ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「老いをあざむく」

2010-05-31 15:34:48 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「老いをあざむく」という本を読んだ。
題名からは軽いエッセイのような印象を受けがちであるが、どうしてどうしてかなり本格的な内容のもので、読むのにいささか忍耐を強いられた。
サブタイトルには「《老化と性》への科学の挑戦」ともなっているように、立派な学問的希求の精神で溢れていた。
著者は外国人でロジャー・ゴスデンという人だが、人間の老化を学問的に真正面から捉えた真面目な本であった。
始めから最後まで活字がぎっしり詰まっていて読みとおすのに相当な根気と忍耐を必要とした。
私はもともと先天的なアルツハイマーのようで、本を読んだからといって、読んだことが頭の隅に残っているということがほとんどない。
活字を追っている瞬間のみ、何となく分かったような、理解し得たような、なるほどなと思いつつ、読み終えるときれいさっぱり記憶から抜け落ちてしまっている。
結果的に時間の浪費でしかない。
しかし、不思議なことに本に書かれた内容はすっかり忘れてしまっても、それが契機となってさまざまな思考が頭の中を駆け巡るという妙な現象が起きる。
それでここで再び「老い」ということについて私なりの思考を書き留めておく。
この地球上の生きとし生けるものは誕生の瞬間から死に向かって歩み始めるものと思う。
この本は動物の寿命についても詳しく述べているが、カゲロウのように誕生して数時間で生涯を終えるものがあるが、人間のように長寿を全うするものもいる。
ところが人間以外の生き物は、自分の死を忌み嫌うということはあり得ないわけで、人間のみが死を嫌って何時までも生き続けたいと願う。
カゲロウでも、セミでも、野性の動物でも、自分の死は淡々と受け入れている。
野生動物に老衰という現象が少ないのは、年を重ねて身体が思うように動かない、機能しないようになれば、老衰する前に自然淘汰、つまり死ぬ、若死にしてしまうから老衰した個体がないということだ。
単純な話、如何なる肉食動物でも体が思うように動かない、たとえば足に棘が刺さっただけでも獲物を十分に確保できないわけで、結果的に死に至るということで、ある個体が老衰するまで生き延びられないということだ。
これが基本的に自然の摂理であって、その意味からすれば人間が長生きを願うというのは、自然の摂理に対して歯向かっているということになる。
人間は他の動物に比べると頭脳がことのほか発達しているので、物事を考えるという機能を持っている。
如何なる生き物でも、必要最小限の自己保存機能、つまり如何に行動すれば自己保存に有利か、という状況を判断する機能は大なリ小なり持ち合わせていると思う。
肉食動物が獲物を狩る能力、食われる立場の動物が如何にその牙から逃れるかという判断力は、全てそれぞれの個体の脳の機能によってコントロールされているものと推察する。
その意味で、如何なる生き物でも脳で考えて行動しているといってもいいが、人間の場合は万物の霊長類と言われるだけあって、他の動物に比べると一段と脳が発達している。
だから自己保存というミニマムの思考を越えて、自己保存+アルファーの思考の能力があるところに最大の問題点が潜んでいる。
自己保存+アルファーの+アルファーの部分が俗にいう煩悩というもので、この部分が人間の生き様に様々な悲喜劇を演ずるエッセンスを秘めているのではないかと私は考える。
アマゾンの奥地の未開人が農耕生活、あるいは狩猟生活をしている限り、自己保存の原理で生きているが、その中のある人が自分の種族、あるいは集団を自分の思う通りに統率しようと考えると、これは煩悩の領域へと思考が膨張していったということになる。
アマゾンの奥地の人々の生活は、人間の基本的な生き方の極めて単純化したモデルなわけで、地球上の他の地域に生きる現代人は、それこそ個々の人がそれぞれ自分の煩悩との格闘を演じながら生きでいると考えなければならない。
不思議なことに、この人間の煩悩というのは教育でコントロールできないわけで、いくら優秀な学校で高度な教育を受けても、人の煩悩を浄化して清らかな思考に再生するということは出来ない。
言い方を変えると、人間の自己愛は教育では如何ともコントロールしきれないということで、いくら立派な教育を受けた人でも、持って生まれた生来の根性は、教育では是正できないということである。
で、人間が何時までも若いままでいたい、年を取りたくない、何時になっても死にたくないという願望は、人間の究極の自己保存の原理であって、人は太古からそれを追い求めてきた。
不老不死というのは、生きた人間の究極の自己保存であると同時に、自己愛でもあったわけだ。
この本でも言っているように、人間でも昔は介護が必要になるほど長生きする例はまれで、大部分の人間は、老衰に至る前に死んでしまっていたということだ。
地球上に誕生した人類にとって、老衰に至るまで人間が長生きするという状況は、人類が初めて直面する新たな課題なのではなかろうか。
神様は人間が老衰に至るまで長生きする事態を想定していなかったのではなかろうか。
昔でも古老の存在というのは有るにはあったわけで、全くないというわけではないが数がすくなかたので、それなりに大事に扱われたが、老人がマスとしているような状況は、神様にとっても想定外のことではなかろうか。
こういう状況が現出すると、人間の頭脳は如何なくその機能を発揮しだすが、人間の考えることはどうしても過去の事例を参考にしがちで、歴史の中からその答えを導き出そうとする。
するとどうしても過去の倫理観の中にその答えがあるように思えて、古い玩具箱をひっくり返したように、過去の様々な思考から自分たちにとって最も整合性の在りそうなものを探し出そうとする。
それが「人の命は地球よりも重い」が故に、如何なる人間も可能な限り生かさねばならず、いくら死にかけの命でも、故意にそれを絶ってはならないという、古い古い人間の価値観に帰結する。
現代の医学の進歩は、植物人間という言葉にも表れているように、動物学的な機能を失ったままでも生を維持できるところまで進化してしまったので、植物のような状態のままでも生かせることが可能になってしまった。
動物学的な機能を失った人間は、まさしく植物と同じで、自分の意思というものを失ってしまっているので、この状態のまま生かし続けて果たしていいものかどうか、大勢の医者、あるいは近親者が思い悩むところである。
ここで我々は古い価値観、あるいは倫理観との格闘を演ずることになるのだが、私個人の考えとしては、回復の見込みが全くないとなれば、安らかな死を与えた方が本人のためにも周囲の人のためにも適切な処置だと考える。
人の自然の老衰についてもこれと同じことが言えていると思う。
人の死は、それこそ万人に全く平等に押し寄せてくるわけで、問題はそれが遅いか速いかの違いでしかない。
日本では昔から人の命は約50年とみられていたわけで、人がこの年齢で死んでいけば、老衰という事態は起きなかったに違いない。
世の中をじっくりと眺めてみれば、人間の織り成す社会というのは日々進歩しているわけで、50年前には想像もつかない現象が、今は日常茶飯事に展開している中で、死に対する人間の思いのみが人類誕生の時のままであることの方が不思議だと思う。
この本の主題の「老い」という現象も、「老い」をいかに克服するかの視点で描かれているが、このテーマこそ人類誕生の時のイメージをそのまま引きずっている。
今に生きる我々は、太古の時代の人間に比べれば、昔の50年を今は1年か2年で通過しているわけで、いま50歳の人間は昔の100年ぐらいの時空間を体験しているに等しいと思う。
その中で、我々の意識のみが人類誕生の時の死生感のままでは明らかに時代に適応していないのではなかろうか。
当然21世紀に生きる人間には、その時代にマッチした死生感を具備しても何ら不思議ではないと思う。
人はこの世に誕生して以来、それぞれ各人が各様に精一杯生きてきたものと想像する。
中には自分の思う通りに行かなかった人も大勢いるに違いなかろうが、それは運命の悪戯のせいであって、努力したからといってそれが全部叶えられるというものでもないというのは自明のことであって、それを悔やんでも詮ないことである。
しかし、自分の人生もしだいにたそがれてくれば、それぞれに自分の人生にそれなりの評価をせねばならない時が来るものと推察する。
過去に成功できなかったものが、老い先短い時期になって、起死回生を図って成功を手にするということはまずは考えられないことで、そういう人もそういう人なりに自分の人生に見極めをつけなければならない時が来るものと思う。
この時、今までの人類の価値感あるいは倫理観では、自死の選択が許されない。
許されてはいないにもかかわらず、勝手にそういう道を選択する人は大勢いたが、すると周りの人が大いに非難されがちである。
自殺という行為は、人としてすべきでない行為だという認識が根底にあるので、その観念から脱却しきれない人々が憂うのである。
本人はそれなりに納得して行動に移したのだが、周囲の人は本人をそういう立場に追い込んだことに自責の念にかられて罪の意識にさいなまれるのである。
この部分が私には時代にマッチしていないように思えてならない。
私としては、老いたまま老醜をさらしながら生き続けるよりも、心身ともに健康で、判断力もきちんとしている時期に、自分の人生劇場の幕を自分で幕引きをする自由をもっともっと容認してしかるべきだと思う。
「死にたくない」という人に無理に要求するのではなく、自分の人生に満足して、充分に納得した人に、その人の最後の願いを心置きなく振舞ってもらうことであって、嫌がる人に無理やり押し付けるわけではない。
私自身も齢70になっていよいよ自分の老いに直面する時期に達したが、私個人としては、自分の体を他人に触らせてまで介護を受けて生きていたくはない。
下の世話を他人にさせるぐらいならば、さっさと安楽死を選択したいと考えている。
ところが今の段階では、この安楽死がなかなか容易ではなく、それこそ植物人間にでもならなければ、安楽死させてもらえないところが大いに不満である。
我が身から敷衍して世間を眺めてみれば、私と同じように「介護を受けてまで長生きしたくない」と考えている人は私のほかにも大勢いるのではなかろうか。
本人が「自分はもう十分に生きたのだから、ここらで幕引きをしたい」という願いは、何故世間から白眼視されるのであろう。
「そういう人は勝手に死ねばいい」というのは、他者に対してあまりにも無責任であり、無慈悲なのではなかろうか。
科学でも、医学でも、宗教でも、生きている人にもっと生きよ、もっと生きよ、死んではならない、植物人間でも生せるべきだという風に、生への執着は極めて強力であるが、燃えつき症候群の人々に対しては、経極めて冷淡で、その考え方を否定的に捉えがちである。
こういう人たちは、あまりにも綺麗ごとにすがりすぎて、理念上の大昔からの倫理観から脱却しきれずに、観念のシーラカンスに陥っているのではなかろうか。
その心の奥底には、他人の介護を受けてでも生き続けたいという思いが内側に潜んでいるのであろうか。
私にとっては、他人、仮に家族・肉親であったとしても、他者から下の世話をされるということは、自分の尊厳を根底から引きはがされるように思えて、とても我慢できるものではない。
想像するだけでも卒倒しそうな光景で、私の自尊心が許さない。
私の理想とする高齢化社会は、人生の幕引き申請書のようなものを行政機関、あるいは医療機関に申請すると、丸薬を2粒か3粒戴いて、それを服用すると、翌日までにベッドの中で安らかに眠れるという形である。
生への執着については、人類誕生の時から人類は様々に思考を巡らしてきたが、死への執着、如何に美しく死ぬか、ということは全く考えてこなかったのではなかろうか。
病気で死ぬというのは、運命の悪戯なわけで、本人にとってはまことに不本意なことに違いないが、人生の幕引き死というのは21世紀の人類にとって新しい価値観ではなかろうか。
自分で自分の人生の幕引きが出来るということは極めて慶賀なことではなかろうか。
第一その時まで心身ともに健康でなければそれは成り立たないわけで、そんなに健康であればまだまだ活躍できるではないか、と思われるかもしれないが、今までの人間はそう思いつつ介護を受けざるを得ない状況に追い込まれたのではなかろうか。
心身ともに健康で、かといって世間で自分の能力を発揮するにはいささか能力不足を自認するようになると、結果として何もすることがなく、無為な老後を過ごすということになり、それが他の病気を誘発することになり、健康が損なわれ、最後には介護を受けざるを得ないことにつながると思う。
「老い」ということには、大きなばらつきがあり、同じ年齢でも年より若く見える人がいる半面、大いに老けて見える人もいるわけで、この本がその違いを学術的あるいは医学的にそこにメスを入れようとしているが、私の素人考えではそれは心の持ちようが大きく作用していると思う。
何事も受け身に考える人と、積極的にアグレッシブに考える人では、その差は大きなものがあるように思う。
「病は気から」という言葉があるように、「老い」も本人の気の持ちようが大きく左右しているものと考える。
気の持ちようというのは精神的なことであるが、肉体の加齢というのはどうにも避けようがないわけで、いくら気が若くても、肉体の衰えというのは避けられない。
この本は、その肉体の衰えを開明しようと試みているが、人間の肉体が生きた細胞で成り立っている以上、その細胞の延命からしなければならないわけで、その意味では、この地球上の生き物には全て寿命というものが設定されているように思う。
それがいわゆる天命というもので、生きものはすべからく天から授けられた寿命の範囲内でしか生を維持出来ないものと思う。
この生き物の寿命というのは、それこそ天のみぞ知るものであって、我々はその受容範囲内でしか生きられないのではなかろうか。
その中で人間の寿命が徐々に伸びているということは、天への冒涜で、自然の摂理に反するものではなかろうか。

「火の料理、水の料理」

2010-05-28 06:42:42 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「火の料理、水の料理」という本を読んだ。
著者は木村春子という女性で、女性の感性によって日本の料理と中国の料理を比較検討した作品であった。
中国人は世界各地に進出して、その先々でゲットーを形成し、その中では自分たちの伝統を守りながら生き続けているので、そういう意味で中華料理というのは世界各地にあると述べている。
もっともなことであるが、その流れの一環として日本にも中華料理は根強く浸透している。
しかし、今の日本における中華料理というのはかなり日本人好みに進化して、本場の中華料理の味とはいささか趣が違うと指摘している。
そもそもが日本の中華料理も、日本にいる中国人が作るよりも、日本人の料理人が作ることの方が俄然多いわけで、日本人のコックが日本人向けにアレンジするというのは、必然的な流れとも言っている。
料理、いわゆる食べるという行為は、人間が生きていくためには必然的な欲求である。
まず第一に自分の身の回りにある食材を如何に工夫して、自分たちの好みに合わせるか、という命題を抱えていると想像する。
自分の置かれた環境、つまり自分の身の回りにあるものを如何に工夫して、より美味しく食べるかという行為を納得させるものだと思う。
そう考えると、日本と中国という地勢的な環境で、それぞれに独自に発達しても何ら不思議ではない。
それがいわば自然の流れでもある。
とはいうものの、人間がより美味しいものにあこがれる、というのも人間の根源的な欲求であるわけで、古今東西、古の昔から、人は美味なるものを求めて止まないのも変わらない人類の普遍的な行為である。
人が生きるということは、自分の置かれた環境に大きく左右されるのも、人間の生存の基本的な部分であって、人はそういう条件のもとで、至上の美味を追求していたが、人というのは二本の足で自分の居場所から他の場所の移動することも可能なわけで、移動した先の環境の中で新たな味に挑戦する好奇心も合わせて持っている。
そもそも自分の身の回りの環境の中から、普通に何の疑いもなく食していた食材を、ほんのちょっと工夫するだけで味が変わって美味しくなる、ということを発見した先人は実に偉大な存在だと思う。
少々大げさな表現であるが、それこそ創意工夫というものだと思う。
私自身の経験から言うと、私は料理の面白さを体験したのは、ずいぶん後になってからで、それまでは食べものというのは、口に入りさえすればそれで全てであって、ただただエネルギーを維持するための栄養補給と割り切った認識でしかなかった。
与えられた、あるいは目の前に出された料理を、美味い不味いというのは人間の傲慢な振る舞いだと思っていた。
だから私は若いころから好き嫌いはほとんどなく、出されたものなら何でもありがたく頂いたものであるが、その認識が崩れたのは、ある職場にいた時、必要に迫られて自炊を迫られ、仲間の食事を自分たちで作らねばならない状況に立ち至ったことにある。
その時、先輩から米の溶き方から味噌汁の作り方まで手取り足とり教えてもらったことがあって、それがきっかけで料理の面白さに開眼した。
それまでは、料理なんてものは食べれればそれで十分だと思っていたが、その普遍的で何の変哲もない、ルーチン化した行為の中にも、いろいろな創意工夫とアイデアによって、同じ素材でもより美味に味わえるということを悟った。
今でも心の奥底では、自分で料理に挑戦したい気持ちはあるが、我家の台所に入ると家内の領域を侵すことになり、家内がうるさく小言をいうのでついつい入りそびれてしまう。
そこで家内の調理の仕方を見ていると、やはり主婦としての経験と知恵が随分と発揮されていることに気が付く。
まさしく創意工夫の固まりのように見える。
料理ということで言えば、数年前にNHKで放映されていた『チャングムの誓い』という韓国のテレビドラマは非常に興味あるものであった。
このドラマは、かつての朝鮮王朝の宮廷内の権力抗争と並行して宮廷料理がサブの主題になっており、この宮廷料理の描写が素晴らしく詳細に描かれていて、非常に興味をそそられた。
医食同源ということが如実に語られていて、その意味でも、食べるということがいかに大事かということがよく理解できる作品であったように記憶している。
この本では、我々日本人は味覚を表現する語彙に乏しく、中国ではそれが如何に豊富かということも述べられているが、この違いは美味に対する欲求の度合いの違いではないかと想像する。
そのことは同時に民族の本質を現しているようにも見える。
これもある意味では当然といえば当然のことかもしれない。
民族の本質と言うからには、その民族の生き様、考え方、身の振り方、処世術のトータルの有り態なわけで、それが食べ物に対する考え方にも如実に表れてくるということだ。
この本の題名にいう「火の料理」ということは、中国の料理全般を差しているし、「水の料理」というのは日本の料理、いわゆる和食全般を差していると思う。
我々の国の地勢的な条件というのは、比較的気候温暖で、四季があり、小さな島国で、背骨に高い山を抱えているので、水はどこまでも清く澄んでおり、何処でも水が飲め、見た目も美しく、清潔感にあふれているため、生のものを食す、物を生で食すということに何んの違和感もいだいていない。
ところが中国ではこれと逆なわけで、水は濁って、川は泥水で、その中で生きてきたもの、あるいは育ったものを生のままで食べるということは考えられない。
よってあらゆる食材が火を通した後でなければ口に出来ないわけで、そういう意味からも、食材を加熱処理しなければならず、それが「火の料理」という風になるもの考える。
それと、我々は歴史上の長い時空間の中で、四足のものはあまり食べなかったという伝統がある。
その遠因には宗教上の忌諱があったとは思うが、その前に我々は農耕民族として、穀物に価値を置いていたので四足の動物を殺して食すという風習がなかったものと考える。
四足の動物を食材として利用するしないでは、料理のメニューに大きな差が出るのもいた仕方ないが、その意味では、中国の人々は究極の雑食性を帯びているということになり、我々の方は極めて淡白で、白ご飯に梅干しというメニューにさえも、言えぬ価値感を見出しているという風になってしまう。
我々日本人が純粋の和食のみで生きているとしたならば、きっと体力的に極めて劣った民族のままでいることになるのではなかろうか。
今はやりの言葉に、草食系と肉食系という言いまわしがあるが、まさしくその言葉がぴったりと当てはまってしまう。
数年前、香港に観光に行ったことがあるが、彼の地では朝粥の店があって、早朝から人々が店頭で、あるいは街頭の屋台で、朝粥を食すという事実を知って大いに驚いたものだ。
人々が朝っぱらから店や物、朝食から店で朝食を摂るという習慣に大いに違和感を覚えたものだが、それは私の無知をさらけ出したにすぎない。
その時にガイドから聞いた話に、香港の高層アパートにはキッチンの設備のない物もあるということには大いに驚いたものだが、先日タイに行ったときにも同じような話を聞いた。
家に台所がなければ外で買い食いをしなければならないのは当然のことで、朝飯から銭を出して買い食いをする現実には、いささか驚かざるを得ない。
我々の生活でも、時間に追われるサラリーマンが、駅のキオスクやスターバックでスナックを取って、それを朝食代わりにすることを考えれば同じことかもしれないが、私の世代のものの考え方では、こういうことにはついていけない。
キッチンのないアパートの存在そのものが考えられないが、ここにアジア大陸での人々の生き方が凝縮されているということなのであろうか。
そもそも都会のアパートに生む人々というものが、基本的人権を具備した人間と見做されていないということではなかろうか。
都会であろうが地方であろうが、もともとそこに何世代にわたって生きてきた人ならば、たとえ貧乏人であろうともミニマムの住居というものは確保しているはずであるが、都会のアパートに転がり込んできた人というのは、地方からの出稼ぎ人に過ぎないわけで、そういう人にはただたんに寝る場所さえ与えれば事足りるという発想なのではなかろうか。
そうでなければエレべ―タ―のない高層アパートとか、キッチンのないアパートなど考えられないではないか。
話が少々飛躍するが、春先になると中国大陸から日本に黄砂が飛んできて、我々は大いに迷惑を被っているが、この黄砂というのも私に言わしめれば人災だと思う。
この本でも、中国の料理は「火の料理」ということで、火で加熱する料理が多いと述べているが、問題はこの火である。
我々が普通に料理に使う火といえば、当然、電気もあればガスもあり、現代に至れば化石燃料も使うであろうが、電気もガスもない時代、あるいはそういうものが無い地域で、火といえば必然的に薪を使うということになる。
ところが、この薪が大いに問題である。
この本の表紙にも盛大な炎で調理している写真が載っているが、この薪は当然のこと樹木である。
中国の人々が、調理の度ごとに薪を燃やし続けるということは、必然的に中国の樹木を伐採し、それを燃やし続けるということである。
中国の民が、それぞれにかまどで薪を盛大に焚いて火を使って調理をすれば、中国の大地が禿山になるのもむべなるかなで、その禿山が乾燥して季節風にのって黄砂を撒き散らすということになったものと思う。
中国の人々が、調理に火を使わねばならない背景を考えれば、それは水が清らかでないので、食物を生では食べられないということがあったものと推察する。
それに反し、我々の方は様々な食材を生で食べることこそ最高の贅沢と考えていたわけで、如何に新鮮なまま口に入れるかに知恵を絞ってきた。
取れた獲物を如何に貯蔵するかでも日本と中国では別々に思考を巡らしていたようで、保存食についてもそれぞれに知恵を絞ったに違いない。
料理に関する本はいろいろあるが、不思議なことに魚醤について記述した本がないのは一体どういうことなのであろう。
この魚醤というのは、私も実物に接したことがないが、要するに海の魚で作った醤油ということで、元々の発祥の地は東南アジアであったが、それが米の伝搬と同じように日本にも伝わってきたというものらしい。
日本では北陸地方に今でも残っていると言われているが、私も正確なことは知らない。
ある種の醤油ということであれば、保存食というよりも調味料であろうが、醤油といえば我々は大豆からと思うのが普通で、それが小さな小魚から出来ているとなれば、どういうものか見てみたいと思うのは普通の好奇心としては当然のである。
私はジャコ、チリメンジャコを大根おろしと混ぜて食べるのが好きだが、これを食べるとき何時も思う。
こんな小魚を、こんなに小さなうちに採ってしまっては、漁業資源が枯渇してしまうのではないかと思いつつ箸をつけているが、現実には一体どうなっているのであろう。
サンマやカツオ程度に成長したものを捕獲して、それを食料とするのならば漁業資源の枯渇には少々間があるようにも見えるが、ジャコや数の子、あるいはタラコのように、卵のうちから人間が食べてしまえば、それこそ次世代の魚が絶えてしまうのではないか、と甚だ心配である。
ところが、店頭に売りに出ている限り食欲がそそられてしまう。
今、平成22年5月27日の時点で、日本では家畜の口蹄疫の問題で大騒ぎであるが、家畜の伝染病である限り殺処分しなければならないらしいが、こういう病気になった牛は、伝染病の蔓延を防ぐために処分しなければならないというところまでは理解できるが、その殺した牛を食べることが出来ないとなると、なんとも不思議な気がする。
前に流行ったBSEの問題では、牛の脳がただれてしまうということで、これも処分されたが、病気で死んだ家畜が食べれないというのも、なんだか不可解な思いがする。
口蹄疫の場合はウイルスで感染するらしく、BSEの場合は餌の中に含まれていた砕いた骨に原因があったと言われているが、いずれにしても病気に罹った家畜は一切口にしてはならないというのも随分勿体ない話だと思う。
人の命に係わるから100%安全でなければならない、という理屈は分からないではないが、この世に出回っている食材が100%の安全であったとするならば、病気などなる人間は一人もいないということになるのではなかろうか。
100%の安全ということをいうならば、我々は魚など食卓に乗せられないのではなかろうか。
水俣病など、海の魚ならば安全だと思って食べていたから発症したわけで、そういう危害を防止するために、病気の家畜など一切市場に出してはならないという理屈はよく分かる。
だが、口蹄疫あるいはBSEの牛のどんな部位であろうとも一切市場に出してはならないというのも極端に敏感な措置ではなかろうか。
畜産業者の反論が全く聞こえてこないというのは、やはり病気の牛は如何なる部位でも食してはならない、ということの証左なのだろうか。
私は物事を知らないし、根が貧乏人なのでついつい卑しい根性が露呈してしまって、もったいないという感情が先だってしまうが、病気だからといって殺される家畜と、それを育てた業者には同情の気持ちが動いてしまう。

「アマゾン、森の精霊からの声」

2010-05-25 11:38:25 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「アマゾン、森の精霊からの声」という本を読んだ。
前に読んだ「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」と共通する問題意識で貫かれていた。
ただこの両者の入った領域が多少違うというだけのことで、彼らの心配する事がらについてはほぼ共通の認識である。
この本の著者は、南研子という人は学者ではないし、植物の研究のためにアマゾンの奥地に入ったというわけでもなく、頭から自然保護、環境破壊の阻止という目的意識を持って入り込んでいるので、その視線は自ずから違っている。
私の個人的な思いとしては、日本のような現代化した社会からいきなりアマゾンの奥地にいって、現地の人々の支援をするというのは、ある意味でキリスト教宣教師の布教と同じ轍を踏んでいるのではないかと思う。
アマゾンの奥地に有史以来住み続けた人たちに、現代人が支援するということは、我々の感覚からすれば良い事であろうが、そのこと自体が現地の人々の価値観を狂わせているのではないかと思う。
例えば、この著者は、現地の人々に川を移動するときのボートの船外機を寄付したと述べているが、現地の人々は、有史以来、手漕ぎのカヌーで行き来していたところに、ガソリンで動く船外機、言い方を変えればガソリンがなければ役に立たない船外機を与えてしまえば、手漕ぎのカヌーよりは便利なことは言うまでもないわけで、それなしでは済まなくなり、結局のところ、船外機は手放せなくなって、同時にガソリンも何とか手に入れなければならないようになり、最終的に野生動物を現代人に売り付けて、貨幣経済の中に組み込まざるを得ないようになってしまう。
彼女はあくまでも日本の現代人の中の一人で、ブラジルの広大な地を機械力で開発することには大きな嫌悪感を抱いているが、自分のしている事が現地人の俗化に寄与している姿は見えていない。
確かにブラジルの現地で、巨大なブルドーザーが熱帯雨林を伐採して、そこを農地に変えようとしている姿を見ると、この現状を何とかしなければならないと思うのは一人の人間として当然の事だと思う。
自分の今ある姿から、現地のインディオを見ると、彼らは裸で、裸足で、財産と言えば弓矢ぐらいしかもっていないわけで、そういう姿を見て、彼らになんとか自分たちと同じ価値観を持ってもらおうという発想は、キリスト教宣教師の布教の精神と同じなわけで、現代人の驕りだと私には思える。
船外機を贈られれば、現地の人は、それによって病人を救う事が出来たので、感謝されるのは当然であるが、そもそも病気になった人を救う事が「善」だ、という発想そのものがネイティブな生き方と矛盾していると思う。
ネイティブな人々は有史以来、自分の身の回りに病気に対処するに効果のある薬草の存在を知恵として持っているわけで、病人を医者の所まで運ぶという行為は、すでに彼らの古来の対処療法を放棄して、近代的な医療に屈服したということだ。
そのことは自己保存の思考が働いたわけで、だからこそ手漕ぎのカヌーに頼らず、近代文明の産物である船外機の効能に頼ったわけだが、このことが近代文明への進化の第一歩でもあるわけで。
この時点で、彼らは有史以来、彼らの持ち続けた生き方を捨てたわけで、そういう細かい事実の積み重ねが、彼らの生活を内側から破壊する事だと思う。
我々はアマゾンの奥地で裸で暮らしているネイティブな人々を見ると、「未開人だなあ」と感ずるのは当然だと思う。
ところがこういう人たちと我々日本人、あるいはヨーロッパの人々とも、人類誕生の時から今日までの時間の持ち分というのは全く同じなわけで、千単位、万単位の時間の相違というのは、人類誕生の時から今日までの間では問題にならないものと私は考える。
今のギリシャも、シルクロードのローランやロブノ―ルも、かっては緑滴る楽園だったと思われるが、現在ではげ山の荒野であり、砂漠の荒野になっているわけで、これらはすべて人間がそういう環境を作ってしまったわけで、ある意味で人災だと思う。
そういう意味で、アマゾンの開発も、この地が砂漠化するまでの途中経過の中にあるものと考えられるのではなかろうか。
そうなっては困る。そうなれば人類は滅亡するから、今のうちに何とか阻止しなければ、という発想は極めて独善的で自然の摂理に逆らっていると思う。
これ以上の自然破壊を止める、環境破壊を止める最大の処置は、人間が子供を産まないということでなければならないと思う。
人間の増加、人口の増加こそ自然破壊、環境破壊の最大のものだと私は思う。
今、我々が享受している物質文明は、文化文明の格差が周辺の未開人、文化程度の高いものが低いものを淘汰した結果であって、人間の歴史は、それを見事に具現化しているではないか。
人間の存在は二元論に尽きると思う。
生か死か、戦争か平和か、正か悪か、繁栄か衰退か。永遠に生き続ける事はあり得ないのと同様に、永遠に平和であり続けるということもありえないわけで、現代文明と原始文明の接点では、この二元論が同時に成り立つこともありえないと思う。
非常に善意に満ちた平和主義者が、現地のネイティブな人に善意で以てカヌーに取り付ける船外機を寄付したら、その利便性はたちまち現地のネイティブな人も魅了するわけで、彼らがそういうものをもっと欲しいと思うことは当然の成り行きである。
この船外機を動かすには当然のことガソリンが要るわけで、彼らもそれを確保するには如何なる方法があるか知恵を絞る事になると思う。
その結果として、野生動物や、インコや、珍しい蝶を現代人に売り付ければ金を得る事が出来ると悟るわけである。
この時点で、彼らのネイティブな思考は崩れてしまったわけで、私のいう俗化の始まりである。
アマゾンの奥地の自然破壊や環境破壊は、アメリカ合衆国の西部開発と同じ軌跡を歩んでいると思う。
アメリカ合衆国の発展は、ヨーロッパ人の北米大陸の自然破壊と環境破壊の上に成り立ったものと考えて良いと思う。
結果としてこの地にもともと住んでいたネイティブな人々は、居留地に押し込め得られて、今では観光客に土産を売って細々と生きているが、これもある意味でネイティブな人々の責任でもあったわけだ。
人間がこの世に現れた時には、この地球上のすべての人が、今で言うネイティブな人々と同じレベルの文化しか持ち合わせていなかったと考えられる。
にもかかわらず今ではとてつもなく巨大な格差が生じているが、この格差の責任は、それぞれの民族、あるいは種族、あるいは人種という人の固まりとしての集団の責任に帰するものと思う。
我々は歴史で四大古代文明という事を習う。
エジプト、インダス、黄河流域、チグリス・ユーフラティス流域という風に古代文明の発祥の地がある事を習うが、文化文明というのは当然のこと地域によって格差があるわけで、その格差があるが故に様々な戦争あるいは諍いにおいて勝敗が分かれる。
基本的に優れた文明を持ったものが敗者を支配するという構図が出来上がっている。
これは善悪を超越した自然界の法則であって、我々はともすると「戦争は駄目だから平和でいこう」と安易に言っているが、平和というのは未来永劫平和であり続けるということはあり得ない。
それはアマゾンが開発から免れることが出来ないのと同じで、人間がこの世で子孫を残そうと考えている限り、自然破壊と環境破壊は付いて回る事だ。
既にこの地球上から消えてしまった民族は数限りなく存在すると思う。
日本のアイヌの人たち、中国の奥地に住む人々、北米大陸のインデイアンと言われる人々、アマゾンの未開人という人々の中には既に絶えてしまった人たちも大勢いるに違いない。
こういう人々が地球上から消えるというのも、非常に極端な思考ではあるが、彼ら自身の責任という部分が大きいと思う。
彼ら自身の責任というよりも、自然の摂理に沿った流れであって、彼らはそういう運命にあった、と言うべきかも知れない。
アマゾンの奥地の未開人を支援するという行為も、現代人の思い上がった思考であって、「自分は良い事をしているのだ」、という自己満足にすぎないと思う。
地上から消え去る民族に対して、自己責任だという言い方は非常に酷に見えるが、我々、日本民族・日本人も、基本的にはアマゾンの奥地の民族と同じだという事を忘れてはならない。
現代の日本人とアマゾンの奥地の現地人とは、人種的には同じだが、この文明の格差がどうして生まれたのかと問えば、それは文字の存在だと思う。
我々は文字を持っていたからこそ、今日、西洋キリスト教文化と肩を並べておれるわけで、日本のアイヌの人たちも、アマゾンの奥地の人々も、文字を持っていなかったので、先人が経験から習得した知恵やノウハウを後世に伝承できなかったからだと私は考えている。
それと自然環境に恵まれていたので、自分たちで「如何に生き抜くか」という事を考える必要がなく、生き抜くためには何の苦労もなく、身の回りに食い物がころがっていたからだと思う。
我々の場合は、自然を相手に如何に生き抜くかを常に考えねばならず、作物を採集するには何時如何なる時に種を播き、如何なる世話をすれば最も効率よく収穫が増やせるか常に考えねばならなかった。
ところがアマゾンの奥地の人々は、身の回りに何時でも何処でも食い物があるわけで、生きんがために考えるということが必要なかったに違いない。
もっとも端的な違いは、彼らが船外機を手にした時、我々の民族ならば、「これと同じものを自分たちで作ってみよう」という発想が湧き起こるが、彼らは便利だから重宝はするが、それを自分たちで作ってみようという発想には至らない。
この違いが大きな文化文明の格差の原因であるように思う。
我々、日本人、日本民族だって、人種的には太平洋の東の小島に流れ着いたモンゴロイドの一員、モンゴリアンの一員なわけで、アメリカのインデイアンやアマゾンの奥地のネイティアブな人々と同じなのである。
地球的規模で見て、個々の民族には人間の基本的な資質に優劣は存在しないと思う。
アマゾンの奥地の開発が自然破壊や環境破壊につながっている事はよく分かるし、それが資本主義社会の中での金儲けの手段であることもよく分かるが、それが「人類全体のためのメリットを阻害しているから止めよ」という欲求は、核拡散防止の問題で、今持っている国はそのままにしておいて、これから持とうとする国に「けしからん」と言うのと同じ論理ではなかろうか。
前に読んだ「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」では、あくまでも薬草の研究の一環として現地の人々との触れ合いが述べられているが、この本の場合、真正面から現地の人々を支援するという構えた格好になっている。
私に言わしめれば、この「現地の人々を支援する」という部分に、極めて胡散臭さを感じるものがある。
アマゾンの現地の人々の生活を、今のままで継続させる事に狙いがあるとしたならば、彼らのに入って生活を共にすることよりも、開発業者や密漁者の取り締まりに重点を置いて、現地の人々の生活領域の中にまでは入り込まない方がいいのではなかろうか。
熱帯雨林の伐採や、その後の耕地整理という自然破壊、環境破壊を阻止するということは、恐らくブラジル政府の施政方針に棹差す行為であって、そうそう安易に止めさせられるものではないと思う。
人間というのは基本的に愚かな存在だと思う。
核兵器の問題でも、地球を何百回も破滅させるだけの爆弾を抱えていながら、今更、核兵器の廃絶を議論するまでもないではないか。
アマゾンで巨大なブルドーザーで熱帯雨林を伐採することが自然破壊や環境破壊になることが分かっていながら、それを続ける心理というのも、核廃絶の論理と同じなわけで、自分で自分の首を絞めていることが分かっていながらなおそれを続けている図なのである。
まさしく愚かな行為であるが、それが止めらえれないところに、人間の「業」が潜んでいるということなのであろう。
この本はその「業」の部分を暴きたててはいるが、その解決策を示すものではない。
恐らく、その解決策というのはあり得ないのではないかと思う。
人間はこういう過程で以て、絶滅の方向に進みつつあるということではないかと思う。
この地球上には過去に絶滅した生きもの・生物は限りなくあるわけで、人類が21世紀か22世紀に消滅したとしても何ら不思議ではない。
しかし、その消滅の原因は、自然破壊とか環境破壊が原因ではないと思う。
もっともっと大きな理由によるものと思う。

「生きがいの読書」

2010-05-22 08:54:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「生きがいの読書」という本を読んだ。
著者はハイブロー武蔵という人だがちょっと人を小馬鹿にしたペンネームに思える。
1954年生まれということで、私よりは一回り若い世代だが、内容的にはいささか青臭い読後感が残った。
私のように、片足を半分棺桶に突っ込んだような世代の者にとっては、中学生を対象としているようにさえ思えた。
私も本大好き人間で、自分でもかなり読みこんでいる、と若いころから自負しているつもりであったが、その自尊心を木っ端微塵に砕かれたことがあった。
あれは半世紀近く前、航空自衛隊に入った最初の頃、ある種の面接の場で、上官から「君の趣味は何ですか?」と問われて、自信を持って「読書です」と答えた。
そしたら、「君、今時、読書など趣味のうちに入らないよ」と諭された。
つまり、現代人は本を読むことなど自慢し、自負すべきことではなく、日常生活の中のルーチン化した行為に過ぎないのだよ、ということを言外に悟らされた。
だからそれ以降、人前で「読書好き」ということは言葉にしないようにしてきた。 
その後、結婚し、家庭を持って子供が生まれると、家計のためにそうそう好きな本を買うわけにもいかず、もっぱら図書館の本を利用してきた。
この本では、読書という行為そのものを称賛して止まないが、私に言わしめれば、読書は怠惰の別表現に過ぎない。
囲碁の世界では「下手な考え休むに似たり」という言葉があるが、本を読むという行為もそれと同じで、何もせずにただただ怠惰を貪っているにすぎない。
ただ、折角持って生まれた一生涯という時間のなかで、何もせずに怠惰に耽る心のゆとりを持っているということは、ある意味で最高の贅沢でもあるが、それが分かる人はそれなりの教養知性を備えていなければ、その贅沢さが理解できないであろう。
ただ私も生涯を通じてさまざまな本を乱読してきたが、読んだ端からその内容を忘れてしまうので、2、3年前、自分がどういう本を読んだか記録にとどめてみようと思い立った。
人生もたそがれてからそういうことを思いついても何の価値もないが、せめて残りの人生だけでも、そういう記録をとってみたらどうなるだろうと思って、今、実践している。
読書感想文ともいささか異なっていて、私流に、本を読んだことをきっかけとしてイメージを膨らませ、私なりのものの考えを書き込んで、自分一人悦にいっている。
ある意味で、知のセンズリでもあるが、これはこれで私がこの世に生を受けた一つの証しぐらいにはなるだろうと思って続けている。
私は貧乏な年金暮らしなので、自分の金で本を買うことが出来ない。
よって、もっぱら図書館を利用しているが、本を取り巻く状況というのも随分様変わりしたように思う。
小さな書店のなかには店じまいに追い込まれたところもあると聞くが、今の本屋の店頭に並んでいる本の多さと言ったらどう表現したらいいのであろう。
実に多種多彩の本が並んでいるが、あれだけの本が果たして本当に読者に買われているのであろうか。
それともう一つ、私は図書館の愛用者であるが、この図書館がいまどきは幼児の遊園地化している現象をどう考えるべきなのであろう。
若いお母さんが幼児を連れて図書館に来て本を選び、本を借り出し、本に親しんでいる姿をどういう風に考えたらいいのであろう。
それとは真逆の光景として、高校生らしき若者が図書館で勉強している姿は、我々の若い時と何ら変わっていない。
我々の若い時は、それこそ家が狭くてとても自分の部屋で勉強するゆとりもなかったため、必然的に図書館でするということはあったが、今の若者は恐らくその一人一人が自分の部屋を持っていると思う。
にもかかわらず、図書館に来て勉強するということは、そこが若者にとって居心地がいいということなのであろう。
図書館が幼児の遊びの場と化し、若者の集う憩いの場として存在する現状をどう考えたらいいのであろう。
地方自治体の図書館がこういう方向に向かうということは、きっと良い事に違いない。
この世の読書好きの人間なんてものは、人畜無害のナマケモノと同じであって、居ても居なくても大勢に何ら変化をもたらすものではない。

「思索紀行」

2010-05-21 07:23:59 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「思索紀行」という本を読んだ。
著者は立花隆氏である。
サブタイトルに「ぼくはこんな旅をしてきた」となっているので、彼の生涯において世界各地を歩き回った軌跡が述べられているように見えるが、恐らくここに描かれたものはほんの一部ではないかと思う。
私はこういう知の巨人と対面すると、対抗意識が心の底からふつふつと湧き出てくる。
彼は私と同年代であるので、余計そういう感が強いが、それにしても彼の生き方は驚嘆に値するものだ。
もっとも、東京大学にいとも安易に入学できた者と、如何なる大学にも入学できなかった者とでは最初から勝負にならないが、この現実は私の生涯を支配する大きなコンプレックスとして存在し続けた。
しかし、私はこのコンプレックスを内に秘めていたからこそ、自分の生涯を全うできたのかもしれない。
自分のコンプレックスになんとか打ち勝とうとする意欲、それを何とか克服しようと挑戦する気持ちが、私の生涯の精神の糧として存在していたのかもしれない。
彼のような頭脳明晰なものは、当然のこと学生運動に身を投じたとしても何ら不思議ではないが、彼の場合は、その最中に反核の映画を携えて、ヨーロッパを放浪するという生き方、その行動力は、私の当時の想像力を越えた行為である。
私自身は大学生となったことがないので、必然的に学生運動に対しても、遠い位置から傍観する立場でしかなかったが、その中に身を投じ、なおかつそれからはみ出して、ヨーロッパを徘徊しつつ、反核運動に身をささげたということは実に大いしたことだと思う。
彼のこの本は冒頭から「旅とは何ぞや!」という大命題から解き明かしているが、この部分では私とはいささか考えが違っているように見える。
私の考えでは、旅というのはあくまでも「遊び」の延長だと思っている。
「遊び」という言葉を使うと誤解を招かねないが、物事には何でもアソビが必要なわけで、アソビという余裕のない精神構造ではすぐに破綻をきたす。
昔から、古今東西、「可愛い子には旅をさせる」ということが普遍的に言われているが、これにはマルクス主義的に言えば、資産家階級の帝王学の研鑚という意味が含まれていると思う。
王侯貴族が自分の子息に未知の世界を検分させることによって、帝王学、君主論、あるいは統治の真髄を身をもって体験させる、という意味が含まれており、そのこと自体が「遊び」だと思う。
こういう背景の中では、農奴クラスや手工業者の若者の旅というは在りえないわけで、こういうものの旅といえば、兵役について戦争のための遠征という形でしか未知の世界を垣間見る機会はなかったものと思う。
ドイツには「ワンダーフォーゲル」と称して若者に無銭旅行を奨励するような運動が有ったが、あれとても基本的には軍事訓練の一環であったものと推察する。
人が旅をする、若者が未知の世界を探索に出掛けるということは、基本的には軍事的な要素を秘めているわけで、現代の人間はそういう物事の根本の成り立ちを完全に無視、あるいは自分に都合のいいように解釈している。
マルコ・ポーロでも、コロンブスでも、マゼランでも、自分の祖国を背負って、国家をバックにして遠征に出掛けているわけで、ただただ自分の好奇心を満たすために出掛けているわけではない。
考えてみれば、個人的に未知の世界を自分の目で見てみたいという欲望は、極めて贅沢な希望である。そうそう安易に誰でも彼でも出来るというものではない筈である。
まず私のようなものは、旅に出る前に自分の糊塗を凌ぐために働いて生計を維持しなければならないわけで、あそこが見たいから、ここが見たいからと言って、すぐに旅立てるわけではない。
立花隆氏とても、そういう意味では我々と同じであろうが、彼の場合は我々と同じ条件の中でも、その同じ条件を彼自身の行動力とアイデアで克服して旅に出ているわけで、そこのところが凡人の我々とは大いに違う点である。
彼とほぼ同じ世代の著名人の中には、小田実(故人)、西部進という人たちがいたが、彼らは当然のこと全共闘世代の少し前の世代で、安保闘争や学園紛争を自ら演出してきた人たちである。
こういう進歩的知識人の最大の特徴は、自分の政府や自分の祖国に極めて大きな不信感を持っているということである。
立花隆は田中角栄研究でも秀でているが、これも私の視線で眺めれば、実に妙なことだと思う。
片一方は東大に苦もなく入る明晰な頭脳の持ち主であり、もう一方は何の学歴もないまま統治の頂点に立っている人間であって、頭の良い東大出から何の学歴ない政治家を眺めれば、その政治家のすることなすこと全てが稚拙に見えることはしごく当然のことだと思う。
安保闘争や学園紛争が渦巻いていた時代には、政治家の中にもまだまだ地元の利益代表のような形で必ずしも大学出でない政治家が大勢いた。
当時の大学生が、そういう政治家に反感を募らせることも、ある意味では必然的な流れであったに違いないが、その流れを内乱状態にまで進化させたという意味では、全共闘世代の高等教育が統治に関して如何に無力かということを露呈していたと思う。
それは戦前の我々の社会を見ても歴然と露呈しており、戦後65年を経た今でも、そのことに気が付いている人は皆無である。
例えば、戦前でも日本には立派な大学、帝国大学、あるいは私学の有名大学があり、その卒業生も大勢いたにも関わらず、軍部の政治関与、軍人の独断専横を阻止できなかったのは一体どういうことなのであろう。
帝国大学あるいは有名私立大学で学んだ教養知性というのは、軍人・軍部の前で如何に機能し、如何に機能しなかったのか、ということを誰も問い直していない。
戦前は治安維持法があって知識人はものが言えなかったという言い分は詭弁である。
治安維持法だとて、エイリアンが天から降りてきて作ったわけではなく、自分たちが自分たちの思考でもって政治的手続きを踏んで出来たものである以上、それに不都合があれば自分たちで見直しを提案するのも知識人の使命ではなかったかと言いたい。
ところが、そうならなかったのは、当時の我々国民が知識人を含めて、その法律に整合性があると考えていたからであって、言い換えれば当時の民意を反映していたということである。
こう考えると、人々は高等教育の場として大学に進学することを「善」と捉えられているが、そこで学んだ教養知性というものが一向に世のため人のために還元されず、個人の立身出世のツールと化してしまっていたということだ。
頭の良い立花隆が、大学も出ていない田中角栄を、徹底的に批判して社会的に葬ってしまう行為は、世間では一ジャーナリストが巨悪の殿堂を突き崩すという風に見られているが、これってある種の弱い者いじめなのではなかろうか。
田中角栄が弱者などは誰も想像しないが、彼は無学なるが故に、金を武器にして統治のノウハウを酷使していたわけで、それが学究秀才の立花隆にとっては感に触ったということではなかろうか。
彼は若干19歳で、反核を主題とした映画を引っ提げてヨーロッパを回り、後には田中角栄研究で世を風靡したわけで、戦前の知識人にはこういう行動力を持った人はいなかった。
戦前の秀才が実に従順に体制に迎合していたという事実は、やはり当時の我々が貧乏であったということかもしれない。
貧乏なるが故に、大学で高等教育を受けても、それを体制批判に向けることを控え、体制に順応する方策を弄し、自己保存に汲々していたと解釈すべきであろうか。
戦前にも体制批判というのはあった。
5.15事件、2.26事件、その他さまざまなテロは明らかに体制批判であったが、この時の体制批判というのは、軍国主義の中の不満の発露であったわけで、優柔不断な政府に対して、もっともっと積極果敢に戦争をせよという趣旨のものであった。
そしていつの世でも体制批判というのは、世論の後押しを受け、世論の雰囲気を見事に具現化し、体制側が世論の動向に棹差して民意をくみ取っていない、という不平不満が動機として潜んでいる。
昭和初期の様々なテロ行為も、戦後の安保闘争や学園紛争も、体制批判という大きな括り方でみれば、同じ傾向にあるが、問題は、そういう若者のベクトルが相反していたことにある。
戦前の大衆の希求は、大いに戦争して国益の増大を図り、版図の拡大、言い換えれば貧乏からの脱出願望であったわけだ。
ところが戦後は、その戦争の反省の上に立って、何が何でも戦争は避けるべきだ、という反戦平和が至上命題になったが、この命題は世界秩序の中で日本一国だけでは収拾がつかない問題であった。
我々が心すべきことは、我々の国民、あるいは民族は、時の時流、時の雰囲気、ある種の潮流、思考の編流によって、全体が一丸となって右往左往するということである。
この民族的な精神の雪崩現象は、我々日本人の特質といってもいいと思うが、ここにあるのは自分の頭で考えないということである。
我々の社会の中に昔からある諺の中に「人の振り見て我が振り直す」というのがあるが、まさしくこれが我々、日本民族の本質を的確に言い表している。
私は大学を出ていないので、知的コンプレックスの塊で、頭の良い人間に対しては敵がい心が湧きたつが、世の大学という高等教育の場で行われている教養知性の培養というのは、政治には何ら寄与するものがないのだろうか。
テクノロジーの分野では、学問が実業に果たしている役割は大きなものがあるように思うが、政治の面に関してみると、良い大学を出た人が良い政治をするとは限らないように見受けられる。
ならば政治の場においては、教養知性というのは屁のツッパリにもならないということであろうか。
そもそも人を統治することと、教養知性との相関関係は全く存在しないと言ってもいいと思う。
政治というのは究極の組織の統治なわけで、組織を収めるという意味では、大企業の経営者と同じであるが、大企業の創業者には必ずしも大学出がトップに座るということにはなっていない。
戦前の日本にも立派な大学が有ったし、その卒業生も数多いたにもかかわらず、日本が奈落の底に転がり落ちるのを阻止できなかったし、今も立派な大学出の総理大臣を戴いているにもかかわらず、日本の先行きは暗澹たるもので、大学の教育の効果は一向に世の中の政治の状況を改善する方向には向かっていない、ということをどう考えたらいいのであろう。
私が思うに、今は情報化の社会といって、情報発信に大きな期待というか、情報を発信することが良き事と思われているが、この部分から考え直さねばならないのではなかろうか。
この本でも、著者が旅をして、見たり聞いたりしたことを大勢の人に知らしめるべく作られているわけで、ある種の情報発信がその狙いでもある。
行きたくても行けれない場所のことは、本を通じてでも知ってみたいし、出来ればそれをそのまま実行に移す人がいるかもしれない。
立花隆氏は、そういう大衆の希求を本にして、自分自身も儲け、出版社も儲け、それを読んだ人はもそれなりに納得して皆満足感を味わう。
しかし、世の中というのは、そういう希求の対極にいる人で成り立っており、名もない無名の人の実につまらない仕事の繰り返しの上に成り立っているのではなかろうか。
本など読んだこともない道路工事の人や、本など読む暇もない商店主のおかみさん、床屋のおっさん、飲み屋のおかみさん、バーのマスターというような人でこの世は成り立っているのではなかろうか。
毎日毎日、ルーチン化した流れ作業の中で、額に汗して働いている人たちによってこの世は支えられているのではなかろうか。
今の官僚、国家公務員というのは、官僚というだけ非常に心の根の卑しい人たちだと想像する。
この世に生を受けた一人の人間が、官僚になろうと発心する動機そのものか、心賤しき、蔑むべき動機だと思う。
仮に、官僚になろうと発起した時には、青雲の志を抱いて国家試験に挑戦したかもしれないが、それに合格さえすれば終身保障を得たことになり、その後は保身にだけ注意を払えば、死ぬまで安泰でおれるわけで、若気の至りで何かに挑戦すればリスクのみが多くなるだけで、得るものは何もないはずである。
こういう人たちが他者のために何かをするということはあり得ないではないか。
公務員の天下りはいつの時代にも問題になるが、自らが公務員でありながら、天下りしようという魂胆そのものが実に意地汚く、下劣で、賤しい心根のはずであるが、そういう認識が全くないので臆面もなくそれをするので、これこそ下賤という言葉そのものである。
彼らには人間としての誇りが最初から欠落しているので、公務員になり、その上、天下りまで狙うわけで、これほど賤しく卑劣な生き様も他にはないと思う。
あるのは、国家を食い物にして保身を図っているだけで、ただただ自分さえ良ければ、他のことはあずかり知らぬ、という発想そのものである。
こういう守銭奴に如何にして人としてのモラルを説くべきか、それを考察することも学問の大きな命題ではなかろうか。
戦前は優秀な学校秀才は揃って海軍兵学校や陸軍士官学校になだれ込み、戦後の学校秀才はこぞって銀行や商社になだれ込んだが、その心は全て貧乏からの脱出願望であったに違いない。
貧乏からの脱出さえ出来れば、自分の魂までも悪魔に売り渡したのである。
これこそがの現実の姿であったわけだが、不思議なことに、そういう仕事はその時々の一番華やかな職業であったので、心の邪なものほど、その幻惑に惑わされたのである。
その時代時代において一番華やかな職業というのは時代の寵児であって、花の中にある密と同じで、その密にありつこうと群がるものは基本的に自己中心主義者であって、自分がまず最初に一番おいしいところを確保し、残りを周囲に分け与えるべく、尤もらしい論理を構築するのである。
こういうことが出来る者は、頭の良い頭脳明晰な人間しか出来ないわけで、凡庸な人間は何時も出し抜かれて、冷や飯を食わされているのである。
昭和初期に日本を奈落の底に突き落としたのも、戦後の経済復興をバブルにまで押し上げ、再びそのバブルを崩壊させたのも、日本の中の頭脳明晰、学術優秀な秀才たちではなかったではないか。
工事現場の土方や、八百屋のおばちゃんや、魚屋のおっちゃんが、日本を崩壊させたわけではない。
ならば、日本の教育界、日本の大学、日本の高等教育は、何のために存在していたのだと言わなければならないではないか。
そもそも教育が立身出世のツールとなっている点からして、日本の学識経験者といわれる人たちは、教育を根本から考え直さねばならないのではなかろうか。

「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話・下巻」

2010-05-17 17:09:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話・下巻」を読んだ。
先に、上巻を読んだのでどうしても下巻も読まなければ自分自身納得できないので果敢に挑戦してみた。
同じ日に上下2巻とも借りてきてもよかったが、ひょっとして読み切れなかったら意味をなさいと思ったので、少し間をおいてみた。
で、図書館の開架式の書棚で下巻を探してみたが何処にあるか分からなかった。
書棚の前でうろうろしていたら、係員が私の返却した上巻を書棚に収めようとやってきた。
その収めた場所に下巻が有ったので、自分で探しまわる手間が省けた。
この本は近年まれにみる良質の本であった。
アマゾンの奥地で、ネイティブな人々がどのように文明に毒されていくのかが手にとるように分かる。
アマゾンの奥地のネイティブな人々を俗化させる最大の敵は、キリスト教の布教と称する近代文明の押し付けである。
このキリスト教の布教がネイティブな人々の俗化に拍車をかけているわけで、その功罪にキリスト教徒自身が気が付かずに、彼らからすれば自分たちの布教活動がネイティブな人々に幸せをもたらすと勘違いして、自分たちは彼らのために良い事をしているのだという思い違いに気が付いていないことだ。
ヨーロッパのキリスト教文化と、他の地域のネイテブな人々の文化には、大きな格差があることはいなめない。
この文化の相違を格差と認識すること自体、先進諸国の驕りの思考かもしれない。
ヨーロッパのキリスト教文化圏では、確かに文字を持たないネイティブな人々の文化よりも進んでいると思われることは、ある面ではいた仕方ない。
弓矢で獲物をとるよりも、銃で獲物を撃ち落とす方が確実で効率的なことは疑う余地はないので、ネイティブな人々に銃を見せれば、誰でもそれを欲しがることは当然であるが、それはあくまでも生活のための手段の効率化であって、それがそのまま人々の幸福感の向上につながっているわけではない。
ネイティブな人々からすれば、自分たちが弓矢で獲物を追い回ことが如何にも古臭く、非効率だということを認識すれば、ますますキリスト教文化圏の文明の利器に憧れを抱くわけで、彼らはそういうものとの接触を繰り替えすうちに、自分たちの伝統の文化に愛想を尽かし、新しいものに心を奪われるということになる。
キリスト教の布教は、そういう原住民の心の動きに微妙に呼応して、改宗に導いていく。
原住民が、西洋のキリスト教文化圏と同じ価値観を持つことは良い事だという、キリスト教布教団、伝道師の思惑の通りに事が運べば、彼らは大いなる成功を収めたことになるが、それは同時に環境破壊を引き起こしていることに彼らは気が付いていない。
ネイティブな人々は有史以来、環境順応的な生活を維持してきたわけで、彼らは意図せずして自然環境の再生機能を上手く利用して今まで生きていたわけである。
彼らは日々の生活の中で常に学びながら、学んだことを直ちに実践しながら、その経験を知恵として長老の頭の中に記憶させて、それがシャーマンという仙術師として存在し続けたのである。
人間の生身の体というのは、何時も何時も危険にさらされているわけで、アマゾンの奥地では寝ていてさえも、蚊に刺され、虫に刺され、毒蛇に噛まれるという危険が転がっており、その対処方法としては薬草の使い方を熟知しておれば、危機の対処としてはかなり有効な措置が出来るわけで、そういう意味でこの本の著者は原住民の古老から薬草の知恵を聞き出そうと努力していたわけだ。
人類の起源は、最近の研究ではアフリカということらしいが、そのアフリカで誕生した人類は、アジア大陸を横断して、アリューシャン列島を渡り、北米大陸を縦断し、南米大陸にまで及んだということであるが、その間何万年、何十万年という歳月の中で、原始の人類のままの姿で生き残ったのがこの地、アマゾンの奥地に住みついた原住民ということだ。
西洋のキリスト教文化圏の興隆というのは、その何万年、何十万年のうちのたった2千年でしかない。
このほんのわずかな時間の中で、ヨーロッパ系の白人は、地球上の他の人々を隷属させる仕儀に至ったわけで、これは見方を変えて眺めると、人類滅亡のたん緒になっているかもしれない。
地球上に誕生した動物・植物の中で、過去に絶滅した種も数えきれないほどあるわけで、仮に人類が滅亡したとしても、地球の在りようにとっては何ら不思議でもなんでもない出来事だと思う。
そもそもキリスト教徒がアマゾンの奥地に住むネイティブな人々に、キリスト教を布教するということは、人類の生存にとってどういう意義があるのであろう。
この地球上で、キリスト教を信じる人が増えようと減ろうと、キリスト教以外のものには何のかかわりもないことであって、そのことに一喜一憂するのはただただキリスト教徒のみである。
この本では端折っているが、アマゾンの奥地に住むネイティブな人々の生活を脅かしているものに、白人の農業開拓者や、金鉱探しの白人の存在が述べられているが、こういう人たちはネイティブな人々の生活を直接的にかつ暴力的に脅かしているわけで、彼らはこういう人達との接触を通じてますます俗化しているようだ。
我々はともするとアメリカの西部劇の影響で、荒野を切り開く開拓農民というのは善玉のイメージで捉えがちであるが、自然環境という見地から見ると、彼らは環境破壊の最たるものであり、ネイティブな人々の文化という面からすれば、破壊者そのものだろうと思う。
キリスト教の伝道師が、ネイティブな人々に対してキリストの功徳を説き、説教をする前にすべきことは、アマゾンの奥地まで入り込んだ開拓農民や、金鉱探しの白人に対してキリスト教徒としてミニマムのモラルを説くべきだと思う。
しかし、アマゾンの奥地までやってくるキリスト教の伝道師は、この地に有史以来住み続けているネイティブな人々を、自分と同じ人間とは見做していなかったのではないかと思う。
彼ら、キリスト教徒の価値観からすれば、この地に住むネイティブな人々の存在は、何処まで行っても野蛮人そのものであって、自分と同じ人類という範疇には入っていなかったものと推察する。
ヨーロッパ系の白人の中には、自分たちと同じ白人以外のものは全て野蛮人、サルの親戚、家畜と同じ生き物という認識が普遍的に広がっていたのではなかろうか。
こういう認識が有ればこそ、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として使いこなせたわけで、こういう認識が普遍的であったればこそ、キリスト教徒の伝道師たちは、人の形をしたネイティブな人々に、自分たちと同じ価値観を植え付けようと彼らなりに努力したのではなかろうか。
ヨーロッパのキリスト教伝道師がアマゾンの奥地のネイティブな人々にキリスト教的な物質文明を教えようとした背景には、当然のこと、キリスト教的な善意の押し売りが有ったわけで、彼らの心の中には自分たちの振る舞いは、神からの宣託を受けた上での清らかな精神の昇華という価値感であったろうと推察する。
彼らの思いとしては、腰蓑一つで財産といえば弓矢程度のもで満足している人たちに、キリスト教的な価値観を教えれば、彼らもきっと豊かな生活を夢見て、奮闘努力して生活の向上に心がけるに違いないという思いがあったものと考える。
キリスト教の伝道師にしてみれば、自分たちがネイティブな人々にキリスト教的な価値観を教えることによって、彼らの民族が民族ごとこの地球上から消滅するなどとは思ってもみなかったに違いない。
しかし、結果としては、不用意に近代的な物質文明に接触した諸部族は、目先の利便性に幻惑されて、彼らの伝統や風習を放棄し、彼らの長老が経験から習得した様々な知識や知恵を軽んずるあまり、自らの生き方そのものを見失ってしまったわけだ。
我々のように、近代的なあるいは現代的な物質文明に慣れた人たちは、新しい経験からそれなりの生き方を模索することも可能であるが、未開の地の人々がいきなり物質文明の中の放り込まれたとしたら、物質文明に順応する術を持っていないので、それこそ陸に上がった河童のようなもので、何ら成す術もない。
あるのは民族の絶滅しかないということになる。
例えば、狩りをするのに鉄砲を彼らに与えても、その弾を十分に与えないことには、その鉄砲は宝の持ち腐れになるだけで、そういう状況下に立たされると彼らは、その先の生き方を工夫しきれず、民族ごとこの地球から消滅するということになる。
アマゾンの奥地に住む人々と、我々、先進工業国の間には確かに大きな文化的な格差があって、我々はこういう低開発国、発展途上国に対して、そういう国々の発展を支援しなければならないと頭から思い込んでいる。
富めるものが貧しいものに対して無償の愛を授けることは良い事だ、という固定観念に呪縛されている。
そして、その支援として一番普遍的な行為は、資金を投入することであって、その資金で彼の地の社会的インフラ整備をすることは、富める国の責務だという発想になりがちである。
しかし、彼の地のネイティブな人々の最大の幸福感は、今まで通りの生活の継続ではないかと思う。
弓矢で狩りをし、自給自足の経済システムの中で、貨幣経済の枠外に身を置くことではないかと思う。
彼らに現代的な生活を提供することは、富めるものの独善的な思い上がった思考で、彼らの立場からすれば、自然に中にそっと置いておいてもらいたい、というのが本音ではないかと思う。
そういう環境を彼らのために整えてやることが、彼らにとって最大の貢献ではないかと思う。
しかし、このように他者に対して何もしない親切というのは、親切のうちに入らない、というのが我々の側の価値観でもある。
未開の人たちに何か支援するとなれば、やはり金をバラまいて、そのバラ撒いた金を、彼の地の社会的なインフラ整備という形で、再び先進国の工業社会にリターンさせるというパターンに落ち着くと思う。
今の我々のコモンセンスでは、こういう行為は極めて慈悲に富んだ、開明的で、進歩的なアイデアと思われているが、こういう思い込みこそ偽善そのもので、世の賢者と称せられる人たちは、そういう偽善にコロリと騙されている。
未開の地に住む原住民に対する最大の貢献は、先進国に住んでいる人々が、何ら偽善的行為をすることなく、何もせずに、何も足さず、何も引かず、ただただ黙って見守ることだと思う。
キリスト教の伝道師の布教などもっての外で、伝道師たるもの未開の地に一歩たりとも入れるべきではない。
それと合わせて、この本の著者は植物学者でもあるわけで、当然のこと、学者の見地からネイティブな人々のまわり植物から、その薬効を聞き出そうとしており、彼の研究で植物と薬効の効果が学術的に整合性が立証されれば、それは製薬会社としては大きなビジネスチャンスになる。
もしそうなったとすると、薬効のある植物の乱獲が危惧される。
現場でそういう薬草の乱獲も大いなる問題ではるが、それとは別に、そういう植物を培養するという行為も自然界の摂理をかき乱すことになるのではないかと思わざるを得ない。
人類は、自分に適した食べものを求めて地球上を放浪していたわけで、食べものの原産地が何処であろうと、必要とならば何処でも栽培する知恵とノウハウを持っているようだ。
人間にとって、食べるということは生を維持する根源的な欲求なわけで、原始的な人々は、それを経験則で伝承しているが、近代の人間はそれを文字に描き残して、広範囲に技術の伝承に貢献している。
それで人間は豊かな食生活を得たが、人間の食生活が豊かになればなるほど、我々をとり囲む自然環境は疲弊していく。
今に生きる我々の感覚では、農業は自然相手の環境に即したエコロジカルな生き方だと思われがちであるが、それはとんでもない誤解で、そういう誤解に陥っているのは、紛れもなく知的階級であって、机上の議論に現を抜かしている賢者と称せられる人々だ。
農業が反エコロジカルな生き方だというのは確かに極論ではあるが、そうしなければ人類そのものが生きていけれないわけで、我々、人類というのはもう後戻りできないのである。
そもそも我々が貨幣経済に依拠している限り、自然にやさしい農業、環境に配慮した農業というのはあり得ない。
というのは、米一粒、麦一粒でも多く収穫すれば、それが貨幣経済に敏感に反応するわけで、我々の経済が貨幣経済でまわっている限り、人間は自分の欲望をコントロールすることが不可能なわけで、より高収益という実績を追い求める。
こういう状況が続く限り、人間の自然回帰ということはあり得ないわけで、それは同時に環境問題にもそのまま反映されている。
今、地球の環境や、温暖化、炭酸ガスの放出の問題、自然破壊の問題で人々が大きな声で叫んでいるのは明らかに欺瞞行為で、自分を正義の味方に見せようというプロパガンダに過ぎない。
この本の著者は、アマゾンの奥地で、薬効のある植物を探しまわっていたが、そういう点に関しては我々の身の回りにある雑草にも、ずいぶん薬効のある草が存在する。
例えば、正月の後に食べる七草粥というのは、その全てが薬効のある草であって、その薬効の効果を知っていたからこそ、あの時期に合わせて行事として取り行っていたに違いない。
また我々の周りにごく普通にある雑草でドクダミという草は、我々がまだ幼少の頃から、子供ながらにもその薬効を知っており、それを使いこなしていた。
ドクダミがどういう成分を含んで、それがどういう風に利用されているのかいないのかは定かに知らないが、そういう類の研究は非常に興味ある分野だと思う。
我々はともすると西洋医学を頭から信じ込むきらいがあるが、中国の漢方というのは、恐らく西洋医学よりもそのキャリアーは長いと思う。
西洋医学というのは、物事を論理的に追い込んで、論理の整合性から結論を導き出しているため、実験を重視して、実験の結果から真実を導き出そうとするが、漢方は経験則から薬の効用を導き出しているので、その薬効の現れる過程で、論理的な説明が追い付いていない。
よって、何となく懐疑的に見られているように思う。
しかし、今では薬品の分析の技術も、解析のテクニックも、格段に進歩したので、漢方の薬効を学問的に解明してしかるべき時だと思う。
私が心配するまでもなく、既にそういうことは行われているであろうが、中国の4千年とも5千年とも言われる経験則が全く信用ならないということはあり得ないことだと思う。
アマゾンの奥地のネイティブな人々も、我々と同じ時間経過を共有しているわけで、惜しむらくは彼らが文字を持たなかった点である。
その意味で、この本の著者が、自分の研究成果をこれらのネイティブな人々に分け与え、これらの人々がそれを自分たちの言葉に翻訳するということは実に素晴らしい事だと思う。
そのことによってシャーマンの持つ経験則から導かれた草草の薬効は大いに役に立つものと思われる。

「中国国境列車紀行」

2010-05-16 18:35:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「中国国境列車紀行」という本を読んだ。
題名の通り、中国から列車に乗って国境を越えて余所の国に行くというものであるが、今時、大陸を旅行するのに列車を使うというのも珍しいことだと思う。
世の中には列車や鉄道のフアンというのは大勢いるようだが、こういうことも日本だけのことのような気がしてならない。
鉄道フアンというのも世の中のいることは確かだと思うが、そういう趣味の人は、模型の列車を走らせて悦にいるというのが大部分ではないかと思う。
日本でも鉄道模型の会社は数々あって、世界的に有名なものにはドイツのメルクリンの鉄道模型があることは承知しているが、鉄道フアンにも様々な態様があるようで、この著者の場合は、世界の珍しい鉄道を乗り歩くことに無上の喜びを感じるというタイプのフアンらしい。
私も満更鉄道が嫌いなわけではなが、かといって列車を乗り歩くことを生業にするほど嵌っているわけではない。
旅先で珍しい機関車や列車に遭遇すれば、「儲けものをした」という程度の感動を覚えることは確かであるが、あくまでも趣味の範疇に過ぎず、それを生業にする気などさらさらない。
日本以外の国では、列車にしろ、機関車にしろ、あくまでも生活の道具であり、社会的なインフラの一部であるわけで、それについての蘊蓄を自慢し合うようなものではないはずである。
それぞれに趣味の範囲のことなので、いらぬ干渉は御免こうむりたいという声が聞こえそうであるが、こういう発想のもとにあるのが、日本の豊かさの中に潜んでいる傲慢さだと思う。
一人一人の人間はそういうことに全く無意識的に、ただ単純に好きだからという動機であろうが、自分の行いが豊かさの中に埋没した傲慢なる振る舞いだ、などと思ってもいないに違いない。
ところが、こういう無意識の感覚がさらなる問題を引き起こす。
この本の中に描写されている大きな荷物を背負った彼の地の人々の姿は、我々の40年前50年前の姿であったわけで、当時、我々はそういう人たちのことを「担ぎ屋」と称していた。
生産地で品物を仕入れ、それを肩に担いで鉄道を使って消費地に向かい、そこで売りさばくという商売が立派に通用していたわけである。
こういう人たちからすれば、鉄道の写真をとるための旅行などということは驚天動地のことで、金持ちの道楽ぐらいにしか思われないのは当然であろうと思う。
その旅行が学術調査ともなれば、何がしかの整合性もありうるが、ただただ写真を撮るための旅行ともなれば、まさしく放蕩という言葉と同義語に映るに違いない。
本人は、旅行記という文章を書いて、それに写真を添えて、本を刊行して金儲けにつなげるつもりかもしれないが、そういう生き方はこういう土地では眉唾ものとしての認識でしかない筈だ。
額に汗して働いていないことには変わりがないわけで、その意味で胡散臭い人間と見られるのもいた仕方ないと思う。
話は少々飛躍するが、日本以外の国では列車のダイヤがまことに雑で、定時到着、定時発車ということが極めて少ないと言われているが、よくそれで衝突事故が起きないものだと不思議でならない。
日本で、首都圏のJRの列車運行を見ていると、列車が時間通りに動かなければ、すぐにでも衝突事故が起きそうに思うが、結構それで事故も無く回っているようだ。
やはりそういう面でも我々日本人の几帳面さというのは世界的に見て並外れたもののようだ。
2005年JR福知山線の尼崎で起きた列車転覆事故でも、直接的な理由は、運転手のスピードの出し過ぎということであったが、運転手に延着をしてはならない、遅延をしてはならないという無言の圧迫をくわえたのは、不特定多数の乗客の方だと思う。
運転手個人にあてたものではなくとも、JRという会社、あるいは組織全体に、そういう要求を無言の圧力として、あるいは責務として押し付けたのは、世論と称する世間一般の暗黙の声だったと考えるべきだ。
5分の遅延も許さない、10分の遅延も許さないというのは、乗客がJR側に無言のうちに圧迫し、要求するものであって、定時到着が当然のサービスだとする利用者の側の思い上がった潜在意識であった。
それを運転手は常日頃、肌身で感じていたので、それに応えるべく1分か2分の遅れを挽回すべくスピードオーバーオーに至ったものと考える。
事故が起きた後では、「そんなに急ぐことはなかったのに」と自己弁護するが、現実に事故にならずに1分の遅延、2分の遅延を乗客は寛大な目で見るであろうか。
決してそんなことはないと思う。
亡くなられた乗客はまことに気の毒だとは思うが、ほんのわずかな遅延も許さないという風潮は、乗客の側に深く根ざした自分勝手な欲求であったものと思う。
首都圏の鉄道の過密ダイヤは、こういう乗客あるいは国民の要求に応えるべく関係者が知恵を絞った結果としてあるわけで、それは一人や二人の責任に帰するものではなく、我々の民族の潜在意識としての几帳面さの表れでもある。
それに引き換え、外国の鉄道というのは、世間そのものが秒単位、分単位で動いていないので、時間的にはかなりおおらかな感覚があるがため、こういう過密ダイヤというのはあり得ない。
考えてみれば当然と言えば当然のことである。
この本の中に描かれている大陸の横断鉄道のある地域というのは、日本で言えば過疎以上に過疎の地域で、一言でいえば無人の砂漠、無人の荒野の鉄道なわけで、一日に列車の運行が一本あるか無いかの地域である。
昔はラクダの背に揺られて行き来した地域なので、仮に一日一本の列車であってとしても、それによって運べる荷物はラクダの何十頭分にもなるわけで、それで十分に文明の利器の要因を満たしている。
それと同時に、軍事的にも大きな意義を潜めているが、平和ボケの我々には、そういう面については全く思考が回っていない。
この文章の中にも、一言二言「軍事的に」というフレーズがあるが、それは鉄道のレールの幅に関して、国を越えるとレールの幅が違うというところの記述にかろうじて表れている。
日本という国の存立はアジア情勢に大きく揺らがざるを得ない地勢的な位置に屹立している。
日本とアジアの関わりでは、日露戦争の時から中国大陸とは大きなかかわりが有ったわけで、我々がアジアに係わるときは、中国とかロシアという各個の国という枠組みで考えるべきではないと思う。
日本という島とアジアの大陸という大きな枠組みで考えなければならないと思う。
というのは、中国でもロシアでも、相手にしてみれば日本という国など小さな島国という感覚で見ているわけで、そのちっぽけな島がなかなか自分たちの思う通りにコントロール出来ない点にジレンマを抱えている筈で、そこに先方としては焦燥感を募らせているのである。
ロシアが、モスクワからはるばるシベリヤ鉄道を作って、太平洋にまで出てくるということは、軍事目的以外あり得ないではないか。
しかし、彼らにしてみれば、そういう言い方はしないわけで、彼らの言い分からすれば、シベリアの開発という言い方になろうとも、その本音の部分にはロシアの東方の軍事力強化でしかない。
古くは日露戦争、ノモンハン事件、第2次世界大戦の終結では、このロシアの鉄道、シベリア鉄道は、その存在意義を如何なく発揮したではないか。
そういう見地から鉄道というものを眺めれば、日本の首都圏の過密ダイヤは、全く意味を成さないことになり、仮に一日-本の列車運行、たった一本の列車運行でも、戦車を何十両、大砲を何百と運ぶことが出来れば、戦略的にこれほど優れた条件もまたとないわけで、まさしく文明の利器の値打ちを十分に示すことが可能ということである。
にもかかわらず、ロシアと中国というのは、あるいは中国とベトナムの関係は、これからも平和的な関係で在り続ける確たる保障はないわけで、その為には中国とすれば国土の細部にまで、くまなく鉄道を敷設することは軍事的にも大きな意義があるということである。
この本の著者は歴史家ではないので、日本の歴史に深く関わっている鉄道に特別な関心を寄せているわけではないが、それでも旧満鉄およびそれに付随して朝鮮で日本が敷設した鉄道にも話が及んでいる。
満鉄に関してはロシアが敷設した面もあるが、朝鮮の鉄道に関しては、日本が寄与した部分がかなりあるはずである。
しかし、それが朝鮮戦争で分断されてそのままになっているらしいが、こういう点にアジア人の民主化の未熟な部分が見事に露呈している。
朝鮮半島の問題は、我々日本人にはあずかり知らぬ話で、彼ら自身の問題であるが、第3者としての部外者の意見としての偽らざる言い方をすれば、実に愚劣な在り方ということは言える。
南北双方ともイデオロギーのために自分で自分たちの首を絞めているようなもので、同じ民族同士でありながら、双方で和解を拒むということは実に愚昧なことだと思う。
鉄道に関していえば、日本が敷設したものをわざわざ破壊して、せっかくの文明の利器を反故にしているわけで、その結果としてわざわざ不便な生活に甘んじているこれを我々はどう捉えたら良いのであろう。
私の個人的な考えでは、この世に生れ出た赤ん坊には人種による能力の違いはないものと思う。
白人の赤ん坊も、黒人の赤ん坊も、黄色人種の赤ん坊も、アフリカの赤ん坊も、エスキモーの赤ん坊も、赤ん坊である限り、それぞれの赤ん坊の能力の差はないと考える。
ところが、それが生育する過程で、それぞれに社会的な影響を経ることによって、それぞれに能力の差が生じ、発想の枠が決められ、思考方法が固定され、ものの考え方が偏向して来る。
結果として、成人に達した時はイデオロギーでがんじがらめに束縛された狭い思考に固定されてしまって、広い視野を持つ機会を失い、狭量的な思想の鋳型に抑え込まれてしまうものと考える。
朝鮮半島の現状にそれがよくあらわれているわけで、同じ民族でありながら、戦後65年間も、それぞれに相反するイデオロギーのもとで育てられたので、もう和解の糸口さえ見つけられなくなってしまっている。
我々の例を見ても、我々の過去の軍国主義というのは昭和の初期の20年間であって、その後65年間というものは民主主義、平和主義の中で人々は生育したので、民族の根本的な潜在意識さえも異質なものになってしまった。
昨今のようにグローバル化した世の中の中では、祖国とか民族という概念さえも喪失してしまって、人は皆平等で平和を愛し、敵の存在という概念さえが理解不能になってしまったが、我々の周囲にはそういう認識に至っていない国々があるという現実さえ直視することを避けるようになってしまった。
本論に戻ると、この本の中には旅のエピソードという形で述べられていることに、中国の官憲のモラルの低さが語られているが、その部分が私の読後感として、中国に遠慮して歪曲になっているのではないか思える部分がある。
旅行者のパスポートをとりあげて、「返して欲しければ金よこせ」という態度は、まさしく山賊、盗賊、追剥そのものであるが、これはモラルの問題を通り越して、中国の民族の深層心理にまで浸透した民族性だと思う。
最近の一番ホットなニュースで、昨日(15日)日中韓3国外務大臣会議で、日本が中国側にクレーム(日本の自衛艦に異常接近した中国軍ヘリの問題)を呈すると、頭からその責任をこちら側に転嫁する論法というのは、中国特有の交渉術で、こういう交渉の仕方というのは我々にはまったくなじまない方法である。
ところが、それを臆面もなく披歴して平気な顔でいるという神経が中国人の民族性そのものである。
「ああ言えばこういう、こう言えばああいう」という論法は、中国人が如何に口喧嘩が上手かということを如実に表しているが、この論法でいけば19世紀から20世紀に西洋人から凌辱されることはなかったのに、そうなったのは彼らの白人コンプレクスであったに違いない。
紅毛碧眼の西洋人には実に卑屈になるが、同じモンゴロイドの日本人に対しては、中華思想を振りかざして、夷狄と見做して蔑視して憚らないのである。
我々も、中国側の対応には心して慎重に罹らねばならないが、我々はどうしても謙譲の美徳とか、以心伝心という日本的情緒主義が前面に出がちで、なかなか中国と対等の立場という認識に至らない。
我々にとっては、相手が日本文化の父という意識が抜けず、そこに先の戦争の贖罪が覆いかぶさって、中国人が紅毛碧眼の西洋人にコンプレクスを抱いているのと同じように、我々も中国人に対しは目に見えぬコンプレックスに苛まれているようだ。
鳩山政権の沖縄の普天間の問題でも、鳩山首相は沖縄に対して「良い格好しい!」で、5月末までの答えを出すと言い続けてきたが、それは最初から有りえないことであったが、彼はそれを言い続けてきた。
彼が安易に「5月末までに結論が出る」と言ったことは、あまりにももの事を知らな過ぎるということであって、自分自身も認めているように、海兵隊の本質そのものを知らずに移転できると思い込み、そう発言してきたわけで、像の尻尾を握ってそれが全体だと思い込んでいたことと同じだ。
彼自身、この問題は「沖縄だけの問題だ」と認識していると思うが、そもそもこの思い込み自体が大きな過ちである。
しかし、彼は恐らくそのことに気が付いていないと思う。
こういうのを普通はバカ、無知、阿呆と言うと思うが、我々の国のトップがこういうものであっていいものだろうか。
彼も戦後世代の人間で、戦争というものの実態も知らなければ、本質も知らず、軍事、軍備、祖国、主権、国益、安全保障、外交交渉、歴史、経済、こういうもろもろの事を知らずに総理大臣という椅子に座っていて良いものだろうか。
民主主義の政治では、その責任は彼を選んだ国民の側にブーメランのように跳ね返ってくるが、我々の側にそういう認識があるのであろうか。
先に述べたJR福知山線の脱線転覆事故は、直接的には運転手のスピードの出し過ぎであるが、その背景には、乗客の側が定時発着を至上のサービスと認識し、それを強く要求する暗黙の押し付け、遅延を全く許さない厳しい要求が有ったことを忘れてはならないと思う。
こういう乗客の側の声というのは、実体がつかめないわけで、誰それが言ったという個人を断定できないので、有象無象の大衆の無責任な発言に埋没してしまっている。
ところが、そういう姿の見えない大衆の中に「鉄道たるもの一刻一秒たりとも遅れてはならない」という極端な潔癖性が潜んでいるものと考える。
そしてそれは我々の民族としての几帳面さの表れでもある。 

「国道151号151話」

2010-05-15 08:07:24 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「国道151号151話」という本を読んだ。
正真正銘の国道151号を起点から終点まで克明に描き綴った作品であったが、ドキュメンタリーとしての出来はあまり芳しくない。
著者の内藤昌康という人が若い人なので、若い感覚で貫かれている、と言えば聞こえはいいが、実質的にはドキュメンタリーの本としての出来上がりが未熟だと思う。
発行所が「春夏秋冬叢書」という人を食ったようなところで、写真も多用されているが、その写真に関して画質調整という作業?を行ったことを示すのであろう、山本典義と堂々と名前まで挙げているが、この写真がいただけない。
モノクロという部分では、何らかのポリシ-で以てそういう手法をとったのであろうが、写真のコントラストが強過ぎて何が映っているのかさっぱりわからない。
151号線という現実にある国道を起点から終点まで克明にルポするという意図は、非常に優れていると思うが、それを本にするとなれば、やはりもう少し読む人の心を斟酌して読みやすく、見やすいものに仕上げるべきだと思う。
この151号線という国道は、私も若いとき、車で走り回った地域で、まさしく日本のチベットに匹敵する僻地である。
綴ら折れの山道を登っていると、「どうしてこんな山奥に人が住めるのか」、と思いたくなるようなところばかりである。
こちらは遊びでドライブをしているのに、山奥の坂道の脇に民家があって、そこでは年老いた人たちが背中に籠を背負いながら行き来している姿を見ると、こんなところで生活できるのが不思議に思えたものだ。
こちらは遊びのドライブだから夕方には自分の家に帰りつき、何事も無かったように普通の生活に戻れるが、あんな山奥では買い物をどうしているのかこちらが心配になってきたものだ。
しかし、この本を読んでみると、ああいう山奥の生活が不便なことは昔も今も変わりないわけで、その人々の不便さに対して、地域の篤志家という人たちが私財を投げ出して、村人のために道を直し、橋を掛け、鉄道を引こうと努力した人がいることがと述べられている。
この著者は、ルポルタージュを進める中で、そういう歴史的事実に直面しても、その事実に対して少しも感動をしていない。
これは私との年齢の差による感性の違いなのかもしれないが、私ならば村の篤志家が村人の便宜を図るために私財を投入したという事実に直面すれば、大きな感動を覚える。
昨今では、公共施設の建設に対しては反対することが普通であって、その反対する本音の部分は、より多くの補償金の略取を図っているにすぎない。
一本の道路をつくる、一本の橋を架ける、こういう公共工事に直面すれば、当然、賛否両論が出ることは普通である。
そのことによって利害関係に大きな影響が出るので、利害得失を巡って意見が分かれることはいた仕方ないが、その前に公共の福祉に協力するという発想というか、気持ちというか、人のために何かをする、人のためになることをする、という思考そのものが欠落していると思う。
昔の日本の金持ちというのは案外人のために自分の金を使う、公共のために私財をなげうつ、という行為があったみたいだ。
この国道151号線に沿っては、昔から飯田線という鉄道がほぼ平行して走っているが、この飯田線を始めとする日本の鉄道も、その始原はそれぞれのローカルの金持ちが、地域の人々の交通の便を図って作った私鉄が元になっているわけで、地域の金持ちもそれでひと儲けを狙ったかもしれないが、表向きの理由としては、地域の人々の交通の便を図ったつもりが、採算割れで経営が立ち行かなくなり統合されたということだと思う。
昔の日本では民主主義が未熟だったとはいえ、他者のために何か役に立つ事業をしよう、という素朴な善意があったように思う。
だから私財を投じて道路を作ったり、トンネルを掘ったり、鉄道に駅を寄付したり、という行為が散見された。
こういう気風が完全に消滅したのは、やはり戦後の新しい民主主義の到来であったのではないかと思う。
昔の日本人には、学問的な民主主義の意義とか本質は知らなくとも、「他者のために何かをする」ことは有意義なことだ、という大義は肌で感じ取っていたに違いない。
ところが戦後の民主主義の中では、体制に順応すること自体を悪弊と認識し、政府、行政、自治体、という人々を管理する側に対しては、非協力こそが人としての道だと勘違いしてしまったのである。
だから「皆さんのために此処に道を作ります、此処に橋を架けます、此処に飛行場を作ります」と言ってもそれを信用しないのである。
信用しないと言うよりも、そういう公共工事に反対することによって補償金の嵩上げ、積み増しを狙っているわけで、単刀直入に「金よこせ!」とは言い難いので、「先祖の土地を守る」と詭弁を弄するのである。
政府、あるいは国家の言うことが信用できなくなった経緯というのも解らないではない。
あの戦争の惨禍は、国民が国を信用していたから起きたわけで、戦争が終わってみれば、国民は政府に騙されていたことは歴然としたわけで、そういう経験から国民が政府を信用しきれないというのも無理からぬことではある。
道路をつくる、橋を架ける、飛行場を作るについても、現実にそのために土地をとられる人もいるわけで、少々の反対運動というのはいた仕方ない。
問題は、それに便乗して補償金のつり上げを企む人たちの存在である。
ここに戦後の民主主義のさもしい心根が潜んでいるわけで、まさしく拝金主義そのものに汚染されてしまったということだ。
この本の著者も、戦後生まれの戦後育ちで、戦後の民主主義教育で育てられた人なので、「地域の篤志家が私財を投じて道路を作った」と聞いても何の感動も受けていないようだ。
私はこれは極めて大事なことだと思う。
この世の中には人々の功績を顕彰して表彰する制度は数多くあるが、こういう実績を示した人ほど、顕彰に値し、表彰に値する人だと思う。

「ありがとう物語」

2010-05-12 07:07:28 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ありがとう物語」という本を読んだ。
著者は鈴木健二氏。
言うまでもなく元NHKのアナウンサーで、テレビでおなじみの人であるが、彼がNHKを退職してもう20年近くなることが、私にとっても大きな驚きである。
別に私が彼と親しい間柄というわけではないが、テレビでよく見ていた顔だと思うと、何となく親近感を抱いてしまう。 
その彼が、我々の普通の生活の中で「ありがとう」という言葉を使えば使うほど、世の中のギスギスさがいくらかでも減るのではないか、ということを縷々述べている。
確かに今の我々は「ありがとう」という言葉をあまり言わないようになったみたいだ。
私は10年程前、アメリカを観光旅行で回ったことがあるが、彼の地では若い人でも、またアメリカ映画の中でも、人々はお互いに「サンキュー」という言葉を発し合っている。
「サンキュー」という言葉は、我々の言葉に変えれば「ありがとう」ということになるわけで、そのことについて日本の知識人の間では、アメリカは他民族がまじりあっているため、言葉で自己の意思表示をはっきり示さないと立ち行かないのでああいう風になるのだと解説していた。
確かにそういう分析も成り立つかもしれないが、要はその地に住む人々の心の問題なわけで、その地に住む人々の心の性根が温かければ自然に「サンキュー」という言葉が出ているに違いない。
私はこのアメリカの観光旅行から帰ってからというもの、自分でも「ありがとう」という言葉を何時も何時も積極的に言うように努めている。
コンビニで何か買い物をしても、わざと周囲の人に聞こえるように大きな声で言ってみる。
店員の方は、その店のマニュアルに従って、慣用句として言っているのであろうが、そういう作為の中でのやり取りであったとしても、「ありがとう」という言葉が飛び交うことはいいことだと思う。
コンビニでも、スーパーでも、店員の方はその店のマニュアルに沿って挨拶というか、感謝の言葉を言って客と対応しているが、それはそれでいいと思う。
問題は、いい年配の大人が店員から「毎度ありがとうございます」と言われて、その言葉を無視するように沈黙していることである。
病院で名前を呼ばれても返事をする人が実に少ない。
病院の待合室で名前を呼ばれて、旧軍隊のように大声で複唱することはないが、少なくとも自分がそこにいることを呼んだ人に解らせるぐらいのアクションはあってもいいと思う。
無言のまま進みでるよりは、「ハイ」と返事をするか、手を上げるか、自分がいることを呼んだ人に解らせた方が、呼んだ方にも自分にも人間味のある対応になるはずである。
こういう様に、我々にとって、日常生活の中の当たり前のことが当たり前で無くなった、ということは一体どういうことなのであろう。
人に何かしてもらったので、そのお礼として「ありがとう」という発想ではあまりにも料簡が狭いと思う。
お礼にふさわしい行為をしてもらったので、その行為の見返りとして「ありがとう」というというのでは、あまりにも心が寂しいではないか。
著者自身が言っているように、東京が空襲を受けて灰燼と化すまで、東京の下町には日本の古典的な躾というか、生き様というか、分をわきまえた立ち居振る舞い、身の処し方が生きていたことは確かだ。
それは、東京が江戸と呼ばれていた時代から連綿と生き続けていたであろう、人としてのモラル、倫理、儒教思想を根本とする封建主義思想であったに違いない。
ところが、こういうものが敗戦で一挙に価値を失い、その戦争に生き残った日本人には、もうこの時点でモラルや倫理、生き方について考えることの礎を失い、あるのは自分たちは日本政府に騙されていたという怨念、恨みの気持のみで、そこにあらわれたのがアメリカ進駐軍とともにやってきた民主主義である。
当然、この時点で生き残っていた日本人は、自分たちの過去の価値観を、この時点で一切ふっ切ってしまって新しい物の考え方、つまり民主主義へと一夜にして宗旨替えしてしまったのである。
ところが我々にとって民主主義というのも今まで経験したことのない未知の考え方であって、その本質を深く考察することもないまま、見よう見まねで会得を心がけたが、未知であるが故にその本質をまたまた履き違えてしまって、似非民主主義を本物と錯覚してしまった。
此処でも我々はその本質の会得に失敗してしまったのである。
東京の焼け野原に立った生き残りの日本人は、今まで政府のいうことは何でも素直に聞いてきたが、その結果として、自分の国が焼け野原になってしまったことから、金輪際、政府のいうことに耳を貸すことはないと考えたわけである。
それに輪を掛けて、終戦直後の進駐軍の方針としての政治犯の釈放、つまり共産主義者の釈放があったわけで、この共産主義者の目的は従来の社会的規範の破壊であって、突き詰めて言えば価値観の転覆であったわけである。
言いかえれば、従来のモラルの全否定であって、自己の欲望の実現、いわゆる我儘の勧め、畜道への回帰であったわけだ。
「公共に奉仕することは再び軍国主義に導かれる」と言い募って、徹底的に公共というものには抵抗し、自我、自己の欲求を押し通すことこそが新しい民主主義の在り方だと説いたわけである。
こうなると、店でものを買うという行為は、金を出してその対価を得るのであって、店と客とは対等の立場だから礼などいう必要はないという論理になるのである。
問題は、こういうものの考え方が、戦後の学校教育の場で長いこと続いたので、その教育を受けた世代が今は親の世代を通り越してお爺さんの世代になりつつあるということだ。
敗戦後3世代にわたって戦後の民主教育を受けたわけで、その中ではもう完全に戦前の日本にあった価値観は喪失されてしまって、新しい日本人像、つまり異星人、エイリアンのような日本人の現出となってしまったわけだ。
大昔から「今時の若者は!」という年よりの嘆きはあったと言われているが、若者の教育を怠ったのは他ならぬ今の年寄りなわけで、彼らが若い時に日本の古典的な価値観を踏みにじった結果が、回りまわって彼らの上にのしかかってきたということだ。
この本の著者も指摘しているが、今の若者の箸の持ち方、鉛筆の持ち方は、我々の世代から見ると実に危なっかしいが、これを是正してこなかったのは彼ら彼女らの親であり、学校の先生であったわけである。
何故それを質さなかったのかと言うと、箸の持ち方、鉛筆の持ち方などは、人の生き方にとっては実に些細なことで、そんなものはどういう風に持っても、個人の勝手だ、という論理で教えてこなかったのである。
これは完全に親の責任であり、学校の先生の責任であるが、この親なり先生が戦後生まれの戦後育ちで、その上、戦後の民主教育の中で育てられた結果である。
戦前の軍国主義も、戦後の民主教育も、我々にはセルフ・コントロールということが全く効かないということは一体どういうことなのであろう。
戦前は軍人が威張っていて、知識人がものいう隙も無かったとよく言われるが、それは戦後に生き残った知識人の樹弁に過ぎない。
戦前・戦中・戦後を通して、知識人と称する学識経験者は、我が身が可愛いばかりに上に対して物を言うことを憚っただけのことで、究極の臆病者であったにすぎない。
学識経験豊富な学者と言われるような人が、田舎出身のへなちょこ軍人に、口で物事の道理を説得できないようでは、その人の習得した学問は一体何のための学問であったのかということに尽きる。
現に、戦前の学識経験者、俗にいうインテリーとか大学教授といわれる人たちは、この程度の人物でしかなかったということである。
こういう人が戦後になって、この世から軍人というものがいなくなると、かつての軍人になり変ってやおら威張りだして、戦前も平和主義者であったかのような口ぶりで吠えまくっていた。
問題として憂うべきことは、世の中が軍国主義であったり、民主主義であったりと揺れ動くなかでも、人としての根源的なモラルは揺れ動いてはならないのではないかと思う。
主義・主張は時の政権によって右岸に行ったり左岸に行ったりするとしても、人間の基本的なモラルというのは、時の為政者の意向によって揺れ動いてはならないと思う。
この時に、日本の知識階層、知識人という人たちは、自分たちの民族のセルフ・コントロールをいささかも機能させようとしない点である。
身近な例でいえば、戦前は鉄拳制裁というのがあらゆる社会システムの中で当たり前のように存在していたが、それに対して我が民族の内側からそれに対する批判は、敗戦に至るまで出てこなかったが、これは一体どういうことなのであろう。
戦前にも旧帝国大学、旧高等専門学校、海軍兵学校、陸軍士官学校という天下の秀才が集合し、卒業生も掃いて捨てるほどいたにもかかわらず、「意味のない鉄腕制裁を止めよう」という声は、民族の内側からの声としてはついに出ずじまいで敗戦を迎えてしまった。
この事実を今どういう風に考えたらいいのであろう。
これは我々日本民族というのは、教育というものを自分の立身出世の免罪符として身に付けることを試みていただけで、教育は自らの人格の形成や道徳の習得に寄与するものとは見做していなかったということに他ならない。
だからいくら高等教育を身に付けても、それはモラルの向上には全くつながっておらず、社会的な時流を自らの内なる思考でコントロールすることも無く、ただ強者の権力に盲従していただけでの人を、我々、俗人は学識経験豊富な大学者だ信じ込んで、モラル的にもさぞかし立派な人だと勘違いしていた。
戦後、平和主義者として活躍した人には、戦前は軍人のサーベルの音に恐れおののき、戦後は手のひらを返したように軍隊を持たない政府に楯ついて粋がっていた人も大勢いた。
戦後になって日本人の立ち居振る舞いが粗暴になったことは否めないが、その遠因は、自分たちが頼りにしていた政府、国家というものが自分たちに対して嘘を言い続け、その挙句に敗北となり、自分たちの住みかが灰燼と化したことに対する怨嗟の気持からだと思う。
そういう体験をした人たちが、廃墟の東京に佇んでみると、ただただ生き抜くことのみが目前にあったわけで、ただただ生き抜くためには、今までの道徳律は何の価値も示し得なかったため、人間の心も限りなく野生化してしまったわけである。
その野生化した心、いわゆる人間の根源的な倫理から解き放たれた自然のままの思考にたいして、戦前に高等教育を受けた世代は、何一つ規範を示すことが出来なかったわけである。
そりゃそうだ、軍人のサーベルの音に恐れおののいていた、裏なり瓢箪のような青白きインテリ―は、野生化した自然人の思考に正面から立ち向かう勇気も度胸も無いわけで、烏合の衆としての有象無象の大衆の熱気に押し流されただけにことである。
何度も言うように、戦前に高等教育を受けた世代が、戦後の民主教育に対して何一つ自分たちの信念をぶつけることも無く、ただただ時流に迎合して流されただけなので、異星人のような日本人が出来上がったのである。
我々が戦後、礼節を失った民族に成り下がったのは、敗戦で野生化した日本人に対して、内側からのセルフ・コントロールで、自然人から理性的な人間に戻る試行錯誤を、軍国主義の復活という視点でとらえた戦後の進歩的知識人と称する売国奴の所為である。
民主主義の基本は話し合うことではあるが、この話し合うということも、非常に幅の広い解釈が成り立つわけで、ああ言えばこういう、こう言えばああ言うという不毛の議論も現にある。
そういう議論は最初から物事を解決する気がないということに他ならない。
戦後の政治の局面では、こういうことが往々に散見されるが、最初から解決する気のないものといくら話しあってもそれは全く無意味であって、本来ならばここで学識経験者と称する天の声でことが収まればいいのだが、こういう場面で学識経験者というのは弱い立場に同情しがちである。
そのことはつまり感情論に押し流されたということであるが、現実に感情論に押し流された結論というのは数多くあると思う。
日本が戦争に負けたということは、非常に大きなエポックを呈しているわけで、此処で日本の歴史は屈折してしまった。
我々の持つ価値観に大きな断層が走ってしまった。
価値観が180度ひっくり返ったのと同時に、大きな断層が出来てしまって、ひっくり返ったものを元に戻しても、断層の食い違いは修正不可能になってしまっている。
それはこの鈴木氏の言う感謝の気持ちであろうと思う。
自分の思う通りにならないことは、全て政府が悪い、行政が悪い、社会が悪いというように全て他者の所為に仕向けて、自分の怠慢を恥じようともしない態度である。
例えば「保育所の増設せよ」という要求も、その本音のところは若い母親が子育てから逃げたいという潜在意識の表れで、世の若い母親が全て自分の子供を愛情で以て育てているというのは真っ赤な嘘だ。
若い母親が本当に我が子のことを思えば、なぜ児童虐待などという話が出てくるのだと言いたい。
世の母親の中には、自分の子供を疎ましく思っている母親もずいぶんいると思うが、そういうことは子育て中の若い母親が弱者だという概念から、母親サイドの口から言えないので、問題化していないだけのことだと思う。
端的にいえば、本来人の子の親になる資格のないものが、セックスのみは一人前にするからこういう事態になるのであって、完全に人間資格であるが、こういうことは人権の問題とも絡んで正面切って本音の議論が出来ない部分である。
「保育所をもっと沢山作ってくれ」という欲求は、若い母親が仕事に就けれるように、その環境を作ってくれというのと同じなわけで、ならばなぜ若い母親が仕事に出たがるかといえば、彼女たちはそれぞれに自分の欲望を満たしたいからであって、所詮は自己の欲求を満たすことに費やされるのである。
そういうことのために公金を投資するわけだが、これに福祉という衣を着せると、立派な整合性が出来てしまうのである。
ここでメデイアや学識経験者が、若い母親に向かって「自分の子を人に預けてまで金儲けに現を抜かしてはいけない」と言えばいいのだが、そういう人たちは女性の自立支援と称して、子育て放棄願望の女性の欲求を認めてしまうからますます世の中が乱れてくるのである。
誰でも正論を言って嫌われたくないので、綺麗ごとで通そうとするから世の中が混とんとするのである。

「ヴァチカン」

2010-05-11 07:43:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ヴァチカン」という本を読んだ。
写真が多くて写真集のようなものであるが、それはそれないに示唆に富んだ文章も記されていた。
文は南里空海という人だが、この本の出版は2000年の7月1日となっていた。
私と家内が2007年に初めてヨーロッパを観光ツアーで回った時、このヴァチカンもそのツアーのコースに入っていた。
だから行くには行って、聖ピエトロ広場も見、聖ピエトロ大聖堂の中にも入るには入ったが、如何せんその時は何の予備知識も持ち合わせていなかったので、この小さなヴァチカン市国の考察に事欠いたままであった。
この本を読んだ今、まことに勿体ないことをした、という感じがしてならない。
私は旅行をすると大抵旅行記というものを自分自身の記憶のために認めているが、その時のことを今読み返してみると、このヴァチカンに関しては実にあっけない記述しか残っていない。
予備知識が全くなかったので、ガイドの説明を聞いて、分かったような気分になっていただけのことで、何を見何を記憶にとどめておくべきかということも記されていない。
ただ人が多かったことだけが記されていた。
しかし、宗教に対する所感だけはしつこく記されているが、これは先日読んだ「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」という本を知ってから一段とキリスト教に対する偏見は強くなった。
このヴァチカンにおいて、法王選出の儀式としてコンクラーベというものがあるらしいが、これは解りやすく言えば法王を選出する議員の間に不正がないように、非常に厳しい制約の中で行われる選挙ということらしい。
この一事で以て、私は宗教とはなんぞや、という一番初歩的な懐疑に直面してしまう。
聖職者の間に不正が存在するということは極めて世俗的な思考ではなかろうか。
我々のような俗っぽいものからすれば、聖職者の中に不正があるということは、驚天動地のことで、全く考えられないことである。
不正をするようなものが果たして聖職者足りえるのか、という根本的な疑問にぶつかってしまうではないか。
そもそも現法王が何かの理由でその地位を他者に譲る、あるいは後進に道を譲るという時に、選挙をしなければならないということ自体、あまりにも俗っぽい思考で、聖職者の集団ならば暗黙の了解が出来上がっていて、選挙などと俗っぽい方法によらなくとも、出席者の気持ちが一つに集約されてしかるべきではないのか。
そういう場面にこそ神の啓示があって、その神の啓示の前には俗物的な人間の思いなど取るに足らない瑣末なことでなければならない、のではなかろうか。
「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」という本の中では、キリスト教徒が布教と称してアマゾンの奥地に入ってくることによって、そこに営々と暮らしてきた先住民、原住民、ネイティブな人々がキリスト教文化圏の邪悪な洗礼を受けてしまって、今まで平和であったものが紛争の種を播き散らしていると指摘している。
ヨーロッパのキリスト教文化圏に住む人々にとって、自分たちの日々の行為は、地球上の全人類にとっても普遍的な振る舞いで、人である限りそういう生き方をしなければならない、という思考であろうが、それはあくまでもキリスト教文化圏の価値観に過ぎない。
アマゾンの奥地に住む原住民にすれば、腰蓑と、弓矢と、手斧さえあられば、後は何もなくとも彼らは子孫を残し、昔も今もこれからも営々と生きておれるのである。
こういう環境のところに、宣教師と称する疫病神が侵入してくると、此処に従来から住んでいた人々の均衡が精神的にも文化的にも壊れてしまうのである。
ヴァチカンのヨハネ・パウロ2世法王がいくら平和平和と説いても、その舌の根の乾かないうちから、アマゾンの奥地では原住民、ネイティブな人々の平和は破壊されつつあるのである。
この本の最後の方にはヴァチカンの情報収集能力はアメリカのCIAをもしのぐのではないか、という記述が有ったが、これも実になまめかしい事柄で、究極の俗世間の有態といってもいい。
ヴァチカンの信徒、いわゆる旧教の信者は、世界に10億人いると言われており、その信徒の中には旧の共産主義国の中にも大勢いたことから考えれば、鉄のカーテンの向こう側の情報も、ある程度は握っていたと考えるのが妥当である。
そのことによって、ヨハネ・パウロ2世はポーランドの解放に成功し、ベルリンの壁の崩壊に貢献し、東西冷戦の終焉に尽力したと言われており、それはすべて人類の生存にとって素晴らしい出来事であるが、究極的に俗っぽい行為でもあったことになる。
本来ならば、政治家の領域の功績であるが、政治家であろうが宗教家であろうが、人々の諍いを止めることが出来れば、そんなことは瑣末なことではある。
ヨハネ・パウロ2世の功績は、宗教家の実績として非常に素晴らしいものだ、という認識は世界各国において共通認識であろうと思う。
ところがここで異教徒の存在を考えると、必ずしも全世界がそれを容認するとは限らないということが起きる。
ヨハネ・パウロ2世の功績が素晴らしいという認識は、あくまでもキリスト教文化圏での認識、あるいは価値観であって、地球上の全人類は必ずしも同一の価値観、均一の価値観であるわけがなく、キリスト教文化圏とは別の価値観を持った人々もいる。
それが2001年に9・11事件を引き起こしたイスラム原理主義者達の存在であり、アマゾンの奥地に住む原住民のシャーマニズムの存在である。
この地球上にキリスト教文化圏と違う思考、概念がある限り、そういう人たちを何が何でもキリスト教文化圏に引き込もうという発想が布教という行為だと思う。
これはキリスト教徒の驕りだ。
キリスト教徒の側から異教徒を見ると、異教徒の存在は野蛮人に見えるわけで、そういう野蛮人に自分たちと同じ価値観を押し付ければ、自分たちと同じ生活が出来るので、きっと相手はそれを喜ぶに違いないという思い上がり以外の何ものでもない。
ヨーロッパ人が、自分たちの身の回りの風俗を見慣れて、これこそ人間の根源的な姿だ、と思い込んだ視点でアマゾンの奥地の人々を見ると、彼らは裸同然の姿で弓矢を引っ提げて歩いているので、如何にも野蛮に見え、ならば我々と同じようなものの考え方を授けましょう、という善意の押しつけになってしまうのである。
この世に生まれ出た人間は、煩悩と称する欲望を抱えているが、この欲望は文化や文明によって、その概念は伸縮自在に拡張し、多種多様な有態を呈している。
キリスト教文化圏の中で、人は物事を知れば知るほど欲望も大きくなり、経験を積めば積むほど期待も大きくなってしまい、富が集まれば集まるほど尚をそれを大きくしたいという願望に支配される。
ところが、アマゾンの奥地のように、キリスト教文化、物質文明、近代文化から隔離されたところでは、人々の欲望も小宇宙の中で再生産されるのみで、比較的小さなもので人々は満足する。
画家のバン・ゴッホがタヒチにあこがれたように、キリスト教文化の届かない地域では、人々は「陽暮れ、腹減り」で、その辺りのものを適当に口にして生きておれる。
そういうところでは、人々の欲望も実にささやかなもので済むので、あれこれと過剰に反応することも無いのである。
煩悩、つまり欲望が最初から小さくささやかなものであるので、それを得ようという確執も、その分ささやかなので、人々は精神的なストレスから免れている。
が、そこにキリスト教文化として彼らの欲望をそそるものが移入されてくると、彼らも今までの生き方を放棄して、新しい欲求に飛びつくということになる。
そもそもキリスト教を布教するという行為が、キリスト教文化圏の押し付けであるわけで、従来の文化の否定ということと裏腹の関係にある。
キリスト教の宣教師が、アマゾンの奥のジャングルにまで入っていって布教するということは、言い方を変えれば、現地の人に対して、「あなた方の信仰は野蛮なものだから、私たちの信仰に乗り換えれば幸せになれますよ」と言って歩くことである。
ここで問題となるのが、この幸せという概念である。
キリスト教文化圏の幸せというのは、あらゆるものを手中に収めないとなかなか自分は幸せと思えないが、アマゾンの奥地の人々やタヒチの人々にすれば、日々、食うだけの獲物が取れれば、それで幸せなわけで、余分なものを持とうという気がないので、それで十分に精神は癒されるのである。
ところがキリスト教の文化圏においては、文化や文明が進化しているが故に、人々の欲望は際限がなく、その欲望を如何に抑制するかで再度人々はキリストに教えを乞おうとしているのである。
人々は、自分の思う通りの物事が回らなくなったとき、なんとかして自分の思う通りの物事動かしてみたいと願うあまり、そこで極めて強い精神的な圧迫を感じ、それがストレスというものになる。
その結果として、神、いわゆるキリストに乞い願うことになるが、それは自分の欲望を満たしたいという我欲の成就を願っているだけで、ある意味で自己保存、自分本位の思考に過ぎない。
私に言わしめれば、如何なる宗教も、その究極の目的は、人々の心の平安を司るものだと思うが、人々の心の平安ということは、つまり自分の欲求を我慢する、自らの煩悩を抑制することに他ならない。
つまり無の境地に至ることであるが、それは自分の欲望、例えばあれが欲しい、これがしたいという己の願望を断ち切ることである。