ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「軍艦長門の生涯」

2011-12-28 09:26:15 | Weblog
弟からの連絡で阿川弘之の「軍艦長門の生涯」という本に叔父さんの事が書いてあるという事を知った。
早速、紀伊国屋書店で聞いてみると、「もう既に廃版になっていて置いていない」というものだから、こういう時こそ図書館だ、と思って図書館に走った。
あるにはあった。
本を検索する機械で調べると、単行本と文庫本の両方があった。
私はいつも図書館の開架式書棚から本を借りていたので、その本が何処に在るのか係員に聞いてみた。
すると、その本は地下の書庫にあるという事で、持ってきてくれた。
いつも図書館を利用している割に、図書館のシステムには不案内で、どういう本が開架式の書棚で、どういう本が閉架式になるのさっぱり分からないが、兎に角、目の前に持ってきてくれたので、それを借りて読みだした。
どうせ大きな活字の読みやすいものだろうと思ってが、どうしてどうして、小さな活字で、上下二段組みで、頁数も多く、目次もないままで、読むのに骨が折れた。
私達の叔父さんの話はあるにはあったが、ほんのささやかなエピソードの一こまでしかなかった。
しかし、阿川弘之氏は戦艦「長門」をメインテーマにしつつ、大正時代から昭和の初期、日本が戦争に敗北するまでの近現代史を綴っている。
著者自身がかっては海軍の軍人であったので、戦艦「長門」を基軸としながら海軍という組織を綿密に暴きたい、という意図が垣間見れる。
海軍の軍人の一人として、日本があの戦争に巻き込まれていく過程を見つめつつ、何故それを阻止できなかったか、という疑問点を探り出すとしているように見える。
この本は上下2巻に分かれていて、上巻は「長門」の誕生から昭和10年の2・26事件までのことが綴られているが、こういう大きな軍艦ともなると、艦長がたびたび変わるわけで、この艦長をはじめとする海軍、或いは陸軍でも同じであるが、人事異動というのは官僚システムの大きな病理だと私は思う。
軍の組織のみならず、官僚全般について、或いはこの世のあらゆる組織について言えることが、人事異動という事である。
この人事異動の弊害という事は、誰も問わないが、これは由々しき問題だと思う。
普通の人が普通に仕事をするのに、少なくとも1年、出来れば3、4年という習熟期間が必要だと思う。
如何なる官職でも、人事異動で赴任して直ちには実のある仕事はできないのが普通で、新しい仕事に慣れるまで3、4年という年月があって然るべきだと思う。
ようやく仕事に慣れた頃また転勤では実りある仕事は成しえないのが当然であって、これでは時間と経費のロス以外の何ものでもない。
官僚の世界では、転勤が多いほど出世が早いようだが、こんなことは論理的におかしなことだ。
日本海軍でも、陸軍でも、官僚でも、組織のトップにいる人達は、それ相当の篩をかいくぐって来た人達で、そんじょそこらの駆け出しの山猿ではない筈だ。
言い方を変えれば、眉目秀麗、学術優秀なエリートである筈である。
ならばこういう組織論の根源的な矛盾は重々周知の上で組織に与しているということになるが、そこを深く掘り下げて考える人がいなかったいうことであろうか。
甲論乙駁という言葉があるが、同じ一つのことでも見る位置,見る視線、視線の高低あるいは角度というものでいろいろな意見が出ることはごく当たり前のことである。
だから複数の人間が集まればいろんな意見が出て当然であるが、そういう様々な意見を一つに集約しなければ物事は前に進まないわけで、これがなかなか難しい所である。
ある限られた人間集団の中で、一つの事柄に対して様々な意見が出るという事は、その集団の知性が豊かで教養が高ければ高いほど様々な思考が噴出して、さまざな意見が出るが、その集団の知性が凡庸で、鈍感で有れば、意見の相異の幅はそれだけ小さなものになる。
ここで重要なことが、一人一人が自分の頭脳でその事柄の本質を吟味、咀嚼することだと思うが、こういう状況下で人は案外他人の意見に惑わされることがある。
別の言葉で言い換えれば、意見が合ってしまうという事で、別々の人が別々に考えて結果として同意見になるというのならば問題はないが、他の思惑を秘めながら相手に合わせてしまうという場合は由々しき問題と言わねばならない。
人間の集団はどうしても、意識するしないに関わらず、気の合うもの同士が集まってしまう傾向がある。
俗な言い方をすれば、派閥の形成ということになるが、この派閥というものが出来ると、自分の考えが主体性を失い、大勢の仲間の意見に迎合しやすくなってしまう。
自分一人があくまでも自己の意見に固執して反対し続けていると、仲間との輪を壊してしまいかねないので、不承不承とは言え、自己の考えを妥協させてしまって、大勢に従ってしまうという事が往々にしてある。
歴史上ではこの大勢が必ずしも正しい選択をするとは限らないが、民主主義の原理というのは、大勢の意見を敷衍することであって、結果として国家が奈落の底に転がり落ちるということもあるわけだ。
組織のリーダーが大勢の意見を押しのけて、自分の信念で以て自己の政策を推し進めると、大勢の側としてはそういうリーダーを独裁者と言って糾弾する。
政治というものは実に不思議なもので、民主主義でも国家が立ち行かなくなることもあるが、独裁者の国でも独裁者がその国を滅亡の淵に導くこともあるわけで、完全なる統治というのは果たしてどういうものなのか、人類はいまだに答えを見出していないのではなかろうか。
人の集団が気の合うもの同士でグループを作るのは人間の業のようなもので、理性や知性でコントロールできない不可侵なものだとすると、大きな組織になればなるほど、人事異動というのは必須になるのもやむを得ないとは思う。
しかし、現実に仕事を推し進めるという観点から見ると、丁度、仕事を覚えた頃にまた転勤では、経費と労力の無駄以外の何ものでもない。
海軍ばかりではなく陸軍でもおなじ、文官としての官僚でも同じなわけで、民間の企業でも同じだと思う。
海軍でも陸軍でも官僚でも、組織のトップにいる人はボンクラではないわけで、ならば当然その辺りの非効率は判っていそうだし、判っておればそれを改善するのがトップのトップとしての存在意義であったのではなかろうか。
組織の中側にいると案外気が付かないかもしれないが、海軍でも陸軍でも、その他の官僚でも、トップに立つ人は基本的に学校時代の成績順にその座が廻って来るわけで、お互いに仕事が判った頃、再び転勤するわけで、結果として何もわからないまま出世だけするということになる。
その上、学校秀才というのは記憶力の優秀なものがなるわけで、創造力や思考力という能力は、評価の対象にはなっていない。
タコがタコつぼの中で天下国家を論じているようなものである。
この本の中には5・15事件と、2・26事件も話題になっているが、こういう一連の事件を引き起こした青年将校に対する評価が案外甘く、彼らに同情する組織のトップの心情が吐露されているが、組織のトップが青年将校の下克上の雰囲気を容認するような思考そのものが基本的に売国奴的である。
ワシントン軍縮会議の結論に対する国民の不満というのは、基本的には諸般の事情を知らない一般国民の無知が原因ではあるが、それに便乗しようとする組織のトップの在り様は、まさしく亡国的な立ち居振る舞いであったといわねばらない。
ここで、国民へ何を知らせて何を隠すかという事が大きな問題になるが、そこで活躍すべきが本来ならば知識階層としてのメデイアでなければならない。
メデイアというのも、社会の構成員として食って行かねばならないので、人々に売れる記事、大衆の喜ぶ記事を書いて、大いに売り上げを伸ばして稼がねばならない。
だから人々・大衆の喜ぶ記事を書き、喜ぶように報道するわけで、或る時は戦争を煽り、軍国美談を捏造し、悲劇を美談したてにもするわけで、極めて無責任な振る舞いを演じているのである。
5・15事件や2・26事件を引き起こした青年将校たちも、そういうメデイアの報道を真に受けて、政治の混沌は政治家と財界のトップに有る、と早とちりというよりも、政治の内情に全く疎かったわけで、短編急に事を急ぎ過ぎたという事だ。
これは反乱を起こした首謀者達が余りにも無知で、偏った教育というか、思い込みと言うか、何とも言いようがない。
青年将校と言われている人達も、そんじょそこらの凡庸ではない筈であるが、何人も世界の全てを知るという事はできないわけで、彼らを無知というのは少々酷であるが、テロ行為をしてしまった以上無知と言われてもいた仕方ない。
問題とすべきはそういう青年将校に同情を寄せた人々の存在こそが日本が奈落の底に転がり落ちた最大の原因といわなければならない。
世情の乱れが政府高官に有るという発想は、あまりにも単純な思考であって、それに同情を寄せる陸軍のトップも、世間の一般大衆も精神的にどこか異常であったというべきである。
この時代のことを司馬遼太郎氏は「奇態の時代」と表現していたが、言い得て妙だと思う。
世情の混沌の遠因を政府高官と財閥の癒着に結び付ける思考は、典型的な共産主義の思考と軌を一にしているわけで、完全に共産主義のドグマに陥った物の考え方である。
それはこの当時の世界に蔓延していた風潮そのものであった。
日本だけの特異なムードではなく、世界的に不況が蔓延していたわけで、その暗雲から逃れようと各国が苦悩していたということだ。
こういう状況下でもアメリカとイギリスは極めて豊かな国で、極端な見え見えの富国強兵策を弄しなくとも、何とか景気を維持できたが、ドイツ、フランス、イタリア、そして我々の日本にはそういうゆとりがなかったので、不景気打開の為に戦争が必要であったという事だ。
ところが「景気回復のために戦争する」という事は人類の理念に反しているので口に出来ないが故に、いろいろは欺瞞策を講じなければならなかった。
それがポロポロと露見したのが様々なテロ行為であったと考えなければならない。
「景気回復のために戦争する」という事は普通の常識のある人は口に出来ない言葉なので、そういう言い方は誰もしていないが、旧日本陸軍・関東軍の中国における行動は、当人たちが意識するしないにかかわらずそれを見事に体現しているではないか。
アメリカの対日戦参戦の遠因は言うまでもなく中国大陸におけるアメリカの国益の擁護であったわけで、そこに日本が勝手に国益の進展を計ろうとしたので、それを阻止しようと経済制裁を発動したのである。
日本が中国に手を伸ばしたのは言うまでもなく景気浮上の為に戦争を仕掛けたわけで、その結果として満州国の建国があったのだが、こういう姑息な手法は世界の協賛が得られず結果として墓穴を掘ったということになる。
ここで考えねばならないことは、我々生きた人間は物事のプリンシプルを尊重し、倫理に沿った生業を維持しなければならないという事だと思う。
法や秩序を厳守して、正邪を法に照らして判断すべきで、同情とか憐憫というような感情で物事を判断してはならないということだと思う。
この本は軍艦「長門」について語ることが本旨で、余り陸軍のことについては深入りしていないが、陸軍がかってに中国大陸で戦争をし掛けて、満州国を建国するなどという行為は、普通の常識では考えられないことであって、その一つ一つの事件に、整合性のある法に則った処理をしておれば、ああいう事態にはならなかったと思う。
2・26事件では天皇陛下が毅然たる意思を示されたからああいう形で終始したが、日中戦争では一応勝ち戦なるが故に、ずるずると事後承認という形で事態収拾が先延ばしされてしまったので、対米戦になり国が滅ぶところまで行ってしまったという事だ。
それで戦後66年来、ずっと反省はしているが、決定的な原因というのは結局は判らずじまいで、我々日本民族による総括もしたようなしないような曖昧なままである。
反省はしているが、その反省から教訓を引き出すという事はしていない。
反省だけなら猿でもする。

「名古屋地名の由来を歩く」

2011-12-27 08:27:14 | Weblog
いつもならば「例によって……」という書き出しであるが、この本は自分の金で買った本だ。
どうせ私の金だから高価なものではない。
家内といつも行くスーパーの上に紀伊国屋書店があって、家内のアッシーでそこに行く度に店内に入って本の背表紙のみを見て何となく読んだような気分に浸っていたが、あまりただで読んだ気分に浸っていても申し訳ないと思って、すこしばかり義理で散在した。
というわけで「名古屋地名の由来を歩く」という本を買ってみた。
著者は谷川彰英という人で、奥付きによると長野県、松本の人で、筑波大学の教授をしていたという経歴であって、地元とは関係の薄い人だ。
だからこそ地元民には気が付かない視点で書かれているので、我々地元に住む人間にとっては興味ある所である。
俗に「東男に京女」という俚言があるが、こういう言い伝えというか、文字通りの俚言というものは、民族を越えて何処にでもあると思う。
人間の歴史の中で、人々の生活の中から出てくる属性というか、俗物性というか、パターン化というか、思い込みあるいは思い入れというような先入観のような思考というのはごく自然に出来上がると思う。
そういう俚言を集めて見ると、名古屋、いわゆる尾張、或いは三河というエリアは、非常に評判が悪いように思う。
ビジオネス面において「名古屋で成功すれば全国展開しても間違いがない」とか、「関西、関東から名古屋に展開することは非常に困難だ」とか言われている。
それでいて大阪と東京に挟まれて「名古屋飛ばし」という言い方もあるわけで、どうも我々の存在というのは、特異な位置付けのような気がしてならない。
この本は地名についての考察を深めているので、地元民の気質にまで深入りはしていないが、物の考え方の中には、地域エゴということも当然あるわけで、その中には中央と地方の確執という問題も、自然に内包されていると思う。
普通の日本人が名古屋という土地柄を思い浮かべる時、名古屋人は堅実な考え方をする、と言う面があろうかと思うが、これは両刃の刃と同じで、良い面と悪い面を併せ持っているのは当然である。
人々が堅実な生き方をしている、という事は文句なく良い評価の部分であるが、その反面「堅実なるが故に排他的となる」と他の地域から来た方々にとっては甚だ迷惑な話になると思う。
排他的になるという部分に、この地域が古代より恵まれた地域であった、ということが言えていると思う。
古代という時代に「恵まれていた」という事は、いうまでもなく農業生産が豊穣であったということだと考えざるを得ない。
農産物が豊富であるからして、今でいうところの既得権益を維持しようという深層心理が機能して、その既得権益をよそ者に取られてなるものか、という心理が作用したのに違いない。
この地に居ながら、この地の思考について行けない部分が多々ある。
例えば、オリンピックを誘致しようとしたとき、行政サイドは非常に乗り気であったが、市民サイドが誘致そのものに反対して、結局は韓国に取られてわけだが、こういうオリンピックという国家プロジェクトに近いようなイベントを拒否する思考というのは、何とも田舎っぽい発想と言わなければならない。
戦後の風潮として、民意を大事のすることが民主主義の基本であることは論をまたないが、これも行き過ぎると衆愚政治になりかねないわけで、名古屋ではこの民意が衆愚と紙一重の状態になっていると考えられる。
国がオリンピックを誘致して景気浮上の梃子にしようと考えた時に、それに反対して、「自分達の住まい方に悪影響が出るから反対だ」という論理は、完全に地域エゴだと思う。
オリンピックを誘致してそれを景気浮上のバネにした時、その恩恵は日本全国に行き渡るわけで、それが名古屋人にとっては面白くないという事なのであろう。
日本全体の底上げは可能かも知れないが、開催地には良い事だけではなく、負の遺産も残されるに違いない、という心配を危惧しているという事だと考える。
愛知万博の時でも、さんざん反対運動が盛り上がって、折角世界各地から観光客が来るというのに、その観光客に外の景色を見せない手当てをしたりと、大幅に規模縮小してしまった。
中央に反発する気風というのも時と場合によっては大事なことかもしれないが、余りにも見え見えの地域エゴは見苦しいものだ。
日本の国民的なイベントに反対運動を起こして、粋がるところなどまさしく田舎侍そのものの発想である。
事ほど左様に新しいことに尻ごみする風潮というのは名古屋人の特徴ではないかと思う。
しかし、物作りの現場では常に効率を考えて仕事をしているわけで、そこでは古い仕方のままということはあり得ない。
常に革新を目指しているが、物を作らない人、口先だけの生業の人は、人の振る舞いに様々な難癖をつけてそれを喜びとしているのである。
物作りの現場は苦しい作業の連続で、如何に手を抜いて同じ効率を上げるか、と常に考えていると思う。
その発想がテクノロジ-の進化に繋がっているように思えてならない。
物作りという狭い領域では常に革新を無意識のうちに実践しているが、自分より上の権力者が金太鼓の鳴り物入りで押し付けてくるイベントには抵抗を示す、というのはある意味で反骨に見えるが、裏を返せば地域エゴに他ならない。
地名と地域の土俗性との間には関連性があるようにも見えるが、この本でもそれを断定するには及んでいない。
つまり確かな事は判らないという事で、それはそれでいた仕方ないが、所詮、地名というのは何故そうなったかははっきりとした事は判らないという事なのであろう。
町村合併で新しく出来た名前ならばそのいきさつは単純明瞭であろうが、太古からの地名は、そういう訳には行かないのも無理からぬことである。
地元に住んでいると、何に気なしに無意識で使っている地名が、この本を読んでみると新鮮に見えてきたことは確かである。

「普通列車の謎と不思議」

2011-12-24 08:26:55 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「普通列車の謎と不思議」という本を読んだ。
著者は谷川一巳という人だが知った人ではない。
内容的には鉄道ファンの雑学的な知識の切り売りに近い内容であるが、普通列車にこだわった論旨が面白い。
鉄道好きというと、大方の人が特急列車のような優等列車に関心を向けるのが当り前であろうが、敢えて普通列車にこだわっている点がユニークである。
前にも述べたが、鉄道業界の仕事も奥行きが深くて、広く深く掘り下げて行けば興味が尽きないものがあることは良くわかる。
普通列車に関する記述だけでもこれだけの本が書けるわけだから、鉄道全般について語るとなるとテーマは尽きないに違いない。
鉄道と言えば、昔は国鉄であったものが今はJRというようになったが、このいきさつについては鉄道ファンとはまた別の視点が必要になるのではなかろうか。
国鉄、日本国有鉄道が民営化されてJR各社になる最大の理由が、採算性の問題であったように記憶しているが、この採算性の悪さの根源は、一つや二つの理由があったわけではなく、労働組合との確執が最大のネックであったわけで、民営化という事は組合つぶしの要因を含んでいたことは自明のことだと思う。
私の素人考えでは、日本国有鉄道の理念は、日本全国津々浦々に至るまで国民の足としての鉄路を確保することでなかったかと思う。
今流の言葉でいえば、交通弱者の救済という言い方になろうが、日本のどんな僻地にも移動の手段を確保しておくための施設としての日本国有鉄道であったのではなかろうか。
だから国鉄の理念からすれば、赤字路線であったとしても黒字路線の利益を再配分することで、僻地の鉄路を維持することが前提で、国鉄の存立という事が考えられていたのではないかと思う。
それを採算性の面からのみ考えて、赤字路線をあっさり切り捨てるというやり方は、合理的ではあるが日本国有鉄道の理念とは相容れないわけで、それだからこそ7社の民間企業に分割したという事であろう。
我々が考えなければならないことは、採算性の悪化の部分に、組合員の横暴という経営実態があるわけで、組合員が健全経営に協力しなかったから採算性の悪化を招き、それが組合つぶしの理由つけとなって、民営化が推し進められたという事だと思う。
国鉄の採算性が悪いという実態は誰に対しても公開できるが、組合つぶしという事はそれとは逆に誰に対しても口にすることが憚れることで、こちらは表面化していないが、内実はその辺りにもあると考えられる。
旧国鉄の組合を詳しく知るものではないが、普通に世間で言われている話としては、戦後、敗戦によって旧満州の満鉄の社員を大勢い引き受けたが、それが占領政策の合理化の要求によって人員整理を強いられ、それを受けて労働組合員が先鋭化したという背景があるようだ。
組合員の中に共産主義者が大勢潜入して、過激な要求を繰り返し、普通の常識では飲めないような要求を強いて、常軌を逸した組合運動を展開したので当局側の反発を招き、労使交渉が泥沼化してしまったので、その打開策として採算性の重視という企業の本質を突く大義名分で民営化が推進されたのであろう。
この国鉄の組合の中に潜り込んだ共産主義者にとっては、国民の利益でもなく、国鉄の利益でもなく、組合員・労働者の利益でもなく、ただただ国家を騒乱状態にもっていくことが彼らの至上命令であったわけで、国労、動労の内部からそういう破壊分子、共産主義者、共産党員、その他の過激な分子を排除する自浄作用が出てこなかったところが民営化に転がり込んだ最大の理由であろう。
鉄道の仕事をしようという人に、嫌々その業界に入っていった人はいないと思う。
昔、戦後しばらくの頃、デモシカ先生というのが居た。
大学は出たけれど就職難で職がないので先生「デモ」するか、先生「シカ」できないと卑下した言い方であるが、こういう人はその業界に嫌々ながら入らざるを得なかった、と言うことはあったかもしれない。
ところが、鉄道マンに嫌々その仕事に就いたという人はまずいないのではないかと思う。
普通の民間企業の労働組合ならば、自分の企業が潰れてしまうような無理な要求を出せば、自分達が路頭に迷うようになってしまいかねないので、おのずから要求にも自制作用が働くけれど、国鉄の組合の場合、経営の後ろの居るのが政府という事なので、常識を逸した要求をしてくるわけで、その部分に自制作用とか、普通の常識とかが通用しない部分があった。
それは組合というものが共産主義者に乗っ取られてしまっており、彼らに組合運営を牛耳られてしまっているが故に、こういう事態を招くのである。
共産主義者或いは共産党員というのは国家の利益とか、国民の利益とか、普通の人々の福祉ということには全く無関心なわけで、日本国内を騒乱状態、混沌とした状態にもって行くことが彼らの使命なわけで、そういう方向に運動をしていたのである。
こういう共産主義者と共産党員に支配された労働組合を潰す事が目的で民営化という事業が推し進められたに違いない。
採算性云々という話は、組合つぶしということをはっきり言えないので、その方便として採算性を持ちだしただけで、国鉄の組合の労働慣行というのは、大いに研究の余地があると思う。
だが、その情報はあまり外部に漏れてこない。
この世の中にはいろいろな職業があって、その職業による働き方もさまざまであろうが、その中でも鉄道関係者の働き方は複雑怪奇であろうと想像はする。
始発列車と終列車、終点と始点での運転手と車掌さんの配置、その間の保守点検等々のことを考えると素人では想像もつかない態様ではないかと思う。
だからこそ、その内部の仕事の仕方は普通の人にとっては不可解に見えるが、それが普通の会社の勤務態様とは大きくかけ離れたものになっているのではないかと思う。
問題は、そういう複雑な仕事を推し進めている人が、普通の常識を兼ね備えた人達ならば何ら危惧することはないが、それをする人が共産主義者となると甚だ困るわけで、それだからこそ民営化が推し進められたという事だと思う。
「共産主義者を差別するな」という論理は一見整合性があるかに見えるが、ならば彼らが普通の常識人として行動すれば、普通人として差別することなく扱えるが、彼らは自分たちの体制や規範や倫理観をことごとく否定する行動をとっているわけで、いわば自分の祖国を潰そう潰そうと画策していたのである。
自分の祖国を壊そうという人間に対して、普通の国民がフォローできるわけがないではないか。
戦後の日本の政治は、こういう人達によって常に批判に曝されてきたわけで、自民党政治がすべて良かったというわけではないが、戦後の復興を成したのは左翼思想の対極にあった保守本流の政治がそれを成したことは認めざるを得ない。
私自身の生き方も70年を越してしまったが、その間鉄道の発展もつぶさに見てきたわけで、鉄道という社会的インフラも実に良くなった。
しかし、こういう人間の進化というものは、ただ一国だけの実績でなりたつものではないように見える。
例えば、日本の敗戦、今から66年前の日本はそれこそ廃墟で、大都市は全て焼け野原に過ぎなかった。
それが今ではビルの林立になっているが、この光景は何も日本だけのものではない。
日本が侵略したとされる中国では、国鉄を解体に導いた共産主義者とその党が、自分達のつまり彼らの同胞を殺し、粛清し、下放し、血祭りにあげながら日本の復興の後を追いかけて今日に及んでいる。
第2次世界大戦が終わってからというモノ、アジアの復興、進展というのは、日本だけが復興し延びたわけではなく、世界中がそれなりに進展したわけで、そうであるとするならば、モノの考え方もそういう状況に合わせた発想にならなければならなかったに違いない。
それが国鉄の民営化という形で露呈したと言える。
つまり合理性の追求であり、採算性の優先であり、古典的な理念の払拭であったと考えられる。
古典的な理念の払拭という部分に、国鉄の中だけの問題ではなく、その外側で起きたモーターリゼーションの勃興という事が、国鉄という存在を片隅に追いやったと言えるのではなかろうか。
山間僻地の庶民の足であった国鉄の赤字ローカル線が、車という戸口から戸口への移動を可能にする文明の利器が普及することによって、存在意義を失ってしまったわけで、これはある種の産業革命でもあったという事だ。
ところがこの車というものがガソリン、いわゆる石油、化石燃料に依存しているわけで、それを輸入に頼っている我が国の立地条件から、再び車に対する新たな見直しの機運が出て、再び公共の交通機関が脚光を浴びるようになった。
これは時代の大きなうねりに翻弄されている図だと思う。
66年前の状況が瞼にこびりついている旧世代のシーラカンスとしては、公共の乗り物というのは乗車率100%で採算がペイすると思っており、空気を運んでいるような状態では採算割れすると思っていたが、これはどうも間違っているようだ。
昨今の風潮としては、隣の人と体が触れ合う混み方というのは、人権にかかわる問題という感覚のようだ。
つまり、公共の乗り物というのは、がらがらの状態こそが人権に配慮した乗り物であって、押し合いへしあいするような乗り物は公共企業として失格だという認識である。
だとすればこれはコストを天文学的に高騰させる要因であるが、そのコストは国なり行政が負担せよという論法になる。
こういう発想は基本的に間違っているが、庶民の側からすれば、自分の都合の良い時に来て、何時でも座席が確保できて、料金が安ければこんな良いことはないわけである。
そういうものを他者に望むという事は、そのコストをだれが負担するかという議論抜きで、自分たちの都合の良い要求のみを羅列する庶民に対して、それを諌める発言があって当然である。
ところが、世の知識階層というのは、庶民を諌める発言に極めて臆病で誰もそれを言わない。
国鉄の民営化の時も、民営化すべきかそれとも僻地の交通弱者の便を計るべきか、相当に議論がなされ、その結果として分割民営化なされたものと考えるが、この時の隠れたテーマである組合つぶしの方は、一向に表面化していないところは日本の政治の極めて老獪な部分だと考える。
今、私の関心は、この組合の思考を旗を振って応援した戦後の日本の進歩的知識人の存在である。
戦後の日本民族の大きな社会問題においては、どの闘争においても、進歩的知識人という人が反対派の方に与するわけで、政府、与党、自民党が国民のためにと考えて施策する計画を、ことごとく反対してきた実績をどう考えたらいいのであろう。
進歩的知識人と称するオピニオンリーダ-が、自分たちの政府をフォローするのではなく、盾突いてばかりいて世の中が良くなるわけがないではないか。
人が何か大きな仕事を成そうとすれば、賛否両論が出ることは極めて自然なことである。
だから、民主主義というのは、大勢の意見の方を実践すれば、大勢の人が幸福になるであろう、という発想できているが、それでは反対意見の人は不満なわけで、此処で我々日本民族の優しさが顔を出して、反対意見の人の納得をどうして得るかということになるのである。
基本的には、反対意見の人に、賛成に回るように納得させる術などあり得ないが、だからと言ってそういう人をきっぱりと切り捨てることが出来ないわけで、問題がこじれにこじれるのである。
民主主義が多数決原理であれば、少数意見はきっぱりと切り捨てるべきである。
多数意見に従わない人は、それ相応に決められた処置をすべきであるが、此処で我々の温情主義が顔を出して、「それでは可哀そうだ」となるから先方が突け上がるのである。
国鉄の組合員の話に戻せば、違法ストをした人はルールに従ってきっぱりと処分すべきで、あくまでも法の枠内での労働組合の権利の行使にとどめておくべきで、法を乗り越えた違反者を組合員が擁護し、庇い合い、助け合うからだらだらだらと混迷が続いたのである。
この部分に戦後の日本の知識階層が判ったような、物分かりの良い、日和見で、良い子ぶった態度を示すから、自分たちの立ち居振る舞いに整合性があると錯覚したのである。
民主主義社会の中で、多数決原理で物事決めることが前提となっている中で、少数意見を尊重していては、民主主義そのものを否定することに繋がるではないか。
問題とすべきは、この単純で明快な原理原則を、日本の知識階層、大学教授やメデイアのトップや、様々なシンクタンクの人々が理解せずに、自分達の選出した政府・与党に反旗を翻している現実である。
主権国家のオピニオン・リーダーと称せられる人々が、政府に盾突くような国家が良い国であるわけがないではないか。
政策や施策に対する賛否両論は当然あるが、それと反対闘争のやり方は別の次元の問題で、政府のすることが気にくわないからと言って、国労や動労の組合活動を支援したり、成田闘争の反対派を支援するという事は、正義の履き違いだと思う。

「つながる読書術」

2011-12-22 17:22:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「つながる読書術」という本を読んだ。
著者は日高隆氏であるが、知らない人なのでウキぺディアで検索してみた。
本文中にもちらりと述べられていたが、本人は学生時代は学生自治会の先鋭的な闘士であったようで、私とは対極の思考の持ち主にように察しられた。
いわゆる全共闘世代のシーラカンスのようなものではないかと勝手に想像している。
若い時には共産主義に傾倒して、ユートピアに憧れを抱き、風車に立ち向かうドンキホーテを演じていたということであろうが、その残滓が完全に消え失せてはいないように見える。
若い時にある特殊な思考に身も心もささげたという実績は、そう簡単に消え去るものではないようだ。
私自身の体験からしても、若い時の5年間の自衛隊生活というのは今に至っても自分自身の心の糧として息づいているわけで、それと同じことがこの著者についても言えていると思う。
若い時に精神の襞に沁み込んだ左翼思想、既存の体制に対する批判精神というのは、いくら歳月を経ても完全に転向出来るものではない筈である。
それが彼の文章の端はしに滲み出ている。
しかし、私が驚いたのは、彼は年間600万円も本を買うという事だが、ウキぺディアの説明のニュアンスから察すると、どうも彼には虚言癖があるようなイメージを抱かざるを得ない。
「年間600万円も本を買う」という本人の言葉が真実かどうかはさておいても、600万という数字は、中国の白髪3千丈という類の誇張した言辞ではないかと思うが、それはともかくとして多額の本代を払っているという事は真実であろう。
本文の後半部分で、「図書館については良い印象を持っていない」という本人の弁は、正直な本音の言い分だと思う。
図書館の愛好者である私自身は、自分自身の立ち位置が、作家や出版社にとっては疎ましい存在に違いないという危惧は持っている。
私は近年、自分の金で本を買った記憶がない。
本は数え切れないほど読むが、自分で金を出して買った本は一冊もないわけで、全部図書館で借りてきた本なので、作家や出版社には申し訳ない気持ちでいる。
そして、本を読むという行為は、私にとっては遊びの部分であり、社会貢献の一部分でもある自分史の発行に関しても、出版社に委ねることをせず、全部自分達で編集、校正、印刷、製本をメンバーのボランテイアー活動でしてしまっているので、出版社の儲け口を与えていないという意味で、これも出版社に対して申し訳ない気がしている。
自分史の出版を自分達の仲間内で自主制作してしまっているので、出版社としては商売を取られたようなもので、申し訳ないという思いがしている。
事ほど左様に私は、本を読むことに関しては公共の福祉に頼っているので、本屋さんや出版社に対しては申し訳ない気で一杯である。
この本の著者と私では20年の年齢差があるが、これだけ年齢差があると、書く文章にも隔世の差が出来てきて、大いなる違和感を感じずにはおれない。
我々のような凡庸な人間にとっては、本を読むという事は普通の人がパチンコをしたり、麻雀をしたり、カラオケをするのと同じようなもので、心の慰めでしかない。
そういう意味からして読書が知識の源泉という位置付けではないので、それが紙の媒体であろうが、デジタル信号という媒体であろうが、活字を追い求め、如何に記憶にとどめておくかという問題は、2次的なことである。
基本的に、教養というのは一度記憶に留めた知識を如何に表現化するかという事だと思うが、彼の場合、貯め込んだ知識を再披瀝することで、それを金儲けに繋げているわけで、その意味では確かに「つながる読書」であった。
ところが私の場合の読書はあくまでも遊びなわけで、最初から金儲けなど眼中にないわけだから、その意味で自由闊達に対象を選択できる。
私も出来れば自分の読みたい本を自分の金で購入して、読んだ後は自分の本棚に並べて、それを眺めて悦にいった気分でいたいのは山々だが、なにしろ貧乏なのでそういう余裕がないだけの話である。
金は無くとも本は読みたいわけで、それがため図書館に走るということになるのであるが、この図書館というのが解放され過ぎている感がする。
若い母親が赤ん坊同伴で来るのはまだ許せるが、ホームレスがあの汚い服装のままで椅子を占拠し居眠りしている図は何とも言いようの無い不快感を覚える。
ホームレスに「図書館に来るな」とも言えないように思う。
しかし、普通の市民からすれば、薄汚いホームレスが使ったスペースを、後から使うという事はやはり気分的に嫌なものだと思う。
図書館というものが公共施設として誰でもが差別なく利用できるという制度を逆手にとって、ホームレスの安楽の場所となっては、納税者としては甚だ困る事だと思う。
ホームレスの立場からすれば、無料で使える冷暖房完備の施設なわけで、本を一冊でも膝元に置いておけば1日中幸せな気分で居れるに違いない。
赤ん坊同伴の母親の入館ということも、私達が若かった頃にはあまり見かけなかった光景だと思う。
こちらの方は、それこそ行政サイドが入館を拒否することもできないわけで、ある意味で究極の民主主義社会でもあるということになる。
図書館から本を借りて読むという行為は、基本的には貧乏人の発想であり、思考であるが、図書館の利用の仕方を見ると、まさしくその通りの浅ましい利用の仕方をする人がいるものだ。
私の利用している図書館では1枚のカードで一人10冊まで借りれるらしい。
私は一度に10冊も借りても、期限内に読み切れないと思うので、そんなに極端なことはしない。
しかし、若い母親と思しき人達が、外車で乗り付けて、目一杯の10冊を借りて、他人のカードでも目一杯借りて、大きな袋に入れて抱えて帰っていくが、ああいう姿を見ると、人間のあさましさ、さもしさを目の当たりにした思いがする。
外車を乗り回すほどの余裕があれば、「本ぐらい自分の金で買え」と言いたくなるが、車に掛ける金はあっても本に掛ける金は無い、という現実なわけで、これはそのままその人の教養のありのままの姿ということであろう。
本を読むという行為は、様々な欲望を満たす手段としての行為であることは間違いないわけで、知識を増やすという動機もその一つではあるが、それのみではない。
読書が娯楽という人もいるわけで、こういう人たちにとっての読書というのは浪費以外の何ものでもない。お金の浪費、時間の浪費、努力の浪費、スペースの浪費、等々、本を読むという行為そのものが浪費そのものなわけで、出版界としてはこういう顧客を開拓しなければ、出版界そのものが尻すぼみになることは当然の帰結である。
本を読むという浪費を促進するツールとして、デジタル機器が登場してきたわけで、こういうモノの出現は、時代の趨勢であって、避けようがない。
ならば出版界も読者の側も、新しい機器に如何に対応するか、と知恵を絞らざるを得ないのは当然の成り行きである。
この著者は、国会図書館が蔵書の全てをデジタル化することに一抹の危機感を抱いているが、これも時代の趨勢と見做さなければならない。
18世紀から19世紀に起きた産業革命は、従来の価値観を根底から覆してしまったが、20世紀末から21世紀初頭のデジタル革命も、この世の価値観を根底から覆してしまった。
こういう場合、我々日本人の発想だと、「時代の趨勢に乗り遅れた人を救済しなければならない」と偽善ぶった議論が出てくることが最大の問題である。
「乗り遅れた人は、自分で這い上がれ」という発想には至らないのである。
時代の趨勢に乗り遅れた人は、自己責任で乗り遅れたのであって、自分の未来予測が間違っていたか、油断していたか、怠けていたから乗り遅れたわけで、こういう発想をすると、我々の同胞は極めて嫌な顔をするが、この民族性が日本を腑抜けにするバックボーンだと思う。
戦後の復興がなって、日本にモーターリゼーションの波が押し寄せて来た時、「車は走る凶器と化すから利用しない」という人は、自分の未来予測に自分で蓋をして、交通事故の増加傾向を同胞の付和雷同性の所為にして自分を弁護していたが、これと同じことが産業革命や知識のデジタル化についても言える。
私のように、後期高齢者と言われる世代になると、さすがに電子機器を使いこなすには頭脳がついてこれないが、ゆっくり使う分にはできないこともない。
しかし、こういう世代はもう先行きが短いのは自明のことなわけで、新しいデジタル機器に挑戦するよりも、従来の紙の媒体に頼った方が楽なことは当然である。
これこそが時代の趨勢に乗り遅れる最大の理由なわけで、デジタル・ディバイスそのものだと思う。
この本の言うところによると、今、日本では年間8万冊の本が出ているそうだが、いくら国会図書館が蔵書のデジタル化を進めても、全てをデジタル化することは並大抵ではない筈である。
この数字。年間8万冊の本が出版されるとすると、書く側の人も8万人以上おり、それに輪を掛けて読む人がいることになるが、果たして本当にそんなに本を読む人が居るものだろうか。
私は自分では殆ど本を買わないが、図書館に行ったり、大型書店を覗く度にいつも思う事は、一体これだけの本を読む人が果たして本当に居るのだろうかと、不思議で不思議でならない。
出版業界の裏事情等私が知る由もないが、返品も数多くあるという事は聞き及んでいる。
ところが、一度、本としてできたものを返品するという事は、普通の商品ならば根源的なミスなわけで、商品として価値のない物を売ろうとしたという事ではないかと思う。
だとするならば、その本を出版しようと考えた企画立案者や出版のゴウサインを出した人は、そのミスの責任を負わなければならないと思う。
そういう事を考えれば、この資本主義尾社会の中での出版業界の在り方というのは当然のこと売れる本を出すという単純な結論に帰着する。
本として売れる条件というのは当然のこと、著者の知名度に大きく影響されるわけで、知名度の高い人の本ならば消費者も買ってくれるが、知名度がなければリスクは大きくなるということっである。
よってゴーストライターの出現ということになるのであろうが、軽い内容の本ならば、それはそれで由とすべきだと思う。
出版業界のみならず、エンターテイメントの世界でも同じであるが、日本の内側といわず世界的にも数限りない賞が設けられて、年に一回表彰式が執り行われているが、これも基本的には出版界や映画界において、作品に大いなる付加価値を付けるための仕掛けに過ぎないと思う。
優秀な作品を顕彰するという大義名分は、如何に作品を消費者に買わせるかという、商売のテクニックをカモフラージュする煙幕に過ぎず、何ナニ賞受賞作品という付加価値を高めて、その作品を消費者に買わせようという魂胆だとにらむ。
ただ、そういう著名な賞を受賞した作品だから、内容もそれに応じた価値があるかというと、これは甚だ難しいわけで、作品の良さというのは読む側に認定権があるわけで、人が良いと言ったから自分も必ずそれが良いとは思えないものも数多くある筈だ。
そもそも人が書いた作品を、良い悪いと評価すること自体おこがましい言い分だと思う。
自分の感性に「合うか合わないか」という見方ならば成り立つであろうが、「良い悪い」という評価はあり得ないと思う。
ある人が一生懸命書いた作品を他者が読んで「良い悪い」という評価をすることは余りにもおこがましく傲慢な態度だと思う。
自分の感性に「マッチするしない」、あるいは自分にとって「面白かったかそうでないか」という評価が言えるが、「良い悪い」という評価をするには、評価する側にそれだけの器量があるかどうかが問題だと思う。

「シベリア神話の旅」

2011-12-20 18:03:32 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「シベリア神話の旅」という本を読んだ。
図書館に本を返却に行ってふと新刊書のコーナーを見ると購入したばかりの本が並んでいたので、その中から選んで借りて来た。
表紙にシベリア鉄道の列車の写真があったので、ついつい衝動的に手が出てしまったが、家でゆっくり読み始めて見ると、さっぱり面白くなかった。
しかし、そう思いながらも最後まで読んでしまたった、という事は結構おもしろかったのかもしれない。
要するにシベリアの民話を集めたものであって、民話であるから荒唐無稽な話ばかりで、読んでいても面白くないと感じたに違いない。
ところがシベリア各地で採取した民話の内容にはいささか興ざめな部分があるが、問題は、それを語る側の人々の存在がどうにも不可解に見える。
今の中国は50近い民族を内包していると言われているが、シベリアにもそれと同じような状況があるらしく、シベリア各地にいる土着の人々は、それぞれに民族が違っているようだ。
私の認識では、シベリアに居る土着の民族は、朝鮮族ぐらいしか思いつかないが、どうしてどうして全然違う民族がそれぞれの地域に散らばって生きたようだ。
私の関心は、そういう人々がロシア革命と、その後の第二次世界大戦から冷戦の時代をどういう風に生き抜いてきたか、という方が興味の対象になる。
ところが、そういう人々の根も葉もないうわさ話の類としての民話は集められているが、そういう人々の生の生活体験というのは一言も述べられていない。
表紙のシベリア鉄道の列車の写真を見ても、この鉄道の存在は恐らく彼らの生活に何らかの影響は与えたと想像するが、そういう話には一言も言及していない。
幼児に聞かせるおとぎ話のようなものに、知のシーラカンスが興味を持つわけがない。
こういう現住民に対して、ロシア革命の成した影響、大二次世界大戦で、ヨーロッパ戦線から中国東北部に戦力を移した時に、現地人は如何なる影響下に置かれたか、という現実の問題には大いに興味があるが、私にとって民俗学の昔話などに興味が湧く筈もない。
シベリアという地域は、ロシアにとってはどこまでも未開地なわけで、そこを如何に開発するかはロシアの抱えている根本的な命題の筈で、旧ソビエット連邦の時、ソ連に体制下で、これらの諸民族は如何に生かされていたのかが最大の関心事である。
こういう民族は中国には50もあると聞き及んでいるが、アメリカではネイテイブ・アメリカンと称して、本来は大威張りで大地に君臨できたものが今では居留地というエリアに押し込められた形になっている。
アマゾンの奥地には今でも文字や火を持たない未開人がいると聞き及んでいるが、こういう現実をどういう風に捉えたらいいのであろう。
アフリカの奥地では新しい国家が次から次へと誕生しているが、その大部分は、こういう未開な諸族の未熟な国家建設なわけで、当然未開なるが故に不要な殺傷が数限りなく起きているという事だと考える。
そういう諍いが日常化していると思うが、彼ら自身、人間の命の尊さに無関心だし、人権についての意識が希薄なので、無益な殺生にも鈍感である。
そういう未開な民族の中に近代文明は何の前触れや予兆もなく浸透して行くわけで、此処で価値観の格差や、民主化という概念のアンバランスが生じるわけで、そういう結果として無用な殺傷が必然的に起きると言うことになるのであろう。
未開な民族が精神的に未開なまま文明の利器に触れると、物質文明の間違った使われ方が行われ、そのことによって、それこそ無用な摩擦が生じると思う。
その格好の例が、イラクやイランというアラブ諸国と西洋先進国の文化の衝突となっている例である。
アラブ人がアメリカに反感を持つのは、自分達の怠惰を棚に上げて、アメリカの物質文明の進化に怨嗟の気持を抱いているわけで、これは生き方の違いの問題であり、価値観の違いであるわけで、アメリカが空からドル紙幣をばら撒けば是正されるという話ではない。
そういう事が、このシベリアの現住民とロシア人の間にあるのではないかと思うのだが、そういう話は一言も出ず、ただの子供騙しのうわさ話、昔話、年寄りのくりごとのような話を読んでも、私としては面白くもなければおかしくもない。
しかし、こういう人々は、物質文明とは無縁のところに住んでいるわけで、欲望というのもそれに応じて少なく小さいので、彼ら自身は幸せな人生を送っていると言えるかもしれない。
快適な家も、豪華な車も、便利なテレビも、機能的に優れたパソコンも、最初からその存在すら知らなければ、そういうモノを欲しいという欲望も起きないわけで、日暮れ腹ヘリの、ごくごく自然な営みの中で心安らかに生きれるとも言える。
我々は文明の利器に取り囲まれて、見るもの聞くもの、皆自分のものにしたいという欲望に突き動かされて、あくせく働いているだけで、そういう衝動に突き動かされなければ、極めて心穏やかに、自然のままに、生を維持できるに違いない。
どちらが真の人間の幸せかは本人の選択次第だろうと思う。

「ナチを欺いた死体」

2011-12-16 18:10:24 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ナチを欺いた死体」という本を読んだ。
いつものように借りた本を返却しに行って、ふと新刊書のコーナーを見ると、購入したばかりの本が並んでいる中にあった。
相当に分厚く重厚な本であったが、まだ誰の手垢もついていない新品の本で、読み始めると面白くて止まらなくなってしまい、家内が用があって呼んでも聞こえなかったので、てんやわんやの大喧嘩になってしまった。
それほど熱中して読み耽った。
ヨーロッパにおける第2次世界大戦において、枢軸側が破竹の勢いでヨーロッパ東部に攻め入ったが、その中で連合軍側、特にアメリカとイギリスは、地中海側からヨーロッパに攻め入ろうと考えていた。
ドイツ、イタリアという枢軸側がアフリカ戦線で連合軍側におされぎみで、アフリカに地歩を維持できなくなったころ合いを見計らって、連合軍側はアフリカからヨーロッパに攻め入るコースを必然的にとっていた。
そういうコースは有史以来何度も例があるわけで、その中でも普遍的な手法は、シチリアを占領支配して、そこを足掛かりとしてヨーロッパ本土に攻め入る、というコースが有史以来の人類の普遍的な原則であったようだ。
人類の普遍的な原則であるからには、誰が考えてもそういうコースになるわけで、枢軸側も連合軍側も、発想は同じになっていた。
シチリア島の重要性は枢軸側も連合軍側もその時点では同じであったが、そこを現実的にはドイツが占領中で、ドイツはその普遍的な価値観に基づいて、そこの防備を強化していた。
連合軍側も、地中海からヨーロッパに攻め入るにはそこにあるシチリア島を足場にしなければならないので、そこを自ら占領すべく画策したわけで、その為に考えられたドイツ欺瞞作戦がこの「ミンスミ―ト作戦」という欺瞞工作であった、いう事だ。
シチリア島に上陸して、橋頭堡を作りたい連合軍側は、この地のドイツ軍の兵力をできるだけ殺ぎたいわけで、その為に偽情報を流して、連合軍はギリシャと地中海西部への上陸を画策している、とドイツ軍に思い込ませたわけである。
ドイツ軍側に対して、連合軍はギリシャと地中海西部に上陸するから、そちらの兵力を強化すべくシチリアの兵力をそちらに回すように仕向け、騙したわけである。
その為に、浮浪者の死体に軍服を着せて、偽の命令書を持たせてスペインの沖合で流したのである。
当然のこと、その偽の命令書がドイツ軍の目に留まって、ドイツが連合軍の動きを察知したと思わせるべく、細心の注意が払われたわけで、その過程が縷々記述されているので、その部分が並みの推理小説よりも格段に面白かった。
人を騙すという行為は、我々の知性からすると、人間のシテはいけない行為の筆頭に来ることであって、普通の社会人の倫理感ではシテはならない最たるものである。
ところが、人を騙すという行為は馬鹿では出来ないことで、非常にち密な頭脳労働を要する行為であって、究極の頭の良さが求められる。
こういう行為を我々日本人は詐欺という言い方で糾弾しがちであるが、この詐欺という立ち居振る舞いに対しても、我々日本人とアメリカやヨーロッパ人のようなキリスト教文化圏の人では発想の元の所から考え方に相違があるように思う。
昔、アメリカ映画で『ステイング』というのがあって、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが共演する詐欺師の話であったが、この映画もメチャメチャ面白かった。
架空の場外馬券売り場を作って、ギャングの親分から架空の競馬で大金を撒き上げるという痛快極まりない話であったが、この中でも詐欺を悪い事だという認識に立っておらず、騙される方がバカだ、という認識に立ってストーリーが展開している。
我々の卑近な例で詐欺と言えば、あのオレオレ詐欺が身近な例であるが、これに対する普通の人々の普通の反応は、引っ掛からないように被害者の立場に立って、被害の出ないようにという発想であって、騙された人が可哀そうだという認識である。
ここでは「騙された方がバカだ」という認識は微塵もないわけで、騙された人は気の毒だ、可哀そうだという被害者意識のみが顕著で、騙した側が如何に悧巧だったかという視点は全く見られない。
オレオレ詐欺とは次元の違う話であるが、以前、香港へツアー旅行した時、いかがわしい土産物屋に連れていかれて、そこでロレックスの時計を買った。
日本に着いた時にはもう動かなかったが、明らかにインチキ商品であったにも拘らず、私が知らぬ振りして買ってやったのは、相手に対するサービスのつもりであった。
ツアーで極めて安い料金で香港旅行ができるのは、こういう商売屋がツアー会社と組んで、客を融通し合いをしているからと考えたので、わざと騙されてやったわけで、最初から偽物だと承知で買ったので惜しくもない。
究極の偽物として今でもそのまがい物のロレックスは記念に取ってある。
人を騙す行為は、人倫も執る卑劣な行為であって、普通の社会的な倫理観としてはもっともなことで、それが許される行為という事はあり得ず、犯罪として扱われるのももっともな事ではある。
この本で描かれていることは、全て謀略という言葉で言い表せるが、国と国、或いは民族と民族が戦争を極限まで回避しようとすれば、最後は相互の謀略を張り巡らすということになるのではなかろうか。
外交交渉というと聞こえがいいが、要するにこれは謀略の一環なわけで、お互いの国益を賭けて話し合いをしているわけで、何処かで妥協すれば、その妥協に見合うだけの目に見えない利害があるからこそ妥協案を呑むわけで、そうそう聖人君子の腹蔵の無い話し合いなどというものはないと思う。
そういう意味で、我々は西洋列強と様々な駆け引きを経て今日に及んでいるが、その分、あらゆる場面で彼らの術中に嵌っている部分があるのではなかろうか。
この本の内容も、完全に成功した例なので、戦後、公開されたが、こういう謀略をそのまま公開する行為はお互いの利害得失が付いて回るわけで、そうそう何でもかんでも公開されているわけではないと思う。
この事例を見ても、我々、日本民族というのは、こういう謀略には極めて稚拙で、戦時中に関東軍の起こした様々な謀略も、全てネタばれしてしまっている。
ネタがばれてしまうような謀略では、謀略の意味を成さない。
ただの犯罪に過ぎず、そのただの犯罪を普通の犯罪としてきちんと処理しなかった所が、昭和の時代の奇態な部分で、それが高じて日本は焼土と化してしまったという事だと思う。
こういう事は我々、日本民族は基本的に不得意で、我々は正面から「やあやあ我こそは何の誰べえの家臣の……」というように、大音上で名乗りを上げての公明正大な正攻法しか価値を置いていないわけで、これは極めて小児的な正義感としか言いようがない。
しかし、この謀略の話は実に面白い。
一人の浮浪者の死体に、イギリスの高級将校の服を着せて、偽命令書を持たせて海に流し、ドイツ軍の兵力の軽重を動かしてしまったという事だ。
それにイギリス政府も秘密裏に協力し、ドイツ軍がまんまと騙されてしまうということは、連合軍側も枢軸側も、組織が組織として実に円滑に機能していたということでもある。
情報が伝達ゲームのように途中で歪曲されることもなく、そのままドイツの作戦本部の上層部まで、脚色されることもないまま、上がっていってしまったということである。
この時代の連合軍と枢軸側のスパイ合戦というのも実にすさまじいものではなかったかと思う。
スパイと二重スパイを上手に使いこなす、使い切るという発想は、我々日本人には思いもつかない発想であろうと思う。
我々は敵のスパイを見つけたならば、その場であっさり抹殺して、それで良しとしてしまうが、捕獲したスパイを自分達で使うということは、我々の思考では思いつかない発想である。
日本におけるスパイといえば、当然のこと、リヒアルト・ゾルゲであるが、あのゾルゲを上手に使い切れば、たった1週間の参戦で北方領土をソ連に取られることもなかったかもしれない。
ゾルゲを使い切るという意味は、ゾルゲを日本側に転向させてソ連の情報を得るという意味ではなく、ゾルゲに偽情報を掴ませて、ソ連をして8月15日過ぎまで日ソ不可侵条約を守らせるという意味でのことである。
しかし、このリヒアルト・ゾルゲの存在は、あの第2次世界大戦に今までの評価以上に大きなものがあったかもしれない。
ゾルゲはスターリンからはあまり評価されていなかったようだが、スターリンがヨーロッパ戦線で勝利を得た背景には、ゾルゲの送った情報が大きなウエイトを占めていたのではなかろうか。
ゾルゲの嗅ぎつけた「日本は南に出る」という情報があったればこそ、ソ連はヨーロッパ戦線に大きな兵力を集めることが出来たわけで、この情報がなければソ連は自分の国の東と西に兵力を分けねばならず、ヨーロッパの勝利という事はあり得なかったに違いない。
ヨーロッパで勝利を治めておいて、即刻、その兵力を全部東に回して、戦線が整った段階で日本に対して宣戦布告をしてきたわけで、これも突き詰めれば究極の謀略でもあったと考えられる。
その意味ではこの本に述べられているミンスミート作戦と同じレベルの功績があったに違いない。
もっとも国際条約を破る、同盟関係を破るというのは、国際政治・外交の中では普通のことで、条約を結んだから安心だ、同盟を取り付けたから安心だ、というのは余りにも無知に等しい。
ソ連という立場に立ってみると、リヒアルト・ゾルゲのソ連に対する貢献は実に大きなものがあったように見える。
ここで私としては尾崎秀美の存在が大きくクローズアップされるわけで、彼は何故に祖国を売ったのであろう。
ゾルゲの功績は尾崎秀美あってのもので、彼は何故に自分の祖国を共産主義国のソビエット連邦共和国に売って、スターリンに媚びを売ったのであろう。
それほど彼は自分の肉親や、友人や、同僚や、親戚縁者や、政府或いは軍人、その他自分の同胞が嫌いだったのだろうか。
私の勝手な推測としては、尾崎秀美という人物は、共産主義体制のソビエット連邦の実態を知らずに、それこそ敵の実態を知らないまま、ただ単に共産主義という理想を夢見て、そのユートピアの建設にあこがれていただけに人物ではないかとさえ思えてくる。
国を売って金を得るという発想は、我々日本民族に限っては、尾崎秀美以外に出てこないであろうと思う。
スパイという事を考えて見ると、ヨーロパではスパイというのは普遍的に存在するわけで、イギリスでもドイツでもソ連のスパイが政府の組織の相当な高位な部分にまで浸透しているが、こういう祖国の利害を敵側に売り渡す行為、祖国のために敵側の情報を探り出す行為、というものに対する思いというのは一体どうなっているのであろう。
単純に想像すれば、自分さえ良ければ人の事など知ったことではない、という事かも知れないが、自分が生きるという事をそんな風に捉えることが可能なのであろうか。
この本に出てくる、騙す側も騙される側も、決して個人の私利私欲で罠に嵌ったわけではなく、祖国のために良かれと思ったが故に騙し、騙されたわけであって、それはスパイの発想とは、また別のものである。
謀略を仕掛ける側は、それによって自分達のコストを最小限にすることが目的であって、最小のコストで最大の効果を引き出すべく知恵を絞るわけで、この知恵で勝負するという発想は、我々には極めてなじみの薄い概念ではないかと思う。
「孫氏の兵法」を引き出すまでもなく、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのは古今東西変わることのない真理だと思うが、我々は「敵を知る」という事すら受け入れようとせず、敵の真の実態を知れば知るほど、現実から離れた自分達の思い込みを募らせるだけで、合理的な思考から遠のいてしまう。
先に述べた尾崎秀美にしても、ソ連の実態を熟知したうえでゾルゲに協力したわけではなく、ソ連の事態は知らないまま自己中心的な思い込みで協力したとすれば、アメリカの実態を知らないままイケイケドンドンと唱えていた軍国主義者と全く遜色ないという事が言える。
これは一体どういう事なのであろう。
日本とアメリカと対比して眺めた時、どこをどうとっても日本に勝ち目は無かったのに戦争に嵌り込んだ経緯は一体どういう事なのであろう。
日中戦争から対米戦に至るまで、我々の民族は謀略という事とはまったく無縁な正攻法のみであったわけで、スパイの暗躍する場もなかったという事だ。
詐欺、或いは謀略という発想が成り立たないという事は、我が民族は思考が極めて単純で、騙しのテクニクというものが処世術として成り立っていないと言うことだと考えざるを得ない。
戦後に起きた不可解な事件で、下山事件とか、三鷹事件、松川事件というのは旧国鉄がらみの事件であって、共に共産党員が関与しているのではないかと言われている。
ところが、その確証は無いわけで、そのことから推察して、あれはGHQが行ったのではないかと私自身は考える。
共産主義者であろうとも日本人であるからには、あれほど緻密に事件を固めれなくて、何処かでネタがばれそうでならないが、そうでないところを勘案すると、ああいう事件は、キリスト教文化圏の人達の発想でない事にはあり得ないような気が。
日本の昔の関東軍の起こした事件は、発生の時から既にネタばれしているわけで、我々の考える謀略は如何に下手で杜撰かという事を如実に露呈している。
それに比べ、真犯人がこれほど判らないような事件は、我々の発想からは生まれないような気がする。
人間のモノの考え方というのは、そのモノの環境に大きく支配されると私は考える。
東洋では、特にアジア大陸で支配的な思考は儒教思想で、これは「年上のものを敬いなさい、3尺下がって師の影を踏むな」という教えに代表されるように、年長者に従順であることを強調して説いているが、これでは文化文明の進歩は阻害される。
若者が年老いたものの思考を踏み越えて前に進むから文化文明が進化するわけで、それを否定する思考では進化はあり得ない。
それが近世には見事に現れているではないか。
西洋のキリスト教文化圏では、個人という資格で老いも若いも同じ条件下でものを考えることが許されていたが、儒教世界のアジアでは、年寄りを敬う余り、老害が顕著に出て、進歩が阻害されたではないか。
詐欺とか謀略を嫌悪する我々の民族の純朴性は、アジアの民には案外理解されずに、アジアの民、いわゆるモンゴロイド系の人々は、上から熾烈な支配には案外柔軟に対応しうるが、同じモンゴロイドの日本人から親切にされると、今まで人から親切にされたことがないので、その親切という事が理解不能になっているようである。
満州国を建国するについては、下手な謀略で一気呵成に建国にまで持って行ったけれど、我々の理念はあくまでも五族共和であり、王道楽土であったわけだが、こういう綺麗ごとは相手に通用しなかったという事だ。
相手からすれば、日本のスタンドプレーで、日本は満州国を踏み台にして搾取抑圧する、というイメージでしかなかったわけである。
そもそもアジアのモンゴロイドの間には、西洋の紅毛碧眼の人々はまさしくエイリアンに等しく、最初から人間ではないという認識で接している節があるが、これが同じモンゴロイド系の日本人だと、大陸の文化の川下にある倭の国、野蛮人の国というイメージで見るものだから、極めて横柄な態度にもなるのである。
本来、日本に対して横柄で、上位に立ったもの言いがしたいところが、軍事的なパワーでは太刀打ちできないので、そこで彼らもジレンマに陥り、対応が対処療法になってしまったのである。
元々、我々は人を騙すということを、人にあるまじき卑劣な行為という価値観があるので、常に正攻法で立ち向かってしまう。
正攻法で、最初から本音をぶつけるので、逆に相手の反応も大きなものになってしまいがちである。
アメリカサイドでは対日戦に関して、日本が日露戦争で勝利した時点からすでに日米開戦があることを想定して、オレンジ作戦と称するマニュアルを作って、毎年そのマニュアルを時世に合せて修正していたと言われている。
それに引き換え日本の対米戦の対応は、開戦の間際の間際まで、すべきかすべきでないか迷っていたわけで、謀略などの入り込む隙間など微塵もなかったことになる。
それに引き換え、戦後の我々の同胞の中では、戦争という事を机上で論ずるだけでも、それを軍国主義の復活と捉えて糾弾したがる人士がいるが、これは一体どういう事なのであろう。
スパイがスパイとして、自衛隊の配置を他の国に渡して、それなりに金を受け取るというのであれば、それはそれなり違法、或いは非合法であったとしても納得出来る話ではある。
しかし、そうではなくて自分は非日本人として、非日本人の発想を臆面もなく日本という国の中で吹聴しまくって、それで以て糊塗を凌ぐという点が鼻持ちならない。
自分達の国を自分達で守ろうと言うと、それを軍国主義と決めつけるわけで、中国や韓国、はたまた北朝鮮が日本の主権を侵すと、「日本政府の対応が悪い」という言い草を呈するわけで、そう言いつつ日本という国でのうのうと生きているという事は一体どういう事なのであろう。

「ダイヤグラムで広がる鉄の世界」

2011-12-11 09:11:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ダイヤグラムで広がる鉄の世界」という本を読んだ。
我々の世代にとっては、この標題の『鉄の世界』という表現には少々違和感を覚えずにはおれない。
『鉄の世界』という意味は鉄道ファンの世界という意味で、鉄道フアンを『鉄』と省略していう部分が、我々世代には面白くない。
鉄道フアンならばきちんと「鉄道フアン」と全部声に出したとしても、何ら不具合はないわけで、それと『鉄』と縮めて表現したとしてどんなメリットがあるのであろう。
言葉の乱れというのは何も我々日本人だけの問題ではなさそうで、地球上の如何なる民族も、如何なる国家も、大なり小なり言語の乱れという問題は抱え込んでいると思う。
言語が人々のコミニケーションのツールである限り、伝言ゲームのように、意識するしないに関わらず、意図するしないに関わらず、少しずつ変化することは避けられないと思う。
それはそれで仕方がないが、我々の場合、故意に業界用語を使って粋がる傾向があって、この本の場合もで、鉄道フアンと真面目に言うよりも「鉄」と省略して表現した方が何となく一般人から注意を引く狙いが見え見え見えな部分がある。
そういう愚痴はさておいて、如何なる業界でも、その業界の事を深く深く掘り下げて行くと実に面白い。
ただそれは個人の好奇心を満たすにすぎないことであったとしても、好奇心の人一倍強い人にとっては、あらゆる業界を深く広く知ることは、興味の尽きない無限の魅力に満ちた世界だと思う。
鉄道と言えば、地球上のあらゆる子供が、特に男の子であればなおさら蒸気機関車の運転手にあこがれるのが普通の幼児体験ではないかと思う。
普通の男の子に「大きくなったら何になりたい?」と聞けば、大方の子供ならば蒸気機関車の運転手や、飛行機のパイロットというのが我々世代の幼児の普通の思考であった筈である。
そういう意味で鉄道会社の社員でなくとも、鉄道に興味を持っている人は、この世には一杯いるわけで、その鉄道趣味人の中にも様々な態様があるみたいだ。
ただただ列車に乗って喜んでいる人、列車の写真を撮るために全国を走り廻っている人、模型を作って喜んでいる人など、様々な人が鉄道というものを趣味としているのが現状だと思う。
私は、そういう趣味人とも一味違った意識であって、鉄道という業界の裏表を深く広く知りたいと言う、ただただ基本的な好奇心に押されて、知識の幅を広げたいというだけである。
このダイヤグラムという言葉も、随分前から知っていて、実物も見た事があるが、それを見ても鉄道会社の運転手か車掌さんぐらいしかその意味を理解できないのではないかとさえ思う。
鉄道マニアの人ならば常識であろうが、門外漢にとっては何の意味もない代物だと思う。
ダイヤグラムのみならず、マニアにとっては鉄道に関するものならば何でも好奇心を刺激するであろうが、鉄道の業界そのものがマニアにとっての垂涎の的である。
そういう意味で鉄道業界に就職する人も大勢いるであろうが、鉄道の業界も極めて裾野の広い業界なわけで、皆が皆自分の望み通りのポジションを得たわけでもなかろうと思う。
昨今は少子化でもあり、不況でもあって、若い人の就職難というのは慢性化しているが、若い人がなかなか職業に就けない背景には、そういう人達が結構選り好みしているケースが多々あるように見える。
新しい職を得るについて、誰でも楽でペイが良くて、休暇を好きなだけ自由に取得できるような職場が良い事は判り切っている。
しかし、そんなに自分にとって都合のいい職場など、そうそうあるものではなくサラリーマンの大部分は不本意ながら職についても、その職で一生懸命仕事を続けているうちに、その仕事に愛着が湧き、要領も得、面白さもわかってくるわけで、最初から自分に適した仕事等そうそうあるものではない。
若者が自分に適した仕事が見つかるまでアルバイトで食いつなぐ、などという事は怠惰の典型的な例であって、適していようがいまいが、目の前の仕事に精一杯ぶち当たって、打ちのめされるまで挑戦してみて始めて若者だと思う。
若者がある意味で「迷える羊」であることは、人生の経験が少ないという意味で当然なことではあるが、そういう若者にアドバイスすべき立場の人達、例えば学校の先生とか、就職指導の人とか、大学の教授とかが、若者におもねって、本音を言わずに、耳触りのいい無責任な方便をいって言い子ぶった言辞を弄するから若者がその気になってしまうのである。
この世に自分の天職などというものがそうそうあるものではない。
最初は少々気が進まなくても、その仕事に一生懸命打ち込んでおれば道が開けてきて、この道一筋で頑張って見ようという気になるのであって、自分に合った仕事等そうそうあるものではない。
その意味で、鉄道業界に就職できたとしても、全ての人が自分の希望する職種に就けるとは限らない筈である。
しかし、マニアというのは本職よりも部分的な知識については詳しいこともあるわけで、こうなるともう趣味の域を出てしまっている。
私も鉄道フアンと名乗るにはいささかおこがましいが、鉄道のことが好きな部類ではある。
何時の事だかさっぱり記憶に無いが、かっての日本が満州国を支配していた頃、あの地では南満州鉄道というのがあって、超特急アジア号というのが走っていた。
この南満州鉄道、いわゆる満鉄というものに非常に興味があった。
この鉄道はある意味で日本の満州支配のツールでもあったようで、この鉄道の経営から満州という国における経済の状況まで、非常に広大な裾野をもって運営されていたので、それを掘り下げて研究することは極めて意義深い物があると思う。
その中でも私が特に気になっていたことは、中国東北部というのはいわゆる寒冷地なわけで、その寒冷地の鉄路には日本内地とは別の何か目新しいアイデアがなければ鉄路が鉄路であり得ないのではないかということであった。
つまり、ツンドラ地帯で、立ち木の生育も内地とは違うわけで、湖も凍ってその上をトラックが走ると言われているが、そうであるとするならば鉄道のレールにも何らかの対策を講じないと線路が線路として維持できないのではないかと思うが、そこの部分が解らない。
普通の道路でも、冬季には凍りついているが、雪解けになれば当然道はぬかるんで、往来に難渋するであろうが、鉄道でも同じことがあるのではないかと思う。
その意味で旧ソ連、昔のロシアのシベリア鉄道は何かの対策を持っているかもしれないが、日本人の私としてはそこが気になって気になって仕方がない。
砂利の上に枕木を並べ、その上にレールを敷いて、列車が通るたびにレールが浮き沈みしていることは目で見れば判るが、冬のシベリアではどういう状況なのか不思議でならない。
鉄道の技術も日進月歩の勢いで進化しているが、人間はどこまで早さを求め続けるのであろう。
新幹線が登場して、東京・大阪が3時間で結ばれると、日本の人口分布は地方に拡散すると思われていたが、我々の選択はそうではなかったわけで、益々東京一極集中が顕著になってしまったが、これは一体どう説明すればいいのであろう。
新幹線網が整備されればされるほど、東京一極集中が激しくなるとは誰も予想しなかったに違いない。
これは一体どういう事なのであろう。
普通に考えれば、東京と地方が早く短時間で結ばれれば、東京の機能が地方に分散しても何ら不思議ではなく、そう考えられたから交通網の緊密化が図られたのである。
ところがその結果は、事前の大半の思惑と逆の結果を招いたわけで、そういう結果になった理由は一体何であったのだろう。
その根底には、我々日本人のもの考え方の潜在意識として、価値観の偏在があるような気がしてならない。
ということは、人々の生業は基本的に虚業と実業に大きく分けられると思う。
物を作る仕事は、どこまで行っても実業の基本であって、農民から大工さん、それからそういう人々に道具を提供する職人という部類の人々まで、どこからどう見ても実業の代表例である。
ところがそれに反し、役場の吏員や学校の先生、銀行員や会社の管理部門というのは、自分では全く物つくりをしない虚業の具体例でしかない。
物作りの現場は、ある程度の土地のスペースが入用で、広大な土地を必要とする関係上、地価の高い都市部には入り込めないが、机と電話一本で商売の成り立つ虚業の世界では、そういう広大な土地を擁することもないので、情報の集まり易い都会の方が立地条件としては優れている。
結果として都市集中を後押しする形になる。
日本の社会全体が底上げされてくると、物作りの地方と管理部門の都市機能が歴然と分離されてしまい、人間の基本的願望として、楽して儲けたいという心理があるとすると、猫も杓子も管理部門にあこがれて、結果として地方でこつこつと物作りに励むよりも、都会に出て派手な生活に憧れを抱く人の数が多くなったという事だと思う。
東京一極集中の裏側には農山村の過疎化の問題が隣り合わせにあるわけで、この現実は明らかに人々が農村の不便な生活を見限って都会に出たという事を如実に物語っているではないか。
都会と地方の行き来が便利になれば、地方でも文化的な生活が都会と同じように享受できるではないか、という考え方は理屈としては成り立つが、人間の生の感情、情緒、深層心理は、やはり人の大勢集まる場所で人と同じ様に楽しみを享受したいという潜在意識に動かされてしまうのであろう。
冷静に理性的に整合性のある思考をすれば、東京と他の都市が短時間で結ばれれば、何も人のゴミゴミする都会に出なくても、地方でも十分機能を果たせるであろうが、矢張り夕誘蛾灯に惹かれる蛾のように、都会の青い灯赤い灯に吸い寄せられるのが人間の業なのかもしれない。
真に理性的で、合理的な思考をする先進的な人は、都会と田舎の生活を使い分けて、人生を二倍楽しんでいる優雅な人も大勢いるようだ。
それが出来るのも交通機関が極めてよく整備されたからである。

「日本の空を問う」

2011-12-08 10:19:42 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本の空を問う」という本を読んだ。
伊藤元重氏と下井直毅氏の共著となっているが、学者先生の机上の論旨であって、具体的な話を欠いているので、余り好奇心を満たすものではなかった。
人類の大きな流れとして航空需要というのは右肩上がりになっているのは世界的な傾向であるが、それに日本は立ち遅れている、という事が言いたいのだと思う。
近年、アジア諸国では空港の整備を急いで、ハブ空港として、空港を使いやすくして、それにともなって経済効果を上げるという政策が推し進められて、経済の発展に成功している。
こういう空気を日本もいち早く感じ取って、1962年・昭和37年の池田内閣の時に、そういう方向を目指したが、此処で立ちはだかったのが日本の民衆の私利私欲という根源的な生き方との衝突であった。
言うまでもなく、成田闘争を指しているわけであるが、この闘争は国益と私欲のせめぎ合いであって、民主主義の根幹を問う闘争であった。
当時の政府が、羽田空港は将来手狭になる事が解っているので、何処かに新しい空港を作らねばならないと決断することは、至極当然な成り行きであった。
あの時点における未来予測としては決して間違った判断ではなく、日本の将来のことをごく普通に考えれば当然の帰結だと思う。
香港、シンガポール、韓国のインチョン空港などのハブ空港としてのアイデアも、恐らくこの頃から芽生えていたに違いないと勝手に想像する。
第2次世界大戦後の経済発展の先行きを見れば、アジア諸国でも日本の復興の様子を横目で見ながら、日本の真似をして自国を経済的に大きく伸ばそうと考えるのはごくごく普通の思考だと思う。
ところが日本では、そういう為政者の未来志向に対して、「そういう社会的インフラ整備する必要はない、水飲み百姓に農作物を作らせて、殺さぬよう生かさぬようにしておけばいい」という江戸時代の思考に舞い戻ってしまったわけで、それを推し進めたのが他ならぬ地元住民、地元の水飲み百姓の我欲と保守性の権化としての反対派の存在である。
この私自身の言葉にも多いなる矛盾が込められており、成田闘争というのは一筋縄では括れない大きな課題を内包している問題である。
成田闘争の発端は1962年・昭和37年、池田内閣の時、羽田空港が将来手狭になるので何処かに新しい空港を作らねばならない、ということから始まったのだが、反対派の言い分としては、「地元に何の説明もないままに建設場所が決まってしまったからケシカラン」というのが表向きの反対理由である。
しかし、この言い分は、ただただ反対せんが為のその場の言い逃れ的な言い分であって、本当は土地を取られたくないというのが本音であったろうと思う。
土地と共に生きている農民にとって、農地を取り上げられるということは自分の身を切られるよりも辛いということはよく理解できる。
だから、ただで召し上げるのではなく、それ相応の補償も当然考慮されているにもかかわらず、それでも自分の生活を変える事は嫌だ、という心境は察して余りあるものがある。
しかし、反対派の言い分は、その本音の部分を後ろに追いやって、為政者の方が地元に何の説明もしないまま空港建設を決めたことが気に入らないという論旨である。
反対派の言い分がもし本当にそうであるとするならば、変な論理になってしまうではないか。
政府、為政者、行政が基本的インフラ整備、例えば道路を作る、鉄道を敷く、橋を架ける、河川を改修するという時、アイデアの段階ではまだ地元に説明できないと思う。
もしそれが許されるならば、入札価格の漏えいと同じことになり、その予定地域を目聡い不動産屋が買い占めてしまって、地価高騰を招く恐れが十分あるわけで、資本主義体制下の自由主義の元での自由競争下では逆に弊害のみが大きくなると思う。
空港でも、基地でも、火葬場でも、ゴミ焼却所でも、普通の市民にとっては自分の住んでいる場所から離れた所にある分には何の問題もないが、それがいざ自分の住んでいるところの近くに出来るとなれば、反対したくなるのは当然だと思う。
だから、そういうものを作ろうとすれば、どうしても人の少ない、人口密度の低い地域に持って行かざるを得ないのは当然で、そういうもろもろの思惑を考慮した結果として、成田・三里塚に決まったわけで、「地元民に相談もなく建設が決まったから反対だ」という言い分は見当違いの言い草だと思う。
ここで、本来ならば民意が問われるべきで、民意というのは本質的には自分の土地を取られたくない、というのが本音であることをはっきり認識すべきである。
「政府が地元民に相談なく決めたから反対だ」という言い分は、自分達の補償金を吊りあげるための方策であって、本音の部分では金さえもらえれば交渉に応じるつもりであったにちがいないが、そこを素直に声に出来ないところに、少なからず人間としてのプライドが掛かっていたのであろう。
守銭奴のようなさもしい人間に見られたくないというミニマムのプライドであったに違いない。
ここで本来ならば日本の知識階層の智恵が機能すべき所であったが、戦後の日本の知識階層というのは、その須らくが、政府・為政者に抵抗することが彼らの使命と思い違いしている所に日本の悲劇が潜んでいる。
あの時点で、日本の航空需要が右肩上りで延び、羽田空港のキャパシテイ―が追いつかなくなることは知識階層の人ならば当然わかっているにもかかわらず、政府・為政者の側に弓を引く行為というのは、無責任もはなはだしいと私には思える。
ここで日本の戦後の民主主義の本質が大きく問われていたのである。
政府の施策に対する不満のはけ口としての反対運動と、もう一方では、国民の利益を追い求める政府の施策への提言、という合い交わることのない命題を如何に捉えるかということに行きつくと思う。
あの時点で、「羽田空港が手狭になるから何とかせよ」という要求は、政府、或いは為政者の勝手な思い込みや欲望や、利権がらみでそういう案が出たわけではないと思う。
やはり、日本という国の未来の事を考えれば「そうだよなあ!?」という一般論としての要望というか、渇望というか、国、或いは日本国民、或いは日本民族の将来のことを思えば、誰でもそのアイデアに異存はないものと思われる。
だから成田闘争の反対派の連中も、そのことを頭から否定することはできないので、一番焦点の曖昧な言い分として、「政府が勝手に決めた」ということを争点に持って来ているのだと想像する。
ただ民主主義の社会では、何か事を起こそうとすると、そのアイデアに対して反対意見というのは必ず出てくるわけで、だからこそ民主主義が正常とも言えるが、反対が強くて物事が先に進まないでは困るわけで、そこでその事態を解決すべく乗り出して来るのが、本来ならば知識階層という人達でなければならない。
落語風に言えば、店子の喧嘩に割って入って、双方の言い分を仲裁するご近所のご隠居、という役割の賢者としての学識経験者の存在がなければならないと思う。
ところが戦後の日本では、こういう立場の人たちが、全て反政府側、反体制側、反自民党についてしまうわけで、その根本のところにはいわゆる左翼思想に順応してしまっているということだ。
それを煽りに煽っているのが言うまでもなくメデイアであって、メデイアとしては対岸の火事は大きいほど面白いわけで、日本中が内乱状態になればなるほど、メデイアの本領が発揮できると思違いをしていたのである。
日本の空港が、今日、アジアでも後れをとっているのは、言うまでもなく成田闘争が大きく関わりあっているわけで、戦後の我々の同胞が、国益よりも自分の利益優先に物事をとらえる思考に陥ったからである。
こういう戦後思想の実情は、ある意味で戦前の思考回路への反動と言えるかもしれない。
戦前は、為政者のいうことにまことに素直に順応してきたが、それが結果としては大失敗であったわけで、国策に一生懸命協力したら見事に裏切られ、結果として国家に嘘をつかれたことになったわけで、国を信じられないという気持ちは解らないでもない。
この本は航空政策を論ずるに当たって、成田空港の本質を掘り下げることに関心が薄く、総論のみで貫かれているが、日米開戦から70年経った今、アメリカのウオー・ギルト・プログラムからの脱却を真剣に考える時期に来ていると思う。
日本の経済成長の在り方というのは、基本的には日本のインテリジェンスが問われていることだと思う。
2011年・平成23年3月11日に起きた東日本大震災からの復興でも、政府は増税をして復興資金を得ることを考えているが、こういう時にこそ知恵を出すべきが有識者と言われる人々の筈である。
ところが不思議なことに、こういうレベルの人は、どういう訳か政治家や官僚を見下す傾向があって、何でもかんでも悪いことは政治家の所為にかこつけているが、政治家に良いアイデアを提供しない有識者という人達の言い分も嘆かわしき存在だと思う。
有識者という立場から政治家というものを眺めると、それこそ狐か狸ぐらいにか見えないと思うのは当然だと思う。
学者とか大学教授というのは、ある意味で霞を食っているような存在で、米一粒、大根一本、釘一本、自分の手で作るわけではなく、他人が言ったこと、成したこと、政治家のしようとしたことに事如くケチをつけて糊塗を凌いでいるわけで、この世な中における究極のナマカワものという位置付けだと思う。
だから成田闘争に関連付けて考えれば、彼らとすれば、農民の反対も心情的によくわかっているに違いなかろうが、ならば目の前に迫っている、羽田空港のキャパシテイ―不足にはどう対応するのだ、というアイデアを提供しても良い筈である。
彼らの立場としてはそうすべきだと思うが、彼らは自分で汗をかくことはせずに、ただただ声の大きい反対運動の方に擦り寄って、数の多い方に身を置けば大勢の人の意見を代弁しているという快感の酔えるわけで、有象無象の大衆に肩入れする思考は、学者や大学教授らしくない付和雷同的挙動ではないかと思う。
学者や大学教授という連中は、霞を食っているような存在なので、農民の声に無批判に迎合しているが、水飲み百姓の潜在的な思考回路も極めて狡猾で、油断も隙もない部分を見落としてはならない。
農民とか水飲み百姓という言葉を並べると、こういう人達はさも弱者で、虐げられた人々であるかのような印象を受けがちであるが、決してそんなことはない。
反対運動の真の理由が「政府が地元に無断で決めたということにある」と言っているが、物事を決める時に案の内から可能性のある地域にもれなく声をかければ、地価高騰を招いて、出来るものも出来なくなる可能性だってあることを充分承知しながら、こういう言い方をするわけで、如何に水呑み百姓がしたたかという事が如実に表れているではないか。
戦後の日本で大きな混乱を招致した背景には、いわゆる知識階層の反政府、反体制、反自民というポーズが大きく影響を及ぼしていると思う。
如何なる運動も、政府の施策に対する反対の意思が混乱の元になるわけで、如何なる施策も硬貨の両面のようにメリット、デメリットは隣り合わせにあるわけで、政府のしようとすることに反対があるからと言って何もしなければ世の中は一歩も前に進まないわけで、それはそれで又政府の尻を叩く運動が起きてくる。
一つの事柄に相反する意見が対立した場合、賛成派、反対派の意見を集約すべきが本来の知識階層の役目なのではなかろうか。
この時に、全ての知識階層が全部反対側に擦り寄ってしまうから、世の中は反対意見ばかりで、賛成意見を述べる事が人民の敵であるかのように取り上げられることになってしまう。
日本の航空事業を考えるとき、成田空港がすんなりマスタープラン通り出来上がっておれば、成田がアジアのハブ空港になりえたことは間違いないが、あの中途半端な在り方ではハブ空港になり得ない。
そして夜間や早朝の飛行禁止措置も空港の在り方に大きな縛りをかけていることは言うまでもない。
周辺住民の騒音対策ということはよく理解できるが、為政者側は日本国全体の利益を考えて空港を建設しているが、地元住民は自分の損得勘定のみで、公益を阻害していることに気が廻っていない。
自分達が先に住んでいたから、後から来るものは俺達の既得権益を侵してはならない、というわけで、自分達の我儘が如何に公益を阻害しているかということに思いが至っていないではないか。
自分さえ良ければ、後は知らない、俺たちさえ従来通りの生活が出来れば、公益など知ったことではないという言い草である。
こういう心理こそが百姓根性というもので、彼らはそうであるからこそ、卑しい心根とみられているのである。
日本の航空行政を語るについては、成田空港の完全なる整備を真っ先にすべきで、それが完成しない限り、日本にハブ空港というのはあり得ない。
成田の事例があるから、関空も中部も海に作らざるを得なくなり、結果として建設費の高騰を招き、それが使用料のアップに繋がり、その先に航空会社が敬遠する事態を引き起こし、事業そのものが先細りになってしまったものと考えざるを得ない。
日本の航空行政の低迷は、成田闘争の反対派の横暴によって大きくその進展が阻害されたと言える。
それはとりもなおさず、民主主義の生の姿でもあるわけで、民主主義を野放図にしておくと、究極の衆愚政治に繋がり、国民、市民、大衆というのは天に唾してそれが自分に降りかかってくる構図である。
自分の目先の損得勘定のみに振り回されて、10年後、20年後、30年後、50年後の近未来に思いが至っていないわけで、これが究極の水飲み百姓の百姓根性というものである。

「テレビ作家たちの50年」

2011-12-04 09:21:21 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「テレビ作家たちの50年」という本を読んだ。
日本放送作家協会編となっていて、大勢の人のコメントが集められていた。
テレビ放送の開始は1953年・昭和28年ということらしいが、私の自分の年でいえば13歳で、中学生になったころである。
この年頃の記憶というのは案外残っているもので、私も街頭テレビとか、プロレスの中継というのは鮮明に記憶の中にある。
街の電気屋さんの店先に、如何にもこれ見よがしにデンと受像機が鎮座しており、我々子供は大人の頭越しに覗いたものだが、そんな状態では放送の内容までわかる筈もなく、画面に何かちょろちょろ動いているのが見える程度でしかなかった。
我が家の父は、若い時に電気関係の専門学校を卒業していたので、ラジオに関んしては専門家であった為、テレビに関しても非常に親近感を持っていたのであろう、我が家がテレビを購入したのはかなり早い時期だったような気がする。
今の皇后陛下のご成婚の時が、1959年・昭和34年で、この時にはもう既に家でこの御成婚のパレードをテレビで見ていた記憶がある。
パレードの馬車に暴漢が駈けよるシーンも記憶の中に残っている。
そしてアメリカのケネデイー大統領がダラスで狙撃されたシーンもテレビで見ていた。
テレビの発達は、私の成長とほぼ同じ軌跡を歩んでいるわけで、私はテレビを見る立場として、テレビの発達とともに歩んできたという事だ。
この本は、そういうテレビ番組を作る側の人間の苦悩を書き綴ったものであるが、私の関心はテレビの存在そのものに視点が向きがちである。
今、家で取っている新聞のテレビ欄を見ると、名古屋地方に限っても、NHKを始め民放各社を合わせると地上波、BS合わせて14局もある。
この14局がほぼ一日中24時間、電波を出しッ放しにしているという事だ。
14×24時間=336時間放映し続けているわけで、これだけの時間、優れた番組を提供する事は理論的にあり得ない筈である。
この本を読むと、初期のテレビ放送は、午後2、3時間、夕方から夜に掛けて5時間程度の放映だったと述べられているが、1日8時間労働というわけでもないが、テレビ放送も一日8時間程度で良いのではなかろうか。
今の日本人で、果たして本当にテレビを見ている人がいるであろうか。
身動きとれない病人でも、つまらない番組を我慢してみる程のテレビ好きもそうそういるものではないと思う。
中学生や高校生が、テレビの前に座り込んで、だらだらとつまらない番組を見ているようにも思えないし、主婦が茶の間に腰をすえて昼メロを際限なく見ているとも思えないし、今の人は自分の関心のある番組だけを選択して、好きな物を好きなだけ見て後は切り捨てていると思う。
製造業の現場では、こういうことを無駄と称して、どんな些細な無駄も排除するように思考が働き、その事によってコスト削減という概念を成り立たせている。
テレビ業界の例に置き替えれば、誰も見ない番組を作り、それを放映するということは、無駄そのもので、そういう無駄を排せばコストを大いに節約できるということになるが、そういう発想には至っていないようだ。
テレビ創生期に、大宅壮一氏はテレビを評して『一億総白痴化』という言葉を呈し、『電気紙芝居』と称したが、極めて言えて妙な言辞である。
この本はテレビの存在価値を説くものではなく、テレビに関わって来た人達の苦労を忍ぶという趣旨が強いが、それはあくまでも作る側の葛藤であって、コンテンツを受ける側の、つまり視聴者の視点とは大きくずれており、そういう人の思惑とは必ずしもマッチするものではない。
私自身、メデイアの内側に知った人がいるわけもなく、そういう事情には全く疎いが、如何なる事柄にも常識の範囲というものがあるわけで、その範囲内であれば、そう大きな齟齬には至らないと思う。
ところが、組織という人間の集団は、往々にして常識の範囲というものに無感覚、無関心になりがちで、それが倫理観の喪失という事に繋がりがちである。
そもそもテレビ放送というものを根源的に考えて見ると、映像を不特定多数の大衆に、無制限に流し続けることに社会的な意義が果たして本当にあるかどうか、という点からして考え直すべきだと思う。
技術的には確かに可能で、だからこそ今日それが罷り取っているわけだが、技術的に可能だからそれを金儲けのツールとして、無制限に金欲者が行使してもいいかどうかという問題に突き当たる。
民放テレビ局というのは、報道機関という仮面を被った広告塔に過ぎないわけで、この報道機関という側面と広告塔の側面がきちんと峻別されないまま、その時その場の都合によって、使い分けされてしまうので問題がややこしくなってしまうのである。
商品の広告宣伝のツールとしての映像配信であるとするならば、報道機関としての使命とはまた別の価値観を考えねばならず、そこを毅然と峻別すべきだと思う。
如何なる理由があろうとも、この名古屋地域だけで14局ものテレビ局があるというのは多すぎるし、それらが全てほぼ24時間電波を出し続けているというのも過剰だと思う。
テレビ放送の初期のように、一日の放映時間を8時間程度に縮小すべきである。
この本の筆者たちは、作品の、つまりテレビ放送のコンテンツの中味の出来不出来には言及しているが、テレビの存在そのものについては一言も述べていない。
無理もない話で、自分がこの世界で録を食んでいる以上、自分の住んでいる世界が自分では自覚できないのも当然ではある。
私の問題提起は、この部分にあるわけで、テレビの台本を書く人が、今日的な状況の中で、テレビの置かれた位置に無関心でいることの方が根源的に重要なことであって、だからこそテレビ局のコンプライアンスが問われているのだと思う。
かつてフジテレビでは「面白くなければテレビでない」というコンセプトで局運営がなされていたと聞くが、このフジテレビの経営陣には、テレビ放送というものが報道機関という認識が欠けていて、自分達は広告宣伝塔という認識でいたのではないかと思う。
そもそも新聞・ラジオ・テレビというメデイアには、娯楽の要素も少なからず入っていることは承知であるが、それは人のうわさ話や、流言飛語や、風評という極めて根拠の曖昧なことをさも自分の特ダネかの如く振舞うことの快感さであって、一言でいえば卑しい人達の言う、卑しい心根の、卑しい振る舞いに他ならない。
だが、そういう風評や、噂話を金ツルに繋げるというのだから、その心根の卑しさ・浅ましさは、人後に落ちるほどのもので、余りにも下品な思考だと言わなければならない。
メデイアの情報の送り手として彼らは、人の知らないことを知っているという有利な立場にいるわけで、どうしても意識の内に態度が横柄になりがちである。
江戸時代にはまだメデイアという概念が存在せず、口コミが主体であったが、この時に瓦版という紙を媒体とするマスメデイアが登場した事によって、情報というモノの価値が急浮上した。
マスメデイアの登場によって情報を握ったものの優位性も確立された。
しかし、この時点でもまだその情報のコンテンツの中には娯楽的な要素も潜んでいたわけで、マスメデイアというのは無味乾燥な情報に、さまざまな色つけをして、それこそ流言飛語、風評というようなモノまで確立させてしまったに違いない。
そしてその後に起きた明治維新で、富国強兵が国是となると、メデイア界は一斉にその国是の宣伝にこれ務めたわけで、結果としてイケイケドンドンの風潮を醸成したという事だ。
この時に、瓦版も、その後の明治初期の新聞という紙の媒体も、基本的には今でいう「面白くなければテレビでない」という潜在意識で凝り固まっていたに違いない。
当時は当時で、「面白くなければ瓦版ではない」「面白くなければ新聞ではない」と言う論理であったものと想像する。
つまりメデイアに関わっている人の使命観は、基本的に「面白くなければメデイアではない」というものだと言う事になるわけで、まさしくヤクザ屋さんの興業の世界と酷似しているという事だ。
口先三寸で、在る事ない事言いたい放題、オオカミが来るオオカミが来るとから騒ぎばかり起こして、善良な市民の生業に支障をきたすような事を吹聴しては、自分は高給を食んでいるのである。
そもそも子供の頃に、何々の職業につきたい、という希望なり野望を臆面もなく言う子は、その時点で心卑しき存在だと思う。
中学に入る前の餓鬼が、医者になりたいだとか、パイロットになりたいだとか、弁護士になりたい等という具体的な職業を口にすること自体、マセタ行為だし、大人気なく、心卑しき振る舞いだと思う。
そういう餓鬼に限って、頭脳明晰で成績もよく、先の見通しにもそつがなく、人生航路を周到に進んで行くであろうが、そのことが天真爛漫な子どもの生き方とは対極を示しているわけで、そういうぬかりの無い子が数年後には社会の中枢を担うわけで、結果として社会全体としてコンプライアンスがぐらつくことになる。
頭の良い子は身の処し方にもそつがないわけで、最小の努力で最高の収入を得ることに長けているに違いなく、それをテレビ界に反映させれば「面白くなければテレビでない」等という発想にモロに繋がると思う。
人の生き方として一番唾棄すべき考え方で、若い時からそういう生き方に洗脳されたればこそ、「面白くなければテレビでない」という発想がテレビ界を席巻しているではないか。
普通の子供が、普通の教育を受けて、普通に生育すれば、普通の倫理観から外れるような発想に至るわけがないではないか。
テレビ業界というのは、民放とNHKという対立軸があるが、そのどちらも普通の一般企業に比べると高収入だと思う。
テレビ業界はあくまでも虚業なわけで、実業に比べて虚業の方が高収入を得る、と言う状況そのものがおかしいと思う。
民間テレビ局が広告塔として、クラインアントから膨大な広告料を撒き上げていること、そういう状況そのものがおかしいと思う。
ただテレビで宣伝すると売上が伸びるという現実があるので、テレビ局と、クラインアントと、番組の質的低下という三位一体のレベル低下のスパイラルに落ち込んでしまうのである。
私が大企業の経営トップならば、自社のテレビコマーシャルは厳密に審査して、社のイメージに抵触するモノ、公序良俗に触れるモノ、偏向した内容のものならば、厳然とスポンサーの地位を下りるが、どうも民間テレビ局のクライアントになっている企業には、そういう自意識、節度ある意識が欠けているように思える。
こんな虚業の世界が、実業の世界よりも高収入であることの方がよほど不可解であるが、世間では一向にそういう点の不合理を突く機運が出てきていない。
この文章の冒頭の部分では、テレビの創生期の事を少し述べたが、当時はテレビを作る側、放送を送り出す側も生放送で失敗が許されず、そういう苦労が数限りなくあったという話だが、それでも50年、半世紀も時が経過すると、そういう昔話も古典化してしまって、そういう過去の実態を知らない世代が組織の中枢を占めるようになる。
これはテレビ界だけの話ではなく、あらゆる組織に共通した事であろうが、こうなると当然の事、価値観も時の推移と共に変化するわけで、価値観の変化がシステムの進化をも引きずってくる。
例えば、仕事のアウトソウシングトいうような事が起きて、番組製作を外注に委ねるような事になると、大本の局は今まで以上に大きな権力で以て下請けの企業を押さえつけると言う事になる。
システムが複雑になればなるほど、事故の頻度も多くなるのは当然のことで、それへの対応に追われるということが日常化してしまう。
どの局もどの局も一日24時間も放映し続ければ、何処かでミスが出るのも必然的なことで、コンテンツを受け取る側としても、それだけの放送は全く必要に思っていない、という事が解っていない。
我々の生きている社会は、資本主義体制の中の自由競争での経済活動なわけで、ある程度の競争はお互いの企業が切磋琢磨する動機づけにはなるが、あまりにも多くの企業が参入する過当競争では、企業の提供するサービスの劣化が必然的に起きるので、それは文化としての退化を促しがてしまう。
テレビ放送で企業のPRをする、つまりCMを放送というコンテンツの中に紛れ込ませることで、大きな利益が得られるという事がわかった時点で、我も我もと、守銭奴的な成り金が雲霞の如く放送業界に参入するということである。
こういう金儲け至上主義の経営者が、放送業界に君臨したことによって、「面白くなければテレビでない」というコンセプトが生きてきたわけで、これを文化の退化と言わずにどう言えばいのだ。
66年前に日本を敗北に導いたアメリカは、戦後の日本占領政策を進めるに当たって、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”という確たる路線に沿って行われた。
一言でいえば、日本民族から大和民族としての誇りと自尊心と進取の気性を抜き去って、骨抜きの民族にすべく3S政策(セックス、スポーツ、スクリーン)というものを推し進めたが、戦後の日本の知識階層は、それがアメリカの謀略だとも気が付かず、まんまとその罠に嵌ったのである。
テレビ創生期に大宅壮一氏が『一億総白痴化』と言い、『電気紙芝居』と論破したにもかかわらず、当時の日本の知識階層では、誰一人テレビの蔓延に警鐘を鳴らしたものがいない。
確かに、当初は、絵が動くだけ大いに驚いたもので、その次にはそれに色が付き、それが今ではデジタル化して、鮮明な映像が見れるが、そのコンテンツの進化は、テクノロジ―の進化ほど先鋭的ではなく、見るに堪えない番組が余りにも多すぎる。
実に見事にアメリカの日本民族愚民化政策が成功を治めているわけで、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの見事な成功例である。
メデイアの関係者からは、日本にはテレビ局が多すぎる、放映番組が多すぎる、放映時間が長すぎるという指摘は一切出てこないということは一体どういうことなのであろう。
テレビを見る人が、自分で見る番組を選択しているから、本人の意思に任せればいいということであろうが、まあ普通の人が一日に3時間テレビを見るとして、残りの21時間の無駄なテレビ番組の存在はどういう風に考えたらいいのであろう。
一人一人の視聴者は、自分の好きな番組を選んで、それだけ見ればそれで済むが、誰も見ない番組を作る無駄はどういう風に考えたらいいのであろう。
製造業ではこういう無駄はあり得ない。
作ったものを一度も使われなまま廃棄する物作りというのはあり得ないわけで、適正な数を適正な時間と場所に提供するのが物つくりの真髄であるが、虚業としてのメデイア界では、誰も見ない番組を延々と作り続けているわけで、到底普通の精神の者には理解し難いことである。