ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「私の昭和漫訪記」

2007-02-06 17:20:22 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「私の昭和漫訪記」という本を読んだ。
個人の自分史そのものであるが、それがそのまま昭和の時代を映し出しているというものだ。
昭和に生きた人間が自分のヒューマン・ヒストリーを綴れば、おのずとそれはそのまま昭和史になるのも当然ではある。
しかし、その本人が、その時代にいかなる心構えで立ち向かったかで、その人の昭和史が肯定的にもなり否定的にもなる。
われわれの感情の中には、当たりまえのものを当たりまえと思えば、面白くもおかしくもない。
目の前のものを否定的に、悲観的に捉えると、なんとなく時代の矛盾に敢然と戦い抜いて生きてきたような優越感に浸れる。
人は平穏無事な日常を綴ったものよりも、変化に富んだ波乱万丈の人生を綴った作品のほうをよしとするに違いない。
けれども大部分の人の人生というのは、そうそう大波乱に富んだものではないはずで、世の中の矛盾に自分の身を合わせて生きてきたものと考える。
しかし、日本および日本人というものを考えるときは、時代に反感を持ち、矛盾を突いて己の整合性を主張し、不平不満の固まりとして生き抜いてきた人たちよりも、時代状況に順応して生き抜いた人々に目を向けるべきではなかろうか。
時代状況に不満を持ち、現状を改善しなければならない、とまじめに思い込んで過激な行為に出たのが昭和の初期の時代に突出したテロ行為ではなかろうか。
戦後は、個々のテロという行為は鳴りを潜めたが、それに変わって大衆示威運動としてのデモという形でそれが露呈して来た。
テロよりもデモのほうが直接的な殺人を伴わないだけ人間が利口になったということであろう。
しかし、テロやデモでは世の中は変えられないわけで、世の中を変えるには、国民の底辺、大衆の下層部分の底上げが伴わないことには人々の心の平安は得られないのである。
第2次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争の前までのわれわれは、富国強兵ということを無意識のうちに思い込んでいたが、戦後は強兵ということが否定され、われわれはただただ生きんがために死に物狂いで生産活動にまい進した。
その結果として、ふと気がついてみるとアメリカに次ぐ経済大国になっていたわけで、そうなった根本のところには、無辜の大衆の時代状況への貢献があったと思う。
つまるところ、生きんがためにもくもくとわき目も振らずに働き続けた結果だということだ。
黙々と、黙って働き続けている人々を傍目で見ながら、不平不満を声高に叫び、デモを繰り返しておれば太平天国の世が来ると思い違いをしていたのが、大学生や、その教授連中や、メデイアをはじめとする知識人という連中である。
彼らは、ただただ世の中を面白おかしくするためにデモを煽り、生産を阻害し、まじめな労働者に迷惑をかけただけで、戦後の復興には具体的に何一つ貢献していない。
戦後の復興は、無名の勤労者のたゆまぬ勤労にあったものと思う。
この著者は素直に昭和天皇を賛美されているが、その意味できわめて良心的な日本人の一人だと確信する。
前の田原総一郎の本にも書いたが、昭和天皇というのは実に民主的な思考の持ち主だった、と私も思う。
戦前、戦中、戦後を通じて、昭和天皇は常に民主的であろうと心がけておられたと思う。
戦争ということは国家の行為なわけで、国家としての行為ともなると、元首といえども自分でするしないの決断をする立場であったとしても、一旦決定してしまった以上、自分の下した決定に従わざるを得ない。
だから昭和天皇はマッカアサ-の前にいって「一切の責任は自分のある、自分の身はどうなってもいいから国民を助けてくれ」といったのである。
これって、本当は、われわれ日本人にとってはきわめて普通のことではなかろうか。
特別に昭和天皇が慈悲深いというほどのことでもないし、特別に高貴な思想というわけでもないはずである。
問題は、天皇という立場でいながら、ごく普通のことを普通に言われた、という点に昭和天皇の偉大さがあるということである。
戦争に入っていく過程の御前会議の様子でも、天皇は民主的であろうと心がけるあまり、沈黙を通したが、内心は戦争などしたくないと思っていたわけである。
天皇は、政治にはノータッチの立場を貫き通そうとしたけれど、内閣、いや内閣とはいえなかったかもしれないが、閣僚が決めたことには口を差し挟むことを控えていたわけである。
これも立憲君主制を堅持しようとするという昭和天皇の立場からすれば、ごくごく当然のことなわけで、われわれは誰か大号令をかけてきちんと命令したわけでもないのに、ずるずると戦争にはまり込んでいってしまったのである。
私が「普通のこと」といった場合、それは日本人にとっては普通のことであるが、民族が違えば決して普通のことではないわけで、そこにこそ「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」という俚言がある。
普通のことを普通と認識することはきわめて大事なことだと思うが、それでは面白くもおかしくもないわけで、普通ではない、少しばかり才覚に長けた人は、奇をてらうという行動に出る。
テロ行為というのはその極致で、誰もそんなことは容認できないので、テロを糾弾する発言は、それが当たり前なるがゆえに何ら評価されることがない。
ところが、そのテロ行為に対して、「テロは容認できないが、その至誠は察するに余りある」というように、テロをした犯人を擁護するような発言をすると、これはまさしく奇をてらう言葉であり、世の関心を集めるということになる。
テロを糾弾する発言は、普通の平穏な社会ではあまりにも当然のことゆえ、ごく当たり前のことであり、おもしろくもおかしくもない。
まさしく床屋談義の域を出るものではない。
ところが犯人のそこに至るまでの心の遍歴を考慮して、「漢奸に鉄槌を加えるという心情は察して余りある」というような論説を流布すれば、なんとなく奇をてらう物分りのいい論説とみなされるのである。
まさに「罪を憎んで人を憎まず」という日本人の感性を刺激するわけで、テロに対して減刑嘆願書が集まるという構図である。
この状況では、法よりも感情が優先しているわけで、法が感情で左右されるようでは民主主義というものの根底がふらついてしまう。
ところが普通の大部分の沈黙した大衆というのは、ごく当たり前の思考を、当たり前なるがゆえにことさら大きな声で騒ぎ立てることはないが、奇をてらう発言は、それが当たり前の思考でないがゆえに大声でわめきたてるわけである。
大声でわめきたてれば、それはだんだんと整合性を持つにいたるわけで、嘘でも最後は真実になってしまう。
個々の人々は戦争になどに行きたくないが、その一人一人の個人が集合して学校単位、町内単位、集落単位となると、個人の感情を差し置いて「イケイケドンドン」、「勝ってくるぞと勇ましく」、となるわけである。
そのことは、そのものずばり、世の矛盾に順応してしまうということで、こういう矛盾に取り囲まれてわれわれは敗戦という奈落の底に一度は落ちたわけである。
奈落の底に日本国民の全部が落ちて、それこそ皆平等に苦難を背負ってみると、今度が掛け声のベクトルが反対向きになって、「あいつがやれば俺もやる」、「イケイケドンドン」になったわけである。
よって戦後は強兵を欠いたまま、富国を達成してしまったけれど、世の矛盾というのはわれわれには相変わらずついて回っている。