ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「日本人は台湾で何をしたか」

2011-01-31 16:56:07 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「日本人は台湾で何をしたか」という本を読んだ。
サブタイトルには「知られざる台湾の近現代史」となっている。
要するに台湾の現状を民俗学的な視点から見たという報告書であるが、台湾は元々対日感情が良いとされてきた。
日本の台湾統治は約50年だが、朝鮮の方は約36年である。
日本の統治が長い方に日本に対する感情が優しいのに、短い方のそれが悪いというのも不思議な因縁ではある。
相手に対する感情の喜怒哀楽というのは、人間の深層心理に大きく作用されていると思う。
人間の心は、極めて不確実なもので、最初は好きであったものが途中から嫌いになったり、その逆もまた往々にしてあるわけで、固定的に確定するという事は極めて珍奇なことだと思う。
人の心が移ろい易いというのは、世界各国共通の人間の心理だと思う。
日本が台湾や朝鮮を併合した時代、19世紀末期から20世紀初頭においては、先進国の植民地支配というのは国際社会で認められた主権国家の主権の一環であった。
この時代の先進国であったヨーロッパ諸国でも、古の昔には手掴みでモノを食べていたが、それでは不衛生という事で、ナイフとフォークが開発され、それが普遍化すると手掴みで食べるという行為が野蛮な行為とみなされるようになった。
というわけで、その時代時代における価値観というのも、時代の推移で変化するものであって、その変化を正だとか悪、善だとか不善、良い悪いという価値感では計れないはずである。
大昔には手掴み食べることが正しい事だったのか、悪い事だったのか、という評価は成り立たないわけで、そういう評価を成すことは無意味なことである。
新大陸としてのアメリカに渡ったヨーロッパの人々は、アメリカの地で農業を営むのに、アフリカから黒人を連れて来てそれに過酷な労働をさせていた。
しかし、それが普遍化すると、この現状はあまりにもひどい、彼らも人の形をしている限り、ヨーロッパ人と同じではなかろうか、という良心のセルフ・コントロールが効いて来て、奴隷解放の機運が高まり、世の中は次第しだいに良い方向に向かってきたのである。
ことほど左様に、ヨーロッパ人の帝国主義的植民地支配も、第2次世界大戦後は先進国が後進国を搾取する目的で植民地を経営することに良心のセルフ・コントロールが効くようになってきたのである。
昔は「良いとか悪い」という価値観の枠の外に在ったものが、時代が推移して来ると「悪しき事」という価値観が生じて、是正する方向になってきたが、昔の価値観を今の価値観で推し量ることは無意味だと思う。
ましてや昔の価値観を今の価値観と同列に論じるなどということは論外である。
問題は、ここで19世紀以前の時代において西洋列強が世界に植民地を獲得しに出掛けた時、植民地の対象となった側にどれだけ低抗する気概があったかどうかということである。
この台湾でもポルトガルの植民地支配を跳ね返しているわけで、その意味でタイランドも、朝鮮も、日本もヨーロッパ人の植民地支配という願望を跳ね返した実績がある。
ヨーロッパ人が一旦植民地を獲得すれば、それは完全に富の収奪に徹するのみで、如何に効率よく植民地から富を吸い上げるかであって、それはアメリカの奴隷の使い方と酷似している。
彼らヨーロッパ人の視点からすれば、アジアの有色人種は猿よりはましな家畜並みの認識しかなかったわけで、そういう認識であればこそアメリカの黒人奴隷であり、メキシコの征服であり、アジアにおける植民地支配であったのである。
戦後の日本の知識階層が、台湾や朝鮮で日本が西洋式の植民地経営を行った、という論議を展開する事はあまりにも事実を知らな過ぎると思う。
事実を知らないというよりも、先に思い込みがあって、その思い込みに合わない情報は、受け入れないという構図だと考える。
この構図は我々、日本人の固有の潜在意識であって、我々の先輩が先の戦争に嵌り込んで行った構図もこれと同じであって、先に「鬼畜米英何するものぞ」、という思い込みがあって、その思い込みに合わせて政治、軍事、外交が振り回された結果だと思えてならない。
日本が台湾を実質支配したのは1895年明治28年からであって、日清戦争の結果として清から割譲を受けたわけで、日本と台湾が戦争して占領して日本領にしたわけではない。
この状況は台湾の人々の立場からすれば極めて微妙な雰囲気であろうとは思う。
自分たちの国籍がある日突然変わってしまうわけで、本人にとってみれば極めて不合理であろうとも、世間にはよくあることで、ヨーロッパでは戦争の度ごとに国境線があっちに行ったりこっちに行ったりするわけで、その度ごとに国籍がころころ変わっていたにちがいない。
日本にとっては領土を獲得するという事は極めて有難いことで、その新しい領土を日本の将来の為に無限の可能性を秘めた新天地にしよう、という意欲ががぜん沸騰したに違ない。
グローバルな帝国主義的世界観の仲間入りをした新参者の立場としては、将来の夢と希望に燃えて、台湾という土地を見据えていたに違ない。
ただ我々はグローバルな帝国主義者としては極めて新参者であったが故に、帝国主義というものが老獪な富の搾取を目指したものだ、という事に気がつかなかったわけで、新しい支配地から富を略奪するという発想は微塵もなかった。
新しい支配地を一刻も早く我々の祖国と同じ文化レベルにまで引き上げよう、そのことによって日本民族の優秀性を世界に知らしめよう、という素朴な思い込み、独善的な善意の思考のみが先行していた。
西洋人のように、支配者と被支配者という構図を否定して、あくまでも同胞として差別を拒否し、階層の段差を否定してきたのである。
しかし、これは日本が敗戦に至るまでのことで、日本の敗戦後の台湾の生き様というのは実に悲惨なものであったようだ。
ここで問題となって来ることが、中国人の生き様であり、有り様であり、中国人・漢人の思考回路そのものである。
私が不思議の思う事は、日本の敗戦で日本人はその時点で全ての業務を中華民国に引き継ぐことになっていたが、その時に日本人の元で業務をしていた台湾の人たちは何故に何も知らない中国の官吏にそのまま引き継がせたのかということである。
日本人の元で仕事をして、業務に精通していれば、何も知らない中華民国側の官吏をのさばらせず、押さえつけて彼らをコントロールし得たのではなかろうか。
後になって台湾の人々は、「犬が去って豚が来た」と自嘲しているというが、犬が去った時点で自主独立を考えなかったから、豚に支配され続けたということになるではないか。
ここで大きな問題にぶち当たるわけで、つまり中国人というのは一体何なんだということだ。
1949年、昭和24年に新生中国、中華人民共和国の誕生でもって台湾に逃げて来た蒋介石と彼の国民党というのは一体何なのであろう。
国民党というのは、日本が治めていた台湾にやって来るや否や、馬脚を現したわけで、その馬脚こそが蒋介石と彼の国民党そのものであって、それが中国人、漢民族の本質であったわけだ。
台湾の人々は約50年間日本の支配下で法治、法の元での平等が維持され、公平に生きるという感覚を身に付けたに違いないと思うが、そこに漢民族の人治の手法で以て、賄賂、袖の下、リベートというように、法治からはみ出したルールが出回れば、さぞかし困惑したに違いない。
それは民主主義の芽生えでもあり、自覚でもあったわけで、日本の統治というのは、いささかでも民主的に近づこうという趣旨であったにもかかわらず、台湾の民情はすぐにでも実現可能というわけではなかった。
それが為、蒋介石の国民党が治めるようになると、その民主的手法が彼らにとっては極めて恐ろしい現象に映ったわけで、目に見える形での抑圧ということになった。
それが2・28事件であろうと思うが、何処の国でも、何処の政府でも、失敗というものはあるわけで、汚点の一つや二つはあって当たり前だと思う。
それにつけても、我々の世代の者にとって、蒋介石の国民党政府軍、毛沢東の赤軍、軍閥としての張作霖という言葉は既に耳に馴染んでしまって、いささかも違和感を覚えないが、これは考えてみると実に妙なことではなかろうか。
蒋介石の国民党というのは理解できる。
しかし、国民党の軍となると理解の枠をはみ出してしまう。
毛沢東についても同様で、共産党の軍となるともう理解できなくなる。
軍隊というのは主権国家の軍であって始めて国軍という位置付けが可能なのではなかろうか。
国民党の軍隊・政府軍、中国共産党の軍隊・赤軍というのは、本来、不自然な存在なのではなかろうか。
我々の身近な例に置き換えれば、自由民主党の軍、日本社会党の軍隊、日本共産党の軍隊というものが想像できるであろうか。
ただただ党の用心棒が極度に肥大化しただけのことで、本来は軍隊などと言うべきものではなかったのかもしれない。
それにつけても中国の有り体というのは、我々日本民族にとって、昔も今も実に厄介な存在である。
中国という国があまりにも広大過ぎて、彼ら自身で収拾がつかず、アジア大陸の内部では常にマグマが煮えたぎっているようなもので、台湾の戦後の政治状況というのも、アジアの躍動のとばっちりを被ったようなものである。
我々、日本からアジアを見ると、どうしても視線は大陸に向いてしまう。
戦後の復興に際しても、復興の矛先はアジア大陸の中国に向けざるを得ず、台湾の切り捨てということになったのであろう。
日本が経済復興をなし、これから先、右肩上がりの経済成長を維持するためには、中国と手を握らねばならないというわけで、台湾の切り捨ていう事態を招いたと思う。
1972年、昭和47年の時点で、当時の田中角栄は台湾を切り捨て中国と手を結んだわけで、この決断は誰が見ても仁義を欠いた決断だと思う。
しかし、これも視点を変えれば納得せざるを得ない部分がある。
というのは、我々は蒋介石には大きな煮え湯を飲まされているわけで、過去に対戦国として敵という面を合わせても、我々の築き上げた台湾統治の実績をことごとく否定したわけで、蒋介石に対する恨みはそう安易に消えるものではない。
しかし、我々は中共、中国共産党とは正面から戦いをしたわけではない。
その意味からしても、中国共産党には恨みは存在せず、あの広大な中国を曲がりなりにも統一支配しているという実績は、魅力ある存在なわけで、烏合の衆の寄せ集め的な蒋介石とは袂を分かってもいた仕方ないという心理も大いにあったに違いない。
蒋介石の国民党政府の腐敗の蔓延というのは救いようがないわけで、そういう意味からすれば、まだ中国共産党の支配する方に魅力があったという事であろう。
田中角栄は学が無いだけに利に聡いわけで、利害得失のそろばん勘定に長けているので、経済のフィールドの広さという点からも、台湾よりも中国大陸を採ったに違いない。
しかし、日本人の台湾及び朝鮮の支配というのは、人類史上もっともっと褒め称えられてしかるべきだと思う。
西洋列強の植民地支配とは完全に次元が違う形態であったわけで、それこそ人類愛に満ちた慈愛の統治であったに違いなく、そのことは国際連合などでもっともっと認識されてもいいと思う。
台湾と朝鮮では日本対する評価が真逆になっているが、これは日本の問題ではなく、台湾人と朝鮮人の本質に根ざす問題であって、人類の良心がその裁定を下すべきことだと思う。
人が援助を差し延べても、それを有難く感じる人と、いらぬお節介と感じる人がいるわけで、こういう人にはどうにも対応のしようがないので自然に怒りの収まるのを待つ以外に方法が無い。
ただ同じようにアジアに住む人間の共通の認識として、文化・文明に関して、その源は中国で、それが朝鮮を経由して日本に伝わったという事実は皆が周知している。
この事実から中国人が威張り、朝鮮人が兄貴風を吹かせ、一番下の日本は彼らの言い分を真摯に受け入れよ、という思考は21世紀の今日許されるものではない。
しかし、彼らにも政治的な立場というものがあり、彼らの国内で民衆の不満が時の為政者に向かいかけた時、その矛先を日本に向ければ、暫くの間、時間稼ぎが出来るという背景はある。
その時に我々が先方のそういうアクションに過剰に反応してしまうと、国益を損なう事にもなるので、そこで注意が肝要である。
ところが今の社会というのはメデイアの存在なしではありえないわけで、中国や韓国が政治の安全弁として日本パッシングをカードとして使うという事は充分に在りうる。
その事実は明らかにメデイアが驕り高ぶり、世論を誘導している構図であって、それに踊らされてはならない。
よって我々はメデイアの立ち居振る舞いには充分に注意を払うべきで、メデイアに流すべき情報と、流してはならない情報というものを厳密に峻別すべきである。
メデイアというのは往々にして「権力を監視する」などと驕った態度をとっているが、その確たる証拠が情報開示を叫ぶ一方でプライバシーの保護を言い募っている。
こういう二枚舌が通用するわけもなく、この二つが両立するわけがないではないか。
それはあくまでもメデイアの詭弁でしかない。

「蠢く!中国対日特務工作マル秘ファイル」

2011-01-27 17:41:06 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「蠢く!中国対日特務工作マル秘ファイル」という本を読んだ。
中国の悪口というよりも、日本の中国に対する対応の不味さを指摘するものであるが、日本と中国では根本的に価値観が違っているので、対等の関係には成りえない。
そういうことを承知して中国と付き合う分にはそう腹も立たないが、中国を自分と同じ価値観で眺めるから、腹を立てなければならないことになる。
日本の文化が中国から渡ってきたものであることは万人が認めることであるが、日本はモノの考え方だけは中国から学ばなかったので、その点はまさしく先人の賢明な智恵だったと言うべきであろう。
日本の文化は、そのことごとくが余所から渡ってきたものであることは歴史が証明しているが、問題は、我々のモノマネは新たな創造に繋がっているという点である。
今の中国はまさしく経済成長著しい発展途上の国であるが、惜しいかな、彼らのオリジナルなものが一つもないわけで、全てが既にあるもののコピーでしかない。
我々はそういう模造品の文化をパクリと称しているが、何処からどう見ても、安かろう悪かろうで、中国製品と言えば粗悪品の代名詞になっている。
半世紀前の日本も、アメリカに対しては今の中国と同じような立場で、人件費の安さのみを武器として貿易で稼いでいたので、今の中国を笑ってはおれないが、日本は中国よりも先を走り続けた。
考えてみると、日本の戦後復興と新生中国の誕生とは軌を一にしているわけで、共に人件費の安さで世界に打って出たことになる。
中華人民共和国の誕生が1949年、昭和24年で、第2次世界大戦が終わって4年後のことであり、この頃から日本も戦後の復興が軌道に乗ってきた。
これは私の持論であるが、アジアの近代化のスタート・ラインは皆同じであったと思う。
最近の中国の対日感で言うと、「日本は中国を侵略した」と言っているが、侵略して富を収奪したものが何で丸裸になったのだと言いたい。
1945年、昭和20年、戦争が終わった時の日本の現状を見れば、日本の都市という都市は皆焼け野原であったではないか。
あの時代の日本人には、住む家もなければ、食うコメもなく、働こうにも仕事もなく、それでも戦争に生き残った我々の同胞は何とか生き延びたわけで、あれが侵略の果てに富を収奪したものの姿である筈がないではないか。
これが1945年、昭和20年の日本の有り体であって、あの現状はアジアでも最低の最貧国の有様であった。
そういう状態になった尤も説得力のある説明は、日本がハワイの真珠湾攻撃をした帰結であったので、一言でいえばアメリカの罠に嵌って戦争をした結果であることは論をまたない。
戦争の結果として、あの時の日本の主要都市は、そのことごとくが焼け野原になったのである。
その事実に対して我々は対戦国のアメリカに対して、不平不満や、愚痴や、責任追及や、賠償問題を言い立てる気は無い。
お互いに戦争中のことだから、祖国の為に死力を尽くして戦ったが、力が及ばなかったという意味からも、自業自得という割り切り方で不問に付しているが、この心情はやはり日本民族固有の潔さを具現化する大和魂の一環だと思う。
そして、それが我々が他に誇りうる大きな価値観でもあったわけで、広島・長崎の原爆投下、日本の都市における絨毯爆撃の被害にたいしても、戦争中の敵対行為の一環として、不問に付し、綺麗に水に流すという美徳を備えている。
戦争という国家プロジェクトに対して、真珠湾攻撃のしっぺ返しという意味で、戦争被害を受け入れざるを得なかったという面もあろうが、それが終わればまた新たな前進があるのみで、復興に向けてまっしぐらにまい進したわけである。
ところが、中国では人の数が多すぎて、国論が一つにまとまるという事がなかなか難しいわけで、結果として共産主義という暴力革命でなければ、人々の口を封じることが出来なかった。
この共産主義革命というのは、基本的に無学文盲の人に権力を移譲して、「気に入らない奴は殺しても良いよ」という免罪符を与えることによって、秩序が維持されているわけで、無学なものに権力を持たせるという点が最大の難点であった。
学識経験豊富なインテリーに権力を与えたところで、いろいろと枝葉末節的なことに思いを巡らして、思考は堂々巡りをするのみで革命が成就することはないが、無学なモノに権力を与えて自由気ままに人を殺させたから革命が成功したわけである。
日本がそろそろ戦後復興に掛かろうかという頃になって、やっと新生中国は誕生したわけで、その意味でこの時期には日本も中国も同じ経済レースのスタート・ラインに並んでいたと言っていいと思う。
第2次世界大戦後の経済レースで差が出だしたのは、戦後の日本は軍事費がゼロであったにも関わらず、中国の方はその後も何時もいつも何処かで戦争していたので、軍事費を民生に回すことが出来なかったからだと思う。
この時期の中国の武装がローテクであったとしても、ローテクであるが故に数が問題で、その意味でも必要な資材を民生部門に回せなかったにちがいない。
そういうことはさておき、中国という国を成している中味の人間の事を考えると、中国には約50の民族があると言われているが、これらの人々が皆同じ政権の中で生きていくには、我々のような安易な処世術では生き切れないに違いない。
黒を赤と言いくるめ、赤を白と言いくるめる技量、嘘、ハッタリ、虚偽、欺瞞、権謀術数、詐欺と、ありとあらゆる詐術で以て自分を守り、相手を騙さなければ、自分自身が生き残れないに違いない。
当然、我々の価値観でいうところの倫理やモラル、道徳などという軟な理想主義や理念には何の価値も見出していないわけで、一言でいえば究極の個人主義である。
我々、日本人の価値観からすれば、自分の生まれ落ちた故郷には、言葉で言い表せない程の郷愁というか、愛着を示すのが普通であるが、中国人にはそういう感情は最初から欠落しているわけで、そこが我々の価値観との大きな差である。
すなわち我々は情緒というものに価値を置くが、彼らは情緒を最初から解さないので、その部分に未練たらしさがない。
この事実は究極の個人主義でもあるわけで、あの共産主義体制の中での個人主義というのも、大きな矛盾のように見えるが、体制は体制として彼らの大枠を形作っており、その枠の中では個人主義を最大限に活かすのである。
西遊記では釈迦如来の掌で大暴れするのは孫悟空だけであるが、新生共産中国では、共産主義という釈迦如来の掌で大暴れするのは孫悟空のみならず、三蔵法師も、猪八戒も、沙伍浄も、皆それぞれに個人主義に徹して、横の連携なしに大暴れする構図である。
共産主義という枠内に収まっている限り、それは中国の人民の潜在意識をいくら踏襲しても許されるわけで、ただただ共産主義という枠に綻びをきたさないかぎり、その伝統は再主産されるのである。
西遊記の例でいえば、釈迦如来の掌という枠内に収まっている限り、三蔵法師を中心にして、孫悟空も、猪八戒も、沙伍浄もそれぞれの組織として生き残れるが、その組織は言わずもがな縦割り社会で、横の連携は無く、それでいて中国古来の価値観は根強く残っているので、収賄、袖の下、賄賂というものが大きく左右するのである。
中国古来の収賄、袖の下、賄賂というのは中国のビジネスの文化であって、この認識は我々の価値観では相入れないものなので、我々はついつい顔をしかめるが、彼らからすればそれが当たり前の事なので、モラルに抵触する筋合いのものではない。
ただ単に文化の相異に過ぎないのである。
その意味で、人権意識も中国には存在しない価値観であって、我々と同じ価値観で以て話し合いしても、埒が明かないということになる。
中国には人権侵害という問題が存在していない。
この世に生を受けた人間には、基本的な生存権があるという概念そのものが存在していない。
よって、気に入らない人間はさっさと隔離すれば良いわけで、その隔離が怖いから人々が国外に逃げるのである。
中国人は地球規模で世界に散らばって、華僑という存在を誇示しているが、これも本当は由々しき問題だと思う。
中国の地を離れて、日本、アメリカ、オーストラリア、イギリス、フランス、その他の国々に定着するのは良い。
しかし、行った先で定着したならば、その地の市民、住民として、その国に何らかの貢献するのであれば、それは非難されるべきことではないが、彼らは余所の国にいっても相手と馴染もうとせず、自分たちでゲットーを作って自分たちだけで固まって生きようとする。
それが中華街であって、これは世界各地に存在する。
中国人が華僑として世界各地で自分たちだけで固まって生息するという事は、彼らの故国、彼らの祖国が、彼らにとって如何に住みにくい場所かということを示しているわけで、ここで普通の人間ならば、自分の故郷に対する愛着を吐露すべきところであるが、彼らにはそういう感情がない。
先にも述べたように、我々の戦後の復興と新生中国の誕生はほぼ同じ時にスタートを切ったが、それがこれだけ格差が出来たという原因は、煎じ詰めれば軍事費の問題だと思う。
その軍事費も、中国では明らかにローテクであって、技術の面では日本と隔世の感があったに違いない。
だからその技術を何とか習得したいというわけで、勢い、スパイ行為をしてまでそれを得ようと努力した。
そういう熱意は、人としての当然の行為であって、そういう発想は何ら咎められるべき問題ではないが、だからと言って、それをスパイしてまで早急に得ようという発想は実に見下げた行為である。
先にも述べたように、自己開発を放棄して何でもかんでもパクって、金儲けしようという発想は、まさしく乞食根性まる出しという塩梅だ。
我々、日本人から中国人を見る時は、大部分の日本人が、「中国は我々日本文化の先生だ」という意識で眺めていると思う。
だからこそ今でも中国にべったりの経済人や政治家がいるわけで、我々の心理の奥底には、中国に対する畏敬の念は今でも失われていないはずである。
しかし、その中国人が21世紀に至っても、自らのアイデアを世に問うという事を何らしていないわけで、何から何まで人のコピー、パクリ、模造、海賊版、まがいモノ、スパイ行為しか出来ないという事は一体どういうことなのであろう。
我々、日本人の潜在意識の中には中国を師と仰ぐ意識があるものだから、我々の中国に対する対応の仕方の中には、媚中外交というものが民族のDNAの中に刷り込まれてしまっているようだ。
それに反んし、中国の方は当然日本に対する「文化の師」という意識、あるいは自負があるものだか、日本に対する対応の仕方に横柄なところが抜けきれないわけで、彼らの認識からすれば、日本は何処までいっても夷狄であり、対等に接することを拒みたくなるのであろう。
ところが近代になると、日中の力関係が逆転してしまって、日本が先進国に成り、中国が後進国に成り下がってしまたので、彼らからすれば甚だ沽券にかかわることになったわけだ。
そもそも中国というのはアジア大陸の大部分を抱え込んでいるようなもので、これを一つの行政単位に纏めることは極めて難しいので、それは誰がやっても同じように困難な事業であるが故に、有史以来、彼の地ではそれぞれの民族の離合集散が繰り返されてきたのである。
20世紀の中ごろになって、ようやく共産主義という強力な接着剤で以てアジア大陸の50近い民族が中国の名の元に統一の国家として認められてはいるが、過去の歴史を見れば、これがまた何時離合集散するかもわからないわけで、その度ごとに難民が中国の地を離れ、華僑として他の国の中でゲットーを作るのであろう。
それに引きかえ我々の日本という国は、中国ほど規模も大きくなく、中の人間も比較的単一であって、まとまりが良いわけで、20世紀の間は輝かしい経済発展をなし得た。
しかし、地球上の主権国家は、栄華盛衰が世の常であって、経済成長が頂点を極めれば次は下降線をたどるのが自然に成り行きなわけで、恒久的に右肩上がりの成長というのは決してありえない。
そういう意味で、日本が今後下降線をたどり、中国が右肩上がりの成長を今後も続けるとしても何ら不思議ではない。
我々が半世紀前に歩んだ道を中国も歩んでいるわけで、今後、中国が日本を追い越し、アメリカに追いついたとしても、それは何ら不思議なことではない。
ただそうなった時に中国が世界に対してどういう態度で臨んでくるかという事は未知の領域のことで、綿密に調査し、それに対応すべく準備を整え、オペレーション・リサーチすることは極めて大事だと思う。
私の予想では、中国人というのは水に落ちた犬を平気で叩くところがあるので、自己の利益の為には他者を追い落とすことも厭わない面を見逃してはならない。
こういう発想は、我々日本人の間では下卑な思考として、歓迎されるものではないが、中国人に対して我々の価値観が通用しないことも当然で、そういう事も在りうると思って居なければならない。
謙譲の美徳とか、ノブレス・オブリージという概念は、中国人には通じないわけで、極めて大人気ない思考でしかない。
中国の歴史は四千年とも五千年とも言われているが、その間に人々の間に民主的という概念は一度も出現したことがない。
有るのは上からの統治と抑圧しかなかったわけで、自分たちの考えをボトム・アップするという発想は全く根付いていないということだ。
中国の人々に民主的な思考が全く根付かなかった、という事は極めて原始的な思考のままで今日まで来たという事で、言い換えれば究極の自然人なるが故に、自然の摂理にそのまま素直に順応して生きて来たということである。
民主的であるということは、どうしても自我を抑えて、自分の心や魂に対してセルフ・コントロールを効かせねばならず、自然のままの野放図な精神状態とは異質のものである。
思ったことを思った通りに立ち居振る舞いに反映させるのではなく、行為をなす前に、自分のすることによってどういう影響が出るか、という事を事前に考えることであって、それは極めて人為的な振る舞いになるはずである。
リーダーの言う事をそのまま素直に行う事は、自らは何も考えなくとも済むが、民主的という事は、そこでリーダ―の言う事が自分にとって損か得かを一瞬にして判断することであって、得だと感じた時には、その言に従うということである。
損だと思った時にはリーダーの言うことを拒否する意思を内に秘めた態度である。
個人主義というのは、そういうものを超越しているわけで、組織的にモノを考えることなく、ただただ自分本位にモノを見でいるわけで、まさしく自我そのもので生きているということである。
与えられた環境の中で、人のことなどに構うことなく、自分本位で生きているので、物事が順調に回っている時は何の支障もないが、それが行き詰まると「何とかしてくれ」と泣きついてくる。
そこで他者が「自業自得だ」と突き離せば事は簡単だが、その他者の方に人間としての理性と温情があるものだから、「そういう人を何とか救済しなければ」ということになる。
そこで、「そういう人を何とかしよう」と考えるのが我々の同胞であるが、中国人ならばそれこそ「自業自得だ」と突き離してしまうに違いない。
まさしく自然のままの思考そのものである。

「戦場の掟」

2011-01-25 20:39:21 | Weblog
例よって図書館から借りてきた本で、「戦場の掟」という本を読んだ。
サブタイトルと言うのか原題というのか、同じような表題でbig boy rulesとなっている。
その下には、america’s mercenaries fighting in iraqとなっている。
要するにイラクにおける民間警備会社の実態を暴いた物語である。
人間のモラルを問わない限り、この物語は極めて面白い話で、先に読んだ田舎風のローカルな市長の毒にも薬にもならない人畜無害なエッセイとは明らかに次元の違うものである。
一言で表現すれば「アリババと40人の盗賊」の話と、「ランボー」あるいは「マッドマックス」の話をミキサーにかけてシェイクしたような内容である。
原書の著者の感覚や訳者の時代感覚が素直にそのままに表現されているので、私のような軽薄な読者には心に沁みるように響いてくる。
イラクの民間警備会社が如何に要人の警護するか、という記述はまさしく映画を彷彿させる描写であって、車のブランド名がそのまま登場しているので極めて臨場感が高揚して来る。
その部分が映画「マッドマックス」を彷彿させる。
しかし、中心になる人物が最初は「ランボ―」のように描かれているが、それがあっさりとアリババに騙されて、計略に引っ掛かり、拉致されて殺されてしまっては話にならない。
けれどもこの本はその部分でも結構読ませる。というのは、その部分でアメリカ政府は民間人の犠牲者には極めて冷淡だ、という事を述べようとしているが、所詮、相手はイラクのテロリストなわけで、テロが目的である以上、拉致した人間は殺すのが当然である。
私の個人的な感情を述べれば、こういうテロしかできないイラク人、イラクの人々、イスラム教徒、イスラムの宗教指導者は、ことごとく人でなしだと思う。
アメリカの存在が気に食わないという前に、自分たちの存在も、この世に生を受ける資格がないように私には思える。
アメリカの民間の警備会社がフォード150とか350というピックアップトラックの荷台に機関銃を据え付けて、イラクの女子供を蹴散らせてイラクの街中を走りまわるような状況が許されるわけがない。
しかし、それを許しているのはアメリカでもあり、イラクでもあるわけで、そのことはこの本の内容を容認するという事ではなく、その内容の意味、意義の深さは、軽々に語れない深刻なものがある。
日本の自衛隊をイラクの復興に派遣する際には、「危険な所に自衛隊を派遣してならない、安全なところでなければ派遣してならない」という議論が出て、私などは考え方が逆転しているのではないかと大いにいぶかったものであるが、現実のアメリカ軍も日本を笑っておれないようだ。
ここに描かれているイラクの民間の警備会社というのは、アメリカ軍を守っているわけで、こんなことは俄かに信じられないことだ。
イラクの復興を支援しようとするアメリカ軍に対して、イラクの人民がテロを行う。
そういうテロからアメリカ軍を守るために、イラクにはアメリカ人の民間の警備会社が乱立して、アメリカ軍はそういう会社と契約を結び、そういう民間警備会社の擁護の元で支援活動をしているという現状らしい。
この現実には数えきれないほどの矛盾が内包されているわけで、これを一言でいえば混沌とでも言う他ない。
無秩序、無法地帯、何でもあり、未開、野蛮と最新のテクノロジ-が混然とミックスされているということである。
この現状を表層的に眺めれば、諸悪の根源はアメリカの存在に行き着いてしまうであろうが、アメリカがイラクから完全に撤退したところで、この地に平和が訪れるという事はあり得ない。
アメリカの存在を非難する前に、彼ら自身の存在そのものが既に大問題なわけで、この関係はこの地球上に人が生き続けている限り是正されることはないと思う。
この地球上で人が生き続ける限り、人種間の諍い、宗教を介しての諍い、カネをめぐる諍いというのは、生まれ続けるわけで、それは川の流れのように、出来ては消え、消えては出来る渦のようなもので、それがすべてなくなるという事はあり得ない。
この本を読むと、こういう民間警備会社は基本的にアメリカ人が経営しているわけで、特にアメリカ軍を除隊した人たちがその業務を行い、軍との関係というか、我々の言葉でいえば軍とのコネで仕事を請け負っているわけで、軍とは密接に綱がっている。
言葉では民間警備会社であるが、実質は軍の護衛部隊のようなものなので、本人たちは完全に戦闘員のつもりになっているようである。
元々が特殊部隊の戦闘員であったので、彼らからすれば、それはルーチン化した仕事以外の何ものでもなく、日常茶飯事の行動でしかなかったということになる。
だが、ここで問題になることは、彼らは既に軍籍を離れているので、軍の規範に縛られることがないという点である。
軍に属していれば、当然のこと軍のルールに従わざるを得ないが、籍がなければその必要は消滅するわけで、結果として何でも在りということになる。
この状況を考えてみると、21世紀の戦争というのは、実に鬼胎な有り様になっているわけで、敵の中に入り込んで、自分たちの国の軍隊を私服で警護することがビジネスになる、という事をどういう風に考えたらいいのであろう。
日米戦争で、日本の敗北によって我が国に進駐してきたアメリカ軍を、アメリカ人のガードマンが守るという光景を我々は想像できるであろうか。
日中戦争についても同じことが言えるわけで、中国に進攻した日本軍を、日本の民間の警備会社が守るという事が思い描けるであろうか。
ベトナム戦争でも同じことが言えるわけで、ベトナムのアメリカ軍が、アメリカの警備会社に守られるなどという事は考えられない。
その考えられないことがイラクでは起きているわけで、そのことは戦争という概念が根本的に変化したという事であり、21世紀の新しい戦争の態様だと思う。
戦争の態様というよりも、民主主義国でない国との付き合い方と言うべきかもしれない。
20世紀の後半から21世紀にかけての地球上には、東西冷戦で示されたように、巨大な軍事大国と、原始時代と大して変わらない未開発の国とが混在しているわけで、この両極端な国同士が対峙すると、非対象の戦争になる。
片一方は戦闘機からピンポイントで爆弾を落とせるが、もう一方は小銃以外に何一つ武器がないという戦争になる。
未開発の国では、正規の軍隊を擁すことが不可能なわけで、どうしてもテロ攻撃ということになる。
テロ攻撃ともなると、テロに対抗する側からすれば、敵と味方の識別、正規軍と民間人、戦闘員と非戦闘員の見分けはできないわけで、その場に居るものを皆殺しにしなければ我が身が危ないということになる。
これを尤もらしく表現すれば、過剰防衛ということになるが、むやみやたらと人を殺しておいて、「防衛措置であった」と言ってみたところで、それが真に防衛措置であったのか、それとも完全な過剰防衛であったのかは証明のしようがない。
この本はアメリカの民間警備会社のその部分を糾弾しようとしているが、その前に彼ら自身がイラク側の攻撃に曝されているので、まさしく、過剰防衛という定義がそのまま生きてしまっている。
適正な防御と、過剰防衛の境界線が限りなく曖昧になってしまっているので、一概にアメリカ側の警備会社の非を突くわけにもいかない。
そもそも、この問題はイラク人が自らの力で解決すべき問題であって、他の国のモノが介入すべき問題ではないが、イラクの人間にはこの問題を解決を能力があるようには見えない。
そういう統治の能力が国民の側にあれば、サダム・フセインに独裁を許すこともなく、サダム・フセインがいなくなれば、さっさと自立できる環境が揃ったにもかかわらず今だにそれが出来ていないことがそれを証明している。
そもそも、サダム・フセインが居ようがいまいが、スンニ派とシーア派の対立はあり、そこに以てきてクルド人との抗争も一枚噛んでおり、三つ巴の抗争がアメリカの存在でなお一層混迷の度合いを増したことになり、イラク市民のアメリカ憎悪はますます深まるという悪循環を繰り返すことになる。
アメリカの対応も不味いことは不味い。
アメリカの国務省が契約しているブラックウオーターという民間警備会社が、国務省をバックに持っているだけに、如何にも傍若無人に振舞って、これが無意味な殺生を繰り返して行っているので、イラク人のアメリカ人パッシングが全てこの会社の責任から派生している。
にもかかわらず、アメリカ国務省が何ら改善の手当てもせず、野放図にしているので、アメリカ全体の評価が下がりつつあるということらしい。
進駐してきた軍を、民間の警備会社が警護するという話も、完全に不合理、不整合な話であって、理性的な人間の成しうる話ではなく、完全に現実離れした世界としか言い切れない。
当時者、つまり民間の警備会社で警備の仕事・警護の仕事に携わっている当人は、まさしく軍の任務を遂行している時と同じ心境であって、それは極度の緊張の連続で、いつ暴発するか分からない極めて緊張度の高い環境に置かれていると思う。
そういう例は過去にもあるわけで、ベトナム戦争の時のソンミ事件では、アメリカ軍の小隊がソンミ村の村民を無差別に殺傷した事件であって、当時のアメリカ軍は非常な非難の嵐に曝された。
これも非対象の戦争の典型的な例で、アメリカの歩兵小隊が敵を追いつめた時、その敵兵が民間人と同じ格好に替わってしまえば、追いつめた側としては、その場に居る全員を掃討しないことには安心できないはずである。
こういうケースは日中戦争のときにも起きているわけで、南京陥落の際、中国の兵隊は軍服を脱いで、民間人にまぎれて抵抗したわけで、こうなるともうハーグ陸戦協定は機能しなくなって、「民間人を意味もなく殺した」という面だけが強調され、ことの本質は不問のまま殺した側の論理が糾弾されるが、それは本当は不合理な判断だと思う。
ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、これらの戦争は非対象の戦争で、対戦国同士ががっぷりと四つに組んで、堂々の横綱相撲を演じている図ではない。
簡単な結論から言えば、アメリカはこういう未開発の国には政治的な関与をせず、放置しておくべきだと思う。
そう出来ない理由は、アメリカの威信がテロによって踏みにじられた、という面子の問題もあるが、それと合わせて金の問題、経済の問題も絡んでいるわけで、21世紀の世界は単独では存在しきれないのである。
ベトナムの時でも、イラクの時でも、アメリカの関わり方は、「未開な独裁国家を民主的な国家に作り変えて、その民主的な政権と経済で協力し合って、相互に利益を得よう」というものであるが、ここで価値観が全く噛み合わないものだから、アメリカの真意がなかなか相手に伝わらず、結果的に格差が生じ、それが怨嗟の気持ちを醸成し、恨みが浸透するということになってしまう。
アメリカは相手国にアメリカ流の民主主義を期待しているけれど、相手にすればアメリカ流の民主主義は、彼らの信念とは相容れないわけで、ここで価値観の齟齬をきたすことになる。
イラクの人間からすれば、自分たちの土地でアメリカ人が傍若無人の振舞う事が気に入らず、アメリカ人を攻撃する、するとアメリカ側はそれに反撃するわけで、基本的にはテロの応酬となり、無意味な殺生の繰り返しが延々と続くということになる。
しかし、アメリカ軍のイラク復興支援のトラックの列を、アメリカの民間の警備会社が警護する状況というのも、まことに不可解千万なことだ。
アメリカ側にも大きな問題があるが、イラク側にも実に不可解なことだと思う。
イラクの為の復興支援、いわばイラクの社会的インフラ整備をしようとしているアメリカ軍のトラックを、イラク人が襲う、襲撃する、強奪するという事は一体どういう事なのであろう。
それを防ぐためにアメリカ人の民間警備会社の要員が警備にあたるというのも実に不可解なことで、我々には理解しがたいことである。
この民間の警備会社の連中、つまり軍隊上がりの殺しのプロが、何の罪もない民間人を殺す、というのも全く理屈に合わないことである。
イラクではそういう事が日常茶飯事的に起きているにもかかわらず、事件にもならず、処罰もされず、罪にも問われないでは、この地は地獄そのものではないか。
この状況から鑑みて、アメリカだけが悪いわけではない筈で、イラクの為政者も、イラクの市民も、イラクの宗教家も、全てが現状を認識しながら何も手を打っていないので、その意味では、まさしくこの本の表題であるbig boy rulesそのもので、強い者勝ちの世界である。
アメリカ人が車の中からイラクの何の罪もない人々を殺傷すれば、そのアメリカ人をイラクの人間が拉致して、拷問にかけ、殺しても誰一人咎める事が出来ないということになる。
これが軍に籍のあるものならば、当然のこと、殉職となり、軍の組織的な礼式で以て丁重に葬儀が執り行われるであろうが、軍籍を離れてしまえばそれもないわけで、いわば犬死に等しいことになる。
この本を読んでいて不可解なことの一つに、民間の警備会社が軍を警護するということであるが、昔は民間の隊商を軍が守る、というのが当たり前であったのが、それが今日では逆転してしまっている。
これはまさしく戦争のアウトソーシングであって、正規の軍隊、軍人をつまらない任務で失いたくないという軍の本音を見事に暴露した処置ではなかろうか。
昔の日本軍では「輜重兵が兵ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち」という戯れ歌があったが、ロジステックに貴重な正規兵を使うのは、そのリスクのことを考えると、もったいないので金で解決できるならば、民間に下請け作業に出しましょうという発想だと思う。
本来ならば、軍事行動の一環としての輸送業務なので、警備小隊とか、偵察小隊の任務であって、軍事行動の一翼を担うべき行動であるが、それを民間に委託するというのも世の中の新しい流れと言ってしまえばそれまでのことである。
また戦地の兵站基地で、民間の警備会社が警備をするというのも、なんともおかしなことで、ならば昔の歩哨勤務や、不寝番勤務というのは今はもうなくなったという事であろうか。
軍隊の組織というのは、如何なる国でも自己完結型の組織で、自らの内包した能力で何事もこなすというのがその特徴であったが、そういう完ぺきな組織であることを放棄したということであろうか。
もっとも、昔の軍隊と今の軍隊では同じ様に見えても根本的な違いがある。
それは徴兵制の軍隊と志願兵の軍隊という大きな違いである。
徴兵制というのは、国家が無理やり有無を言わせず人を集めてくるわけで、中にはそれが嫌で嫌だたまらない者も当然含まれている。
そんな人間を内包した組織が強くなれるわけがない。
それに比べて、今の軍隊は志願兵制度で、自分の意思で入隊して来るわけで、入隊の動機がどうであれ、一応は納得づくで入ってきている者ばかりである。
組織全体としては、こういう人間を失いたくないという心境は無理もない話で、そういう人間には彼らの誇りに素直に応えるセクションをあてがい、枝葉末節な任務には出来るかぎりつかせないよう配慮し、そういう部門は民間に任せるという方向になったのかもしれない。
イラクで軍の支援物資を積んだトラックの列を警護する任務というのは、かなり危険なわけで、その危険さにおいては、軍であろうと民間であろうと何ら変わりはないはずである。
しかし、その任務についたものが軍籍にあるかどうかで、当事者の扱いが雲泥の差で大きく異なることもいた仕方ない。
軍籍があれば、任務遂行中に死亡すれば、殉職扱いになろうが、この時軍籍を離れて民間人であれば、会社の思し召しに期待する他ない。
しかし、給料という点からすると、軍におればスズメの涙で我慢しなければならないが、民間ならばある程度の金にはなるわけで、当事者にとってどちらが得か損かは一概に言えないだろうと思う。
イラクで民間の警備会社が雨後のタケノコように林立して、それらが脇目も振らずに利潤を追い求める姿は、究極の自由主義的な資本主義体制である。
そういう企業には当然のこと、軍の高官が天下りしているわけで、このクラスに人間としての倫理観がれば、それなりに業界内で秩序が出来る筈であろうが、それがないものだから殺伐とした光景が展開するということである。
そして、そういう企業に入り込む人間は、最初から一獲千金を夢見ているわけで、倫理観は元より、イラクや、米軍や、その他のモノに素直に服する気はないので、イラク全体が混沌の渦から脱しきれないのである。
あるのはテロの応酬のみで、お互いがお互いを殺しあっているわけで、その収拾はかなり難しいのであろう。

「散歩みち」

2011-01-24 12:32:52 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「散歩みち」という本を読んだ。
前春日井市長が広報に載せたエッセイを集大成したものである。
当然のこと、為政者という立場の本音がチラチラと散見できる。
地方の首長の政治手腕と国政では、やはり視点の置きどころが違って当然だと思うが、地方の自治という点からすると、国政とは歩調を合わせるというか、国の目指すものに逆らっては成り立たないと思う。
その良い例が、沖縄の普天間の問題であるが、国政レベルで考えれば、日本国民あるいは日本国全体の為に、アメリカの基地を沖縄に集中せざるを得ない。
そのことは同時に沖縄の住民にとっては大きな負担になっていることも、現実の問題として歴然たる事実である。
この問題では、国と地方の間で、どこで折り合いをつけるかが極めて難しい問題であって、自民党政権では、だからこそ政府と地元が何度も話し合って、双方とも不満を抱えつつも、ミニマムの妥協案を何とかひねり出したにも関わらず、民主党政権は地元に良い格好したいがために、折角の苦肉の妥協案を反故にしてしまった。
地方の首長、地域の為政者には、やはり地域に根ざした利害得失があるわけで、それと国政の整合性をどこまですり合わせるかが地方自治の要だと思う。
市長といえども政治家であるわけで、その手腕は極めて政治的な要因を含むと思う。
国政という大きな枠組みの中で、住民の福祉に何処まで答えれるかが問われることになるが、地方の首長にとっては、それこそ福祉と箱モノの建設のみが彼らの仕事ということになる。
民主党政権の子供手当ではないけれど、お上が下々のものに金をバラまけば、喜ばれるのは当然のことである。
お上が立派な箱モノを作って、住民に「さあ存分に使いなさい」と言えば不満を言うものはいないはずである。
こういう行政、こういう施策ならば、実に簡単で、誰でも何時でも可能であって、それで人気が出なければその政党は一体何をしているのだということになる。
問題は、その為の財源の手当てをどうするかであって、その為に民主党は予算案の仕分け作業を行って、無駄な事業を選別して、有効に金を使うと言っているが、予算案に計上されてきたという事は、必要だと思われたからそういう予算案が組まれたのであって、最初から欲求のない物が予算として挙がって来る筈がないではないか。
地方の首長として、福祉の充実は極めて人気の得やすい行政であって、社会的な基盤整備というのは別な言い方をすれば土建業者を食わせてやるようなもので、批判の対象に成りやすい。
箱モノに関しても、何憶という金を懸けて、それをイベントの回数で割り算して、一回のイベントに果たしていくらの金が掛かっているのか考えれば、そう安易に箱モノを作るという気にはならないと思う。
しかし、福祉を充実させ、箱モノを作ることは、地方の首長にとっては、それこそそれが存在意義の根本なわけで、ある意味でそのことによって近隣の同じような自治体と競り合っているということである。
「あっちが作ったからおらが町にも、おらが市にも作らねばならない」というメンツの問題にすり替わっているように思う。
社会基盤整備でも、箱モノの整備でも、恐らく国からの支援がある筈で、その助成を如何に取り付けて、如何に補助金を獲得するかが、地方の首長の大きな使命になっている。
そういう意味で、地方の首長にはそう大きな裁量権は与えられてないと思う。
沖縄の普天間の例を見ると、民主主義体制の限界に近付いてきていると思う。
沖縄の人間にも、沖縄の基地が日本ばかりではなく、東南アジア全体にとってのキー・ストーンになっていることはよくわかっていると思う。
だからこそ彼らはキャステイング・ボードを握っているわけで、彼らが断固反対すれば、国は増すます天文学的な金を注ぎ込まなければならなくなる。
沖縄の基地を日本全国に平均的にばらまいては、基地としての意義がなくなるわけで、そんなことは理論的にもありえないが、沖縄の声としてはそういう風に大声で叫ばざるを得ないようになってしまった。
人間の行う行為には矛盾はついて回るが、その矛盾を完全に解き明かし、解きほぐしてしまえば、人間の生息する余地がなくなってしまって、人間の社会は崩壊してしまう。
社会が崩壊したからといって、今生きている人間が一度に全部死滅してしまう事はないので、何となく平和なうちに穏便な生活が出来ているように思っているが、それは自分の墓穴を自分で掘っているようなものである。
ローカルな市長が認めたエッセイは、やはりローカルなもので、私のような天の邪鬼な人間の、精神の奥底をかき回し、底にたまった澱を湧きたたせるような刺激には欠けている。

「車会主義大国ニッポン通信」

2011-01-21 08:01:31 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「車会主義大国ニッポン通信」という本を読んだ。
サブタイトルには「素人文士のクルマ優先社会考察」となっている。
本人の言うところによると、著者は自分の車も持たず、免許も持っていないということであるが、そういう人がクルマ社会を批判するという事は、常識的に考えれば偏見ということになる。
文化・文明の進化には陽のあたる場面ばかりでなく、当然、日蔭の部分が生ずることも人類の歴史では普遍的なことで、その日蔭の部分のみ取り上げて、文明全体を否定する発想は、私としては由々しき問題だと思う。
この世の中に鉄道というものが出来た時、それは蒸気機関車で、この蒸気機関車は石炭を焚いて走るしろものであった。
これを普及させて人々の利便に供しようとしたとき、「そんなものが俺が町を走れば、煙突から出る火の粉で火事になるから、通すことは罷りならぬ」という声が出て、その町を迂回する形で鉄道が敷設され、その町は近代化に乗り遅れたという例が、日本でもアメリカでも数多くある。
新しい物を受け入れる時には、多少のリスクは避けられない。
クルマに関して言えば、クルマを持つという事は、人類の根深い願望の表れであって、戸口から戸口へ、雨にもぬれず、風にも吹き飛ばされず、重い物を持つこともなく、移動する道具という意味では、人間が欲してやまないツールである。
出来れば、そういう便利なモノは、自分の身近におきたいというのは、生きた人間の切実な願いだと思う。
しかし、自分の住む地域の都市化が進み、公共交通機関が普及すれば、渋滞の街中でうろうろするよりも、公共交通機関を利用した方が便利なこともしばしばあるようになった。
それにつれて、都会の車離れという現象も珍しくはなくなったが、だからと言って、それが全国的に普及するものでもない。
東京、名古屋、大阪という都会に住む人の中には、クルマよりも公共交通機関を利用する人の方が確実に多くなっていると思う。
クルマも明らかに文明の利器であって、文明の利器であるからと言って、欠点が一つもないわけではなく、デメリットも併せ持っているのが当然である。
しかし、こういう文明の利器の進化を否定的に捉える人は、そのデメリットの部分のみを見て、メリットの部分を過小評価しがちである。
土俵の外に居て、土俵上で行われていることを、ああでもないこうでもないと言い募っている図であって、いくら良い提案であっても、それは何の解決にもならない。
こういう人は、クルマに関わっている人がみな悪人でもあるかのように認識しているが、これは明らかに偏見であって、モーターリゼーションというものを真に理解していないということである。
モーターリゼーションというのは社会の新しい形態なわけで、人々は好むと好まざると、その渦に巻きこまれてしまうものである。
老いも若きも、その渦の中に取り込まれてしまうので、運転する人だけの問題ではなく、社会全体の問題と化しているのである。
ということは、クルマの普及を単に文明の利器の普及という捉え方ではなく、社会基盤を土台から構築し直す、見直すということが求められていることである。
クルマの利用者、クルマのメーカー、クルマの許認可権の問題を超越して、社会そのものの在り方、社会システムの中でクルマを如何に位置付けか、という思考にならなければならない。
社会システムの中でクルマを考えるとなると、これはモロに政治の問題に転化してしまうわけで、こうなるを我々日本人ば馬脚を現してしまう。
つまり、政治下手が顕著に露呈して、全てのことが後手後手に回ってしまうのである。
そもそも、今の日本のクルマ社会の問題点は、生活道路と産業道路の峻別が不明確な点にある。
既存の、いわゆる江戸時代から続いてきた町並みの中に、クルマが流れ込んできたので、クルマの弊害が声高に叫ばれているのである。
モーターリゼ―ションの世の中になったので、クルマの使用を前提とした町作りという発想には至っていないのである。
江戸時代のままの家、あるいは集落、あるいは地域の中に、文明の利器としてのクルマが遠慮会釈なく入り込んでくるとなれば、摩擦、軋轢が起きて当然である。
だからその状態を根本的に見直そうとすると、個人の利害関係が露呈して、意見の一致がみられないということになる。
よって、その次善の策としては、滅多矢鱈と信号機を付け、横断歩道を書き、モーターリゼーションに逆行するような行政措置になるのである。
クルマと人を対比させて考えた時、人命を優先させるあまり、滅多矢鱈と信号機を付け、横断歩道を書くことは、明らかに車の流れを阻害し、渋滞を引き越し、炭酸ガスの排出を多くし、モーターリゼーションに逆行するのみで、何の解決にも至っていない。
日本の場合、クルマの普及という事は、実績として戦後のことであって、せいぜい半世紀の歴史しかないわけである。
今の老人で、山間僻地に住んでいる人や、運転免許証を持っていない人は、基本的に原始人と同じであるということだ。
運転免許証を持っている人は、人生の何処かの過程で、道路交通法の教育を受け、講習を受けている筈であるが、そうでない人は生まれ落ちた時から、そういう教育の機会は一度もないわけで、端的にいえば、道路のどちら側を歩くべきかという事も教わっていない。
道路を横断する時は、何処を渡るべきか、という事もきちんと教わっていないはずである。
まさに野生動物が交通事故に合うパターンと同じである。
これは極端な事例であるが、モーターリゼーションというものが広範に広がったともなれば、生きた人間の方がその時流に合わせなければ事がスムースに治まらない。
クルマというものは文明の利器だけあって、実に便利なもので、だからこそ地球規模で人々が欲しがるわけで、買える状況になれば何をおいても真っ先に手に入れたい、という欲求に駆られるのである。
しかし、先にも述べたように、大都会ではもう既にクルマのメリットは失われつつあるわけで、今の若者は既にクルマ離れを呈している。
けれども、僻地の田舎では、老人が枯葉マークを付けてでもクルマを持たないことには、過疎地での生活が出来ないわけで、クルマ=悪という構図は成り立たない。
モーターリゼーションという事は、クルマとの共存を真剣に考えなさいということだと思う。
ここで問題となることがシステム的な考察であって、クルマの有効性を上手に生かすためには如何なる思考があるかということだと思う。
その意味では、北海道の先っぽまで、大都市近郊と同じ高規格の高速道路が果たして入用かどうかという考察も当然入り込んでくる。
僻地などというところは、元々人口も少なく、産業も乏しいにもかかわらず、都会並みの高速道路がいるかどうかは当然考慮されるべきだと思う。
高速道路でなくとも、普通の一級国道を整備すれば、それで事足りるのではないかということである。
これはクルマの問題からは逸脱しているが、昔の日本国有鉄道でも、高速道路でも、空港でも、それぞれの自治体が、自治体のメンツを賭けて地元に誘致することが、地方の首長の仕事、実績、名誉という風に捉えられている節がある。
そういう地元の圧力に屈してしまうと、赤字路線の延伸という結果になり、走れば走るほど赤字になるということになる。
民主党政権ならずとも、そういう不合理な部分は、当然、仕分けして当たり前であるが、従来はこの当たり前のことが当たり前に行われていなかったから大きな不合理になったのである。
日本列島のサンベルト地帯、いわゆる東海道沿線には幾重にも社会的なインフラ整備が成されているが、その一つ一つには、それぞれに存在意義があることは認めざるを得ないが、これもある程度は統合する余地があると思う。
例えば東京・名古屋・大阪間の貨物輸送というのは何も個々のトラック便に頼らなくとも、鉄道のコンテナ輸送に振り分けることも可能であろうし、そのことによって省エネ、省資源という事にもつながるわけで、そういう数かずのアイデアの組み合わせを考えるという意味で、社会的なインフラをシステマチックに考えるべきだと思う。
規制緩和という事は、従来の官僚が民間を指導監督するという考え方を改めで、民間の自主性に任せるということであるが、こうなると民間業者の側が過当競争を引き起こすことになり、再び官が指導監督するということに逆戻りしてしまう。
今はこの状態であって、流通業界は自由競争なので、各企業がサービスを競い合って、結果として不要不急のトラックの洪水ということになっているのである。
文明の利器に批判的な人は、こういう現状から目の前のクルマの洪水に目を奪われて、その元にある企業の過当競争、過剰サービスには目が行き届いていないのである。
確かに、自分の家の近くを大型トラックが頻繁に行きかえば、腹立たしく思うのは普通の人間の普通の心情であろうが、だからと言ってクルマの存在そのもの否定的に見る、というのは偏見そのものだと思う。
それよりもクルマの在り方をシステム的に捉えて、クルマを道具として如何に有意義に、有効に使い切るか、を考えるべきだと思う。
大都会では既にクルマの有効性は否定されつつあり、公共交通機関を利用する人が増えているわけで、人は自分にとって便利なものには安易になびくのが当たり前で、そういう社会的なインフラを整備するように知恵を絞るべきだと思う。
その一つのアイデアとして、東京・名古屋・大阪間の物流は可能な限りコンテナーの鉄道輸送に切り変えて、個々のトラックの運行は出来るだけ控えるようにする。
あるいは今の乗用車の大きさをうんと小さなものにするというのも良いアイデアだと思うが、それを望まないのはむしろ消費者の側、国民の側である。
メーカーは実に現金なもので、売れる、儲かるものであるならば、如何様にも顧客の要望に応えるわけで、4人乃至は5人乗りの乗用車を一人で使っているというのは、あくまでも消費者、国民の側の選択である。
メーカーは、顧客の要望があるから、その顧客の要望に応える形で、今ある物を生産しているのである。
この著者がいくら文明の利器としてのクルマに批判的であろうとも、国民、あるいは消費者は、そのクルマに憧れ、その便利さに酔いしれ、人生を享楽しているのであるし、一部の人にとっては生きんがためのツールにすぎない。
私自身に関して言えば、私がクルマを手にしたのは30歳のときで、それ以来クルマなしの生活はあり得ず、約40年の付き合いである。
クルマで通勤し、クルマで子供の送り迎えをし、クルマで病院へ通院し、クルマで家族旅行をしてきたので、クルマの恩恵は十分享受したものである。
しかし、加齢とともに今では出来るだけクルマを使わないように努めているが、全く無しということにはならない。
こういう判断が自己責任だと思う。
前にも言ったように、免許を持たない老人、年寄りは、極端な話、道の何処を歩くかを誰からも教わっていないはずである。
夜に黒っぽい衣服で町を出歩けば、クルマの運転手から見えにくいので事故に成りやすい、という事を誰からも教わっていない。
見よう見まねで、テレビや近所の集会で自己防衛的な対処の仕方らしきものは、話として多少は聞いているいるであろうが、所詮は原始人と同じである。
そういう人も、プロのドライバーも、暴走族も、混然一体となって既存の道路を使っているのだから、人々の生活の場が混迷の極みに至るのも無理からぬことである。
この混乱の渦から逃れるのに、クルマだけを悪人に仕立て上げたところで、何の意味もないわけで、やはりそれには社会全体のインフラという面から、システムを構築するという発想で掛からねばいけないと思う。
まず初歩の段階では、不要不急のクルマを生活道路まで入れないということだと思う。
つまり、町を迂回する道路を作って、町の住民以外のクルマは町中に入れさせないようにする。
すると「荷物の搬入はどうするのだ?」という苦情が出、その苦情に対して説得力のある説明に欠くと、人権蹂躙とかプライバシーの侵害という声が出てきて、結局は元の木阿弥に戻るということになり、混迷は少しも解決されないということになる。
結果として街中は信号だらけになり、横断歩道だらけになり、クルマは渋滞し、排気ガスが蔓延するということになる。
この本の著者を始めとする日本の知識人は、その責任を全部政府、あるいは為政者の側に負い被せようとするが、一番悪いのは基本的に国民の側の自我、自分さえ良ければ後のことは知らない、それは政府の責任だ、という発想にあると思う。
自分はクルマを使いたいが、他所から入り込んでくるクルマは罷りならぬという発想である。
「僻地の交通弱者を救済せよ」と言いながら、バスを走らせれば公害が出る、自然環境を壊すというわけで、結局のところ人のやることには反対ばかりして、自分では打開策のアイデアさえも出さないということになる。
文明の利器も完璧なモノはあり得ないわけで、如何なるものでも欠点の一つや二つは必ずあるわけで、その欠点のみ指摘して、全体がさも悪の権化かのような捉えカは、明らかに偏見であり、他の人間の存在を冒涜する行為だと思う。
クルマを使う側の人の中にも、モラルを欠いた人の存在は確かに認められる。
その意味で、暴走族のような人にでも、金さえ持ってくれば普通に部品を売ってもいいかどうか、という設問は、極めて難しい問題である。
だが、日本の良識のある人ならば、暴走族だからと言って人権を無視してまで懲罰を与えることを由としないわけで、結局の所、そういう輩は微罪で出て来て、また同じことを繰り返すことになる。
知識人と称する偉い人たちは、美しく、誰でも反論できないような綺麗ごとを並べて、さも心やさしい気高い心の持ち主かのような言辞を弄しながら、結局は何も社会の為に貢献する事もなく、虚像に胡坐をかいているだけということだ。
結論として、刑罰では真の悪人の改悛は不可能なわけで、それでもそういう人を生かし続けねばならず、モラルの向上は一向に進まないということになる。
ということで、文明の利器を批判をする態度は、何時如何なる世の中になっても、不平不満に満ちた生活をしているということになり、人間のあるべき姿としては決して褒められたものではない。

「昭和の玉手箱」

2011-01-18 19:26:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和の玉手箱」という本を読んだ。
著者は赤瀬川原平という人で、昭和と共に生きた人なので、昭和に対する思い入れが特に強かったのであろう。
そういう意味では私と同世代で、そのエッセイの中身には共感する部分が多く散見された。
在りし日の思い出として、ふつふつとわき出て来た話の中に、パチンコ屋の話があったが、これは我が身にとっても身につまされる話である。
私自身がパチンコに凝ったという話ではなく、パチンコというものは、そもそも子供の遊戯であったという点が今は忘れ去られて、あまりにも大掛かりな遊興施設になっている点に大いに驚かされる。
私が知っているパチンコの黎明期というのは、町のおもちゃ屋さんの店先に一台の機械があって、店の人に10円渡すと玉を5つもらって、それを一つ一つ穴に入れてレバーではじいたように記憶している。
その玉が次から次と釘に当たって、あっちに行ったりこっち行ったりして、最後は下の穴から消えてなくなるというものであって、ポケットに入って沢山出て来た玉を何かに変えたかという記憶は定かでない。
要するに子供の遊びであったことは確かだが、それが何時の間にか大人の遊びになってしまって、町のあちらこちらにパチンコ屋が氾濫したことも歴史的な事実である。
小さな町に、沢山のパチンコ屋が出来れば、お互いに共食いになる事は当然の成り行きで、その結果として見事に淘汰された。
しかし、夜にはそのパチンコ屋の裏で、たらいでその玉を洗う作業がみられたものだ。
この業界も約半世紀の間には大きな進化をなして、今では巨大な産業になってしまい、脱税という面でも世間の注目を集める存在になっている。
昨今のテレビニュースによると、今時はゲームセンターに大人が集うようになって、こういう場所から子供を追いだしているのが現状らしい。
年老いた人間の常として「今時の若者は!」という嘆きは、年寄りの専売特許のように思っていたが、今ではそういう感想は老人に向けられて、老人の方が若い人よりも堕落していると思う。
パチンコを子供から取り上げ、ゲームセンターから若者を追いだし、5体満足な年寄りが朝からテニスに興じている姿をみると、何とも違和感を覚えずにはおれない。
戦後の娯楽の乏しい時に、子供の遊戯施設、今でいえばゲームのようなものを大人が取り上げて、それに金を賭けて勝った負けたと一喜一憂する大人の姿は、まさしく精神の堕落以外の何ものでもない。
大人の遊びとしては昔から様々なものがあったにも関わらず、パチンコが流行ったという事は、その当時のそういう大人を惹きつける何かがあったということだと思う。
あの当時、巷にいた大人を惹きつける要因というのは一体何であったのだろう。
ギャンブルとしてならば競馬、競輪、競艇、その他マージャアン等々いくらでもあった筈で、そういう既存のゲームの中にパチンコが入り込んだということは、やはり大きな不思議と言わなければならない。
子供の遊びから進化しただけあって、誰でも安易に入り込めたという事かも知れない。
他の遊びならば、少なくともゲームをする前にルールを知らなければならないが、パチンコにはルールが無いわけで、最初から結果だけが問題であって、その意味では修行を積む、修練を重ねる、勉強が足りないという事がないわけで、そういう点が誰にでも受け入れられたのかもしれない。
ここで私が不思議に思う事は、アメリカならばああいう施設、つまり日本でいうパチンコ屋とか連れ込み旅館が、巷の中で何の規制も受けずに存立するという事がありえるであろうか、という疑問である。
アメリカでは考えられないことが、日本では大手を振って通っているわけで、これは一体どういう事なのであろう。
江戸時代でも、遊郭というある種の遊興施設は一か所に集めて集中管理したわけで、街中にそういうものが混在するという事はなかったように思う。
ところが戦後の日本では、街中にパチンコ屋も連れ込み宿もいくらでもあるわけで、行政や官憲も野放しの状態のようだ。
アメリカのラスベガスは、日本でいう岡場所の発想と同じ思考で、遊興施設を一か所に集めて集中管理するという発想のようであるが、戦後の日本ではそれが全くの野放しで、街中にパチンコ屋がさもレストランやラーメン屋と同じ感覚で散在している。
流石に学校の近くにはないようであるが、そういう許認可権を持っている行政は、そういう許可申請に甘いのではなかろうか。
戦後、パチンコ屋が極めて隆盛を誇ったという事は、当時の大人がそういう娯楽に飢えていたということであって、何故あの時代の大人がそういう娯楽に飢えて、新しい刺激を欲していたのか、という部分に探りを入れなければならないと思う。
あの時代の若者と言わず、全ての大人は、ある意味であの戦争の生き残りであったわけで、その意味では戦中戦前の事を知っていた世代である。
兵隊に行った人も大勢いたであろうし、戦場を掛け回った人も大勢いたであろうし、学徒動員で工場で働いた人も大勢いたであろうが、そういう人は皆、昭和20年8月15日で、価値観の大転換を経験したわけである。
この日の前と後では、価値観が180度逆転してしまったわけで、そのことは個人として何を信じていいか、自分の中の確たる信念も失ってしまったわけで、ある意味で精神の虚脱状態の中に置かれたものと推察する。
今、あるいはこれから先、自分は何をしたらいいのか見当もつかない、という精神状態であったに違いない。
もっといえば、これから先の日本がどういう風になって行くか、さっぱり想像もつかないわけで、国の指針、国家の行く末、近未来の世の中がどうなるのか皆目見当もつかないので、人々もただただ右往左往していたにすぎない。
俗な言い方をすれば、人々は夢も希望も見いだせずに、その日暮らしに徹しきっていたので、パチンコの玉の行く末を見つめることで、しばしの慰安を貪っていたということになる。
この本の著者と私はほぼ同世代であって、昭和を語るとなると、どうしても戦後の時代から語らねばならないことになるが、日本の戦後復興というのは、実に不思議な気がしてならない。
もし日本があの戦争に勝っていたら、今日のような日本の繁栄が実現していたであろうか。
恐らくそうは成っていないと思う。
それは何故かといえば、日本がもし戦争に勝っていたならば、戦争放棄という概念は生まれてこずに、第2、第3の戦艦大和が作られていたに違いないからである。
日本がアメリカに勝ったとしても、旧ソビエット連邦の中国大陸への席巻は免れず、アジアの共産化はまた別のシナリオになったであろうが、アジア大陸の赤化は避けられなかったに違いない。
だとすれば、そちらに対する予防、あるいは対抗策、防衛策というモノを考えねばならず、国民のGNPはそちらの方にも割かざるを得ず、経済成長はかなり鈍化すると考えられる。
つまり、日本は敗北したから戦後の復興が成功したわけで、もしあの時に勝っていたら日本のみならず、アジアそのものが、未だに混沌の渦の中に置かれていたに違いない。
昭和20年8月15日で、我々日本人の価値観が180度逆転したという事は、その後の我々の在り方に、大きな影響を与えたわけで、そこにアメリカ流の民主主義というものが流れ込んできたが、我々にとってみれば民主主義というのも未知の思考なわけで、その本質を知らないまま表層面のみを何となく分かったつもりになったにすぎない。
しかし、我々、大和民族には古来から民主主義的な精神風土があったわけで、独裁者というのは我々の政治にはなじまないのである。
昭和の初期に日本の政治が混乱の極みに達したのは、むしろこの我々の古来から持ち続けた民主的な精神風土なるが故の混迷であったわけで、これは今でも立派に生きている。
我々の日本人の政治というものが、明確な指針もなく、目標も示せないまま、有力者の一挙手一頭足に振り回されて右往左往し、不毛の政治的論理を延々と述べ、いたずらに時を稼ぐのみで、うやむやのうちに何となくわけのわからないままどうにか収まるという形で、21世紀になっても立派に引き継がれている。
戦前の日本の政治の局面で、軍人が政治家を差し置いて政治を牛耳ったのは、軍人の横暴と言われているが、本質は逆で、政治家が堕落していたので、軍人がせざるを得なかったという面もあると思う。
我々の民族には、政治、つまり統治を下々の発意で執り行う、という考え方は育っていなかったということだと思う。
江戸時代は、士農工商という身分制度の元、政治という部分では士分の者に限定されていたが、その身分制度を取っ払って、農工商の中からでも「自由に政治に参加しても良いよ」となると、政治が何たるかもわからないお山の大将がシャシャリ出るという構図であったと思う。
政治の本質を知らない田舎秀才が、徒党を組んで政党ゴッコに現を抜かして、不毛の議論を繰り返していたので、「それではいけない」というわけで軍人が政治に入り込んできたということだと思う。
政治家の政治が地に落ちていたので、それを憂いた軍人、いわば純粋な気持ちの若い将校たちが、「既存の政治家には任せておけない」と思うようになり、ある意味で大正デモクラシーというものが当時の日本の国民全般に理解されていなかったということだと思う。
当時の政治家はもとより、学者も、評論家も、民衆も、軍人も、デモクラシ―、民主主義というものを知らず、民主的な選挙という事もわからないまま、江戸時代の瓦版的なメデイアの言説に振り回されて、踊らされていたという構図だと思う。
メデイアはメデイアで、ここでも真のデモクラシ―、民主主義の本質を知らないまま、彼らだけの思い込みで、自分たちの価値観を鼓舞宣伝していたわけで、国民の大部分はそういうものから影響を受け、おのずから右傾化して行ったに違いない。
しかし、統治という事を考える、つまり為政者がその国を治めるという行為には、人間のすることである限り失敗も付いて回ると思う。
人類の歴史は基本的に成功と失敗の連続なわけで、繁栄の後には衰退が必ず来るので、それはサインカーブ、コサインカーブと同じ軌跡だと思う。
ならば昭和初期の日本の政治の失敗も、戦後の復興で帳消しになるという理屈に繋がる。
ただ戦後の特徴として、こういう歴史の流れ、世の中の移り変わり、民族、あるいは国民、あるいは民衆の在り方を、その内側から見る視点が顕著になってきたことが21世紀の人々の間に普遍化したことである。
政治や統治の失敗は人間の振る舞い、在り方、生存の手法、手段として、その対象、具象としての人々にどういう影響を及ぼしたかという疑問が大きく浮上してきたのである。
つまり、先の戦争で日本人の犠牲者の数は300万人とも言われているが、政治の失敗、あるいは負けるような戦争指導した為政者と、その犠牲者の間の関係性をどう考えるかが大きな問題となってきたのである。
戦争の犠牲者に対して、元の為政者の側はどういう風に弁解し、どういう風に償いをするのかという事が大きなテーマになったということだ。
政治、あるいは統治の失敗に対する償いを民衆、あるいは国民、大衆の側が為政者に対して突き付ける思考が戦後の風潮だと思う。
私に言わしめれば、こういう風潮は人間の驕り以外の何ものでもないと思う。
普通に考えれば、人は何も好き好んで戦争するわけではない。
戦後の日本の知識階層が、まさに盲目的は独りよがりの平和主義を唱えて、自分たちこそが人類の中の最良の人間とでも言うような独善に陥っているが、この世に生を受けた人間ならば、戦争よりも平和を希求するのが極々普通の思考なわけで、日本の知識人のみの占有である筈がない。
で、人は皆基本的には平和を好むものであるが、ここで為政者あるいは統治者として、自分の率いる国家あるいは組織の利害得失を考えると、どうしても自己の組織に有利に執り図らねばならないわけで、そこで好むと好まざると摩擦が生じる。
こういう状況下で、自己の利益を強力に主張することは、個人的な私利私欲でしているわけではなく、後ろに控えている国家あるいは民族の為にしているわけで、ここで安易に妥協すればその分相手が有利になり、そこでお互いの利権をめぐって押し問答になるが、押し問答で埒が明かないから実力行使、つまり戦争ということになる。
押し問答から戦争になるまでの責任は、当然、為政者にあることは間違いないが、何も好き好んで戦争をおっぱじめるわけではない。
しかし、世の中の人々の人権意識が高揚して来ると、その為政者の失敗に対して、国民の側が異議申し立てをして、端的に言えば「金よこせ!」という論議になるのである。
為政者の政治の失敗に対して補償を要求する思考は、民主主義の究極の姿であろうが、それは同時にこの世に生きている全ての人間に対する冒涜でもある。
この世に生まれ出た赤ん坊、つまり人間には、理屈や合理的な論理では解き明かすことの出来ない、不可解な出来事がかなリ多くあると思う。
それを普通は「運」という言葉で一括りしているが、こういう事は人間の持っている知恵とか、理性とか、理念という人間側の要因では解明できないわけで、まさしく天から授かったスケジュールとでも言わなければ説明のつかないことである。
この世の人は、全て戦争よりも平和を愛しているにもかかわらず、何となくズルズルと戦争の渦の中に嵌り込んでしまうというのも、天命のなせる技であって、その場に居合わせた人間では、如何ともしがたい成り行きに陥ってしまう。
それが昭和の初期の時代に、我々の祖国が戦争に嵌り込んで行った経緯でもある。
一つ一つの場面では、軍人の個人的な判断力で実力行使の火ぶたが切れらたが、その背景には当時の世界情勢を反映した我々、日本の立場というものがあり、日本の立場の主張という事は、個人個人の名誉を追う行為ではなく、国民全体の利益の追求であったわけである。
そういうことを考えると、為政者の政治の失敗、つまり「戦争でひどい目にあったのだから金で償え、金寄こせ」という論理は、不遜な行為に映る。
この世に生を受けた人間として、特に日本人、大和民族の一員として、品位を欠いた人間ということになるが、昨今ではこの「品位」、「品」という概念そのものが喪失してしまって、その価値観そのものが我々の回りから消えて無くなってしまった。
この品位の喪失という現象は、別の見方をするとノブレス・オブリージの喪失ということと同義であり、士農工商という身分制度の崩壊に伴う新たな社会の創成でもあった。
この新たな社会の創成というものが、古い価値観では御せれないわけで、ここに新しい価値観と古い価値観の衝突が起き、歴史の流れとしては古い物が廃れ、新しい物が古い物にとって変わるということになる。
だから今の日本がある意味で世紀末の様相を呈していたとしても、それは新しい社会が創出されつつある過渡期だと思えば、そう悲観する事もない。
しかし、だからと言って、古い社会がそのまま生き変えるわけではなく、新しい価値観が素直に受け入れられるかどうかは個人の問題となり、それもいくらかの歳月を経ると、過去の事例と同じように古い価値観に収斂されてしまう。
人間の歴史というのは、隆盛と衰退を繰り返して今日にまで来ているのであって、たった一回の戦争で敗北して、その時の国民は未曾有の凄惨な状況を体験したのだから、そういう国民に対して国家が金で償えという発想はあまりにも守銭奴的な思考だと思う。
自分の運命をカネに換算して推し量るという考え方は、あまりにも卑劣というか卑賎な思考だと思う。

「バスの雑学読本」

2011-01-17 08:40:53 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「バスの雑学読本」という本を読んだ。
この世の中には鉄道フアンというのは世界的な規模で多いが、バスのファンも結構多いように思う。
しかし、自分が「バスのフアンだ」ということを人に公言するには、なんとなく後ろめたさを感じるのは私一人であろうか。
鉄道ファンならば何となく世間に受け入れられるが、バスのファンでは何となく肩身の狭い思いがする、という感じである。
鉄道フアンならば高額な資金を投じて、自宅に鉄道模型を作っても人は一目置いて感心してくれるが、バスのフアンではそういう事もないわけで、趣味としてのスケールそのものが鉄道フアンと比べると極めて規模が小さく、人々の関心が低いので、ある意味で肩身の狭い感がするのであろう。
鉄道の発達にも言えるが、人間の欲望の進化には際限がないようで、欲望が次の欲望を再生している感じである。
そこに持ってきて、我々の国は紛れもなく絶海の孤島なので、否が応でもガラパゴス現象に陥ってしまう。
大陸国家のように、地続きで異文化と接触することがないので、絶海の孤島の中で独自の進化になりやすいのもむべなるかなである。
鉄道にしろバスにしろ、日本で発想されたものではなく、海の向こうでイメージされていたモノが、日本に渡って来ると、日本独自の進化をなしたわけで、これを今日風の言い方をすれば、ガラパゴス化という事になる。
それは何も悪い事ではなく、世界に向かって大いに胸を張ってアピールしても良いことである。
我々は、自分たちの気質をモノマネ文化として、自らを蔑んだ言い方が流行った時期があったが、今の中国の現状をみるように、モノマネというと蔑まれた印象を受けやすい。
ところが、我々のモノマネは、進化の一過程であって、本物を乗り越えるまでの過渡的な現象であって、今では本物以上になっているいではないか。
それが中国のパクリの文化とは大きく違うところで、進化の過程で最初は真似から入っても、最後はそのオリジナルの本物以上の製品を作り出している。
ここが中国のパクリの精神と大きく異なっている面だ。
この本の中にも描かれているが、外国、特にアジア諸国では、日本の中古車の需要が極めて高いと言われてかなり久しい。
しかし、最近は韓国製や中国製がアジアの市場を席巻し始めているという記述は注視すべき事項だと思う。
ここにも我々日本民族の特質が垣間見れているわけで、我々は良いものを作ればそれは必ず価値を生む、と信じ切っているが、ビジネスの本質は、基本的に無から有を生みだすことだと思う。
良い物を作ることを優先せるよりも、安かろう悪かろうが、相手に買わせるテクニックだと思う。
日本は貿易立国を掲げ、これがある意味で日本の国家戦略の感がするが、我々は良い物を作ればそれは自然に売れると思い込んでいる。
ところが、良い物を作る事と、それを売りさばくことは全く別の才能だと思う。
世の中には良い物でなくともいいが、安く沢山欲しいという欲求もあるわけで、こういうビジネスの感覚というのは、我々はどうしても苦手な部分である。
言うまでもなく、我々の古い時代には、士農工商という身分制度があって、商人は何物にもまして身分的に蔑まれていたわけで、商いという行為は良い目で見られたことがない。
常に官吏の監督を受け、その元でしか経済活動が出来なかったわけで、それで戦後もしばらくの間、日本の銀行は護送船団方式という言い方で、大蔵省の監督下に置かれていたのである。
その後、規制緩和の風潮が高まると、あらゆる業界で極端な経営がはびこって、最終的にはバブル経済になり、それが沸騰すれば自然にバブル崩壊に繋がったのも無理からぬことである。
基本的に我々日本人は、適正な商売が不得手というよりも、自らの行動を自ら判断して、セルフコントロールの適正化が下手だというこであり、官吏が監督指導しなければまともな商い、商売、事業が成り立たないということである。
つまり、我々日本人というのは、お上の思し召しがないことには何事もし得ずに、倫理的なセルフコントロールが出来ないという事が明々白々となったわけだ。
物作りは一人で、あるいは少人数でこつこつと実績を積み重ねることが出来るが、商売というのは相手がいるわけで、相手を如何に説得し、ビジネスに繋げることが可能かを模索しなければならない。
そこでは相手との交渉術が大きく左右するわけで、我々はこの部分が極めて稚拙である。
異民族との商いは明らかに言葉による戦争だと思う。
我々は、外国にモノを売るという時、戦争という捉え方は決してしないが、そこが平和主義者の平和ボケの最たる部分である。
戦争は鉄砲を撃ち合うものだけではなく、日本で不要になった車を如何に相手に買わせるかも立派な戦争である。
それに立ち向かうには、我々の持つ全知全能で立ち向かわねばならないわけで、そこがそうなっていないから、中国製や韓国製の製品がアジアで市場を拡大しているのである。
地球規模で眺めて、日本語という言語も明らかにガラパゴス的な存在で、日本語圏というのは極めて狭い範囲しか通用しない。
そういう意味では非常に不利だが、その分我々の同胞の中には英語に堪能な人も大勢いるわけで、言葉によるハンデイキャンプはそう大したことはないと思うが、問題は我々の底流にある島国根性の方だと思う。
それは、我々がもの作りに長けているので、世界でも優秀な部類の人種だという思い上がりである。
確かに、良い物を作るが、それを売り込むことには必ずしも成功しているとは言い切れないではないか。
中国は最近、近代化に成功して、その経済成長は目覚ましいものがあるが、その成長の根底にある思考は、先進国の優れた製品をパクって、極めて優秀な模造品の大量流出であって、それは我々の国が半世紀前に歩んできた道と同じ軌跡である。
半世紀前はそういう経済成長の裏側で、アメリカと日本の間に多くの経済摩擦が生じていたわけで、我々はその個々の問題を一つ一つクリア―して、妥協と生産調整で乗り越えて来た。
この我々の行動の根本に潜む潜在意識は、相手に敬意を払い、相手の嫌がる行いは極力回避して、少々利が薄くなっても、相手に華を持たせるという謙譲の気持ちで今日まで来たのである。
しかし、今の中国にはそういう気遣いは微塵も存在しないわけで、底引き網で根こそぎ底魚を掻っ攫うという、我利我利亡者を地のまま演出しているということだ。
それは元々それぞれの民族に備わった特質であって、中国に日本と同じ謙譲の美徳を期待し、奥ゆかしさを期待する方が間違っている。
水に落ちた犬でも平気で叩くのが中国人なわけで、そういうことを最初から認識しておれば、腹を立てる必要もない。
しかし、自分と同じ意識で以て中国人を眺めると、その行動パターンが我々と同じではないと言って腹を立てることになる。
この本でいうところのバスの発達というのは、低開発国ではあくまでも過渡的な社会的インフラ整備であるべきで、理想をいえば公共交通機関は鉄道に委ねるべきだと思う。
ただ鉄道というのはどうしても先行投資が大きなネックになっているけれど、これから先の未来社会を考えると省資源、省エネルギーを目指すという方向性は避けて通れないと思う。
バスがいくらきめ細かく市民の足として普及しても、それが化石燃料に依存しているかぎり、未来志向とは逆行する形になると思う。
ここで日本の技術、省エネ技術、省資源技術という物が脚光を浴びることになるが、ここでも我々日本人のお人好し、世間知らず、良い子ぶりが顔を出すわけで、日本の優れた技術は、戦略的な価値があるのだという事に極めて無頓着である。
「日本の優れた技術が地球を救う」と言って煽てられるとすぐにそれを真に受けて、我も我もと技術移転をしだすが、ここで「開発費を回収するのだ」というコスト管理に甘い考えが出るのである。
日本の製造業は、中国が人件費が安いというわけで競って中国に工場を移したが、こういう動きも極めて浅薄な考え方だと思う。
これも日本人の大半の潜在意識を見事の露わしているわけで、バブル期に「投機をしない奴はバカだ」と侮った思考と全く同じパターンである。
バブルに踊って本業を疎かにして、マネーゲームに走った企業が、バブル崩壊で慌てふためくのは当然の帰結であって、中国の人件費が安いからと言って、皆中国に工場を移せば、そのうちにそのメリットが失われるのも当然の成り行きである。
こんな誰でも簡単に分かる理屈を無視して、「人がやるから俺もやる」、「あいつがやれば俺もやる」、「バスに乗り遅れるな」、という思考でおれば企業が傾くのは当然のことである。
省エネ、省資源の技術を完成させたならば、それは経済の上の戦略的に非常に有利なカードを握ったことであって、それを如何に有効に使うかは、完全にソフトウエアーの運用の問題になるわけで、ここが日本人の一番弱い思考パターンである。
新しく開発された技術を、如何に高価で相手側に売りつけるか、商売人の真価が問われるところである。
ここで日本の知識階層というのが良い子ぶって、その技術を安価で相手に提供することが、人類全体の貢献につながると尤もらしいことを述べたててくるが、そういう日本の知識人は、基本的にバカな人が多いから、そういうバカな知識人の尤もらしい忠告は無視することに限る。
バスと鉄道でどちらが自然環境にとって有益かといえば、恐らく鉄道の方に軍パイが上がるだろうと思う。
バスはその一つ一つがまぎれもなく公害を撒き散らしているわけで、その意味で鉄道の方が公害の点では有利だと考えるが、その設備投資の金の算段が難しくて、手っとり早く市民の期待に応えるには、設備投資のいらないバスの普及に向かわざるを得ない。
民主党政権になって高速道路の見直しが検討されたが、この高速道路はバス事業者にとっては非常に有利な環境整備になるわけで、その通行料金がバス会社の経営に大きく影響するのではなかろうか。
社会的なインフラ整備をすることに反対する人はあまりいないと思うが、高速道路や整備新幹線の見直しというのは、インフラ整備にブレーキを掛けるものであって、人気がないのは当然のことだと思う。
しかし、一台のバスに3、4人しか乗っていない路線を、何が何でも維持しなければならないものであろうか。
鉄道でも、空気を運んでいるに等しく、一人か二人老人が利用するだけでも、その路線を維持し続けなければならないものだろうか。
JRになる前の日本国有鉄道には、そういう社会的使命が確かにあったように感じれるが、その使命感は今でも生きているものなのであろうか。
もし、そういう交通弱者の救済ということを真剣に考えるならば、国家戦略としてもっともっと有効で効率的な策を真剣に考えるべきだと思う。
僻地の老人の利便に真剣に応えるとするならば、デマンド方式とか、乗用車並みの小さな車での送迎だとか、バスとか鉄道などという大袈裟な交通機関でなくとも、地元のタクシーを上手く利用する方法として、タクシー券の配布とか、経費を節約する良いアイデアは沢山出てくると思う。
しかし、空気を運ぶ鉄道も、狭い道を走る大きなバスも、見方を変えればある種の雇用対策でもあるわけで、儲からないからと言ってそういうものを全て廃止してしまっては失業者が増えることになる。
僻地で、最初から地元の老人しか利用するものがいないからと言って、素直に経済効果のみでインフラを考えていいかどうかは大きな疑問ではある。
我々の国も少子高齢化が進み、僻地に高齢者が置き去りにされる時代になれば、交通弱者の救済ということも、大きな社会的なテーマであるが、だからと言って従来の概念をそのまま踏襲する必要はないわけで、こういう状況でこそ人々のアイデアでそれを克服すべきだと思う。

「新幹線 謎と不思議」

2011-01-15 08:34:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「新幹線 謎と不思議」という本を読んだ。
標題が示している通り一種のハウツーものであるが、少々マニア向けの読み物であった。
民主党政権になって、こういう社会的インフラ整備にも見直しの機運が高まったが、果たして本当に日本国中を新幹線で結ばねばならないのかどうかは極めて難しい政治的判断だと思う。
同じことは高速道路にも言えるが、日本全国に新幹線も高速道路も作り続けなければならないものだろうか。
当然、そこには航空機の発達も入って来るわけで、地方の空港整備も同じ発想の元に進化し続けると思われる。
東海道新幹線が始めて開業した時、我々はずいぶん便利になったものだ、と大いに驚き、文明の進化に驚嘆したけれど、今ではそのありがたさも薄れてしまって、あって当たり前という感覚になっている。
これはある意味で、贅沢に慣れてしまうという事なのであろうか。
生きた人間の普通の心理として、現状を当たり前と思い、感謝の念や進化のありがたさに感覚が麻痺してしまえば、次なる新しい欲望が湧き出ることは当然のことだと思う。
贅沢に慣れてしまえば、また次の贅沢を追い求めるようになる、というのは生きた人間の普通の深層心理だと思う。
車についても同じことが言えるわけで、我々の子供の頃は、自家用車といえば大金持ちでしか持てなかったものだが、今では手に職のない若者でもごく普通に持っているわけで、その延長線上に高速道路を日本の隅々にまで作れ、という欲求になっている。
国鉄がJRとして民営化される前の、日本国有鉄道の理念は、日本の隅々にも国民の足を確保し、交通弱者の存在を克服することにあったと思う。
しかし、現実の問題として100円儲けを出すのに、千円も2千円も投資しなければならないようでは、いくら福祉の為としても事業の継続は無理なわけで、そういう部分はトカゲのしっぽ切りをせざるをえなかったというのは社会の趨勢としてはいた仕方なかったと思う。
ここで、我々日本人として、日本民族として考えなければならなかったことは、何故国鉄がそういうのっぴきならない組織になってしまったのか、という根本原因の追及である。
私に言わせれば、その理由は簡単で、国鉄労働組合の中に共産主義者が紛れ込んで、組合という組織がそれを自助努力で排除できなかったからだと結論付けている。
その背景には、社会全般に浸透していた左翼思想というものがあって、こういう連中が体制側、管理する側、統治する側を全て悪人と認定して、それに対抗するポーズこそが人として「良き行為」という認識を蔓延させ、それを進歩的知識人と称する有象無象の日和見主義者が「良き事」として受け入れたからである。
原資のことを考えず、何でもかんでも金をバラ撒きさえすれば、それが「良い政治だ」というニュアンスを鼓舞し、過激な共産主義者の行動を民衆の大義として、大目に見て、倫理を否定し、寛容な精神で後ろ盾になったから、組織そのものが立ち行かなくなってしまったのである。
これはあの戦争に敗北して、間違った国策を遂行し、戦争を敗因に導いた政治家を自ら裁くのではなく、戦勝国の裁判に委ねてしまった構図と全く同じなわけで、組織消滅の責任追及を丸々スポイルして、新生JRにすり替わった構図に見事に映し出されている。
過去の国鉄が崩壊した理由は、そればかりではないことは言うまでもなく、地方の首長にとって国鉄のレール引っ張って来ることや、高速道路を地元まで引っ張って来ることは、ある程度は地方の首長としての使命でもあったわけである。
「新幹線や高速道路が出来れば皆さん方は全部東京にいってしまうから、我が県にはそういうものはいらない」という地方政治はあり得ない。
地方の首長としては、「新幹線も高速道路も引っ張って来ます」と叫ばないことには、地方の首長足りえないのである。
JRになる前の日本国有鉄道も、そういう住民の要望に出来るだけ応えるべく努力はしたが、そのことがかえって組織崩壊の足を引っ張ったということになったようだ。
とはいえ、新幹線の技術的な問題は国鉄の時代から培われていたわけで、その意味でも日本人、日本民族の物つくりの精神は見事に継承されているが、そのもの作りの優れた精神を経営に活かせるかどうかとなると、とたんに零落してしまう。
まさしく物つくりは何処までいったも一流であるが、政治、統治、管理というソフト面になると、途端に馬脚が露われて、機能不能に陥ってしまうということである。
私は東海道沿線の物流ではトラックごと列車で輸送し、コンテナーの利用をもっともっと促進すべきだ述べたてて来たが、この発想は既に新幹線の誕生の頃から、それと同じアイデアがあったようだ。
誰でも考えることは同じのようで、私が思いつくようなことは、既に他の人も同じことを考えていたということだ。
ところがそれが目に見える形で今日実現しているか、というとそうでもなさそうに見える。
確かにJRのホームに立っていると貨物列車の通過する光景を見るが、それにはコンテナーが積まれている。
しかし、それによって道路の混み方が緩和された風にも見えない。
新幹線も高速道路も地方の自治体にとっては大きな魅力を持っていると思う。
けれども、過去の日本人の在り方をみると、こういう快適なインフラ整備をすれば、理論的には産業の地方移転があっても不思議ではないが、これがどういう訳か東京への一極集中を促進してしまうのは一体どういう事なのであろう。
工場を都内に持ってくるという事はないが、企業の本社機能や研究機関が東京に集まるという事は、社会的なインフラ整備がフェイス・トゥ・フェイスに偏ってしまうということである。
新幹線や高速道路が出来ると、都会から人や物が地方に来るのではなく、逆に地方から人や物が都会に集まってしまって、地方は過疎化が促進されてしまうということになる。
これにはきっと日本人特有の物の考え方、潜在意識が底流にあるような気がしてならない。
高度経済成長華やかりし頃、東京の都市機能を地方に移すという運動が盛り上がって、石原慎太郎がそれに異を唱えて都知事になったが、彼の思考そのものが日本人の都へのあこがれのような潜在意識を具現化しているのであろう。
しかし、人間の文化、特に日本人の未来の在り方を考えた時、何でもかんでも東京に一極集中させておくよりも、ある程度地方に分散させておいた方が、日本全体の為には良いように思える。
これだけ新幹線が普及し、高速道路が張り巡らされ、情報化が進んだ社会において、何でもかんも東京でなければならないという事はないと思う。
私は社会のシステムそれ自体は東京でなくとも良いが、そのシステムを支える人間の方は、東京という知名度のある場所に居たいから、東京から離れることに抵抗を示すのであろう。
石原慎太郎が東京遷都に反対する理由は、東京という地域から離れることが嫌だから反対しているのではなかろうか。
大都会で生まれ、そこで育ち、その地で学業を修めた若者が、地方の中小企業に就職しようと考えるであろうか。
何にでも例外というのはあるので、中にはそういう田舎にあこがれる若者が居ても不思議ではないが、やはりそれは例外的な存在で、若者の主流ではないはずである。
だからこそメデイアで取材されるわけで、人間の深いところの願望としては、やはり人の大勢いる都会で生きたいというものがあるように思う。
地方は、たまに行くからいいわけで、そこで生活をするとなると躊躇するというのが普通の人間の感覚であろうと思う。
今年に入って前原大臣がアメリカに新幹線の売り込みをしたとしてニュースになったが、新幹線をシステムとして外国に売り込むという政策は、極めて重要なことだと思う。
台湾の新幹線には日本の技術が使われているといわれているが、そういう意味で中国は日本からの技術指導を受けていながら、独自の技術だと例のパクリの論理を展開している。
新幹線をシステムとして一体のものとして輸出するというアイデアは、極めて優れた思考だと思う。
ここでも、新幹線というシステムそのものの物つくりには秀でているが、それを外国に売り込むというソフト面になると上手に商売ができていない。
我々は外貨減らしをアメリカから強要されて、その流れの一環として、完成品の軍用輸送機を買わされているが、そのことから考え合わせれば新幹線の輸出というのも立派な整合性が成り立つと思う。
アメリカは自動車王国で、人々が車を手放さないであろうというのは過去の認識であって、今日のような省資源、環境問題、交通渋滞という従来の状況を超越した事態になると、公共交通機関というものを見直さないわけにはいかなくなってくると思う。
飛行機があるではないかという問題もあるが、飛行機も定時制という意味では鉄道に叶わないわけで、そういう意味では鉄道に関しても従来の鉄道を乗り越えたモノでなければならないことは言うまでもない。
日本以外の国では鉄道の定時性は極めてアバウトで、その面でも日本は世界の範足りうるものがあると思う。
日本からアメリカに輸出された新幹線が、コンピューター管理によって定時に発着することが売り物になれば、アメリカ人の鉄道に対する認識も大きく変わると思う。

「大和魂」

2011-01-12 10:32:36 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「大和魂」と言う本を読んだ。
著者は赤瀬川原平。
「大和魂」というと何となく右翼的でおどおどしいイメージがつきまとうが、この著者のいう大和魂は、そういうものとはいささか異なるようで、いわば日本人の本質を究明しようという趣旨にとれる。
民族のルーツを探るというニュアンスで、昔の国粋主義的なものとは異質の論旨であった。
この本を読んだのが1月11日(平成23年)であったが、その前日の「NHKスペシャル」という番組では、日本が太平洋戦争に嵌り込んで行った際の、政府要人の心の葛藤、及びその魂の遍歴を追跡していたが、その要旨を一言でいえば外交の失敗という事で、その外交の失敗の元には、政局の不安定があったという事を展開していた。
軍、政府、外務省がそれぞれに自分の思惑で動いていて、これらを統一的にまとめる機関がなかったので、結果としてああいう形になったということだ。
そこから浮かび上がる日本人の特質というのは、何時でも何処でも普通に言いふらされている通り、政治下手という一語に尽きる。
日本という国に住んでいる人々の、最大公約数の思考を引き出す術に欠けているということである。
政治が下手だということは、裏返して考えれば統治が下手だということであって、国の舵取りが極めて不安定だということである。
考えてみれば、日本という民族には、それは宿命的な事なのかもしれない。
日本の過去の歴史の中で、異民族との接触というのは13世紀の2度の蒙古軍の来襲以外にないわけで、明治維新を経てはじめて異民族の存在を現実の問題として認識したが、それと同時に政治の民主化という事も、この時同時に体験したわけで、それまでの我々には異民族の存在も、政治の民主化という事も全く想定外のことであった。
異民族との接触は、民族の利害得失の最前線であって、それは同時に政治の延長線上のことでもあるわけで、やはり物事の初めは政治という事であろう。
ところが、我々はこの時になってはじめて民主主義という近代思想に遭遇したので、それが文明開化と同一視されてしまった。
そういう意味で、民主政治ということは全国的には極めて未熟だったということだと思う。
明治維新ではあらゆる変革が同時にきてしまったので、それを受け入れる側に、心の整理がつかないままシステムが普遍化したという面があると思う。
その顕著な例が軍のシステムと政治のシステムの変革であったが、この二つは我々にとって未知のものであった。
ところが、未知のままでは済まされないので、見よう見まねで習得したところに、日本独特の異形なシステムができあがってしまったということだ。
明治時代は確かに変革の時代であったが、その後に続く大正時代は、本来ならば諸制度の成熟の時期でなければならなかった。
だがしかし、この時点では我々は民主主義という概念の本質を充分に知らないままでいたので、その後の軍国主義に席巻されてしまったものと考える。
この大正時代の自由民権運動が実りあるものであったならば、その後の軍国主義の蔓延も、もう少し違った形になっていたのではないかと考える。
この自由民権運動の履き違い、認識不足、独りよがりな思い込み、こういうものの集合として、政治と政局の混同が起きてしまい、一言でいえば政治がコップの中の嵐の状況を呈してしまって、国策とか、戦略とか、長期ビジョンというものの認識が生まれないまま、今日にまで来てしまったということだと思う。
本来、「如何に国の舵取りをすべきか」を論ずべき場が、「誰それがこう言ったああ言った」という話で終始してしまって、言葉の端はしに一喜一憂する様になって、国として如何なる方向に進むべきか、という主題が消滅してしまったわけである。
この事象はある意味で極めて日本的であって、こういう事は我々の社会のあらゆる階層で普通に起きていることである。
国政の場だけの特異なものではない。
我々、日本人は農耕民族で、農業を営んで生きて来たが、我々の水稲栽培というのは、たった一人ではできないわけで、集落、村落の共同作業が付いて回る。
しかし、毎年毎年同じことの繰り返しである限り、年中行事を取り仕切るリーダーは誰でも出来るわけで、誰がリーダ―になっても大体はつつがなく執り行われる。
集団のリーダーに選出されたからといって、それによって特別な権力が移譲されたわけではなく、ローテーションによる回り持ちなので、自分がリーダーになった時に独善的で異質なリーダーシップを発揮すれば、集団からそっぽを向かれてしまう。
この感覚が国政の場にも持ち込まれているわけで、政党の党首ならば誰が総理大臣になっても、補佐する人がしっかりしておれば大体誰でもつつがなく執り行える。
この時選出されたリーダーが個性を発揮して、勢い込んで自己のアイデアを率先垂範しようとすると、大きな反発が起きるわけで、平和な秩序が乱れてしまう。
昔から言われている「出る杭は打たれる」という事になって、四方八方から足を引っ張られることになる。
リーダーの周りの人は皆が皆、すぐにでもリーダーになれる資質の人ばかりなので、その人の発言には大きな重みがあり、現リーダーも次期リーダーの意向を全く無視るわけにもいかず、決断に迷いが生じることになる。
日米の太平洋戦争をみると、日本側であの戦争にイケイイケドンドンと唱えていた人は一人もいない。
昭和天皇から、東條英機から、山本五十六から、近衛文麿から、その他の政治の要職の人も、全てが日米戦争には消極的であったにも関わらず、戦端が開かれたという事は一体どういう事なのであろう。
戦端が開かれて、ハワイの真珠湾攻撃が成功したと聞かされた当時の、国民の歓喜の声は一体どう説明したらいいのであろう。
基本的に民主主義というのは、大勢の人の最大幸福を目指すことに間違いはないが、大勢の人が望むことというのは案外無責任なことが多く、衆愚という言い方に限りなく近いことがある。
大勢の無責任な人からすれば、あらゆる物がイ―ジ―で、安直で、楽な方が良いわけで、無理に苦労を背負いこむ選択など御免こうむりたいと思うのが普通である。
しかし、為政者の立場として、国民と国家の安寧と秩序の維持の為には、そういう安易で平易な選択ばかりがあるわけではなく、国民に苦痛を強いらねばならない時もあるわけで、ここで如何にその理由を国民に説くかが大きな政治的手腕となるのである。
しかし、こういう状況に陥ると、日本の為政者、リーダーには自身に毅然たる確信がないので、自分の信念を国民に説くことも不得手ならば、政治の岐路に立ってどちらを選択すべきか、という判断も出来ないわけで、周囲の声に振り回されて右往左往するのみで、時が過ぎて行って、蓋をあければタイミングを逸してしまうということになる。
これが外交の場面になると、選択の失敗とタイミングの不一致がいきなりその利害得失に繋がってしまい、政治・外交の不味さがモロに露呈することになり、国益を大きく損なうということになるのである。
国内政治だけの時は、いくらコップの中の嵐だとて、国益ということにはつながりにくいが、これが外交・異民族との交渉となると、国益と国益のぶつかり合いになるわけで、呑気なことは言っておれない。
私が不思議でならないことは、明治維新で日本は大きく変革したが、その際に教育についても大きく認識が変わり、小学校から帝国大学までキチンと学制が整備され、高等教育も官吏養成という意味合いがあったとは言え、教養人を輩出する大きな要因であったことは間違いないと思う。
ところが、この教育を受けた人たちが、日本国全体に対する奉仕を務めたかどうかという疑問が湧いて仕方がない。
帝國大学で受けた高等教育は、個人の立身出世だけに貢献するのみで、広く世間一般に対しては教育の効果というのは存在し得たであろうか。
帝國大学あるいは海軍兵学校、陸軍士官学校というのは言わずもがな日本各地の優秀な若者が蝟集した学校なわけで、そこで高等教育を受けた若者は、その教育の効果を祖国に還元してしかるべきだと思う。
にもかかわらず、そういう人たちが祖国を敗戦に導いた、負けるような戦争を推し進めた、祖国を恢塵と化した、明治以降の近代化の隆盛を元に戻してしまった、ということは明治、大正、昭和の初期の、我々の国の教育の効果、高等教育の効果、明治以降の学校で教えた教育の中身というのは一体何であったのかという疑問に突き当たる。
昭和初期の日本の在り方を、司馬遼太郎は「鬼胎の時代」と称しているが、全くあの時代は、日本人の知性、理性はどうなっていたのであろう。
ここではっきりと言えることは、教育では民族の土俗性を払拭しきれないということである。
これをもっと分かりやすく言うと、水飲み百姓の百姓根性は教育では是正できず、三つ子の魂は教育で軌道修正することはできないということである。
江戸時代の武士階級というのは全人口の10%にも満たないと言われている。
明治維新で文明開化のちょうちん持ちに走ったのは農家の次男三男で、家業の百姓を継げない連中が、あらゆる機会をとらえて学校に進み、立身出世の免罪符を得ようと奔走したということである。
言い方を変えて表現すれば、水飲み百姓の子倅が立身出世にあこがれて、授業料免除の技能訓練・特殊学校に進んだということである。
そういう連中が海軍兵学校あるいは陸軍士官学校に集まって来て、立身出世の免罪符を得るまではいいが、もともとが水飲み百姓の子倅だったもので、生来の乞食根性というのはいくら教育を積み、いくら出世しても抜けきれなかったということだ。
確かに表だって私利私欲に走り、守銭奴的に振舞ったわけではないが、公共の福祉に貢献するポーズでいながら、その実、自己満足に終始し、自己の欲求に応えることが公共の福祉に貢献することと混同してしまって、自己陶酔に陥ってしまうところが浅薄な部分である。
自我を通すことに汲々するあまり、公共の福祉を忘れてしまい、自己の思い込みに埋没し、日和見な態度で優柔不断できっちりと決断しきれない曖昧さは、水飲み百姓の気質をそのまま引き継いでいる姿だと思う。
これは現代でも立派に生きている。
管直人、鳩山由紀夫、麻生太郎、福田康夫、安部晋三等々の内閣総理大臣も、それぞれ相当の学歴を持っていながら、総理としての業績は学歴とは何の関係もないぐらい、お粗末な実績ではないか。
彼らが身につけた筈の高等教育の真価は、どう実績あるいは業績に反映しているのかと言いたい。
これと同じことが昭和の初期の日本の政治の局面にもあったわけで、海軍兵学校、陸軍士官学校を出た戦争のプロフェッショナルが、負けるような戦を企画したわけで、口先でいくら「勝つ!勝つ!」と理想、理念を並べても、実績が全くともなっていなかったではないか。
結果として、本来、優秀であるべき海兵や陸士を出た人が、善良で健気な国民を騙したということになったわけで、ならば「本来、優秀であった」という評価の実態は一体何であったのかということになる。
ここで問題となることは、人の評価の真実である。
海兵や陸士を出た人の評価というのは、戦後65年を経た今てもいささかも衰えることなく立派に通用しているが、その評価は本当のそうなのであろうか。
そういう優秀な人が、政治指導、戦争指導して、何故、日本は敗戦という奈落の底の落ちたのだ、と言わなければならない。
負けるような戦争をする軍人が、優秀であるわけがないではないか。
昭和初期の日本人の中で、当時、戦争指導した数々の軍人が、優秀でなかったから日本はアメリカに負けたのではないのか。
当時の軍人が真の国家総力戦という新しい戦争形態について無知であったからこそ、日本は戦争に負けたのではないのか。
負けるような戦争を指導した海兵や陸士を出た軍人が、何故に戦後65年経ても「優秀であった」といえるのだ。
この不合理な思考こそが日本の政治下手、外交下手の最大の理由ではないかと私は考える。
ある人物が優秀か優秀でないかの評価は、基本的にはその人の実績で計るべきだと思うが、これは数値化できないわけで、ただ単純に数値化できるデータとなれば、学業成績ならばそれが可能なわけで、よってそれが人物評価のバロメーターになったという事であろう。
ところが学業成績と実社会の実績の間には何の関連性もないわけで、「学校の成績が良ければきっと良い実績を挙げるであろう」という期待は、バカな人間のバカな思考に過ぎない。
結局、我々の評価する「あの人は優秀だ!」という価値観は、学校の成績を見てそういう評価を認識しているので、負けるような戦争をする軍人でも「優秀だ!」という評価に繋がってしまうのだと思う。
人物評価を、その人の実績でみるのではなく、学校時代の成績で見るから、実際の結果と人物評価が乖離してしまうのである。
こういう極々当たり前のことに、優秀であったはずの人達が気がつかなかったからこそ、日本は奈落の底に転がり落ちたという事であろう。

「CIA秘密飛行便」

2011-01-08 09:47:37 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「CIA秘密飛行便」という本を読んだ。
著者はオランダ生まれのイギリス人ジャーナリストのステイーブン・グレイという人だが、サブタイトルには「テロ容疑者、移送工作の全貌」となっている。
要するに2001年のアメリカ・ニューヨークで起きた9・11事件のようなテロ組織の容疑者を、アメリカ国内では収監出来ないので、アメリカが第3国に移送して、その地で容疑者から様々な情報を引き出して、テロ集団を追いつめようという発想の元にCIAが暗躍しているという話である。
こういう話になると、どうしても為政者対メデイアという構図になりがちであって、こういう見方は人類が今まで経験して来た歴史の延長線上の発想だと思う。
アメリカの大統領が如何なる人であろうとも、あの9・11事件を突き付けられれば、「イスラム原理主義者はケシカラン」という思考に行き着いてしまうのは当然の成り行きだと思う。
9・11事件の標的となった世界貿易センタービルは、既に何年も前からイスラム原理主義者から狙われていたわけで、にもかかわらずあの事件が防げなかったという意味で、政府の責任を問うという発想も、至極当然な思考だと思う。
こういう場面でメデイアは「過去に何度もテロ攻撃があったにも関わらず防げなかった」と言って大騒ぎして政府を糾弾するし、その一方で事件の後では「容疑者を不当に扱っている」と、相も変わらず政府を糾弾するのである。
メデイアにとってみれば政府、あるいは行政機構がどういう振る舞いをしても、そういう政府機関のあらゆる振る舞いが批判の対象になるわけで、まさしくインテリ―・ヤクザそのものである。
アメリカの行政のトップ、大統領というのは独裁者ではなく、選挙で選ばれた国民の代表でもあるわけで、そういう立場でアメリカ国民の国益の擁護をしなければない立場でもある。
世界貿易センタービルをテロ攻撃されて、「アメリカ人は世界で嫌われているから仕方がない」では済まされないわけで、何としてもイスラム原理主義者にテロの犠牲者の仇をとらなければ自分を支持してくれたアメリカ国民に顔向けが出来ないことになる。
そう考えると、昨年の尖閣諸島で起きた中国漁船の海上保安庁の巡視船への体当たり事件も、そういうスタンスで考えるべき事例であった事は言うまでもない。
9・11事件というテロ攻撃を受けたアメリカとしては、イスラム原理主義に対する報復について余所の国の意向など全く関係がないわけで、「自分がやられたのだから自分で仕返しをする」という極めて単純な発想である。
しかるに、こういう場合でもメデイアは極めて無責任な立場に身を置いて、隙あらば為政者の揚げ足取りに徹しようと待ち構えており、それはある意味でオオカミ少年の宿命でもある。
彼らの食い扶持は、そのことによってしか得られないわけで、考えてみれば健気で純真な国民に寄生する害虫のような存在でしかない。
そういう害虫でも、いないことには植物界において受粉という事が成り立たないので、地球上の生物にとっては必要悪のような意味で存在価値がある。
問題は、メデイアというものは、取材できる環境でしか取材出来ないということで、ベトナム戦争を例にとれば、記者が自由に動き回れるアメリカ軍の側、南ベトナムの側からしか取材できなかった。
そういう環境の中から、つまり自分は安全圏に身を置いていながら、「アメリカ軍はこんなに悪いことをしている、こんなひどいことをしている」という報道が世界を掛け回ったわけで、北ベトナム側のニュースはさっぱり取材できないので、あちら側はさも極楽浄土のように見え、人々は全て民主的に公平な秩序の中で打倒アメリカと一致団結しているかのような報道がなされていた。
ベトナム戦争ではアメリカは敗北したと言われているが、こういう世論の構築の仕方も極めて意図的なメデイアの傲慢さだと思う。
北ベトナムとアメリカは互角の戦いをしたわけではなく、世界のメデイアが声をそろえてアメリカの非を暴きたてたから、アメリカは嫌気が射して闘うことを放棄しただけのことで、ただ撤退しただけのことだ。
しかし、世界的な規模でこのことを「アメリカの敗北」と流布したのは、メデイアの責任だと思う。
その結果としてベトナム難民が世界に流出したが、その扱いについてもメデイアは各国の政治に責任を転嫁するのみで、メデイア自身は難民救済のイニシチャブをとった形跡は見当たらない。
ベトナム戦争の失敗は、アメリカ軍が戦場にメデイアを入れたことである。
ただ自由主義体制の国としては、納税者に対する説明責任は免れないので、ミニマムの広報活動は必要であろうから、情報の発信源を出来るだけ絞り込んでおく必要があると思う。
その後の湾岸戦争、イラク戦争、アフガンの戦いでは、こういう措置が取られたように思う。
しかし、第2次世界大戦後の戦争では、米ソの冷戦とは言いつつも、ベトナム戦争を見ても、その他の戦争を見ても、国家総力戦のイメージからかけ離れた非対象型の戦いで、太平洋戦争の時のように大日本帝国とアメリカ合衆国ががっぷりと4つに組んだ横綱相撲という戦争ではなく、巨人と小人の戦争という非対象の戦いだと思う。
その意味で、テロとの戦いも完全に非対象の戦争で、これは厳密な意味では戦争ではないと思う。
この本の主題は、テロの容疑者を捕まえても、アメリカ国内では拷問による自白に法的な効力が認められていないので意味を成さない、よって容疑者を余所の国に移して、つまり人権擁護の意識が薄い国で拷問によって自白させ、そのことのよってテロ組織の情報を聞き出すということである。
そういうことをCIAが主体的にやっており、その為にCIAは独自の飛行機を所有し、容疑者を世界の刑務所に運び込んでいるという事に対する告発である。
端的に要約すると、自白の強要、つまり拷問のアウトソウシングというわけだ。
アメリカ国内では容疑者に拷問を加えて自白させれないので、それを余所の国に委託するということだ。
アメリカ国内では拷問が禁止され、拷問による自白は証拠能力がないという事は、極めて民主的なシステムに見えるが、日本国憲法の第9条のように、あまりにも理想主義的すぎて、社会秩序の維持には逆に不合理な面があるのではなかろうか。
拷問など言うことは決して良いものではなく、勧められるものではないが、悪事を働くような者が、普通に話し合って自分のしたことを普通にすらすら申し立てるであろうか。
日本でも警察の取り締まりが行きすぎて事件になることがしばしばあるが、普通の市井の市民ならば、自分のしたことをすらすれ語るであろうが、脛に傷もと者が取り調べに際して、そう何でかんでもすらすら申し立てるとは考えられない。
私はテロリストの肩を持つ気はなく、そういう連中を血眼になって探している当局側の人間に声援を送りたい方あるが、メデイアの論調はともするとテロリストを庇う傾向に行きすぎる傾向があり、一生懸命テロ集団を追いつめようと努力している官憲の側を安易に糾弾しがちだと思えてならない。
このアメリカ合衆国のテロとの戦いも、完全に非対象の戦いなわけで、これは戦い方として極めて困難な戦いである。
ジュネーブ条約の戦争規定は、当事者同士が正規の軍隊であって始めて機能するわけで、片一方が私服であったり、ただの烏合の衆であった場合には、それが適用されないので捕虜規定も意味をなさない。
だからと言って、容疑者に拷問を加えていいかという論議は、道義的に良いわけ無いことは言うまでもない。
だからこそCIAはテロの容疑者を余所の国に移送して、そこで自白から情報を得るという行為をし続けているわけで、これは明らかにアメリカ人の人権意識という倫理に反した行為ではある。
けれどもそれをしなければテロ組織の究明にはつながらない、という倫理と人権の狭間、要するにジレンマに立たされてという事である。
これが旧ソビエット連邦や中華人民共和国のやり方ならば、そんな回りくどい手法を取らず、安易に拷問死に至らしめて、当人は行方不明ということで処されてしまうに違ない。
CIAがテロ容疑者を専用飛行機であっちにやったりこっちにやったりして、手間暇かけて情報を取ろうとする事は極めて人道的な扱いであって、それはアメリカだから出来ることであって、旧共産主義国ならばそういう手間暇かける前にあっさり始末した方が手っとり早い。
「あいつがテロの関係者ではなかろうか?」という疑念が生じた時点で、その場でそのまま暗殺してしまえば、テロリストの絶対数はあきらかに少なくなるわけで、その後の厄介な事後処理をしなくても済む。
しかし、テロリストの存在というのはまことに困ったもので、日本のメデイアも世界のメデイアも、こう言うテロリストに無駄な殺生をやめるべく諭すことが何故出来なのであろうか。
宗教家は一体何をしているのであろう。
世界の賢者はどうしてテロリストに無意味な殺生をやめるように説得できないのであろう。
こういうテロリストの言い分のよると、諸悪の根源は全てアメリカの存在にあるように言っているが、世界の知識人も日本の知識人も、「そういう考えは根本的に間違っているよ」と、何故、テロリストに説得しきれないのだろう。
日本にも世界にも大学というのは掃いて捨てるほどあって、そこでは日夜高等教育が教えられ、学識経験が磨かれ、真理の探究が行われ、理想や理念が声高に叫ばれていると思うが、そういう教育を受けた人たちが、どうしてテロリストや、あるいはテロに対抗する側の人々に対して、争い事を諌める運動を起こさないのであろう。
イスラム原理主義者が若い純粋な若者をリクルートして、「死ねば聖人になれる」などと自爆テロに誘い込む事を何故容認しているのであろう。
この構図を我々の社会に置き換えて考えてみると、暴力団組織が鉄砲玉と称する無鉄砲な若者に言いくるめて、たった一人で抗争相手の組に殴り込みを掛ける図と同じで、親分は何もせずに後ろに隠れて、何も知らない初心なチンピラに花を持たせて直接行動に出すようなものである。
それを宗教という美名に隠れて行っているわけで、世の識者やメデイアは、アメリカ大統領やCIAを糾弾するのではなく、そういうイスラム原理主義者をもっともっと叩き、糾弾しなければならない筈だ。
識者もメデイアも、そういう認識は当然持っていると思うが、いざそれをしようとすると、自分がテロの標的になってしまうので、そこまで思い切った行動には出られないのではないかと善意に解釈している。
自爆テロで、当人が死ぬのは本人の勝手であろうが、巻き添えで殺される方はたまったものではない。
イスラム原理主義者のテロは、最初からその目標が無辜の大衆になっているわけで、無辜の大衆が際限なく死ぬのはアメリカの所為だという論法であるが、そんなことは普通の常識のあるものは信じていないが、テロをする側の論理としてはこれを押し通すのである。
ここで普通の教養人の嵌りやすい錯誤が、世の中の全ての現象を善悪、良し悪い、正義不正義という価値観で見てしまうということである。
この世には、そういう価値観は存在していないにもかかわらず、我々はどうしてもそういう価値観から脱却できずに、自然の法則を人間の倫理で以て計ろうとする。
生きた人間の認識している善悪、良し悪い、正義不正義という価値観は、モラルに対して存立しうる概念であって、人間の生存そのものには当てはまらないものだと思う。
人間の生存という面からすれば、生きるか死ぬかの関係が何ものにも増して重要なわけで、「アメリカが諸悪の根源だから我々はテロで対抗するのだ」という論理も、テロリストとしてそれなりの整合性を得ているという事になる。
この地球が今でもマゼランやコロンブスの時代ならば、地球上のそれぞれの地域に住んでいた人々も、他の地域のことを知らずに生きていたに違いない。
それぞれに自分の小宇宙で満足していたかもしれないが、21世紀の地球は、それこそグローバル化してしまって、アフガンの山奥の人も、エジプトのナイル川上流の人も、イラン・イラクの砂漠の人も、西洋先進国、キリスト教文化圏の進化した文明を見て、聞いて、触ってしまうと、「あいつはら豊かな生活をしているのに、何故、俺達は貧乏なんだ」という疑問にぶち当たるのも当然の成り行きである。
そこで出てくる答えが、「アメリカが俺達を搾取している」という論法になるが、本当はそうではなく、遅れた地域の人々は基本的には怠け者で、額に汗して働くことを忌み嫌ったから、こういう結果を招致してしまったのである。
考えても見よ。地球上に住む人間は元は一つだったと思う。
古代文明はエジプト、メソポタミア、インダス、揚子江流域と4か所に限定されているかのように言われているが、その前のもっと先の人間の起源は一つだったと思う。
つまり、地球上に住む人類のスタートラインは、どの民族も皆同じであったという事が言える。
しかるに今日、アフガニスタンの奥地に住む人と、東京、あるいはニューヨーク、ロンドン、パリに住んでいる人では、その生活様式はまるっきり違っているわけで、この違いは一体何なのであろう。
一言でいえば、先進国の人々は今までの過去に充分な努力をして、富を築き上げて来たが、今の発展途上国の人々は、これまでの過去にそういう努力を怠ってきたということである。
その努力の中身には、当然、戦争という人と人の殺し合いが含まれていることは言うまでもなく、ただ言葉としての綺麗ごとのみではなかったことは言うまでもない。
日本でも世界でも、賢者と言われるような人たちは、こういうはっきりとしたもの言いをしないので、先進国と後進国は同じ立ち位置にいるように錯覚しているが、それぞれの国の立ち位置は、それぞれの国の過去の努力の上に乗っかっているわけで、それが歴史の重みと称せられるものである。
日本でも世界でも、大学に学んだ人が多くなると、口先の綺麗ごとでものごとの真理を覆い隠してしまって、表層的な耳触りのいい言辞に惑わされるケースが多くなり、その歴史の重みというような概念的なものに価値を示さなくなってしまった。
ただただ、皆が仲良く、赤信号皆で渡れば怖くないという心理に近づいて、綺麗ごとのみを並べ立てる傾向が強くなったが、これは裏を返せば極めて無責任な態度になったということでもある。
きついことを言って嫌われるよりも、当たり障りのない事を言って、自分にトバッチリが掛からないように身を処すわけで、一言でいえば無責任という事である。
アメリカは、アメリカの国益を維持するために、テロリストを何処までも追い詰める気でおり、その為に容疑者を拷問の出来る余所の国に移送してまで、それを推し進めるという事は、完全に国家プロジェクトの体を成しており、おためごかしの口先の綺麗ごとではない。
アメリカは、アメリカ国民を如何に守るかという、生きるか死ぬかの大試練に直面しているわけで、これこそが国を発展させる真の努力そのものである。
アフガンやイラン、イラクの指導者に、こういう覚悟を持った為政者がいるかどうかであって、この違いが低開発国と先進国の立ち位置の違いになっているのである。
こういう覚悟の積み重ねが、歴史を経た努力の賜物であって、イスラム教文化圏の国々の人々は、こういう努力を過去に積み上げて来たかどうかということである。
イスラム原理主義者が、諸悪の根源をアメリカの存在に蔽い被せようとする意図は、自分たちの怠惰な生活習慣を誤魔化す為の詭弁に過ぎず、何の整合性もありえない。
人類の時の経過は如何なる民族にも公平に行き渡っているわけで、古代の4大文明の地にも、アマゾンの奥地にも、ネイティブなアメリカ先住民にも、ヨーロッパのキリスト教徒にも、日本の農民にも、それこそわけ隔てなく公平に天から賦与されている。
イスラム原理主義者だけがアメリカの存在が諸悪の根源などといえるわけがない。
言えるのは、各民族の歴史の中における勤勉努力の実績か結果であって、その勤勉努力をコントロールしてきたのが宗教の戒律であった。
宗教の戒律が額に汗して働くことを奨励したところは努力が実ったけれど、労働を遺棄した場合は、長い歴史の中で進歩が阻害されて、今では大きな格差が生じてしまったということである。
人類の過去の軌跡は農業に左右され続けたが、21世紀以降は、その農業に替わる価値創造の機構がコンピューターになるわけで、今現在はその過渡期に当たるが、コンピューターの使用がグローバル化すると従来の社会とはまた別な社会の出現になるような気がしてならない。
今でもテロリストが極普通にコンピューターにアクセスしているわけで、こうなると敵味方の峻別が出来なくなってしまって、一般市民とテロリストの見分けがつかなくなってしまう。
そういう環境の中で、普通の市民、一般市民、何の罪もない市民、全く無辜の人々までも殺傷して構わないという思考は、あってはならない発想であるが、ハイテクを酷使するテロリストにはこれを自制するセルフコントロールが効かないわけで、この事象を我々はどう考えるべきなのであろう。
ここで本来ならば高等教育を受けた賢者とわれる学識経験者やメデイアが、こういうテロリストを改悛させるべき有効な手段、手法を考え出すべきだと思う。
ハイテクを自由に操るテロリストを改悛出来ない知識人の存在というのもまことに困ったことで、これでは宇宙規模で考えて高等教育の効果というのは何の意味も持たないという事ではないか。
テロリストが自分の受けた高等教育を武器にハイテクを酷使して、無辜の人々をテロで殺傷する現実を我々はどう認識したらいいんであろう。
この本の主題は、アメリカのCIAがテロの容疑者を海外の刑務所に移送して、彼の地で、先方の主権の元拷問によって自白させ、それを情報としてフィードバックさせている事に対する告発であるが、アメリカ合衆国の為政者として、自国内で拷問による自白を強要出来ないとなれば、それは次善の策というより他ないと思う。
だからどうしたということに尽きると思う。
テロは当然のこととして、こういう安全管理、危機管理において、事前に事故を防ぐという事は並大抵のことではなく、事故が起きた後では「何故防げなかった」と大問題になるが、事前に防いだ時は犠牲者はまだ誰もいないわけで、被害がない以上大したことではなかったと過小評価されがちである。
いくら大惨事が予想されようとも、犠牲者が一人もいない段階では、当たり前のことと処理されて、起きたであろう大惨事を予防した功績というのは、無いに等しいことになってしまう。