例によって図書館から借りてきた本で、「昭和史の史料を探る」という本を読んだ。
著者は伊藤隆氏、押しも押されもせぬ学者のようだが、私の知っている人ではなかった。
歴史資料として著名人の日記を読んで、その中から歴史的事象を探し出そうという趣旨のようだが、実に面白くもおかしくもない内容であった。
小説家ならば、その日記からイメージを膨らませて面白おかしく物語を展開するであろうが、ならば学者としての学術書として捉えるとすると、中途半端な内容だと思う。
日本の近現代の歴史に登場する著名な人の日記から、その時代を読み解こうとする趣旨はわからないでもないが、日記というのはある意味で本音が書かれているであろうが、政治というのは本音ばかりではないわけで、そのさじ加減が現実との妙だと思う。
政治の裏表は、本音と建前の葛藤なわけで、その真ん中に倫理とか、正義とか、公正とか、法律というような人としての規範が挟まっているものと考える。
話は飛躍するが、去る19日の未明に海上自衛隊のイージズ艦「あたご」と漁船が衝突して漁船が沈没し、犠牲者が出た。
日本のメデイアは一方的に「あたご」の非をあげつらっているが、確かに「あたご」の見張り員の過失を追求するにやぶさかではないが、これはあくまでも建前であって、法律的には確かにそうであろうが、現実から考えれば、巨大船の前を横切る漁船というのは掃いて捨てるほどいるわけで、「あたご」の見張り員も「漁船の方が避けてくれるであろうと思った」と今朝(25日)の朝日新聞では報じられている。
確かに、法的には相手を右側に見る方に回避義務があるであろうが、大きな船が小さな漁船を右に左に交わすなどいうことは現実には極めて無理な話で、そのことは海を生業の基本とする双方に暗黙の了解としてあるのではなかろうか。
沈没した漁船と一緒に出漁した仲間の船、僚船は、現実にそれをしているわけで、相手が大きければ身軽な自分の方が難を避けることが暗黙の了解事項ではなかったかと考える。
これが本音と建前というものではないか。
日本の近海で、大型船や大型タンカーがいちいち小さな漁船を右に左に避けて航行しているなどとは考えられない。
我々の日常生活に一番身近な法律といえば道路交通法であろうが、この道路交通法では一旦停止線、あるいは横断歩道の前では、車は徐行ないし一時停止しなければならないことになっている。
全てのドライバーが厳密にこれを遵守したとしたら、日本の交通は完全に麻痺してしまうに違いない。
海の上でもそれと同じようなことではないかと思う。
法から逸脱した行為が双方の暗黙の了解の下に普遍化しているにもかかわらず、一旦事故がおきると法というものが前面に出てくるわけで、そこで何がなんでも悪人を仕立て上げなければならないことになる。
この本の著者は、その中で斉藤隆夫を俎上に乗せているが、これはきわめて優れた見識だと思う。
斉藤隆夫は昭和15年に反軍演説をしたとされて国会議員を除名処分にされている。
にもかかわらず戦後の民主化の中でもあまり評価されていないようにわたしには思えたが、彼の演説は反軍というものではなく、あくまでも現行政府の批判であったわけで、それを反軍というキャッチコピーで除名等処分をした当時の我々の同胞の信条、思想、思考を掘り下げて考えなければならない。
政府を批判することが、軍部の批判に摩り替わるということは、その一事で以って政府と軍が一体となっていたという確かな証拠であろう。
ここに政治としての表裏、裏表、本音と建前が潜んでいるわけで、それを解明してこそ学者であり、大学教授だと思う。
斉藤隆夫の演説は決して軍を批判したものではなく、時の政府を批判したことが軍を批判するという風に受け捕られたところに最大の問題があるわけで、それに同調した大勢の国会議員がいたという点を我々は歴史の教訓として学ばねばならない。
つまり、当時、日中戦争は既に泥沼化しており、陸軍は押せ押せムードで、兵を引くに引けなかったわけで、それが国会議員のみならず日本全国民が軍の行為、行動に正当性があると思われていて、そのことが国民の支持を得ていたのである。
ある意味で国民的な合意が出来上がっていたということであろう。
そのことは、後先のことも考えず、国際的な評価も考えず、自分の内側の財政のことも考えず、ただただ表層的な事象に目を奪われ、イケイケドンドンと大衆の声が国民の総意という感じで蔓延していたということである。
これと同じことが自衛艦と漁船の衝突の場面にも演じられているわけで、今の日本のメデイアは建前だけを振りかざして、自衛艦のミスのみを声高に叫んでいる図として現出している。
そこには、小さな漁船に親子で乗り込んで、遭難した人たちに寄せる同情というのも多分のあるわけで、犠牲を強いた大きい船はけしからん、と言う判官びいきだと思う。感情論である。
メデイアというのは、いくらでも情報操作ということが可能なわけで、「漁船の方にも非がある」という声は全て抹殺し、「大きい船の見張りがたるんでいる」という声のみを掲載するということは、意図も安易な手法である。
斉藤隆夫の演説が反軍演説として抹殺されたのは、当時の政治、つまり軍の行動を追認するだけの不甲斐ない政治を正攻法でもって真正面から突いたわけで、一点の非の打ち所もない正論であったが故に、抹殺されたのであろう。
それを抹殺したのが、同僚の国会議員たちであったという点に我々は歴史の焦点を当てるべきではなかろうか。
当時の我々の同胞は、何故に彼の正論を抹殺し、除名という処分までしたのであろう。
そこに見えるのは明らかに当時の我々の思考の中に、物の本質、事の本質を見抜く目が欠けており、主権国家の国民としての倫理観を欠き、中国に対する蔑視感というものが蔓延していたわけで、軍国主義、帝国主義に洗脳されていたということである。
問題は、こういう局面における知識階層の存在である。
正論を正論だといえない雰囲気。これは一体なんであったのだろう。
自衛艦と漁船の衝突で、自衛艦のみを悪玉とするメデイアの論調に対して誰も反論をいわない雰囲気。これは一体どういうことなのであろう。
ここには、我々の同胞には言葉で勝負する、言葉で相手を説得する、言葉に事の重さを認めない、という独特の文化があるのではなかろうか。
我々にとって言葉というのはさほど重要ではないわけで、重要なのは著面に書かれた文言であったということではなかろうか。
斉藤隆夫の演説でも最初は拍手で以って称えられたといわれているし、美濃部達吉の「天皇機関説」も、国会で弁明の論が語られているにもかかわらず、最終的には処分されているわけで、我々は言葉というものに全く信を置いていない。
言う方も言葉に信を置いていないから後でどういう風にも言い逃れるし、責める方も言葉に信を置いていないから言いっ放しで言葉に責任も重みもない。
「事故がおきた以上、防衛大臣はすぐに辞職せよ」と、責める方も実に安直な発想で言っているわけで、言っている本人が自分の言葉に責任を負っていないではないか。
事故がおきたら、所管の大臣としてはその犠牲者の救出を真っ先に考え、それから事故の原因究明を徹底し、再発防止策を立て、その後処分すべきものは処分した後、辞めるというのが普通の常識だろうと考える。
これが事の本質、物事の根幹だろうと思う。
政治がこういう判りきったことを自然の流れとして扱わないので、話がややこしくなるわけで、それは事故が起きたらすぐさまそれを政治的に利用しようとするから12歳の子供の政治ということになるのである。
斉藤隆夫の演説は当時の政治に対する正論であったわけで、正論を正論として通せない部分に統帥権というものが横たわっていて、それは明治憲法の欠陥であったわけだが、我々は敗戦という外圧がなければそれを自らの手で修正することができなかった。
敗戦という外圧でなければそれが是正できなかったということから考えると、戦前、昭和初期の我々同胞の知識階層というのは一体何をしていたのであろう。
戦前、昭和初期の時代にも日本には知識階層というのはいたものと思う。
帝国大学もあったし、私立の大学もあったし、雑誌、新聞というメデイアの編集担当者もいたし、東京大学出の官僚もいたし、そういう知識階層というのは今と同様それぞれに国民を啓蒙していたものと考えるが、そういう人は高等教育を受けて一体何を学んだのであろう。
教育というものが何一つ国民の福祉に貢献してないではないか。
「治安維持法があってものが言えなかった」という言い訳ならば、子供や赤ん坊でも出来るではないか。
「軍人や特高警察が威張っていたから」という言い訳でも、それを言葉でやり込めるのが知識であり知恵であり学問ではないか。
高等教育で身につける学問というのは立身出世の免罪符としての価値しかないのだろうか。
インテリーの馬鹿野郎!!!
著者は伊藤隆氏、押しも押されもせぬ学者のようだが、私の知っている人ではなかった。
歴史資料として著名人の日記を読んで、その中から歴史的事象を探し出そうという趣旨のようだが、実に面白くもおかしくもない内容であった。
小説家ならば、その日記からイメージを膨らませて面白おかしく物語を展開するであろうが、ならば学者としての学術書として捉えるとすると、中途半端な内容だと思う。
日本の近現代の歴史に登場する著名な人の日記から、その時代を読み解こうとする趣旨はわからないでもないが、日記というのはある意味で本音が書かれているであろうが、政治というのは本音ばかりではないわけで、そのさじ加減が現実との妙だと思う。
政治の裏表は、本音と建前の葛藤なわけで、その真ん中に倫理とか、正義とか、公正とか、法律というような人としての規範が挟まっているものと考える。
話は飛躍するが、去る19日の未明に海上自衛隊のイージズ艦「あたご」と漁船が衝突して漁船が沈没し、犠牲者が出た。
日本のメデイアは一方的に「あたご」の非をあげつらっているが、確かに「あたご」の見張り員の過失を追求するにやぶさかではないが、これはあくまでも建前であって、法律的には確かにそうであろうが、現実から考えれば、巨大船の前を横切る漁船というのは掃いて捨てるほどいるわけで、「あたご」の見張り員も「漁船の方が避けてくれるであろうと思った」と今朝(25日)の朝日新聞では報じられている。
確かに、法的には相手を右側に見る方に回避義務があるであろうが、大きな船が小さな漁船を右に左に交わすなどいうことは現実には極めて無理な話で、そのことは海を生業の基本とする双方に暗黙の了解としてあるのではなかろうか。
沈没した漁船と一緒に出漁した仲間の船、僚船は、現実にそれをしているわけで、相手が大きければ身軽な自分の方が難を避けることが暗黙の了解事項ではなかったかと考える。
これが本音と建前というものではないか。
日本の近海で、大型船や大型タンカーがいちいち小さな漁船を右に左に避けて航行しているなどとは考えられない。
我々の日常生活に一番身近な法律といえば道路交通法であろうが、この道路交通法では一旦停止線、あるいは横断歩道の前では、車は徐行ないし一時停止しなければならないことになっている。
全てのドライバーが厳密にこれを遵守したとしたら、日本の交通は完全に麻痺してしまうに違いない。
海の上でもそれと同じようなことではないかと思う。
法から逸脱した行為が双方の暗黙の了解の下に普遍化しているにもかかわらず、一旦事故がおきると法というものが前面に出てくるわけで、そこで何がなんでも悪人を仕立て上げなければならないことになる。
この本の著者は、その中で斉藤隆夫を俎上に乗せているが、これはきわめて優れた見識だと思う。
斉藤隆夫は昭和15年に反軍演説をしたとされて国会議員を除名処分にされている。
にもかかわらず戦後の民主化の中でもあまり評価されていないようにわたしには思えたが、彼の演説は反軍というものではなく、あくまでも現行政府の批判であったわけで、それを反軍というキャッチコピーで除名等処分をした当時の我々の同胞の信条、思想、思考を掘り下げて考えなければならない。
政府を批判することが、軍部の批判に摩り替わるということは、その一事で以って政府と軍が一体となっていたという確かな証拠であろう。
ここに政治としての表裏、裏表、本音と建前が潜んでいるわけで、それを解明してこそ学者であり、大学教授だと思う。
斉藤隆夫の演説は決して軍を批判したものではなく、時の政府を批判したことが軍を批判するという風に受け捕られたところに最大の問題があるわけで、それに同調した大勢の国会議員がいたという点を我々は歴史の教訓として学ばねばならない。
つまり、当時、日中戦争は既に泥沼化しており、陸軍は押せ押せムードで、兵を引くに引けなかったわけで、それが国会議員のみならず日本全国民が軍の行為、行動に正当性があると思われていて、そのことが国民の支持を得ていたのである。
ある意味で国民的な合意が出来上がっていたということであろう。
そのことは、後先のことも考えず、国際的な評価も考えず、自分の内側の財政のことも考えず、ただただ表層的な事象に目を奪われ、イケイケドンドンと大衆の声が国民の総意という感じで蔓延していたということである。
これと同じことが自衛艦と漁船の衝突の場面にも演じられているわけで、今の日本のメデイアは建前だけを振りかざして、自衛艦のミスのみを声高に叫んでいる図として現出している。
そこには、小さな漁船に親子で乗り込んで、遭難した人たちに寄せる同情というのも多分のあるわけで、犠牲を強いた大きい船はけしからん、と言う判官びいきだと思う。感情論である。
メデイアというのは、いくらでも情報操作ということが可能なわけで、「漁船の方にも非がある」という声は全て抹殺し、「大きい船の見張りがたるんでいる」という声のみを掲載するということは、意図も安易な手法である。
斉藤隆夫の演説が反軍演説として抹殺されたのは、当時の政治、つまり軍の行動を追認するだけの不甲斐ない政治を正攻法でもって真正面から突いたわけで、一点の非の打ち所もない正論であったが故に、抹殺されたのであろう。
それを抹殺したのが、同僚の国会議員たちであったという点に我々は歴史の焦点を当てるべきではなかろうか。
当時の我々の同胞は、何故に彼の正論を抹殺し、除名という処分までしたのであろう。
そこに見えるのは明らかに当時の我々の思考の中に、物の本質、事の本質を見抜く目が欠けており、主権国家の国民としての倫理観を欠き、中国に対する蔑視感というものが蔓延していたわけで、軍国主義、帝国主義に洗脳されていたということである。
問題は、こういう局面における知識階層の存在である。
正論を正論だといえない雰囲気。これは一体なんであったのだろう。
自衛艦と漁船の衝突で、自衛艦のみを悪玉とするメデイアの論調に対して誰も反論をいわない雰囲気。これは一体どういうことなのであろう。
ここには、我々の同胞には言葉で勝負する、言葉で相手を説得する、言葉に事の重さを認めない、という独特の文化があるのではなかろうか。
我々にとって言葉というのはさほど重要ではないわけで、重要なのは著面に書かれた文言であったということではなかろうか。
斉藤隆夫の演説でも最初は拍手で以って称えられたといわれているし、美濃部達吉の「天皇機関説」も、国会で弁明の論が語られているにもかかわらず、最終的には処分されているわけで、我々は言葉というものに全く信を置いていない。
言う方も言葉に信を置いていないから後でどういう風にも言い逃れるし、責める方も言葉に信を置いていないから言いっ放しで言葉に責任も重みもない。
「事故がおきた以上、防衛大臣はすぐに辞職せよ」と、責める方も実に安直な発想で言っているわけで、言っている本人が自分の言葉に責任を負っていないではないか。
事故がおきたら、所管の大臣としてはその犠牲者の救出を真っ先に考え、それから事故の原因究明を徹底し、再発防止策を立て、その後処分すべきものは処分した後、辞めるというのが普通の常識だろうと考える。
これが事の本質、物事の根幹だろうと思う。
政治がこういう判りきったことを自然の流れとして扱わないので、話がややこしくなるわけで、それは事故が起きたらすぐさまそれを政治的に利用しようとするから12歳の子供の政治ということになるのである。
斉藤隆夫の演説は当時の政治に対する正論であったわけで、正論を正論として通せない部分に統帥権というものが横たわっていて、それは明治憲法の欠陥であったわけだが、我々は敗戦という外圧がなければそれを自らの手で修正することができなかった。
敗戦という外圧でなければそれが是正できなかったということから考えると、戦前、昭和初期の我々同胞の知識階層というのは一体何をしていたのであろう。
戦前、昭和初期の時代にも日本には知識階層というのはいたものと思う。
帝国大学もあったし、私立の大学もあったし、雑誌、新聞というメデイアの編集担当者もいたし、東京大学出の官僚もいたし、そういう知識階層というのは今と同様それぞれに国民を啓蒙していたものと考えるが、そういう人は高等教育を受けて一体何を学んだのであろう。
教育というものが何一つ国民の福祉に貢献してないではないか。
「治安維持法があってものが言えなかった」という言い訳ならば、子供や赤ん坊でも出来るではないか。
「軍人や特高警察が威張っていたから」という言い訳でも、それを言葉でやり込めるのが知識であり知恵であり学問ではないか。
高等教育で身につける学問というのは立身出世の免罪符としての価値しかないのだろうか。
インテリーの馬鹿野郎!!!