の運用の範疇になると思う。
「建設費が高いので通行量も高い」では子どもの知恵でしかないではないか。

「墜落まで34分」

2008-10-06 12:16:00 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「墜落まで34分」という本を読んだ。
2001年9月11日、例のアメリカの同時多発テロの際、2機はワールド・トレ―デイング・センターに突っ込んだ。他の一機は国防総省・ペンタゴンに突っ込んだ。
この時、もう一機がおそらく政府関係の施設、たぶん国会議事堂か、ホワイトハウスに突っ込む計画があったようだが、これは乗っ取られた飛行機の乗客の反乱で、その目的が果たされなかった。
この本は、その機に乗り合わせた人たちへの追悼の気持ちで、それぞれの人生が描かれていた。
ニュージャージ州ニューアーク空港を出たサンフランシスコ行き、ユナイテッド航空93便がそれで、200席近い容量のある機体のB757に、乗客が40名という数字が幸運であったかどうかははなはだ疑問であるが、犠牲者がそれだけ少なかったという点だけは幸運だったと言わねばならないであろう。
ただ、こういう状況を敷衍して眺めて、アメリカのメデイアが、この犠牲者をアメリカの英雄と認識するメンタルな部分に日本人として一種の驚きを感じる。
この飛行機以外の例を見れば、明らかにアメリカの象徴ともいえるランドマークを狙っているわけで、その意味で国会議事堂やホワイトハウスが目標であった可能性は十分にあった。
そういう攻撃を阻止したという認識は、極めて英雄的な行為であることは言をまたない。
この本を読んでいると、この本の著者はハイジャックの背景をことさら掘り下げようとするのではなく、犠牲となったアメリカ市民の生き様を描くことによって、アメリカ市民の底流に流れているアメリカ流の民主主義というものを浮き彫りにしている。
ものの考え方が日本民族としての我々とは根本的に違っていることに気が付く。
私自身は、極めて軽薄なアメリカかぶれで、長年勤めた会社の定年退職記念の旅行で、最初にアメリカを観光旅行したのが2000年の春で、その翌年に9・11テロが起きた。
その後、2002年と2004年に再度アメリカを旅行したが、2004年の時はワシントンとニューヨークを見学した。
ワシントンでは広島に原爆を投下したB―29・エノラゲイを見た。
ニューヨークでは「イントレビット」という航空母艦を見たかったが見落としてしまった。
行った当日が休館日で、他にスケジュールの変更が効かなかったからである。
あの戦争の勝敗を決したアメリカ側の戦争の遺物をこの目で見てみたかったので、こういうものに関心をもって見て回ったが、基本的には、ものの考え方が根本的に違うというところに戦争の勝敗があったように思い、妙に納得したものだ。
その時、この9・11事件のグランド・ゼロ、つまりワールド・トレ―デイング・センターの跡を見るチャンスは確かにあった。
けれども心がどうしてもそこに向かわなかった。
B―29も「イントレビット」も60年前の戦争の遺物である。
我々はすでにその戦争の痛手から完全に立ち直って、いまでは完全に歴史の中に埋没して、遺跡、遺物になりきってしまっている。
ところが、グランド・ゼロはまだこの時点では歴史になりきっていなくて、あまりにも生々しくて、とても観光気分で見る気がしなかったというのが本音である。
67年前の日米戦争というのは、国家と国家が死ぬか生きるかの壮絶な生存競争を演じたわけで、「雌雄を決する」という言葉があるが、まさしくこの時は日本とアメリカが雌雄を決する戦いをしたのである。
その後の歴史として、完膚なきまでに敗北した我々は、勝った側から生きた人間の金玉まで抜かれてしまったが、勝ったアメリカは、その後も地球規模で世界のあちこちで戦争を継続している。
しかし、その戦争は対日戦のようにアメリカ中が上から下まで国家を挙げての総力戦というような戦い方ではない。
なんとなく片手間の不徹底な戦い方で、結果として、局所的には敗北を帰しているわけで、このアメリカの敗北というものが現在のテロリストから見ると、「アメリカなど何するものぞ!!」、という安易な闘争心を駆り立てていると思う。
この本を読んでいると、アメリカ人というのは極めて戦うことが好きな人々だ、ということが如実に感じられる。
アメリカ社会では銃による意味のない殺人が数限りなく起きているにも関わらず、銃の規制に国民的な合意ができていない。
このことは、自分の身は自分で守る。自分の身を守るには銃が不可欠だ。という論理だと思う。
基本的には、究極の自己責任の世界なわけで、これこそが民主主義の本当の基軸ではないかと思う。
民主主義というのは、こういう完全に自己責任を負った人々の意見を集約する手段であって、他に依存したがる人々がいくら集合しても、そこでは自己責任が死んでしまうわけで、偏った意見がまかり通るということになってしまう。
我々は民主主義というと頭から「良き事」、「良き物」という認識であるが、民主主義にも弱点があるわけで、多数意見が必ずしも良いことではないという真理があって、それを実践あらしめるには銃しかないということである。
私はいま住んでいる地域の防犯活動にボランテイアとして参加しているが、防犯などということも突き詰めれば自己責任の問題だと思う。
泥棒に入られないようにカギをつけるつけないなどということは、個人の責任だと思う。
泥棒に侵入されたら銃で撃ち殺す、その為に銃は各人の責任で保管する。撃たれた泥棒は、人の家に無断で侵入した方が悪いのだから仕方がない、という論理がアメリカの論法だと思う。
当然、悪用されるリスクも含んでいるが、自己責任である以上、リスクも自己責任なわけで、それに見合う処置として銃の保持が個人の権利として生きている、という発想だと思う。
地震の対策でもそれと同じで、地震で壊れない家にするというのは、個人の問題なわけで、つぶれた家から人を助け出すというのは、公共の福祉に通じるが、個人の家の耐震構造などというは完全に自己責任の範疇だと思う。
というわけで、アメリカ人というのは、戦うということに極めて寛容というか、積極的というか、果敢に立ち向かう。
そこに行くと我々は何時いかなる時でも戦いを回避する方向に精神が機能する。
例の日米戦争でも、我々は最後の最後まで、戦いを回避する方策を探っていたが、アメリカは準備万端整えて、日本が仕掛けてくるのを待ち受けていたではないか。
ことほど左様に戦うということに対する心構えがその根底の部分から違っている。
9・11事件の後、アメリカはこのテロの後ろにいるであろうアルカイダの潜んでいると思われたアフガニスタンを空爆したが、ここでアメリカの行動をめぐって世界中が大騒ぎしたが、国連や世界の識者の論説というのは、あくまでも部外者の犬の遠吠えのような議論だと思う。
自分は当事者でないので、言いたいことが言えるというもので、その時の世論の大勢というのは、貧富の差、あるいは経済的な格差がテロの温床だ、という極めて無責任な論調だったと思う。
アルカイダというテロ集団は、一言でいえば何の整合性ももたないただの暴力集団にすぎない。
イスラム原理主義という宗教に名を借りた存在にはなっているが、ならば麻原彰晃のオウム真理教も立派な政治組織ということになってしまうではないか。
ただ、あの事件が起きたとき、ブッシュ大統領は「これは戦争だ!!」と言ったといわれているが、まさしく戦争そのものであるが、この戦争には明確な敵というものが存在していないわけで、ならば戦争という言葉は成り立たないことになる。
この事件以降も、イラクは当然のこととして、イスラエルでも、その他の地域でも自爆テロというのは後を絶たない。
そのテロの背景には貧困と格差がその基底に流れていると言われているが、貧困と格差というのは相対的なもので、他との比較をするからそういう認識が普遍化する。
昔は皆貧乏であったではないか。民族を問わず、洋の東西を問わず、地球上のあらゆる地域の人々が狩猟生活に甘んじ、農耕生活に甘んじていたではないか。
エジプトも、イスラエルも、アラブ諸国も、トルコも、それぞれに文化を発達させたが、今から思えば実に質素な生活をしていたわけで、押し並べて言ってしまえば皆貧乏であった。
人類の歴史を敷衍してみれば、スタートは皆同じだったと思う。
中国人も、日本人も、イギリス人も、フランス人も、ドイツ人も皆一様に貧乏で、農耕や漁業や狩猟で子孫を養ってきたが、21世紀においてこのように格差が出来たことは、それぞれの民族の自己責任に根ざした切磋琢磨の結果だと思う。
イスラム原理主義者が一日に何回もお祈りをし、その度にコーラン読み見上げている間に、アメリカ人は巨大なトラックで大陸を横断して物を運び、日本人は寝る間も惜しんで働き、中国人は如何に人を騙すか知恵を絞っているわけで、そういう積み重ねが2千年間蓄積された結果が今日の姿なわけで、それを他者の所為に押し付けることなど許されることではない。
あくまでもそれぞれの民族のスタートは同じだったにもかかわらず、今日このように差が出てきたのは、自己責任の結果であるわけで、「アメリカが弱い民族を抑圧したからこうなった」というのは、責任転嫁の言い逃れ以外の何物でもない。
アメリカが弱い民族を抑圧しようとしたら、それに正面から敢然と戦うのが、民族としての誇りであるわけで、67年前の日本はまさにそれをしたではないか。
だからこそ、アメリカは日本というものを一人前の国家だと認めているではないか。
人間が生きるということは、常に生存競争をしているわけで、テロという行為は、その生存競争にとっては極めて異例な卑劣な行為であって、いかなる理由が有ろうとも容認されるものではない。
人間の生存というのは、良い悪い、善悪、道義に叶う叶わない、倫理に反する反しないという価値観に従属するものではない。
「生きるか死ぬか」という真剣勝負が繰り返されているわけで、今の我々は、死というものに対してあまりにも過大評価している。
この本で描かれている乗員乗客40名の人々は、結果として死んでしまったが、その間34分の間に、テロリストに対して果敢に戦った。
その戦ったことに対して著者が称賛を送っているわけで、こういう状況を我々の場合に当てはめたとき我々はどういう行動を起こすであろう。
何時だったか記憶にないが、九州の方で高校生がバスの運転手を脅し、それを乗っ取って高速道路を東に向かって走った事件があった。
この時、後ろの方にいた壮年の男性が、自分一人、窓から脱出して、その時に怪我をするということがあった。
報道ではその事実を短く報じただけであるが、これもまさしく今の日本人の典型的な行動パターンなのであろう。
戦後の日本人の典型的な行動パターンに違いない。
高校生がバスジャックするというところも、いい大人が自分一人だけ逃げるという点においても、精神的な面からみて、今の日本人の現状の縮図だと思う。
日米戦争に勝ったアメリカは、アメリカに対して真正面からこれほど果敢に戦いを挑んできた日本人という民族が心底恐ろしかったに違いない。
だから、こういう日本人は徹底的に骨抜きにし、民族としての金玉を徹底的に握りつぶしておかなければならないと悟って、戦後アメリカ流民主主義教育というもの実施した。
それは見事に功を奏していま花開いたわけで、争うことを徹底的に嫌い、物事はその場しのぎでやりくりし、すべての問題を先送りして、自分の責任期間だけ大過なく過ごし、理想論のみを声高に叫び、綺麗事を金科玉条にして、自己の正当性をアピールするに長けるということになったのである。
この9・11事件では、日本人も犠牲になっているが、それに対して国民の側から怨念が一言も表れていないのは一体どういうことなのであろう。
9・11事件のあのツインビルの崩壊では、30数名の同胞が犠牲になっているはずであるが、それに対する怨恨とか怨嗟の表現というのは日本のメデイアは一言も言わないということは一体どういうことなのであろう。
まるで天災地変のような無常観というべきか、犠牲者が総数の1%ぐらいだから何も大騒ぎするほどのことではない、という感想なのであろうか。
同胞の犠牲者のためにも「報復をすべきだ!!」という論調が一切出てこないということは一体どういうことなのであろう。
これは、北朝鮮の日本人拉致の問題にもそのまま通じ、その前の北方4島の問題にもそのまま通じている日本人の特異な精神構造だと思う。
我々には、やられたらやり返す、盗られたら盗り返す、足を踏まれたら踏み返す、殴られたら殴り返すという生きた人間としての自然の感情、心の在り方、自然人としての立ち居振る舞い、心のありようが全く失われて、まさしく唐変木に成り下がっている。
アメリカがアルカイダあるいはアフガニスタンに報復を加えたのは、犠牲者の数でそれが決定されたわけではないと思う。
イスラム原理主義者がアメリカという世界最強の国家に挑戦状を叩きつけ、自らは穴の中に身を潜めて、テロという卑劣な行為をしたからであって、犠牲者の数が動機であったわけではないと思う。
そういう視点に立てば、日本も、何の罪もないビズネスマンを30数名も殺されて、黙って傍観していることはない。
その後、テロ撲滅のために戦っているアメリカを支援するという意味で、アラブの海で海上自衛隊が給油という形で支援しているが、それに対する野党の対応がはなはだ問題だと思う。
野党というのは政治あるいは外交に対して、常に傍観者であって、海上自衛隊の支援に反対ならば他にどういう方法があるのかという問いには答えていない。
ただただ目前の政府に対して、理屈の通らない理由で以って反対するのみで、9・11事件で犠牲になった邦人に対して、どういう恨みのはらしかたをしようとしているのであろう。
北朝鮮の日本人拉致の問題も、旧ソ連の北方4島の問題も、基本的には再度戦争をするしかそれを取り返す道はありえない。
話し合いでことが解決することは決してあり得ないが、今の日本でそういう解決の方法は憲法で禁止されているわけで、この二つの問題は今後とも決して解決することはあり得ない。
この本を読んでいて、アメリカ市民の普遍的な潜在意識を見るにつけ、われわれ同胞の心のありようが鏡のように映しだされた。
「やられたらやり返す」これこそ生きた人間の基本権の中の最も基礎となる生存権の一つだと思う。

「未完の『国鉄改革』」

2008-10-04 06:46:51 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「未完の『国鉄改革』」という本を読んだ。
著者はJR東海社長、葛西敬幸氏。
冒頭に書いてある通り、JRが発足した折に、部下に聞かせた話を集大成したものだ、ということが述べられていた。
旧国鉄の民営化を論ずるについては、どうしても労働組合の問題を抜きには語れないが、その部分に肉薄した書物は案外と少ない。
以前、「マングローブ」という本を読んだことがあるが、これは組合側から見た闘争史であって、極めてイデオロギー的に偏っており、通常の常識人間には益するところが何もない。
先の大戦を例にとれば、個々の戦闘の戦闘記録のようなもので、極めて狭い視点から描かれている。
旧国鉄、日本国有鉄道というものを内部から見て、内部から告発するという視点にはなっていなかった。
日本国有鉄道というものが戦後の日本の復興に如何に貢献したかは計り知れないものがあると思う。
現に、国鉄は発足以来昭和40年、1965年までは黒字であったと言われている。
この黒字の中身は、それこそ戦後という特異な社会的状況にフォローされていた面が無きにしも非ずであるが、そもそも国有鉄道というものが独立採算性になっていた点からして、その後の組織崩壊の萌芽を潜めていた、という観点は内部からでなければわからないことであった。
国有鉄道であるならば、当然、国の金がつぎ込まれても何ら不思議ではないが、その部分においては独立採算がうたわれ、運賃値上げもいちいち国会の審議を経なければならないというのでは、営業という自由裁量の手足を縛っているようなもので、その後の成り行きとしては当然組織崩壊につながるのもいた仕方ない。
日本国有鉄道の国有の部分は、その裁量権を国が握ることにあったわけで、あらゆることを国会の審議に仰がねばならず、それでいて「国民へのサービスは怠るな」というのでは国鉄も可哀想だと思った。
国民へのサービスに関与し続けるという意味で、国有であったのかもしれないが、ならばサービスの維持に要する金も付けてやらねば、本当の意味の国有ということにはならないと思う。
営業活動の手足を縛っておいて、金もつけずに国民にサービスをせよと言っても、機能的に動けないのは当然のことで、働く人からすればそこにフラストレーションが昂じて、「親方日の丸何するものぞ」、という気持ちになるのも必然の成り行きではある。
私の生れ育ったところは全く国鉄、いまのJRに縁のない土地で、私鉄にばかりに世話になって育ったが、そういう私でも旧国鉄マンというのは健気に働いていたように見える。
前にも例に出したように、大震災が起きても、原爆の被害を受けても、アメリカ軍の空襲の被害を受けても、直ちに普及させて、列車を運行させた努力は計り知れないものがあるように思う。
そういう健気な心意気が、昭和40年、1965年までの黒字を計上していたのであろう。
この間というのは言うまでもなく戦後の復興期から日本の高度経済成長を成した時期と重なるわけで、日本がある程度豊かになると同時に、国鉄が斜陽化していったわけである。
それは同時に車の普及とも軌を一にしているわけで、この時点で国が面度を見続ける日本国有鉄道の意味が、あるいは意義が消滅したということなのかもしれない。
経済基盤の弱い国、あるいは開発途上国では、国が祖先して社会的インフラ整備をして近代化を目指すというのは普遍的なことであろうが、旧国鉄が赤字に転落したということは、そういう時期を既に潜り抜けたということだったのかもしれない。
いや、その前に、国が面倒を見る、その面倒の中身が重要であったに違いない。
国は国鉄に税金を一銭たりとも投じておれず、例の財政投融資の金を借りていたという事実は初めて知った。
僻地の不採算路線の建設も、国の金を投ずることなく国からの借入金であったということは驚きであった。
葛西氏は国鉄内部の参謀という立場で、こういうことの成り行きを眺めていたわけで、そのことはまるまる組織論に行きつく。
国鉄という巨大な組織そのものについて論ずることになる。事実そうなっている。
それで組織論で攻めてみると、これが全く日本の旧軍の組織と相通じているわけで、軍というのは外に向かって戦うことを主眼とした組織であるが、国鉄というのは一般国民に対して、サービスを提供する戦いをしていたという風に見なければならない。
戦うべき相手が、外国と内側の同胞という面では大いに異なっているが、彼らの職務というのは、この戦いに如何に対応するかという点で、組織としては共通の認識が成り立つと思う。
ところがこれが全く同じなわけで、やはりわれわれは、どこでどう切っても金太郎飴と同じで、同じ日本人、日本民族という切り口しか見えてこない。
葛西氏は旧軍隊でいえば、高級参謀で現場にいるよりも、参謀本部でドンと構えているようなものだ。
現場という前線で仕事にまい進している兵卒は、終戦直後には国民へのサービスという戦いを健気に遂行し続けていたが、世の中が豊かになるにつれ、そのサービスを放棄して、お互いの仲間うちで足の引っ張り合いに興じている図になった。
戦後の復興期に鉄道マンが不屈の精神で、鉄路を復旧させて列車を走らせていたという健気さは、この末端の兵卒の自己犠牲の精神にあふれ、公共の福祉に応えようとした姿だと私は思う。
日本の軍隊を外国人が評価すると、前線の兵卒は極めて優秀だが、それを指揮する高級将校は逆に際限もなくバカだという評価だったと聞く。
戦争とその後の混乱で、世の中が上から下への大騒ぎの中で、国民の皆が皆、辛酸をなめ続け、食うに食い物なく、寝るに寝る場所もなく、働こうにも職の無かったとき、国民も鉄道マンも、それぞれに自分の職務を通じて、持ち場立場に応じた仕事を通じ、自分に課せられた使命を遂行しようとしていたわけである。
ところが、戦後の復興が一段落して、人々もそれなりに人間らしい生活を得るようになると、こういう精神の在り方が何処かに消し飛んでしまって、不平不満を声高に叫ぶようになった。
日本の旧軍の組織崩壊というのは、外国人が日本軍を評価した通りの軌跡を踏襲して、敗戦という現実の問題に直面し、自然消滅、あるいは占領軍の命令で強制的に破壊させられてしまった。
ところが鉄道の組織は生残ったわけだが、ある意味で形だけの組織ではなかったかと想像する。
問題は、この敗戦を機に、日本の植民地(個人的にはこの言葉を使いたくない)の鉄道要員を大量に受け入れざるを得ず、ここで組織が限りなく肥大化したものと考える。
この本のなかでも、葛西氏は国労、動労、鉄労という労働組合を糾弾する際、その中の共産主義者に対しては直接的な表現を避け、彼らを刺激しないように気を使っているが、私はそういう遠慮はする必要もないので、思った通りのことを書き綴っている。
問題は、組織論の中で、組織を如何に健全な形で維持するかという点に尽きる。
その答えは規律の維持だと思う。
旧軍隊を語る時よくいわれる言葉に「上官の命令は天皇陛下の命令だと思え」というフレーズがあるが、これこそ組織の意義も意味も全く分かっていないことの立派な証明なわけで、こういうことが罷り通っている現状そのものが組織崩壊の元である。
この本の中に出てくる現場協議というのもおかしな話で、基本的に職務命令というのは上意下達で上から指示されるのが筋のはずであるが、何故に現場で協議して、現場の労使で話し合ったことを上にフィードバックして、それが既成事実として承認されるのか、いささか不合理ではないか。
これは日中戦争において、現場の士官が独断専行して、それが後で追認された構図と全く同じで、これこそ組織崩壊の典型的な例ではなかったか。
日常の業務の中で、小さなトラブルを処理する際、現場で協議して上には報告せずそのままことを収めるということはよくあることであろうが、それを既成事実として常態化することによって、職務をスポイルする方向にその処置を機能させるということは、臨機応変という言葉の拡大解釈戒そのもので、そういうことの積み重ねが下剋上をまねき、職場規律の崩壊につながっているのである。
旧国鉄を語るとき、労働組合の存在抜きには語れないが、組合内部の確執というのは、案外外部に漏れてこなくて、どういう勤務体制なのか外部のものが伺い知ることははなはだ難しい。
経営側から労働組合の実態が暴露されるということも、メデイアが介入すると真実がゆがめられる可能性があって、本当のところはなかなか知ることができない。
マル生運動(生産性合理化運動)という言葉も、言葉としては当時よく耳にしたが、企業として生産性の向上というのは企業の存在意義そのもののはずで、如何に効率よく仕事をこなすかという問題は、働く者が当然希求すべき命題なわけで、それを否定するということは自ら死を選択するようなものではないか。
生産性の向上と言っても、昔の「女工哀史」や「蟹工船」とは違うわけで、「ミニマムの労働でマキシマムの効果を追求する」という趣旨なわけだから、それに対しては労使協力してその妥協点を探る努力をするのは当然のことである。
生産性の合理化に反対ならば、仕事を辞めて他の仕事を探せ、と言われても当然である。
ところが国鉄の場合、要員の数があまりにも多く、労働組合が一つの企業の中に幾つもあるという点が大きなネックになっていたのである。
一つに統一できていないところが組合員としての弱点であったろうと思う。
国労、動労、鉄労と大きく分けても3つもあり、その中でそれぞれに派閥があるわけで、こういう点が労使交渉をより複雑にしている。
労労問題というのは我々部外者から見ると気の毒な状況だと思う。
何といっても自分たちの仕事仲間が信用できないわけで、顔をつき合わせて働いている仲間を、常に猜疑心で見なければならないような人間関係というのは、まことに不幸なことだと思う。
人間の数が多くなれば組織やグループの中で派閥のできることはいた仕方ない。
気の合うもの同士が集まるというのも人間の自然の姿だとは思う。
しかし、自分の隣人を常に疑ってみなければならない状況というのは、これほど不幸なことも他にない。
問題は、それぞれの組合、その中でも急進的なグループには、それぞれに共産主義者がトップの座を占め、そのトップの指令で、他のメンバーが仲間を密告し、吊るし上げ、土下座させ、イジメ抜き、仕事をさぼり、秩序を壊そうとしているのであって、そういう不合理を是正できない組織の末端の仲間の方に問題がある。
こういう一連の行動は、共産主義者にとってみれば、彼らの存在意義からくる大命題なわけで、彼らの存在意義は、あらゆる組織の中でそういうことを実践することにある。
彼らにしてみれば、既存の秩序の破戒が彼ら自身の存在意義なわけで、問題はそういう分子を排除できないでいる側にある。
自分たちの職場を、無秩序状態、無政府状態にしようとする分子を排除しようとせず、それが世直しだと洗脳されて追従している側に責任の一端がある。
末端の組織において、過激な行動・行為に走る自分たちの仲間を排除できない人たち、つまり真面目で、気が弱く、自分の意志表示が不得意で、体制や声の大きなものにすぐに順応してしまう、善良な人間たちが、過激な分子に対して戦いを挑まないところに組織崩壊の芽が潜んでいる。
急進的な闘士からみたら、労使協調して、ほどほどのところで妥協し合って、共にまあまあの生活を維持するという発想は微塵もないわけで、徹底的に既存の組織を壊すことに血道を挙げているのである。
そういう人間を、派閥、あるいはグループ、組合、組織から排除しなければ、自分たちが彼らに振り回されてしまう、ということに気がつかねばならない。
自分の職場をぶち壊そうとする者にくっついて行って、最後に路頭に迷うのは自分だ、ということに気がつくべきである。
この本も後段になると当然のこと分割民営化の話になるわけだが、ここでも経営側の問題としては、対労働組合の話に終始するわけで、その基底には共産主義者の存在が見え隠れしているが、著者はそれをあからさまには表現していない。
60万人もの人間を20万人まで減らすというのだから大変な事業であったことは理解できるが、こうしなければならない状況を作り上げたのも、ある意味で組合と経営者側の杜撰な経営の結果でもあるわけで、自分で天に唾したものが自分に降りかかってきたのと同じである。
この事実は、双方に親方日の丸に寄り掛かる体質であったからであって、どちらか一方だけが悪かったというものでもない筈である。
この中で、職場規律の正常化という言葉があったが、こういう言葉が出てくること自体、普通の組織体ではないということである。
普通の労働協約では、職務命令と仕事をする職場環境の改善とは別の問題なわけで、職務上の命令はどこまでいっても上意下達であるが、それを行う職場環境では労使で話し合いを持ち、環境改善の話をすることは認められている。
国鉄で行われている現場協議というのは、この部分が主客転倒しているわけで、そしてそれを牛耳っているのが少数の過激な急進派、隠れ核マル派、教条主義的な共産主義者であったわけで、この部分を正常に戻すことは当然のことである。
民営化の話そのものは極めて政治的な行為で、組織の内部、およびその組織を取り巻く周辺の事情によって、大きく揺れ動くことはいた仕方ない。
正直言って私も国鉄の民営化など果たして本当にできるかどうか半信半疑であった。
私としては鉄道の整備というのは社会的なインフラの整備なのだから、国が資金を投入すべきだと思っている。
結論から言えば、こういう発想でもって旧国鉄が立ち行かなくなったわけだが、国民への根源的なサービスだから国家が責任をもって成す、という発想そのものが時代遅れであったのだろう。
確かに効率ということを考えれば、国が面倒を見るということはあらゆるケースで効率が悪い。
だからこそ共産主義を基盤とする国家は斜陽化し、崩壊してしまったではないか。
国が面倒を見るとなれば、国民の皆が甘えるわけで、その甘えの行き付く先として崩壊が待っていたわけである。
民営化ともなれば、自分の稼ぎで生きていかねばならないわけで、甘えの余地など微塵もなく、労使で喧嘩することも出来ず、双方が妥協に妥協を重ねて安住の地を探さねばならない。
「如何にミニマムの労力で、マキシマムの成果を出すか」という課題は、労使双方の共通した課題なわけで、そんな場面ではストをすることなど、よほど熟慮しなければならなくなる。
旧国鉄の場合、後ろに国家が控えているという意識があるがゆえに、労働組合も過大な要求を突き付け、無理難題を押し付け、それに対して経営側も親方日の丸である以上、自分はどこまで行っても雇われマダムにすぎず、自分で作った会社とか、自分が育てた組織という概念がないものだから、一刻も早くトラブルから逃げたいばかりに、早急な解決を願うあまり、安易に妥協点を見出すべく、弱腰の交渉になるのである。
こういう悪循環が積み重なって収拾がつかなくなってしまったわけで、私は国鉄の民営化という場合、事業の分割よりも、組合員の分割、あるいは分散が狙いであったのではないかとさえ思っている。
国鉄の全職員を一旦解職という手続きを踏ませることで、新たに出来たJR各社に新採用するという手続きを経ることによって、過激分子をふるい落とし、新たに分別することが狙いであったように思える。