ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「新戦争論『太平洋戦争』の真実」

2012-08-12 08:25:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「新戦争論『太平洋戦争』の真実」という本を読んだ。
サブタイトルには「戦争と平和について仮想家族、3世代の対話」となっていた。
著者は佐治芳彦という人であったが、サブタイトルにもあるように、3世代の家族の対談という形で説き進められているので、読みやすく判りやすかった。
私にとっては8月15日が近づくとどうしてもこういう話題になりがちであるが、世の中はオリンピックと高校野球に夢中になっている。
戦争を忘れて、そういうスポーツに熱中できるのも、平和なお蔭であるが、ここで言う「お蔭様で平和を享受できている」という現実をありがたく思わず、それが当たり前だと思っているとしたら、大いなる罰当たりだと思う。
平和というのは、心して築き上げるべきものであって、待っておれば向こうからやってくるものではない。
戦後67年も経ち、その間に様々な書物を読んだが、書物をいくら読んだところで、平和に貢献することにはならない。
自分の国の平和に貢献するということは、何も自衛隊に入って積極的に訓練を受けることではないと思う。
もちろん、そういう人はそういう人で素晴らしい貢献ではあるが、すべての人が同じことをする必要はないわけで、基本的に祖国に貢献するということは、普通の社会的な規範に従って、普通の日常生活を送り、目の前のすべきことに果敢に挑戦して、普通にすべきことを普通にこなすことがそのまま自分の祖国に貢献することにつながると思う。
別の言い方をすれば、極々自然の営みを黙々とこなせば、それが最大の祖国への貢献になると思う。
ところが人間というのは『考える葦』であって、無気質に目の前の仕事を黙々とこなすということができず、ついつい誰しも、「自分はこんなことをしていていいだろうか」と、自分のしていることに疑問を持ち、懐疑的になって悩んでしまう。
若い人の場合、学校教育の場では、「自分の好きな職業、好きな仕事を探せ」などと無責任なことを教え込まれているが、そんなものがこの世にそうそう転がっているわけない。
大分部の大人は、最初から自分の好きな職業や仕事にありつけたわけではなく、そんな人は極まれな存在で、大部分の人は嫌だけれども辛抱して継続しているうちに、それが好きになってきた人である。
つまり、人間は成長の過程でいろいろなことを考える、『考える葦』であったわけで、考えすぎるから世の中がおかしくなるのである。
先の大戦で日本は完膚なきまでに敗北した。
その責任は当然の事、戦争指導者にあって、彼らがバカであったという一語に尽きるが、戦後生き残った我々の同胞も、案外こういう単純明快な言葉は発しない。
負けるような戦争ならば、バカでもチョンでも出来る。
昭和の初期の時代からあの戦時中を通じて、我々日本人の認識として、海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀な人材だ、という評価が定着していた。
「そういう優秀な人が戦争指導して、どうして我が祖国は敗北したのだ」というと、彼らは世評通り優秀でなかったからだ、という他ないではないか。
彼ら、つまり「海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀だ」という評価を作り上げたのは、言うまでもなく当時のメディアに他ならない。
戦争を語るとき、我々はメディアの存在を意に介さず、目先の華々しい事象にのみに目を奪われがちであるが、こういう態度、ものの考え方そのものがすでに敗因への道であったに違いない。
ガンの治療にあたって、病気の本質を患者に伝えないまま、つまり患者に本当のことを告知しないまま治療するようなもので、その成果がおぼつかないのも当然のことである。
あの戦争の時に、日本の軍部においては、これと同じことが起きていたわけで、その時点ですでに日本軍としての組織がメルトダウンしていたということに他ならない。
戦前・戦後を通じて、誰もこういう見方をしていないが、日本の敗因は軍部の官僚主義にあると考えられる。
陸軍でも海軍でも、軍の組織が官僚化してしまって、官僚が行政の業務をしているような感覚でもって戦争指導をしていたということである。
官僚。元の大蔵省でも、元の通産省でも、元の文部省でも、本庁の人間は、つまりキャリアー組は組織の末端の人間のことを考え、業務の本旨を考えて仕事をしていたわけではなく、ただただ自分たちの描く理想に近づくために仕事を作り上げていたにすぎない。
東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にいくと、遺骨収集の場所が世界地図で表示されているが、それを見るとアジア大陸全域から太平洋全域にまでわたっている。
あの地図を見ると、日本軍は世界的規模で展開したことが一目瞭然と理解できるが、それは同時に、日本の戦争指導者が如何にバカであったかという証明でもある。
あれを見て、落ちこぼれでコンプレックスの塊のような私でも、「これでは戦争になっていない」と、心底思ったものだ。
そんなことが優秀であるとされた海兵や陸士を出た戦争のプロに判らないはずがない。
判っていたけれども、やらざるを得なかったというのが本音だろぅと思う。
この部分が最大の謎であって、戦争のプロであればあるほど、「してはならない戦争だ」、ということが判っていたにも関わらず泥沼に嵌りこんでいったという事だ。
ならば何故回避できなかったのだろう。
我々の国が戦争に負けたということは、個々の作戦にことごとく失敗したということで、その作戦失敗の積み重ね、その集大成として敗北に至ったわけで、「なぜ失敗するような作戦を練ったのか」という部分が官僚主義の官僚主義たる所以だったという事だ。
官僚機構というのは基本的にピラミット型の強固な組織で、上意下達で上からの命令が滝のように下に降りてくるシステムである。
普通の官庁ならば業務という形であろうが、陸軍省海軍省では作戦という形で、業務というか、仕事というか、任務というか、とにかく命令という形で降りてくるが、その命令を起案し、実践に移すべき案を作るセクションが、素人ばかりであったというわけだ。
戦後に書かれた書物では、こういうセクションにいた人々は、つまり参謀本部とか、大本営とか、海軍軍令部とか、仰々しい呼称で語られているが、こういうセクションにいた人たちが、ものの見事に戦争を知らない戦争音痴であったところに我々の悲劇があった。
こういうセクション、いわゆる戦争指導者や政治指導者が、普通の常識を備えていれば、全世界に兵力を分散するような愚昧な作戦を起案するはずがないではないか。
こういうセクションに詰めていた人たちは、それこそ海兵を出、陸士を出、その上に海軍大学、陸軍大学で恩賜の軍刀をもらった優秀な人たちであろうが、そういう優秀な人が作戦指導して、どうして我々は負けたのだ。
結果から見て、我々が負けたということは、そういう連中が少しも優秀ではなかったということに他ならない。
当然といえば当然のことで、彼らは官僚として現地のことは全く知らないわけで、そして報道と言えば、水増しならばまだ良い方で、時には丸々嘘の報告まであったわけで、これでは真に優秀な人であったとしても、まともな計画・作戦が起案ができるわけもない。
すべての情報が真実であったればこそ、真に有効な作戦ができるのであって、情報が信用ならないでは、まともな作戦は立案のしようもない。
このクラスの高級軍官僚ともなると、当然のこと外国への留学や視察も経験している筈であるが、外国に行っても何一つ学んできていない、という点も実に由々しき問題だと思う。
外国に行って何一つ学んできていない、というのは一人や二人というレベルではなく、行った人が皆が皆、何一つ学んできていないという点も、実に日本的な官僚の在り様だと思う。
まるで物見遊山の外遊であって、国費で相手国の装備を観察するに際して、職業意識がまるで喚起されずに敵情を知るという意識が微塵もなかったという事だ。
これが戦争のプロと言われる高級将校の官僚的在り様であったわけで、まさしく戦争を知らない戦争のプロであったわけだ。
問題は、こういう軍人を「優秀な人材だ」と勘違いする国民の側の浅薄さである。
それは当然のことメディアの責任でもあるわけで、メディアが無責任にも戦争を煽った、という部分もあるが、国民の側がそういうニュースを好んだ、ということもあると思う。
メディア、この時点ではまだ新聞や雑誌という活字メディアが主体であったであろうが、メディアも自分が生き残るためには、国民に媚を売る必要もあって、国民に好かれるような、好まれるような記事を掲載するわけで、それは測らずも軍国主義の吹聴ということになった。
我々の民族が明治維新を経て近代化すると、江戸時代のような鎖国という状態ではおれず、好むと好まざると、国際社会に引っ張り出され、グローバル化の波にさらされて、結果として日清・日露の戦役で勝利したことによって、近代化に成功したかに見えた。
そうなってみると、内側にはまだ貧困の問題を抱え込んでいたため、その貧困の克服として海外雄飛ということに視点が向いたのだが、その事が今日アジアの諸国から植民地支配といわれているが、この問題も我々の内側からこの言葉を使うべきではないと思う。
我々が確かに台湾と朝鮮を支配したことは歴史的事実であるが、それは西洋列強の帝国主義的植民支配とは発想の段階から全く違っているわけで、こういう事は日本の学者諸氏が明確に、日本の国益擁護の論戦を張ってしかるべきだと思う。
江戸時代から、明治維新を経て、近代化が進み、富を求めてアジアに進出する一連の流れは、日本にしてみれば歴史の必然であって、流れがその方向に進むことは必定であろうが、その時点ですでにアジアは西洋列強の支配下にあった。
日本の躍進はその西洋列強の地歩に無理やり割り込むような形になるので、西洋列強が黙って傍観するわけがないのも当然のことで、まさしく弱肉強食の生存競争の場であったというわけだ。
日本がしなければソビエットが、ソビエットがしなければ中国が日本の代わりをしたに違いないが、歴史にはifということがあり得ないので、この論旨は成り立たないが、それが予見されたので日本はアジアに地歩を築こうとしたことは間違いない。
そのためには富国強兵が必然であったわけで、こういう状況下で日本の頭の良い人間は、須らく「国に貢献する」という美辞麗句に酔っていたと考えられる。
それを一番目に見える形で具現化することが、軍人になって直接的に国家に奉仕することであったが、これは貧乏で進学できない人たちに開かれた道であって、家が裕福で高等教育を受けられる環境の人たちは、普通の教育を経て官吏の道を選択したのである。
こういう人は、そもそも頭脳明晰で頭が良いので、将来の展望もそれなりに見えていた筈で、彼らなりに一番合理的な処世術を選択したというわけだ。
官吏といえば、その典型的なコースが東大法学部を出て高等文官試験を経るコースであるが、軍官僚も基本的には同じようなエリートコースで出世していったと考えていいと思う。
問題は、こういうエリートコースを歩んだ高級官僚は、現場を知らないという高級官僚独特の不文律があって、ご幼少にみぎりには頭脳明晰であったが故に、官僚として箔がつけばつくほど、誰でもわかる普通のことは判らなくなる、という官僚病におかされるということである。
これが私ども落ちこぼれの人間には不可解でならないが、彼ら、陸軍でも海軍でも、戦争が終わるまで、「自分たちの戦争の仕方では勝ち目がない」、という事に気が付かないまま敗北したではないか。
千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の世界地図を見れば、普通の日本人ならば誰でも「こんなに戦線を広げれば勝ち目はない」とごく自然に考えるが、彼らはそういう発想に至らなかったではないか。
これこそまさに官僚的発想の作戦であったわけで、戦争を知らない戦争のプロの発想だ、と言わざるを得ない。
そこで問題は官僚的発想ということになるのだが、高級官僚は押しなべて自分の組織の実態を知らないのではないかと思う。
恐らく、下からボトムアップで上がってきたり、横からくる情報の数字で物事を判断していたのであろうが、その情報や数字が全くあてにならないということに思いがいたらず、自分の理想と理念の実現のために作戦を練っていたに違いない。
現場の真実を知っておれば、つまり前線の状況をリアルに掌握しておれば、机上の演習のような杜撰な作戦はありえないが、軍官僚のトップとしてはそういう点に思いが至っていなかったという事だ。
その前段階において、彼らは、今、何をどうすればいいか、どうすべきか、ということが判らないまま、ただ焦燥感に追い立てられて、右往左往していたにすぎないのだと思う。
彼らの仕事は作戦を練ることであって、それは図上演習、机上演習と同じ感覚で、生きた将兵を扱っている、という感覚は微塵もなかったに違いない。
だからいくら杜撰な計画・作戦であっても、貴重な人命が損なわれる、という配慮が欠けていたし、そもそも彼らには生きた人間がそれによって振り回される、という認識そのものがなかったに違いない。 
日本は資源がないから南方を占領して、そこの資源を持ってきて戦争を継続する、などということを普通の日本人、普通の常識のある人が考えるわけがないではないか。
南方で資源を確保しても、それをどうやって日本まで運ぶのだと考えれば、その計画の実現性は瞬時にして消え去る運命であったが、我々の官僚は、それをまともに実現しようとしていたではないか。
軍部のエリート官僚、東大法学部を出て高文試験にパスしたエリート官僚がどうしてそういうバカバカしいアイデアに批判の目を向けなかったのだろう。
私は、日本が戦争にのめり込んでいったのは、アメリカのルーズベルトに嵌められたと考えているが、これはこれで、生き馬の目を抜く国際社会を掻い潜るには致し方ない事で、そうであるとするならば、我々ももっともっと外交という駆け引きの現実を学ぶべきであって、綺麗ごとの良い恰好しいという生き方を放棄すべきだと思う。
戦後の政治家の吉田茂は見事にそれを演じたわけで、最小の負担で最大の効果を引き出した、まことに稀有な政治家だと思う。
国際社会というのは、真に卑劣極まりない世界で、日本の政府が弱腰だとみなすと、直ちに自我をあらわにして、自己保全に引きつけようとする。
ロシアのメドベージェフの北方4島の視察も、今回の韓国大統領の竹島訪問も、日本の政府が低迷している隙を狙っての行動であって、こういう事態に適切に対応しようとすると、同胞の中から反対意見が出て、相手を利するような事態になる。
その元の所にはメディアの存在があるけれど、メディアというのは普通のことが普通に機能していてはニュースにならないわけで、相手の行動に毅然と立ち向かう状況ではニュースにならないが、そういう状況下で相手を利する売国奴的な行動をする人が現れれば、ニュース・バリューとしては最高のポイントになるのである。
メディアにとっては日本の国益などどうでもいいわけで、世間が騒げば騒ぐほど、それが飯のタネに繋がるのである。

「昭和の記憶を掘り起こす」

2012-08-10 19:11:49 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和の記憶を掘り起こす」という本を読んだ。
サブタイトルには「沖縄、満州、ヒロシマ、ナガサキの極限状況」となっている。
この本はオーラル・ヒストリーと称して、供述調書のように当事者とのインタビューで綴られている。
だから、真の歴史として認知されるかどうかという点に、一抹の不安を抱え込んだ書き方になっている。
こういう点に我々の民族の生真面目さが表れるわけで、我々が過去に経験したことを語り継ぐのに、歴史の正確さなど些末な問題だと思うのだが、この本の著者はそうは考えていない。
冒頭に沖縄の話から始まっているが、沖縄戦において住民の自決に、軍が関与したかどうかの問題は、実に難しい問題だと思う。
この件に関しては、大江健三郎の『沖縄ノート』の裁判でも日本中の関心を集めたが、裁判では一応大江健三郎の主張を認め、軍は関与したという結論付けがなされた。
大江健三郎の『沖縄ノート』には、同胞からも批判的な視点で見られているにもかかわらず、それでも日本の最高裁が大江氏の主張を認めたということは、戦後の日本のメンタリティがこういう方句にある、という事を指し示している。
日本の最高裁の裁判官も、祖国や同胞を愛するという気持ちを持ち合わせておらず、口先だけの平和志向というべきか、売国奴的思考というべきか、ポピリズムの究極の姿というべきことなのであろう。
沖縄戦が始まった時、座間味島には梅沢大尉が、渡嘉敷島には赤松大尉がいて、島の防衛にあたっていたが、米軍がいよいよ上陸してくるという時になって、島の長老がそれぞれの防衛隊長のところに自決用の手りゅう弾を貰い受けようと要請に来た。
だが、各隊長は「民間人は降伏すればいい」と諭して返したと言われている。
私の知り得た知識ではこうなっているが、何しろ激戦の真っ最中なわけで、誰が、何時、何を、どう言ったか、ということは正確には判らないのが本当だと思う。
小さな島で、今まで鬼畜米英と言っていた敵軍が押し寄せてくるという現実を前に、若い指揮官もその対応に困ったであろうとは思うし、年取った島の長老は、敵に蹂躙されるよりは自決を選んだ方がまだましだ、と考えるのも自然の成り行きであろうと想像する。
そういう中で司令官が自決を強いたとか、強要したとか、命令したという明確な立ち居振る舞いは、証明し切れないと思う。
命令のあるなしにかかわらず、あの当時、あの状況下で、普通の民間人であればこそ、「敵に蹂躙されるよりは自ら死を選択した方がましだ」という考え方が深く浸透していたことの方が不思議だ。
確かに人々の団結を強固にするために、「アメリカ兵に捕まれば女は犯され、男は八裂ぎにされる」という流言飛語が流布していたことは確かであろうが、そういう潜在意識の中で、住民がそれを真に受けて、早合点するケースも多々あったに違いない。
あの戦争中の期間を通じて、日本の軍人の全てが品行方正であったとは思えず、私利私欲に走り、自己の保身に現を抜かし、他者をコケにした軍人も数多くいたことは事実であろうと思う。
そもそも「勝!勝!」と言いながら戦争指導して、結果として大敗北を帰し、国民に嘘を言い続けてきた旧軍人、軍部に対して、怨嗟の気持ちを拭い切れないのは戦後に生き残ったすべての同胞に共通の潜在意識ではなかろうかと思う。
この本に書かれているすべての人が、そういう思いであったことは否定できない。
だが大江健三郎が、あの戦時中の個々の将兵の責任を、自分の価値観で断罪するということはあまりにもおこがましい行為である。
自分は安全な場所に身を置いて、人が必至で敵と戦っているのを傍観者として眺めている構図でしかない。
あの当時、あの状況下で、地元住民が自決を切望することも十分考えられることで、先走った住民が絶望が目の前に控えていると悟って、早まった行動に出ることも十分考えられる。
あの状況下で、若い司令官、つまり防衛隊長としては、軍の規範からすれば住民の保護は2次的な任務で、本来の任務はあくまでも敵の上陸阻止であった筈である。
このあたりの比重のかけ方、ウエイトのかけ方、取捨選択の裁量によって、司令官、指揮官の人間性が問われることになるわけで、二律背反的な要因が濃厚な場面であるが、普通の常識のある人間ならば、あの状況下では戦闘の勝ち目は望めないと判断するのが当然であろうと思う。
この二つの島の防衛隊長、梅沢、赤松大尉は、あの状況下でよく戦ったと思う。
こういう指揮官は、敵側も一目置いて、敬意を表するのが武人の共通認識だと思う。
それに引き換え、そういう同胞に、後ろから言葉の銃弾・悪口雑言を浴びせる大江健三郎の存在というのは、実に由々しき問題で、戦後の日本が堕落するのも無理ない話だと思う。
何度も言うが、あの戦争を通じて日本をミスリードした軍人・軍部は数限りなくいる。
しかし、末端の将兵は実に健気に上からの命令を実践しようとして、そのことが結果的に玉砕につながり、集団自決につながったわけで、銃後にいた人が前線にいた人を後から非難中傷する行為は、許されるべき事ではない。
この裁判では結論として、大江健三郎の側が勝って、梅沢、赤松氏の告訴は敗訴になったが、この最高裁の決定そのものに、戦後の日本の価値観、戦争観、安全保障に対する考え方の基軸がにじみ出ている。
実に穢れなき心優しい性善説で、この世に悪人は一人もいないという発想で、悪人そうに見えるのは国家がそういう色眼鏡で見るからだという論理のようだ。
我々の国は実に美しい国で、人々の幸福はお上が無条件に下賜されるので、人々は心豊かに極楽浄土を拝んでおれば、災禍は避けて通ってくれる、という他力本願の思考である。
実に子供、中でも幼児のように穢れを知らない無色透明で純白な精神構造であって、ひねた大人の価値観から見ると、実に生真面目、クソ真面目、素朴、純真、理想主義、無知、バカという言葉が並ぶ。
日本の戦争が終わって今年で67年になるが、この間に様々な書き物を読んでみると、我が同胞の軍人の中にも本当の悪人は大勢居るので、大江健三郎がそういう人間を告発したくなる気持ちも十分理解できるが、それにしてはその志があまりにも低すぎる。
いやしくもノーベル賞を受賞した文学者ならば、文学者にふさわしい言葉で告発すべきであって、自分の怒りの感情を、そのまま直截な語彙でストレートに表現するということは、文学者にあるまじき行為だと思う。
この本は「昭和の記憶」と銘打っているが、あの戦争を通じて、我々日本民族は完全に軍国主義に洗脳されていた。
洗脳という言葉を使うと、我々は共産主義者やオウム真理教の釈伏を思い浮かべるが、我々を洗脳した主体は一体何であったのだろう。
昭和天皇が国民に向かって「軍国主義に帰依せよ」といった風でもなければ、東条英機が言ったようにも思えないが、いったい誰が軍国主義を順守するように仕掛けたのであろう。
どうもそれを率先して積極的に推し進めた主体というのはなかったみたいに思える。
世の中の評論家とか、大学の先生方というのは、ああでもないこうでもないと百家争鳴の観を呈しているが、軍国主義の根源を明らかにした者はいない。
俗に教育勅語が元凶だとか、軍人勅諭が元凶だと言われているが、あんなものはどこの主権国家でも普通にあることなわけで、日本だけが特別であったわけではない。
私がつらつら考えるに、昭和の奇態の時代というのは、明治維新の後遺症ではなかったかと思う。
明治維新で我々は四民平等を勝ち取った。
此処でその本質を深く考察すると、四民平等ということは、我々の民族の中では玉石混交、もう一つ別の言い方をすると、味噌も糞も一緒くたになったということにつながる。
そこにもってきて、我々の民族は、古来から「万機口論に決すべし」という不文律ももっていたわけで、明治以降になって、四民平等と万機公論が合体してしまうと、文字通り百家争鳴になってしまって、意見の収取が暗礁に乗り上げて結論が出なくなってしまった。
大正時代の自由民権運動は、その具体的な事例であって、政党政治というのは不毛の議論を延々と続けていたので、血気にはやった青年将校が立ち上がってしまったということだと考えられる。
此処で考えねばならないことは、知識人の役目である。
自由民権運動の中で、人々が自由に自分の意見を言う事は民主主義にとっては良い事であるが、意見を言うだけで、結論を導き出す才覚が稚拙であったので、不毛の議論の繰り返しになり、若手軍人の堪忍袋の緒が切れてしまったということになった。
ここで本来ならば知識人・教養人とメディアがタイアップして、意見の集約に努めるべきであった。
民主主義というのは基本的に言葉の戦争の場だと思う。
ところが我々は、ある問題を理性的に冷静に話し合って、議論を重ねるという術に稚拙わけで、論理的な議論の積み立て、積み重ね、冷静に相手を説得する、相手の言い分を冷静に聞く、という術に不慣れなわけで、すぐに感情論に陥り、感情で物事を判断してしまうので、解決策が見つけられない。
例えば、原子力発電の安全性という場合、100%完全なる安全というのはありえないわけで、だったら「安全でないものは作るな」という論理になる。
ならば、「将来のエネルギー政策はどうすればいいか?」と反駁すると、「それは政府が考えるべきでことだ」と問題を他に転嫁して逃げるのである。
四民平等で、誰でも彼でもが万機公論に嘴を差し挟める状況であってみれば、極めて民主的で良好な社会でなければならないが、出来上がった社会は衆愚政治そのもので、典型的なポピリズムの社会であった。
それに飽き足らない軍人が、不毛の議論に明け暮れている政治家を抑え込んでしまった、という構図だと考えられる。
何度も言うように、こういう状況を打破すべきが本来ならば知識人、教養人、メデイア、評論家というよう人々でなければならなかったが、そういう人たちが保身に走り、沈黙を守り、象牙の塔に閉じこもってしまったが故に、軍人が跋扈する世の中になってしまったのである。
軍人、特に徴兵制度で集められた下士官・兵たちは、国民各層、各階級の声なき声を身に染みて体得しているわけで、不毛の議論に明け暮れている政治家や為政者には、甚だしい嫌悪感を抱いていたに違いない。
大江健三郎の深層心理には、こういう鬱積した気持ちがあったればこそ、自らの属する日本社会というものに信がおけず、同胞を貶めるような言辞を弄しているに違いない。
日本社会の中で、同胞の悪口を声高に叫ぶことで衆愚の注目をひき、そのことによって知名度を上げ、売文業を生業として、福祉を享受しながら、後ろ脚で自分の祖国と自分の同胞に砂を引っ掛けている姿なのである。
昭和の初期の時代に、軍人が跋扈しかけた時に、軍人の首に鈴を付けるべき使命を負ったのが、本来ならば教養人と言われる人々であり、メデイアの人々でなければならなかった。
2・26事件が起きた時、国民の側には青年将校たちの決起を容認する空気が強く、彼らに対する嘆願書も数多くあったと言われているが、当時も今も、国民と言われる人々、市民と呼称される人々は、これほどまでに愚昧であり衆愚であったという事だ。
あの戦争を引き起こして、どんどん深みに嵌っていったのは明らかに軍人の専横であったが、その軍人の背景、軍隊・軍部の後ろには、当時の日本国民の声なき声が反映されていたわけで、彼らは当時の国民の声なき声を代弁していたということになる。
何故、軍人・青年将校たちが国民の声を代弁する仕儀に至ったかと言えば、それは政治家が堕落していて不毛の議論ばかりしていたからに他ならず、何故、政治家が不毛の議論に明け暮れていたかと言えば、四民平等で万機公論に決すべく口角泡を飛ばしていたからである。
それを是正し軌道修正すべきが、何度もいうように知識人、教養人であった筈である。
昨年の大震災で東京電力の福島原子力発電所が被災して放射能が飛び散ったら、日本の全知識人、教養人、メディア、評論家、大学教授等々すべてが、原発反対の狼煙をあげたが、こんな安易な付和雷同があって良いわけないではないか。
彼らの教養知性は一体どこに飛んで行ってしまったのかと言いたい。
学識経験者であればこそ、「あの大事故を教訓にして、より安全なノウハウを探りましょう、こういう事故に耐えられる技術を築きましょう」というのならば、学者として普通の思考であるが、「原発が危険なことが立証されたのだから直ちに止めましょう」では、幼児の発想でしかないではないか。
「原発は危険だから止めましょう」というアピールは非常に大衆受けしやすい言辞であって、こういうスローガンは大衆という名の衆愚には受け入れやすいが、それだけに、どこまでも無責任なわけで、これが戦前の日本国民の中にも蔓延していた雰囲気ではなかったかと思う。
メディアの表層的な報道に惑わされて、ドイツはきっとヨーロッパの覇者になるから、今の内にバスに乗り遅れないようしよう、という安易な思考であったと思う。
ところが、国民、大衆というのは、所詮この程度のもので、メデイアの無責任極まりない報道を真に受けて、「あっちの水は苦いぞ、こっちの水が甘いぞ」と言われるたびに、あっちに行ったりこっちに行ったり、バスに乗り遅れまいと右往左往するのである。
まさに四民平等、万機公論に決すべしの具現化の結果そのものである。

「昭和の戦争」

2012-08-08 08:11:46 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和の戦争」という本を読んだ。
また8月15日が近づくと、戦争にまつわる話題が多くなるであろうが、あの戦争が終わって67年目になる。
明治維新が1868年、それから西洋列強に追いつき追い越せで1894年に日清戦争、その10年後の1904年に日露戦争、ここで世界の5大強国になったとうぬぼれて、1914年に第1次世界大戦に足を踏み入れ、その23年後の1937年に中国に攻め入った。
明治維新から太平洋戦争の敗北で日本が廃墟となってしまうまでの時間は77年間であった。
栄華盛衰世の習いというのは、地球上の生きとし生けるものには普遍的なことなのであろう。
今からあと10年たつと、日本は再び無に帰る、という事なのであろうか。
歴史は繰り返すというが、果たして我々の歴史も再び繰り返しをするのであろうか。
私はこういう事を考えるとき不思議でならないことがある。
それは、戦争というものは、強欲な為政者が、国民の犠牲の上に、私利私欲を肥やすために行っている、という戦後の我が同胞の知識階層の思考であって、21世紀の我が同胞は、本当にそんなことを思っているのであろうか。
私はデモクラシーというものをあまり信用しておらず、マス、大衆、庶民というのは、基本的にバカな存在だと思っている。
明治維新から昭和の戦争の敗北までの77年間、日本と日本民族の評価は、幸か不幸か、軍人、兵隊、将兵によって確保され維持されていたと思う。
その間の様々な戦争の結果として、軍人、軍部、それぞれの将兵が活躍したからこそ、世界の5大強国になり、日本という国も民族も、世界から崇められる存在になった。
然し、民族の栄華盛衰、あるいは優れた文化を持った人々の衰退というのは、いわゆる内部からの崩壊がなさしめているのではなかろうか。
アメリカのインデイアン、ネイテイブ・アメリカンはヨーロッパから来た人々に依って席巻されてしまったが、他の古代文明はすべて内部崩壊で滅びたのではなかろうか。
古代インカ帝国は、ほんのわずかなスペイン人に滅ぼされたと言われているが、スペイン人に滅ぼされたというよりも、民族として自らメルトダウンしたとみなすべきだと思う。
私の個人的な考えでは、明治維新の時の「四民平等」という考え方は、戦後の民主主義の中では非常に評判が良くて、それがあったればこそ、近代化を成就しえたという認識であろうと思う。
ところが私にはそうとは思えず、あの四民平等は玉石混交を促し、味噌も糞も一緒くたにする思考だと思う。
江戸時代の士農工商という身分制度は、士分のモノが他の身分のモノを抑圧するという意味ではなく、あくまでも「身分をわきまえた行動規範を守れ」、という意味で、身分制度が固定化されていたわけではない筈である。
それが証拠に、士分のモノが百姓になったり、百姓が名字帯刀を許されたりと、かなり流動的であったではないか。
問題は如何なる階層であろうとも、分をわきまえておれば平穏に生活できたが、この分をわきまえるということは、ある意味で「矜持を持って生きる」という事であるが、これが明治維新の四民平等では全否定されたところに問題がある。
この世に生れ出た人間には、身分の如何にかかわらず、頭の良い人間とそうでない人間は必然的に混じり合って存在している。
究極の民主主義で、過去の如何なる身分制度にもとらわれず、ペーパーチェックのみで選抜する制度があれば、過去のすべての階層からそれに応募してくることは当然の帰結である。
当然のこと、如何なる階層であろうとも、そういう制度を利用して公募に応じてくるモノは、頭の良い人間で、頭脳明晰、学術優秀というモノに決まっている。
究極の民主主義の実践として、そういう篩を通過してきた連中は、ペーパーチェックは見事にクリアーしてきたが、彼らの潜在意識まで究極の民主主義が浸透していたかどうかは甚だ疑問なわけで、そこに日本が奈落の道に転がり落ちた最大の理由がある。
ここの個人の持つ品性や教養は一朝一夕で出来るものではなく、3世代経ないと真の品性や教養は身につかないわけで、たった1回のペーパーチェックをクリアーしたとしても、生来の品性の卑しさがそれで一気に払拭しえるものではない。
我々の民族の中には、「陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人は皆立派な人だ」という暗黙の了解事項があるが、私に言わしめれば、彼らが立派な軍人であったならば、なぜ戦争に負けたのだという理屈になる。
彼らは世に言われているほど優秀でなかったから、日本は戦争に負けたのではないかという事だ。
だが戦争に負けたのは軍人だけの責任ではないと思う。
戦争に負けても生き残った人の言い訳、あるいは怨嗟の気持ち、あるいは悔しさの捨て所として、すべての敗因を全部軍人、軍部、軍隊に蔽い被せてしまえば、その場しのぎの気休めにはなる。
明治維新以降の日本の近代化の中で、日本という国の興隆に貢献したのは軍部だけではなくて、高等教育の場の大学、旧制高校から旧制大学の教育の場も大きく貢献していると思う。
ただこういう高等教育の場には下層階級からは入り込めないわけで、猫も杓子も高等教育を享受するということはなく、あくまでも恵まれた一部に人のものであったので、そういう意味では如何にもひ弱な存在であった。
青二才の青年将校から大声で叱られると、もうそれだけで縮挙がってしまう覇気のない連中だったと思う。
こういう連中が、戦後になって軍隊がなくなると、軍人や軍隊の悪口を一斉に言い出だしたわけで、これも日本が奈落の底の転がり落ちた大きな理由をなしていると思う。
「戦前は治安維持法があって、ものが自由に言えなかった」とよく言われるが、一遍の法律を極めてクソ真面目に順守する知識人というのもおかしなものである。
この「治安維持法があったからものが言えなかった」という言い分は、自分の周囲の人間の密告が恐ろしくてものが言えなかっただけのことで、ここでも真の理由を他に転嫁しているわけで、こういう部分に頭の良さというか世渡り上手な風見鶏風のインテリの要領の良さが垣間見れる。
で、問題は、陸軍士官学校、海軍兵学校という職業訓練校を出て、陸軍なり海軍という特殊な環境の中で純粋培養されると、究極の軍官僚に成り代わってしまうという点にある。
官僚というのは、行政府の施策を推し進めるのが本来の仕事のはずで、行政府のトップが決めたことを組織の末端まで行き渡らせて、目的を成就させるシステムである。
ところが陸軍でも海軍でも、彼らの存在価値は、戦争をすることにあるわけで、戦争のない状態では、その存在価値が疑われる。そこで無理にでも戦争を作りあげなければならなかった。
陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人は、本当ならば戦争のプロフェッショナルであるはずであるが、蓋を開ければそうではなかったわけで、第1次世界大戦後の戦争については全く無知であったという事だ。
1939年にノモンハン事件を経験しながら、そこから何ひとつ教訓を学びとっていないということは、陸軍士官学校の教育は一体何をどうしていたのかと言いたい。
こういう論議は、本来、シビル・レベルで展開しなければならないことであって、大学やメディアが声を上げて軍を批判してしかるべきである。
昭和の初期の時代というのは実に不思議な時空間だったと思う。
大学やメディアが軍を批判しなかったといったが、私の推察では大学の先生やメディアに携わっている人の子弟の中には、きっと軍に属している人の一人は二人はいたものと考えられる。
つまり、あの時代、普通に良識のある人間ならば、軍に帰属することが何よりも普遍的な価値観であって、大学の先生方や、メディアの関係者の中にもきっと軍人の一人や二人は居たに違いない。
あの時代に五体満足な成人男子で、他の職業を選択するということは考えられなかったに違いない。
まさしく軍国主義そのものであるが、あの時期に日本の全国民が軍国主義に被れたことの不思議さである。
ここで我々の民族の生真面目さというモノを考察しなければならない。
先に述べた治安維持法の順守においても、知識人ならばこそ、法律を実に健気に順守するという面もあったに違いないと思う。
身の回りの人の密告を恐れた、というのも生真面目であるが故に、そういう心配をしたわけで、あの戦時中の玉砕という行為も、敵に包囲されて勝ち目はないとわかれば、上官を殺して自分だけ降伏するという道もあったであろうが、我が方にはそういう例はないみたいだ。
ここでも実に生真面目、クソ真面目に死んでいったということになる。
1万メートルの上空を飛来するB-29の爆弾投下に、ハタキで立ち向かおうとする防空演習に、病人や妊娠中の女性まで狩り出すバカバカしさ、これも我々の民族の生真面目さ、クソ真面目さを端的に示す例だと思う。
昭和の初期の時代において、陸士や海兵に進学した人たちは、当時の同世代の子供の中では確かに優秀であったに違いなかろうが、ならば軍国主義の行き過ぎにどうして気が付かなかったのであろう。
それは軍国主義を吹聴していた方が生き易かったという事ではなかろうか。
反戦とまでは行かなくても、ほんの少々戦いを自重する論旨を呈するだけで、すぐに非国民扱いにする風潮というのは今でも立派に我々の民族の中に息づいている。
その良い例が、昨年の東日本大震災で被災した原子力発電に対する反対運動で、「原子力発電は危険だから直ちに止めよ」という論旨である。
東京電力の福島原発の事故と、他の日本全国にある原発とは何の関係がないにも関わらず、「危険だから直ちに止めよ」という論理は、B-29の投下する焼夷弾にハタキで立ち向かう構図と同じで、何の整合性もない論理である。
それで「自分たちの意見を認めないのは非国民だ」という論理で迫ってくる構図というのは、戦前も戦後も全く変わっていない。
戦後における知識階層のあの戦争に対する認識は、「一部の軍人の独断専横」が大きな災禍を招いたという認識であるが、この「一部の軍人」の後ろには、日本全国の大衆、民衆、国民、市民、世論の、期待と願望が横たわっていたように思えてならない。
昭和初期に起きた青年将校の反乱は、当時の一般世論の声を代弁していたように思えてならない。
2・26事件の時、昭和天皇はただちに『反乱』と位置づけ、『賊』と言ったが、その後の裁判の過程では、国民の側には同情論が多く、寛大な刑が求められたということは、国民はあのクーデターの主張を容認する心構えがあったということである。
国民、一般大衆の側は、反乱軍の行動を容認し、それを支持していたが、為政者の側がそれを押しとどめたという構図が成り立つ。
もっとわかりやすく言えば、当時の国民の側はイケイケドンドンであって、為政者の側はそうあってはならじ、と必死になってその動きを抑え込もうと奔走していたという構図に落ち着く。
日本の国内がそういう状態であればこそ、ここで知識人の良識が発揮されなければ、知識人としての意味をなさないが、現実的にはそれは全く期待されず、知識人はタコツボに入ったがごとく、沈黙に徹し、メディアは体制側に迎合してしまったという事だ。
昭和の初期の時代、日本人も生き抜かんがために、必死に生きる方便を模索していたわけで、無知蒙昧な大衆、民衆というレベルは、イケイケドンドンの軍国主義を吹聴しまくり、学者は象牙の塔に閉じこもり、メディアは体制に迎合して、それぞれに生きんがための道を模索していたということになるが、戦後の人々は、戦争は生きんがための手法だ、という認識を故意に避けようとしている。
先に、我々の同胞は実に生真面目、クソ真面目だということを述べたが、その延長線上で、人間の織り成す世界には「正しい事」そうでない「悪」があるという認識に浸っている。
人は正しい事、善き事をすべきで、悪い事はしてはならないという倫理観に依っており、戦争はその悪しき事の最大のものだという認識である。
この論理は間違ってはいないが、あまりにも子供じみた未熟な論理で、大人の考えることではない。
人が生きるということは、正邪、善悪を超越して、精一杯、力いっぱい生き抜くという事が大前提なわけで、人が生き抜くためには正邪・善悪を踏み越えてでも生きねばならないのである。
自分が生きられるということが判ったならば、そこで初めて他者に対する思いやりが出てくるわけで、自分が生死を境をさまよっているときに、他者に対する偽善などできるわけがない。
戦後の知識階層は、飽食な世の中に生を受けて、生死の境をさまようという体験がないので、口先で平和・平和と念仏を唱えるだけで平和が実現すると思っているが、こういう錯誤を正すべきが本当の知識階層ではなかろうか。
戦争と平和。どちらが良いかと問えば、答えは世界中みな同じで、そんなことは子供でも理解できることである。
ならばどうしてそんな判り切ったことを大学者や、知識人や、ジャーナリストがさも大事なことであるかのように大騒ぎして議論をしているのだろう。
世の中は、正邪や善悪という価値基準で動いているのではなく、如何に生きるかという生き方の方策を巡って争っているわけで、昭和初期の日本は満州を開拓して、農産物を確保し、資源は南洋から持ってきて、自存自衛を図ろうとしたが、それがアメリカの生き方と正面衝突してしまったわけで、結果として太平洋を挟んで大戦争となったが日本が負けてしまったというわけだ。
しかし、負けたとはいえ日本、77年前には丁髷を結って駕籠に乗っていた日本人が、西洋先進国、イギリス、フランス、アメリカと互角に戦ったという事実は、政界中の人々を驚かせたに違いない。
だがそれによって人種差別が減ったわけでもなく、そういうものは人類の生存に普遍的なものであって、人の理性とか理念で払しょく仕切れるものではないということを知る必要がある。
世界中の人々は、我々が想像している以上にしたたかで、そういう事を常に意識の内に持ち続けなければならない。
それこそがこの生き馬の目を抜く世界で生き残る手法なわけで、こちらが敵意を示さなければ相手もこちらの思いを慮ってくれるに違いない、という甘い思考では生き残れない。
戦後も67年もたってみると、我々は完全に平和ボケの中に浸りきっているので、いかなる紛争解決も武力に訴えるということはありえないので、日本の周辺諸国では言いたい放題、したい放題のことが罷り通っているが、それに対して悔しいという思いをいささかも示そうとしない。
日本の巡視船に中国の漁船がぶつかってきても、死傷者が出たわけではないので、主権侵害に対して憤慨するという意気込みがない。
国家主権などあってもなくても日常生活に何の影響いもないわけで、「そんなもの逃がしてやればいいではないか」という安易な発想である。
こういう考えの人が国家の中枢にいるわけで、これでは国家主権足り得ていないが、それを選んだのは国民の側である。
その前に自民党の国家運営もまさしく見るに見かねる状態であったので、やむなく民主党に政権が渡ったけれど、民主というのもそもそも最初から国家を運営する、国の舵取りをつつがなくするという気迫がない。

「NHKの真相」

2012-08-01 07:16:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「NHKの真相」という本を読んだ。
サブタイトルには「大手メデイアが報じなかった“伏魔殿”の正体」となっている。
大勢の評論家のような人が原稿を持ち寄ったようなものであるが、そのことごとくがNHKに対する愚痴のオンパレードである。
NHKのような巨大な組織になれば、内からも外からも様々な批判が沸き立つことは不思議でもなんでもなく、むしろ組織の健全性を表していると思う。
何も批判のない組織こそ不健全な組織であって、組織に対する批判が内からも外からも、雨あられと降ってくる状態は、それだけ人々が注視している証拠なわけで、極めて健全な存在だと思う。
NHKに対する外から批判は、職員の不正行為、いわゆる職員の犯した犯罪によるところが大であるが、NHKのような巨大な組織の構成員がすべて品行方正な聖人君子だと思う方が認識が甘いというべきだ。
全国のお巡りさんの中にも泥棒をする人がおり、全国の小中学校の先生方の中にも、痴漢をする人がいるのと同じで、NHKの職員の中にも不心得者の一人や二人がいるのは当然だと考えねばならない。
しかし、NHKの経営が今までのままでいいかどうかとなると、話はまた別の次元の事となる。
NHKというのは、その本当の名前を「日本放送協会」というもので、国家の指導の下で、国民にあまねく情報を提供し、情報提供に際しては料金を徴収するということになっていた。
彼らの身分は、純粋な民間企業でもなければ公務員でもないわけで、極めて不可解な立場だと思う。民間企業ではないのだから、利潤追求が許されておらず、その分、視聴者からは受信料というものを徴収していて、その全ては組織運営に回さなければならない。
つまり、新しい機材購入とか、人件費で全部ペイしてしまわなければならない、という事なのであろう。
そういう意味で、その活動は、常に政府に報告し、政府の承認を得なければならず、そのことは政府の監視下にあると言っても差し支えないし、政府の指導の下で活動をしているということになる。当然の事、NHKとしては不偏不党で、政治的には中立を維持し、堅持しようとせねばならず、そうしていると思うが、NHKを快く思っていない人は、この部分に大いなる疑義を感じているのである。
私個人の、個人的な考え方としては、主権国家たるもの、政府直轄の放送局を持っていても良いと思う。
いわゆる国営放送局であって、主権国家として、自らの主権を広く世間に知らしめ、国民に知らしめ、自らの指針を明確に他者に知らしめ、その実現に国民の協力を得るべく、宣伝し、自らの施政方針を明らかにすることは有意義なことだと思う。
世界を見てみれば、アメリカやイギリスのような先進国は日本と同じように半官半民の中立的な組織で放送事業を行っているが、政府の中に取り込まれた形ではない。
ところが、後進国は押しなべて国営放送という形をとっている。
VOAでもBBCでも、やはりNHKと同じような問題は抱えていると思う。
国家の存立に影響を出そうな主題を如何に放送し、それがどこまで許されるかというジレンマ、愛国心との兼ね合いの問題は、メディアとしての根源的な悩みであろうと考えざるを得ない。
民主的な国家運営ということは、反対意見を聞く度量を持つという事であろうが、すべての人の意見を聞き入れることはありえないわけで、どこかで人々の意見、あるいは考え方というものを取捨選択しなければばらない。
それを実践しようとすれば、多数意見を尊重せざるを得ないわけで、ここで自分の意見を採択されなかった人たちが、「俺たちの意見はどうしてくれるのだ」というシュプレヒコールになる。
こういう相対立する意見を擦り合わせる機能を持っているのが本来ならばメディアでなければならないが、メディアも人の子で、食っていかねばならず、金になる方の肩を持つということになる。「どの意見が最も整合性があるか」という本質論よりも、大衆に受け入れやすく、銭になりそうな方の肩を持つわけで、これがいわゆるポピリズムというものになる。
大衆に人気がある施策というのは、基本的に衆愚政治に近いということで、それでは真のイノベーションはありえない。
そうならないように世の知識人というのは大衆を啓発し、啓蒙し、10年後20年後を見据えて、自分たちの政府をフォローすべきが本当の意味の国民国家であり、民主国家であり、成熟社会であると思う。
主権国家というのは如何なる国でも国家存立の理念とか理想というものを持っていると思う。
その国家の国民である限り、自分の祖国の理念や理想には素直に従うべきで、その実現には心から協力すべきが国民の義務だと思う。

報道ということでは、2000年にNHKと朝日新聞の間で大きな闘争が展開したが、これはそもそもバウネット・ジャパンという左翼組織が、世論喚起のために仕掛けた罠ではなかったかと私は勘ぐっている。
このバウネット・ジャパンという組織が、2000年に「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」という猿芝居を演じて、それを持ち込み企画としてNHkエンタープライズに取材させて、NHK教育テレビで放映させたことに端を発している。
それを4年たった時点で、この放送に際して安倍晋三と中川昭一がNHK側に圧力をかけた、と朝日新聞が報じたので大きなバトルに展開したのである。
この事件に関連して、冷静に事の成り行きをトレースすれば、明らかにバウネット・ジャパンという左翼組織の巧妙な罠に踊らされた茶番劇である。
そもそも「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」という猿芝居を取材するという点からして、巧妙に仕組まれた罠であって、街中で行われている若者のストリート・パフォーマンスを事前に根回しして取材したようなもので、それをNHKの電波で放送させることがバウネット・ジャパンの仕掛であり目的であったわけだ。
バウネット・ジャパンの立場からすれば、そういう内容のモノをNHKで放送するとすれば、当然、「政府側からも何らかのアクションがあるに違いない」と読み切っていたところに、のこのことNHKの人間が自民党の二人のところに行ったので、これ幸いと「放送内容に干渉した」というキャンペーンが成り立ったわけだ。
メデイアが何を報じ何を没にするかは極めて微妙な問題だと思う。
先の、バウネットジャパンの国際女性戦犯法廷などというパフォーマンスは、ニュースとしては極めて報道に値するパフォーマンスである。
普通の日本の社会人ならば、「国際女性戦犯法廷」という語句を見れば、国際・女性戦犯・国際女性、戦犯法廷とは一体なんであろう、と好奇心を募らせることは当然であろうと思う。
それがニュースとしての報道であったならば、まだ問題が起きなかったに違いなかろうが、特別番組として別枠で報道してしまったので、余計に紛争の種をまき散らしたことになった。
バウネット・ジャパンの目的は最初からそこにあったわけで、NHKも朝日新聞も見事に罠にはめられたという事なのであろう。
私は個人的にはNHK大好き人間で、数あるテレビ局の中でも一番信頼している。
だからと言ってNHKに不祥事があってもいいとは思っていないことは当然であるが、世の中には知識人と言われる立派な人が大勢いるが、こういう人はどういうものかNHKをバカにし、受信料を払わないことがステータスでもあるかのような言い方をしている。
これは一体どういう事なのであろう。
普通に知識人といわれるような立派な人が、NHKの受信料を滞納することを勧めるような言辞を弄するということは一体どう考えたらいいのであろう。
平凡な世の中で、平凡な人々が平凡に暮らしていてはメデイアにとっては面白くも可笑しくもない。平凡な世の中で、人がびっくりするようなパフォーマンスを演じれば、メデイアとしては自分の存在感を大いにアピールすることができるわけで、バウネット・ジャパンはそれを見越して大きな罠を仕掛けたということである。
そしてそれに関連してNHKと朝日新聞が大論争を展開してくれたので、彼らにとってはこの上ない収穫であったに違いない。
NHKにしろ朝日新聞にしろ、メデイア業界においては巨大な組織なわけで、組織が大きくなればその中には必ず不心得者が紛れ込むが、だからと言って組織ぐるみ排除するわけにもいかず、弱い犬、ないしは負け犬の遠吠えのような批判が続くことになる。
その典型的なものがこの本であって、いくらNHKに対する愚痴を積み重ねたところで、NHKの本質が変わるものではない。
しかし、私としてはNHKがこういう世論に押されて、本来の筋を軟化させることの方が心配でならない。
国民のモノの考え方も、時代の変化とともに大きく変わることはいたしかたないと思うが、低俗な民間テレビに迎合するような変わり方は何とも惜しい気がしてならない。
視聴者の受信料で成り立っているNHKであればこそ、世評とか時流に迎合することのない確たる信念を貫き通す太い心張棒を兼ね備えた組織であってもらいたい。
その意味では、政府や政党や団体の圧力に屈しない、ということは当然であって、そういう意味で真の不偏不党を貫いてもらいたい。
報道の中身に関する批判というのは、日常的にあって当たり前であって、この本で言っている愚痴も、その類の一つであろうが、世間の人は何かと感情論を振りかざして、巨大な組織に歯向かうことに快感を覚えるものらしい。
それを通常、判官びいきと言って、弱いモノ、小さいモノには無条件で同情を寄せるが、それを良い事に弱いモノ、小さいモノが大きなものに対して、無理難題を吹っ掛けることが往々にしてある。こういう時の論理は、全く整合性がないわけで、「風が吹くと桶屋が儲かる」式の整合性を欠いた論理がどうどうと罷り通る。