ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「NIPPONの気概」

2006-06-30 18:03:03 | Weblog
これも例によって図書館から借りてきた本で、「NIPPONの気概」という本を読んだ。
明治以降の日本の著名人38名の人物伝とその時代背景という意味で高校生用の近現代史という感がしないでもない。
私メに限って言えば、名前を知らない人はいないわけで、それなりに歴史上で活躍した人である。
この本に登場している人はいわば歴史上のエースという貫禄で、その評価はほとんど不動のものであるが、歴史というものを考えた場合、こういうエースにだけ焦点を当てていいものだろうか。
歴史には日の当たる場面と影の部分が極めて複雑に輻輳していると思うが、こういうエースたちは、それぞれにその時代に貢献したからこそ、その実績がたたえられ、後世に名声が確立されているので、いわば歴史の表看板であり、時代の寵児であり、艱難辛苦を乗り越えて実績を重ねたという意味では賞賛に値するが、問題は歴史の中で彼らの足を引っ張った人間にも歴史の評価というものを与えなければならないのではなかろうか。
日本人と中国人の比較に、日本人はどんな悪人に対しても、その悪人が死んでしまえば生前の悪行も綺麗さっぱり水に流してしまうが、中国人は死んだ人の墓を暴いて、尚死人に鞭打つと言われている。
中国人ほど悪人を追い詰める必要はさらさらないが、歴史的な評価を得た人々に対して、その当時、そういう人の足を引っ張った人も大勢いるわけで、そういう人に対する歴史的評価、ないしは歴史としての懲罰というのは一切無しで済ませてもいいものだろうか。
歴史というのは、功成り名を成した人を評価するのは当然のことであろうが、そういう人の足を引っ張った人たちというのは、功を成した人の実績の中に埋没してしまって、歴史の表面から忘れ去られてしまっている。
極端な例として、日本が連合軍に敗北してマッカアサーの占領が続き、その占領から解かれ、曲がりなりにも独立しようというサンフランシスコ講和条約に反対した日本の知識人達がいた。
事もあろうに、戦前、戦後を通じて、日本の知性と良識の府であるべきはずの東京大学の先生の中から、日本は占領されたままで構わないと、同胞に唾する輩が現れたのである。
東京大学総長の南原茂を始めとする平和問題談話会というのは、大学の先生方が徒党を組んで、敗戦日本が独立し、新生日本として立ち上がろうかという機運に頭から水を差したわけで、こんな馬鹿な話が許されるであろうか。
これとは又逆のパターンで、日露戦争の時には、我々は資金が枯渇して継戦能力が全くなかったにもかかわらず、ロシアに対して夢のような要求を突きつけよ、100%完全なる帝国主義的発想でもってロシアに当たれとノタマッタ東京帝国大学教授たちがいたわけで、この象牙の塔の無責任振りというのは歴史的にどう解釈したらいいのであろう。
大学の先生というのは確かに統治する側に身を置く立場ではないが、国民を善導すべき立場であることには変わりはないわけで、そういう立場のものが為政者と全く逆の発想をするということを、我々国民としてはどう考えたらいいのであろう。
この本に述べられている38人の名士たちは、そういうもろもろの障害を乗り越えて、所信を貫き首尾よく良い結果をえたから今日歴史的に評価を得ているが、その評価を得るまでの間に、こういう悪意に満ちた知識階層の足の引っ張り合いを超越してきたということに他ならない。
吉田茂が、東大総長を「曲学阿世の輩」と叱り付けて、自分の所信を貫いたから今日があるわけで、又、7人の(6人の東大教授と1人の学習院教授)賢博士の言うことを無視して講和条約をしたから、その後の日本の発展があったといえるのではなかろうか。
中国、清、シナに対して21か条の過酷な条件を出したから日本は世界から警戒されたのに、その上ロシアに対して100%弁解の余地のない帝国主義的植民地獲得案を提示すれば、当時の日本が立ち行かなくなることが当時の大学、当時の東京帝国大学の先生方にはわからなかったのであろうか。
これが大学の先生方の政治的センスというものであろうか。
岸信介の安保改定の問題でも、日本のインテリ、戦後の左翼化した大学の先生を始めとする日本のインテリには、日本の先行きが全く読めていなかったわけで、こんなに先の読めない大学の先生では、日本の将来が全く託せないではないか。
その結果として今日があることはいうまでもない。
日本に共産主義が浸透してきたのは大正11年以前のことであるが、マルキシズムというのは我々にとっては仏教や漢字と同じように完全なる外来文化であった。
ということは当然、当時のインテリ、いわゆる今の言葉でいえば学識経験者から浸透してきたわけで、そのときに学問として研究すべきことが、ミイラ取りがミイラになってしまったわけで、当時の大学が知的に非常にレベルが低く、自分で外来のものを良いか悪いか、日本人にとって整合性があるかどうか、統治のシステムとして矛盾があるかどうか、そういうことを判断する思考能力、自分の頭で考える習慣、そういうものが全く備わっていない人々であったということに他ならない。
ただ外来のものだからありがたいということでしかなかったということである。
ということはオウム真理教にインテリが騙されて入信していたことを同じということである。
20世紀における共産主義の浸透というのは日本だけでなく地球規模で非常に大きな禍根を人類にもたらした。
もともとはドイツ人の考えた共産主義というものが、統治するものにとってまことに変幻自在に変化して人々を抑圧し続けた。
これはイデオロギーそのものの問題ではなく、そのイデオロギーを使った統治の手法の問題であるわけで、日本の大学というのは実に馬鹿で、共産主義というイデオロギーの学術研究をしているうちに、ミイラ取りがミイラになってしまったわけで、そのミイラつまり共産主義者が国民の血税で録を食んでいるという構図である。
何時の世でも一番馬鹿を見るのか国民で、自分達の政府に唾を吐きかけ、自分達の国益を阻害し、他国の利益に貢献する、学識経験者という非国民を自分達の血税で養っているわけである。
大学の先生方が無責任であるように、日本のメデイアというのもそれに劣らず無責任で、大学もメデイアも基本的には国民、庶民、大衆の木鐸でなければ成らないのに、それを忘れて商業主義に毒されて、儲かればいいという現実主義に押し流されている。
今の日本は最高度に栄華の極みに達してしまっているので、明治時代のように命を賭して立ち向かうという場面が全くなくなってしまった。
ハングリー精神というものはとっくの昔に消えうせているので、あるのは全くの刹那主義のみで、今さえよければ、明日さえどうにかなれば、という安易なものでしかない。
それでも生きていけれるのが今の日本である。
大学の先生が率先して自分達の為政者に唾をひっかけるような有様では、若者は何を手本にすべきかわからないのも当然である。

「青年の条件」

2006-06-29 09:24:03 | Weblog
図書館の書棚から目についたものを全くランダムに選んだ本で、表題から見て、本当に生物学的で世俗的な人間の父親と子供の確執を記したものと思い込んで読んでみた。
ところが内容は全く違っており、父を国家に見立て、臣民、いわゆる統治される側を子供に見たてて近代から現代を眺めるという手の込んだ手法で書かれた警醒の書であった。
この本が述べようとした国家というものが、統治される側から見て真に父親的な価値を内包しているかどうかという点が論点となっているが、その論点を開陳するには国家そのものの本質にまでさかのぼって見極めなければならないという論旨で書かれている。
そのことは江戸時代末期から明治維新を経て、大正、昭和、そして戦後という時の流れの中で、統治する側とされる側の歴史を再構築するという作業に行き着いている。よって、それがなされている。
つまり、明治維新以降の日本の歴史を通常の歴史観とは別の視点から眺めているわけで、そのためあまりにも日本にこだわりすぎている。よって、歴史としては少々偏りすぎていると思う。
民族の歴史でも、国家の歴史でも、その民族なり国家なりの内側だけを見ていてもそれは歴史足りえないと思う。
我々の祖国は四周を海に囲まれているのは歴然たる事実で、それは昔も今も変わりない。
だからといって、我々の歴史がこの4つの島の中だけで成り立っているわけではない。
東海の東に位置する4つの島国といえども、常に周囲の影響を受け続けていたわけで、そういう影響を全く無視した我々の歴史というものはありえないと思う。
この本の著者は昭和3年生まれということであるが、この世代の人ならば、当然、日本が何故あの戦争にはまり込んでいったのだろうか、という疑問を持ち、その疑問を解き明かしたいという衝動に駆られとしても不思議ではない。
そのとき、視点を民族の内側にばかり向けていると、「我々はアジアで悪いことをした」という村山首相のような東京裁判史観に行き着いてしまう。
歴史というものは、例えば民族の歴史というような物でも、その民族の内側だけをいくら掘り下げてみても、意味はないと思う。
外部とのかかわりを考察しない限り、それは民族の歴史足り得ないのではないかと思う。
この本の主題は、国家というものは一家の家長としての父親のような威厳と、権威と、寛容さと、受容さと、慈愛というようなもので、国民を包含すべきであり、国民の側はそれに応えるべき子供、つまり若者でなければならないという発想である。
そういう視点に立ったとき、明治以降から今日までの日本で、その構図が成り立っているかどうかという考察である。
私の個人的な考えでは、今日ではそんな状況は望むべくもないと思う。
これは我々の国、日本だけの問題ではないと思う。
いわゆる今日でも先進国といわれる諸国においては古典的な国家と国民の関係というのは父権的な親子関係では語れないと思う。
それはいわゆる科学技術の進歩というものが、100年前の国家と国民という構図を根底から覆してしまっていると思う。
統治という形態が根底から変わってしまっていると思う。
近世、近代までの統治ということは、統治者と統治されるものの間には、父権的なつながりがあった。
もともとの住民であるとか、戦争で負けて奴隷になったとか、領主と領主が合併したので必然的に臣下にさせられたとか、様々な理由で統治するものとされるものの間には父権的なつながりがあったが、現代の統治者というのはある意味で人気投票であって、自分達が「この人が良かろう」と思う人を選出しているわけで、そこには当然のこと父権的な権威は最初から存在していない。
つまり、政治というものは人気取りに終わってしまっている。
江戸時代から明治時代に変わった時点で、我々の先祖達が他の国の事を見て見ると、我が国は如何にも遅れているので、明治維新をなした人々は、何とか自分達の力で西洋列強に追いつき追い越さなければ、という使命感に駆られたものと思う。
そのエネルギーが当時の日本の国民全般に深く広く染み渡っていたものと思うが、日清、日露、第1次世界大戦と戦を経ることによって、世界の一等国の仲間入りをするようになると、それをなした先輩諸氏の苦労を忘れ、世間一般の世代交代ということもあり、慢心し、奢り高ぶる風潮が出てきた。
ここで問題は若者の責任ということに行き着く。
明治維新を遂行したのも若者の集団であったが、その世代が時の経過と共に年老いて世代交代する時期になると、自分達の価値観を継承することが出来ず、新しい世代は先輩諸氏の苦労を知らず、その時代の価値観として、奢りと慢心という軽量浮薄な思考が一世を風靡していたのである。
これが大正時代から昭和の初期の時代に青年達の反乱を引き起こしたものと考えなければならない。
世の中を変革するのは常に若者のエネルギーだ、ということは自然界の真理だと思う。
猿が芋を洗って食べる例を出すまでもなく、世の中を真っ先に変化せしめるのは若者の好奇心とそのエネルギーであるということは自然界の法則でもある。
現代のホリエモンとか、村上世彰氏のマネーゲームの例を見ても、老獪な大人の思いつかないことをしでかしている。
世の中の推移を見るとき、若者の反乱に断固とした対応を取らないと、我々は安逸な方向に押し流されるのではなかろうか。
大正時代と昭和の初期の時代に、青年将校によってひきおこされた軍の反乱を例に見ても、この時にも首謀者はそれ相当の刑に処されたが、そのフィクサーにまでは処罰が及ばなかった。
つまり老獪な大人は自分達で事件の真相に蓋をしてしまったわけである。
その結果として、国民の気持ちは反乱を起こした青年将校のほうに同情が集まって、そのことによって軍の暴走、軍の奢り、軍の専横を止めれなくなって、結果として軍国主義に嵌って奈落の底に転がり落ちたと解釈しなければならない。
同じ事は戦後にもあるわけで、日米安保を巡って60年安保闘争のとき、安保反対の勢力というのはまさしく革命前夜の情況を呈していたが政府は警察力で持ってこれを押さえ込んだ。
この時、自衛隊の治安出動いう手もあったろうけれど、それを使わなかったことは政府側が一枚上手で老獪であったということである。
それと同時に、テレビというメデアイがあったおかげで、国民が反政府運動の非合理性、非合法性というものを自分の目で見てしまったことによって冷静な判断ができたものと考える。
あの反政府運動の主体も若者であったが、テレビを見た国民は、若者といえども行き過ぎはならない、という冷静な判断をしたものと考えざるを得ない。
そういう意味で若者の夢、志、というものもそのときの時代背景が反映されていると思う。

野菜の収穫

2006-06-28 08:35:33 | Weblog
昨日、梅雨の晴れ間を狙って家庭菜園の収穫を試みた。
梅雨に入ってからというもの畑はまるで雑草畑になってしまった。
まことに情けない話だ。
しかし、作物はその雑草の中でも健気に実ってくれている。
中でも菜豆の類は実に沢山実を付けてくれて、これがまた美味である。
家庭菜園は家族分の苗を植えれば良いという事を聞いていたので、そうしているがいささか物足りない感じがする。
今は夫婦二人だけの生活なので、これではちょっとさびしい気がしないでもない。
どちらにしても雑草畑では致し方ないので、来シーズンからはもう少し多めにしようと考えている。
農業は趣味としている分には最高の趣味である。
アメリカの金持ちが牧場を持つ気分も良くわかるし、旧ソビエットのモスクワの住民が郊外にそれぞれ別荘を持って野菜作りに精を出すという気持ちもよく理解できる。
共産主義と別荘というのも理屈に合わない話しだが、これも現実の人間のしている大矛盾というものであろう。
イデオロギーを超えて家庭菜園は人の趣味としては最高という事であろう。
ただし生業となるとこれほど過酷な仕事も他にはない。
趣味であるうちが華だ。

「姿なき敵」

2006-06-27 13:58:06 | Weblog
例によって図書館の本で「姿なき敵」という本を読んだ。
そのサブタイトルが、「プロパガンダの研究」というものだ。
このプロパガンダという言葉に好奇心が引かれ読み通したわけであるが、良い本であった。
プロパガンダとかPRという言葉は知っていたが、それが外交を支配し、国益を左右するということは漠然とは知っていたがそのことに関し深く掘り下げた本であった。
プロパガンダといえば、当然、昨年、中国で起きた排日運動、反日運動が想起されるが、ここで不思議でならないことは日本のマス・メデイアの雄である朝日新聞が何故に中国の国益に貢献したがるのかという疑問である。
中国の対日プロパガンダというのは昔も今も実に巧妙で、日本の対外プロパガンダが実に下手であることはこの本の中でも特に強調してある。
が、その中でも、日本のメデイアの雄としての朝日新聞系列が、我が同胞の国益よりも、中国の国益を利する行動をとるということは一体どういうことなのであろう。
1945年、昭和20年8月以来、日本は名実共にアメリカのポチに成り下がった。
確かに1945年、46年、昭和20年、21年、当初は、日本は名実ともに自立そのものだが出来なかった。
日本の大都会はすべて灰燼と化し、巷には復員してきた兵隊や海外からの引揚者が右往左往しており、仕事をしたくても仕事もなく、住むに寝る場所もなく、第三国人は戦勝国民として今までの抑圧を晴らすべ威丈だかに振るまい、闇屋、担ぎ屋が横行し、社会秩序そのものが消失していたので、ある意味で無法地帯であった。
あるのは占領軍の威光だけであって、戦後60年を経過した今日、日本はこの時の心の痛み、精神の挫折を綺麗さっぱり忘れてしまったのではないかと思う。
今、中国でも韓国でも、彼らの国の歴史は戦前の日本支配から始まっているわけで、いわば彼らの民族の時空間の中の負の状態から始まっている。
1945年、日本が連合軍に敗北した時点で、それがプラスマイナスゼロの位置に復帰して、そしてそれから戦後の発展と繋がってきているとみなしていいと思う。
戦後の復興の中でも、かって自分達を支配した日本が再び彼らを差し置いて復興してしまったので、彼らは内心まことに面白くない心境だと思う。
日本の本土は灰燼となっていたが、彼らの本土はほとんど無傷のままで残り、彼らは日本人が築いた社会的インフラを丸々受け継ぐことができたが、そのことは忘れて精神的苦痛にのみ贖罪を求めている。
それが反日、排日というエネルギーとして噴出したのではないかと思うが、問題は、そういう日本人の中にありながら、朝日新聞の人間は何故に同胞の足を引っ張り、相手の国益に寄与する発言をするのかという疑問である。
まことに俗っぽい発想であるが、今日の日本のメデイアで録を食んでいる人で、昔の感覚で言う貧乏人というのは一人も居ないと思う。
彼らは極めて恵まれた環境の中で生活していると思う。
そういう立場の人間が、中国の現実を見た場合、自分の身と比べてみると、中国の人々は実にひどい状況下で活かされているように思えるのも当然のことだと思う。
そこで日本のメデイアの人々の間には、彼らに対する同情が日本の過去の歴史とダブって重なり合い、それが積み重なって、自分達よりも彼らに奉仕しなければという憐憫の情に至るのではなかろうか。
この発想は、戦前に中国大陸を闊歩していたシナ通という人々にも通じるものがあると思う。
先に記述したシナ通といわれる人たちも、シナの近代化を目指し、シナ人の自尊自立を目指していたが、シナ人にはそれが不可能だという結論に達したので、逆に自分達でそれをしようとしたことが奈落の底に転がり落ちた最大の遠因だと思われる。
彼らの行政手腕とか軍事力というものは話にならないが、彼らのプロパガンダの力は底知れぬものがあったわけで、彼らは口先で戦争を御し、制したことになる。
今日、朝日新聞系列のメデイアが、中国側に貢献し、われわれの足を引っ張るという点にもそれが如実に現れているわけで、朝日の面々は、自分達は非常に恵まれた位置に居るものだから、中国人には同情を示し、人畜無害な自分達の政府の足は引っ張り放題引っ張るわけである。
そのことによって中国側の受けをよくしようという腹つもりなのであろう。
今日の朝日系列のメデイアから見て、日本政府とアメリカ政府の悪口を言っている分には全くといっていいほど人畜無害である。
日本は1945年以来今日に至るまでアメリカのポチに徹してきたが、名実共にアメリカとは一線を画して屹立するということを考えた日本人が居るであろうか。
アメリカと対等の立場で物を言うということを本当に考えた日本人が居るであろうか。
冷戦が崩壊して、確かに我々にとってソビエット連邦という北の熊の恐怖はなくなったかに見えるが、これとても日米安保条約がなければどういう展開になるのか判ったものではない。
それと同じ論理で、中国に対しても、北朝鮮に対しても、韓国に対しても日米安保の意義については言えるわけで、日本がアメリカに対して対等の立場であろうとするならば、こういう国々はどういう風に出てくるかわかったものではない。
日米安保条約があるから現状維持で留まっていることは明らかであり、朝日新聞をはじめとする日本の進歩的な人々がアメリカの悪口や日本政府の悪口をいくら言おうとも身に危険が迫ることはないのである。
そのことによって言いたい放題のことが言えているという現実があるのである。
プロパガンダというのは、この国民の言いたい放題の言い分に方向性を持つように仕向ける行為だと思う。
国民が言いたい放題の事が言える国というのは極めて民主化の進んだ幸せな国ということで、今そんなことが許されている国家というのは何カ国なのであろう。
我々の隣国、つまり韓国、北朝鮮、中華人民共和国でこんなことが許されているであろうか。
我々が民族として対外的なプロパガンダが下手ということも、わが民族性に起因していると思う。
我々は武士道という倫理観から抜け出せないでいるが、彼らにはそういう精神的な基盤は何もないわけで、良心に照らして恥ずかしいという概念がない。
よって嘘を言ってもそれが悪いことだという認識がない。
「騙されるほうが馬鹿だ!」という論理がすべてのことを支配しているので、これと同じ感覚で嘘八百を並べ立てられると、我々は反論の手段を見失ってしまうのである。
少なくともその対応に追れを取ると、それが既成事実として世界中に蔓延してしまうという結果になる。

「日本陸軍と中国」

2006-06-26 07:21:20 | Weblog
雨でぐずついた日曜日の午後、何の気なしにテレビをつけたところ、日高義樹の「ワシントン・レポート」と言う番組が目にはいった。
彼はアメリカの軍事に関して様々なリポートしているが、今回は中国の海軍の増強についてのリポートとなっていた。
最近、中国が軍事力を二桁の伸びを示している、ということは様々な場で言われていることであるが、日本と中国の関係というのは、有史以来の確執ではないかと思う。
海を挟んで隣同士の国ということであればこれも致し方ないことではあろうが、中国側からすれば、われわれは蕃夷なのであろうが、われわれの側からすれば、中国こそ厄介の種という部分がある。
19世紀から20世紀、そして21世紀という時代になると、遣唐使や遣隋使の時代とは違って、情報は一瞬で行き来するわけで、ここまでの過程において双方に様々な誤解というか、確執があった。
我々は1945年、昭和20年、敗戦という結果を余儀なく押し付けられたが、この戦争の遠因も基本的には中国問題であったわけで、中国の取り扱いを巡って日米死力を尽くして相争ったわけである。
結果として、あの争いの終わった4年後に、中国の地に共産主義の大国が誕生したということである。
例によって、またまた図書館の本で、「日本陸軍と中国」という本を読んだ。
この本の内容は、ほとんど読む前から想像のできるものであろうが、基本的に明治維新を経過した日本人、とくに陸軍といわず兵役を教える機関、学校等で対外的な情報を鼓舞された人たちから、その当時の中国というものを見ると、なんとも野蛮な国に見えていたに違いないと思う。
江戸時代末期の日本人は、細々と入って来た情報から、アヘン戦争の顛末や中国、いわゆるシナが西洋列強に蚕食されている情報にも接していたようで、うすうすは中国の事情というものを知っていたと思う。
ところそが、それは同時に、我々の側における、西洋に対する畏敬の念にもなっていたわけで、明治維新を経ることで、どうにか西洋列強の植民地化から免れた我が身の脆弱さから考えて、何とか朝鮮やシナも西洋列強の力を跳ね返すようになって貰いたい、という願望でもあったと思う。
そういう視点で日本の陸軍士官学校を出た若手の日本人が中国の地の入ってみると、この地の人々はあまりにも野蛮であった。
野蛮というよりも、人としての倫理も、道徳も、意識も何も存在していないことに気がついたに違いない。
軍人として、最初は情報収集に徹しようとしていたが、情報を得ようと中国の民の中に入っていけばいくほど、中国民衆のモラルの欠如に辟易して、いっそのことこの地を我々が、つまり日本人が統治して当たりまえの人間として教育しなければならないという境地に至ったものと思う。
今の感覚でいえば、明らかに内政干渉そのものであるが、この時代、この地には国家主権そのものが存在していなかったに違いない。
現実の問題として、この地を平定していた清という王朝は崩壊寸前で、それが辛亥革命で名実ともに倒れたら、もうそれこそ主権国家の体をなしていなかったわけで、それが平定されたのは第2次世界大戦後の1949年の中華人民共和国の誕生まで、実質、主権国家の体をなしていなかったといわなければならない。
主権国家の体をなしていない中国で、日本の陸軍の一部の人が、この地の利権というか、邦人保護という国益か、版図拡大というか、勢力拡大というか、日本の政府の意向を汲んだり汲まなかったり、とわけのわからない状態で関与し続けたのが日中戦争というものだろうと思う。
この当時の日本の政府というのも実にいい加減な部分があって、軍部の独走を止められなかった、という点では実に不甲斐ないことだと思う。
戦後の日本人の一般常識としては、その責任の大部分は軍部が独走したのだから軍部が負うべきだと言う論調だが、不思議なことに昭和の初期の時代と言えども、日本の国会の機能はきちんと機能していたわけで、あの戦争中を通じて極めて民主的な国会運営がなされていたのである。
日中戦争から太平洋戦争を通じて、軍人が独裁政治をしたことは一瞬たりともなかったわけで、議会はきちんと機能していたのである。
そういう状況の中で、軍部が政府の言うことを全く聞かなかった、ということをどう解釈したらいいのであろう。
日本政府というものがきちんと存在しておりながら、その政府が軍をコントロールできなかった、ということは要するに政治家の責任でもあったのではなかろうか。
いえることは軍人が政治を私物化していたということではないかと思う。
それと同じことが中国に進駐した軍人達にも言えるわけで、こういう軍人達は中国の軍の機関の先生や、軍閥の顧問というような役を演じていたわけで、最初から日中でいがみ合っていたわけではない。
そういうことをした結果として、中国軍の先生や軍閥の顧問をしていた日本陸軍の人たちのたどり着いた結論は、中国人というのもの、シナ人というものは、なんとも致し方ない存在、御しがたい存在だということだったわけだ。
第2次世界大戦後、彼らが共産主義で統一されたのは、力の法則というか、殺人の法則というか、死の恐怖による統治であって、法でもなければ倫理でも、なくまして道義でもないわけで、ただただ殺しの文句とテクニックで人々を押さえ込んでいるだけである。
彼らにとって殺しは伝統的、古典的な文化でさえあるわけで、この殺しの文化は共産主義体制の元でも連綿と生きており、中国人である限り、シナ人である限りこれからも生き続けるであろう。
日中戦争の最中でも、日本の陸軍の中には、こういう彼らの民族性を正面から正そう、是正しようと考えていた人もいたが、それこそ相手の立場からすれば内政干渉であり、政治への介入であり、いらぬお節介であったわけである。
日本と中国は好むと好まざると海を挟んで隣同士の国なわけで、これからも何らかのかかわりなしではありえないわけで、そのためにはよほど用心して掛からねばならないと思う。
その為には、こちらが側の常識が通用しないということを肝に銘じておかねばならないと思う。
人のものは自分のもの、自分のものも自分のものという風に、ギブ・アンド・テイクは全く通用しないと思わなければならない。

「エシュロンと情報戦争」

2006-06-24 06:45:37 | Weblog
例によって図書館の本で「エシュロンと情報戦争」という本を読んだ。
「エシュロン」という言葉は既に知っていたが、その実体は知らなかった。
その実体はこの本を読んでも明らかになったというわけではない。
なんだか判ったようで判らない雲を掴むような話だ。
無理もないことで、黒子が衣装を着て表面に出てしまえば黒子の意味を成さないわけで、そういう意味では雲を掴むようなわけのわからない存在ということも納得せざるを得ない。
アングロサクソン系の情報機関とでも言っておくほかない。
本の表題にも情報戦争となっているが、我々はこういうものに実に弱い民族だと思う。
我々の戦争の仕方というのは古代から、「やあやあ我こそは何のだれそれで・・・・・・・」と名乗りを上げて正面から正々堂々と切り込むということが勇猛果敢と称せられて、そういう行為が武人としての立派な行為だと思ってきた。
それこそが武士道として誉れ高き行為だと思われていた。
我々の歴史の中でそういうことが評価された時代も確かにあったであろう。
しかし、人間は常に進化する存在なわけで、20世紀になってもそれが美徳だと思っていては時代に取り残されてしまう。
昔でも間者とか忍者を使うということは往々にしてあったわけで、情報の重要性ということは認識していたが、そういう仕事に対して正当な評価をしていなかった、というのも立派な歴史的事実だと思う。
近代日本にいたっても、情報の収集という仕事の意義は十分に知っていたが、その仕事に対する評価となると誰もそれをしないわけで、日陰者扱いであったわけである。
戦いということを想定したとき、誰も彼もが視線を最前線で銃を取って戦っている人に集中してしまって、補給とか、情報連絡という後方支援のことを忘れてしまうということである。
ところが今日の戦いというのは最前線で銃を撃ち合うなどという20世紀の戦争とは違うわけで、相手を殺さねばならないと思えばピンポイントで攻撃できるわけで、無用な殺傷は極力避ける方針に変わりつつある。
原爆で何十万人殺すとか、爆撃機で都市を絨毯爆撃するなどという古典的な攻撃は廃れたわけで、必要なところをピンポイントで攻撃して無用な殺傷はしない、という方針に変わって来ている。
その為には当然のこと攻撃すべきピンポイントを限定しなければならない。
そのことは、言いかえれば、情報がすべてを制するということになる。
情報といえば我々が思い浮かべるのはマタハリとかゾルゲであるが、ああいう典型的なスパイも今では古典的な存在になってしまった。
今では通信傍受がもっとも基本的な情報戦であると、この本は言っているが、その点でも我々はたち遅れていると警告を発している。
無理もない話だと思う。
我々の認識では、情報戦など卑怯な戦い方だという認識があって、戦いならば正々堂々と正面から戦いましょう、という意識が抜け切れず、情報戦など卑怯だという意識があると思う。
汚い戦い方だという意識が抜け切れないと思う。
そういう意識が抜け切れていないものだから、そういうことに従事する人間の評価も落ちて、優秀な人材がそういうポストの行かないということになる。
私がいつも言うように、補給についても、補給の意義を誰も理解しようとしないので、こういうセクションには優秀な人材が来ない。よって、戦線が無制限に延びきって補給が続かず前線では玉砕ということになってしまう。
情報においても、情報収集という作業は地味な仕事で、華々しい活躍の場がないものだから、誰も情報のありがたみというか、その重要性を理解せず、日の目が当たらないのである。
情報戦を上手に運用すれば、実際問題、戦わずして成果を得られるのに、それでは誰も納得しないのである。
華々しく銃火を交えないことには国益を維持したことに繋がらないのである。
我々は目に見えないものには金を投資しようとは考えないわけで、情報というものも、軍艦や飛行機のように目に見えるものではないので、誰もその意義を認めようとしないのである。
その上、我々は比較的単一民族なものだから以心伝心という技が比較的効きやすく、事細かに説明する必要がないので、コミニケーションと言うことにあまり重要性を見出していないのかもしれない。
我々は真珠湾攻撃でその情報が漏れていて、アメリカ大統領はそれを事前に知っていたということを戦争が終わるまで知らなかったが、こういう点にも我々の民族としての情報の管理、暗号の不徹底さ、秘密の脆弱性というものを軽視する傾向は変わらない。
警備業務をしていて一番目に付く行為が、いわゆる顔パスというものである。
警備担当者がレギュレーションを忠実に実行していても、上のものが「俺の顔を知らないのか」という態度をとるということはよくある話で、そういう点にも秘密に対する弱さというものが如実に現れている。
昨今の我々の生活の中でも個人情報の話が姦しいが、確かに自分の情報を誰かが無断で使って、全く知らないところからダイレクトメールが届くなどということがあるが、その意味では現代では情報を隠すなどということは不可能かもしれない。
情報というのは価値を知らない人にすれば全く無意味なことで、ダイレクトメールが来る程度の情報ならば、そうそう目に角を立てて怒らなければならないほどのことはない。
ただ捨てればそれで済むことである。
たったそれだけのことなのに、「個人増俸を無断で使った」と大騒ぎするセンスのほうがよほど問題である。

「アメリカの落日」

2006-06-23 08:36:59 | Weblog
例によって図書館の本で「アメリカの落日」という本を読んだ。
これも二人の論客の対談という形の本であるが、「アメリカの落日」とは又実に奢り高ぶった表題だと思う。
こういう発想そのものが日本人の奢りだと思う。
アメリカが国連の決議を経ないままイラクに攻め込んだという意味で、国際社会の暴れん坊というニュアンスで語りたいのであろうが、そういうニュアンスの発言というのは相手がアメリカだから言えるのであって、同じニュアンスで中国や北朝鮮ないしは韓国に対して言えるかといえば決して言えないと思うし、言わないはずである。
これは言える相手だから言っているだけのことで、言えば手ひどいシッペ返しの来る相手には言わないわけで、いわば負け犬の遠吠えと同じことである。
そもそも国際政治、ないしは国際関係、外交というものが正義や善や良心で動いていると思うほうが間違っているわけで、地球上の主権国家というものはパワー・ポリテックで動いているわけで、理念や理想などで動いているわけではない。
その意味でサブタイトルの「戦争と正義」というものに関連して、日本の自衛隊にも言及している点には大いに敬服するが、軍事に関する専門家が自衛隊や戦争を論ずることも大事だけれど、本当は国民全般の常識として軍備とか戦略についての知識が広まることのほうがもっと大切だと思う。以前、安保論争が華やかな時期に、「極東の範囲」で国会が紛糾したことがあったが、こんな馬鹿なことが国会で論じられることのほうが安保の問題よりもよほど重要な課題だと思う。
その後の自衛隊の海外派遣でも、銃を持っていくかどうかという論争で、その論争自体がまるで無意味な議論なわけで、その無意味さそのものが国会議員にさえわかってないことのほうがよほど杞憂な問題である。
戦争オンチという言葉でしか表現のしようがない。
戦争オンチということは、そのまま平和オンチにも繋がるわけで、戦争を知らないものが平和についても語れないのは理の当然だと思う。
鉄砲の撃ち合いさえなければそれが平和だと思うことはあまりにも無知ということで、そういうものが平和を論じても話が噛み合わないことは当然のことだと思う。
アメリカの悪口について言えば、アメリカが正義漢ぶった世界の警察官でないことは重々承知しているが、だとしたらそのアメリカの代行を他のどの国に認めるのかという問題に行き着くと思う。
昔の西洋列強、いわゆるヨーロッパは、地球規模で世界の警察官をする気はとうに失われている。彼らは19世紀中においてアジアを抑圧することで既に富の蓄積をしてしまっているので、今更地球規模で世界にしゃしゃり出て火の子を被り、それを振り払う気はない。
アジアに眼を転じれば、中国はそういう機会を虎視眈々と狙っているが、中国をそういう立場におけば被抑圧者になることが目に見えているので、これも世界的に遺棄される。
日本がアジアでそういう意味のレーダーシップを発揮すれば、今度は朝鮮と中国が面白く思わないわけで、やはりそういう役をしえるのはアメリカ以外にないということになってしまう。
だからと言って我々はアメリカが正義だなどとは思ってはならないわけで、アメリカが正義でない以上、我々は清濁併せ呑んで彼らと互角に協力し合わなければならない。
ただ日本人というのは非常に清廉潔白で、この清濁併せ呑むということが理念上できないでわけで、100%正しいことでなければ良心に忸怩たる感情が生まれ、心が晴れず、贖罪の気持ちを捨て去れず、謝ってばかりいるということになる。
清濁併せ呑むことによって国益を利す、という芸当が我々の民族は非常に不得手で、外交ということでも正直をモットーとしているので常に騙されてばかりいるのである。
国際関係において、国益を維持するのに相手が妥協しないからといって戦争という実力行為に出るのが一番下手な外交交渉なわけで、一発の弾丸も使わず、いわば相手を騙して、それこそ話し合いで国益を維持すのが一番の得策であることは論を待たない。
ところが、これは国民の側、つまり裏の事情を知らないものからすると弱腰外交に見えるわけである。
無知な国民からすると、派手な戦争で国益を伸張したほうが祖国愛を刺激されるわけで、そういう状況のほうを好むという傾向がある。
そこで本来ならばマス・メデイアがその真の国益というものを説いて回らなければならないのであるが、これが往々にして無責任にも国民の好む好戦的なデマゴーグを吹聴するという愚を犯すのである。
如何なる主権国家でも、統治される側とする側の確執というものは避けられないわけで、その間にメデイアが介入して国民の側の反政府運動を過大に吹聴するという傾向がある。
先の「奢る日本」という本の中でも記述されていた話で、ポーツマス条約で国益が損なわれたと勘違いして日比谷公園焼き討ち事件を引き起こした愚劣な国民の声を煽ったのは当時の日本のメデイアだったと思う。
統治するものとされるものという区分けをした場合、統治する側が、統治するための秘密というか国民に知らしめるべきでない事柄を握ることも多々有るわけで、何でもかんでも国民の知らしめればそれが善政であるというわけでもない。
統治する側が国益を考えた場合、その国益というのは個人の立場によっても違っているわけで、その裏の事情がわかっていなかったから、軟弱外交といって焼き討ち事件まで起こしたわけで、これがその後の日本の愚劣な国民の精神的基盤となったものと推察する。
私が愚劣な国民と言った場合、当然その中には軍部の人間も含まれ、昭和の軍人の反乱を寛大な眼で見ていた当時の日本国民、または日本のメデイアも当然含まれている。
この本で述べられている「戦争と正義」という本質については、かなり的を得た論議になっているが、「アメリカの落日」という見方は、あまりにも奢り高ぶった意見だと思う。
もちろんアメリカのしていることが正しいことばかりではないことは承知しているが、だからといって我々には他にどんな選択肢があるのか、と自省しなければならないと思う。
我々は好むと好まざると21世紀もアメリカの尻にくっついていかなければならないではないか。
理念の上からは、アメリカに追従しない真の独立ということが理想ではあるが、そんなことを夢見るとすれば、絵に描いた餅を追うようなもので、何時までたってもそれこそ自立さえ出来ない。
国際関係というのは善意とか良心でなりたっているのではなく厳密なリアリズム、いわば利害得失で成り立っているわけで、その生き馬の目を抜く弱肉強食の社会で生き残るためには、理念や理想を声高に叫んでいても埒が明かないわけで、現実に即して利害得失を上手に天秤で測り、メデイアの言うことに振り回されてはならないと思う。

「奢る日本と戦った男」

2006-06-22 18:37:31 | Weblog
これも図書館から借りてきた本であるが、実に立派な本であった。
「奢る日本と戦った男」という本である。
題名が非常に挑発的である。
「奢る日本」というのは確かに言い得て妙である。
内容的には1905年8月に行われた日露戦争の講和条約、ポーツマス会談に際して日本側は得るものが少なかったとして、日比谷公園では焼き討ち事件が起きた講和条約の検証である。
この会談に外から様々な知恵を提供した朝河貫一という人物に焦点を当てた書物であった。
彼が一民間人でありながら、日露交渉に多大な影響力を与えたということであるが、その実績は日本ではあまり評価されていない。
ところが問題の「日本人の奢り」というのは、明治維新を経験した世代がこの世から消え去った頃からそれが顕在化してきたのではないかと思う。
ということは昔の、つまり江戸時代の武士階級が名実ともに消え去った頃から日本人は自分達の奢りということに慢心しだしたのではないかと思う。
つまり、昔のサムライというものが名実ともに失われたということである。
明治維新以降、日本人の進取的な人々はアメリカに渡り、その地で日本人の武士道というものをあちらの言葉で著し、それが彼の地で非常に絶賛された。
それもそのはずである。
武士道というのはいわばノブレス・オブリージを説いたものである以上、封建主義社会を経験した人々には、それはそのまま生きた教訓となりえるわけで、高い教養人同志ならば共感しえる普遍性を持っていたからである。
ところがその非常に敬虔な武士道も、日本では、明治維新の文明開化がそれを根底からぶち壊してしまった。
だから明治以降の日本人は奢る人種になったのである。
我々は、明治維新で四民平等を実現したことを民主化が一歩進歩したという捉え方で今まで来ていたが、それは蓋を開ければ玉石混交で、良貨に悪貨が止めどもなく混じってきたことでもあったわけである。
江戸時代の武士階級というのは人口の10%にも満たなかったし、彼らは農民を直接搾取していたわけでもなかった。
第一江戸時代の大名というのは自分の領地を持っていたとしても、その領民を直接統治していたわけではなく、今の業態でいえば管理代行業の一種であったわけである。
マンション管理組合のようなものであった。
農民を直接搾取していたわけではない。
その中での武士という役割は、あくまでも行政の任に当たる管理者という立場で、今の有態で言えば、何時リストラされるかわからない公務員、官僚という立場だと思う。
今でいう敵対的会社乗っ取りというような場合には、農民やその他の手勢をかき集めて、実力で阻止しなければという場面もあろうかと思うが、基本的には官僚としての管理という役目に徹しようとする人々の集団であった。
ただし彼らの特徴は、その忠誠心が自分の君主つまり城主に向けられていたということである。
忠誠心は城主に向けられていたが、その家臣としての気概には常にノブレス・オブリッジで自らを律していたということはいえると思う。問題はここにある。
ノブレス・オブリッジで自らを律するという点が重要だと思う。
明治維新で四民平等の恩典で立身出世をした人たちにはノブレス・オブリッジで自らを律するという点が理解できなかったに違いない。
質素な生活に徹し、不正な利得を軽蔑すること、品格を保つことなどは武士道の真髄であると同時に、ノブレス・オブリッジとしても当然なことだと思う。
明治の人たちがもっていたこの気高い志、ノブレス・オブリッジがその後の日本人の中から消えていったのは何故であろう。
私の極めて個人的な考えでは、それは明治維新の四民平等という新しい民主化と称する思考のニューベルバーグがその基底にあると思う。
江戸時代には士農工商エタという身分制度が厳然と生きていたが、明治維新で西洋列強の現実を目の当たりにした人々は、この身分制度が日本の発展を阻害する根本だと思い込んでしまった。
この身分制度の下で、「分をわきまえる」という考え方は、極めて重要な思考であったにもかかわらず、戦後の日本の教育では、これを社会システムとして上からの抑圧で、民主化とは相反する思考だからと否定してしまった。
ところがこの「分をわきまえる」ということは、下層のものを律するだけではなく、同時に身分の高い層をも律しているわけで、その部分でそれがノブレス・オブリッジに通じていたのである。
ところが明治維新で四民平等になったので誰も「分をわきまえる」ということをしなくなってしまったため、下層の者、卑しい者、下賎な者、下品な者、はしたない者などが、たった一回のペーパーチェックで高位高官に昇るようになった。
それがノブレス・オブリッジの消滅に繋がったものと考えざるを得ない。
民草、いわゆる領民というか、臣民というか、今の言葉でいえば国民を管理統治するものはやはり江戸時代の言い方で言えば武士であろうと思う。
巨大な民間企業の管理者も、江戸時代に照らして考えれば武士階級だろうと思う。
そういう階層のものが金の亡者になってしまっては、それこそノブレス・オブリッジの消滅ということではなかろうか。
現代の我々の社会はこうなっているように思えてならない。
この本はノブレス・オブリッジについて書いたものではないが、日本では知られることのなかった朝河貫一という学者の生き様からそれを悟らせるようように書かれている。

「語りつぐ戦争」

2006-06-21 07:27:23 | Weblog
またまた図書館から借りてきた本で「語りつぐ戦争」という本を読んだ。
戦争と平和という論点は非常に重苦しいテーマではある。
人類誕生以来決して絶えることのない永遠のテーマではなかろうか。
人は戦争など無意味で、悲惨で、何の価値もないから止めましょうと言いながらし続けているわけで、誰でも平和で暮らしたいと思いつつ戦争をしているのである。
今、北朝鮮がテポドン2号というミサイルの実験をしようかしまいかと言うところらしいが、日本もアメリカも「その実験を止めよ」と言っているにも関わらず北朝鮮は聞く耳を持たないようだ。
イスラム教徒のテロリスト達が9・11事件でWTCビルを壊さなければ、その後のアフガン侵攻も、イラク戦争もなかったはずである。
21世紀の国際社会でも、主権国家の間ではそれこそ国益が錯綜しているわけで、それぞれの国が自国の国益のためにと思って行動すると、それが紛糾の元となるわけで、それが場合によっては戦争ということになる。
戦争が一旦始まれば、その悲惨さは眼を覆うばかりで、誰でも戦争は出来るだけ回避して話し合いで国益を守るべきだという考えに至ることはこれまた当然のことである。
アメリカが国連決議のないままイラク攻撃に踏切ったとき、日本ばかりではなく世界の識者がアメリカの独断専横をなじったが、ならばテロ攻撃というものをどうしたら絶滅できるのか、ということを誰一人提案しなかったではないか。
イスラム原理主義者たちが「聖戦」と言いながらテロをしているのに、誰一人としてそれを話し合いで止めさせることが出来なかったではないか。
あの当時の状況では、イラクが大量破壊兵器を隠匿しているのではないかどうか、ということが論点であったが、アメリカの攻撃の目標は大量破壊兵器の有無ではなくて、イラク国内のテロリストが出たり入ったりしてテロが輸出されることが恐ろしかったのでイラクを攻撃したのである。
物事には必ず因果応報ということがあるわけで、アメリカのイラク攻撃にも、それなりの理由があるが、その理由が我々日本人にとって整合性があるかどうかは又別の問題といわなければならない。
北朝鮮のテポドン2号の発射でも、北朝鮮は自国の国益に沿った意図でもってそういう計画を推し進めているわけで、この北朝鮮の意図を誰か第3者が行って説得しきれるものであろうか。
ベトナム戦争ではアメリカは南ベトナムを支援しきれずに結局は撤退せざるを得なかったが、あれは南ベトナム政府があまりにもひどく、民主主義の概念すら芽生えていなかったからで、それが証拠に北ベトナムに併呑されて共産主義国になってもろくに発展したわけではないではないか。
民主主義であろうが共産主義であろうが、彼らには政治などはどうでもよく、食って糞して寝れればイデオロギーなどどっちでよかったわけである。
アメリカはこんなところで代理戦争などしなくてもよかった筈である。
それにつけても、この当時の日本のべ平連という人々は一体何を考えていたのであろう。
今のイラクでも、1960年代のベトナムでも、アメリカは代理戦争などに首を突っ込むことなどなかったと思う。
その意味ではべ平連の言っていることも整合性がある。
今のイラクでも、当時のベトナムでも、現地の人にやらせておけば、いずれとことんまで殺し合って、お互いに殺しつかれたところで、それ以上戦争の出来ない状況に陥ったに違いない。
そんな中で、日本のべ平連が「アメリカよ帰れ」などと叫ぶことは、陳腐以外の何物でもなかった。
あの当時、日本のべ平連が「アメリカよ帰れ」というその言葉の裏には「ソ連よ来い、中共よ来い」ということで、歴史の流れとしてはそうなった。
そうなればなったで、必然的に粛清という嵐が吹きすさび、それこそまたまた罪のない人々が殺されたわけであるが、この粛清という殺人は戦争ではなく、あくまでも内政の一貫としての殺人なので日本の進歩的、とくにべ平連というような平和団体は大いに歓迎し、口を閉ざしていた。
「ソ連や中共が悪いことするはずがないではないか」という妄信に凝り固まっていた彼らは、自由主義陣営というのは嘘ばかりついて、善良な人を騙しているが、共産主義者は決してそういうことをしていない、と信じて疑わない人たちであった。
日本の平和主義者というのはマッカアサー元帥が言うところの12歳の子供の平和主義で、平和念仏さえ唱えていれば、この世が平和になると思い込んでいる理想主義者である。
これは戦前・戦中に「鬼畜米英」と言っていた大儀の裏返しの現象で、何処をどう切っても観念論の域を出るものではない。
戦時中に相手のことを知りもしないのに、「鬼畜米英」、「天皇陛下万歳」と言っていさえすれば戦争に勝てると信じていた愚と同じことなわけである。
12歳の子供の平和論争に、マスコミや学者や評論家と称する人々が振り回されている図がいかにも愚劣極まりない。
こういう善意の塊のように愚鈍な人から見れば、アメリカが正義感ぶって、民主主義と自由を旗印にベトナムなどで代理戦争することは腹に据えかねたに違いない。
だからアメリカの足は引っ張るが、ソ連や中共に言うことは頭から信じるのである。
日本にかかわりのある戦争被害についても、B29の搭乗員で捕虜の辱めを受けた人は、過去の怨恨を流そうとしているのに、中国の人は過去の怨恨を金つるにしようとしていることをどう考えたらいのであろう。
それは本人の出生の卑しさが、こういう対応の違いに現れているのではなかろうか。

梅雨

2006-06-20 08:23:22 | Weblog
梅雨も本格的かなと思ったら早速梅雨の晴れ間になってしまった。
少し雨が降ると庭一面に雑草が生い茂る。
まさしく雑草の生命力たるや筆舌に尽くしがたい。
それで昨日、草刈機で草刈をした。
散髪の後のように綺麗さっぱりしたという感じがする。
家の北側にはアジサイが控えめに咲いていた。
日本の四季というのは実にいいものだ。