例によって図書館から借りてきた本で「日本人は台湾で何をしたか」という本を読んだ。
サブタイトルには「知られざる台湾の近現代史」となっている。
要するに台湾の現状を民俗学的な視点から見たという報告書であるが、台湾は元々対日感情が良いとされてきた。
日本の台湾統治は約50年だが、朝鮮の方は約36年である。
日本の統治が長い方に日本に対する感情が優しいのに、短い方のそれが悪いというのも不思議な因縁ではある。
相手に対する感情の喜怒哀楽というのは、人間の深層心理に大きく作用されていると思う。
人間の心は、極めて不確実なもので、最初は好きであったものが途中から嫌いになったり、その逆もまた往々にしてあるわけで、固定的に確定するという事は極めて珍奇なことだと思う。
人の心が移ろい易いというのは、世界各国共通の人間の心理だと思う。
日本が台湾や朝鮮を併合した時代、19世紀末期から20世紀初頭においては、先進国の植民地支配というのは国際社会で認められた主権国家の主権の一環であった。
この時代の先進国であったヨーロッパ諸国でも、古の昔には手掴みでモノを食べていたが、それでは不衛生という事で、ナイフとフォークが開発され、それが普遍化すると手掴みで食べるという行為が野蛮な行為とみなされるようになった。
というわけで、その時代時代における価値観というのも、時代の推移で変化するものであって、その変化を正だとか悪、善だとか不善、良い悪いという価値感では計れないはずである。
大昔には手掴み食べることが正しい事だったのか、悪い事だったのか、という評価は成り立たないわけで、そういう評価を成すことは無意味なことである。
新大陸としてのアメリカに渡ったヨーロッパの人々は、アメリカの地で農業を営むのに、アフリカから黒人を連れて来てそれに過酷な労働をさせていた。
しかし、それが普遍化すると、この現状はあまりにもひどい、彼らも人の形をしている限り、ヨーロッパ人と同じではなかろうか、という良心のセルフ・コントロールが効いて来て、奴隷解放の機運が高まり、世の中は次第しだいに良い方向に向かってきたのである。
ことほど左様に、ヨーロッパ人の帝国主義的植民地支配も、第2次世界大戦後は先進国が後進国を搾取する目的で植民地を経営することに良心のセルフ・コントロールが効くようになってきたのである。
昔は「良いとか悪い」という価値観の枠の外に在ったものが、時代が推移して来ると「悪しき事」という価値観が生じて、是正する方向になってきたが、昔の価値観を今の価値観で推し量ることは無意味だと思う。
ましてや昔の価値観を今の価値観と同列に論じるなどということは論外である。
問題は、ここで19世紀以前の時代において西洋列強が世界に植民地を獲得しに出掛けた時、植民地の対象となった側にどれだけ低抗する気概があったかどうかということである。
この台湾でもポルトガルの植民地支配を跳ね返しているわけで、その意味でタイランドも、朝鮮も、日本もヨーロッパ人の植民地支配という願望を跳ね返した実績がある。
ヨーロッパ人が一旦植民地を獲得すれば、それは完全に富の収奪に徹するのみで、如何に効率よく植民地から富を吸い上げるかであって、それはアメリカの奴隷の使い方と酷似している。
彼らヨーロッパ人の視点からすれば、アジアの有色人種は猿よりはましな家畜並みの認識しかなかったわけで、そういう認識であればこそアメリカの黒人奴隷であり、メキシコの征服であり、アジアにおける植民地支配であったのである。
戦後の日本の知識階層が、台湾や朝鮮で日本が西洋式の植民地経営を行った、という論議を展開する事はあまりにも事実を知らな過ぎると思う。
事実を知らないというよりも、先に思い込みがあって、その思い込みに合わない情報は、受け入れないという構図だと考える。
この構図は我々、日本人の固有の潜在意識であって、我々の先輩が先の戦争に嵌り込んで行った構図もこれと同じであって、先に「鬼畜米英何するものぞ」、という思い込みがあって、その思い込みに合わせて政治、軍事、外交が振り回された結果だと思えてならない。
日本が台湾を実質支配したのは1895年明治28年からであって、日清戦争の結果として清から割譲を受けたわけで、日本と台湾が戦争して占領して日本領にしたわけではない。
この状況は台湾の人々の立場からすれば極めて微妙な雰囲気であろうとは思う。
自分たちの国籍がある日突然変わってしまうわけで、本人にとってみれば極めて不合理であろうとも、世間にはよくあることで、ヨーロッパでは戦争の度ごとに国境線があっちに行ったりこっちに行ったりするわけで、その度ごとに国籍がころころ変わっていたにちがいない。
日本にとっては領土を獲得するという事は極めて有難いことで、その新しい領土を日本の将来の為に無限の可能性を秘めた新天地にしよう、という意欲ががぜん沸騰したに違ない。
グローバルな帝国主義的世界観の仲間入りをした新参者の立場としては、将来の夢と希望に燃えて、台湾という土地を見据えていたに違ない。
ただ我々はグローバルな帝国主義者としては極めて新参者であったが故に、帝国主義というものが老獪な富の搾取を目指したものだ、という事に気がつかなかったわけで、新しい支配地から富を略奪するという発想は微塵もなかった。
新しい支配地を一刻も早く我々の祖国と同じ文化レベルにまで引き上げよう、そのことによって日本民族の優秀性を世界に知らしめよう、という素朴な思い込み、独善的な善意の思考のみが先行していた。
西洋人のように、支配者と被支配者という構図を否定して、あくまでも同胞として差別を拒否し、階層の段差を否定してきたのである。
しかし、これは日本が敗戦に至るまでのことで、日本の敗戦後の台湾の生き様というのは実に悲惨なものであったようだ。
ここで問題となって来ることが、中国人の生き様であり、有り様であり、中国人・漢人の思考回路そのものである。
私が不思議の思う事は、日本の敗戦で日本人はその時点で全ての業務を中華民国に引き継ぐことになっていたが、その時に日本人の元で業務をしていた台湾の人たちは何故に何も知らない中国の官吏にそのまま引き継がせたのかということである。
日本人の元で仕事をして、業務に精通していれば、何も知らない中華民国側の官吏をのさばらせず、押さえつけて彼らをコントロールし得たのではなかろうか。
後になって台湾の人々は、「犬が去って豚が来た」と自嘲しているというが、犬が去った時点で自主独立を考えなかったから、豚に支配され続けたということになるではないか。
ここで大きな問題にぶち当たるわけで、つまり中国人というのは一体何なんだということだ。
1949年、昭和24年に新生中国、中華人民共和国の誕生でもって台湾に逃げて来た蒋介石と彼の国民党というのは一体何なのであろう。
国民党というのは、日本が治めていた台湾にやって来るや否や、馬脚を現したわけで、その馬脚こそが蒋介石と彼の国民党そのものであって、それが中国人、漢民族の本質であったわけだ。
台湾の人々は約50年間日本の支配下で法治、法の元での平等が維持され、公平に生きるという感覚を身に付けたに違いないと思うが、そこに漢民族の人治の手法で以て、賄賂、袖の下、リベートというように、法治からはみ出したルールが出回れば、さぞかし困惑したに違いない。
それは民主主義の芽生えでもあり、自覚でもあったわけで、日本の統治というのは、いささかでも民主的に近づこうという趣旨であったにもかかわらず、台湾の民情はすぐにでも実現可能というわけではなかった。
それが為、蒋介石の国民党が治めるようになると、その民主的手法が彼らにとっては極めて恐ろしい現象に映ったわけで、目に見える形での抑圧ということになった。
それが2・28事件であろうと思うが、何処の国でも、何処の政府でも、失敗というものはあるわけで、汚点の一つや二つはあって当たり前だと思う。
それにつけても、我々の世代の者にとって、蒋介石の国民党政府軍、毛沢東の赤軍、軍閥としての張作霖という言葉は既に耳に馴染んでしまって、いささかも違和感を覚えないが、これは考えてみると実に妙なことではなかろうか。
蒋介石の国民党というのは理解できる。
しかし、国民党の軍となると理解の枠をはみ出してしまう。
毛沢東についても同様で、共産党の軍となるともう理解できなくなる。
軍隊というのは主権国家の軍であって始めて国軍という位置付けが可能なのではなかろうか。
国民党の軍隊・政府軍、中国共産党の軍隊・赤軍というのは、本来、不自然な存在なのではなかろうか。
我々の身近な例に置き換えれば、自由民主党の軍、日本社会党の軍隊、日本共産党の軍隊というものが想像できるであろうか。
ただただ党の用心棒が極度に肥大化しただけのことで、本来は軍隊などと言うべきものではなかったのかもしれない。
それにつけても中国の有り体というのは、我々日本民族にとって、昔も今も実に厄介な存在である。
中国という国があまりにも広大過ぎて、彼ら自身で収拾がつかず、アジア大陸の内部では常にマグマが煮えたぎっているようなもので、台湾の戦後の政治状況というのも、アジアの躍動のとばっちりを被ったようなものである。
我々、日本からアジアを見ると、どうしても視線は大陸に向いてしまう。
戦後の復興に際しても、復興の矛先はアジア大陸の中国に向けざるを得ず、台湾の切り捨てということになったのであろう。
日本が経済復興をなし、これから先、右肩上がりの経済成長を維持するためには、中国と手を握らねばならないというわけで、台湾の切り捨ていう事態を招いたと思う。
1972年、昭和47年の時点で、当時の田中角栄は台湾を切り捨て中国と手を結んだわけで、この決断は誰が見ても仁義を欠いた決断だと思う。
しかし、これも視点を変えれば納得せざるを得ない部分がある。
というのは、我々は蒋介石には大きな煮え湯を飲まされているわけで、過去に対戦国として敵という面を合わせても、我々の築き上げた台湾統治の実績をことごとく否定したわけで、蒋介石に対する恨みはそう安易に消えるものではない。
しかし、我々は中共、中国共産党とは正面から戦いをしたわけではない。
その意味からしても、中国共産党には恨みは存在せず、あの広大な中国を曲がりなりにも統一支配しているという実績は、魅力ある存在なわけで、烏合の衆の寄せ集め的な蒋介石とは袂を分かってもいた仕方ないという心理も大いにあったに違いない。
蒋介石の国民党政府の腐敗の蔓延というのは救いようがないわけで、そういう意味からすれば、まだ中国共産党の支配する方に魅力があったという事であろう。
田中角栄は学が無いだけに利に聡いわけで、利害得失のそろばん勘定に長けているので、経済のフィールドの広さという点からも、台湾よりも中国大陸を採ったに違いない。
しかし、日本人の台湾及び朝鮮の支配というのは、人類史上もっともっと褒め称えられてしかるべきだと思う。
西洋列強の植民地支配とは完全に次元が違う形態であったわけで、それこそ人類愛に満ちた慈愛の統治であったに違いなく、そのことは国際連合などでもっともっと認識されてもいいと思う。
台湾と朝鮮では日本対する評価が真逆になっているが、これは日本の問題ではなく、台湾人と朝鮮人の本質に根ざす問題であって、人類の良心がその裁定を下すべきことだと思う。
人が援助を差し延べても、それを有難く感じる人と、いらぬお節介と感じる人がいるわけで、こういう人にはどうにも対応のしようがないので自然に怒りの収まるのを待つ以外に方法が無い。
ただ同じようにアジアに住む人間の共通の認識として、文化・文明に関して、その源は中国で、それが朝鮮を経由して日本に伝わったという事実は皆が周知している。
この事実から中国人が威張り、朝鮮人が兄貴風を吹かせ、一番下の日本は彼らの言い分を真摯に受け入れよ、という思考は21世紀の今日許されるものではない。
しかし、彼らにも政治的な立場というものがあり、彼らの国内で民衆の不満が時の為政者に向かいかけた時、その矛先を日本に向ければ、暫くの間、時間稼ぎが出来るという背景はある。
その時に我々が先方のそういうアクションに過剰に反応してしまうと、国益を損なう事にもなるので、そこで注意が肝要である。
ところが今の社会というのはメデイアの存在なしではありえないわけで、中国や韓国が政治の安全弁として日本パッシングをカードとして使うという事は充分に在りうる。
その事実は明らかにメデイアが驕り高ぶり、世論を誘導している構図であって、それに踊らされてはならない。
よって我々はメデイアの立ち居振る舞いには充分に注意を払うべきで、メデイアに流すべき情報と、流してはならない情報というものを厳密に峻別すべきである。
メデイアというのは往々にして「権力を監視する」などと驕った態度をとっているが、その確たる証拠が情報開示を叫ぶ一方でプライバシーの保護を言い募っている。
こういう二枚舌が通用するわけもなく、この二つが両立するわけがないではないか。
それはあくまでもメデイアの詭弁でしかない。
サブタイトルには「知られざる台湾の近現代史」となっている。
要するに台湾の現状を民俗学的な視点から見たという報告書であるが、台湾は元々対日感情が良いとされてきた。
日本の台湾統治は約50年だが、朝鮮の方は約36年である。
日本の統治が長い方に日本に対する感情が優しいのに、短い方のそれが悪いというのも不思議な因縁ではある。
相手に対する感情の喜怒哀楽というのは、人間の深層心理に大きく作用されていると思う。
人間の心は、極めて不確実なもので、最初は好きであったものが途中から嫌いになったり、その逆もまた往々にしてあるわけで、固定的に確定するという事は極めて珍奇なことだと思う。
人の心が移ろい易いというのは、世界各国共通の人間の心理だと思う。
日本が台湾や朝鮮を併合した時代、19世紀末期から20世紀初頭においては、先進国の植民地支配というのは国際社会で認められた主権国家の主権の一環であった。
この時代の先進国であったヨーロッパ諸国でも、古の昔には手掴みでモノを食べていたが、それでは不衛生という事で、ナイフとフォークが開発され、それが普遍化すると手掴みで食べるという行為が野蛮な行為とみなされるようになった。
というわけで、その時代時代における価値観というのも、時代の推移で変化するものであって、その変化を正だとか悪、善だとか不善、良い悪いという価値感では計れないはずである。
大昔には手掴み食べることが正しい事だったのか、悪い事だったのか、という評価は成り立たないわけで、そういう評価を成すことは無意味なことである。
新大陸としてのアメリカに渡ったヨーロッパの人々は、アメリカの地で農業を営むのに、アフリカから黒人を連れて来てそれに過酷な労働をさせていた。
しかし、それが普遍化すると、この現状はあまりにもひどい、彼らも人の形をしている限り、ヨーロッパ人と同じではなかろうか、という良心のセルフ・コントロールが効いて来て、奴隷解放の機運が高まり、世の中は次第しだいに良い方向に向かってきたのである。
ことほど左様に、ヨーロッパ人の帝国主義的植民地支配も、第2次世界大戦後は先進国が後進国を搾取する目的で植民地を経営することに良心のセルフ・コントロールが効くようになってきたのである。
昔は「良いとか悪い」という価値観の枠の外に在ったものが、時代が推移して来ると「悪しき事」という価値観が生じて、是正する方向になってきたが、昔の価値観を今の価値観で推し量ることは無意味だと思う。
ましてや昔の価値観を今の価値観と同列に論じるなどということは論外である。
問題は、ここで19世紀以前の時代において西洋列強が世界に植民地を獲得しに出掛けた時、植民地の対象となった側にどれだけ低抗する気概があったかどうかということである。
この台湾でもポルトガルの植民地支配を跳ね返しているわけで、その意味でタイランドも、朝鮮も、日本もヨーロッパ人の植民地支配という願望を跳ね返した実績がある。
ヨーロッパ人が一旦植民地を獲得すれば、それは完全に富の収奪に徹するのみで、如何に効率よく植民地から富を吸い上げるかであって、それはアメリカの奴隷の使い方と酷似している。
彼らヨーロッパ人の視点からすれば、アジアの有色人種は猿よりはましな家畜並みの認識しかなかったわけで、そういう認識であればこそアメリカの黒人奴隷であり、メキシコの征服であり、アジアにおける植民地支配であったのである。
戦後の日本の知識階層が、台湾や朝鮮で日本が西洋式の植民地経営を行った、という論議を展開する事はあまりにも事実を知らな過ぎると思う。
事実を知らないというよりも、先に思い込みがあって、その思い込みに合わない情報は、受け入れないという構図だと考える。
この構図は我々、日本人の固有の潜在意識であって、我々の先輩が先の戦争に嵌り込んで行った構図もこれと同じであって、先に「鬼畜米英何するものぞ」、という思い込みがあって、その思い込みに合わせて政治、軍事、外交が振り回された結果だと思えてならない。
日本が台湾を実質支配したのは1895年明治28年からであって、日清戦争の結果として清から割譲を受けたわけで、日本と台湾が戦争して占領して日本領にしたわけではない。
この状況は台湾の人々の立場からすれば極めて微妙な雰囲気であろうとは思う。
自分たちの国籍がある日突然変わってしまうわけで、本人にとってみれば極めて不合理であろうとも、世間にはよくあることで、ヨーロッパでは戦争の度ごとに国境線があっちに行ったりこっちに行ったりするわけで、その度ごとに国籍がころころ変わっていたにちがいない。
日本にとっては領土を獲得するという事は極めて有難いことで、その新しい領土を日本の将来の為に無限の可能性を秘めた新天地にしよう、という意欲ががぜん沸騰したに違ない。
グローバルな帝国主義的世界観の仲間入りをした新参者の立場としては、将来の夢と希望に燃えて、台湾という土地を見据えていたに違ない。
ただ我々はグローバルな帝国主義者としては極めて新参者であったが故に、帝国主義というものが老獪な富の搾取を目指したものだ、という事に気がつかなかったわけで、新しい支配地から富を略奪するという発想は微塵もなかった。
新しい支配地を一刻も早く我々の祖国と同じ文化レベルにまで引き上げよう、そのことによって日本民族の優秀性を世界に知らしめよう、という素朴な思い込み、独善的な善意の思考のみが先行していた。
西洋人のように、支配者と被支配者という構図を否定して、あくまでも同胞として差別を拒否し、階層の段差を否定してきたのである。
しかし、これは日本が敗戦に至るまでのことで、日本の敗戦後の台湾の生き様というのは実に悲惨なものであったようだ。
ここで問題となって来ることが、中国人の生き様であり、有り様であり、中国人・漢人の思考回路そのものである。
私が不思議の思う事は、日本の敗戦で日本人はその時点で全ての業務を中華民国に引き継ぐことになっていたが、その時に日本人の元で業務をしていた台湾の人たちは何故に何も知らない中国の官吏にそのまま引き継がせたのかということである。
日本人の元で仕事をして、業務に精通していれば、何も知らない中華民国側の官吏をのさばらせず、押さえつけて彼らをコントロールし得たのではなかろうか。
後になって台湾の人々は、「犬が去って豚が来た」と自嘲しているというが、犬が去った時点で自主独立を考えなかったから、豚に支配され続けたということになるではないか。
ここで大きな問題にぶち当たるわけで、つまり中国人というのは一体何なんだということだ。
1949年、昭和24年に新生中国、中華人民共和国の誕生でもって台湾に逃げて来た蒋介石と彼の国民党というのは一体何なのであろう。
国民党というのは、日本が治めていた台湾にやって来るや否や、馬脚を現したわけで、その馬脚こそが蒋介石と彼の国民党そのものであって、それが中国人、漢民族の本質であったわけだ。
台湾の人々は約50年間日本の支配下で法治、法の元での平等が維持され、公平に生きるという感覚を身に付けたに違いないと思うが、そこに漢民族の人治の手法で以て、賄賂、袖の下、リベートというように、法治からはみ出したルールが出回れば、さぞかし困惑したに違いない。
それは民主主義の芽生えでもあり、自覚でもあったわけで、日本の統治というのは、いささかでも民主的に近づこうという趣旨であったにもかかわらず、台湾の民情はすぐにでも実現可能というわけではなかった。
それが為、蒋介石の国民党が治めるようになると、その民主的手法が彼らにとっては極めて恐ろしい現象に映ったわけで、目に見える形での抑圧ということになった。
それが2・28事件であろうと思うが、何処の国でも、何処の政府でも、失敗というものはあるわけで、汚点の一つや二つはあって当たり前だと思う。
それにつけても、我々の世代の者にとって、蒋介石の国民党政府軍、毛沢東の赤軍、軍閥としての張作霖という言葉は既に耳に馴染んでしまって、いささかも違和感を覚えないが、これは考えてみると実に妙なことではなかろうか。
蒋介石の国民党というのは理解できる。
しかし、国民党の軍となると理解の枠をはみ出してしまう。
毛沢東についても同様で、共産党の軍となるともう理解できなくなる。
軍隊というのは主権国家の軍であって始めて国軍という位置付けが可能なのではなかろうか。
国民党の軍隊・政府軍、中国共産党の軍隊・赤軍というのは、本来、不自然な存在なのではなかろうか。
我々の身近な例に置き換えれば、自由民主党の軍、日本社会党の軍隊、日本共産党の軍隊というものが想像できるであろうか。
ただただ党の用心棒が極度に肥大化しただけのことで、本来は軍隊などと言うべきものではなかったのかもしれない。
それにつけても中国の有り体というのは、我々日本民族にとって、昔も今も実に厄介な存在である。
中国という国があまりにも広大過ぎて、彼ら自身で収拾がつかず、アジア大陸の内部では常にマグマが煮えたぎっているようなもので、台湾の戦後の政治状況というのも、アジアの躍動のとばっちりを被ったようなものである。
我々、日本からアジアを見ると、どうしても視線は大陸に向いてしまう。
戦後の復興に際しても、復興の矛先はアジア大陸の中国に向けざるを得ず、台湾の切り捨てということになったのであろう。
日本が経済復興をなし、これから先、右肩上がりの経済成長を維持するためには、中国と手を握らねばならないというわけで、台湾の切り捨ていう事態を招いたと思う。
1972年、昭和47年の時点で、当時の田中角栄は台湾を切り捨て中国と手を結んだわけで、この決断は誰が見ても仁義を欠いた決断だと思う。
しかし、これも視点を変えれば納得せざるを得ない部分がある。
というのは、我々は蒋介石には大きな煮え湯を飲まされているわけで、過去に対戦国として敵という面を合わせても、我々の築き上げた台湾統治の実績をことごとく否定したわけで、蒋介石に対する恨みはそう安易に消えるものではない。
しかし、我々は中共、中国共産党とは正面から戦いをしたわけではない。
その意味からしても、中国共産党には恨みは存在せず、あの広大な中国を曲がりなりにも統一支配しているという実績は、魅力ある存在なわけで、烏合の衆の寄せ集め的な蒋介石とは袂を分かってもいた仕方ないという心理も大いにあったに違いない。
蒋介石の国民党政府の腐敗の蔓延というのは救いようがないわけで、そういう意味からすれば、まだ中国共産党の支配する方に魅力があったという事であろう。
田中角栄は学が無いだけに利に聡いわけで、利害得失のそろばん勘定に長けているので、経済のフィールドの広さという点からも、台湾よりも中国大陸を採ったに違いない。
しかし、日本人の台湾及び朝鮮の支配というのは、人類史上もっともっと褒め称えられてしかるべきだと思う。
西洋列強の植民地支配とは完全に次元が違う形態であったわけで、それこそ人類愛に満ちた慈愛の統治であったに違いなく、そのことは国際連合などでもっともっと認識されてもいいと思う。
台湾と朝鮮では日本対する評価が真逆になっているが、これは日本の問題ではなく、台湾人と朝鮮人の本質に根ざす問題であって、人類の良心がその裁定を下すべきことだと思う。
人が援助を差し延べても、それを有難く感じる人と、いらぬお節介と感じる人がいるわけで、こういう人にはどうにも対応のしようがないので自然に怒りの収まるのを待つ以外に方法が無い。
ただ同じようにアジアに住む人間の共通の認識として、文化・文明に関して、その源は中国で、それが朝鮮を経由して日本に伝わったという事実は皆が周知している。
この事実から中国人が威張り、朝鮮人が兄貴風を吹かせ、一番下の日本は彼らの言い分を真摯に受け入れよ、という思考は21世紀の今日許されるものではない。
しかし、彼らにも政治的な立場というものがあり、彼らの国内で民衆の不満が時の為政者に向かいかけた時、その矛先を日本に向ければ、暫くの間、時間稼ぎが出来るという背景はある。
その時に我々が先方のそういうアクションに過剰に反応してしまうと、国益を損なう事にもなるので、そこで注意が肝要である。
ところが今の社会というのはメデイアの存在なしではありえないわけで、中国や韓国が政治の安全弁として日本パッシングをカードとして使うという事は充分に在りうる。
その事実は明らかにメデイアが驕り高ぶり、世論を誘導している構図であって、それに踊らされてはならない。
よって我々はメデイアの立ち居振る舞いには充分に注意を払うべきで、メデイアに流すべき情報と、流してはならない情報というものを厳密に峻別すべきである。
メデイアというのは往々にして「権力を監視する」などと驕った態度をとっているが、その確たる証拠が情報開示を叫ぶ一方でプライバシーの保護を言い募っている。
こういう二枚舌が通用するわけもなく、この二つが両立するわけがないではないか。
それはあくまでもメデイアの詭弁でしかない。