ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

ムラサキ芋

2006-09-29 20:10:54 | Weblog
昔から「馬鹿は死ななきゃ直らない」とか「馬鹿に付ける薬はない」と申しますが本当にそうですね。
私も利口な人間ではないと常々思っていましたが、本当に自分の馬鹿さ加減にはほとほと嫌気が差してきた。
いくら自己嫌悪に陥ったところで、多分、死ぬまで直らないでしょうね。
今年の春、娘の嫁ぎ先に行った折に、サツマイモの苗を買ってきて家の畑に植えた。
サツマイモなど、植えれば後はなにも手入れせずとも自然に出来るものだと思っていた。
だから買ってきた苗を植えては見たものの、後のフォローがないものだから雑草に埋もれてしまっていた。
で、本日掘り起こしてみたら、まるで成っていない。当然だ。
完全に採算割れである。元も取れていない。
ところが、これがムラサキ芋であって、非常に珍しい物であった。
大体が家庭菜園など嫌々しているほうなので、買った苗がどういうものかも知らずにやっている。
掘り起こしたムラサキ芋を早速家内がふかしてくれたが、これが結構いける。
味は普通のサツマイモとなんら変わるものではなかったが、ムラサキ芋というだけあって、皮も実も間違いなくムラサキで、蒸し器の底にたまった液は緑色していた。
そして掘り起こした際には芋の表面にいっぱい髭のような毛根が付いていた。
一生懸命手入れして雑草を抜き、肥料を入れたらきっとおいしい芋がたくさん出来たろうに惜しいことをした。
サツマイモさえまともに作れないような人間は、豆腐に頭をぶつけて死んだ方がましかも知れない。

「石原慎太郎の帝王学」

2006-09-28 11:18:55 | Weblog
「石原慎太郎の帝王学」なる本を読んだ。
正直、たいした本ではない。
図書館の本だから我慢できるが、自分で金を出して買ったとしたら、「金返せ」と言いたくなる代物だ。
ただただ石原都政の具体的なことを並べ立てただけのことで、石原氏の個人的なホームページのほうがよほど面白い。
具体的な項目を並べ立てて、さも綿密な取材をしたように見せかけているけれども、都の広報資料を丸写ししたようなもので、著者の主観が全くないので面白くも可笑しくもない。
しかし、石原慎太郎という個人については、非常に興味を持っていたので、ついつい引き込まれて最後まで読んでしまったが、結局読み終わってもなにも感ずるものはなかった。
ただ、石原氏の東京移転計画、首都移転計画に対する態度というのはいかがなものかと思う。
彼は、東京の過去の実績をこのまま未来にまで継承するには首都の移転はマイナスだ、という判断で首都移転計画を白紙に戻してしまったが、そのことは今後ともますます一極集中を容認するということになると思う。
彼の主張も判らないではないが、これから50年100年先の事を考えると、それでいいのだろうかという疑問は大いに残ると思う。
東京への一極集中ということの裏側には、地方の過疎化があるわけで、東京だけの事を考えれば、過去の遺産を大事にするという話も説得力があるが、ならば日本の地方はどうすればいいのか、という答えにはなっていないはずで、ある意味の地方エゴである。
東京への一極集中といっても東京都だけに集中するというわけではなく、関東全域に東京圏を拡大する、と逃げ口上を打ってはいるが、ならば九州や北海道は切り捨てていいのか、という議論にならなければ可笑しいと思う。
確かに首都機能を地方に分散すれば、そのときには膨大な資金が入用なことは理解できるが、それは未来の日本国民の全部が負うべき負担、ないしは投資ではなかろうか。
石原慎太郎氏は、小泉首相が「自民党をぶっ壊す」という強烈なアドバルーンを打ち上げたのと同じように、「国と喧嘩する」という大見得を切って人気を博した。
その意味で地方独自の新しい機軸を打ち出したことは大いに評価しなければならない。
そのあたりは美濃部亮吉や青島幸男というような革新系の八方美人的で、人当たりのいい、奇麗事のばら撒き行政とは異質なものを持っている点には注目しなければならない。
東京都知事が首都移転に反対するのは人間の心理として当然のことだろうと思う。
東京都に国の大部分の機能が集中しているから東京足りえているわけで、国家議事堂が大阪に行き、最高裁場所が仙台に行き、各省庁がそれぞれの県に分散するとしたら、そんなことを東京の最高責任者が容認するわけがないではないか。
東京都民から選出された都知事が、自分たちの不利益になるようなことを推し進めるわけはない。しかし、ここが民主政治の難しいところで、大勢の人が反対するから止める、多数の人が望んでいるから遂行するというように、不特定多数の感情的な意見を尊重するということは極めて民主的のように見えるが、それは典型的なポピリズムで大衆迎合主義そのものだと思う。
最大多数の最大幸福というのは民主主義の理想ではあるが、理想はあくまで理想であって、現実とは程遠い存在と考えなければならない。
絵に書いた餅を追い求めるようなことは愚劣極まりない。
政治家のリーダーシップというものは、この大勢の無責任な現生の欲望と、自分たちの未来の幸福を秤にかけて、事の軽重を考えなければならないと思う。
日本の将来のことを考えた場合、東京都民だけの意見と、日本全国民の意見を秤に掛けてから判断しなければならないと思う。
明治維新で京都から東京に天皇を移すとき、体制の中心軸を移すとき、為政者が民主的に国民の声を聞いたとしたら遷都など実現していない。
為政者が強力に推し進めたから東京が首都と成りえたわけで、ここで民意などという奇麗事を並べ立てたとしたら、東京が首都などになりえなかったと思う。
東京都知事が「我々のところに国家機能が集中しすぎているから、都民は迷惑をこうむっている、だからそういうものを地方に分散してくれ」などと言えるであろうか。
やはりこういう場面では既得権を主張して、現状維持を図るのが、都民の声に応えるという地方の首長の使命だろうと思う。
東京の一極集中の現状を見れば、誰でも「そろそろ首都機能を何処かに移さなければ先行き困るであろう」と心の奥底では思っていると思う。
だからこそ、そうしようではないか、という声が出てきたものと考える。
都知事というのは、都民のことを最優先で考えなければならないことは自明のことであるが、政府というのは、日本国全体の事を考えなければならないわけで、この両者の間には当然利害は相反する。
政府としては東京、ないしは東京を内包する関東だけに何もかもが集中する状況を看過できないのも当然のことだと思う。
東京への一極集中の是正という問題を考えるとき、それは為政者の側の問題として捉えがちであるが、案外国民の側の問題でもあると思う。
明治維新以降の日本は、基本的に資本主義体制で来たわけだが、この体制の下で一極集中を考えてみると、それはまさしく砂糖に群がるアリのようなもので、そこには人々を引き付ける甘い香りのような魅力が潜んでいる。
東京都民で東京生まれの東京育ちという人は極めて少ないはずで、都民の大部分は地方から来ている人たちであろうと思う。
そういう人々が故郷を捨てて東京に集まってくるというのは、個々の人々を引き付ける甘い砂糖の香りがあるわけで、東京一極集中を緩和するためには、それを除去しないことにはこれから先もこの傾向は改まらないであろう。
東京と地方を結ぶ交通アクセスが整備されて、飛行機、新幹線、高速道路とアクセスが整備されればこの傾向も弱まるのではないかと思われたが、結果は逆で、よりその傾向が強まったように見受けられる。
石原都知事は都の財政建て直しのために荒治療として、外形標準課税(銀行税)とかデイーゼル車の規制など、独自の施策を施したが、銀行税などを新たに課せられても銀行が東京から地方に本店を移したという話は聞いたことがない。
銀行としては、どんなにいじめられても東京に居残るメリットには勝てないということだと思う。
考えてみれば、東京という町は江戸と言われていた頃から人が集まっていたわけで、関東大震災でも、東京大空襲でも、生き残り続け、日本の中枢であり続けたわけである。
一体、日本人にとって東京というのは何であったのだろう。
地球上のあらゆる国でも、一応主権国家ともなれば、国家機能の集中する首都というのは存在する。
アメリカならばワシントン、中国ならば北京、韓国ならばソウルなどと首都というのはあらゆる国家に一つはあるが、東京のように何でもかんでもそろった面の広がりを持った首都というのは他に例がないと思う。
その意味からすれば、東京都知事というのは小さな国の大統領以上の権力を行使しているわけで、一地方などといえたものではないかもしれない。
東京はこれから先どうなるのであろう。

「ユダヤ人はなぜ迫害されたか」

2006-09-27 07:08:12 | Weblog
「ユダヤ人はなぜ迫害されたか」という本を読んだ。
ユダヤに関する問題というのは我々日本人にとっては一番理解しがたい問題だと思う。
アラブとイスラエルの確執ほど我々にわからない問題も他にないのではなかろうか。
この本にもユダヤ人の迫害の歴史が縷々述べられているが、我々のような門外漢が察するには、やはり迫害されるにはそれだけの理由があるのではないかと思う。
人が他人を好きになったり嫌いになったりするのに、特別な理由のないことが多いのと同じで、民族間においてもそれと同じことが言えている筈で、Aの民族がBの民族が嫌いだという理由には整合性のある理由などないのかもしれない。
この本の趣旨も、その理由が何であるかを解き明かそうとしたものであろうが、結局のところ、その明快な答えは無いようである。
有史以来、人間の誕生以来、人類が文化なるものを得て以来というもの、彼らは他の民族から忌み嫌われていたわけで、彼らに寛容を示す人間が他に一人もいないというのも不思議なことだと思う。
この地球上に生きている人間の精神の糧となっている宗教は、大雑把に分類して2つだろうと思う。その一つは言うまでもなくキリスト教であり、もう一つはイスラム教で、我々日本人の仏教などというのは地球規模で見れば非常にマイナーなもので、宗教のうちにも入っていないかもしれない。
ところがこのキリスト教もイスラム教も不思議なことに、ユダヤ教を原始としているわけで、ユダヤ教から派生しているにもかかわらず、それに対する憎悪というのは、我々には計り知れないものがある。
「ユダヤ教徒がキリストを磔にした」などという神話に依拠した憎悪を、19世紀から20世紀、はたまた21世紀にいたっても捨て去れないキリスト教徒の憎しみというのは、我々には理解しがたいことだ。
ただ有史以来の人類の歴史の中で、約4千年にもわたる間、他民族から嫌われ続けたということには何か原因があるのではなかろうか。
ユダヤ教徒は信念が固く、なかなか異教に帰依しないというだけの理由ではないと思う。
それにしても4千年はオーバーにしても、周囲からいくら攻められても自分の信念を変えないという点も、その頑迷さには驚きであるが、その頑迷さが周囲の被虐性を尚いっそう増幅させるということであろうか。
ユダヤ教、ユダヤ人とくれば、我々は当然、ドイツのナチの行ったホロコースト、アウシュビッツの虐殺を必然的に思い浮かべるが、この犠牲者が600万人という。
日本の行ったとされる南京大虐殺でも、中国側の根拠のない大風呂敷で30万人と言われているが、600万人も無辜の人を殺すということが実際に在りうるであろうか。
この虐殺は、その責任の全部をドイツのナチ、ひいてはヒットラーの犯罪としているが、これは戦後のヨーロッパ諸国の逃げ口上の一つだと思う。
日本の南京大虐殺も、日本軍の一部が関わったことは否めないだろうが、30万全部を日本人が殺戮したわけではない筈である。
日本軍と国民党、国民党対共産党、馬賊、匪賊、赤匪、強盗、盗人、その他者もろもろの極悪人の仕業を全部ひっくるめて日本の所為にしている部分も多分にある筈である。
この場で、これ以上、南京大虐殺を論ずるつもりはないが、600万人の殺戮というのもドイツ人が全てしたというわけではないと思う。
600万の犠牲者の背景には、ドイツの占領下とはいえドイツに協力したヨーロッパ諸国の人々がいたと思う。
ドイツに席巻されたとはいえ、ドイツのナチの言うことに嬉々として従い、率先してお先棒を担いだヨーロッパ諸国民がいたと考えなければならない。
ヒットラーのユダヤ人殲滅ということに対して、自分たちもヒットラーのすることに理解を示し、それを良しとしたヨーロッパの人々が大勢協力したと考えざるを得ない。
ということは、彼らドイツ人以外のヨーロッパの人々も、ユダヤ人の虐殺の整合性を見出していたわけで、だからこそ不承不承とはいえホロコーストに手を貸したということだと思う。
それほどユダヤ人はヨーロッパのキリスト教徒の中では嫌われていたということに他ならない。
私の浅薄な知識から推察するに、ユダヤ教徒というのは、今の我々の道徳律からすると極めて倫理的に高等なものを持っていたわけで、家庭を大事にし、離婚をせず、子供の教育に力を注ぎ、深酒はせず、敬虔な宗教生活に徹することが彼らの信条なわけで、それはキリスト教徒の信条とは相容れなかったにちがいない。
とくに近世になってルネッサンスの影響に即発されて、個の確立が顕著になると、キリスト教徒も精神的に堕落して、古典的な道徳律から逸脱し、敬虔な宗教心からますます離反するようになったのではないかと思う。
そしてユダヤ人はキリストを磔にした罰を背負い、故国を追われて流浪の旅に出るわけで、そのことは異民族の中で生きざるを得ず、何処に住んでも異端者であり、流民であり、地域に溶け込もうとしないので、迫害されるということになったのではないかと思う。
彼らは子供たちに教育を付けさせるので、地域の中では何かと突出してしまい、それがまた逆に恨みを買い.妬みをそそり、怨嗟の標的となるのである。
ところがアメリカではそういう姑息な雰囲気が少なく、ユダヤ人もヨーロッパより自由に活躍できたようで、そこにもってきてユダヤ人が教育熱心なこともあり、社会の上層部を形成してしまった。
アメリカ社会の上層部を形成しているユダヤ人が、ユダヤ人の国家、イスラエルをバックアップするという形になると、ユダヤ人の活躍できる場としてのアメリカも、ユダヤ人の国家としてのイスラエルも、共に批難中傷の対象となってきたようだ。
この本の結論として、ユダヤ人があっさりと周囲に溶け込んで改宗すれば、この迫害は治まるであろうと述べているが、ユダヤ人がそう簡単に改宗できれば、迫害が今日まで続くことはなかったろうに。
ユダヤ人がユダヤ教を捨てないからこそ、彼らは迫害され続けていたわけで、そんなことはユダヤ人が一番よく知っていることではないかと思う。
彼らが改宗出来なければ、ユダヤ人は彼らの国イスラエルに帰るべきであろう。
ところがイスラエルという国は、これまたイスラム文化圏といつまでも確執を引きずっているわけで、イスラエルのユダヤ人の発想も、21世紀の時代状況には合っていないので、いつまでたっても血の応酬が絶えないのである。
第二次世界大戦後60年間も戦い続けているではないか。
アラブ諸国の対応も決してほめられた事ではないが、イスラエルの態度も決してほめられるものではない。
戦後アメリカはその両方を援助していたが、もう少し勘ぐって考えれば、アメリカが双方を援助することを止め、中東には一切金を出さないという手段に出れば少しは沈静化するのかもしれない。
ところがこの地には石油があるわけで、その石油を確保するという意味で、アメリカも中東に全く無関心というわけには行かないのであろう。
パパ・ブッシュの湾岸戦争も、イラク戦争もユダヤ人の問題は表面化していないが、アメリカの背景にはアメリカ社会の黒幕としてのユダヤ人の存在があるのではないかと想像する。
ユダヤ人はこういうことに長けているので世界から嫌われるのではなかろうか。
アメリカの戦争という場合、特に湾岸戦争にしろ、イラク戦争にしろ、アメリカの戦争といいつつも、そのアメリカ社会の上層部にいるユダヤ人の戦争という意味合いが大きいのではなかろうか。
ユダヤ人のこういう側面が古いヨーロッパの人々には嫌悪を植え付けるのではなかろうか。
アメリカで成功したユダヤ人が、金に飽かしてイスラエルを援助し、自分は影に潜んで、非ユダヤ人の若者を戦場に狩り出しているとすれば、他の人が怒るのも無理ないと思う。

アメリカハナミズキの実

2006-09-26 08:17:10 | Weblog
秋もいよいよ深まって木々がそれぞれに実をつけ始めました。
我が家のアメリカハナミズキも例年と同じように赤い実をつけています。
私は根が卑しいものだから、ついついこういう実を見ると、「これが食べられたならなあ」と、浅ましい思いが先走ります。
若いときの貧乏(今でも貧乏ですが)は心まで卑しくさせるようですね。
先に記したモクレンの実のときもつくづくそう思いました。
また、ツバキも例年大きな実をつけますが、この実を見るといつもそう思います。
その後、知人から自家製のブドウを戴いたので、家内と一緒にそれを食べていたら、家内は「我が家でもブドウを植えよう」とのたまった。
ブドウなんてものはそう簡単に素人で出来るものではない筈で、家内の能天気にはあきれてしまった。
それでも家内はブドウの苗を買い込んで、手入れその他もろもろの世話は全部私に押し付け、本人は口先で指示するだけなのでほとほと困る。

「官僚、もういいかげんにせんかい」

2006-09-25 09:37:39 | Weblog
「官僚、もういいかげんにせんかい」という本を読んだ。
書かれていることは至極もっともな指摘ばかりであった。
お役所の、市民、国民へ対するサービスの悪さは今更のことではない。
しかし、人間の集団というものが統治する側とされる側という対立軸で成り立っている以上、こういう不満はなにも日本だけのことではないのではないかと思う。
あらゆる民族、国家、国家体制の中では統治されるものの不満というのは存在しうると思うが、そういう不満をこういう官僚批判という形で晴らす機会があるのもありがたいことだと思う。
我々の近現代の過去、わずか60年ほど前の我々の国でも、こういうことは許されていなかったわけで、それに比べれば今はありがたい世の中になったと言わなければならない。
だからといって官僚の存在が今のままで良いとは言えないわけで、少しでも良い方向に向かうように努力しなければならないことは言うまでもない。
江戸時代の封建主義思想を脱皮して近代化に向かう過程での官僚の果たした役割というのはある程度は評価しなければならないと思う。
我々日本民族が、その潜在意識として無意識のうちに心の奥に秘めているのは農耕民族としての習性だと思う。
村意識、百姓根性というものは本人が意識しないまま心の奥に秘めているわけで、これが上に立つものには従順に、弱いものには威張り散らす、という官僚的構図を成立させていると思う。
統治するという行為が、住民なり、国民なり、市民に対するサービスである、という意識が最初から欠落しているわけで、統治するということは、有り難い思し召しを上から下へ賜るものだ、という意識がする側にもされる側にもあり、それが官尊民卑という意識を形作っていると思う。
明治維新以降の我々の国の近代化のあり方を見てみると、官僚(その中には軍官僚も当然含まれているが)は、国民というものをまるで鉄砲の弾ぐらいの使い捨ての消費財ぐらいにしか考えていなかった。
日露戦争の203高地の攻防から、太平洋戦争の各戦線に至るまで、はたまた満州に開拓農民を送り込んでおきながら、それを置き去りして逃亡してきた官僚、軍官僚の有様を見るにつけ、日本の官僚、及び日本軍隊の中には、国民、市民を守るという意識は露程もなかったわけで、官僚の官僚のための官僚の政治であったということは歴然としている。
国民はそのための駒でしかなかった。
ここで言う官僚という字句の中には、当然のこと、軍隊も含まれているわけで、戦後価値観が完全に逆転して、「主権は国民の側にあるんだ」といわれても、意識の方がそれに素直について行けないわけである。
この意識のタイムラグは官僚の側にも国民の側にも同じようにあるわけで、官僚は国民へのサービスに徹すべきだ、という意識はいまだに醸成されていない。
ただしここで言う、国民へのサービスという言い方は非常に難しい要因を含んでいると思う。
この本では、官僚は国民に様々な規制を課して、権力の維持を図るという言い方で糾弾しているが、様々な規制が必要なことも確かにあると思う。
しかし、官側が規制をしなければならない状況は、視点を変えれば、国民の側の問題のはずである。
国民の側が、無節操に、野放図に、やりたい放題したい放題の状況を呈すれば、最終的に官が規制に乗り出してくるのは当然のことであろうと思う。
ネズミ講がはやって被害者が増えれば規制しなければならないし、公害の垂れ流しがおきれば規制しなければならないし、飲酒運転が多くなれば規制を強化しなければならないし、銀行の貸しはがしが起きれば規制しなければならないし、そうすることが国民へのサービスともとれる。
官を取り巻く国民には様々な形態があるわけで、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たずと言うわけで、官僚の国民へのサービスというのも、立つ視点で大きく変わってしまっている。
生産者と消費者、管理する側とされる側、恩典を施す側とそれを受ける側という立場の違いによって、官僚の国民へのサービスの捉え方が大きく違ってくると思う。
官が乗り出して規制しなければならない状況ということは、突き詰めれば国民の側の問題だ。
ネズミ講にしろ、公害問題にしろ、バブル経済の問題にしろ、飲酒運転にしろ、国民の側に人間としての理性があり、社会通念上の常識の範囲内ならば、官が乗り出してくることはあり得ないはずである。
こういう問題が起きると、国民の側が「何とかせよ!」という問題提起を政治家に向け、政治家は無知なるが故に、それを官僚に法案作成をさせるわけで、官僚は官僚で、それを国民へのサービスとして捉え、自分たちは国民の役に立っているのだ、という意識から尊大な気持ちになるものと想像する。
ただし,問題はそういうところにあるのではなく、官僚、つまり国家公務員というのには終身雇用を金科玉条としている点にあると思う。
どんな失敗をしても許され、それが元で降格人事とか、左遷ぐらいはあるかもしれないが、その失敗の責任をとらされるということが皆無なところにある。
民間企業では景気の動向次第で、倒産があり、リストラがあり、事業撤退があり、出向があり、給料カットがあり、ボーナスも減ったり増えたりするわけで、そういう社会情勢に柔軟に対応して生き残らなければならない。
ところが官僚にはこういうことがないわけで、いわば日本の中で一番安定した職場であることはいなめない。
そういう職場に価値観を見いだす若者、そういう価値観の若者が、組織の中で定年まで居残るということは、精神の堕落の完全なる純粋培養なわけで、全てのことに挑戦する意欲のない、勇気のない、御身大切と思う若者が、そのまま組織の中で年寄りになれば、その組織が腐敗堕落することは火を見るより明らかである。
考えてもみたまえ、22歳ぐらいの若者が、たった一回のペーパーチェックで定年までの免罪符を手にして、生ぬるい組織の中でのうのうと生きていたとすれば、そういう組織が現実の社会に適切に対応できるかどうかを。
いい若者が、挑戦する意欲もなく、一番波風の起きない、揺りかごのような組織に身を寄せて、変革を恐れる心情を。
戦後の日本で、まだ戦後復興のまえの我々の社会では公務員の給料というのは滅法安かった。だから町役場とか市役所とか地元の学校の先生というのは、家が農家とか商売をしていて、給料を当てにしなくてもいい人がなっていた。
ところが、戦後復興の段階で、「それではいけない」ということで、民間企業並みにしようということで人事院勧告という形で給料のアップが図られた。
ところが、この人事院の示す民間企業並みという査定が非常に官僚的で、官僚に都合の良いように、自分に有利な解釈をして、自己保存に努めていたのである。
民間企業の給料というのは、景気の変動に素早く対応できるように、基本給と、残業と、その他の手当というかたちで3段階になっている。
景気の良いときは残業を40時間50時間もすればかなりの高額にはなる。
景気が悪ければ逆にゼロにもなりかねないが、公務員というのは基本的に本給のみである。
諸手当があることは承知しているが、それは民間の残業手当とは異質のもので本来の手当である。ところが人事院は、この景気で左右される残業代の部分を無視して、民間企業の3本立ての給料を一本と見なして、それの平均をとって公務員の本給にスライドさせてしまった。
そのことによって給料の格差が逆転してしまった。
40年前50年前、家を離れられず、農業を継がなければならないので嫌々町役場や市役所に就職し、家を飛び出す勇気がなかったものだから、のらりくらりと居続けた結果、そういう人が今では課長だ局長だと威張っている。
一方、勇躍、勇んで家を飛び出した人は、ある程度出世をしたかもしれないが、最終的にはリストラや倒産にあい、はたまた定年で濡れ落ち葉といわれている。
官僚が叩かれるのは無理もない話である。

彼岸花

2006-09-23 06:35:16 | Weblog
先日、敬老の日に娘が贈ってくれた携帯電話を首からぶら下げて近所を出歩いていた。
いよいよ秋も深まり、稲もたわわに実りだしている。
そのあぜ道に彼岸花が咲いていた。
携帯のカメラ機能でこれを撮ってみた。
何事も挑戦だと思ってやってみるとこれが結構イケル。
それを自分のPCに移して添付してみた。
やれば出来る。
文明の利は使いこなせればそれなりにおもしろいものだ。

「日露戦争と『菊と刀』」

2006-09-22 10:50:54 | Weblog
「日露戦争と『菊と刀』」という本を読んだ。
この本の言う日露戦争とは司馬遼太郎氏の著した、「坂の上の雲」に登場する人物を介しての比喩的表現であるが、ここに登場する人物を明治時代の知性の代表として捉えようとしている。
こういう人々の生き様を「菊と刀」の視点で見るとどういう解釈が成り立つのかという点から記されている。
「菊と刀」は言うまでもなくルース・ベネヂェクト女史の著した日本文化論であるが、彼女が我々同胞を見る視線は、我々、内側に存在するものとはかけ離れた思考から成り立っていることは言うまでもない。
我々が空気や水と同じように全く無意識に考えていることを深くえぐり出して記述している。
ところが、この本の評価は我々同胞の中ではあまり芳しくない。
知識人は一応目を通しているようではあるが、それに触発されたという感じはしない。
「菊と刀」に価値を認めているのは、この本ぐらいしかないのではなかろうか。
特に、大学者ほど無関心な傾向が強く、自分たちでは全く気がつかない視点から我々を観察された、という点で非常に怨恨の気持ちが深く、神経を逆撫でされたと思い、自分たちが気がつかなかったことの悔しさ等々が入り混じって素直に評価していないようだ。
そのこと自体がルース・ベネヂェクト女史のいう「恥の文化」そのものになっており、自分たちの価値観に他から新しい価値観が入ってくることに非常に恐れをなして、引きこもろうという心理が作用している。
自分たちから能動的に他の文化にすり寄るときは無意識のままであるが、その逆の場合は許し難い行為に写っていたようだ。
この本の言う日露戦争を勝利に導いた明治の人たちというのは、明らかに「菊と刀」のいう「恥の文化」を乗り越えた人々であったと言うことである。
「坂の上の雲」も「菊と刀」も、実に優れた著作で、この二冊で日本人の本質は語り尽くされているといっても過言ではないと思う。
明治には、国家の統治の中間層、いわゆる官僚としての上層部、高級官僚という地位を占めていた人たちに、まだまだ人間としての、いわゆる日本人としての民族の本質としての謙虚な身の処し方が残っていたように思える。
「坂の上の雲」では、秋山好古と秋山真之兄弟のことが語られているが、彼らの母親が二人の兄弟に言った「貧乏から脱出するには学問を身につけよ」という言葉は、明治維新以降の日本国民の潜在意識というか、大儀というか、大きなムーブメントとして、それ以降の我々の心を呪縛した。そして、それは一度は奈落の底の落ちた以降も、連綿と生きているわけで、そのことは同時に我々日本人にとっての人間解放の言葉でもあったわけである。
江戸時代の封建思想の元では「分をわきまえる」、「身分相応」、「身の程を知る」という言い方で、猫も杓子も上昇志向を目指すことに自然とブレーキがかかっていた。
士農工商という身分制度のもとで、士族以外のものがそうそう権力の階段を登ろうなどとか、金持ちになって酒池肉林に耽ろうなどという思考、発想を持つことなく生きてきたと思う。
ところが明治維新でこの身分制度という価値観が転覆すると、国民の全部が権力をめざし、富をめざし、貧乏からの脱出を望み、学問の府に群がったのである。
秋山兄弟も家が貧乏なるが故に授業料免除の学校を選び、たまたま本人が優秀であったから、無料で教育を授けてくれた国家、祖国に対して過分なる恩返しができたわけで、こういう明治の気質を持った知識階級が多くなれば、今の我々の社会も、もっともっと住みよいものになっているはずである。
ところが教育の機会が多くなれば、邪な心の持ち主もその中に紛れ込んでくるわけで、そぅいう人を排除することはできない。
結局、国民の教育レベルが上がれば、「船頭多くして船山を登る」という状況になってしまって、それが昭和初期の日本の軍隊であり、戦後の日本社会であろうと思う。
明治時代のように、学問を身につけた人、教養知性を身につけた人、その他学識経験者の数が少ないうちは、こういう人たちが国のリーダーたり得たが、今日のように老若男女、国民のほとんどが大学を出たような社会では、統治に関するリーダーシップということは成り立たない。
日本でもアメリカでも、首相だろうが大統領だろうが、誰でも務まると思う。
民主主義社会は独裁政治ではないので、帝王学などと無縁なわけで、誰でもその立場に身を置けば、その任務はスタッフがそつなく膳立てしてくれるので、リーダーシップをことさら強調しなくてもこなせると思う。
ただし、職について国民に対してどれだけ貢献できるかどうかは大いに個人の資質によるわけで、ここに明治の政治家と昭和の政治家、明治の官僚と昭和の官僚の違いがあるものと考える。
明治の政治家と官僚は、少なくとも昭和の時代まで、紆余曲折がったとはいえ、大きく国民の声及び国民の願望に答えてきたと思う。
ところが昭和の時代の統治者と官僚は、その蓄積を全部ご破産にしてしまったわけで、昭和の時代といえども、我々の国は民主主義が曲がりなりにも生きていたにもかかわらず、その中で時の統治者は国民の願望と期待にどれだけ貢献できたのであろう。
このときに国民の期待に応える政府というのは、戦争に勝つということであったが、結果的にそれは徹底的なマイナスの貢献でしかなかったではないか。
昭和の初期の時代にも、日本全国、津々浦々から、貧乏からの脱出を願い、学問の府にはせ参じ、学問、教養、経験を積んだ知識層、知識階級という人たちはいたはずである。
高等文官試験をパスした高級官僚、海軍、陸軍にもそれぞれに高級軍官僚がいたではないか。
こういう人たちに軍の独断専横を止めさせる知恵とアイデアが無かったのであろうか。
治安維持法を廃案にする知恵とアイデアが、学問を積んだ人々の間になかったのであろうか。
秋山兄弟の母は貧乏からの脱出ために学問を奨めて、兄弟はそれ相応の地位に就き、その職責に答えたが、こういう人は希であって、大部分の人は給金以下の仕事しかしていないと思う。
ところがここにも難しい問題が潜んでいるわけで、仕事熱心というのにも間違った仕事熱心というのがある。
それは、下位のものが上司の心を慮って、やりすぎるということである。
昭和初期の日本陸軍の独断専横ということは、こういうことではなかったかと考える。
政府や国民はきっとこういう結果を望んでいるに違いないから、あらかじめ結果を出しておいてもお咎めはないだろう、きっと褒めてもらえるに違いない、という先走った思い込みではなかったろうか。
民主主義というものは大勢の人々の願望に答えるということが善のように言われているが、これは案外危険なことで、大勢の人が願っていることは往々にして無責任が言動が多いと思わなければならない。
私は戦後60年にして軍部の独断専横を咎め、治安維持法に何故知識人が反対しなかったか、と当時の知識人を糾弾し、一人で粋がって息巻いているが、これはあの時代の国民の大部分が容認していたと考えなければならない。
美濃部達吉氏の「天皇機関説」を糾弾し、斉藤隆雄の「粛軍演説」を糾弾し、南京陥落で提灯行列をしたのはほかなら日本の国民であったわけで、当時の知識人も国民の一人としてこれらを支持していたのである。
支持していたからこそ、敗戦となってみると「裏切られた!」、「もう同胞の政府など信じるものか!」という反応となって今日に及んでいると思う。
今の我々には「菊と刀」のいう「恥の文化」の恥そのものが存在していない。
平成18年9月22日の報道では祖国の国歌や国旗に敬意を払わない公立学校の先生を容認する判決が出た。
「恥」以前の問題ではないか。

「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」

2006-09-21 07:00:53 | Weblog
「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」という長ったらしい題名の本を読んだ。
昨年、発刊されたときにすぐにでも買いたい衝動に駆られたが、ゼニの問題と本を買うと貯まるということから、買わずに指をくわえて我慢した。
私は、あの戦争、日中戦争から対米戦に至る一連の経緯は、人種間戦争だと思っている。
地球には、この上に生き続けている人種、人類、人間をおおざっぱに分類して3種類の人種で成り立っていると思う。
人類学上の詳しいことは知らないが、普通の認識では、言うまでもなく、ヨーロッパ系の白人、アフリカ系の黒人、アジア系の黄色人種である。
しかし、今日我々が歴史という視点で地球上に住む人種を見てみると、その大部分は西洋系の白人によって人類の歴史というものが築かれてきたと断言していいと思う。
確かにジンギスカンのヨーロッパ遠征などということもあったが、それは人類の歴史のほんの一瞬のことで、その意味で、我々の大東亜共栄圏の幻影も「幻の瞬き」であったものと思う。
19世紀に至るまでの人類の歴史というのはヨーロッパ系の白人の歴史であった。
20世紀初頭に日本が近代化したということは、日本が西洋系の白人の文化に、ものの考え方の基調に、きわめて大きな影響力を及ぼすようになったということだ。
ヨーロッパ系の白人の間に、「黄色人種の中にも我々を凌駕しかねない民族がいる」ということを認識させたに違いない。
確かに、地球上には各地で独自の文化が栄えたことは事実であろう。
ところが、それらは歴史の推移と共に、すべてヨーロッパ系の白人の文化に収斂されてしまったわけで、アフリカの黒人、アジアの黄色人種が、ヨーロッパ系の白人の上に出ることはなかった。
今日のヨーロッパの洗練された文化、整備された都市基盤、きちんと整った社会的基盤整備というものは、そのすべてがアジアの黄色人種からの略奪による富の集積の結果ではないか。
この本の表題は明らかにそういう白人の差別意識を告発するのが目的だろうと思うが、悲しいかな、アジアの黄色人種の中からヨーロッパの白人に対して、彼らを乗り越えようという意欲は見られない。
太平洋の問題は究極のところ中国大陸の問題である。
太平洋のすべての諍いは、ことごとく中国絡みの問題である。
中国国内が平穏でないかぎり、太平洋の波風は治まらない。
そのことを彼ら中国人は未だかって考えたことがない。
無理もない話で、アジアの大半を占めるアジア大陸はあまりにも大きな単一の大陸で、そこに生きる中国人にしても、この大きな大陸を一つの統一国家として平定することは人類の歴史上未だかってないわけで、だからこそ、その隙間にヨーロッパ系の白人は入り込んで富を収奪したのである。
今までの歴史から敷衍して、ヨーロッパ系の白人から黄色人種を眺めてみれば、彼らが差別意識を持つのが当然で、彼らにしてみれば黄色人種など人間のうちにも入らず、猿かチンパンジーくらいにしか見えなかったとしても何ら不思議ではない。
現実に19世紀までのアジアの人々はそうだったと思う。
はるばる海を越えてアジアの地にたどり着いたヨーロッパ人が見たものといえば、裸のアジア人で、着ているものも履いているものも西洋の文化とはかけ離れた状況であったろうと想像する。
アメリカ大陸でも同様であったからこそ、西洋人が原住民を制圧したではないか。
そういう状況下で、20世紀初頭のアジアは、ヨーロッパに対して過去の人種的偏見を振り払い、ヨーロッパに対して自立しなければならなかった。
その責任はひとえに中国にあるものと考える。
この時期、我々日本は、ヨーロッパに対して大いに自立しようと画策していたが、その足を引っ張ったのが他ならぬ中国である。
日中戦争から日米開戦に至る過程で、日本もある意味で日本独自の国益ということを掲げたことも事実であるが、中国もこの古典的は思考から一歩も出ることがなく、あまりにも国益に固執しすぎた。
ところが同じ国益という言葉でも、我々のいう国益と中国人の考えている国益には大きな乖離があったわけで、我々の場合は自分たちの民族のためという要素が大きいが、中国人のいう国益は私利私欲にちかい思考で、全体のためという発想が極端に小さい。
日本が過去、現在、未来を通じて、世界から嫌われるのは、その優秀さにあると思う。
その優秀さ故に周りから突出してしまい、これが白人ならばそうでもなかろうが、黄色人種なるが故に、世界はモグラ叩きの標的にするわけである。
それに反し、中国人は、ヨーロッパ系の白人からみて安心して差別意識でもって付き合えれる相手で、弱々しく、無知に等しく、西洋を乗り越える気遣いは全くないので、逆に庇護したくなる欲求に駆られるが、日本は油断するとすぐに自分たちを乗り越え、凌駕しかねない存在なので、彼らにしてみれば怖くてならない存在であったわけである。
20世紀になって、日本が清国を倒し、ロシアに勝ち、アジアに進出したとき、アジアの民は一斉に西洋列強、ヨーロッパ系の白人に対して蜂起しなければならなかったはずである。
事実、第2次世界大戦後、アジア諸国は独立を勝ち得たが、そのきっかけは日本が彼ら西洋列強のパワーを粉砕したことにあるわけで、それが無かったとするならば、アジアは今でも植民地に甘んじているに違いない。
あの大戦の末期、アメリカは何故日本にだけ原爆を使ったかと考えると、こう結論つける以外考えようがないではないか。
世界は日本をことのほか恐れていたのである。
戦後60年を経過して、中国は未だに日本に対して大戦中のことや靖国神社のことで干渉がましいことを言っているが、こういうことがアジアの統一を阻害しているのである。
それでいてアメリカ人に代表される白人、ヨーロッパ系の人には遜っている。
あの大戦中を通じて、自分たちでは鉄砲一丁つくることができず、何から何まで西洋列強の武器援助に頼っていた国が、戦後日本にだけは高飛車な態度に出るということは、中国に連綿と生き続けている華夷秩序から脱却できていないと言うことで、それこそ時代錯誤というものである。
あの大戦中に西洋列強が中国を味方に引き入れ、中国も西洋列強にすり寄ったということは、同じ黄色人種でも中国は御しやすく日本は御しにくいということを表しているわけで、中国を御しやすいと思いこんだ根拠は、戦後はこの地が資本主義体制のもとで市場となると読んでいたからだと思う。
ところが大戦が終わってみれば中国は共産主義国家となってしまったわけで、彼らのもくろみは当てがはずれたということになり、ならば日本を共産主義の防波にしなければならないということになった。
昨日の味方が今日は敵になり、昨日の敵が今日は味方になったということである。
ある意味で対日戦に勝つために一時的に利用したということであったかもしれない。
この本の表題である「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」ということは、言うまでもなく日本人を原爆の生体実験に使ったということで、それは同時にソ連との駆け引きの材料として使われた。
その意味で、大国同士の国際政治、外交政策の犠牲であったということがいえる。
我々、日本人がモノ作りの面にはたけていることは論を待たないが、政治という面ではあのマッカアサーが言った「12歳の子供」という言葉は言い得て至言である。
昭和20年に至って、あの東京の現状から見て、徹底抗戦、本土決戦というかけ声の空々しいむなしさ、ソ連に仲介を頼もうとする外交センスの欠如、これを「12歳の子供」と言わずしてどう表現すればいいのであろう。

携帯電話

2006-09-19 07:47:20 | Weblog
昨日、敬老の日に嫁いだ娘がシニア用の携帯電話を贈ってくれた。
シニア用と言ってもテンキーの活字が大きく、機能が多少少ないだけでほとんど変わらない。
今までにも全く携帯電話を持ったことがないというわけではない。
プリペイド式の通話専用のものはアッシーの連絡用にと持たされていたが、若者と同じ機能を持ったものは初めてである。
今まで、電車の中や、町中で、若い人たちが親指でコチョコチョやっているのが不思議でならなかった。
何故、あんなことで文章が送れるのか不思議でならなかった。
しかし、自分で手にとってやってみれば、今まで尻込みしていたのが不思議なくらいのめり込める。
若者がのめり込むのも無理はないと思う。
メールも簡単なものならばすぐにマスターできた。スケジュール管理もできる。
こんなに便利なものだとは知らなかった。
思えば、今までのは自分から好きにならず、人から言われて無理矢理、相手の都合に合わせて持たされていたので、それを持つと言うことに関して意欲的でなかった。
それで、自分でもこれを使いこなそうという最初の一歩が踏み出せなかったようだ。
ところが自分から、「前向きにトライして見よう」という気がほんの少し起きた途端、目の前が一気に開けたような気がした。
ところが、我々の世代になると相手がメールアドレスを持っていない。
同世代のメル友がいない。今までしていなかったのだから当然かもしれない。
仕方がないのでもっぱら娘とメールの交換するほかない。

フウテンノ寅さん

2006-09-17 07:05:28 | Weblog
アノー、昔から馬鹿は「死なきゃ直らない」と申しますが、本当ですネー。
私もご幼少の頃から、自分は馬鹿ではないかと思い続けて今日まできてしまったが、いくつになっても馬鹿は馬鹿のようですね。
と、言いますのも、NHKのBSで「フウテンの寅さん」を放映してかなりになりますが、これが始まりますとテレビの前から離れられない。
テレビの前で正座して始まる前から待っている始末です。
「松竹」のタイトルが映し出されるともう顔の筋肉がゆるんでくるのが自分でもわかります。
でも、あまり何度も見たので、最近はそのおかしさに慣れてしまって、一頃のように抱腹絶倒ということはなくなってしまったが、それでも一人笑、思い出し笑いをしてしまう。
昨日のマドンナは「都はるみ」であったが、訳ありの女という思いこみから、それにふさわしく気を遣うところが寅さんらしく描かれていた。
この山田監督の作品は人物を追うだけではもったいなくて、背景を十分に目に焼き付けないと損をする気分になる。
後ろのバック、背景の景色を十分に見ないと損をする。
昨日の舞台は佐渡島で、佐渡の風景がすばらしいアングルで描かれていた。