例によって図書館から借りてきた本で「新戦争論『太平洋戦争』の真実」という本を読んだ。
サブタイトルには「戦争と平和について仮想家族、3世代の対話」となっていた。
著者は佐治芳彦という人であったが、サブタイトルにもあるように、3世代の家族の対談という形で説き進められているので、読みやすく判りやすかった。
私にとっては8月15日が近づくとどうしてもこういう話題になりがちであるが、世の中はオリンピックと高校野球に夢中になっている。
戦争を忘れて、そういうスポーツに熱中できるのも、平和なお蔭であるが、ここで言う「お蔭様で平和を享受できている」という現実をありがたく思わず、それが当たり前だと思っているとしたら、大いなる罰当たりだと思う。
平和というのは、心して築き上げるべきものであって、待っておれば向こうからやってくるものではない。
戦後67年も経ち、その間に様々な書物を読んだが、書物をいくら読んだところで、平和に貢献することにはならない。
自分の国の平和に貢献するということは、何も自衛隊に入って積極的に訓練を受けることではないと思う。
もちろん、そういう人はそういう人で素晴らしい貢献ではあるが、すべての人が同じことをする必要はないわけで、基本的に祖国に貢献するということは、普通の社会的な規範に従って、普通の日常生活を送り、目の前のすべきことに果敢に挑戦して、普通にすべきことを普通にこなすことがそのまま自分の祖国に貢献することにつながると思う。
別の言い方をすれば、極々自然の営みを黙々とこなせば、それが最大の祖国への貢献になると思う。
ところが人間というのは『考える葦』であって、無気質に目の前の仕事を黙々とこなすということができず、ついつい誰しも、「自分はこんなことをしていていいだろうか」と、自分のしていることに疑問を持ち、懐疑的になって悩んでしまう。
若い人の場合、学校教育の場では、「自分の好きな職業、好きな仕事を探せ」などと無責任なことを教え込まれているが、そんなものがこの世にそうそう転がっているわけない。
大分部の大人は、最初から自分の好きな職業や仕事にありつけたわけではなく、そんな人は極まれな存在で、大部分の人は嫌だけれども辛抱して継続しているうちに、それが好きになってきた人である。
つまり、人間は成長の過程でいろいろなことを考える、『考える葦』であったわけで、考えすぎるから世の中がおかしくなるのである。
先の大戦で日本は完膚なきまでに敗北した。
その責任は当然の事、戦争指導者にあって、彼らがバカであったという一語に尽きるが、戦後生き残った我々の同胞も、案外こういう単純明快な言葉は発しない。
負けるような戦争ならば、バカでもチョンでも出来る。
昭和の初期の時代からあの戦時中を通じて、我々日本人の認識として、海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀な人材だ、という評価が定着していた。
「そういう優秀な人が戦争指導して、どうして我が祖国は敗北したのだ」というと、彼らは世評通り優秀でなかったからだ、という他ないではないか。
彼ら、つまり「海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀だ」という評価を作り上げたのは、言うまでもなく当時のメディアに他ならない。
戦争を語るとき、我々はメディアの存在を意に介さず、目先の華々しい事象にのみに目を奪われがちであるが、こういう態度、ものの考え方そのものがすでに敗因への道であったに違いない。
ガンの治療にあたって、病気の本質を患者に伝えないまま、つまり患者に本当のことを告知しないまま治療するようなもので、その成果がおぼつかないのも当然のことである。
あの戦争の時に、日本の軍部においては、これと同じことが起きていたわけで、その時点ですでに日本軍としての組織がメルトダウンしていたということに他ならない。
戦前・戦後を通じて、誰もこういう見方をしていないが、日本の敗因は軍部の官僚主義にあると考えられる。
陸軍でも海軍でも、軍の組織が官僚化してしまって、官僚が行政の業務をしているような感覚でもって戦争指導をしていたということである。
官僚。元の大蔵省でも、元の通産省でも、元の文部省でも、本庁の人間は、つまりキャリアー組は組織の末端の人間のことを考え、業務の本旨を考えて仕事をしていたわけではなく、ただただ自分たちの描く理想に近づくために仕事を作り上げていたにすぎない。
東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にいくと、遺骨収集の場所が世界地図で表示されているが、それを見るとアジア大陸全域から太平洋全域にまでわたっている。
あの地図を見ると、日本軍は世界的規模で展開したことが一目瞭然と理解できるが、それは同時に、日本の戦争指導者が如何にバカであったかという証明でもある。
あれを見て、落ちこぼれでコンプレックスの塊のような私でも、「これでは戦争になっていない」と、心底思ったものだ。
そんなことが優秀であるとされた海兵や陸士を出た戦争のプロに判らないはずがない。
判っていたけれども、やらざるを得なかったというのが本音だろぅと思う。
この部分が最大の謎であって、戦争のプロであればあるほど、「してはならない戦争だ」、ということが判っていたにも関わらず泥沼に嵌りこんでいったという事だ。
ならば何故回避できなかったのだろう。
我々の国が戦争に負けたということは、個々の作戦にことごとく失敗したということで、その作戦失敗の積み重ね、その集大成として敗北に至ったわけで、「なぜ失敗するような作戦を練ったのか」という部分が官僚主義の官僚主義たる所以だったという事だ。
官僚機構というのは基本的にピラミット型の強固な組織で、上意下達で上からの命令が滝のように下に降りてくるシステムである。
普通の官庁ならば業務という形であろうが、陸軍省海軍省では作戦という形で、業務というか、仕事というか、任務というか、とにかく命令という形で降りてくるが、その命令を起案し、実践に移すべき案を作るセクションが、素人ばかりであったというわけだ。
戦後に書かれた書物では、こういうセクションにいた人々は、つまり参謀本部とか、大本営とか、海軍軍令部とか、仰々しい呼称で語られているが、こういうセクションにいた人たちが、ものの見事に戦争を知らない戦争音痴であったところに我々の悲劇があった。
こういうセクション、いわゆる戦争指導者や政治指導者が、普通の常識を備えていれば、全世界に兵力を分散するような愚昧な作戦を起案するはずがないではないか。
こういうセクションに詰めていた人たちは、それこそ海兵を出、陸士を出、その上に海軍大学、陸軍大学で恩賜の軍刀をもらった優秀な人たちであろうが、そういう優秀な人が作戦指導して、どうして我々は負けたのだ。
結果から見て、我々が負けたということは、そういう連中が少しも優秀ではなかったということに他ならない。
当然といえば当然のことで、彼らは官僚として現地のことは全く知らないわけで、そして報道と言えば、水増しならばまだ良い方で、時には丸々嘘の報告まであったわけで、これでは真に優秀な人であったとしても、まともな計画・作戦が起案ができるわけもない。
すべての情報が真実であったればこそ、真に有効な作戦ができるのであって、情報が信用ならないでは、まともな作戦は立案のしようもない。
このクラスの高級軍官僚ともなると、当然のこと外国への留学や視察も経験している筈であるが、外国に行っても何一つ学んできていない、という点も実に由々しき問題だと思う。
外国に行って何一つ学んできていない、というのは一人や二人というレベルではなく、行った人が皆が皆、何一つ学んできていないという点も、実に日本的な官僚の在り様だと思う。
まるで物見遊山の外遊であって、国費で相手国の装備を観察するに際して、職業意識がまるで喚起されずに敵情を知るという意識が微塵もなかったという事だ。
これが戦争のプロと言われる高級将校の官僚的在り様であったわけで、まさしく戦争を知らない戦争のプロであったわけだ。
問題は、こういう軍人を「優秀な人材だ」と勘違いする国民の側の浅薄さである。
それは当然のことメディアの責任でもあるわけで、メディアが無責任にも戦争を煽った、という部分もあるが、国民の側がそういうニュースを好んだ、ということもあると思う。
メディア、この時点ではまだ新聞や雑誌という活字メディアが主体であったであろうが、メディアも自分が生き残るためには、国民に媚を売る必要もあって、国民に好かれるような、好まれるような記事を掲載するわけで、それは測らずも軍国主義の吹聴ということになった。
我々の民族が明治維新を経て近代化すると、江戸時代のような鎖国という状態ではおれず、好むと好まざると、国際社会に引っ張り出され、グローバル化の波にさらされて、結果として日清・日露の戦役で勝利したことによって、近代化に成功したかに見えた。
そうなってみると、内側にはまだ貧困の問題を抱え込んでいたため、その貧困の克服として海外雄飛ということに視点が向いたのだが、その事が今日アジアの諸国から植民地支配といわれているが、この問題も我々の内側からこの言葉を使うべきではないと思う。
我々が確かに台湾と朝鮮を支配したことは歴史的事実であるが、それは西洋列強の帝国主義的植民支配とは発想の段階から全く違っているわけで、こういう事は日本の学者諸氏が明確に、日本の国益擁護の論戦を張ってしかるべきだと思う。
江戸時代から、明治維新を経て、近代化が進み、富を求めてアジアに進出する一連の流れは、日本にしてみれば歴史の必然であって、流れがその方向に進むことは必定であろうが、その時点ですでにアジアは西洋列強の支配下にあった。
日本の躍進はその西洋列強の地歩に無理やり割り込むような形になるので、西洋列強が黙って傍観するわけがないのも当然のことで、まさしく弱肉強食の生存競争の場であったというわけだ。
日本がしなければソビエットが、ソビエットがしなければ中国が日本の代わりをしたに違いないが、歴史にはifということがあり得ないので、この論旨は成り立たないが、それが予見されたので日本はアジアに地歩を築こうとしたことは間違いない。
そのためには富国強兵が必然であったわけで、こういう状況下で日本の頭の良い人間は、須らく「国に貢献する」という美辞麗句に酔っていたと考えられる。
それを一番目に見える形で具現化することが、軍人になって直接的に国家に奉仕することであったが、これは貧乏で進学できない人たちに開かれた道であって、家が裕福で高等教育を受けられる環境の人たちは、普通の教育を経て官吏の道を選択したのである。
こういう人は、そもそも頭脳明晰で頭が良いので、将来の展望もそれなりに見えていた筈で、彼らなりに一番合理的な処世術を選択したというわけだ。
官吏といえば、その典型的なコースが東大法学部を出て高等文官試験を経るコースであるが、軍官僚も基本的には同じようなエリートコースで出世していったと考えていいと思う。
問題は、こういうエリートコースを歩んだ高級官僚は、現場を知らないという高級官僚独特の不文律があって、ご幼少にみぎりには頭脳明晰であったが故に、官僚として箔がつけばつくほど、誰でもわかる普通のことは判らなくなる、という官僚病におかされるということである。
これが私ども落ちこぼれの人間には不可解でならないが、彼ら、陸軍でも海軍でも、戦争が終わるまで、「自分たちの戦争の仕方では勝ち目がない」、という事に気が付かないまま敗北したではないか。
千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の世界地図を見れば、普通の日本人ならば誰でも「こんなに戦線を広げれば勝ち目はない」とごく自然に考えるが、彼らはそういう発想に至らなかったではないか。
これこそまさに官僚的発想の作戦であったわけで、戦争を知らない戦争のプロの発想だ、と言わざるを得ない。
そこで問題は官僚的発想ということになるのだが、高級官僚は押しなべて自分の組織の実態を知らないのではないかと思う。
恐らく、下からボトムアップで上がってきたり、横からくる情報の数字で物事を判断していたのであろうが、その情報や数字が全くあてにならないということに思いがいたらず、自分の理想と理念の実現のために作戦を練っていたに違いない。
現場の真実を知っておれば、つまり前線の状況をリアルに掌握しておれば、机上の演習のような杜撰な作戦はありえないが、軍官僚のトップとしてはそういう点に思いが至っていなかったという事だ。
その前段階において、彼らは、今、何をどうすればいいか、どうすべきか、ということが判らないまま、ただ焦燥感に追い立てられて、右往左往していたにすぎないのだと思う。
彼らの仕事は作戦を練ることであって、それは図上演習、机上演習と同じ感覚で、生きた将兵を扱っている、という感覚は微塵もなかったに違いない。
だからいくら杜撰な計画・作戦であっても、貴重な人命が損なわれる、という配慮が欠けていたし、そもそも彼らには生きた人間がそれによって振り回される、という認識そのものがなかったに違いない。
日本は資源がないから南方を占領して、そこの資源を持ってきて戦争を継続する、などということを普通の日本人、普通の常識のある人が考えるわけがないではないか。
南方で資源を確保しても、それをどうやって日本まで運ぶのだと考えれば、その計画の実現性は瞬時にして消え去る運命であったが、我々の官僚は、それをまともに実現しようとしていたではないか。
軍部のエリート官僚、東大法学部を出て高文試験にパスしたエリート官僚がどうしてそういうバカバカしいアイデアに批判の目を向けなかったのだろう。
私は、日本が戦争にのめり込んでいったのは、アメリカのルーズベルトに嵌められたと考えているが、これはこれで、生き馬の目を抜く国際社会を掻い潜るには致し方ない事で、そうであるとするならば、我々ももっともっと外交という駆け引きの現実を学ぶべきであって、綺麗ごとの良い恰好しいという生き方を放棄すべきだと思う。
戦後の政治家の吉田茂は見事にそれを演じたわけで、最小の負担で最大の効果を引き出した、まことに稀有な政治家だと思う。
国際社会というのは、真に卑劣極まりない世界で、日本の政府が弱腰だとみなすと、直ちに自我をあらわにして、自己保全に引きつけようとする。
ロシアのメドベージェフの北方4島の視察も、今回の韓国大統領の竹島訪問も、日本の政府が低迷している隙を狙っての行動であって、こういう事態に適切に対応しようとすると、同胞の中から反対意見が出て、相手を利するような事態になる。
その元の所にはメディアの存在があるけれど、メディアというのは普通のことが普通に機能していてはニュースにならないわけで、相手の行動に毅然と立ち向かう状況ではニュースにならないが、そういう状況下で相手を利する売国奴的な行動をする人が現れれば、ニュース・バリューとしては最高のポイントになるのである。
メディアにとっては日本の国益などどうでもいいわけで、世間が騒げば騒ぐほど、それが飯のタネに繋がるのである。
サブタイトルには「戦争と平和について仮想家族、3世代の対話」となっていた。
著者は佐治芳彦という人であったが、サブタイトルにもあるように、3世代の家族の対談という形で説き進められているので、読みやすく判りやすかった。
私にとっては8月15日が近づくとどうしてもこういう話題になりがちであるが、世の中はオリンピックと高校野球に夢中になっている。
戦争を忘れて、そういうスポーツに熱中できるのも、平和なお蔭であるが、ここで言う「お蔭様で平和を享受できている」という現実をありがたく思わず、それが当たり前だと思っているとしたら、大いなる罰当たりだと思う。
平和というのは、心して築き上げるべきものであって、待っておれば向こうからやってくるものではない。
戦後67年も経ち、その間に様々な書物を読んだが、書物をいくら読んだところで、平和に貢献することにはならない。
自分の国の平和に貢献するということは、何も自衛隊に入って積極的に訓練を受けることではないと思う。
もちろん、そういう人はそういう人で素晴らしい貢献ではあるが、すべての人が同じことをする必要はないわけで、基本的に祖国に貢献するということは、普通の社会的な規範に従って、普通の日常生活を送り、目の前のすべきことに果敢に挑戦して、普通にすべきことを普通にこなすことがそのまま自分の祖国に貢献することにつながると思う。
別の言い方をすれば、極々自然の営みを黙々とこなせば、それが最大の祖国への貢献になると思う。
ところが人間というのは『考える葦』であって、無気質に目の前の仕事を黙々とこなすということができず、ついつい誰しも、「自分はこんなことをしていていいだろうか」と、自分のしていることに疑問を持ち、懐疑的になって悩んでしまう。
若い人の場合、学校教育の場では、「自分の好きな職業、好きな仕事を探せ」などと無責任なことを教え込まれているが、そんなものがこの世にそうそう転がっているわけない。
大分部の大人は、最初から自分の好きな職業や仕事にありつけたわけではなく、そんな人は極まれな存在で、大部分の人は嫌だけれども辛抱して継続しているうちに、それが好きになってきた人である。
つまり、人間は成長の過程でいろいろなことを考える、『考える葦』であったわけで、考えすぎるから世の中がおかしくなるのである。
先の大戦で日本は完膚なきまでに敗北した。
その責任は当然の事、戦争指導者にあって、彼らがバカであったという一語に尽きるが、戦後生き残った我々の同胞も、案外こういう単純明快な言葉は発しない。
負けるような戦争ならば、バカでもチョンでも出来る。
昭和の初期の時代からあの戦時中を通じて、我々日本人の認識として、海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀な人材だ、という評価が定着していた。
「そういう優秀な人が戦争指導して、どうして我が祖国は敗北したのだ」というと、彼らは世評通り優秀でなかったからだ、という他ないではないか。
彼ら、つまり「海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀だ」という評価を作り上げたのは、言うまでもなく当時のメディアに他ならない。
戦争を語るとき、我々はメディアの存在を意に介さず、目先の華々しい事象にのみに目を奪われがちであるが、こういう態度、ものの考え方そのものがすでに敗因への道であったに違いない。
ガンの治療にあたって、病気の本質を患者に伝えないまま、つまり患者に本当のことを告知しないまま治療するようなもので、その成果がおぼつかないのも当然のことである。
あの戦争の時に、日本の軍部においては、これと同じことが起きていたわけで、その時点ですでに日本軍としての組織がメルトダウンしていたということに他ならない。
戦前・戦後を通じて、誰もこういう見方をしていないが、日本の敗因は軍部の官僚主義にあると考えられる。
陸軍でも海軍でも、軍の組織が官僚化してしまって、官僚が行政の業務をしているような感覚でもって戦争指導をしていたということである。
官僚。元の大蔵省でも、元の通産省でも、元の文部省でも、本庁の人間は、つまりキャリアー組は組織の末端の人間のことを考え、業務の本旨を考えて仕事をしていたわけではなく、ただただ自分たちの描く理想に近づくために仕事を作り上げていたにすぎない。
東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にいくと、遺骨収集の場所が世界地図で表示されているが、それを見るとアジア大陸全域から太平洋全域にまでわたっている。
あの地図を見ると、日本軍は世界的規模で展開したことが一目瞭然と理解できるが、それは同時に、日本の戦争指導者が如何にバカであったかという証明でもある。
あれを見て、落ちこぼれでコンプレックスの塊のような私でも、「これでは戦争になっていない」と、心底思ったものだ。
そんなことが優秀であるとされた海兵や陸士を出た戦争のプロに判らないはずがない。
判っていたけれども、やらざるを得なかったというのが本音だろぅと思う。
この部分が最大の謎であって、戦争のプロであればあるほど、「してはならない戦争だ」、ということが判っていたにも関わらず泥沼に嵌りこんでいったという事だ。
ならば何故回避できなかったのだろう。
我々の国が戦争に負けたということは、個々の作戦にことごとく失敗したということで、その作戦失敗の積み重ね、その集大成として敗北に至ったわけで、「なぜ失敗するような作戦を練ったのか」という部分が官僚主義の官僚主義たる所以だったという事だ。
官僚機構というのは基本的にピラミット型の強固な組織で、上意下達で上からの命令が滝のように下に降りてくるシステムである。
普通の官庁ならば業務という形であろうが、陸軍省海軍省では作戦という形で、業務というか、仕事というか、任務というか、とにかく命令という形で降りてくるが、その命令を起案し、実践に移すべき案を作るセクションが、素人ばかりであったというわけだ。
戦後に書かれた書物では、こういうセクションにいた人々は、つまり参謀本部とか、大本営とか、海軍軍令部とか、仰々しい呼称で語られているが、こういうセクションにいた人たちが、ものの見事に戦争を知らない戦争音痴であったところに我々の悲劇があった。
こういうセクション、いわゆる戦争指導者や政治指導者が、普通の常識を備えていれば、全世界に兵力を分散するような愚昧な作戦を起案するはずがないではないか。
こういうセクションに詰めていた人たちは、それこそ海兵を出、陸士を出、その上に海軍大学、陸軍大学で恩賜の軍刀をもらった優秀な人たちであろうが、そういう優秀な人が作戦指導して、どうして我々は負けたのだ。
結果から見て、我々が負けたということは、そういう連中が少しも優秀ではなかったということに他ならない。
当然といえば当然のことで、彼らは官僚として現地のことは全く知らないわけで、そして報道と言えば、水増しならばまだ良い方で、時には丸々嘘の報告まであったわけで、これでは真に優秀な人であったとしても、まともな計画・作戦が起案ができるわけもない。
すべての情報が真実であったればこそ、真に有効な作戦ができるのであって、情報が信用ならないでは、まともな作戦は立案のしようもない。
このクラスの高級軍官僚ともなると、当然のこと外国への留学や視察も経験している筈であるが、外国に行っても何一つ学んできていない、という点も実に由々しき問題だと思う。
外国に行って何一つ学んできていない、というのは一人や二人というレベルではなく、行った人が皆が皆、何一つ学んできていないという点も、実に日本的な官僚の在り様だと思う。
まるで物見遊山の外遊であって、国費で相手国の装備を観察するに際して、職業意識がまるで喚起されずに敵情を知るという意識が微塵もなかったという事だ。
これが戦争のプロと言われる高級将校の官僚的在り様であったわけで、まさしく戦争を知らない戦争のプロであったわけだ。
問題は、こういう軍人を「優秀な人材だ」と勘違いする国民の側の浅薄さである。
それは当然のことメディアの責任でもあるわけで、メディアが無責任にも戦争を煽った、という部分もあるが、国民の側がそういうニュースを好んだ、ということもあると思う。
メディア、この時点ではまだ新聞や雑誌という活字メディアが主体であったであろうが、メディアも自分が生き残るためには、国民に媚を売る必要もあって、国民に好かれるような、好まれるような記事を掲載するわけで、それは測らずも軍国主義の吹聴ということになった。
我々の民族が明治維新を経て近代化すると、江戸時代のような鎖国という状態ではおれず、好むと好まざると、国際社会に引っ張り出され、グローバル化の波にさらされて、結果として日清・日露の戦役で勝利したことによって、近代化に成功したかに見えた。
そうなってみると、内側にはまだ貧困の問題を抱え込んでいたため、その貧困の克服として海外雄飛ということに視点が向いたのだが、その事が今日アジアの諸国から植民地支配といわれているが、この問題も我々の内側からこの言葉を使うべきではないと思う。
我々が確かに台湾と朝鮮を支配したことは歴史的事実であるが、それは西洋列強の帝国主義的植民支配とは発想の段階から全く違っているわけで、こういう事は日本の学者諸氏が明確に、日本の国益擁護の論戦を張ってしかるべきだと思う。
江戸時代から、明治維新を経て、近代化が進み、富を求めてアジアに進出する一連の流れは、日本にしてみれば歴史の必然であって、流れがその方向に進むことは必定であろうが、その時点ですでにアジアは西洋列強の支配下にあった。
日本の躍進はその西洋列強の地歩に無理やり割り込むような形になるので、西洋列強が黙って傍観するわけがないのも当然のことで、まさしく弱肉強食の生存競争の場であったというわけだ。
日本がしなければソビエットが、ソビエットがしなければ中国が日本の代わりをしたに違いないが、歴史にはifということがあり得ないので、この論旨は成り立たないが、それが予見されたので日本はアジアに地歩を築こうとしたことは間違いない。
そのためには富国強兵が必然であったわけで、こういう状況下で日本の頭の良い人間は、須らく「国に貢献する」という美辞麗句に酔っていたと考えられる。
それを一番目に見える形で具現化することが、軍人になって直接的に国家に奉仕することであったが、これは貧乏で進学できない人たちに開かれた道であって、家が裕福で高等教育を受けられる環境の人たちは、普通の教育を経て官吏の道を選択したのである。
こういう人は、そもそも頭脳明晰で頭が良いので、将来の展望もそれなりに見えていた筈で、彼らなりに一番合理的な処世術を選択したというわけだ。
官吏といえば、その典型的なコースが東大法学部を出て高等文官試験を経るコースであるが、軍官僚も基本的には同じようなエリートコースで出世していったと考えていいと思う。
問題は、こういうエリートコースを歩んだ高級官僚は、現場を知らないという高級官僚独特の不文律があって、ご幼少にみぎりには頭脳明晰であったが故に、官僚として箔がつけばつくほど、誰でもわかる普通のことは判らなくなる、という官僚病におかされるということである。
これが私ども落ちこぼれの人間には不可解でならないが、彼ら、陸軍でも海軍でも、戦争が終わるまで、「自分たちの戦争の仕方では勝ち目がない」、という事に気が付かないまま敗北したではないか。
千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の世界地図を見れば、普通の日本人ならば誰でも「こんなに戦線を広げれば勝ち目はない」とごく自然に考えるが、彼らはそういう発想に至らなかったではないか。
これこそまさに官僚的発想の作戦であったわけで、戦争を知らない戦争のプロの発想だ、と言わざるを得ない。
そこで問題は官僚的発想ということになるのだが、高級官僚は押しなべて自分の組織の実態を知らないのではないかと思う。
恐らく、下からボトムアップで上がってきたり、横からくる情報の数字で物事を判断していたのであろうが、その情報や数字が全くあてにならないということに思いがいたらず、自分の理想と理念の実現のために作戦を練っていたに違いない。
現場の真実を知っておれば、つまり前線の状況をリアルに掌握しておれば、机上の演習のような杜撰な作戦はありえないが、軍官僚のトップとしてはそういう点に思いが至っていなかったという事だ。
その前段階において、彼らは、今、何をどうすればいいか、どうすべきか、ということが判らないまま、ただ焦燥感に追い立てられて、右往左往していたにすぎないのだと思う。
彼らの仕事は作戦を練ることであって、それは図上演習、机上演習と同じ感覚で、生きた将兵を扱っている、という感覚は微塵もなかったに違いない。
だからいくら杜撰な計画・作戦であっても、貴重な人命が損なわれる、という配慮が欠けていたし、そもそも彼らには生きた人間がそれによって振り回される、という認識そのものがなかったに違いない。
日本は資源がないから南方を占領して、そこの資源を持ってきて戦争を継続する、などということを普通の日本人、普通の常識のある人が考えるわけがないではないか。
南方で資源を確保しても、それをどうやって日本まで運ぶのだと考えれば、その計画の実現性は瞬時にして消え去る運命であったが、我々の官僚は、それをまともに実現しようとしていたではないか。
軍部のエリート官僚、東大法学部を出て高文試験にパスしたエリート官僚がどうしてそういうバカバカしいアイデアに批判の目を向けなかったのだろう。
私は、日本が戦争にのめり込んでいったのは、アメリカのルーズベルトに嵌められたと考えているが、これはこれで、生き馬の目を抜く国際社会を掻い潜るには致し方ない事で、そうであるとするならば、我々ももっともっと外交という駆け引きの現実を学ぶべきであって、綺麗ごとの良い恰好しいという生き方を放棄すべきだと思う。
戦後の政治家の吉田茂は見事にそれを演じたわけで、最小の負担で最大の効果を引き出した、まことに稀有な政治家だと思う。
国際社会というのは、真に卑劣極まりない世界で、日本の政府が弱腰だとみなすと、直ちに自我をあらわにして、自己保全に引きつけようとする。
ロシアのメドベージェフの北方4島の視察も、今回の韓国大統領の竹島訪問も、日本の政府が低迷している隙を狙っての行動であって、こういう事態に適切に対応しようとすると、同胞の中から反対意見が出て、相手を利するような事態になる。
その元の所にはメディアの存在があるけれど、メディアというのは普通のことが普通に機能していてはニュースにならないわけで、相手の行動に毅然と立ち向かう状況ではニュースにならないが、そういう状況下で相手を利する売国奴的な行動をする人が現れれば、ニュース・バリューとしては最高のポイントになるのである。
メディアにとっては日本の国益などどうでもいいわけで、世間が騒げば騒ぐほど、それが飯のタネに繋がるのである。