ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「やさしいユダヤ教Q&A」

2007-03-27 20:00:40 | Weblog
例によってヨーロッパ旅行の予備知識にと思って図書館から借りてきた本で、「やさしいユダヤ教Q&A」という本を読んだ。
キリスト教を知るにはユダヤ教も同時に知らなければならないと思って読んでみたが、これも問答形式の本で、読みやすかった。
しかしユダヤ教についてはある程度の理解を深めることは出来たが、どうもいまいちピンと来るものがない。
ユダヤ教とその信者のユダヤ教徒というのは私の理解を超えた存在だ。
キリスト教徒をはじめとするあらゆる宗教の信徒について同じことが言えると思うが、例えばキリスト教信者として日曜日に教会に礼拝に行くという程度の信仰ならば私も納得できるが、ユダヤ教徒の全部が全部ではないとは断ってはいるものの、その戒律というものには何とも不可解な気持ちにならざるを得ない。
自然の中の一人の人間というよりも、社会の最小の単位の家族として、生活の節々における通過儀礼というのは如何なる民族にも大同小異存在することは理解できる。
キリスト教徒はキリスト教なりに、ユダヤ教徒はユダヤ教なりに、南方のポリネシア人は彼らの風称として、インデアンはインデアンなりに通過儀礼というものを持っていると思う。
社会を構成する一番の最小単位として、若い男女が一緒になって新家庭を持てば、必然的に子供が生まれ、その子供の成長の過程で、それぞれの社会にかなった通過儀礼を経ることによって新たな社会の構成員が出来上がってくるわけで、それはそれで特別に宗教色が強いわけではないと思う。
民族により、国により、集落により、それぞれが同じようなことを同じような意味合いで行っていると思う。
この点に関しては特にキリスト教だからとかユダヤ教だからということはないと思うが、それが2千年も前から同じことが繰り返されているとなると、これはあきらかに宗教の影響といわざるを得ない。
この地球上の、あらゆる民族が同じように通過儀礼を行うという意味では、人類は皆同じということがいえるが、問題は通過儀礼を受ける側がそれに何の懐疑も抱かずにそのまま受け容れるのかどうかという点である。
普通に健康に育った人間ならば、二十歳前後になれば当然自我に目覚め、その結果として親との確執、周囲との軋轢、自分達の伝統に対する疑義、疑念というのが生じてくるのが正常な精神の発達ではないかと思う。
いわゆる反抗期といわれるものであるが、ある民族が2千年もの間、伝統を守り続けるということは、その民族の中の若者は伝統を逸脱することが全くなかったということと考えざるを得ない。
それは良いとか悪いという問題ではなく、若者が従来の古色蒼然たる伝統とか因習に対して何の違和感も感じず、唯々諾々としてそれを引き継いだということである。
我々の普通の認識では、伝統を守るということは良い意味の価値観で評価されがちである。
伝統や因習に抵抗するような行為は、異端者、変わり者、ひねくれ者というように、どちらかというと顰蹙を買いそうな悪い評価につながりがちである。
しかし、文明とか文化というのは常にそういう古い殻を破ったときに進化するわけで、2千年も同じ伝統が守り続けられているということは、そういう飛躍が一度もなかったということである。
同じことが宗教にもいえるわけで、有史以来の伝統が未だに守り続けられているということは、その間にそれを超越する思考がいっさいなかったということである。
今日の敬虔なユダヤ教信者、キリスト教信者、その他の宗教の信者というのは、そういう古い古い思考を如何にも有り難く受け容れているということである。
2千年も語り継がれてきた言葉というのは、それこそ真理を極めているに違いない。
語り継がれていることが如何に真理であったとしても、それは真理なるが故に完全なる理想なわけで、人間の追い求めているものが100%完全なる真理であるが故に、それは人々の理想として燦然と輝いているのではなかろうか。
だから人々がそれを追い求めれば追い求める程遠のいてしまう。
陽炎の逃げ水のように近づいたと思った途端にさっと逃げてしまう。
で、結果として、人は理想を追い求めるだけで、実際にはたどり着けないということになる。
それを人間の生涯に当てはめてみると、若いときには古老の説くこの真理を意味もわからず受け容れているが、思春期ともなれば普通に健康な精神を持つ若者であればあるほど古老の言っていることに疑問を抱くのが当然だと思う。
疑問を抱きつつも、古老の言うことをそのまま信じ続ければ、それは立派な伝統として後世に語り継ぐということになる。
ところが、ここでその疑問を深く掘り下げようとすると、現状との衝突となるわけで、それでも尚いっそう自分の考えを優先させ、それに忠実足らんとすれば、それは革新となり、異端となり、変わり者と烙印を押され、仲間内から排斥されかねない。
イエス・キリストの誕生も、この流れの中で出てきたのではないかと思う。
ここで言うユダヤ教が2千年も続いてきたということは、イエス・キリスト以外にユダヤ教の中でそれに続く革新者が一人も登場していないということに他ならない。
厳密に言えば、現代のユダヤ教徒の中にも様々な宗派があるようで、その意味ではイエス・キリスト以外にも、その他の革新者がいたということなのではなかろうか。
信仰の厚い人、敬虔な信者という言葉は、今の状況の中では良い評価を得ているようであるが、私の個人的な評価からすれば、それは心の柔軟性の乏しい人ということになる。
生まれ落ちたところが両親共に敬虔な信者で、その元で厳格な宗教的戒律の中で生育したとしても、成長の過程で思春期というものを経験する際に、その両親のしていることに何も疑問を抱かずに大人になるなどということが私には考えられない。
この地球上には未だにあらゆる情報から隔離されている地域があるが、そういう地域の人々ならばいざ知らず、普通のところであらゆる情報に晒されながら、未だに2千年前の戒律のままに生きるなどということは信じられない。
歴史上には世界的な規模で活躍したユダヤ人というは掃いて捨てるほどいる。
イエス・キリストを始め、アインシュタインからキッシンジャーまで、著名なユダヤ人が目白押しであるが、問題は彼らが自分達の祖国を持っていないという点が実に我々には解りにくい。
アメリカ人、イギリス人、フランス人、中国人、日本人という場合、大抵はそれぞれの祖国を背負って語られているが、彼らは世俗的にはそれぞれに自分の祖国というものを持ちながら尚それに付け加えてユダヤ人といわれているわけで、その部分がいまいち理解しがたいものがある。
イタリア系アメリカ人、インド系イギリス人、アルジェリア系フランス人というものともひと味違っている。
第2次世界大戦後の1948年にユダヤ人の国家、イスラエルが誕生したので、イスラエル人かというとそうでもない。
この本の中でもユダヤ人の定義が成されているが、突き詰めると、結局のところ解らないということになる。
ローマ皇帝に祖国を追われ、世界を放浪する民となり、それが20世紀になって自分達の祖国が出来た以上、全員そこに帰還すれば良さそうなものだが、そうはならない。
無理もない話で、アメリカやイギリスで何不自由ない生活をしていたものが、自分の祖国が出来たからといって、禿げ山ばかりの砂漠に戻るなどということは、普通の人間ならば御免被りたいと思うのが当然だ。
修験者でもない限り、わざわざ苦行の道を選択するはずもない。
大昔にローマ皇帝に祖国を追われ放浪の民となって以来というもの、あちらの国こちらの国に散って、その国の軒先を借りて細々と生きてきたといっても、軒先を貸した方の人々にしてみれば、何時寝首をかかれるか解らないという不安はついて回ると思う。
一旦は追われても又元の場所に戻って、そこで祖国を再建したというのであれば、それなりの対応というものもあり得るが、そうではなく、世界中に散らばって、散らばった先で社会的にも高い地位を占める人が多くなれば、軒先ばかりではなく母屋まで取られるのではないか、という心配はついて回ると思う。
主権国家という概念が確立すればするほど、様々な主権国家の首脳者としてみれば、自分の国の中で起居するユダヤ人に対してそういう心配がついて回ると思う。
彼らが自分達の宗教にこだわることなく、完全に周囲に同化してしまえば、そういう心配もなくなるかもしれないが、軒下を借りた形でいながら2千年も前の伝統をそのまま引き継いでいるとすれば、軒下を貸した方の心配は払拭されないものと想像する。
それが20世紀におけるユダヤ人の抑圧というものではなかろうか。
1948年にイスラエルがユダヤ人に国家として誕生したならば、そこに世界中のユダヤ人が集合すれば良さそうに思うが、そうならないという点では「人は信仰のみでは生きれない」ということなのであろう。

「ヨーロッパの旅キリスト教編Q&A」

2007-03-24 20:33:55 | Weblog
例によってヨーロッパ旅行の予備知識を得ようと思って図書館から借りてきた本でという本を読んだ。
この本は極めてわかりやすく解説してあった。
今まで読んだ本はあまりにも学術的な記述がなされているので、よく理解できなかったが、この本はこちらが知りたいと思っていることに的確に答えが出されていた。
しかし、宗教などと言うものは突き詰めていけば結局のところ、人間の原始の悩みに行き着くと思う。
そして人間の悩みを聞き、その悩みに答えるのも人間であり、その悩みに指針を示すのも人間であるとすれば、最終的には人間の業に行き着くのも無理無い話だと思う。
ユダヤ人の中からイエス・キリストが誕生し、それが同じユダヤ人から排斥されるというのも、人間の業に一つというべきで、それこそ人間の持って生まれた偏見そのものではないか。
偏見こそ人間が持って生まれた業の最悪のものではなかろうか。
「信ずるものは救われる」というが、それは救われたような気がするだけで、根本的な解決には至っていない筈だ。
ただその人が自分は神、ないしはキリストによって救われた、と思い込むだけの話で、何の解決にも至っていないと思う。
その場合、自分が救われたと思い込むことによって、その人の悩みが和らぐということは現実の問題として有るに違いない。
これこそが心の平安というものであろう。
一時的な逃避であったとしても、しばし心の平安が得られた、ということはある種の救いであることに間違いはない。
問題は、心の平安を探し求めてさまようか弱き人々にあるのではなく、心の平安を授けるべき立場にいる人々の人間性である。
これが実によく人間の本性を現しているわけで、こういう立場の人々は、普通我々のごとき凡人からすれば、現世を超越した聖人に見えてしかるべきである。
ところが、これが案に相違してそうではないところに私の関心が向く。
人間という生き物は、個人という単体、単独では生きられないわけで、集団としての群れでなければ生きていけれない。
群れで生きるということは、そこには当然組織というものが出来上がる。
群れをあるべき方向に導くリーダーと、そのリーダーをフォローする下々の者という階層を形作る組織は、人の群れには必然的に出来上がると思う。
リーダーは当然群れ全体のことを常に考えているわけで、普通の他の個体と同じことをしていてはそれができないのでそのことに専念する。
するとそのリーダーは下々のしている肉体労働から解放されるわけで、それを下々の立場から見れば如何にも楽をしているかのように見えるのも無理ない話だと思う。
リーダーにはリーダーとしての悩みがあるに違いないが、下々のものにはそのリーダーとしての悩みは見えないわけで、誰でも彼でもが「俺もリーダーとして楽がしたい」という気持ちになるのも当然の成り行きだと思う。
これこそが人間のもつ基本的な欲望、原始人の嘘偽りのない真の本性、本音だと思う。
仏教用語ではこれを煩悩と称しているが、宗教としてその根源までさかのぼって考えれば仏教もキリスト教もその行き着く先は同じだと思う。
ところが心の平安を授ける人々が大勢になり、それが組織というものを形作ると、そこに当然人間としての基本的欲求として、階層のトップになりたいという上昇志向に毒される。
こうなるともう心の救済、悩みの癒しなどという他人事に関わっておれなくなって、俗世間の人間の本性丸出しになり、欲望の赴くままの有り体になってしまう。
こんなことはイエス・キリストの誕生の時代、いやそれよりも前のユダヤ教の時代にも、解っている人には解っていたに違いない。
それでも人々が信心に頼るということは、これも又人間の業の一つなのであろう。
騙す方も騙される方も同じ人間ということだ。
組織というものが大きくなればそれは必ず分裂する。
これも人間の群れにとっては必然的なことで、10人や20人のグループならば意見の集約は比較的簡単であるが、これが200人2000人となると必ず意見が分かれ、それを一つに集約することは極めて困難になる。
結果的に、それは考え方の似かよったもの同士が集まって、それぞれにグループを作って分裂する。
分裂すれば、次の段階として、お互いに正統派を主張しあって覇権争いに展開するのも人間の基本的な有り体である。
こういう人間の形態は如何なる民族にもあるわけで、これが他民族どうしの接点で行われているかぎり、我々はそれを人類の歴史という認識で眺めることができるが、それと同じことが人間の精神を司る職域の中で展開しているとなると、宗教というものに極めて懐疑的にならざるを得ない。
中世から近世にかけての教会の建物の絢爛豪華さ、これを我々はどう解釈したらいいのであろう。同じことは我々の日本でも言えるわけで、日本の寺院の建築物についても同じことが言えている。
教会や寺院が立派ということは、言い換えれば人々がそれだけ抑圧され、搾取されたということではなかろうか。
抑圧とか搾取というと、悪代官が人々を苦しめる図を思い描きがちであるが、「これこれの寄進をしなければ悪魔が乗り移る」という言い方で祭祀を司るものが言ったとすれば、それは立派な抑圧と搾取だと思う。
ローマ法王が発行した免罪符などという馬鹿げた発想は、教会が如何に人々を騙したかということを如実に表しているではないか。
金で自分の犯した罪が償える、などという奇妙奇天烈な発想が何故まかり通ったのであろう。
ホリエモンまがいの錬金術、いや詐術そのものではないか。
人間の精神の有り様は、洋の東西を問わず、宗教界に身を置く人といえども、凡人とたいして変わらないと思うが、それに引き替え、目に見える形の具体的なものは我々の発想とはずいぶん違っているのは一体どういうことなのであろう。
文化は風土が醸成すると、私は考えているが、ヨーロッパの絵画、彫刻とか、建築物というのは我々の思考とは明らかに違っているわけで、この違いは一体どう説明したらいいのであろう。
絵画にしても我々の色使いとは全く違っているし、彫刻でも我々の発想とは全く違っている。
建物においては我々の考えも及ばない様相を呈しているわけで、この発想の違いは一体どこからきているのであろう。
人間が、心のよりどころを探し求めてさまようのは世界的に人類の基本的欲求として大同小異であるが、芸術の分野になると全く共通項が見あたらないような気がする。
これは私の勉強の足りなさの問題であろうか。
城の形態だけ見ても、日本のものとは全く違うし、まして絵画とか彫刻に至っては我々のものと共通する部分は全く存在していない。
ヨーロッパの聖堂とか教会が石で出来ているとするならば、その石は一体どこから持ってきたものであろう。
どこかに石切場というものがあるのだろうか。
石を四角に切り出すには相当に高い技術が伴わないことには出来ないと思うが、その辺りのことは一体どうなっているのであろう。
我が民族の学者と称せられる人々は、人間の精神の葛藤は高貴な学問と思い込んで、そういう方面の研究には労を惜しまないが、具体的な事物に関する考察には極めて関心が薄いような気がしてならない。
一枚の絵を見て、様々な蘊蓄を傾けることが学問であって、教会の建物の石が何処の産で、誰がどういう風に加工したのか、石をなめらかにするにはどういう技術があったのか、という実務についての関心は真に薄いように見受けられる。
それについては実際に見てから論考してみよう。

「だれが聖書を書いたか」

2007-03-23 15:14:23 | Weblog
例によってヨーロッパ旅行に際しての予備知識にと思って、図書館から借りてきた本で「だれが聖書を書いたか」という本を読んだ。
結論として、聖書は一人の著者が心血を注いで書き上げたものではないということである。
何人のもの人が、部分部分を書いて、それを寄せ集めた作品だということである。
私は元々宗教になどに興味がなかったので、いまだかって開いたこともなかった。
ただ言葉としては、旧約聖書と新約聖書というものは知ってはいたが、当然、新約というからには後で出た改訂版ぐらいのものであろう、といった極めて粗雑な認識しか持っていなかった。
時代的には確かに後でできたのであろうが、旧約聖書というのはキリストが生まれる前にもう既にあったもののようで、キリストの誕生以降に書かれたのが新約聖書というものらしい。
そのために旧約聖書というのはユダヤ教の教典に近いものであったに違いなく、キリスト教が広範に広がる過程で、新約聖書というものが編まれたようだ。
しかし、両方とも教義を書き記したものではなく、人間の様々な悩みを、具体例を示しながら、示唆的に倫理を説いたもののようだ。
こういう本を読んでいると、西洋の古代史を知らないとまさしく意味不明に陥る。
西洋のというよりも、エジプト、アッシリア、ペルシャ、オリエント、ローマ、ギリシャ等々の古代文明にまでさかのぼらないと意味不明である。
そこまでさかのぼると、もう何処までが事実で、どこからが神話なのか定かに解らないことになる。
ただ驚くべきことは、紀元前の時代にもう紙というものがあり、それに文字を記すという行為が人間によって成されていた、ということは実に驚くべきことだと思う。
人が文字を持った、ということが人類の生存に大きく関わりあっていたに違いない。
今でも文字を持たない民族がいるにはいるが、そういう民族は極めて影響力が乏しく、地球規模で見た場合、何ら人類に貢献するものを持っていない。
現在、地球上で繁栄を誇っている人々は、全て文字を持った人々の後裔で、文字を持つということはこういうことだと思う。
しかしながら、天孫降臨という話は大なり小なりどの民族にも似たような話があるもので、そういう嘘か誠か解らない曖昧な話にでもすがりたいというのが人間の原始の心の有りようであることは間違いない。
西洋の人々がキリスト教を信心し、聖書の教えを座右の銘としながら、偏見に満ちた思考に陥るというのも宗教の大きな矛盾ではなかろうか。
宗教の矛盾というよりも人間の心の側の矛盾なのかもしれない。
聖書は人間の犯してはならない「べからず」集というわけでもなかろうが、生きた人間の倫理を説くものであるとするならば、キリスト教信者はもっともっと謙虚に生きなければならない筈である。
それは聖書の話よりも相当年代を経た近世の話に飛躍してしまうが、この時代の彼ら西洋人の地球規模の活躍は、とうてい宗教からは賛美し得ない諸行ではなかろうか。
その前の中世における異端者狩りというような行為も、とうていキリスト教信者の行為としては受け容れがたいものではないのか。
宗教を司る人々、いわゆる心の救済者も、所詮は俗世間の人間と同じ人間なるが故に、人間の煩悩、いわゆる人としての潜在的な欲望からは逃れられなかったということであろう。
だとしたら、宗教というものの意味が最初から無いのと同じなのではなかろうか。
心の救済者、いわゆる司祭とか、修道院とか、教会という宗教の象徴としての関わりを持つ人には、人々は畏敬の念を拭いきれない。
人々の目からすると、そういう立場の人は有り難い存在に映るわけで、競って供え物を献上したくなる気持ちを押さえがたい。
それは日本の仏教界でも同じなわけで、自分の信ずる宗教の説話を聞く場合、非常に有り難い気持ちになって、ものを寄進しても惜しくないと思うようになる。
だから宗教を司る施設には自然と財がたまる。
俗世間風にいえば金持ちになるし、為政者も民衆と同じように、そういう団体には様々な特典を与えるので、ますます栄華を極めるようになる。
それは結局のところ、俗世間の人間のしていることと同じことを宗教の名を借りて行っているわけだ。
聖書の説く倫理も、道徳も、彼らは自分に都合の良いように解釈するわけで、ある意味で無知な民衆を騙していることになる。
世俗の為政者は直裁に統治権を振りかざして、臣民を統治するが、宗教家は宗教の名を借りて同じように無知な民衆から寄進という形で富を吸い上げるわけである。
宗教家が真に人間愛にあふれているとすれば、ヨーロッパに見られる立派な教会などあり得ないではないか。
キリスト教徒は偶像崇拝をしないといわれているが、あのキリストの磔の像をあちらこちらに建てるというのは偶像ではないのか。立派な教会の建物は一種の偶像と化しているのではなかろうか。つまり、いくら敬虔なクリスチャンであろうとも、人間の本質は隠しきれないわけで、その隠しきれずに表に現れている部分は、世俗のものと同じである。
心の癒しを司るというのは、彼らの職業なわけで、その職業に就いているからといって、その人の煩悩が消滅しているわけではない。
人としての根源的な欲望を超越したかのように振る舞ってはいるが、真から解脱しているわけではない。
世俗のものが露骨に出てしまっているということだ。
神に仕える身というのはある種の欺瞞で、そういう振りをして世俗の無知蒙昧な人々の目をごまかしているに過ぎないと思う。
それを端的に示す行為が布教というもので、キリスト教徒でないものが如何なる宗教を信じようと彼らには関係のないことの筈であるが、それでは彼らのお節介心が許さないわけで、キリスト教に変わればもっと良いことがあると諭すわけである。
その良い例がアメリカのブッシュ大統領のイラク戦争で、イラクの民が何を信じようとアメリカには関係がないが、それではキリスト教徒としての正義が許さないという論理で、正義の押し売りをしているわけである。
もっとも9・11事件に見られるように、テロの温床と叩くという理由も、石油にまつわる利権も絡んでいるであろうが、キリスト教徒の偽善とイスラム教徒の原理主義が衝突しているのが今のイラクの現状だろうと考える。
私のような凡人は、宗教は、心の平安を希求し、人々の精神の癒しに貢献すべきものと思いこんでいたが、それを司っている人々も、所詮は普通の人間の普通の基本的欲望から解脱できていないということなのであろう。

「キリスト教とユダヤ教」

2007-03-22 15:25:04 | Weblog
ヨーロッパ旅行に際して少しでも予備知識をと思って、図書館から「キリスト教とユダヤ教」という本を借りてきて読んだ。
正直言って難解でよく理解できなかった。
無理もない話で、人類が過去2千年も思い悩んできたことをたった一冊の本で解ろうとする方が間違っている。
その上書いた人が悪い。
ドイツの紳学者の連中が書いたものの翻訳で、哲学的用語が多くて実に難解である。
解ったことといえば、イスラム教もキリスト教も、ユダヤ教が元になっている、ということぐらいだ。
私の認識では、ユダヤ教徒がイエス・キリストを処刑したので、その後キリスト教徒はユダヤ教徒を迫害するに至ったというものであったが、この本が指し示していることは、教典をさかのぼって紐解くと、イエス・キリストを処刑したのはユダヤ人ではなく、ローマ人であったということだ。
ただユダヤ人はそのローマ人の諸行、つまりキリストを処刑することに抵抗を示さず、なすがままにしていたので、共犯者だという概念でユダヤ人はキリスト教徒から追われるようになったということだ。
つまりユダヤ人の未必の故意が責められたわけである。
こんな神代(かみよ)の時代のことを、大の大人がああでもないこうでもないと口角泡を飛ばして議論しなければならないことであろうか。しかも神学者だとか哲学者が!!!
私には神学とか哲学などというのは、大学者と称せられている暇人が知識を弄んで、知識自慢をしている図にしか見えない。
そもそも宗教の元、いわゆる宗教の核の部分というのは「鰯(いわし)の頭も信心から」というわけで、極めて些細な事柄であったに違いない。
その些細なことに、樹木の枝葉が繁るように後から後から屁理屈を付け加えたにすぎないと思う。
21世紀という時代状況から、キリスト教なりユダヤ教を研究するということは、その枝の先の葉っぱの方から根本に向かって思考を巡らすということで、あくまでも人間の知的遊戯、むなしい自慰行為でしかないと思う。
人間というのは、確かに何かにすがりたいという気持ちを持って生きているには違いない。
原始人が荒野で、自らの安寧の地を探し求めてさまよっているとき、進むべき道を東にするか西にするか、北に向かうべきか南に向かうべきか、自分の判断に自信の持てないことも多々あったに違いない。
その時に、誰しもが、何かにすがりたいという心の有り様は万人共通のことだと思う。
こういう選択は、人間が生まれ落ちたときからそれぞれ個々の人間に内在しているわけで、人間一人一人そのまよいの内容は違っていようとも、まよいを持って生きているという事実には変わりはないはずである。
だからこそ、人々はそのまよいに答えてくれそうな宗教によりどころを見いだそうとするのである。荒野でさまよっている人間は、たった一人とか一家族ではあり得ないわけで、それはマスという人間の群れとして存在している。
その群れの中で、現実に人々を安住の地に導こうとする世俗のリーダーと、そういう世俗のことは人に任せて、自分達の仲間の心の安住を提供すべき特別の人が選任されるようになる。
その選任されることの基準は、過去におけるその人の予言の実績で、的中率が大きく左右するわけであり、その人の的中率が高ければ、世俗のリーダーもその祭祀のリーダーの助言を求めたくなるものと推察する。
宗教の起源などと言うものは、この程度のことだと思う。
この本を読んで何となく解ったような気になったことは、はじめにユダヤ教ありきで、イエス・キリストは、この時点のユダヤ教において宗教改革をしたということではないかと推察する。
少なくともユダヤ教の教典はイエス・キリストの誕生前から存在していたようで、イエス・キリストは完璧なユダヤ人として生育し、敬虔なユダヤ教徒であったにもかかわらず、ユダヤ教の教典の新解釈をしたので、旧来のユダヤ教徒から反発をされたと、私なりに解釈している。
ならばキリスト教徒が何故に2千年にもわたってユダヤ教徒を排除し続けたのかという点に疑問が行き着く。
この本の著者がいうようにイエス・キリストを処刑したのがユダヤ人でなかったとすれば、キリスト教徒のユダヤ迫害は懺悔してしかるべきはずであるが、そうならないのは明らかに偏見そのものである。
原始的なマスとしての人間は、自分達の現実の安住を求めるリーダーと、心の世界の安住の地を司るリーダーを分離していた。
ところが世俗のリーダーも、心のまよいというのは万人と同じようにあるわけで、ここで心のリーダーに相談を持ちかける。
するとここには両者の間に連帯感が生まれるわけで、その連帯がより強まると、どちらが真のリーダーか解らなくなってしまう。
一言でいえば政教一致ということになってしまう。
ヨーロッパの歴史というのはこういうものではなかろうか。
原始の人間である内は、心のリーダーというものも素朴であったに違いないが、そこにユダヤ教とかキリスト教という厳然たる宗教団体というものができてくると、心のまよいを専門に司る組織が出来上がり、人が集まってマスというものを形成すると、個々の人々の心は、マス、つまり組織の意識に収斂されてしまう。
個人個人の心というのは、組織の意志の中に集合されてしまって、その中に埋没してしまう。
そういう中で、個人の意見を強烈に表明すると、それは異端者という烙印を押されてしまい、組織の外に排除されてしまう。
ユダヤ教からキリスト教が出てきたということは、こういうことではなかろうか。
ならばキリスト教徒から見れば、イエス・キリストはユダヤ人であるにもかかわらず、自分達の信心の真骨頂を生み出したユダヤ人を排斥し続けたのは何故なのであろう。
これこそ人間の業としての偏見だと思う。
理屈では割り切れない人間の業そのものであろう。
キリスト教徒は万人に愛を説き、慈悲を説き、平等を説きながら、片一方では偏見に満ちていたわけである。
彼らの説く愛、慈悲、平等は、彼らが人間と認めた相手だけがそれを受認できるわけで、彼らが相手を人間として認知しない、する気がない化外の民であるとするならば、それらは人間の内に入っていないわけで、そういうものは犬、猫、豚と同じ動物と見なして構わなかったのである。
キリスト教徒が「万人」に愛を説き、慈悲を説き、平等を説くなかで、その「万人」の中には、この世の全ての人間が内包されていたわけではなく、彼らの目から見て相手も人間だと認めた人しかその中には入っていなかったわけである。
だからユダヤ人、異端者、異邦人、黄色人種、黒人等々という人は彼らの目から見て人間の内には入っていなかった。
これは明らかに偏見そのもので、こういう偏見は人間が生来持っている基本的な煩悩である。
煩悩という言葉は、仏教界の言葉であろうが、キリスト教的には人間の潜在的欲望とでもいうのだろうか。
とにかく人間というものは生まれ落ちたときから何らかの欲望を持っているわけで、この偏見という思考も、その中の一つなのであろう。
我々は他とは違うのだ。俺とあいつは同じではない。我々はあれらよりも優れている。あいつらは人園ではない。自分達と同じ仲間でない以上抑圧しても構わない。差別しても一向に良心の呵責を感じない、と思いこむこと自体が人としての本性ではないかと思う。
原始社会の中で、心のまよいを専門に司る人たちが集まると、当然そこにも組織ができ、それぞれの持ち場立場に応じて階層ができる。
組織としてグループをまとめる人と、その組織を形作っている人の世話をする下働きの人々とが階層的に分離するようになる。
世俗の社会、つまり人々を直接統治する集団も、必然的に組織化されるわけで、すると人々の集合体の中に政治として直接統治に関わる人々と、人々の心のよりどころを司る祭祀系の組織と、双頭のシステムが出来上がってしまう。
問題は、心の平安を司る組織の人々が、神に仕える身でありながら、中身の人間は煩悩を捨てきれずに、世俗のシステムのコピーに過ぎないので、理想は高いものを掲げているが、していることは世俗と同じなわけである。
そして神学とか哲学を極めると、どうしても自己批判に向かうようになるので、批判が内側に向かって降りかからないように、他にスケープ・ゴートを作り出さなければならず、それがユダヤ教排斥であったものと想像する。
これがヨーロッパの歴史なのではなかろうか。
ヨーロッパの歴史は、この行政と宗教があざなえる縄のようにお互いに絡み合っている。
しかし、我々の国の歴史では、これほどひどくはないが、そういう部分も多少はあるが、基本的に政治の筋の方が終始太かったように見える。

「万能人とメデイチ家の世紀」

2007-03-19 18:06:37 | Weblog
今回予定している旅行に関連して、図書館から借りてきた本で「万能人とメデイチ家の世紀」という本を読んだ。
メデイチ家に関する蘊蓄にあふれているかと思って期待して読んだが、その意味では期待はずれであった。
しかしイタリアのルネッサンスについては大いに参考になった。
ヨーロッパの名家、いわゆるハプスブルグ家、メデイチ家、ロスチャイルド家等々の家系は要するに映画『ゴッド・ファーザー』と同じということではなかろうか。
我々の言語では『家』であるが、英語読みで表せば『ファミリー』なわけで、マーロン・ブランド扮するコルネオーレが家族を守りながら、勢力を拡張する図と同じということではなかろうか。
映画はフイックションであろうが、フイックションを構成するにもネタがなければ虚構そのものが成り立たないわけで、その意味で『ゴッド・ファーザー』という虚構は、ヨーロッパの貴族の成り上がりの過程をマフィアの抗争という形で描き出したものではなかろうか。
その意味では日本における織田信長や太閤秀吉の誕生と軌を一にするものではある。
映画『ゴッド・ファーザー』は興行として成り立つように、勢力拡張をマフィアの抗争という設定にしているが、実際のヨーロッパ人の勢力拡張の過程では、武力行使と結婚という姻戚関係の結びつきということでその版図が大きく左右されたに違いない。
そういう状況の中で、文化、いわゆるルネッサンスというものは、こういう「ゴッド・ファーザー」的な権力者がパトロンとして機能して、推し進められたわけで、その意味からして、政治というものが文化の上に位置したものではないか、と私なりに勝手に解釈している。
映画『ゴッド・ファーザー』を例に引けば、政治はマフィアが勢力拡大を図る手法としてあったわけで、マフィァを貴族とか王侯に置き換えればそれがそのまま政治に成り代わるものと考える。
この本は、レオナルド・ダ・ビンチをして劣等感にさいなまれて臍を噛ませた、というレオン・パチスタ・アルベルテイを描くことによってルネッサンスを浮き彫りにしようとした作品であった。
日本人にとってレオナルド・ダ・ビンチならば誰でもが知っているが、レオン・パチスタ・アルベルテイなどは普通の人は知らないと思う。
私もその中の一人としてこの本を読むまでは全く知らなかった。
ところがこの本の中では彼が万能人として描かれているわけで、その意味ではレオナルド・ダ・ビンチも明らかに万能人であったわけで、要するに今でいえば「何でも屋」のマルチ・タレントということだ。
ここでルネッサンスというものが建築と大きく関わり合って、建築を基準にして物事が決まっているような気がしてきた。
ヨーロッパの建築物は太古から石でできているが、家が石でできているということは、この地方には地震というものを考えなくても済んできたということに他ならない。
しかし、素人なりに考えてみると、イタリアのボンペイの都はベスビオス火山の噴火で埋没したはずなのに、何故人々は地震のことを考慮に入れずに生きていたのであろう。
火山があるということは地震がついて回るということではなかろうか。
「フニクラ・フ二クラ」というイタリア民謡にもあるように、イタリアは火山国なのに地震の恐怖については一向に描かれていないというのは一体どういうことなのであろう。
そういう私の下衆の勘ぐりとは別次元で、ヨーロッパの家は石でできている。
日本の家屋が木と紙でできており、ヨーロッパの家が石でできているということは、明らかに文化というものは風土に根ざすということではなかろうか。
我々の家が木と紙でできているということは、考えてみればスクラップ・アンド・ビルドを前提としてできており、ヨーロッパの家が石でできているということは永久不滅の願望がそこに現れているということではなかろうか。
そして、東海の小島の磯の白砂に住む我々は、海という堅牢な外壁に囲まれているわけで、他民族との葛藤を避けて生きてこれた。
ところがヨーロッパではそういうわけにはいかず、常に外敵との接触に脅かされていたわけで、その意味で、異民族との折衝にもすこぶる長けていたわけである。
そのことの延長線上に、ファミリーが自分のテリトリーを、つまりマフィアのいうシマを、如何に維持していくかという大命題に突き当たるわけである。
ここで話題が飛躍して、だいぶ以前のことであるが、テレビを見ていたら、政治献金問題で佐川急便が金丸信に金を送ったかどうかという放送で、佐川急便の幹部会の場面が放映されたことがあった。
あの状況を見ると、まさしく『ゴッド・ファアザー』のマーロン・ブランド扮するところのコルネオーネ家の家族の葛藤そのものである。
つまり佐川急便の幹部会の有り体は、マフィアの頭領の会合と同じレベルであるが、悲しいかな品の無さにおいてはとてもコルネオーネの足元にも及ばない。
詰まるところ、いくら飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長した企業でも、経営者や構成員の品格の向上は金の力でも何ともならないということである。
急成長した優良企業で、ないしは成り上がりものでは、その虚飾の皮を一皮剥けば、人間の品性そのものが見事に露呈するということである。
いくら立派な名門家系、いくら立派な企業のエグゼクテイブでも、人が見ていないときの行いというのは同じ人間として赤裸々なものがあり、表面がいくら立派に見えても、生身の人間は我々と大差ないということだが、これでは野蛮というほかない。
現実に生きている人間には、野蛮さの対局に品の良さというものが有るわけで、この品というのは一体どう解釈したらいいのであろう。
由緒正しき家系には、本人の頭脳の善し悪しとは別に、品格とか風格というものが備わっているが、これは成り上がりものにはなかなか身に付かない。
しかし、そういう上品な人でも生活に窮してくるとその品も次々とはげ落ちることもある。
札束で人のほっぺたを叩くような勢いのものでも、風格、品格とか上品さを金で買って、付け刃的に品よく振る舞うということはありえないが、裕福な生活をし続け、心の平安を得るようになれば、自ずと品が出てくることもある。
映画『ゴッド・ファアーザー』でマーロン・ブランド扮するコルネオーネ家の面々には、フイックションの世界とはいえ、この風格とか品が漂っているが、これは一体どういうことなのであろう。
で、そういうものがヨーロッパのそれぞれの名家にはついて回っているわけで、他人の品性の良さというのは、自分もそれと同じレベルに達していなければ他人の品性そのものが理解しきれないと思う。それがいわゆる教養というものではなかろうか。
風土に根ざしたヨーロッパの石の家に住む人々は、殺風景な石の建築物に彩りを添えるために絵画というものを飾り、その絵画に描かれている内容によって、字の読めない民衆に対してある種の教訓を示唆しようとしていたに違いない。
よってヨーロッパの絵画というものが最初は宗教絡みのものが多かったが、このルネッサンスにいたって初めて人間そのものの美に気がついたわけである。
この時代の芸術家や学者というのは、良いパトロンを得て、そのパトロンの元で徒食しながら作品を作ったわけで、良いパトロンを得るというのは、パトロンの側にもそれ相応の良い審美眼がなければならなかったわけである。
何の結果も生まない、海のものとも山のものとも解らない芸術家や学者に徒食させることは、いくら鷹揚な貴族でもあり得ないと思う。
それにしても貴族とか王侯が芸術家や学者を自分の邸宅に囲い込み、または金を与えるというのは明らかにノブレス・オブリージの現れではなかろうか。
これはキリスト教に根拠があるのだろう。
「貧しいものに施し与える」というのはキリスト教の慈愛の発想ではないかと思うが、そういう宗教が何故に「異教徒ならば殺しても構わない」という論理に行き着くのであろう。
宗派が違えば殺し合っても構わない、という論理に何故行き着くのであろう。
ここには明らかに偏見が内在しているように思う。
同じ人間の姿形をしていても、異教徒ならば人であらず、宗派が違えば人であらず、という思考が連綿と生き続けているのではなかろうか。これこそ偏見そのものである。
自分と同じ宗教、同じ宗派ならば人は皆平等で等しく愛を得られるが、宗教が違い、宗派が違えば同じ人間でもそれは人ではないという思考が行き渡っていたのではなかろうか。
片一方では慈愛を説きながら、もう一方では偏見に凝り固まっているというのでは宗教の意味がないではないか。
しかし、これがヨーロッパの現実であったわけで、ヨーロッパの現実というよりも宗教、キリスト教の現実であったわけで、この宗教の矛盾は未だに克服されていないがこれは一体どういうことなのであろう。
レオナルド・ダ・ビンチもレオン・パチスタ・アルベルテイなどという万能人、いわゆるマルチ・タレントも宗教の矛盾には一言も答えようとしていない。

「フィレンツエ歴史散歩」

2007-03-15 13:28:37 | Weblog
例によってヨーロッパ旅行を意識して図書館から借りてきた本で「フィレンツエ歴史散歩」という本を読んだ。
ヨーロッパの歴史というのは実に複雑怪奇だとつくづく思う。
歴史というものは近世に至るまで有力者、つまり統治者の歴史であって、名もない民衆の歴史ではありえない。
当然といえば当然のことで、そういう有力者とか統治者というのは必然的にそういう者同士で離合集散するのも洋の東西を問わないわけで、人間の行う行為としては普遍的なのであろう。
そこに武力としての実力行使が伴うかどうかは、統治者同士の判断によるわけで、必ずしも戦争でのみで勢力範囲が大きくなったり小さくなったりするわけでもない。
ただ我々日本人から見て不可解なのは、これらヨーロッパの中世の都市が要塞で囲まれた街であったということだ。
そのことは大陸という陸地に生き続けた民族には共通することで、中国の例にも見られるように、人々は自分たちの世界と他の世界を城壁によって隔離していたということである。
自分たちの居住する部分を要塞で囲むということは、こういう地域に住む人々にとって、他からの進入、侵略という恐怖を常に抱き、その恐れに怯えながら生きていたということだろう。
それは同時に自己と他者というものを厳然と認識する、という基本でもあったのではなかろうか。
我々の先祖も、身を守るという点では、堀などを作ったが、それも城壁を築くのと同じ思考ではあるがその思考の深さと厚みが違っていると思う。
我々の場合、厳密にいえば単一民族ではないが、極めて同質性の高い人々の集合体であったので、自己と他者の峻別は極めて寛容であったに違いない。
私がヨーロッパの歴史をひもとこうとする際に最大の困惑は、一つの言葉がドイツ語読み、イタリア語読み、英語読み、フランス語読みと様々な言い方で語られているということだ。
その上、登場人物の名前がその人の一生のうちで何遍も変わって、誰が誰だか解らなくなってしまう。
同じことは日本の歴史についても言えているが、そこは母国語なるが故に外国語ほどの苦痛は感じられない。
ヨーロッパの人達からすれば、その違いは我々が九州弁と東北弁の違い程度の感覚であろうが、私にとってはそうはいかない。
その違いをカタカナ表記でしているものだから頭が混乱してしまう。
そういう言語の困難さを克服した人からすれば、ヨーロッパの歴史というのはきっと面白いものがあるに違いない。
ヨーロッパの王侯貴族の栄華盛衰を知るということは、それだけでなまじっかフイックションで書かれた小説よりも面白いかもしれない。
人間の生存は、ただただ平和的に、食って、糞して、寝て暮らすだけではすまないわけで、本来、人間の内部に巣くっている煩悩と闘いながら生きているわけで、その煩悩との葛藤の中で、宗教の存在というものを抜きには考えられない。
私の認識では、宗教とは心の平安を希求するものだと思うのだが、現実の人間のしていることは、この宗教の名の下に殺戮が行われているわけで、それは21世紀に至っても尚続いている。
キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、それぞれの宗教が人間の歴史と共に誕生しているが、これらの宗教は全て「来世の至福を求める」、と口では綺麗事をいいながら、現世では人殺しを奨励しているわけで、こんなバカな話があるかといいたい。
しかし、こんなバカな話が有史以来人間の誕生と共に連綿と続いてきたわけで、人間の思考というのは有史以来何も進化していないということではなかろうか。
虎でもライオンでも百獣の王と言われているが、虎は虎どうし、ライオンはライオンどうしで死ぬまで相手を痛めつけるということはしない。つまり共食いはしないといわれている。
子孫を残すための雄どうしの葛藤はある。しかしその葛藤も相手を殺傷するまではいたらないわけで、雌の獲得権が成立すればそれ以上の深追いとか憎しみというのはありえない。
ところが人間だけは、種どうしで相手を殺し合うことが常態となっているわけで、これは一体どういうことなのであろう。
万物の霊長としての人間であるとすれば、人どうしの殺し合い、人間、人類という種どうしの殺し合いというものは、真っ先に無くさなければならないのではなかろうか。
ところがもう一歩深読みをしてみると、人間が諍いを避け平和的に食って、糞して、寝て暮らすとすれば、人口は急撃に増加してしまうに違いない。
自然界の動物は食物連鎖に支配されて個体数が増減するが、人間の場合「考える芦」なわけで必ずしも自然条件ばかり支配されているわけではなく、自然を克服しようとし、その過程で人為的な要因が大きく作用してくることになる。
太古の統治者にとって見れば、自分と同じような貴族クラス、なしは教会の司教クラスは城壁の内側に起居しており、そういう人のみが人間という認識で、下層階級の農奴とか城壁の外に住んでいる牧畜民などというものは人間のうちに入れてなかったに違いない。
姿形は人間だけれども、意識としては犬か豚並みにしか思っていなかったと思う。
ヨーロッパの歴史というのは、そういう視点で描かれているのではなかろうか。
だから姿形は人間であっても、貴族や教会関係者のみが人間であって、他の人々は人間の内と見なしていないので、その殺傷与奪に関してもまことに無頓着であったと考えられる。
都市を城壁で囲い込むということも、そういう発想の具現化したものだと思う。
だからこそ、その都市の中に住む人間にとって、宗教の違いというのは抑圧の立派な理由となりうるわけで、宗教が人間の心の糧となりうるのも、人間と認知されている限られた人々に限ってのことで、人間の姿形をしていても他の宗教を信じているものは人間ではなく、いくら抑圧しても良心の呵責を感じなのであろう。
そうとでも考えないことには、旧教と新教の対立ということは説明がつかないではないか。
旧教から宗教改革で新教ができるなどということは、神に仕える身にあるまじきことではないのか。世俗の派閥抗争と全く同じパターンではないのか。
ということは、いくら神に仕える身であろうとも、中身の人間は世俗の人間と同じなわけで、だとすれば、やっていることも世俗のことと全く変わらないということだ。
世俗の人間は、素直に煩悩の赴くままに名誉、地位、権力、金を追求してはばからないが、それと同じことが宗教界では神の名において繰り返されているわけで、その意味では、まさに人は皆平等である。人間のすることに貴賤はないわけだ。
ところがその同じことが教会という宗教の場で行われると、人々はそれを神聖な行為と見なすところに人間の抱えた大矛盾が潜んでいる。
敬虔な信仰なんてものは、私に言わしめれば大欺瞞、詐欺、詐術以外の何ものでもないが、それを宗教と崇め奉るところに人間の愚かさが有るように思える。
ここで責任を問われるべきはヨーロッパの中世の哲学者、神学者でなければならない。
彼らも俗世の人々と同じように、人間というものは限られた選良のみであって、人間の姿形をしていれば、すべから基本的人権を持った個人などとは考えていなかったに違いない。

「ハプスブルグ文化紀行」

2007-03-13 08:03:32 | Weblog
ヨーロッパ旅行に関連して、例によって図書館から借りてきた本で「ハプスブルグ文化紀行」という本を読んだ。
私は、アメリカに比べるとヨーロッパというのはどうも認識が浅く不案内なので真に興味深いものがあった。
しかし、文化というものは一体何なのであろう。
電車やバスの発達というのは目に見える形で文化の進展と解るが、文学、絵画、演劇となると、一瞬のうちに消えてなくなるもので、人々はこういうものこそ文化と称して崇め奉っているが、こういうものは人間の利便には何一つ貢献していないわけで、私に言わしめれば知のマスタベーション以外の何物でもない。
先に哲学についてこきおろしたが、文化そのものが暇人の「知恵の輪」以外の何物でもないように思われてならない。
電車やバスの運転手は一度に大勢の人を運んで、大勢の人々が暑いさなか、寒きさなかに歩かなくてもよいという利便を与えて人々の生活に貢献しているが、知識人と称する小説家、絵描き、演劇の関係者などという人々は、こういう形で人々に貢献しているのであろうか。
中世のヨーロッパでは絵画によってキリスト教の教義を説くということもあったらしい。
絵画というものが、そういう使命をも背負っていたらしいが、これは十分にあり得ることだと思う。
無学文盲の大衆にキリスト教の教義を説明するのに絵画を利用して視覚に訴えるという手法は極めて効率的だとは思う。
問題は、それを説く側の人間性である。
キリスト教の司祭も突き詰めれば生身の人間なわけで、人間が本来持っている煩悩からは脱却できず、無知蒙昧な民衆に立派なことを説きながら、自分達もその無知蒙昧な人間と同じことをする、という極めて人間性に富んでいたということである。
煩悩を克服できない者が、煩悩に満ちた人間に、高いところから偉そうに説教する愚は、信教に名を借りた詐術以外の何ものでもなく、大きな矛盾そのものだと思う。
私はマルキストではないが、神に仕える教会の中で、その役割、仕事に付随して様々な位階が存在すること自体が不思議でならない。
神の前に平等ならば、教会のシステムの中に位階など有ってはならないのではないかと思う。
そして、洋の東西を問わず、教会とか寺院というのは世俗の世界から様々な寄進を受けるわけで、その意味で、教会でも寺社でも広大な土地所有者になるわけで、こんなバカな話はないと思う。
絵画や、彫刻、音楽、演劇等々の芸術と称せられるものは、全て教会とか貴族の存在によって推し進められてきたわけで、庶民が日常的に行ってきたものは一向に芸術とは見なされていない。
そのことは明らかに文化人、教養人が、下々の人々を見下げた奢り以外の何ものでもない。
イタリアのカンツオーネ、スペインのフラメンコ、フランスのシャンソンなどというのは、これらの地方のそれぞれの民衆・大衆・下層階級の人々の音楽ではなかったかと思う。
ところが中世の貴族の人々にしてみれば、そういうものは芸術ではないわけで、彼らからすれば、芸術とはオペラであり、宮廷音楽としてのクラシックであり、演劇でなければならなかった。
要するに、貴族がパトロンとしてなりうるものでなければ芸術ではないわけで、そこが現在とは根本的に違っていたということだろう。
そしてそれは下々の者に対して教訓的あり、同時に道徳的でなければならなかった。
とはいうもののハプスブルグ家の本拠地としてのウイーンというのは実に立派な都市であったようだ。
昔、『第三の男』という映画があった。
ウイーンが舞台となっていたが、この中で地下水道の中での追いかけっこが描かれていたが、その地下水道というのが人間が立って走れるほどの大規模なもので、それが戦後すぐの時点で出来上がっていたということは実仁驚くべきことだと思う。
ウイーンという都市の西洋文化の懐の深さを感じずにはおれない。
教会や貴族の荘園が貧しい人々を搾取していた、ということもある一面では事実であろうが、その反面では、社会的インフラの整備も進んでいたわけで、その意味で我々も大いに西洋というものを見習わなければならないと思う。
それともう一つ、我々はパトロンという言葉をあまり良い意味では使わないが、この認識も大いに改めなければならないと思う。
我々の間では「武士道」という言葉が極めて良い感じを与える言葉となっているが、そこにはノブレス・オブリージのニュアンスがかすかに匂う。
ところが西洋のパトロンという言葉はこのノブレス・オブリージの具現化ではないかとさえ思える。
貴族が新進気鋭の芸術家を囲い込んで、自由に制作に没頭できる環境を与えるということは、ただただ趣味の領域を超えた行為ではなかろうか。 
日本の歴史でもお寺や荘園が力を持っていた時期もあるにはあったが、中世から近世においては武士が普通の市民を統治した時代が長かった。
その中で、この武士という階層は人々を統治する階層であったことは確かだが、必ずしも富裕階級ではなく、ある面で官僚的な色彩が強かった。
大名という階層は確かに富裕階級のように見えてはいたが、その内実は火の車で、ある意味で身分制にともなう虚勢を張らざるを得ない立場であった、という面がなきにしもあらずである。
それが為、明治維新では版籍奉還が無血のうちに行われたと見なしていいと思う。
よって日本の場合、文化の清新というのは市井の中にその原動力があったわけで、その意味でマリア・テレジアの行った上からの文化革命というものはあり得ない。
よってパトロンという概念もありえず、文化というものは常に下からの突き上げで唱導してきたのではないかと思う。
文化というものは他との比較することによって進化があるように思う。
絵画にしろ、音楽にしろ、演劇にしろ、他との競争によって、他よりも一歩先に進むということが進化のエネルギーになっているのではないかと思う。
頂点を極めたと思っていたら、そこで文化は停滞してしまうわけで、常に上を目指し、現状を克服し、他と比較してそれを乗り越える努力をして初めて進化があると思う。
よってそれを比較検討する場がないことには先に進めないわけで、その意味でもヨーロッパの貴族はパトロンという立場でそれをしうる財力と知力に富んでいたのではないかと想像する。


「ハプスブルグ家の文化革命」

2007-03-12 10:32:40 | Weblog
ヨーロッパ旅行を意識して図書館から借りてきた本で、「ハプスブルグ家の文化革命」という本を読んだ。
ハプスブルグ家というのは650年も続いた家系で、その係累はヨーロッパのみならず南米チリにまで及んでいることを考えると、その間に様々な文化的な進化があったことは当然であろう。
その中でもこの本の著者はマリア・テレジアと彼の息子ヨーゼフ2世の時代に大きなページを割いている。
この間にオーストリアには大きな文化的な意識改革が行われたということが述べられているが、そのように意識改革が必要であったという事実は、その前提条件として意識改革をせねばならなかった、という既定の状況が横たわっていたということであろう。
それはいうまでもなく、荘園を中心とした貴族社会の存在で、これが頂点にまで達していて、絢爛豪華な宮廷社会が有ったということに他ならない。
マリア・テレジアはフランツ1世の皇后で、皇帝と力を合わせて宮廷政治を改革したというと聞こえが良いが、これは要するに上からの改革であって、宮廷の中心、いわゆる統治者自らが、臣下の下々のものの生き甲斐を勘案して、それらに生きる喜びをわけあたえる、という構図のものであったようだ。
要するに自分たちのルーチン化した宮廷生活の一部、いわば遊びを下々のものにも解放した、ということに他ならないわけで、その遊びの中に音楽とか演劇とか散策があったわけで、そういう類のものは全て貴族の専有物であったものを下々のものにもそれを見たり聞いたりすることを許したという程度のことである。
それにしても人類の歴史を過去にさかのぼって知るということは実に難しいことだと実感する。
私ごとき自分の国の歴史さえも満足に掌握していないものが、ヨーロッパの歴史を一夜漬けで生はんかにかじろうとしてもまことに詮無いことで、あまりにも奥行きが深すぎる。
世界地図でヨーロッパを広げてみると、その海岸線は実に複雑に入り込んでいるわけで、太古の時代にはその分それぞれの民族がそれぞれに群雄割拠していたにちがいない。
アジア大陸の中国を例にとっても、こういう広範囲な面積を要する地域で、単純な統一国家というのは所詮無理であったに違いない。
近代的な統一国家という概念そのものがそれこそ近代の産物なわけで、それ以前は今でいう近代国家の体を成していなかったに違いない。
有るのは大きな土地を占有している貴族がそれぞれの地方に割拠しており、その勢力範囲が大きくなったり小さくなったりと流動的に移動していたにすぎない。
そして貴族というものは農業を基盤とする荘園を形作っていたわけで、その貴族の中で一番勢力を持ったものがハプスブルグ家やブルボン家であったり、メデイチ家であったり、ロスチャイルド家であったりしたのではなかろうか。
これらの家系は相互に婚姻を通じてつながっているわけで、こういう家系と一般の庶民とは完全に分離しており、その意味でマリア・テレジアと彼の息子ヨーゼフ2世は、そういう隔壁を取り除こうとしたに違いない。
人間として同じ姿形をしているのに貴族と平民という格差というか、差別というか、階級の相違があること自体おかしなことだと、これはカール・マルクスのみならず誰でもがそう思い、そう考えたに違いない。
昔のヨーロッパを支配していたのは、偉大なファミリーとしての家系のみならず、教会というのも大きなウエイトを占めていたわけで、ここで今の時点の思考、つまり私の思考としては宗教の問題が大きくのし上がってくる。
宗教が人々の心の糧であることは洋の東西を問わず普遍的なことだと思う。
宗教が人々の心の平安を担うというものであれば、究極的には人々の間の争いごと回避する方向に人々の意識を差し向けなければならないと思う。
ところがヨーロッパの教会というのは信仰の名において異教徒を人と見なしていないわけで、こんなバカな話はないと思う。
貴族の中でも、自分たちも農民や職人クラスの人も同じ人間だから同じような楽しみを享受するにやぶさかではないと考える人がいる一方で、心の平安を希求すべき教会が異教徒は人であらず、人でないからいくら殺戮しても構わないという思考が錯綜しているわけで、ここにそういう諸々の矛盾を考え抜く哲学というものが生まれる根拠があったのかもしれない。
いやしくも宗教というものが人々の心の平安を希求するものである以上、人の命を粗末にする発想などあり得ないはずである。
我々、生きとし生きる人間は、宗教というものを根源から考え直す必要があると思う。
宗教というものが俗世間と分離して分けて考えられているが、宗教団体、いわゆる教会とか寺院というものが自堕落に陥るという現象も洋の東西を問わない問題で、教会の中に俗世間と同じように位階があること自体、俗世間のコピーではないか。
その延長線上に、我々はお布施という言葉で表しているが、キリスト教文化圏では寄付と称して、いわゆる世俗の人々からの富の収奪が公然とまかり通っているわけで、この矛盾に誰一人異論を挟むものがいない。
この現状から鑑みるに、中世のヨーロッパというのは、農業を基盤とする荘園の管理者として世俗の階層と、教会という俗世間とは別の階層があり、その社会というのは2本立ての統治機構ができていたということになると思う。
日々、額に汗して働いている階層は俗世間としての貴族に奉仕し、その精神は教会という異界に拘束されていたということになる。
そして統治者と教会というのは時と場合によってお互いに協力しあって双方の利益を分け合っていたわけである。
そして俗物からは富の収奪をしているわけで、それは世俗の統治者と、教会という異界の両方から行われていたのである。
だからこの時代の演劇、絵画、音楽という芸術はその双方に満足を与えるべく思考が盛られているというもの大いにうなずけるものがあ

「ハプスブルグ帝国」

2007-03-09 09:56:00 | Weblog
4月にヨーロッパ旅行を計画しているので、予備知識にと思って図書館から借りてきた資料を読んでみた。
薄っぺらなリーフレットでハプスブルグ家にまつわる資料であったが、結局、軽く読み流した程度では概念すらつかめなかった。
どう考えても我々の日本やアジアの歴史とは違っている。
我々の歴史認識ですと、どうしても統一国家という概念が抜けきれず、中国の唐、元、明、清等々、また日本では徳川家、毛利家というような概念がつきまとって、ヨーロッパの事情とは全く違っている。
ハプスブルグ家というのは民族を超え、地域を越えて全ヨーロッパに勢力を伸ばしたようだ。
そこにキリスト教が新旧に別れ、その上イスラム教とかユダヤ教の確執まで絡んできているわけで、私ごとき無学のものでは何がなんだか解らない。
おおざっぱに敷衍してみると、古来からヨーロッパに割拠していた王侯貴族を、婚姻を通じて親戚関係を樹立し、それに付随して勢力が大きくなったり小さくなったりしたということなのであろう。
人類というのは基本的に農耕と牧畜を生業として生存し続けたということは洋の東西を問わないわけで、それはそれぞれの孤立した地域の地勢的な特性によって農耕であったり牧畜あったりした筈だ。
そこに精神の糧として宗教が入り込んだが、宗教というのはいくら神様に祈ろうが、それで食料が天から降ってくるわけではない。
いくら敬虔なお祈りを捧げようとも、人々が汗水垂らして働かないことには自らの生存は確保できないわけで、その過程で余剰生産品を管理する側とされる側という階層の格差ができるわけで、
余剰生産品を管理する側はだんだん生活も豊かになり、生産品を管理される側はいつまで経ても朝星夜星で働き続けなければならないということになる。
ここで生産品を如何に温存して、不慮の出来事や後世の憂いに備えるかというノウハウは、それこそ個人のアイデアであるわけで、備蓄に備えるノウハウを持った人間が必然的に金持ちになり裕福になる。
これがいわゆる階級制度の成立となるわけで、そこでカール・マルクスが「それではいけない、人は皆平等だから人間同士の間で貧富の差があってはならない」と立派なことを唱えたわけである。ところが「人間は考える芦」なわけで、10人人がいれば、その考え方も10通りになるわけで、その10通りの考え方の中に格差を生む原因がある。
「人は皆平等だ」ということは、その人それぞれの考え方を否定して、一つに集約してしまうということに他ならない。
19世紀初等に、そういう考え方が生まれて来るまでの人々は、人類誕生以来の思考のままに生きてきたわけで、そこで洋の東西を問わず、貴族とそうでないものの階級制度が温存されたまま続いてきたわけである。
そういう状況の中で、ハプスブルグ家というのは各地の貴族たちを婚姻という手法で結びつけて、いわゆる婚姻による貴族連合ないしは王侯連合のようなものを作ったと考えてもいいのではないか。
近代国家の概念は、人類の歴史の中では極めておそいわけで、人類誕生以来の人々は、自分の生まれ落ちた地域からそう遠くに移動するものではなく、地域地域に固まりながら、その中で仲間意識を持って他の地域と比較することによって、主権国家の概念が醸成されてきたのではないかと、私なりに勝手に解釈している。
私のそういう認識によって、このハプスブルグ家というものを見てみると、この家系は地域を越え、民族の相違を乗り越え、ヨーロッパ全域にその勢力を伸ばしたということは何とも不思議でならない。
ハプスブルグ家の存在というのは今のEUと全く同じではないかと思う。

「美女たちの日本史」

2007-03-05 12:15:53 | Weblog
例によって図書館の本で、「美女たちの日本史」という本を読んだ。
言うまでもなく、歴史というのはいわば英雄豪傑の歴史というのが一般的であるが、それを女性の視点で抉るという点では非常に面白い読み物であった。
人間の種類は男と女しかいないわけで、世の中のことが全て男の所為ばかりと言うのは明らかにおかしい。
それを言い表した言葉に、「歴史は夜作られる」という言い方もあるが、これは明らかに女性の存在を意識した表現だと思う。
人間の歴史の中で、中世から近世に掛けて、洋の東西を問わず男社会が形成された。
農業を基調とする封建制度の中で、どうして男社会が出来上がったのであろう?
アジアでは儒教思想の蔓延と言うことがいえるが、これとても、そういう条件が下地にあったからこそ儒教を介して男社会で出来上がったのではないかと想像する。
人々の生業が、農業や牧畜で細々と営まれている間に、どうして社会の運用なり舵取りが男の仕事として認知されてしまったのであろう。
そこにはやはり男の腕力というものが作用していたのではなかろうか。
つまり、いくら原始的な農業だとて、いくら素朴な牧畜だとて、原始的で素朴であればあるほど、自己の利益の確保にはそれこそ人間の素朴な腕力に頼らざるを得なかったに違いない。
つまり戦争の為には人間の原始な、尚かつ素朴な腕力が入用だったわけで、その意味から女性よりも男性の方の発言力が大きくなったということではなかろうか。
我々日本人も、厳密な意味では、女性の参政権はあの戦争で多大な犠牲の払ったのち、それでも黄色人種の中ではもっとも早い時期に確立されたが、女性を政治の中に入れない、ということは我々だけの後進性ではなかったはずである。
海外の映画を見ていると、ヨーロッパ諸国でもアメリカでも、女性は政治から阻害されている場面がしばしば見受けられる。
政治的な秘密結社の集会には女性がオフリミットされている、というのがよく描かれている。
たとえば、かの有名な「カサブランカ」でも「風と共に去りぬ」でもそういう場面がさりげなく描かれている。
世界的な視点でみても、洋の東西を問わず、封建主義的制度のもとでは女性は政治の場から遠ざけられ、歴史というのは男性だけ独断場であった。
しかし、男と女はそれぞれ単独で存在しているわけではなく、男は女と共にあり、女は男と共にあるわけで、後世の歴史が男だけというのもおかしなことである。
ところがこれが学問となると、そういう男と女の裏話というのは学者先生の目から据えればスキャンダルの類にしか見えないわけで、歴史としての認識で捉えていない節がある。
学問として歴史を見る場合、それは英雄伝説でなければならないわけで、誰が、何時、何処を支配したか、ということにだけ関心が向いていると思う。
学問としては人間の生き様、処世術を解きほぐすことを邪道と考えているわけで、それは小説家の仕事と思っているのである。
その点、小説家はいわゆる英雄の生き様や処世術を作者の空想をまじえていくらでもふくらませることが可能なわけで、その意味で同じような歴史をテーマにしてもおもしろさが違ってくる。
学者は資料に基づき、空想を交えることを厳に慎まなければならないので、史実の羅列に過ぎないが、その点小説家というのは自由に史実の拡大解釈が可能なわけで、その点からしても読むものの興味がより増幅される。
その上に、学者は主人公の思考に思いめぐらすことが学術上の大きな使命と考えているので、個人の生き様や処世術に関しては一向に無頓着である。
つまり結果を大事にするあまり、その結果に至る過程を資料によって追認しようとする。
ところが小説家というのは、学者が資料によって追認しようとする行為を、空想でもって自由に補おうとし、英雄や偉大な統治者の周りの人間にスポットライトを当てることによって、主題を浮き上がらせるという趣向をとることが出来る。
その意味で英雄たちの妻に視点を当てるということは非常に面白い着想だと思う。
あの男尊女卑の時代に、庶民階層では建前としては「男子7歳にして席を同じうせず」というポーズをとりながら、実生活では案外かかあ天下というのがあったように思う。
私のつたない実生活の体験からしても、家内の言うことをきいて、危機を克服したようなこともあるわけで、やはり夫婦というのは両方の一致協力が至上だと思う。
男尊女卑の時代だからといって、意味もなく女性を侮っては、その火の粉が自分に降りかかってくると思う。
私はどういうものは生涯、男社会で生きてきたようだ。
職場に女性が全くいなかったわけではないが、絶対数が少なく、あくまでも職場の花という環境でしかなかった。
しかし、定年となり今までの職場と違う環境にきてみると、女性の力というものをまざまざと見せつけられた。
社会一般の傾向を見ても女性だからという言い方は全く通用しないと思う。
あらゆる職域で男尊女卑などということは成り立たない。
ただし人間には得手不得手ということはついて回るわけで、それは男女を問わず同じ条件ならば同じ比率で存在するのだから、特に女性だからという認識は間違っていると思う。