例によって図書館から借りてきた本で「日本外交の無能と戦争責任」という本を読んだ。
これは本というよりもパンフレットに近い薄い冊子であるが、内容的には非常に意味の深いものであった。
この中で吉田茂に対する評価は私と意見を異にするものであるが、その他の部分では大いに共感するものがある。
先の戦争にかかわる部分で、外交官、外務省に関する糾弾の中で、日米開戦当時の駐米大使館員であった奥村勝三、寺崎英成、井口貞夫に対する詰問は当然のことだと思う。
厳密に言えばこの3人の上に野村吉三郎と来栖三郎がいたが、彼らは駐米大使館の組織のトップとはいうものの日米交渉のために臨時にその役割を担ったわけで、いわば看板のようなもので、実務はこの3人が負うべきだと思う。
しかも昭和天皇は開戦にあたり、こういうこと、つまり開戦の手続きに「遺漏なきように」と念を押されているにもかかわらず、遺漏をしてしまったという点からすると、彼らは切腹して当然という立場にあったわけである。
にもかかわらず、奥村勝三はその後外務次官となり、終戦直後、昭和天皇とマッカアサーの会見に立会いその内容をリークしている。
寺崎英成は、その後、宮内庁御用掛となり「昭和天皇独白録」を出しているが、これも昭和天皇の心中を暴露したようなものだ。
また、井口貞夫は昭和26年のサンフランシスコ講和条約締結に随行員としてついていっている。これらの人事を全部吉田茂のしたことだとはにわかに信じがたいが、著者の立腹も察して余りある。また、同時に杉原千畝に対する処遇は、ユダヤ人を6千名も救済した実績に鑑みても、これらと全く正反対になっているわけで、著者が憤慨するのももっともなことだ。
この著者、杉原誠四郎氏が吉田茂を糾弾する根拠は、彼がこれら外交官の失敗をかばい、彼らを厳しく諌めることをせず、逆に擁護した点が彼の逆鱗に触れているということから来ている。
基本的には外務省の有り体がだらしがないから、日本は奈落の底に転がり落ちたという意味では大いに共感が得られる。
私も心底そう思っているし、同じ趣旨の文をすでにHP上に発表している。
昭和初期の段階で、日本軍が中国全土に軍を進めている現状にてらして、諸外国はどう反応するのかという情報収集とその分析は外務省であれば当然しなければならないことである。
日本の外務省の外交官、ないしは職員には、そういうことがまったく理解されていなかった。
ただただ相手国の意向を本国に伝えるだけのことしかしていなかったわけで、これでは子供の使いとまったく同じレベルのことでしかない。
日本の政府から派遣されて外国の領事館ないしは大使館に派遣されるということは、その職務の中に、当然、情報収集も含まれているわけで、もっといえば情報収集だけではなく情報の分析までもその職分の中に入っていると思うのが外交というものに対する普通の思考であり、普通の認識だと思う。
日本の外務省の人間には、それがまったく判っていないようだ。
その理由を推察するならば、基本的には、外交官の採用試験、任用のときからその矛盾が内在していたと考えなければならない。
外交官試験に受かるということは、非常な難関をクリアーすることで、難関であるからこそ、それをクリアーしたということは、押しも押されもせぬエリートとして選別されたということである。
そういう難関をクリアーした人にしてみれば、こまごまとした仕事は自分たちの職分ではないと思うのも無理からぬことである。
それを端的に示しているのが、日米開戦の宣戦布告の文書を清書するのにタイプを打てる人がいなかったという例に見える。
英語圏に派遣されているのに、自分でタイプライターも打てない人間ではなんとも仕様がないではないか。
ところが彼らは、エリートがタイプを打つこと自体を認識していないわけで、それが当然だと思っているのである。
なんとなれば、タイプを打つなどという仕儀は下級職員の仕事で、自分たちエリートはそんなことする必要がない、と思い込んでいたわけである。
車を運転するのは、運転手という下等な職域にすることで、自分は後ろでふんぞり返るべき人間だ、という認識であり、今で言えば、コンピューターの使い方を自分でマスターしなくても、必要なときは人に頼んで資料を目の前に出してもらえばいい、という認識であり、そういうことは下級のものの職務分担だ、といっているようなものである。
非常に狭い門をクリアーしてきたエリートの認識がこの程度なのだから、宣戦布告の文書がどれだけ大事なものか、という認識もまったくなかったに違いない。
日米交渉を通じて、今にも戦争が始まるという感覚とか、緊張感とか、異様に張り詰めた雰囲気などが、このときの駐米大使館の人間には理解されていなかったに違いない。
普通にまともな人間ならば、すぐにでも戦争になるかもしれない、という雰囲気は肌で感じれると思うし、それを感じたら、しばらくの間は全員待機を命じ、何時いかなるときでも直ちに対応する体制を整えて準備すると思うが、当時の駐米大使館にはそういう緊張感が微塵もなく、極めてのんびりと日曜日の朝を迎えていたようだ。
この、今にも戦争になるかも知れない、という雰囲気を嗅ぎ取れない外交官ではまったく話にならないではないか。
この鈍感さという点から見れば、頭から無能とののしられても致し方ない。
この著者の怒りは、無能だけならばまだいいが、その無能な外交官が重大な失敗をしたにもかかわらず、処罰もされなければ、首にもならず、出世している点に、怒りの真骨頂があったわけだ。それをしたのが吉田茂というわけで、吉田茂は彼にかかるとコテンパンにこき下ろされている。
吉田茂も外務省出身ということはよく知っているので、案外そういう見方が正しいのかもしれない。外務省の杉原千畝に対する処遇についても著者が怒るのも無理ないと思う。
外務省として彼、杉原のとった行為の意味というものを全く理解していないということだろうと思う。
自分達の同僚のとった行為の意味を全く理解しないということも、実に由々しき問題なわけで、この認識が蔓延していたからこそ、日米開戦の宣戦布告の文書が遅れても、なんら処罰もされなければ首にもならないということなのであろう。
つまり、あらゆることに対して、そのことが重大な要因を含んでいるかどうか、という判断が全く出来ていないということである。
これでは無能と言われてもなんら返す言葉がないというものであろう。
教科書の誤認報道に対する措置でも、脱北者の処遇に対する措置でも、領事館員の自殺の件でも、小泉首相の靖国神社参詣の問題でも、相手側の言っていることの本意、狙い、ことの重大さ、ないしは外交的なブラフというものの本質がまったくわかっていないから、相手の言うがままに振り回されているのである。
しかし、これらのことにはその一つ一つに国益が絡んでいるわけで、主権国家の外交官ならば、その国の国益の擁護が最重要なことであるにもかかわらず、ことの軽重がわかっていないものだからそれが損なわれている。
国益が損なわれていること自体が認識されていないのではなかろうか。
戦争が政治の延長という言葉は広く流布されているが、外交もそれ以上に政治の延長なわけで、政治といった場合、それは国の内側に向けられがちだが、外交の場合は、そのベクトルが外側に向かっているのである。
戦後の日本は、戦争という武力行使を極端に嫌っているが、外交さえしっかりしていれば、戦争という血を見るような最悪の選択はしないですむわけである。
外交さえしっかりしていれば、国民は一滴の血を流すことなく国益を擁護できるのである。
そのためには、相手の国をとことん研究しなければならないし、綺麗な仕事ばかりではなく、汚いことに手を染めなければならないことも多々あるわけである。
アメリカのCIAも、イギリスのMI6も、ソ連のKGBも、それぞれに情報を集めてそれを外交交渉に利用していることは歴然としているが、自分の手の内は決して見せないようにしている。
それが外交の常道なわけで、自分の手の内は決して見せずに相手から譲歩を引き出すように知恵と情報を使い分けるのである。
戦争は単なるその場の思いつきするものではなく、双方がそのための準備をする関係上、予兆というものがあって、それを探るのも外交官の重要な使命のはずであるが、日本の外交官はまったくそういうことに無頓着である。
その意味で、外交官というのは任地に赴任している間中、その地では戦闘状態でなければならないし、常に臨戦態勢でなければならないはずである。
軍隊というのは戦争が始まってから動けばいいが、外交官というのは、赴任してから離任まで、毎日が臨戦態勢、戦闘体制で情報収集に努めなければならないので、その点で他の官庁とは大いに異なっていると思う。
日本の外交官にはその心構えがないのではなかろうか。
旧ソ連の駐日大使館などは、全員が情報部員のようなもので、それは対日情報だけではなく、日本の絡んだ他国の情報も収集するわけで、それでこそ本当の外交施設としての大使館であり領事館だと思う。
そこに行くと、日本の外交官というのは先方のメッセンジャーボーイのようなもので、相手から馬鹿にされるのも致し方ない。
昔のヨーロッパの外交官というのは、それこそ「会議は踊る」で、毎日の宴会やダンスパーテーによる人的コミニケーションでしか情報を得られなかったが、昨今はそんな時代ではないわけで、情報のあり方も大きく変わり、それにともなって収集方法もその手段も様変わりしている。
なおかつ集めた情報を分析するということも収集以上に重要なわけで、われわれの国の外交官というのは、そういう面に非常に立ち遅れた認識しか持っていないということである。
外交官が任地で的確な情報を収集し、その情報を綿密に分析して、それによって外交を牛耳れば、国民の側としては血で血を洗う戦争などしなくても済むはずである。
日本が今後とも平和国家として武力行使をしないで生きていこうとすれば、外交官の更なる努力が望まれるが、日本の外務省にはそれは望めないであろう。
われわれはいかなる状況でも戦争状態にはしたくないのだから、結局のところ金で解決ということになるのであろうが、その金は国民の血税なわけで、そのことから考えれば外務省および外交官は国益ということを頭に入れてもらいたいものだ。
これは本というよりもパンフレットに近い薄い冊子であるが、内容的には非常に意味の深いものであった。
この中で吉田茂に対する評価は私と意見を異にするものであるが、その他の部分では大いに共感するものがある。
先の戦争にかかわる部分で、外交官、外務省に関する糾弾の中で、日米開戦当時の駐米大使館員であった奥村勝三、寺崎英成、井口貞夫に対する詰問は当然のことだと思う。
厳密に言えばこの3人の上に野村吉三郎と来栖三郎がいたが、彼らは駐米大使館の組織のトップとはいうものの日米交渉のために臨時にその役割を担ったわけで、いわば看板のようなもので、実務はこの3人が負うべきだと思う。
しかも昭和天皇は開戦にあたり、こういうこと、つまり開戦の手続きに「遺漏なきように」と念を押されているにもかかわらず、遺漏をしてしまったという点からすると、彼らは切腹して当然という立場にあったわけである。
にもかかわらず、奥村勝三はその後外務次官となり、終戦直後、昭和天皇とマッカアサーの会見に立会いその内容をリークしている。
寺崎英成は、その後、宮内庁御用掛となり「昭和天皇独白録」を出しているが、これも昭和天皇の心中を暴露したようなものだ。
また、井口貞夫は昭和26年のサンフランシスコ講和条約締結に随行員としてついていっている。これらの人事を全部吉田茂のしたことだとはにわかに信じがたいが、著者の立腹も察して余りある。また、同時に杉原千畝に対する処遇は、ユダヤ人を6千名も救済した実績に鑑みても、これらと全く正反対になっているわけで、著者が憤慨するのももっともなことだ。
この著者、杉原誠四郎氏が吉田茂を糾弾する根拠は、彼がこれら外交官の失敗をかばい、彼らを厳しく諌めることをせず、逆に擁護した点が彼の逆鱗に触れているということから来ている。
基本的には外務省の有り体がだらしがないから、日本は奈落の底に転がり落ちたという意味では大いに共感が得られる。
私も心底そう思っているし、同じ趣旨の文をすでにHP上に発表している。
昭和初期の段階で、日本軍が中国全土に軍を進めている現状にてらして、諸外国はどう反応するのかという情報収集とその分析は外務省であれば当然しなければならないことである。
日本の外務省の外交官、ないしは職員には、そういうことがまったく理解されていなかった。
ただただ相手国の意向を本国に伝えるだけのことしかしていなかったわけで、これでは子供の使いとまったく同じレベルのことでしかない。
日本の政府から派遣されて外国の領事館ないしは大使館に派遣されるということは、その職務の中に、当然、情報収集も含まれているわけで、もっといえば情報収集だけではなく情報の分析までもその職分の中に入っていると思うのが外交というものに対する普通の思考であり、普通の認識だと思う。
日本の外務省の人間には、それがまったく判っていないようだ。
その理由を推察するならば、基本的には、外交官の採用試験、任用のときからその矛盾が内在していたと考えなければならない。
外交官試験に受かるということは、非常な難関をクリアーすることで、難関であるからこそ、それをクリアーしたということは、押しも押されもせぬエリートとして選別されたということである。
そういう難関をクリアーした人にしてみれば、こまごまとした仕事は自分たちの職分ではないと思うのも無理からぬことである。
それを端的に示しているのが、日米開戦の宣戦布告の文書を清書するのにタイプを打てる人がいなかったという例に見える。
英語圏に派遣されているのに、自分でタイプライターも打てない人間ではなんとも仕様がないではないか。
ところが彼らは、エリートがタイプを打つこと自体を認識していないわけで、それが当然だと思っているのである。
なんとなれば、タイプを打つなどという仕儀は下級職員の仕事で、自分たちエリートはそんなことする必要がない、と思い込んでいたわけである。
車を運転するのは、運転手という下等な職域にすることで、自分は後ろでふんぞり返るべき人間だ、という認識であり、今で言えば、コンピューターの使い方を自分でマスターしなくても、必要なときは人に頼んで資料を目の前に出してもらえばいい、という認識であり、そういうことは下級のものの職務分担だ、といっているようなものである。
非常に狭い門をクリアーしてきたエリートの認識がこの程度なのだから、宣戦布告の文書がどれだけ大事なものか、という認識もまったくなかったに違いない。
日米交渉を通じて、今にも戦争が始まるという感覚とか、緊張感とか、異様に張り詰めた雰囲気などが、このときの駐米大使館の人間には理解されていなかったに違いない。
普通にまともな人間ならば、すぐにでも戦争になるかもしれない、という雰囲気は肌で感じれると思うし、それを感じたら、しばらくの間は全員待機を命じ、何時いかなるときでも直ちに対応する体制を整えて準備すると思うが、当時の駐米大使館にはそういう緊張感が微塵もなく、極めてのんびりと日曜日の朝を迎えていたようだ。
この、今にも戦争になるかも知れない、という雰囲気を嗅ぎ取れない外交官ではまったく話にならないではないか。
この鈍感さという点から見れば、頭から無能とののしられても致し方ない。
この著者の怒りは、無能だけならばまだいいが、その無能な外交官が重大な失敗をしたにもかかわらず、処罰もされなければ、首にもならず、出世している点に、怒りの真骨頂があったわけだ。それをしたのが吉田茂というわけで、吉田茂は彼にかかるとコテンパンにこき下ろされている。
吉田茂も外務省出身ということはよく知っているので、案外そういう見方が正しいのかもしれない。外務省の杉原千畝に対する処遇についても著者が怒るのも無理ないと思う。
外務省として彼、杉原のとった行為の意味というものを全く理解していないということだろうと思う。
自分達の同僚のとった行為の意味を全く理解しないということも、実に由々しき問題なわけで、この認識が蔓延していたからこそ、日米開戦の宣戦布告の文書が遅れても、なんら処罰もされなければ首にもならないということなのであろう。
つまり、あらゆることに対して、そのことが重大な要因を含んでいるかどうか、という判断が全く出来ていないということである。
これでは無能と言われてもなんら返す言葉がないというものであろう。
教科書の誤認報道に対する措置でも、脱北者の処遇に対する措置でも、領事館員の自殺の件でも、小泉首相の靖国神社参詣の問題でも、相手側の言っていることの本意、狙い、ことの重大さ、ないしは外交的なブラフというものの本質がまったくわかっていないから、相手の言うがままに振り回されているのである。
しかし、これらのことにはその一つ一つに国益が絡んでいるわけで、主権国家の外交官ならば、その国の国益の擁護が最重要なことであるにもかかわらず、ことの軽重がわかっていないものだからそれが損なわれている。
国益が損なわれていること自体が認識されていないのではなかろうか。
戦争が政治の延長という言葉は広く流布されているが、外交もそれ以上に政治の延長なわけで、政治といった場合、それは国の内側に向けられがちだが、外交の場合は、そのベクトルが外側に向かっているのである。
戦後の日本は、戦争という武力行使を極端に嫌っているが、外交さえしっかりしていれば、戦争という血を見るような最悪の選択はしないですむわけである。
外交さえしっかりしていれば、国民は一滴の血を流すことなく国益を擁護できるのである。
そのためには、相手の国をとことん研究しなければならないし、綺麗な仕事ばかりではなく、汚いことに手を染めなければならないことも多々あるわけである。
アメリカのCIAも、イギリスのMI6も、ソ連のKGBも、それぞれに情報を集めてそれを外交交渉に利用していることは歴然としているが、自分の手の内は決して見せないようにしている。
それが外交の常道なわけで、自分の手の内は決して見せずに相手から譲歩を引き出すように知恵と情報を使い分けるのである。
戦争は単なるその場の思いつきするものではなく、双方がそのための準備をする関係上、予兆というものがあって、それを探るのも外交官の重要な使命のはずであるが、日本の外交官はまったくそういうことに無頓着である。
その意味で、外交官というのは任地に赴任している間中、その地では戦闘状態でなければならないし、常に臨戦態勢でなければならないはずである。
軍隊というのは戦争が始まってから動けばいいが、外交官というのは、赴任してから離任まで、毎日が臨戦態勢、戦闘体制で情報収集に努めなければならないので、その点で他の官庁とは大いに異なっていると思う。
日本の外交官にはその心構えがないのではなかろうか。
旧ソ連の駐日大使館などは、全員が情報部員のようなもので、それは対日情報だけではなく、日本の絡んだ他国の情報も収集するわけで、それでこそ本当の外交施設としての大使館であり領事館だと思う。
そこに行くと、日本の外交官というのは先方のメッセンジャーボーイのようなもので、相手から馬鹿にされるのも致し方ない。
昔のヨーロッパの外交官というのは、それこそ「会議は踊る」で、毎日の宴会やダンスパーテーによる人的コミニケーションでしか情報を得られなかったが、昨今はそんな時代ではないわけで、情報のあり方も大きく変わり、それにともなって収集方法もその手段も様変わりしている。
なおかつ集めた情報を分析するということも収集以上に重要なわけで、われわれの国の外交官というのは、そういう面に非常に立ち遅れた認識しか持っていないということである。
外交官が任地で的確な情報を収集し、その情報を綿密に分析して、それによって外交を牛耳れば、国民の側としては血で血を洗う戦争などしなくても済むはずである。
日本が今後とも平和国家として武力行使をしないで生きていこうとすれば、外交官の更なる努力が望まれるが、日本の外務省にはそれは望めないであろう。
われわれはいかなる状況でも戦争状態にはしたくないのだから、結局のところ金で解決ということになるのであろうが、その金は国民の血税なわけで、そのことから考えれば外務省および外交官は国益ということを頭に入れてもらいたいものだ。