これも例によって図書館から借りてきた本で、「NIPPONの気概」という本を読んだ。
明治以降の日本の著名人38名の人物伝とその時代背景という意味で高校生用の近現代史という感がしないでもない。
私メに限って言えば、名前を知らない人はいないわけで、それなりに歴史上で活躍した人である。
この本に登場している人はいわば歴史上のエースという貫禄で、その評価はほとんど不動のものであるが、歴史というものを考えた場合、こういうエースにだけ焦点を当てていいものだろうか。
歴史には日の当たる場面と影の部分が極めて複雑に輻輳していると思うが、こういうエースたちは、それぞれにその時代に貢献したからこそ、その実績がたたえられ、後世に名声が確立されているので、いわば歴史の表看板であり、時代の寵児であり、艱難辛苦を乗り越えて実績を重ねたという意味では賞賛に値するが、問題は歴史の中で彼らの足を引っ張った人間にも歴史の評価というものを与えなければならないのではなかろうか。
日本人と中国人の比較に、日本人はどんな悪人に対しても、その悪人が死んでしまえば生前の悪行も綺麗さっぱり水に流してしまうが、中国人は死んだ人の墓を暴いて、尚死人に鞭打つと言われている。
中国人ほど悪人を追い詰める必要はさらさらないが、歴史的な評価を得た人々に対して、その当時、そういう人の足を引っ張った人も大勢いるわけで、そういう人に対する歴史的評価、ないしは歴史としての懲罰というのは一切無しで済ませてもいいものだろうか。
歴史というのは、功成り名を成した人を評価するのは当然のことであろうが、そういう人の足を引っ張った人たちというのは、功を成した人の実績の中に埋没してしまって、歴史の表面から忘れ去られてしまっている。
極端な例として、日本が連合軍に敗北してマッカアサーの占領が続き、その占領から解かれ、曲がりなりにも独立しようというサンフランシスコ講和条約に反対した日本の知識人達がいた。
事もあろうに、戦前、戦後を通じて、日本の知性と良識の府であるべきはずの東京大学の先生の中から、日本は占領されたままで構わないと、同胞に唾する輩が現れたのである。
東京大学総長の南原茂を始めとする平和問題談話会というのは、大学の先生方が徒党を組んで、敗戦日本が独立し、新生日本として立ち上がろうかという機運に頭から水を差したわけで、こんな馬鹿な話が許されるであろうか。
これとは又逆のパターンで、日露戦争の時には、我々は資金が枯渇して継戦能力が全くなかったにもかかわらず、ロシアに対して夢のような要求を突きつけよ、100%完全なる帝国主義的発想でもってロシアに当たれとノタマッタ東京帝国大学教授たちがいたわけで、この象牙の塔の無責任振りというのは歴史的にどう解釈したらいいのであろう。
大学の先生というのは確かに統治する側に身を置く立場ではないが、国民を善導すべき立場であることには変わりはないわけで、そういう立場のものが為政者と全く逆の発想をするということを、我々国民としてはどう考えたらいいのであろう。
この本に述べられている38人の名士たちは、そういうもろもろの障害を乗り越えて、所信を貫き首尾よく良い結果をえたから今日歴史的に評価を得ているが、その評価を得るまでの間に、こういう悪意に満ちた知識階層の足の引っ張り合いを超越してきたということに他ならない。
吉田茂が、東大総長を「曲学阿世の輩」と叱り付けて、自分の所信を貫いたから今日があるわけで、又、7人の(6人の東大教授と1人の学習院教授)賢博士の言うことを無視して講和条約をしたから、その後の日本の発展があったといえるのではなかろうか。
中国、清、シナに対して21か条の過酷な条件を出したから日本は世界から警戒されたのに、その上ロシアに対して100%弁解の余地のない帝国主義的植民地獲得案を提示すれば、当時の日本が立ち行かなくなることが当時の大学、当時の東京帝国大学の先生方にはわからなかったのであろうか。
これが大学の先生方の政治的センスというものであろうか。
岸信介の安保改定の問題でも、日本のインテリ、戦後の左翼化した大学の先生を始めとする日本のインテリには、日本の先行きが全く読めていなかったわけで、こんなに先の読めない大学の先生では、日本の将来が全く託せないではないか。
その結果として今日があることはいうまでもない。
日本に共産主義が浸透してきたのは大正11年以前のことであるが、マルキシズムというのは我々にとっては仏教や漢字と同じように完全なる外来文化であった。
ということは当然、当時のインテリ、いわゆる今の言葉でいえば学識経験者から浸透してきたわけで、そのときに学問として研究すべきことが、ミイラ取りがミイラになってしまったわけで、当時の大学が知的に非常にレベルが低く、自分で外来のものを良いか悪いか、日本人にとって整合性があるかどうか、統治のシステムとして矛盾があるかどうか、そういうことを判断する思考能力、自分の頭で考える習慣、そういうものが全く備わっていない人々であったということに他ならない。
ただ外来のものだからありがたいということでしかなかったということである。
ということはオウム真理教にインテリが騙されて入信していたことを同じということである。
20世紀における共産主義の浸透というのは日本だけでなく地球規模で非常に大きな禍根を人類にもたらした。
もともとはドイツ人の考えた共産主義というものが、統治するものにとってまことに変幻自在に変化して人々を抑圧し続けた。
これはイデオロギーそのものの問題ではなく、そのイデオロギーを使った統治の手法の問題であるわけで、日本の大学というのは実に馬鹿で、共産主義というイデオロギーの学術研究をしているうちに、ミイラ取りがミイラになってしまったわけで、そのミイラつまり共産主義者が国民の血税で録を食んでいるという構図である。
何時の世でも一番馬鹿を見るのか国民で、自分達の政府に唾を吐きかけ、自分達の国益を阻害し、他国の利益に貢献する、学識経験者という非国民を自分達の血税で養っているわけである。
大学の先生方が無責任であるように、日本のメデイアというのもそれに劣らず無責任で、大学もメデイアも基本的には国民、庶民、大衆の木鐸でなければ成らないのに、それを忘れて商業主義に毒されて、儲かればいいという現実主義に押し流されている。
今の日本は最高度に栄華の極みに達してしまっているので、明治時代のように命を賭して立ち向かうという場面が全くなくなってしまった。
ハングリー精神というものはとっくの昔に消えうせているので、あるのは全くの刹那主義のみで、今さえよければ、明日さえどうにかなれば、という安易なものでしかない。
それでも生きていけれるのが今の日本である。
大学の先生が率先して自分達の為政者に唾をひっかけるような有様では、若者は何を手本にすべきかわからないのも当然である。
明治以降の日本の著名人38名の人物伝とその時代背景という意味で高校生用の近現代史という感がしないでもない。
私メに限って言えば、名前を知らない人はいないわけで、それなりに歴史上で活躍した人である。
この本に登場している人はいわば歴史上のエースという貫禄で、その評価はほとんど不動のものであるが、歴史というものを考えた場合、こういうエースにだけ焦点を当てていいものだろうか。
歴史には日の当たる場面と影の部分が極めて複雑に輻輳していると思うが、こういうエースたちは、それぞれにその時代に貢献したからこそ、その実績がたたえられ、後世に名声が確立されているので、いわば歴史の表看板であり、時代の寵児であり、艱難辛苦を乗り越えて実績を重ねたという意味では賞賛に値するが、問題は歴史の中で彼らの足を引っ張った人間にも歴史の評価というものを与えなければならないのではなかろうか。
日本人と中国人の比較に、日本人はどんな悪人に対しても、その悪人が死んでしまえば生前の悪行も綺麗さっぱり水に流してしまうが、中国人は死んだ人の墓を暴いて、尚死人に鞭打つと言われている。
中国人ほど悪人を追い詰める必要はさらさらないが、歴史的な評価を得た人々に対して、その当時、そういう人の足を引っ張った人も大勢いるわけで、そういう人に対する歴史的評価、ないしは歴史としての懲罰というのは一切無しで済ませてもいいものだろうか。
歴史というのは、功成り名を成した人を評価するのは当然のことであろうが、そういう人の足を引っ張った人たちというのは、功を成した人の実績の中に埋没してしまって、歴史の表面から忘れ去られてしまっている。
極端な例として、日本が連合軍に敗北してマッカアサーの占領が続き、その占領から解かれ、曲がりなりにも独立しようというサンフランシスコ講和条約に反対した日本の知識人達がいた。
事もあろうに、戦前、戦後を通じて、日本の知性と良識の府であるべきはずの東京大学の先生の中から、日本は占領されたままで構わないと、同胞に唾する輩が現れたのである。
東京大学総長の南原茂を始めとする平和問題談話会というのは、大学の先生方が徒党を組んで、敗戦日本が独立し、新生日本として立ち上がろうかという機運に頭から水を差したわけで、こんな馬鹿な話が許されるであろうか。
これとは又逆のパターンで、日露戦争の時には、我々は資金が枯渇して継戦能力が全くなかったにもかかわらず、ロシアに対して夢のような要求を突きつけよ、100%完全なる帝国主義的発想でもってロシアに当たれとノタマッタ東京帝国大学教授たちがいたわけで、この象牙の塔の無責任振りというのは歴史的にどう解釈したらいいのであろう。
大学の先生というのは確かに統治する側に身を置く立場ではないが、国民を善導すべき立場であることには変わりはないわけで、そういう立場のものが為政者と全く逆の発想をするということを、我々国民としてはどう考えたらいいのであろう。
この本に述べられている38人の名士たちは、そういうもろもろの障害を乗り越えて、所信を貫き首尾よく良い結果をえたから今日歴史的に評価を得ているが、その評価を得るまでの間に、こういう悪意に満ちた知識階層の足の引っ張り合いを超越してきたということに他ならない。
吉田茂が、東大総長を「曲学阿世の輩」と叱り付けて、自分の所信を貫いたから今日があるわけで、又、7人の(6人の東大教授と1人の学習院教授)賢博士の言うことを無視して講和条約をしたから、その後の日本の発展があったといえるのではなかろうか。
中国、清、シナに対して21か条の過酷な条件を出したから日本は世界から警戒されたのに、その上ロシアに対して100%弁解の余地のない帝国主義的植民地獲得案を提示すれば、当時の日本が立ち行かなくなることが当時の大学、当時の東京帝国大学の先生方にはわからなかったのであろうか。
これが大学の先生方の政治的センスというものであろうか。
岸信介の安保改定の問題でも、日本のインテリ、戦後の左翼化した大学の先生を始めとする日本のインテリには、日本の先行きが全く読めていなかったわけで、こんなに先の読めない大学の先生では、日本の将来が全く託せないではないか。
その結果として今日があることはいうまでもない。
日本に共産主義が浸透してきたのは大正11年以前のことであるが、マルキシズムというのは我々にとっては仏教や漢字と同じように完全なる外来文化であった。
ということは当然、当時のインテリ、いわゆる今の言葉でいえば学識経験者から浸透してきたわけで、そのときに学問として研究すべきことが、ミイラ取りがミイラになってしまったわけで、当時の大学が知的に非常にレベルが低く、自分で外来のものを良いか悪いか、日本人にとって整合性があるかどうか、統治のシステムとして矛盾があるかどうか、そういうことを判断する思考能力、自分の頭で考える習慣、そういうものが全く備わっていない人々であったということに他ならない。
ただ外来のものだからありがたいということでしかなかったということである。
ということはオウム真理教にインテリが騙されて入信していたことを同じということである。
20世紀における共産主義の浸透というのは日本だけでなく地球規模で非常に大きな禍根を人類にもたらした。
もともとはドイツ人の考えた共産主義というものが、統治するものにとってまことに変幻自在に変化して人々を抑圧し続けた。
これはイデオロギーそのものの問題ではなく、そのイデオロギーを使った統治の手法の問題であるわけで、日本の大学というのは実に馬鹿で、共産主義というイデオロギーの学術研究をしているうちに、ミイラ取りがミイラになってしまったわけで、そのミイラつまり共産主義者が国民の血税で録を食んでいるという構図である。
何時の世でも一番馬鹿を見るのか国民で、自分達の政府に唾を吐きかけ、自分達の国益を阻害し、他国の利益に貢献する、学識経験者という非国民を自分達の血税で養っているわけである。
大学の先生方が無責任であるように、日本のメデイアというのもそれに劣らず無責任で、大学もメデイアも基本的には国民、庶民、大衆の木鐸でなければ成らないのに、それを忘れて商業主義に毒されて、儲かればいいという現実主義に押し流されている。
今の日本は最高度に栄華の極みに達してしまっているので、明治時代のように命を賭して立ち向かうという場面が全くなくなってしまった。
ハングリー精神というものはとっくの昔に消えうせているので、あるのは全くの刹那主義のみで、今さえよければ、明日さえどうにかなれば、という安易なものでしかない。
それでも生きていけれるのが今の日本である。
大学の先生が率先して自分達の為政者に唾をひっかけるような有様では、若者は何を手本にすべきかわからないのも当然である。