ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「日本の基本問題を考えてみよう」

2010-03-30 18:39:43 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「日本の基本問題を考えてみよう」という本を読んだ。
題名を見てもわかるように、青少年向きの本であった。
図書館の開架式の棚のヤングコーナーにあった本で、出版社も岩波ジュニア新書である。
青少年向きに解りやすく書いたつもりであろうが、内容は完全に偏向しているので困ったものだ。
著者は中馬清福という人で、奥付きによると、1935年生まれということではあるが朝日新聞の記者をやっていた人だと書かれていた。
朝日新聞の記者が青少年向けに偏向した見識を語るということは、本当は迷惑な話というべきではなかろうか。
朝日新聞が「アカイアカイアサヒ」と世間一般で認識されていることは周知の事実で、そういう偏向した意見を縷々載せながら、自分自身は不偏不党を固辞していると思い込んでいるところが極めて傍迷惑である。
彼らが不偏不党で、中立的な立場でものを言っているなどと世間の人は心から思っていないわけで、朝日新聞は明らかに左翼の側に肩入れしていると思っているはずである。
だったら、不偏不党などと綺麗ごとを言わず、きっぱりと自分の立ち位置を明確にすれば、それはそれなりに評価し得るが、八方美人的に誰からも好かれようとするあまり、不偏不党を標榜しているところが極めて卑しい根性だ。
この本の著者も、それこそ正論を縷々述べており、反論のしようもないが、問題は、この世の中というのは正論では通らないという点を見落としている。
正論は確かに正論で、非の打ちどころがないが、人間の行いというのは、神様ではないので何処かにミスというか、瑕疵というか、抜け穴というか、人間の欲望に引導された恣意的な部分がある。
正論で、綺麗ごとばかり並べることは「言うは易く行うは難し」なわけで、朝日新聞に代表される日本のメディアは、この「言うは易し」の部分のみを言い立てて綺麗ごとばかりを並べ立てて、禄を食んでいるのである。
つまり、認識とか、見識とか、時代に即した価値観の良いとこどりだけをして、その一番良いところというのは、口先だけの綺麗ごと、あるいは口先の正論をもっともらしく言いたてるという行為に他ならない。
口先3寸で、一番楽なポジションから、言いたいことを言いたいだけ言いふらしているにすぎない。
その口先から出る言葉はまさしく非の打ちどころのない正論で、他人のすることなすこと全てに難癖をつけて、自分では額に汗して働くことは一切せず、人が汗水たらして成したことの結果を、ことごとくけなしては糊塗を凌いでいるのである。
それ故に心ある人は彼らをインテリ―ヤクザと称して軽蔑しているのである。
しかし、20世紀以降の社会というのは、如何なる人も自分が社会でひとかどの仕事を成そうとすると、どうしてもメディアなしではあり得ないので、如何に彼らを上手に使うかということに知恵を絞る。
ヒットラーの治世下のドイツではゲッペルスがメデイアを上手につかって国民の戦意高揚を図ったし、アメリカのルーズベルト大統領はラジオというメディアを使って、同じように国民の戦意高揚を煽ったわけで、メディアは時の権力者にいいように使われる存在である。
日本でもあの戦争中のメディアは、為政者の犬か下僕のように権力に尻尾を振り続けていたわけで、その最たるものが朝日新聞であったと思う。
ところが、この朝日新聞は、戦争が終わると、掌を返したように民主主義の旗手となって、為政者に対して批判の雨を降らせたわけだ。
そういう彼らの言い分がこれまた人を食ったような話で、「権力者を監視する」だとか「権力の番人」というもので、彼らにそれだけの器量があれば、何故軍部に政権を握られたのだ、と問い質さなければならない。
こういうところがヤクザのヤクザ足る所以であって、それを知っている心ある人は、メディアには決して心の内を見せないようにしているはずである。
しかし、こういうヤクザなメディアも、使いようによっては強力な武器になるわけで、それを勘案しながら自分に有利に使いきることは非常に難しいことではあろうが、一考の余地は確かにある。
私は朝日新聞の記者と称するヤクザな連中が、正義漢ぶって正論を大声で叫びながら為政者を糾弾する態度が鼻持ちならない。
彼らは政治家でもなく、官僚でもなく、学校の先生でもなく、警察官でもなく、労働者でもないわけで、ただただそういう人が一生懸命働いている場に行っては、取材と称して邪魔するだけで、それで以て高給を食んでいるのである。
彼らの口から出る言葉は綺麗ごとばかりで、何でもかんでも自分を局外おいて他者を糾弾して止まないわけで、自分は常に高見の見物をしながら、当事者の行動に対して、ああでもないこうでもないと批判しているのである。
政府が悪い、行政が悪い、学校が悪い、文部省が悪い、アメリカが悪い、経営者が悪い、自民党が悪いと他者の所為にするわけである。
この本の中でも、世界的な不況で日本の企業ではリストラが横行して、派遣社員が真っ先に犠牲になっているので、経営者側はもっと恒久的な雇用を打ち立てるべきだと言っているが、誠に無責任な発言だと思う。
私は経営者側に義理があるわけではないが、そもそも派遣労働者として人材派遣会社に登録している者こそ社会を見る目が甘いわけで、世の中はそんな生半可な心掛けでは泳げないよ、と言うことをメディアは当人たちに知らしめるべきだ。
こういう役目こそメディアの仕事であり、進歩的知識階層の仕事であるが、彼らも困っている人を助けるという正論のみを振りかざして、その表層の下に隠れている本質を見失っている。
こういう人たちの困窮は、自ら作り出しているわけで、それは本人の我儘の裏返しである。
私は雇用を専門に研究している者ではないが、自分自身の成長とともに見、体験してきた社会から推察すると、そもそも日本の高度経済成長の前まで雇用形態は正社員と臨時工という二種類しかなかった。
その後の経済成長に合わせてこの臨時工の部分が多様化してきたわけで、呼び方も様々に変化していて、その多様化した根本のところには働く側、つまり労働を売る側が我儘になって、正社員として拘束されることを嫌う傾向が出てきた。
それは個の尊重が敷衍化した結果として、自分の都合のいい時に、自分の都合に合わせて、自分の納得のいく労働を売るという風に変わってきたが、そんな都合の良いことはそう潤沢にあるわけではない。
このことは基本的には非常に素晴らしいことで、誰でもがそういう労働形態を望むであろうが、現実にはあり得ないわけで、働く人の全てが何かを犠牲にしながらそれに耐えて生きている筈である。
とは言うものの、過労死するまで働くというのは本人が馬鹿だと思う。
「過労死に追い込むような企業は糾弾すべし」というのは、まことに綺麗ごとであり、正論であるが、本人が自分の命と仕事を秤にかけて、仕事の方を選択したから過労死に至ったわけで、自分の命が大事だと考えれば、そういう事態にはならなかったと思う。
その判断が本人に出来なかったことが不思議でならないが、朝日新聞に代表される日本の知識階層は、この現実を企業の責任に追い被せようとしている。
私に言わしめれば、死ぬまで仕事をする奴はその本人が馬鹿としか言いようがないが、日本の知識人はそういう個人の非を認めず、組織としての企業に責を負い被せるという綺麗ごとで済まそうとする。
「死ぬまで仕事をした人は可哀そうだ」というのは、感情論に依拠している限りそれは正論であるが、社会の動きを感情論で斟酌してはならないと思う。
死ぬまで仕事に固執する人がいるかと思うと、その対極にはあれは嫌、これは嫌、疲れる仕事は嫌、汚い仕事は嫌、という我儘を言う人もいるわけで、そういう労働を売る側の希望に合わせて、それを満たすべくそういう需要に合わせて双方を斡旋する人が現われた。
こういう仕事は昔もあって、女郎屋に女を世話する仕事を、女衒と称して卑しむべき仕事であった。
経営者と労働者という対立軸で見ると、どうしても経営者の方が頭がよくて狡猾であるので、経営者側はそういう労働者側の我儘を上手に利用して、仕事に必要な時に必要なだけ雇い入れるという経営手法を取り入れたわけである。
子飼いの正社員を限りなく少ない数にしておけば、内部からの労働争議という反乱を引き起こすリスクは限りなく制限されるので、経営としては大きなメリットになるし、景気の動向にも素直に順応できるわけである。
今になって派遣労働者が正社員と同じ待遇を要求してもそれは虫が良すぎる。
正社員は労働契約に拘束されて、その契約を遵守するという前提で雇用されているのに、そういう我が身を縛る窮屈な規則から逃れて、困ったときだけ弱者救済を叫ぶのは筋に通らない話だ。
今、仕事がないと一般的に言われているが、世の中に全く仕事がないわけではなく、自分の我儘の通る仕事がないと言うだけにことで、する気になればいくらでも仕事はある。
自分で我儘一杯のことを言っておいて、その我儘が通らないからと言って、仕事がない、仕事に就けないと言って、陽がな遊んでいる若者を弱者救済という綺麗ごとで扱う話ではないと思う。
昔も今も、人が大学に行くというのは、良い就職をするために大学に行くわけで、これだけ大学の数が多くなれば、大学を出たからといって皆が皆良い就職にたどり着けるわけはないではないか。
こういうことは日本人の皆が皆、何十年も前に気がつかねばならなかったことではなかろうか。
明治維新当時と同じ認識で、東京の大学に行くことはそのまま立身出世に直結しているという思考のシーラカンスから一歩も脱却出来ていないわけだ。
ここで問題とすべきことが、いわゆる知識階層の役割というか、使命というか、指導性というか、社会的な貢献の在り様である。
戦後の教育では民主主義教育が実践され、それに付随して共産主義の思考がこういう知識階層を席巻したことは紛れもない事実だと思う。
共産主義というのは確かに公平・平等を旗印にしているが、それを実践するのに革命、つまり内乱を起こし、既存の体制を殺しても構わないという部分に日本人の嫌悪感が集中した。
よって、共産主義者というものはそう大きな存在にはなりえなかったが、それが内包している公平さと、平等と、自由という個人主義は、日本の知識階層には極めて魅力的に見えたわけである。
要するに、この著者をはじめとする朝日新聞に集合した知識階層は、こういう面でも良いとこ取りをしているわけで、先に述べた派遣労働者が自分の都合に合わせて、都合の良い時だけ働こうという思考と全く同じである。
自分の都合の良い考え方だけを、自分の都合に合わせて、鐘太鼓で大宣伝するが、自分に何らかの負担がかかるような考え方、例えば何らかの責務や義務を負うはめになることが予想される思考・思索に対しては徹底的に糾弾して、今にも世の中が潰れるかのごとく誇大広告をするという寸法である。
これを総称して彼らは「個の尊重」とか、「個の尊厳」と言い繕っているが、それは知に溺れた理念の崩壊に過ぎない。
それは猿のセンズリと同じで、いくら思考や思索をしごいても、なんら前向な進歩にはつながらないわけで、ただあるのは自己愛の無意味な堂々巡りだけである。
自らは一粒の麦も作ることなく、一本の釘も生産することなく、座して人の悪口のみを言いふらして糊塗を凌いでいるわけで、人間として一番最下層の生業ではなかろうか。
人が良かれと思ってしようとすることには、全て反対するわけで、「ならば自分でやれ」と言われると、それは政府の責任だとか行政の仕事だかといって逃げる。
結局の所、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うという風に、不毛の議論を延々と続けて、結論を出そうとすると「まだ審議が足らない」といい、多数決で決めると「少数意見を尊重せよ」というわけで、「ならばどうすればいいのだ」と迫ると、「とことん話し合うべきだ」という。
何のことはない、ただ何もせず、しようともせず、不毛の議論を延々と続けていればメディアは生きておれるのだ。
何と言っても彼らはインテリーヤクザなわけで、どこからか寺銭、あるいはみかじめ料が回ってくるのであろう。
馬鹿な話だ。
諸悪の根源はメディアだ。
こんなメディアに日本の基本問題を考えてもらった日には、日本は確実に沈没してしまうではないか。

「東條英機の妻勝子の生涯」

2010-03-28 21:49:35 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「東條英機の妻勝子の生涯」という本を読んだ。
著者は佐藤早苗という人であるが、よく調べて真実に最も近いであろう本質を解き明かしているように見えた。
私の東條英機に対する認識も、世間一般のものと大して変るものではなく、日本国民の全てから怨嗟のまなざしで見られていたもの無理からぬことだと思っていた。
日米開戦の時の総理大臣であり、役職を幾つも兼任した独裁者であり、「戦陣訓」を発しながら自分では自殺しきれない愚昧な人間であり、総理という地位に居ながら庶民のごみ箱まで覗いていた等々、世間で普通に言われていたことをそのまま信じ切っていた。
あの戦争に生き残った人々からすれば、戦争開始の時の総理大臣としての東條英機には、こういう評価が下っても至極妥当な評価と思わざるを得ない。
確かに彼は天皇に忠足らんと欲するあまり、国民を奈落の底につき落した、と見られても仕方がない部分があまりにも多い。
それは戦後の左翼が声高に叫んでいたように、天皇制という制度の問題を超越した話だと思う。
東條英機が天皇に極めて忠実な陪臣であったことは事実であろうが、彼は天皇の威を借りて私利私欲に走ったわけではない。
あくまでも日本人の生き方としての根源的なものに忠誠を尽くしていたわけで、大和民族の根源的なものの具現であったのではなかろうか。
日本民族というのは、太古の昔から天皇というものを崇めて、天皇も八百万の神の一つと認識し、そういう氏神様の一形態という認識で天皇制というものを捉えていたのではなかろうか。
そういう天皇制を、学問的な見地から追い求めたのが平泉澄であり、美濃部達吉であったのではないかと私は勝手に想像している。
この両名は、ベクトルが逆さ向きではあるが、天皇制を学究的な立場で研究したという点では評価されるべきだと思う。
しかし、為政者が衆を統治するという形態は、たった一人の人間ではし得ないことで、どうしても組織だったシステムを構築して、そのシステムによってでなければいくら独裁者といえども国を治めるということはできない。
東條英機が総理大臣になったのは、自らその地位を奪い取ったわけではなく、ある日突然下命を受けたわけで、本人からすれば想定外のことであったに違いない。
ならば昭和天皇が、自分から日米戦争をしたいので、好戦的と思われていた東條英機を指名したのかというと、これも違うわけで、昭和天皇は日米戦争を回避したいがために、陸軍を抑えてくれるであろうと期待された東條英機に下命したのである。
ところが政治の流れというのは、昭和天皇も、東條英機も、全く意図しない方向に流れてしまったわけで、これが立憲君主制の政治の限界であったのだろう。
これがヒットラーやスターリンのような独裁体制ならば、為政者の意図、つまり戦争をするしないの決断は、安易に行われたであろう。
立憲君主制なるがゆえに、大勢の意見を斟酌して政治的決定をした結果として、昭和天皇や東條英機の意図しない方向になだれ込んでしまったということだと思う。
ただ今日のような民主政治の中にいると、「大勢の人の意見は正しいのだから、それは尊重すべきだ」という概念が一般的であるが、問題はこの大勢の意見が正しいかどうかは全く整合性がないわけで、大勢の人の意見の方が本当は間違っていることが多いのではなかろうか。
戦争と平和。こういう対立軸を例にとれば「戦争が好きだ」というものはいないわけで、大勢の意見としては戦争反対という意見が整合性を持つ。
ならば日米開戦の前にアメリカから突き付けられたハル・ノートの内容を、我々の側が受け入れるべきかどうかを国民にはかったとしてら、国民はどちらの道を選択するであろう。
国民の大方の意見としては、「ハル・ノートの内容は受け入れられるものではない、直ちに開戦すべし」と言う結論ではなかったかと想像できる。
言うまでもなく、アメリカがハル・ノートに秘めた意図は、日本に戦端を開かせることにあるわけで、我々はそれによって見事にアメリカの罠にはめられた訳である。
ハル・ノートが掲示されても、日本の為政者は努めて戦争回避を願っていたが、それを許さない雰囲気が国民の側にあった。
戦後に生き残った人々は、敗戦という結果から、戦争を始めた人たちを怨嗟の気持ちで糾弾しているが、始めるときはハル・ノートを突き付けたアメリカなど「撃ちてし止まん」という素朴な気持ちだったと思う。
それがハル・ノートを見た全ての人の感想であったと思うが、当時の為政者は、その国民の声に応えるべく施策を講じた結果として、日米開戦ということになったものと想像する。
ただ私が不思議でならないことは、終戦の時、昭和20年8月に至っても、東條英機を始めとする一部の人は徹底抗戦を唱えているわけで、この認識のズレは一体どういう風に考えたらいいのであろう。
東條英機は、天皇陛下がポツダム宣言受諾の意思を示したということで、徹底抗戦の意思を曲げたとされているが、あの時点で東條英機や、政府高官、あるいは軍首脳のなかでも徹底抗戦ということの意味を本当に理解していた人が果たしていたのかどうか甚だ疑問だ。
沖縄が制圧され、広島・長崎には原爆が投下され、満州にはソ連軍が怒涛のようにはいってきている状況で、徹底抗戦なるものが成り立つかどうか、冷静に考えていたかどうかということである。
我々の側に、徹底抗戦に耐えうる資材、銃器、火器、弾薬があるかどうか、為政者と国軍関係のものならば解っている筈なのに、それでも徹底抗戦するということは、正真正銘の犬死に他ならないが、そういう冷静な思考が生きていたかどうか甚だ不思議な気がする。
昭和20年、1945年という時に、20歳以上の日本人で、このアメリカ軍の上陸を水際で食い止め、徹底抗戦をするのだ、という施策に疑問を抱かなかった人は完全に思考停止の状態に置かれていたと見るべきだ。
私は、この時の徹底抗戦を唱える人たちの心境は、オーストラリアのカウラ捕虜収容所で起きた集団自殺と同じではないかと思う。
このカウラ捕虜収容所では、終戦の約1年前1944年8月に、約500名の日本人捕虜が集団脱走を試み、そのうち230名近くが死亡した事件が起きたが、それはわざと射殺されるように仕向けた節がある。
当時の日本軍には、東條英機自らが出した「戦陣訓」のこともあって、捕虜という立場に対する認識が極めて劣悪で、捕虜になるぐらいなら死んだ方がましだ、という通念が一般的であった。
このことを考えると、昭和20年8月という時点において徹底抗戦を唱える人は、この「戦陣訓」を準拠として、日本民族を滅亡の危機に追い込んでいたわけで、これは一体どう考えたらいいのであろう。
死ということに対する思いがあまりにも軽すぎるような気がしてならない。
特攻隊員の出撃というのも、あまりにも自らの命を軽々しく扱っていたということではなかろうか。
自らの命を軽んじるあまり、それを他者に対しても同じように扱おうとして、このカウラ捕虜収容所のような無意味な死が演じられたのではなかろうか。
この事件はまさしく集団自殺と同じなわけで、何の意味もない死であって、何故こういう思考に至ったのであろう。
終戦直前、具体的には1945年、昭和20年8月に至って、この時成人に達していた人たちならば、周囲の状況から察して徹底抗戦が全く無意味ということはわかっていたものと思う。
特に、軍の首脳にいた人とか、行政や、あらゆる組織のトップにいたような人ならば、普通の良心で普通に思いを巡らせば、この期に及んでなお徹底抗戦というのは如何にもナンセンスということはわかっていたものと思う。
結果論として、昭和天皇がポツダム宣言を受諾する決心をしなかったならば、我々は本当に徹底抗戦をしていたはずだと思う。
この時の日本の政治は明らかに軍政そのもので、政治家というのはものも言えない状態であったに違いないが、何故この段階に至っても自らの自浄作用、生き残り策、終戦工作が思うように出来なかったのであろう。
戦後の教育では、そういうもろもろの負の遺産は、ことごとく軍、軍部、軍閥、陸軍海軍の高級参謀をはじめとする軍の責任に追い被せているが、軍をそういう方向に引導したのは、案外国民の側というよりも、メディアの責任ではないかと思う。
あの当時、メディアは大本営発表のものしか媒体に載せれなかったことは承知しているが、大本営の発表の中身が嘘ばかりだった、ということは当然のことメディアの側は承知していたはずで、嘘を承知で報道した責任はメディアの側も同じ重さで受け入れなければならないと思う。
ということは、朝日新聞あたりは終戦の日を境にして、企業としては一旦解散して、人員も総入れ替えをした上で、社名も新しい時代に合わせて変えてしかるべきだと思う。
あの時代、1945年、昭和20年という時においても、20代の若者は全て戦場にいたに違いなかろうが、壮年を過ぎた人は兵役に就くには年を取り過ぎているので内地に残っていたと思う。
問題は、こういう世代が徹底抗戦という民族殲滅作戦に一言も反論していないという事実である。
それを実施すれば日本民族は明らかに殲滅状態になると思われるのに、徹底抗戦すれば勝機がいくらかでもあると思っていたわけで、こんなバカげた話はないと思う。
昭和20年8月という時に至れば、東京をはじめとする日本の都市はそのほとんどが焼け野原で、食うに食料なく、着るに衣類なく、動こうにも手段もなく、手元に銃器の一つもないのに、なぜ徹底抗戦がし得るのだ。
徹底抗戦するということは集団自殺を強いているに他ならないわけで、こんなバカなことに日本人の誰一人抗議し、反論しないということは一体どういうことなのであろう。
天皇陛下のポツダム受諾の録音盤を奪い取る目的のクーデターは起きたが、「徹底抗戦を止めよう」というクーデターではなく、「何にが何でも徹底抗戦をして、日本民族を集団自殺に追い込もう」という目的のクーデターであったわけで、こんなバカなことがなぜ起きたのであろう。
これに東條英機の娘婿が関与していたわけで、東條英機自身も徹底抗戦にこだわっていたが、天皇が自らポツダム宣言を受諾する意思が固いことを聞き、自分の考えを引っ込めたが、彼自身も徹底抗戦に未練を残していたということだ。
これは一体どういうことなのであろう。
軍の高級参謀とか高級将校と言ってみたところで、所詮は官僚であって、15、6歳から軍人養成機関の中で純粋培養された官僚なるが故に、世界や世間を見る視点が退化してしまったということだろうか。
何度も言うが、1945年、昭和20年の東京の状況を見て、それでもなお戦争を継続しようという思考は、何処から出てくるのであろう。
徹底抗戦をして、上陸地点の水際で敵の進攻を阻止するなどということが夢物語だということはわかっていないところがなんとも不思議だ。
しかも彼らは戦争のプロフェッショナルなわけで、そのプロがこういう考えでいたということをどう考えたらいいのであろう。
こちら側には鉄砲も弾もないのに、どうやって水際で阻止するのかということが彼らに解っていないという点が実に不可解である。
この話とは別に、一般国民が東條英機を怨嗟の気持ちで見るのはある面でいた仕方ないところもあるが、今、さまざまな本を読んでみると、個人的にはそう悪い人間ではなさそうに思えてきた。
戦前、戦中、戦後の彼に対する評価も、ある意味でメディアが作り上げた虚像のような気がしてきた。
彼に直接会った人の話では、世間で言われている程の悪人ではなさそうで、彼が本来持って生まれた性格が誤解を招いているような節が見え隠れしている。
彼は非常に几帳面だったと言われているが、あまりにも几帳面な人だとすると、周囲の人はその几帳面さを多少煙たく思うことも真実だと思う。
仕事や業務で、嫌でも顔を合わせなければならない立場の者にとっては、いくらか抜けた感じの人の方が親しみが湧くことも事実だと思う。
あまりにも完璧すぎて隙のない人間は、誰もが煙たく思うのも道理ではあるが、彼の不人気はこれまた異常なものであった。
確かに、勝つ勝つと言いながら蓋を開けてみれば敗戦であったとなれば、誰が彼の立場に居ても、石を以て追われるのは当然であろうが、怨嗟の気持を彼にだけぶつけるというのも、これまた非常に無分別なことだと思う。
日本の政治というのは実に不思議だと思う。
普通の国のトップというのは、大抵の場合はトップの地位にいる間に蓄財をするのが当たり前で、民主主義国の首脳は、ある意味で雇われマダムのようなものなので、そうそうがめつい蓄財はしないが、蓄財に代わる恩典は享受していると思う。
ところが日本の場合、天皇にしろ、総理大臣にしろ、蓄財ということにはほとんど縁がないわけで、東條英機など、これが総理大臣かと思われるほど公私の別をきちんとしていたという。
金に淡白というよりも、今はやりの「もったいない」という精神で、ものは使えるだけ使ってこそ価値が出るという考え方を実践していたということだ。
しかし、上のものが率先してこういうことに範を示すと、下のものが非常に窮屈な思いをするもので、そういう意味から彼が不人気であったのかもしれない。
この本の主題である勝子夫人の場合も、夫の権威を傘にして振舞うような人ではなかったらしく、非常に気さくで、何でも自ら手を下す人だったらしいが、トップレデイーがそうだとすれば、下のものもやはりやりにくいわけで、それがまたまた不評の種になっていたようだ。
この価値観のギャップが、まわりの人が本人の意図とは別の解釈するようになり、相当に誤解が付きまとったものらしい。
東條英機もその奥さんも、正当に評価されていないということは、我々国民は嘘の情報を知らされていたということに他ならない。
先に、大本営発表の嘘のことを書いたが、東條英機とその奥さんのことが、全く違う評価で国民の間に流布したということは、当時のメディアは戦況報告のみならず普通の情報も嘘で固めて国民に知らせていたということになるではないか。
戦時中は言論統制があったので、真実を報ずることが出来なかったと、もっともらしく言われているが、それは戦後になってメディア側が自分の嘘を糊塗しているということである。
自分の非を潔く認めることなく、昔の事に口を拭って、自己を弁護している姿である。
そもそもメディアにかかわる人が真実を報道できない立場に置かれたとすれば、職を辞して当然であって、嘘の報道までして糊塗を得るということは、人として極めて卑しい存在だと思う。
そういう意味からしても、メディアに携わる人たちを世間ではインテリ―・ヤクザと称することは真理を突いた言葉だと思う。
世間は嘘の報道を信じて、東條英機とその家族を怨嗟の感情で以て眺めていたわけで、何故、普通の人が東條英機に対して怨嗟の気持を持つにいたったかと問えば、それはメディアがそう報道したからに他ならない。
その報道が嘘っぱちであったとするならば、東條英機に対する評価も最初から問い直さねばならないと思う。
私も以前は世間一般の評価を鵜呑みにしていたが、どうも彼の評価は違うらしいと思うようになってきた。

「看護婦が見つめた人間が死ぬということ」

2010-03-27 06:55:44 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「看護婦が見つめた人間が死ぬということ」という本を読んだ。
著者は宮子あずさという当時現役の看護婦さんということだ。
1998年1月の発行となっているので相当に古いと言わなければならないが、ちょうど私が癌になったころの話である。
図書館の本なので、先に読んだ人の書き込みが多かった。
特に低俗な落書きがしてあるわけではないが、要所要所に感動したのであろう、鉛筆で印がしてあった。
この世に生まれ出た人間は必ず死に直面することは必定である。
そういう意味で、死は万人に公平に差し迫ってくる。
私自身も二人の母親と一人の父親を見送った。
二人の母親の場合はまだ父が健在だったので、父がすべてを取り仕切ったが、父親の時は私ども子供がそれを見とらざるを得なかった。
父も90を超えてからの死別であったので、それほど悲しさというものは湧いてこなかった。
私の感情としては、自然の成り行きとして受け入れざるを得ず、淡々とそれを受け入れたにすぎない。
最後の3ヶ月間は老人介護の病院の世話になったが、ここに書かれたような修羅場を演ずることもなく割合静かに去っていった。
それよりも私が癌で入院していた病院では毎日のように死別の場面があったようだが、一人の入院患者として、そうそう詳しく観察するわけにもいかず、傍から人間模様を垣間見るほかなかった。
私は肉親との死別に際してもそうそう悲しくて悲しくて悲嘆にくれるということはなかった。
人間が冷酷だったのかもしれない。
映画やテレビを見ていてもすぐに目頭が熱くなって、もらい泣きする私が、自分の肉親との死別には涙も出ないというのは我ながら不思議に思えたものだ。
癌で入院中、患者に付き添っている家族の姿が不思議でならなかった。
患者の傍に居ても家族というのはあまりすることがないのになぜそこにいるのか不可解であった。
患者の傍に家族がいようといまいと、病気ならば治るか死ぬかの二者択一しかないわけで、傍にいたところで何の治療にもならないのではないかと思う。
それでもベットの脇に寄り添って、ものを言うのでもなく、手を握り合っているわけでもなく、当事者が死ぬと脇目もはばからず大泣きする人の心が不思議にさえ思えたものだ。
人が病に罹る。
その病が高じれば、それこそ薬石効なく自然に死が訪れるわけで、それは自然そのものだと思う。
高校時代の友人が、丁度厄年の時に病に倒れ、そのまま黄泉の世界に行ったときには、「なんであいつが!」という運命の不合理・不条理に憤ったことはあるが、悲しくて泣き崩れるということはなかった。
父が老人介護の病院に入った時、先生から「どういう治療をしましょうか?」と質された。
その時私は答えたものだ「父も高齢で十分生きましたから自然のままでお願いします」と。
私はそれでよかったと思っている。
父の死は私が癌から生還した後であったが、私の闘病中は父もかなり私のことを心配してくれたらしい。
しかし、父は90年も生きたのだから年に過不足はない筈だ。
ただ入院中の3ヶ月間には幼児がえりという現象が出て、ずいぶん我儘なことを言うようになったが、出来ることは出来るだけ叶えてやった。
入院してみれば誰でも直面することであるが、病院食というのはあまり美味しいものではない。
そこで父は「あれが食いたい、これが食いたい」と要求しだしたが、普通に手に入るものは出来るだけ叶えてやった。
死が目前まで来ていることは一目瞭然なので、「身体に悪い」とかいうことは意味がないと思って、本人が望むものは出来るだけ要求に応えてやった。
私の親戚の中には、こういう状況下で、自分の母親に対して、最後の最後まで娑婆の常識を守り通して、「身体に悪い、健康に悪い」と言って本人の要求を振りきった人がいたが、この方が本当はむごい仕打ちだと思っている。
ただこの本の中で気になる部分は、患者本人に真の病名を告げないということで、それは私に言わしめれば間違った手法だと思う。
癌は一般的に恐れられている病気であるが、自分が癌だと告げられて気持ちが萎縮してしまうような人は元々生命力が弱い人だと思う。
私の経験からすれば、私の癌は舌癌であって、専門病院に行く前に自分で自分の患部をファイバースコープで視認してしまって、自分でも「これは癌ではないか」と思っていたので、先生から「これは立派な舌癌です」と言われた時もそれほど大きなショックはなかった。
「やっぱりそうか!」という感じで、妙に納得したものだ。
問題は、その後手術を終え、一時退院して最初の検診で、「これはリンパ節に転移してる」と言われた時はそれこそハンマーで殴られたような大きなショックを受けた。
しかし、ショックが大きかったからこそ逆にファイトが湧いたというか、負けてなるものかという気概をもって治療に立ち向かった。
こういうことは理性とか知性では計り知れない部分があるように思う。
あるのは運だと思う。
そもそも人間がこの世の生まれ出ずるところから人間の運命が始まっているのであって、日本で生まれて日本人になるのも、アメリカで生まれてアメリカ人になるのも、生まれてから若くして夭折するのも、天寿を全うするのもすべて運次第であって、人間が生きること自体が運に左右されていると思う。
「あんたは癌ですよ」と言われて、そのまま意気消沈して、生きる望みを失うのも、死に際を飾らなければと、奮起するのもその人の運だと思う。
ただ病気と闘う時に、真の病名も知らずに、ただ与えられた治療をまったく受け身のままで受け入れていては、治るものもなおらないとは思う。
運といえば、自分が病気になって治療にあってくれる医者がどういう医者か、という意味でも運が大きく作用する。
腕の良いお医者さんか、営利目的のお医者さんか、研究目的のお医者さんか、という意味でも、自分のあたったお医者さんがどういう医者か。という点でも運が大きく左右していると思う。
そもそも人間が生きるということそのこと自体が運に左右されているわけで、それは壮大なジグソーパズルにピースを嵌めこむようなものだと思う。
自分の採った一つ一つの行動や選択が、それぞれ埋め込むべきピースであって、それが的確にスペースを埋めるかどうかは、神様しかわからないということであろう。
自分自身のことを振り返ってみると、私が癌になった時はまだ現役であって、息子も娘も一人立ちしておらず、それを見届けなければ死ぬに死ねないという気持ちであった。
癌から生還してすぐに定年退職を迎え、それを機に家のローンも全部整理し、息子や娘も一人立ちさせ、今は孫が4人も持てたので、今ならばいつ御迎えが来ても素直な気持ちでその誘いに乗れる心境である。
この本の中にもあるが、誰でもぽっくり願望というものがあるらしく、ぽっくりと逝けるならば何時でもいいよということは誰でも同じように願っているらしいが、私もその中の一人だ。
私の人生も人様に自慢できるほどのものではないが、曲がりなりにも人並みのことは達成できたので、何時でも御迎えに応えられるよ、と人の言いふらしていたが、これも度が過ぎると傲慢になるのではないかと、今は自省して自分を戒めている。
だから今は年金で細々と人の迷惑にならないように生きているが、問題はこれから先の老衰が進んだ時に不様な立ち居振る舞いを人に見せたくないという思いが募るばかりである。
だからこそぽっくり願望であるが、これも基本的には運次第なわけで、そこが大問題である。
そこで私は安楽死を心から待望するのである。
人類がこの地球上に生誕以来、人々の究極の願いは長寿願望であったと思うが、21世紀ともなれば、人間も意識改革して、自分で自分の命を選択する、あるいは自分の人生の幕引きをする自由を認めてもいいのではないかという発想である。
「死にたければ勝手に首をつればいいではないか」と言われそうであるが、こういう自死は非常に社会的に負のイメージが付きまとって、今でも自殺を防止しようというキャンペンが盛んに行われている。
人間が生まれてくる時は、自分の意思など毛頭も考慮されず、自分の意思とは無関係にこの世に送り出されるが、死ぬ時に自分の意思でその選択することを「悪」とみなすことは非常に不合理だと思う。
自分の人生の幕引きぐらい自分の意思でしたいと思うと、それが「悪」、「悪しき事」と見なすわけで、こんなバカな話はないと思う。
まだまだ生きたいと言う人を無理やり黄泉の世界に押し出すわけではない。
ああ十分に生きた。もう思い残すことはない。自分の人生に十分納得した。悔いは何もない。という人が自分で自分の人生の幕を自分の意思で引くわけで、このどこに悪としての要因があるというのだ。
この世には老醜という言葉があるように、あまりにも高齢になると自分で自分が律せれなくなる。
今は、痴呆とかボケという言葉で言い表されているが、これほど人間の尊厳を損なうことも他にない。
自分がそうなった時のことを想像すると、居ても立ってもおれない気持になる。
それでも世間では自死を認めないわけで、その事は、世間の人は全部綺麗ごとに惑わされて、自分がそうなった時のことを真剣に考えておらず、現実を見ることから逃げて、人ごとだと思っているということだ。
一人のボケた老人がいる。
世間は直接この老人の世話をしているわけではなく、その老人の世話をしているのは、家族であったり介護の仕事の人であったりするわけで、自分とは何のかかわりもない人がしている限り、どこまでもそれは人ごとである。
だから何千年という太古からの認識のまま、一刻たりとも「寿命を縮める行為は罷りならぬ」という無責任な態度でおれるのである。
昔はボケたり痴呆になる前に寿命の方が来てしまったので、こういう問題は数が少なかったが、今は平均寿命が延びたので、こういう事例が顕著になってきた。
しかし、世間一般の認識の方は昔のままで、一歩も前進していないわけで、その部分が非常に人間の得手勝手な部分だと思う。
食料の質が向上し、医療の技術が進化し、薬の効能も進化して、そういう全ての医療環境が進化したにもかかわらず、人間の精神の方はいささかも進化することなく、太古のままの意識であっていいものだろうか。
「死にたくない」という人間に「早く死ね」というわけではない。
自分はもう十分に生きたから、痴ほうやボケになる前に開放してくれという欲求がそれほど悪しき事であろうか。
21世紀に生きる人間は、安楽死についてもっともっと真剣に考えるべきだと思う。
太古から人類の歴史とともに引き継いできた長寿願望は考え直すべきときに来ていると思う。
生きた人間の尊厳というものを、21世紀の感覚で問い直すべきだと思う。
年老いてボケや痴呆の出た人間に、人間としての尊厳があるはずもなく、それこそ老醜を曝すのみであるが、こうなってしまったならばその人の生前の功績は一瞬にして消しとんでしまうわけで、本人はもとよりそれを目の当たりにする周囲の人も、いたたまれない気持になる。
それでも太古からの古い倫理観に拘束されて、老醜を受け入れざるを得ないというのは、明らかに残された者に対する苦行そのものだ。
私に言わしめれば、自分の人生に納得した人は、さっさと安楽死の道を選択すべきで、それでこそその人がこの世に生まれた価値が生き、語り継がれるということだ。
「そういう人は勝手に死ねばいい」というのは無責任極まりな言い草で、仮に、勝手に家の軒先で首を吊られた日には、残された人は大迷惑するではないか。
私の理想とする安楽死は、安楽死申請書のようなものを医者に提出することによって、飲みやすい錠剤を処方してもらい、夜寝る前にそれを飲むと翌日はベッドの上で安らかに眠り続るけるというものである。
当然、必要ならば遺書も書いておけば、残されたもののトラブルも回避できるわけで、日常生活の延長線上に人生の幕引きが可能になる。
人生の幕引きも、自分がボケたり痴呆になってからでは不可能なわけで、健康だからこそそれが可能である。
健康だからこそ自分の意思で自分の先行きを判断し、残された者にはこまごまと指示を与え、すべきことをし終えて、はじめて自分の行為の整合性が充実するのであって、ボケや痴呆になってしまってからでは遅い。
健康なうちだからこそ自分の人生の意義が見出されるものと確信する。
私は生涯を通じて高等教育を受けたことがないが、この日本には大学と称するところが掃いて捨てるほどある。
その大学ではこういうことを一言も発信しないというのは一体どういうことなのであろう。
「人は如何に生きるか」という論説は、掃いて捨てるほど出回っているが、「人は如何に死ぬか」ということは一言もないというのは一体どういうことなのであろう。
大学という所が、過去のことを根掘り葉掘り掘り下げるのみで、従来の認識を打ち破る発想や気概が一片もないということは明らかに学問の堕落だと思う。
人が不老長寿を願うことは人類誕生の時からの根源的な願望であったが、21世紀ともなれば、人が自分の人生に対する思いも大きく変化しているはずで、その変化に対応する思考を何一つ打ち出すことが出来ないということは、学問の意味を成さないではないか。
医学の進歩というのは、病気に対応する処置方法の進化であって、生きる事の意義、意味を深く掘り下げて考察しているわけではない。
生きた人間が、生きんがために押し寄せる病に対して、如何に抵抗するかの処方は限りなく進化したが、それでも老いを克服する術は見つかっていないわけで、ならば老いを素直に受け入れる思考を考えだしてもいいと思う。、
老いに伴うあらゆる変異に対応して、それを如何に修復するかという技術の進歩ではあっても、自分の老いを受け入れて、人生の幕を如何に引き、如何にこの世から消えるか、という設問には何一つ答えを出そうとしていない。
そこに立ちはだかっているのは、人は自然の成すがままに幕を閉じるべきであって、その幕引きに手を貸してはならない、という人類誕生の時からの苔の生えたような固定概念でしかない。
人類の歴史は年を追うごとに、人々の環境が向上し、その向上に従って寿命も延びてきたが、人間の考え方、特に死に対する考え方は、その環境の変化から取り残されて、太古のままで一向に前進していないということだ。

「江戸の花街」

2010-03-26 10:47:01 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「江戸の花街」という本を読んだ。
文庫本であったが相当に学究的な内容で読むのにいささか苦労した。
花街というからには今でいうところの風俗店と認識していいと思うが、要するに男と女が性を媒介として商いをする場所ということである。
冒頭に、性と戦争は人間界から根絶できない根源的なものだと看破しているところが非常に面白かった。
ならばどういう風にセックスを介する商売が成り立っていたのか、という興味は自然と触発される。
私自身のことで言えば、私の生まれた年が昭和15年、1940年で、高校を卒業した年に売春防止法が出来て街から売春宿というものが一斉に無くなってしまって、先輩方が言う「女郎買い」というものを体験したことがない。
しかし、その頃私の住んでいる小さな田舎町にも女郎屋というのは街中に幾つもあった。
その女郎屋にアメリカ進駐軍のMPがジープで乗り付けて、取り締まりというか巡察をしていた記憶は脳裏に残っている。
この街中にある女郎屋を私は正真正銘の女郎屋だと思っていたが、しかしその後よくよく考えてみると「置き屋」だったのかもしれない。
今でも果たしてどちらであったのか定かにはわからない。
普通の民家とは一種異なった雰囲気で、玄関は綺麗に磨きあげられ、玄関前には暖簾が下がり、その暖簾の奥には大きな電蓄が鎮座しており、その入り口では普通の女性とは明らかに雰囲気の違う人たちがたむろしていたことを覚えている。
こういう花柳界には普通の人とは違う雰囲気や隠語というべきか、あるいは今流に言えば業界用語とでも言うのだろうか、普通の娑婆とは異なる言葉が使われていたように思う。
で、この街中に散在していた店が戦後のある時期に街の一角に集合させられたようだ。
それが売春防止法と関連があるのかどうかは定かでないが、町中の店が一個所に集合したことは覚えており、今でもその傍をときどき通っては「この辺りだったなあ」と感慨に耽る。
それから半世紀以上経過して、今そこに住んでいる人がどういう人かは知らないが、その場所がそういう所であったということを知っているかどうかも疑問だ。
この本は江戸時代の吉原について、そういう検証を試みた労作であるが、如何せん、古文をそのまま参考資料として掲載しているので、これが私には難物で、その部分がすらすら読めない。
で、その部分を飛ばして読んだわけだが、今、言葉の乱れということがよく言われるが、基本的に言葉というものは時代とともに変化するものなのであろう。
古典、あるいは古文を書いた人の立場で見れば、今、私が書きつづっている言葉は、私が中学生の絵文字が読めないのと同じような異質なものに映るに違いない。
時代によって、自分たち同胞の書いた同胞の文字が読めない、というのは由々しき問題ではなかろうか。
恐らく100年後200年後では、私が今書き綴った文章も古典として、その時代の若者は読むことが出来ず飛ばして読むかもしれない。
言葉は時代とともに推移してはならないものではなかろうか。
古典の文章を現代語訳にしなければならないということは、非常に厄介なことだからこそ、そういう専門家が専門家として成り立っているのであろう。
外国語を翻訳するというのならば、まだその整合性は納得出来るが、自国語、自分たちのネイティブな言語が、古いからというだけで読めない、理解出来ないということは甚だ困ったことではなかろうか。
学校教育の国語の時間にもわざわざ古文というジャンルがあるわけで、自分たちの言葉がただ古いというだけで、正課として若い世代に教えなければならないというのも大いなる矛盾ではなかろうか。
古典に接することが、学者だけの行為であるから、普通の人には関係ないとばかりは言い切れないと思う。
そこに以てきて、花街という特殊な領域では、それに輪を掛けて業界用語が数多くあるわけで、ノーベル文学賞を受けた日本の作家で、「日本語は曖昧な言語だ」と言った人がいるが、この人の言ったことは私は間違いだと思う。
言葉が非常に沢山あるということは、言葉の表現力が極めて繊細に枝分かれしているわけで、その時、その場、その環境においていろいろな表現を選択できるという意味で、曖昧さの対極にあると思う。
例えば、「私」という実態を表す言葉は私、俺、自分……等々切りがないくらいあるわけで、それだけ我々は豊かな表現力に恵まれているということだと思う。
だから花柳界の言葉も実に沢山の隠語、あるいは符牒に恵まれていることになり、我々凡俗なものには理解が付いていけない場合がある。
この本を読んでみると、我々日本民族というのはどうしてもお上、統治する者に対して卑屈というか、そういうものを慮る風が潜在意識として残っているように見える。
というのも女郎屋を開業するにも、いちいち幕府に許可を伺いたてて、その許可をもらってはじめて、開業している。
こういうところから先頃降って湧いたように出てきた従軍慰安婦の問題で、国が関与しているという発想が生まれているに違いない。
しかし、人々のセックスの問題に国家が関与してくるというのも妙な気がする。
この本の言う花街というのは、今で言えば風俗店のことになるわけで、それに対して昔も今も、国家がある程度関与しているということは、関与しなければ際限なく風俗が乱れるということを指し示していると思う。
だとすると、風俗、いわゆるセックス産業が制限なく膨張するということは一体どういう所に行き着くことを想定しているのだろう。
セックスを媒介する業者が、直接的な当事者を、つまり売春婦を限りなく搾取することを取り締まるということであろうか。
日本の戦後の売春防止法の趣旨はこの部分にあったように思うが、本当のところは果たしてどうなのであろう。
要するに、女衒の締め出しが狙いであったように思うが、今では行為そのものが取り締まりの対象になっているようだ。
この本を読んでみると、吉原の住人、いわゆる女郎の生活というか有態というのも我々が想像しているほど熾烈なものではなかったようだ。
私などは「女を売る」という言葉がどうにも不可解であったが、本当の売り買いは御法度であって、基本的には契約であったという点は新しい知識である。
「女郎屋で女を買う」といった場合は、女郎屋に行って金を出してセックスするということは素直に分かるが、「東北の農村では娘の身売りがあった」と言われると理解を超えたものであった。
「見売り」という言葉からはアメリカの奴隷制度のもとでの奴隷の売買を連想したものであるが、どうもそういうものとも違うようだ。
先にも述べたように我々の言葉は非常に繊細に枝分かれしているので、その一つ一つの言葉の定義をしっかりと把握しないと意味がそれこそ曖昧になってしまう。
特に遊郭の中の専門用語や符牒に至っては、門外漢では意味不明になってしまいがちである。
それと同時に、遊郭で遊ぶということは、ただただ金に飽かせて金をバラまけばもてるというものではない、ということも何となく納得できる。
遊女の方にも選ぶ権利があるわけで、それを承知の上で通い続け、その間に惜しげもなく金を使い、それが出来て初めて床入りが出来るわけで、それほどの経済力を備えて初めて遊郭で遊ぶということになるものらしい。
我々は「遊郭に女が売られる」という表現に出合うと、それこそ奴隷のように終身身柄をそこに拘束されるかのよう思っていたものだが、そういうものではなく契約期間が定められて、それこそ年季明けともなれば、解放されるということもこの本で知った。
ただ、こういう業者がお上、つまり統治者から許可をもらって営業しているという正規のルートのほかに、どうしてもそういう筋を通さずに商いをする者もいるわけで、その攻防は昔も今もなんら変わるものではない。
上が規制すれば、必ずその規制の網をくぐる知恵者が現れて、キツネとタヌキのばかし合いの体を成すところが面白い。
男と女がいる。
男はセックスがしたいがたまたまそれを受けてくれる女性がいないので、金で相手をしてくれる女性を探す。
するとそれを媒介する者があらわれ、手数料を取って仲介をする。
すると統治者は「そんなみだらなことは許してならない」となる。
ここで問題は、仲介するそのこと自体が悪いのか、仲介料の額が悪いのか、仲介料を取ることが悪いのか、行為そのものが悪いのか、行為の場所を提供することが悪いのか、と様々な疑問にぶつかるが、その答えはまだ見つかっていない。
ただあるのは統治者の意思のみで、統治者が売春のどこがどう悪いのか決めれば、それが規制という形で覆いかぶさってくるだけである。
私自身が思うことだが、売春という行為はそれほどよってたかって糾弾しなければならないほど悪いことなのであろうか。
確かに泥棒というのは人のものを盗むわけで、盗られた方はたまったものではないが、売春というのは双方合意の上で、納得づくで行う行為なわけで、セックスをするのに金を媒介することがそんなに倫理に反することなのであろうか。
夫婦間では金を媒介することはないし、一夫多妻の習慣のある場所ではどういう扱いになっているのであろう。
不倫や浮気を罰するというのならば、確かに整合性があるように思うが、金を介してそれを行うとどうしてそれほど倫理に抵触するのだろう。
しかし、売春が倫理的に悪いという価値観は戦後のものであって、この本に描かれている情景は、決してそれを悪いという認識では見ていない。
統治者、つまり幕府は、巷で無秩序に無原則にそういう行為が見られれば、おっとり刀でシャシャリでるが、既定の枠内で行われている限り、それを許しているわけで、そこには倫理観との不整合も見当たらない。
ところが戦後の売春防止法、あるいは風俗営業にかかわる法律は、この点をこと細かに規制しているように思う。
売春を取り締まるというのも無粋なことであるが、違法行為であろうとなかろうと、それに群がる人間の方も実に嘆かわしい存在だと思う。
いい大人が、セックス産業を生業にするという思考の原点から私には容認できないものを感じる。
俗に「職業に貴賤はない」と言われているが、セックス産業に従事している人間は、卑しい職業だとはっきり言うべきだと思う。
いい大人が、いたいけない中学生や高校生の少女の裸の写真を売り物にするような仕事についていて、何が「貴賤はない」だ。
そういう商売をしていることを自分の子供に誇れるかと言いたい。
「金にさえなれば何でもやる」という部分に人間の品性が問われているわけで、こういうことをしている人はそのこと自体を理解していない。
この本を読んで、改めて普通の大人が遊ぶということは実に大変なことだと気が付いた。
吉原のような遊郭で、社会的な地位を得た大人が普通に遊ぼうとすると、膨大な金がいるようで、並みの者ではとてもそういうことはなし得ないように思える。
遊ぶ前に、遊べるだけの金を用意しなければならないわけで、私のような気の小さい人間ならば、金が貯まった時点で遊ぶことが怖くなって足がすくんでしまうに違いない。
そういう遊びはやはり遊ぶだけの器量を持った人間でなければ出来ないわけで、遊女の方もそういう相手しか取り合わなかったに違いない。
当然、こういう世界にもランク分けはあった筈で、中身はピンからキリまであったに違いなかろうが、戦後はこういう形態そのものを完全に無視して、全部を見事に壊滅させてしまった。

「戦争を知るための平和学入門」

2010-03-24 09:08:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「戦争を知るための平和学入門」という本を読んだ。
著者は1937年、愛知県、豊橋出身の高柳先男という人であったが、私と同世代ということもあって言っていることも文章も非常に共感を覚えるものがあった。
文中2、3、私とは考え方の違う部分があったが、それは自分の考えを述べるという点からすれば当然のことであって、だからこそ書物というものが面白い存在である。
「人はなぜ戦争を止められないのか」という設問に対して、この世に軍需産業があるかぎり人は戦争をし続けるという論旨は私としても充分に納得出来る回答である。私もそう考える。
兵器の開発は人間の興味を限りなく募らせる事柄で、いわば大人のおもちゃの究極の存在といってもいいと思う。
「矛盾」という言葉が端的に示しているが、この世で決して突き破れない楯を作ろうとする一方で、如何なる盾をも突き破る矛を何とかして作りたいという欲求は、人類の永遠の課題だと思える。
理知的な人からすれば、そんなバカなことがあるかと叱責されそうなことであるが、人間の存在意義というのは案外こういう単純な動機ではないかと密かに考えている。
東西冷戦が終わり、米ソとも過去にため込んだ核兵器の処遇に頭を痛めていると思うが、だからと言ってそれをゼロにする気は双方ともない。
幾つかは万一のためという理由つけで、管理しつつ保持し続けると思うが、あの冷戦の最中でも核戦争が現実のものになると考えていた為政者はいなかったに違いない。
しかし、現実の問題としてアメリカの大統領にしろ、旧ソビエットの指導者にしろ、核戦争の危機は極めて希薄だからといって、核兵器を捨てようという気はさらさらなかったわけで、核戦争を自ら仕掛ける気はなくとも、相手が先制攻撃をしてくることはあるかもしれないという一抹の不安は抱えていたに違いない。
だとしても、冷戦が解消した暁には、そういう不安も消え去ってもいいが、それでもある程度は持ち続けたということは、子供が寝るときに抱える抱き枕と同じで、持つことによって何となく安心感に浸れるという価値でしかなかったと想像する。
冷戦が終焉しても先進国の中では依然として新兵器の開発は行われていたわけで、これは一体どういうことかと平和を目指す人ならばそこのところを掘り下げて考えねばならない。
この本の著者は、その部分で、それは産軍複合体の利益の維持のためだと喝破しているが、私もそれは妥当の指摘だと考える。
主権国家の安全保障を具体的な形で実効あらしめているのは言うまでもなく軍隊であって、それは地球規模で見て普遍的なことであるが、その軍隊を後ろで下支えしているのは、当然のこと、安全保障関係の官僚であり、その下で官僚を下支えするのが軍需産業であり、その軍需技術を下支えしているのが科学者であり技術者というもろもろの業態の人々である。
主権国家が、安直に戦争という武力行使をするとは思わないが現実にはあるわけで、安全保障をつつがなく維持するためには軍隊のみならず、様々な企業が係わり、その企業に雇用される人々は極めて多数に上るわけで、それはトータルとしてその国の経済活動に大きく寄与しているということになる。
日本の戦後の平和主義者は、この安直に戦争という国権の発動をする国の存在を認めたがらないが、それは現実から逃避しているということであって、自分の観念上の不快なことから故意に目をつぶっていることだと思う。
20世紀後半から21世紀の戦争というのは明らかに国家総力戦なわけで、国家総力戦というからには、その国の経済活動あるいは総合的な技術力に下支えされるという背景がないことには戦争遂行ということが成り立たないのである。
ただここで私が個人的に感じることは、日本人の戦争に対するイメージはまことに偏狭で、唯我独尊的に独りよがりな部分があるように思えてならない。
それは戦争を観念で捉えて、人間の営みの延長線上にある合理主義でそれを捉えていないということだ。
明治時代に日清・日露の戦いで勝利したことによって、成功体験から抜けきれず、主権国家同士の国を挙げての戦いを合理主義に基づいて考えるのではなく、何の根拠もない神秘主義で考えていたということである。
戦争を始めるについては十分に根回しをして、自分の側についてくれる国、あるいは反対に相手側についてしまう国、そういう外堀を埋めてから取り掛かるという手だてがまことに不得意で、ただただ一時的な戦果が上がると、その事によって舞い上がってしまうという極めて軽薄な部分がある。
如何なる国でも、国益を図るというのは為政者の至上の行為であるが、それを武力行使で推し進めるというのは一番最低最悪の手段であって、最も優れた手法は外交交渉で一兵たりとも動かすことなく国益を図るのが最高に優れた政治手法である。
ところが我々はこういうことに価値を置かない。
ただただ闇雲に攻め行って、日章旗を挙げることによってのみ国家に奉仕たような気になる。
国益というものを、兵士の戦闘でしか得られないものと決めてかかっているわけで、口先三寸で国益を図っても、それを誰も評価しない。
その事は、我々が戦争の本旨も知らなければ、外交の本質も知らないまま、ただただ自らの実績を誇示することだけが、政治・外交だと間違った認識に陥っているということだ。
政治・外交の本質を知らないまま過ごしているので、65年前自ら被った旧ソビエット連邦による主権侵害に何一つ抗議しようとしない。
というのも、東西冷戦が終焉して旧ソビエット連邦では古い原子力潜水艦を廃棄する必要に迫られた。
ところが旧ソ連、今のロシアには経済的にも技術的にも、この原子力潜水艦を解体する技術がないので、日本に支援を求めてきた。
日本としても原子炉をそのままにした潜水艦を日本海に放棄されてはたまらないので、仕方なしに支援することになったが、そこで我々の交渉能力が優れていれば、その支援に際して、外交的に非常に有利な立場に立てたのであるが、我々はそういう面で外交力を発揮することなく相手の言うがままになったということである。
こういう場面で、65年も前の事を持ち出してそれを外交のカードにするということを我々日本民族としては潔としない気風があったようで、日ソ間には北方領土の問題や戦後の抑留の問題があるにもかかわらずその事をおくびにも出さず、目先の問題のみに終始したように思えてならない。
国益というのは何も戦争だけについて回るものではなく、平和時にも国益の擁護ということはあるわけで、特に日ソ間においては、この二つの問題は戦後65年間も店晒し、先延ばしされている問題である。
その事から考えれば、あらゆる機会にその解決を迫るべきだと思う。
相手が頼ってきた時こそ、最大のチャンスなわけで、我々はこういう場面で変な武士道を発揮して、合理主義に徹しきれず、言うべきことを言わずに沈黙するところがある。
日ソ間の交渉に当たる立場のものが、北方4島や戦後の抑留者のことを忘れてもらっては、同胞としてまことに歯がゆい思いがする。
相手が聞く聞かないは二の次として、言う機会があれば、その度ごとに口にしておかなければ、主権というものの意味がないではないか。
戦争を回避する一番のテクニックは言うまでもなく外交交渉である。
主権国家同士が戦端を開く直接的な要因は、その二国間の国益の衝突にあるわけで、その国益の衝突は言葉によって回避できる場合も往々にしてあるはずである。
我々はこういう場面における外交交渉に極めて不得意であって、言うべきタイミングで、言うべきことを適切な言葉で相手に言わない面がある。
異民族と交渉するときには、当然のこと、両者の間に価値観の食い違いがあるので、双方に誤解を招くことはあるだろうけれど、それを研究すること自体が、自国の安全保障の範疇に入ると思う。
ところが我々は戦争、安全保障というとき、そういう地味で地道な研究を全く問題視しないわけで、ついつい人の目に一番付きやすい兵器の研究に視点が注がれがちだ。
9・11事件が起きた時、「テロを防止するには貧富の格差を是正しなければテロを根絶できない」という論調が盛んに叫ばれたが、これも随分無責任な発言だと思う。
貧富の格差の是正などというテーマは、人類が誕生した時からの永遠の課題であったわけで、それが21世紀に至っても未だになしえていないわけで、その事から考えれば、テロ行為というのはこれから先も決して根絶されないということでもある。
貧富の格差の是正という意味で、この本でもタイにおける日本のODAの問題が取り上げられていたが、その例としてゴムのプランテーションとエビの養殖が取り上げられていた。
ゴムのプランテーションでは零細なゴム園を集約して効率を挙げたが別の問題が出てきた。
エビの養殖でも同じことが起きているのでODAはよくよく考えなければならないという論旨であった。
言わんとする趣旨はよくわかる。
既存の産業が近代化を推し進めて生産の能率を上げれば、新たな弊害が必然的に湧きでてくることは、如何なる国でも普遍的なことであって、そういう産業界の変遷を掻い潜ることで、人は新しい生活に順応というか、新しい価値観の中に埋没していくのである。
人々の生き方が、資本主義体制の中の自由経済システムに固執している限り、産業の変遷は限りなく継続するわけで、それは貧富の差を縮めるものではない。
貧富の格差はどまで行っても縮まらないが、貧しさの底上げは新しい産業に順応することでいくらかは進歩するはずである。
裸足で歩きまわっていた者が、靴を履き、衣服を着、車に乗り、携帯電話が持てるようにはなるが、それで貧富の差が縮まったわけではない。
だからテロという新しい戦争の原因を貧富の差にあるとする根拠は極めてむなしいものといえる。
この本の著者は、「自分は平和学の研究はしているが、平和主義者ではない」と自分を分析して、「人間は本質的に戦う本能を持っている」と論破している。
私も同感だ。日本の進歩的文化人は血を見るのが嫌で戦争反対と言っているが、それは戦いを避けているわけではなく、血の雨の降らない戦いならば決して厭わないということだ。
血を見る、人と人の殺し合い、悲惨な戦場、こういうものが好きだと言う人がこの世いるだろうか?
地球上のすべての人が忌み嫌うのが当然であって、何も日本の進歩的文化人のみが偽善者ぶって、自分こそ平和愛好者だと叫ぶ方がチャンチャラおかしいではないか。
かっての安保闘争、学園紛争、成田闘争でも、実情は内乱そのものであったが、そこでは銃器というのは決して登場していない。
武器といえばせいぜいこん棒であって、火器は一切登場していないが、これは石器時代の戦争と同じだということである。
その事から考えて、こういう文化人の戦争に対するイメージは、明治初期の戊辰戦争のイメージから一歩も進化していないわけで、こん棒や歩道の石をはがしてそれが武器であったことを考えると、昔、週刊誌の漫画にあった『ギャートルズ』と同じレベルの思考である。
こういう発想の中では、真の国家間の国益の衝突のようなスケールの大きい事件には視点が定まらないのである。
それは戦うことを否定しているのではなく、一瞬にして命を絶つような武器の使用は御免こうむりたいが、戦争ゴッコのような戦いは体制批判のツールとして大いに奨励するという認識である。
こういう前提で、そういう文化人あるいは進歩的な知識人を考えると、彼れらは戦争の本質について何も知らない、そしてその延長線上の思考として、人間の本質についても何も知らないということに行き着く。
ただただ観念論として、戦争は悲惨だから反対だという程度のことで、ある意味で「葦の髄から天の覗いていた」にすぎない。
人間は生ある限り生き続けなければならないが、そのためには糧を得なければならない。
その糧を得る手段として、戦争反対というスローガンを掲げれば、自分の論文なり原稿が売れるわけで、生きんがためにそういうポーズをとらざるを得ないという面は無きにしも非ずだと思う。
戦後の日本の進歩的文化人が戦争反対を金科玉条のように唱えている構図は、その前の大戦の時に日本中の人が軍国主義一色で、異端の考え方を庶民レベルで、あるいは隣人同士で封殺し合った構図と瓜二つである。
もっとも戦前も戦後も中身の日本人、日本民族が入れ替わったわけではなく、我々は民族として連綿と生き残っているわけで、戦前の軍国主義も、戦後の平和主義も、同じ日本人がベクトルの相反する思考を大声で叫び合っている図でしかない。
戦前の我々は軍国主義のもと、挙国一致であの無意味な戦争に心から協力してきたが、戦後はその反省として国に奉仕する思考が逆転してしまって祖国を侮辱し、為政者を石を以て打ちのめすことが時流となってしまって、世紀末の現象を呈している。
問題として考えねばならないことは、戦前は軍の圧力で言論が封殺されたと言われているが、実質は言論人の自主規制で自ら口を閉じたのであって、その反動あるいは反省に立って、戦後は進歩的知識人という人たちが、亡国の言論を自らの良心に恥じることなく吹聴しまくっているということである。
この振幅の広さを知識人でない我々はどう考えるべきなのであろう。
戦後の日本のインテリーの、学識経験、知性、理性、教養、良心、モラル等々こういうものは何処に行ってしまったのであろう。

「テレビの自画像」

2010-03-23 07:30:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「テレビの自画像」という本を読んだ。
サブタイトルには「ドキュメンタリーの現場から」となっている。
著者は1946年東京生まれ、東大を出てNHKに入局した桜井均という人だが、全身知性の塊という印象を受ける。
テレビのドキュメンタリー番組を如何に作るかというハウツーものに近いが、それには規定の価値観として、テレビカメラの三脚をいかなる場所に立てて撮るか、という認識が大事だということを説いている。
これから作ろうとしているテレビのドキュメンタリー番組に対して、如何なる視点で立ち向かうべきか、ということをひも解こうとしているが、私に言わしめればドキュメンタリーといえども、テレビドラマと何ら変わるものではなく、脚本に従って映像を並べているにすぎないように思える。
ただ確実に言えることは、大学を卒業してメディア、特にNHKともなれば日本のメデイア界の雄であるわけで、そこに就職できたとなれば、本人は大きな気負いを持ってことに当たるのが普通ではないかと思う。
そして、こういう毛並みの良い人は押し並べて善意の塊であって、人を真正面から批判するという無作法なこともしないわけで、口にする言葉は押し並べて綺麗ごとに終始する。
弱きを助け、悪を正し、人の嫌がることは避け(自分で代わってすることはせず、あくまでも回避に徹する)、万人に良い子ぶって国家とか権力には極めてつらく当たることを身上としている。
国家や権力の悪口を言っている分には誰も傷つけないので一番無難な生き方である。
人の織り成す社会というのは、統治するものとされるものという区分けは避けられないが、統治する者はいくら叩いても誰もそれによって被害をこうむるものはいないので、叩き放題叩くことが出来るが、その矛先は決して個人には向けられない。
個人に向けたら最後それはイジメとして糾弾されるが、これが個人の持つ権力となるとまた話は別で、東大を卒業したような人は決してこの峻別を誤ることはない。
この地球上に住む人間は、好むと好まざるとピラミッド型の社会を形造っているわけで、そこの中では当然のこと、統治するものとされるものという区分けが存在する。
メディアというか、世の知識人と称する人たちが、皆が寄ってたかって統治する側を非難中傷するということは、どう考えるべきなのであろう。
統治する側は常に統治される側から非難中傷を受けるので、時々、政権交代と称して統治する側のメンバーが入れ替わるが、それでも人々の常として、いくら政権交代しても統治する側は批判の対象から逃れることが出来ない。
時々、政権が代わるということは、極めて民主的な政体であるからこそ政権交代が可能なわけで、これが北朝鮮のような国では政権交代もないので、統治する側を批判することもあり得ない。
日本でも、アメリカでも、民主政治であるからこそ政権が交代するのであるが、いくら政権が交代しても、統治される側の政府批判というのは止まらない。
これは一体どういうことなのであろう。
自分たちが選んだ為政者に対して、不平不満を言いたてるということは、それだけ統治される側の欲求が満たされないということであろうが、統治されるものが満足に思うことなど、この世にある筈がないと思う。
これも単刀直入に言えば、人間の業として当然のことであろう。
生きた人間が統治する側とされる側に区分けされれば、統治される側は、自らを統治する者に対して満足することはあり得ないわけで、どんなに善良な為政者が現れたとしても、自分が統治される立場でいる限り、それに満足することは決して存在せず、それが政府批判という形で社会に蔓延することになる。
統治するものとされるものの間に挟まれた認識の乖離というのは、避けて通れない道であって、それは今後とも永久に解消されることはなく、人類が生存しつける限り継続する。
そういう状況下で、この世のメディアというのは、この統治するものとされるものの間の認識の乖離を飯の糧にしているのであって、私がメディアに不信感を寄せる根拠は、この認識の乖離をメディアはエンターテイメントとして捉えているからである。
この著者の扱った過去のドキュメンタリ-番組の一つ一つに言えることで、彼はカメラの三脚の位置という表現で語りかけているが、番組の作り手として、世の中を勧善懲悪という視点に置き換えて見ている節がある。
メディアに携わる人間として社会を眺めれば、どうしても犯罪の加害者と被害者、あるは善人と悪人、統治する者とされる者、という構図で見ざるを得ない立場に置かれる。
例えば、エイズの問題を取り上げれば、外国では禁止されていたものをなぜ日本では禁止措置を取らなかったのだというアプローチになる。
チッソの問題を取り上げれば、公害垂れ流しをなぜ阻止できなかったのかというアプローチにならざるを得ないではないか。
ことほど左様に、メディアが社会的な警鐘を鳴らそうと欲すれば、誰かを悪者に仕立て上げなければ、警鐘を鳴らす行為とならないわけで、そこに私としてはタダならぬ偽善を感じずにはおれない。
エイズの被害者に同情を寄せる、公害の被害者に同情を寄せる、このことは人間の行為として極めて崇高な行為ではあるが、生きた人間は何時かは確実に死ぬわけで、エイズや、水俣病や、BC級戦犯として亡くなった人だけを特別に気の毒な人ということは私としては納得できない。
交通事故で道路の真ん中で死ぬ人や、独居老人として自分の家で大往生する人や、病院でビニール管を体中に巻きつけて死ぬ人や、監獄の中で死ぬ人や、人の死に方は千差万別だと思うが、そういう数ある死に方の中でエイズや、公害や、誤診や、戦犯として死んだ人だけが特別に可哀そうなわけではないと思う。
しかし、こういう死に方をした人は、事件の被害者であるから、被害者はどこまでも救済し、そういう結果に至らしめた加害者は、徹底的に糾弾して息の根を止めなければ正義が廃る、という義侠心にかられるのがメディアというものである。
エイズや、公害や、誤診や、戦犯として死んだ人は、「それが天命なのだから仕方がない」では、メディアとしてメディア足りえないわけで、誰かを悪人に仕立てて、その悪人を寄ってたかって叩きのめすというポーズをとらないことには、メディアの沽券にかかわるはずである。
社会の中で起きる様々な事象を、如何に表現するかというテーマは極めて大きな課題であって、それを表現者はそれぞれに自分の得意な分野で実現すべく努力をしている。
ある人は小説という形で、ある人はドキュメンタリーの映像として、ある人はドラマとして、それぞれに社会的な事象を自分の才覚で以て料理し、自分の得意とする手法で表現しようとするが、これはたった一人の作業ではないはずで、組織力で作り上げる労作だと思う。
特にNHKのような巨大な組織になれば一本の番組を作るのにただ一人でということはあり得ないわけで、だとするならば、その出来上がった番組は携わった人の総意だと考えるべきだ。
NHKの放映する番組が、それぞれに大勢の人の総意であるとするならば、その総意のトータルとして反政府、反体制、悪者叩き、勧善懲悪という偽善に嵌り込んでしまうことになる。
エイズや、水俣病や、BC級戦犯として亡くなった人に同情を寄せることには、いささかも躊躇するものではないが、ならば厚労省や、通産省や、東京裁判を全否定することが出来るかといえば、そんなことはあり得ないわけで、答えとしてはどういうものがあるかという解答はあり得ないことになる。
ここで、その番組作成にかかわった人たちの全員が善意の人になり変ってしまって、自分たちは良いことをしているという思い込みに浸りきってしまうと、逆に批判精神が鈍化するように思う。
加害者と被害者、善人と悪人という勧善懲悪の世界に入り込んでしまうと、自分の思い込みの裏側にまで関心が向かないと思う。
エイズの問題で、被害者と厚生省という対立軸からは、被害者は善人で、その善人を死に至らしめたのは厚生省という悪の権化としての官僚組織であるからして、厚生省そのものを全否定しなければ、という思考に嵌り込んでしまうと思う。
メディアに携わっているような人は、当然のこと無知蒙昧な愚者ではないはずで、立派な大学を卒業した人たちであろうが、こういう人がメディアの本質に触れようともせず、日々ルーチン化した仕事に追われて、自分のしている行為に対して、客観的な視点で眺めたことがないという点が不思議でならない。
この本の中に書かれていることで、騒音問題に関して住民同士が険悪な雰囲気まで行ったということが述べられているが、これなどは我々同胞の民度の成熟度の未発達を如実に示した事例であるが、メディアでは決して住民の我儘のなせる技だということを言いきらない。
近隣の犬の鳴き声からピアノの音、はたまた川のせせらぎから虫の声まで、騒音というに至っては開いた口がふさがらないが、メディアは決してこういう苦情を言う人に対して「お前が間違っている、お前の我儘を少しは慎め」ということは言わないわけで、何とか皆で話し合って解決しましょうということになる。
これは、メディア論を逸脱して、戦後の民主教育の弊害というべきことであるが、戦後生まれの世代は、自分の受けた教育を寸分も疑わないわけで、旧世代と価値観が違うということにも気が付いていない。
戦後世代のものの考え方の基本にある思考は、自分の言うことは正しく、自分が迷惑だと思うことは、全て他者が悪いというものである。
だから自分が病気になると医者が悪い、病院が誤診した、だから金よこせという論法になる。
医療事故の中には確かに医師のミスもあろうかと思う。
日本中の病院で、毎日どこかで手術が行われているとするならば、ミスの一つや二つは起きていても不思議ではない。
しかし、メディアに掛かれば、そういうことはあってはならないわけで、人命は何んにもまして大事であるから、医師はミスをしてはならないというものであるが、確かに正論ではある。
誰も反駁し得ない正論そのもので、如何に正論であっても、それを取り行うのが人間である以上、ミスをゼロにすることは不可能に近いことである。
医療従事者は皆が皆それをゼロにする努力をしているとは思うが、それでも不幸にして起きるのが医療ミスというものだと思うし、その逆の視点に立てば、不正をして金儲けに専念する医師も片一方に居ることも現実であろう。
が、メデイアは医療の当事者ではないのでこういう正論を吐けるが、医師も人間である以上事故はいつ起きるとも限らないというのが現実だと思う。
メディアは、こういう現実を無視して正論だけを言うわけで、その意味でまことに無責任だと思う。
朝鮮人や台湾人で旧日本軍に徴用されて戦後BC級戦犯に問われた人の存在も、気の毒な存在だとは思うが、日本が戦争に負けた以上、その人の運命が如何に翻弄されようとも、日本の政府として手を差し伸べることが出来ないというのもまことに不幸なことではあるが何ともいた仕方ない。
人は安易に人道的という言葉を口にするが、これも当時者ではない人の無責任な発言だと思う。
メディアはあらゆることに責任がないのだから、口先で思いついた綺麗ごとを無責任に並べるが、メディアに携わる人間が普通に論理感を備え、知性豊かで、学識経験豊富な人ならば、メディアに携わって禄を食むこと自体が成り立たないと思う。
考えても見よ。家庭の主婦がきちんとハウスキーピングし、亭主は品行方正で、子供はまじめに学校に通って、近所づきあいもこれといったトラブルもなく平穏な市民ばかりであったとしてら、メディアは死滅してしまうではないか。
主婦が不倫をし、亭主は浮気をし、子供は不良として警察に補導され、近所では騒音公害を騒ぎ立てているからメディアの存在意義が認められているわけで、世の中が平穏無事であればメディアは生き残れないではないか。
だから自己保存の本能が働いて、メディアは自分でニュースを作り出すわけで、それをドキュメンタリーという手法で人々の目に映すわけである。
この時に、そのニュースが大衆に受け、メディアが良い報道をしたという評価を獲得するためには、綺麗事を並べ立てねばならないわけで、その場では決して本音を漏らすことは許されない。
本音の裏側にある真実を綺麗事で包み隠して、真っ正直な正論を語らねばならないが、この真っ正直な正論というのは、極めて実現が困難な事柄であるが、メデイアは自分が当事者ではないのでそういう綺麗ごとを言っておれるのである。
ある病院で異常に死亡者が多かった例のことをこの本では述べているが、その言わんとする趣旨は、この病院が適切な処置を怠っているのではないか、という疑惑の解明ということであった。
しかし、人が病気で死ぬことは当然のことで、しかもそれが老人ともなればなおのこと、死ぬ人は多くなる筈である。
今の病気治療というのは植物人間の例もあるように、ただただ生かすだけならば相当日数生かせるが、この植物人間の生命を何時経つかという問題は、かなり大きな課題だと思う。
加齢による老衰という現象も、非常に医者としての判断が問われるシ―ンだと思うが、ここで病院が故意に治療を怠ったと言われれば、医者あるいは病院も立つ瀬がないと思う。
メディアは偽善ブッて患者の側に身を置いて医療機関の方を糾弾しがちであるが、これもメディアに携わる人の驕りであり、偽善だと思うし、綺麗ごとの叙述だと思う。
この本の冒頭にも述べられているように、メディアとして対象を見る視点の位置、つまりカメラの三脚の位置をどこに定めるかということになろうかと思うが、メディアに携わる人たちは、その時点で相当に恵まれた環境の中で生きてきた人だと言える。
そういう人が他者の心の痛手などというものを理解しきれないのは当然のことだと思う。
他者の心の痛みがわからなくとも、目の前のある事態を被害者・加害者という立場で捉え、どちらが悪者でどちらが善人かという判断は可能なわけで、カメラの視点は必然的にそこに備わってしまうはずだ。
問題は被害者・ 加害者、悪人・善人という区分けでものを眺めるときの価値観の基軸の存在である。
メディアに携わっている人は、往々にして「権力を監視する」という言い方をしがちで、その事によって自分たちがインテリ―・ヤクザではないと主張しているようであるが、悪い奴を叩くことは良いことだ、という思考そのものが非常に浅薄である。
私は個人的にはNHK大好き人間で、NHKのドキュメンタリー番組もよく見る方であるが、NHKは政治に振り回されないようにあくまでも公平公正にを頑なに守っていることは理解し得るが、不偏不党の組織というのも気の抜けたビールのようなもので、実に無味乾燥な存在である。

「『よのなか』入門」

2010-03-22 07:15:27 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「『よのなか』入門」という本を読んだ。文庫本であった。
著者は1955年生まれというのだから今は55歳前後ということであろう。
私どもと比べると相当に裕福な家に育って、大学も東京大学というのだからエリート中のエリートで、自らもリクルートに勤めたと述べているので、並みの人間ではない。
そういう人が人生訓のようなものを書いているわけで、この部分で我々旧世代のものからすると、しっくりいかない部分がある。
世代間ギャップそのもののように思える。
人生の問題を分かりやすく解きほぐすという狙いがあるものと思うが、考え方も、文章も、我々の感覚からするあまりにも軽いという気がしてならない。
この軽さというのは一体何であろう。
恵まれた家庭に生まれたので、成長の過程で人にもまれるということがない、いわゆる挫折した経験がないというか、目の前に壁が立ちはだかったという感覚に欠けている。
自分の欲しいものをやすやすと手に入れている点が我々の感覚からすると何ともうらやましい限りである。
恵まれた家庭に育ち、自分自身の才能にも恵まれて、我々からすると目がくらむような幸せを意図も安易に手に入れている姿を見ると、なんとも異星人を見ているような感覚に陥る。
この軽さは、最近の芥川賞や直木賞の小説にあらわれているように、若い世代に共通する要因のような感じがしてならない。
ある意味で、日本そのものが完全に成熟した社会になったということかもしれない。
しかし、人類がこれまで築き上げてきた社会というか、文明というのはサインカーブ、コサインカーブのように頂点を過ぎれば後は下降線をたどるのが普遍的なことをだと思うが、そうであるとするならば、日本というのもこれから先は下降線を転がり落ちるということなのであろう。
世界的な規模で見て、エジプト、ギリシャ、ローマ、チグリス・ユーフラティス、等々を見ても、過去には立派な社会・文明を築きながら、今は低迷している。
低迷しているとは言っても、その地の人々が絶無になったわけではなく、人々は相変わらずその地で生き続けている。
生き続けてはいるが、これらの地域の住人が他に与える影響力というのも限りなくゼロに近いわけで、ある意味で原始人と同じ価値でしかない。
我々の日本も、ああいう形でしか生き残れないということであろうか。
人間の生きる意味などというものは、突き詰めれば自己満足でしかないに違いない。
いくら名声を博したと言っても、それはただ単に本人が満足しただけのことで、他者にとっては何の意味もない。
今の地球上には我々が物質文明と称している様々な生活方式、生活のツールとは無縁に生きている人々がいる。
それを総称して我々は未開人だとか、野蛮人だとか、少数民族だとか、開発途上の人たちなどと言っているが、彼らこそ人間として真に幸せな生活をエンジョイしているのかもしれない。
我々は、あれも欲しい、これも欲しいという自己の欲望に追いかけられてあくせく働いているわけで、その欲望を絶ち切ることが出来れば、実に幸せな感覚に浸れるのではなかろうか。
いい家に住みたい、いい車に乗りたい、楽して金を儲けたい、人の前で威張ってみたい、自分の権力を誇示したいという思いを断ち切れないので、その目標に向かって日夜鋭意努力しているのではなかろうか。
明治維新以降の我々は、国を挙げてこういう目標達成のために努力に努力を重ねてきたのではなかろうか。
それが第2次世界大戦を経たことによって、我々は一旦は無に帰したことにより、それ以降ゼロベースから出発してみると、過去の我々自身が軍事力こそがその目標達成のツールだと思い込んできたことが全否定されて、経済こそがその目標達成に一番適切なツールだと気が付いた。
そこに持ってきて地球は限りなくグルーバル化したので、もう自分の国という概念そのものが成り立たなくなってきた。
今の地球は限りなくボーダーレスになってきて、かっての主権国家という概念が希薄になってきたので、人々は好きな所にいって好きなように生きれるようになった。
主権国家という概念が希薄になったとはいうものの、自分が生まれ、自分が育ち、自分が学んだ場所には郷愁が残るわけで、その意味で故郷というものは心の中に存在し続ける。
国家の概念や国を思う気持ちが希薄になる前提条件として、メディアの発達があるわけで、このメディアがそれこそボーダーレスであったればこそ、他の地域、他の人々の生き様というものが無制限に入ってきたので、そうなってみれば人間というのは何処に住もうと、していることは皆同じだという結論になったものと考える。
今の日本の小説が極めて軽い読み物になったということは、重いというか、深刻なというか、心の奥底から絞り出すような思考が意味を成さなくなったということだろうと考える。
そういう重い思考を何処までも掘り下げていくと、それはノイローゼという病気にさせられてしまうわけで、その原因をストレスという精神の抑圧という形で語られてしまう。
私は昔からある哲学というものを馬鹿にしてきたが、この哲学というのは、人間の心の奥底をどこまでも掘り下げる行為だったのではなかろうか。
今の若者ものの考え方が軽いということは、この心の奥底を覗く行為や、作法や、ノウハウに疎いということではなかろうか。
昔の小学校には二宮尊徳の銅像があったものだが、あれは勤勉実直の見本としてそこに安置されていてわけで、その意味するところは、人たるものああいう風に勉強して末は立派に立身出世をしなさいよと言うことを示している。
薪を背負って歩きながらも本を読んでいる姿は、少し前までは我々日本人の見習うべき理想の姿であったが、今は状況が完全に逆転してしまって、あの像が見本足りえていない。
「艱難辛苦、汝を玉にする」とも言われたものだが、今、艱難辛苦していたら落ちこぼれてしまう。
今は教育にうんと金を掛けられる家庭がその人の生涯を有利にしているわけで、そのためには親は死に物狂いに働かねばならないことになっている。
そういう環境の下で成人した今の大人は、苦労をしたことがないので、もの考え方が浅く深みがなく、表層面しか眺めないので、その下に潜んでいる本質が見えないのである。
今の鳩山総理のものの考え方の中にも、この戦後世代の典型的なものがあるように見える。
大勢の人が望む政治をすると言うことは、基本的には正論であるが、それは必ず行き止まりになると思う。
政治というのは決してタダではないわけで、税という形で集めた金を施策を通して国民に還元しなければならないが、そこで国民の側の要求としては、納める税金は限りなくゼロにし、受ける恩典は無限大に膨らむわけで、これが統治される者の究極の欲望である。
こんなことは論理的にあり得ないわけで、鳩山総理はこの中で、自己の人気取りに終始しているように見える。
国民に金をバラまけば自分の人気は上がるが、その後のことには考えが至っていないわけで、その意味でまことに浅薄だと思う。
政治家であるとするならば、10年後20年後の我が同胞の姿に思いを巡らせて、今耐えるべきことも素直に説き、自分の人気だけに思いを巡らしていてはならないと思う。
この本の著者のように、言っていることが如何にも浅薄で、見かけの軽快さのみで人気を博していてはならない。

「世界の歴史18東南アジア」

2010-03-15 16:45:32 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「世界の歴史18東南アジア」という本を読んだ。
著者は河部利夫氏。
1969年に書きあげたものを1989年に文庫本にしたというかなり古典的な本であったが、極めて有意義な著作であった。
当然、タイに行くという前提のもと、予備知識にと思って読んでみたのだが、その内容は実に意義深い内容のものであった。
ハードカバーのものを手元に置きたいという思いに駆られる。
この本にも語られているが、戦後の我々はどうしても東南アジアに関する関心は薄くなっているように思える。
戦後の我々が文化を語るとなると、その関心はどうしてもヨーロッパであり、アメリカであって、中国に対しては関心はあるがそれを素直に言えない心のわだかまりがある。
というのも、中国に対しては過去の歴史の贖罪の気持があって、純粋に文化という視点からの論考であったとしても、ついつい遠慮して対象から外してしまいがちであった。
我々日本人にとっての基底の文化が、中国から渡ってきたものであることは全ての日本人が納得するところであるが、何せあの戦争中に彼の地を武力で蹂躙した事実を突き付けられると、我々の側に加害者としての贖罪の気持がぬぐい切れずに、そこにもってきて彼の地は体制が異なっているので、我々の側としては何処を評価し、何処に価値感を求めていいのか、その評価が多様化してしまっている。
ところが東南アジアというのは、ヨーロッパとアメリカと中国のはざまに落ちこぼれてしまって、極めて関心が薄くなってしまっていた。
ただ経済界では、これらの地域は人件費が安いという点から、関心があるかのように見ていたが、問題はこの部分を我々は歴史から学ばなければならないと思う。
この本を読んでみると、中世の大航海時代というのは、ヨーロッパ人の活躍のみならずアジア人も大いに大航海という事業をなしている。
それが我々の習う歴史では、ヨーロッパ人の活躍のみが話題にされて、アジア人のそれは全く評価されていない。
これは明らかにアジア人のヨーロパに対するコンプレックス以外の何ものでもないと思う。
この本から教えられなくとも、アジアがヨーロッパ諸国の植民地にされた事実はよく知っているが、この事実を前にして、我々はアジアを支配した側に畏敬の念を持ち、支配された側に蔑視の感情で以て眺めていた節があるのではなかろうか。
明治維新の志士達の熱情は、アジアを植民地にした側に限りない羨望のまなざしを向け、そのノウハウを学ぶことであって、彼らの内に秘めるスローガンは「我々は断じて植民地にされてはならない」という決意だったと考える。
自分たちの宇宙の外側に、支配と被支配、宗主国と植民地、搾取と抑圧という二極対立構造を見たとき、支配する方に視点が向かうのは当然のことで、我々はそちらの方の研究には余念がなかった。
これは人間が自己保存の原理で行動する限り必然的なことで、目の前に有利な状況と不利な状況が展開しているときに、わざわざ不利な状況を選ぶ者はいないわけで、当然、優れた方を選択するのは自然の摂理である。
そこで我々の同胞はヨーロッパ人のアジア進出を見るさいに、その成功事例のみを研究するので、おのずとヨーロッパの植民地主義、帝国主義について深く掘り下げるということになる。
これはこれで学会の研究としては、非常に興味あるものであろうが、その中の誰一人として支配された側に関心を持つものがいなかった、という事をどういう風に考えたらいいのであろう。
中世以降、ヨーロッパに始まった大航海時代の波に乗って、ヨーロッパ人が大挙してアジアに出てくる。
アジアはそれぞれの小さな部族ごとに孤立して生きていたので、ヨーロッパ人の鉄砲の前に屈服してしまう。
それをアジアの隅っこの日本という位置から眺めていると、我々は決して「ああ云う風の抑圧されてはならない」という覚悟を新たにするまでは良いが、そこで視点が強者のヨーロッパ人の方に向いてしまったわけだ。
その結果として、我々の関心が強いヨーロッパに向いてしまって、弱いアジアには蔑視という感情がしみ込んでいったものと思う。
歴史的事実として、中世以降、アジアはヨーロッパの植民地のもとに置かれていたことは事実であるが、この体制をひっくり返したのは、彼らの自意識の芽生えもあるが、その前に日本の武力によるアジア進出であったことは間違いない。
20世紀中盤の第2次世界大戦で、日本軍がアジアを席巻したことは、良きにつけ悪しきにつけ、アジアの人々の自意識を覚醒させたことは事実である。
アジアの人々が「自分たちもやれば出来るのだ」という意識を持ったのは、当然のこと日本の日清・日露の戦役の勝利であったことは間違いない。
アジアの人たちにとって、日本があの巨大な清王朝に勝ち、あの巨大なロシア帝国に勝つなどということは驚天動地のことであったに違いない。
その意味でアジアの人たちはその後の日本の活躍に大いに期待していたことは間違いないが、その後の第2次世界大戦での日本のアジア進出では、日本は彼らの期待を裏切ってしまった。
第2次世界大戦で、日本がアジアの人たちの期待を裏切り、彼らの顰蹙を買ってしまった事実は、一言でいえば我々同胞の民度の低さであったと私は考える。
考えても見よ、戦後65年を経過した今でも、戦時中の話題として語られることに、当時は小学校でも鉄腕制裁があって、先生が児童を殴ることが当たり前だったと言われる。
この鉄腕制裁というのは学校の現場のみならず、当時の日本社会の何処にでもあった行為で、軍隊内部ではとくに顕著だったと言われている。
問題は、この鉄腕制裁という行為に対して、誰もがその違和感に不感症になっていて、日本の社会の何処にでも普遍的にあった行為という事実である。
先生が生徒を殴る、上司が部下を殴る、上級生が下級生を殴る、こういう野蛮な行為が日本の社会に蔓延していたということは、民主主義の度合いの低さ、民度の欠如、人間性の欠落、人間としての品位・品格の喪失をあからさまに示しているものと私は考える。
日中戦争から太平洋戦争の初頭の時期において、日本軍がアジアに進出、進攻したとき、我々の軍隊は現地で内地における振る舞いと同じことをした。
「我々の軍隊」と言うと言葉だけが一人歩きしがちであるが、それは我々の父や、兄や、弟や、従兄や、同級生や、昔の幼馴染という我々の身の回りの仲間の集合であって、極悪非道な鬼や夜叉ではない。
そういう我々の身の回りの人間の集合としての同胞が、軍隊という組織を形作り、軍事行動として異郷の地に侵攻して、現地の人々に対して、内地でしていることと同じ対応をしたので、現地の人にしてみれば、我々の軍隊が鬼か夜叉に映ったとしても不思議ではない。
アジアの人から見れば、折角「ヨーロッパ人を追い払ってくれたのでありがたい存在だ」と思った瞬間、げんこつで殴られれば、日本に対するあこがれは一瞬のうちに吹き飛んでしまったに違いない。
我々の側に悪意があったとは思われず、日本でしていることと同じことをしたつもりであろうが、受け取る方はそうは思わないわけで、この部分に我々の側の独りよがりな思い込み、すなわち民度の低さが横たわっているということだ。
この民度の低さというのは、そのまま我々の政治下手に通じているし、それは同時にアジア蔑視にもつながっている。
近世から現代の我々同胞の宇宙感は、どうしてもヨーロッパとアメリカに向いてしまい、アジアには極めて無関心であったということは、その根底にアジア蔑視の感情があったと思う。
ところが経済の携わる人たちは、金、人、物の交流が欠かせないわけで、それはいつの時代にも絶えることなく行われていたが、そういう活動に日本の知識階層が無関心であったということだ。
我々は歴史の授業で倭寇ということを学ぶが、この倭寇に対する価値観も、海賊であったり、文化交流であったり、経済活動であったりと、きちんと定まっていない。
その事実は、学者の研究の対象として、真面目に取り上げなかったわけで、「学者が海賊のことなど研究できるか」という発想であったと推察する。
日本の近代化はヨーロッパを模倣することから始まったわけで、その意味でヨーロッパの価値観が至上のものであったろうが、戦後日本がアメリカに次ぐ経済大国になったならば、自分の身の回りの事象にも、もっともっと関心を寄せてもいいように思う。
そういうアプローチをすると、すぐに戦争の贖罪という風に意識が向いてしまうが、その思いも、我々の側の単なる思い込みに過ぎない部分もあるわけで、彼らが戦後独立を成し得た背景に、日本がヨーロッパの力を殺いだということは彼ら自身分かっているはずである。
ただ我々が経済大国として札びらをちらつかせば、先方は何とかしてそれをせしめたい、という動機は湧きあがると思う。
その時のカードとして、日本の贖罪を求める場合もあろうが、それを克服するのは政治力、あるいは外交力でしかない。
これらはともに交渉力であって、相手に対して如何なる交渉能力を発揮し得るかどうかの問題であって、その本質こそ政治力であり、外交力であるわけで、そこが我々にとって一番苦手な部分である。
ヨーロッパの人々も、アジアの人々も、基本的には陸地に住む住人であるが、我々に限っては海の中の孤島の住人で、異民族との共存あるいは交渉事に極めて疎いわけで、自分の思い入れ、思い込みによって相手を極端に過大評価するか、その反対に過小評価してしまうのである。
そうかと思うと自分の立ち居振る舞いは、万国共通だと思い違いをして、自分たちの価値観をそのまま相手に求めるので、当然、文化的な摩擦を生じることは必定となる。
陸続きで、歴史上何度も侵略したりされたりした経験のある人たちは、そういうクライシスにも十分の耐えうる処世術を備えているが、我々はそういう意味で極めて純な気持ちを持っているので、相手が交渉のテクニックとして我々の非を突いてくると、自分が大悪人でもされたような気になってしまうのである。
それが交渉のテクニックだということに気が付かず、身も心も相手に対する贖罪に気持に苛まれてしまって、自己嫌悪に陥るというわけだ。
東南アジアの人たちは、自分たちが西洋人に打ち勝つなどということは夢想だに出来ないことを決めてかかっていたが、それを日本人がやったということは、彼らの大きな励みになったことは確かだと思う。
しかし、その事と個人の利害はまた別の話で、こういう点で感情論に流されない点がこれまた彼らのしたたかなところであり、その意味でも我々は極めて短細胞で、すぐに相手の口舌に惑わされて、金を出す仕儀になるのである。

「なぜボーイングは生き残ったのか」

2010-03-11 09:38:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「なぜボーイングは生き残ったのか」という本を読んだ。
文庫本であったが、文庫本というのも実に読みやすくて良いものだ。
標題の通りの記述であるが、ボーイング社というのはある意味で戦争によって拡大したという部分もかなりある。
近代以降においては戦争がいわゆる国家総力戦の体を成しているわけで、その意味で国家の経済体制そのものが戦争の勝敗を決するという風になったのかもしれない。
昔のように戦争が弓や槍で行われているときは、戦争を専門にする者と、そうではなく市民生活をホローすべきシチズンという峻別が生きていたが、国家総力戦ともなると、戦争する者は、それ専門の兵隊のみではなく、銃後の人々もそれこそ戦争遂行に寄与せざるを得なくなった。
あの大戦中、我々の祖国では、学徒動員や女子挺身隊という呼称で、年端もいかない若い人たちが銃後を支えていたことが語られるが、これは我々の国だけの特異なことではなく、世界的な規模で見てあの戦争に積極的にかかわった国々では、どこも似たり寄ったりの状況であったようだ。
我々は、戦後の嫌戦的な雰囲気から、ああいう体制を軍国主義の極端な締め付け、と言う風に理解しがちであったが、よくよく視野を広くみひらいて見ると、ああいう状況は日本だけのことではなく、世界的に普遍的なことであったようだ。
私は、自分よりも一世代上の人たちが、「戦時中は学徒動員や女子挺身隊で工場で働かされた」ということをさも苦痛を強いられたかのようにいうのを聞いて、それは軍国主義による国民のへの締め付け、というニュアンスで理解していた。
ところがその後さまざまな書物を読むと、あの世界大戦中は、世界各国で同じような状況にあったことがわかってきた。
考えてみれば不思議でもなんでもないことで、この本ではボーイング社における飛行機製造の現場で、女性のリベット打ちに携わる人たちのことを「リべッタ―・ルージー」と称して紹介している。
思えば日本もアメリカも同じことを同じように考えて国を挙げて戦争遂行に協力していたということである。
私は、自分自身を軽佻浮薄なアメリカかぶれだと自認しているが、同じように女性が飛行機作りに携わっていても、そのありようには大きな相違が存在するように思える。
戦争の結果が日本の敗北でありアメリカの勝利であったので、同じ飛行機作りに携わった人たちの思いも、その思うところが相反するのはいた仕方ない。
日本で飛行機作りをした女性たちは、国家から厳しい労働を強いられた被害者だ、という意識でもって昔語りをしているが、アメリカの女性たちは、当然、苦しいこともあったろうけれど、苦難を共有した仲間の絆を深める契機として、OB会のようなものまで作っているようだ。
日米双方とも死力を尽くした戦いの結果として、アメリカは勝って日本は負けたのだから、その事がものの考え方の奥底に潜在意識として横たわることはいた仕方ない。
この戦争で、勝った側と負けた側では、その後のものの考え方が大きく変化することはいた仕方ない面がある。
敗戦を経験した日本人は、自分たちの為政者に騙された、という不信感を募らせることは当然の成り行きで、それに引きかえ戦争が終わった直後のアメリカ国民が、自分たちの指導者を信頼するのも必然的な流れであった。
その後、戦争終結から時がたつに従い、それぞれに意識の変化が起き、それが東西冷戦と絡み合って、戦後の精神史を編み上げることになったものと思う。
戦時中にアメリカの女性が飛行機の製造に携わり、胴体の中にもぐりこんでリベット打ちをしていたにしても、彼女たちには悲壮感が全く漂っておらず、男がすべきである仕事を楽しんでしている風に見えることは一体どういうことなのであろう。
アメリカの工場を自分の目で見たことがないので、正確には知らないが、テレビの映像で垣間見る範囲では、彼らは統一の作業服というものを着ている風には見えない。
日本では作業の安全性の面からも、労働にふさわしい服装として、統一された作業府を着用しているが、彼らにはそういう発想がないみたいだ。
それゆえに彼らは自分の作業にふさわしいように、それぞれ各自がアイデアを凝らしているようで、それが女性ともなれば、自分の担当する作業、リベット打ちという行為の中にも、それに見合うファッション性を取り入れて、それを競い合っているように見える。
一言でいえば、仕事を楽しんでいるということになる。
日本で、学徒動員や女子挺身隊を体験した人たちは、戦争そのものが敗北という結果だったので、その後の生き様に全く自信を無くしてしまい、その時の思い出に良いものが何もないように見えてしまったに違いない。
勝つ、勝つと言われ、教え込まれてきたことが嘘だったということになれば、誰しもが「騙された」と思うのが当然で、それ以降、誰を信じて良いかわからないというのも自然の流れではある。
この本に書かれているボーイング社の隆盛のみならず、日本とアメリカの産業界の格差というのは、やはり比較にならない大きなものがあると思わざるを得ない。
戦前も戦後も、日本とアメリカの産業界の格差というのは比較にならない程のものがあったわけで、戦前の日本人の中には、その事を分かっていた人もいたと思う。
アメリカと戦争を始めるという時には、始める前から日本が負けるということを知っていた人もいたに違いない。
にもかかわらずそれが止められなかったということを、どういう風に考えるべきなのであろう。
戦争が終わって、日本を占領したマッカアサー元帥がいみじくも言ったように、我々「日本人の政治感覚は12歳の子供の域を出るものではない」という言葉は、まさしく至言であって、我々はものの見事に自分たちの本質を見抜かれていたということだと思う。
このマッカアサーの言葉は、日本の政治家のみを指し示しているわけではないと思う。
政治感覚が12歳の子供以下ということは、政治家は当然であるが、その中にはメディアも、労働組合も、大学をはじめとする知識階級も含めたトータルとして、12歳以下の子供の発想だということだと思う。
昨年の夏、民主党政権が成立したが、この民主党の鳩山首相の言っている普天間基地移転の問題だとて、沖縄の住民の声を大事にして県外にもっていきたいということは、誰しも思いは同じであると思う。
そういう前提のもとに、自民党政権は、政府と、沖縄と、米軍との話し合いの中でのマキシマムの妥協結果としてキャンプシュワブ案を作ったわけで、それが沖縄県民の全ての人の賛意を得たものではない、ということは重々分かった上で、考えうる最良の案であったということだと思う。
それを自分が天下を取ったからと言って、全否定するような人気取り政策がうまくいくわけがない。
この部分に、日米開戦を始めるときに、対米戦に勝てるという確たる信念もないままに無手勝つ流に飛び込んだ無責任さと同じものを感じる。
沖縄県民のため、沖縄の民意を尊重する、という綺麗な言葉を撒き散らして、政治、外交の本質を煙に巻く稚拙な政治手法は無責任そのものだと思う。
戦争はやってみなければわからないというのは、日清、日露の成功体験から来た浅慮であったわけで、この二つの戦いは勝てるかどうか極めて不安であったが、結果として成功であったので、「柳の下のドジョウ」を狙った節がある。
ということは、我々のする決断というのは、感情論に左右されているということで、そこの部分に合理的で実践的な思考からは程遠い、精神主義に惑わされたということだと思う。
戦争に勝つか負けるかという実践的な論議を、好きか嫌いかという観念の論議にすり替えてしまうわけで、この部分で如何に戦うか、如何に勝つか、という話にならなかったに違いない。
国家が始めた戦争という巨大なプロジェクトを、如何になさしめるかという発想は、戦後65年を経過した今日でも、そういう視点に立った反省は存在していないのではなかろうか。
我々があの戦争を回想する、あるいは反省する時の話題は、誰がこう言ったああ言った、誰それの判断が間違っていたとかいなかったとか、結果論を言い合っているだけで、失敗の理由を探索して、同じ失敗を繰り返さないようにするには如何なる手法があるか、という風には話が進まない。
これは我々日本人が、マスとして集団で行動するときには、民族の本質として浮き出てしまうことで、日本民族が日本民族である限り克服できないものであろう。
あるプロジェクトに対して、それを完遂するには如何なる手段、手法、ノウハウが有るかを研究し、そのためには如何なる資材を整え、その資材を何時如何なる時に適材適所に分け与えるかという思考には至らない。
日米で、あの戦争中には双方の女性が同じように航空機産業に従事していたわけであるが、アメリカの女性は悲壮感を漂わせることなく、胸を張って戦争に参画していることを誇りに思っている。
ところが、我々の側の捉え方は、お上のきつい言葉で過酷な労働に駆り出されて、本当はしたくないが不承不承、仕方なしにやらされたというニュアンスで語られている。
日本の方は負けたのだから、胸を張って自分のした行為に誇りが持てる、ということにならなかったのも無理ないことだとは思う。
この本を読むと、資本主義体制の中で事業を営むということは実に大変なことだと思う。
資本主義体制の中の民間企業というのは、まさしく栄華盛衰世の習いを地でいっているようなもので、かっては良い会社だと思われていたものが、何時の間にはなくなってしまい、名も知らない企業が何時の間にかビッグ・ビジネスになっているわけで、この浮き沈みというのは実に激しい。
私の個人的な思いとしては、パン・アメリカン航空が無くなってしまったことがなんとも不思議でならない。
航空機メーカーを例にとると、幾つもの有名メーカーが消えて無くなり、そうかと思うとエアバス社のような新興企業がのし上がってくるわけで、この有り様はまさしく生き馬の目を抜くという表現が最もふさわしく思われる。
だからこそ、この本の標題も「生き残ったか」となっているわけで、他の会社は綺麗に淘汰されてしまったということであろう。
パンナムでも、ボーイングでも、そしてエアバス社でも極めて巨大な企業なわけで、これは21世紀という今日における資本主義体制の中の資本の流動化の中で生き続けているということで、その資本の流動が脳血栓や脳梗塞のように何処かで止まってしまうと、倒産という浮身に会うということなのであろう。
中小企業の倒産の時にはよく自転車操業という言い方がなされるが、それは中小企業のみならず、資本主義体制の中の民間企業は、全てが自転車操業をしているということだと思う。
資金のフローが止まってしまうと、その時点で生き残れなくなるということは、自転車操業そのものだ。
最近の日本航空の事例でも、実質、破産に追い込まれてしまっているわけで、そこに至るまでの過程が色々ととり沙汰されているが、単純化して考えれば資金のフローが止まったということだ。
資金の流れが止まる要因として、いろいろな内部事情があるということなのであろうが、こういうビッグ・ビジネスの経営者が無学文盲であるわけではなく、当然、組織の中間層においても優秀な人材を数多く抱え込んでいるに違いないが、それでもこういう事態を招いたということは、やはり人間の作っている組織を管理することの難しさなのであろう。
アメリカの企業の場合は、経営トップが法外な報酬を取ってしまうという面があるらしいが、ならば日本の企業も同じことをしているかと言うと、日本の場合は経営トップが私腹を肥やすという場面は目立っていない。
我々の民族の潜在意識としては、どうしても東洋的な儒教思想から完全に超越した思考には至らないので、どうしても金に固執する発想は「汚い」という意識を心の奥底に抱いているので、金のみが経営を左右する要因ではない筈だ。
ならば日本人の組織のトップは何を目指して経営をしているのかというと、自己の力の誇示を目標としているのではなかろうか。
金も力の一種ではあろうが、経営トップが金、金、金と言っていては、トップとしての品位が問われる筈で、それに代わる大義が何か別にあるように思えてならない。
バブル崩壊後に有名な大企業がバタバタを倒れた時期がったが、そういう企業の経営者は、金、金と、金を追い求めてバブルに嵌った部分もあろうが、金を追い求める手段を間違ったからこそ、それがバブルになったのではなかろうか。
それに引き換えアメリカの経営者は実にアッケラカンと金への執着をあらわにするわけで、GMの経営者など、会社が傾いていても平然と高額報酬を得ているわけで、それは飲み屋の雇われマダムが、自分の客に個人的に貢がせて、本来、店に入れるべき金を横取りしているようなものだ。
ビッグ・ビジネスともなれば、中間管理層にも優秀な人材が掃いて捨てるほどいたに違いなく、当然、そういう人は自分の組織の危機を察知していたに違いなく、トップに有効なアドバイスもしていたものと思う。
結果として、トップがそういうアドバイスを無視したからこそ行き着くところまで行きついたということだと思う。
ボーイング社が先を見越して、次から次へと先手に投資をして、需要を自分で掘り起こしつつ、新機種を開発するということは、経営の手法としては実に優れたことに違いない。
ところが資本主義体制の中では如何なる企業といえども自己の努力だけでは克服できない外部要因というものがあることも確かで、それに直面し、それを如何に克服するかということは終局の所、運でしかないと思う。
自分たちでいくら綿密に未来予測をしたとしても、周囲の環境が突然意図せぬ方向に変化するということもあるわけで、その時に、今まで積み上げてきた未来思考を、それに合わせて俊足に軌道修正するということは極めて難しいことだと思う。
個人の生き様に運・不運があるように、企業の存立にも運が良い時もあれば、不運に遭遇する時も数多くあるに違いない。
人間の営みには運・不運が付いて回るが、それは開発された飛行機の方にも同じようなことがあるわけで、飛行機というのは、それ自体が高額な商品なので、作る方も買う方も相当大きなリスクを抱え込み、だからこそ運・不運という人知では如何とも制御出来ない天命に左右される。
航空機メーカーが作りだす商品が、運に左右される商品だとすれば、メーカーの存立そのものも、大きく運に左右されるということになる。
ヒットするかしないかが社の運命に帰すわけで、それこそが資本主義の本質であり、ヒットする商品というのは、時の需要に極めて適切に対応できているということなのであろう。
しかし、この時の需要、言い方を変えれば時代のニーズというのも、それこそ時代とともに推移していくわけで、もの作りに携わるものとしては、常に時のニーズを探り続けなければならない。

「アポロ13号奇跡の生還」

2010-03-09 16:18:34 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「アポロ13号奇跡の生還」という本を読んだ。
これも文庫本で、相当に大勢の人に読まれたらしくだいぶくたびれていた。立花隆の翻訳であった。
言うまでもなくアメリカの宇宙開発には我々の目を見張らせる素晴らしいテクノロジーが詰め込まれている。
旧ソビエットに先鞭をつけられたとはいうものの、その後のソ連に追いつき追い越せの闘志は、実に立派なファイトであったと思う。
戦後の日本は、アメリカに追いつき追い越せという潜在意識で戦後の復興を成したことはそれはそれで素晴らしいことだとは思う。
よって、その結果として日本はアメリカに次ぐ経済大国にまで登りつめることは出来たが、そこに至るまでの過程は、日本とアメリカではかなり違っているように思える。
如何なる領域でも、自分がトップになってしまうと、そのポジションを維持するためには、その後も並々ならぬ精進を重ねなければならないが、その過程で日本とアメリカの対応は根本的に違っているように思える。
アメリカは、眼の前に達成すべき目標があると、国民が見事に一致協力する気風がある。
ところが我々の場合、その目標というものがはっきりと確定されておらず、曖昧模糊とした、漠然としたふやふやのつかみどころのない理念でしかなく、攻めるべき対象としての輪郭が定まっていない。
先の日米戦争を省みても、日本はアメリカの経済制裁に対抗する措置として、アメリカ一国を対戦国として限定して戦いを挑んだわけではなく、アジアの解放という漠然とした大義を掲げて戦端を開いたわけで、完全に戦力を集中すべき戦争のセオリーを無視して戦いをはじめてしまったではないか。
戦争の基本であるべき戦力の集中を怠って、戦力をアジア全域の振り向けてしまったので、結果としてそれが敗北に至ったものと考えるべきだと思う。
それに引き換えアメリカは、一方でドイツとも戦いつつも、勝算が目前に迫ったことあって、リメンバー・パールハーバーを合言葉に、彼らの目標は日本一国に集中してきた。
彼らは、戦争も行政のプロジェクトの一つと考えている節がある。
そのプロジェクトを達成するためには、如何なる手段、手法、ノウハウ、資材の手配、基礎研究が必要かということを合理的に考えて、それを総合的に組織立てることによって、プロジェクトを成功にもって行くことに長けている。
プロジェクトを合理的に達成するためのチームワークに長けているわけで、こういう根本的なものの考え方は、我々日本人にはないもののようだ。
あの戦争を反省して見ても、我々の場合は、軍の組織のトップの個人プレーの部分が多く、横の連携を考えることがなく、お互いのチームプレーで戦果をあげるというケースが極めて少ない。
良い結果が出た時は、個人、つまり指揮官の名誉を大いに讃えるが、結果が失敗となると、それを統率した指揮官の責任を追及することが不得手なわけで、その部分で反省から教訓を学ぶということが出来なかったわけである。
こういう場合に、組織の一員として失敗をした時に指揮官の責任を問うよりも、組織全体として何処に失敗の原因があったのか探れば、それが次のステップの教訓になる筈であるが、我々の組織はそういうふうには機能しなかった。
ところがアメリカ人の発想は、常に失敗から学んで、失敗こそが成功へのステップだと考えたところが、あらゆるプロジェクトの成功の秘訣だったに違いない。
アメリカがソ連に先を越されて、その後、奮闘努力した結果として月にまで人間を送り込むことに成功したわけだが、そのことはまことに大きなビッグ・プロジェクトの成功であり、結果としてアメリカのビッグ・サイエンスの勝利だといえる。
ソ連が最初に宇宙に人をおくったということは、それはそれなりに評価すべきことではあるが、問題はソ連はその過程を全く秘密にしていたという点である。
人を宇宙に上げるということは、別の言い方をすれば、ロケットの研究の成果でもあるわけで、それをもう少し表現を変えればICBMつまり大陸間弾道ミサイルを地球上のどこにでも撃ちこめる技術ということでもある。
こういう軍事面の技術であるが故に,ソ連はそれを公開することを拒んで秘密裏に事を進めたので、その分アメリカ側もその事実を知った時には大きな不安にさいなまれたわけだ。
しかし、鉄砲ダマを打ち上げることと、生きた人間を宇宙に送り込むことは似て非なるもので、全く技術の精度が違っていると考えなければならない。
今の日本のロケット技術もかなり進んで、大きなペイロードを打ち上げることが出来るようになったが、それはあくまでも無人の衛星を打ち上げているにすぎず、無人という意味では鉄砲ダマとなんら変わるものではない。
次の段階として生きた人間を上げるとなれば、その前に立ちはだから壁は、非常に大きなものと言わなければならない。
アメリカは、その部分ですでに何年も前に克服しているわけで、そういう人知を尽くした宇宙技術にも思わぬ事故というものが付いて回ることは否めない。
この本は、それを克服した人たちの物語であった。
アメリカの懐の深さは、それを公開するという点にある。
我々、日本人の感覚からすると、「失敗の事例など公表するにあたらない」という発想になって当然であるが、そうならないところが極めてアメリカ的だと言える。
日本の宇宙開発も公開されているが、民主主義国ではこういう先端技術も惜しみなく公開しているが、これが旧ソ連や中国ともなると、一切非公開で、結果だけをこれ見よがしに指し示すところがある。
宇宙開発というのは、今人類が持っている全ての技術の集大成で成り立っているわけで、それがこの本では実によく描かれている。
宇宙船の乗り組み員と、地上のコントロール・スタッフのやり取りが克明に記されているが、それを成さしめているのは、人類の持つ最先端のテクノロジ―である。
中でもコミニケーションの大事さであるが、我々も過去の事例を考えてみると、このコミニケーションの大事さがさっぱりわかっていなかったときがある。
あの大戦中、日本軍では飛行機の重量を軽減しようとするあまり、無線機の搭載を止めてしまったことがある。
この発想の中に、我々の戦争の仕方が、関ヶ原の戦いで武将が名乗りを挙げて自己の武勇を誇示する個人プレーの発想が抜けきれず、空中戦を武蔵と佐々木小次郎の一騎打ちというニュアンスで捉えていた節がある。
三人のアストロノートを乗せた宇宙船と、それを支援する地上のコントロール・スタッフが、完璧な無線機でコミニケーションが維持されていたからこそ、プロジェクトの成功があったわけで、このアポロ13号の事故もそれによって克服されたのである。
我々の同胞は日本民族なるが故に、以心伝心ということが潜在意識として刷り込まれているので、コミニケーションというものをどうしても軽視しがちであるが、日本人とアメリカ人の気質の違いというのは、案外こういうところに潜んでいるのかもしれない。
コミニケーションと言えば、宇宙船と地上だけのことにとどまらず、宇宙船内の三人の間にも、また支援センターの各コントローラ同士の間にも、緻密な意思の疎通が大事なわけで、人が組織として何かを成すという場合には、それぞれの立場でコミニケーションは極めて大きな要因を成すに違いない。
あるテレビの番組で、トヨタのリコール問題が取り上げられていたとき、各セクションの間のインタフェイスに欠陥があったからこういう事態を招いたのであろう、という発言があったがまさしくコミニケーションの問題そのものではないか。
組織が大きくなれば、それだけ上下左右のコミニケーションに齟齬をきたすわけで、それが集約されて欠陥という形で露呈するということであろう。
この本を読んでみると、地上には宇宙船と同じシュミレ―ターがあって、新しい措置を試みるときには、その前にこのシュミレ―ターでテストして見て、その結果を知らせることで安全を確保しているように書かれていた。
こういう安全措置がとれるのも、アメリカという豊かな国なればこそできるのであろうが、それと同時に、人命尊重という意味でも莫大な金が投入されているということでもある。
アメリカの偉大さは、こういうことを人類の先陣を切って取り組むというところにある。
確かに宇宙競争では初っ端にソ連に先を越されたが、その後の追い上げは素晴らしものがあったわけで、それを全て公開しつつ行ったという意味で、ソ連とは異質の道を歩んだことになり、それ以降というもの常に先頭を走り続けるということは、実に大変なことだと思う。
そこに流れているアメリカ人の潜在意識は、やはり合理主義に徹するというプラグマティズム的な考え方だと思う。
プロジェクトを成すには、何を、何処に、如何ほど、どういう風に投入すればいいのか、と言うことを合理的に考えて、その線に沿って必要なものをかき集めて、とりかかるという発想は、東洋人にはない発想で、我々はそういうことをある特定の天才に付託するように頭脳が作用するので、それは基本的に個人プレーに終始しがちである。
プロジェクトの達成を個人に付託するので、付託された人が仮に失敗しても、付託した以上その失敗を深く追及できないわけで、失敗がその後の教訓につながらない。
チームで事を成す場合は、組織の一員としての失敗は当然あろうが、その失敗は状況によっては自分にも降りかかってくる可能性があるので、個人の失敗をその他の人でカバーすることも可能である。
当然、本人はそれなりの処罰を食うであろうが、そこは信賞必罰で、再起のチャンスも公平に与えられているので、失敗は失敗として素直に認め、再起を期せば良いわけである。
こういう発想は我々にはないわけで、あくまでもチームで事を成す、チームで事に当たるという考え方になじんでいないように見える。
戦争を例にとれば、戦争はたった一人ではできないが、我々の場合、個々の戦闘の結果は指揮官個人の実績とされてしまって、それに携わったその他大勢の存在は忘れ去られてしまう。
この本の語っているアポロ13号の生還は、人類の成した実に偉大な功績だと思う。
日本が今進めている宇宙開発は、あくまでも無人の探査なわけで、無人の衛星打ち上げというのは、何処までいっても鉄砲ダマの打ち上げに等しく、アメリカの宇宙開発とは大人と子供の違いに等しいと思う。
この場合でも、日本の技術はやはりもの作りの延長の技術であって、細部の技術ではアメリカを凌ぐものもたくさんあろうが、システムとしての宇宙開発という意味では、まだまだ見劣りするものに違いない。
「メタルカラーの時代」では、日本の宇宙開発は純粋に民間レベルで、軍事利用の意図は微塵も入っていないということを誇らしげに語っているが、そもそもそのこと自体が非常に狭量の狭い思考で、膨大な資金を投入する宇宙開発なればこそ、軍事利用も視野に入れた開発にすべきであると、私は個人的には思う。
日本のものの考え方は、極めて単一の思考に寄りかかって、複合的な目的を同時に達成するという思考には決して至らない。
このことは、我々の縦割り行政の弊害という捉え方を超越した、日本民族としての根源的な思考形態だと思う。
現代に至っての都市計画を見ても、道路、下水、電気、地下鉄、電話線等々それぞれに単一の目的を各個それぞれ単独で整備しようとするので、年中工事中という有り様を呈しているではないか。
これを一つに合理的にまとめ、同時にこなすという発想は、我々の民族には決して湧き上がらない思考であって、縦割り行政を批判する前に、そういう考え方そのものが出てこないのである。
「宇宙開発に軍事面からも視点を向けよ」といえば、日本の進歩的文化人をはじめとして、日本の大部分の人が「そういう危険なことは決して考えるべきではない」、という論陣を張ることは最初から解っているが、そのこと自体が、日本民族の潜在意識として合理主義を排除する思考として刷り込まれている。
宇宙開発そのものが、軍事技術と紙単衣の存在でありながら、そこに「軍事」という一言でも入っていようものなら、日本では上から下まで大騒ぎになることは必定である。
このセンス、この感覚、この発想が、我々日本民族、日本人が世界からバカにされている最大の理由ではないかと思う。
我々がアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になった時、世界はどういう目で我々を見ていたのか考えてみるべきだと思う。
フランス人は、日本から来た首相に対してトランジスターラジオのセールスマンと見なし、うさぎ小屋に起居しているとみなし、中国は戦時中の日本の悪行を暴きたてては金を要求し、韓国の元売春婦は金をせびっているわけで、外国の人間が日本に対してこういうことを言ってくるということは、我々は彼らからバカにされているということであるが、我々にはそういうことが全く分かっていない。
宇宙開発には、アメリカだろうが、日本だろうが、あるいは旧ソ連にしろ中国にしろ、如何なる国でも莫大な金がかかっているわけで、当然、その事は軍事に直結していることに他ならない。
日本の宇宙開発も、その技術はそのまま軍事技術そのものであるが、幸いに日本はそういう面を強調することなく、純粋に科学的な面のみが表面に出ているので、それはそれで喜ばしことだと言わなければならない。
日本はアメリカの後を20年遅れ30年遅れで追従しているが、この差は今後とも縮まることはないと思う。
この差こそが国力の差そのものであろう。
今、アメリカはリーマンショックの後で経済が停滞していると言われているが、今のアメリカにはアメリカ国民を振るい立たせるホットなプロジェクトを欠いているので、経済が低迷しているのであろう。
非常に逆説的な言い方ではあるが、アメリカ国民を振るい立たせるホットなプロジェクトといえば、やはり戦争しかないと思う。
アメリカは日本と真正面から四つに組んで戦いをして勝利を得たが、それ以降はそういう戦いを一度もしていない。
朝鮮戦争からベトナム戦争、湾岸戦争から今のアフガニスタンの戦争まで、数多くの戦争をしているが、そのいずれの戦争も対日戦ほど真剣に、アメリカ人として挙国一致で戦いを遂行したわけではない。
日本と戦った時のアメリカ人は、戦争に対する心構えが違っていたように思える。
それほど日本が与えたパールハーバーのインパクトが大きく、あれがあったが故に当時のアメリカ人は対日戦にファイトを燃やし続けたに違いない。
その後のアメリカがした戦争では、自分の祖国が攻撃されたという大きなインパクトがなかったので、豊かさの中に埋没してしまって、「花が咲いた、花が咲いた」で緊張感を欠いており、当然、負けるべくして負けたとみなされて当然だと思うが、その中でも宇宙開発に関しては一種の高揚感で推し進められていたと思える。
豊さの中で、アメリカ国民の中には戦争に対する嫌悪感が蔓延して、戦争ではアメリカの若者が命を落としているが、宇宙開発ではいくら頑張っても、命を的にする場面はないからであろう。
対日戦以降の戦争に対しては、アメリカ側に戦争の大義が極めて希薄なわけで、何のためにアメリカの若者が命を掛けて戦わねばならないのだ、という意義が見出されなかったからに他ならない。
その点から見て、宇宙開発にはアメリカの大義が歴然とあるわけで、そのために彼らは努力を惜しまないということなのであろう。