ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「ウサーマ・ビン・ラーデイン」

2008-11-30 21:26:52 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ウサーマ・ビン・ラーデイン」という本を読んだ。
言うまでもなく、アルカイーダの首領ということになっているが、果たして本当にそうかどうかは誰も知らないわけで、どういう経緯があるのか定かには解らないが、自分の所属する団体の名前も公表できず、居場所も隠さねばならず、自らの身も世間に隠さねばならない存在というのも実に身下げた在り方だと思う。
我々の知る範囲では、2001年の9月11日のアメリカ同時多発テロの首謀者という認識であるが、本当にそうかどうかは未だにわかっていないわけで、世間に背を向けて聖戦の遂行というのも馬鹿げた話だ。
アメリカの繁栄の象徴でもあるニューヨークの世界貿易センタービルを2棟ともああいう形で攻撃されたとすれば、アメリカ大統領が誰であったとしても報復せずにはおれないに違いない。
我々は、直接の被害を受けたわけではないので、まさしく傍観者として綺麗事で口を拭っておれるが、当事者としたならば、そんな綺麗事で物わかりのいい事を言っているわけにもいかないものと推察する。
現実には、あの事件で日本人も30名近い犠牲者が出ていることを考えれば、あのテロに対してアメリカ人と同じレベルの憎悪をかきたててもおかしくはない筈いである。
ところが我々は戦後63年間というもの、去勢された家畜のようなもので、闘争心を全く失ってしまった生き物に成り下がってしまった。
メンツを汚されたアメリカは、結果としてウサーマ・ビン・ラーデインが潜伏しているであろうと思われるアフガニスタンに報復攻撃をしたが、彼は上手くそれを逃げたらしい。
この時、浅薄な私は思ったものだ。
彼が敬虔なイスラム教徒だとするならば、イスラム教徒は結束して彼の身柄を公の場に出すべきではないのかと。
今にして思うと、彼のテロは明らかに宗教戦争である。
この本の主題はそれを明らかにすることにあるようだ。
彼、ウサーマ・ビン・ラーデインの宗教観の何処に彼をテロに走らせる根拠があるのかを解き明かそうとしている。
彼自身の生い立ちは、貧困層などの出自ではなく、富裕階級の出身で、自らも高度な教育を受け、有能なビジネスマンでもあったわけで、その彼がどうして宗教を旗印にして、テロという行為に血道を開けるようになったのかということである。
昔、「アラビアのローレンス」という映画があった。
今でいう中近東を舞台としてイギリス軍の進駐を描いた作品で、アラビアの部族とイギリス軍の駆け引きが描かれていたが、ここで描かれているアラビアの民というのは、べドウイン族のイメージをいくらも出るものではない。
また、同じような映画で「風とライオン」という映画があって、これも同じようにアラビアを舞台に描かれていたが、ここでもアラビアの民はべドウイン族のイメージを払しょくするものではなく、両作品が同じような時代、20世紀の初頭から半ばの時代を描き出しているにもかかわらず、中近東の人々の意識は、昔のままのべドウイン族そのもののように描かれている。
おそらく今でもそれと同じことがあるのではないかと思う。
つまり、意識は太古のままにもかかわらず、社会生活のツールは今日の文明の利器を縦横無尽に使いきるということである。
「風とライオン」の映画では、ショーン・コネり―がべドウインの部族の長を演じているが、時代背景としては20世紀に初頭であろう、既にこの時からべドウイン達はアメリカというものを敵視している。
「アラビアのローレンス」ではイギリス軍の将校がべドウインの協力を得てドイツの支配地を混乱させるという筋書きだったように思うが、この映画ではべドウイン側の敵がい心は描かれていないが、イギリスという先進国に良いように使われたという形で描かれている。
砂漠の民、いわゆるべドウインと、西洋先進国ではあらゆるものが相容れないことは言うまでもない。
価値観の違いというのは相互理解などという綺麗事では処しきれない。
砂漠の民がラクダでキャラバンを組み、ゆったりゆったりと交易をするのを、キリスト教文化圏の人が見たら、まだるっこしくて見ておれなかったと思う。
そして最大の障壁が宗教なわけで、この宗教と領土拡張という帝国主義的キリスト教文化圏、あるは価値感と衝突が今日まで続いているというのがテロの根源ではないかと思う。
ビン・ラーデインがアメリカをテロの標的にするのは、アメリカがキリスト教徒の民であるからであって、そのもう一歩奥にはイスラエルとしてのユダヤ人の存在が彼の癪の種になっているようだ。
こんな理由は、我々からすれば考えられないことであるが、現実にはアメリカを標的とするテロが今までに何度も起きているわけで、それを標榜する声明文まで出ているからして、我々の想定外のことも十分にありうるということである。
ニューヨークのWTCビルに旅客機で突っ込むというアイデアも、我々には想定さえできないことなわけで、そういう意味でも、価値感が根底から異なっているということである。
アメリカがイラクを攻撃した湾岸戦争でも、彼らの対応は我々には想定できなことが多かった。
例えば、アメリカがピンポイントで攻撃するであろうと思われる場所に人質を集めるとか、病院を兵站基地にするとか、我々の常識を真っ向から否定するような措置を平気でとるわけで、こういう有様に対して日本の識者はどういうコメントが出せるのであろう。
日本をはじめとする世界の識者と称せられる人々は、何の臆面もなくアメリカの悪口を言いふらしておれるが、責められるべきは攻撃目標に罪もない人々を集めたり、病院を基地にしたりする側ではないのか。
ウサーマ・ビン・ラーデインがアメリカを憎む根拠には、湾岸戦争以降アメリカがサウジアラビアに進駐したことが大いに気に入らないわけで、そのことを彼はイスラムの地がキリスト教徒に占領された、と認識しているところにある。
そして、そのアメリカを後ろで操っているのが、イスラエルと同じ民族であるユダヤ人だから我慢ならない、という論法になるらしいが、これも荒唐無稽な論理で、昔のべドウインの野蛮な思考から一歩も出ていないということに尽きる。
アメリカの繁栄がユダヤ人の搾取で、サウジにアメリカ軍が進駐するとユダヤ人の陰謀で、諸悪の根源をすべてユダヤ人の所為にするなどということを誰が真に受けるかと言いたい。
この本の中でも、アメリカがサウジアラビアに進駐したことを彼が怒っていることは描かれているが、イラクのフセイン大統領がクエートに侵攻したことには一言も言及していないわけで、フセイン大統領がクエートに侵攻しなければ、湾岸戦争も起きず、アメリカ軍のサウジ進駐もないわけで、そのあたりを彼は如何に考えていたのであろう。
中近東の砂漠の民は、基本的にはべドウインだと思うが、こういう言い方をすると非常に誤解を招きやすい。ところが、べドウインというのはアメリカインデアンと同じだと思う。
人間としては、西洋人も、日本人も、アメリカインデアンも、べドウインも全く同じで、生まれ落ちた時は何ら差別も優劣もなく誕生するが、成長の過程で社会的な影響を受ける段になると、明らかに差異が生じ、それがその後の高等教育に接する頃になると歴然と違いが生まれてくると思う。
「人は生まれながら平等だ」などというが、それは完全に嘘っぱちだ。
砂漠で生まれてラクダの乳で生育した人間と、南アメリカの荒野で生まれヤクの乳で育った人間と、大都会で哺乳器の中でミルクで育った人間が同じであるわけがないではないか。
人間のものの考え方も、その育った環境に大きく左右されるのも当然の成り行きではないか。
ウサーマ・ビン・ラーデインがイスラム教の家庭に生まれ、イスラム教の社会の中で成人に達したならば、イスラム教の影響なしではありえないわけだが、そういう人は彼のほかにも大勢いるわけで、彼だけが特別に敬虔なイスラム原理主義にまで上り詰めたということは、彼の考えの中に特別なものがあったというほかない。
彼の場合、裕福な家庭に育ち、本人もビジネスには長けていたわけで、決してアメリカを敵に回して得をする立場ではなかったはずである。
そう考えると、彼の運動を支えるエネルギーは、敬虔な宗教的原理主義しかないわけで、これは日本におけるオウム真理教の行動と極めてよく似ている、と考えればいいと思う。
ウサーマ・ビン・ラーデインが唱える教義も、麻原彰晃が唱える教義も、部外者にとっては全く意味をなさないもので、まさしく独りよがりな狂信者の域を出るものではない。
ところが世の知識人という人達は、この何の意味もないただの愚行に、何とか整合性のある説明をしようとするものだから、ますます迷路にはまり込んでしまうのである。
ゼロはどこまで行ってもゼロなのに、その中から何か実数を見つけ出そうと、愚にもつかない画策をして、試行錯誤を繰り返すから世の中が混沌とするわけで、ゼロはゼロ、バカはバカと、はっきりと正面切って言いきってしまえば、世の中はもっとすっきりする。
ただ惜しむらくは、この彼の行為が宗教の名において行われている限り、イスラム教徒の聖職者は、それなりの責任を感じて、彼に自重をするよう呼びかけることはしなければならないと思う。
何世紀も前のべドウインの潜在意識を持った人々が、それこそ何世紀も前の宗教上の怨念を抱えて、近代文明の恩恵をモロに享受しながら、地球をまたにあちこち飛び回って、テロを起こして罪もない人々を殺すなどということがあってはならないことだと思う。
そういう輩が宗教を口にすることさえ忌まわしいことなわけで、だとすれば世の宗教者は団結して、そういう思考を糾弾してしかるべきだと思う。
2008年11月28日の段階で、インドで暴動が起き、タイでも反政府勢力が空港を占拠して、罪もない人々を混乱の際に追い込んでいるが、如何なる理由があろうとも、暴動やテロに整合性があるわけないではないか。
かって我々は、文明人の対極に土人という呼称で野蛮人の存在を認識していたが、昨今ではそういう認識そのものが否定されて、存在そのものも、呼称も、遺棄されているが、こういう現状を見るにつけ、そういう呼称が再び復活するのではないかと危惧せざるを得ない。
前にも述べたように、人間は生い立ちによって均一に近代精神が醸成されるのではなく、生育した土地、地域、宗教、環境によって非常にばらつきのある人格形成がなされるわけで、この地球上の人間は同じ価値観を持ち合わせているわけではない。
価値観の全く違った人間同士が、お互いに妥協しながら、価値観のバランスを取りながら、生きているのである。
大昔のように、交通通信の手段が未熟で、情報の伝達が稚拙であった頃は、地域限定のトラブルが、今では瞬時にして地球上を覆い尽くすわけで、その中で古い価値観で以って唯我独尊的な思考は、時代の潮流に棹差すものであって、人類全体の幸福には程遠いものである。
今では人を野蛮人と言うことが許されないが、彼らのしていることは、野蛮人の行為そのものではないか。
その野蛮人がテロを行う際には、極めて文明人として振舞っているわけで、パスポートを偽造して世界をまたに飛び回り、爆弾には精巧な時限装置を組み込み、爆薬の入手には車を多用しているわけで、している行為は極めて野蛮であるにもかかわらず、その行為と手法は極めて現代的である。
そのことは、テロをする、罪もない人々を殺す、異教徒を殺すためには彼らの忌み嫌う現代の物質文明を最大限に利用しているわけで、この矛盾を彼らはどう説明するのであろう。
宗教に根ざした行為でありながら、異教徒ならば殺してもいい、という発想はどういうところから来るのであろう。
ということは、彼らの目的は最初から人を殺すことにあるわけで、その為の言い訳が宗教であって、敬虔なイスラム教徒だからキリスト教徒を殺戮する、というのは最初の目的をカモフラージュするための方便でしかない。
こういう現状を見るにつけ、アメリカを非難する日本の知識人の思考は一体どうなっているのかと言いたい。
アメリカ政府だとて、聖人君子でないことは歴然としているので、彼らも過誤を犯すことは当然ある。それはそれで彼らもそれなりの反省はしているであろうが、だからと言ってテロをする側を容認するわけにはいかない。
日本の知識人はこういう場面で、他者に対して良い格好し、権力者には抵抗のポーズを示し、自分の方が統治者よりも賢いのだよ、ということを暗に示そうと、綺麗事をのたまう。
アメリカの施策に協力することが非常に恥ずかしい行為と捉えているようで、そこが極めて日和見である。
クエートに攻め込んだフセイン大統領にも一分の理があると説き、WTCに突っ込んだい9・11テロにもアメリカの傲慢への仕返しとらえ、証拠もないのにアフガンを攻撃した、と説いているが、こういう言辞はすべて当事者ではない傍観者としての綺麗事にすぎない。
あれだけのことをされたアメリカが、何もせずにおれるわけがないではないか。
あの場に立てば、正義も善悪も善し悪しも関係ないわけで、何か報復をしなければアメリカ国民として黙っておれないではないか。
アメリカの偉大なところは、ああいう状況でも反対意見を言うことができる状況にある、というところにある。
アルカイダの中、タリバンの中、フセイン大統領のイラクの中、金正日の北朝鮮の中で、そういうことを言う自由があるかを考えた場合、我々はどちらを望むのだ。
我々の日本は、アメリカ以上に何を言っても許される国で、これは極めてありがたい状況に置かれているということである。
幸福な人は、自分の恵まれた環境にマヒして、常に不平不満を漏らしがちであるが、我々が自分の政府に言いたい放題のことが言える、ということは極めて恵まれた環境に置かれているということである。
イスラム教徒の視点からアメリカを見ると、アメリカの繁栄はその後ろにいるユダヤ人に踊らされている姿で、湾岸戦争でアメリカ軍がサウジアラビアに進駐したのはユダヤ人の陰謀である。
だからアメリカ人は無差別に殺してもいいという論理は、まさしく無知の言うセリフであって、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の荒唐無稽な言い分である。
イスラム教徒が一日5回も6回もお祈りしている間にアメリカ人は額に汗して働いているわけで、アメリカの繁栄はそういうものの結果であった。
昨今のアメリカは、そういう額に汗して働くことを蔑にして、マネーゲームに現をぬかしていた面は確かにあるが、それにしてもユダヤ人に騙されて働いているわけではなく、様々な民族がそれぞれに額に汗して働いている。
働くという意味、金を稼ぐという意味からすれば、中近東の人々の方が勤労感謝という面では他の地域の人々よりも劣っている。
特にオイルダラーが流れ込んで、不労所得の上に成り立っている砂上の楼閣よりは堅実なのがアメリカである。
ここでは価値観の違いがあるので、それを比較検討しても意味をなさないが、アラブのテロリスト、イスラム教徒のテロリストも、西洋の物質文明は必要なときは臆面もなく利用しているわけで、ただただ彼らの都合によって都合のいいようにイスラムの戒律と、キリスト教文化を使い分けている。
イスラム教徒だからキリスト教文化のものは一切拒絶するとなれば、それこそアラビアン・ナイトの世界に舞い戻らねばならない。
ラクダによるキャラバンでは、テロに使う爆薬も運べないはずだ。

「KGB帝国」

2008-11-25 14:58:45 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「KGB帝国」という本を読んだ。
著者はフランスのロシア・ウオッチャーで、分厚くて読みでのある極めて内容の固い本であった。
一言でいって、ロシアの政治は一体どうなっているのかということに尽きる。
KGBといえば旧ソビエット時代の秘密警察ではないか。
そんなものが崩壊した後のロシアにあること自体、我々にとっては不可解極まりない。
もとの秘密警察がマフィアとつるんで金儲けに奔走している、というのだからあいた口がふさがらない。
まるで政治が政治になりきっていないではないか。
秦の始皇帝、ナチスのヒットラー、スターリンの暗黒政治そのものではないか。
21世紀においてもこういう状態だからこそ、100年前に共産主義というものがロシアの大地を覆いつくすのもむべなるかなという感じだ。
ある意味で原始の人間のままということだ。
別な言い方をすれば、人間の本質丸出しで、自然の摂理に沿った人々の生き様という言い方になる。
人間というのは、便利なものは習わずしてもすぐに技術を身につけ、それを上手に使いこなす才能には長けているが、それは人間の心の進化とは全く関係がない。
人は太古も今も一人では生きていけれないわけで、群れをなして集団で社会というものを形作って生きている。
その社会を平穏に維持するためには、秩序をきちんと維持して、それには法律というものを整備して、法律の枠の中で切磋琢磨して、競争し合い、良きものを目指すという思考性を持っているのが近代化した人間の社会だと思う。
ただし、人間は「考える葦」であって、考えることのできる生き物という観点からすると、「考える」ということは、貴族をはじめとする富裕層のように極めて恵まれた環境の人の特権であって、自ら額に汗して働くことをしなくても暮らせていける人々の特権であった。
そういう人は、日向ボッコをしながら酒池肉林の中で人間の在り方そのものを考えるわけで、そういう人たちの結論は「人は殺し合うのではなく平和に生きるべき存在だ」ということになる。
ところが、そういうことを言う人は、必ずしも統治者とは限定されないわけで、統治の外にいる無責任な存在であり、自分は統治者に対して批判をするけれど、政治参加は拒否する極めて日和見というか、無責任というか、傍観者の立場にいるのである。
そもそも学問というのは、金持ちが暇つぶしに思考を巡らす場であったわけで、朝星夜星で働く労働者階級のものではなかったはずである。
そういう金持ちのボンボンが、暇つぶしに「人は如何に生きるべきか」と考えた時、「人が人を殺すのは人として忌み嫌うべき行為だ」と結論付けたわけだ。
ということは、この言葉が知識人、教養人の特権的な思考になってしまったわけで、そういう考え方が広まった社会は開けた社会で、そういう発想に至っていない社会は、野蛮な社会ということになる。
21世紀の今日、この考え方は完全に地球上の隅々にまで普及してしまって、いまや地球上の大方の地域では、「人が人を殺すのは人として忌み嫌うべき行為だ」という認識が普遍化してしまった。
ところが真の自然人はこんな考え方を受け入れないと思う。
真の自然人の大部分は、金持ちのボンボンではないわけで、こういう綺麗事とは無縁の世界に生きている。
足を踏まれたら踏み返す、物を盗られたら盗り返す、殴られたら殴り返すというが人間としての極めて原始的な自然の姿だと思う。
これを教養ある人々は、野蛮な行為だと見なしている。
ところが主権国家のリーダーともなれば、知識人や教養人のような綺麗事は言っておれないわけで、いくら教養人や知識階級が理想主義や気高い理念を振りかざして自重をうながしても、そういう人たちでない人々の思いもかなえなければならないわけで、綺麗事で済ませておれないわけである。
ニューヨークのWTCビルにテロ攻撃を仕掛けられて、アメリカ大統領が「テロをする側にも言い分があるに違いない」などと報復を控えていたとするならば、アメリカの知識人や教養人でない人々の思いをどう導けばいいのであろう。
あの場合、誰が大統領であったとしても、とるべきと方法は一つしかなかったに違いない。
統治者を批判する知識人や教養人に対して、どう懐柔策を練ればいいのであろう。
話がそれてしまったが、ここで言いたかったことは、地球上のあらゆる地域に居を構える人々の中には、政治感覚において極めて野蛮な人々がいるということが言いたかったのである。
政治意識が限りなく野蛮でも、文明の利器は自分の欲求に応じて極めて巧妙に使い分けることができるようだ。
この本の舞台はロシアであるが、ロシアが1917年の革命で共産主義国になってしまったという点にも政治意識の未熟さが如実に表れているわけで、その未熟さは革命の前のロマノフ王朝王の時からすでにスラブ民族の政治意識の稚拙さがあったように見える。
21世紀においても、この1917年という時においても、ある一定の年代で地球を輪切りしてみた時、アメリカ、日本、中国、ロシア、ヨーロッパを並べた時、どういう光景が見えるであろうか。
アメリカ、日本、ヨーロッパとロシア、中国と二つに色分けできて、それは文明国と後進国、あるいは発達した地域と未開の地域、民主化の進んだ地域とそうでない地域という風に歴然と分かれてしまうではないか。
ロシアと中国は同じアジア大陸にあるわけで、このアジアの民が未開、あるいは野蛮と言われるのは一体如何なる理由によるものなのであろう。
ここでアメリカというものをよくよく見てみると、アメリカはヨーロッパから海をわてってきた人々が、アメリカ大陸を西へ西へと開墾してできた国で、そこには先住民としてインデアン、ネイティブ・アメリカンがいたにもかかわらず、それらを蹴散らして出来上がった国だ。
ならば蹴散らされたインデアン、ネイテイブ・アメリカンとは一体どういう人たちであったのだろう。
彼らは太古、人間が誕生した極めて初期のころにアジア大陸からアリューシャン列島を渡って北アメリカに、そして南アメリカ大陸に住み着いた人々だといわれている。
よって、もともとアジア大陸にいたモンゴロイドだが、彼らは不幸なことに文字を持っていなかったので、記録を残すことが出来ず、統一国家をつくることもなかった。
アメリカ合衆国というのは、ヨーロッパ人がそういう人々を蹴散らして作った国であったが、翻ってアジアを見てみると、アジアの民というのは基本的に、アメリカ大陸に渡らなかったアメリカインデアン、ネイティブ・アメリカンのままであったわけだ。
北米大陸のインデアンは、ヨーロッパの白人に蹴散らされてしまったが、アジアの先住民はヨーロッパ人が蹴散らすには少〃厄介な存在で、その規模の大きさもさることながら、文字を持ち、強固な統一国家も作っていたので、そう安易に蹴散らせる相手ではなかったわけだ。
ヨーロッパ人に蹴散らせることはなかったが、相当なダメージはうけたわけで、それでも20世紀の後半から21世紀にかけては自主独立を勝ち取るまでになった。
ところが、このアジアの民も政治意識においては、アメリカインデアンの域を出るものではなく、民主化ということを真に理解しきれていない。
その結果として、アジア大陸ではロシアも中国も見事に共産主義国になってしまったではないか。
アジアの民が共産主義を受け入れたということは、これらの人々がバカであったという一語に尽きる。
今、話題になっている振り込め詐欺に掛かる被害者も、自分が騙されていることすら信じない人がいるらしいが、それと同じでバラ色の夢を信じ込まされて、その欺瞞に気がつかないバカな人と同じということだ。
共産主義というものを信じるには、それなりの理由があることは理解できる。
ロマノフ王朝の統治が極端に悪かったこともその大きな理由であろう。
蒋介石の統治が極端に悪かったこともその大きな理由であろう。
しかし、そういう旧弊に代わって登場した共産主義者の統治が、期待したほどの善政であったかどうかは大きな疑問である。
アジアの民はアメリカインデアンと同じであったが、民族の数が多い分、その中には強固な文明を築いたものもあるが、所詮、それも民族間の優勝劣敗の域を出るものではなく、近世になるとヨーロッパ文明に蹂躙される運命にあったと考えるべきだ。
ヨーロッパ文明の優れたところは、いわゆる民主化ということで、人々の意志を尊重するという部分であったと思う。
この意識改革の進展が、今日、近代化、および民主化の格差となって表れているものと思う。
旧ソビエット連邦がわずか70年足らずの共産主義の治世で再び元に戻ったということは、共産主義の理念が人々を魅了する力を最初から持ち合わせていなかったということであって、今日のロシアは再びアジアの民に回帰したということだ。
そのことは同時に、大自然のままの原始の人間に舞い戻ったということで、それはすなわ人間の欲望の赴くままに人々が生きるということを示唆している。
原始の人間社会の再来ということである。
言い換えれば、弱肉強食の状態に戻ったということで、ここでいう力、パワーというのは、何も腕力だけのことを指すわけではない。
権力も、金も、腕力も、それこそパワーそのものである。
1917年にロシアで革命が起きたということは、それまでのロマノフ王朝の統治が稚拙で、人々が自分たちの統治者の首の据え変えを望んだわけで、次にくる統治者は、人々の、下々の希望と期待に応えてくれるものを望んだが、政権を取った側は一度権力を掌握したらさいご、今までの統治者と同じで、人々のこと、下々のこと、農民のこと、労働者のことなど綺麗さっぱり忘れてしまったわけである。
結局のところ、権力を握るということは、ロマノフ王朝でも共産党の高級幹部でも、することは同じであったというわけで、いくら統治者の首を据え変えても、人が人を統治することの本質は変わらないということである。
アジアの民の政治的な稚拙さというのは、統治するものを自分たちで選出するという意識のないことである。
「俺がお前たちを治めるんだ!」という者が現れると、それに抗しきれないわけで、それに従わざるを得ないという状況から抜け出せないでいる。
ある意味で、そういうことを声高に叫ぶ者があらわれると、金縛りにあったように無抵抗になってしまう。
それが権力というもので、その権力の行使に頻繁に使われる手段が警察権であって、抵抗するもの、反抗するものを、従わないものを全部ひっ捉えて牢獄に入れ、あるいは抹殺してしまう。
アジアの民は、こういう手法で国家を維持しているわけで、それは旧ソビエットでも、あるいは中国でも、これと同じ手法で国家を維持しているではないか。
それで、共産主義体制が内部崩壊して、「俺がお前たちを治めるんだ!」と、心の中で思っている人間が、野放しになってしまったが、それでは主権国家の体をなさないので、それを裏から支えているのがKGBである。というのがこの本の趣旨である。
レーニンが革命を起こしたとき、ロシアにはまだ大勢の貴族が残っていたが、その貴族狩りのために設立された機関が「反革命活動及びサボタージュ活動取り締まり委員会」というのあって、これが悪名高きゲーペーウーGPUである。
共産主義思想で理論武装されたソビエット連邦というのは、このゲーペーウーGPUの恐怖政治であったわけだが、これが第2次世界大戦後KGBに衣替えして今日まで生き残ったわけである。
問題は、こういう機関も、それぞれの主権国家内の体制維持のためにはある程度は必要不可欠な部分があるが、その施行にあたって基準となるべき法律が整備されておらず、為政者の意のままにそれが運用されるという部分である。
「俺が法律だ!!」ということが、そのまま通っていたわけで、それが今日まで連綿と生き続けているところが大問題である。
プーチンの時代になってもKGBが政府を陰で動かしているという塩梅らしい。
その事実をこの本は告発しているわけであるが、秘密警察がマフィアとつながっているなどということは我々には信じ切れない。
戦後のソ連の発展は目覚ましいものがあって、ミサイルは開発するし、人工衛星は打ち上げるし、高性能の航空機は開発するので、我々の目から見ると限りなく文化のすすんだ先進国かのように見えていたものだが、一般消費財は極端に不足している、という話を聞いてもにわかに信じ切れなかった。
こういう科学技術の進歩の裏には、教育の進歩もそれに付随して進んでいるように思われていたが、この本を読む限り、人々の意識は太古のままで、民主化というには程遠い感がする。
民主化が程遠いだけならばまだ許せるが、高度な科学技術を持ちながら、人々の意識が極めてモラルに欠けている点が最大の問題点である。
泥棒と警察が一体となって自分たちだけの利益のみを追求する社会というのは一体どこに行くのだろう。
昭和の初期、日本は中国を侵略したと言われているが、当時の中国では軍閥、馬賊、匪賊、赤匪、強盗、夜盗が跋扈していたわけで、プーチンの治めたロシアもそれに近い状況であると、この本は述べている。
法律を重んじないというのはアジアの民に共通した潜在意識のようで、法律を自分の都合に合わせて、自分の都合のいいように解釈するという部分が近代化した民主主義の未熟なところだと思う。
近代化した社会ならば、法をきちんと整備して、法に違反したものは裁判でその真実を正し、法に照らして罰則を与えるというのが、近代化した民主主義社会だと思う。
社会の規範となるべき法律を、為政者が自分の都合に合わせて自分に都合のいいように勝手に解釈するような社会では、インデアンの酋長と何らかわることがないわけで、如何にも未開という言葉に尽きる。
プーチンの治めていたロシアというのは、内側にこういう不合理を抱えて込んでおり、文明の利器というのは如何にも上手に使いこなしているが、その精神においては極めて原始的というか、反民主的というか、個人主義というか、人間の欲望丸出しであったわけである。
経済の面では人間の欲望が進化を促すことはあるが、それが他者を踏みつけにした錬金術であるとするならば、革命前のロマノフ王朝と同じパターンを踏襲するわけで、世の中の混沌は免れない。
金を儲けたいという人間の欲望は、資本主義体制の潜在的なエネルギーであろうが、ただただ自分一人の金儲けに徹してしまっては、世間の反感を買うわけで、自らも儲けながら他者の救済も心掛ける、という寛容の精神で社会に奉仕する気持ちが大事だと思う。
ソビエット連邦が崩壊して、ロシアになったとしても、その主権国家の中で官僚機構が崩壊して、マフィアと警察、特に秘密警察がつるんだ状態というは末おそろしい有様だ、と言わなければならない。
国有財産が意図も安易に海外に持ち出されるということは、鉱物資源程度ならば実害を気にすることもないが、これが核兵器だとか、核物質だとか、ミサイルなどが安易にテロ集団、あるいはテロを厭わない国などに売却されるとなると、その恐ろしさに身が縮む思いがする。
それを考えるとロシアの国内の問題にとどまらず、よその国にも甚大な影響を及ぼすことにある。
警察がマフィアとつるんで私利私欲を貪っているだけならばまだ救われるが、軍部が崩壊すればこういうこともありうるわけで、それをどう考えたらいいのであろう。

「消え去った世界」

2008-11-18 09:34:07 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「消え去った世界」という本を読んだ。
世の中には知らないことがよくもこれだけあるものと思う。
ビルマといえばあの戦争中に日本軍が進出したということは知っているが、それが今はミャンマーという。
どうしてビルマがミャンマーになったのかも私には不思議でならない。
そこでミャンマーといえばアンサン・スーチさんの軟禁門題がメデイアでは報道されているが、何故に軍治政権がたった一人の女性にこれほどこだわりを持って目の敵にしているのか、これも不思議でならない。
だが、この本を読んでみても、それが氷解したわけではない。
まるで私にとっては未知の世界だ。
この本によると、この本の著者、ネル・アダムスという女性は、政治意識は希薄であるが、自分の生い立ちが日本でいえば相当な上流階級であったらしい。
ビルマの恵まれた家庭で育った女性の書いた自分史的な本であったが、人が生涯を全うする期間には、自分自身も、それを取り巻く周囲の人も、また自分の属する社会そのものも、大きく変化することは自然界の摂理であって、人知では如何ともし難い。
彼女が生を受けた環境は、ソーボワというものらしいが、我々の概念ではいまいちよくわからない。
どうも日本の状況に合わせて考えてみると、自然発生的に各地に勃興した土俗的な集団で、いわゆる織田信長が天下統一する前に日本各地に存在していた豪族のようなものらしい。
そのコミニティ―は長子相続で、それぞれに自治権のようなものを持ち、一族郎党を纏めるというようなものらしい。
そういうものが20世紀の初頭には33あって、それをイギリスが上手に管理していたようだ。
その33の豪族、いわゆるソーホワを一纏めにしてビルマという統一国家的な概念が出来上がっていたようであるが、このあたりがきわめて不可解である。
挿絵の地図をよく見てみると、ビルマの西側は海だが他の3方はタイ、ラオス、チャイナ、インドに囲まれているわけで、その中で国家統一的な存在であり続けたのが不思議でならない。
世界地図を広げてみると、そこには明瞭に国境線がひかれているので、我々はなんとなく納得して、それぞれが主権国家だと無意識のうちに認識しているが、これも考えてみると不思議なことだと今更ながら思う。
現代、つまり21世紀には、それぞれの国を道路や鉄道が結び付けているで、そこには当然国境検問所のようなものがあるであろうが、半世紀前は果たしてどんな状況であったのだろう。
アジア大陸のモンスーン地帯の真ん中に位置しているので、農業はかなり豊かであったに違いないと思う。
そういう中で、人々は自然発生的に一つの集落に集まって、そこに小さな社会を築き、そこの中ではそれぞれに個性的な社会秩序を作り、社会的な基盤を作り、平穏に暮らしていたに違いない。
そこにイギリスという西洋文化の波を押し寄せてきた時、ここの人々は案外それを寛要に受け止め、受け入れたに違いない。
この本の著者も、イギリスの支配を恨んでいる様子は微塵もないわけで、その意味で日本の朝鮮半島の統治とはいささか様子を異にしている。
世界史の中で、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの勢力が地球規模でアジア大陸やアメリカ大陸に進出したのは、ある意味で人間の欲望のなせる技であって、今現在、アメリカのプライムローンの問題で世界的不況になっているのも同じ人間の欲望が成したことと考えると、世界の変革は人間の欲望が隠れた推進力になっているのかもしれない。
この時期、ヨーロッパの先進国の強みは、武器、鉄砲を持っていたということだと思う。
毛沢東のキャッチコピーではないが、「変革は銃口からなされた」といっても過言ではないはずだ。
鉄砲を持ったイギリスは、最初インドに行き、そこではインド人を奴隷のように扱い、人とみなしていなかった。
そういう状況に淡々と従ったインド人は、いわゆる銃が怖くて不肖不精従わざるを得なかったに違いない。
ところが不思議なことに、イギリスはビルマではそういう統治をしていないみたいで、この本の著者もイギリスに対する恨みほとんど申し述べていない。
これは私の独断と偏見であるが、アジアの人々、アジア大陸に住んでいる人々は、紅毛碧眼の西洋人には潜在的なコンプレックスを持っているのではないかと思う。
その姿を見るだけで、神様の再来かのように受け取っていたのではなかろうか。
そういう神様が、銃で以って離れたところから大きな音とともに一瞬にして人間の命を奪うのを見て、腰を抜かさんばかりに驚いたに違いない。
それを見せつけられた原住民、アジアの人々、あるいはアメリカ大陸のモンゴロイド系の原住民は、「これは自分たちと同じ人間ではない、天から来た神様に違いない」と心底思いこんでしまった。
で、ビルマの話に戻ると、この地を支配していた豪族は、イギリス人の到来に関してあまり深刻に受け取っていないようだ。
我々の国では、最初はキリスト教の布教にも寛大であったが、その勢力が大きくなりすぎると、脅威を感じ、締め出す方向に傾いて、警戒する機運が増してきたが、この地の人々はそういう考え方は取らなかったようだ。
我々の側では、その過程の中で、「西洋人をこれ以上受け入れてはならない」という機運が生じ、それが尊王攘夷という運動に発展し、大騒ぎを演じたが、結果的には逆に西洋人の近代化を参考にして、自分たちの国そのものをヨーロッパと同じレベルにしなければという思考に至った。
ところがこの地ではどうもそういう運動は起きていないみたいだ。
各地の豪族、いわゆるソーホワは、イギリス人の協力を得て、現状維持を得たことに大きく安堵しているわけで、このあたりのことが我々とはかなり違い、自主独立という意味を真に理解していないみたいな部分がある。
ソーホワというのは、日本でいえば天下統一前の日本各地にいた豪族のようなものと考えると、これが20世紀の後半まで存在し続けたということは、これ又一つの驚きではある。
結果的にみれば、今、NHK大河ドラマになっている『篤姫』、いわゆる島津家が時代の波に翻弄されて没落していく図と酷似している。
人生などというものは、所詮、サインカーブ、コサインカーブと同じで、浮き沈みはついて回るわけで、最初巨大な富を持っていてもそれが何時かは無になり、逆に無から巨大な富を築くこともあるわけで、それが人間の生き様ではある。
ただ私として納得しきれない部分は、このソーホワという地方豪族が、イギリスと利害関係で結ばれていたということである。
我々の例に置き換えると、島津藩や長州藩の領主がイギリスやフランスと手を組み、領民を抑圧したていたとしても、この著者は領主の立場にいたわけで、抑圧されている側のことは一言も書かれていない。
それがあったかどうかもこの本には出てこない。
これはアジアの民に共通した認識ではないかと思いうが、こういう人々は、近代化した国家建設という概念を持っていないのではないかと思う。
国家という概念をもたず、自分と、自分の家族と、自分の親類縁者のみの至福を追い求めているのではないかと思う。
ソーホワが、支配者であるイギリス人とトラブルを回避して良好な関係を維持しつつ仲よく生き続けるということは、突き詰めれば、私利私欲の温存、あるいは我が身と我が親族のみの安泰を図ってのことではないかと思う。
もう少し言い方を変えれば、強いものに媚びを売って、我が身の安全を図っているのではないかと思う。
我々が20世紀の初頭、世界を相手に戦いを挑んだのは、西洋列強への挑戦であったことは間違いないが、それも言い方を変えれば、西洋列強に媚びを売る生き方の否定であって、民族の名誉と誇りの誇示でもあったが、それは見事に惨敗して、民族そのものが奈落の底に転がり落ちてしまった。
人的被害のことを考えれば、今となっては「バカなことをしたものだ」という反省にならざるを得ないが、そういう意味で人の生き方としては最もリスクの多い、下策であったが、戦わずして相手の軍門に下るという軟弱な心意気ではなかったはずである。
この本の中にパンロン協定という言葉があるが、これがいまいちよくわからない。
要するに第2次世界大戦後において、例のソーホワを解散して連邦政府にしようというものらしいが、その時、一部のソーホワがその移行に反対して連邦政府というものが宙に浮いた形になっている、ということらしい。
ビルマの政治状況は、私ごとき門外漢にはよくわからないが、この本を通して読んでみたところ、ソーホワとかパンロン協定というのは、日本でいえば明治維新の版籍奉還にあたるようなもののようだ。
日本でも明治維新の前は300も諸藩があったわけだが、それらが自分たちの自治権を放棄して、統一国家としての統制下に入ったわけで、パンロン協定というのは、どうもそういう類の政治的変革を目指したもののようだ。
パンロン協定によって、旧来の土俗的な藩による地方の自治を否定し、主権国家としての統一的な管理下に置こうとしたようだ。
ここで不可解なことが、このソーホワという藩、日本でいえばおそらく薩摩藩とか長州藩というような、地方で勢力をもった雄藩で、それがかなりの自治権をもっていたに違いないが、そういう藩がイギリスと案外仲よく付き合って、ソーホワの方に抑圧されたという意識がほとんどないことである。
イギリスの植民地統治が極めて巧妙であったことは察して余りあるが、それに対して、この本の著者はあまり悪感情を抱いておらず、非常に好意的にとらえているのが不思議だ。
教育の現場において、英語を常用するなどということは、典型的な植民地支配であるにもかかわらず、そういう意識は毛頭見られないわけで、そこが我々とはずいぶん違う。
若い時から英語に親しんできたということは、21世紀のグローバル化した今日では非常に有利な点であるが、それは安易に世の流れに身を任せるということでもあったわけで、それこそが究極のアジアの人々の生き様になっている。
安易な選択、安易な生き様、苦労は極力避ける、自らの切磋琢磨を放棄する、ということは我々の価値観からするとあまり勧められたものではない。
この本の著者が、イギリスの支配に違和感をほとんど感じていないということは、彼女自身がソーホワの中の人間で、自分は現地においては非常に恵まれた貴族の階層に身を置いていたからかもしれない。
日本の例に置き換えてみれば、島津藩や長州藩のお姫さまが何不自由なく暮らしているのと同じで、そういうクラスでは原住民といえどもイギリスの監督官と同じ目線で話し合っていたのかもしれない。
抑圧される側は、藩のトップクラスの人間ではなく、それ以下の人間が抑圧されるわけで、原住民といえども藩のトップともなれば貴族然としてイギリス人と対等に振舞えたのかもしれない。
私に言わしめれば、こういうところがアジア人の民度の低さだと思う。
土俗的な藩のトップが、西洋人の支配者と肩を並べて、自分と同じ民族を抑圧するということは、究極の個人主義、あるいは「自分さえ良ければ後は知らない」という態度だと思う。
しかし、これも極めてアジア的な生き方なわけで、例のベトナム戦争も、その根底にはアジア人のこういう土俗的な思考が底流に流れていたものと推測する。
ベトナム戦争の時のアメリカの戦争目的は、共産主義勢力の南下の防止であって、南北ベトナムが共産主義一色になることを防ぐために、南ベトナムを支援したはずである。
ところが、アメリカが支援した南ベトナムの政治の状況は、極めてアジア的な土俗思考であったので、南ベトナムの政府の要人たちがアメリカの援助を私物化して、政府のトップがそれで私腹を肥やすことばかりしていたので、最終的に北ベトナムの共産主義者に海に追い落とされてしまったわけである。
北ベトナムの共産主義者たちは、南ベトナムのそういう旧体制、旧秩序、土俗的な思考を打ち壊して、共産主義の理想を実現しようとして戦ってはみたものの、自分たちも天下をとってみれば、所詮、アジア人の潜在意識を払しょくしきれず、元の黙阿弥と化してしまったわけだ。
共産主義者が南北ベトナムを統一したといっても、現地に生きる人たちの意識がそう急に近代化するわけもなく、土俗的な「自分さえ良ければ後は野となれ山となれ」というアジア的な思考が払しょくされなかった。
共産主義体制を築いてみても、その中では相変わらず、そういう土俗的な思考、あるいは意識は生き続けているわけで、それがある限り近代化は先延ばしにならざるを得ない。
話を元に戻して、現在のビルマ、いわゆるミャンマーの軍治政権というのも極めてアジア的な政治の状況を呈している図だと思う。
主権国家である以上、自分の国は自分で守るのが普遍的な原則であるので、如何なる主権国家でも、その目的のために、あるいはそれを遂行維持するために軍隊を持っている。
その軍隊が政治そのもになり替わるということは極めて原始的な政治の状況だと思う。
ところが今のミャンマーはそうなっているわけで、軍人が政権を握っている。
かっての我々が経験したこととと同じ轍を踏襲しようとしているようなものである。
自分の国を守る使命を負わされた軍隊は、当然のこと武器を所有しているわけで、軍人の政治では、この武器がしばしば国民に向かって向けられることがある。
こういうところを一言で表現すれば、政治の未熟、未熟な民主主義というものであろう。
アジア大陸のモンスーン地帯に住む人々は、食物が豊富にあるので、おそらく温和な性格で、人を蹴落としてまで自己の利益を貪る、などという殺伐とした行為はしなかったものと推察する。
だからソーホワなどという極めて土俗的なコミニティーが長続きしたに違いなく、その中では極めて平和な生活が営まれていたに違いない。
しかし、近代化の波というのは、そういうこととは関係なく外側から押し寄せてくるわけで、そういう平和な生活も不本意ながら破壊されつつあると思う。
その上、今日では交通機関の発達で、世界中どこでも瞬時のうちに移動ができる。
こういう状況になると、土俗的で、民族的な色彩の濃いコミニティーも自然に壊されて、人々は世界という大きな枠の中で生き、活躍するわけで、人々の営みというは極めてボーダーレスになる。
日本人も、日本という島から飛び出して、世界を舞台に動きまわっているわけで、当然、それと同じことはアジアに住む人々の間にも浸透し、ビルマの人がイギリスに住み、英語で書物を刊行し、それを日本人が日本語で読むということになるわけである。
まさに21世紀に地球は完全にグルーバル化している。

「遥かなる昭和」

2008-11-13 09:07:39 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「遥かなる昭和」という本を読んだ。
著者は緒方竹虎氏の三男、四十郎氏である。
昭和初期の朝日新聞のトップの子弟という環境で、この著者の生い立ちというのは一般庶民のものとは大いに異なっている。
それは白洲次郎の生い立ちとまさに酷似しているわけで、日本の典型的な金持ちの生活である。
19世紀に台頭した共産主義というのは、こういう金持ちの存在を社会悪という認識から根絶やしにしなければならないという発想に陥っていたが、それはいわゆる貧乏人のやっかみにすぎなかったことを歴史が証明している。
産業革命を経た人類は、大量生産によって培われた大量消費という社会の変革の中で、金持ちが貧乏人を抑圧した時期があったことは周知の事実であるが、金持ちが裕福な生活をしているという理由だけで、それを糾弾することは、人心にそぐわない。
人が本質的に持っている人間愛、人類愛という自然の摂理に思いが至らなかったことが共産主義の最大の欠陥だと思う。
確かに、金持ちの中にも利潤の追求に血眼になって、貧乏人、労働者、抑圧された人々をなおも抑圧して、何とも良心の呵責を感じない、人道にも劣る人たちがいたことは事実であろう。
そういう前例、あるいは歴史の教訓から、金持ちであるからという理由だけで、そういう人々を糾弾することも、これまた人道に反するわけで、それを率先垂範したのが20世紀初頭から今日に至る社会主義国の国々である。
この文中に描かれている、緒方竹虎とその三男の緒方四十郎の考え方の中には、イギリス風の社会主義を理想とする言辞があるが、それは共産主義と自由主義の良いとこ取りを狙った思考で、極めて虫のいい思考である。
共産主義者・共産党に丸がかりで政権を渡すのではなく、自由主義、あるいは資本主義体制のまま、その内実においては共産主義的な社会改造、金持ちの抑圧、貧乏人の底上げ、公平な社会を目そうというわけで、人間の生存にとって良いところだけをピックアップしようなどという考えは、虫が良すぎると思う。
かっては、旧ソビエット連邦の社会主義体制は、壮大な実験に終わって、今ではその揺り戻しも終局に近づき、安定化に向かいつつあるように見えるが、その間隙を突いてテロ集団がその中から沸き出ているように見える。
旧ソビエット連邦の社会主義体制が壮大な実験であったとしたならば、その犠牲になって命を落とした人々に対してどう説明できるのであろう。
2008年11月8日の中日新聞は、どういうわけか連合赤軍事件の永田洋子の特集を出しているが、旧ソビエット連邦の壮大な実験というのは、この連合赤軍のあさま山荘事件をはじめとする一連の事件を国家レベルまで拡大したようなもので、スターリンのやったことは、この永田洋子や森恒夫のしたことを同じであったわけだ。
ただ単なる思い込みで、罪もない人々を滅多矢鱈と殺したわけで、その単なる思い込みを当時の日本の知識人は、イデオロギーという綺麗事の言葉でまぶしていたわけである。
突き詰めれば、金を持った人間は、金を持っているというだけで極悪人で、生きるに値しない存在だ、というわけだ。
貧乏な農民と、貧乏な労働者のみが高貴な存在で、金を持ち、金を得るノウハウを持った人々は、こういう農民や労働者を搾取する存在だから殺してもかまわないという論法である。
よって共産主義革命というのは、金持ち、貴族、教養人、知識人というものを全部殺してしまったわけで、残ったのは無知蒙昧な農民と労働者のみで、こういう無知蒙昧な農民や労働者を指導すべきものは、共産党員でなければならないという論法に行きついたわけである。
共産党員だけが得する唯我独尊的な自分勝手な論理であって、逆差別であるにもかかわらず、日本の知識人というのは、こういう体制に限りない羨望のまなざしを向けていた。
指導すべき共産党員にも、農民や労働者階級から大量に人が流れこんてきたわけで、結果として従来の金持ち、貴族、教養人、知識人がいないものだから、無知蒙昧な農民や労働者が社会を運営することになり、それが失敗に行きつくことは必然であった。
無知蒙昧な農民や労働者が社会を運営したとしても、人間のすることは誰が考えても大した違いはないわけで、結果的に元の階層と同じことをするようになったわけである。
新旧、立場が変わっただけで終わったわけである。
共産主義革命というのは、従来の金持ち、貴族、教養人、知識人が切りまわしていた社会を、一度、御破算にして、再度、社会全般を構築し直したわけだが、その過程で殺されてしまった人はたまったものではない。
人間の営みの中で、富や財産というのは一朝一夕で出来るものではなく、長年の知恵と我慢と忍耐と努力で築き上げるものであって、それが蓄積されて金持ちにもなり、貴族にもなり、教養人知識人にもなるわけで、農民や労働者が金持ちになれないというのは、そういう知恵と努力が足らなかったからであって、基本的には個人の責任に帰する。
身分制度が厳しくて、機会均等でなかったという言い訳が、左翼的な思想からは聞こえるが、それはそういう環境の中で井戸から出ようとしなかっただけのことで、井戸から出ることなく従来の規範の中で細々と生きていく選択をしたからに他ならない。
封建制度が崩れたということは、時代とともに自分たちの井戸から出ることを目指した人の数が多くなったということであって、それこそが時代の流れであった。
こういう人間の営みの中で、金のあるものは自分の子弟に教育をつけさせた。
貧乏人は金がないのだから自分の子弟に教育をつけさせることが出来ず、朝から晩まで働かねばならなかったので、教養知性を身につける機会がなかった。
ここに人間としての品格というものが如実に現れるわけで、無教養なものと教養人の差が生まれる。
教養人の最大の誇りというか、教養人らしい振る舞いというのは、やはりノブレスオブリージだと思う。
教養人は、教養人としての立ち居振る舞いを確立して、それに誇りを持ち、その一挙手一投足が無教養なものと同じであってはならないと思う。
ところが昨今では、にわか成金というのが、大きくのさばってきて、生粋の教養人と見間違いしやすいが、これは経済の変動で従来の金持ちが没落すると同時に、成り金と称する階層が幅を利かすようになってきたことに関係する。
没落した元の金持ちでも、身につけたノブレスオブリージを維持している限りにおいては、尊敬に値するが、にわか成金のくせに金持ち然と振舞う人間には鼻もちならない。
こういう峻別も、接する側のセンスが入用なわけで、にわか成金の無教養をあざ笑うのも、金をもたない落ちこぼれた人の密かな楽しみではある。
この緒方四十郎氏の父親に対する回顧録は、そのまま昭和史であるが、あの昭和の初期の段階で、日本が奈落の底に転がり落ちる在り態は、何人も阻止できなかったというのは何とも不思議なことだ。
緒方竹虎氏がいくら中国の重慶政府と和平工作をしたとしても、アリ地獄に落ちる日本の勢いを阻止することはできなかったに違いない。
その根っこのところにある問題は、昭和初期の軍人の専横にあったことは言うまでもないが、その軍人の専横の理由を解き明かさない限り、歴史への反省は生まれてこない。
昭和初期に時代に、何故に軍人がああも威張り、何故に肩で風切る態度であったか、その威風堂々とした態度に日本の国民が何故に幻惑されたのか、真剣に考えるべきだと思う。
これは私の持論であるが、その理由は貧乏からの脱出願望であったと思う。
あの昭和初期の日本の将兵たちが、社会のどういう階層から出てきた人たちによって構成されていたかを考えると、基本的には貧乏な百姓、農家、農民であったわけで、このクラスの階層の中でも優秀な子供は、授業料免除の軍人の養成機関に入り職業軍人を目指したが、そうでないものはしばらく期間をおいて徴兵制で兵になったわけで、軍隊、軍人、職業軍人のすべての出自が貧乏人であったことになる。
この貧乏人の群れが、潜在意識の中に貧乏脱出の夢を海外に求めていたところに、海外雄飛などと綺麗な言葉に踊らされたので、浅薄な大衆としての将兵が、村山元首相の言う侵略に至ったわけである。
私、個人としては決して侵略などと思っていないが、昨今のわが政府は、これを政府の公式見解としているわけで、この地球上に190近くの主権国家があるが、自分の祖国を「他国を侵略をした悪い国」などという国が他にあるだろうか。
そもそも憲法9条の戦争放棄などというものを、「世界に例のない平和憲法」などという破廉恥な国が他にあるだろうか。
それはともかく、日本の貧乏な農家の子弟は、貧乏なるがゆえに教養知性に欠けていたわけで、そういう認識の当時の大衆の一部分としての将兵が、自分は貧乏百姓だと思っていたが、外地に出てみると自分よりももっと貧乏なものが掃いて捨てるほどいたわけで、そこで気が大きくなって尊大に振舞うようになったものと考える。
そこで、我々の古くからの慣習であるところの「人の振り見て我が振り直せ」を実践したわけで、一人の戦友が悪事を働くと、自分もそれぐらいならしても構わないだろうと判断して、それが連鎖反応した。
交戦国同士の前線では、大なり小なりこういう不合理な行為は如何なるバリエーションでもあったろうと想像するが、それが戦争というものの現実であって、国家の首脳が「侵略してしまったのでごめんなさい」と言うべきことではない。
問題とすべきは、前線で戦っている兵士の貧乏人根性ではなく、政府のトップにいた高級将校、高級軍人の百姓根性である。
彼らの卑しさは、自分の欲望を国家の問題にすり変えて、国家運営を私利私欲、あるいは私物化していた点である。
日本の軍人たちは、不思議なことに、私利私欲で私財を築くということには極めて淡白であったが、政治、戦争、国家運営というものを、自分の名誉心でコントロールしていた点である。
官僚としての省益というか、縦割りの組織の中の利害関係、あるいは先輩後輩という縦の関係、あるいはセクショナリズムで戦争を遂行していたわけで、それが国家の運営に直結していた。
そこには天皇はあっても国民不在であった。
天皇制のもとで、国民に向かっては忠君愛国を説きながら、天皇につかえる高級軍人が、天皇に嘘の報告をするというに至っては、我々はそういう高級軍人をどう考えたらいいのであろう。
日本の敵が、天皇の側近にいたということになるではないか。
自分が貧乏な百姓出身であるにもかかわらず、自分の出自を忘れて傲慢な振る舞いに至ったわけである。
「三つ子の魂百まで」という俚言があるが、いくら貧乏な百姓の出身であったとしても、学問を身につけ官僚として高位高官に上り詰めても、その立ち居振る舞い及び考え方の中に貧乏人根性というのは見え隠れするものだと思う。
個人の品位というものは3代続かないと本物にはならないと思う。
昭和の軍人たちが、金銭的には極めて淡白で、高位高官に上り詰めても守銭奴的に金を貯めるという行為はしなかったが、その代わり政治及び戦争というものを私物化してしまった。
国のためという大義に完全に盲目となり、この大義のために自分のなしていることが如何に愚劣であるかということがついにわからずじまいのまま消滅してしまった。
この大義の具体的な方便として、天皇の名を利用して、大義の実践の名分としたわけである。
そのことは当時の高級将校、高級参謀の人たちには、戦争というものの本質が全く分かっていなかったというわけだ。
戦争のプロとして、戦争、近代のあるいは現代の戦争というものが全く分かっていなかったわけだ。
さらに言うと、人間というものが全く理解されていなかったわけで、その中には中国人に対する認識も、アメリカ人に対する認識も含まれているが、そういう大きな視野に欠けていたわけで、そういう意味で私はこの時代の高級軍人たちを百姓根性といっているのである。
ただ惜しむらくは、この昭和の初期において、当時の政治家のだらしなさである。
一言でいえば、昭和初期の政治家、知識人、財閥のトップ、学者たちはテロが怖かったものと思う。
「自分は殺されるのではないか」という切迫観念は察して余りあるが、それに屈して沈黙をしたことが、軍人の独断専横を招いたことは確かだと思う。
軍人の独断専横ということは、具体的に下剋上の許容ということであって、この事実でもってしても、当時の青年将校と言われる百姓出身の若者の狭量さは、連合赤軍の永田洋子や森恒夫の思考およびその行為と五十歩百歩ではなかったか。
緒方竹虎も言論で以ってこういう風潮を阻止できなかったことを嘆いているが、時代の流れというものはメデイアでもってしても軌道修正は不可能ということなのであろう。
この「時代の流れ」という括り方でいうと、村山談話に依拠する政府見解というものも、いくら国民の間に不承認の意図があっても、それが時代の流れになっている限り、それを是正することは不可能だと思う。
昭和初期に日本の国民の全部が全部、軍国主義に陥ったのは、一言でいえば国民がバカだったということに尽きる。
今、村山談話が政府見解になっているということは、これも昭和初期の我々の同胞と同じで、国民がバカだということに尽きる。
21世紀の今日、限りない平和ボケのぬるま湯から脱却できないでいるのも、国民がバカだからである。
何時までもいつまでも金を要求され、何度もなんども謝罪を要求され、恥をかかされても、自らの生活が直接圧迫されていないので、人ごとのように思っている。
戦争を知らないものが、イメージで以って戦争を忌避し、観念で以って平和を希求しているが、それは砂上の楼閣に過ぎないことが分かっていない。
今の我々は、昭和初期には想像もできないほどの豊かな生活をエンジョイしているわけで、それこそ「金持ち喧嘩せず」であろうが、それは同時に民族の終局、没落の前触れでもある。
ロウソクの灯が消える前には一瞬、強烈に光り輝くが、それと同じだ。

元空幕長・田母神氏の論文について

2008-11-12 08:34:07 | Weblog
11日の参院外交防衛委員会における浜田防衛大臣の答弁は全く国民をばかにした話だと思う。
ああ云うのが政治家のもの言いなのかもしれないが、要点をのらりくらりとはぐらかして要領を得ない。
今回の騒動で防衛省は大きなミスをした。
田母神氏を解任するのに「政府見解と異なった意見を述べたから」という根拠は一番の下作であって、まだ「民間企業・アパと密着しすぎた」ことを理由にすれば、整合性が保たれたが、「意見の相違で首にした」では大勢の人間が納得できないままだと思う。
「個人的な意見を述べたら首になった」では、完全にシビリアン・コントロールの行きすぎだと思う。
そのことは同時にシビリアン・コントロールそのものの本質もわかっていないということである。
自衛隊の中で如何なる教育が行われようとも、それをシビリアン・コントロールとは言わないはずで、シビリアン・コントロールということは大臣の鶴の一声で軍人の首を切ることが可能な状態を指すことである。
ただ自衛隊の中での教育をこうあらしめよという指示はできるし、それに従わなかった場合、たしかにシビリアン・コントロールに反してはいるが、今回の場合それは無かったわけで、ことが大騒ぎになってからの事実の追認でしかない。
この参院外交防衛委員会に出ている人たちの大部分が、言葉というものを自分の都合に合わせて自分の尺度で使っているように思う。
シビリアン・コントロールという言葉も、政府見解という言葉も、侵略という言葉も、言葉そのものが怪物と化してしまって、それぞれの自己の思い込みで使われている。
政府見解とされる村山談話なるものを国民の全部が承認しているかといえばそんなことはないはずだ。

元空幕長・田母神氏の論文について

以下の文章は11月3日、事件発生直後にしたためたものである。

我が家はいま中日新聞を購読している。
で、11月1日の朝、新聞受けに朝刊を取りに行って、その場で広げてみると「空自トップの解任」と大見出しが出ていた。
内容に目を通すと「論文で日中戦争肯定」となっている。
記事の出だしはこうなっていた。
「航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が『我が国が侵略国家だったなどというのはまさに濡れ衣』などと主張する論文を民間の懸賞論文で発表したことが31日分かった。
日中戦争を正当化するなど政府見解に反する内容で、浜田靖一防衛相は同日夜、『政府見解と明らかに異なる意見で、極めて不適切。空幕長という要職にとどまることは望ましくない』と述べ、同日付けで空幕長を解任した。」
その後、彼は、降格人事の結果として、定年が2年早まり、定年退職ということになった。
この彼の論文「日本は侵略国家であったのか」を読んでみると、そう大した論文でもなく、巷間にいくらでも転がっている反左翼的なというよりも極めてニュートラルな論旨を超えるものではない。
当然といえば当然のことで、この民間の懸賞論文というところが相当に曖昧な部分で、この言い回しの中に大した権威のある出版社ではないということが言外に語られている。
民間の懸賞論文というのは、アパグループというもので、いわゆる不動産屋のチェーン店であって、幾つものホテルやアパートを経営している企業であった。
その企業の会長だか社長だかが、これ又航空自衛隊小松基地友の会の会長ということで、ある意味で自衛隊大好き人間とみなしていいと思う。
以上のことは言わずもがなインターネットの情報であるが、そういう企業が、「真の近代史観」というテーマで論文を懸賞募集したわけで、そこに航空自衛隊トップの田母神俊雄氏が「日本は侵略国家であったのか」という論文を応募したわけである。
この企業のホームページ上にはその他の応募者の氏名と作品名も掲載されているが、航空自衛隊小松基地友の会の会長として、その会が純粋に民間の団体であるからこそ、航空自衛隊のトップの人の論文を2位、3位の賞にもってくることは人情として出来ないであろうと推察する。
問題は、この企業が論文を公募するまではいいが、その審査をどういう人がどういう基準で行ったかであって、この部分がグレーゾーンになっているので、優秀作品としての価値が極めてあいまいな点である。
自衛隊大好き人間が、自分の思いれによって、航空自衛隊幕僚長という肩書に後光を感じて、身贔屓で最優秀賞を与えたのではないかという危惧がある。
私に言わしめれば、航空自衛隊幕僚長たるものが、こういういかがわしい団体の懸賞論文に応募すること自体が軽率であったと言わざるを得ない。
ただし、彼が論文の中で言っていることは、一人の日本人としては立派に整合性のある論旨であって、私自身も彼の言っている論旨に不都合はないと思っている。
政府の公式見解とは明らかに違うが、政府の公式見解だとて、ある面からの偏向した見方の一つであって、普通の一般国民として政府の公式見解と違う意見を持つのも当然のことである。
一国民として、政府の公式見解を容認できないものも大勢いるわけで、政府の公式見解だから日本国民の全部がその公式見解に賛同しているかどうかは全く別の次元の話である。
ただそれが政府側の要人として、高位高官にある人の口から出る、あるいは論文として世間に出回るということとは、時の為政者にとっては不都合なことは言うまでもない。
時の為政者にとって不都合。だからただちに更迭する。これは完全なるシビリアン・コントロールの具現であって、これほど明確なシビリアン・コントロールも他にない。
もう少し掘り下げていえば、官僚というピラミットの上の方を、為政者の気に入るイエスマンで固めなければならないということであれば、これは限りなく軍政、いわゆる独裁政治に近づくということになり、本人の言う北朝鮮の状況に限りなく近づくということである。
今の日本の識者、知識人が、政府と官僚の関係において、政府のイエスマンでなければ安心できないというのであれば、言っていることと大きな矛盾になるのではないか。
政府に異論を唱え、政府を諌める発言をする人士を遠ざけておきたいということであろうか。
これでは明らかに民主政治に反し、言論の自由を封殺することになるではないか。
彼の論文が政府の公式見解と違うというのは、1995年、時の社会党出身の村山富一首相が、「我が国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と植民地支配と侵略という言葉を使ってしまったものだから、そのことに対する反発である。
村山富一という社会党出身の総理大臣が、こういうバカなことを言ったものだから、靖国神社の英霊たちは、皆、侵略者の片棒を担いだ犯罪者ということになってしまったわけで、祖国のために戦い、命を落とした英霊たちが浮かばれるであろうか。
村山富一はそういう英霊たちの顔に侵略者という泥を塗りたくったことになる。
こういう売国奴的な言辞を政府見解とする我が同胞の不甲斐なさをどういうふうに考えたらいいのだろう。
中国や韓国がいつまでもいつまでも、謝罪が足らない、金よこせ、もっと謝れ、もっともっと金を出せと、我が方の金玉を握られてしまったことも、この村山富一の言葉に起因している。
中国や韓国の立場に立てば、彼らの祖国を侵略した英霊に日本の元首が参詣することは、植民地支配や侵略を肯定する、という論理になるのは当然である。
こういう状況の端緒を作ったのが村山富一元首相の談話であって、その後の日本の総理は相手に対して媚びて、媚びて、土下座してでも外交関係を維持したいがため、この村山談話を覆す努力を怠ってきたのである。
これが政府の公式見解なわけで、これがある限り我々は何時までもいつまでも中国と韓国には謝り続け、金を出し続けなければならないのである。
当然、こういう歴史観に納得出来ないでいる日本人もおり、政府の公式見解に不服な人もいるわけで、そういう意味で、自分の意見を自由に言える国というのはありがたいが、彼、田母神俊雄は、その事実を、「自分の意見を思った通りに言えないのであれば、北朝鮮と同じではないか」という論旨として言ったわけである。
そして、それは的を得たものだと思う。
言論の自由を標榜する日本のメデイアが、官職にあるとはいえ、個人の意見や論旨を政府の公式見解とは違うからといって封殺してはならないと思う。
戦前、東京大学教授で貴族院議員でもあった美濃部達吉の「天皇機関説」を不敬罪でこき下ろした当時の知識人のしたことと、今度の事件とは同根ではないのか。
共に、為政者の思いと食い違った論説を、メデイアを巻き込んだ国民各層が引きずりおろし、袋たたきにした構図と全く同じではないか。
それこそ治安維持法のもとで、人々の考え方を軍国主義という一方向に強制的に誘導した経緯と類似しているわけで、政府の公式見解と違うから「首だ!」という論法はないと思う。
こういう風潮こそ日本のメデイアが糾弾する方向に動かなければならないのではないのか。
日本は侵略などしておらず、むしろ中国や韓国の社会的基盤整備に尽力して、そういう地方の生活水準の向上に寄与したというのも明らかに歴史的な事実だと思う。
歴史というか、政治というか、人間の営みは、人間が行う行為である以上、メリットとデメリットが両刃の刃のように表裏一体をなしているわけで、それを片一方のみから見て、良いの悪いのと言ってみたところで意味をなさない。
そういう過去を、お互いに自分にかなった政治的なメガネで見るから思考が平行線をたどることになるわけで、中国でも韓国でも日本人を悪人に仕立て上げしておかなければ、国内の民心を統一できないのである。
日本人を悪人にして、自国のガス抜き、いわゆる自国内の不平不満の矛先を日本に向けて、国内の安定を図っているのである。
中国や韓国からの歴史認識の問題で「歴史を共有する」という話があるが、こんなバカなこともないわけで、それぞれの主権国家は、自分たちの国益に沿った歴史を、自分たちの次世代に教えるのが普通であって、相互の主権国家の間に共通の歴史認識などというものがありうるはずがないではないか。
ある人物が、自分たちにとって英雄ならば、相手側から見てば憎むべき鬼になるわけで、その反対も当然ありうる。
こういう関係の中で、共通の歴史認識などありうるわけがないではないか。
そもそも歴史をどういう風に受け取り、受け入れるかということは個人の問題なわけで、個人的にはどういう歴史認識もありうるということになる。
ただ政府の要職にある人が、政府見解と異にする発言や論旨を展開することの是非は、本人の自己責任なわけで、それが理由となって解雇の憂き目を見るというのも、いた仕方ない面は当然である。
ただ、この彼の行為に対してさまざま知識人の発言は明らかに品位を欠くものだと思うし、そういう人こそ物事を知らなすぎると思う。
この新聞の33面に載っている識者のコメントに、都留文科大、笹原十九司教授は「1974年の国連決議を知らないのか」といっているが、これは少々おかしい議論の仕方で、1974年にいくら侵略という行為が定義されても、それでもって1931年の行為を評価すること自体ありえないわけで、こういう発想だからこそ、東京国際軍事法廷いわゆる東京裁判をそのまま鵜呑みにするのであろう。
私はこの田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」という論文は、その言わんとするところには大いに共感を覚えるが、論文としては稚拙だと思う。
国を思う熱意は、ひしひしと伝わってくるが、そのことと論文が優れているということとは別の次元の話で、やはりこの論文が懸賞論文として最優秀として評価されたという点に、いささか疑問を感じずにはおれない。
主催団体の身贔屓な裁量でこういう結果になったのではないかと思う。
論文中に引用されているユン・チャン、高文雄、桜井よし子、秦郁彦、渡部昇一氏らの著作を読めば、必然的にこの論文の論旨にいきつく。
この中でユン・チャン女史は基本的に中国人であるが、彼女は作品「マオ」の中で、中国共産党の内幕を暴露しており、その内容は、日中戦争は中国共産党が策略をめぐらして、国民党と日本軍の双方を挑発して戦争に引き込み、漁夫の利を得たということが中国共産党の自慢話として出てくるわけで、その意味からも日本の侵略ということは成り立たないということになる。
国家と国家の在り方というのは、双方がお互いに国益を優先して政策、あるいは戦略を考えるわけで、中華人民共和国建国の当初ならば、自国の優位性を自国民にアピールすることも当然のことであって、自分たちの作戦が功を奏して日本を敗北に追い込んだという風に持っていきたかったに違いない。
ならば、その事実は我々にとっては大いなる切り札になるわけで、それを有効に使うのが日本側の英知にならなければならない。
しかし、我々はそういう発想に至らないわけで、その点を日本を占領したアメリカのマッカアサー元帥は、「日本人は12歳の子供だ」と揶揄したのである。
まさしく12歳の子供の発想の域を出るものではない。
ただ、それよりももっと憂うべきことは、政府の公式見解と違う論旨が、政府の高位高官の人から出たというだけで、すぐさま当人を更迭していいものかどうかを深く考察する必要がある。
日本の政治の状況では、舌過と称して、失言で大臣のイスを棒に振る人が大勢いるが、言葉の揚げ足取りで大臣なるものがそうころころ変わっていいものだろうか。
失言には違いなかろうが、失言があったからといって、そう安易に人事をいじくっていいものだろうか。
市井の一市民であろうが、公職にある高位高官であろが、人は朝から晩まで毎日言葉を発して生きているわけで、その中の一言を取り上げて、その一言で以って、その人の全人格を否定していいものだろうか。
メデイアというのはある意味で言葉を武器として成り立っているわけで、その意味で要人の言葉狩りには極めて敏感な立場にいるが、メデイア側にも言葉にまつわる失点というのは掃いて捨てるほどある。
にもかかわらず、だからと言って、責任を取るということは決してない。
一旦報道したことが嘘報であったとしても、会社が廃業になるということはないわけで、一編のわび状を載せるだけで同じように嘘報を流し続けているではないか。
大臣が一言口を滑らせて失脚するのであれば、メデイア側としては報道したことが事実に反していれば、廃業するぐらいの責任を負って当然ではなかろうか。
それはさておき、もともと大臣などいなくても官僚の世界は支障なく回っていくわけで、居てもいなくても構わない、という面は確かにあるが、ただ民主党の小澤一郎はこの事件で以って首相の任命責任まで追及しようとしている。
折角、シビリアン・コントロールがきちんと機能しているにもかかわらず、これを政治問題にまですることはまるで政治の私物化以外の何物でもない。
小澤一郎の了見も地に落ちたものだ。
党首討論も逃げ回り、口を開けば「政権交代」とバカの一つ覚えのようなことをいい、政権交代さえすればバラ色の世界が広がるような能天気なことを言っているが、元自民党幹事長も地に落ちたものだ。

「周恩来・最後の10年」

2008-11-10 08:39:49 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「周恩来・最後の10年」という本を読んだ。
周恩来の最後の10年を彼の主治医が克明に綴ったもので、十分に読みでがあり、特に文化大革命の記述には手に汗を握る緊張感が漂っていた。
1960年代の中ほどから始まった中国の文化大革命というのは、当時、日本にはあまり克明には伝わってきていなかったと思う。
ところがこれも不思議なもので「造反有理」というスローガンは、巷に氾濫していたわけで、これは一体どういうことなのであろう。
この時代の中国は非常に厳しく情報管理をしていて、中国の現状は我々の側にオープンには伝わっていなかったと記憶するが、それでも文革のスローガンが日本で左翼系学生が唱えていたということは一体どういうことなのであろう。
中国のすることは、我々には理解し難い部分が沢山あるわけで、この本の中でも周恩来の病状を秘密にするということが何のてらいもなく語られているが、これは一体どういうことなのであろう。
国家の首脳が病気になったことなど、秘密にする必要はなさそうに思うが、これが政治の世界ではそうとも言えないらしい。
日本の歴史の中でも、武田信玄は自分の死を秘密するように言ったし、羽柴秀吉も織田信長の死を伏せて毛利と和解をはかったわけで、そういう意味で政治的な首脳者の死を秘密にして、取引を有利に導くことはあるが、中国の首脳ともなればそうそう秘密にするわけにもいかず、それがすぐに漏れることは言うまでもない。
そこで、その後に起きるであろう権力抗争に、その人の死が大きく関与することになるわけで、この部分が極めて中国的である。
私がその点を強調せざるを得ないのは、その部分が極めて土俗的で、民主化と対極の構図を成しているからである。
民主社会ならば、トップの首脳がいくら変わろうとも、事後策が確立しているので、権力構造が乱れるということはありえない。
アメリカの例でも、権力のトップの大統領が撃たれてもただちに副大統領がその職務を代行するわけで、権力の空白期間などというものはありえない。
ところが中国ではそうはならないわけで、トップが倒れるとそのトップの権力を奪還しようと、権力の座の奪い合いが生じるのである。
この本の中でも文化大革命のことが述べられているが、この文化大革命というのは一体何であったのだろう。
毛沢東の第3番目か4番目か知らないが、この紅青という毛沢東夫人とは一体どういう女性なのであろう。
文化大革命を書いた小説「ワイルド・スワン」でも「マオ」でも、極悪人と指摘されているが、人からそういうわれるだけの根拠があるから、そのように糾弾されているのだろうが、紅青がそれだけの悪人だったとしても、その彼女をそういう位置に留め置いたのは、中国の政治局の面々の実績でもあったわけで、それを突き詰めれば毛沢東の責任に帰してしまうではないか。
平たく押し並べて言えば、毛沢東が中国の政治の全責任を負うというのであれば、文化大革命の4人組の揚立そのこと自体が、毛沢東の全責任ということになってしまう。
毛沢東の責任をうんぬんする前に、紅青という女性が政治の場に出てくること自体がおかしなことで、我々の認識ではありえないことである。
そこに中国の政治の後進性が見事に露呈しているともいえるが、中国の政治には有史以来5千年の歴史があるわけで、それは共産主義のわずが20年か30年の歴史とは比較にならない差異であって、その中にあってこういうわけのわからない女性に政治の局面をかきまわされたということは、中国大陸にすむ人々の宿命なのかもしれない。
毛沢東夫人といえば、アメリカならば大統領夫人、日本ならば総理大臣の夫人、イギリスならばやはり総理大臣夫人となり、いわゆるトップ・レデイ―、ファースト・レディーであって、そういう立場の者が政治の場に自らしゃしゃり出ることはしないものである。
国家行事に花を添えるという意味で、トップ夫妻が並んで公に場に顔を出すということはあっても、それが夫人そのものが政治に関与するというのとは訳が違うはずである。
この事は、女性の政治参加を忌諱しているわけではなく、むしろトップの夫人としての身分をわきまえた、民主的な行為であって、いわゆる民主化の本質がよく分かっているということでもある。
民主化ということの本質がよくわかっていないから、トップ・レデイ―やファースト・レディーの立場のものが政治に嘴を差し挟むわけで、それだけ人々の民主化という価値観が浸透していないということを如実に表しているわけである。
紅青本人の政治認識もさることながら、それを容認している毛沢東そのものも、また彼女や彼らを取り巻いている取り巻き連中の政治認識の欠如も、本人以上に稚拙だということである。
紅青本人が政治局局員ということ自体が、毛沢東の女房に対する身贔屓であって、毛沢東自身、聡明な政治感覚があれば、自分の女房を政局員にすること自体おかしな話である。
アメリカ大統領が自ら開く閣議に自分の女房を出席させるであろうか。
日本の総理大臣が閣議の場に自分の女房を出席させるであろうか。
毛沢東はこれと同じことをしていたわけで、こんなバカな話はないと思う。
自分の女房にこんなことをさせる毛沢東もおかしければ、本人そのものの政治感覚も端からおかしいわけで、その毛沢東夫人に取りいって文化大革命を遂行している他の3人の考え方も、徹底的におかしいわけで、我々の感覚からすれば道理の通らないことが2乗にも3乗にも重なって露呈したのが文化大革命であったのではないかと思う。
共産主義革命というのは、既存の旧社会を根底から覆した後で、新秩序を構築する過程で多大な流血が避けられなかった。
これを実行せしめるエネルギーは、基本的にはインテリ―層が無知蒙昧な一般大衆をリードして、旧秩序を破壊し、新に秩序を作らねばならないが、旧秩序を破壊する過程で知識人というものを根絶やしにしてしまったものだから、新しい秩序を築き上げようとする段になると、それにふさわしい人材が不足してしまって、いわゆる無知で野蛮な人材をも渋々ある地位につかせねばならない。
無理もない話で、中国共産党は自分たちだけの力でアジア大陸の共産化に成功したわけではなく、大部分のエリアでは、軍閥や、盗賊や、馬賊や、国民党の各支部や、軍隊が、日和見で寝返った部分もかなり内包しているわけで、そういう連中を党内に抱えている限り、生粋の中国共産党員はいつまでたっても枕を高くして眠れなかったに違いない。
そこに以ってきて、初期の中国共産党の政策は失敗続きであったし、初期の革命を成した人々も、年月の経過とともにマンネリに陥りだしたわけで、安住を求めて冒険を避ける雰囲気が広がったので、そこに純粋な革命第2世代が反発を募らせたものと私は考える。
初期の革命を成した、革命第1世代は世の中が平穏になると安逸な生活を求めるようになり、これが純粋で素朴な思考の革命第2世代には我慢ならないことにうつり、それが革命第1世代を批判する方向に収斂されて行ったものと思う。
問題は、この一連の騒動の中で、中国の人々の間で、仁義も、モラルも、尊敬の念も、儒教思想の長幼の功も、あらゆる既存の価値観を否定したというところにある。
無理もない話で、革命ということは旧秩序の破壊そのものなわけで、それがなされれば人心が乱れるのも自然の摂理に則っている。
彼らの悠久の歴史を、自ら根底から覆したわけで、それを裏で煽っていた毛沢東と4人組の存在というのは、中国の歴史にとっては大きな汚点だったと思う。
毛沢東が死んだとき、彼の功罪は4分6で、善が4分で悪事が6分と評されたものだが、その6分の中にこの文化大革命がおそらく入っているであろう。
周恩来という人は、この毛沢東に影のように付き添ってきたにもかかわらず、中華人民共和国の功績はすべて毛沢東に寄せられるが、それは建国以来、毛沢東と周恩来の二人三脚で来たように見えるが、なぜかその功績は毛沢東のものになってしまう。
周恩来は中国建国以来、毛沢東の女房役のような役回りであったが、その彼をしても紅青の政治的な介入を阻止できなかったということは、どういうことなのであろう。
やはり毛沢東の夫人ということで遠慮があったということなのであろうか。
それに引き換え、紅青の方は、自分の旦那に周恩来の失脚を何度も進言して、その都度毛沢東はその進言を叱責しているわけで、毛沢東にしてみれば、自分の女房の言うことよりも周恩来の言うことに信を置いていたということになる。
当然と言えば当然のことで、中国共産党結党以来の朋友と、女優のなりそこないのような紅青とでは、その言葉の重さが最初から違うわけで、毛沢東にしてみれば、紅青の代わりはいくらもいるが、政治的に適切なアドバイスを得られる最も信頼できる人物としては、周恩来以外にいないわけで、その意味でいくら紅青が周恩来の失脚を願っても、それだけはかなわなかったに違いない。
我々が日本人として中国の文化大革命を見てみると、実に不可解なことが多い。
何故、国家権力でもない民衆が、学校の先生や行政のトップを引き降ろして、直接暴力を加えることが可能なのか不思議でならない。
民衆や学生が大学の先生や行政のトップを暴力で以ってひきづり出して、公衆の面前で殴ったり蹴ったりするということは、その事実だけで中国の人々の民度、知的レベル、倫理観、モラルが低い、ということを指し示しているわけで、別な言い方をすれば政治的に極めて未熟な大衆、民衆ということになる。
そういう人々が、毛沢東語録を掲げさえすれば、そういう卑劣で民意の低い人デナシのする行為が、気高い行為となるわけで、こんなバカな話があるものかと言いたい。
何が造反有理だ!!!!
ただの無頼、やくざ、無法者、愚連隊でしかないではないか。
毛沢東は、こういう連中を煽って、自分の建国当時の革命の同志の失脚を図ったわけで、それもこれも革命が軌道に乗ってくると、よそ事を考える余裕が出てきたので、自分の将来の不安がおぼつかなくなってきたからには他ならない。
「誰かが俺を追い落とすのではないか?」という不安に苛まれて、心安らかでおれなくなったに違いない。
この毛沢東の不安に乗じて紅青夫人を中心に、心の邪な3人が自分たちの政敵を追い落とすことをしたわけで、それは当然権力闘争になり、こういう権力闘争というのはどの政治局面でもあることで不思議ではないが、それを何の権力もない民衆、大衆が根も葉もない虚構を流すことによってまかり通る社会というのはもう人間の社会ではないと思う。
この文化大革命で日本の知識人が案外見落としていることに、この時期中国では都会のインテリ―を田舎に送ってそれを下放と言っていた。
この事実をよくよく見てみると、都会のインテリ―に懲罰を加える意味で地方の田舎に送って、そこで重労働をさせることに懲罰の意味があるわけで、ならば生まれ落ちた時から田舎に住んでいる人たちは一生涯牢屋の中で生きているということになるではないか。
この時期の中国では田舎の人間が都会に来ることを禁止していたが、これなどは田舎で農業に勤しんでいる人間を、人とみなしていないということで、だからこそ都会のインテリ―を田舎に送ることに懲罰としての意味があったわけである
さらにもう少し掘り下げてみると、都会のインテリ―に懲罰を課す主体は一体何なのかという問題である。
大学の学生委員会の長にそういう権限があるのかどうか、行政の中間管理職にそんな権限があるのかどうか、ただなんとなく野次馬の威勢のいい人から、理由もいい加減な罪状を言い渡されて、田舎に送られて農作業させられる人もたまったものではなかろうが、何とも弁解の機会もないわけで、こんなバカな話もない筈であるが、それが10年も続いたというのだから驚く。
10年たった後、その責任を誰かが負ったであろうか?
文化大革命というのは中国人がお互いに中国人を殺しあったわけで、外国に責任の及ぶものではないが、考えてみれば、これが中国5千年の歴史の現実なのであろう。
1949年の中華人民共和国の建国前は、中国の周りには夷狄の存在があって、政治の延長としての戦争は常に行われていたが、それが国家統一をなして夷狄の存在を内側に取り込んでしまったので、中国人同士の無意味な殺傷という形になったものと思う。
こういうことを考えると、我々と中国の人々とは、共通の認識というものが成り立たないわけで、それは物事を判断する基準の相違、いわゆる土俵が違うということで、いくら話しあったところで話が妥協点に導かれるということはあり得ない。
この本の著者は、周恩来の主治医という立場から、本人・周恩来に極めて好意的に描かれているが、中でも周恩来が極めて仕事熱心で、我々の言葉でワーカホリックであることを好意的にとらえているが、いくら政府の要人であろうとも、自分の体を顧みずに仕事に打ち込むということは、善意に解釈しきれない部分があると思う。
ある意味で、政務を私物化しているともとれるわけで、仕事をコントロールするということも要職にあればある程、心がけねばならない事柄だと思う。
しかし、病気、あるいは寿命というのは仕事熱心であろうとなかろうと公平に来るわけで、如何なる要人であろうとも、そういうときにはあっさりとそれを受け入れるべきだと思う。
その前に、要人であればあるほど、適当な時期に引退べきだと思う。
死ぬが死ぬまで権力にしがみつくというのは、私の感覚でいえばみっともない話だ。
その点、西洋人のリーダーは潔く引退して、悠々自適な生活を送るという例があるが、中国人は死ぬが死ぬまで権力にしがみついていないと死んだ時、墓さえ暴かれかねない。
韓国の例など実にすさましいもので、現職を降りたら最後、ただちに監獄に放り込まれてしまい、死刑の判決が下りたと思ったら、いきなり恩赦で無罪などという、まるでジェットコースターのような身の処し方を迫られる。
こういう状況が分かっているからこそ、権力に死ぬまでしがみついていなければならないのであろう。
権力を手放したら最後、ただの人以下になってしまうわけで、それが中国の5千年の歴史の教訓として息づいているのであろう。
死ぬまで権力にしがみつくというのは、不思議なことに、皆、共産主義社会のリーダーであって、自由主義陣営のリーダーは適当な時期に潔く引退しているが、これは共産主義というものの考え方を如実に指し示していると思う。
共産主義というのは基本的に、民主主義の一番遠い対極の位置にいるわけで、それこそ一度権力を手放したら、今度は自分が何時いかなる時に権力の餌食になるかわからないわけで、自分が過去に権力をほしいままにしていた以上、立場が逆転すればそのしっぺ返しは自らの過去に照らして想像できるわけで、ならば当然権力を放り投げるなどということはありえないということになる。
昨今の日本のリーダーを見てみると、安部晋三から福田康夫まで、まるで不甲斐ないリーダーに見えたものだが、中国に比べると、こういう人物が一度は総理の椅子に座って、まさしく自分の勝手で政権を放り出すことのできる世の中というのは、極めて恵まれた社会だということにもなると思う。
毛沢東や周恩来、金日成からスターリンと言うような人は、決してこんないい加減なことで政権を放り出すなどということはしえないわけで、死ぬまで政権を維持しなければ、墓まで暴かれかねなかったわけだ。
それに比べれば日本のリーダーなど極めて能天気な存在だ。
それは国民にも言えるわけで、我々は何処の誰べえとも分からない人間に、いきなり刑務所に入れられるようなバカな話もなく、強制労働などということもないわけで、労働しようにも仕事がないくらいで、その意味で、平和ボケになるのも当然である。
平和ボケと言っておれる間は幸せだと思わなければならない。

「組織犯罪」

2008-11-04 16:49:43 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「組織犯罪」という本を読んだ。
2004年に読売新聞社会部治安取材班が著した作品であるが、非常に興味深く読む者を惹きこんだ作品である。
日本の裏社会を克明に掘り起こしている。
当然の帰結として、ここに浮上してくることは中国人や韓国人の犯罪である。
昔、マルコポーロは彼の「東方見聞録」で我々の国のことを「黄金の国」と述べて、それに触発されてヨーロッパ人が我が国を目指してやって来た。
それと全く同じ構図で、最近は中国のマフィアをはじめとして、世界中の犯罪組織が「日本は金のうなっている黄金の国」という認識で日本に押し掛けているようだ。
それもそのはずである、我々の国はほんのちょっと前まで治安の優れた国ということで、田舎では自分の家に鍵を掛けるなどということすらなかったのだから、中国人や韓国人の泥棒にしてみれば、まさしくそこらじゅうに金が転がっているように見えたのも当然であろう。
我々は純粋に学術的に言えば単一民族ということにはならないが、庶民の認識からいえば、単一民族という風に理解して、隣に住む人はどこまでいっても我が同胞という認識で生活してきた。
人を疑いながら生きるということは、我が同胞の田舎に住む人にとっては想定外のことであった。
ところが今日ではそういう認識が壊れ、今ではどんな田舎でも何が起きるかわかったものではない。
21世紀の今日、世界は限りなくグローバル化して、日本といえどもその渦の中に巻き込まれているわけで、19世紀のように主権国家が自分の主権の範囲内で自存自衛する時代ではなくなってきてしまった。
交通、通信、情報の世界では完全に主権の概念は失われて完全にグルーバル化してしまって、日本の田舎もその渦の中に必然的に巻き込まれて、今では安心して生活できる自分の家という空間はなくなってしまった。
どんな田舎でも防犯に細心の注意を払い、「人を見たら泥棒と思え」という格言をしっかり身につけなければならない。
犯罪と売春は人間の誕生とともに生まれ出た行為だと思う。
人のものを掠める、相手の了解なしに勝手に使う、楽して儲ける、騙すということは、人間の根源的な思考だと思う。
それをコントロールできるのは、その人のもって生れた良心以外にないと思う。
この良心とか良識というのは、私に言わしめれば、先天的なもので、教育とか知性ではその人の良心や良識をコントロールできないと思う。
人間社会の成り立ちの根本にあるのは、民族の如何に関わらず農業であって、農業社会が人間の社会の基本にあると思うが、その中でも「隣人のものを掠めとる」という行為はあったに違いない。
だからこそ法があり、掟があり、懲罰としての刑罰があるわけで、どんな原始社会でも、人のものを盗むという行為は、連綿と引き継がれてきたものと思う。
だからこそ、その対極の行為として警察という取り締まり機間を設けるということになっているに違いない。
どんな原始社会でも、その社会の中では、してはいけないことと、していいことという峻別はあるわけで、その峻別を判断する能力は、その人の良心と良識に依拠しているわけで、それは大部分両親の子に対する接し方の中で個人的に醸成されていくものと考える。
原始社会の中では、日々の生活の中で、両親が子供を育てる過程で躾という形で、あるはい集落の集団の行為としての通過儀礼を通して個人に植え付けられるわけで、それでも尚少数の者はその呪縛に従わないとき、それは犯罪という形で懲罰の対象になるものと考える。
今日においても、つい最近まで日本の田舎では家に鍵を掛けることが普遍化しなかったということは、その古い認識のままでいたということで、逆の言葉でいえば極めて平和的というか牧歌的な状況を呈していたということである。
それが壊れたということは、極めて由々しきことであるが、それは社会一般が地球規模のグローバル化ときわめて密接にリンクしているわけで、地球上に住む人々が時、場所、地域に固執することなく生きていける状況が目の前に現れたということである。
我々は遣唐使の時代から、留学という言葉に対してプラスのイメージで以って、それは良いことだという認識を持っている。
そのいう先入観に依拠して、中曽根首相の時、留学生10万人計画というのをぶち上げた。
この中曽根康弘という元首相は、実に情けない人物で、靖国神社公式参拝を中国から諌められて、実にあっさり取り下げたことでも、その後の日本に大きな禍根を残したが、その媚中外交の目玉がこの留学生10万人計画というものであったのだろう。
当時の日本は好景気に沸いていたので、人手不足が深刻化しており、その面からも中国から人を集めるという意図があったに違いなかろう。
このこと自体、表面的には媚中外交にみえるが、その深層心理は中国をバカにした態度で、それは中国の本質を知らないということでもあったわけである。
中国は正面から堂々と正論を投げかければ、それを受けて立つ度量を持った国だと思う。
何といっても五千年というものメンツを重んじてきた国なわけで、こちら側に相手を侮った気持ちが少しでもあれば、それを敏感にかぎ取る能力には優れたものがあるように見える。
中曽根康弘は旧帝国海軍軍人として、当時の軍人の認識から一歩も進化していない対中認識である。
彼は中国におもねることで、日本の産業を、つまり経済界の利益を擁護したわけで、ここで中国の対日感情を逆なでして経済に不利益をもたらすような事態を回避したわけである。
政治家の選択としては、止むを得ない選択であったかもしれないが、日本人の誇りと、経済という生きんがための糧を秤にかけて、民族の誇りを捨てて、自らの生存をとったわけである。
ここに中国人のしたたかさがある。
かれら中共、中国共産党は、純粋に日本国内の問題に嘴を突っ込むことで、中国への日本企業の誘引に成功したわけで、これこそにまさしく口舌の民の真髄そのもので、実に外交巧者であって、口先がうまい。
彼らの外交には有史以来五千年の歴史の蓄積があるので、我々はいとも安易に相手の口車に翻弄されつづけている。
旧帝国軍隊の時と同じ対中認識のまま、心の中では中国人を侮蔑しつつ、媚中外交を続ける上で、最上のゴマすりが、留学生10万人計画であったわけである。
彼が心の中で中国に対して侮蔑意識を持っていることは、この10万人という中国人の留学生の中には悪人はいないであろう、いるとしても日本の治安状況下でその悪人を抑え込むことが可能であろう、という浅薄な認識であったに違いない。
こういう認識こそ、中国人の本質を知らないということで、この認識不足こそ、旧日本軍人の普遍的な中国観であったわけである。
そのことは中国の五千年にもわたる歴史の重さを認識していないということで、中国という国とその国民である中国人を表層面でしか見ていないということである。
我々は遣唐使の時代から中国から文化文明というものを移入していたわけで、その意味からすれば、中国を越えることは至難のことである。
中国から文化文明を移入して、それを我々流に改良すると一見中国を超えるものが出来上がったが、意識の方は何時まで経っても畏敬の念が払しょくされずに、自らを夷狄のままの意識に閉じこもり、そこから脱却できないでいるのである。
日本は明治新以降の近代化で、アジアで一番最初に覇者となった。
よって、この時期、中国大陸でも同じように近代化を目指そうという機運は盛り上がって、そういう人々は日本を参考にしようと、大挙して日本に押し掛けた。
ところがどこの国でも同じであるが、統治するものとされるものでは完全に意識が食い違っているわけで、当時の日本の為政者は、あくまでも理念と理想を実現すべく心を砕いていたが、一般大衆と産業界は、ついつい目先の利潤追求に目が向くわけで、ここに日本の一般大衆と産業界はアジア大陸を富の草刈り場と捉えたわけである。
この部分に、私が言う中曽根康弘の中国侮蔑意識があるわけで、彼は戦前の日本の産業界の発想と同じレベルの思考に陥っていたわけで、それを日中の平和友好という言葉でカモフラージュしているのである。
確かに、我々は中国から文化文明を学んで、それを日本流に咀嚼して、オリジナルを乗り越えたけれど、だったらそれを外交交渉の武器としなければならないところを無償で相手に譲り渡しているのである。
相手は外交巧者で政治巧者である。
口舌で黒を白とも言いくるめ、赤を黒とも言いくるめる術を心得ているわけで、主権国家の元首が自国の英霊に参詣する行為までにも、嘴を差し挟んでいるにもかかわらず、それを真正面から受け止めて、口舌の術に惑わされてしまっているではないか。
我々は国際連合に加入して、毎年膨大な供出金を上納しているにもかかわらず、それを上手に利用しようとも考えずに、ただただ相手の恫喝に屈し、謝罪を繰り返すのみである。
我々は63年前の敗北で、主権国家の主権の一つである自分の国を自分で守る権利というものまで放棄している。
よって、手も足も縛られた不自由な身であるとするならば、唯一つ生かされている口舌で以って、この弱肉強食の宇宙船地球号の上で生きていかねばならない。
ということは、世界に向けて、中国の日本に対する恫喝を、あることないこと声を大にして叫び続けて、身の潔白を訴え続けなければならないはずである。
日本の首相が、自分の国の英霊に参詣することに中国がクレームを付けてきたら、その事実を世界のメデイアに向けて発信して、身の潔白をあかし、相手の非を突く手段を講じなければならない。
それを二国間でちまちまと解決しようとするから舐められるのである。
中曽根首相が留学生を10万人受け入れると言ったとき、外国人の犯罪がこれほど多くなることを誰が予測出来たであろう。
それを予測できなかったという事実が、我が同胞が中国人の本質を知らなかったれっきとした証明であって、そこが我々の善意の盲点であったわけである。
相手はこちらの盲点を突くことを五千年の歴史の教訓として持っているわけで、それに反し、我々は隣人を疑うということを歴史の教訓としては学んでこなかった。
「情けは人のためならず、自分に帰ってくる」という処生訓で生きてきたわけで、隣人には分けへだてなく接することを美徳として生きてきた。
我々の周囲に不良外人がうようよいるような時代というのは、我々の想定外のことで、それへの対応というのは遅れがちになるのもいた仕方ない面がある。
ただ、こういう物騒な世の中になったのも、時代の趨勢とばかりは言っておれないわけで、我々の側にも一抹の責任はある。
というのも、この10万人留学生受け入れということをある種の商機、ビジネスチャンスとして日本語学校をあちこちに作って、日本に行こうとする人たちを食い物した連中の存在だ。
これは中国側にもあり、日本側にも同じ目的でこういう連中を食い物にして、金儲に走った人たちがいたわけで、我々の国は資本主義体制だから金儲けならば何をやってもいいと思い込むところに犯罪の機会が潜んでいるのである。
日本人の若者の犯罪には、何とも無意味な殺傷があることは確かで、日本社会が壊れている証拠であろうが、中国人、韓国人の犯罪というのは、その目的は極めて明確で金一筋である。
日本に金稼ぎに来るという点で、外国人の犯罪の動機は極めて単純明快であるが、日本の識者の論調としては、「折角日本に留学しても経済的な困窮から犯罪に走る」という、極めて善意に満ちた趣旨の発言が聞かれる。
これもまるまる第三者の無責任な口先の綺麗事でしかないわけで、こんな能天気なことを言っているから外国人の犯罪が増えるのである。
自分の祖国で、自分の本分をわきまえてきちんと生活しておれば、日本まで行って金を稼ごうなどという安直な思考にはならないと思う。
どんな世界でも好奇心を満たすということは若者の特権ではあるが、外国に行くからには、それ相応の準備が必要だということは如何なる社会であろうとも変わることのない普遍的なことで、行けば何とかなるでは、最初から犯罪目的で、金を得ることだけを目的としていると見なさなければならない。
ここでも更に由々しき問題として、日本の暴力団が相手のマフィアと結託して犯罪のグローバル化が進みつつあることである。
政治家に媚中派と称する売国奴的な存在があるように、闇社会、裏社会にも、中国と結託して自分さえ儲ければ後は野となれ山となれという思考の暴力団がいるということである。
暴力団、ヤクザの社会というのも、昔は仁義を重んじ、素人には迷惑をかけないというのが彼らの誇りでもあった筈だが、今ではそういう認識も薄れて、ただただチンピラに成り下がってしまった。
今の日本の社会の乱れというのは、結局のところ、戦後63年間というもの、我々日本の一般大衆、一般国民が上を向いて唾を吐いたようなもので、それが今自分の顔に落ちてきたということなのであろう。
ここで一般大衆、一般国民でない知識人、インテリ―と称せれる人々は、その責任を従来の自民党政権、政府、国家の責任に転嫁しようとするが、そのこと自体が既に間違っている。
世の中の乱れというのは一重に日本の一般大衆、一般国民の責任であって、その中でも特に罪の重いのが進歩的と称せられている知識人の言動である。
私は日本の警察はよくやっていると思うが、警察官の中にも玉石混淆ということはあるわけで、全部が全部正しい警察官ではないことは言うまでもない。
それを世間では過大評価して、警察は1から10まで全部正義だと思うから「警察は何をしているんだ!!」という発言になるのである。
今の病院の患者たらい回しの問題でも、すぐに病院側の医療過誤の問題に結びつけるから、病院側も自己防衛として、死にそうな患者は最初から受け付けないという措置に出るのである。
警察でも不当逮捕、病院でも医療過誤ということは往々にしてあるに違いない。
どんなケースでも、人間がしていることなわけで、人為的なミスというのはついて回ると思う。
しかし、その裏側には適正な犯人逮捕、適正な医療処置というのは数えきれないほどあるわけで、不適切な処置というのは数が少ないからこそニュースになるわけであって、それをさも全体の組織がたるんでいるかのような報道の在り方が、世の中を真っ暗にしているのではなかろうか。
事例が少ないからこそニュースになるが、ニュースにならないように真面目に業務をこなしている人たちに対しては、メデイアはどういう形で貢献しているのであろう。
我々が毎日平穏に暮らせておれるのは、ニュースにならないような真面目な仕事を、真面目にしている人が、社会の隅々にいるからであって、平和な社会というのはニュース種などというものがない社会でなければならない筈である。
こういう極めて立派な社会ではメデイアとしては存在価値が認められないので、彼らは自らの生存を掛けてニュースを仕立て上げ、掘り起こし、掘り下げているのである。
一件の不当逮捕を日本の警察全般の問題としてとらえ、一件の医療過誤を日本の病院全体の問題としてとらえて問題提起するのである。
理性で考えれば、一件の不当逮捕も一件の医療過誤もあってはならないことなわけで、彼らの言い分には整合性があるということになってしまう。
中国人の犯罪も、大勢の中国人の中のほんの一部の人々かもしれないが、その人々の手引をするわが同穂の存在は憂慮しなければならない。
日本にある中国人留学生の語学研修用の施設などというものは即刻撤廃の措置をとるべきだと思うし、そういう留学生に就労させること自体も根本的に考えなければならない。
ところが、金というものがあるかぎり、砂糖に群がる蟻のようなもので、追っても追っても集まってくるのが現実の姿であろう。
日本で泥棒稼業をして大金を得たものが、故郷に帰って再び一族郎党を引き連れて、日本へ泥棒行脚に来るというのではたまったものではない。
そういう意味でも我々の国は「黄金の国」らしい。