ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「蛇頭の生まれし都」

2011-09-30 09:38:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「蛇頭の生まれし都」という本を読んだ。
著者は田雁という中国人である。
この著者自身、蘇州出身で、蘇州大学を出た後、東京大学に留学し、その後サンフランシスコに在住となっている。
この著者の生き様そのものが、既に華僑の生き様と軌を一にしているわけで、中国の文化人は、他の国に留学しても、その国で習得した知識を自分の祖国に持ち帰って、自分の祖国に貢献するという発想が全くないのは一体どういうことなのであろう。
祖国の大学を出て、そこで修めた学業だけでは物足りなくて、もっと高度な技能知識を他の国の大学に留学して習得する。
そこで習得した先進国の優れた技能や知識を自分の祖国に持ち帰って、祖国の文化レベルの向上に役立てるという思考に至らないのは一体どう事なのであろう。
留学という学問の習得の手法というか、文化の伝播の在り様というか、こういうことにも留学生を送り出す側と受け入れる側で当然のこと話し合いがあると思う。
文化の高い方から低い方への伝搬というか、役割というか、使命のようなものが基底にあって、その合意の上に留学生の受け入れということが行われていると思う。
中国からの留学生を受け入れる側は、そこで習得した技能知識を中国に持ち帰って、中国の人々の文化を引き上げ、その人達が少しでも良い生活が出来るようにと願って、留学生を受け入れていると思う。
ところが現実には、そういう留学生は自分の祖国を出た以上、自分自身の利益追求に汲々しているわけで、高度な学問の研鑚という行為も、ただ単に自己の付加価値を高めているだけで、それは金儲けの手段としての学問を身につけているだけである。
先進国に留学して、そこで習得した学識経験を本国に帰ってから普及させ、人々の生活改善に役立たせる、という話が全くないのは一体どういうことなのであろう。
中国出身の文化人の本も数多く読んだが、その全てが祖国を出て、外国で勉強し、祖国の外から自分の母国を批判し、対中史観をマイナスの方向に煽っているではないか。
中国の外から対中批判をしているので、ベストセラーに成りうるということはありうる。
中国の中に居ては決して書けない、本の中味の内容もさることながら、中国人が外に出なければ自分達、中国人の事が書けないという状況も実に不可解なことである。
で、私がどうにも我慢ならないことは、中国人の留学生という場合、彼らとても本国で期待されて、大勢の中から選抜されて、外国留学という切符を手にしたのではないかと想像する。
革命前の中国ならば、大金持ちは誰に遠慮することもなく、金に飽かせて誰でも何時でも何処へでも留学できた筈だ。
ところが革命後の中国では、そんな自由はあり得ないはずで、国を出るなどということは仮に一時的な出国であろうとも、共産党の厳しい審査を経なければ、外国に行くなどということはあり得ない筈である。
にもかかわらず、留学生として中国共産党が認めたということは、党としてその本人に大きな期待をかけ、帰国後は祖国の為に大いに貢献してくれるであろう、という期待を背負って派遣されたに違いない。
それに反し、本人は祖国を出たならば、自分のこと以外何の関心もないわけで、ただただ自分の身が有利になるように、学問という免罪符の価値を高めるべく指向するのである。
中国から日本の大学に留学して、そこで学業を修めた後、アメリカにわたって、アメリカで一旗揚げるというケースがままあるが、このケースをもう少し考察すると、こういうケースでは日本側に留学生を受け入れる義理はないわけで、そういう中国人を日本国民の血税で勉学させることは、国税の無駄遣いそのものである。
そういう留学生に対しては、留学中の学費を返済してもらっても良いと思う。
中国人の日本への留学ということは、日本で学んだことを、祖国、母国に帰って、中国社会に還元することが暗黙の了解事項としてあったのではないかと考える。
この本の著者も、完全にそういう軌跡をトレースしているわけで、日本の大学で学業を修め、アメリカに住んで、一番身の安全な場所から、祖国の実態を批判しているわけである。
彼は、自分の国でも大学を出て、その事によって日本への留学のチャンスをつかみ、日本で自分の知識に箔を付けて、アメリカに住んで自分の国の同胞の実態を暴いて、それを売り物にしているのである。
まさしく彼の説く、蛇頭の生き方そのもので、蛇頭というのはどちらかというと無学文盲に近い人達の集団だが、彼自身のしている事も、その蛇頭の生き方とそっくりである。
中国人にとって、教養人も無学文盲の人たちも、同じ中国人である限りにおいて、彼らの共通認識として普遍化している事は、中国人には祖国という概念がない、ということだ。
教養のある無しに関わらず、中国人には祖国・母国という概念がない。
自分の国という概念がないので、当然のこと、主権という概念も理解し切れない。
ある意味では人類皆兄弟なわけで、極めて自然に近似しているが、その事は同時に、兄弟は他人の始まりということも、人類の過去の実績が示している事も忘れてはならない。
中国人が自分の祖国という概念を持たない事は、中国人だけの問題では済まないわけで、他人の持つその概念をも、中国人は認めないということである。
この本で言っている蛇頭というのは、何も日本に来るだけのものではなく、たまたま日本を対象としたものを蛇頭と言っているだけで、中国人は世界に向けて噴き出しているのである。
噴火口から流れ出る溶岩のように、地中から湧き出たマグマは四方八方に流れ出しているのである。
何故、中国という噴火口から人々が湧き出るように外に出たがるかと言えば、矢張り貧乏からの脱出を願っているわけで、水が低い方に流れるように、誘蛾灯の明りに群がる虫のように、我も我もと豊かさを求めて国を捨てるのである。
中国人が自分の祖国を大事にしない、自分の国の事を何とも考えていないということは、この地球上の諸悪の根源だと思う。
国を出た中国人が、海外で得た知識や経験を携えて、それを祖国の発展の為に使うという気持ちを大勢の人が持てば、世界は中国を寛容な視線で眺めると思うが、現状のままでは中国人は何時まで経っても蔑視され続けるであろう。
この本にも述べられているが、蛇頭の悪事、偽造パスポートの作成や、クレジットカードの詐取、ピッキングという窃盗、こういう悪事は見事にやりとおしているが、そのエネルギーと知恵をまともに使えば彼らも信頼を得られるのに、そこが実に不可解なところである。
偽ブランド品なら作れるのに、本物は出来ないなどということが不思議でならない。
人間の生き様というか、人間の社会では、矢張り根本的な面で他者に対して誠実に接するということが大事だと思う。
物つくりでも、サービスでも、相手に対して誠実に接するということが大事で、我々日本民族は、比較的均一性が高いので、社会生活の中でも、相手も自分と同じ日本人だという認識で生きているが、中国人の場合は異民族が常に自分の周辺に居るわけで、彼らにすれば何時寝首をかかれるか判らない、という不安感に苛まれていると思う。
だから一瞬も油断が出来ず、常に自分自身の身を守り、自分が巻き添えをくわないように身構えて、他者のことよりも先ず我が身の事を考えるという思考に凝り固まっていると思う。
それが民族として上から下までそういう意識で生きているので、上は上なりに、下は下なりに、我が身の保身のみを最大の人生目標として生きて来たに違いない。
自分の身を守るのは自分自身であって、国家や、主権や、法や、規律や、倫理や、社会や、共同体や、隣近所ではない、ということを骨の髄まで知りつくしているので、当然のこと、祖国愛や、国に殉ずるなどということはあり得ない。
そもそも、国という概念こそが人為的なものであって、人間が人間の都合によって便宜的に作り上げたものなので、それを順守するということは、自ら積極的のその人為的なものに身を委ねるということである。
自然の摂理とは真っ向から対立して然るべきものではある。
その意味からすると、それにとらわれない中国人というのは、極めて自然人に近いということになるが、地球上の人々が皆素直にその人為的な約束事に身を委ねようとしている時に、中国人だけが天衣無縫に自然人の立ち居振る舞いをされては、周囲のものが迷惑をこうむるのは火を見るより明らかである。
人類が乗り物を開発し、安易に誰でもが何処へでも行けるように成ると、中国人はそれこそ噴火口からあふれ出た溶岩のごとく、地球規模で広がって、世界各地にチャイナタウンを作った。
世界中にチャイナタウンがあるということは、中国の人々は行った先で現地の人々と同化しなかったということである。
中国人は何処に行っても中国人だけでコミュニティ―を作って、現地の人々と交わるということをしなかったということである。
中国人が先進国の中にチャイナタウンを作るということは、基本的に、そこの住人は違法滞在者と見做していいと思う。
違法でなく、正規の手続きを経て入国したのであれば、自分達で群がって住む必要はないわけで、相手先の社会に溶け込んで、普通の社会生活を続ければいいが、それが出来ないから自分達で固まって相互扶助しながら生きているのである。
問題は、こういう中国人が、相手先の法を犯してでも自己の欲求を追い求め、金を稼ぎ、故郷に錦を飾りたいという願望の実現思考であって、これを目の当たりに見る受け入れ側から眺めると、そういう風に健気に生きる人達を救済しなければならない、という極めて人道的な善意に満ちた安直な好意の跋扈である。
そもそも、近代的な先進国というのは法治国家なわけで、法律が全ての国民の上に君臨して、国民はその法を順守することが暗黙の了解事項となって国というシステムが成り立っている。
ところが、中国から渡ってくる蛇頭の集団というのは、最初から法の存在など眼中にないわけで、その意味でも完全な自然人であって、自分の国にも法律があり相手国にも法律があって、法の元での自由という概念そのものが最初から欠落している。
だから、こういう蛇頭の進出を食い止める最良の方法は、入国管理法という法律に抵触したものは直ちに本国に送還することである。
本国に送還された者が、自分の祖国の法律でどう裁かれるかは我々の関知することではないし、してはならない。
ひとことでいえば、法律の厳正な施行ということであるが、こういう措置を取ろうとすると、我々の側から必ず、それを批判するものが現れて、「違法に入国する蛇頭に対しても人道的な措置をとれ」と物分かりに良い綺麗ごとを言う輩が現れる。
まさしく蛇頭の利益を擁護するような発言が、人道的と称する綺麗ごとの耳触りのいい言葉でメデイアを席巻する。
こういう風潮は日本のみならず、アメリカにも、イギリスにも、ドイツにもあるわけで、違法入国者を法に基づいて処置すると、「人道的に許されない」と、法治国でありながら法の施行を否定するような発言が人道の名の元に出てくる。
ただ21世紀の世界を俯瞰して見ると、そういう不法入国者が社会の構成員として定着してしまった感が無きにしも非ずである。
彼らは不法な存在であるが故に、不当な低賃金で、俗に3Kと言われる、人の嫌がる仕事を担っている部分は否定しようがない。
日本のように人件費の高い国では、そういう人の嫌がる仕事をする人間がいないので、その分、違法滞在の人を安い賃金で使うが、彼らにしてみればそれはそれなりに高額な所得に成るわけで、大いにメリットがあるということになる。
我々が憂うべき事は、我々の同胞がこういう違法な滞在者に対して同情という感情で以て、法の順守を甘く見る点である。
「彼らは可哀そうな立場なのだから、少々の法律違反は寛大に扱え」という趣旨であるが、彼らが可愛そうという認識そのものが最初から間違っているわけで、彼らは虎視眈々とあらゆる可能性を探って、それでも合法的に成りえないからこそ、違法であることを十分承知しながら滞在を続けているのである。
その意味で完全に確信犯であって、悪いということを十分知りながら、それでも自己の欲求に屈して、荒稼ぎをしよと企んでいるのである。
そういう人間に対して、我々が何故に同情しなければならないのだ。
こういう同情は、我々日本人だけの一人よがりなものではなく、先進国の住民には大なり小なりこういう考えの人間がいるものであるが、この違法入国、不法滞在に甘く寛大な処遇をするから、結果的に「庇を貸して母屋を盗られる」ことに成るのである。
世界各国にある中華街・チャイナタウンの存在などまさしくその顕著な例である。

「人間の地平から」

2011-09-28 08:04:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「人間の地平から」という本を読んだ。
サブタイトルには「生きること死ぬこと」となっている。
著者は川田順造となっている。
奥付きによると、現在は神奈川大学の日本常民文化研究所所員ということらしいが、東大出の相当な学識経験者ということだ。
冒頭からいきなりアフリカの奥地で起きた自分自身の交通事故の経過説明から始まっている。
その過程で、フランスで骨折の手術を受けたが、そのフォローを日本の国内で施術した。ところが、その時の日本側の医師の対応が極めて不味かったという話から説き進んでいる。
西洋の学問の洗礼を受けた人の、典型的な思考パターンではないか思う。
「日本は、何でもかんでも劣悪で、西洋先進国を見習うべきだ」という発想は、我々の明治維新以降の根源的な潜在意識となってしまっているようだ。
だから本来、我々の同胞が学問を治める本旨は、その深層部分を掘り下げて、「我々は世界的なレベルで真に劣等民族か?」ということを再認識すべきが日本における知識人の使命にならなければ可笑しいのではなかろうか。
私は自分に学歴がないので、高学歴の人には反射的に敵対的な感情を持ってしまうが、自分に学歴がないが故に、人の学歴が気になってしょうがない。
私自身は無学の身であっても、それを克服してひとかどの人間になってやろう、という欲望もないので、自分の人生に十分満足している。
しかしながら、世の中には立派な学歴を持ちながら、愚にもつかないことを言ったりしたりする人が余りにも多いので、世の教育、特に高等教育が日本人の在り様にどういう効果をあらしめているのか不思議でならない。
高学歴志向というのは、我々日本人ばかりではなく、地球規模で、どこの国でも、どの民族でも潜在意識としては高学歴志向を秘めていると思う。
出来うれば、可能な限り、高学歴を目指すというのが生きとし生ける人類の基本的な願望のようだ。
地球規模で見て、人々が、学校教育は高ければ高いほど良いと思う背景には、その教育の実績が立身出世の免罪符となっているからであって、立身出世することによって富を得ることができるので、富を得る手段として高学歴を目指すというのが基本的なパターンではないかと思う。
こういう考え方は、何も我々日本人だけではなく、あらゆる国、あらゆる民族に共通した思考なわけで、いわばグローバル化したコモンセンスでもある。
日本が、江戸時代を脱して明治維新を経て、学校教育を充実させて、国民の知的水準を底上げしたことは、その後の日本の発展に大いに貢献したと考えられる。
この時には、日本民族の底辺の知的レベルの底上げにも力を注いだが、社会のトップの人材養成にも力を注いだわけで、高等教育にも並み並みならぬ努力を傾注した。
ところが21世紀の今日では、日本という国を、地球規模で眺めた時、かなりハイレベルの先進国の仲間になってしまっているので、教育に対する考え方も見直す時期にあると思う。
国民のというよりも、若い世代の80%も90%もが高等教育を受ける状況というのは、どう考えても正常な状況ではないと思う。
江戸時代から明治時代までは「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」という社会的分業というか、階層の役割分担というか、分をわきまえるというか、そういう生き方に誰も疑いを持たず、それを社会全般が受け入れていた。
しかし、人間の根源的な願望としては、誰もが「草鞋を作る人」よりも「駕籠に乗る立場」を欲するわけで、その目的達成の手段として、高等教育を目指すのである。
これは地球規模で見て世界中で皆同じだと思う。
ここで私が問題にしたいことは、その高等教育がモラルの向上に関しては何の影響力も持ち合わせていないという現実である。
これも地球規模で見て万国共通のようであるが、民主主義の度合いによって、程度の差は顕著に散見できる。
この本でも冒頭に「フランスの医療は素晴らしいが、日本の医療は駄目だ」と説かれているが、これも明らかに西洋コンプレックスの表れであると同時に、我々の側のものの考え方の唯我独尊的な独善でもある。
「ヨーロッパは素晴らしいが、日本は駄目だ」という自虐的な思考の顕著な例だと思う。
この本の著者は、基本的には民俗学者であって、世界のさまざまな民族を研究しているが、それはそれで立派な学問であろうが、そういう人文科学という面から考えると、教育とモラルというテーマで社会を掘り下げて眺める学問もあっても良いのではなかろうか。
民主政治というのは、突き詰めれば衆愚政治になるわけで、大勢の人の言うことを聞いておれば、事態はなにも進化しないわけで、事態を何とか打開しようとすると「独裁だ」とか、「民主的手法を逸脱する」とか、「結果がでないのは為政者が悪いからだ」という論理が罷り通っているが、こういう現状に対して学識経験者はきちんとした筋の通った発言はしない。
大抵は、大勢の人のいう言い分に加担するわけで、そういう烏合の衆に対して「あなた達の言っていることは間違っているよ」ということは決して言わない。
大勢の人の言い分が、「多数派のエゴイズムで独善だ」ということは、決して言わないが、こういう状況下で、学識経験豊富な知識人といわれる人たちが正論を言わず、多数派の言い分を由とするから、世の中が混沌とするのである。
高等教育を受けた知識人が多数派にくみするのは、言い方を変えれば、或る意味の保身であって、正論を持っていながら、それを言うべき時に言わずに、嵐が行った後になって「あの時は、私もそう思っていた」と、後から言うようなものである。
高等教育を受けるような人は基本的に頭が良い。
戦前、陸士や海兵に進んだ人は頭が良いといわれていた。
戦後、高度成長の最中、銀行や証券会社に蝟集した大学出は秀才の誉れ高き人たちであった。
こういう優れた秀才たちが、結果としてどういう実績を残したかと問いなおせば、日本を焼け野原にしたのはそういう秀才たちであったし、戦後の経済を未曾有の低迷に追い込んだのも、日本の最も優秀といわれていた秀才たちであったわけで、ならば日本での秀才というのは一体どういう社会的貢献をしているのかと改めて問いただしたい。
教育というのはタダでは出来ない話で、国民の底辺のレベルアップの為の初等教育に掛かる金ならばいた仕方ないが、高等教育というのは一部の選抜された特に優秀だという人に集中的に投資されているわけで、その投資に対する見返りは当然考慮に入れてもいい話だと思う。
つまり、費用対効果という意味で、そういう人にはある一定の期間、国家に対する義務を負わせても良いのではないかと思う。
この本の作者の本職は民俗学者だ。
ぶっちゃけていうと、アフリカの奥地や、南米の奥地に分け入って、そこの現住民の生活をつぶさに観察して、それを論文に仕立て上げて、そのことを民俗学の研究と称しているわけだ。
国内では、日本でも僻地といわれる地方に行って、そこでもやはり同じようにその地の人々の生活を観察して、研究と称しているわけだが、その研究の実態は、現地の人々の邪魔をしているに過ぎないのではなかろうか。
和船の櫓の漕ぎ方がどうのこうの、苗床の均し方がどうのこうの、ということは東京大学を出た人にとっては学問の対象かもしれないが、そういう学問は知のセンズリ・自慰行為に過ぎず、人類の未来に対する貢献は何一つないわけで、ただただ研究費と称する金を浪費しているに過ぎない。
市井の無名の大衆は、学者の視点から見ると研究対象となる立ち居振る舞いを、日々の生業としているわけで、それだからこそ「草履を作る人」として、社会のすそ野を形作っているのである。
そういう人の上に、学校で選抜された人が、社会のリーダーに成るべく高等教育の機会を与えられるのであるからして、高等教育を受けた人は、当然、社会に貢献、恩返しをする気持ちを抱くべきだと思う。
それが倫理観というものではなかろうか。
社会が、優秀な人を選抜して、その人に社会のリーダ-たるべき学識経験を積む機会を与えた結果として、立身出世という形で社会のトップの座を占める様になったならば、その働きというのは社会に還元されて然るべきだと思う。
ところが社会が複雑になってくると、皆が皆、「駕籠に乗る立場」を渇望するわけで、その目的達成の為に高等教育を授かろうと考えるので、目的と結果が逆転してしまった。
我々が普通に言う「優秀な人」という場合、それはおおむね学校秀才を指しているわけで、この学校秀才というのは、学校というフィールドの中では確かに優秀かもしれないが、そういう人が社会に放り出されても、尚優秀の名をほしいままに出来るかというと、案外これは難しい。
学校というフィールドの中で培われる教養・知性というものは、ただ単に知識の量を増やすことだけではないはずで、その増やした知識で以て、人々が大勢うごめいている社会を、少しでも良い方向にしよう、しなければという方向性も同時に育まれていて当然だと思う。
問題は、この住みよい社会、良い社会、よりよい社会という、共通の目的である筈の物が、その人の受けた教育のレベルによって、とんでもなく幅が広いという点にある。
我々レベルの、ほぼ無学に近い大衆では、為政者の言うことを素直に受け入れて、それに協力することが良い社会の建設に繋がると単純に思い込んでいるが、高等教育を受けた人たちは、そう単純に為政者の言うことを信じず、為政者の立ち居振る舞いには常に批判的な態度を示している。
その結果として、世の中は一向に安定せず、不安定要素のみが浮草のように漂って、激動の世紀を呈することになる。
我々日本人のみならず世界の人々が高等教育に一種の憧れのようなものを抱いて、「教育は高ければ高いほど素晴らしい」と漠然と思っているようで、金と機会さえあれば、少しでも高みに登りたいと考えているようだ。
だが、これは高くて高度な教育を受ければ、それに応じて高給が得られるのではないか、という幻想に踊らされている姿である。
こういう発想自体が極めて幼児的な思考で、知識をいくら貯め込んでも、洞察力は全く進化していないという顕著な例だと思う。
当然と言えば当然で、学校というフィールドの中で「優れた人」という評価は、教えられたことを如何に覚えているか、という記憶力の競争の場であって、教えられたことを如何に応用するか、という洞察力はそこを出た後から身に付くことで、学校に居る間は評価の対象に成りにくい。
普通の社会の人達は、本人の持って生まれた資質を評価することなく、その人の出た学校の評価で個人を評価するので、世の中がいびつになるのである。
こんな解り切ったことを、本来、優秀であるべき人たちに解らない筈はない。
そんなことは重々判っているが、それでも世の中が少しも改善の方向に向かわないのは、当事者が自分の身の安全を最優先のこととして、事に当たるからであって、まさしく絵に書いたような保身の構図である。
何よりも我が身が可愛いわけで、自分の不利になることは、身が裂けても進言しない、という保身の術に固執しているからである。
人間の持つ自己愛というのは、最も基本的な自然の人間の在り様なわけで、自然の感情をそのまま素直に表した表現であろうが、文化というのは、その自然を如何に克服するかにかかっている。
足を踏まれたから条件反射的に踏み返す、というのは極めて自然人の立ち居振る舞いである。
殴られたから素直に殴り返すというのも、これと同じ自然の在り様であって、殴られた時に一寸考えて「何故、俺は殴られたのだろう」と考える時間差こそが文化の度合いと言うもので、知識人と言われる人ほどその時間差が大きい。
それと同じで、人間は自己愛が強いのは当然であるが、その自己愛をほんの少し他者を愛する方に向ければ、世の中はうんと住み易くなると思う。
ここでごく当たり前の人でも、教育を積む、いわゆる高等教育を受けて学識経験が豊富になればなっただけ、他者を思いやる気持ちが醸成されて然るべきではないか、というのが私の思考である。
ところが世の中の人というのは、いくら高等教育を受けて学識経験が豊富になっても、他者を思いやる気持ちが一向に旺盛になることはなく、自然のままの自己愛に耽っているから世の中は一向に進化しないのである。
平成23年3月11日の東日本大震災で福島県で原子力発電所の事故が起きて、被害が広範に及んで、未だに被災したままの人がいて、そういう人はまことに気の毒だとは思うが、だからと言って「直ちに原子力発電は禁止すべきだ」という議論はあまりにも拙速すぎると思う。
「原子力発電は危険だか直ちに止めましょう」では、まさしく幼児の発想ではないか。
確かに3・11の大地震で原子力発電所が大きな事故を引き起こしたことは事実であって、その対応の不味いところがあったことも事実であるが、たった一度の事故で、原子力発電を全否定する発想というのは余りにも子供じみている。
そういう単純な思考を声高に叫ぶ人に限って、「ならばそれを除いた発電と電力の需要をどう管理するのだ」という問題には頬被りするわけで、原子力発電を止めた後の対応については何の対策も持ち合わせていない。
ただ眼前に原子力発電所の事故があり、その被害者が巷に溢れており、復興は遅々として進まないので、大騒ぎを演じているが、今の日本にも原子力の専門家というのは履いて捨てるほど居る筈だ。
本来ならば、そういう人たちが、大衆と称する無知蒙昧な、有象無象の人の集団をコントロールすべきであるが、そういう専門家は専門家なるが故に、それぞれに一家言持っているわけで、話は簡単にまとまらない。
世の中の民主化が進んで、それぞれの階層から高等教育を受ける人が多くなって、学識経験の豊かな人が輩出するということは、それぞれの専門家が多くなるということで、そういう状態になると専門家は専門家なるが故に、自分の意見に固執して、「我こそが一番正しいのだ」という思い込みから抜け切れない。
言い方を変えると、意見の集約が出来ないということになるわけで、方向性が一つにまとまらないという結果を招く。
民主化の結果として、意見を持った人がそれぞれに自分の意見を言うことが許されれば、口角泡を飛ばす議論ばかりが盛んになって結論が何時まで経っても出ない。
結果として、事は一向に進展しない。
これを多少とも強引に意見の集約をしようとすると、独裁だとか、非民主的だとか、主権の侵害だとか、まさしく「風が吹くと桶屋が儲かる」式の議論が輩出する。
こういう状況を丸く治める知恵を育むことが高等教育であり、学識経験というものではなかろうか。
立派な大学で、高額な費用を掛けて高等教育を授かったものが、こういう場面で自らが口から唾を飛ばして議論の輪に入ってしまっては意味を成さないではないか。
そういう立場のものは、鵜飼いの鵜匠のように、それぞれに勝手に言いたい放題の事を言っている個々の鵜を、手綱さばきよろしく集約させるべきではないのかと思う。
それぞれの専門領域の中で、それぞれに自分の意見を開陳することは極めて優れたことであるが、それを一つに集約するのは、やはりそれぞれの学会なり業界の責任であって、それをコントロールすべきは、やはり政治の使命だと思う。
ここで問題となるのが、メデイアの使い方であって、メデイアを治世のツールとして十分に使い切る手法は極めて難しいと思うが、我々、日本人は「メデイアを統治のツールとして使い切る」という発想に思いが至っていない。
その事は同時に、我々日本人は、統治におけるメデイアの使い方において、発想の原点のところに、そのノウハウさえも持っていないということである。
我々は、同胞を統治するのに、メデイアを如何に使い、如何に使い切って、政治のツールにするかということを考えたことがない、ということだと思う。
明治維新以降の数ある教育機関の中には、優秀な人材が数多く輩出しているであろうが、メデイアを如何に統治のツールにするかと考えた者が居ないということは一体どういうことなのであろう。
という本を読んだ。
サブタイトルには「生きること死ぬこと」となっている。
著者は川田順造となっている。
奥付きによると、現在は神奈川大学の日本常民文化研究所所員ということらしいが、東大出の相当な学識経験者ということだ。
冒頭からいきなりアフリカの奥地で起きた自分自身の交通事故の経過説明から始まっている。
その過程で、フランスで骨折の手術を受けたが、そのフォローを日本の国内で施術した。ところが、その時の日本側の医師の対応が極めて不味かったという話から説き進んでいる。
西洋の学問の洗礼を受けた人の、典型的な思考パターンではないか思う。
「日本は、何でもかんでも劣悪で、西洋先進国を見習うべきだ」という発想は、我々の明治維新以降の根源的な潜在意識となってしまっているようだ。
だから本来、我々の同胞が学問を治める本旨は、その深層部分を掘り下げて、「我々は世界的なレベルで真に劣等民族か?」ということを再認識すべきが日本における知識人の使命にならなければ可笑しいのではなかろうか。
私は自分に学歴がないので、高学歴の人には反射的に敵対的な感情を持ってしまうが、自分に学歴がないが故に、人の学歴が気になってしょうがない。
私自身は無学の身であっても、それを克服してひとかどの人間になってやろう、という欲望もないので、自分の人生に十分満足している。
しかしながら、世の中には立派な学歴を持ちながら、愚にもつかないことを言ったりしたりする人が余りにも多いので、世の教育、特に高等教育が日本人の在り様にどういう効果をあらしめているのか不思議でならない。
高学歴志向というのは、我々日本人ばかりではなく、地球規模で、どこの国でも、どの民族でも潜在意識としては高学歴志向を秘めていると思う。
出来うれば、可能な限り、高学歴を目指すというのが生きとし生ける人類の基本的な願望のようだ。
地球規模で見て、人々が、学校教育は高ければ高いほど良いと思う背景には、その教育の実績が立身出世の免罪符となっているからであって、立身出世することによって富を得ることができるので、富を得る手段として高学歴を目指すというのが基本的なパターンではないかと思う。
こういう考え方は、何も我々日本人だけではなく、あらゆる国、あらゆる民族に共通した思考なわけで、いわばグローバル化したコモンセンスでもある。
日本が、江戸時代を脱して明治維新を経て、学校教育を充実させて、国民の知的水準を底上げしたことは、その後の日本の発展に大いに貢献したと考えられる。
この時には、日本民族の底辺の知的レベルの底上げにも力を注いだが、社会のトップの人材養成にも力を注いだわけで、高等教育にも並み並みならぬ努力を傾注した。
ところが21世紀の今日では、日本という国を、地球規模で眺めた時、かなりハイレベルの先進国の仲間になってしまっているので、教育に対する考え方も見直す時期にあると思う。
国民のというよりも、若い世代の80%も90%もが高等教育を受ける状況というのは、どう考えても正常な状況ではないと思う。
江戸時代から明治時代までは「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」という社会的分業というか、階層の役割分担というか、分をわきまえるというか、そういう生き方に誰も疑いを持たず、それを社会全般が受け入れていた。
しかし、人間の根源的な願望としては、誰もが「草鞋を作る人」よりも「駕籠に乗る立場」を欲するわけで、その目的達成の手段として、高等教育を目指すのである。
これは地球規模で見て世界中で皆同じだと思う。
ここで私が問題にしたいことは、その高等教育がモラルの向上に関しては何の影響力も持ち合わせていないという現実である。
これも地球規模で見て万国共通のようであるが、民主主義の度合いによって、程度の差は顕著に散見できる。
この本でも冒頭に「フランスの医療は素晴らしいが、日本の医療は駄目だ」と説かれているが、これも明らかに西洋コンプレックスの表れであると同時に、我々の側のものの考え方の唯我独尊的な独善でもある。
「ヨーロッパは素晴らしいが、日本は駄目だ」という自虐的な思考の顕著な例だと思う。
この本の著者は、基本的には民俗学者であって、世界のさまざまな民族を研究しているが、それはそれで立派な学問であろうが、そういう人文科学という面から考えると、教育とモラルというテーマで社会を掘り下げて眺める学問もあっても良いのではなかろうか。
民主政治というのは、突き詰めれば衆愚政治になるわけで、大勢の人の言うことを聞いておれば、事態はなにも進化しないわけで、事態を何とか打開しようとすると「独裁だ」とか、「民主的手法を逸脱する」とか、「結果がでないのは為政者が悪いからだ」という論理が罷り通っているが、こういう現状に対して学識経験者はきちんとした筋の通った発言はしない。
大抵は、大勢の人のいう言い分に加担するわけで、そういう烏合の衆に対して「あなた達の言っていることは間違っているよ」ということは決して言わない。
大勢の人の言い分が、「多数派のエゴイズムで独善だ」ということは、決して言わないが、こういう状況下で、学識経験豊富な知識人といわれる人たちが正論を言わず、多数派の言い分を由とするから、世の中が混沌とするのである。
高等教育を受けた知識人が多数派にくみするのは、言い方を変えれば、或る意味の保身であって、正論を持っていながら、それを言うべき時に言わずに、嵐が行った後になって「あの時は、私もそう思っていた」と、後から言うようなものである。
高等教育を受けるような人は基本的に頭が良い。
戦前、陸士や海兵に進んだ人は頭が良いといわれていた。
戦後、高度成長の最中、銀行や証券会社に蝟集した大学出は秀才の誉れ高き人たちであった。
こういう優れた秀才たちが、結果としてどういう実績を残したかと問いなおせば、日本を焼け野原にしたのはそういう秀才たちであったし、戦後の経済を未曾有の低迷に追い込んだのも、日本の最も優秀といわれていた秀才たちであったわけで、ならば日本での秀才というのは一体どういう社会的貢献をしているのかと改めて問いただしたい。
教育というのはタダでは出来ない話で、国民の底辺のレベルアップの為の初等教育に掛かる金ならばいた仕方ないが、高等教育というのは一部の選抜された特に優秀だという人に集中的に投資されているわけで、その投資に対する見返りは当然考慮に入れてもいい話だと思う。
つまり、費用対効果という意味で、そういう人にはある一定の期間、国家に対する義務を負わせても良いのではないかと思う。
この本の作者の本職は民俗学者だ。
ぶっちゃけていうと、アフリカの奥地や、南米の奥地に分け入って、そこの現住民の生活をつぶさに観察して、それを論文に仕立て上げて、そのことを民俗学の研究と称しているわけだ。
国内では、日本でも僻地といわれる地方に行って、そこでもやはり同じようにその地の人々の生活を観察して、研究と称しているわけだが、その研究の実態は、現地の人々の邪魔をしているに過ぎないのではなかろうか。
和船の櫓の漕ぎ方がどうのこうの、苗床の均し方がどうのこうの、ということは東京大学を出た人にとっては学問の対象かもしれないが、そういう学問は知のセンズリ・自慰行為に過ぎず、人類の未来に対する貢献は何一つないわけで、ただただ研究費と称する金を浪費しているに過ぎない。
市井の無名の大衆は、学者の視点から見ると研究対象となる立ち居振る舞いを、日々の生業としているわけで、それだからこそ「草履を作る人」として、社会のすそ野を形作っているのである。
そういう人の上に、学校で選抜された人が、社会のリーダーに成るべく高等教育の機会を与えられるのであるからして、高等教育を受けた人は、当然、社会に貢献、恩返しをする気持ちを抱くべきだと思う。
それが倫理観というものではなかろうか。
社会が、優秀な人を選抜して、その人に社会のリーダ-たるべき学識経験を積む機会を与えた結果として、立身出世という形で社会のトップの座を占める様になったならば、その働きというのは社会に還元されて然るべきだと思う。
ところが社会が複雑になってくると、皆が皆、「駕籠に乗る立場」を渇望するわけで、その目的達成の為に高等教育を授かろうと考えるので、目的と結果が逆転してしまった。
我々が普通に言う「優秀な人」という場合、それはおおむね学校秀才を指しているわけで、この学校秀才というのは、学校というフィールドの中では確かに優秀かもしれないが、そういう人が社会に放り出されても、尚優秀の名をほしいままに出来るかというと、案外これは難しい。
学校というフィールドの中で培われる教養・知性というものは、ただ単に知識の量を増やすことだけではないはずで、その増やした知識で以て、人々が大勢うごめいている社会を、少しでも良い方向にしよう、しなければという方向性も同時に育まれていて当然だと思う。
問題は、この住みよい社会、良い社会、よりよい社会という、共通の目的である筈の物が、その人の受けた教育のレベルによって、とんでもなく幅が広いという点にある。
我々レベルの、ほぼ無学に近い大衆では、為政者の言うことを素直に受け入れて、それに協力することが良い社会の建設に繋がると単純に思い込んでいるが、高等教育を受けた人たちは、そう単純に為政者の言うことを信じず、為政者の立ち居振る舞いには常に批判的な態度を示している。
その結果として、世の中は一向に安定せず、不安定要素のみが浮草のように漂って、激動の世紀を呈することになる。
我々日本人のみならず世界の人々が高等教育に一種の憧れのようなものを抱いて、「教育は高ければ高いほど素晴らしい」と漠然と思っているようで、金と機会さえあれば、少しでも高みに登りたいと考えているようだ。
だが、これは高くて高度な教育を受ければ、それに応じて高給が得られるのではないか、という幻想に踊らされている姿である。
こういう発想自体が極めて幼児的な思考で、知識をいくら貯め込んでも、洞察力は全く進化していないという顕著な例だと思う。
当然と言えば当然で、学校というフィールドの中で「優れた人」という評価は、教えられたことを如何に覚えているか、という記憶力の競争の場であって、教えられたことを如何に応用するか、という洞察力はそこを出た後から身に付くことで、学校に居る間は評価の対象に成りにくい。
普通の社会の人達は、本人の持って生まれた資質を評価することなく、その人の出た学校の評価で個人を評価するので、世の中がいびつになるのである。
こんな解り切ったことを、本来、優秀であるべき人たちに解らない筈はない。
そんなことは重々判っているが、それでも世の中が少しも改善の方向に向かわないのは、当事者が自分の身の安全を最優先のこととして、事に当たるからであって、まさしく絵に書いたような保身の構図である。
何よりも我が身が可愛いわけで、自分の不利になることは、身が裂けても進言しない、という保身の術に固執しているからである。
人間の持つ自己愛というのは、最も基本的な自然の人間の在り様なわけで、自然の感情をそのまま素直に表した表現であろうが、文化というのは、その自然を如何に克服するかにかかっている。
足を踏まれたから条件反射的に踏み返す、というのは極めて自然人の立ち居振る舞いである。
殴られたから素直に殴り返すというのも、これと同じ自然の在り様であって、殴られた時に一寸考えて「何故、俺は殴られたのだろう」と考える時間差こそが文化の度合いと言うもので、知識人と言われる人ほどその時間差が大きい。
それと同じで、人間は自己愛が強いのは当然であるが、その自己愛をほんの少し他者を愛する方に向ければ、世の中はうんと住み易くなると思う。
ここでごく当たり前の人でも、教育を積む、いわゆる高等教育を受けて学識経験が豊富になればなっただけ、他者を思いやる気持ちが醸成されて然るべきではないか、というのが私の思考である。
ところが世の中の人というのは、いくら高等教育を受けて学識経験が豊富になっても、他者を思いやる気持ちが一向に旺盛になることはなく、自然のままの自己愛に耽っているから世の中は一向に進化しないのである。
平成23年3月11日の東日本大震災で福島県で原子力発電所の事故が起きて、被害が広範に及んで、未だに被災したままの人がいて、そういう人はまことに気の毒だとは思うが、だからと言って「直ちに原子力発電は禁止すべきだ」という議論はあまりにも拙速すぎると思う。
「原子力発電は危険だか直ちに止めましょう」では、まさしく幼児の発想ではないか。
確かに3・11の大地震で原子力発電所が大きな事故を引き起こしたことは事実であって、その対応の不味いところがあったことも事実であるが、たった一度の事故で、原子力発電を全否定する発想というのは余りにも子供じみている。
そういう単純な思考を声高に叫ぶ人に限って、「ならばそれを除いた発電と電力の需要をどう管理するのだ」という問題には頬被りするわけで、原子力発電を止めた後の対応については何の対策も持ち合わせていない。
ただ眼前に原子力発電所の事故があり、その被害者が巷に溢れており、復興は遅々として進まないので、大騒ぎを演じているが、今の日本にも原子力の専門家というのは履いて捨てるほど居る筈だ。
本来ならば、そういう人たちが、大衆と称する無知蒙昧な、有象無象の人の集団をコントロールすべきであるが、そういう専門家は専門家なるが故に、それぞれに一家言持っているわけで、話は簡単にまとまらない。
世の中の民主化が進んで、それぞれの階層から高等教育を受ける人が多くなって、学識経験の豊かな人が輩出するということは、それぞれの専門家が多くなるということで、そういう状態になると専門家は専門家なるが故に、自分の意見に固執して、「我こそが一番正しいのだ」という思い込みから抜け切れない。
言い方を変えると、意見の集約が出来ないということになるわけで、方向性が一つにまとまらないという結果を招く。
民主化の結果として、意見を持った人がそれぞれに自分の意見を言うことが許されれば、口角泡を飛ばす議論ばかりが盛んになって結論が何時まで経っても出ない。
結果として、事は一向に進展しない。
これを多少とも強引に意見の集約をしようとすると、独裁だとか、非民主的だとか、主権の侵害だとか、まさしく「風が吹くと桶屋が儲かる」式の議論が輩出する。
こういう状況を丸く治める知恵を育むことが高等教育であり、学識経験というものではなかろうか。
立派な大学で、高額な費用を掛けて高等教育を授かったものが、こういう場面で自らが口から唾を飛ばして議論の輪に入ってしまっては意味を成さないではないか。
そういう立場のものは、鵜飼いの鵜匠のように、それぞれに勝手に言いたい放題の事を言っている個々の鵜を、手綱さばきよろしく集約させるべきではないのかと思う。
それぞれの専門領域の中で、それぞれに自分の意見を開陳することは極めて優れたことであるが、それを一つに集約するのは、やはりそれぞれの学会なり業界の責任であって、それをコントロールすべきは、やはり政治の使命だと思う。
ここで問題となるのが、メデイアの使い方であって、メデイアを治世のツールとして十分に使い切る手法は極めて難しいと思うが、我々、日本人は「メデイアを統治のツールとして使い切る」という発想に思いが至っていない。
その事は同時に、我々日本人は、統治におけるメデイアの使い方において、発想の原点のところに、そのノウハウさえも持っていないということである。
我々は、同胞を統治するのに、メデイアを如何に使い、如何に使い切って、政治のツールにするかということを考えたことがない、ということだと思う。
明治維新以降の数ある教育機関の中には、優秀な人材が数多く輩出しているであろうが、メデイアを如何に統治のツールにするかと考えた者が居ないということは一体どういうことなのであろう。

「組織の興亡」

2011-09-24 07:49:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「組織の興亡」という本を読んだ。
サブタイトルには「日本海軍の教訓」となっており、日下公人と三野正洋という人の対談という形になっている。
奥付きによると、日下公人氏は東京大学経済学部を出てから日本長期信用銀行に勤めたとなっており、三野正洋氏の方は、現在日本大学の工学部の教授ということで、両名とも組織論には相当に造詣が深いということが伺い知ることができる。
私はこういう知識人の足元にも及ばない無学文盲に近い不甲斐ない人間だけれど、やはり生きた人間の一人として、自分なりの考えというものは持っている。
そして、自分で本を読み、自分なりに思考を巡らして、自分なりの思いを綴ることの楽しみを持っている。
この本の表題である「組織の興亡」ということは、何故日本海軍は存亡の憂き目にあったか、という考察であるが、今まであった組織が壊滅するということは、その組織の構成員がバカであったの一語に尽きる。
今まで何もない所に、強力な目的意識を持った組織を作り上げるということは、悧巧で、知的で、優秀な人材がいたからそういう成果を築き上げれたが、一旦出来上がった組織を壊滅させるという事態は、その組織の構成員が上から下までバカだったとしか言いようがないではないか。
その意味で、昭和の大日本帝国軍人は全てバカだった、と言い切るしかない。
負ける戦争ならば、バカでもチョンでもアホウでも、軍人でなくともその辺りに寝起きしているホームレスでも、乞食でもできるではないか。
本来、優秀であるべき陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人たちが、政治に関与したから、自らの戦闘集団という組織を壊滅状態にまで落としこんでしまったではないか。
近代国家の政治というのは、シビリアン・コントロールが究極の政治形態であるにも関わらず、軍人が政治に介入したから、こういう事態を引き起こしたわけで、日本が奈落の底に転がり落ちるまでの間に、日本の知性と理性は、如何様に機能していたのであろう。
私は昭和15年生まれで、私の受けた教育は全て戦後の民主教育である。
その中では、先の戦争の責任は全て軍人の責任として軍部に覆い被せられていた。
ここでも我々は、戦争への行程への責任と、戦争での敗北の責任を分けて考えなければならないと思う。
我々が太平洋戦争、ここでは本当は大東亜戦争というべきであると思うが、通俗的には太平洋戦争といわれているので、便宜的にそういう呼称を使うが、この部分では、本来、外交手腕でことを決すべき場面であった。
戦前という時代状況の中で、本来ならば外交交渉でことを解決をせねばならない所で、問題解決が頓挫するとそこに軍部が入りこんで、武力行使をするので、全体の印象として軍部に掻きまわされて収拾がつかないという状況に陥ってしまった。
本来ならばここで外務省が前面に立って、相手側と上手に外交交渉をすべき状況であるが、この外務省が昔も今も極めて無責任なるが故に、軍部が嘴を挟まざるを得ない状況になってしまうのである。
国の統治がシビリアン・コントロールであるとするならば、国益擁護の最前線に立つべき外務省は、よほどしっかりした心構えいなければならないはずである。
しかし、日本の外務省の人間が、果たして本当に日本の国益のことを考えて身を処していたであろうか。
昭和16年12月8日に、日米開戦の宣戦布告の文書を手渡す時の不手際も、外務省の人間が如何に誠実さを欠いているかの見事な事例ではないか。
ああいう失態は、対米戦の前の日中戦争の際にも、多分、数多く散見していたに違いなく、それが昔も今も日本の外交交渉に連綿と引きつがれているに違いない。
そういうことを考えると、我々が奈落の底の転がり落ちた大きな理由を、軍人や軍部にのみに覆い被せることは卑怯な態度だと思う。
陸軍士官学校や、海軍兵学校というのは、陸軍軍人或いは海軍軍人の高級将校を養成する為の職業訓練校であった。
旧日本軍の幹部養成の在り方として、基本的には徴兵制で集めた兵隊の中から優秀な人材を選抜して高級将校に仕立て上げるのが本旨であったが、優秀な人材を早急に集め、一刻も早く最強の態勢を作ろうと計って、部外から出自に全く関係なく、一回のペーパーチェックをクリアーすれば、後はエスカレーター式に高級将校になる道が開かれたということだ。
昭和の軍人の悪弊は、この「出自に全く関係なく一回のペーパーチェックをクリアーすれば」という部分にあったわけで、その事は今日でも大部分の日本人は認識していないと思う。
これこそ究極の民主化であったわけで、世界でいずれの国も経験したことのない斬新的なことであった。
つまり、江戸時代約250年の間の武士階級というのは、人口の5%にも満たなかったと思うが、彼らは金銭的にいくら貧乏していても支配階級だという矜持は持ち続けていた。
「武士は食はねど高楊枝」という戯れ言葉が、それを端的に示しているわけで、「いくら貧乏でも曲がったことまでして安逸な生活はしないよ」、ということを誇示していたのである。
ところが、明治維新の文明開化では、四民平等がうたわれて、出自を問わず、一回のペーパーチェックをクリアーすれば、将来、高級将校になる道が開かれたわけで、武士のみならず商人、百姓、職工、エタ、卑人まで、このたった一回のペーパーチェックに臨んだわけである。
つまり、そういうクラスまで職業軍人になる機会均等が実践されたので、それが職業軍人の知性や理性の底値安定につながったわけで、そもそも明治、大正、昭和の初期の時期に、職業軍人を目指そうという発想そのものが極めて水飲み百姓の根性である。
今は百姓という言葉そのものが差別用語らしいが、百姓根性そのものが人として実に卑しい思考だからこそ、その言葉を差別用語として認定したのであろう。
その対極には武士道という言葉があるが、百姓根性と武士道では、それぞれにその出自を暗黙の内に物語っているではないか。
人間の歴史の中では、あらゆる民族が戦闘集団としての軍隊を持っていると思うが、その中でも先進国の軍隊の将校、つまり文化的に進化した国あるいは民族の軍隊の指揮命令系統を司る人は、基本的に貴族の出身者がなる。
平民や農奴クラスの人がそういう職域になることはごくまれなケースであったが、日本の軍隊は、そこを大きく門戸開放を行ったわけである。
結果として、昭和の初期においてバカな軍人が数多く輩出したというわけで、彼らが自らの組織そのものまで壊滅させてしまったということだ。
これが優秀だといわれた、陸軍士官学校、海軍兵学校の卒業生の成れの果てであり、彼らの実績である。
戦後、あの戦いに生き残った彼らは、一体どういう気持ちで自分の母校に思いをはせているのであろう。
何度も言うが、負ける戦なら誰でも出来る。
軍人が戦争する以上勝って当然である。
勝てない戦ならば最初からしてはならない。
問題は、あの昭和16年の12月の時点で、日本はアメリカと戦をしても勝ち目はないということが解る人には解っていた。
解っていたけれどそれに突き進んだ。
戦いには勝敗が付きものだと言うが、それは後知恵であって、負けると解っていれば、手を出してはならない。
やってみなければ解らない、あわよくば幸運に助けられるかもしれない、という楽観主義で戦いに臨てはならない。
昭和の初期の段階で、軍人が政治を翻弄して、国を奈落の底の突き落としたことは誰もが認めざるを得ないが、その中においても、日本の帝国大学は何の支障もなく機能していたわけで、そこでは学生も教授も真摯に授業をしていたに違いない。
ところがこの時代、日本の帝国大学に進学した人たちというのは、一体どういう人達だったのであろう。
陸士とか海兵という士官養成機関は給料が貰える方であるが、旧制大学では矢張り授業料を納めなければならなかったにちがいない。
だとすれば、そこに籍を置く学生は、それが払えるだけの金持ちでなければならないわけで、そういう人達はそういう人達で、軍人の政治介入をどういう視点で眺めていたのであろう。
戦後になって、映像でも何度も見た、神宮外苑の学徒出陣の式典の様子(昭和18年10月)を見ると、東大をはじめとして約2万5千名の学生がこの出陣式に参加し、その内3千名が帰らなかったといわれている。
彼らは、今更、言うまでもなく、日本の最高の知性と理性であったわけで、そういう若者が学生の兵役免除が切れるまで、つまり国家が戦争遂行の人出がなくなって、今まで兵役を免除していた学生まで刈り出さねばならなくなるまで、のほほんとしていたということでもある。
昭和18年と言えば戦争もいよいよ佳境に入って、日本の敗色が濃くなるころで、この時期に至るまで日本の最高学府の人達は、自主的に兵役について、国家に殉じようという人はいなかったということでもある。
兵役についてしまうと、今度は部内のシステムで、大学出にふさわしい職域に配されるということはあったろうが、自らの意思で、国家に殉ずるという発想は、最期の最後まで湧いてこなかったみたいだ。
徴兵で集められた兵隊は、どこまでいっても烏合の衆であるが、帝國大学の学生ともなれば、当然そういう人間とは資質が違うわけで、それなりに有意義に使わねば国家的損失になるのだが、どうも統治する側もされる側も、そういう発想には至っていないみたいだ。
私はそういう状況に、極めて強い憂いの感情を持っているが、帝国大学の学生やその卒業生が、軍人の政治介入や、高等教育を受けた人材の活用という面で、何の考慮も払っていないということは、極めて由々しき問題だと思う。
戦争をする、戦争を遂行するという現実に際しても、高い教養と知性や理性が必要なことは言うまでもないが、我々の国では、その事に最高学府の人達も、軍部の人達も一向に気が付いている風にはみえない。ここが我々日本民族の根源的な問題はなかろうか。
政治に、知性や理性が何に一つ反映されていないわけで、そこにあるのは国益と称する自己欺瞞でしかない。
それは詰まる所、戦争或いは政治の私物化でしかない。
政治の稚拙さも、戦争の稚拙さも、学校教育では何とも是正の仕様が無い。
あの昭和の初期の時代に、我々はいくつも帝國大学を擁していたわけで、そこでは絶えず知性と理性に磨きがかけられていた筈であるが、それがあの当時の政治と軍部の行動に何に一つ影響を与える力を発揮できないでいた。
陸士、海兵という学校は、何処まで行っても職業訓練校である。
この認識は、昔も今も日本人の中には存在していない知覚で、陸士、海兵が職業訓練校だという認識が醸成されない限り、シビリアン・コントロールの概念は成り立たない。
シビリアン・コントロールを実りあるものにするためには、旧制の帝国大学のような所で、理性と知性に充分な磨きのかかった人材を育成しなければならず、そういう人に国の舵取りを任せなければならない。
昭和の初期に軍人が政治に介入した時、旧帝国大学出の知識人は一体何をしていたのか、と問いなおすべきである。
こういう状況下で影響力を示せ得る階層は、言うまでもなく政治家であって、その政治家をフォローすべきが本来ならばメデイアでなければならなかった。
ところが、こういう階層の人達は、軍人の張り子のトラの象徴であるサーベルの音に震え上がってしまって、言うべき事も言えなくなってしまった。
私の世代のもう少し上の世代の人は、「子供の頃は軍国少年であって、将来の夢は軍人になる事で、日本が負けるなどということは信じられなかった」と述懐している。
こんな小さな子供までを軍国主義者にする社会を一体どう考えたらいいのであろう。
それにはメデイアの影響が大いにあったことは否めないが、メデイアというのはどうして、こう無責任な態度でいれるのだろう。
メデイアは政治の当事者ではないわけで、「あれが悪いこれが悪い、ああすればいいこうすればいいと」、言いたい放題のことは言いまくるが、それには一切責任はついていないわけで、間違ったからと言って、会社がつぶれるような制裁は受けない。
だとすれば、メデイアで報道を担当するものは真に厳正中立で、事実を事実としてのみ報道するのは当然であるが、我々の場合、ここでも非常に好意的にというか、皆の為に役立とうとか、善意に満ちた報道をしてしまう。
それが戦意高揚というポーズになり、国策に忠実たらんと鼓舞宣伝することになり、結果として虚偽の報道になってしまうのである。
それが先般問題となった100人切りの報道なわけで、前線で抗戦中のある士官が、新聞記者の前で、ほら吹きの真似をして多少大げさに自慢した話を真に受けて、それに輪を掛けて誇大に報道したものだから、それを敵国側からすれば、格好の攻撃材料になったわけで、金寄こせという訴訟に繋がったわけである。
この問題においても、当然、メデイア側に良心があるとするならば、その報道の真実を明らかに公表すれば、無用の摩擦は避けられたにもかかわらず、メデイアの側はそれをしなかった。
それは損得の問題ではなく、良心の問題であるが、日本のメデイアの関係者の中には、こういう良心の欠けた人材が余りにも多すぎる。
メデイアの使命は、統治者を監視するという意味が多分にあることは理解できるが、だからと言って自らの良心をドブに捨ててもいいということにはならな筈で、昭和初期の日本のメデイアも、当然のこと自分の目で見、自分の耳で聞いたことを素直に報道すればよかったが、この部分で非常にモノわかりよく体制側にすり寄ったので、日本の全国民が見事に軍国主義に洗脳されてしまったのである。
「組織の興亡」という場合、如何なる組織も、烏合の衆という体裁はありえないわけで、組織の構成員というのは極めて学識経験豊富な優れた人士が多いはずである。
そういう優れた人士でなり立ている組織が、何故つぶれるのかという点は、実に不可解な部分であるが、旧帝国軍隊の崩壊のみならず、日本の組織はあらゆる組織が崩壊の危機にさらされでいる。
その理由が私にとって極めて不可解極まりないことである。
学識経験豊富ということは、高等教育をつつがなく終了している、というか修めているわけで、ならばそこで習得した学問は、個々の人間の人生に如何ほど役に立っているかということに尽きる。
単純に考えて、旧軍隊では陸士、海兵という学校で習得した教養・知性が、その後の卒業生の人生を統御しているわけで、その結果として組織が崩壊してしまったということは、彼らの習得した学問は一体何であったかということになるではないか。
戦後の民間企業でも、バブル崩壊にともなって崩壊した会社は数限りなくあるが、そういう優良企業の経営も、ただその辺りのホームレスのような烏合の衆がしていたわけではなく、旧軍と同じように、それ相当に立派な大学を出た人達がやっていたに違いないが、それでも企業が潰れるということは、高等教育で学んできた教育が何の役にも立っていないということではないか。
教育というのはタダで出来ているわけではなく、陸士、海兵という学校でも、あるいは帝国大学でも、国費がそこでの教育には投入されているわけで、金と時間と労力を限りなくつぎ込んで、立派な高等教育を施しても、それを受けた卒業生が組織をぶっ潰すような実績しか残せないような教育であるとするならば、何の意味もないではないか。
旧制大学の卒業生でも、軍人の政治への横暴を抑え込めない、批判できない、軍人のサーベルの音に恐れおののいているようでは、帝国大学の高等教育が泣くというものではないか。
軍人が腕力で威張り散らせば、それをシビリアンは言論で抑え込み、メデイアは報道で批判し、国益というものをもっと真剣に考えるべきではなかったかと思う。
ただ、陸軍の独断専横は目に余るものがあったが、それに同調することの非を、当時の誰もが認識していなかった。
確かに、中国大陸で陸軍が少し実力行使すると、「勝った勝った」と有頂天になり、実際よりも誇大に報道するので、内地の日本人はそれを真に受けるわけで、その虚実を当時の知識階層、学識経験者といわれる人々は是正しなければならなかった。
そもそも我々同胞の中国人蔑視、シナ人蔑視の思考がどこに原因があるか、と言うことから考察を始めなければならないと思うが、個人的には日清・日露の戦役に勝利を治めたところにあると思う。
この二つの戦役で、日本の大衆、つまり徴兵制の元でかき集められて、兵役という型で大挙して中国の地に足を踏み入れた事が、我が同胞の中国人蔑視、シナ人蔑視の原因だと思う。
日本の大衆が、中国の現状を目の当たりにして、中国人、シナ人何するものぞという心境に至ったと考えられる。
そういう価値観が当時の日本の全国、津々浦々に浸透してしまったので、我々の貧困からの脱出には、中国を足掛にすればいいという発想に繋がったものと考える。
昭和初期の日本陸軍の行動も、陸軍が好き勝手に専制君主になろうとしてわけではなく、その背景には、当時の日本国民の潜在意識が潜んでいたと思う。
その時の潜在意識を今ひも解いてみれば、「我々の貧乏からの脱出のためには、中国を足掛かりにして、多少迷惑を掛けてもいた仕方ない」という、ご都合主義であったに違いなく、これが当時の日本国民の本音であったと思う。
しかし、それは自分にとって、我が日本にとってまことに都合の良い言い分であることは間違いなく、相手の心情を推し量ったものではない。
だが、我々日本としては、中国、シナに対してはまことに傲慢で、先方にしてみれば腹に据えかねる行為であったろうが、我々は中国の戦争では負けた訳ではない。
ソ連に対しては、終戦のわずか1週間前とはいえ、正真正銘の敗北であったが、ソ連邦の戦争の仕方には、それこそ人倫にももとるが、実力で領土を蹂躙された以上、何とも仕様がない。
組織の興隆に構成員の受けた教育が何ほどの力にも成りえないということは、組織の維持管理には教育とは別の次元のカリスマ性が必要ということなのであろうか。
ということはトップのカリスマ性が大きく組織の維持に関わり合っているということなのであろうか。
宗教の団体ならばそういうこともありうるかも知れないが、目的意識を持った組織で、リーダーのカリスマ性などということはあり得ないし、あってはならないと思う。

「モルジブが沈む日」

2011-09-22 07:46:57 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「モルジブが沈む日」という本を読んだ。
サブタイトルには「異常気象は警告する」となっている。
翻訳ものであるが、そうとうに重厚な読み物であった。
内容的にはサブタイトルにもあるように、「今の地球は異常気象ではないか」ということで、温暖化が進んでいるように報道されているが、この温暖化は本当なのかどうか、ということを追い求めた内容であった。
温暖化がもし本当ならば、北極や南極の氷が解け出して、標題の言うように、モルジブという国は水没してしまうであろう、ということを述べている。
異常気象は地球規模であちこちにあらわれていて、その事例がかなり詳しく述べられているが、その一つ一つが、地球の温暖化に関連するかどうかは、結論としてはまだ判っていないということである。
この異常気象も、地球の大きなサイクルの中の変動の一環ではないか、あるいはそういう大きなサイクルから逸脱した、特異な現象かどうかの確定は、今のデータでは難しいということのせめぎ合いになっているということである。
地球の誕生は、何億年という単位で存在し続けているが、今、我々が直面している異常気象は、あくまでも我々の生きている何十年という単位の変化なわけで、それは地球規模での比較をすれば、僅かに一瞬の出来事なわけで、地球の気候変動のサイクルからすれば、比較検討さえ成り立たない瞬時のことかもしれない。
その変動に元の所に、人間による化石燃料の使用が、炭酸ガスを排出しているので、この炭酸ガスが異常気象の根源だ、という考え方の是非が問われようとしている。
地球上における人類の繁殖が、炭酸ガスを限りなく排出させているので、その炭酸ガスが地球上の異常気象の元だという論理であるが、考えて見ると、地球上の生物の中には既に絶滅したものも数限りなくあるわけで、その端的な例は恐竜である。
この恐竜の絶滅は、恐らく宇宙規模の変革がこの地球上に起きたからと考えられる。
巨大な隕石が地球と衝突して、地球上に大きな気候の変動が起きて、それで恐竜も自分の生命を維持できなくなったと思える。
地球に巨大な隕石が衝突するということも、地球の誕生以来の何億年という単位の時間の中ではありうることで、隕石が地球上に落ちてくれば、恐らく大きな気候変動を伴うと思う。
素人考えでも、隕石が地球と衝突した衝撃で、地球上の砂や石が舞い上がり、それが天空を覆い、太陽の光をさえぎって、異常気象を呈するとも考えられる。
その異常さの振幅は、我々の想像を超えるものであろうが、その程度は誰にも判らないわけで、氷河期になったのか、それとも温暖な気候になったのか、皆目見当もつかない。
しかし、地球の歴史は、そういう気候あるいは天候の変動を、内に秘めたまま今日があるわけで、その中には生命体の誕生と消滅も当然内包されていると思われる。
恐竜の消滅も、当然、その時間の流れの中の出来事であったわけで、石炭あるいは石油の存在も、そういう地球の生成の結果であったわけで、65億年という時空間の中でも、決して変わることのない真理は、命あるものは必ず死ぬと言うことである。
65億年の地球の歴史の中で、人類の誕生というのはわずか200万年前になる。
その200万年の内、199万年までは、まさしく猿並みであったわけで、人としての格好が付くのは、僅かに最後の2千年ぐらいの間でしかない。
この最後の2千年の内でも、人間が化石燃料を使って炭酸ガスを際限なく放出するようになったのは、これも最後の最後の僅か100年に過ぎない。
しかし、地球の生存にとって最大の問題点は、人間の生存ではないかと思う。
この地球上に人間さえ居なければ、地球の温暖化という問題はあり得ず、全ての現象が、自然の輪廻転生のままに、自然界の変動幅の中に収まるに違いない。
ところが、ここに人間の存在という因子を加味すると、自然界の変動幅に異常をきたしてしまうわけで、特異な現象ということに成りがちである。
この特異な現象というのも、ある意味で20世紀や21世紀の人間が未だ経験していないというだけのことで、自然界の自然の変動幅の中には、既にあったものかもしれない。
この本の中にはトルネードや、ハリケーン、大洪水のことが異常気象として捉えられているが、それは人間が体験したという意味で、想定外の被害を見て異常だと思っているにすぎず、その場に人間というものの存在がなければ、如何なる被害も、如何なる災害も、如何なる天災もありえないわけで、それはただ単に自然の営みそのもので済んでしまう。
大きな川の傍に人間が家をつくるから、大水でそれが流され、人が死ぬわけで、そんな川の傍に家を作らなければ、災害には成らずに済んでいる。
地球が誕生して65億年といわれているが、その間にきっと様々な生命が誕生し、そして消滅した生命も数えきれないほどあったに違いない。
しかし、約200万年前に誕生した人類という生命は、決して絶えることなく増殖する一方であった。
今、知的な文化人の間では、絶滅しそうな動植物の保護という動物愛護の運動が、さも文化度の度合いを計るバロメーターのように言われているが、これもまさしく人類の驕りそのもので、自然を冒涜する発想だと思う。
この地球上に存在するあらゆるものが、いずれは消滅するという発想こそが、自然に対する敬虔な態度だと思う。
この植物、この動物を、今ここで絶やしてしまうと、後はいっさい同じものが生まれない、というのは明らかに何の疑いもなくこの世の真理であるが、それこそが自然の営みであって、地球上の生命の誕生とその対極にある消滅の現実であって、それでこそ自然の営みというものだと考える。
「これは貴重な種だから絶やしてはならない」というのは人間の側の勝手な思い込みに過ぎず、知識人の驕り以外の何ものでもなく、自然を冒涜する発想だと思う。
20世紀後半から21世紀にかけて、人類が使う化石燃料が炭酸ガスを放出するので、それが地球温暖化の原因だという論法は、まだ結論が出たわけではないが、わずか100年の経験から、65億年も生存し続けた地球の気候を推し量ろうという発想は、発想そのものが不遜だと思う。
しかし、私レベルのアホな人間の思い付くこととしては、人間が自分の生活の便利さにかまけて化石燃料を使い続ければ、大気中の炭酸ガスの量が多くなることは間違いない。
そうなればきっとその揺り戻し、炭酸ガスの量の増加に伴う新しい兆候というか、従来の人間がまだ経験したことのない現象が現れるということは充分予想される。
その変動の幅が、自然界の変動の幅の中の収まるかどうかは、誰にも判らないわけで、今起きている現象は、今生きている人々がまだ経験したことのない大事件ではあるが、真に未曾有な出来事かどうかは、誰にも判らない。
問題は、こういう状況で、人的被害が出るということなわけで、人さえ死ななければ、大事件でも大災害でもないわけで、人が死ぬから大騒ぎをしているのである。
アフリカの草原でライオンの足にとげが刺さると、そのライオンは餌が取れずに餓死する。
同じように草原にいる野牛の群れは、病気や怪我で俊足に走れない個体が、肉食動物の餌食になるが、犠牲になった個体を、その仲間が悼むかというと、そういうことはないわけで、死を淡々と受け入れている。
しかし、人類だけは仲間の死を悼み、特に身内の死に対しては、その死を悼む感情は並々ならぬものがある。
これは一体どういうことなのであろう。
人の死を極度に忌み嫌い、生に固執する我々、人類の生き様というのは、どういう風に解釈したらいいのであろう。
地球の誕生が65億年前だとすると、その間に色々な生命が生まれては消え、消えては生まれていたと想像する。
恐竜などもその端的な例であるし、我々、人類の先祖も、限りなく類人猿に近い者から今の我々のよう完全なるホモサピエンスに至るまで、様々な種が生まれては消え、消えては生まれて、最期に生き残ったのが今の人間と言える。
この最期に生き残った人間は、際限なく増殖の道を歩んでいるわけで、死ぬことを罪悪ととらえ、忌み嫌い、生への確執がとめどもなく強く、何が何でも生き抜くことを善と見做している。
そして、その増殖した人々は、これ又、際限なく化石燃料を使うわけで、地球上は炭酸ガスで覆われてしまう。
そうなれば当然のこと、地球は炭酸ガスで充満して息が出来なくなってしまうので、今の内に何とか手を打たねば、という発想に陥るのも自然の流れではある。
この地球上に生を受けた人間が、仲間の死を悼む感情を持つようになったということは一体どういうことなのであろう。
人間というのは、母親の体内から生まれ落ちた時は、正常な分娩であったとしても完全に未成熟な個体で、その個体が親と同じ成熟した個体になるまでには約20年を要する。
この約20年間という間は、親の庇護の元に生きているわけで、その親の庇護という無償の愛の中で、他者を労わるという感情が醸成される。
生まれ落ちた時から成人に達する間に、それぞれの個体は親の愛情に育まれて、親の愛と指導と労わりの中で生育するので、近親者が死んだという時には、当然、そういうものが断ち切られる悲しみを感じる。
ここで大いなる愛を失うということを実感として体験するわけで、それが積み重なって他者の死を憐れむ、という感情が蓄積されたのであろうか。
他の人間以外の動物は、生まれ落ちた瞬間にもう立ち上がり、餌も自分で取るわけで、親の愛情に育まれるということは無いわけで、他者の死に対しても何の感情も湧かないに違いない。
それに引き換え人間は、他者の死を我が事のように憐れむ感情を持っているので、死者に対してより以上の愛情の発露を指し示すことを厭わないのである。
だから、生きた人間の基本的な潜在意識として、長寿願望があるわけで、いつまでも長生きしたいという思いが誰かれなく持つということになる。
そのことによって、死ということは生きた人間の最悪の事態なわけで、生きた人間は誰も彼もが死を悼み、死から逃れようとし、他者の死を憐れむのである。
地球上に生存するあらゆる人々、つまり人間の集団というのは、基本的に死を忌み嫌い、死から逃れるべく知恵と才能を酷使するわけであるが、いくら手を尽くしても、それから逃れることはできないわけで、ならば死んだ人を少しでも崇め奉って、その魂を救済しなければと考えるのである。
その結果として人間は災害を少しでも避けて、人々が死に直面しないように、手を尽くし工夫を凝らしているのだが、自然の威力はそういう人間の努力をまるで意に介していない。
最近、大災害が多発して、「気候が異常になったのではないか」という発想は、その根本のところに人間の命の消滅が数限りなくあったので、大騒ぎになっているに過ぎない。
トルネードであろうが、ハリケーンであろうが、大洪水であろうが、熱波であろうが、大寒波であろうが、そこに人間の存在さえなければ、災害でもなんでもないわけで、ただたんなる自然の輪廻転生に過ぎない。
そういう考え方に立ってみると、人間が化石燃料を使うから、炭酸ガスが増え、それが異常気象の元だという論拠は、極めて希薄になる。
ただ私が不思議に思うことは、アフリカの奥地というよりも、未開な地域というか、当たり前の国家の体をなしていない地域の人々が、旱魃で食糧難に陥り、何千何万という難民が出ているということである。
それを国連が食糧援助と称して救済しようとしている。
が、国連の名の元で行われている食糧援助ということが、果たして本当に必要かどうか甚だ疑問に思っている。
人が死にかけているから、何が何でも救済しなければ、生かさなければ、ということが果たして本当に善なのであろうか。
これはイスラム教徒とアメリカの対立の構図にも当てはまるが、近代的に進化した国が、食うや食わずの未開発の国や民族を、支援或いは援助することが果たして本当に善なのであろうか。
アフリカの食糧難民の上に、アメリカや国連が空から飛行機で食糧を撒き散らしたとして、その難民たちが生き永らえるものだろうか。
しかし、世界の知識人、有識者、学識経験者、賢者、大学教授、有名なジャーナリスト、或いは評論家という人々は、「こういうアフリカの難民を救済すべきだ」と言っているが、その発言は自分が良い子ぶって理想論を振りかざしているだけではなかろうか。
この類の人達は、大見栄を切っているだけで、そういう風に発言しないと、自分が干されてしまうからそういう風に見栄えの言い、大衆受けのする、理想を絵に描いたような事を言っているのではなかろうか。
そもそも人類の誕生は200万年前に遡ると言われているが、その時はアメリカ人を唯一の例外として、中国人も、日本人も、イヌイットも、マサイ族も、イギリス人も、フランス人も、アポリジニも、スタートラインは皆同じであったはずである。
それ以来、200万年という時間を共有する間に、一方は飛行機から食糧を落とす側に、もう一方は地上でそれを受け取る側に身を落としているわけで、この立場の相異が生まれたのは一体何なのだ、ということを誰も問い直そうとしない。
先進国が後進国を援助しなければならないという発想は、人間としての極めて傲慢な思い上がりだと思う。
地球上に最初に人類が登場して以来、他者に淘汰された人類、民族は数限りなくあったに違いない。
近代化に乗り遅れた民族は、淘汰されるのが自然の流れであって、そういう人々を救済するという発想は、自然の摂理を冒涜するものだと思うし、ただ単に「良い格好シイ」の自己満足の域を出るものではない。
現在の社会では、アメリカとアラブ諸国、先進国と後進国、開発国と開発途上国という色分けが歴然と存在するが、西洋先進国、アメリカ、日本という先進国があって、その後を中国とか韓国、インドが追い上げているが、それはその国、或いはその民族の一人一人の努力があってなされた実績なわけで、先進国においても過去にそういう努力があったればこそ先進国たりえたのである。
結果的に、後進国を搾取した部分がゼロではなかろうが、それを跳ね返すことこそ後進国の努力すべきことでもあったわけである。
そこの部分の努力を怠ったからこそ、食糧を投げ与える立場と、下で受け取る立場の相異があるわけで、大きな自然界の流れの中で捉えれば、他から食糧を分けて貰わねば生きていけれない民族は、とうに昔に淘汰されてもしたかのない立場だということである。
世界の知識人が「そういう人々を救済せよ」と声高に叫ぶのは、自分の身を傍観者の位置に置いて、「良い格好シイ」のポーズを振りまいているにすぎず、売名行為か偽善者なのであろう。
地球上の人間が際限なく増殖するとなれば、結果として、自然界に対して何らかの影響が出ることは必然的なことだろうと思う。
その結論が今の時点でははっきりとは判らないので、皆が疑心暗鬼に陥っているが、人間の際限ない増殖が、自然界に何の影響も及ぼさないということは、あり得ないと思う。
アメリカ大陸の大西洋と太平洋の海沿いの部分、日本を含む中国大陸の海沿いの部分の人の集まりのことを考えれば、このエリアで消費される化石燃料のことを想像するだけで、自然界に影響が出ない筈がないではないか。
私の極めて素人っぽい思考では、地球上にある物質のトータルの量は、ロケットで宇宙に放り出さない限り不変だと思う。
例えば水を例にとれば、地球上で何処かに大雨があれば、他の場所では旱魃になっているのではないかと思う。
温暖化で、南極や北極の氷が解ければ、水位が上がるというのもそれとの関連だと思う。
だとすれば、石炭と炭酸ガスの関係にもそれが成り立つのであろうか。
燃やした石炭の質量と、それで出た炭酸ガスの質量は同じということになるのであろうか。
しかし、そういうことは自然界からすれば何の違和感もないわけで、太陽の熱で蒸気が発生し、それが雨になって地上に降り注ぐという循環を律儀に行っているだけで、降る量が多少多くなったり少なくなったり、時期が早かったり遅かったり、多少ずれることもままあるわけで、そうそう驚くべき事ではなかったかもしれない。
ただ地上の災難というのは、人間にとっての災難であるだけで、自然界からすればごく普通のサイクルに過ぎないのかもしれない。
自然界はごく普通に輪廻転生を繰り返しているだけなのに、人間の方は絶え間なく増殖をしているわけで、ほんのわずかな時間単位で、人間の数が級数的に増えるのだから、そこにごく自然の成り行きで、風が吹いたり雨が降ったりすると、人間側にとっては未曾有の大災害になってしまうのである。
人間の数が級数的に増えることについても、人間側では何の対策、増殖を抑制する何の対策も取ろうともせず、「そういうことは人間の良心に反する極悪非道なる振る舞い」という感覚で語られている。
人間の集団を先進的な人々と後進的な人々という分け方をすると、限りない増殖を招いているのは、後進的な人々なわけで、この後進的な人々の存在は、先進的な人々の社会をも壊滅的な状態に追い込みかねない。
極く普通に考えて見ても、アメリカの農業は極めて効率的で、わずかな人間が巨大な機械を酷使して膨大な穀物生産を行って、アフリカの飢えた人々に空からそれをバラまいている。
だが、同じ人間でありながら、何故アフリカの人々には、アメリカ人と同じことができないのだ。
何故イラクの人々は、アメリカ人と同じ生産活動ができないのだ。
これを私流の荒っぽい言い方をすれば、アフリカの人々も、イラクの人々も、その他の後進国といわれる人々も、基本的にそういう人たちは馬鹿で、頭が悪く、怠け者だから、同じ人間でありながらこういう差が出てくるのだと言いたい。
前にも言ったように、人間のルーツをたどれば、地球上の如何なる民族も、そのスタートラインは同じであったわけで、同じスタートラインで同時にスタートを切ったにもかかわらず、21世紀の今日、これだけの差が生じたということは、それぞれに民族の個性があったわけで、その個性の中には、頭の悪さや、頑固さや、回転の鈍さや、進取の気性が欠けていたり、根っからの怠惰であったり、人間の資質として負の面を含んだ部分が多かったものと推察する。
地球上の如何なる場所に住みついた民族であろうとも、自己保存、生存競争を生き抜くという先天的な使命は、潜在意識として刷り込まれているはずで、21世紀において先進国と後進国の間にこれだけの差異が生じたということは、それぞれの民族の個性が大きく関与していると思う。
イギリス人のピューリタンが新大陸に渡ったのも、フランス革命も、明治維新も、ロシア革命も、中国の革命も、それぞれにそれぞれの民族が死に物狂いに生存競争を生き抜こうとした結果であったわけで、今の後進国といわれている国々に、或いは民族に、こういう歴史を持っているかといえば多分持っていないと思う。
その結果として、食糧を空からばら撒く側と、下でそれを受け取る側の相異が生まれたわけである。

「風呂と日本人」

2011-09-21 07:48:40 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「風呂と日本人」という本を読んだ。
前にも風呂に関する本を読んだが、前の時は「今どきの若い女性は、銭湯に入る時に、前も隠さず大手を振って堂々と入ってくる」という風に、若い女性の羞恥心について話を進めたつもりだが、この羞恥心というのも、時と場合と状況によって大いに変わるもののようだ。
先に読んだ纏足の話でも、美の価値観の問題という視点から説いたつもりだが、羞恥心というのも基本的には価値観の問題に行きつく話だと思う。
ところが、この本は、風呂そのものについての記述が多いが、日本の風呂が最初は蒸し風呂、いわゆる我々の認識でいうトルコ風呂乃至は、サウナというものが主流であったということは前の本にも述べられていた。
そして、我々が普通にしている全身を湯につけるという入り方の方が異例であったと言うことも前の本に書かれていた。
風呂に関する記述で、昔は蒸し風呂が主流で、全身を湯につける入り方の方が異例であったとは言うけれど、日本のみならず人の居るところには必ず刑務所や監獄、はたまた軍隊があるわけで、そういうところの風呂は一体どうなっていたのかという話が極め少ない。
私の個人的な経験からすると、風呂の在る会社は、それだけ労働が厳しいから風呂があるのだから、そこで働く時は、そういうことを考慮に入れて、職場の選択をすべきだ、と人生の経験から言うことができる。
半世紀も前の話だが、私も若さゆえに無責任な曖昧な生き方をしていた時期があって、深く考える事もなく、臨時工などといういい加減な仕事について糊塗を凌いでいたこともあった。
ところが、そういう職場には大概大きな風呂が用意されていた。
仕事を終えて、暑い風呂に入って一日の汗をきれいさっぱり流して、一杯ひっかけて家路をたどるのが、その時の刹那的な生き様であったが、こういう時の風呂というのは、大かた銭湯のような立派な風呂で、その日の汗は綺麗さっぱり流すことは可能であった。
つまり、そういう環境に自分の身を置いているということは、会社というヒエラルキーの一番最下層にいるということで、一日の汗を綺麗に流して、会社の前の屋台で一杯喉を潤して家路に帰るということは、見た目は幸せな図かもしれないが、将来の夢も希望もそこにはない、という立派な証拠である。
大の男が、風呂の在る職場を誇りにしていては、将来の出世はあり得ないということである。
会社の風呂というのも、会社の福利厚生施設の一環という面もあるが、職場に風呂があるということは、風呂に入らねばならないほど労働がきついということでもあるわけで、働く側としては喜ぶべきことではない。
民間企業で、職場に風呂があるという場合は警戒しなければならない。
そういう職場に居て、今度は自衛隊に入ると、ここにも立派な風呂があるわけで、この自衛隊の風呂というのは、労働の汗を流すとはまた別なニュアンスがあるようだ。
そういう意味で、自衛隊の風呂に関連して、旧軍隊の風呂はどうなっていたのか、はたまた刑務所、監獄の風呂はどうなっていたのか、興味の尽きることはないが、ここだけはまだ入ったことがないので詳細は判らない。
しかし、自衛隊の風呂はプールのように深くて大きいが、如何せん温泉ではないので武骨で、コンクリートの打ちっぱなしで、蒸気で沸かすようになっているので、温泉気分に浸るというわけにはいかない。
実用一点張りで、まさしく体を洗うという機能のみで、気分転換とかリラックスするというような情緒的なものはまるっきり備えていない。
そして、新兵さんの時は、この風呂の湯を最初に攪拌する作業員の役を割り当てられる事があって、しぶしぶ出頭すると、浴槽の蓋になっている長い板を湯船の中に突っ込んで掻きまわすのであるが、まさに草津温泉で絣の着物に赤いたすきをかけた女性が湯を掻きまわす図と同じである。
そんなに難しい作業ではないので、言われた通りにしておけば事なきを得た。
しかし、そういう作業が無い時ならば、一日の稼業が終わった後、自由に入ってもよかった。
だがそこは戦後の自衛隊であって、旧軍ではどうであったか、ということは案外知られていない。
あの時代、日本の男性の8割9割の人が、軍隊生活を経験している筈であるが、その中で風呂の話は余り聞いた事がない。
全然ないわけではないが、新兵さんの時は自分の身体を洗う間もなかった、というような話は漏れ聞いている。
旧軍のおいては、階級制度が厳格に順守されていたので、新兵と経験豊かな兵隊では、風呂の入り方にも相当な苦労の開きがあったのではないかと思う。
しかし、日本の軍隊では如何なる駐屯地にも、大なり小なり風呂というものは設置したと思う。
我々の感覚では、我々、日本人の生存には、風呂というものが無しでは済まされない必須アイテムであるので、如何なる生活条件でも、入浴の施設は真っ先に設置するという思考であったのではないかと思う。
しかし、この本でも他の本でも述べられているように、我々が首まで湯につかる入浴方法というのは、極めて新しい風習なわけで、日本全国津々浦々そういう生活習慣があったわけではなさそうだ。
そういう意味で、日本の旧軍隊の存在というのは、我々が首まで湯につかる入浴方法を全国に広めたのは案外軍隊での経験があったからかもしれない。
軍隊の生活が、人々の生活の革新を促したということは、結構あるような気がしてならない。
例えば、我々が皮靴を履く習慣なども、案外、軍隊生活がそのフォローをしたようにも思える。
というのも、明治維新による文明開化も、都市の住民は常に見聞きするが、地方の人々は、そうそう新しい文物を見聞きするわけではないので、徴兵制で兵役について初めて近代化した文物に接したという人も結構いると思う。
そういう意味で、軍隊に入営して始めて皮靴を履いた、という人もいても不思議ではない。
風呂の習慣も、案外そういう動機で、軍隊では毎日風呂に入っていたので、それで除隊してからも、その習慣がそのまま残った人々が、風呂を愛好するということになったのではなかろうか。
我々の文化を考える時、昔の軍隊が国民の文化レベルの向上に貢献した部分もかなりあるように思う。
先に示したように、皮靴を履くことも、銭湯に入る習慣も、案外、軍隊生活の影響ではないかと私なりに考えるが、卑近な例ではトイレの西洋式の便座も、自衛隊での経験が土台となって我が家に取り入れた。
そもそも、戦う集団としての軍隊、あるいは自衛隊というのは、戦う事を前提とした組織であるならば、あらゆる場面で、究極の合理化を追求しなければならないわけで、ミニマムの力でマキシマムの効果を得る工夫をしなければならない組織である。
その中では当然のこと、普通の日常生活においても参考になる事例は山ほどあると考えなければならない。
軍隊、あるいは自衛隊を経験した人が、社会に出てそれを応用するということは、極めて有意義なことだと思う。
我々が毎日でも風呂の入りたがるという習性は、そういうところからも広がっていったに違いない。
で、ああいう大きな風呂について、私がまだ現役の時、ある会社の鋳物工場の警備の仕事をしていた。
鋳物工場というのは、溶かした鉄を型に流し込んで製品を作るのだが、型は粘土で出来ており、その表面に、製品を剥がしやすいように黒鉛が噴きつけられている。
この一連の作業は極めて過酷な作業で、作業員は一日仕事を済ませると、全身真っ黒になる。
それで、当然のこと、その汚れを落とす為に風呂が用意されていて、その風呂たるや、まさしくプール並みの広さであった。
その風呂に、我々も貰い湯の形で入れさせてもらうわけだが、彼らの使った後の浴槽には、身体に付着した埃が澱のようにたまっていたものだ。
ここで私が言いたいことは、風呂のある職場は、それだけ労働が厳しいという事だ。
昔の国鉄の蒸気機関車の運転手たちも、この鋳物工場の人達と同じような苦労をされていたのではないかと思う。
我々、日本人は極めて風呂好きといわれているが、風呂に関する文献というのは案外少ないように見えるが、果たして本当はどうなのであろう。
「衣食住」と言う言葉があるが、その中にも風呂のことは入っていないわけで、日常生活の中でも、風呂のことはついつい忘れてしまうということなのであろうか。
旅行に行っても風呂に感動したという話はあまりない。
最初に目にした時は「わ―、すごい」と思ったとしても、家に帰りつくともうその事は忘れてしまっている。
そして不思議なことに、自分で思い描いていた以上の時は、その場では確かに感動するが、その反対の時は執拗に覚えているのが不思議だ。
つまり、旅行に行って泊まったところの風呂が人並みの時は何も記憶に残らないが、想定外に悪かった時は鮮明に記憶に残るということだ。
そして西洋にも風呂というものはあるわけで、イタリアの遺跡から発掘された公衆浴場とか、北欧のサウナの話というのはよく聞く。
ローマの古代遺跡が示している公衆浴場というのは、たぶん今の我々が思い描いている銭湯と同じ使い方であったと想像する。
しかし、北欧に広がっているサウナという風呂の形態は、明らかに我々の概念でいう風呂とは異なっているように思えてならない。
ただ、人間の肉体を外側から暖めて発汗を促し、汗と共に表面の垢も刷り落とす、という健康法というか、生き方というか、時の過ごし方というのは、万人に共通の癒しを提供するものらしい。
そもそも、人間が首まで湯につかって温浴するということは、水の量という意味からも、その水を湯にするテクニック、つまり燃料の問題からしても、昔の人に取って大きな問題であったわけで、そう誰でも彼れでもが安易にできるということでなかったのであろう。
だから、我々のようにいつでもどこでも温浴ができるという状況ではなかったので、国によって、あるいは地域によって、或いは民族によって、風呂に入らない、入りたくても入れない、そういう習慣がもともとないということも往々にしてあったに違いない。
しかし、習慣というものは恐ろしいもので、我々、日本人も外国に行く機会が増えたが、あの西洋式のバスというものの使い方は未だに満足がいかずなじめない。
何とか寝そべって、首まで湯につかる事はできるが、バスタブの中で石鹸まるけになって自分の身体を洗う、というのは何時まで経ってもなじめない。
しかし、考えて見れば、西洋式の便座は今の日本では公衆トイレにまで普及してきているが、あれだとて、最初は我々も非常な違和感を持っていたわけで、誰でも彼でもがあれを使うようになるとは思えなかったことを考えると、バスタブの使い方も時間の問題かも知れない。
西洋式の便座も、最初に見た時は、あんなところに自分の尻を据えれるか、と誰もが思ったに違いない。
しかし、使ってみれば、日本古来の蹲踞の姿勢よりもはるかに楽なわけで、楽であればすぐにでも取り入れて見よう、というのが我々の進取性でもあったわけだ。
私はこういう場面で非常に民族のものの考え方に深く疑念を持つ。
今の西洋式の便座でも、我々は戦後しばらく経って、そういうものを自分の目で見るまで、その合理性に気が付かなかったことである。
蹲踞の姿勢で中腰でするよりも、尻を据えてしまった方が断然楽なことに、大和朝廷以来誰も気が付かなかったことの不思議さである。
こういう考え方は、我々の民族の価値観の在り方に起因しているのかもしれない。
というのも、我々の民族が古来から持つ価値観の中で、風呂で汗を流す行為や、ウンコをすることに関して、人は何にも考えたことがない、思いを巡らしたことがないということだと思う。
我々の価値観、或いは美意識というのは、全て花鳥風月を指向していて、そういうものには思考を巡らしてああでもないこうでもないと口角泡を飛ばして議論することはあっても、風呂の入り方や排泄に関して思考を巡らさなかったということだと思う。
あきらかにそういう行為を不浄という概念で捉えていたということだ。
しかし、一旦、西洋式の便座の合理性に気が付くと、その合理性を超越して、ウォシュレットの普及というところまで突き進んでしまったが、その前に私個人としては、我々が有史以来21世紀に至るまで、西洋式の便座に匹敵する発明品がなかったという点である。
蹲踞の姿勢からウォシュレットまでは僅か50年の進化であるが、それまでの2600年以上の時空間では何一つ進化していなかったわけで、ことをどういう風に考えたらいいのであろう。

「纏足の靴」

2011-09-18 14:34:10 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「纏足の靴」という本を読んだ。
サブタイトルには「小さな足の文化史」となっているが、確かに纏足というのは我々にとっては奇異な風習にみえる。
この地球上には人間の集団としての民族がいくつあるのか正確には知らない。
我々は大雑把に漢民族だとか満州族だとか、ネイテイブ・アメリカンだとか、大和民族などと便宜的に使い分けているが、このそれぞれの民族には、それぞれの独自の風習を持っているのも当然のことであろうと思う。
その風習を異民族の視点で見れば風変わりで不思議な風習、因習ということになる。
そういう意味からすれば、我々の先輩諸氏がしていたちょん髷も、それと対を成す女性の様々な日本髪も、他の民族からすれば不思議な習俗とみられても仕方ない。
我々が中国人、いや満州族の弁髪に違和感をもつのと同じくらいの奇異な感じで受け取られていたとしても不思議ではない。
そういう意味で、中国の女性の纏足という風習も、我々の価値観からすると奇異な感じを免れないものであるが、我々としてはその風習を彼らの野蛮性なるが故の悪習だという認識でいた。
我々の認識では、男性優位の社会において、女性を性の奴隷として家から出さないように、足を自由に動かす事がままにならないように、家に拘束しておく手段として存在している、という風に認識していた。
しかし、この本ではそういう考え方を否定して、女性自身が自分の意思でというよりも、家族が本人の女性の将来に為に思惟的にそういう処置をしたと語られているわけで、女性の逃亡を防ぐとか、家から出られないようにすると言う、男性本位の抑圧の手段ではないと述べられている。
こういう錯誤は歴史上に数々あるわけで、日本が朝鮮を統治していた頃、朝鮮民族の創氏改名は日本の強制であったと言われているが、これもあの時代状況の中で、朝鮮の人々が如何に生きやすくするかと考えた時、日本名にした方が何かと有利だったので、彼ら自身が競い合ってそうしたのである。
それが再び時代状況が変わった途端に、自分達が自ら選択した道にもかかわらず、「強制された」と言い募る手前勝手さには驚かざるを得ない。
どこの国にも、どの民族にも、下衆な人間というのは居るもので、そう驚くことはないが、そういう人間がメディアに踊らされて大手を振って罷り通っていると思うと憤懣やるかたない思いがする。
それもただその人の持つ価値観の問題で、女性の足に対して、そういう小さな足にこそ価値がある、と当時の中国の一般常識がなっていたので、人々はその風潮の影響から、纏足の足に中国女性の美を見いだしていたということだ。
こうなると、ちょん髷とか、日本髪とか弁髪と同じレベルの価値観なわけで、「そのどこが良いのだ」と言っても説明が付かないのと同じことになる。
当時に生きた人々にとって、「それは良いものだ」という価値観を後世の人がいくら「ナンセンスだ」と言ってみたところで何の意味もない。
ある一種の流行なわけで、世の中の流行り物に説明を求めたところで、整合性のある説明はあり得ないものと推察する。
私が不思議に思うことは、こういう愚にもつかないことを深く掘り下げて考えると、それが学問になるという事である。
昨今の日本ではマンガも学問の範疇になったらしく、日本の大学の中にはマンガ学なるものを教えるところもあるやに聞くが、この本の意向もその辺にあるのではなかろうか。
昔の人の風俗の不思議さというのは、今に生きる我々からすれば、不可解千万なものが多いと思う。
例えば、我々の先輩のちょん髷とそれと対比する日本髪、纏足と同じような不思議さの弁髪、その他、地球上のあらゆる未開地に居る人々の入れ墨の習慣など、我々の感覚からすれば不可解千万のことばかりであるが、それを調べると学問になるというのも何とも不思議なことだと思う。
そういうものをひっくるめて民俗学と称しているが、それを学問と捉える部分に、学者先生に心の卑しさを感じるのは私一人であろうか。
しかし、纏足というものに対する私自身の認識は、やはり性の奴隷として、男性のエゴイズムの発露として、一度囲った女性が逃げ出せないように、抑圧の具体的な手法として纏足だと考えていた。
この本のよると、ああいう足の女性が価値ある女性と見做されていたから、家族が誠心誠意、自分の娘にああいう処置を施して、女性としての付加価値を高めたと記されている。
ところが、ああいう足の形に価値があるという認識は、その当時の中国の人々の共通認識であったわけで、良い悪いを超越した価値観であったに違いない。
当時の中国の人々は、ああいう足の女性こそ、男性の恋焦がれる存在だと思っていたのである。
それは、当時の中国の人々の全部が全部、そう思い込んでいたわけで、娘の家族も、当の娘も、それを嫁として迎え入れる男も、そう思い込んでいたわけで、人々はその小さく変形させられた足こそ、美の象徴として崇めていたのである。
そこには、若い娘の足を苦しめている、片端にしているなどという発想は微塵もないわけで、全て美の極致を極めているような心境であったに違いない。
こういう価値観の相異は話し合えば解決されるという問題ではない。
その価値観そのものをぶち壊さない限り、悪習、悪弊は治らないと思う。
そもそも自分達が今まで何の疑いも持たずにやって来たことを、いきなり「それは悪い習慣だから改めなさい」と言われても、迷うのが精一杯の反応だと思う。
そもそも、人の価値観というのは、受け取る側の感覚次第でどうにでも変化するもので、例えば女性の美醜でも、やせた人が美人であるかと思えば、肥ったふくよかな女性が美人であったりするわけで、ならば真の女性の美は何なんだということになる。
そういう価値観というものから人の習俗を考えれば、日本人のちょん髷も、日本髪も、弁髪も、不可解極まりない存在であるが、当時のその場にいた人たちにとっては、それが普通であり、そうでない習俗こそが奇異であったわけで、そういう意味からすれば纏足だとて何ら不思議がる事はない。
しかし、如何なる民族でも、こういう風習、習俗というのは何ら合理的な思考でそういう実態が普遍化したわけではなく、ただただほんの一握りの人の思いつきが、世間一般に広がったにちがいなく、言い方を変えればただ単なるその時々の流行であったに違ないと思う。
「そうしなければならない」と言う整合性のある、説得力のある説明など一切無しに、ただ何となくそれが流行になったが故に、我も我も、そうしなければ時代遅れになる、人から笑われる、時代遅れとみなされる、人と同じようにしなければ、という付和雷同的な思考に突き動かされて、その風習が継続されたものと推察する。
こういうことを言うと、今の日本人が極めて流行の弱く、ものごとの流行り廃りに非常に敏感で、流行り出すとネコも杓子も一斉に同じ方向を向くことが非難中傷されるが、これもある意味でメデイアの後押しがあってそういう傾向に拍車が掛かるわけで、流行の問題というよりもメデイアの報道の仕方の問題だという面が強いと思う。
纏足やちょん髷や日本髪や弁髪の時代は、メデイアがさほど発達していないので、情報の伝達は口コミしかなかったわけで、その分、流行り物の拡散は遅々たるものであったが、皇帝や貴族のしている事を真似たいという庶民の願望は、何時の時代も変わらないようだ。
この上流階層のすることを下層階級のものが単純に真似たがる心境というのは実に面白いと思う。
そもそも、物事の流行というのは、人のことを真似たがる、他者の持っている価値観を共有したい、という願望ではないかと思うが、そこに纏足のように、人間の生存にとって何の意味もない行為であっても、それが流行であるという理由だけで、我も我もと人が真似するという現象である。
これは現代人だとて全く同じ傾向を持っているわけで、流行であるというだけで、その効用など何ら考慮することもなく、真似することは今も生きている。
今、韓国の経済成長が著しく盛況を極めていて、韓国人は整形手術を安易な気持ちで行っているようだが、これも本当ならば憂慮すべき事だと思う。
若い時には良いと思って行った手術でも、それが50代、60代、70代になった時、とういう影響が出るかはまだ実績がないわけで、そうなればなったで又手術をすればいいという問題ではないと思う。
そもそも、天から授かった自分の肉体に、後から人為的に何かを施すということは、神を冒涜する行為だと思う。
天から授かった天与の造形、具象を、そのままの姿形で美しく感じないという感性は、その人のもつ感性が鈍っているわけで、そもそも審美眼がマヒしているということである。
そもそも、天から授かった女性の足を、そのままの形では美的に思えないという感性は、その人の持つ審美眼が狂っているわけで、その部分の「狂い」そのものが野蛮という言葉になる。
そういう見方でものごとを見れば、我々の先輩諸氏のちょん髷というのも、随分と野蛮であったが、私個人としては同じ時代でも、女性の日本髪には何とも言えぬエロチシズムを感ずる。
纏足でも、日々の手入れはかなり大変だったように思うが、その意味では日本髪でもそれを維持する手入れはそうとうに難儀であったに違いないと想像する。
その時々の流行とは言え、その流行に乗り遅れることなく、リアルタイムでついていこうとすると、洋の東西を問わず、並大抵の努力では収まらないということなのであろう。

「大江戸座談会」

2011-09-16 15:19:26 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「大江戸座談会」という本を読んだ。不思議な本だ。
昭和2年から6年の間に行われた座談会を、2006年、平成18年に本にしているわけで、実に不思議な本だ。
監修が竹内誠という人で、江戸東京博物館の館長ということだが、そういう人が昭和の初めの座談会を監修するということは理解できる。
明治元年が西暦でいうと1867年で、昭和2年は1927年なので、そういう意味で、この時期に明治維新を経験した人たちが回顧談に耽ったということなのであろう。
この時点でも明治維新から40年を経ていたわけだが、これが明治維新から50年目、半世紀経つと、昭和12年となり、日本はいよいよ奈落の底に転がり落ちかけた。
いつの時代も、「昔は良かった」という大人の感慨はあるものだが、この江戸時代、約250年というものは実に平和な時代であったように思う。
だから江戸時代というのは、もうそれだけで一つの時代を形成し、歴史の中の隆盛を極めた珍しい時期であったように思う。
それを成し得たのも、鎖国という、ある意味で唯我独尊的な利己主義の政策の結果であったのかもしれない。
鎖国をして、外来の文物の流入を水際で遮断してしまっていたので、余所から入ってくる様々なものが、そこの部分で濾過されてしまって、他の影響を受けにくかったということであったに違いない。
文字通り、「井戸の中の蛙」の状態で、自分達の仲間内だけで文化が熟成してしまったということだと思う。
他との比較がなければ、自己満足に浸りきれるので、余分な欲求は起きないわけで、文化は極限まで昇華するようになったに違いない。
私が江戸学に興味を持ったのは、NHKのお笑いバラエティ―番組『お江戸でござる』の杉浦日向子女史の解説を聞いてからである。
それで、江戸東京博物館も、出来た端にもう既にいったわけだが、江戸時代というのは非常に興味ある時代だったと思う。
江戸時代の文化が非常に高度に爛熟していたことは大勢の人が認めるところであるが、ならば明治維新の前の勤皇左幕という内乱のエネルギーは一体何であったのだろう。
徳川幕府の力が弱体化した為、地方の長州や薩摩が徳川幕府に変わって覇権を握ろうとしたのであろうか。
討幕運動が漁火のように広がった背景には、やはり外国からの外圧があったと言わざるを得ないであろう。
外圧に対して、門戸を開けるか閉めるかの考え方の相異が、討幕運動の基底には横たわっていたと思う。
やはり、そのもう一つ奥の深層心理は、ぺリーの来航で見せつけられたテクノロジ―に対するコンプレックスであったと思う。
日本が経験した明治維新という大革命は、外圧によって引き起こされはしたが、その外圧から多くのものを学びとったこともまた真実であった。
アジアの諸民族においても、近代化のレースという点では、スタートの条件は皆同じだったと思う。
しかし我々は、西洋人と接した時、彼らの良い所は素直に汲み取って、自分達の参考にしてドンドン積極的に真似た。
ところが、日本以外のアジアの諸民族は、その部分で発想の柔軟性に欠けていたわけで、西洋列強の良い所を参考にする、という柔軟な思考を持ち合わせていなかった。
だから日本が経験したような近代化への変革ができなかったわけで、その結果として、日本の支配に下ったのである。
けれども、我々は、明治維新を経るまでの文化は、それこそ見事なまでに爛熟していたが、そこでは人々は分に応じて人生を享楽していたのである。
戦後の教育では、江戸時代の身分制度の厳しい社会体制を封建主義として、悪の権化かのように糾弾しているが、人々はそれぞれに分に応じて人生を楽しんでいたのである。
昔も今も、大衆というのは、市井の中のたった一人のことをあげつらうのではなく、トータルとして「良い世の中と感じているかそうでないか」、あるいは「そう考えているかどうか」ということであって、何でもかんでも封建主義の元で、庶民は虐げられているという歴史観は間違っていると思う。
戦後の進歩的な人々は、この時代の「分に応じた生き方」というものを抑圧という捉え方で見るが、それは明らかに偏向した思考だと考える。
「分に応じた生き方」というのは、「既存の秩序に順応した」と言い換えるべきで、人々がこうであったから太平の世が250年も続いたのであって、「分に応じた生き方」を否定したのが、明治維新以降の日本の生き方ということになる。
明治維新の時の文明開化の理念は、「四民平等」というスローガンであったわけで、これは完全に「分に応じた生き方」を真っ向から否定しているではないか。
「分」、「身分」、「身分制度」というものを全否定した思考が、四民平等という思考であったわけで、別の言い方をすれば、究極の民主的思考ということにもなる。
事実、あの時代において究極の封建主義から、いきなり四民平等という究極の民主主義への変換は、世界的な規模からすれば驚天動地の出来事であったと思われる。
我々の祖国が大きな指針の変更を成した時は、我々の民族の内側に、何かしらそれを推し進める要因が湧き出て来ていると思う。
明治維新の変革の動機は、やはり西洋文化の浸透という外圧というか、地球規模の人類の変革の影響が我々の周囲にも及んで来た、と言っても過言ではないと思う。
我々の周囲に押し寄せて来た西洋列強の文物を見て、我々も、それらに追いつき追い越せという発想に至り、それが国民の潜在意識として我々の民族の深層心理に染みわたっていったと解釈せざるを得ない。
この座談会は、その40年後に行われているわけで、この頃から、我々日本人の、ものの考え方も、もう一つの進化というか、別の道に嵌り込んだというか、現状認識を軽んずる傾向が出て来たことは間違いない。
私の個人的な考え方としては、それを我々の同胞の驕り、精神的な傲慢さだと思う。
明治維新の前、江戸幕府の末期という時期に、西洋文化に接した日本人は、ごく限られた少数の人たちであった。
ところが、明治維新を経て文明開化を経験し、日清・日露の戦役を経験することによって、日本の大衆、民衆の多くの人が、兵役という形で日本以外の地を見聞きした。
日本の大衆、民衆。四民平等で百姓、町人、土方、エタも、全て日本人として、天皇の赤子として、何の隔てもない平等な立場という型で外国の人々を見ると、現地では明らかに人々は虐げられており、野蛮な生活をしていたわけで、我々はやはり一等国の国民だという自覚をしたと思う。
これが優越感となって相手を蔑視するようになったと思う。
相手を、つまり他者を蔑視するという行為は、如何なる民族でも、如何なる国でも容認されるべきことではないと思うので、我々の方でも表面上はそういう行為も隠ぺいされたが、問題は、それが目に見えない深層心理の中に浸透してしまった事にある。
日清・日露の戦役の時、兵役という形で現地の実情を見た日本の将兵は、戦争が終わったので日本に帰還して来たが、彼らが自分目で見聞きしてきたことを語ることによって、日本全国に、相手をバカにする気風が蔓延し、我々の民族の優秀さを自覚したのである。
これはいわゆる成功体験であって、成功体験からは余り学ぶものはないが、我々はこの時点ではまだ失敗体験が無く、失敗から学ぶということを経験していなかったのである。
だから、明治維新から約50年目になると、段々と奈落の底の方に転がり落ちる方向に向かって行ったのである。
四民平等という理念が、昔も今もデモクラシーの本旨であることに異論はないが、何事にもメリットとデメリットはついて回るわけで、如何に立派な理念にもデメリットというのは払拭し切れない。
この本の基底の部分に流れている、江戸時代における我々の同胞の「分に応じた生き方」の選択というのも、実に合理的な生き方だと思う。
明治維新で触発された四民平等という理念は、百姓、町人、土方、エタでも、「本人の努力次第で立身出世ができるよ」ということを指し示しているわけで、その理念に沿って、そういう階層から立身出世という「坂の上の雲」を目指して人々が蝟集してきたのである。
ところが立身出世をするということは、具体的には、統治する側に身を置くということであって、統治者、管理者になるということであるが、そもそも何代も何世代も、百姓、町人、土方、エタであったものが、一回のペーパーチェックをクリアーしたからと言って、帝王学が見につく訳はなく、マネジメントの奥義が理解できるはずもなく、ただただ権威を振り回すことしかできないということに尽きる。
この最も具体的な例が、昭和の軍人達の姿である。
戦後66年を経た今でも、陸軍士官学校を出た人や、海軍兵学校を出た人を優秀な人材と見做す人が大勢いるが、こういう認識こそが日本の奈落の底に落とした潜在意識である。
そういう認識が潜在的なものである、ということさえ理解し切れていないと思う。
つまり、この本が語っている、江戸時代の人々は「分に応じた生き方」をしていたので、250年も平和が続いたという、真の意味を真に理解していないということだ。
何代も何世代も百姓、町人、土方、エタであったものが、一念発起して立身出世をして、故郷に錦を飾ってみようと考えたから、世の中が極めて窮屈になったわけで、問題は、並みの人間が一念発起して、故郷に錦を飾るという発想が極めて個人的な利己主義に依拠しているということを見落とした点にある。
現代というよりも明治維新以降の近代的な思考の中では、現状を打破して一歩でも二歩でも前に進む上昇志向は、生き方の選択して最高のものだ、という考え方であろうが、これは明らかに江戸時代の「分に応じた生き方」を真っ向から否定するものである。
その上、上昇志向には満足するということは罪悪と捉えられているわけで、どこまでいっても終わりがない上に、それはあくまでも個人の願望の域を出るものではなく、個人的なことで終わってしまう。
この座談会の行われていた時代の世の中というのは、昭和の軍人が肩で風切って威張って歩いていた時代で、その軍人達が結局日本を奈落の底に突き落として、日本の都市を恢塵に化してしまったわけで、それも元はといえば、明治維新の四民平等で、何代も何世代も、百姓、町人、土方、エタであったものが、軍人になることによって故郷に錦を飾ることを良しとした結果である。
考えて見れば、何代も何世代も、百姓、町人、土方、エタであったものが、戦争の本質を知らないのも無理からぬことかもしれない。
こういう連中にとって、戦争が政治の延長線上の在り様である、という認識が理解できないのも無理からぬことだと思う。
明治維新の時、日本が手本とした西洋列強の軍隊においては、基本的に将校は元貴族であったが、日本においては四民平等で選抜された百姓、町人、土方、エタが、わずかな教育で将校になったわけで、こういう軍人が世界を相手に戦争をしたとすれば、最初から勝負が決まっているではないか。
だから歴史はその通りの軌跡を歩んだわけで、物事の真理は嘘をつかないということである。
しかし、この本には語られていないが、人間というものは常に上昇思考を持っている存在だと思う。
例えば、同じ作業の繰り返しを経験すれば、「何とか楽にする方法がないか」と考え、商人ならば「何とかもっと儲かる手法はないか」と常に考えていると思う。
この人間の基本的な思考と、「分に応じた生き方」というのは、どこで均衡を保っていたのであろう。
人々のもつ潜在意識としての上昇志向と、「分に応じた生き方」とは、どこかで均衡を保たなければならないはずで、その鬱積したエネルギーが討幕運動というクーデターになったのだろうか。
こういう見方をすると、約250年にもわたる平和な時期というのは、少しばかり長すぎる気がするが、その実績を見る限り、そういう平和な時期が続いたということは、統治、すなわち政治が良かったということになるのであろう。
人が生きるということは、他者との関わりなしではありえないわけで、この時代において、鎖国をしていたと言えども、外国との窓は開いていたが、それが外圧というほど大きなものではなかったに違いない。
時代が下がって外国との接触が増えると、「井戸の中の蛙」を決め込む訳にも行かなくなるわけで、当然のこと、武力行使という状況にもなりがちである。
しかし、我々は如何にも外国との折衝という場面で駆け引きが稚拙で、相手に愚弄されているが、自分達が騙されているということに気が付かない節がある。
それは我々の民族の置かれた地勢的な位置が大きく関わっていることは言うまでもないが、それであるが故に、今も昔も、ガラパゴス化に必然的に成らざるを得ない。
問題は、我々の日本民族は、このガラパゴス化を恥と認識し、他よりも劣っていると認識し、コンプレックスに陥ることである。
だが、我々が基本的に持っている美意識とか、美に対する感覚とか、象形のセンスというものは西洋人を驚かすに十分なインパクトを潜めているわけで、そういうものを他者に理解させるノウハウに欠けていると思う。
自分をPRする前に、コンプレックスに押しつぶされてしまう。
そこはやはり恥の文化のなせるわざであって、恥という概念がなければ、そういうことは安易にできるわけで、その意味で中国人と同じことをするには、恥の文化が邪魔になって、無意識のうちの腰が引けてしまう。
何の脈連もなく自己主張を突然言い出すなどという、厚顔無恥な行為は我々にはあり得ないわけで、我々は常に気配りをして、周囲の空気を読みながら、自らの行動を律しているわけで、こういう気配りは、我々に独特のものだと思う。
我々が外国人に対してこういう態度で接すると、相手は「弱い犬がゴマスリの為にすり寄ってくる」と受け取るわけで、先方はますます要求を高くして来る。
我々が憂べきことは、こういう気配りの精神と、傲慢さの態度を、我々の同胞が併せ持っているという現実の直視である。

「ヤンキー母校に生きる」

2011-09-13 20:57:21 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ヤンキー母校に生きる」という本を読んだ。
もともと不良少年であった義家弘介という若者が、北海道の余市にある北星学園余市高等学校に編入学することによって、自己改革に成功して、その後母校に戻って教師を務めたという話である。
ストーリーとしては武田鉄矢の「3年B組金八先生」と同じ範疇のものだと思う。
もっとも武田鉄矢の金八先生は、もとヤンキーを売り物にしていたかどうかは定かにないが、先生の教育に掛ける情熱という意味では、金八先生と同じ熱意で通じあえていると思う。
ヤンキーという言葉も考えて見れば不思議な言葉で、どういう定義で使われているいのか定かに判らない。
我々ぐらいの年齢の者のイメージで言えば、不良少年という意味と同義語ではないかと思うが、昨今では世間一般にヤンキーという言葉が浸透しているようである。
我々の若い頃も不良というのはいた。それは居るのが当然だと思う。
人間がこの世に生まれて、成長して行く段階で、子供から大人への変わり目のところでは、心身共に大きな変化を経験するわけで、その過程で既存のルールに順応し切れない者が出るのは自然の摂理だと思う。
社会のルールというのは、人間の自然の成長とは何の関連もなく規定されているわけで、人間の成長の過程で、精神が未発達で思考が未熟な子供が、既存のルールに素直に順応できないでいる子の存在は当然のことである。
そういう子供を不良という定義で一括りしてきたのが、従来の大人の価値観であったわけで、社会のルールに順応し切れないという部分で、大人社会は彼らをボイコットとする方向に指向してしまった。
社会のルールに素直に順応することは、大人の価値観から見れば、真面目な良い子と言うことになるが、個人という立場からそういう子を眺めると、自己の意識が軟弱で、人の意見に左右されやすい、という評価になってしまう。
しかし、如何なる理由があろうとも、人間は社会のルールに従わねばならないわけで、成長期の一時的な現象だからといって、社会的なルール違反が「若い」と云うだけで許されるわけはない。
そういう意味で、社会のルールに従い切れない若者を、特別に教育する施設として、この北星余市高等学校というものが出来たものらしい。
だから、ここに集う高校生は、基本的には元ヤンキーで、もう一つ別の言い方をすれば、落ちこぼれ集団と言うことになる。
だが、ここで言う落ちこぼれという言い方は、試験の点数を取るテクニックにおいては稚拙で、要領が悪く、文字通り落ちこぼれであるが、それはその若者の全人格を否定するものではないわけで、人はそれぞれに特技を持っているのも自然の摂理である。
この本は確かに、武田鉄矢の3年B組金八先生を思わせる熱血教師の話であるが、この本の中に描かれている、先生と生徒の会話にはいささか違和感を感じる。
というのも、生徒が先生を呼ぶのに、先生の姓を呼び捨てにしている。
この場合は明らかに、著者の義家弘介氏が、作品の中の先生そのものであるが、それに対して生徒は誰一人「先生」という言葉を使っておらず、会話のことごとくが「ヨシイエ」と呼び捨てで成り立っている。
これが昨今の教育の現場の雰囲気というものなのであろうか。
これは高校生の教育をする以前の問題ではないかと思う。
私は何も戦前の教育のように、学校で修身を教えよと云うつもりはないが、教育現場では教える立場と教えを受ける立場の相異はきちんと自覚させるべき事柄だと思う。
生徒が先生を呼び捨てにして平気という社会は、我々の感覚では考えられないことである。
敬語という純国語的な論理を展開するつもりもないが、生徒が先生を呼び捨てにする学校は、既に学校としての機能を喪失していると思う。
しかもこの学校というのは、キリスト教をバックに持つ付属の学校のようであるが、そこでこういう現状だとすると、学校の問題を超越して宗教界の在り方までも問い直さねばならない事になる。
封建時代の昔のように「長幼の功」を説くつもりもないが、言葉というのはミニマムの人間同士の関係維持の潤滑油なわけで、そこにも暗黙のルールがあって、先生に物を言う時の言葉は、自ずと仲間内の言葉とは違って当然だと思う。
もっとも、この学校の場合、最初から生徒が元ヤンキーというはみ出し者の集団であった事から考えれば、彼らの会話の中に一般常識を見いだそうと考える方が間違っているのかもしれない。
ここで私の考えは、この本の主題からかなりオーバーフローして、「何故、こういう若者にまで高等教育を受けさせる必要があるのか」という教育の根本問題に行き着いてしまう。
我々日本人というよりも、生きとし生ける人間の教育願望というのは一体何なのだろう。
未開の民族が近代化を成す段階で、教育を受けたものがいち早くその国のリーダーとなり、人々を善導し、その結果として、自からも裕福な生活を目指す、その為の教育だと言われれば素直に納得できる。
しかし、21世紀の先進国はもう既にその域を脱してしまって、大部分の国民は、読み書き算盤は会得してしまっているのに、それでも尚高等教育を恋願う心境というのは一体何なのであろう。
この北星余市高等学校で、怠惰に逃げよう逃げようとする若者を引きとめて、何が何でも机に向かわせようと努力する義家先生の熱血は一体何なのかと言いたい。
それほどまでして我々は教育を受けなければならないのだろうか?
生徒も頑張り、熱血先生の指導が功を奏して、その落ちこぼれの生徒が無事卒業して、社会に巣立って行ったとして、社会はその生徒を暖かく迎え入れ、その生徒は世の為人の為に貢献するであろうか。
一人の人間として、特別に世の為人の為に尽くす必要はないが、せめて並みの社会人としての枠をはみ出さない人生を歩んでくれさえすれば、それこそが世の為人の為ということになると思う。
私にとっての教育というのは、額に汗して働く勤労からの逃避だと思う。
高等教育の目的というのは、額に汗して働かねばならない肉体労働から逃げるために、口先3寸で人を使うポストを得ようと、勤労からの逃避、肉体労働の嫌悪感に突き動かされての学問追求だと思う。
この世に生を受けた人間の基本的願望というのは、額に汗して働く労働からの逃避だと思う。
人生イロイロという歌があるが、まさしく人様イロイロ、人生サマザマで、この世の中には勉強の嫌いな人間も居る事を忘れてはならない。
そして大学で学んだことがそのまま世の中で通用しないことも常識で、折角、狭き門を潜った大学で、世の中で通用しない学問を学んだところで何の意義があるのかという問いに、誰一人回答を示さないということは一体どういうことなのであろう。
自分の学んだ事が世の為人の為にならないのであれば、何の為に高いお金と貴重な時間を費やしたのかということになる。
今の我々日本人の学歴志向というのは、明治維新の頃の発想と同じなわけで、「良い学校に行って立身出世を目指す」という発想をそのまま踏襲しているが、その事は、額に汗して働くことを回避する手法を得ようと画策している図であって、その結果として今日の日本社会があるのである。
こういう発想に日本の全部が浸りきっているので、相も変わらず人々は学歴に憧れ、「大学さえ出れば人生何とかなる」という思考から抜け切れず、腐りきった社会をつくっているのである。
そもそも大学という概念、定義そのものが、ことの本質からずれてしまっているにもかかわらず、大学そのものが自ら姿を真摯に見つめていない。
世間一般の風評に便乗して、自ら火中の栗を拾う勇気も努力も持ち合わせていない。
ただただ時流に身を任せて、何の努力せずに流れに身を委ねているにすぎない。
学校が知識を切り売りする場だとしてら、もう学校の使命はこの世に存在しない。
知識を得ると云う事に限って言えば、それはインターネットの方が断然有利であって、学校の使命は社会のルールを教えるところでなければならない。
これは本来は家庭の仕事であったが、今の日本の家庭というのは、家庭を構成する主体が、社会の構成員として甚だ不完全は人達で、従来の常識が通用しない人達で構成されているので、社会的なルールとか、社会的な規範を教えるにはもっともふさわしくない人達に成り下がってしまっている。
この北星余市高等学校の生徒が落ちこぼれ集団というよりも、彼らの親こそが大きな問題を抱えていると思う。
一人の人間の子の親として、自分の子供を、社会のルールに合すように躾けれないことの方が余程大きな社会問題であるし、その事こそ人間失格だと思う。
一人の子の親として、15、6歳まで自分の子供を育てて、先生と友達の間の言葉の使い分けも出来ない育て方は一体何なんだと云う事につきる。
この事実は、これらの子の親たちは、そでにその時点で人の親としての資格を喪失しているわけで、人間以下の生きもので、ヤンキーとしてグレル子供もよりも、良識ある社会人の仮面を被った、豚や猿の方がよほど罪深い存在だと思う。

「女という病」

2011-09-12 06:30:19 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「女という病」という本を読んだ。
著者は中村うさぎという人だが、私の知った人ではない。
内容的には『新潮45』という雑誌に寄稿したものを寄せ集めということだ。
その中味は、まさしく女の事件簿であって、13の事件に関わった女性たちの在り様が描かれているが、女の犯罪だからといって、特別に奇異なものではないと思う。
女が犯罪を犯すというと、何だか最初から魔女の横行のような印象で見られがちであるが、人間には男と女しかいないわけで、男でなければ後は必ず女になるので、女が犯罪を犯しても何ら不思議でもなんでもない。
ただし、男と女では明らかに生物的な相異があるわけで、女性には次世代を育む男にはない機能が備わっており、その機能が備わっているが故に、その機能が作用し掛った時に、それを具備していない男には判らない、心の乱れ、精神の不安定さ、情緒の揺らぎがあることもある。
こういうことを人間は経験則で太古から知っていたわけで、だからこそ、人間の社会というのは、男性優位の社会が普遍化したものと思う。
農耕とか牧畜という生業の中では力仕事が当たり前にあったわけで、その力、腕力と言う点では、男性の方が断然有利であったので、20世紀末までの社会では、男性優位の社会が当たり前で、女性の出る幕は限られていた。
ところが、21世紀という時代は、あらゆるものに技術革新が進んで、力仕事というものがこの世から追放されてしまったので、男性でなければならない仕事いうのは無くなってしまった。
あらゆる職域に、女性の進出が可能になったわけで、「女性だからこの仕事は駄目だ」というタブーがなくなってしまった。
男性の仕事の領域にも果敢に挑戦しようとする女性には、「女という病気」はあり得ないが、従来の女の概念から脱し切れない女々しい女性には、やはり過去からの歴史を引きずっているかのごとく、従来の価値観から脱しきれていない者がいるのも確かな事であろう。
「女の事件簿」であるからには、週間誌の記事と同じレベルのものであって、一つの事件を面白おかしく報じているにすぎない。
ただ、どんな事件にも、ストーリー性はあるわけで、ただ単なる通り魔事件にも、犯人が何故に通り魔を演ずるに至ったか、という部分に物語りを汲みとるわけで、それは汲み取ると云うよりも、作り上げる部分の方が多いかもしれない。
この本に描かれた13人の女性の生い立ちも、それぞれに一つのストーリーに仕立て上げられているわけで、事件を起こさなくとも、一人一人の人間の生い立ちは、それぞれに一つ一つのストーリーを成していると思う。
この本も、13人の女性の犯罪者の13のストーリーを組み立てているわけで、それはいわば並みの人間の覗き見趣味を満足させることに貢献しているというだけのことである。
普通に生きて、普通に生活している人間にとって、人の噂話というのは面白いものであると同時に、つまらないという両面を兼ね備えているわけで、それを満たすべき存在するのがメディアということになる。
男が人を殺す事件は、巷にいくらでもころがっている事件であるが、女が人を殺したところで、これも世間にはいくらでもころがっている事件なわけで、特別に目新しいことではない。
だからといって、その事実を淡々と、事実のみを報じたところで、誰も興味を示してくれないので、人々が興味を引くようにストーリーをしたてなければメディアとしては価値が生じないのである。
男の犯罪も女の犯罪も、昔からあることには変わりはないが、その犯罪の取り上げ方は、時代とともに、あるいは地域とともに、あるいは民族とともに大きく変化してきていると思う。
例えば、今日の日本のメデイアの在り方は、視聴者の為にあるのではなく、メディアの為にメデイアがあるという感がする。
例えば、この本の出版のコンセプトでも、出版元が如何に儲けるか、如何に売るか、如何に買わせるか、という視点で貫かれているわけで、そこには世の中を啓発して、世の為、人の為という意向は微塵も存在していない。
資本主義社会の自由主義体制の元での商業行為であるので、メデイアと言えども、立派な大義名分を掲げなくとも、それはそれで存在意義はあるわけで、「金儲けして何が悪い」という論法は、当然あって当たり前である。
しかし、普通の市民、乃至は国民は、メディアというものは、世の中に警鐘を鳴らして、世の為人の為に悪しき強権者を糾弾し、弱い者を助ける義賊的な価値観を期待しているのではないかと考える。
けれども今のメディアというのは、まさしく江戸時代の瓦版と軌を一にしているわけで、市井の身の回りの奇異な事件を面白おかしく報じて糊塗を凌いでいるのである。
ところが江戸時代と今では情報の本質が全く変わってしまっているわけで、江戸時代ならば猫が7輪のサンマを食い逃げしてもニュースにもならないが、今では政府の要人が一言でも言い間違えると、自分の椅子を棒に振らなければならない。
冗談を言おうものなら、その冗談は冗談ではなく真面目に受け取られて、これも大臣の椅子を棒に振るという結果になりかねない。
冗談を言う方も聴く方も、冗談を冗談と解する器量もないわけで、そこに在るのはまさしく幼児並みの言葉狩りでしかない。
毎日のテレビのニュースを見ていると、政府要人に食い下がってマイクを突き付けているメデイアの人々の映像が映っているが、あの場面を見ていると取材されている方が馬鹿に見える。
もう少し気の効いた発言が出来ないものか、とニュースを見ながら見ている方が切歯扼腕している。
あの図は、取材を受けている側が余りにも真面目すぎるから、ボロが出るわけで、質問をはぐらかす手法をもっともっと勉強すべきだと思う。
不躾にマイクを突き付けてくる連中に、まともに対応しようとするから揚げ足取りをされるのであって、徹頭徹尾とぼける事を学ぶべきだと思う。
質問の核心をはぐらかして、本音の部分を決して漏らさない手法を学ぶべきだと思う。
メディアの報道の仕方というのは、女の三面記事も、政治の記事も、メディアが介在している限り、同じパターンを踏襲しているわけで、これはメディアというものが持つ宿命なのであろうか。
メディアというのは、人の噂話を食って生きているわけで、それが政治や行政の話であったとしても、その本質は噂話の域を出るものではなく、日本の場合メディアというのは、江戸時代の瓦版にその起源があると思うが、この瓦版は行政システムの中の上意下達のツールとして発達したわけではなく、あくまでも芝居の役者や市井の噂話を伝達して金を稼いでいたのである。
その事実の本旨は、人の噂話を報ずることが金になるということである。
逆の言い方をすれば、人々は、人の噂話を、金を出してでも買う、ということである。
そうであるとするならば、人の噂話に興味を持つ、人のひそひそ話に耳をそばだてる、という行為は普通に良識のある人ならば、忌み嫌う行為で、はしたない行為とみなされ、その人の倫理観を問われる行為であり、そういう行為を「良し」とはしないはずである。
だからこそ、自分でそれをするにはいささか良心の呵責に耐えきれず、他者に委託、つまりメディアに任せて、その結果だけを金で買うということになっているのであろう。
それ故に、ニュースを取材という言い方で誤魔化されているメデイアの仕事をする人々は、世間の顰蹙をモロに買う立場にあり、品性や品位が問われるのも当然のことではないか。
その延長線上に、人の知らない事を聞きだし、人が隠したいと思っている事を暴き、その事によって相手の弱みに付け込み、金品をせがむという行為に進展するのである。
これがインテリ・ヤクザと言われる所以である。
メディアに関わるものが、そういう行為を正義を振りかざして行うので、脛に傷持つ身としては、メデイアとの対決となると身を引いてしまい、メディア側はますます図に乗って来ると言うことになる。
市役所の人が真面目に仕事をしている、学校の先生が普通に授業をしている、警察官がきちンとパトロールしている、これではメデイアとしては何にもニュース・バリューがないわけで、この当たり前のことが当たり前でないからニュースになりうるのであって、こんな平和な世の中ではメディアは生き残れない。
だから何とかして悪人を仕立てなければならない。
その意味で、悪事を働く女は願ってもない標的なわけで、こういう女性ならば、何処をどういう風に切り裂いても、世間は悪女を糾弾する思考に加担するわけで、自分の方に向かって来る批判の矢は避けられるので安心して書き捲れる。
世間の人は、あまりにもメデイアを信頼しすぎていると思う。
毎日見るテレビも、毎朝届けられる新聞も、たった一人の記者が送り出しているわけではなく、大勢の人が関わりあってニュースが送りだされているが、メデイア界に関わり合っている大勢の人が、人としての倫理を著しく欠いた精神状態のままニュースを垂れ流している点が問題である。
メディアの言い分としては、全ての声が、市民の声とか国民の声とか有権者の声と、その他大勢の国民の共通認識であるかのような言い方をされているが、国民の声というのはメディアに踊らされるほど愚直ではないと思う。
だが、国民の側は、既存のメデイアに対抗するほど効果的な意見開陳の機構を持ち合わせていないので、既存のメディアに良いように利用されてしまうのである。
基本的には、出来の悪い女が、出来の悪い女を一人殺しても二人殺しても態勢に何ら影響はない。
けれども、それを新聞の3面記事が報じ、週刊誌がより一層面白おかしく掘り下げて記事を書き、その総仕上げに作家が通俗的な読み物として冊子に書くということは、それぞれのメディアがそういう事件を記事にすることによって、糊塗を凌いでいるわけで、自分達が食わんが為にああいう事件を食い物にしているのである。
片一方に、そういう読みものを買う人間もいるのだから、ここに需要と供給のバランスが生きるわけで、双方ともめでたしめでたしということになる。
我々が考えなければならないことは、何故に我々は人の噂話が好きかという点である。
こういう3面記事を読むことが、何故に娯楽になりうるかということである。
我々が芸能人やスポーツ選手の私生活を覗きたいという欲望、願望は一体どういうところからきているのであろう。
この我々の深層心理は、江戸時代にもあったわけで、それが瓦版という形で庶民の欲求にこたえていたと思う。
この我々の民族的な覗き見趣味というのは一体何なのであろう。


「正座と日本人」

2011-09-10 09:44:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「正座と日本人」という本を読んだ。
著者は丁宗鐡という人だが、本職も漢方医ということから察すると、大陸系の人なのかもしれない。
日本人の起源がもともと大陸にあるとするならば、本の著者の国籍などにこだわる必要はさらさらないが、名前からそういうイメージが頭の中をサ―とよぎっただけのことである。
しかし、私のイメージとしては、日本人は正座をうんと昔から自然発生的に受け入れていた、と思っていたが、どうもそうではなく正座する習慣というのは、極めて新しい行為の様だ。
正座という行為、あの姿勢が、人間の普通の在り方としてはかなりきつい忍耐を強いる格好であることに変わりはない。
如何なる時代においても、如何なる民族においても、如何なる時代状況においても、正座という姿勢が苦しいことに変わりはない筈で、それを苦にしなくなるのは、慣れとか訓練以外にはない。
あの両足を揃えて180度屈折させるポーズが楽なわけがない。
にもかかわらず、我々はそれを何の疑いもなく受け入れて、そうすることが当たり前の事だと思い込んでいたわけで、これは人間の思惟的な強制であったとは、この本を読むまで気が付かなかった。
数年前から日本では韓流ブームということで、韓国のドラマがテレビ界で人気を博していたが、その中に『チャングムの誓い』というドラマに興味を引かれ、しばしば見ていた。
韓国の宮廷の権力抗争を描いた内容であったと記憶しているが、その中では韓国の民間療法というか、漢方薬の話が盛り込まれていて、その部分に非常に興味を惹かれた。
そのドラマの中に描かれている登場人物の立ち居振る舞いをよくよく観察してみると、この国の彼や彼女らは決して正座はしていない。
全て、胡坐か立膝座りをしている。
我々の感覚からすると、女性の立膝座りというのは下品の最たるもので、「何と下品な人たちか」という印象になるのも無理からぬことだと思う。
この我々の認識は、今、私がテレビで韓国のドラマを見て思った事と同じ印象を、我々の先輩諸氏も同じように思ったに違いないと思う。
それが戦前の我々の同胞、先輩諸氏の朝鮮人蔑視にそのままつながったに違いない。
我々日本人の正座に対する認識が、江戸時代の中ごろに確立されたとしても、明治維新をへて日清・日露の戦役で勝利を治めた我々の高揚した気分の中で、朝鮮の女性が立膝で座っている有り様を見て「何とレベルの低い人たちか」と思ったのも無理からぬ事だと思う。
これは我々に悪意があったわけではないが、価値観のギャップがあったことは確かで、我々は正座こそ気品に満ちた座り方だと思っていたに違いなく、それが現地に来てみると、立膝座りをしていたので、ただ単純にびっくりしたという事だと思う。
問題は、正座という座り方は、誰がやっても苦しいポーズに変わりはないわけで、にも関わらず我々はそれに何故価値観を見い出していたかを考えるべきだと思う。
正座といえば、今の我々がすぐに思い浮かべるのは、茶道や華道における立ち居振る舞いであって、それは極めて芸術に近いものである。
その姿が極めて端正に見えるし、トータルとして姿勢の美しさがにじみ出ているわけで、我々はそれに惹かれたのかもしれない。
このポーズは、基本的に武士階級のポーズであって、武士たちが自分達の価値観でもって良い事だと思った事を、他の階層のものが見習ったという書き方がされているが、広まった理由はそれに間違いないだろうと思う。
しかし、では何故、武士が正座に固執したのか、ということはあまり明確に述べられていない。
ただ、江戸時代の入り、世の中が平和になったので、人々のオピニオン・リーダーであるべき武士階級がその存在感を示す為に、一般庶民にはない徳を高め、礼節を重んじ、高潔であるべき事を実践せんがために、並みの人たちには出来ない正座というポーズをとることでそれをアピールしたと述べられている。
我々日本人も、明治維新の前までは、朝鮮民族と大して変わらない生活様式を継承していたようだ。
正座というポーズは江戸時代に出来、それが明治維新の頃普及したわけで、その頃までは日本の大衆が異民族と接する機会は殆どなかったので、その意味で日本人が朝鮮人や中国人の胡坐や立膝座りを見て、彼らを蔑視するということもなったと考えられる。
ところが明治維新で近代化を成し、日清・日露の戦役で日本の大衆が兵隊という形で外国、特に朝鮮や中国という異国を見聞きしてみると、自分たちは端正な正座が常態なのに、彼らは胡坐をかいていたり、立て膝座りをしていたわけで、「何と野蛮な」と思ったわけで、これが彼らに対する蔑視となったものと考えざるを得ない。
問題は、正座という極めて苦しいポーズをすることで、徳を高め、礼節を重んじ、高潔であるべき事をアピールしようとするという思考である。
これは修行僧が滝に打たれて自らに修業を重ねるようなもので、自分の肉体を痛めつけることで、精神的な恍惚状態を得ようとする発想と酷似した思考のように見える。
普通の人間ならば、自分の立ち居振る舞いは楽な方がリラックスでき、わざわざ苦難を伴う手法を回避しようとするのが当たり前の精神状態であるにもかかわらず、敢えて苦難の道を選択するという事が、武士の矜恃であったのかもしれない。
しかし、21世紀の年寄りの一人としての私ならば、何もわざわざ苦しい道を選択することもないように思う。
お坊さんの修行でも、何も寒い冬に滝に打たれてわざわざ死ぬような思いをしなくてもよさそうに思う。
暖かい布団の中で暖衣飽食、酒池肉林に耽っている方が余程、精神衛生上良いように思うが、そういう堕落論を全否定して、苦難の道を選択することこそ尊いという価値観である。
人間の基本的欲求は、平たい言い方をすれば、楽して儲けたい、自分さえ良ければ人の事など知った事ではない、という思考だと思う。
しかし、こういう赤裸々な本音を人前で言うことは、はしたない行為とみなされて、人々の顰蹙を買う。
だから人前ではそういうことは言わずに、徳を高め、礼節を重んじ、高潔であるべき事をアピールするポーズをとりたがるのであるが、それを見える形で表現しようとした姿が、正座というポーズであったに違いない。
あのポーズは、人間の自然の有り体からすれば極めて不自然なポーズであって、苦痛を伴い、窮屈なポーズで、まさしく拷問にも等しい形であるが、敢えてそれに価値を見出すという思考は、完全に自虐的なものである。
自分で自分に苦痛を強いるという行為は、先に述べたように、修行僧の修行にも似ているわけで、それは敢えて人間の基本的欲求に逆らうことに価値を見出そうとする思考だと思う。
武士階層からそういうものの考え方が普及し、それが下々の者までに普及するということは、日本民族としての潜在意識が、そこらに潜んでいたということであって、ただ単に下々のものが真似したというほど単純なことではないと思う。
正座というポーズが、極めて自虐的なポーズであって、わざわざ苦痛を強いるポーズを価値あるものとみなす考え方は、セルフ・コントロールの極致に近いものを思うが、それを日本の武士階級が率先して取り入れたということは、修行僧の修業を武士階級として全員がしたということではなかろうか。
そう考えると、正座中に足を崩すということは、修業を途中で放棄することに等しいわけで、人格形成の上でマイナスの評価にならざるを得ない。
辛抱が足らない、修業が未熟だ、みっともない、はしたないという評価に繋がってしまったに違いない。
そういう概念が、武士から始まって下々に広がり、それが頂点に達した時点で、その下々の者が兵隊という形で諸外国に地に立って見えると、そこでは女も男も胡坐や立膝座りをしているわけで、我々の価値観から見て「何と野蛮な」ということになったものと推察する。
前にも述べたように、正座という姿勢は、日本の茶道と華道に付随して進化してきたようだが、私個人としては、この茶道・華道にも極めて不可解な思いがある。
茶道が、昔の武将にとっての面接の場であったという話は納得できるが、それが女性の教養として一般化した事には、いささか納得出来ないものを感じる。
正座の発達段階では、畳の発達が大きく関与していたことは理解できるが、畳の上で正座して茶を楽しむということは、まさしくワビ・サビの世界なわけで、その精神の内面が問われる行為にみえる。
問題は、この人間の心の内面を問うという行為であって、相手の心の内を探ると云う場合、話をし合わない事には相手の心の内は理解し難いのではないかと思う。
しかし、この場合、会話として話をするということは諌められているわけで、暗黙の内に以心伝心で心を通わせるなどという事が称賛されるが、こんなバカな話はないと思う。
狭い茶室の中で、お茶を呑むという行為自体、極めて自己満足的な唯我独尊的な発想だと思う。
お茶を呑むという、生理的というか、自然の欲求に従うというか、人間の行為としての在り来たり行為を、さももったいぶって、あたかも文化であるが如く振舞うこと自体、人間の驕り以外の何ものでもない。
野辺に咲く花が綺麗いだと思えば、それ手折って来て窓辺に飾って自己満足すればそれでいいわけで、それにありとあらゆる講釈を重ね合わせて、華道という文化に仕立て上げる発想は、何でもかんでも金に換算しなければならない賎民の思考ではないか。
華道なンて物は、ただただ花を愛でる心を弄ぶ、不遜な金もうけ主義の具現であって、ただの屁理屈に文化という衣を見理やり着せているだけのものでしかない。
その意味で、茶道も全く同じなわけで、お茶を呑むのに何でああでもないこうでもないと屁理屈が要るのか不思議でならない。
茶室などと称して、ホームレスの小屋のような場所で、粋がって茶碗をたらい回しで呑むお茶など、不衛生極まりないが、それでも日本文化となると、その非衛生さも何処かに消してんでしまって、悦にいっているわけである。
正座というポーズも、人間のあるべき姿、姿勢として不合理極まりないポーズなわけで、そうそうに廃れて当然だと思う。
正座が我々日本人の価値観からして、凛とした、端正な、りりしいポーズであることは認めざるを得ないが、今の日本、21世紀の日本では、そういう日本人の姿は要求されていないわけで、我々は、もう文化の頂点を極めた衰退して行く運命にあるわけで、そういう価値観を欲していないのである。
今の日本を見れば、教育の荒廃、メディアの荒廃は目を覆いたくなる現状で、そういう関係者も日本人の凛とした、端正な、りりしいポーズを追及しようとは考えていない。
ただただ、暖衣飽食に恋焦がれているにすぎない。
まさしく原始の人間に里帰りしたわけで、自然人に限りなく近づいているということに他ならない。
そもそも、文化の進化ということは、自然から限りなく遠ざかることだと思う。
殴られたから殴り返すというのは、自然界のごく自然な姿であるが、これを文化の度合いの進んだ地域の人々は、野蛮な行為と見做している。
殴られてもじっと我慢することが文化的で、殴られたからといってすぐに反撃することは、野蛮な行為と見做している。
殴られるということは、殴られる側に理由があるのだから、じっと耐えなければならないと説くわけだが、こんな理屈が素直に通るわけがないが、それはその人の文化レベルが低いからという論法である。
これを突き付ければ、究極の自虐的な思考なわけで、殴る相手に敬意を表して、自分の非を率先して受け入れる発想であるが、こんな事を自らする民族は、我々以外に他にはあり得ないものだと思う。
正座という姿勢が苦痛を伴うものならば、さっさと取りやめて、もっと楽な姿勢を取ればよさそうに思うが、我々はここで尚も果敢にその苦痛を伴う姿勢に固執していたのである。
しかもそういう行為が我々の上流階級と見做されていた武士階級が率先して始めると、下々の者までが、それを真似るということは一体どう考えたらいいのであろう。
結果として、正座は、胡坐や立膝座りよりも価値を高めるわけで、ひとかどの人間ならば、ああ言う座り方をすべきだ、という価値観が定着してしまったのである。
私にとっては、我々の民族がこういう自虐的な行為、つまり苦痛を伴う姿勢に価値を置くという考え方がなんとも不可解に思われてならない。
先にも述べたように、修行僧が滝に打たれて修業をすると云うのも、完全に自虐的な行為であって、そんな事をしなければ悟りが開けないなどという言い分は、嘘八百ではないかと思う。
そもそも「悟りを開く」だとか、「開眼する」などということは一体何のかという疑問を払拭し切れない。
追い求めていた難問の回答がひらめいたという状況がそれに一番近い表現だろうと思うが、ならば素直にそう言えば良いわけで、なにもわざわざ「悟りを開いた」だとか、「解脱した」などと小難しい表現をしなくてもいいと思う。
その理由は、正座という苦痛を伴う姿勢を強いておいて、それが徳を高め、礼節を重んじ、高潔であるべき事をアピールするポーズであるかのように認知させることの不合理さにそのまま通じていると思う。
お茶を呑むのに、ああでもないこうでもないと理屈を付けるのと同じであるし、花を生けるのに、ああでもないこでもないと屁理屈を付ける類と同じで、ありのままの自然を軽蔑し、それと敵対する思考だと思う。
昔の武将が、戦場で茶席を設けて茶を嗜むという発想は、あの先の戦争の時、戦艦大和の艦長室が貴賓室並みの調度品で飾られていた事と同じで、直接的な戦闘とは何ら関係のない別な部分に、ゆとりを持たせるという発想に繋がっていると思う。
一言で言えば無駄ということだ。
「無駄の効用」ということが、あることは認めざるを得ないが、これは合理主義とは相容れない要因であって、戦うという行為は、徹底的に合理主義に徹しない事には勝利は得られない。
ゆとりとか情緒などというものが戦に入り込んでくれば、勝利はおぼつかないと思うが、勝利とか、勝ち負けに関係のない平和な時代ならば、物事の立ち居振る舞いの中のゆとりとか余裕、あるいは「無駄の効用」ということも大いに称賛されたとしてもいた仕方ない。