ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「国民の教育」

2012-02-28 14:10:41 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「国民の教育」という本を読んだ。
著者は渡部昇一氏である。
氏はメデイアによく登場しているので、そういう意味ではよく知った人であるが、彼の思考は私と全く同じなので、何となく自分の姿を鏡で見て脂汗を流しているガマガエルという感がしないでもない。
ただ違うのは、彼には灰色の脳髄がらあふれかえるような知識が備わっているが、私の脳みそは空っぽという点だけでである。
しかし、考え方が全く同じという場合、評論の仕様もないので、これもいささか困ったことだ。
この本は口述筆記と明記してあるので、その意味では非常に読み易かったが、何せその本の分厚さには閉口したものだ。
こういう時、私は、後ろの方ないしは真ん中から読んで、そこから先に繰り上がってくる、という読み方をする。
標題で教育と名売っているので、学校教育が話題になっていることは当然であろうが、その中で大学のレベル低下を憂う文言があったが、これもある意味で人類の軌跡の歩みに沿った、自然の流れに順応しながらの傾向であって、そうそう心配することでもないと思う。
人類の文化というものが未来永劫、右肩上がりで続くという発想は、そう考えた時点で間違っている。
人類の歴史はサインカーブと同じで、頂点を過ぎれば後は下降線を辿るというのは自然の摂理だと思う。
だから日本も既にその頂点を経過したわけで、後は右肩下がりの下降線を辿る運命だ、と考えればそう悲観することもない。
十数年前の日本経済の絶頂期においてさえ、日本の優良銀行や優良証券会社が倒産した事実がある。
そのことを考えると、日本の社会の中で優良と思われていた企業が倒産したということは、結果から見てそれらの企業は何にも優良ではなかった、ということである。
我々は優良でないものを優良と思いこんでいただけのことである。
私は先の大戦、アメリカ流の言い方で太平洋戦争、日本流の言い方で大東亜戦争の敗因は、我々の同胞の大部分の者が、優良な軍人、優良な政治家、優良な戦争指導者と思っていた人達が全く優良ではなかった、戦争の本質も知らないアホだった、だから敗戦に至ったと考えている。
あの当時は当然のこと軍部があり、軍隊があり、その軍隊には高級官僚がおり、その高級官僚を養成する職業訓練校として陸軍士官学校、海軍兵学校というものがあった。
この職業訓練校として陸軍士官学校、海軍兵学校は、軍人を養成するというコンセプトであったが故に、国民の中から広く人材を探し、優秀な人材をピックアップするシステムであって、日本全国津々浦々から優秀な人材が集まったことは事実であろうが、我々、日本民族の嵌り込んだ過ちは、その優秀さの中味を吟味することに気がつかなかったということだ。
つまり、この時に、我々日本民族の嵌り込んだ優秀という概念の本質が、学校の成績において高得点を取った者を優秀な人材と誤って認識してしまった、ということだ。
言い方を変えれば、点取り虫が良い点を取ることを優秀だ、思い違いしたというわけだ。
それが在校生や卒業生のみならず、日本国民の全階層にわたって、そういう認識で満ちあふれてしまったものだから、論理的な議論の進め方が成り立たなくなってしまったということだ。
戦後の日本においても、優秀な企業というのは、有名大学から人材をドンドン注ぎ込んで、完膚無きまでに優秀な体質であった筈であったが、実態は全くそうではなかったわけで、だからこそ倒産に至ったということだ。
戦争中の日本の戦争指導者、政治指導者が優秀でなかったから日本が負けたのと同じ論理なわけで、戦争で負ける、企業が倒産するということは、トップがバカだったの一語に尽きる。
で、日本の大学の知的レベルの低下の問題に戻ると、そもそも教育を金儲けの手段にしようという発想から間違っている。
公立であろうが私立であろうが、学校を作る、学校経営をするということは、文化的な事業で、金儲けは二の次三の次というポーズを取りたがるが、この偽善的な思考が深層に横たわってかぎり、真の教育には成りえない。
これは教育界だけの問題ではなく、社会全般で考えねばならない問題であって、その行きつく先は、日本民族が今後どう生き残るかの問題として考えねばならない。
我々の国ばかりではなく、世界的な傾向として、教育が個人の出世のツールに成り掛けている。
個人の出世のツールということは、少しでもよりよい生活に近ずく免罪符として高等教育があるわけで、それは学問の追求ではなくて、出世のためのカード・免罪符としての高等教育になってしまっているところが最大の問題だと思う。
時代が進むに連れて、社会のあらゆる階層で合理化が進むと、人はますます不要になり、人が余って失業者が増えてくる。
人が余りに余って失業者が多くなると、人々はますます職にありつくために、人よりも一歩でも付加価値の高いことを示さねばならず、高学歴を証明する免罪符が必要になり、それを求めて学校に集まってくる。
ところが我々の国はもう既にその段階も超越して、人口そのものが少なくなってきたわけで、学校も余ってくるようになってきた。
これは戦後の我が国の歴史の中で見られたように、産業構造の根本的、根源的な変化である。
石炭産業が淘汰されたように、繊維産業が淘汰されたように、製造業が海外にシフトしたように、人口の減少によって教育産業が淘汰される時代になってきたということである。
人口が少なくなるということは、その民族が衰退していくということであって、それは人間の力では是正し切れるものではない。
今の日本では30歳でも40歳でも親にパラサイトして生きいけるわけで、そういう人は当然子孫をつくるということもなく、負の資産しか残し得ない。
30歳の男や女が親と同居しておれば、その内に親子ともども社会福祉に依存するわけで、こういう傾向が普遍化すれば、日本全体として下降線を辿るということになるわけで、これは自然の摂理であって、人間の英知では克服できないことだと思う。
30代40代の高学歴な男女が、職も無いまま親にパラサイトしていて良い訳がないが、そういう人間がコンビニでレジを打つのも妙なもので、現実には今の日本はそうなっていると思う。
高学歴になればなるほど職はなくなると思う。
これはあくまでも産業構造の変革であって、実業の元での産業界ではこういう変遷はつきものであるが、大学といわず教育機関が、新入生の確保に血眼になるというのは、教育界が産業と化した結果であって、果たしてそれで本当に良いものであろうか。
教育というものが、金儲けの手段あるいは手法となってしまっていいものだろうか。
資本主義体制の日本の社会なのだから、何をやって金儲けをしても良い、という理屈は判らないではないが、教育を金儲けの手段にするという発想にはついて行けない。
むしろ、パチンコ屋やサラ金の経営者が金儲けと割り切って学校経営をするのならば、論理的にすっきりするが、教育を振りかざして金儲けをする偽善者又は欺瞞的な思考に対しては唾棄したくなる。
高学歴志向というのは何も日本だけの問題ではなく、地球規模で人々は高学歴に期待を寄せる傾向にあるが、大勢の人が望んでいることが正しいというわけではない。
人間の織り成す生きた社会というのは、常に進化しているわけで、物作りの手法が進化すれば、それは結果的に人余りの現象を呈するわけで、昔は10人も20人もでしていた作業を一台の機械で済んでしまうようになれば、人が余ってくるのは当然の帰結であって、その余った人間が再び職に就こうとすれば、それは限りなく狭き門になるわけで、結果として巷に失業者があふれるということになる。
有り余っている失業者の中で、何とか職に就こうとすれば、他者にはない付加価値を持たねばならず、それがいわゆる学歴となるが、そういう現状であればこそ、その学歴を売る商売、つまり教育産業が成り立つということになる。
そして教育が産業であるとするならば、当然のこと、実業界の試練をまともに受けても不思議ではないわけで、昨今の少子化という社会現象の波をモロに受ける仕儀に至っても居た仕方ない。
ヨーロッパには昔も今も立派な大学がいくつもあると思う。
アメリカにも優秀な大学が沢山あり、日本にも当然そういう立派な大学が沢山あることは言うまでもない。
しかし、この世に優秀な大学が掃いて捨てるほどあるにもかかわらず、人間の業としての戦争を、この人間社会から絶つことができないということは一体どういうことなのであろう。
この地球上に生きる人間の中に戦争を肯定する人はいないと思う。
戦争が好きで好きで、人と人が殺し合う光景がたまらなく好きだ、という人がこの世にいる筈はないが、それにもかかわらず人類が戦争を繰り返すということは、学問というものが人の欲望をコントロールするには何の役も立っていないということだと思う。
戦争ということは、主権者の欲望の葛藤なわけで、自分の思う通りに操縦できない他者に対して、武力で以て言うことを効かせるという行為だと思う。
この場合、戦う双方に人間がいるわけで、その人間の中から賢明な人が出てきて、双方の欲求の妥協点を見つけ出す知恵者が居そうなものだが、双方とも興奮し切っていると、そういう知恵者の出現を察知し得ないまま、血で血を洗う抗争に発展してしまう。
この時に、学問とか教養というものが何の役にも立っていないわけで、ヨーロッパの古い大学、アメリカの立派な大学、日本の旧帝大というような学問の府は一体どういう機能を果たしたのであろう。
人間の福祉に貢献しない学問など何の値打も無いではないか。
ここで私の言う福祉という言葉は、死に掛けた老人の介護というような狭義の福祉ではなく、戦争のない社会、武力行使のない世の中という意味で、親にパラサイトしている若者に生活保護を与えよというものではない。
ところがこういう状況下でも、学問あるいは最高の知性というのは、国家に殉じてしまうわけで、自分の属する国家が最高の利益を得るように機能してしまって、相手に対しては容赦ない妥協を強いるわけで、ぶっちゃけてざっくばらんに言い表せば、弱肉強食、強い者勝ち、適者生存という自然の論理から一歩も出るものではない。
知性、理性、教養というものは、戦争を回避する趣向に対しては何の価値も見出せず、何の力も示し得ないというわけで、所詮は自然の流れに身を委ねる他何ら価値ある行為はし得ないということだ。
ところが主権国家の中の一国民という立場からすれば、個々の知性、理性、教養は、国家に準じなければならないわけで、その事は自分の祖国に対して最高の利益の還元が求められるように、出処進退を律しなければならないということである。
つまり、個人の持てる能力の全部を、祖国に対して奉じるということであって、国益の追求に対して全知全能を傾けよということである。
主権国家であるならば、為政者・統治者は、国民に対して自国の繁栄と隆盛を実現させるべく、協力を強いることは当然の欲求であって、その目的実現に向かって、教育で以て国民をその方向に善導することは、主権国家の主権国家たる所以だと思う。
主権国家たるもの、自国の目指す理想や理念に向かって自国民に教育を施すことは当然のことであって、その教育内容に関して他国の干渉を受けるようでは、主権国家の自主権は一体何なのかということになる。
だから日本は我々の目指す理念と理想に向かって、その実現を目指して自分たちの子孫に教育するわけで、それは韓国でも中国でも同じである。
しかし、教育の場で明らかな差別意識、反日、嫌日、侮日の思想を、若い世代に摺り込んで果たしてそれが将来のお互いの関係に良い効果を示し得るであろうか。
事実は事実として若い世代に語り継がねばならないが、だからと言って、未来永劫、怨恨を引きずったままでは、両者の和解は成り立たないわけで、それが判らない知識人であっては甚だ困る。
歴史というのは、人間の生き様のある断面を示すものであって、「良いとか悪い」、「正義と不正」、「善悪」という価値感では計れないわけで、被害者と加害者という対立軸では語れない部分がある。
大きな世の中のウネリの中で、そのウネリとか流れに抗しきれないものがあって、それを勧善懲悪的な価値観では説明のし切れないものがある。
戦後の韓国にも、自立した中華人民共和国の中にも、ヨーロッパやアメリカの進んだ教育を受けた人が大勢いると思うが、そういう人たちは率先して狭義なナショナリズムの勃興をコントロールし、若い世代がお互いにいがみ合うことのないように、教育を考えるべきだと思う。
一衣帯水の隣国同士で、何時までもいがみ合っている場合ではないと思うが、どうしたらお互いに手を取り合うことが可能になるのであろう。
これが解決できない学問などというのは一体何ンなんだろう。

「九十歳の省察」

2012-02-22 11:02:56 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「九十歳の省察」という本を読んだ。
サブタイトルは「哲学的断想」となっているが、著者は沢田允茂という慶応義塾大学の名誉教授ということだ。
私は標題から老人に関する記述かと思って手に取ってみたが、内容は哲学に関する考察で、私の手に負える代物ではなかった。
私のような無学者にとっては、哲学なんてものは何の意味も持たず、まさしく知のセンズリ以外の何ものでもない。
昔、オウム真理教の事件で、その広報を担当していた上裕史浩は、メディアのインタビューの度ごとに、「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」と禅問答のような対応をしたので、後には「ああ言えば上裕」という風にまで言われたことがある。
私にとっての哲学なるものは、まさしく「ああ言えば上裕」の域を一歩も出るものではない。
この著者も本の中で言っているが、昔のギリシャ、アテネの時代は、普通の市民というのは何も仕事をせずにぶらぶらしている人間のことであって、日々、仕事に追われて汲々している人間は、奴隷クラスの卑しい人間であった、と記されている。。
仕事をするということは卑しいことであって、高貴な人は仕事などせずに、今のカウチ族のように、カウチ・ソファーに身を委ねてポテトチップでもつまみながら、人の噂話に花を咲かせているのがこの時代の普通の市民階層であったそうだ。
選挙権というのは、こういうクラスの人にしかなかったということだ。
つまり、こせこせ労働などせずとも食っていける富裕層の人が、ひとかどの市民であって、労働をするということは、それだけで神の罪科を背負わされた哀れな存在というわけだ。
だから、この時代の立派な青年というのは、一日中仕事もせずにぶらぶらしていて、日向ぼっこをしながら、カウチ・ソファーで、「ああでもないこうでもない」と人の噂話をしつつ、暇つぶしするのが常態であった、ということだ。
その中で「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という弁舌の技を磨くことが彼らの教養であった、というわけだ。
道具を使ってモノを作る、武器を持って人と戦う、人の世話をするという行為は、須らく奴隷という身分の者が行う行為であって、市民たるものの行うものではなかった、というわけだ。
古代の民主主義というのは、こういう狭い範囲の民主主義であって、にも拘らず、人間というのはやはり先天的に脳、頭脳を持っているので、モノを考えることが可能であった。
いつの時代でも、自分自身の立場、あるいは在り様を、自分の頭脳で考えるわけで、考えた挙句こうすればもっと合理的になるのではないか、と思考を巡らす。
例えば、飲料水を確保しなければならないという場合、水源の近くに人間の方が寄っていくか、あるいは合理的に水を運んでくる方法がないか、知恵を絞らなければならない。
こういうケースで、現場の人間つまり日々道具を使ってモノを作る作業を行っている人達ならば、過去の経験を上手に生かして、その場に適応した最も合理的な手法を考えだすが、いわゆる市民階層という選良の民は、具体的な経験がないので、口先で「ああでもないこうでもない」と言っている他なく、結果として安易に淘汰されてしまう。
ヨーロッパの古い伝統ある大学というのは、こういう富裕層のサロンであったわけで、ヨーロッパの学問の核となるものは、言うまでもなくこの哲学とか神学にあって、これを私の言葉で述べれば、知のセンズリ以外の何ものでもないということになる。
五体満足な立派な若者が、日がな無為な神学論争に耽っていても、世の中は一向に進化しないわけで、世の中がより良くなるためには、生産の合理性を追及して、奴隷階級に余暇を産み出さないことには、知の底上げには効果がないので、人間の進歩というのはそういう線に沿ってなされてきた。
地球の誕生が46億年前、人類の誕生が約1億年前として、今我々は2012年とその前数百年の歴史しか持っていないわけで、この間に人類の数は60億を越えるかどうかというところに立たされている。
地球が誕生し、人類が誕生し、それが今日まで来る間に、多くのモノが誕生し、それは同時に多くのモノが絶滅していったに違いない。
シダ植物の多くがそうだし、恐竜の多くがそうであるが、人間のみが絶滅することなく数を増やし続けている。
これはある意味で自然界にとって異常な事態ではないかと思う。
地球上に生息した生物は、ある一定の期間繁殖したら、後は絶滅の方向に向かうのが正常な自然なのではなかろうか。
人間だけがその自然の法則というべきか、自然の摂理というべきか正確には知らないが、自然の成り行きに逆らっているのではなかろうか。
何億年というタイム・スパンから、2012年プラス数百年という時間は、確かに一瞬の時間のようにも思える。
我々は有史以来、「人の命は一刻一秒たりとも長らえるべきだ」という思いから脱し切れていないが、これは自然の摂理に反した思考ではなかろうか。
ギリシャのアテネからローマ時代を通じて健全な青年は、日向ぼっこをしながら、日がな「ああでもない、こうでもない」と議論をして、哲学なるものに没頭しても、人の命の価値を正確に評価することが出来ず、人類の根源的願望である長寿願望を否定する論拠を見つけ出せずにいた、ということは一体どういうことなのであろう。
21世紀の今日においても、識者であればある程、人間の長寿願望に正当性を見出して、戦前・戦中の「産めよ増やせよ」をそのまま踏襲した思考に凝り固まっているということは一体どういうことなのであろう。
人類の数は、これから先、級数的に増加するものと考えられる。
昔は、未開の地域では、赤ん坊でも大人でも安易に死んでいって、それを天命だと本人も周囲も、そう思い込んで何の不合理も感じなかった。
ところが昨今では、そういう人々からの突き上げが厳しく、「こういう事態を招いたのは先進国の責任だ、何とかせよ」という欲求が強くなって、救済措置をこうじなければならなくなった。
本来は自分たちの問題であるにもかかわらず、周囲のモノに責任が転嫁されてしまって、先進国の責任にされてしまいがちである。
アテネ、ローマの時代から哲学なるものがあるとすれば、人類はもうそろそろ、人間の長寿願望の空しさを説く時期に来ているのではなかろうか。
今の地球上には、あきらかに文化の格差があるわけで、先進文化圏とそうでない未開の文明圏があり、先進諸国では人の命は一刻一秒たりとも粗末にすべきでないと言っているが、未開地では幼児が十分な栄養が行き渡らないので、幼くして死んでいる。
この状態を「何とかしなければならない」と大騒ぎするのは、先進国の側の知識人であって、それが文明の名で良い事だとされている。
ならば、今後、級数的に増加する人口問題に如何に対応するのかという問題になると、どうのように答えればいいのであろう。
地球にはまだまだ包容力があると言っても、それは何億年というタイム・スパンで量らねばならないわけで、この先1、2年の話ではないと思う。
この本の中には、人々の習慣が皆が皆同じ思考をして、それが普遍化したならば、それが一つのモラルとして確定し、それに反するものを異端者と見做すようになる、述べられている。
ところが、過去の人間は、それこそ皆が皆、長寿願望で一刻一秒たりとも長生きしたいと願っていたので、それが人間の普遍化した思考になってしまっている。
けれども、そこを突き崩すのが哲学者の使命なのではなかろうか。
富裕層の子弟が、五体満足で極めて健康的な青年でありながら、日向ぼっこをしながら日がな知のセンズリに耽って、それでも尚人は長生きを願望して止まないことに異議を差し挟まないというのであれば、彼らの考えは基本的に、古来から連綿と息づいていた奴隷の思考と何ら変わるものではないということになる。
だとすれば、人は高貴な富裕層の出自であろうと、額に汗して働く賎民の出自であろうと、何の変わりも無いということになる。
哲学というものが、富裕層の若者の精神の遊びであるとするならば、それは遅かれ早かれ、精神の退廃に結び付くわけで、それの行きついた先が人間性の回復ということで、自然のままの心の在り様に行きついた、ということではなかろうか。
人間性の回復という言い方は、極めて美しい響きを持っているが、その言葉の裏の一面は、自分の我儘一杯の生活を望むことに繋がっているわけで、自堕落の助長と紙一重である。
自分の欲しいものは手に入れ、嫌いなものを遠ざけることは、人間の欲望の最も自然な在り様である。
ところが知のセンズリをしている連中は、あくまでも富裕層の民であって、暇を持て余した五体満足な毛気盛んな若者なわけで、そういう連中が老獪な大人や無邪気な幼児と同じ価値観で結ばれていては、彼らの估券に関わるわけで、若者ならば若者らしい独特な雰囲気で自己顕示欲を満たしたいだろうと思う。
それで日向ぼっこをしながら「ああでもない、こうでもない」「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という無意味な議論を繰り返していたのである。
21世紀の今日、学問というものが就職のためのツールになってしまっているが、この現状には哲学者たるもの大いに発奮し、是正の声を挙げるべきだと思う。
実践的なプラグマチズムに根付いた学問が不要というわけではないが、学問を就職の為のツールにしてしまってはならないと思う。
哲学者足るものは、そういうことを考えているのが真の哲学者ではなかろうか。
現代の進化した社会において、広範な知識は何人にも大いに必要なことは否めないが、大学というモノの本質を今一度根本から見直すべきだと思う。
医学や法律、はたまたテクノロジーを、同じ大学という枠組みで一括りして良いとは思えない。
学問というからには、あくまでも哲学や神学や、自然科学を追求すべきであって、医学や、法律、はたまた工学という分野は、あくまでもテクノロジ-の範疇であって、学問とは別物だと思う。
医学や、法律、工学というのは何処まで行っても就職のための職業課程であって、こういう分野にも学問的領域のあることは素直に認めざるを得ないが、それは就職過程の次に来る問題だと思う。
今、先進国では良い仕事に就くためには良い大学を出ることは必修条件になっているので、猫も杓子も良い大学に行きたがるが、こういう風潮に警鐘を鳴らすべきが哲学者ではなかろうか。
社会人として、知識は無いよりは有った方が良いことは言うまでもないが、教育というのもタダでは出来ないわけで、性根の卑しい若者が、ただたんに出世のための免罪符として大学に蝟集することが許されて良いとは思えない。
こういう風潮は一人や二人の特異な思考でこうなるのではなく、社会全体がそういうムードに浸り切っているからそれが普遍化して、「そうでなければならない」という倫理観、或いはモラルが形成されてしまうのである。
戦後の我々の民主教育では、個性の尊重ということが声高に叫ばれたが、みんなが皆、揃って大学に行くでは、個性を発揮する場を自ら潰しているようなものではないか。
哲学なんてものは、物事の本質を考え抜くことだと思うが、その考え抜いた事を世間に告知しなければ、哲学が死んだ思考のままで終わってしまう。
それではまさしく知のセンズリ、いや猿のセンズリのままでしかない。

「甦る零戦 国産戦闘機VS F22の攻防」

2012-02-19 08:13:54 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「甦る零戦 国産戦闘機VS F22の攻防」という本を読んだ。
著者は春原(しのはら)剛という若い人ひとだ。
本の表紙にはF22の機体の写真がデンと載っていたので、胸の踊る気持ちで読み進んだが、期待はずれだった。
こういうのを看板倒れというのであろう。
航空自衛隊の次期主力戦闘機はF35に決まったと聞いているが、この本の出版が平成21年なので、その時点ではF22 が有力候補だったことはいなめないであろう。
この本がいささか物足りなく思えたのは、主力戦闘機の決定が政治の場に置き換えられて、開発の苦労話が余り盛られていないので、いささか消化不良に感じられる。
ここで私自身のことを述べれば、私は昭和39年に航空自衛隊に入隊し、北海道石狩当別で警戒管制についていた。その後、満期除隊して、三菱重工で録を食んだ。
だから私の人生においては飛行機とは全く無縁と言うわけではなかったので、非常に興味を持っている。
そもそも私の育った場所が基地の近くで、60年前にはパンパンガールとGIにまぎれて青春を謳歌したようなものだ。
で、私が航空自衛隊の新兵であった頃、主力戦闘機は86FとDであり、アラートにはF104がついていた。
この86のFとDでは、Dがレーダー付きであったにもかかわらず、Dの方に人気がなく、Fが好まれていた。
当時の私の認識では、レーダーがついていた方が近代化されているように思えたが、実戦経験の豊富な先輩やパイロットの評価だと、レーダーの付いた分機体が重く運動性に難があるというものであった。
それと兵装の相異もあって、運用の仕方が根本的に異なっているという面もあった。
つまり、86Fは第2次世界大戦の空中戦の戦法でしか運用出来ないが、86Dはそういう古典的な戦法を超越してレーダーの支援を受けた総合的な戦法になっていた、ということではないかと素人なりに考えた。
我々がいた頃は要撃官制というものがあって、空中に上がった戦闘機に対して、地上のレーダ-・サイトから敵(目標)の情報を常に流し続けて、味方の戦闘機を最適な位置に誘導するという方法が普遍化していた。
私が自衛隊にいた頃はベトナム戦争華やかりし頃で、F4が最先端の戦闘機であった。
その後にF111という戦闘爆撃機というのが登場したが、これは可変翼であったので、その作動があまり芳しくなく、瞬く間に退役したように記憶しているが、F4に関しては我々レベルでは垂涎の的であった。
当時はF104がアラートに就いていたが、この機体の優れた部分を否定するものではないが、なにせF4はアメリカで空軍、海軍、海兵隊と、同一機種を三つの部隊が使っているという点で、その実力の程に驚いたものだ。
サイトには米軍の情報もふんだんにあって、F4の仕様なども分厚いTO(テクニカル・オーダー)で読みあさったものだが、頭の中のイメージでしかないにもかかわらず、その性能には大いに驚いたものだ。
それはベトナム戦争の戦況報告と多分にオーバーラップしていたに違いない。
後年、トム・クルーズ主演の「トップ・ガン」という映画を見たとき、あの時点すでにF4が時代遅れの遺物として描かれていたので、その意味でも大いに驚いたものである。
私もバッジへの転換教育は受けたが、その後の配置転換でバッジについては実際の経験はない。
バッジは104がF4に転換される事が前提でシステム化されたのではないかと思う。
F4のレーダーは当時においては驚異的なもので、おそらく当時の我々のサ-べランス・レーダ-に匹敵する能力を持っていたのではないかと思う。
当然のこと防衛秘密に指定されていたので 当時は我々も知ることができなかった。
戦闘機搭載のレーダーの能力が向上すると、当然のこと地上のレーダーで敵を発見し、そこへ友軍機を誘導するという手順も不要になるわけで、F4以降の戦法がどう変わったか私の知る所ではなくなった。
私があの当時知りえた戦法は、86のビーム・アタック、104のスターン・アタック、F4のフロント・スターン・アタックというもので、これらはそれぞれに戦闘機の特性にあった非常に合理的な戦法だったと思う。
私が警戒管制員として一番最初に石狩当別のオペレーション・ルームに入った時は、大いに感動し、大きなカルチャ-ショックを受けたものだ。
その後、仕事を通じて86のビーム・アタック、104のスターン・アタック、F4のフロント・スターン・アタック等の実態を知るにつけ、アメリカ空軍の戦争はこうなっているのかと大いに驚いたものだ。
そして、その合理性に接すると、我々日本人とアメリカ人の考え方の違いは、その発想の段階から大きなギャップがあることに気付き、その考え方のギャップの根源は、言うまでもなく資源の豊富さに裏打ちされた豊かさが垣間見えたものだ。
我々の発想では、如何なる開発でも常に省資源、省エネルギー、それでいて運動性抜群という性能が要求されるわけで、それを見事に具現化したのが零戦であったわけだ。
だが、アメリカはただただ零戦を落と為に高出力、燃料消費は考慮に入れず、強力な兵装を積む機体を開発したわけで、そういうことができるのも物が豊かだからである。
我々は資源小国なので、何時もいつも省資源が最優先され、ぞの次にセーブマネーが要求され、それでいて性能評価は最高のモノが要求されるわけで、何処かにその歪としてのしわ寄せが来ることは言うまでもない。
要撃機をレーダーで接敵地点まで誘導するという発想も、アメリカならではの豊かさの現れであって、それを目の当たりに見たときは大いに驚いたものだ。
あの戦争中の日本側の高級将校も、アメリカに留学しアメリカの事情に詳しい人もいたであろうに、アメリカを見て何も感じずに帰ってくれば、得るものがないのは当然だ。
私のように全く下っ端の新兵でも、オペレーション・ルームに一歩、足を踏み入れたただけで、アメリカ・プラグマチズムのシャワ―を浴びたように感じる人がいれば、あの戦いも大いに変わっていたであろう。
私が不思議でならないことは、こういう時代でありながら、なおも空中戦に意義を認めている戦闘機乗りの存在である。
空中戦という言葉は昔の言い方で、今はドッグ・ファイトと呼んでいるが、戦闘機の搭載レーダ-の性能が極端に進化して、遥か遠方の敵が捕捉されているのに、何故に近接ドッグ・ファイトが入用なのか、不思議でならない。
戦闘機乗りの古典的な思考のなせる技なのであろうか。
日本のように、専守防衛を国是としていて、自分から決して攻めることをしないと宣言している国ならば、もう有人の戦闘機は不要のようにも思える。
全くゼロという極端なことは言うつもりはないが、限りなくゼロの近づける工夫はされてもいいと思う。
今の世界情勢を鑑みて、自分の国を守る兵器を、自分の国だけで開発する、ということも非常に難しい問題に直面しているようだ。
特に我々の国のように、国家として戦争放棄を公言している国ならば、兵器の開発ということすら、近隣諸国に物議を醸し出しかねない。
我が国も戦後66年の間に多くの兵器を開発しては来たが、近代的な主権国家が自国の兵器を常に最善に維持することは、主権国家の存立の基本なわけで、自分のことは自分で考える、自分の国は自分で守る、ということは人が生きるミニマムの条件であって、それが判っているからこそ、日本近辺の諸国も日本の兵器開発に何にも文句を言ってはこなかった。
つまり、彼らとても、日本の掲げる戦争放棄ということを頭から信用していないわけで、負け犬の戯言という認識でいたに違いない。
ところが、そうは言いつつも、日本が世界に冠たる兵器を作るとなると、やはり心中穏やかではなくなるわけで、そうなると重慶を爆撃した日本軍の再来が瞼に浮かび、警戒心を募らせるということになる。
我々の国が66年前と同じで、復興の道半ばの状態であれば、周辺諸国も枕を高くして眠れるが、日本は既にアメリカと肩を並べるほどの大国になってしまったので、そういう日本にアメリカをも凌ぐような兵器を作られては甚だ困るわけで、彼らとしては干渉せざるを得ないが、下手に手を出すとアメリカが控えているので、それもままならないということなのであろう。
日本人の物作りは実にすごい事だと思う。
先日、『はやぶさ』という映画を見たが、あれは衛星『はやぶさ』が打ち上げられてから帰って来るまでの技術者の苦闘を描いているが、その中でアメリカのNASAの技術者が視察に来て、日本のクルーの使っている備品の粗末さに驚くシーンがった。
日本という国の決定的な弱点は、地勢的な条件でもあるが、いわゆる資源がない、金がない、政治手腕がない、という無いないずくしに尽きる。
だが、我々の持つ技術力とアイデアは世界に冠たるものがあって、その点は実に喜ばしいことであるが、合わせて、我々の持つ特性は我国の弱点でもあるが故に、それを克服できず十分に生かしきれないという面もある。
資源がない、金がないという面はいた仕方ないが、政治手腕がないという点に関していえば、我々の同胞が一致協力すれば克服できそうに思うが、それがそうならないところが我々の民族の弱点がある。
我々は、あの大戦を経て、戦争の無意味さは肝に銘じて悟り切っているが、だからと言って、戦争放棄を嬉々として受け入れ、良い子ぶっている姿は、見事に政治手腕の稚拙さを世に曝しているようなものではないか。
先の大戦で辛酸をなめた我が同胞が、再びああいう戦争をしでかす事がありうるであろうか。
憲法で改めて戦争放棄を宣言しなければ、我々は平和を維持できないのであろうか。
憲法で高々と戦争放棄を掲げないと、我々の同胞は、再びああいう悲惨な戦争を繰り返すような愚を犯す事が考えられるであろうか。
我々同胞が再びああいう戦争をしでかす、と思っている人達は、自分の同胞を全く信用していないという事で、如何にも政治手腕の欠如を見事に露呈しているではないか。
物つくりの場面において、我々は余りにも優れているので、その点を先進国は非常に恐れている。
その良い例が、この本でも縷々述べられているが、FSXの開発であって、日本の自主開発がアメリカの横槍で共同開発となり、アメリカ側のブラック・ボックスはそのままに、日本の先端技術はアメリカ側に掠め取られたわけで、こういう面でも我々の側の政治手腕の稚拙さが浮き彫りにされている。
今の世界で、良いものだから、というわけで自国だけで独自に開発することはゆるされていないようだ。
その根底には金の問題が底流として流れている様にも見えるが、一国だけで自主開発するには余りにも金が掛かり過ぎて、その金の問題に起因して、他の国と共同開発という風になりがちであるが、民生品ならばそれもゆるされるが、軍需品となるとどうしても秘密の部分がネックとなって、そう安易にタッグを組めない。
こういう状況の中で、世界中は日本の技術力にはほとほと驚き、驚嘆し、脅威に思っているに違いない。
中でもヨーロッパ系の白人の認識からすれば、モンゴリアンのジャップが、西洋文化を凌駕することは切歯扼腕の思いでいるに違いないと思う。
零戦の出現に対する彼らの驚きは、驚天動地のことであったと思うが、それによって彼らの日本人に対する認識が変わったわけではなく、差別意識はそのまま継続されているが、その部分を我々は正確に把握し切れなかったので、自己満足に陥って傲慢な態度で処してしまったのである。
これはひとえに政治手腕の問題で、我々はものを作っている間は極めて健気であるが、その作ったものを運用するというソフト面になると、途端に政治手腕の稚拙さが露呈して、出来上がった優秀なものを使いこなせないというジレンマに陥る。
この本を読んでいて物足りなかったのは、ここで紹介されている先進技術実証機『心神』の記述が少なかったからであるが、今の段階ではこれ以上の詳細な情報はあり得ないのかもしれない。
飛行機を作るについても、そのコンセプトの段階から政治が介入し、その上、安保条約の呪縛からアメリカとの折衝もあり、予算にまつわる政治的駆け引きまで絡んでいるわけで、現実の実物を作るだけでは済まない様々なハードルがある。
これが開発独裁といわれる後進国ならば、リーダ-のツルの一声さえあれば、全てがスムースに動くが、我々のような民主国家では、限りなく衆愚政治に近いわけで、単純にものを作るだけならば安易に進化できるが、これに政治とか周辺の事情がまつわりついてくると、一向に前に進まない。
日本が零戦を開発したときは、余所の国と同盟を結んでいたわけでもなく、周辺諸国に気配りをする必要もなかったので、軍は目一杯の要求をメーカーに押し付けたので、メーカーはそれに応えるべく奮闘努力をしたというわけだ。
日本の物作りの現場は、実現不可能に近い要求を押し付けても、メーカーはそれに一歩でも二歩でも近づけるべく努力するわけで、それに資金と物資を充分にあてがえば、世界一のモノが出来上がるとういうことになる。
ところが次期戦闘機の開発ということになると、最初にコンセプトをまとめる段階から、政治的にああでもないこうでもないという話が飛び交い、そこにアメリカとの意見調整も絡み、周辺諸国への気配りも考えねばならず、最初のコンセプトは日が経つにつれて縮小して、結局は意味をなさず、全機完成品の購入ということになりがちである。
これが民生品ならばこういうことはないわけで、車でも、カメラでも、電化製品でも、誰に遠慮することもなく自由に開発し、自由に作って、自由に売ればいいが、軍需品となるとこういう制約があるわけで、これも憲法で戦争放棄をうたっている以上、戦争のツールとしての武器の売買が出来ず、作る能力もあり、日本製の兵器を買いたいところもあるにもかかわらず、それに手が出せないでいるわけである。
日本国憲法の第9条の戦争放棄という条項は、我々が生きるという自然権、いわゆる基本的人権、国家の繁栄、民族の繁栄、人々の富を追い求める欲求を踏みにじっているということになる。
あの「憲法九条を遵守すれば平和に暮らせる」という思考は、人間の存在というものに対する不十分な理解の上になり立っ不遜で驕った考え方だと思う。
あの世界大戦で我々の祖国は敗北した。
その敗北の責任は、全て当時の戦争指導者、政治指導者が負うべきで、我々国民はそういう未曽有の人災の哀れな犠牲者であり、被害者であると言えるが、不幸なことに我々国民の側にも、戦争に協力した人々というか、勢力があったわけで、そういう雰囲気で日本中が覆われていたことは否めない事実であったと思う。
今の日本人の憲法9条擁護の考え方も、人間の在り方、あるべき姿、自然のあるがままの思考を故意に歪曲した、極めて夢想的な理念の上に押し建てられた考え方で、我々が追い求める理想に限りなく近いユートピアを待望する思考であって、人間の善意に余りにも寄り添った考え方である。
戦後66年間我々は銃火を交えたことは一度もないが、主権侵害が一度も無かったということではない。
主権侵害は数限りなくあったが、我々は穏忍自重して、事を荒立てなかったというだけで、決して我々の周辺諸国が日本の主権を尊重してくれていたわけではない。
そういう環境の中で、我々が勝手に戦争放棄すれば、日本の主権を侵す国はないと思い込む愚は、あの戦争で日本を奈落の底に突き落とした当時の我が同胞の戦争指導者、政治指導者と同じレベルの人間でしかないということだ。
戦後の我が同胞の知識人が、憲法9条の事をことのほか人間の理性の具現かのように大事にする心境を精密に分析すれば、やはり人間という生き物に対する無知に繋がっていると思う。
戦中の日本の軍人、特に高級将校といわれるような人達が、近代的な戦争の本質を全く知らなったのと同じで、戦後の知識人も、平和の本質をまったく知らず、知ろうともせず、ただただ平和念仏さえ唱えておれば、平和は向こうからやって来る、と信じ切っている愚と同じである。
今、世界中が景気の低迷に遭遇していて、何処の国も四苦八苦しているが、考えて見れば地球規模で物質文明が進化すれば、人は必然的に余り、その余った人間は行き場がなくなるのは当然の成り行きなのではなかろうか。
鉄道の駅を見ても、我々が子供の頃は、どの改札口にも駅員がいて切符にハサミを入れていた。
今、駅の改札口には駅員はほとんどいないが、あの駅員達は一体何処に行ったのであろう。
こういう現象が日本の社会のあらゆる場面にあるわけで、あの合理化で余った人達は一体何処に行ったのか、と考えると、社会全体として不景気になるのは当然の成り行きだと言える。
21世紀の今日は言うまでもなく、テクノロジ-は日進月歩で進化しているが、この進化は合理化の方向を向いて進化している。
ところが、これだけ合理化が進むと、それを否定する方向を模索しないと、益々人間は住みにくくなる。
人が生きる、生き抜くということは、生存競争に勝ち抜くということだ。
つまり、潜在的な、伏流水のように目に見えないところで濁流として流れている大きなうねりとしての戦いであって、それに勝ち残るには究極の合理主義でなければ立ち向かえないということだ。
ところが我々にはそういう認識がないものだから、古典的な騎士道、日本流にいえば武士道で、正面からの正攻法で勝負に臨むから、足元を掬われてしまうのである。
食うか食われるかの戦いであるからには、何が何でも自分の方が生き残らねば意味をなさないわけで、戦法が卑怯だとか姑息だとかいくら言ったところで、負けてしまえば全く意味をなさない。
我々とアメリカ人との発想の相違は、こういうことだと思う。
戦闘機に限らず、我々が何か新しいものを開発しようかという時に、真っ先に上がって来る要求が、省資源、省エネルギー、セーブマネーということである。
そのことは、我々日本民族が置かれた地勢的な必要不可欠な条件であって、これがある限り西洋あるいはアメリカを凌駕することはあり得ないであろう。

「大正時代を訪ねてみた」

2012-02-17 09:39:09 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「大正時代を訪ねてみた」という本を読んだ。
サブタイトルには「平成日本の原風景」となっている。
著者は皿木喜久と言う人だ。
昭和15年生まれの私は今72歳であって、当然のこと大正時代については知る由もない。
しかし、あの狂気の昭和の時代を掘り下げて行くと、その前の大正時代についても、それなりに掘り下げなければならないと思う。
だが、この時代については案外等閑視されているような気がしてならない。
それと言うのも、戦後の歴史教育が西暦で語られるので、大正時代という言葉が俎上に上りにくい、という面があるのかもしれない。
大正時代を西暦でいえば、1912年から1926年までの間であるが、この間はある意味で日本の戦間期であって、平和を謳歌した時代でもある。
大正デモクラシーという言葉は巷にあふれたが、この戦争の無い平和な時代に、ある意味で民主主義が熟成されればよかったが、そうならなかったところが歴史の現実であった。
この本のサブタイトルにもある様に、平成の政治的混乱の萌芽が、既にこの時代に芽生えていたのではないかと思う。
そもそも、人間の生存ということを考えた時、基本的には民主主義が統治の原点ではないかと思う。
人間の集まりが国家という概念に至る前の時代においては、人々は今でいう集団合議制で、自分たちの在り方を決めていたのではないかと思う。
そういう時代を、今の概念で示せば、山賊や野武士の集団と考えればいいと思うが、こういう人達でも、自分たちの先行きを考える場合、リーダーの取り巻き、いわゆるスタッフの意見を聞いて、それを参考にしながらボスがある決定を下していると思う。
自分たちの集団の回りに起きるさまざまな事象、現象、具象に対して、如何に対応するかが統治であったに違いない。
統治の副産物として、金銀財宝を身の回りに集める、という行為もあったに違いなかろうが、それはあくまでも与録であって、統治の主眼がそこにあったわけではないと思う。
山賊の親分でも野武士の頭目でも、自分のスタッフの意見は尊重したに違いないと思うが、そういうスタッフの意見を聞いて決定し、決断を下したことを実践するについても、やはり同じようにスタッフが要るわけで、その部分を今風の言い方をすれば行政・官僚ということになる。
しかし、こういう山賊や夜盗及び海賊の様な集団を一つのマスと捉えた時、そこには必ずリーダーが自然発生的に産まれるわけだが、一つのマスの中ではリーダーの数は限りなく少なく、大抵の場合一人である。
リーダーが2人も3人も居れば、その中での意見の集約ということはあり得ないので、群れ全体が右往左往することになってしまう。
だから、リーダーは一人であるが、リーダーを補佐するスタッフは、それぞれの群れの統治の仕方によって千差万別である。
こういう人間の集団が近代国家をなすようになると、リーダーを補佐するシステムも複雑化してきて、統治のシステム化が顕著になってきた。
統治する側とされる側では、その中の人間の数が極端に違うわけで、統治のシステムとして行政を司る人は、ある程度の人数ではあるが、それでも統治される側の人から比べれば数はうんと少ない。
人間の集団としての社会は、統治する人とされる人の2種類に分類される。
リーダーがたった一人で、そのリーダーが統治すべき人から私利私欲を収奪するような思考であったならば、大勢の人々が困るわけで、そういう統治であってはならないというわけで、様々な政治システムが考案されたが、その中でももっとも人々の共感を得られるに違いないと思われるものが、民主主義という手法であった。
これは統治されるものが、自分たちの総意で、自分たちのリーダーを選出するというシステムであって、そうであるとするならば、人々は自分たちの選んだリーダーに黙ってついていくに違いない、という狙いがあった。
ところが人間の考えというのは、それこそ十人十色で、その考える事というのは文字通り千差万別であるわけで、リーダーが「あっち行こう」と言っても、様々な意見が出て、意見の集約が出来ず、行先は一向に決まらないということになる。
この地球上にある数ある人間集団の中には、リーダーの世襲制のところもあって、そういうところでは大体が独裁政治なので、リーダーは統治される側の人々の意向など考える必要はなく、リーダーの思い通りの施策が可能である。
問題は、そういう施策が、統治されている側の人々の共感を得、そういう人々の幸福感に寄与しているかどうかという点である。
我々日本民族の生い立ちも、基本的には農耕民族で、山から流れでる川の水が得られやすい場所で稲を栽培して、米を作って生計を立てていたに違いない。
そういう集団の中に、山賊か夜盗のような暴力集団が押し入って、今の暴力団のみかじめ料の様な搾取が恒常化して、それがおいおい地方豪族に成長して、最終的にはそれぞれに覇を競うようになった、と私は考えている。
問題は、元々稲を作って平和に暮らしていた人達の意思決定方法であって、こういう人たちは、リーダーをお互いの回り持ちでこなしていた。
だから自分がリーダーの時、余りはりきり過ぎて過去に前例がない特異な行為をすると、自分がリーダーを降りた時にしっぺ返しがあるわけで、好むと好まざると前例踏襲に徹しなければならなかった。
言い方を変えると、封建主義を踏襲せざるを得ず、過去の前例からの脱却できずにいたということである。
農作業の手順に関しては既にルーチン化しているので、誰が号令をかけてもつつがなくこなせるが、想定外の事態に直面した時の対応において、どうしても前例主義に陥ってしまって、新しい発想を試す事が出来なかった。
そういう殻を打ち破ったのが明治維新であったが、この大革命を経ても、日本民族のすべてがすべて意識改革に成功したわけではなく、それに乗り遅れた者も大勢いた。
我々の民族の歴史を振り返ってみると、我々は稲作農民であったが、この過程においてリーダーの回り持ちを経験しているので、大勢の人がある意味で政治的な物の考え方になじんでいたということが言える。
自分たちの考えを政治に反映させることの意義を知っていたとも言える。
ところが、これも我々の仲間の数が少ないうちはそれで治まっていたが、我々の同胞の人口が多くなると従来の方法では行き詰ってしまうことになった。
人口が増えるという意味は、物理的な人間の数のみではなく、従来政治に参与していなかった階層が、人権意識の高揚によって新たに政治参加の権利を持つようになった、という意味も含まれている。
これは、普通は民主化の成熟という言い方で語られているが、古代ギリシャの市民階層でも奴隷の階層の者は政治参加できなかったわけで、我々も同じような軌跡を歩んでいるということだ。
現に普通選挙法の施行も、新たな階層に政治参加の機会を与えたわけで、政治というものがお互いの顔の判りあえる範囲内のものではなくなって、不特定多数の顔の見えない大衆を相手にしなければならなくなったということだ。
従来ならば、自分の顔の見える範囲の利害得失を追い求めておればよかったが、顔の見ないどこの馬の骨とも判らない人間の利害得失を代弁するについては、どうしてもある程度無責任に成らざるを得ない。
そのことは、口を開けば国民大衆の利便を代弁する大言壮語を吠えまくらねばならないが、心の中ではあくまでも自己の利便のための方便であって、口先だけのリップサービスに過ぎないということになる。
だから、現代の先進国の民主主義体制というのは、統治する側のリップサービスと、そのリップサービスの実行を何処まで追求できるかのせめぎ合いだと考えてもいい。
統治する側に立とうと考えている人達の立候補の立会演説は、その内容の全てが「当選した暁にはこうします」という公約であるが、公約はあくまでもリップサービスに過ぎず、自己PRの場でしかない。
被選挙民、つまり選ぶ側が顔見知りの範囲ならば、候補者も本音で語れるが、選んでくれる相手が何処の馬の骨とも判らない大衆では、綺麗ごとを並べたリップサービスでしか、自己の特質を知らしめる方法がない。
よって、出来もしない理想論を振りかざすということになるのであるが、選ぶ側の見識に政治に対する期待が薄い場合は、その選択に瑕疵が生じ、結果はブーメランのように選んだ側に振りかかって来る。
我々の先祖は農耕民族としてルーチン化した祀り事はリーダーを廻り持ちで行ってきたので、ある意味で誰でもその長(おさ)が務まる。
これはいわゆる究極の民主主義体制であったわけだが、このDNAが今日までも引き継がれて、長という立場に固執する日本人は極めて少ない。
いとも安易に長という椅子を放り出してしまう。
リーダーの座に全く未練を持たないということは、その地位が廻り持ちで、誰がやってもある程度は全うできる、ということがわかっているからであるが、政治の場ではその間の政治的空白は免れない。
この政治的空白が問題になるケースは、喫緊の課題を抱え込んだ時であって、そういう時にこそリーダーの存在が問われるのに、その緊急課題を政争の具にするところが我々の悪弊である。
この本の中にも述べられているが、大正14年には治安維持法と普通選挙法は抱き合わせで成立している。
治安維持法は世紀の悪法のように言われているが、政友会、憲政会、革新倶楽部という政党の議論を経て成立しており、スターリンや毛沢東のような独裁者が自分の政敵を潰すために作ったわけではない。
「そういう法律が必要だ」、という国民の側の欲求があった、という当時の我々の置かれた状況をよくよく注視する必要がある。
普通選挙法だとて、当然のこと、国民の欲求があったればこそできたわけで、何も求めるものがないのに為政者の都合で法案ができるわけではない。
そういう意味では我々同胞の政治感覚は素晴らしいものがあるが、皆が皆、この素晴らしい特質を兼ね備えているが故に、結果として「船頭多くして船山を登る」ということになってしまっている。
一人一人が、それぞれに立派な意見を持っているので、百家争鳴となってしまい、意見の集約が出来ず、結果として物事は一歩も前に進まないということになっている。
大正時代の船成り金という言葉はよく聞いたものだが、この成り金という言葉には、成り金になり損ねた庶民の怨嗟の気持が含まれていることは容易に想像できるが、成り金といわれ、暫くして没落する人達のことはどう考えたらいいのであろう。
「自分が一代で稼いだ金なんだから、自分の代で使い切る」という考え方を、我々はどう考えるべきなのであろう。
私の考えで言えば、やはりこういう考え方は下衆っぽい思考であって、堅実な考え方の対極をなすものだと思う。
この考え方は、自分一人のことしか眼中になく、周りの人たちのことが思考から抜け落ちてしまっていて、今で言うところの究極のジコチュウ(自己中心主義)でしかない。
「自分で儲けた金を自分で使って何が悪い」という論法であるが、自分が儲けたということは、相手の犠牲の上に成り立っているわけで、そこの心配りが行き届いていないということが、その後の日本の先行きに大きく影響を及ぼした。
大正3年に日本が第1次世界大戦に参戦するということは、イギリスとの条約がある以上、いた仕方ない面があるが、中国に対して対支21カ条の要求というのは、余りにも我々の側の驕り高ぶった振る舞いだといわざるを得ない。
時の総理大隈重信は、あまりにもシナを舐め切っていたわけで、こういうことが判らない、事の善悪が判断できない、ということはその案件について無知だったとしか言いようがない。
昭和の軍人、特に高級将校、高級参謀といわれるような人々が、現代の戦争に無知だったのと同じように、大隈重信も我が隣国の人々のことに思いが至らず、相手に対して無知だったという事だと思う。
船成り金と同じで、たまたま時の巡り合わせで金持ちになれたものを、自分の実力で儲けれた、と思違いをしたようなもので、身の程知らずということだ。
その一方で、この時代は軍にとってはまことに不運な時期で、ある種の軍縮ムードに押されて、軍人が肩身の狭い思いをさせられた時期でもあった。
その反動で昭和初期の軍人は威張り散らしたわけでもなかろうが、軍人に対する扱い方に、余りにも幅が広いというのも大いに考えざるを得ない。
地球規模で眺めれば、軍人の中でも将校と下士官では扱いが違いうのが世界標準であって、将校というのは何処の国でもある程度社会的地位が確立していて、基本的には貴族であって、食うに困ることのない人々がなっている。
ところが日本の場合は、将校の出自は士農工商のあらゆる階層にあるわけで、一言でいえば官僚化されたサラリーマンである。
軍籍を離れたらその日から食うに困ったわけだ。
そういう階層の者にとって、軍縮は自分の首を絞めるようなもので、そういう状況下で軍人が軍服で街を歩けない、私服でなければ街を歩けない、という状況はまさしく受難の時期であって、その反動が昭和初期の軍人の態度に反映されたものと考えざるを得ない。
先に述べたように、近世以降の統治ということは、山賊や海賊の親玉ではあり得ないわけで、リーダーも下々の下世話にも大いに通じなければならなくなったわけで、下の者のご機嫌伺いをしながら、自己の目的を推し進めなければならないので、上からの「オイ、コラッ」式で行けなくなった。
上は上なりに気苦労が多くなった。
その意味で、大正時代に軍人が軍服で街を歩けないということは、市民の存在感が大きくなったということでもあって、市民の軍部に対する風当たりが強くなったことを指し示しているが、これはこれでまた大きな反省材料でもあった。
つまり、日露戦争では軍人や軍部の活躍を手放しで喜びながら、時代が下がって大正時代になると、彼らの存在を冷ややかな目で見ているわけで、軍人サイドに立って見れば、「何を小癪な平民メ」という思考に自然になると思う。
ということは、国民というものは常に時流に迎合するのがその本質であって、国民大衆には理念も理想も最初から存在していないわけで、それをあたかもある様に吹聴して回るのがメデイアというヤクザな存在であった。
もっとも国民とか市民というのは、目先の自己の利益だけが感心ごとなわけで、そう先のことまで考えてはおらず、目の前の利得だけに関心を示すので、統治者としてはそれに応えてさえおれば安心できる。
つまり馬の鼻さきにニンジンをぶら下げておけば安泰だと思われている。
これを今実践しているのが平成の民主党政権であって、民主党政権というのは国民に金をばら撒くことのみに専念しているわけで、そんなことをしておれば当面の人気は衰えないが、その先はどうなるか判ったものではない。
国民に対して耳障りの良い事ばかりを並べたてて、人気取りには熱心であるが、真の国益については何のビジョンも示し得ない。
国民の嫌がることは先送りして、国民のアメだけをばら撒けば、当座の人気は上がるけれど、そんな事が長続きするわけがない。
私自身の研究不足かもしれないが、昭和初期の時代に軍人が跋扈する背景が大正時代にあるのではないかと思って注視しているが、この時代の事柄を書いた書物は、全てが戦争の話になってしまって、肝心の政治から離れてしまっている。
例えば、美濃部達吉博士の『天皇機関説』の論議もまことに不思議な話で、最初は大勢の国会議員も違和感を持っていなかったにもかかわらず、最終的には議会を追い出されてしまった。
これは一体どういうことなのであろう。
斎藤隆夫の演説も、当初は彼の演説に好意的だった者が、時の経過とともに彼を糾弾する側に傾いてしまう、ということは一体どういうことなのであろう。
この時代には、いわゆる風見鶏のように時流を探り当てる才覚を持ち合わせていないと生き残れないということだったに違いない。
それは俗に言う「寄らば大樹の陰」というもので、大勢のグループに身を寄せるということで、身を寄せるべき大樹の正当性は何ら問題にされず、ただ数さえ多ければそれが正義だったというわけだ。
多数意見の具現といえば究極の民主主義で、その意味からすれば美濃部達吉も斎藤隆夫も自己にこだわり過ぎて冷や飯を食わされたということになる。
それと同時にある意味でイジメの構図でもあった。
彼らを糾弾する声が大きくなると、一人去り二人去りと、彼らの身の回りから身を引いたわけで、火の子が我が身に降りかかる事を避けたということだ。
自分がそういう状況から身を引くだけならまだ許せるが、この後に及んで「虎の威を借りる狐」よろしく、時流に呼応したスローガンを叫び、アジテーター乃至は自己顕示欲の塊のようなさもしい人間の存在である。
ここでいう時流というのが軍国主義であったわけで、この軍国主義に迎合しない気骨のある人間を、異端者としてイジメ抜く構図が一世を風靡していたのが昭和の初期という時代だった。

「僕たちのヒーローはみんな在日だった」

2012-02-11 20:57:46 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「僕たちのヒーローはみんな在日だった」という本を読んだ。
著者はそれこそ在日の朴一(パク・イル)という人で、在日3世で、同志社大学を出て、現在、大阪市立大学教授ということだ。
日本に限らず人間の織り成す社会には差別問題というのは自然発生的に生まれる現象だと思う。
人間と人間の付き合いの中で、あいつが好きだ嫌いだ、あいつとは気が合う合わない、惚れた腫れたという問題は、人間社会から排除できない自然現象のようなものだと思う。
日本民族の置かれた地勢的な条件は、絶海の中の孤島であったことは否定のしようもないわけで、絶海の孤島であるが故に、大陸からゴミが流れ着くように人間が流れ着いたとしても何ら不思議ではない。
大陸から流れ着いた人間を、もともとそこに住んでいた人間が、棒で以て打ち殺したこともあれば、温かい食事を与えてもてなしたこともあったに違いない。
近代の戦争でも、敵の捕虜を暖かくもてなしたこともあれば、その同じ民族が墜落したB―29の搭乗員を竹槍で突き刺して殺したこともあるわけで、異民族と異民族の接点ではこういうことは必然的に起こりうる。
しかし、我々は海に囲まれているので、異民族との接触の機会はごく限られていたことは間違いなく、大陸に住む諸民族の生存競争とは比較にならなほど安穏としていたに違ない。
中国の歴史は、それの繰り返しであったわけで、それは人類の過去の歴史には必然的なことであって、それを今の価値観をあてはめて論じても意味をなさない。
私は昭和15年生まれで、敗戦は5歳の時で、小学校に上がったのは昭和22頃であったが、その頃にも日本の小学校に朝鮮人の生徒はいた。
私は彼らともよく遊んで、決して今でいうところの差別などした記憶もなければ、お互いの家の行き来もしていた。
その後、私は彼らとは違う学校に進んだので、交流は途絶えたが、彼らが朝鮮人だからと言って、差別した記憶は一切ない。
しかし、こちらが成長し、知識を得るに従い、被差別とか在日朝鮮人とか。という問題がこの世に存在することを知るに及んだ。
被差別の問題でも在日朝鮮人の問題でも、普通の日本人、普通の日本の市民は、始めからそんな事は何ら意識していない筈である。
小学生ぐらいの子供の世界で、イジメと言うかどうかはともかくとして、「朝鮮ボウ―」と言ってはやし立てることを差別と解釈し、イジメと捉えるのは余りにも大人気ない振る舞いだと思う。
そんな子供も口喧嘩は、「お前の母ちゃんデベソ」といった類の何の意味もない話であって、それを真に受けて「幼いころイジメられた」という言い方、あまりにも大人気ない捉え方だと思う。
この程度のことならば、世界中のどの国にもどんな民族にも、こういう子供の喧嘩の類のトラブルあるわけで、それを差別の問題にまで拡大解釈する行為は、まことに大人気ない立ち居振る舞いだと私は思う。
今の日本には「パワハラ」という言葉がある。その意味はパワー・ハラスメントの略で、権力によるイジメを総称する言葉であるが、こんなことは如何なる社会にもあり、如何なる国や民族にも同じような問題はあるわけで、それをことさら「在日だからイジメられた」と声高に叫ぶ行為は、ある意味で大きな偏見である。
我々の側としては何もイジメているわけではないにもかかわらず、「あいつがイジメた、こいつがイジメた」と騒いでいるわけで、こういう場面に我々が直面すると、非常に煩わしく思い、最初から身を引いてしまうことになる。
私自身、人間を70年もやっていると、今までの過程の中で、都はるみは朝鮮人との温血だ、松坂恵子も同じで、和田あき子もそうだということは風のたよりに耳に入る。
しかし、そんなこといくら耳に入った所で、私自身の精神の変化はあり得ず、彼女らの歌の価値が下がるものでもなく、普段と変わらずテレビで見ているが、それをことさら同志社大学を出て大阪市立大学で教鞭をとっている在日3世の口から聞くと、「今まで風の便りで聞いていたことは真実だったのだな」という思いを改めて確定することになった。
朝鮮人との混血がテレビにいくら出ようと、普通の日本人には何の関係もないわけで、彼女らがテレビで良い歌を歌って、しっかり稼いで、しっかり納税してくれれば何一つ問題はないわけで、この本の著者、朴一(パク・イル)氏は何故に、彼女らの出自を暴いて、何を得ようとしているのだろう。
普通の日本人として、そういうことを知っている人は知っているが、知らない人は知らないわけで、私自身も、噂は聞いていたが真偽を確かめるほどの熱意も持ち合わせていなかった。
普通の日本人のとって、そんなことはどうでもいいわけで、彼女らが良い歌を歌い続けてくれれば、在日だろうが純粋日本人だろうが、何の問題も無かったに違いない。
この本の著者のように、同志社大学を出て大阪市立大学で教鞭をとっているような朝鮮人が、ことさら騒ぎ立てるから、純粋日本人としては関わり合いを避けようとするわけで、私自身のように自分は純粋な日本人だと思い込んでいても、明治維新の前あたりまで遡れば、自分自身のルーツも極めて曖昧なもので、果たして本当に純粋日本人かどうかは自信が無い。
彼ら在日朝鮮人が「自分たちは差別されている」というのは、彼らの持っているコンプレックスなわけで、彼らが純粋の日本人でないという意識は、ただの思い込みに過ぎない。
確かに、芸能界という世界は、噂が噂を呼び、つまらない噂で、自分のポジションが危機に曝されることも往々にしてあると思うが、それは芸能界という世界が本質的に抱え込んだ大きな矛盾なわけで、芸能界が虚構の世界である限り、在日であろうとなかろうと、リスクは同じではないかと思う。
この本の著者のような在日コリアンが、日本で録を食みながら、「純粋日本人よ!俺達を差別するな!」と声高に叫ぶと、我々の側としては始めから差別などしているつもりでないので、極めて鬱陶しい気分になる。
そういうことを言う人とは関わりたくない、と思うのは当然の帰結だと思う。
だから、自分の周りの人にも「あいつには気をつけよ」となるわけで、こうなると完全に差別が確立される。
この本の著者は在日3世であって、私が問題とすべきは、彼の祖国の日本に対する対応に対してであって、日本のメデイアは朝鮮人の混血であったとしても何の差別もなく出演させているが、同じことが韓国では可能かどうかどうかである。
韓国といえば、戦後しばらく日本の文化は禁止されていたはずで、こういう場面に朝鮮民族の文化的な狭量な面がにじみ出ている。
朝鮮民族は日本民族と血で血を洗う戦闘を交えることもなく、日本がアメリカに敗北すると、アメリカの尻馬に乗って威張る所が、極めて朝鮮民族的である。
弱みを見せるとつけ上がる性癖というのは、日本人、日本民族の価値観からすれば一番見下げた思考であるが、彼らにはそういう発想は存在しない。
彼らにもプライドはあるが、日本の武士道に当たる精神文化はないわけで、弱みを見せるとすぐにつけ上がる、という畜生並みの精神文化しかないということだ。
この著者の使っているフレーズでもう一つ私の気に入らないことは、『植民地時代』という言葉であって、在日3世としてこういう言い方はないと思う。
韓国の本国で使うのならばまだ理解し得る部分もあるが、日本の同志社大学を卒業して、大阪市立大学で教鞭とっているような学者が、こういう言葉を使うということは、まさしく純粋日本人に対するコンプレックス以外の何ものでもない。
こういう在日の人の存在がある限り、朝鮮半島出身者に対する我々の側の差別か解消することはないだろうと思う。
この言葉を聞いて、我々、純粋日本人、これは在日朝鮮人に対する対比としての言葉であるが、良い感じがしないのは火を見より明らかであって、彼らがそういう言葉を無神経に使うということは、我々がうらで「あいつは朝鮮だ!」と言っているのと同じことである。
如何なる国の人でも、如何なる民族でも、人の面前で相手の悪口を言う人は、下劣極まりない非常識人間であろうが、この著者はそういう思考を欠いている。
あの戦争を通じて、その時期に日本に来た朝鮮民族の一世がたちが、生き抜くために苦労に苦労を重ねたのは確かであろうと思うが、それは彼らだけがそうであったわけではなく、我々も同じように苦労を重ねていたことに変わりはない。
この著者の言い分を見ると、苦労したのは朝鮮民族だけで、純粋日本人は酒池肉林に耽っていたような印象を受けがちである。
これは著者の視点が、彼らの側からの視点のみで、総体的な視点が抜け落ちているから、こういう記述になったものと考えられる。
地球規模で世界を眺めて見ると、ある主権国家の中に異民族が入り込んで、自分たちのテリトリーを築き上げたということもしばしばあるであろうが、こういうゲットーの構築は甚だ困るわけで、庇を貸して母屋を取られるような事はあってはならない。
朝鮮人が日本に来る、中国人が日本に来る。彼らは何故日本に来るのであろう。
朝鮮人の一世は日本で生活して何故帰国しないのであろう。
日本での差別が嫌ならばさっさと自分の祖国に帰ればいいと思うが、彼らは何故日本に居残るのであろう。
在日2世は日本での朝鮮学校で教育を受けたならば、さっさと本国に帰ればいいのに、何故差別のある日本に居残っているいのであろう。
在日3世は日本の大学を出たならば、祖国の大学で教鞭を取ればよさそうなのに何故そうしないのだろう。
答えは、自分の祖国よりも日本の方がすべての点で良いからである。
昔、イタリアのマルコポールは、日本を、「黄金の国」日本を目指したが、本人は日本まで辿りつけなかった。
我々の国はまさしく彼の言う「黄金の国」であるわけで、世界中の人が日本国籍を取りたがっているようだ。
以前テレビを見ていたら、台湾出身の論客・金美齢女史が実感を込めて語っていたことは、「今回、日本国籍が取れたが、私はこれをどれだけ待ち望んでいたか。日本の国籍を示すパスポートは如何に大きな力を持っているか日本の皆さんは気がついていない」と言っていた。
まさしく在日の人々、海を渡ってきた朝鮮人も、そのことを充分に知っているが故に、日本でイジメられた、差別された、と言いつつも日本に居残っているのであろう。
人間が肩を寄せ合って生きている社会において、多少のトラブルはあるのが当たり前で、トラブルの無い社会などというものはあり得ないわけだが、その中で「イジメられたとか差別された」などということは、問題にする方がおかしいわけで、そんなことは人間の組織にはついて回ることだと思う。
決して良い事ではないので、無いに越したことはないが、一々それに目くじら立てて騒ぎ立てるほどのことでもない。
この本にも紹介されているが、日立製作所に就職出来なかったのは「自分が朝鮮人だっからだ」という言い分は、一見不合理に見えるが、こういうケースが往々にあるから、日本の大企業では朝鮮人を雇用しないのである。
社員として採用しないうちから裁判沙汰にされては、企業として金輪際、朝鮮人を採用してはならないという教訓を得たことになる。
大企業を受験して落ちる人は日本人でも数限りなく居るわけで、その度ごとにこういう裁判沙汰にされては、企業としては当然自己防衛に走るのは当たり前の話ではないか。
そういう事例の積み重ねが、朝鮮人を採用すると企業を内側から破壊されかねない、という恐れに至るのも当然だと思う。
これがそのまま差別に繋がり、偏見に繋がっていることは言うまでもないが、この本の著者の論旨も、私自身をして、精神的な警戒心を持たざるを得ない。
都はるみや和田あき子、松阪慶子がテレビの画面に映っているときは、その歌に聴きほれ、その容姿に見とれておればいいが、自分の身の回りの知っている人が、いきなり「あれは在日3世だ」と言われれば、その途端に身構えてかからねばならなくなる。
何となれば、こちらは何の意図も持っていないにもかかわらず、何かの拍子に、「あいつは俺を在日朝鮮人と言ってイジメた」と言われて、徒党を組んで迫られるかも知れないとなれば、用心するに越したことはない。
基本的に、在日ということは、砂糖に群がる蟻のように、金儲けのために少しでも条件に良い所に吸い寄せられてきた結果であって、金を追い掛けて商売も居場所も状況に合わせて変わるわけで、日本に居続けているということは祖国に居るよりも日本の方が居心地が良いからである。
その居心地の良い日本で、「イジメられた、差別された」と大騒ぎすれば、ますます知名度は上がるわけで、逆差別を心ゆくまで満喫できるということだ。
自分を被害者に見立てて大騒ぎを演じれば、それが金蔓になるわけで、我々にとってはどうでもいい事を、「あいつも在日だ、こいつも在日だ」と書き殴ったのがこの本である。
そういうことを同志社大学を出て大阪市立大学で教鞭を取るような知識人が行っていいものだろうか。
在日朝鮮人ではない純粋日本人で、大学にも行っていない馬鹿な落ちこぼれは、この非差別に対して、あるいは逆差別、あるいは開き直りに対してどう考えたらいいのであろう。


「皇軍兵士とインドネシア独立戦争」

2012-02-10 18:22:57 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「皇軍兵士とインドネシア独立戦争」という本を読んだ。
サブタイトルには「ある残留日本人の生涯」となっていたが、著者は極めて若い人で、30代にもなっていない。
そういう人が、あの戦争中の皇軍兵士という人のことに関心を向けたという点に私は一種の驚きを感じる。
日本の敗戦。1945年の日本の敗戦というのは、アメリカとの戦争に対して「負けた」ことは歴然としているが、ならば「中国大陸では本当に負けていたか」といえば、アジア大陸全般についてば、そうとも言えない部分があったと思う。
確かに、満州国は旧ソビエット軍に蹂躙されて敗北したが、中国の本体であるシナ全土で「日本軍が海に追い落とされたか」といえばそうとも限らない。
日本軍は地球的規模で全世界に散らばっていたにもかかわらず、それが昭和天皇の一声で、一斉に武器を地に置いたということは、実に不思議なことだと思う。
これは地球上のあらゆる国家、人種、民族にとっても、脅威的な出来事ではないかと思う。
インドネシアに進駐していた日本軍が、本当にイギリス、オランダの連合軍に海に追い落とされたかといえば、必ずしもそうとは言えていない。
日本軍は昭和天皇の詔勅を聞いて一斉に戦うことを止めてしまったので、相手が勝った、つまり相撲でいえば不戦勝のようなもので、我々の側が勝手に手を引いてしまったということだ。
あの時代、徴兵で招集されて、死ぬ気で故郷を出て、周囲も何となく生きては帰らないであろう、と思われていたことは本人にも判っているわけで、「戦争が終わったからさあ大手を振って故郷に帰ろう」とは素直な気持ちで思えなかったことも充分にありうることだと思う。
召集されて、初年兵としてさんざん鉄腕制裁を受けて、「さあこれから自分たちが新兵をイジメるぞ」と思った矢先に戦争が終わってしまえば、今まで自分が耐えてきた事は一体何であったか、という疑問は必然的に湧くと思う。
敗戦のときに、現地に居残った人々は、インドネシアのみならず、世界各地に居たと思う。
台湾にも、中国本土にもいたに違いなく、グアム島に居た横井正一氏や、ルパング島の小野田寛郎氏なども、アメリカ軍に敵対する勢力に身を投じれば、この本の主人公と同じ立場になりうる。
しかし、グアム島でもルパング島でも、民族自立の運動は起きなかったわけで、最後の最後までアメリカと敵対する関係のままの皇軍兵士という生きた見本であった。
この本の主人公の藤山秀雄氏は、敗戦で日本の支配が解け、連合軍の統治が始まる間隙をぬって行われたスカルノ大統領の自主独立の演説を聞いて、インドネシア軍と協力して、連合軍と戦うようになったと記されている。
ところがインドネシアが、この時まで西洋列強の支配下に置かれ、一時的に日本の支配下に入り、再び連合軍の軍門に下るということは、ある意味で歴史の必然だと考えられる。
我々の歴史認識では、近世の世界史において、西洋列強の帝国主義にアジアが蹂躙されて、その軍門に下らざるを得なかったという認識であるが、これはまぎれもない事実だ。
問題は、何故、そういう事実に至ったのか、という検証が大事だと思う。
その検証をすると、やはりアジアは西洋列強に蹂躙されるべくしてされた、という部分がある。
例えば、西洋人、ヨーロッパ人は鉄砲を携えてアジアに乗りこんできた。
当然、それに付随して宣教師も一緒に来たことは別の問題として語らねばならないが、アジアの諸民族は、西洋人、ヨーロッパ人が携えてきた脅威の鉄砲を見て、「あれと同じものを自分たちで作ろう」という発想に至らなかった。
ところがアジア人の中でも我々の同胞、日本人だけはそれを実践した。
16世紀頃の我々の先輩は、ポルトガル人が鉄砲を持って種子島に漂着した時、その鉄砲の威力に驚愕し、驚き、腰を抜かしたが、一瞬の感嘆が去った後、あれと同じものを自分達でも作ってみようと考えた。
それ以降の近代化の中で、物作りにかけては我々の同胞は実に生真面目にそういうものを模倣し、その模倣の枠を超えてオリジナルなものまで作りだすようになったが、我が民族の不得手な部分は、政治的思考であった。
これは政治下手、外交下手ということであるが、これは日本人の精神性が世界的な普遍性に欠けているという意味である。
我々以外の民族は、特にアジアの諸民族は、その精神性において極めて世界規模の普遍性を持っているので安易に感化されやすい。
つまり、自分たちの古来の宗教や信仰を安易に放棄して、キリスト教やイスラム教に改宗して何の精神的な贖罪も感じていない。
その意味からすると、我々の民族は極めて宗教に寛大であり寛容であるが、この事実は裏を返せば、精神性の統一が不出来であり、人々の思いを一つにし切れていない、百家争鳴をゆるして、強力な意思統一が出来ていないということでもある。
明治天皇は人々を統治する指針として「万機公論に決すべし」と唱えられ、それは極めて民主的な意識を指し示すものだ、と受け取られていたが、現実に下々の政治では、公論のみが湧き立って、議論百出するも結論が出ないので、何時まで経っても混沌と迷走が繰り返されるだけとなり、何一つ前に進まずに終わってしまう。
それを称して、日本民族のトータルの評価として「物つくりは一流だが政治は3流」ということになったわけだ。
政治とか外交ということを考えた時、当事者が謹厳実直、石部金吉、唐変木であっとしたら、それは政治的に非常に不利であるが、我々の価値観ではこういう人にこそ憐憫の情を示すわけで、融通無碍な口先人間には信用を置かないところが我々の民族のDNAとして刷り込まれている。
口先で、チャラチャラと人を騙くらかす人間には不信感を募らせて、そういう人間を身の回りから排除しようと無意識の内には気を回すが、これは政治とか外交というものを頭から否定する思考であって、我々の民族内にこういう遺伝子が内在されている限り、我々は世界的に信用されることはあり得ない。
赤を黒とも言い包め、黒を赤とも言い包める人間を、我々は信用しようとしないが、政治や外交の本質はそこあるわけで、口先3寸で戦争を回避できれば、それこそ最高の戦略で究極の戦術であるが、そういう人間を我々果たして信用するであろうか。
口先3寸で戦争を回避できたとしたら、実際に戦火を交えていないので、外交的に勝利したという認識を持ち得ないのではないかと思う。
もう一つ別の視点から宗教を例にとって見ると、我々には我々の民族の誕生の時から大和神道というものがあって、そこに中国から仏教が入り、近世になればキリスト教もイスラム教も日本に入って来たが、我々は如何なる宗教も排除しようなどとは考えていない。
ところが、我々以外の場所、地域、民族では、宗教家あるいは為政者が率先して異教徒の排除に走り回っているではないか。
近代以前のアジアの諸民族は、確かにヨーロッパ系の白人と比較すると劣っていたと思う。
日本が先の戦争でアメリカに負けたということは、当時の日本の戦争指導者、政治指導者が劣っていた、馬鹿だったからに他ならず、だからこそ勝つ見込みもない戦争に嵌り込んだわけで、敗戦が必然であったのと同じように、この時代のアジアの諸民族は西洋列強、ヨーロッパ人のよりも大分劣っていたからこそ、帝国主義に蹂躙され、西洋列強の植民地に成らざるを得なかったということだ。
第2次世界大戦の終焉が1945年、日本の暦では昭和20年の8月であったことは今更言うまでもない。
露骨な領土的野心を秘めた共産主義国家の旧ソビエット連邦も、9月までには実際の戦闘を止めたが、この時点で、戦争に敗れた日本も、インドネシアも、中国も、朝鮮半島も、ある意味で同じスタートラインに並んだわけだ。
この時点で、我々の祖国の都市はそのほとんどが恢塵と化し、その意味ではアジアの中で日本の国土が一番荒廃し、荒れ地だったかもしれない。
そのスタートラインの意味は、近代化レースであったり、民主化のレースであったり、民族自決のレースであったりしたわけだが、同じスタートラインに横一線に並んで、一斉に走り出しても暫くするとそれぞれに格差が生じてきた。
その格差も、ある意味ではそれぞれの民族の個性であったわけで、それはそれで致し方ないが、そういう冷静な目で見れる間は良いが、そこに怨嗟の気持が入り込んでくると厄介なことになる。
66年前は皆同じように貧乏であって、向こう3軒両隣が皆同じ生活レベルならば、ヤッカミもネタミも生じないが、その中の一軒がテレビは持つ、車は購入する、冷蔵庫は買うとなれば、近隣の者として心穏やかな気持ちでいられなくなるのは察して余りある。
アジアの人々が、以前は西洋列挙の植民地に甘んじ、今も近代レースにも、民主化のレースにも乗り遅れて、周辺の豊かな国に出稼ぎに行くという姿は、それぞれの人々の自己責任だと思う。
この本に描かれている、旧日本軍の兵士で、インドネシアに残ってこの国の独立戦争に貢献した人たちの存在も、その自己責任の一部であるが、この本はそこを突くものではない。
戦後の時間というのは、日本でもインドネシアでも、同じ66年間であるわけで、その同じ時間内において、内地の日本人とインドネシアの人々の努力の結果の格差が問題であって、それはやはりそれぞれの民族の個性として一絡げにして論ずるほかないように思う。
インドネシアに工業的な近代産業が無いということは、彼らの頭脳の働きが無いということであって、自分達の状況と環境にあった産業というのは、探せばきっとあると思う。
我々の日本だって、昔も今も、資源は何一つないわけで、それでも頭脳の働きによって、無から有を生じせしめているわけで、ただただ安易に出稼ぎに頼って、日銭を稼ぐという思考であってはならないと思う。
ヨーロッパ諸国があらゆる面で先進国と言われているのは、ヨーロッパ人は、彼らは彼らで、たゆまぬ努力をしているわけで、自然に地中から富み湧き出てきたわけではない。
このたゆまぬ努力の中味には、ヨーロパ人同士の血で血を洗う抗争もあれば、他民族を血祭りに上げるような野蛮な行為も含まれているが、そもそも人が生きる、生き抜くということは、生存競争であって、大きな犠牲や理にそぐわない不合理はついて回るわけで、絵に描いたような綺麗ごとでは収まり切れない。
アジアの民がヨーロッパ人と接した時、その時点では確かにヨーロッパ人の方が文化的に進んでおり、合理的な道具を上手に使いこなしていたに違ない。
だが、それを見たアジア人は、それぞれに先進的なヨーロッパ文化に驚いたと思うが、問題は、その後のアジアの側のリアクションである。
そういう状況において、「あれと同じものを自分たちの手で作ってみよう」と考えるか考えなかったかという問題に尽きると思う。
人がこの地球上で生きる、生き抜くということは生存競争に打ち勝つということであって、それは短絡的に鉄砲で撃ち合うということを指すものではなく、頭脳で以て知的な戦いに打ち勝つという意味だと思う。
かつて経済成長はなやかりし頃、ある経営者が経営の心得として、「金のある奴は金を出し、知恵を持っている者は知恵を出し、何もない者は汗を出せ」と説いたと言われているが、至言だと思う。
この地球上にあるものとしての日本人および日本国家の存在意義として、これほど的確な言葉も他にないと思うが、これは如何なる国家にも民族にも言えていると思う。
ヨーロッパもアメリカも、過去の実績としてまさしく金も、知恵も、汗も出したに違いない。
我々もそういう先進国の後をトレースしては見たけれど、我々の場合、政治的および外交的な不味さ、あるいは後進性が災いして、一旦は無一文になったわけだが、無一文になって見れば、後は失うものは何もないわけで、新たに新規一転して復興に立ち向かったということだ。
今の地球上にある諸国家には、経済的に様々な格差があって、低い地域から高い地域に、人々が出稼ぎという形で労働力が流動しているが、これもある種のグローバリズムの具現なのかもしれない。
インドネシアから日本に出稼ぎに来るということは、来る側の人々からすれば、日本の習慣や生活慣習に順応しなければならないが、一旦来てしまえば自分の国で生きるよりも、日本で生きた方が何かと便利だということになって、結果として日本に居付くことになる。
だとすれば、この状態は何時かは純日本人と外来産の日本人という差別の温床になりうる。
日本という国土に住む人々は、日本の周囲が海であるが故に、大陸から海によって流れ着いた人も大勢いると言われており、その間に差別があるようには思えないが、この差別というのもかなりの部分人為的な要素が大きく、金や支援を得るために故意に誇大化して喧伝される部分がある。
昨年の東日本大震災が起きた時、日本に来ていた中国人が一斉に帰国したといわれているが、日本人として生きる人たちがこうであっては甚だ困る。
あの時ことを言えば、あの地震で東京電力の福島原子力発電所が事故を起こしたことは周知の事実であるが、「原子力発電はああいう事故が起きるから一切合財止めよ」という発想も実に不甲斐ない思考回路だと思う。
「原子力の事故は甚大な被害を出すから、一切禁止せよ」という言い分は、正義を振りかざした小学生並みのパフォーマンスに過ぎず、分別ある大人の思考ならば、「再発防止に全力を注げ」という思考にならなければ大人とは言えないと思う。
「危ないから止めよ」では、何にも進歩が無い。
あの事故に関して、政府や東京電力を擁護する気はさらさらないが、地震と、津波と、付帯設備の機能停止と、事故の対応の不手際は、それぞれ別々の問題であって、その別々の問題が同時に一気に起きたから、未曾有の混乱に陥ったわけで、「だから原子力発電を全部やめよ」という議論には、大きな論理的な飛躍がある筈だ。
それを科学者というような人が声高に叫ぶということは、科学者にあるまじき行為だと思う。
小学生の口喧嘩のように、「絶対の安全が保障されない限り運転するな」という、この「絶対」という言葉の使い方は、小学生並みの思考でしかないではないか。

「男が泣ける昭和の歌とメロディ―」

2012-02-08 17:22:07 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「男が泣ける昭和の歌とメロディ―」という本を読んだ。
昭和の時代の歌が楽譜と共に記されていたが、著者は三田誠広氏だ。
1948年大阪生まれと言う事で、押しも押されもせぬ全共闘世代の作家である。
そういう人が昭和の日本の歌謡曲について自分の思い丈を綴ったという体裁の本であった。
その中のいくつかには私自身も大いに共感を覚えるものがあったことは確かであるが、出だしから『海ゆかば』が出てきたのには驚いた。
この歌は、戦前から戦時中にかけて、戦意を鼓舞する為に大いに歌われたと記憶しているので、そういう歌を全共闘世代の人間が真っ先に持ってくることへの違和感がどうしても先に立った。
その後に『インターナショナル』である。
この『海ゆかば』は、第2の国歌とも言われていたらしいが、私としてはどうにも好きになれない歌の一つであった。
第1の国歌『君が代』も、私個人としては好きではないが、好きでないからと言って、世俗的な式典で頑なに国歌斉唱を拒むほど強固なイデオロギーを持ち合わせているわけではない。
好きでないから、何が何でも、死んでも、殺されても歌うことを拒む、という人間は一体何がどうなっているのであろう。
好きであろうがなかろうが、『君が代』が日本国の国歌であることは否定できないわけで、この歌が「陰気臭くて、現代の日本の雰囲気に合っていないから変えてはどうですか」という議論ならば、大いに参加することに意義を見出せるが、「自分の祖国の国歌だから何が何でも口にしない」日本人というものを、どういう風に考えたらいいのであろう。
日本人以外、例えばアメリカ人、イギリス人、中国人、韓国人、北朝鮮の人々、ドイツ人、フランス人に、自国の国歌を否定し、晴れの式典で祖国の国歌を歌わない国民が果たしているのであろうか。
先の戦争で、その国歌を歌って若人を死出の旅に送りだしたから嫌悪する、という言い分は分からないでもないが、そんなことは普通の主権国家ならばごくごく当たり前のことで、出征兵士を送りだすのに他にどんな歌があるのかと言いたい。 
『君が代』の話はさておいて、この『海ゆかば』も大伴家持の歌が元だとされているが、日本の歌というのは神様に奉納するための雅楽が元にあるものだから、どうしてもゆるいテンポの間延びしたような雰囲気で奏せられるので、私のように軽重浮薄でオッチョコチョイな人間には合わない。
これこそが典型的な日本のメロディ―なのかもしれないが、こういうものは私には合わない。
合わないから式典の際にも歌わないというわけではなく、国歌である以上、それは日本国民としてミニマムの礼儀は示すべきであって、国歌斉唱の時に座ったままでいるというわけではない。
私自身この『海ゆかば』という歌の存在は知っていたが、自分の耳で直接聞いた記憶はほとんどない。
インターネットなるものが普及して、自分でもyou tubeで検索できるようになって始めて「こういう歌だったのか」という感じがしたものである。
この本の著者が1948年生まれ、私が1940年生まれであって、これだけの年令差があったにも拘らず、私が如何に無知な人間かを改めて悟った。
この著者は言うまでもなく全共闘世代であるが、この世代のものがこういう歌に何らかの思いを寄せるということは、その精神の基底に何かしら戦前の雰囲気に相通じるものがあって、共感する部分があるからではないかと勝手に想像している。
昭和の初期の時代、1925年から太平洋戦争が終わるまでの日本の政治はまさしく奇態の時代であって、人々の政治的感性が麻痺していた時期であった。
この時代に、そういう状況をもっとも憂いたのは純情で頭脳明晰な若い人達っであって、そういう人たちはある意味で政治的騎士であった。
そういう連中が世直し、政治の腐敗、資本家の労働者搾取、農村の疲弊という現実の是正を真剣に考えたうえで、直接行動に出た結果が、今日言われている5・15事件であり、2・26事件であった。
だから、彼ら若手の青年将校の決起に対する動機と行動には世の人々がある程度共感を覚えた。
この部分が当時の国民の愚昧な部分であって、世の矛盾を直接行動で是正しようという発想そのものが邪悪な思考であって、戦後の全共闘世代も同じ思考に蝕まれていたが、戦後は世間がそれを許さなかった。
戦後の雰囲気としては、「現実の世の中を良くするための、止むに止まれぬ憤怒の発露であろう」という若者の独善的な思考に同情を寄せるものは居なかったわけだ。
このように戦前の青年将校の戦後バージョンとして、戦後の復興の中で歪の是正をうたい上げたのが、いわゆる全共闘世代だったと私は思う。
彼らの親は、あの戦時中の悲惨で不自由で惨めな生活を体験しているので、自分の子供達には同じ経験をさせたくない、と願うと同時に自分自身も、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように一目散に駈けていたわけで、子供が学校にさえ行っておれば、それを由としていたのである。
こういう政治運動に首を突っ込む若者は、政治感覚に極めて早熟であったに違いない。
だからこそ、世の中の矛盾に若い時から我慢ならず、直接行動に出て、その矛盾を是正するという思考に至るのではないかと推察する。
その精神の成熟の度合い、政治的感覚の早熟性というものは、人間の成長の早い時期に具現化したのが、こういう青年将校や全学連の政治的運動という形で世間に認知されたのではなかろうか。
この『海ゆかば』という歌は、若者の精神を高揚させる要因はまったく内包しておらず、明らかに死者に対する鎮魂歌であって、これを聞いたからと言って気分が高らかに高揚するものではない。
それと相対して『インターナショナル』という歌は、まさしく革命を高らかに歌い上げているわけで、その文言の実に下品というか、おどおどしいというか、血生臭いというか、人命軽視というか、革命、暴力、人殺し、粛清、監禁という行為を是認する言葉でまぶされているではないか。
まさしくロシア革命を称賛して止まない、血で血を洗う革命の本質を、そのまま歌い上げているわけで、全共闘世代で、学生運動あるいは政治活動に明け暮れた共産主義者乃至はそのシンパの心情を見事に具現化した内容だと思う。
20歳代の前半という時期に、こういう精神風土の中で生きていたとすれば、その後の本人が既存の社会の価値観に順応することは甚だ難しいと思う。
人の集まり、つまり既存の社会の中には人間の英知では克服できない矛盾というのは掃いて捨てる程内在しているわけで、それを青白い青年の潔癖性で打破しようとしても、安易にできるものではない。
「貧富の格差の是正」と言ったところで、そんなことは人類誕生の時からあるわけで、人が今まで生きて来たということは、そういう矛盾を引きずりながら生きてきたわけで、それを今是正すると言ったところで出来るわけがない。
「戦争の撲滅」というテーマでも同じことが言えるわけで、戦争は人類の誕生と同時にあったに違いない。
これは矛盾ではなく、人が生きるための必然であって、自分が生きようとすれば誰かを犠牲にしなければ自分自身が生き残れないということだと思う。
この世における他者の犠牲というのは、何も戦争の犠牲者だけを指すのではなく、「貧富の格差」の貧者の側の存在も明らかに生存競争の犠牲者の立場だと考えざるを得ない。
若者が、こういう矛盾を追及する行為そのものは、極めて若者らしい青春群像であるが、日本人でも何処の国の若者でも、民族のDNAに根ざした独特の思考というのは、きっと存在すると思う。
アメリカの青年にも、韓国の青年にも、中国の青年にも、ブラジルの青年にも、その国の若者らしい若者の気風というものがあるように思う。
第2次世界大戦の終了は、1945年の5月にヨーロッパで、8月には太平洋で終わったわけで、この戦いに駆り出された兵士は、この時期を境に祖国に帰還したに違いない。
現役の兵士が祖国に帰還すれば、真っ先にすることは恐らく、愛の交換、愛情の確認、愛の結実であったに違いなく、結果として赤ん坊の誕生ラッシュではないかと思う。
だとすれば、全共闘世代というのは日本だけではなく世界的規模でベビーブームが起きていたわけで、この赤ん坊が成人に達し、政治活動、あるいは学園紛争に身を投じる時期は、必然的に1960年代から70年代となるわけで、この時期は地球規模で新しいムーブメントが湧きおこったことも大いに頷ける。
この地球規模での新しいムーブメントの中で、日本だけの特徴といえば、我が民族の新しいジェネレーションは、自分の国の尊厳をいささかも信じていないという不幸である。 
その基底をなした大きな理由は、公立学校の先生の組合が共産党員か共産主義者に占領されてしまって、『インターナショナル』に代表される「暴虐の鎖断つ日、旗は血に燃えて……」とか、「圧政の壁破りて固き我が腕……」という精神を注入されたとすれば、我々の次世代が良くなるわけがないではないか。
戦後の公立学校で教わる内容には、個人の夢実現へのフォローには極めて寛大であるが、公に尽くす、公衆の為に、人々の為にというフレーズは影をひそめてしまって、個人の利益のみが大手を振って罷り通る世の中になってしまった。
この理由の大きな源泉は、戦後のベビーブーマーたちの置かれた環境が余りにも豊かになりすぎて、反体制、反政府というポーズでも生きていけれる、拘束されない、牢屋に入れられない、という状況があるからだと考えられる。
それが民主主義の成果ではあるが、究極の民主主義というのは、限りなく衆愚政治に近いということでもあるわけで、全員が納得する政策などというものはあり得ないにも拘らず、それを争点としているわけで、結果として政治は限りなく混迷するだけで、前には一歩も進まないということになる。
戦後世代の著者が、自分の歌へ思いのトップに、『海ゆかば』と『インターナショナル』を持ってきたことには正直驚いた。
他の歌は、本人の体に沁み込んだ成長の過程の柱の傷のようなもので、私としては共感を覚える部分もあったが、新しいフォークソングやシンガーソングライターにも傾倒していたという意味では、私よりも音楽の感性が豊かだなという思いは残った。
本の題にも「昭和の歌」となっていることは「歌謡曲が主だよ」ということを示唆しているのかもしれないが、他のジャンヌに関する記述が無いのがもの足らない。
私自身のことを述べれば、若い時にはステレオに少しばかり凝っては見たが、所詮、全財産を継ぎ込むほどのめり込んだわけではなく、中途半端に終わったが、それでもなけなしの金をはたいて買ったLPやCDが今でも残っている。
それを今はウオークマンに入れて、隙間の時間に聞いている。
ウオークマンのイヤホーンを耳に突っ込んで聞いていると、昔、高い金を出して買ったステレオのことがバカらしくなってきた。
又、昔買ったCDがコンピュータを介してウオークマンに入るというのも実にすばらしいことだと思う。
まさしく文明の利器そのものだ。

「官愚の国」

2012-02-04 13:27:40 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「官愚の国」という本を読んだ。
サブタイトルには「なぜ日本では政治家が官僚に屈するのか」となっていて著者は高橋洋一氏ということだ。
奥付きによるとこの著者は東大を出て大蔵省に入省した高級官僚、いわゆるキャリアー組であったということだが、安部内閣の時に、安部晋三の辞任と共に下野したと本人は書いている。
この本の前半の官僚批判は、私の考えていたことと全く軌を一にするもので、大いに共感を覚えるが、後半は組織内部の腐敗を曝け出す内容で、当事者でなければわかりえない事ばかりであった。
この本の中に登場してくる「官僚の修辞学」という文言は、甚だ興味ある部分であるが、その前に転勤の頻繁な繰り返しも大いに考えさせられる内容だと思う。
この著者も、大蔵省の官吏として四国の小さな町の税務署長を20歳後半の時期に1年間経験したと述べられている。
組織に新しく採用された人が、組織全体の業務を掌握するために、方々のセクションに転勤するということは、本人の知識を蓄積するのには良い機会だとは思う。
キャリアー組の高級官僚が、自分の組織の末端で如何なる業務をしているのか、を知ることは極めて重要なことだと認識している。
ならばそれが1年間ではいささか短すぎると思う。
如何なる人間でも、たった1年間では仕事の輪郭さえも掴むのが難しいと思う。
お巡りさんでも、学校の先生でも、税務署員でも、1年で仕事の全貌乃至はその一端でも理解するには短すぎると思う。
組織の人間として、組織の全貌を知るためには、色々なセクションを廻るということも必要なことだとは思うが、仮にそうだとしても1年では何もわからないまま、また次のセクシュンに移るということになり、組織の全貌を知るという目的は中途半端に終わるに違いない。
この著者が戦後世代なので、旧軍との比較という視点に思いが至らないのはいた仕方ないが、その意味では、日本の敗戦という大きな外圧があっても、大蔵省だけは戦前の官僚の遺伝子を実につつがなく継承しているように思える。
戦前の各省庁は、陸海軍をはじめとして内務省のようなセクションも、いわゆる天皇制との絡みで、ことごとく解体されたが、大蔵省のみは占領という外圧にも見事に生き延びた。
大蔵省が生き延びたということは、何も仕事をしなかったから生き延びれたということが言えると思う。
我々、戦後世代も、あの戦争中の様々な記述に触れて、日本の軍人は実に愚かだった、ということを身を持って体験したわけだが、その中でも戦時中の大蔵省に関する記述というのは読んだ記憶がない。
戦前には企画院というのがあって、それが戦争遂行のために統制経済を牛耳っていたという話は聞くけれど、その中で大蔵省が何かをしたということは聞いた事がない。
しかし、戦争中と言えども、大蔵省は安穏としておれたわけではないと思う。
例えば、日本軍が進出した地域では軍票というものが通貨の代用として流通していたわけで、それと日銀券との関係を考えると、大蔵省とて無関心ではおれなかった筈であるが、そういう話は我々の耳に届いていない。
大蔵省というセクションが国家の財布を握っていることはよく承知しているが、国家の財布であるからこそ、自らアクティブに行動出来ないという部分もあるかと思う。
昔の王様とは違って、自分自身の贅を尽くすために金銀財宝を集めるということはあり得ないわけで、少なくとも国民国家であるとするならば、常に周囲とのバランスの上に行動せねばならない筈で、それには何もしないことが一番の得策なのかもしれない。
今現在、2012年の段階で、我々の国の産業界は如何なる分野でも大打撃を受けて四苦八苦しているが、これは自らの努力では如何ともし難く、まさしく天与の災害という他ない。
昨年の東日本大震災は災害そのものであるが、それと合わせて、東南アジアの目を見張るような勃興も日本にとっては大きなジレンマであったわけで、そのうえ為替の変動からヨーロッパの通貨危機に至るまで、全てが日本にとっての災難であったことを考えると、官僚を責めたところで解決に結び付くものは何一つとしてない。
この本の中には、官僚の目から見た官僚システムが描かれているわけで、その中で注目すべきは、日本の政治は政治家があるべき姿として本来の機能を果たしていないと記述されており、それはもっともな指摘だと思う。
つまり、日本の政治は、3権分立で、立法、司法、行政と別れており、官僚は行政府の一翼を担っている筈であるが、立法府がきちんとしていないので、官僚が立法府の業務を代行する形で、法律を起案するケースが非常に多く、それが為官僚は自分たちに都合の良いように法案を作ってしまうと指摘している。
確かにその通りだと思う。
統治の根拠となるべき法律は、本来、国民から選出された国会議員、つまり立法府・議会で議員立法として作るべきところであるが、日本の議員にはそれだけの能力が無いので、官僚が作ったものを政府側が提案して、それが議会で審議されて法案となる。
だから官僚が起案した法案の中身を、国会議員はよくわからないまま審議し、盲人が像をなぜるような状態で法案成立となり、官僚の思うがままに運用されることになると説かれている。
この部分に「官僚の修辞学」が存在するわけで、それは日本語の極めて曖昧摸糊とした表現の機微を突くもので、そういう手練手管で以て法律の毒毛が抜かれ、官僚の思う壺に嵌ってしまうということになる。
こうして作られた法案は、もともと下々の下世話なことに通暁していない官僚が考えた内容であるが故に、その運用に際して齟齬が出るわけで、その齟齬が法律の盲点となり、そこが抜け穴と化すのである。
この抜け穴を密かに紛れ込ませるテクニックとして、「官僚の修辞学」が機能するということだ。
そこで問題の根源は、官僚対政治家という構図に必然的になるのであるが、本来の統治という概念でいえば、政治家が官僚を従えて国家を統治するのがノーマルな姿ではないかと思う。
ところが、政治家が法律について無知なものだから、この関係が成り立たず逆転してしまっている。
今の政治家の中にも元官僚という人が大勢いるので、官僚を牛耳ることも可能ではないかと思うが、ここで双方に相互扶助の助け合いの精神が機能して、敵対関係には成らず同じ目的意識を持った同志的な関係に昇華してしまうので、結局は慣れ合いの混沌の渦に埋没してしまうということだ。
国家を運営していくには組織が必要なことは言うまでもなく、その組織は必然的にピラミッド型にならざるを得ないが、問題は、組織の底辺よりも頂点の方に大きな齟齬が生じるわけで、底辺の方は一生懸命自己の使命に忠実たらんと頑張っている。
ところが、そういう底辺の官吏の上に立って日常のこまごました業務を指揮監督すべき高級官僚は、そういう底辺の人たちとは別のルートで組織に入ってくるわけで、ここでは管理する人とされる人という階層が歴然と別れてしまっている。
私の好きな言葉に、「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」という戯れ歌があるが、高級官僚というのは全て「駕籠に乗る人」を目指して、その組織に蝟集してくるわけで、その発心のときから人の上に立って利得を掠め取ることを目指して、国家公務員1種試験に挑戦してきている。
人生の出発点に立った若人が、こういう世慣れた抜け目のない目的意識を持つということは、極めて老成した老獪な選択で、こ狡い人か、悪賢い人か、わか年寄りか、とにかく世間の潮の目を見定めるに優れ、保身の術に長けた、ある意味で優秀な人材であることは否めない。
「駕籠に乗る人」の立場からすれば「草履を編む人」のこと等眼中にないのが普通だと思う。
組織の末端で日々日常業務に励んでいる人は、それこそ国家の為に、人々の為、地域の為に貢献している人達で、こういう人達は自分ではそんな大それた意識で仕事をしている、などとは考えていないと思う。
それはそれで立派なことだと思う。
自分に与えられた仕事あるいは任務を、天職と思い、日々黙々とそれをこなすことこそが、人間の生きる真の姿だと私は考える。
こういう人たちの上に立って、こういう人たちの日々の実績の上前を撥ね、あたかも自分の功績であるかの如く振舞う高級官僚は、実にさもしく、意地汚く、貧乏人根性丸出しで、見下げた存在であるが、彼らには国家公務員1種試験に合格したということだけが、自らの誇りであったに違いない。
既に旧日本軍の高級将校に関しては、組織内の純粋培養という言い方で、厳しく糾弾しているが、他の官庁においてもキャリアー組は殆どの人が官費で留学しているとなれば、日本の官僚もその留学の成果が政治の場とか行政の場に出て来てもよさそうに思う。
留学と称して国費で以て外国で遊んでもらっては納税者として納得できないのは当然で、そういう意味の思考は彼ら官僚には全く見られない。


「検証・病める外務省」

2012-02-02 09:21:26 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「検証・病める外務省」という本を読んだ。
著者は小黒純という人だが私の知っている人ではない。
サブタイトルには「不正と隠蔽の構造」となっている。
今から10年も前の事件が様々に取り上げられているので、いささか賞味期限切れという感がしないでもないが、事件そのものよりも官僚の体質は未だにいささかも変わっていない、という点に留意しなければならない。
しかし、石川五右衛門の言い草にあるように、「浜の真砂が尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」という訳でもなかろうが、余りにも不道徳な輩がはびこりすぎていると思う。
最近、先の大戦中の日本の将兵に関する本を読みあさったが、昭和初期の日本の軍人というのは、軍人という前に官僚になり切ってしまっていて、官僚が戦争を指導したという側面がかなり強い。
我々のような、普通の市井の人間の普通の認識では、軍人と官僚は明らかに違う概念で捉えていて、軍人、中でも高級将校という類の戦争のプロフェッショナルと目されている人達に対する認識は、文官としての高級官僚とは全く別の人種という認識であった筈である。
この軍人と官僚という人種についてはひとつの共通項があって、それは試験に通ったことによって身分が保証されているという事実である。
過去約250年の江戸時代の封建主義から脱却して、明治維新を経て近代化を目指そうとした時に、優秀な人材を広く国民の中から発掘し、そういう人たちに日本の将来を託そう、という意気込みは充分に理解できる。
その時に、国民の中から優秀な人材を発掘する手段として、ペーパーチェックが篩分け、つまり選別の手段の一つであったことは否めないし、人材を見極める手段としてペーパーチェック以外の手法がみつからなかったという面も理解できる。
しかし、このペーパーチェックで人間の能力を選別するという発想は、中国の科挙の制度を踏襲したということであって、隋の時代のシステムであって、遣隋使の時代に先祖返りしたようなものであった。
この時代に科挙の試験に応じた受験生は、日がな朝から晩まで勉強のできる身分の人達、今の言葉に言い換えれば、勉強三昧に耽れる富裕層であったが、日本の明治維新後の科挙においては、身分制度を超越したそれこそ士農工商エタヒニンまで含めた階層にまで門戸が開かれたわけで、まさしく民主化の究極の具現化であったということになる。
ここで今の21世紀に生きる我々が考えなければならないことは、この制度は為政者の側が施行して推し進めたのであって、下々の庶民・国民の側は、為政者の指針に真面目に応えて、為政者の勧める施策を真摯に受け止めて応募してきたに違いなく、日本の発展に真から寄与するつもりであったことは否めない。
ところが問題は、明治維新というのはある意味では大きな共産主義革命に近いものであって、新政府の施策に応募してきた人達の大部分は、士農工商エタヒニンを含む玉石混交した人間の集団であった。
この現実を別の言い方をすれば、極めて民主的な公明正大な機会均等のシステムであったことは間違いないが、惜しむらくはこの中に盗人、詐欺師、賭博師、ハッタリや、虚栄心の強い者や、私利私欲にどん欲な者や、モラルを欠いた人間が混じっていたということである。
日本が近代化を進めようとしたときに、国民の中から広く人材を集めなければという欲求は当然のことであって、その選別のためのペーパーチェックはいた仕方ないと思うが、問題は、そうして集めた人材のその後のフォローだと思う。
如何なる職業、職域、仕事でもペーパーチェクで選別した人材がすぐそのまま使えるということはあり得ないわけで、ある程度の導入教育は必然であろうと思う。
昔の軍人ならば陸士、海兵、今の警察官ならば警察学校、税務署員ならば税務の学校、裁判官ならば司法研修所等々の職業訓練を施す機関はそれぞれにある筈である。
国家の統治機構の中で、それぞれの組織に、それぞれの職域に応じた、それぞれの専門の教育機関を持つことは極めて合理的な発想だと思う。
ところが昔の陸士や海兵を出た高級将校、高級参謀を見ると、明らかに組織の中で純粋培養されていて、自分達だけの世界を作り上げている感がする。
だから彼らは自分達の存在感を誇示するために戦争をしている感がするわけで、国民のために戦争をしている意識が極めて薄いので、負けても平然としている。
昭和初期の日本軍が天皇陛下の軍隊であったとするならば、天皇陛下の為にも勝利しなければならなかった筈であるが、その事を彼らは忘れていたので、天皇陛下にも嘘を言っていたことになる。
昭和の初期の日本軍は、天皇陛下の軍隊と言いながら、その実、天皇陛下のために戦っているのではなく、自分達の存在感を誇示するために天皇の名を借りて、天皇の赤子を無駄死にさせるような意味のない戦争を繰り返していたのである。
戦後、こういう愚劣な軍隊は無くなったが、官僚というのはゼロにはし切れないもので、国家という組織が国民に福祉を講じようとすれば、大なり小なり官僚組織に頼らざるを得ない。
その組織を管理運営する要員は必要不可欠であって、人間の集団を率いて生きるためには、それは欠かせないものだと思う。
如何なる国でも昔は君主制が普遍化していたわけで、その中の人間の存在というのは、統治するものとされるものという二種類でしかなかった。
しかし、こういう状態であったとしても、統治する側には、如何に統治を合理的に全うするか、という課題があるわけで、その為にはそれなりの組織が必要であった。
組織である以上、その中では上から下まで階層的に役割分担があったわけで、当然のこと、上の階層ほど仕事が楽で身入りは良かった。
組織人ならば誰でも上になりたいという欲求に曝されていたわけで、それが官僚と言う人たちの潜在意識に昇華するのも、人としての当然の帰結ではある。
昭和初期の日本の軍人の官僚化というのは、その最も根源的な人間の希求を、自然の摂理にもっとも忠実な形で歴史の中に具現化した姿だと思う。
先に述べたように、天皇陛下の軍隊であることを自他共に認識しながら、天皇の名を語りつつ、天皇に嘘を言い、天皇の名で以て、天皇の赤子に無駄死を強いた、つまり天皇を自分達の存在意義を保持するために利用したということになる。
天皇を騙したような皇軍の高級将校、高級参謀、戦争指導者を、天皇の赤子・国民・あの戦争の被害者として生き残った我々、銃後の人々はどう考えればいいのであろう。
元はと言えば、公平無私の極めて民主的な選抜を経て、軍人としての職業訓練を経た人達が、際限なく無制限に官僚化してしまった挙句、何の為の戦争かという目的意識を失ったまま、彼らが彼らの存在意義を誇示するために無意味な作戦を繰り返していたための敗北であったわけで、そういう軍人では軍人足りえていなかったということに尽きる。
戦後の日本には、もうこういう愚昧な軍隊、軍人、軍部はいないが、国、国家というものが存在する以上、官僚という組織を無しにはできないわけで、官僚という人間の集団は、それぞれにその場立場でそれぞれの職務を遂行している。
官僚組織もあらゆる組織と同じように、基本的にはピラミッド型の上意下達のシステムになっているが、警察でも、保険所でも、税務署でも組織の末端は、それぞれに一生懸命日常業務を遂行している。
問題は、そういう末端の組織の上に君臨している高級官僚の存在である。
こういう高級官僚が、先に述べた軍の高級将校、高級参謀と同じ発想に陥っているところが最大の問題である。
先に述べた昭和初期の軍人の例でもわかるように、陸士や海兵に入学してくる若者は、それこそ俺が村俺が町一番の秀才であったろうが、それが軍という機構の中で10年20年と純粋培養されると、初心を忘れしまって、自分の存在意義を忘失してしまって、自分の所属セクションの利害得失にのみに関心が行ってしまうことにある。
自分の所属セクションの利害得失で動き回っていては、自責の念に堪えられないので、天皇の為だとか、国民の為だとか、銃後の人々の為、と口裏あわせをするから結果として嘘を言い、騙したということになるのである。
この旧軍人の官僚的思考は今日の官僚にもそのままの形で残っているすわけで、官僚たる者、官僚組織という純粋培養の器の中に長いこといると、自分の官僚としての存在意義を見失ってしまって、自分が何の為に此処にいるのか、ということが判らなくなってしまうということだと思う。
自分の立ち位置、自分の存在意義、自分の存在感が判らないものだから、当面の目の前の瑣末なことに右往左往して、ことの本質を見失ってしまうから、それが積み重なって大きな失態となって露呈するということだと思う。
官僚の不祥事というのは、そんじょそこらのコソ泥や空き巣というような犯罪とは異なるわけで、全てが立派な確信犯であって、ついつい出来心で手が出た、という類のモノとは異なっている。
今でも日本の官僚は国家公務員試験をパスしたものがなっているわけで、この試験そのものは昔の科挙の試験と同じようなもので、それによって採用者に篩をかけて選別しているが、それはあくまでもペーパーチェックなわけで、本人のモラルに関してまでは伺い知る術はない。
仮に、モラル的に大きな欠陥があったとしても、ペーパーチェックの成績さえ良ければパスするようになっている筈である。
ペーパーチェックの成績というのは、人物評価の大きな要因であって、普通の市井の市民からすれば、ペーパーチェックをクリアーするような人に悪い人はいないだろうと思いたいし、そう思い込んでいると思う。
ところが現実には、こういう人たちが10年後20年後、その組織の中で純粋培養された結果として、悪事に手を染めるわけで、それも「生活苦で明日食う米もないから公金を盗む」という可愛いものではなく、給料は充分に貰いながら、尚遊びの為の金が足りないという理由からなので、納税者としては開いた口が塞がらないということになる。
官僚といっても大勢の人間がいるわけで、その中には当然のこと、悪いことをする人間が紛れ込んでいることも充分のうなずけることではあるが、組織の中にそういう人がいれば、困るのは普通の国民だという意識が、官僚の側にも国民の側にも希薄だと思う。
上海の領事館で起きた脱北者の中国官憲の奪還事件や、機密費詐欺事件の松尾克俊の事件や、尖閣諸島における巡視船への衝突事件等々の一つ一つの事件は、普通の日本の国民にとって喫緊の問題ではないので、国民への直接的な影響はないと思われがちであるが、こういう考え方そのものが既に国益を阻害している。
我々は、戦後、憲法で以て「事を解決するのに武力の行使は行わない」と言っているので、我々の武器は言論でしかないが、外務省がこういう小さなトラブルの際にも、徹底的に言論で以て相手の不合理な立ち居振る舞い告発するという態度を示さないことには、日本の国益は踏みにじられてしまう。
言論で以て戦うということは、単純に相手に抗議するというだけではなく、相手の立ち居振る舞いを国際社会に暴露して、国際社会に対して相手の理不尽な行動を周知徹底させ、相手の国際的な信用を失墜せしめるということも含まれているわけで、こういう工作が我々は全く下手だと思う。
日本の過去の歴史の中で、満州国の建国ということがあって、これを中国は国際連盟に提訴して、それを受けてリットン調査団が派遣され、結果としてそれが日中戦争を深化させ、太平洋戦争へ繋がったわけで、我々は中国の言論が契機となって奈落の底に転がり落ちたということになる。
今の日本の外務省のこの時の中国人ほどの遠謀深慮の発想があるであろうか。