ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「昭和史の史料を探る」

2008-02-25 16:20:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「昭和史の史料を探る」という本を読んだ。
著者は伊藤隆氏、押しも押されもせぬ学者のようだが、私の知っている人ではなかった。
歴史資料として著名人の日記を読んで、その中から歴史的事象を探し出そうという趣旨のようだが、実に面白くもおかしくもない内容であった。
小説家ならば、その日記からイメージを膨らませて面白おかしく物語を展開するであろうが、ならば学者としての学術書として捉えるとすると、中途半端な内容だと思う。
日本の近現代の歴史に登場する著名な人の日記から、その時代を読み解こうとする趣旨はわからないでもないが、日記というのはある意味で本音が書かれているであろうが、政治というのは本音ばかりではないわけで、そのさじ加減が現実との妙だと思う。
政治の裏表は、本音と建前の葛藤なわけで、その真ん中に倫理とか、正義とか、公正とか、法律というような人としての規範が挟まっているものと考える。
話は飛躍するが、去る19日の未明に海上自衛隊のイージズ艦「あたご」と漁船が衝突して漁船が沈没し、犠牲者が出た。
日本のメデイアは一方的に「あたご」の非をあげつらっているが、確かに「あたご」の見張り員の過失を追求するにやぶさかではないが、これはあくまでも建前であって、法律的には確かにそうであろうが、現実から考えれば、巨大船の前を横切る漁船というのは掃いて捨てるほどいるわけで、「あたご」の見張り員も「漁船の方が避けてくれるであろうと思った」と今朝(25日)の朝日新聞では報じられている。
確かに、法的には相手を右側に見る方に回避義務があるであろうが、大きな船が小さな漁船を右に左に交わすなどいうことは現実には極めて無理な話で、そのことは海を生業の基本とする双方に暗黙の了解としてあるのではなかろうか。
沈没した漁船と一緒に出漁した仲間の船、僚船は、現実にそれをしているわけで、相手が大きければ身軽な自分の方が難を避けることが暗黙の了解事項ではなかったかと考える。
これが本音と建前というものではないか。
日本の近海で、大型船や大型タンカーがいちいち小さな漁船を右に左に避けて航行しているなどとは考えられない。
我々の日常生活に一番身近な法律といえば道路交通法であろうが、この道路交通法では一旦停止線、あるいは横断歩道の前では、車は徐行ないし一時停止しなければならないことになっている。
全てのドライバーが厳密にこれを遵守したとしたら、日本の交通は完全に麻痺してしまうに違いない。
海の上でもそれと同じようなことではないかと思う。
法から逸脱した行為が双方の暗黙の了解の下に普遍化しているにもかかわらず、一旦事故がおきると法というものが前面に出てくるわけで、そこで何がなんでも悪人を仕立て上げなければならないことになる。
この本の著者は、その中で斉藤隆夫を俎上に乗せているが、これはきわめて優れた見識だと思う。
斉藤隆夫は昭和15年に反軍演説をしたとされて国会議員を除名処分にされている。
にもかかわらず戦後の民主化の中でもあまり評価されていないようにわたしには思えたが、彼の演説は反軍というものではなく、あくまでも現行政府の批判であったわけで、それを反軍というキャッチコピーで除名等処分をした当時の我々の同胞の信条、思想、思考を掘り下げて考えなければならない。
政府を批判することが、軍部の批判に摩り替わるということは、その一事で以って政府と軍が一体となっていたという確かな証拠であろう。
ここに政治としての表裏、裏表、本音と建前が潜んでいるわけで、それを解明してこそ学者であり、大学教授だと思う。
斉藤隆夫の演説は決して軍を批判したものではなく、時の政府を批判したことが軍を批判するという風に受け捕られたところに最大の問題があるわけで、それに同調した大勢の国会議員がいたという点を我々は歴史の教訓として学ばねばならない。
つまり、当時、日中戦争は既に泥沼化しており、陸軍は押せ押せムードで、兵を引くに引けなかったわけで、それが国会議員のみならず日本全国民が軍の行為、行動に正当性があると思われていて、そのことが国民の支持を得ていたのである。
ある意味で国民的な合意が出来上がっていたということであろう。
そのことは、後先のことも考えず、国際的な評価も考えず、自分の内側の財政のことも考えず、ただただ表層的な事象に目を奪われ、イケイケドンドンと大衆の声が国民の総意という感じで蔓延していたということである。
これと同じことが自衛艦と漁船の衝突の場面にも演じられているわけで、今の日本のメデイアは建前だけを振りかざして、自衛艦のミスのみを声高に叫んでいる図として現出している。
そこには、小さな漁船に親子で乗り込んで、遭難した人たちに寄せる同情というのも多分のあるわけで、犠牲を強いた大きい船はけしからん、と言う判官びいきだと思う。感情論である。
メデイアというのは、いくらでも情報操作ということが可能なわけで、「漁船の方にも非がある」という声は全て抹殺し、「大きい船の見張りがたるんでいる」という声のみを掲載するということは、意図も安易な手法である。
斉藤隆夫の演説が反軍演説として抹殺されたのは、当時の政治、つまり軍の行動を追認するだけの不甲斐ない政治を正攻法でもって真正面から突いたわけで、一点の非の打ち所もない正論であったが故に、抹殺されたのであろう。
それを抹殺したのが、同僚の国会議員たちであったという点に我々は歴史の焦点を当てるべきではなかろうか。
当時の我々の同胞は、何故に彼の正論を抹殺し、除名という処分までしたのであろう。
そこに見えるのは明らかに当時の我々の思考の中に、物の本質、事の本質を見抜く目が欠けており、主権国家の国民としての倫理観を欠き、中国に対する蔑視感というものが蔓延していたわけで、軍国主義、帝国主義に洗脳されていたということである。
問題は、こういう局面における知識階層の存在である。
正論を正論だといえない雰囲気。これは一体なんであったのだろう。
自衛艦と漁船の衝突で、自衛艦のみを悪玉とするメデイアの論調に対して誰も反論をいわない雰囲気。これは一体どういうことなのであろう。
ここには、我々の同胞には言葉で勝負する、言葉で相手を説得する、言葉に事の重さを認めない、という独特の文化があるのではなかろうか。
我々にとって言葉というのはさほど重要ではないわけで、重要なのは著面に書かれた文言であったということではなかろうか。
斉藤隆夫の演説でも最初は拍手で以って称えられたといわれているし、美濃部達吉の「天皇機関説」も、国会で弁明の論が語られているにもかかわらず、最終的には処分されているわけで、我々は言葉というものに全く信を置いていない。
言う方も言葉に信を置いていないから後でどういう風にも言い逃れるし、責める方も言葉に信を置いていないから言いっ放しで言葉に責任も重みもない。
「事故がおきた以上、防衛大臣はすぐに辞職せよ」と、責める方も実に安直な発想で言っているわけで、言っている本人が自分の言葉に責任を負っていないではないか。
事故がおきたら、所管の大臣としてはその犠牲者の救出を真っ先に考え、それから事故の原因究明を徹底し、再発防止策を立て、その後処分すべきものは処分した後、辞めるというのが普通の常識だろうと考える。
これが事の本質、物事の根幹だろうと思う。
政治がこういう判りきったことを自然の流れとして扱わないので、話がややこしくなるわけで、それは事故が起きたらすぐさまそれを政治的に利用しようとするから12歳の子供の政治ということになるのである。
斉藤隆夫の演説は当時の政治に対する正論であったわけで、正論を正論として通せない部分に統帥権というものが横たわっていて、それは明治憲法の欠陥であったわけだが、我々は敗戦という外圧がなければそれを自らの手で修正することができなかった。
敗戦という外圧でなければそれが是正できなかったということから考えると、戦前、昭和初期の我々同胞の知識階層というのは一体何をしていたのであろう。
戦前、昭和初期の時代にも日本には知識階層というのはいたものと思う。
帝国大学もあったし、私立の大学もあったし、雑誌、新聞というメデイアの編集担当者もいたし、東京大学出の官僚もいたし、そういう知識階層というのは今と同様それぞれに国民を啓蒙していたものと考えるが、そういう人は高等教育を受けて一体何を学んだのであろう。
教育というものが何一つ国民の福祉に貢献してないではないか。
「治安維持法があってものが言えなかった」という言い訳ならば、子供や赤ん坊でも出来るではないか。
「軍人や特高警察が威張っていたから」という言い訳でも、それを言葉でやり込めるのが知識であり知恵であり学問ではないか。
高等教育で身につける学問というのは立身出世の免罪符としての価値しかないのだろうか。
インテリーの馬鹿野郎!!!

「歪められる日本現代史」

2008-02-21 17:08:27 | Weblog
がんセンターに行く新幹線の中で、図書館から借りてきた本で、「歪められる日本現代史」という本を一冊読み通した。
著者の秦郁彦の論考が、私とよく似ていることは前から知っているが、この本はその論考が細切れなのが惜しい。
様々な雑誌に寄稿したものを集大成しているので、重複している部分や、微に入り細に入り過ぎた部分があるように見受けられた。
正確を期すために、あまりにも資料に忠実たらんとして、かえって猥雑な面があるように思えた。
彼が、日本人でありながら日本をけなす輩に良い思いを持っていない点では私と同じだが、そういう同胞に対して真正面から反駁を試みても、所詮、それは水掛け論で終わってしまう。
民主主義というのはあくまでも言葉の戦いなわけで、黒を赤と言いくるめ、赤を白と言いくるめた方が勝だと思う。
嘘を百万遍も唱えればそれは真実になってしまうのではなかろうか。
この著者、秦郁彦は「それではならぬ、真実は真実だ」と言いたいところであろうが、真実がそうであろうとも大衆がそれを信じるか信じないかはまた別の話で、民主主義というのは大衆に信じさせた方が勝ということではなかろうか。
そこに政治が絡んでくれば、真実など何の値打ちもないわけで、その時点の国益が最優先されるが、その国益というものも実態は虚構なわけで、何が本当の国益かということは持ち場立場で違ってしまっている。
靖国神社に日本の首相が参詣すると、中国がクレームをつけてくる。
私や秦氏ならば、「そんなものは内政干渉だから無視して実行すればいい」と考えるが、中曽根康弘や宮沢喜一、小泉純一郎という人たちは、それぞれに自分の信念と持ち場立場で対応が違っているわけで、それぞれがそれぞれに自分の思い描く国益というものを考えた上での対応である。
秦氏の発言は大きな影響力を伴っているので軽々に発言は出来ないであろうが、私なら極めて無責任に「そんなものは中国の日本に対する内政干渉だから無視して構わない」と言えるが、自分の発言に影響力のある人はそう安易にこういうことは口に出来ない。
つまり、ここに民主主義としての言葉の戦いがあるわけだが、我々の側にはそういう認識が今一欠けているように見受けられる。
先日、テレビのリモコンをくるくるいじって番組を切り変えていたら、たまたま金美麗が語っているのを目にした。
彼女は「ダライラマにブッシュ大統領が勲章を与えた、それに対して中国が抗議し、空母の香港寄航を拒否した、するとアメリカは空母を台湾海峡を通らせて横須賀に入れた、明らかに中国に対する抗議のポーズを取ったわけで、これが国際社会の現実で、目にものを言わせるということだ」と、語ったら若い女性の司会者が「何故日本はそういうことが出来ないでしょうと」と質問した。
すると、金美麗は一言「日本にはガッツがないからだ!」と答えていた。
まさしく仰せの通りである。
何故、我々にはガッツがないのであろう。
何故、我々は同胞同士で足の引っ張り合いをしているのであろう。
意見が違うということと、足の引っ張り合いというのは次元の異なる問題ではなかろうか。
考え方の違いを容認することと、相手を叩くことは次元の異なる問題ではなかろうか。
貴女と私は考え方は違うが、決まったこと、決められたことはお互いに尊重しあいましょうというのが成熟した大人の思考ではなかろうか。
靖国神社に日本の首相が参詣することは、日本人とすれば当然のような気がするが、それがいけないという日本人の存在をどう考えたらいいのであろう。
中国が「日本の首相が靖国神社に参詣することが罷りならぬ」という根拠は、我々の中に、つまり日本人の中にそう考えている人間がいるので、それに呼応しているのではなかろうか。
たぶん中国にしてみれば、日本人でさえもそう考えている人間がいるのだから、我々が言えばこれは政治・外交のカードとして十分に使えると判断して、そう言ってくるのではなかろうか。
金美麗のいう「ガッツ」とはこういう現状ではありえないはずだ。
国民が一致団結して初めてガッツというものが湧き出てくるであろうが、国内の意見がばらばらではガッツ足りえないのも当然である。
ならば、何ゆえに我々の同胞の中から我々の国の首相が靖国神社に参詣することが駄目だ、とする根拠があるのであろう。
我々の国の首相が靖国神社に参詣すると軍国主義の復活につながるからと心配する向きがあるが、そういう人は、自分たちの同胞を全く判っていない人たちだと思う。
今の我々の中に軍国主義や好戦的な人や、帝国主義的な思考を持った同胞がいるであろうか。
戦争を体験した世代はもう70歳以上の年寄りたちばかりだし、今の働き盛りの世代は戦後の民主教育を受けた人たちばかりで、この中に軍国主義者や帝国主義者や好戦的な人がいると思う方がいかにも現実離れしているではないか。
我々のガッツの消滅は「和を以って尊しとする」精神の限りなく深い浸透の結果であって、昔ならばこの聖徳太子の遺訓もほどほどに解されていたが、今はそれを極めて厳密に実践しているからに他ならない。
人の織り成す社会というのは、何事にも賛否両論はありうるわけで、反対意見というのは付いて回る。
ここで何かをしようというときに反対意見を加味していてはことは決して成就しきれない。
その弊害を慮って、多数決という事の決定方法があるのだけれど、それで事を決めようとすると、少数意見を尊重せよという訳で、結局事は何も決まらないということになる。
ここで説得という言葉の戦いが生じるわけだが、事を成すというときに、最初からその事自体を認めないということになれば、言葉の戦いそのものが成り立たない。
事を成そうというときに、その事そのものを「する必要がない」と考えれば、その次の方法論が成り立たないではないか。
日本の首相が、靖国神社の過去の英霊に対して鎮魂のお参りをするというのに、その事自体を「する必要がない、してはならない」と言われれば、言葉の戦いは方法論でなくなってしまい、論争は別の土俵に移って、論点が狂ってしまうではないか。
日本国憲法が時代に合わなくなったから見直しましょうというときに、頭から「憲法改正罷りならぬ」では議論にならないではないか。
事を成そうとすると、最初からその事自体を否定し、否認するので、反対意見を考慮しつつ時期を待っていると、今度は政府の怠慢と言い募るわけで、結局のところ何でも反対ということになってしまう。
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うでは、成熟した民主的な大人の社会とはいえないと思うが、我々の現実はこういう体たらくである。
政府、行政、官僚の怠慢な部分は沢山ある、だからこそ、その部分を直そうとすると何でも反対では、結果として政府の怠慢、行政の怠慢、官僚の怠慢をそのまま温存する結果になってしまう。
自分たちの国のトップが、自分たちの過去の英霊に鎮魂の気持ちを捧げようとすると、他国から干渉を受ける。
すると我々の側のトップは、それを推し進めたときのリアクションに考慮する。
例えば、今後の外交関係がどうなるであろうとか、今後の貿易関係がどうなるであろうとか、国内の媚中派がどう出るだろうとか、いろいろ考えて一番無難な方法として、「ならば止めておこう」という結論に達するわけだ。
結果として相手から舐められて、そのことが相手の外交カードとして確立するということになる。
一つそういう例が確立すると、今度は他の国もそれに見習うわけで、次から次と類似の事例が頻発する。
この部分を金美麗は「ガッツがない」と論破するというわけだ。
ガッツがなくとも政府も、国民も生きておれる現状というのは、ある意味で極めて恵まれた境遇ではある。完全に、ぬるま湯に浸って生きているようなもので、ぬるま湯から敢えて出て風邪を引く危険はないわけだが、その分限りなくフヤケてしまうということは言える。
金美麗女史から見れば、今の日本は完全にフヤケきった状態に見えるのであろうが、だからといって我々が食うに困るわけでもなく、過酷な労働を強いられているわけでもなく、実にくだらないテレビ番組を見ては無為な時間を過ごしておれるので、誰も緊張感を感じていない。
ある意味で無責任極まりない。
19日の早朝に海上自衛隊のイージス艦と漁船が衝突する事件が起きたが、報道によるとこのクラスの護衛艦には通常10名近い人間で見張りをしているということである。
ところが、その見張り勤務がきちんと機能していれば、こういうことは起こらなかったと思う。
前の「なだしお」の時も、あの広い海の真ん中で衝突事件が起きているわけで、ぶつかってしまった以上、人為的なミスといわざるを得ない。
しかし、だからといって民主党の言うように、防衛省の大臣の辞任を要求するというのも筋の通らない話で、海上での衝突事件と大臣の辞任とは全く関係のない話ではないか。
監督不行き届きという責はあろうが、それはあくまでも所管の職務上の話で、末端で事故が起きたから、その都度大臣が辞任すれば済むという話ではないではないか。
末端で事故が起きたならば、その原因究明を全力を挙げて実施、その後の対策に全力を傾倒した後辞めると言うのならばまだわからないでもないが、事故のたびに「大臣を止めよ」と要求する野党の政治姿勢が問われる。
このように物の本質をきちんと見極めずに、ただただ人気取りで、事故のたびごとに「止めよ!止めよ!」の大合唱では、12歳の子供の政治といわれても致し方ない。
石破防衛大臣が海上自衛隊の幕僚長に「テメエらは、何をしているんだ!だたちに辞めよ!」と怒る、叱責するというのならばまだ整合性がある。
それにしても海上自衛隊も地に落ちたものだ。
前の教訓がいささかも生きていないではないか。
一言で言えばダラケと言うことなのであろう。
綱紀粛正が問われる。
それにしてもこの事故に際して野党の大臣辞任を迫る政治感覚というのは噴飯ものであるが、政治がこの程度だからこそ、海上自衛隊の綱紀も緩み、海上自衛隊のみならず日本のあらゆる組織で綱紀が緩みっぱなしになっていると思う。
他の組織ではいくら綱紀が緩んでいたとしても、人命に直接かかわり合うケースが少ないので表面化していないが、綱紀が緩んでいるという点では同じだと思う。

「東條英機・封印された真実」

2008-02-18 20:07:42 | Weblog
私は自分のアホさに自分でも愛想を尽かせている。
いつも図書館にいって本を借りて来るのだが、当然読んだ本は返納する。
返納した本はもとの位置にまた並べられるわけで、しばらくすると以前借りて読んだ本を、読んだことを忘れて又借りてくる。
全くどうしようもないアホだ。
「東條英機・封印された真実」という本がまさにそれであった。
自分で読んだことも忘れているぐらいだから内容についても綺麗さっぱり忘れているのも致し方ない。
しかし、読後感としては一度脱いだパンツを又履くように、読み出した途端に「これは前に読んだことがあるぞ」と気が付くと、その瞬間に新鮮な好奇心は削がれ、うっすらとした記憶を手で撫ぜるようなものだ。
日本人の中でも我々の世代以上のものにとっては東條英機といえば悪玉の真骨頂の人物として映っているに違いない。
戦後のあらゆるメデイアで糞味噌にこき下ろされていたことは私も承知している。
しかし、日本のメデイアがこき下ろせばおろすほど、私はその論調に疑問を持っていた。
「果たして本当にそうだろうか?」という懐疑の目で見ていた。
こういう天邪鬼は私一人ではなかったようで、この本の著者、佐藤早苗という人も私と同じように考えていたらしい。
彼女自身、この本の冒頭で告白している。
私よりも上の世代は、確かに、東條英機の政治の本当の犠牲者であったことは確かなので、そういう人々が受けた凄惨な体験、経験からすれば、彼を心底恨みたくなる心情も分からないではない。
ここに彼の、つまり東條英機に対する世間の評価と、彼自身の真実の姿との間に乖離が横たわっている。
世間で通常言われている彼の評価は、日本を奈落の底に転がり落とした極悪人というものであるが、果たして本当にそうであったかどうかを掘り起こしたのがこの本である。
この本の著者の思考では、日本が奈落の底に転がり落ちるきっかけは、その前の首相、近衛文麿にあるのではないかと考えているようだ。
彼つまり近衛文麿が責任を丸投げし、放棄してしまったので、その尻拭いの役回りが東條英機に回ってきたのではないかという視点で彼を見ている。
昭和初期の日本の政治状況の中で、責任が誰にあるのかという問題は単純に答の出る話ではない、ということは十分承知している。
東條英機自身、明治憲法のアキレス腱となっている統帥権については相当思い悩んでいるわけで、この明治憲法の下で、憲法をあくまでも遵守しようとすれば、誰が首脳、首班、首相になっても、もつれた糸を元に戻すことは不可能であったろう。
戦後の論評の根底に流れている思考には、物事を正邪、良し悪し、善悪、正しい正しくない、正義と不正義という価値観で測る風潮が顕著に見受けられるが、生きた人間の織り成す社会というのは、こういう価値観では測れないのではないかと思う。
地球上に誕生した人類という種は、時間という大河の中に放り込まれて、あちらでもこちらでも沸き起こる渦の中の落ち葉のように、あるいは渦という奔流の中に投げられた笹船のようなものではないかと思う。
Aという枯葉と、Bという落ち葉が渦の中で接し会えば、それはAとBの衝突ということになり、その周辺部では摩擦がおこり、重なり合うこともあればひっくり返ることもあるわけで、それを人間の価値観でああだこうだ、良いとか悪いとかいうことは出来ないと思う。
如何なるものも自らが生きんとすれば、自己愛が何物にもまして優先するわけで、これを否定することは出来ないと思う。
ここでいうAとかBというものを民族に置き換えれば、それがそのまま人間・人類の歴史になるわけで、ゲルマン民族の大移動や、キリスト教徒の十字軍や、蒙古のヨーロッパ席巻を今の人々の価値観で、良いとか悪いという尺度では測り切れないのと同じである。
これは私個人の論旨であって、東條英機は処刑される前に米軍に没収された遺書の中に、「米英諸国人に告ぐ」というものを書き残しているが、これは我々の国が神国と言っている部分を削り取れば、私の論旨と十分に重なり合うものである。
一言でいえば、太平洋戦争肯定論である。
あの戦争は米英から仕掛けられたものだ、という論旨は私とも共鳴する部分であって、このときの彼の立場、つまり連合軍側から見て戦争犯罪人とされて獄につながれ、本人も死刑にされることを感じつつ、それでも敵に対してオベッカを使うことなく、堂々と持論を開陳しているわけで、その点では立派なものだと思う。A級戦犯の中にも保身を図り、策を弄して延命を図ったものもいるなかで、堂々と敵に持論を展開するという点では見上げたものだと思う。
彼自身が言っているように、敗戦の責任は自分にあり、国民に対する謝罪はやぶさかではないが、敵に対して犯罪を犯したわけではない、という論旨は彼の立場からすれば当然だと思う。
ここで問題となってくるのが、あの戦争中に我が方の軍隊が、他国の人々のみならず、我が同胞にさえ言いようもない苦渋を飲ませたことに対する責任問題である。
東條英機とくれば、我々世代以上の人間ならば連想ゲーム的に戦陣訓を思い浮かべるであろうが、これも考えてみればおかしなことで、彼は「生きて虜囚の辱めを受けず」を軍人あるいは兵隊たちに強制したわけではないはずだ。
ただ軍人あるいは兵隊たちの任務遂行上の指針としてそういうものを発表したことは間違いないが、それはあくまでも指針であって強制ではなかったと思う。
ところが実情はそれを強制した人間がいたし、軍人や兵のみならず、一般人、一般市民にまでそれを強制した我々の同胞がいたわけだ。
戦陣訓のみならず教育勅語や軍人勅諭もすべて当時の日本人及び軍人に対して示された指針ではあるが、法律として強制されたものではなく、法的な根拠を持つものでもないはずであるが、それをあたかも天皇陛下の命令、あるいは陸軍大臣東條英機の命令として周知徹底せしめたのは一体誰であったのだろう。
当時でも高級官僚、帝国大学を出た知識人、メデイアの要職についている人たちがいたにもかかわらず、それを黙認、座して見ていた人がいたということだ。
そして戦争に負けたとなると、そういうもろもろの責任を全部東條英機に負いかぶせたということだ。
教育勅語、軍人勅諭、戦陣訓というのは法律ではないわけで、その時代を生きる人々の指針として下々に示されたものだと思う。
判り易い例でいえば、小学校で校長先生が児童に向かって「交通事故が多いから交通ルールを守って、道路を渡るときは横断歩道で渡りましょう」といったとすると、それを聞いた生真面目な生徒が、道路を渡るのに何処までも横断歩道を探して右往左往するようなものだ。
そこで担任の先生が校長先生の意を汲んで、「道路を渡るときは横断歩道でなければ駄目だ」というようなものだ。
戦陣訓でいう「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉も、玉砕するかそれとも降伏して捕虜になるかの判断は当事者にあるわけだが、我々の同胞の多くはここで玉砕を選択してしまったのである。
そしてその選択の根拠に、この戦陣訓があったといわれているが、ここでその戦陣訓の呪縛を強いたものが何であるかの考察が我々には欠けていると思う。
戦後の進歩的文化人の言い分は、東條英機の戦陣訓そのものがいけないということになっているが、それは極めて短絡的な考えで、こういう短絡的な思考そのものが物事の本質を見ず、表層面のみに視点が向いてしまっているということだ。
その論調で行くとするならば、校長先生の交通安全の訓話も児童に対してはいけない行為になってしまうではないか。
我々が考えなければならないことは、教育勅語、軍人勅諭、戦陣訓というものを天の声として、それを天からの命令として国民に強いた同胞を探し出すことだと思う。
「事故にあわないように横断歩道を渡りましょう」というものを「何がなんでも横断歩道を渡れ」と強要したのは一体誰なんだろう。
一般論としての指針を何故に天皇陛下の命令、あるいは陸軍大臣の命令かのように喧伝したのであろう。
それをしたのは一体誰であったのだろう。
悪名高き治安維持法は、当時の国会議員が国会で審議して極めて民主的な手法にのっとり法律となったわけで、これは万人が遵守しなければならず、遵守しないものはペナルテイーとして刑に服さなければならないのは当然のことである。
不具合があるとするならば又立法措置をして改正しなければならず、それまではいくら悪法であったとしても遵守しなければならない。
教育勅語、軍人勅諭、戦陣訓というのは法律ではないわけで、それをさも法律かのように崇め奉った我々の同胞がいたわけである。
それは一体誰であったのだろう。
その犯人を探し出さない限り、我々のあの戦争に対する反省は成り立たないと思う。
戦時中は校長先生が白手袋をはめて奉安殿から恭しく教育勅語を取り出して朗読したといわれている。
警防団に半ば脅迫されてB29の落とす爆弾にハタキで対応しようとした消火訓練。
こういう今考えると実に馬鹿馬鹿しいことを、生真面目に押し進めていた我々の同胞は、あの当時一体何を考え、何を思っていたのであろう。
俗に「篭に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という戯れ言葉があるが、あの時代の我々の同胞は、篭に乗る人の舵取りが不味かったことは致し方ないにしても、それよりもなお根の深いところの欠陥は、篭を担ぐ人の善意の押し売り、あるいは篭の乗っている人に対する護摩すり行為にあったと思う。
つまり、関東軍が政府の言う事を聞かない、出先の軍隊が参謀本部のいうことを聞かないで独断専横するということは、本人たちにすればあくまでも天皇陛下のため、国民のため、銃後の人々のためであって、決して私利私欲ではなく、日本のため、日本の国益のために良かれと思っての行動である。
私利私欲でないところが生真面目で、クーデターでないところが更に生真面に輪を掛けている。
その上戦陣訓を遵守するとことは更に更に生真面目である。
その生真面目さの延長線上に一般市民にまで戦陣訓を強要してしまう、という不合理があった。
こうすればきっと日本内地の皆さんは自分たちのしたことを喜んでくれるに違いなかろう、という思い込みで以って、政府あるいは参謀本部に対して善意、好意、親切の押し売り、あるいは護摩すりであったに違いない。
こうすれば上のものは自分の行為を褒めてくれるに違いない、よくやったと認めてくれるに違いないという思い込みから泥沼にはまり込んだものと考える。
上から命令されて行動するのならば当たり前のことだが、上の意を汲んで言われる前に用意周到に早手回しし、先手を打つという事は、秀吉が信長の草履を懐に入れて温めたのと同じで、こういう目先の効く行為が我々の間では評価が高いわけで、その延長線上の思惑であり、行為であったに違いない。
何故、軍隊あるいは軍部の思い込みを抑制できなかったのかと問えば、それは統帥権に起因していたわけで、統帥権というものがなかったならば、軍隊、軍部を政治の元、政府の元に置くことが可能になり、シビリアン・コントロールになるところであったが、明治憲法下ではそれが出来なかったのである。
ここに東條英機の苦悩があったようだが、我々はそういうことをいささかも知らなかった。
だただだ日本を奈落の底に落とした張本人という認識しかなかった。

「周恩来と日本」

2008-02-17 20:26:42 | Weblog
例によって図書館の本で「周恩来と日本」という本を読んだ。
周恩来が1917年大正6年から同8年というわずかの期間であったが、日本に留学していたので、その間の彼の動向を述べたものである。
日清・日露の戦役に勝利したことによって、中国でも日本に学ぼうという機運が膨張し、大勢の中国人が日本に留学生として渡ってきたことは様々な著述で述べられているが、数ある著述の中でも周恩来にかかわることとなれば特筆ものに違いない。
思えば、我々の先輩諸氏は惜しいことをしたものである。
こういう留学生を誠心誠意で以って歓待しておけば、その後の日本の運命もまた違った道を歩んだことであろう。
我々が日清・日露の戦役に勝利した事実はなんびとも否定しがたいが、そのことによって我々自身も、又周囲の目も、日本民族の本質を見誤ってしまったということだろう。
日清戦争に勝利して、我々の同胞が中国人をチャンコロと蔑みの目で見るようになったということは、我々の民族としてのモラルの低さを余すことなく表していると思う。
それからしばらくして日露戦争にまで勝利してしまうと、今度は我々のみならず我々の周囲の異民族まで、日本民族を見る目が変わってしまったということだ。
当時、明治時代から昭和の初期の日本の勃興というのは、確かに我々も、またアジアの人々も、日本人及び日本民族の優秀さに目を見張らざるを得なかったものと思う。
この時期、地球レベルでの視点はさておき、アジア、いわゆる黄色人種の中では日本の存在が一番秀でていたわけで、別の表現をすれば先頭を走っていた。
トップ・ランナーであったわけだ。
で、我々は自らがトップに立ってしまうと、もう手本とすべきものがなく、目標というものを見出せず、何処に向かって、何を目標にしていいか分からなくなってしまう、というが我々の民族の特質ということではなかろうか。
周囲に、自らの目標とすべきもの、例えば唐の時代ならば唐の文化、文明開化の時代ならば西洋先進国のキリスト教文化というようなものがあるうちは、それを目標として追いつけ追い越せという進取の気性をみなぎらせて、一意専心、目標達成に突っ走れるが、自分がトップになってしまうと、そういう目標が分からなくなってしまう。
ここで、必要になって来るのが人倫というものであるが、このときに自らが極めて傲慢になっているので、人倫ということまで気が回らなかったのであろう。
自分が慢心して、傲慢な態度でいると周囲が馬鹿に見えるわけで、それが蔑視という形で露呈したのではないかと思う。
日本の真のインテリーならば、我々の文化が中国から渡来していることは十分承知しているはずで、にもかかわらず中国を蔑視するということは、一体どういうことなのであろう。
昭和初期までの知識人ならば、漢籍にも極めて通暁しているわけで、彼らの知識が漢文から吸収されていることを本人自身が知っているにもかかわらず、何故に中国人蔑視、チャンコロという認識が生じてきたのであろう。
これがまさしく、奢り、慢心、思い上がり、下賎、成り金、モラルの低さ、人倫にも劣る、という価値観であったのではなかろうか。
言うまでもなく、我々は四周を海で囲まれた島国の住人で、異民族、異文化に接する機会は極めて少なかったので、比較的均一な同属の中で暮らしていた。
それは日本という小宇宙を形成し、その小宇宙が全てだと思っていたものだろうか。
この小宇宙の中では他との比較ということがないので、自分たちが全てだと思い込むのも致し方ない。
そういう中で、多少とも外の世界が目に入るようになると、西洋人は確かに自分たちとは違う先進的なものを持っていたが、アジア、とくに中国、朝鮮の人々は西洋人に比すと見習うべきものがないように見えたに違いない。
それが日清・日露の戦役に勝利したとたんに現実化したわけで、日本人は彼らよりも優秀だという思い込みになってしまったに違いない。
そう思い込むこと自体が慢心であり、傲慢であり、他への思いやりの欠如であり、他者の立場でものを考えない一人よがりの思考であったわけである。
問題は、この時に他者を研究する、他者を観察する、相手を十分に見て彼らがどういう思考経路を、思考方法を持っているのかということにまで考えが及ばなかった点に我々の過誤がある。
「勝って兜の緒を締めよ」、「己を知り相手を知る」という古い格言を持っていたにもかかわらず、我々はそれをしなかったわけで、そこに歴史の教訓を見出すべきであった。
これらのことは全て当時の日本の指導者、当時のオピニオンリーダーの責任であって、彼らの思考が人倫にも劣っていたから下々のものがそれに追従したと考えざるを得ない。
先の「戦争の罪責」のときにも書いておいたが、日本のトップ、政治家から高級軍人に至るまで、この時代には中国人を蔑視し、蔑んでいたわけで、明らかに人倫にも劣る精神状況であったといわなければならない。何故こうなったかを掘り下げて考えると、先に述べたような理由が思い当たるが、結局、日清・日露の戦役に勝利したことが成功事例となって、柳の下には何時もいつもドジョウがいる、と思い違いしていたということであろう。
このことを突き詰めて言えば、我々は自らのことが全くわかっていない、自分自身を全く知らないということだと思う。
勝利の美酒に酔うことは華々しく報道されるが、その裏側で財政的に如何に苦しい綱渡りが演じられているか、ということに我々は全く無関心で、財政的に逼迫したからこそ、帝国主義的な植民地獲得にならざるを得なかった、ということまで知恵が回らず、そういう思いさえ持っていなかった。
そういう隠れた部分は報道されずに、華々しく戦争に勝った場面だけが報道されるので、結果的に国民が騙されるということになるわけである。
ここに日本の知性や理性の責任が潜んでいるはずであるが、誰もそれを指摘しない。
政府高官、高級官僚、軍人のトップは当然その経緯を知っているはずなのに、自分たちに不利な内容は故意に知らせようとせず、その部分に政治の私物化、戦争の私物化が存在していたと考えるべきだ。
この責任はメデイアが負うべきだと考える。
当時のメデイアといえば新聞と雑誌とであるが、日本のメデイアというのは社会の表層の事象しか報道しないわけで、所詮、井戸端会議の延長でしかない。
戦争に勝ってちょうちん行列は大々的に報道するが、それは現実の出来事の表層の現象のみで、その出来事の本質を突こうとする努力はメデイアとしての価値を生じないのである。
財政的に非常に苦しかったけれど、結果として勝利したので、周囲の目も「日本人、日本民族は素晴らしい、我々も見習おうではないか」と、中国から大挙して留学生が押し寄せてきたのである。
古の昔は日本から遣唐使、遣隋使として中国の文物を学びに海を渡ったものが、その流れが逆転してしまったけれど、我々はそういう留学生を誠心誠意で以って優遇しておけば、友達の輪が極めて強固になり、両国関係にも良い影響が出るにもかかわらず、蜘蛛の子を散らすような施策をとるものだから、先方の対日感情は悪くなる一方ではないか。
この時代の中国の状況が暗礁に乗り上げていることは、中国人の彼ら自身が一番良く理解していることで、そういう状況下で、彼らをチャンコロ呼ばりして蔑むなどということは、如何にも思慮分別のない浅慮であって、高等教育といわれる教養・知性が泣くというものである。
この時代に日本人の知識階層が中国を蔑みの目で見る背景には、中国の政情が混沌としていて、つかみ所がなく、どれが正式の政府で、どれが正規の軍隊で、誰と話をすれば事がまとまるか、という国家としての主体制が掴みきれていなかったという状況もあったと思う。
孫文が辛亥革命をなしたならば、孫文がきちんと国をコントロールし切れていれば日本側の蔑視ということもなかったろうに、袁世凱は出てくる、蒋介石は出てくる、張作霖は出てくる、毛沢東は出てくるでは日本から見て中国は一体何をしているのだ、という思いも致し方なかったに違いない。
だから、日本側の政府高官の目から見て、中国はいかにもだらしない国に見えたので、その空気が日本全体に広がったということだと思う。
ただ惜しむらくは、この状況を前にして、あわよくば利権を拡張しよう、国益を増進させよう、漁夫の利を漁ろうという夜郎自大的な思考に凝り固まった人間が国の舵取りをしたことである。
今考えてみると実に妙なもので、国の舵取りといえば当然政治家の仕事であるが、我々の場合、軍人が先に既成事実を作ってしまって、政治家は後からそれを追認しているわけで、舵取りならぬ事後承認に過ぎない。
軍隊というのは如何なる国でも武将集団で、実行力を現実に備えた集団であって、我々の場合は天皇のみが軍隊を抑える力を持っていたわけだから、政治家も、メデイアも、大学教授も、軍人の武力、殺傷のノウハウ、実行力の前には沈黙せざるを得なかった。
形の上では軍人の専制政治ではなかったが、実質軍人という武力集団の前で、彼らをコントロールする力をもった者が独りもいなかった。
その上、この軍隊組織の中間層は、極めて生真面目な人ばかりで、日本の発展を心から願い、日本の国威発揚を心から願い、他国において自国の支配権の拡張を心から願い、徹底的な帝国主義て同胞を豊かにしようという意気が盛んであったので、ここに相手の立場を無視してまでも、わが身の進展を願ったわけである。相手のことを考えず、自分が良いと思ったことは相手も素直に受け入れてくれるに違いない、と思い込んでいるので、その分相手の反感を買っていたことに気が付かない。
結局、この時代の教養人の知性、理性、品性、教養は日本が奈落の底に落ちて国土が灰燼に帰すまで自ら悟ることはなかったわけで、これが我々の明治維新から引き続いた高等教育というものの本質であった。
所詮、点数至上主義で、良い点を取るものが一番優れているに違いない、という間違った思い込みに気が付くことがなかったということだ。
それに加えて、学校時代に良い点を取ったものはその後の社会生活でも常に良き人、良きリーダー、良き指導者であり続けるという思い違いから一歩も抜け出れていない。
学校時代の成績がその人の免罪符となって生涯付いて回るということは、如何に人間というものに対して無知かということを表している。
1945年昭和20年の日本の敗戦ということは、それを見事に具現化していたわけで、煎じ詰めれば、あの敗戦は学校秀才によって導かれたとも言える。
どうして戦争のプロを養成する学校の学校秀才が、日本を敗戦にまで追いやったのか。
どうして官僚のプロを養成する東大出の政治家や官僚が敗戦に至るまで座視していたのか。
いくら学校秀才だとて、軍の組織、官僚の組織の中で20年30年とぬるま湯に浸っていれば、当然その知性、理性、判断力、思考力が麻痺してくるわけで、一般常識とかけ離れるのも必然的なことだが、我々の同胞の中で誰一人それに気が付かないということは一体どういうことなのであろう。
で、周恩来は中国の南海学校では優等生であったにもかかわらず、日本では旧制高校にも入れなかったわけで、その意味では大きな挫折を味わったものと思う。
ところが、結果として彼は中華人民共和国の総理にまでなったので、逆の視点から眺めてみると、日本の学校はそういう人物でさえも門前払いを食らわしていたということになる。
日本の学校がある一定の水準をクリアーしたものしか入学させないというのは、ある意味で非常に合理的なことで、その意味からすると、他のアジア諸国では金、あるいは縁故で少々のことは融通を利かせることが出来るというのは民主化の度合いが低いということの証明でもある。
いわゆる情実の世界で、古い体質であり、それに比べれば極めて公明正大な処置ということも出来る。
それが故に、一度入ってしまうと今度は同じ釜の飯を食った仲間ということで、結束がより固くなるが、今度はその結束の固さがマイナスの要因として作用することになる。
その結果として、学閥というものの誕生につながりがちで、仲間内で庇いあう気風が生まれ、もたれあいの精神になり、他を排除する志向が固まり、優越感の醸成につながる。
これこそ島国根性そのものであるが、我々はそういうことにまことに無頓着で、その無頓着こそが他民族、あるいは他国に思いが至らない原因であり、他者の心を逆撫でする結果を招いているのであろう。
思考の中心が自分の中にあるものだから、自分を中心にして相手を見て、こちらから投げたボールが素直に自分に帰ってこないと、相手の非をあげつらうことになる。
相手にしてみれば、我々から投げられたボールを自国の国益に沿って判断して、それに基づいて処置をするのでこちらの意図どおりにはならないわけだ。

NHK「日本のこれから『学力!』」

2008-02-16 08:46:42 | Weblog
2、3日前、NHKのサイトを見ていたら、来る3月8日に放映される「日本の、これから『学力!』」という番組で学力について討論するという趣旨のPRがあり、意見徴収をしていた。
で、早速、私流の独善的な意見を書き込んでおいたらすぐにリアクションがあり、メールが届き、その後で電話による取材を受けた。
それでもなお言い足りないことがあるので、一文をしたためた。

まず最初の質問で「あなたは、子供たちの学力が低下していると感じていますか?」という設問であるが、これは設問の方が不親切だと思う。
それは「子供たち」と十束一絡げに括っているが、「子供たち」と一括りにしても、幼児から限りなく大人に近い子供までいるわけで、その中で漠然と子供と言われても応えるほうが困ってしまう。
私は自分の孫をイメージして、決して学力は劣っていないと回答しておいた。
子供の概念も不明確であるが、学力という言葉も極めてつかみ所のないもので、果たして何を以って学力というかも極めて難しい問題だと思う。
今の日本の普通の認識からすれば、学校の成績ということになろうが、学力の低下という表現は、成績が悪いというイメージに関連つけて、知識が不足しているということになろうかと思う。
私には4人の孫がいて、上は小学校3年生が一人、次が今度1年生になるのが一人いるが、コンピューターゲームを自由に扱うことから見て、決してが学力が劣っているようには見えない。
ただし、そのことが学校で良い成績を取るかどうかとは又別の話で、今度1年生になる孫は決して学校という環境、集団、管理教育になじまないだろうと思う。
あまりにも個性が強く、我が強く、自己主張が強く、社会生活においては決して良い点の取れる子供ではない。
だが、学校教育には適応あるいは順応しにくいが、決して馬鹿ではなく、素晴らしい能力を持っている。
じいさんばあさんの目から見て、彼の能力は学校教育の場では決して評価されることはないと確信している。
世の中にはこういう子供も掃いて捨てるほど存在しているに違いないと思うが、おそらくそういう子供は学校では異端児として卑下され、邪魔者扱いではないかと思う。
孫の能力を祖父がいくら認めたところで、それは世間一般では何の価値もないわけで、学校に入ればきっと落ちこぼれという烙印を押されるに違いない。
今から目に見えるようだ。
こういう現実を学力という言葉で括れるであろうか。

第2の設問は「理科ばなれをどう思うか?」というものであるが、これも現在の日本で生きている大人の思考の反映であって、今の大人があまりにも拝金主義に毒されているので、楽して金になる職業を目指すからだと思う。
子供の学業目的が理科から離れるということは、今の大人の思考を見事に反映している。
学問の目的が、楽して儲かる職業に付くことに機軸を置いているからであって、苦多くして報われない職業を敬遠しようとするから、理数系の学問に人気がなくなったと思う。
学生、いやこの世のすべて人が目指す学問、あるいは学校経営というのは見事に時代を反映していると思う。
世の中の、計数化出来ないその時々の潜在的な人々の願望を見事に表していると思う。
明治維新から昭和の初期までの人々は、富国強兵の国策に沿って軍人にあこがれたわけで、俺が村、俺が町の1番、2番の秀才はこぞってその養成機関に押し寄せたではないか。
戦後の高度経済成長のときは、理数系の学部のものでさえ、銀行、証券会社に群がったではないか。
事ほど左様に、学校秀才というのは時流を読むのにまことに秀でているわけで、そういうものが今になって「理科はなれ」をするというのは、明らかにその時々の時代というものを反映している。
今の日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国なわけで、栄華を極めきって今頂点にいるので、後は下り坂に向かっていることを指し示していると思う。
大の大人が、しかも大学を出たような本来ならば学士様のような人が、喫茶店のマスターになったり、コンビニの店長だったり、介護施設で年寄りのオムツを替えたり、女の髪をいじくる美容師だったり、日本は既に亡国の淵に立っているということだ。
そういう職業を卑しめる気はないが、そういう職業ならば大学出という学歴は必要ないわけで、大学を出たからにはそれにふさわしい職業選択が他にあるのではないかということがいいたい。
この世に生まれ出でた人間にとって、学力、教養、知性は、無いよりは有った方が良いに決まっている。
しかし、そういうものを備えた人間が多くなると、それを悪用する人間も多くなるわけで、悪用して自己の利益、自分の欲望を満たすためにそれを使うような人間も多くなる。
というのも、高等教育の中にはモラルの向上、精神性の純化ということが含まれておらず、ただただ世渡りのノウハウのみが教えられているからである。

第3の設問、文部科学省は学力を「基礎的な知識、思考力や判断力、学習意欲」の3つと定義しています。あなたにとって学力とは何だと思いますか?
また、学校や家庭ではそれぞれ何を重点的に教えるべきだと思いますか?
と言うものであるが、学力に対する文部科学省の定義は納得いくものだと思う。
問題は、これを計数化して測ろうとするから矛盾が露呈するものと考える。
学校である以上、何でもかんでも点数に換算しなければ評価が出来ないわけで、その上、社会がその評価を丸呑みするから、世の中がギクシャクするのである。
現実に、民間企業が学生を採用しようとした場合、一応の目安となるのが学校の評価と本人の成績だろうと思う。
民間企業と言わず、如何なる組織でも、新たに人を採用しようとすれば優秀な人材が欲しいのは自然の摂理で、その意味から有名校に触手が向かうのは致し方ないと思うが、これがある限り点数至上主義というのは消滅しない。
今の日本では、教育の最終目標がここにあるわけで、これを達成するために、あらゆる施策が試行されており、学生、あらゆる学ぶべき立場の者が、これを目指している。
世間一般が「有名校の人間ならばきっと優秀だろう」という思い込みを払拭しない限り、学歴社会、点数至上主義、学校間の格差というのは解消できないものと考える。
その目的をクリアーするために、傾向と対策が練られ、予備校が出来、塾が出来、予備校に入るための予備校ができるという状況がある。
小学校から大学に至るまで、日本の教育ではモラルを一言も教えないというのはどういうことなのであろう。
この番組を作っているNHKの職員の中にも、いまどき中学だけ、高校だけの学歴の人は一人もいないと思う。
すべての人が大学を卒業していると思うが、にもかかわらずインサイダー取引というようなアンチモラルの行為をする人を内包するということは一体どういうことなのであろう。
つまり、大学という高等教育が、モラルの向上というような精神性の高い心の鍛錬にはいささかも貢献していないということだ。
ただただ知識の寄せ集めで、パッチワークのような知識の集積で、記憶力のいい人間がかろうじて関門をパスしただけで優秀な人間として通用しているということに他ならない。
この設問の後段、「学校や家庭では何を重点的に教えるべきか?」という問いには正直答えようがない。
学校は本来物を教えるべきところであるが、家庭では躾をしてもものを教える場ではないわけで、それを一括りにしても答えようがないが、私は個人的に学校というものを信用していない。
ただただ通過儀礼として、大過なくその年数を経過し、社会性を身につければそれでいいと思っている。
自分の子育てではそういう信念で通してきたが、幸いなことに子供たちは極めて親孝行をしてくれて、たいしたトラブルもなく通過してくれた。
家庭で改めて「教える」というのも妙なもので、音楽家、芸術家、はたまたスポーツ選手を養成するのならばいざ知らず、普通の家庭で改めて親が子に教えるということもありえないのではなかろうか。
宿題の手助けをするという程度のことならばともかく、このテーマに応えるような意味での「教え」などというものはありえないと思う。
親が子のことを常に思い、気配りの効いた子育てさえしておれば、おのずから子は親のことを忘れないのではなかろうか。

次の、「何のために学力を身につける必要があると思いますか?」という質問も実に陳腐な話だ。
前の項で述べられている文部科学省の学力の定義を見るにつけ、これは人が生きて行くため,社会生活を円満に営むためには最低限、身に付けなければならない資質だと思う。
基礎的な知識というのは当然のこと、思考力や判断力というのも人が生きていくためには欠かせない要因で、昨今の日本人はこの能力、この機能を自己の欲望実現に向けて使うので、様々な社会的な不祥事が起きるのである。
思考力と判断力を、如何にしたら楽して儲けれるか、如何にして得をするか、あるいは如何にして楽をするか、という方向に巡らすので、それが金(経済)至上主義に結びついてしまっている。
人間は、他を思いやる気持ちを持たなければ駄目だと思う。
聖人君子のように生きよとは言わないが、他者に対する思いやりと同時に他者には謙虚にならなければならないと思う。
判断力といえば、我々は「あっち向いてホイ、こっち向いてホイ」ではないが、小魚の群れの方向転換のように、何かのきっかけで全体が一斉に方向転換する民族性がある。
ここで一人一人がその持てる判断力を発揮しなければならない。
我々が明治以来学歴主義を貫いてきたのも、それまでの我々の国民の一人一人の判断力が、「学校さえ出れば立身出世が出来る」と判断した結果であって、有名校はますます門が狭くなり、その反対側には訳の分からない何を教えているのか想像も付かない大学が林立しているではないか。
これも我々の思考力と判断力の実績ではなかろうか。
そこにあるのは如何にして楽して金を儲けるかという発想だと思う。
大人がこういう発想で以って日々暮らしている中で、子供にだけ良い教育を望んでも、それは無理というもので、教育そのものが拝金主義、金(経済)至上主義に毒されるのも当然の成り行きだ。
ということは、これからの日本は亡国の道を転がり落ちるしかないということであろう。

次の設問の要旨は「ゆとり教育の転換が学力向上につながるかどうか?」という趣旨であるが、ゆとり教育そのものが非合理であり、不合理であり、教育としての整合性に欠けていると思う。
もともと、我々の世代は50人60人という生徒を一人の先生が一日中指導教育していた。
それが少子化が進んで、児童の数が少なくなったにもかかわらず、先生をリストラさせるわけにもいかないので、30人の児童を二人の先生が見るゆとり教育が始まったと思うが、そのこと自体が既に自然の摂理に反している。
資本主義の社会ならば、余剰人員は軽減するのが自然の流れであって、「それを救済しなければ!」というのは極めて社会主義的な思考であるが、その結果は旧ソビエットや東欧諸国が指し示しているではないか。
給料泥棒、税金泥棒を飼っているようなものではないか。
民間企業ならば余った人材は意図も安易にリストラの対象となるところであるが、先生の場合は日教組の力もあって、そう安易に首も切れないので、ゆとり教育というワークシェアリングで先生を救済する措置だと思う。
その意味では、たった30人ぐらいのクラスを二人の先生できめ細かく指導すれば学力向上には効果があるであろうが、児童の指導というのは入れれば入れただけ効果が如実に出るというものではないはずで、学力向上ということがいい点数を取るという意味ならば、それを止めれば多少効果が下がるかもしれない。
しかし、そのことによって明らかに上がったり下がったりするものではないと思う。

それよりも次の設問で「公立離れが進み塾の隆盛を如何に思うか?」という設問は非常に関心のある部分だ。
私は公教育というものを最初から信用していない。
日本の学校制度が確立された明治時代ならば、富国強兵の国策にそって、国全体の学力アップ、基礎知識の習得、読み書きソロバンの習得は、緊急かつ必要不可欠な課題であったに違いない。
しかしそれから100年近く経て、21世紀にもなれば我々のおかれている環境はずいぶん違っているわけで、教育も時代の欲求にそって変わってしかるべきだと思う。
今日では公による初等教育は役目を果たしきったと思う。
我々は今税金というかたちで公教育を担っている。
税金という形で義務教育を下支えしているにもかかわらず、有能は子は、その上さらに塾という教育費を負担させられていることになる。
塾に通っている子の親は、二重に教育費を負担させられているということだ。
これは義務教育というものは何が何でも意義深いもので、これからも維持しなければならない、という思い込みの思考から抜け切れていないからこういうことになる。
子供の能力というのは千差万別で、本人も、親も、先生も、子供本人の能力を測りきれるものではない。
にもかかわらず、小学校1年から中学3年まで、階層別に均一なカリキュラムを押し付けて、その点数で人物が評価されている。
明治時代ならばこれでよかったかも知れないが、21世紀ではこれでは通用しないと思う。
ここで最初の設問に立ち返って戻ると、幼稚園児がコンピューターを使ってインタネットを自分で検索する能力を、学力というかどうかの問題に行き着くと思う。
幼稚園児に親が教えるわけではない。
親がその子の前でノートパソコンを使うことは日常生活の中の自然の風景で、それこそ「門前の小僧習わず経を読む」ということになるが、こういう子供も世間には多いと思う。
人間の能力には格差があることは当然で、にもかかわらず一人一人の個性を、本人の能力を無視し、適応力を度外視し、均一的な授業を押し付けるというのは逆に人権侵害だと思う。
算数の嫌いな子に無理に算数を教え、鉄棒の嫌いな子に無理に鉄棒をさせ、そういうことが好きな子が好きなようにすると、統制を乱すとして止めさせるのが今の公教育の本質であって、これは個人の持っている個性、特質、特技を踏みにじることであり、教育の理念とは真っ向から衝突している。
よって、これからの教育というのは個人の能力、キャパシテイーを最大限に引き出すものでなければならない。
それには学科別の縦割り教育で、その子がやりたいもの、その子が興味を持ったもの、その子が好きなこと、そういうものを最大限伸ばし、引き出す教育でなければならないと思う。
例えば、野球の好きな子には徹底的に野球をさせ、音楽の好きな子には徹底的に音楽を教え、絵を描くことの好きな子には徹底的に絵を描かせてみれば、当然その子はある時に自分の限界を知るようになるわけで、そのときに他の選択肢を自由に選べるような場を作っておけば,トータルとして並の社会人なれると思う。
当然、音楽のクラスでは年齢もまちまち、国語のクラスでも年齢はまちまち、算数のクラスでも年齢はまちまちということになる。
理科はぴか一であるが社会は全く駄目な子、図画工作は人後に落ちないが数学はからっきし駄目な子、ロボット製作は得意だが音楽は駄目な子、という社会でもいいではないか。
そういう子があるとき、自分はこういうものを勉強したいと自らの意思で思ったときに、それに応える受け皿を作ることは21世紀の社会的な使命だと思うし、21世紀の教育のあり方だと思う。
卒業証書の価値も全否定されて意義を失うことになり、結果として本人の申告のみが本人の評価となる。
現状では、個人の能力や知的格差を無視して、とにかく上から指示されたカリキュラムを消化することに専念させられているから、それに適応できない子はどこかに歪みが生じる。
100年前ならば通用したことを、21世紀になった今でもそのまま通用すると考える方が間違っていると思う。
100年前ならばコンピューターなどというものがこの世になかったが、今ではほとんどの家庭にあるわけで、だとしたら教育も当然その状況にあったものを考えなければならないではないか。
100年も前と同じことをしていて良いわけがないではないか。
よって、公立の学校というものは根本的にその理念、その概念から考え直す時期に来ていると思うし、官立、なんでも官だから、公立だからといって有り難がる時代ではないと思う。
ということは学歴というものの全否定ということになる。
学歴というのは時代の欲求によって価値が移動するにもかかわらず、それを有り難がる世代が今も生きているから困る。
ここで「貧しい家の子の教育はどうするのだ」ということになると思うが、100年前も貧しい家の子というのはいたわけで、その中で立派な人はそこから這い上がり、そうでない人は自然に淘汰されたわけで、それを全部救い上げなければならない、という考えは人間の驕りだと思う。
如何なる世の中であろうとも、人は、世間あるいは社会に順応して生きるわけで、それを可愛そうだからといって慈悲で以って救い上げよう、という考えは他人への思いやりに欠けた独りよがりの偽善に他ならない。
善意、自分が良いと思っていることは、相手も感謝してそれを受け入れるであろう、という思い込みであり、奇麗事の独善であり、善意の押し売りに過ぎない。
鉄棒の嫌いな子に無理に鉄棒をさせるようなもので、如何に貧しくとも、そこから這い上がろうという気を本人が持てば、本人の努力でそれは克服される。
そうしないからといって、無理にさせることは本人にとって見れば迷惑なことかもしれない。
学校だけが教育の場ではないし、この世の中には勉強の嫌いな子も掃いて捨てるほどいるわけだから、そういう子に無理に義務教育だからといってカリキュラムを押し付けるのも人権侵害にあたると思う。
教育は良い事だから嫌がる子にも無理強いして構わないというのは独善に過ぎない。
それを求めてくる子には広く門戸を開き、チャンスを与え、受け皿を用意することは極めて重要であるが、何でもかんでも無理強いすればいいというものではない。

次の設問には「公教育の現場に競争原理を導入することにどう思いますか?」と問うているが、設問の前提に公教育がこのまま継続するという設定で問われている。
この設問の前提は、おそらく小中学校の学校教育についてのことだろうと考えるが、私自身の考えは、もう小中学校の公教育というのは必要ないと思う。
今の小中学校の公教育というのは、ある意味で子守りの場としての機能も併せ持っていると思う。
つまり、夫婦共稼ぎの家庭の子守りの場として、なおかつ給食というのは家庭の食育の問題であって、福祉的な機能までも併せ持っているが、教育と家庭教育の場としての子守りや食育までを学校が負担しているから問題が複雑化しているのである。
家庭の子守りの場の延長、あるいは食育の問題と、学力、成績、地域の連帯、教育内容まで、何もかも一緒くたにしたちゃんこ鍋のような状況から、学力のことだけを引っ張りだして論じても意味がないと思う。
そういう状況を勘案すれば、学力だけを考えて済む裕福な家庭では、教育だけに専念している私学に子弟を入れたいと思うのは当然の成り行きであろう。
だとすれば従来の公立の小中学校は徹底的に福祉に擦り寄り、教育を放棄して、子守りの場、あるいは食育の場、地域の交流の場に徹するべきだと思う。
そこではミニマムの教育をして、ミニマムの学力を維持してもらい、能力のある子は私学でどんどん自己啓発をし、能力を発揮してもらうという教育の住み分けが必要になるのではなかろうか。
少なくとも100年前の教育の概念のままで今の教育を語ることは厳に戒めなければならないと思う。
「公教育の現場に競争原理を導入する」ということ自体あってはならないことではないか。
教育の場に競争があるということ自体が、既に点取り競争の存在を示しているわけで、教育の効果を点数で評価しようとするからこういう点取り競争になる。
教育を評価すること自体が、既に教育を冒涜していると思う。
教育の効果は、それを受けた人が如何に公に尽くしたか、貢献したか、世のため人のために役立つ行為をしたかで測らねばならないものと考える。
何々中学は丸々高校に何人入学させて、丸々高校は云々大学に何人入学させた、ということを教育の効果だと思っているからこういう陳腐な議論が出てくるのである。
これでは教育の関する100年前の思考ではないか。
これを極めて深刻な問題として議論しているのも、押しも押されもせぬ大人であって、若い世代はもうこういう古びた思考にはそろそろ愛想をつかせているのではなかろうか。
しかし、残念ながら若い世代も、年取ると今までの大人と同じで、発想の転換に恐れをなして、旧来の安易な思考から抜き出る勇気を失ってしまう。
よって百年河清を待っても一向に世は清くならない。

蛇足 
本日、朝日新聞の報ずるところによると、公立の大学でAO入試を見直す機運が高まったと報じられている。
つまり、AO入試とは面接で得意な技能を持った人を入学させるという制度であったが、それによって入学した人の能力が劣っているから、というのがその理由らしい。
ここでも大学当局が入学する者のその時点の成績を評価しているわけで、卒業するときに本人が如何に学問を習得したかということには関心が向いていない。
いうまでも無いことだが、アメリカの大学は入るのは安易だが出るのが難しいといわれている。
日本とはその点が逆になっている。
日本では一旦入ってしまえば、出るのは比較的安易で、お情けで卒業ということもままあるらしい。
これは明らかに教育というものの堕落だと思う。
高等教育の名に値しないことで大学の幼稚園化だ。
一旦篩をくぐったならば、後は努力しなくても何とか卒業できるということは、その学校の評価を落としていると思うが誰もそのことを意識していない。
「あの大学を卒業して、こんなことも知らないのか」ということになれば、それは大学の評価を下げたことになるが、我々の場合それは個人の責任に帰されて、大学の名誉にはなんらかかわりのないことになっている。
日本の社会では、「こんな馬鹿な卒業生を出す大学は一体何をしているのだ」という風にはならない。
というのは、我々の場合、つい数十年前まで、大学の数も少なく、その少ない大学を出た人はそれなりに立派な人間として認められていたので、頭から大学というものを信用していたからだと思う。
だから例え少々常識はずれでも、たまたまその人だけのことであって、全体としては立派な人の集団だと思われているということであろう。

「国を超えた日本人」

2008-02-14 07:51:40 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「国を超えた日本人」という本を読んだ。
国際的に活躍した人を8人選んで、その人たちの評伝を集めたものであった。
この中の登場人物で私が一番心惹かれたのはいうまでもなく岡田嘉子である。
彼女が何故、どういう風にしてソ連に渡ったのか今まで不思議でならなかった。
しかし、彼女の場合、本人は思想的に大して共産主義に共鳴していたわけでもなさそうだ。
ただただふしだらな生き様から結果的にああいう成り行きを招いただけのようで、共産主義の何たるかも本人はきっと分かっていなかったのではないかと思う。
とはいうものの、頭脳は聡明だったにもかかわらず、その生き様というのは善良な市民として決して褒められえるようなものではない。
実に自堕落であったようだ。
犬畜生にも等しく何度も男を変え、何度も結婚しているようだが、こう何度も結婚しているとすれば、ある意味で公衆便所にも等しいわけで、そのことを本人はいかように考えていたのであろう。
彼女の場合、スキャンダルを自分の肥やしにして、スキャンダルを起こすことによって、自分の付加価値を高めているという風にも見える。
普通一般の公序良俗には真っ向から反するわけで、それでもスキャンダルによってそのたびごとに自分の値打ちを高めていったように見える。
演劇、映画というのはメデイアの一翼を担っているが、演劇批評、映画批評というものが大衆に読まれるということは、新聞、雑誌がそれを媒介しているのであって、岡田嘉子はそれを上手に使ったということであろう。
演劇でも、映画でも、いったんスターとして認知されると、スキャンダルというのはその人にとってマイナスに作用するものであるが、彼女の場合そのマイナスをプラスに転化する才能があったということなのであろう。
ぶっちゃけて言えば、彼女の生き様というのはじゃじゃ馬のようなもので、我々のようは普通の小心者では測りきれない天衣無縫の思考であったに違いない。
目の前の欲しい物は如何なる手段を講じても手に入れなければ気が済まないたちで、それを自分の心に正直に行動に移せば、当然世の中の従来の規範とはずれるわけで、それがスキャンダルとなるわけである。
普通の人間ならば、一度結婚すれば出来うる限りその相手と添い遂げようと努力するのが常識だと思う。
どうしても相手が我慢ならないということも当然ありうるわけで、その場合には致し方なく離婚ということもあるであろうが、生涯添い遂げるにしても、離婚に踏み切るにしても、人々は十分に熟考し、反省し、耐え、我慢し、それでも我慢ならない時に初めて最悪の決断を下すわけで、犬やネコでもあるまいに、発情するたびに相手が変わるような人間を、私としては信じきれない。
演劇でも、映画でも、スターといわれる人たちは不特定多数の大勢の人に見られるという意味でその影響力は絶大なものがあると思う。
だとすれば、そういう人が普通の人の見本としての行動パターンを取れば、大勢の大衆がそれを真似するに違いない。
それを権力側が見抜いて、国策的なものを盛んにやらせた時代もあったが、戦後はあからさまな国策高揚の意図の下の作品というのはなくなった。
時代によって作品の狙うベクトルが逆向きになって、戦後は国家権力に対抗する姿、政府を批判する作品、公序良俗を混乱させるような作品が幅を利かせるようになった。
岡田嘉子の樺太での疾走は昭和12年1937年のことで、それから10年近くはソ連のラーゲリにいたのであろう、その後モスクワ放送で日本向けのアナウンサーになったわけだ。
名実共に自分自身の魂をソ連に売ったわけだ。
それでも1972年昭和47年に35年ぶりに一度帰国し、その後13年間も日本で活躍していたというのだから驚く。
我々、日本民族というのは恨みという感情を持っていないのだろうか。
また、こういうスキャンダラスな女優をメデイアが追い掛け回すというのは一体どういうことなのであろう。これを掘り下げるとまたまたメデイア論になってしまうが、メデイアというのは普通の人が普通に生活していても面白くもおかしくないわけで、女優、あるいは著名人のスキャンダルこそ、報道に値する価値を持っている。
その意味で、このふしだらな女優はメデイアにとっては汲んでも汲んでも尽きることのない命の泉なのであろう。
この本の最後に登場している中江丑吉と鈴江信一というのは、いわゆる大陸ゴロといわれる類の者であったに違いない。
この本の著者は、こういう人にも最大限の敬意を表しているが、私にしてみれば大陸ゴロの一言に尽きる。中国の要人の庇護を受けながら、中国のことを研究するという点ではいかにも学者に見えるが、実質大陸ゴロであって、人前では大きな駄法螺を吹きまわって、明日にでも桃源郷が実現するかのように大言壮語で人に目くらましをするようなものであろう。
こういう人は中国人を食い物にしていたわけで、先の「戦争と罪責」に登場した旧軍人たちは、それこそ中国人を自ら殺し、そのことによって贖罪の意識にさいなまれているが、こういう大陸ゴロは、そういう汚い仕事に手をかけていないだけ、良心の呵責に耐えることもなく、その分極めて無責任な態度だと思う。
明確に書かれているわけではないが、ゾルゲ事件の尾崎秀美にも少なからず関係していたようでもあり、だとすると、彼らがこの世に生きた存在理由というのは一体何であろう。
先の中国人をあやめた軍人たちは少なくとも国家のため、祖国のためという思いがあったに違いなかろうが、それに反し、彼らは自分の祖国に弓を引いているわけで、これをどう考えたらいいのであろう。
我々には「水に落ちた犬を叩く」という比喩があるが、同時に「判官贔屓」という言い方もある。
岡田嘉子のスキャンダルは本人にとって見れば「水に落ちた犬」の状態であって、それを真に受けて世間が冷淡に扱うのは「叩く」ということになるが、そういう彼女を見て「彼女にも言い分があるであろう」と、このままでは彼女が可愛そうだから何とか手を貸そうというのが「判官贔屓」である。
判官贔屓というのは弱いものの立場を代弁するものであり、少数意見をフォローする方向に作用しがちである。
弱いものの味方をするというポーズの中に偽善があるわけで、それは必然的に反体制側、つまり「水に落ちた犬」の側をフォローするということになってしまう。
如何なる国でも、如何なる民族でも、国家なり民族の大義というものがあると思う。
その国家なり民族に属する普通の市民、国民、大衆というのは、普通であればあるほどその大義には殉じようとし、貢献しようとし、それを義務だと思っている筈だ。
その大義を疑って、中からそれを問い直そうなどとは思っても見ないわけで、だから結果として国策の誤りというのが往々に露呈する。
国策の誤りというものを内部から告発しようとすれば、それは異端として、必然的に少数意見になり、我々の場合この部分で、判官贔屓が作用するわけで、数が少なく弱い立場のものの意見は正しいに違いない、という欺瞞にまぶされてしまうことになる。
少数意見が正しいかどうかも本当は神様だけが知ることだが、判官贔屓でこうした少数意見に身を寄せることによって脚光を浴びることになる。
脚光は浴びるが世間がそれを容認するかどうか分からないわけで、日本の言論界というのはこういう状態の時おおはしゃぎするわけで、はしゃぐことによって自分たちの存在価値をアピールしている。
しかし、世の中の流れというのは、こういう脚光など一度も浴びることのない日々の真面目な生活で維持されているものと考える。

「戦争と罪責」

2008-02-13 07:42:28 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「戦争と罪責」という本を読んだ。
非常に内容の濃い、重い主題のもので、久しぶりに知の冒険をしたという感じの本であった。
内容に共鳴するという意味ではなくて、いろいろと考えさせられて、脳みそが躍動するというか、沸き立つというか、興奮状態になるという意味で、意義深い内容のものであった。
本旨は、日中戦争で日本軍の将兵が中国大陸で如何に悪行を重ねたかという贖罪の告白であるが、そのひとつひとつの行為が実にすさまじい内容で、読むに耐えないものが多い。
にもかかわらず、中華人民共和国はそういう鬼畜、鬼子、罪人に等しい元の日本の将兵を、戦後は人として丁重に扱い、日本に返してくれたことへの感謝の気持ちと、それを実行した元の日本の将兵の贖罪の気持ちが述べられていた。
ここに述べられている、元日本兵のした行為も嘘偽りではなかろう、事実彼らはそういうことを中国の地で行ってきたことに間違いはないであろう。
当事者は今になって、自分はあの地で実に悪いことをした、罪もない人間をこの手であやめてしまった、と贖罪の気持ちにあふれているが、これが先方の戦略・政略であったとしたらどうであろう。
無抵抗の人間をあやめる、殺す、ということは普通の人間では正常な気持ちで出来るものではない。
異常心理に陥らなければ決して出来るものではない。
そういう意味で、戦場というのは正常な人間の正常な精神をも異常心理に陥れるということは確かに存在すると思う。
そして、こういうこと、つまり一方的な殺戮ということは、人類の歴史の中で連綿と継続されてきたことで、それが現在においては「悪の所業だ」という認識になったのは、人間が心の良心とか、哀れみという感情を持つようになり、それによって物事を考えるようになったからだと思う。
殺す立場、殺される立場というのは、人類の誕生のときから存在した二局対立の構図に違いない。
自然界の中でも、食われる立場、食う立場というのは哺乳類誕生のときから存在していたわけで、この地球上に生きる、生きとし生きるものには付いて回る運命ではないかと思う。
アメリカ新大陸におけるアメリカ・インデアンの衰退、アメリカ大陸の黒人奴隷の存在、イギリスのインド支配の様子、古くはキリスト教徒の十字軍の遠征、チンギスカーンのヨーロッパ席巻等々枚挙にいとまないわけで、それらはすべて日中戦争の手本であった。
それが現代の人権思想から見ると、極めて野蛮な行為として今糾弾されているわけである。
地球上のかぎられた陸地の上で、異なる人種がそれぞれに自己の生存を維持しようとすれば、それぞれの接点では好むと好まざると軋轢は自然発生的に生じるのも不思議ではない。
極端な話、境界を越えた越えないというトラブルは日常的にあると思う。
そして、その行為も恣意的にトラブルを起こして、そのトラブルを利用して一気に自分たちの権益を推し進めようという統治者の意志が働くこともありうるわけで、それを今日的な権利意識というか、人権意識というか、平和志向で以って悪と決め付けるわけにはいかないと思う。
善と悪というのは第3者的な傍観者として、奇麗事で物を処しようと願う無責任な思考でしかない。
人間の生き様、例えば人が如何に生きるか、民族として如何に子孫を残すか、仲間に如何に平和的な生活をさせるか、同胞を如何に豊かにするか、という課題を善悪、正邪、良し悪しという価値基準では計れないと思う。
ただそういう課題に答えるには、如何なる手法がベターかという政策論議、政略の是非、手法の採択という問題は残るわけで、日本が日中戦争から太平洋戦争に至る過程というのは、それを誤ったわけである。
この本の著者も含めて、戦後の日本の知識人、インテリーといわれる人々は「戦争はいけない」「戦争反対」「武力での解決は罷りならぬ」という論調を展開して、自分は平和を愛好する良き人々だと自認しているが、これほど阿呆、馬鹿げた話もまたとないと思う。
この世で、戦争の好きな人間など果たして存在するであろうか。
我々は幼稚園のときから「喧嘩はいけませんよ」と教え込まれているではないか。
戦争がいけないことはこの地球上で息をしている人すべてが承知しているではないか。
いまさら知識人からもっともらしく説かれなくとも十分に分かっているが、それでもなおこの世から戦争が絶えないではないか。
戦争は一国では成り立たないわけで、必ず相手があるが、イラクでもアフガンの現状でも、アメリカの相手はテロ集団であり、掴み所がない。
戦争の当事者であるアメリカでさえ相手の掴み所が分からないわけで、それに対して傍観者である我々は、アメリカには「戦争を止めよ」と声高に抗議できるが、一方のテロ集団に対しては如何なる呼びかけも方法がなく、方法があったとしても聞く聞かないは相手次第で、無意味な殺し合いが継続するということになる。
それはさておき、この本の登場人物は、かって中国で極悪非道なことをしたと自ら告白し、懺悔をしているわけで、自分のした行為からすれば降伏後は相手から殺されても仕方がない、極刑に処されても仕方がない、と自覚していたにもかかわらず生かされ続けたので、その恩に報いるために今反戦平和活動に身をささげているという論調であった。
私に言わしめれば、常に時の風潮、その場の時流に見事に身を寄せて、その時代時代の最先端を疾走している図にしか見えない。
それは必ずしも満ち足りた生活をおくっているという意味ではないが、時流という川の流れの渦の中の笹船のように、常に渦に翻弄されつつ時流の表層を流れたということに行き着くと思う。
彼らが心ならずも中国人を自らの手で殺した、殺さざるを得なかった、というのは明らかに時代の風潮に押され、そうしなければ自らの生存が危ぶまれたわけで、それを責めるわけにはいかない。
だから同胞の多くは、そういうことは沈黙して多くを語るなと言うわけだが、それが戦後60年という時の流れを経ると、それを語ることが平和運動の最先端の行為と認知されるようになってきた。
「私は大戦中中国人に対してこんなに悪いことをしてきました、どうか許してください」と内外に大声で叫ぶことが時代の寵児と見做される雰囲気になってきたのである。
ここで戦争の反省ということを考えてみると、当時、こういう人たち、つまり旧軍人たちが中国の人々を卑下し、丸太と称して安易にあやめてきたことは率直に反省しなければならないが、それと同時に中国人のしたたかさも合わせて考え直す必要がある。
この本に登場した人たちは、自分自身、日本の敗戦という状況になれば自分は生かされていないだろう、ということ自ら自覚している。
にもかかわらず、中国人、いわゆる中華人民共和国は彼らを生かし続け、思想教育をほどこし、そして日本に送り届けている。
結果として、そういう彼らは、そのことごとくが自らの贖罪の気持ちから反戦平和運動に身を投じて、日本の政治に横からボデイー・ブローを打ち続けているではないか。
あからさまに中国の国益に奉仕しているわけではないが、彼らが草の根の運動として反戦平和を煽り続けるということは、中国にしてみれば対日政策に非常に大きな効果を及ぼしているということになる。
日中戦争の中で、暴虐の限りを尽くした日本人は生かし、それに協力した中国人はいとも安易に処刑しているわけで、このことは日本人はいくら中国人に暴虐の限りを尽くしてもなお利用価値があったわけで、それに比べそれに協力した中国人はただそれだけで宦官であり、売国奴であり、非国民であったわけで処刑止むなしという理屈だ。
そこには人権意識もなければ、同胞愛もないわけで、中国人が中国人を虫けらのように扱っても、彼らには自責の念もなく、悔悟の念もないわけで、利用する価値があるかないかがその人の運命の分かれ道になっている。
中国人の狡猾なところは、暴虐の限りを尽くした日本人に贖罪の意識を喚起させ、本人の内側から出た贖罪の意識を自分たちの、つまり中国の国益につなげているところである。
それに引き換え、ここに登場した日本人の所業というのは、言うことを聞かないからとか、思ったとおりに自白しなかったからとか、実験材料にとか、実に安易な思考で人を殺しているわけで、その思考の短絡さ、単純さ、ただただ権威を傘にして威張っている日本人の姿でしかない。
この違いにまさしく中国の歴史の重さを感じずにはおれない。
20世紀の前半において、中国は西洋列強に蚕食されていたにもかかわらず、それにもかかわらず、第二次世界大戦では連合軍側に身を置く蒋介石の狡猾さというものを我々は真に理解していなかった。
日中戦争の勃発も、日本側が最初に仕掛けたと戦後の教育では言われているが、毛沢東や周恩来の言うところによれば、中国共産党が国民党軍と日本軍を戦わせるために仕掛けたことだと言明しているわけで、我々はここでも戦争に引きずり込まれたわけである。
結果的に、毛沢東の思惑通り、中国共産党に漁夫の利をさらわれたではないか。
これらはいづれも中国人の政治的あるいは外交的な狡猾さを示すもので、それに比べれば我々同胞の外交手腕、政治的思考、戦略思想の貧弱さは目を覆うばかりではないか。
そもそも蒋介石が連合軍側、つまり自分たちの国土を蚕食している西洋列強に身を摺り寄せてまで、日本に対抗してきたという真意を測りかねたところに、我々の祖国が奈落の底に転がり落ちた原因があった。
そこに思いが至らなかったのは、我々の先輩諸氏の知の堕落があったからである。
この知の堕落の部分に、戦争の最前線では、我々の同邦が意味もなく中国人をあやめていたわけで、そのことの不合理に気が付かなかった我々先輩諸氏は、明らかに時の時流に敏感というよりも、時流というだけで深く考察することもなく、安易に便乗してしまったということだろうと思う。
その端緒は、私の考察に寄れば、対華21か条の要求であったろうと考える。
こともあろうに早稲田大学の大隈重信の政権のときに、日本政府として中国に対してこれほど侮辱的な条約を指し示せば、相手が怒るのも当然のことで、そのことに思いが至らなかったことは、われわれの軽佻浮薄といわれても返す言葉がないのもむべなるかなである。
日本という国家のトップから、中国という国を頭から舐めて掛かっていたわけで、そこには相手を尊重する、相手を慮る、相手の立場を思いやる、という人倫にも欠けるわけで、我々の奢りそのものではないか。
その姿は、戦後の高度経済成長期のバブルの時に、いくばくか儲けた中小企業のオッサンが、掃除のオバサンまで引き連れて海外旅行に出かけ、札びらを切っている図と同じで、下賎、成り上がり、成金根性そのものではないか。
国際社会が狐と狸の化かし合いとはいうものの、こうあからさまに相手を恫喝する交渉というのは、外交交渉にも値しないし、イジメそのもので、悪餓鬼の喧嘩レベルの話ではないか。
世界から白眼視されるのも致し方ない。
西洋列強と同じことをしたつもりでいるうちは、その非が自覚できないわけで、この時点でアジアの人々は日本の近代化を羨望の目で見ていたので、我々はそれに誠実に応えるべきであったが、そのことに気が付かず、目先の利益、短期的な利益のみを追い求めた結果である。
この点に、当時の日本の政治の舵取りをしていた人々の知性の貧しさが如実に表れている。
国のトップがこうであれば、下々のもの、当然、前線の兵士として中国に渡っていた我々の先輩諸氏がそれと同じ思考に陥っても致し方ない。
中国の地で悪行を重ねた人たちが、日本に送り返されて、日本で反戦活動、反政府活動、反戦平和運動に奔走するということは、その裏返しの現象で、我々はそれを頭から信用してはならないということである。
反戦、戦争反対ということは赤ん坊でも言える。
生きとし生ける人間として当然である。
誰が好き好んで「戦争をしたい」などと思っているものがいようか。
日本の知識人はそういう人間がこの世にいるという前提で、反戦平和、戦争反対を唱えているが、阿呆としか言いようがない。
それは大正4年1915年に中国に対華21か条を突きつけた愚と同じレベルの思考で、物事の本質を知らず、感情やその場の雰囲気、奇麗事の言辞に惑わされている愚に通じている。

法の遵守

2008-02-12 08:34:21 | Weblog
9日(土)は一日中陽が照らず、寒い日だったので、テレビを見て過ごしたが、どういうわけか我が家のテレビにBS11という番組が見れるようになった。
で、リモコンをいじって次から次へとチャンネルを変えていたら、そのチャンネルで3人の論者が討論している場面に出くわし、それを見ていた。
一人のジャーナリストと二人の大学教授がメデイア論を展開していた。
最初のうちはNHKの悪口を言っていたが、そのうちにジャーナリズムの本質論に入ってきたとき、「ジャーナリストは法を犯しても知る権利を優先させるべきだ」という点で3人の意見が集約されたが、これは私には納得のいくものではない。
法を犯してまでも真実に迫るということと、知る権利、国民に知らせる権利というのは別の次元の問題だと思う。
知る権利というのは、メデイアに関わりあうものだけの、自分たちの生存権のようなものであろうが、知らされる側にとっては権利でもなんでもないはずだ。
それとメデイアに関わっている人たちというのは、権力というものを敵対視しているようであるが、これもおかしなことだと思う。
まず最初の、法を犯しても真実に迫るというのは、ジャーナリズムのあり方として一見、立派な行為に見えるが、法治国家の国民ならばなんびとも法を遵守するということが大前提だと思う。
当然、ジャーナリズムといえども一市民、一国民として法の遵守をなにものにも優先すべきで、法の枠内の取材でなければならないはずである。
「それではスクープが取れない」というのは、メデイアの側の知恵不足なわけで、法を犯してまでスクープをものにしようという発想そのものが下賎であって、法治国の国民足りえていない。
ならば法を犯してまで金儲けに専念する人を咎められないし、売らんがために賞味期限をごまかしても構わない、という論理に行き着いてしまうではないか。
いかなる正業の人でも、法の枠内で知恵を働かせて金儲けをしているわけだし、食品業界は法の定めに従って商いをしているわけで、ジャーナリストというだけで法を犯してもいい、という発想はあまりにも我田引水で、手前勝手な言い分ではないか。
これを大学教授という立場の人間が容認しているわけで、これでは日本が良くなるわけがないではないか。
「法を犯しても」という論理の展開は、毎日新聞の西山記者が、沖縄返還にまつわる秘密文書の存在をスクープしたことに関連する話題の中で出てきた言葉で、話の論点はそういう気概を持った記者がいなくなったという形で語られていた。
ここで国民の知る権利が浮上してくるが、主権国家同士の外交交渉の場では、双方の国民に知られて不味い内容というものがあるのが当然であって、それを白日の下に晒すということは、双方の国益に絡んでくるわけである。
主権国家同士の外交取り決め、外交交渉、条約の締結にはそういう暗部も付いて回るものだと思う。
何でもかんでも白日の下に晒して、「嘘偽りはありませんよ」というのも確かに明朗会計ではあろうが、そうでないケースも外交というものには付いて回るのが普通ではないかと思う。
世の中は善人ばかりの世界ではなく、悪意に満ちた人々、手前勝手な人々、下賎な人々をすべて内蔵しているわけであって、自分さえ清廉潔白であれば相手もそれに応じてくれるというのは自己撞着そのものだ。
国際関係、外交交渉、条約の取り交わしというのは、所詮、狐と狸に騙しあいなわけで、手持ちのカードを全部見せ合うというのは外交のテクニックとしては児戯に等しいわけで、だからこそ「日本人は12歳の子供だ」と言われるのである。
それを暴露して鬼の首でも取ったように有頂天になる日本のメデイア、西山記者に声援を送るメデイア関係者は、まさしく12歳の子供の思考というわけだ。
我々は近代国家の国民として、法の枠の中で生かされているわけで、国民の一人一人が自ら率先して法を遵守していれば、もっともっと住みやすい世の中になるはずであるが、自ら法を遵守する気のない人が多いから、権力がそれを抑制せざるを得ない仕儀に至っている。
少々、法を犯しても金儲けを優先させよう、利益を優先させるために少々法を犯しても構わない、法を犯してもスクープを取れという連中が多いから、そうあってはならないという力が作用するわけで、結局は国民が自ら上向いて唾を吐いたようなもので、その結果がわが身に降りかかってくるのである。
上を向いて吐いた唾が、唾を吐かない赤の他人、まじめに暮らしている他人の上に降りかかってくるから国家としては権力で以って唾をはいた人を取り締まらなければならないわけで、ジャーナリストとしてはこの部分の峻別をせずに、取り締まる側のみを糾弾するわけである。
メデイアの使命は、国民の一人一人に「法は細大漏らさず遵守しましょう、決して法律違反をしないようにしましょう」と喧伝すべきであって、「法が守れないのは法の方が悪い」などという屁理屈を展開することではないと考える。
法律というのも人間が作るわけで、完璧ではなく様々な欠陥を秘めていることも事実であろうが、そういう守れないような法ならば、一刻も早く法改正をすべきだ、とそういう風に国民をリードすべきだと考える。
又、法というのも時代の推移で変化しなければならないはずのもので、それを啓発することがジャーナリストとしての使命のはずだ。
普通の生活者として一番身近な法律は道路交通法であろうが、その法律によると自転車は車道を走ることになっている。
ところが今ではこんな矛盾もないわけで、50年前60年前の法律がそのまま生きているからこういうことになり、それと同時に運転中の携帯電話の使用は御法度になっているか、これも50年前60年前には考えられないことで、事ほど左様に法律というのは時代状況に合わせて変化して当然である。
又、法と個人の関係においても、持ち場立場で法律とのかかわりは大きく違うわけで、車を運転する側からすれば、自転車は歩道を走ってもらいたいし、携帯電話の使用も容認してもらいたいところであるが、もう一方の立場に立てば現行法を厳粛に守ってもらいたいということになる。
ひとつの法律について利害が全く相反するわけで、その法によって不利益をこうむる人もたくさん出て来る。
法によって不利益をこうむるから、法を犯してまでも自己を優先させようとする不貞の輩が出てくるのであるわけで、ここでジャーナリストの場合、「法を犯してでもスクープを取る」ということは、「法律違反しても自己の知る権利を優先させよ」といっているわけで、こんな馬鹿なことを言うマスコミ、メデイア、評論家、大学教授がいていいものだろうか。

9日 朝日新聞  社説

2008-02-09 11:17:05 | Weblog
9日の朝日新聞社説では「君が代判決、都教委は目を覚ませ」という論旨を展開していた。
まさしく朝日新聞の本質そのものを露呈している。
その内容は、卒業式の君が代斉唱のとき起立しなかった先生に対する都教委の処分は間違っているから、「都はこの先生に金を払え」という判決を、朝日新聞としては支持するというものである。
問題は、その判決そのものよりも、学校の先生が自分の国の国歌斉唱、君が代斉唱のときに起立しないという、非日本人的な態度に寛容を示す裁判所の判決と、それを支持する朝日新聞の論調である。
国歌斉唱というのは何も卒業式や入学式という学校行事のみのではないはずで、スポーツの世界でも国際試合ならば当然、両国の国歌斉唱の後に執り行われているではないか。
これが国際社会の普遍的なルールというよりも慣習というか、常識になっているわけで、オリンピックでも勝者をたたえてその国の国歌が高らかと歌われる。
オリンピックで、アメリカの黒人がアメリカの国歌斉唱に対して握りこぶしを上げて反意を示したこともあるが、あれはあれで個人の意思を高らかに世界に表明したわけだが、それは同時にアメリカという自分の祖国に抵抗したということで英雄的な行為だと思う。
その後、その黒人選手が自分の祖国アメリカでいかなる処遇を受けたかはメデイアは報じない。
反旗の象徴としての握りこぶしだけが我々の瞼に焼きついている。
しかし、普通の主権国家の普通の市民、国民ならば自分の祖国の国歌にはごく自然に敬意を表すしぐさ、あるいは対応というものがあると思う。
君が代というものが国歌として憲法に規定されているとかいないとかという問題を超越して、我々は生れ落ちたときから君が代が我々の国の国歌だと思って成長し、大人になってきたのであって、国際的にもそれで通用しているわけで、それを敬わない人を我が同胞として受け入れがたいと思うのも私一人ではないと思う。
そもそも国歌斉唱のとき都教委から言われなければ起立できない、敬えないという先生方に問題がある。
幼稚園児でもあるまいに、大の大人、しかも子供の教育に携わる人に対して、組織の上から「国歌斉唱の時には起立しなさい」と言われなければ出来ない大人の存在そのものが不可解である。
卒業式に限らずこの世の大方の式典、セレモニーでは進行担当のものがおそらく式次第の概略を説明し、その最初が国歌斉唱で、その後式典が引き続き行われていくと思う。
そのときに進行係はおそらく「国歌斉唱の際には起立をお願いします」というにちがいない。
セレモニーの進行係がこういわなければ、起立できない我々、大衆、民衆というのは本当は実に嘆かわしい存在である。
何の指示がなくても、国歌の演奏が始まれば自然にそれを聞いた人が立つのが主権国家の市民、国民としてごく普通の存在だと思う。
我々は60数年前、君が代と日の丸の旗の下で戦争を遂行して、結果として大敗を帰したわけで、それがトラウマとなって君が代と日の丸に対して嫌悪感を抱いている人が多いが、戦争の大敗と、国歌国旗の問題とは明らかに次元の違う話で、主権国家が戦争をするというときは、いかなる国でも自分の祖国の国歌と国旗の下で戦争を遂行するのは当然のことである。
朝日新聞の論調には、「処分をしてまで国歌や国旗を強制するのは行き過ぎだ」と主張してきたとなっているが、国歌斉唱のときに起立を強制しなければならないほどの人心の乱れ、祖国を貶める思考、国歌や国旗を蔑ろにする思考にどう対応したらいいのであろう。
こう問題提起をすると、当然「それは個人の自由意志だ」と反論するのが目に見えるが、個人の自由意志が認められるならば、組織にも、この場合は学校サイドや都教委の側としても、個人の自由意志、個人のわがままに対応する処置があって当然だと思う。
交通モラルが劣悪だから交通規制が厳しくなるのと同じで、卵が先か鶏が咲きかの問題に帰結する。
個々の人間が自由意志を貫く、言い方を変えればわがままを通せば、相手はそれの対抗策を講じるのも当然であって、個人の自由意志は尊重しなければならないが、それに対する対抗策は抑圧だ、非民主的だ、整合性がない、という論理は成り立たないはずではないか。
個人的に君が代、あるいは日の丸が気にらなくても、皆と歩調をあせておればなんのトラブルもないわけだが、トラブルを起こせばそれなりのしっぺ返しも当然である。
君が代斉唱のときに起立すること、2分か3分立つことがそれほど過大は行為、困難なこと、自分の心に自問自答しなければならないほど難しい問題なのであろうか。
行為そのものとしては他愛無いことにもかかわらず、それを頑なに拒むということは、明らかに精神の問題、思想信条の問題なわけで、その本音の部分には現行の日本の社会秩序、規範、社会通念の破壊ということが隠されているわけで、日本を亡国の道に導きたいという意図のもとに行われていると思う。
ならば付和雷同的に何でも皆に同調すればいいのかというと、トラブル回避についてはそうであるが、すべてについてそうするかどうかは個人の思慮分別だと思う。
少なくとも、あるセレモニーの進行の中で、司会進行が「起立願います」と言うことに対して、それを無視するという態度は、その場、公の場における秩序の破壊という現実を伴うことだけは確かである。
その上、それが青少年を育成する教育の現場で、先生があからさまに人の言うこと、司会進行、指揮者の言うことを無視し、秩序の破壊、ルール違反を実践していいかどうかは、教育者として自責の念に駆られて当然である。
問題は、そういう秩序の破壊、司会進行に従わない、公の場においても個人のわがままを優先させる、こういう態度を朝日新聞も裁判所もよしとする志向である。
個人のわがままが社会通念の域をはみ出るようなことになれば、当然周りからそれに対抗する措置、個人のわがままを押さえ込む対抗策が考え出され、それが個人対組織という図式になると、大方の世人は判官贔屓になりやすく、個人が可愛そうだからといって個人の味方をする。
これが積み重なって個人のわがままが大手を振って通るようになり、その延長線上にモラルの崩壊、社会秩序の崩壊、伝統、あるいは規範の崩壊ということにつながるのである。

「黄沙の楽土」

2008-02-05 08:27:38 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「黄沙の楽土」という本を読んだ。
佐高信が石原莞爾を綴ったものであるが、この本の著者・佐高信はマス・メデイアにもよく登場するので全く未知の人間ではない。
この本の奥付けによると、彼は1945年生まれで、私よりも若い世代で、100%全共闘世代である。
その彼の石原莞爾の評価というのは私と大差ないが、問題はその切り口である。
石原莞爾にまつわる著作はたくさんあるに違いなかろうが、その大部分は彼と同世代のものが書いた作品ではないかと思う。
良きにつけ悪しきにつけ、戦争体験を経た者の作品だろうと推察する。
石原莞爾についてはいまさら言うまでもないが、彼に対する所感は世代によってそれぞれ微妙に違って当然だ。
その違いが、私の視点から見る石原莞爾の評価と、佐高信の目に映った彼に対する所感の相違ではないかと思う。
その違和感というのは、彼個人のものではなくて、彼の世代全体のものではないかと思う。
私自身も教育は戦後の教育であったが、戦後間もないということもあって、民主教育というものが根を張る前のもので、民主教育としては中途半端なものであり、かといって戦前・戦中の軍国主義的なものとも異なっていた。
ある意味で、戦後の混乱の中での空白の時期であったのかもしれない。
我々よりも少し前の世代だと、小学校においても先生から鉄腕制裁を受けたということが聞かれるが、私の場合、女の先生であったこともありそういうことはなかった。
私よりも少し後の世代となると、この著者のように完全に全共闘世代になるが、この世代には完全に民主教育になっていたわけで、戦前・戦中のものは有無をいわせず「悪だ」という認識であったに違いない。
日教組の主導する完全な平等が金科玉条であったわけで、共産主義が教える側に完全に浸透して、それこそ科学的社会主義によって、そういう色眼鏡であらゆるものがふるいにかけられた時期である。
成績の優劣も平等に反する、徒競争の1等2等も差別だ、先生が上から教えることは罷りならぬ、教壇は権威の象徴だ、先生は労働者だ、生徒の自主性を尊重する、という具合であったろうと推測する。
中でも憂慮すべきことは、主義主張の自由で、それ自体は悪いことではないが、主義主張の自由を詠うならば、当然旧の主義主張も容認してしかるべきである。
自分の都合によって、自分に有利だと思う考え方は大いに受け入れるが、自分と相容れない考え方は反動だとか、旧主的だとか、右傾化だとか、懐古的だとか決め付けて糾弾してはならないはずだ。
戦前には、治安維持法によって左翼的なものが抑圧されたことは周知の事実であるが、自分の考え方と相反するものを糾弾するというのは、それの裏返しに過ぎないわけで、やっていることは同じにもかかわらず、立場が逆転しているだけのことだ。
それと合わせて人権主義の具現であるが、社会を構成している人、民衆、大衆、言葉は何であれ、人間が社会を構成する上でその構成員がみな平等ということはありえない話である。
普通に教育を受けた人間に何故このことがわからないのであろう。
人間の織り成す社会というのは、「篭に乗る人、担ぐ人、その又わらじを作る人」と、持ち場立場で分をわきまえて生きているわけで、それを全否定して社会が成り立つわけがないではないか。
これは差別ではなくて、社会の役割り分担を示しているわけで、戦後の我々ばかりではなく、生きとし生ける者はすべて「篭に乗る」立場に憧れを抱いて、学歴という狭き門に殺到するわけである。
問題は、この篭に乗る立場になった人、あるいはその立場を獲得した人が、モラルに欠けていると公に殉ずる前に私利私欲に走るわけで、そういう人が面前にいるとすると若者の正義感がそれを許せない、として義憤に感じることは青年の純真さとしては当然のことである。
悪人、モラルを欠いた人間、下品な人、下劣な人、威張りたがり屋、傲慢な人というのは人間の集団には必ずいるわけで、「篭に乗る人、担ぐ人、その又わらじを作る人」というあらゆる階層の中に満遍なく分布していると思う。
そういう状況の中で、社会的にトップの階層にいるモラルを欠いた人というのは、メデイアの格好の餌として四方八方から糾弾されるが、メデイアの糾弾も的を得たものならば許されるが、このメデイア自身も金に汚染されて、「儲かれば何でも構わない」というわけで、自らモラルを欠くこともあるので、そこにも注意をする必要がある。
戦前の軍国主義も、メデイアや学校という媒体を通して国民の各層に浸透したが、戦後の民主化というのもそれと同じで、左翼がかったメデイアと共産主義者に占領された学校という教育媒体によって民主主義という言葉で秩序の破壊、あるいは価値観の転覆が浸透したわけである。
その影響をモロに全身で受容したのが全共闘世代というわけで、彼らがちょうど大学生活をおくる時期にそれが当たって、世の中が大混乱したわけである。
「篭に乗る人、担ぐ人、その又わらじを作る人」と、社会の持ち場立場を全否定して、皆平等だと言い切ってしまえば、社会秩序は破壊され、価値観がひっくり返るわけで、急進的な左翼の人々はそれを由としたわけである。
そういう類の人々の中に、進歩的と称する大学の教授やメデイアの首脳や評論家や学生がいたわけで、そういう人たちが盛んに左翼的な言動をはいて革命の実現を煽ったわけである。
ところが、生活者というのは革命などという夢を食う獏ではありえないわけで、背に腹は変えられず、食わんがために一途に自分の目の前の現実に対処しなければならなかったので、そういう絵空事には見向きもしなかったから今日の繁栄があったわけである。
で、全共闘世代の者が夢からさめてみると、自分の身の置き所がなくなっていたので、それ以降は大衆の中に埋没して、デモや、赤旗や、棒切れを振り回したことなど綺麗さっぱり忘却のかなたにおいて、民衆、大衆、一般市民の中に身を潜めているのである。
しかし、彼らのものの考え方の奥底には、伏流水のようのあの当時の思考が残っているわけで、それが民主的だとか、人権とか、弱者救済という綺麗な言葉で吹き出てくるのである。
言葉の綺麗さに人は見事に引っかかるわけで、綺麗な言葉にはいとも安易に同調する。
例えば、喫煙に対して「タバコは体に悪いから止めよ」というスローガンは非の打ち所のない奇麗事である。そういう風潮が蔓延すると、ネコも杓子も「禁煙、禁煙」と大合唱であるが、その有様は戦前・戦中の軍国主義の鼓舞吹聴と寸ぷんと変わらないではないか。
タバコを吸う人の気持ちなどいささかも気にかけず、雪崩を打って禁煙運動にまい進しているではないか。人権、人権といいながら、他者の気持ち、あるいは少数者の気持ち、あるいは組しない者の気持ちを推察し、慮る気持ち、斟酌する気持ち、そういう思いやりというものが微塵も存在せず、ただただ自分さえタバコの害を受けなければそれでよしとする思考は一体どういうことなのであろう。
「本人のため」と言いながら町から吸殻入れを一斉に撤去してしまって、「吸殻を捨てるのはケシカラン」という言い分には人権意識が微塵も加味されていないではないか。
これこそ戦中、「英語を使うものは敵のスパイだ」といって同胞をいじめた構図と全く同じではないか。
全共闘世代の者が、60年代の混迷の時代に国民大衆の共感を呼び込めなかったのは、彼らの主張がそういう若者の独善であったからで、そういう若者の独善の中に共産主義の毒素がちりばめられていたわけである。昔、1936年、昭和11年、2・26事件というのが起きた。
陸軍の青年将校が自分の部下の兵隊を引き連れてクーデターを起こした事件であるが、全共闘世代が安保闘争や学園紛争に明け暮れた30年ぐらい前のことである。
このときに決起した青年将校というのは、丁度、全共闘世代の若者と同じ年頃で、なおかつ「世の中を良くする為には時の為政者を征伐しなければならない」という考え方までまさに酷似している。
この事件と全共闘世代の騒乱事件のどこが違うかというと、武器の有無である。
青年将校たちはきちんとしたシステムの中で、組織立った指揮命令系統を維持しながら、その上に武器を所有していた。だから犠牲者も出た。
ところが全共闘の学生たちは、全体としては組織化されておらず、いわゆる烏合の衆の寄せ集めで、石ころや棒切れで抵抗したが、そもそもそこが既に児戯に等しいわけで、それに気が付かなかった大学生となると阿呆、馬鹿としか言いようがない。
武器もなしに革命をしようなどと考えるのは、学生、高等教育を受けたものとして阿呆、馬鹿としか言いようがないではないか。
しかし、彼らの思いというのはまさしく2・26事件の青年将校の思いと完全に一致している。
戦前の我々先輩諸氏が2.26事件が起きたとき、その対応、処置、反省を誤ったので、我が民族は奈落の底に落ちたと考えられるが、戦後は全共闘の騒乱に対する対応が的を得ていたから、今日の繁栄があったものと思う。
ここで、当の石原莞爾が出てくる。
彼はこの時点では2・26事件における青年将校たち、いわゆる反乱軍を諌める立場、討伐する立場であったが、彼自身は満州事変に関して、反乱に等しいことをしでかしていたわけである。
関東軍という出先機関において、中央の意向を無視して行動を起こし、結果オーラーイで不問に付されてしまったが、そのことが陸軍という小宇宙の中で下克上を普遍化してしまった。
天皇の軍隊を、私的な計画、あるいは自分の思惑で動かし、大義に対してある程度整合性を得るように行動したので、天皇も政府も事後承認する形で不問に付してしまったが、厳密に言えば明らかに命令違反であった。
陸軍という組織体系の中で、上からの命令指揮系統が破壊されてしまったわけで、それにもかかわらず人は人事異動で、中央に行ったり出先に出たりと頻繁に入れ変わるので、責任の所在はわからなくなってしまう。にもかかわらず、出先が中央の言うことを聞かないという、悪弊だけが定着してしまったわけである。
あの天皇制の中で、陸軍が天皇の言うことも聞かず、政府の言うことも聞かず、軍中央の言うこともきかず、糸の切れた凧のように統制が利かないとなると、後は亡国しかないというのも当然の帰結である。
歴史は見事にそれを実証している。
その歴史の過程の中で、石原莞爾という人物は重要なキーパーソンであったにもかかわらず、我々はそれを見落としているのではなかろうか。
極東国際軍事法廷も彼を一応は尋問しているが、結論として戦犯にもしていない。
彼自身が「俺を戦犯にせよ」と自ら言っているにもかかわらずそうしなかった。
あの戦争、アメリカ側の言い方で太平洋戦争、我々の言葉で言えば大東亜戦争は彼に起因している。
彼自身が自分でもそう言っているではないか。
日中戦争は彼の考えていたことの実践であって、それを彼は「世界最終戦争」と言っていたが、それに中国共産党が巧妙にゲリラ作戦で参入し、そこで蒋介石が外交的手腕で西洋列強を引きずり込んで、特にアメリカを引きずり込んだのは蒋介石の外交の絶妙な手腕であったものと考える。
石原莞爾に関しては極東国際軍事法廷の訴状の全部が該当するのではないかと思う。
その意味からしても、今の中国が「靖国神社にA級戦犯が合祀されているから参詣罷りならぬ」という論旨は的外れということになり、彼こそは押しも押されもせぬA級戦犯ではなかろうか。
中国からすれば彼こそ墓を暴いてもいいぐらいの憎むべき相手ではないかと思う。
しかし、我々の民族にとって実に不思議なことは、彼は満州事変を引き起こしてそれを契機に満州国を建国してしまったが、自分はその国の王様、あるいは統治者、大統領、首長というものに一切ならなかったのはどういうわけなのであろう。
蒋介石、毛沢東、袁世凱、張作霖,溥儀、こういう人たちは、それぞれに自分の王国を持ちたがり、それが適うと自らが躊躇することなくそれに治まったが、我々の同胞はそういうことをしないのは一体どういうことなのであろう。
溥儀などは日本軍に自分の国を再興してもらいながら、軍の傀儡だからといって内心面白くなかったわけで、ならば自分で自分の好きなように改革すればいいが、彼の同族ではそれが出来なかったから内面指導という形の傀儡にならざるを得なかったわけだ。
この著者の視点は、ここで日本民族が内面指導という形で帝国主義を相手に押し付けたという点に引け目を感じ、贖罪の意識にさいなまれるのである。
彼らは自分で自分たちを統治できなかったから清王朝は崩壊したという現実を無視していると思う。
我々の同胞にも意地汚い人間が紛れ込んでいたことも事実ではあろうが、そういう人間は何処にも何時の世にもいるわけで、ある程度は致し方ない。