ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「官庁大改造」

2009-09-29 07:34:56 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「官庁大改造」という本を読んだ。
著者は大原一三。
自由民主党の行政改革の旗振り役を演じた人で、話が非常にわかりやすい。
前に読んだ塩田潮の本は、滅多矢鱈と官職・氏名の羅列であったが、そんなことは普通の人には関係のない話だと思う。
官僚、官庁を語るときは、その職の内容を重視すべきであって、人がどこの大学を出てどこに入省したかという話は実に瑣末なことだと思う。
問題は、どの官庁がどういう仕事をするかということが最大の関心事なわけで、その中で働く人にしてみれば、必然的に自分の属する組織が大きくなることを望んでいる。
アメーバーの自己増殖のようなもので、外へ外へと拡大することを無意識のうちに望んでいるわけで、問題は、この無意識の部分が最大の難点なわけである。
昨今、話題になっている事に、JR福知山線の脱線事故に関連して、調査委員会の資料が、JR西日本に漏洩していたということが判明したが、ここで問題にすべきことは、調査委員会のメンバーも、JR西日本のメンバーも、右も左も解らない無学文盲の不逞の輩などではないということである。
浮浪者や、ニートや、ホームレスのような人間ではなく、きちんとした大学を出て、JRになる前の国鉄の中で、それなりに職務を全うとしたであろう人たちなのである。
つまり、押しも押されもせぬ立派な社会人であるべき人たちなのである。
調査委員会の内容を事前に察知して、その内容を修正する機会を狙う事がどこまで法に抵触するかは私にはわからないが、法に触れるか触れないかの問題ではなく、委員会の結論を一刻も早く察知したい、という願望をどうして抑えきれなかったかということである。
この件に関しては、官僚とか官庁の話ではないが、JRの幹部ともなれば実質、官僚に極めて近い存在だ。
日本の官僚が縦割り行政の中で、それぞれがタコつぼに潜むタコのようになってしまうのには、それを受容、受認する何かがあるものと推察する。
明治維新を成した日本は、江戸時代の封建主義を捨てたとはいえ、日本全体は極めて貧しかったと思う。
江戸時代に商人は貨幣経済に乗って多少は豊だったに違いなかろうが、国民の大部分を占める農家は、商人のように日銭を持っていなかったので、それこそ水飲み百姓の言葉そのままだったと思う。
そういう状況下で、幕府が潰れ、藩がなくなり、日本全体が一つの国家になってみると、国家には何をするにも人材が足らなかった。
昔の藩の武士階級から多少の人材は確保できたが、絶対数は明らかに不足していた。
その不足分を早急に補てんしなければならなかったので、国家としては新しく採用した官吏を極めて優遇した。
優秀な人材を集めて早急に国家の基幹要員に仕立て上げるには、高い俸給によって、つまり高級というあまい餌を振りまいて、人材を寄せ集めなければならなかった。
その下心は、当然のこと、優遇すれば優秀な人材が確保出来ると思ったからに違いないが、問題は何を以って優秀かと定義することであった。
有象無象の大衆、玉石混交の人の中から優秀なものを選抜するとなれば、一応の目安としてはぺーパーチェックしか方法がないわけで、官吏の優遇さに惹かれて、有象無象の大衆が門前に列をなしたであろうことは容易に想像できる。
人の品位を測るときに、誘蛾灯に集まる虫のように、有利な待遇に集まる人士というものが、倫理的に優れた人間といえるであろうか。
戦後の復興の中で、高度経済成長華やかりし頃、大学の工学部を出たような人まで金融機関の高額なサラリーに惹かれて、金融関係の企業に集まったのも、誘蛾灯に集まる虫のようなものであった。
明治維新から平成の世に至るまでに、官僚の道にも大きな波小さな波が繰り返しかぶさってきて、その度毎に民間が良かったり、官僚が日の目を見たりと、様々な変遷があったことは歴史が証明している。
日本が戦争に負けるまでは軍人も官僚であったわけで、同じ官僚の中でも軍人だけが特別に威張っていた。
人が人に対して威張るということ自体、すでに人としての価値が無いに等しいわけであって、人としての中身が空虚なものだから、他人に対してから威張りするわけで、その部分に誘蛾灯に集まる虫程度の人間でしかないということの表れである。
私の推測では、官僚を目指す若い人、国家公務員上級職をめざすような人でも、最初の選択動機はおそらく国家国民のため、という崇高な目的意識を持っていたものと思う。
しかし、大学出たての若い人が、何処の省庁に入省しようとも、最初は自分一人では何もできないわけで、先輩の後を追いまわす程度のことしかできないと思う。
そういう期間が10年20年と経ってみると、完全にミイラ取りがミイラになってしまっているわけで、ここが官僚や官庁の最大の問題だと考える。
戦前・戦中の軍人の戦争の仕方、帝国軍人の戦争に対する認識を見ても、彼等、戦争のプロとしての戦争屋に真の近代戦争、真の現代戦争、国家総力戦の真意・本質が全く解っておらず、理解されていなかったし、理解しようとも思っていなかったではないか。
これは官僚が官僚の為に仕事をつくり、その作ったものを官僚の為にこなすことによって、さも大きな仕事をしたような気になっているだけにことで、彼等の目から見て日本国民というものの存在が抜け落ちていたということである。
戦前・戦中の軍人が戦後は一人もいないようになったが、そのあいた部分を国家公務員というものが埋め合わせている。
しかし、彼等も、戦前の軍人が戦争を知らなったと同様に、戦後の国家公務員というのも、自ら何をなすべきかということを知らないまま録を食んでいるのである。
この本の著者は、自民党の行政改革案を推し進める立場なので、外務省の在り体を非常に厳しく糾弾しているが、まさしく外務省などというのは自分のすべきことが解っていない。
戦前の軍人が近代戦の本質を知らずに戦争をしていたのと同様、国益の何たるかを知らない外務省が、主権と主権が熾烈に接し合う外交の場で、日本国の利益を司っている。
ただただ今までのことを引き続き、無批判のまま、惰性で繰り返すしか能がないわけであって、自分が今外務省の人間として何をなすべきかということが解っていない。
それは戦前・戦中・戦後を通じて一環としてそうであるが、その現状を内部から改めようという機運は一向に出てこない。
このことこそが官僚の最大の問題点の筈である。
如何なる省庁・官庁といえども、時の経過とともにその使命も、役割も、存立の意義も変化するわけであって、その変化に対応する変革は、内部から出て当然ではなかろうか。
そして、こういう官僚はいつの時代においても狭き関門をクリア―して、知的にはある程度以上に優れた人士が集まっている組織なわけで、だったら時代の変化に対応する変革は、自らの内側から出ても何ら不思議ではない。
むしろ、それでこそ正常な常識人の集合ということになる。
前迩した福知山線事故の事故調査委員会の漏えい事件でも、そこに関連している人たちは、組織の下っ端の人々ではないわけで、組織のトップにいる人が、こういうモラルに欠けた行為をするということに関し、彼等の倫理観、あるいは彼等の備えている学識経験というものをどういうふうに考えたらいいのであろう。
どんな組織でも、トップとボトムでは収入にも大きな差があるわけで、当然、上に行くほど収入も多くなるのだから、組織内の人々は、皆が皆、上昇思考になる。
大きな収入が魅力だから上昇思考になるということは、もともとの心根が浅ましいということではなかろうか。
人が富に群がるのは人間としての本質的なことであって、それは卑下すべきことではないという考え方は、整合性があるかにみえるが、それを打ち消す思考が、人が他の動物とは違う存在ということではなかろうか。
人が自然のままの自然の存在であるとするならば、誘蛾灯に集まる虫のようなものであったとしても、何ら不思議ではない筈である。
人の自然の行為を人為的にあるいは自己の欲望に打ち勝とうとする思考こそ、人が人たらしめる価値観を身に付けるべく教育ということを学ぶのではなかろうか。
人が教育を受けるということは、人が本来持っている自然の欲望を如何にコントロールするかを学ぶのであって、金を得るための手段ではなかったはずである。
将来の高収入を期待して学歴に群がり、その学歴を武器として上昇思考で組織の階段を駆け上がるというのであれば、その向学心は極めて卑しくて、下賤で、の思考でしかない。
明治維新の初期の頃の日本ならば、確かに人材不足であったろうけれども、21世紀の今日において、組織のトップともなれば社会的地位も立派に確立した人であるべきで、そういう人がモラルを欠いちゃ話にならない。
ところが、こういう立場の人はモラルというものを端から感じていないのではないかと思う。
官僚の天下りの件でも、天下りするほどの立場の官僚ならば、天下りが世の常識にかなった行為かどうかは自ずからわかっているに違いない。
しかし、判っていたとしても、自らが楽して金を得たいという人間としての根源的な欲望にかられて、その欲望を断ち切れずに、恥も外聞もかなぐり捨てて天下るということは、実にミミッチク、浅はかで、下賤で、卑しい行為であるが、本人はそういう認識を欠いているに違いない。
組織のトップともなると、下に大勢の部下が出来るわけで、その部下の一人一人も皆が皆、ヒラメのような上昇思考で上ばかり見ているに違いない。
組織全体が皆上昇思考で、自分の収入の上がることばかりを夢見ているとすれば、上に対して言うべきことを言わなくなることは当然の成り行きだ。
こうなると組織のトップは完全に「裸の王様」になってしまうわけで、人としての倫理観も、美意識も、知性も理性も失って、ただただ自分の収入の多寡だけに一喜一憂する下賤な人間になる。
モラルを欠いた人間ということであれば、卑しい心とか、下賤とか、という認識そのものが最初から存在していないのかもしれない。
こういう人間を心ある人が敬うであろうか。
良い人だ、立派な人だ、理解のある人だ、見識の高い人だと、いくら周囲の人から言われたとしても、そういう評価で本人が贅沢な生活が出来るわけではない。
贅沢な生活を欲するならば、いくら人から嫌みを言われ、世間から冷たい目で見られようとも、恥も外聞もかなぐり捨てて、ゴマ擦りに徹し切って、官僚というぬるま湯から出ないことであって、官僚でいれる間は休まず、働かず、遅刻せずで過ごさなければならない。
しかし、こんな生活態度は分別のある人間ならば出来ないし、こんな卑しい生活、あるいは生き様というものを正常な神経の者ならば望むわけがない。

「警視庁捜査一課殺人班」

2009-09-27 21:24:39 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「警視庁捜査一課殺人班」という本を読んだ。
警視庁の捜査一課を内側から見たドキュメンタリーであったが、下手な推理小説よりは面白く、一気に読み通してしまった。
警察の捜査も昔のように「オイ・コラー」というわけにもいかないようになって大変だろうと思う。
私の個人的な警察に対する心象としては、警察はあまりにも多くの事件を抱え込み過ぎていると思う。
前にも述べたが、航空機事故や鉄道事故にまで警察がしゃしゃり出てくることが不思議でならない。
昨今は社会そのものが複雑になっているので、飛行機が落ちたり、列車が転覆したりするたびに、そこに人為的な瑕疵があるかどうかを詮索するという意味で、こういう大事故の際に警察が出てくるというのもわからないではない。
当然、そういう捜査にはそれ専門の部署が当たっているのであろうが、何でもかんでも警察が顔を出すというのも腑に落ちない思いがする。
そして、昨今では、人権の関わり合いも随分いびつな形になっていると思う。
それは今時の弁護士の活躍に見れるわけで、弁護士が罪を犯したかもしれない人間に対して、あまりにも同情的でありすぎると思う。
悪い奴を証拠が不十分だからと言って無罪放免に持っていく職業そのものを私は容認することが出来ない。
確かに、警察の取り締まりに行きすぎた部分があるかもしれないが、そのことと「証拠が不十分だから無罪だ」という論理の間には大きな乖離があると思う。
悪いことをしたという思いを持っているから、被疑者は嘘を言い、自らの保身を図るわけで、悪いことをした覚えがなければ、取り締まりの不備を突く前に、自分のしたことを綺麗に白状すれば、取り締まりの行きすぎということもおこらなかったはずである。
弁護士という職業の人は、容疑者の嘘は嘘と認めず丸飲みして、取り締まる側の些細な行きすぎには神経を尖らせているわけで、いわば野獣を野に放すことに手を貸している図でしかない。
世の中には冤罪事件というのも沢山あるが、これも実に不思議な話で、自分でしていないことを「した」と言ったから冤罪になっているわけで、最初に何故「した」と言ったのかという問題に尽きる。
一人の人間が警察に捕まって、刑事の厳しい取り締まりを受ける。
この段階から刑が確定するまでには、何段階もの審理、審議を経て刑が確定するわけで、その間に当然弁護士というのも付いたうえで刑が確定したにも関わらず、後になって「あれは冤罪であった」などということが不思議でならない。
ここで問題になることが、「警察が自白を強要した」という風にメデイアが報道することで、警察が悪人に仕立てられてしまうことである。
警察という組織も大勢の人で成り立っているので、皆が皆、善人というわけではなかろうということは十分察することが出来る。
しかし、自分がしてもいないことを「した」と言って、刑を終えて出てきてから「あれはしていない」と言ったところでそれは自業自得というものではなかろうか。
警察も万能ではないので、ミスが重なることも往々にしてあろうかとは思うが、それをチェックする機関が検察であり、裁判であるわけで、こういう何重にもわたるチェックを経て刑が確定しているのではないのか。
それを最初の段階で「警察が自白を強要したので嘘を言いました」ということを裁判の期間を通じて一度も言わずにおいて、刑を終えてから言ったところで、それを信用する方が非常識なのではなかろうか。
こういう方面に詳しいわけではないが、警察に捕まった人が弁護士を雇う資力のない場合、国選弁護士が付くといわれているが、この世に冤罪事件が多発するということは、警察の問題よりも弁護士の職務怠慢であり、裁判所のミスを突くべき事柄ではなかろうか。
警察としては、自分達でつかまえた容疑者を真犯人と思いたいのは当然のことで、その部分をきちんと洗い直して、本当に警察の言うことが正しいかどうかを精査するのが検察であり、裁判官ではないのか。
弁護士としては、金持ちの弁護ならば多額の報酬が期待出来るが、国選弁護士として貧乏人の弁護をしたところで報酬は期待できないわけで、当然その弁護もおざなりになるということではなかろうか。
気の弱いこそ泥が警察に捕まって、取調室で屈強な刑事から大声で怒鳴られて、してもいなことを「した」と言ったとしても、それをその段階で暴くのが弁護士の仕事なのではなかろうか。
弁護士ならば裁判の過程で、刑が確定するまでにいくらでも被疑者と接見することが出来るわけで、当然、この過程で強要された自白ならば察知できるはずである。
刑が確定するまでには、何度も裁判という弁解の機会があるわけで、にも関わらず冤罪だったなどということはありうるであろうか。
そういう幾重にもわたる喚問、裁判を経て、思いつきで裁判官が刑を科すわけではないので、その過程の中で一度も「強要された自白」ということを弁解することなく、刑を終えるなどということは信じられない。
そういう事実があったとすれば、日本の裁判というのはまともに機能していないということではないか。
この世に生を受けている人間というのは、全部が全部善人ではないわけで、無意識のうちに人のもの掠め取ったり、嘘を言ったり、暴力にセーブのきかない人間も大勢いるわけで、昨今の人権意識というのは、そういう人も「全て善人とみなせ」と言っているわけで、こんなバカな話もないと思う。
それとは逆に、そういう綺麗事を言って、糊口を凌ぐという生き方も存在するわけであって、そのもっとも顕著な例が弁護士という職業であり、メデイアに携わっている人々である。
基本的に、警察が立派な組織で、警察官の仕事が称賛されるような社会であるとするならば、その社会は人間の堕落の結果と見なすべきであって、この世の人々が本当に善人ばかりならば、警察の施設は掘っ立て小屋であってしかるべきだ。
警察の施設とその人要が立派ということは、この世に悪人が如何に多いか、ということでもあるわけで、この世に生きている人間の何%かは確実に生まれつき盗癖というものを持って生れている。
だからこそ、人が作る社会では、それを取り締まる機関というのは必然的なものとなっている。
私がこういう社会問題に直面してつらつら思うことは、教育というものが犯罪抑止にいささかも貢献していないという現実である。
人が生まれた落ちたときに既に兼ね備えている盗癖とか嘘をつく癖というものは、それが持って生れた本質であるが故に、教育ではいささかも改善できないという現実である。
警察官の犯罪とか、教育者の犯す犯罪というのは、教育が人倫の向上にはいささかも効果を発揮していない、というれっきとした証明である。
この現実を掘り下げて考えて見ると、警察官や学校の先生は、その人の受けた教育や倫理的に優れているからそういう職業に就いたのではなく、もともと犯罪を犯す要因を秘めた人が、警察官や先生になったという論法になる。
如何に貧乏人であっても、明日食うコメに事欠いても、人のものを掠めることをしない人もいれば、贅沢三昧で、ものがあり余った生活をしていても、それでもなおより多く得たいと思って、人のものを掠め取る人もいるわけで、犯罪は教育のあるなしにかかわりなく世間に蔓延している。
社会がこれだけ複雑に進化すると、取り締まる側もそれに応じて進化するのは当然で、その中にNシステムと称する自動車の動きを監視するシステムと、携帯電話の発信を監視するシステムについてほんの少し概略が語られているが、こういうものは国民に対して秘密であって始めて機能を発揮させることが可能なわけで、それをあからさまにしてしまえばその威力を削いでしまうことになる。
メデイアはそれに対して「国民の知る権利」を振りかざして、それを暴こうとしがちであるいが、こういう場面で国民の良識が真に問われると思う。
こういう場面でも教育の効果というものが表面に出て、国民の福祉のためには公にできないものの存在を素直に容認するという事も大事なことだと思う。
先に述べた冤罪の件でも、人々の捉え方は「警察の横暴」というニュアンスで通っていると思うが、私に言わしめれば、その大部分は本人の責任であるし、その本人を弁護したであろう弁護士の責任に帰すると思う。
大の大人が、自分でしてもいないことを「した」と言って刑に服すこと自体が不可解千万である。
私自身は刑事もののテレビドラマが好きでよく見ているが、好きだからといってよくテレビを見ていると、こういうテレビドラマもある意味ではおおいなる行きすぎの部分が目につく。
定年後は暇になったからより多く見る機会が増えたが、NHKの刑事コロンボなどは大いにお気に入りの番組である。
しかし昼下がりの民間放送のテレビ番組はあまりにも人殺しの場面が多すぎると思う。
毎日毎日テレビ番組の中で何人の人が殺されているのであろう。
テレビ番組なので、殺人のリアルな場面はないが、その後の描写は数限りなく登場するわけで、その犯人を割り出すという部分が物語の大筋であるが、テレビの中の物語としても、あまりにも頻度が多すぎると思う。
こういう部分に日本人のトータルとしての教養が滲み出ているように思う。
つまり、テレビ局の側の人間に、あまりにも教養がなさすぎるということの表れであって、こういうものでしか放送時間の枠を埋めれないということである。
その意味からすると、こういう推理ドラマなどは、他の放送内容からすればまだまだ上等な部類に入る。
昼下がりの民間放送のテレビ番組など、こういう推理番組以外を見ようとすれば、大人として見るに堪えない代物ばかりで、とても正視出来る物ではない。
この本はテレビ番組に登場する一番格好の良い華形のセクションを話題にしているが、それは警視庁、あるいは警察の仕事のほんの一部ではなかろうか。
殺人などということはそう誰でも彼でもが直面するものではないと思う。
確かに昨今は無差別殺人とか、無目的な殺人などというものもあるが、こんなことは昔からあったことではなかろうか。
昔はメデイアが未発達であったので、あったことがそう安易に人々に伝わらなかっただけにことで、人の作る社会が劇的に変革するとも思えない。
しかし人間の本質はいささかも変わらないにもかかわらず、人間の概念という思考の方は、常に日進月歩しているわけで、ここに現代社会の大きな矛盾が内包されてしまう。
その端的な例が教育であろうと思う。
昔は教育を身に付けることは道徳的にも倫理的にも立派な人士になることであって、立派な人士になった結果として、高位高官が保障されたわけである。
つまり、高位高官は教育の結果であったものが、今ではそれが目的になってしまって、高位高官を得るために教育の門を潜るという風になってしまった。
ここには明らかに概念の転換があるわけで、目的と結果が逆転してしまっている。
昔の人が教育を付けるということは究極の贅沢であったわけだが、今ではそれが逆転して、贅沢を得るために教育の門を潜るという風になってしまった。
目的が贅沢を得るためになったものだから、下素な心得のものが大挙して学問の府に群がったわけで、社会そのものが混乱の極みに至ってしまったというわけだ。
警察という国家のセクションは、こういう下素相手の仕事なわけで、いくら高位高官であろうとも、警察の世話になるということは既に下素の最下層のものと心情的には相通じているということだ。
いくら貧乏でも警察の世話などにならずに生きている人は一杯いるわけで、そういう人こそ国の宝だと思う。
今回、民主党が政権をとって、新しい内閣を擁立したが、その中で警察の世話になった人が政府の首脳部にまで浸透しているので大いに驚いたものだ。
まさしく「泥棒に追い銭」という言葉があるが、それがそのまま現実のものとして目に前に展開している。

「誰がための官僚」

2009-09-23 13:23:27 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「誰がための官僚」という本を読んだ。
著者は塩田潮氏。
彼は何年か前、田原総一郎の「朝まで生テレビ」にも時々登場していたので、顔はテレビを通じて知っていた。
しかし、本の内容はそう大いしたものではない。
自民党政治が今年(平成21年9月)において終止符を打ったが、この本を読んで見ると、今、民主党が唱えている政治改革の大部分は、10年前に自民党が唱えていた内容と寸分と違わないわけで、つまり自民党としては10年経っても何一つ実績として残せなかった。
だったら民主党に政権を渡せという論理で、世の中が動いたものと私は推察する。
鳩山内閣が始動して2週間余りが経過したが、鳩山氏は亀井静香氏を郵政改革、金融相に任命しているが、これは小泉首相の郵政改革民営化を真っ向から否定することになるわけで、これは一体どう考えたらいいのであろう。
小泉氏の郵政改革は、いくら小泉チルドレンといわれようとも、国民の支持を得て郵政民営化が進められたわけで、鳩山氏が小泉首相の思考と正反対のものを大臣に据え、改革を元の黙阿弥に戻そうということをどういう風に解釈したら民主主義との整合性を説明できるのであろう。
麻生太郎の自爆は、彼自身が「郵政改革には私も反対だった」などと妙なことを口走ったものだから、自民党そのものが信用を失ったに違いない。
小泉首相の時は、国民の大勢が郵政改革推進の方向になびき、今度はそれが逆風となって、郵政改革反対の方向に国民の大勢が変化したのであろうか。
郵政民営化を押した民意と、それを逆戻りさせようという民意は同じものなのであろうか。
小泉首相の時は小泉チルドレン、鳩山首相の代になると小澤ガールスと呼ばれるわけで、こういう人々の民意というのは、時と場合によってあっちに行ったりこっちに行ったりと、まさしく浮動票なのであろうか。
民主党の政権になって、巨大プロジェクトの見直しということも現実化してきたようだが、そもそも巨大プロジェクトというのはなんの目的意識もなしに、ただただ税金の無駄使い、あるいは地元の土建業者を食わせるためにだけに存在していたわけではない筈である。
プロジェクトが計画された段階では、それぞれに時代の要求にこたえるべく、地元の住民の要求にこたえ、将来を見越した展望に立って計画がなされたものと思う。
しかし、巨大プロジェクトなるが故に、時間も金もかかり、その間に周りの状況の方がさっさと変化してしまったわけで、現時点では不要という状況もありうるであろう。
民間企業でも時代の波に乗って大きく飛躍する企業もあれば、時代の波を読みそこなって、倒産する企業も掃いて捨てるほどあるわけで、官主導のプロジェクトでも、成功するものもあれば失敗するものもあるのは当然で、時代の推移で出来上がったプロジェクトが、出来上がった時点で既に時代遅れだったということも往々にしてあることは事実だと思う。
ここで官が大きく力量を発揮することが本来の政治の最も肝要な部分だと思う。
出来上がった時には時代遅れのようなプロジェクトを、計画の段階でチェックすることが官の大きな使命だと思う。
有能な官僚というのは基本的にはある種のシンクタンクでなければならないと思う。
普通の日本人の発想からいえば、官僚は行政サービスのサービス業でなければならないと思っている向きもあるが、現場の官僚は確かにサービス業に徹してもらわなければならないが、官僚のトップ、高級官僚というのはシンクタンクに徹すべきだと思う。
今回の政変では、民主党は政権を取りたいがためにバラ色のマニフェストをばら撒いたが、その中味は10年も20年も前の政治改革、行政改革のオンパレードであって、何ら目新しいものはない。
問題はそれが出来なかった自民党政権の側にあるが、自民党で出来なかったことが、民主党になればできるかどうかである。
官僚と政治家を対比させれば、官僚の方が頭脳的には上だと思う。
我々レベルの言い方でいえば、「頭が良い」ということになる。
当然といえば当然であって、官僚というのは国家公務員試験という関門を潜ってきているので、世が世ならば科挙にパスしたようなもので、その時点ですでに身分は保障されていることになる。
官僚の問題は、すべてがこの部分にあるわけで、国家公務員試験に合格した時点、つまり科挙の試験にパスした時点で、身分が保障されるという点に、官僚のすべての問題が起因している。
人間の生育過程の極めて初期の時点で、その人の将来が保障されるとなれば、当人は何を目指して生きるのかと考えた時、答えは一つしかないわけで、御身大切と、決して危ない橋を渡らないよう身を慎むわけで、これを別の言葉でいえば何もしないということに尽きる。
何かを変えようとするから、何かと問題が起きるわけで、何もせず、いつもいつも現状維持でおれば、問題は決して起きてこないわけで、若い時に一度科挙の関門を通過して、身分が保障されたとなれば、新しい挑戦を試みれば失敗した時には将来の安泰した生活保障を失うリスクを抱え込むことになり、誰もそういう冒険には挑まない。
そもそも、若い美空で官僚の道を選択するという発想からして、若さの発露である他者との競争心や、困難な目標に挑戦するチャレンジ精神が欠けているわけで、そういう人間が将来の身分保障を得た後で、新たな問題に果敢に挑むことは考えられない。
この本は、省庁再編成に絡む各省庁内の人事を克明に記しているが、私はそういうものにはあまり関心がなく、それよりも各省庁の掲げる理念に大いなる関心がある。
ところが、官僚にとっては、そういう理念など最初から問題にしていないわけで、彼らには理念も理想も最初から存在していない。
無理もない話で、彼等は究極のサービス業であるにも関わらず、自分達の仕事が国民へのサービスであるということを考えた事もない。
またそれを後押ししているのが、これまた日本の国民であって、国民の側には官僚の「ご指導賜りたい」という謙譲の美徳がぬぐい切れず、何でも「お上」と称して、挙げ奉る風潮を払しょくしきれずにいる。
公務員と自分は対等の立場のいるということを、双方で気が付こうとしていない。
「国民は納税者だ」ということをもっと強く言いだせば、官僚の国民に対するサービスの内容も、少しは変わるのではなかろうか。
今回の民主党政権は、人気取りとも思える気前のよいバラ捲きをして、教育の無料化だとか、生活保障だとか、綺麗事を並べているが、基本的に生活保護を受けている人間が朝からパチンコをしている現状をどう考えているのであろう。
生活保障とか、弱者救済という綺麗事の裏には、人の善意を踏みにじるような行為が臆面もなく横行しているわけで、生活保護を受けているものが朝からパチンコをしている現状を納税者としてどういうふうに考えたらいいのであろう。
汗水たらしてせっせと働いた納税者が、朝からパチンコに現を抜かしている怠惰な人間を、何故に救済しなければならないのだ。
汗水たらして働いた人の給料よりも、生活保護の方が金額が多い、というのも腑に落ちないことであるし、教育の無料化も、児童手当の拡充も、国が国民に金をばら撒くことに変わりはないわけで、政府の人気取りということは紛れもない事実であり、国民としても金が国家から垂れ流されれば良いに決まっているが、ならばどこにそのしわ寄せが集中するかも改めて考えておかねばならない。
こういうことを考える事が、官僚の基本的な存在感だと思うが、その意味で官僚はシンクタンクだというのである。
政治家と官僚を対比させれば、官僚の方が優れていることは誰の目にも明らかなわけで、政治家が官僚を使いこなさなければならない、ということは10年も20年も前から言われている。
自民党ではそれができなかったが、民主党はそれをすると言っている。
国民はお手並み拝見ということで傍観するほかないが、官僚システムというのは如何なる時代状況になろうともシステムが変わるということはあり得ない。
この本では、橋本内格の時の省庁再編は明治維新以降最大の変革だと褒め称えているが、確かに省庁再編で所管事業の変更はあったかもしれないが、組織の構図そのものはいささかも変わっていないわけで、科挙の制は立派に生き残っているではないか。
我々が統治者を「お上」と、挙げ奉る最大の理由は、我々の民族の根源にかかわる太古からの潜在意識だと思う。
つまり我々は、従来、農業を主体とする封建主義思想の中でながい間暮らしてきたので、農村集落の在り方として長老に依存することを不思議とも何とも思わなったが、これは長老という体制側に身を寄せていれば、何かと都合が良い事を体験的に悟ったからである。
身の回りの集落の中では、長老に代表される体制側に身を寄せれば、それで身の安泰は確保されたが、これが規模拡大して国家公務員試験にパスしたとなれば、国家の体制側に身を委ねられる最大の保証を得たことになり、「お上」に一歩も二歩も近付いたことになる。
農村の集落の中で、長老の存在に何ら違和感を感じなかったということは、そういう政治の中では一切の変革がなかったということであって、全てが伝統と因習という言葉で片付けられていたということだ。
若いはつらつとした青年が、そういうものにあこがれて、若いうちに科挙の関門を潜ったら、後は何もせずとも将来安泰とした生活が保障されること信じて生きるということは、私の価値観では信じれないことであるが、現実に今の官僚というのは、そういう狙いで官僚になっているものと推察している。
彼らには「国民の税金で生かされている」という意識は最初から欠落しているわけで、むしろ許認可権を持っているが故に、自分達は国民の上に君臨する存在だと思い違いしている向きが多い。
どんな組織でも、長い年月がたてば組織そのものが堕落し、組織疲労が生じ、組織の活性化が退化しがちであるが、これを生き返らせるにはトップの若返りしか道はない。
トップの若返りということは、いわゆる組織のトップグループの意識改革であるが、官僚を目指した人の大部分が同じ科挙の関門を潜ってきているので、能力的にはそれぞれに優劣がつけ難たく、もし付けるとするならば、減点法でミスの少ないものが生き残るという判断材料にならざるをえない。
だとすれば、彼等の中で如何にミスを誘発しないかと考えれば、当然のことな何もしないことに尽きるわけで、何もしなければミスはありえない。
こういう若者が、官僚という組織の中には一杯いるわけで、だとすれば組織そのものが活性化しないことは当然のことである。
民間企業ならば、大きな飛躍をなす動機つけは、若者のチャレンジ精神であることが往々にして散見されるが、官僚の世界においては、若者のチャレンジ精神が発揮する場は最初から無いに等しいし、第一生身の人間、官僚という人々、国家公務員そのものに、何かに挑戦するという気概は最初から存在していない。
日本はアメリカと戦争して完膚なきまで完全に屈服させられたが、その経緯を子細に眺めてみると、我々はともすると軍人という職業人の傲慢な振る舞いにその淵源があると思い込んでいるが、あれは軍人であると同時に官僚でもあったわけで、日本の官僚の悪弊が見事に昭和の軍人、昭和の高級軍人に反映されている。
彼等は軍人である前に、完全に立派な官僚でもあったわけで、それをそういう風に仕立てたのは案外国民の側でもあるように見える。
例えば、昭和初期の時代に、陸軍士官学校や海軍兵学校に進学した人は、国民の総意としてそういう人達は優秀な人で、村一番町一番の秀才であったという評価が独り歩きした。
結果として、そういう優秀な人たちであったればこそ、政治や行政に嘴を差し挟んでも、国民やメデイアも黙って見て見ぬ振りをし続けてきた。
その結果として、日本は奈落の底の転がり落ちたわけであるが、戦後の評価においても、「陸士や海兵の出身者は優秀だ」、という評価はいささかもゆるいでいないが、ならば日本を奈落の底に落としたのは一体誰なのかという反省は全くない。
日本を奈落の底に落としたのが、陸士や海兵を優秀な成績で卒業した先輩達であった、という認識はついに出ずじまいである。
昭和の初期の時代において、日本の青年有志の大部分が、陸士や海兵に憧れたわけで、そのあこがれの根底には、一度科挙の選抜を潜れば、後は輝かしい未来が輝いている、という未来思考であったわけで、この時代の若者はその輝かしい未来の中に、国家の為に我が身を殉ずることを内包していた。
だからその意味では、まだまだ純で可愛い考え方が残っていたが、戦争という切羽詰まった状況がなくなると、あるのは安逸な堕落した生き方しか残らない。
よって科挙の門を潜って、官僚という仲間の中に身を投じてみると、彼等の関心は、同期の中で誰が一番先頭を走るかという、自分達の世界だけの話題になってしまったのである。
国に奉仕する、国民のために働く、国の発展の礎になるというように、彼等の頭から自分の国家というものが抜け落ちてしまって、彼等は彼等のグループの中だけの世界に埋没してしまったのである。
戦争に負けるまでは、国の存在、国家の在り方、それを理論武装するための天皇制というものが立派に生きていたので、国のため、国家のため、銃後の民のため、故郷の先輩・後輩・同僚のためという言葉に心が通っており、真実味があったが、戦後の世相では、忠君愛国の裏側の真実を知ってみると、従来、優秀だと思っていた連中に自分達が見事に騙されていたことがわかってしまったわけで、科挙の試験をパスするような本当の秀才は信じるものを失ってしまった。
何を信ずればいいのか分からなくなってしまったので、行きついた先が、自分自身を信じるほかなく、何もせずに無為なまま、立身出世の順番を指折り数えて時を過ごすことになったわけである。
官僚、国家公務員であるからして、彼らにはコスト管理という概念がない。
また費用対効果という概念もないわけで、要するに金というのはいくらでも地から湧き出てくるものだという発想でしかない。
ですから一つの事をなすのに、如何に安く仕上げるか、どういう工夫をすればいくら経費を抑えられるか、ということを考える習慣が全くない。
国鉄民営化の時も、今の道路の建設の問題でも、いつも政治路線というのが話題になるが、政治路線というのはいわゆる地元選出の国会議員の意向を汲んで、利用頻度の向上が望めない路線まで作る、ということが批判された。
族議員の横グルマを官僚が引き受けるということは、官僚自身が自立した判断能力に欠けているからに他ならない。
こういう場面を目にすると、一見、政治家が官僚をリードしているかのように見えるが、こういう理屈の合わないごり押しに抗しきれない官僚は、自分の金でないから政治家のごり押しを飲んでいるのである。
個人の投資としてならば、決して儲けの出ない話に、いくら国会議員の口添えがあったとしても、それを信じるバカはいないわけで、政治路線というのもこの話と同じことである。
要するに政治家の票集めの政治路線が跋扈するのは、政治家も官僚も共に無責任だからこういうことになるのである。

「FBI」

2009-09-22 07:38:26 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「FBI」という本を読んだ。
相当に重厚で、分厚く、読みでのある本であった。
サブタイトルが示している通りFBIの歴史を綴ったものであるが、アメリカの警察のシステムというのは、どうも我々の感覚からするとわかりにくい部分が多い。
日本でいう警察というのは、あくまでも違反行為の摘発に主眼があるわけで、それは何も人殺しの検挙だけではなく、あらゆる犯罪行為の摘発であって、法律違反に対する取り締まりの窓口は警察一本である。
私に言わしめれば、今の日本の警察の在り方というのは、現実の社会と乖離しているのではなかと思う。
例えば、列車転覆事故から旅客機の墜落事故から国会議員と業者の癒着事件まで警察がしゃしゃり出てくるわけで、警察にそれを探求する能力があるかどうかまことに不思議でならない。
警察が出てくる背景には、それらの事故の中に、人為的な法律違反があるかどうかの探求であろうと思うが、とにかく何か大きな事故が起きると、そこには必ず警察が顔を出す。
しかし、それは犯罪捜査に対する窓口が、警察という組織に一本化されているという面は否めない。
ところがアメリカはそうでもないらしい。
それはある面でいた仕方ない、というところも理解しなければならない。
というのは、日本とアメリカでは、政治のシステム、行政のシステムが違っているので、それを同じに見ることは最初から不可能なわけで、アメリカにはアメリカの実情があって、今日のシステムが息づいているものと考えるのが妥当である。
私がFBIという言葉から真っ先に連想するのは、言うまでもなく禁酒法時代の「アンタッチャブル」のエリオット・ネスである。
私自身は軽佻浮薄なアメリカかぶれだと自負しているので、テレビ映画からでも得るものは十分あるものと確信している。
「アンタッチャブル」のエリオット・ネスと、シカゴのマフィアのボス、アル・カポネの抗争なども、見方によればアメリカ流民主主義の具現に見えたものだ。
つまり、禁酒法なるものがいくら悪法であったとしても、法は法であって、その法が生きている間は、その法に従わねばならないというのは民主主義の基本だと思う。
これは確かに理想論であるが、悪法を順守していたら自分自身が生きていけない、という部分も現実にはあろうかと思う。
そういうときには民主的な手法、つまり国家議員を通じて、国会で法の訂正を実施するというのが、真の民主主義である。
真の民主主義の実現というのは極めて困難なことであって、アメリカといえどもそう安易に実現させているわけではない。
アメリカの民主主義にも大きな瑕疵が多分にあるわけで、それにアメリカ自身も大いに悩んでいると思う。
犯罪者と警察という対比をすると、我々はどうしても犯罪者が悪者で、警察は良きもの、善良な市民の味方というイメージを抱きがちであるが、内実はそう安易にこの対比が成り立っているわけではない。
警察の裏事情もそれはそれなりに物語として興味深いものがある。
必ずしも正義を具現化しているわけではない。
それはさておいて、アメリカの政治あるいは統治、行政というものは、日本とは比較検討しきれない複雑なものがある。
アメリカの統治体制、いわゆる州が集まって成り立っている合衆(州?)国という名称からして日本とは違うわけで、これを同一の土俵においては議論が成り立たない筈である。
だからこそFBIは連邦捜査局として、州を越えた事犯に対処するとされているわけで、こうなると我々の思考が全く及ばない範疇に足を踏み入れることになってしまう。
そして、面白い事に、この連邦捜査局なるものが、最初の立ち上がりの契機が、財務省の税徴収の一環としての脱税のがれを摘発するための組織だったというのだから驚く。
要するに、アル・カポネのようなマフィアが密造酒を作り、それを州を越えて物と金を移動させ、そのことによって収益を上げる行為を摘発することが設立の最初の趣旨だったらしい。
そのことは同時に、いくら違法行為であっても、州を越えなければFBIとしては動くことができず、また動かなかったようだ。
この州の存在というのが、我々にはいまいち理解しがたいところで、我々がアメリカというときはアメリカ合衆国を一つのものとしてとらえがちであるが、州の自治ということはある意味で、アメリカの民主主義の具現でもあるのであろう。
州によって酒が飲めたり飲めなかったりするというのは、我々からするとまことに不合理そのものであるが、民主主義というものはオール・マイティ―ではないわけで、その中には耐えなければならない不合理も内包しているということだ。
FBIを語るとなれば、どうしても1963年、昭和38年のケネデイー大統領暗殺事件に関連せざるを得ないが、この事件をFBIが掘り下げていくとジョン・F・ケネデイーの醜聞を暴露せざるを得ないという状況におい込まれてしまう。
ケネデイー大統領暗殺事件については、以前「ウオーレン報告書」なるものを読んだことがあるが、いくら読んでも「真相は藪の中」という感で終わってしまっていた。
つまり犯人をオズワルドの単独犯とはっきりとは断定できないまま終わっている。
興味深い点は、FBIがその真相究明を掘り下げていった結果として、ジョン・F・ケネデイーがマフィアのボスの情婦と通じていたが故に、とことん掘り下げることが出来なかったという言い方になっている。
それを掘り下げて止まないのがFBIであったわけで、ジョン・F・ケネデイーの裏事情はFBIでさえも真実を語るにしのびなく、報告は曖昧のままで終わったということであろう。
ジョン・F・ケネデイーの醜聞の中にはマリリン・モンローとの話もあったが、私レベルでは真偽のほどはわからない。
しかし、私ごときまでがそれを耳にしているということは、その噂話が根も葉もない話とは思えない。
ケネデイー大統領暗殺事件に関しては、様々な本が出ているので、相当に深く掘り下げて研究もされているであろうが、それを暴くとなるとアメリカの政治の暗部が曝け出されてしまうに違いない。
アメリカのメデイアは相当執拗にそういう部分に食い込むことが常態となっているが、それでもこれ以上暴き切れないということは、もう底が割れてしまったということかもしれない。
この時も問題となったのがFBIとCIAの確執であって、アメリカにおいて国家の危機に瀕するような大事件のときには、この二つの組織が暗躍するのが我々から見て不思議でならない。
この二つの組織は手柄の取り合いのようにも見えるし、少し視点を変えると、責任のなすり合いのようにもみえる。
要するに自分の都合に合わせて、手柄を強調したいときにはそのように振舞うし、自分の方が不利だと思われそうに感じると、責任を相手にぶつけようとしている。
もっともCIAの方は第2次世界大戦後の冷戦の過程で出来たわけで、その意味では社会の複雑化に伴い、その状況の推移にともなって、組織が大きくなったという面があろう。
そしてCIAの誕生と共に、FBIの職務分担も今まで以上にはっきりと峻別されてきたわけで、CIAはアメリカ国外の情報収集、FBIはアメリカ国内の犯罪捜査と、それぞれの職務分担をはっきりさせたようだ。
世の中の進化というのは、如何なる国でも、官僚の規模拡大を招かざるを得ない状況になったので、時代とともに犯罪捜査の組織も、それぞれに大きく膨らんでしまったわけだ。
FBIというものが西部開拓の時代から、月に人間が行く時代まで同じ組織ということはあり得ないわけで、その時代という時の経過とともに、さまざま変化するというのは当然のことであろう。
最初は密造酒の州間移動に伴う脱税の摘発の組織だったものが、21世紀ではアメリカ国内の犯罪の摘発にまで、その職掌範囲が拡大するのもいた仕方ない。
その中には9・11事件のようなテロリストの摘発まで含まれるようになってしまった。
大きな事件が起きるたびに、こういう組織は「何故阻止できなかったのか?」と、世間の糾弾を浴びるのもこれまたいた仕方ない面がある。
9・11の事件について、なぜあの事件が予防あるいは予知出来なかったかという問題は、一般大衆からすれば極めて素朴な疑問であるが、FBIにしろCIAにしろ、そうそう安易に根拠もなしに「恐れがあるから」という曖昧模糊とした理由で、人々を引っ張るわけにもいかないのも当然であろう。
もしそんなことをすれば「権力の横暴」と、メデイアから袋叩きにあうのは目に見えている。
常識的に考えても、何の根拠もないのに、ただ「恐れがあるから」というだけで人々を拘留するとなれば、それはまさしく暗黒政治であって、そういうものを普通の大衆は望んでいないが、政府の機関がテロを防げなかったということになると、大衆の気持はそれを望む方向に傾斜しがちではある。
国の安全ということは極めて難しい話で、国の安全という場合、我々は安全保障を連想しがちであるが、確かに安全保障も国の安全の大きな部分を占めるが、テロ対策も直接的に国の安全に結びついている。
けれども、我々日本人の感覚では、まだそこまで徹し切っていない。
我々は国の安全ということに極めて鈍感で、安全保障の大部を占める戦争に関しても、ないことを前提にものを考えているし、テロに関しても、日本にはテロなるものは存在しないし、これからも存在しないという思い込みから脱しようとしない。
我々日本という国は、アメリカの一つの州並みの面積しかないので、州をまたぐ問題というのはありえないわけで、警察一本でコトが済んでいる。
アメリカの場合、州の自治権が極端に強いので、同じ犯罪でも州によって有罪であったりなかったりするわけで、だからこそ州を越える犯罪については、連邦捜査局、いわゆるFBIの存在価値があるということなるが、この部分が極めつけのアメリカン・デモクラシーの所以なのであろう。
アメリカン・デモクラシーは完璧なものではないわけで、非常に多くの欠陥を内部に抱え込んでいるが、それでもなおアメリカに住む人々は、自由と平和と自治を尊重して、自ら不自由な欠陥だらけのアメリカン・デモクラシ―に身を委ねているのである。
あっちの州では酒が飲めるがこっちの州では飲めない。あっちの州では有罪だがこっちの州では無罪だ、などということは我々には理解しがたいことであるが、そういう不合理、不都合を抱え込んでいるが故の自治であり、その自治を自治たらしめているのがアメリカのデモクラシーなのである。
我々がデモクラシ―という場合、世界の人々が皆均一に、同じ条件で生かされ、権利を行使し、同じ待遇を得、同じ環境を享受するものだという風に思い込まされているが、現実のアメリカの民主主義というのは、欠陥だらけで決して絵に書いたような理想像ではないわけである。
思えば、アメリカのデモクラヒーというのは、彼ら自身が試行錯誤を重ねて築き上げてきたものであって、南北戦争を経て黒人が解放されたとはいえ、それは表向きの事だけで、裏ではKKK団の暗躍が絶えなかったわけで、それを初期のFBIが一つ一つ潰して今日に至っている。
そういう犠牲の上にアメリカン・デモクラシ―というものが出来上がったということだ。
そして出来上がったものも完璧ではないわけで、内部にはさまざまな欠陥を内包しているが、それでも民意を反映するというところに大いに共感する部分が残っているわけである。
テロ対策で、FBIにしろCIAにしろ、ただ「テロをする恐れがあるかもしれない」という曖昧な理由で、そういう顔つきの人間を拘留しないのは、民衆・大衆の自由を侵す可能性がある、という官憲の側の良心であり、寛容の精神であり、民衆や大衆に対する慈悲であり、おもねる気持ちがあるからだと思う。
官憲の側の人間も、職務を離れれば民衆・大衆と同じ立場になるわけで、そう考えれば何の根拠もないのに人を拘留する不具合も当然理解できるわけである。
アメリカの人々は、建国以来の様々な葛藤の中で、そういうものを自ら築き上げてきたが、我々は戦争に負けたことによる占領という形での上からの押しつけの民主主義であったので、いわば接木された民主主義である。
だから民主主義そのものがまことにぎこちなく、未だに自分のものとなっていない。
民主主義というものは万能で、何でもかんでも自由奔放に振舞っていいし、自分の思う通りにならないことは相手が悪い、自由ということは我儘のオンパレードで、自分の我さえ通れば後は野となれ山となれ、という思考になり下がっている。

「一台のクルマがあれば人生を変えるのに十分だ」

2009-09-17 16:20:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「一台のクルマがあれば人生を変えるのに十分だ」という本を読んだ。
随分ながったらしい題名だ。著者は徳大寺有恒氏。
彼は他にも「間違いだらけのクルマ選び」という本を出しているので、名前だけは知っており、この作品も読んだことはある。
この世の中にクルマを作るメーカーも沢山あり、そこから生産されるクルマも掃いて捨てるほどある。
そういう背景があるからこそ、その一つ一つに「ああでもない、こうでもない」と屁理屈を付ける商売も成り立つのであろうが、消費者からみればあまり参考になるものではない。
クルマ作りというのは典型的な資本主義社会の中の商品であって、その中で世に出されてくる数々の車には、如何なる車を作れば売れるか、というメーカー側の意図が当然大きく作用している。
万を期して世に出したものが消費者に受け入れられない、となると当然メーカーはその原因を探り、良く売れるように改善を加えて再度挑戦してくる。
こういう背景があるからこそ、自動車評論家というような商売が成り立つわけだが、消費者はその評論家の言うことを信じて車を購入するわけではない。
消費者には消費者の立場があって、自分の意図というものをしっかりと持っているわけで、自分の信念でもって購入する車を選択している。
と、思いたいところであるが、実情は案外そうではなく、人の振り見て我が振り直すという面が多分にあり、選択の基準は案外隣の人の車であったりする。
隣人の車を基準にして、それより大きいか、小さいか、同じメーカーか、他のメーカーか、というぐらいが選択の基準になっているような気がしてならない。
日本の車市場に出回っている車もピンキリなわけで、廉価なものから高級車まで、日本の消費者は自由に選択できる。
この本は前に出た「間違いだらけのクルマ選び」ほど、それぞれの車の長所と短所を列挙するほど極端な書き方ではないが、一つのモノに対して、それぞれの人のそれぞれの思いは千差万別な筈で、それを「良いの悪いの」と決めつけるわけにはいかないと思う。
ただ、各人各様に、それぞれの車に対する思いというものはあると思う。
私は三菱の関連企業で録を食んできたので、生涯を通じて三菱の車を乗り継いできた。
よって、他のメーカーのものはほとんど乗ったことがない。
自動車評論家といえども、あるメーカーを徹底的に糾弾することは、自分を路頭に迷わせることにもつながりかねないので、そうあからさまな悪口は控えざるを得なかろうが、三菱は目下のところ車に関しては弱小メーカーになり下がってしまったことは紛れもない事実であろう。
この件に関しては、商品としての車の優劣よりも、企業体質の方の問題がより大きな課題であったに違いない。
企業体質として、商品に対するユーザの心を汲みとりきれなかったに違いない。
ユーザの心を汲みとれなかったというよりも、企業そのものが、如何にものを作り、如何に消費者に届けるか、という企業としての在り方そのものがぐらついていたものと推察する。
愛知県はトヨタ自動車の本拠地であって、トヨタは徹底的に商売道に徹しきっていると思う。
そういうものが三菱の自動車には欠けていたと思う。
日本の自動車産業の飛躍は、第二次世界大戦後のことで、それには戦前の技術が十分に生かされていたに違いない。
戦前、戦中には飛行機を作っていた人達が、日本が戦争に敗北して飛行機が作れないという状況下で、大勢の人が自動車メーカーに流れてきたものと推察する。
しかし、飛行機というものは大衆とはかけ離れた存在であったが、自動車というのは大衆と密接に関わり合う商品なわけで、「良いものを作れば売れる」というものではなかったということになる。
良くても大衆に愛されるものでなければ売れない、という資本主義をもっとも顕著に具現化する商品であった訳だ。
そこで私の心情としては、大衆に愛されるものを無批判に受け入れることは、自分の自尊心が許さなかったのである。
絵にかいたような天邪鬼ということだ。
私の生涯を通じて、手にし得る車といえば、徳大寺氏も素直に認めているように、サニー、カローラ、コロナ、ブルーバードであったが、私はこれらに触ったこともない。
最初から選択肢の中に入っていないし、手にしたいと思ったこともない。
別に三菱の人間だからというわけではない。
強いて言えばあまりにも大勢の人が愛用しているからという理由であろう。
昔を振り返って一度でも手にしてみたいなあと思った車は、いすすのベレット1600GTであり、MGミゼットであり、ウイリスのジープであった。
三菱の人間としてGTOは手にしたいと願っていたが、これは高すぎてとうとう手にすることなしに過ぎてしまった。
その代りFTOで走り回った。
三菱の車は、もともと出回っている数が少ないので、聞こえてくる話もあまりないが、これらは実に良い車だったと思う。
まさしく我田引水という面が大いにあろうが、私自身、他のメーカーのものに乗ったことがないので、自分の知覚した範囲でしか語れないが、その意味で今ならばランサーエボリューションが乗ってみたい最右翼に来る。
ところが、なにしろ乗る本人が加齢で、もうそういう意欲がなくなってしまった。

「昭和天皇と戦争」

2009-09-14 14:04:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和天皇と戦争」という本を読んだ。
著者はピーター・ウエッツラーというアメリカ人で、外国人が見た昭和史と言ってもいい。
ただこれは明らかに学術書の部類に入るもので、文献に非常に重きを置いた歴史書となっている。
非常に分厚で、重厚な本であったが、最初から読み進んでいくと、文献の出典の根拠がさもこれ見よがしに羅列されているので、いささか面くらった。
文献として文書とかメモ、あるいは個人の日記が、次から次へと出てきて、「だからこうなんだ!」という形で論理が進行しているが、歴史としての学問はそうあらねばならないかもしれないが、市井の一読書人としてはいささか興ざめである。
あの人が「言った言わない」、「書いてある書いてない」、「書類があるない」ということをあまりにも強調しすぎて、そのことによって物事を決めつける手法が学術的であるとするならば、それはいわゆる井戸端会議の延長でしかない。
特に日記などというものが歴史的資料などになりうるものであろうか。
自分自身日記を付けるときに、それを備忘録、あるいは後世の歴史的な資料になることを考えて付けているであろうか。
日記などというものは、確かに、後から思いだしてみれば、あの時はこういうことがあった、ああいうことがあった、と思い出す資料にはなるが、最初からそれをあてにして書くものではない。
書く時点では人に見せることも、何かの資料になるなどと考えて書くものではなく、ただ本当に自分の心の中を、自分に素直に書くものであって、それを歴史的な資料にするなどということは本人の想定外にことであろう。
しかし、こういう歴史学者はその日記に対して非常に大きな歴史上の価値を見出して、だからこそ、それを自分の学問上の獲物として、これ見よがしに誇示しているのではなかろうか。
この分厚で重厚な歴史書も、そういう意味からすると、週刊誌の報ずる芸能界のゴシップ記事のようなものになり下がってしまっている。
ただその対象が、芸能界の餓鬼のようなタレントの行状ではなく、天皇の周囲を取り巻く政府要人の行状を書き連ねているだけで、その場に描かれていることは、週刊誌の記事とあまり変わっているようには見えない。
今世間を賑わしている酒井法子のゴシップと同じで、彼女が警察に捕まったことによって、彼女の夫の立場、彼女の子供のこと、彼女の両親がどういう行動をとっているかを克明に暴いている図と同じである。
こういうことが歴史上の学問なのであろうか?
学問というものは掘り下げていけばいくほど市井の人間の関心から遠ざかるものである。
当然といえば当然のことで、専門的になればなるほど普通の素人にとっては面白くなくなってくるのだから、そういう人の心が離れていくのも無理のないことではある。
この本の表題は、昭和天皇と戦争ということで、まるまる昭和史そのものであるが、歴史を語る時、今の視線、視点で当時を眺めてはならないと思う。
外国の歴史家、特に近現代をテーマにしている歴史家が、この轍を踏んではならない。
外国人であろうとなかろうと、昭和天皇を語ろうとすると、先の戦争への関与は避けて通れないテーマであることは論を待たない。
その時、天皇陛下一人だけを俎上に乗せて語るということもあり得ないわけで、歴史という時は時系列の中でものごとを考えなければならないと思う。
天皇一人だけを俎上に乗せて、彼が対米戦争の開戦の決断、終戦の決断を「した、しない」と論じてみても意味をなさない筈だ。
日本の歴史という時系列の中で、たまたま昭和初期という部分を抽出しただけのことで、前後のつながりを無視して、その部分だけを声高に叫ぶということは意味をなしていないと思う。
この本の主題は、あくまでも昭和天皇に在るわけで、そこに焦点を当てて描かれているが、彼は一人で屹立しているわけではないので、彼を取り巻く周囲の裾野を描く際に、その人達の文献や日記を資料として用いているわけだが、それがあまりにもこれ見よがしになっているので、週刊誌のゴシップ記事の裏を、これ見よがしに表わしている図と同じに見える。
近衛が「ああ言った、こう言った」、木戸が「ああ言った、こう言った」、東條が「ああ言った、こう言った」の羅列では読む方は興が醒めてしまう。
しかし、この著者の意図が、表題が示している通り、昭和天皇と戦争の関わりを解くことを目的とするものであるとするならば、どうしても明治憲法まで遡らなければならないと思う。
日本の昭和初期の悲劇は、明治憲法の不備の中にあったと私個人は考えている。
この本は、天皇の統帥権に関しての記述が全く無いわけではないが極めて少なく、著者は明らかに天皇の統帥権というものを見おとしていると思う。
それに反して我々、日本人の物事の決め方、いわゆるコンセンサスの醸成の仕方には詳しく立ち入っているが、統帥権に関しては見おとしている節がある。
我々が昭和の初期に奈落の底に転がり落ちた最大の理由は、大きく言えば明治憲法の不備であり、明治憲法のどこが不備であったかと問えば、それは統帥権である。
我々、日本民族というのは実に創意工夫に優れた民族であって、連綿と続く歴史をこの創意工夫で乗り切ってきたわけだが、昭和初期の日本の政治家が、天皇陛下の権利であるところの統帥権というものを政治の場に引き込んで、それを政治的に利用したということも創意工夫の一つの例であった。
これは当時の政治家が党利党略のためにパンドラの箱の蓋を開けてしまったわけで、明らかに党離党略で政権を引き寄せんがために、政府に煮え湯を飲ませんがために、窮余の一策として創意工夫を重ね、知恵を絞った挙句、「統帥権干犯」という迷解答を得たわけである。
明治憲法の中には、この統帥権が規定されていたので、ある以上それを使うというのは普通の人の思考であって、問題はここで人間の理性というか知性というものが一向に作用していない点にある。
ロンドン軍縮会議で決めて来た事が、統帥権の干犯にあたるのではないか、という問題提起を政友会の鳩山一郎らが国会で提起したわけであるが、それに対して当時の知識人、国会議員、政府要人らの理性とか知性というのは一体どうなっていたのであろう。
誰一人として整合性のある、合理的で、説得力のある回答を示していないわけで、回答が曖昧なものだから、その後、次から次へとその問題を出すとアメーバ―の自然増殖のように収拾がつかなくなり、混乱の際に至ってしまったわけである。
この本は、昭和天皇一人に焦点を当てているので、彼とその周りの一部の人間しか描かれてれていないが、昭和の悲劇の大部分は、それ以下の人達によって形作らていると思う。
戦後の左翼思想に偏向した教育では、昭和の悲劇の張本人は、こういうレベルの人の責任に帰すと主張しているが、本質は、我々日本の大衆の側にあると思う。
昭和5年に起きた統帥権干犯問題でも、よくよくこの問題を掘り下げ見れば、日本政府の全権大使の決めて来た事を、統帥権干犯だと問題提起したのは野党の側にいた鳩山一郎らであって、彼等は野党として国民の代表であり、大衆の代表であったことになる。
その国民あるいは大衆が、軍縮協定を非難しているわけで、その裏の心理を推察すれば、「軍拡してもっと軍国主義を盛り上げよ」と言っていることになる。
平和主義のマ逆で、戦争を大いにやりましょうという思考である。
この現実は、明らかに鳩山一郎に代表される日本の民衆、大衆というものが軍国主義を推し進め、アジアの覇権を握ることを容認し、そうありたいと願い、そうあるべきだと思っていたということである。
これは明らかに当時の日本の政府の上層部の考えていることとは矛盾しているわけで、政府の上層部はそういう傾向を極力抑え込もうとしていたが、社会の底辺をなす民衆大衆というレベルでは、アジアでの覇者を夢見ていたわけである。
人が集まって形作っている社会というのは、常に激動している。
昭和天皇一人に焦点を当て、彼一人の物語を紡ごうと思っても、それは不可能なことで、日米開戦の意志、あるいは終戦の決断が、彼一人の問題ということはあり得ない。
それは社会の動き、世界の動きと密接に関連している。
彼が平和主義者であったかどうかという問題も、極めてナンセンスことで、そういうレッテル貼りそのものが意味のない議論だと思う。
しかし、昭和の初期という時代のことを考えると、人間にとって教育とは一体何なのか、という疑問にぶつかってしまう。
教育もさることながら、人間の知性とか理性というのも、人間の悲劇を救うことになんら貢献していないように見えてならない。
この本の主題は、昭和天皇が日米開戦のゴーサインをどういう形で出したかを追求しようとして、その過程を克明に資料に基づいて探索しているが、我々が心すべきことは、そういう状況下で人間の理性や知性は如何に機能するかの探求でなければならない。
人間は群をなして社会を作り、その社会は常に激動しているわけで、その激動に如何に対応して、如何に効率的あるいは能動的に身を処して、最も少ない努力で最も大きい効果を狙うか、を思索しなければならない。
21世紀の今日、地球は人間の増加に対応しきれないぐらい過密化し、環境問題が姦しいが、ここで新しく誕生してきた民主党の鳩山由紀生は、世間に向けて良い格好しいの環境改善プランをぶち上げた。
この大風呂敷は、それはそれなりに価値があると思う。
それが目標となって技術が進めば、それはそれで結構なことであるが、問題はその後で、そういう日本の進んだ環境技術を世界にばらまいて、地球そのものを救済すると発想である。
この発想の中に、世間を知らないお坊ちゃん的な思考が横たわっている。
一口で、技術の開発と言ったところで、昔の田舎にあった田んぼの脇の泉のように、地から自然に沸き出てくるものではない。
技術者の血のにじむような努力、乾いたタオルを絞るようなアイデアのねん出、あちこちに頭を下げてまわる金のねん出、そういう経過を経て技術が開発されるわけで、そういう現実を見たこともない高所から眺めて、そういうものを「地球全体の救済のために、世界中にばらまけ」というのは、あまりにも能天気な思考だと思う。
21世紀の今日において、民主党の鳩山由紀生がこういう能天気なことを言いふらしているが、これに対して日本の知性・理性を代表する賢人の反応は一体どうなっているのであろう。
正面切った反対論は未だに出ていないようであるが、ことほど左様に、人間が教育によって習得した人としての理性あるいは知性というものは、人間の存在にどのように機能しているのであろう。
高等教育というものが、ただただ個人が高収入を得るための免罪符であっていいものだろうか。
世の中が進んで、人々が容易に高等教育を享受できるようになった結果として、そういう人々は、多様な思考、考え方、発想が出来るようになったので、上からの指示命令には素直に応じなくなってなって、社会はますます混迷の度を深める。
高等教育の目的が、個人の理性や知性により磨きを掛けて、一歩でも二歩でも価値多き人間をめざすものだとすると、その結果として、自分の国家の指針に素直に従わない人士を数多く輩出することになり、教育の目的が逆効果になってしまう。
昭和の初期の日本を眺めた時、そこで社会をリードしてきた人々の理念、理想、知性、理性、教養というのは、どういうものであったのだろう。
戦後の左翼的な教育では、天皇制による上からの抑圧に抗しきれず、人々は苦難を強いられた、という論法になるが、日比谷公園焼打ち事件、統帥権干犯問題、ちょうちん行列などの有り様から推察すると、昭和の軍国主義というのは、案外下からのボトムアップの軍国主義ではなかったかと思う。
当然そこにはメデイアが絡んでくるのは必然であろうが、こういう状況下で、人間の理性や知性を発揮する場も当然ながらメデイアだと思う。
当時、「治安維持法があったので、ものが言えなかった」というのは、戦後に生き延びた知識人の常とう句であるが、これは彼等インテリ―の自己弁護の弁明にすぎず、本当は行動する勇気がなかっただけのことである。
戦後、ヤミ米の取り締まり(食管法)を順守して、一切ヤミ米を購入せず、餓死した裁判官が一人いたが、こういう人ならば「治安維持法があったからものが言えなかった」と胸を張っていえるが、それ以外の人には、それをいう権利はない筈だ。
問題は、高等教育を受け、理性も知性も人並み以上に備えた知識人が、一言も体制に異議を差し挟まず、順応してしまったことだ。
そして、戦後というものの言える時代になると、治安維持法があってものが言えなかったという論理を展開しているわけで、この日和見、この風見鶏、この変節の中に、彼等が受けた高等教育の理性や知性は如何様に機能していたのであろう。
結局のところ、高等教育によって成人に達してから後付けされた知識や教養では、その人の持つ本来の人間性を左右できずに、人の理性や知性というものは、教育では如何ともし難いものだということであろう。
この本は東條英機を案外買っており、昭和天皇は彼を信用していた、と述べているが、私もそう思う。
日本では東條英機は日米開戦をした総理大臣という位置づけて極めて人気がないが、日本という内側から眺める光景と、外国人という外側からの視点では大いに違って当然である。
問題は、この部分に潜んでいるようで、東條がいくら天皇に忠実たらんと努力しても、東條の手元に来る情報が支離滅裂で、その上天皇に様々な人が情報を提供するでは、結果として政治としての対応が出来ないのも当然である。
政治というものは、人が人のために良かれと思ってするわけで、ただただ自己の利益の追求のみではない筈である。
そして社会なり国家というものは、為政者をトップに据えたピラミッド型の体制を形作っているわけで、トップがいくら民のためを思って施策を施しても、中間のものがそれを横取りしてしまっては、為政者の民を思う心は下々のものまで伝わらない。
歴史を語ると言ったとき、我々は往々にしてピラミット型のトップの為政者に焦点を当てがちであるが、国家や社会の腐敗は、ピラミッドの中間層の組織破壊、メルトダウンに起因しているように思う。

「海の昭和史」

2009-09-11 22:00:01 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「海の昭和史」という本を読んだ。
冒頭、あの戦争中における海運業の犠牲者の多さに驚いた。
その犠牲の大部分は、日本の海軍が輸送船の護衛を蔑にしていた結果であった。
それは、日本という国が船で物資を運ばない限り国そのものが成り立たないという現実を無視していた事による。
昭和の初期の我が同胞の多くが、その現実をいささかも理解していなかったということは、まことに不思議なことだ。
私は、あの戦争において、当時の日本の軍人、軍隊、いわゆる帝国陸海軍の軍人たちは、基本的に戦争というものを知らずに、戦争を推し進めていたのではないかと思う。
確かに明治維新以降、西洋列強の軍事技術を導入して、ある程度の近代化は成して、日清、日露の戦役は勝利したが、ここで勝利したが故に、その後の精進をおろそかにして、戦争の本質を見ることを怠ったものと推察する。
これはどういうことかというと、戦争というものを考えた場合、人間の生き様から推し量って、我々は目の前に展開している部分、あるいは眼の前の現象のみに目を奪われて、その背後にある思想、思考を考えることがなかったということである。
つまり、戦争を通じて人間を見るという余裕に欠けていたわけで、目の前の兵器や、武器や、編成にのみに視点が向いてしまって、その現象の裏側、あるいはその向こう側にある世の中の移り変わりに全く考慮することがなかったということである。
世の中というのは常に日進月歩しているわけで、それと同時に、生きた人間の思考も世の中の変化に付随して進化しているのだが、それには全く気を配ろうとしなかったのである。
我々には古来から「勝って兜の緒を締めよ」という俚言があるが、これは実に良いことを言っているにもかかわらず、自らそれを忘却してしまったわけだ。
あの戦争に負けて、我々はマッカアサー元帥の占領下に置かれたが、その彼が最高司令官を解任された後で、アメリカ議会で演説した時、「日本の民主主義は12歳の子供のものだ」と言ったとされているが、まさしくその通りだと思う。
昭和初期の軍人の思考の中には、戦国時代の武将が「やあやあ我こそは何の誰べえで……」と名乗りを上げて一騎打ちをする古典的な戦争のイメージしかなかったわけで、20世紀に至ってもそういう日本古来の戦争のイメージから脱却出来ずにいたわけである。
そのことがあの時代の海軍においても、海戦というのは戦艦と戦艦の一騎打ちこそが誉れ高き帝国海軍軍人のイクサだと認識していたのである。
これを一言でいえば、旧帝国海軍は国家総力戦という戦争の概念を組織全体が消滅に至るまで気が付かなかったということだ。
つまり、この時代日本の軍人が国家総力戦の本質を知らなかったということは、人間そのもの、文化そのものを知らなったということに尽きる。
無理もない話で、軍人というのは戦術的なことは学ぶが、戦略思想についてはいささかも学ぶ機会はなかったわけで、鉄砲の撃ち方、鉄砲の配置の仕方は教わるが、戦わずに勝利を得る方法については全く教わる機会もなかったわけで、そういうことこそ軟弱だと決めつけていたのだからさもありなんである。
この本の冒頭では、日本海軍が戦地へ物資を運ぶ輸送船の護衛にいささかも気を配らなったので、有用な物資がことごとくアメリカの潜水艦に沈められてしまって、結果としてそれが敗北につながったと、述べられている。
歴史から何かを学ぶとすれば、我々のソフトウエアーの完成度を高めるものの考え方を学ばねばならない。
社会の、あるいは国家のソフトウエアーといえば、当然、人文科学に類することで、生きた人間の思考や思想を如何に人類の発展につなげるか、ということになると思う。
日本の海軍が、海戦というものを戦艦と戦艦の一騎打ちと捉える思考は、明らかに戦国武将の思考を一歩も出るものではないわけで、その意味で昭和初期の日本海軍の首脳は、江戸時代前の思考で凝り固まっていたことになる。
20世紀の国家総力戦という戦争形態にはまったく無知であったということが言える。
日本海軍では敵の輸送船や潜水艦を沈めても、それを戦果として計上しなかったと聞いている。
このことは明らかに補給という認識に欠けているわけで、いかなる時代でもイクサをするのに補給を考えずにするバカはいないが、日本の海軍軍人は、補給、ロジスティクということに全く無頓着であって、それがため敵の補給を断つことに無頓着であったが故に味方の補給についても全く無頓着であったわけだ。
「昭和史」という部分を抜き出して考えてみると、軍人というのは基本的に戦術を学ぶというのは、たぶん万国共通だろうと思うが、戦略となるとこれは政治家の領分になるわけで、日本の場合、戦術家としての軍人が戦略家の領分を犯してしまったので、素人政治になり、国家そのものが奈落の底に転がり落ちたわけである。
私が昭和史を眺めて不思議に思うのは、我々の同胞に根ざしている理性とか知性は、世の中の動きに如何様に機能しているのかということである。
昭和初期の陸軍士官学校、海軍兵学校、その他に当時でも我々の国には帝国大学というものがあって、そこには我々の同胞の秀逸が数多くいたに違いないと思うが、そういう秀逸が何故に戦争を知らない軍人になってしまったのであろう。
帝国大学の学生あるいは卒業生は、何故に日本が奈落の底に転がり落ちることを阻止できなかったのであろう。
言うまでもない事であるが、陸軍士官学校、海軍兵学校に行った人は、それこそ村一番、町一番の秀才達であったわけで、そういう秀才が何故戦争を知らない軍人になってしまったのであろう。
帝國大学に行った秀才たちは、何故軍部の独断専横を阻止できなかったのであろう。
私が推察するに、昭和初期の軍人の独断専横は、当時の日本の国民の大部分から支持されていたからだと思う。
軍縮には国民の大部分が大反発をし、南京陥落では国民はちょうちん行列までして大いにうかれていたし、真珠湾攻撃の報に接した国民は、胸のつかえが落ちたように正に溜飲を下げた感を味わったわけで、これらの動きは完全に国民の声を代弁していたことになる。
ここで再び問題提起になるが、こういう状況下において、日本の知性とか理性のある人達は、どういう風に行動の規範を律すればいいのかということに行き着く。
昭和初期の世相を見てみると、結構知識人というのも大衆に迎合して、素直に大衆と同じ行動様式をとっている。
石橋湛山のように異論を述べても、それは大きな波にかき消されてしまって討論の場にさえも上がってこない。
斎藤隆夫のように正論を吐いたとしても、それを同じ仲間が押しつぶしてしまったわけで、これを今我々はどう考えたらいいのであろう。
美濃部達吉を抑え込んだ当時の知識人の存在をどのように考えたらいいのであろう。
今思うと、昭和初期の日本の軍人の暴走、独断専横は、当時の日本国民の願望を素直に実現していたということなのであろうか。
結果として日本は大東亜戦争に敗北したのだから、国民としては自分達が期待を掛けた政府に騙されたということになるが、これも考えてみれば、詐欺に騙されたようなもので、不確実な甘言に踊らされたようなもので、誰を恨むこともできないということになる。
だとすれば、ここで日本の知識人は、国民に対して騙されないように警告を発するのが彼等の使命ではなかろうか。
昭和初期の段階では、そういう動きを、例えば美濃部達吉、斎藤隆夫、石橋湛山という警鐘を鳴らした人たちを、当時の知識人たちは寄ってたかって抑え込んでしまったわけだ。
この本の主題である「海の昭和史」という本題に話を戻すと、今現在、平成21年9月11日の時点において、民主党が社民党と国民新党と連立を組むかどうかの時であるが、民主党が社民党と組むということは、はなはだ問題が大きいと思う。
というのは、社民党はインド洋上で行われているのアフガン復興のために給油措置を止めるように言っているが、これは日本の国際貢献の一環であって、アメリカに対するポチの振る舞いではない。
これをアメリカに対するポチ的な行動とみるのは、大いなる刷り込み、あるいは思い込みであって、世界の動き、または日本の置かれている立場がわかっていないということの証である。
日本人ならば誰が見ても、我々の国が中東の石油に依存して存在することは自明であるにもかかわらず、それを全く考慮することなしに、「海上自衛隊は戦争を想定した団体だから駄目だ」という発想は、非常識極まりない思考である。
日本の旧海軍が戦国時代の武将のイクサをしているのと同じ精神構造である。
時代錯誤を通りすぎて、無知に等しい発想であるが、こういう政党が政権の一翼を担うということは、戦前に軍人が政府を牛耳ったのと同じ構図である。
軍人と平和主義者が入れ替わっただけで、政権の中で平和主義者が自分達の論理で嘴をさしはさむということは、再び国際的な日本パッシングを引き起こす元である。
昭和初期の日本は、軍人が既成事実を作り上げると、政府と国民はそれを事後承認してきたが、既成事実を築き上げるということは一種の思い上がりの行動なわけで、これこそが独断専横の極みであった。
理念が優れているから、見切り発車しても政府や国民はあとからついてくる、という思考は思い上がりそのものであるが、当時者はその不合理に全く気がつかない。
戦後の平和主義者というのも、戦前の軍人と同じで、戦争というものの本質を全く知らないまま、観念論のみを大声で叫んでいるが、この観念論の跋扈こそが日本民族が12歳の子供の域を脱し切れない最大の問題点である。
観念論から脱しきれないということは、合理的な考えが出来ない、合理主義に徹しきれないということでもあり、目の前の現実から遠い将来の予測が束めれないということである。
だから目の前の現実に対して、その場その時々の対処療法でしのいできているので、常に場当たり的で恒久的な思考に至らないのである。
このことは、深く考えると極めて由々しき問題だと思う。
特に、第2次世界大戦後の地球の技術革新というのは目覚ましいものがあって、地球規模で産業構造の変換が起きたが、これに立ち向かった我々の同胞は、実に場当たり的な対処の仕方であったと思う。
日本は高度経済成長を経ることで、極めて豊かになったが、それは同時に人件費の高騰をももたらしたわけで、こうなると日本の産業界は人件費の安いアジアに製造業の拠点を移した。
この時、日本の官も民も、自分達の長期ビジョンを何も持ち合わせておらず、まさしく場当たり的に工場をアジアに作って、そこの安い人件費を使うことに専心した。
問題はこの部分にあるわけで、当座は確かに安い人件費で利益を上げれたかもしれないが、10年後20年後にそれがどうなるかということに考えが及ばず、結果的に日本の産業が空洞化してしまって、今では日本人の働く場がなくなってしまったではないか。
10年前20年前に、日本が工場を作って技術移転して、現地の人々の生活も向上したが、彼等が日本に対して恩義を感じているかとなると、今では完全に競争相手として敵対する関係なっているわけで、我々としては完全に「庇を貸して母屋を取られた」ようなものではないか。
アジアの元の低開発国が、今では核兵器まで自前で作っているが、それを作る工作機械は日本製のものが使われているわけで、我々は敵に塩を送ったような形ではないか。
それでいて我々は何時までも非核3原則を順守しており、これは国際的な見地に立てば、自分で自分の手足を縛っているようなもので、まさしく「日本の常識は世界の非常識で、世界の非常識が日本の常識」になっている確たる証拠である。
我々の通ってきた道をよくよく観察してみると、我々は大きな構造改革のような岐路に立たされたとき、物事を深く考えずに「人の振り見て我が振り直す」という生き方を選択する民族のようだ。
大勢の人が支持する方向に無批判にすり寄っているではないか。
昔から「寄らば大樹の陰」ということも言われているわけで、大勢の人の言うことならばまず間違いは無かろう、という思考回路なのであろう。
あの戦争に嵌り込んでいく過程を見ても、戦後の産業の構造の変革の有様を見ても、バブルの誕生からその崩壊の様を見ても、我々は右往左往と、先行きの全くわからない道に、ほんのわずかな光明らしきものを見つけると、怒涛の如く詰め寄るわけで、これは完全に烏合の衆の暴動のようなポピリズムの再現であって、ここには人間としての理性も知性も全く存在していない。
ただた目先の利益に群がる野生の生き物の姿でしかない。
何度も言うようだが、ここで我々の同胞の中の高等教育を受けた人たち、知識人や、大学教授や、新聞をはじめとするメデイアの論説委員というような人達が、こういう一般大衆の烏合の衆としての自堕落な行動に対して適切なアドバイスや忠告をする機能をどうして欠落してしまったのかということである。
こういう場面で有効に機能しない知識人や文化人ならば、この世に存在する意味がないではないか。
昭和初期の戦争を知らない軍人や、戦後では平和の本質を知らない平和主義者や、大衆をリード出来ない知識人の存在などなど、彼等は決してバカではなく、高度な教育を受けてはいるであろうが、それは一向に社会に還元されておらず、ただただ本人の糊口をしのぐだけに終わってしまっている。

「世界の地下鉄」

2009-09-10 08:53:27 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「世界の地下鉄」という本を読んだ。
今回は「読んだ」というよりも「眺めた」と表現すべきであろう。
というのも、この本は一種の図鑑であって、活字を読むという部分は極めて少なかったからである。
極めてマニア向けの本で、そういう「お宅」向きのものであったからである。
ただ言えることは、世界中で地下鉄というのは随分普及しているようで、最近見たテレビで言っていたが、上海万博を控えている中国ではものすごい勢いて地下鉄工事が進んでいるらしい。
その意味で、東京の地下鉄も昨今では実に目覚ましい発展をなして、私鉄との相互乗り入れを果たして、実に完備されていると思う。
しかし、外国の例と比べると我々は複合的な思考に至っていないという面はどうしても払しょくし切れていない。
というのは、外国、アメリカのワシントン、旧ソ連のモスクワ、中国の北京の地下鉄は、核戦争を想定して作られているということを聞いたことがある。
要するに、核攻撃をされたときのシェルターを兼ねて作られているという風に聞いた記憶がある。
我々世代の言葉で言えば、防空豪であるが、地下に構築物を作るということになれば、こういう発想になるのが普通の思考ではないかと思う。
山間地にトンネルを掘るという場合は、当然のこと、急峻な山道を回避しショートカットを図るという単純な目的でもいた仕方ないが、大都会の地下に大きな空間を築くともなれば、その空間に複合的な目的を抱き合わせるという発想が起きても不思議ではない。
地下に構築物を作るということは、ただでさえ並みの工事ではないわけで、どうせ金と労力と資金をつぎ込むのならば、単一の目的のみならず様々な機能を合わせ持たせた方が有利だという思考は自然発生的に生まれて当然だと思う。
その自然の人間の感情に依拠するならば、どうせ地下鉄を作るのなら、複合的な目的を考えようとなって当然だと思う。
よって、諸外国では核シェルターに至ったものと思うが、我々の発想はどこまで行っても地下鉄は地下鉄、他にいかなる目的も合わせ持つことは罷りならぬということになっている。
なにも東京の地下鉄をすべて核シェルターにせよという極端なことを言うつもりはないが、物事の発想の原点には、ことほど左様に思考の相違があるということを言いたいだけである。
地球上で唯一の被爆国でありながら、我々は核というものを実に観念的に捉えていて、核攻撃などあり得ないという発想に浸りきっているが、これこそが最大の平和ボケと言われるものであろう。
21世紀の今日、土木技術も格段に進歩して、トンネルを掘る技術も随分進化したに違いなく、地中に穴を掘るということも、そう難しいことではなくなったに違いない。
よって東京の地下も、縦横無尽にトンネルが掘られて、周辺から電車が入り込んで、都会の下を通り抜けることが可能になったようだ。
ところが地表の下の利用というのは地下鉄のみではなく、すべての社会的なインフラの整備は地下に向かおうとしている。
当然といえば当然のことで、50年も前ならば空中に張り巡らされていた電線も電話線も今では地下埋設の方向に向かいつつあり、上水、下水というのも昔から地下になっていた。
問題は、これらの社会的なインフラが、それぞれ別個に地下埋設工事を行っている点にあるわけで、例えば地下鉄を新たに作るというときに、そのトンネルを地下鉄だけではなく、総合的に利用するアイデアを出し、それを実践する気のない我々の側の思考である。
地下鉄、電力、通信、下水、上水、そういうものが個々に別々に工事をし、管理し、保守点検をするのではなく、一つのトンネルに総合的に機能を集約することが出来ないのか、と問うているのである。
当然、こういう問題提起をすれば、日本の縦割り行政の弊害に行き着くわけであるが、その部分が解消しない限り、こういう総合的なインフラ整備というのは何時まで経ってもあり得ない。

「鉄道の地理学」

2009-09-09 07:00:25 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「鉄道の地理学」という本を読んだ。
いわゆるハウツーものに近い内容であったが、地理学と名乗っている点に、ただの雑学よりもす少し突っ込んだ視点で描かれていた。
この中で、私の認識の過ちを改めさせられたことがあったので、その点で大いに驚かされた。
というのは、今日までの鉄道の発達の中で、「汽車が家のそばを通ると、ばい煙で火事になる」という理由で、鉄道の誘致に反対したため、地域の発展が遅れたところがある、という話を私は何の疑いもなく信じていた。
ところが、日本各地で、そういう理由で反対した地域は一つもないという話で、鉄道が既存の集落を迂回したのは、すべて鉄道の側の技術的な問題であったということで、当時の技術では克服できない理由のため、集落を迂回したのであって、地域住民の反対があったからではないということだ。
私は、今の今まで、地域住民が目先の利害関係に幻惑されて、先の見通しを見誤った結果として鉄道が集落を迂回したと思い込んでいたが、そういうケースはないということだ。
近代化に掉さす人達によって開発から取り残された人たちの存在というものを信じていたが、その事実を裏返して考えてみると、すべての人が近代化に諸手を挙げて賛成していたということになり、こちらの方が逆に真実味がないように見える。
人の集合という社会において、全員が諸手を挙げて賛成する事柄などというものは、そうそうあるものではないと思う。
どんな事であっても必ず反対者というものは存在する。
鉄道の初期の頃といえば当然のこと蒸気機関車が煙をモクモクとはいて走っていたわけで、その沿線の民家というのは、当然、藁屋根かかやぶき屋根であったことを考えると、火の粉が飛んできて火事になるかもしれないという恐れは十分あり得る。
だとしたら、それを理由に反対運動が起きても不思議ではないわけで、その反対運動には十分整合性があった筈で、こちらの方が信憑性が高かったに違いない。
反対の理由に整合性があり、信憑性も高かったが故に、後世、「近代化に取り残されたのはささやかな地域エゴが原因であった」という風評が定着してしまったのであろう。
一般の世間の人には、鉄道の側の技術的な理由で集落の中まで引いてこれなかったという真の理由は明かされなかったので、あらぬ風評が定着してしまったに違いない。
近代化とか開発という問題には、こういう認識の錯誤という難問がついて回ることは避けられないと思う。
平成21年の8月に行われた衆議院選挙で、いよいよ民主党・鳩山内閣が出来そうであるが、民主党はこういう開発には非常に後ろ向きで、「不要不急の開発はやめる」と言っているが、開発の計画というのはただただその場その時の思いつきで決められたものではないと思う。
その時々の状況から鑑みて、将来の未来図を思い描きながら、計画が策定したものと私は考える。
他者の目から見て、開発計画がいくら杜撰に見えても、地方の意見や希望を全く無視して出来ているわけではなく、地域に住む人々の、その時々の希望や願望を包括し、内包したものが開発計画になっているものと考える。
成田の国際空港でも、最初は国を二分するほどの反対運動の中で推し進められたが、今ではなくてはならない施設になっているではないか。
その反対に、青函トンネルは多大な犠牲と長い年月を掛けて出来上がったものの、出来上がったときは航空機の発達に押されて利用価値が半減してしまった。
計画されてから10年も20年もかけて完成したならば、その間に世の中の構造そのものが変わってしまうというケースも往々にしてあると思う。
世の中の変化というのも、実に目覚ましいものがあるわけで、私の住む地域でも、鉄道が作られ、それが廃止の憂き目に遭うという変化がこの100年の間に繰り返されている。
これも大いなる無駄のように見えるが、一見無駄のように見えてはいるが、これはこれで経済効果を生み出しているのかもしれない。
つまり、スクラップ・アンド・ビルドであって、最初に作る時に膨大な設備投資が行われ、それを壊す時に又大きな金が動くわけで、作っては壊し、壊しては作るというサイクルの中で、大きな経済効果が見込まれているのか知れない。
私の住む近くにピーチライーナーというモノレールの鉄道があって、近くの小都市と団地の間を結んでいたが、この路線の利用者が少なく、最終的には採算割れで立ち行かなくなり、開業わずか15年くらいで廃業になってしまった。
これなどは全くバカげた施設で、話にならない。
こういう企画・計画を考える者もバカならば、それに許認可を与える方もバカの上塗りなわけで、バカとバカの相乗効果で、見事にスクラップ・アンド・ビルドを踏襲している。
ピーチライーナーは、たまたま私の家の近くにあったものだから、そのバカさ加減というものを目の当たりに実感することが出来たが、この路線の失敗の原因は、まず最初に桃花台という団地の開発が景気の動向により中途半端に終わってしまったことにもあるが、その前に、地域エゴによって人の移動を無視した計画になっていたところにある。
この地域、尾張地方というのは、戦前、戦中、戦後を含めた100年の間に、集落と集落を結ぶ鉄道というのは案外こまかく地域社会を網羅していたが、それが全て採算割れで消滅してしまった。
東京はこの100年の間に鉄道網は拡張に拡張を重ねていたが、尾張地方というのは、その同じ時空間の中で、ローカルな鉄道が出来ては消え、消えては出来て、再び消え去ったわけで、残ったのは車の氾濫のみである。
愛知県はトヨタ自動車の本拠地で、すべての施策がそれを中心に回っているような感さえある。
そして中京圏というのは、東京と大阪に挟まれて、どうしてもこの両方を意識せざるを得ない。
都市集中という場合、人々は、東京と大阪は意識するが名古屋となるとついつい忘れてしまうのが現実ではないかと思う。
名古屋の不人気はさもありなんという部分も大いにある。
今度新しく就任した民主党出身の河村市長の姿をテレビの映像で見る限り、名古屋がバカにされるのもむべなるかなとつくづく思い知らされる。

「国鉄の戦後がわかる本」

2009-09-07 13:36:36 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「国鉄の戦後がわかる本」というのを読んだ。
タイトルをそのまま信じて借りてきたが、いささか拍子抜けの感がした。
戦後の混乱を語っている分には問題はないが、その戦後の混乱の大きな山は、当然のこと下山事件、三鷹事件、松川事件という大きな事件を抜きには語れないと思う。
ところが、その部分が欠落している。
これらの事件についてはすでに多くの人が論を立て、それぞれの見解に立って本も出ているので、今更屋上屋を築くことはないという判断だと推察するが、タイトルが「国鉄の戦後を語る」となれば、その部分に足を踏み込まずに通りすぎるということは、「仏作って魂入れず」の類にあたる。
戦後という混乱の中で、国鉄という組織は実によく機能したと思う。
戦前、戦中を通じて、一つの組織が組織として有効に機能するということは、突き詰めれば戦争遂行に極めて熱心に協力したという言い方になってしまうが、それはそれで国民として立派な行為だと思う。
国家が国家の意志として戦争をしているのであって、そういう状況下では国民としては国の方針に協力することはいささかも卑下することではない。
ところが、その結果として、戦争に負けてしまったとき、人々は負けるような戦争を指導した元の国のリーダーに対して、「裏切られた」という感情を持つのも、生きた人間として当然のことで、我々は戦後そのことを素直に自分達で裁いてこなかった。
自分達で裁く前に占領軍が勝手に彼等の論理でそれを行ってしまったので、我々が自分達の同胞に騙されていた、という憎しみの感情と憤怒の気概が緩和されてしまった。
そういう国民感情はひとまず置いておいて、旧国鉄の人々というのは実に健気に働く人たちであったと思う。
私の父親は、生前に自分史らしきものを認めており、それを読むと、あの終戦の日、つまり1945年、昭和20年8月15日も東京の山手線は平常通り動いていたという。
丁度、正午になって天皇陛下の放送があるということで、すべての列車が最寄駅に停車し、乗客はホームにおりて、構内放送で玉音放送を聞いたが内容はさっぱり理解できなかったと述べている。
放送が終わったら、お客はまた元通り車両に乗り、お客も電車も何事もなかったように物事が進んでいったと述べている。
父のこの自分史によると、この時に山手線から見える東京の景色は、それこそ見事な焼け野原で、上野駅から海が見えたとも書いてあったが、ここまで言うと真偽が疑わしい。
私が注目すべきことは、こういう事態においても当時の国鉄職員というのは実に健気に自分の職務を遂行していたという事実である。
これは我々、日本民族の組織論の顕著な例示であって、我々の組織というよりも、我々の民族の特質として、公共に対する忠誠というか、奉仕の精神が、脈々と民族の潜在意識として、伏流水のように我々の中に流れていると思う。
あの戦争中の前線の兵士にも、自ら特攻隊に志願して散華していった若者にも、この公共の福祉に貢献しようという潜在意識は脈々と流れていたものと推察する。
問題は、こういう健気な気持ちを食い物にする管理者、組織のトップの存在である。
「天皇陛下のために若者が散華していった」という軍国美談は、こういう中間層の戦意高揚のためのねつ造であって、彼等は後に残された同胞、父母、兄弟、恩師、学友に「幸あれ」と願って、散華していった。
旧国鉄でも、旧の軍隊でも、大きなピラミット型の組織を形作っているわけで、そのピラミット型の底辺の人達は上の人の言うことを実に健気に実践しようと考え、それに一生懸命尽くそうとしているが、ピラミット型の中程から上の人達は、そういう底辺の人々の忠誠を食い物にしているのである。
東京の大空襲でも、広島の原爆投下でも、鉄道の復興は実に早かったようには思うが、それはひとえに旧の国鉄職員の努力のたまものであったに違いない。
そういう旧国鉄が民間に分割されるということは、昔の大日本帝国の軍隊が自衛隊に成り替わったようなものである。
戦後という時期は、組織の下部において実務を実践している人たちに、職務や勤務や自分の仕事に対する誇りを否定するように仕向けることを民主化という言い方で押し付けてしまった。
我が日本民族は、1945年、昭和20年8月15日まで、完全に我が同胞の戦争指導者、政治指導者に騙され続けていたわけで、その恨みが国民の底辺に広く深く静かに浸透したという部分も無きにしも非ずであるが、この混乱に乗じて雲蚊の如く湧き出てきたのが、共産主義の賛歌である。
今まで治安維持法で押さえ込まれていたパンドラの蓋を開けてしまったのが、日本に進駐してきた占領軍であった。
ここで私として全く腑に落ちない気持ちになるのは、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた知識人と称する人たちの存在である。
その多くは大学教授として「象牙の塔」に籠っていたかもしれないが、こういう学識経験豊富な知識人が、軍国主義に対しては沈黙を通し、世の中が逆転して、民主主義の世になると、共産主義を礼賛するということは一体どういうことなのであろう。
「戦前戦中は治安維持法があったから沈黙さざるを得なかった」という言い分は、私に言わせれば後出しジャンケンと同じで、自分の勇気のなさをカモフラージュする言い分でしかない。
学識経験豊富な知識人であればこそ、一篇の法律など、持っている知識を総動員すれば、どういう風にでも言い逃れ、言いくるめ、問題点を煙に巻く芸当が出来る筈で、それが出来ないということは何んのための学識経験なのかということに行き着く筈である。
学識経験豊富な知識人といえども、人の子として「自分が可愛かったから、当たり触りのないように黙っていた」というのならばまだ人間として正直な言い分であるが、自分の勇気のなさを治安維持法の所為にするのは責任転嫁というもんだ。
で、世の中がひっくり返って、何を言っても牢屋に入れられることがない、ということがわかると俄然、勇気百倍になって大声で吠えまくるというのが戦後に生き残った学識経験豊富な知識人と言われる人たちの存在である。
実にあさましい醜態ではないか。
組織というものは、管理する側とされる側の図式で成り立つわけで、そこで管理される側が組合というものを作って管理する側と対峙することは当然のことである。
この両者は、企業の存在理由、あるいは理念を成就する目的達成については利害が反してはならない筈で、不合理な要求で会社をつぶれてしまって元も子もないわけで、普通はこういうことにはならない。
つまり、企業の、あるいは組織の目的達成のためには、労使協調が本筋であって、その根本の理念を捨てて、ただただ使用者側を潰すことが目的のような労使交渉は許されるべきではない。
戦後の国鉄の労働組合の中には大勢の共産党細胞が入り込んで、組織の内側から組織そのものを蝕み、食い散らかしたわけで、問題はこういう状況に対して当時の日本のメデイア、及び学識経験豊富な知識人などが組合側、いわゆる共産党の言い分を容認したことにある。
こういう過激な思想や行動に理解を示すことが、この時代のトレンデイ―な流れであったわけで、戦後の日本のメデイアや学識経験豊富な知識人が、こういう風潮に喜々として身をゆだねたことは、戦前・戦中において軍国主義を吹聴しまくった振舞いと全く同じ軌跡を歩んでいることと同じであるが、彼等はそれに気がついていない。
こういう連中も、日本という大きなピラミット型の社会の中では、その中間層を構成しているのであって、その下の階層は日夜汗にまみれて企業戦士として前線で戦っているにもかかわらず、その後方で机に前に座って愚にもつかない議論をしながら、底辺の人の汗と血の成果の業績の上澄みをかすめ取っている図である。
旧国鉄は戦後の混乱の中で旧植民地からの引揚者の雇用の確保という意味からも、大勢の人を受け入れざるを得なかったことも事実であろう。
ならば組合員の中から、共産党の細胞を排除する動きが出てきてもよさそうに思うが、そういう動きは一切なかったように我々の目からは見える。
国鉄の組合の中で、共産党細胞が傍若無人な振る舞いをしていて、それを制止し、軌道に乗せ、常識の範囲の押しとどめることが出来なかったということは、体制に流され続けたということであって、戦前・戦中の我々が軍国主義の奔流に抗しきれずに押し流された構図と全く同じということになる。
国が破たんした時は敗戦、占領という事態になったが、国鉄が破たんした時はそれがJRとして生まれ変わったわけで、同時に昔の軍国主義者が排除されたのと同じで、国鉄内の共産党細胞も排除されたものと考える。
「思想・信条の自由」だから何をしても許されるということは全く別のことで、共産主義をいくら信じても構わない、『赤旗』をいくら購読してても構わない、けれども現行法に違反すれば、それは当然罪科を負うわけで、自分の思想信条に忠実に行動したのだから無罪だ、という論理は成り立たないことは言うまでもない。
「国鉄の戦後」という場合、組合内部における共産党員の動きを無視しては、話そのものがありえないと思う。
戦後の日本で共産党の活躍というのは、目を覆いたくなるようなものが多いが、共産党というのは、常に政府および現行体制に戦いを挑んでいる。
日本民族の深層心理の中には判官贔屓というものがあり、常に、強いものに立ち向かう弱いものに味方したくなる心理が根付いており、そういうものを感情的に容認する部分がある。
役所に出す書類に捺印が抜けていて受理されないと、役所の四角四面の対応を糾弾して、印鑑の一つぐらいあってもなくても構わないではないかという論理になる。
こういうことが重なり合って、結局、行く着く先が慣れ合い、癒着、杜撰な書類管理ということになるが、戦後の国鉄労組の中の共産党細胞の横暴も、一つ一つの細かい違反を、その都度その都度潰しておかなかったので結果の集大成として分割民営化ということになったに違いない。
民営化直前の国鉄職員の働き具合というのは、我々には詳しく知らされていない。
しかし、巷間に流れている情報や噂話では、彼等は徹底的に働かないということが伝わってきている。
約60数年前に国鉄一家と言われた国鉄職員は、東京大空襲があっても、広島や長崎に原爆が落とされても、終戦の日にも、彼等は職務を全うして、列車を運行し続けて、打ちひしがれている国民に勇気と希望を啓司し続けたのに、彼等の末路を一体どう考えたらいいのであろう。
国鉄という巨大な組織の構造的な疲労もさることながら、組合の中に浸透した共産主義と、それをフォローする共産党細胞の不見識な振る舞いと、それ外側から煽りに煽る学識経験者とかメデイアの存在が、国鉄という組織を消滅に追い込んだに違い。