ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「文革」

2007-02-14 08:00:29 | Weblog
これも図書館の本だが「文革」という本を読んだ。
文革そのものを書き記したものであるが、この著者は先にデビューしたユン・チャン女史の「ワイルド・スワン」を批判している点に共感した。
同じ世代で、同じように文革を経験しているが、その視点に大きな相違がある。
この本の著者は、「ワイルド・スワン」を読んだことでこの本を書く気になったという点は容認できるし、「ワイルド・スワン」に大いに共感を覚えたという点も素直な感情だと思う。
にもかかわらず「ワイルド・スワン」に対して不満を募らせている点は、ユン・チャン女史が自分の身を安全な場所において、文化大革命とその頂点にいた毛沢東を「悪」と断罪している点である。
その点に関しては私も「ワイルド・スワン」を読んだ時点でそれと同じ感想を持った。
文化大革命そのものについては双方ともほぼ同じような体験をしているわけで、その苦難の日々はそうたいして変わるものではない。
問題は、それに対する視点の相違である。
ユン・チャンは、高みの望楼から文化大革命というものを俯瞰して捉えているのに対して、この本の著者は、文化大革命を行った人々、つまり加害者側にも一定の同情を寄せているわけで、なぜ彼らが加害者になったのかという点を推し量ろうとしている。
文革、プロレタリア文化大革命に対する私自身の疑問は既に記述しているが、文化大革命を推し進めた側の心理を忖度すると、私の推察では、あれは無学で教養のない人々のコンプレックスの裏返しの行為ではなかったかと思う。
20世紀後半の中国大陸の歴史をいろいろ読んでみると、共産主義者のいう階級闘争という意味が最初は理解しきれなかったが、最近はほんのりと分かりかけてきた。
中国の都市と農村というのは、われわれが自分の国の中で認識している都会と田舎という概念が通用していないようだ。
「文革よって下放された」という文言を読んだとき不思議でならなかった。
農村に行かされることが懲罰になるなどということが理解できなかった。
それは自分の身の回りの、つまり日本の既成事実からのイメージで農村と都市というものを見ているからであって、中国の都市と農村というのは、われわれの想像を絶するような格差がある、ということに最近になってようやく気がつくようになった。
これらの本を読んでみると、都市から50kmも離れると、そこはもう原始時代の状態だということらしい。
そこで働いている人たちというのは、まさしく原始人と紙一重で、文明とは程遠い位置で生きているということのようだ。
だからこそ都会の知識人をそういう場に送り込めば、十分に懲罰の意味が成り立つわけで、送られたほうも一刻も早く元の場所、つまり都会に帰りたいという望郷の念に陥るのである。
しかし、今まであらゆる組織の要職にあったものを、誰がどういう手続きで、こういう僻地に下放と称して送り出したのであろう。
それは毛沢東を神と崇める無頼の輩が、毛沢東の権威を笠にきてやったわけで、それを不合理として止められなかったのは、いったいどういうことなのであろう。
文化大革命の中で毛沢東か神と崇められて、共産主義というものが毛神教のような宗教に変わってしまい、人々は全部その神に帰依してしまったということは想像できる。
そのことによって本来の人間としての理性も知性もそこで思考停止に陥ってしまった、ということだと思う。
共産主義革命というものが毛神教に摩り替わったということは、誰かがそれを策動したわけで、それをしたのが例の4人組というものであった。
この社会的なパターンは、われわれもかって同じようなパターンを経験しているわけで、あの戦争中の軍国主義というのは、この文革のパターンと瓜二つではないか。
われわれの場合でも、軍国主義の渦の中で、人間としての理性も知性も麻痺してしまって、愚にもつかない国策とか作戦でわれわれが奈落の底に転がり落ちた構図と全く同じではないか。
いずれもありもしない現人神というのを押し立てて、それに帰依しない人間を抑圧したという意味では、同じ軌跡を踏んでいるではないか。
此処でこの本の著者が文革の加害者側にも同情を寄せている部分を勘案すると、彼らもその時の時代の状況に身を任せた、いわゆるわれわれ日本人もかっては軍国主義に帰依して、我もわれも戦地の赴いたのと同じだというわけだ。
ただわれわれの場合、打倒すべき敵は同胞ではなく、鬼畜米英という外部の人間に向かったが、彼らの場合、それが中国人の同胞に向かったわけである。
その中で、無知蒙昧な下級者が、いわゆる自分たちの上にいる知識人や上級者に矛先を向けた理由として、この著者は、人を貶めて優越感に浸る快感を味わいたい、という欲求の発露ではないかと推察している点は少々疑問に思うが、案外そういうものがあったかもしれない。
人を貶めて自分が快感に思うということは、普通に倫理感のある人ならば最も忌み嫌うべきことで、それは口にすることさえ憚られることである。
ところが、それは同時に誰しも心の奥底に持っているひそかな秘密で、人前には決して晒せないひそかな悪魔、欲望、ないしは欲求ということもあながち無視できない事実だと思う。
毛沢東の個人崇拝が、毛神教として昇華したとき、それに便乗して、そういう人間のひそかな邪心、人の前ではおおぴらには言えない、ひそかな欲求の発露として残酷な仕打ちがまかり通ったのではないかと思う。
それは俗な言葉で言えば、「水に落ちた犬をなお叩く」という言葉で言い表せると思う。
この心境は、人前では理性や知性が邪魔して公言できないが、人々の心の奥底にはひそかにある快感ではないかと思う。
江青女史をはじめとする4人組というのは、毛沢東の威光を笠にして、つまり毛神教を盾にして、心の卑しい人間の深層心理を突いて、それによって自分より能力のある人間を陥れ、権勢をほしいままにしようとしたわけである。
ここに垣間見えるのは、国民不在の権力闘争のみである。
先にも述べたように、中国の現状というのは都市から50kmも離れればもうそこは原始の世界なわけで、そこで麦畑を耕している人たちというのは、中国首脳や党の高級幹部の目から見れば人の形をしていても生きた人間などには見えていなかったに違いない。
「水に落ちた犬をたたく」という心境は、毛沢東の姿勢にもはっきりと現れているわけで、先に読んだ本の中の劉少奇に対する仕打ちというのは、まさしくその言葉が見事に当てはまる。
自分に諫言する人間を面白く思わないというのは、独裁者にはよくある心理として、ある程度は理解できるが、それにしても失脚させるだけで飽き足らず、命まで取るというのはあまりにも人として不合理極まりない話だ。
その現実を見せ付けられれば、その後に続くものは、誰一人その過ちを正そうとするものが現れないのは火を見るよりも明らかなわけで、結局そのとおりに推移して、毛沢東が死ぬまで彼の過ちは是正されることがなかった。
これが「裸の王様」というものである。
結局それで損をしたのは誰かと言えば、中国の10億の民でしかない。
そういう状況下で、共産主義の根源的な宿命は、常に秩序の破壊を繰り返していなければ、回転している独楽が倒れてしまうように、革命にならないわけで、安定した平穏な状態というのは、真の共産主義とは別の主義でなければならないことになる。
だとすると、それはいわゆる修正主義でなければならない。
文革では、この修正主義も標的になっていたわけで、結局のところ文革の渦中においては、完全なる無政府状態であったわけである。
無政府状態ならばこそ、無教養な下層階級が上級者を心置きなく糾弾できたわけで、そしてそれが時の大儀であり雰囲気であったわけで、自分がやらなければ自分がやられるわけである。
上級者や知識人を糾弾するのに、何も理由などいらなかったわけで、ただただ先に大きい声を上げた方が勝ちというわけである。
今日本で問題になっているいじめの問題と同じで、先に「いじめられた!!」と大声で叫んだ方に整合性が出来てしまうのと同じなわけである。
先に「いじめられた!!」と大声で叫ぶと、周りは「いじめたのは誰だ!!」と犯人探しになるが、その時の犯人は誰でもいいわけで、「あいつだ!!」と先に言えば、真偽のほどには関係なく、その人は不運にも犯人にされてしまうわけである。
これが無教養、無学な連中によると、もう言葉でのやり取りは不毛の議論となり、「風が吹くと桶やが儲かる」式に、真実も真理もあったものではない。
無教養で無学な連中がそういう行為に走るというのは、ある意味でコンプレックスの裏返しの真理だと思う。
共産主義革命というのは階級闘争で、階級の撲滅ということが盛んにいわれているが、出来上がった社会主義体制というのは、とんでもない階級社会なわけで、共産党員と非党員ではとんでもなく格差社会であったわけである。
そして都市と農村でも大きな格差があったわけで、文革で加害者の立場になったものは、すべてその格差の鬱憤晴らしという意味があったに違いない。
この本では国共内戦の場面も描写されているが、それを見る限り、中国の統治者というのは自分たちの同胞を同胞とも思っていないようだ。
国民党は国民党で、自分たちの同胞というのは都市に住む行政システムの要員だけで、他の人間は人間の内に入れていないし、共産党は共産党で、自分たちの同胞というのは党員だけで、他の人間はそれこそ虫けら同様とでも思い違いしている。
労働者とか農民のことなど爪の垢ほども考えていない。
そして統計というものが全く信用ならないわけで、あの大躍進の時代の誇大報告というのは一体何であったのかと言いたい。
あの戦争中の日本の大本営発表も、嘘の報告、虚偽そのもの報告であったが、それと全く同じことがここでも繰り返されているわけで、われわれも中国人もすることは全く同じということだ。
しかし、われわれの場合、水に落ちた犬を叩くまではしないはずである。
水に落とすまではしても、それ以上に残酷な仕打ちは、やはり良心が咎めて仕切れないと思う。
中国も、われわれ同様儒教の国のはずなのに、何故に年端もいかない若者が組織の要職にある人にそうそう暴力が振るえるのか不思議でならない。
それをカモフラージュするために孔子批判ということはあったが、共産主義そのものが旧秩序の破壊ということを前面に掲げていれば、そんなものがあったところで社会の秩序が保たれるわけがない。
われわれの軍国主義も外圧(敗戦)で始めて終焉したが、中国の毛沢東教も、彼の死でしか終焉させることが出来なった点は今後の研究課題だと思う。
それと同時になぜ途中で止められなかったかという疑問にも答えを探すべきだと思う。