ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「官僚、もういいかげんにせんかい」

2008-12-30 16:41:48 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「官僚、もういいかげんにせんかい」という本を読んだ。
どうも以前読んだような気がしてならない。こういうことはよくある。
図書館の開架式の書棚から、目についたものの中で一番興味を引いたものを選んでくるので、私の志向がある程度固まっているのであろう、その興味のあるという部分で同じ傾向のものを無意識のうちに選択しているようで、前読んだことを忘れて同じものを選ぶということはままある。
これも私がバカな証拠なのであろう。
で、この本、谷沢永一氏の著書であるが、この人は今の日本では最右翼の人ではなかったかと思う。
「あとがき」を読んでみると、彼自身、文部省のあこぎな手法を目の当たりにして、官僚に対する憎悪を倍加したことが述べられている。
官僚というものの元祖は、確かに江戸時代における各藩の武士階級にあることは論をまたないだろう。
江戸時代の藩の数というのは約260あったと言われているので、その藩にはそれぞれに藩政を司る武士としての官僚の存在があったものと考えられる。
今でいえば地方公務員という位置づけであろう。
しかし、この時代の藩というのは領民と武士と藩主というものが三位一体をなしていたのではないかと思う。
我々が学校教育で習った認識でいうと、藩主は領民を抑圧し、年貢を無理無体に絞り上げる存在という印象を受けがちであるが、それでは平穏な時代が長続きするわけもなく、真実はもっと合理的なシステムであったに違いない。
テレビドラマの水戸黄門を見ていても、藩主といえば農民を搾取する悪者というパターンを一歩も出るものではなく、藩主が領民、農民や町人を抑圧し続けて、自分一人酒池肉林に耽っていたかのように描かれているが、現実はそうではなかったと思う。
この藩主と領民の間をつつがなく維持していたのが武士、つまり今の公務員としての階層ではなかったかと思う。
ところが明治維新で、そういう小さな小廻りの効くシステムが否定されて、国家という大きなシステムを運用しなければならない時になると、従来の仕方ではできないわけで、そういう専門家を急きょ養成しなければならない状況に追いこまれた。
そういう目的で東京大学が出来たということは十分に納得できることである。
ところが役人養成機関、官僚養成機関、公務員養成機関という施設でいくら教育を施しても、個人の根からの卑しき心というのは教育では全く是正できないわけで、それがわかって居ながら、それを克服する方法を見つけ出せなかったという点に我が国の悲劇が潜んでいた。
官僚が昔も今も人々の怨嗟の的となるのは、彼らのモラルに起因していると思う。
国民の一人として、官僚だから、公務員だからと言って、彼らに「滅私奉公をせよ」というわけではない。
ただ彼ら自身が「国民のために仕事をしているのだよ」という自覚さえ持っていれば、人々の怨嗟の気持ちは相当に低下すると思う。
谷沢永一氏はこの本の中で言及していないが、戦後の一時期、国家公務員の給料が極めて低かった時期がある。
それを是正するために人事院勧告という形で民間企業並みにアップしたことがあるが、公務員の給料が民間企業と比べて低いときは、そういう措置をしておいて、景気が悪くなって民間企業にリストラ旋風が吹きまくるようになったとき、公務員の給料もそれに合わせてダウンするかといえば、そういうことはないわけで、これが国民の怨嗟の的になるのは当然である。
「あとがき」で彼が憤慨していることは、大学設置に伴い、旧文部省が先生の採用を押し付けたことにあるが、許認可権を盾にしてこういう横暴をするのが官僚だという意味で、この著者は怒っているのである。
これもひとえにモラルの問題なわけで、このモラルというのは目に見えないところが最大の難点である。
官僚というのはペーパーチェックで採用が決まるわけで、ペーパーチェックではそれこそモラルの測りようがない。
人を雇うのにペーパーチェックというのはある種の目安にはなるが、ペーパーチェックを最優先にするところが問題だと思う。
特に、旧日本軍の中では陸軍大学、海軍大学の成績がその人の出世に大きく左右したと言われているが、学校の成績とその人のモラルとの相関関係を全く無視した愚が、日本を奈落の底に落としたに違いない。
戦前の日本軍、旧陸軍、旧海軍の組織を徹底的に掘り起こせば官僚の研究にはきっと大きな功績につながると思う。
そういう戦争のプロが、プロらしからぬ作戦を遂行した揚句が、日本の敗戦、勝つべき戦争で敗北するという愚挙を犯したわけで、こういう大失敗を経験したにもかかわらず、戦後の学歴偏重、成績偏重の悪弊は一向に改善された兆しがないのはどういうことなのであろう。
明治維新を経た我が国では社会的な階級というものが極めて低く見られて、特に戦後はそういう特権階級というのは全否定され、文字通り四民平等が徹底した。
その中で人を採用する際の目安としてはペーパーチェックしかないわけで、そのペーパーチェックこそが唯一の判定基準にならざるを得なかったのはいた仕方ない面がある。
採用する際の基準としてはペーパーチェックしか手法がなかったとしても、その後の仕事の配分では、人物本位の裁量というのは当然あってしかるべきであるが、これがうまく機能していないところに官僚の最大の問題点が潜んでいたわけだ。
近代的な国家を運営するにはピラミット型の組織が必要なことは十分にわかっているが、問題は、そのピラミットは国民のためにあるという認識を、ピラミットを構成している人々が持っているかどうかである。
国というものを運営するためには、きっちりとしたピラミット型の組織が入用なことは当然であるが、そのピラミットはそれぞれの持ち場立場で、それぞれの使命というか役割をきちんと果たさないことにはピラミットは崩壊してしまう。
ピラミットを築き上げている石は、長い年月の間にそれぞれの部分に不具合を生じ、欠陥が表れ、崩れそうになるのも自然の摂理であって、問題はそれを自分で修正する自己修復、自己防衛、自浄作用が機能するかどうかである。
旧日本陸軍、旧日本海軍、旧内務省、今の外務省、厚生省にそういう内部からの自立的な機能修復機能があったかだどうかを検証すべきだと思う。
私はこの本の著者から言われるまでもなく、官僚というのはアメーバ―の自己増殖のように、自ら際限なく増殖する存在だと思っている。
国民のために新しい仕事を作るのではなく、彼らは彼ら自身の存続のために次から次へと新しい仕事をねつ造するわけで、それはどこまでもどこまでも膨らんで行くものだと考えている。
そして一旦出来た組織は、その使命・役目が終わった後でも可能な限り存続させるわけで、こういう事例から鑑みれば、彼らの縄張り意識というのは決して後ろ向きにはならないわけで、無駄を承知で存続させるのである。
この部分の潜在意識に、民間と同じレベルに給料をアップしながら、不況の時も民間と同じレベルに給料をダウンさせない屁理屈が罷り通っているのである。
それは同時にコスト管理がないということでもある。
民間企業ならば、無駄なものは一刻でも早く整理しなければコスト面で損をするという概念が否応なく作用するが、彼らにはそういう意識は毛頭ないわけで、所詮は国民の血税ということに気が回っていないので、こういうことが罷り通るのである。
官僚がこういうふうに威張るのは、自分が統治する側の人間だということを自覚しているからであって、これもモラルの問題にいきつくが、自分自身が弱いから空威張りという行為で虚勢を張っているのであろう。
しかし、官僚がこういう態度をとるようになった遠因には、国民の側にも一抹の責任があるようにも思える。
というのは、日常生活の些細な問題点を解決するのに官頼みということがある。
例えば、振り込め詐欺が横行すると監督官庁になんとかせよと迫る。
ネズミ講がはやるとまたもや監督官庁に何とかせよと迫る。
交通事故が多発すると監督官庁になんとせよと迫る。
国民は、日常生活の些細な問題点の解決を、すべて官僚の責任においかぶせようとするが、その些細な問題点の大部分は、国民の側の自己責任の部分も多々あると思う。
振り込め詐欺の問題だって、ネズミ講の問題だって、交通事故の問題だって、国民の一人一人がしっかりしていれば犯罪そのものがありえないわけで、その責任を官僚におい被せようという発想は、無責任な責任転嫁以外の何ものでもない。
自己責任を放棄しておいて、官の施政に寄りかかろうとする安易な思考である。
ただ官僚という場合、我々は自分の身の回りの視点で見がちであるが、外交問題に携わっている官僚もいるわけで、こういう官僚が国益というものを忘却していたとしたら大変なことである。
国益という言葉が出ると、人の命と国益を秤にかけるという形で問題提起されると答える方ははなはだ難しくなって返答に困るが、平成20年12月30日の新聞報道ではイラクで拉致された邦人救出に2億円が投じられたとなっている。
危険地域に指定されたところに、ふらふらと出かけて行った阿呆な邦人救出に、国民の血税が使われるというとき、我々はこれをどう考えたらいいのであろう。
本人から、その2億円という金を弁済してもらえば何ら問題はなく、こういう当然の事が当然の事として素直に通っていれば何ら憂うべき問題にすることはない。
官僚、この場合は外務省であろうが、きちんと本人にその金額を要求して、本人がきちんとそれを支払うのが筋だと思う。
問題は、官僚として、その2億円という金を外務省の官僚がきちんと本人に請求するかどうかである。
人が国益ということを考えるとき、その人の祖国への誇りというものがない限り、国益という思考そのものが湧いてこないと思う。
その顕著な例が、日米開戦の劈頭において、駐米アメリカ大使館の不様な対応と、それを不問に付した外務省の感覚である。
此処では当然の事が当然の事として当たり前の事として通らなかったから日本人は卑怯な民族としてアメリカ人の敵がい心をあおる結果を招いたではないか。
日米開戦、対米戦争において、日本の旧軍人の戦争に対する認識と、駐米日本大使館の国益ということに対する背任行為は、官僚の愚直をものの見事に具現化した局面である。
この本の著者は、大東亜戦争は官僚にそそのかされて軍部が踊らされた、というニュアンスで語っているが、戦後の我々の普通の認識では、軍部が独断専横した結果だという風に語られるのが普遍的である。
ここで問題なことは旧軍部も明らかに官僚であったという点である。
軍官僚という言葉もあるように、軍隊という組織も、官僚制度の一環ではあるが、その中でも兵は徴兵制で集められているわけで、下の方は官僚制にそぐわないが、トップは明らかに官僚そのものである。
で、その官僚が国益というものに全く無頓着であったという点に、日本の悲劇が潜んでいたわけである。
戦争のプロであるべき軍人が、近代戦争、現代の戦争、国家総力戦という戦争について無知であったわけで、だからこそ最前線で戦う兵士たちは優秀であったが、後方で指揮を執っていた参謀連中は、世界最悪最低の軍人達であったということを日本の敗戦が見事に証明したということである。
軍人の価値、軍隊の存在理由は、戦争に勝ってこそ証明されるわけで、戦争に負ける軍隊、将校、高級参謀というのは結果が敗北である以上、国民からヤツサギにされてしかるべきである。
国民から袋叩きにあって当然である。
ところが我々日本民族、日本国民というのは肩書、官職に極めて弱いわけで、負ける戦争をした元○○中将、旧○○大将という旧軍の高級将校に対してさえも、畏敬の念を抱き、恐れおののいていたわけで、ここでも官に依存する体質が見事に露呈している。
敗戦になるような戦争指導した軍人を袋叩きにするという発想には至らないのである。
旧軍人たちが負ける戦争をしたということは、戦争を私物化していたわけで、それは現代の戦争を関ヶ原の合戦レベルの思考で見ていたということに他ならない。
これが軍官僚の官僚たる所以であって、如何に愚昧な連中であったかを物語っているが、そういう反省は未だに我々の中に沸き上がっていない。
官僚のモラルの低下は、官僚になる前からのそれぞれの個人に内在している問題なわけで、それこそその人の生い立ちから解きあかさねばならない。
仮に18歳の人間が将来官僚として身を立てようと考えたとする。
その若者は官僚になるための最短コースとして東大を目指して、そこから官途の道を選択した場合、官僚の精神的腐敗はすでにこの時からその人の心を蝕んでいるわけで、動機そのものが不純である。
官僚になるという動機からして不純である。
何故、官僚を目指すかと問えば、その人の答えは「国家のために身を挺して働く」と模範解答をするであろうが、既にここから嘘のうわぬりが始まるわけである。
18歳にもなった人間が、真面目に模範解答するところが嘘っぽいわけで、その心の内では「楽して立身出世が出来るから」と計算しつくして志願するわけである。
官僚を目指す人間は、すべてこういう計算によって官僚を目指しているわけだから、その中で青雲の志を探そうたって見つかるものではない。
官僚は「楽して立身出世が出来る」ということは、日本国民にもれなく行きわたっている認識なわけで、その地位は安定し、給料は黙っていても上がるし、馘首の心配はないし、何もせずにじっとしていれば、それなりに出世が出来ることは保証されている。
こういう官僚に前途有能な若者が応募すること自体、既にモラルの低下を示している。
若者ならば、目先の損得を度外視して、未知のものに挑戦する勇気をもってこそ、はつらつとした若者像だと思うが、そういう選択とは対極の選択なわけで、そういう発想そのものが不純で、いかがわしいと私には思える。
しかし、現実にはそういう選択をする若者が官僚として今でも応募しているわけで、これでは公務員の倫理の向上は望めない。
楽して出世できるから公務員になる、というその根本のところから既に公務員の本旨を履き違えているわけで、こういうものに国民に対する奉仕を期待する方が間違っている。
彼らはなった瞬間から国民の事など忘却の彼方に追い込んでいるわけで、あるのは目先の出世、つまりいく段階にもわたる階梯の一つ一つを上がることだけである。
彼らはペーパーチェックを一度はクリア―しているわけで、その意味では並み以上の頭脳の持ち主であろうが、それ以降の頭脳の鍛え方、あるいは身の処し方、または未知のものに挑戦する勇気を持ち続けたかどうかだと思う。
しかし、官僚という環境の中に身を置く限り、そういう若者の前には周囲の同僚や先輩達の姿を見、あるいは悟り、懐柔されだんだんと官僚らしい官僚に至るのであろう。
民間企業では新しい試練が次から次の課せられるので、常に緊張を強いられるが、ぬるま湯の中にどっぷりとつかることを最良の策と刷り込まれた人たちにはそれは当然耐えられないであろう。

「星の草原に帰らん」

2008-12-29 06:41:53 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「星の草原に帰らん」という本を読んだ。
モンゴル人の女性の一生を綴った本であったが、その大部分は中国批判である。
ある国が、国民からこれほど糾弾され、嫌われ、恨まれるということは、まことに不幸なことだと思う。
主権国家の国民として当然統治する側とされる側の立場の相違というのは、いつの時代、いつの世でもついて回る構図であって、国民が自分達の政治、為政者、統治者を崇めたてまつる状況というのは、ありえないことだとは思う。
いくら善政を敷いたとしても、国民の側が真からそれを喜ぶという光景は極めて希有なことだと思う。
国民が自分の国、自分達の為政者に不平不満を述べるというのは、ごくごく正常な市民感情だと思う。
我々の祖国でも、あの戦争に嵌り込んだ為政者の責任は未だに問われ続けているわけで、その反省の上に立って戦後の政治が成り立っていることは十分に理解できることである。
しかし、その反省に依拠して現実の社会的な事象を考察すべきなのに、その争点がずれて、反省を顧みるというポーズのみが独り歩きして、議論がかみ合わず、反省が反省足りえていないこともしばしば起きる。
ところがこれを自分の国の外から、自分の国に向かって祖国を批判するということとなると、ことはそう単純ではないと思う。
例えば、「ワイルド・スワン」を書いたユン・チャンのように、中国の共産党の幹部でいながら、自分が権力抗争に巻き込まれて迫害を受けると、それを祖国に敵対する陣営にぶちまける、ということは素直な気持ちで受け入れ難い。
自分もさんざん人を糾弾しておきながら、矛先が自分に向けられると、その相手を糾弾するという態度は、私としては受け入れ難い人の倫理もとる行為にしか見えない。
自分はさっさと安全地帯に逃げて、残された祖国を売るという行為は我慢ならない。
戦後の日本でも、自分達の政府を批判することが進歩的文化人の処世術として大手をふって罷り通っていたが、これはいわば井戸の中の蛙の大合唱のようなもので、あくまでも井戸の中という枠の中でのことである。
ところがユン・チャンの場合は、完全に枠の外から井戸の中のことを糾弾しているわけで、これは見方を変えれば祖国に対する裏切りである。
自分の祖国は、ことほど左様にめちゃめちゃなことをしているから寄ってたかって叩きのめしてください、と世界に向かって言っているようなものである。
国の外からこういうことを言われるということは、その国の人間としては実に由々しきことだと思う。
国の政策に対する批判というのは、統治される側としては当然であるが、祖国を売るような発言は当然してはならないし、民族の誇りを自ら捨てるようなもので、人間として褒められたことではない。
A国が自分の国益との兼ね合いでB国を糾弾するのとはわけが違う。
少し前の中国や韓国が、国民の不平不満のガス抜きとして、対日批判をしているのとは訳が違う。
A国の人間がB国に行ってA国の悪口を言う図である。
しかし、政治は人が行うわけで、人が行うという意味では誰がやっても同じという面も併せ持っている。
共産主義国の政治も、その共産主義に心から心酔している人も大勢いるわけで、そういう人が共産主義体制というピラミットを形つくっており、その意味では、戦前の日本が軍国主義一点張りで、国民の心が一致していたことと同じである。
戦時中の日本の軍人の独断専横を糾弾することは残されたものとして当然であるが、戦後になって、当時の軍国主義の齟齬を声高に叫ぶ日本の知識人の発言に信を置きかねるのも、そういう意味から世の中の流れに敏感に反応して身を処す彼らの生き方に我慢ならないものを感じる。
戦時中は、日本の全ての国民が大なり小なり軍国主義者だったわけで、それを上から強制された軍国主義だと言って、自分を枠の外に置いて罪を逃れようとする知識人には鼻もちならないものを感ずる。
「軍国主義者であらねば生きておれなかった」という意味では、旧ソビエット連邦や中国の文化大革命の時と同じなわけで、そのことを考えれば、人のすること、つまり政治というのは主義主張を超えて全く同じだということがいえる。
我々は今になって旧ソビエットの初期の段階でスターリンがどういうことをしたか知ることが出来る。
また、中国の文化大革命の時にはどういうことが行われていたか知ることができる。
スターリンのした粛清、毛沢東のした文化大革命で犠牲になった人々、こういう犠牲は日本の大東亜戦争における同胞の犠牲と似たり寄ったりなわけである。
ただ違うのは、同じ死でも「国家のため」という誇りを前面に出した死と、犯罪者という罪状を背負わされた死の違いである。
しかし、この死の意味の違いは極端に大きな違いがある。
計り知れない大きな相違がある。
しかし、これもその国の国民の選択であったことには違いがない。
ロシア革命も、ロシアの人々の選択であったわけだし、中国の共産主義革命も彼らの選択であったわけだ。
だがそれぞれの国でも、全員がその道を選んだわけではなく、体制側につく人とそうでない人が混在することになるが、ここで体制側についたが人が真面目だと世間が大混乱に陥るのである。
政治体制が確立するということは、それぞれの主義主張に順応した大勢の人がいたということで、その人達は真面目にそれぞれの主義主張に心酔していたに違いない。
こういう共産主義革命で、共産主義が至上のものだと真面目に、真摯に、素直に、思い込んでしまった人が、自分のみならず他人にまでそれを強要しようとするから、世の中が大混乱に陥るのである。
我々の戦前の日本でも、それと同じことが演じられたわけで、真面目な人ほど軍国主義を真に受けて、忠君愛国、欲しがりません勝つまでは、というスローガンを真摯に受け取っていたのである。
政府が「戦争には勝つ」と言っていたので、最後の最後までそう信じて疑わなかったわけで、政府を懐疑的にみていた人は、その馬鹿ばかしさに気がついていたに違いない。
しかし、当時はそれを言うわけにもいかなかったので沈黙せざるを得なかったが、ここで体制に順応した真面目な人は、そういう懐疑的な人をあぶりだすことに正義感を感じていた人も数多いたと思う。
そのことはすなわち旧ソビエットのスターリン体制、中国の文化大革命において、時の勢いに便乗して、周りの人を苦境に追い込んだ人も大勢いたのとおなじで、国の指針が、政治の状況によって、ある時は軍国主義、ある時は共産主義というもので確定したとき、その国の国民としては好むと好まざるとその指針の通りに生きざるを得ないわけで、いわば提灯持ちの選択もやむを得ない場合がある。
そういう体制の中で生き抜くためには、周囲の人間に罪を覆い被せて、自分自身が生き延びなければならない状況もありうると思う。
人の倫理には背くかもしれないが、自分が生き残るためにはいた仕方ない選択であったかもしれない。
我々の国でも、軍国主義の中で、特攻隊に自ら進んで命を投げ出さざるを得ない状況が、周囲の目には見えない圧力となっていたことが、往々にしてあったものと推察する。
つまり、自分は特攻隊などの行きたくはないが、郷里の母の名誉のため、親類縁者の誇りのため、あるいは人から弱虫と後ろ指をさされないように、という動機で志願した人も少なからずいたと思う。
我々の場合は、それを他者が無理に強要するわけではないが、それでも言わず語らずのうちに、無言の圧力として、本人とその家族にはのしかかっていたものと推察する。
これを戦後になって、この時代を生き延びた知識人たちは「軍が強要した」という形で告発しているが、それこそあの時代を生き延びた同胞としての知識人の裏切りに他ならない。
時代状況がすっかり変わった後になって、あれは「軍が強要した」と言ってみたところで、その時知識階層としては何をし得たかと問いかけなければならない。
すると、「治安維持法があってものが言えなかった」という返答になるが、我々はそもそもそれほど法を厳格に順守する民族であったろうか。
戦後の物価統制法のもとで、法律をきちんと順守して死んだ人は裁判官が一人いただけで、他の同胞は皆法の網を潜って生き抜いたわけで、治安維持法だとてその気になって法の下を潜ろうと思えばできたはずである。
でも、それをしなかったのは、知識人たちに勇気がなかっただけのことである。
そういう自分達の不甲斐なさを、他者の所為にして責任転嫁するというところが、知識人の極めて狡猾なところであって、こういう知識人が時には体制べったりになるところが恐ろしい。
こういう体制べったりの人たちは、自分の身は体制が保障してくれているので、異端者、異分子、反体制の人々を虐め抜いたとしても、その痛みを理解しきれていないので、悲劇がさらに拡大する。
更に悪い事に、こいう体制の側に身を置くと、自分が真面目であればある程、他者に対する心配りに気が回らないわけで、人の痛みを悼みとして理解しない。
そして虐める側も、自分がそれをしないと自分自身も虐められる側になってしまうので、不本意でも皆の前で自分の意志表示を明らかにするため、しなくてもいい虐めに手を貸すということになるのである。
このあたりの状況は、我々日本人も、中国人も、ロシア人も、人間としての行いとしては何ら遜色ない。
することは同じだ。弱いものを虐める心理というのは民族を超えて同じようなものだ。
悪いのはその主義主張を真面目に実践せしめようとする、素直さや、従順さや、気真面目さである。
政治・外交を語るとき、その時々の政府に、主義主張を超えて本当に人間らしい判断力と洞察力と愛情をもって人々の幸福を語る場がないことである。
日本の政治というのは、この幸福を追い求める点では与野党とも同じであるが、そのプロセスが違っているだけにもかかわらず、これが素直にことが運ばない。
日本の場合、与野党で見解の相違があっても、そのことですぐに殺されるということはないが、旧ソビエットでも中国でも反対意見をゆるさないわけで、そういう政治体制を最高のものだと思い違いをした日本の学者諸氏に対して、我々はどういう制裁を加えるべきなのであろう。
間違ったことを教え、さとし、喧伝した知識人、大学教授という人たちには、なにがしかの責任を負ってもらうことが必要なのではなかろうか。
旧ソビエットでも新生中国でも、こういう場合の責任の所在というのは実に明快で、ただちに身をもって意見の違いを償い、軽くても牢獄に放り込まれるわけだが、日本の知識人の中には、こういう国をユートピアだと思い込んだ馬鹿がいる。
新生中国が誕生した時、我が事のように喜んだ同胞、日本人がいたが、こういう人に対して我々はどういう評価を下したのであろう。
こういう間違った認識を広めた人は、やはりそれなりの償いを負ってもらわなければならないのではなかろうか。
かって、日本が対米戦に嵌り込んだ理由は、第一義的にはアメリカが日本を罠に嵌めたという面が大きいが、その罠に嵌った我が方の認識では、アメリカの実力を侮っていたことが最大の原因である。
アメリカの罠に嵌る愚も、新生中国をユートピアと喧伝する愚も、共に相手のことを知らなすぎるという点に共通項があるわけで、相手を知らなすぎるという点が、我が方の決定的な弱点である。
我々、日本人がアメリカ人や中国人の本質を見抜けないということは、自分の目線で相手を見ているからだと思う。
我々のいう自分の目線というのは、日本人の価値判断で相手を見るということで、我々はついつい世界というのは善良な人々の集まりだと思いがちであるが、世界は決してそんなに甘いものではない、という認識に至らないからである。
この本は、ツェベクマというモンゴル女性の自叙伝のようなものであるが、その女性が幼き日に日本女性から教育を受け、それが生涯を通じて心の支えてなっていたというものであるが、この本の中にもしばしば登場するが、このモンゴルというのが旧ソ連の支配地で、旧ソ連時代にはこの地でも日本の抑留者たちが都市の建設そのものに携わっていたことが語られている。
シベリア各地には、このように日本の抑留者によって作られた施設が沢山あるはずであるが、そういうものを今、掘り起こす作業は重要だと思う。
無理やり、戦争のどさくさの中で、抑留という形で働かされた日本人は、数字の上では60数万人もいるわけで、この抑留ということ自体、国際条約から見て、あるいは戦争法規から見て、あるいはジュネーブ協定から見て不合理なものだと思うが、そういう不合理に対しては正面からそれを正す手段をこうじるべきだと思う。
相手が聴く聞かないの問題を超越して、言うべきことは、とことん言うべきだと思うが、我々はともすると実利を優先させて、筋を曲げる傾向がある。
特に経済界は国益よりも、自分達の私利私欲を優先させる傾向があるので、それは民族の誇りを相手に売り渡すようなことで、長い目で見れば真の国益にはならないと思う。
この実利を優先させて、筋を通すことにこだわらない、という態度が相手の狡猾な手段に弄ばれる最大の理由だと思う。
モンゴルという国も、冷戦中は中国とソビエットという大国に挟まれて翻弄されたということであるが、ある意味で陸の中の孤立した島のような地勢的条件の中にいるのだから、それもある程度はいた仕方ない。
人間の作りだす文明には、それぞれに固有の特徴を備えていると思う。
なにも皆が均一の文化を共有することはないわけで、違った場所と地域で、それぞれに固有の文化を育めばいいわけだが、問題はそれを担う人々が如何に幸福感を味わうかということだと思う。
モンゴルにはモンゴルの文化があり、その文化をモンゴルの人々が継承すればいいわけだが、ここで他を羨む気持ちが入り込むと、その継承が素直にいかなくなる。
ここで、この本の著者と司馬遼太郎氏との出合いということになるが、司馬遼太郎氏にしてみれば、こういう著者のような人の取材というのは汲めども汲めども尽きない興味の源泉であろう。
モンゴルで生まれ、日本人の女性から初等教育を受け、新生中国の人間として青春を過ごし、再びモンゴルに帰って草原に生きた人であってみれば、彼の興味の対象にならない方がおかしいぐらいなもので、その意味では司馬遼太郎とも意気投合する部分が多々あったことを容易に推察できる。
しかし、そのモンゴルでモンゴルの英雄・ジンギスカンについて語れない時代があったということは、返す返すも不幸な時だったと言わざるを得ない。
こういう締め付けをする思想、共産主義というものに対する人々の怒りというのは、どういうふうに表現すればいいのであろう。
それは元より、真生の主義主張に問題があるのではなく、それを司る人間の方に誤りがあったわけで、その誤りに気がついただけでもモンゴルの人々が進化したということなのであろう。

「防衛省の真実」

2008-12-24 08:17:32 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「防衛省の真実」という本を読んだ。
著者は元防衛庁長官を務めたこともある中谷元氏である。
彼が自衛隊出身ということは知っていたが、レインジャーであったということは知らなかった。
防衛大学出で、元レインジャーであったということは素晴らしいことだと思う。
彼が防衛大学に進んだ動機というのは、あまり確たる信念で選択したというわけでもない、という点に大いに共感を覚える。
私も航空自衛隊に5年間いて、自衛隊を内部から知る者の一人として、自衛隊にそう過大な期待を抱いて入隊してわけでもないので、そのあたりの事情は実によく理解し得る。
自衛隊の外のものが、自衛隊の本質を詳しく知らないのは当然のことで、誰しも内容を知った上で入る者はいないと思う。
私は世代的に旧軍を知るものではないが、旧軍に比べると自衛隊というのは根本的に進化した組織で、簡単には比較できないと思う。
とはいうものの、その主とする舞台、つまり陸上を主とするか、海上を主とするか、空を主とするかという場面で、それぞれ根源的に相通じる部分はあるので、それが伝統のようなものを引きづることはいた仕方ないと思う。
ただ自衛隊と言いつつも、それは戦争を想定した組織であることは間違いなく、戦争を想定して国を守るという部分で、国民の合意がないことには国を守るということ自体が成り立たないことは論をまたない。
自衛隊が国を守るという場面で、自国防衛の専門的な行動は自衛隊に任せるが、それをするにおいても後ろで国民的な合意がないことには、それさえもできないわけで、そこが今日の最大の問題だと思う。
国を守るということにおいても、国民の間には大きなコンセンサスの相違があるわけで、このコンセンサスの相違が一つに収斂されてこなければ、自衛隊がいくら専門知識をもった集団であったとしても、それを生かすことができない。
そのことは、自衛隊自身よりも国民の側に国を守るという意義と、意味と、意識が醸成されないことには、成り立たないことだと思う。
今の日本国憲法は、その第9条で戦争放棄をうたい、紛争解決のためには武力を行使しない、ということを内外に宣言しているわけで、これを崩すということは日本人の誰一人考えていないと思う。
自衛隊はもちろんのこと、かなり右傾化した人でも、憲法を改正して紛争解決のために武力行使を是認しようなどと考えている人はいないはずである。
にもかかわらず、この憲法の9条を少しでも触ると、すぐにでも自衛隊が戦争をおっぱじめるというような論調になるが、こういう無知、あるいは荒唐無稽な論理が国を守るというときに最大の障壁になるのである。
憲法9条を少しでも触ると、自衛隊がすぐに戦争をおっぱじめるにちがいない、という憶測に陥るということは、あまりにも日本国民、強いて言えば自分の同胞をばかにした話だと思う。
完全に悪意に満ちた詭弁でしかないわけで、それを知識人というような人が、真顔で口にすべきことではないはずである。
今の人間の生き方というか在り方を見てみると、地球上の人々は国境を越えて相互に行き来して、地域的にはそれぞれに様々な人々が混在して生きている。
日本にいる外国人、海外に出ている日本人、その有様を見ると、もう第2次世界大戦のような国と国の戦争というのは成り立たないようにみえる。
中国の人も、韓国の人も、北朝鮮の人も、ロシアの人も、アメリカ人も、日本にいるわけで、そこに古典的な先制攻撃、奇襲作戦で日本を攻撃をすれば、自分の国の国民を巻き込んでしまうわけで、そういうことはありえないと思う。
ここで日本の平和ボケの人々は、「ならば自衛隊はいらないではないか」という論議になるが、そこが無知であり、能天気な部分である。
戦争というのは映画やテレビドラマのように鉄砲を撃ちあってドンパチを演ずるものばかりではない、ということを知るべきである。
主権国家というのは、それぞれに主権をもっているわけで、この主権の侵害ということは、直接には国民の生命財産に影響を及ぼすものではないが、犯された主権は断固として抗議しなければならないわけで、それを怠るとだんだんとその侵害が拡張してくるものである。
卑近な例で示せば、隣家との境界線をあいまいにしておけば、隣家はどんどんと自分の土地に入ってくるのと同じで、その境界はきちんと話し合って決めておかなければならない。
この話し合いが紳士的に行われて、双方で納得できる解決に至れば問題はないが、その過程で、こちらが弱腰で安易に妥協する気配を相手が察知すれば、ごり押しされるのが落ちである。
そこで、こちらの強い意志を表明すれば、相手もことを荒だ立てては損だ、という認識に至り、妥協する気にもなる。
これこそが外交の妙であるが、こういう外交が成り立てば、血で血を洗う戦争というのは回避される。
こういう外交を成立させるためには、国民の側に自分の国は自分で守る、主権侵害は断固拒絶するという盤石な信念がないことには、その外交そのものが成り立たないわけで、そのためにも実行能力としての自衛隊をフォローする国民的コンセンサスが必要になる。
話し合う場、いわゆる外交の場でも、衣の下に鎧を隠して臨まねばならないのである。
話し合い場で、表面的にはお互いに衣を着てその場に臨んでいるが、その衣の下に鎧が見え隠れするのとでは、会議の雰囲気が随分とことなると思う。
主権の侵害などということは、国民の日常生活には縁遠いことなわけで、国民の側としては、そんなものはくれてやってもいいではないか、ということになりがちであるが、それこそ亡国の思想である。
我々は今非常に恵まれた環境の中で生きているが、これは我々日本人だけの力で築きあげたわけではない。
日本を取り巻くすべての国が、日本に物を売り、日本から物を買う状況を維持してくれたから今日があるわけで、そういう環境に抱かれた日本は、アメリカにつぐ経済大国になったが、そのことは同時に大きな格差を生むことでもあった。
第2次世界大戦が終わった時点では、世界の国々は皆同じスタートラインに並んだような状況であった。
ただアメリカ一国は世界唯一の戦勝国として突出していたが、他の国々はそれこそ無からのスタートで、その意味では皆同じスタートラインであったと言わなければならない。
それから63年後には今日見るような格差が出来てしまったわけで、それは一重に日本が自ら国を守ることに金を掛けてこなかったことも大きな原因ではあろう。
自ら自分の手で自分の国を守るということは、普通の国ならばそれこそ普通の認識なわけで、それを我々は普通にしてこなかった。
自分の国を守るということをアメリカに一任してしまったわけで、その意味では、我々はアメリカの属国という位置付けで甘んじてきたことになる。
アメリカの属国であったとしても、我々の戦後63年間というものは、良き時代であったわけで、国民の一人一人は自分がアメリカ人の奴隷の位置にいるなどということを意識せずに済んできた。
考えてみれば、63年前に我々が車を持てる生活などというものは想像さえできなかったわけで、そのことを考えれば、この世がこれからもずっと続くことを願う気持ちもわからないではない。
しかし、日本の経済力がアメリカにつぐ世界第2の大国になったとすれば、その国力に応じた世界貢献を求められるのも当然の成り行きではある。
日本の戦後の発展が、世界の平和と安定の賜物であったとすれば、それに対して何らかの返礼的な意味の世界貢献を求められるのも当然のことである。
今世界で緊急の課題は、経済の格差に依拠する不平不満の発露としてテロに訴える過激派の存在である。
その背景には、宗教が大きく作用していることはいなめないが、そういう動きに対して、日本が貢献できる分野は基本的には日本の知識人の非戦の説得でなければならない。
テロという実力行使に対して、その無意味さを相手に説き、テロという手段を使わずに話し合いのテーブルに着くように相手を説得することである。
ところが相手はそういう説得に応じる相手ではないわけで、ここで血の応酬が繰り返されることになる。
日本の知識人の反戦運動、非戦の運動というのは、日本の国内だけの運動であって、それはまさしくお釈迦様の手のひらで大暴れして悦に入っている孫悟空のようなもので、日本以外では何の神通力も発揮できないでいる。
日本の知識人の言うこと成すことが世界に通用しないということは、彼らの言っていることが普遍性をもっていないということで、世界的な視野で見れば間違っているからである。
世界は明らかに弱肉強食、優勝劣敗の厳然たる事実の中で動いているわけで、理想、理念という夢を食う獏ではなく、現実の利害得失で動いているのである。
だからこそ格差が生じるのであって、理念、理想を建前とした社会主義は完全に否定されたではないか。
人間が自由に生きようとすれば、結果的に富めるものとそうでないものが必然的に生まれる。
今、テロを繰り出している国、あるいは地方というのは、いわゆる低開発国である。
もっとわかりやすい表現をすれば野蛮国である。
アフガニスタンにしろ、イラン、イラクにしろ、北朝鮮にしろ、開発から取り残された地域で、なぜ開発から取り残されたかと問えば、それは彼ら自身の選択であったわけだ。
宗教が近代化を自縛しているとすれば、その自縛を説くのは彼ら自身の問題なわけで、他者の所為にしてはならないはずだ。
ビンラデインがアメリカを憎むのはおかど違いである。
日本が第2次世界大戦に敗北して、その後憲法で戦争放棄を盛り込んだのは、我々自身の選択であったわけで、最初はアメリカの強要という部分もあったが、それにもかかわらずそれ維持し続けたのは我々、日本民族の英知であった。
我々は、第2次世界大戦の敗北を、我々の政治の失敗だったと明らかに自覚し、反省して、再びそういう失敗をしてはならないと肝に銘じて生きてきたわけだが、日本を取り巻くアジアの国々には、そういう反省をしていないところもある。
中国でも韓国でも、日本がアジアで悪いことをしたという認識であるが、自分達がそれを許した、自分達が怠惰であった、自分達が無知であった、という反省は一言もないわけで、被害者意識のみが旺盛で、それを乗り越えようという自意識は極めて希薄である。
すべてを他者の所為にするところは極めてアジア的というか、傲慢というか、未開な部分だと思う。
中国にしろ、韓国にしろ、彼らの潜在意識からすれば、日本が経済発展するということは、身の毛のよだつような嫌悪感にさいなまれると思う。
彼らの日本蔑視の意識は、有史以来刷り込まれているわけで、日本が経済的に成功するということは、かれらの潜在意識を逆なですることだと思う。
よって、日本が戦争放棄して、自分の方からは決して手を出しませんといえば、彼らはいい気になってチョッカイを出してくるのである。
こちらが弱みを見せればすぐに増長するわけで、これは彼らの本質であって、彼らの自然の姿である。
大昔からの遺伝子なわけで、それが良いとか悪いという議論は成り立たないはずである。
こういう民族の確執というのは、地球上にいくらでも転がっているわけで、それがテロを生む温床でもある。
日本の知識人とマスメデイアは、日本の非戦あるいは反戦の思想を、そういう人々に対して熱心に説くべきで、その意味で彼らは怠惰だと思う。
「井戸の中の蛙」で自分の井戸の中で大合唱をするのみで、他に対しては何の影響力も行使していない。
戦後63年間も平和な時代に暮らしていると、戦争というものの本質を見失いがちである。
あの戦争中でさえも、戦争の本質を見失っていた軍人がいたことを考えると、戦争を考えるということは、人間の思考を掘り下げて考えるということだと思う。
あの大戦争の中で、陸軍と海軍が仲が悪かったという事実は、どう考えたらいいのであろう。
一言でいえば、究極のセクショナリズムで、陸軍の戦争であり、海軍の戦争であったわけで、陸軍や海軍の枠をはずして、何が何でも勝つという意識に欠けていうたということだと思う。
アメリカが敵である前に、海軍が敵であり、陸軍が敵であったわけで、同胞同士が敵対していたということではなかろうか。
陸軍でも海軍でも、戦争をリードしたのはそれぞれのエリートであったわけで、そのエリートがセクショナリズムで戦争を私物化した結果が、完膚なきまでの敗北であったわけだ。
だとすれば、このエリートはどこがどういうふうにエリートだったのか、ということを問い直さなければならない。
国民を塗炭の苦しみに追い込んだのが軍人エリートであるとするならば、生き残った国民は、そういう元の軍人エリートからそれに見合う対価を返してもらわなければならないのではなかろうか。
この著者、元防衛庁長官中谷元氏も、防衛大学校を卒業した元自衛官であるが、この防衛大学校も創立してすでに53年、半世紀以上を経ているわけで、ここで平成の軍人エリートが養成されていることは論をまたないが、問題は半世紀以上にわたる歴史の積み重ねである。
卒業生の中には、当然、組織のトップに上り詰めた人もいるに違いなかろうが、エリート養成機関に入り、そのままその組織の延長に居残るということは、それこそ「井戸の中の蛙」的な発想に陥る可能性がぬぐえない。
要するに、外からの新鮮な空気の入れて、よどんだ空気を排除する機能をもたせなくてもいいか、空気の入れ替えをしなくても大丈夫か、という危惧である。
こういう特殊な集団は、長い年月の間には、やはりそれ相当の独自の社会を形作るのが普通であって、中身の新陳代謝が活発であれば、そういうことも心配する必要はないが、それがあるかないかは外からはわからないわけで、そこが心配の種ではある。
旧軍における海軍兵学校でも陸軍士官学校でも、ある意味で軍人の純粋培養の機関であったわけで、そういう所で純粋培養された人たちが、無謀な戦争に駆り立てたわけで、そういう場所で純粋培養させれていたからこそ、世界の動きを見誤り、西洋列強、特にアメリカの罠に見事にはまってしまったわけである。
このアメリカの罠が見抜けなかったというところが、当時のエリートの底の浅さである。
そして中国戦線では、日本軍が時の声を挙げて突撃すれば相手は一目散に逃げるが、ここでも相手の本質を知らなったばかりに、それが相手の作戦であったということに負けるまで気がつかなかった。
これで戦争のプロといえるであろうか。
あの戦争中は、日本人の誰も彼もがこういう無能な軍人エリートを崇めていたわけで、結果として日本が負けるのは当然のことであった。
とはいうものの、この愚挙の責任は、むしろメデイアが負わなければならない。
昔も今も、メデイアというのはあくまでも狼少年であって、それ以上でも以下でもない。
「狼が来る、狼が来る」と騒ぎ立てるだけの役目であって、ことの責任を負うものではないわけで、人々はメデイアに情報を漏らしてはならないのである。
またメデイアの煽ることを信用してはならないのである。
メデイアというのは、どこまで行ってもインテリやくざ・狼少年の枠を出るものではなく、メデイアに信を置いたり、真に受けたり、追従していては結局は身を破滅させる。
情報公開というのは、こういうインテリやくざが自分達の商いをしやすいようにする我田引水の方策であって、善良な市民は決してメデイアの言うことに踊らされてはならない。
メデイアに対しては、徹底的に見ざる、聞かざる、言わざるに徹すべきで、信用してはならない。
メデイアが世論を喚起するということは、メデイアの思う通りに世間が動いた時は、そういう啓蒙を吹聴するが、あの戦争中に日本人の全てが軍国主義に陥ったのは、当時のメデイアがそれを煽りに煽ったからであって、見事にメデイアの啓蒙にのせられたわけである。
あの戦争が勝利していれば、メデイアの啓蒙運動は見事に功を奏したことになるが、敗北となった時、メデイアはどういう対応をしたか深く考えて見るべきである。
軍国主義華やかなときは、軍部のちょうちん持ちの記事で飾り、戦争が失敗だったとなると、手のひらを返したように糾弾するわけで、メデイアというのはこのように実に日和見なわけである。
その時々、あるいは場所に応じて、一見もっともなことを言っているように見えるが、結局は嘘を言っているわけで、我々はそれに騙されてはならない。
メデイアの取材には嘘で応えるべきである。
国を守るという場合も、如何にメデイアをコントロールするかということも実に重大なことで、今の日本のメデイアにかかったら売国奴さえも英雄になりかねない。
国家機密、軍事機密を守るということになれば、明らかにメデイアとは対立する関係になるわけで、ゆめゆめ油断は許されない。
メデイアが自分たちの体制、政府に協力的でなければ国を守るということは成り立たない。
先の大戦でも当時のメデイアは完全に軍の妾の地位に甘んじており、軍国主義を吹聴しまくり、兵士たちを戦場に送りだし、軍国の母を褒め称えてきたわけで、軍人エリートのミスリードに油を注いで来たではないか。
こういうメデイアの国威啓蒙運動、ないしは軍国主義賛歌に押されて、当時の日本の若者は戦場に尽き、若い命を落としていったわけで、だからこそ日本はあそこまで戦えた。
あの戦いの世界的評価は、日本軍の高級将校は世界一バカだったが、日本軍の下部の方の兵士たちは実に立派な戦いをしたというものである。
やはり世界の目は現実を素直に直視している。
戦いの結果は敗北であったが日本の兵隊は善戦したということは言える。
が、トップの方の将官連中は、世界でも最低の将官であり、最低の参謀であったわけだ。
戦争に負けたことがその立派な証明である。

「夜明けのあかり」

2008-12-23 07:00:56 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「夜明けのあかり」という本を読んだ。
韓国のゼネコン、京南企業グループの総師として君臨する成完鐘氏の自叙伝であった。
幼い頃の不幸をバネとして、自分自身の力を頼りに経済界にのし上がったいわゆるサクセスストーリーである。
こういう話は日本でもごろごろごろしている。
松下幸之助、本田総一郎、孫正義、ホリエモンとうとう資本主義経済体制の中では成功する者もおれば没落する者もいるわけで、それが混在するところにそれぞれの人々、民族、国家のダイナミズムが内在しているものと考える。
問題は、そういう脚光を浴びて光り輝く人の後ろに何を見るかだと思う。
この成完鐘氏の場合、その部分に父親が妻妾同居をしたことによって不幸が降りかかってきたわけで、そういう部分を克明に描き出しているという点では、韓国の中でも相当に意識改革が進んできているというふうに捉えなければならないと思う。
韓国といえば言わずと知れた儒教の国で、家の恥ということは我々以上に重い社会的な制約があったものと推察する。
この企業経営者の生まれた年が、朝鮮戦争の最中で、日本でいえば戦後復興の端緒に就くかつかないかの時期である。
この時代に、当時の大人、つまり成完鐘氏の父親の世代が、妾を自分の家に連れ込む、ということがあったというところに注目しなければならない。
日本でも妾を囲うのは男の甲斐性だ、という認識が普遍化していたことが過去にはあったが、当時でもそれは社会的に顰蹙を買う行為であって、褒められた行為であったわけではない。
囲う方も囲われる方も、世間を憚って周囲に気を配って密やかに存在するというものであった。
まして、そういう妾を自分の家に連れ込むというようなことは、普通の人間には言語道断の行為である。
その妾、いわゆる著者の継母が、子供を虐待するという場面は、西洋の「白雪姫」や「シンデレラ姫」の童話に出てくるような話で、我々にとっては想定外の話のように見える。
しかし、アジアの民というものを観察する際には、そういう部分にも目を光らせなければならない。
というのは、アジアの民の刑罰、人を危める才覚というのは、我々の想像を絶するような残酷なものがあるわけで、今日本でもしばしば起きている中国人の犯罪は、我々には想像もできないほど残酷な手口であり、彼らには日本人の発想を超えた思考を秘めているということにも注意を払わなければならない。
継母の長男つまり著者に対する虐待は、同じ児童虐待でも我々のそれとはその程度の差があまりにも大きい。
本の内容を面白くするための過度な脚色があるのかもしれないが、もしそれが事実だとすれば、それは韓国人の民度、民主主義の度合い、あるいは民主化の意識の遅れ以外の何物でもない。
この著者の生まれたのが1951年で、その後小学校に上がる頃というのは、日本の年号でいえば昭和30年前後ということになるが、その頃に妾を家に連れ込む、児童虐待が日常的に起きる、ということは彼の育った地域が如何に野蛮であったかという結論に行きつく。
彼はこの本の中で自分の育った場所が田舎だったと述べているが、田舎という環境は、いわゆる村落共同体ではなかったかと思う。
お互いに監視し合い、仲間の突出をけん制し合う、一人だけの抜けがけ功名を抑え込む方向に、人々の意識が向いていたと思う。
それは同時に、お互いに助け合うということでもあるわけで、そういう集落の中で皆と歩調を合わせれない異端者は、村八分という制裁を受けるわけで、そのなかで人倫にもとる行いがあったとすれば、村の長(おさ)がそれなりのアドバイスをして平穏を図るというシステムがあったに違いない。
これはアジアの農村の民ならばほぼ共通しているのではないかと思う。
生産の基盤が農業であれば、皆が共同作業で助け合ってでなければ生きていけないわけで、その中では相互扶助ということは自然発生的に行われているものと思う。
よって農村では晩のおかずまで分かり合ってしまうほど人間と人間の関わり合いは密になるわけで、それは同時に個人の行動にも抑制が掛かるということだと考える。
そういう環境の中であるとするならば、当然、それは倫理面にも大きな影響を与えるわけで、この著者の父親のようなことは周囲から糾弾されたのではないかと思う。
それが、この著者が述べているように現実にあったということであれば、その集落、村落の中の人々は、あまりにも自分勝手だと思う。
本人、つまりこの著者の父親も自分勝手ならば、周囲の村人も自分勝手で、人のことはあずかり知らぬという、他人、隣人がどう生きようと我関せず、自分さえ良ければ人のことは構っておれない、という露骨な態度だと思う。
この部分が韓国人の本質ではないかと思う。
この本の最後では、今の韓国の学歴至上主義、格差社会の上に胡坐をかいている2世3世の地位保全に対して強烈な批判を浴びせているが、こういう思考そのものが一時代前の考である。
追いつけ追い越せという思考そのものが自らの後進性を暴露しているわけで、発展途上にあるということである。
日本でいえば、太平洋戦争を経て高度経済成長を乗り越えるまでの古い思考で、人々の思考が成熟すればもう目の前には追い越すものはないわけで、後は泰平の世を貪って下降線に向かうということである。
人間の思考も時代とともに進化するわけで、それに伴い価値基準も大いに進化するので、昔は当たり前であったものでも今は許されないというものも多々ある。
この本の著者も、ついつい知らず知らずのうちに強調していることに、「長男だから頑張る」という意識も、一昔前の潜在意識であり「家族で団結する」という意識も、それに付随したものだと思う。
日本でも同じような雰囲気はつい最近まで残っていたが、すべての事が程度問題なわけで、それはそれとして古風な美徳ではあるが、子離れ親離れという新しい価値観で見ると、その評価は難しい。
日本でも戦後の新しい教育理念で以って、親を敬うとか先生を敬うという美風は古い封建主義の残滓だというわけで排斥されて、個の確立という点から個人主義が奨励された時期があった。
世の中が農業を主体として封建主義的な世相から、近代的なデモクラシーの蔓延する世の中になれば、人々は農村的な集落の中で相互扶助をしなくても生きていけるようになったわけで、個人と個人の関係は希薄になるのも当然である。
アジアに生きる民は、大なり小なり儒教思想の影響を受けて生きているわけで、その中では「孝養を尽くす」という価値観は厳然と生きていた。
ところがこれを厳格に順守するとなれば、変革はありえない。
アジアの民が西洋列強に虐げられた最大の理由がこれではないかと勝手に思っている。
新しい事に挑戦する、物ごとの変革に果敢に反応するのは、明らかに若者の特権であって、年老いたものは新しいものに対して尻込みするのは洋の東西を問わないと思う。
そこで儒教思想に呪縛されたアジアの民は、若者の変革を目指す芽を片っ端から摘んでしまうが、西洋の方は個人主義が我々よりも普遍化していたので、若者が年寄を乗り越えて前進することに贖罪意識が希薄だったに違いない。
「若いものは年老いたもの敬え」、「師の影を踏まず」、「年長の言うことは素直に聞け」、では若者の冒険心は全部つぶされてしまうわけで、素直で従順な若者こそ、年長者を乗り越えて飛躍できないということになってしまう。
第2次世界大戦後の韓国も、アジアの民の一種族として、最近までこういう風潮が顕著であったのだろう。
だからこそ徒手空拳で経済界にのし上がってきたこの本の著者のサクセスストーリーに人気が出たのであろう。
日本でも韓国でも、学歴至上主義というのは明らかに大人の側の論理だと思う。
民族の経験則として、学歴があった方が立身出世に有利だった過去の経験から、学歴を慮る風潮ができ上がったものと推察する。
企業が若者を採用するのに大学の看板にのみ目を奪われえているからこういう現象が起きるわけで、採用する側の企業が、何々大学出という視点で人を見るのではなく、目の前の人間を見て採否を決めれば学歴至上主義というのは存在し得ないと思う。
ただ企業人の経験則から言って、「有名大学出ならば間違いはないだろう」という確率からの判断で、そういうことになっているのかもしれない。
有名大学というのは、確かに狭い関門を潜ってきた人たちであるので、知能指数あるいは試験の点数が良いのは当然であろう。
しかし、学校の点数と個人のモラルは全くと言っていいほど関係がないわけで、大学出だから人格も優れている、ということにはならないはずである。
学歴が幅を利かす社会というのは、学歴のない人が巷に大勢いるときには、学歴というものがその人を測るものさしてとして機能し得たが、猫も杓子も大学に行くようになれば、その基準は当然低下するのが当たり前である。
にもかかわらず人は大学にあこがれるわけで、これは一体どういうことなのであろう。
大学生の就職の状況について詳しく知る立場ではないが、おそらく日本の松下でもホンダでも有名大学出を大勢採用しているであろうが、松下でもホンダでも創業者は有名大学出ではないはずで、ならばこういう企業から率先して人物本位の採用をすべきなのではなかろうか。
ここでも企業側の横並び精神がモロに出ているということだと思う。
企業の間で、「うちは東大出を何名とった、慶応を何名とった、早稲田を何名とった」ということがステータスになっているのではなかろうか。
学歴、つまり学校の成績と事業の実績とは何一つ関連することがない事は経営者自身がわかっていることであろうが、学歴のない事にコンプレックスを抱いている企業者にとって、有名大学出を大勢採用することは自己の優越感を大いに刺激したに違いない。
学歴が本当に必要な職場といえば、大学の研究者以外にはありえないのではなかろうか。
学歴至上主義というのは、裏を返せば百姓根情の丸出しということではなかろうか。
無学文盲の田舎の貧しい水飲み百姓が、出世の免罪符として学歴というものにあこがれ、学歴さえ手に入れれば昔の科挙の試験にでも通ったような気分になっているが、現実にはその科挙の値打ちも大暴落して石を投げれば大学出にあたるという状況では、高等教育の意味をなしていないことにまで気が回っていないということだ。
ただ一人の人間の成長という視点から見ると、18歳から22歳ぐらいの間の4年間というのは、自分探しの時間としては有効なものがあると思う。
若き日々に、自分の青春時代を十二分に謳歌するという意味では素晴らしいことではあるが、ならば高等教育という学業の部分を取り払って、徹底的に青春を謳歌すべく中途半端は学問など排除すべきである。幼稚園化した大学など、それこそ不健全だと思う。
ただ今の私立大学というのは、企業化してしまってデイズニーランドやユニバーサルスタジオ化してしまって、金儲けのツールと化しているが、それはそれで由とすべきで、ならばそういうものからは一切学問の学の部分を排除して、徹頭徹尾、面白くおかしく楽しく過ごせる場にすべきである。
当然、学問を教えないのだから国の認可も取り下げ、補助もやめ、株式会社にすべきである。
要するにパチンコ屋と同じレベルの遊戯施設にするのである。
世界的に共通していることだろと思うが、如何なる国の高等教育でも大学で習ったことがそのまま社会で通用するということは稀有なことだと思う。
大部分の高等教育は、学業を終えたからといってすぐに役立つ物ではない。
社会に出て、つまらないルーチン化した仕事する中において、大学で習ったことを応用する機会を得、その時始めて大学で習ったことが生きてくるわけで、そういうチャンスはいつ来るかわからないし、一生来ないかもしれない。
教育というものは苦痛を伴うものだと思う。
それは当然肉体の苦痛ではなく精神の苦痛なわけで、その精神の苦痛という意味で、若者を野放図にあまやかしておくのは国家的損失だと思う。
韓国には軍隊があって徴兵制だから好むと好まざると兵役につかなければならない。
兵役につくということは、普通の若者にとっては避けて通りたい精神的な苦痛を強いるものであることは万国共通である。
よってそれを経験するとしないとでは精神的に大きな隔たりが出来ると思う。
韓国にそれがあって、日本にはそれがないということは、大きな格差になって表れてくると思う。
育ち盛りの若者に、そういう精神的なプレッシャーを掛けて、野放図に流れがちな軟弱な精神を鍛え直すということは一考すべきことだと思う。
この本の著者、成完鐘氏は、自分の逆境の中から立ち上がってサクセスストーリーを作り上げたが、自分の作り上げた企業グループには、有名大学出を採用していないかといえばたぶん採用していると思う。
よっていくら学歴至上主義を憂い、2世3世経営者の跋扈する姿を憂いても、それが愚痴にしかならない。
私も自分史に関わり、自分史を愛する一人ではあるが、自分史というものはやはり人に見せるものではないと思う。
特にサクセスストーリーともなれば自慢話の連続になるわけで、そういうものを見せられると、感動の前にやっかみが頭をもたげる。
自分の銅像を作ってそれを人に見せつけているような厚かましさを覚える。

「中村屋のボース」

2008-12-19 10:52:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「中村屋のボース」という本を読んだ。
このボースというのがインド人で、中村屋に匿われていたということは知ってはいたが、それ以上の知識はなかった。
この本はそのボース、ことラース・ビハリー・ボースの生涯を描いたものであった。
ところがこの著者があまりにも若いので驚いた。
1975年生まれというのだから驚く。
30代の若さでこれだけの記述を書くのだから驚きだ。
その精力的な情熱には脱帽するが、私はこういう革命家というような人間は真から好きになれない。
革命家というからには既存の政府に対して革命で以って政府転覆をはかるというのが彼らの使命のはずで、そういう熱情に突き動かされて活動している人の総称であろうが、革命を至上とするところが気にくわない。
イギリスの支配に対してテロで抵抗するという行為は何となく共感を覚えがちであるが、この考え方そのものが世間に対する甘えだと思う。
戦前の日本でも青年将校のテロに対して国民の中には同情論があり、戦後でも若者の暴走に理解を示す文化人と言われる人々がいたが、テロは如何なる理由があろうとも是認すべき行為ではない。
こういう判官びいきがあるから、法秩序が混乱するわけで、法がある以上法に照らして物事を判断しなければならないのは当然である。
我々の戦前の歴史でも、青年将校のテロに対して毅然たる態度で臨まず、なんとなく反乱を起こした若者に同情心を寄せたがため、社会全体が知らず知らずのうちに右傾化したわけで、既存の法や秩序をきちんと順守すれば、日本の歴史もかわったものになっていたに違いない。
人間の集団が織りなす社会というのは、統治するものとされるものという立場の相違は必然であって、統治されるものがする側に不満を持つというのは人間誕生の時から付きまとっている宿命である。
革命をしなければならない状況というのはわからないでもない。
革命をしなければならない状況というのは、一言でいえば格差の固定化した状態だと思う。
西洋列強の帝国主義的な植民地支配から脱するには革命しかない、というのはある面では真理であろうが、そもそも西洋列強の帝国主義に下ったという点に自省がないことには、民族の自立はありえない。
インドがイギリスの抑圧から脱するには革命しかないというのは、その時点では確かにそうであろうが、そこに来るまでにはインド人自身に問題があったはずだ。
革命というのは、帝国主義という殻を打ち破るという意味では避けて通れない過程であるかもしれない。
フランスでもそういう革命を経て民主主義が行き渡った筈であるが、そういう革命を経たフランスでも、アジアでは帝国主義的な植民地を維持しつつあったわけで、ならばルイ王朝を倒した革命は一体何であったのかということになる。
旧ソビエット連邦でも、ロシアは共産主義革命を経たにも関わらず領土的な野心は臆面もなく露わにしたわけで、ならばその革命は一体何であったのかということになる。
結局のところ、既存の王様や貴族に統治されることには我慢ならないというだけのことで、革命を経て自分が統治する側にまわれば、することは先の為政者と同じであったということだ。
そもそもインドがイギリスに支配されたのは、インド人の責任であることに彼らは気付くべきである。
インドにやってきたイギリス人が鉄砲をもっていれば、それと同じものをインド人で作るべきであった。
それと同じことは中国にも言えるわけで、西洋列強が武器で優位に立っていれば、それと同じものを中国側で作って、西洋列強に対抗すべきであった。
それが出来なかったという点が、インドでも中国でも最大のポイントであって、何故それができなかったかと、テロや革命に走る前に考えるべきであった。そこでそのことを自省すべきであった。
だからこそ、インドも中国も西洋列強の植民地支配の餌食されてしまったのである。
なぜインドでも中国でも西洋列強と同じものが出来なかったかという点を深く掘り下げt見ると、そこにあったのは人間の考え方の相違である。
人間が生きるということについては、西洋人もインド人も中国人も日本人も基本的には同じな筈である。
食って糞して寝るという行為、行動は、人間であれば皆同じの筈である。
ただそこで違っているのは、如何に生きるかという思考の問題だと思う。
それとも、生きることの価値観の違いであったかもしれない。
人類は基本的に狩猟生活から農耕生活を経るうちに集団で社会を構成するようになってきた。
複数の人間が集まれば、それこそ人々の考え方も十人十色と異なった考え方が存立するわけで、宵越しの金をもたないものと、その金を貯め込む者があらわれて、それが貧富の差を生む。
そこに宗教が介在してきて、価値観はより多様化するわけで、その多様化した価値案が固定化してしまって、「お祈りさえしていれば幸せ」という価値観が根強く蔓延した。
他方、格差の上の方、金を貯め込んだ一部のものは、より多くの富を求めて切磋琢磨、知恵と技をみがき、富の獲得に熱情を振り向ける者まで現れるようになった。
今現在の価値観では、覇者、勝者はなんとなく悪者という感じで語られるが、覇者あるいは成功者というのは、それはそれなりの努力をしていると思う。
イギリス人がインドの海岸に来た時、おそらくインド人にとっては大きなカルチャーショックだったろうと思う。おそらく中国人にとっても同じだったろうと思う。
日本にとっても同じであったろうと思う。
西洋人が大きな帆船でそれぞれの国の海岸にたどり着いた時の驚きというのは皆共通だったのではないかと想像する。
そして西洋人は大きな音を出す鉄砲というものをもち、それで離れた場所から人を殺すとなれば、腰を抜かさんばかりに驚いたに違いない。
そういうものを見せつけられて、完全に金玉を抜かれ、意気消沈してしまったのがインドであり中国であったわけで、日本はそういう状況において、ぬらりくらりと対応をひきのばしつつ、西洋人の持ち物とほぼ同じものを自分達で作ってしまったわけである。
この点こそ日本が西洋列強の植民地にならなかった最大のポイントだと思う。
インドにはるばりやってきたイギリス人にしてみれば、インド人など人間の形をした家畜以外の何物でもないわけで、絞れるだけ絞りとり、後はゴミとして捨てるだけである。
インド人もイギリス人も、一人と一人ならその能力は五分五分だと思う。
ところがこれが集団となって、百人ずつ、千人ずつ、民族ごとという大きい単位となると俄然能力の差が出来てしまうのである。
それは構成員一人一人の考え方の集大成の違いということで、人間はもともと個人の力はそう大した相違はないはずであるが、その生育の過程で、その生育の環境、その生育の過程で受ける教育で、民族の底力の格差が出来てしまうのである。
一旦出来上がった格差を是正しようとすれば、それは革命という世直ししか手法がないということになってしまうが、もともと他民族の抑圧の餌食になっているものが、その抑圧のアリ地獄から這い上がることが極めて困難なことも当然である。
フランス革命はフランス人による内側からの革命であった。
ロシア革命もロシア人の自らの選択による革命であった。
しかし、インドの独立という場合は、やはりイギリスの海外統治力、およびその影響力の低下、イギリス自身の力と威厳の低下によって相対的に民族独立の機運に乗れたわけで、インドの人々の内側からのエネルギ―の爆発というものではないと思う。
第2次世界大戦後、アジアの諸民族が独立を勝ち得たのは、宗主国が戦争で国力を削がれた結果であって、アジアの諸民族の内側からのエネルギーで実現したわけではない。
この本の読んでみると、この本の主人公ラース・ビハリー・ボースも、民族の内側のエネルギーでは革命をなしえないと悟り、特に中国人に対してはその思いが強く、中国に対しては非常に優越的で、日本の中国進出を十分に理解していたと論ずる著者の鑑識眼は大したものだと思う。
ボースは若い時は自分でも直接テロを実行しようとしたが、イギリスの統治は自分達の力では転覆不可能だと悟ったに違いない。
日本にいて日本政府の施政、中国の状況、朝鮮民族の振る舞い、というものをよくよく観察すれば、アジアの人々が自存自衛を目指すにはまだまだ未熟すぎるということを悟ったに違いない。
同じアジアの中でも日本は特殊だということを、彼は日本にいる間に悟ったに違いない。
とはいうものの、日本政府や軍部の施政を全面的に肯定するものではないが、アジアを開放するエネルギーをもっている民族は日本しかないという認識であったのではないかと思う。
彼の目からすれば当然だと思う。
インド人としてイギリスのやり方は十分わかっており、中国の内情にも詳しく、朝鮮の民族性をも見続けていると、インドの革命に利用できるのは日本しかないという結論にならざるを得なかったと思う。
しかし、ここで我々が反省すべきは、頭山満、大川周明という人物は、我々の認識では大物右翼であるが、この本ではアジア主義者という捉え方で描かれている。
大川周明がインドに造詣が深いということはよく知られたことであるが、これらの人物が帝国主義的な思考で以って中国を軽蔑している部分が、このボースには気に入らなかたようである。
我々は、対中国というとどうしてもこういう見方にならざるを得なくなる。
つまり、我々日本人から見て中国という国、民族、風土、政治状況というのは全く掴みどころがないわけで、イギリス人がインド人を見る目と同じで、人間の形をした家畜ぐらいにしか見えなかったと思う。
だから我々は中国に対しては優越的な態度になってしまうわけで、人として対等に扱おうとすると裏切られてしまうので、常に高飛車な態度でいなければならなったものと私は考える。
一言でいえば野蛮人であったということだと思う。
国土が広く、民族も沢山に分かれており、言語もその数だけ違い、盗賊、山賊、軍閥がうようよしている状態では、日本人が同胞と同じ感覚で付き合いきれないのもいた仕方ないと思う。
我々から見れば中国など国家の体をなしていないわけで、中国人がいくら日本の態度に憤りを感じたとしても、我々の認識からすれば野蛮人の域を出るものではないということになってしまう。
そういう我々の側の認識も、中国に対する勉強不足、研究不足、民族の本質がわかっていなかったということでもあるが、自分達の常識で相手を推し量ったところが失敗の原因ではある。
それと同時に、ボースは日本人のインドに対する関心も認識も薄いことを非常に憂いているが、私達にとってインドやパキスタンは遠い遠い存在だったし、魅力を感じていなかったのは事実だと思う。
我々がなぜこういう国に魅力を感じなかったかといえば、やはり西洋列強に支配されているという現実であったろうと思う。
富国強兵を国民的なコンセンサスとしている中で、弱い国など参考にならないと感じるのは当然のことだと思う。
この当然と思う心が、そもそも自然人の自然の感情なわけで、そういう弱い国、弱い民族、他国に支配されている人々を救わねば、という思いはあまりにも理想主義であり崇高な理念であったに違いない。
我々の国の外側で、アジアの民が西洋人に虐げられている現状を見て、我々は虐げられている人々を救うということよりも、自分達もああなってはならないと思い、支配する側にあこがれと羨望を募らせたものと考える。
そのためには富国強兵しか道はないと思い込むのもいた仕方ない面ではある。
そういう日本を、虐げられている国の人間の目を通して見ると、日本も西洋列強を追従し、踏襲しているように見えるのもこれまた当然のことで、事実そうであった。
ボースにしろ、孫文にしろ、汪兆銘にしろ、アジアの解放を日本に期待していたが、それは世界情勢、アジアの民の生き様、いわば人間の潜在思考をあまりにも知らなすぎると思う。
ただただ西洋とアジアの格差に幻惑されて、前を見る目が曇ってしまっていたと思う。
自分達の理想主義、あるいは気高い理念に自ら酔ってしまっていたと思う。
18世紀から19世紀、20世紀の前半で、西洋文化が華々しく花開いたのは、西洋人の努力の結果であって、同じ時間をアジアでは惰眠を貪っていたわけである。
西洋でも、アジアでも、時は同じように経ているわけで、同じ時間内に大きな格差が生まれたということは、それぞれの民族の生きざまの違い、生きる目的の違い、生きることの考え方の違いであったわけで、その結果として方一方は君臨し、方一方は虐げられてしまったわけである。
よって、そういう格差が歴然としてしまった以上、その格差の是正は、虐げられた側の意識の覚醒しかないわけで、それをせずして支配する側、統治する側にいくらテロで抵抗したところで、それは線香花火的なものでしかない。
20世紀の初頭に、日本がアジアに進出しようとしたのは、基本的には自分自身の存立のためであったわけで、「アジアの開放」などを真に考えていたわけではない。
ただ大きな声で自らの帝国主義的領土拡大を相手にいうわけにはいかないので、「アジアの解放」というスローガンを挙げただけのことで、その根のところには日本自身の生きんがための方策であったわけだ。
で、その為に、日本は西洋列強と真正面からどうどうと四つ相撲を組んだわけで、これをしたのはアジアの民では日本民族以外にない。
その意味からして、アジアの民が日本を羨望の目で見るということは、十分に納得の行くことではある。
日本が西洋列強とがっぷりと4つに組んで戦いを挑んだ結果として、西洋列強は国力を削がれてしまったので、アジアの民がその後独立を得るきっかけになったことは歴史が証明している。
考えても見よ、一日に何回もお祈りをするムスリム、インドの厳格なカースト制度、中国の民衆の混乱、こういうものをひきづりながら近代化が出来ると思う方が間違っているわけで、そこで意識改革を経ないことには近代化などあり得ないのが当然ではないか。
こういう民族の特質は一代や二代でなるのではなく、民族の連綿と続いた歴史の中にあるわけで、その歴史をどこかで断ち切らないことには意識改革はありえないことは歴然としている。
西洋列強もそれを経てアジアに搾取に来ていたわけで、その被害をモロにうけたアジアも、日本の意識改革、つまり明治維新以降の富国強兵策を目の当たりにして、自分達もやればできると民族意識の覚醒がなったものと考える。
帝国主義的な富国強兵策が悪いことだという認識は、今日の21世紀の認識であって、世間の知識人と称する無為徒食の人々の綺麗事の理想主義者、あるいは理念の安売りブローカーのスローガンであって、過去の人々はそのトンネルを必死で潜り抜けてきたのである。
世界の人々が今日あるのは、過去の人々が好むと好まざると避けて通れない道を、必死で潜り抜け、新しい21世紀の扉をこじ開けたからであって、人当たりの良い綺麗事のスローガンを叫び、人畜無害な理想主義に耽溺していたからではない。
過去の歴史を今日的な視点で糾弾する発言は、人間の存続を否定し、歴史を冒涜するものだと思う。
封建領主の農民からの搾取が悪かったというのと同じで、良かろうが悪かろうが当時の人々はそれでなければ生きておれなかったわけで、それを善悪、善し悪しという価値基準きで語ることこそ人間の存在を冒涜するものだと思う。

「江戸時代」

2008-12-16 09:22:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「江戸時代」という本を読んだ。
サブタイトルに「教科書に出てこない将軍・武士たちの実像」となっている。
我々は時代劇によって江戸時代のことはよく目にし、耳にするが、あれは随分脚色されたものであって、実際とは相当かけ離れたものだということは薄々感じていた。
そして今年のNHKの大河ドラマが「篤姫」ということもあって、江戸城での生活も多少は知れ渡ったに違いない。
NHKのドラマ「篤姫」を見ていると、江戸城、大奥の生活というのは相当に豪盛というか贅沢というか、庶民の生活とはかけ離れたものであったようだ。
ドラマであるので、視聴者を惹きつけなければならず、出てくる女優も相当に美形をそろえたということもあろうが、その衣装がまたすごい。
まさしく絢爛豪華というものであろう。
しかし、江戸時代の殿様、特に徳川家ともなれば、あれで普通であったのかもしれないが、昔の封建領主の力は相当なものだということが推察される。
私は歴史家でないので、よくはわからないが、江戸時代の幕藩体制というのは実に不思議な政体ではなかろうか。
京都に天皇がおりながら、江戸で幕府が政治の実権を握っていたわけで、ならば天皇の存在は一体何なのかということになる。
江戸時代末期になって、外国からの圧力が大きくなると、幕府では駄目だから天皇親政で行こう、という機運がでてきたわけで、ならばそれまでの天皇の存在は一体何なのかということになる。
そういう機運が昂じてくるのも、幕藩体制が立ち行かなくなってきたからであって、既存の体制が盤石であったならば天皇親政のアイデアも出なかったに違いない。
しかし、徳川幕府が天皇から征夷大将軍の称号を得たうえで、天皇になり替わって行政をしたということは我々の先祖は連綿と天皇制を維持し続けてきたというれっきとした証明でもある。
ということは、江戸時代においても、天皇はあくまでも象徴であり続けたわけで、それがため泰平の世が実現していたのかもしれない。
この本を読んでみると、江戸時代の武士の世界というのは、とにかく形式にこだわった時代のようだ。
それも封建制度という身分制のせいで、身分の上下関係において、それを歴然とさせるがための方策であったようで、これでは世の中、ひいては生活の合理化は望むべくもないはずだ。
この身分制の上に乗っかった、形式にこだわるという意識は、今でもある程度生き続けていると思う。
身分制度に依拠して、形式にこだわるということは、ある意味で一種の権威付けであったわけで、言いかえれば威張りたかったということに他ならない。
身分の上下を強調して、自分の権威を誇示する、つまり威張りたいという心理が、その奥底に潜んでいたに違いない。
この本の中で、武士道について述べられているが、武士の倫理はその形式を重んずることで、その形式を重んずるがゆえの死は、甘んじて受けるという意味で、「武士道とは死ぬことと見たり」ということになるそうだ。
この本によると、当時の武士道の本質は、卑怯、腰ぬけを厳しく戒めるところに武士道の本質があると説いているが、それは自分の権威に泥を塗られることに対しては死をもってでも購え、ということを指し示しているわけで、その根本のところには身分に対する権威の維持である。
自分の権威を維持するためには、死をも恐れてはならないということであって、滅私奉公で大義に殉じるということとは少しニュアンスが違う。
自分が弱虫、腰ぬけと人から思われたら、死をもってでも抗議せよという意味だとこの本は説く。
大事なことは、あくまでも形式を維持することであって、大義でもなく、君でもなく、ただただ形式であったわけである。
武士道といえば、新渡戸稲造が英語で書いた「武士道」があるが、こちらは本来の武士道とは少しニュアンスが違って、武士のノブレスオブリージを強調しているように見える。
現在の視点からみれば、新渡戸稲造の武士道の方が、生の人間の生きる指針としては、合理的なおかつ整合性を備えていると思う。
それは新渡戸稲造が西洋人に対して大和魂を説明しようとしたから、本来の武士道を多少歪曲して述べざるを得なかったということであろう。
武士道にしろ大和魂にしろ、その基本となるべきは、「人は如何に生きるか」であるはずで、「如何に生きるか」ということは「如何に死ぬか」ということでもある。
江戸時代と今日の社会では、社会的な背景が違っているので、同じ言葉でも同じ認識では語れないのは当然であるが、その意味からすれば昭和の初期の我が同胞は、この武士道というものを実に便利に、自分の都合に合わせて手前勝手に解釈して使ったようだ。
NHKのドラマ「篤姫」は、江戸幕府の崩壊から明治維新に至る経緯を描き出しているが、この時の廃藩置県という政治改革は実にすばらしいものだと思う。
それと同時に、この時に200近くあったであろうそれぞれの藩で、それに反対するところが一つもなかったというのが実に不思議だと思う。
自分の領地を天皇に差し出して、自分は名目上の支配者になるということは、今でいえば自分の会社を全部国家に差し出して、自分はただの支店長になるというようなもので、完全に共産主義革命に匹敵することだと思う。
ということは、その当時、日本全国の殿様は、皆一様にそれほど困窮していたということであろう。
その困窮ということは、武士としての形式を維持することに困窮していたわけで、その形式を維持する煩雑さにおいて、それを放棄したかったに違いない。
その重圧、その煩雑さ、その経費の負担から逃げ出したかったから、版籍奉還、廃藩置県に応じたのではなかろうか。
明治維新で、四民平等を建前としては出したものの、意識の中ではそう一気に身分制度を否定するわけにもいかず、そこで西洋風の公候伯子男という爵位を設けたのではなかろうか。
明治維新で王政復古となり、天皇が親政をするようになると、再び天皇の威を借りて横暴に振舞うものが出現してきたわけで、それが昭和の軍部であった。
まさしく徳川家が天皇から征夷大将軍という称号を得たうえで統治をしていた構図と全く軌を一にしている。
昭和の軍人が、天皇の統帥権を傘にきて独断専横に走った構図は、それと瓜二つである。
国家というものは人間集団であるのだから、当然のことピラミッド型の組織を形作るのは必然であるが、だとすれば、そのトップが全てを掌握することは到底不可能なわけで、誰かが何処かでトップの仕事を代行しなければならない。
トップの仕事代行するということは、当然、トップの権威を借り、トップの期待に応えるべく業務を遂行しなければならないはずで、ここにゴマすりの要因が入り込みやすい。
こうすればトップが喜んでくれるであろう、こういう実績を上げればトップが褒めてくれるであろう、こうすれえばトップが認めてくれるであろう、というトップの意向ばかりを探るヒラメ的な処世術を身につけてしまう。
これが昭和の高級軍人たちであったわけで、そこには下々のものを慮る、という意識は最初から欠落しており、上の意を汲むことばかりに関心をむけるゴマすり官僚ということになる。
トップは当然のこと下々の事に意を使い、国民全般に良かれと思うことを推し進めようとしても、その代行者は、そのトップの真の意向を察することが出来ず、あさっての方向に突っ走るということになるのである。
私は、この本を読むまで武士というものはすべてが読み書きそろばんに練達して、漢詩の素読など全ての人が出来ると思い込んでいたが、実態はそうでもなさそうだ。
武士の中でも下級武士では出世もなく、褒章もなく、転勤もなく、まさしく飼殺しのまま終わる人もかなりいたようである。
明治維新が下級武士によってなされたということは、そういう停滞したシステムが壊れたということでもあろう。
250年も泰平の世が続いたということは、そういう何の変動もない、エキサイテイングな社会的な脈動もない、身分制度でがんじがらめの世の中が続いたということで、その破れ目から明治維新の志士達が登場してきたということなのであろう。
しかし、武士の世界は沈滞していたが、武士以外の人達は大いに躍動していたわけで、そういう人たちが明治維新で一気に活躍の場を広げたことは当然であろう。
武士の中にも教育を受けていない人がいたのと同時に、町人や商人の中には逆に教育を受けた人が大勢いたであろうことは想像がつく。
また江戸の旗本クラスの武士に無教養なものがいたのとは反対に、地方の田舎侍の中には私塾にかよって教養を積んでいた人が大勢いたのも想像できる。

「日本軍の教訓」

2008-12-15 16:44:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本軍の教訓」という本を読んだ。
著者は前作と同じ日下公人である。
図書館の開架式の書棚からランダムに抜き出したにもかかわらず、同じ著者のものが重なってしまった。
旧日本軍の批判については、私も前々から文章を認めているので、さほど驚くべきことではなく、自分の認識の再確認という程度のものであった。
戦争というものは、政治の延長戦の事象ということは、前々から言われていることだが、まさしくその通りだと思う。
基本的に武力で相手を屈服させるということは、政治としては一番愚策の中の愚策だと思う。
相手を屈服させるのに武力を使わずに口で相手に言うことを利かすことが出来れば、それ以上の政策は無いわけだが、相手にも自尊心というものがある以上、黙ってこちらの言い分を丸飲みすることはあり得ないわけで、そういう場合でもこちらが武力をちらつかせれば、武力の行使に至らなくとも話し合いでこちらの要求をのませることも可能である。
平和愛好と、武力を最初から放棄するということは、全く次元の異なることである。
この地球上に生きている人間で、戦争を好む人間というのは基本的にあり得ない。
21世紀の今日でも地球上の各所で戦争は起きているが、これも理想と現実の乖離であって、心の奥底では人が人を殺す行為などしたくはないが、そうしなければ自らが殺されるというところにその真因がある。
今日のアフガニスタンでも、パキスタンでも、突き詰めて言えば貧困と、その貧困に根ざした宗教が基盤にあって、自分達は西洋先進国、あるいはアメリカに押しつぶされ、殺されてしまうという危機感がその根底に横たわっていると思う。
結局のところ、人は人同士が殺し合うことなどいけないことだとはわかっていながら、理想と現実のはざまで殺し合っているのが今の状況だと思う。
考えてみれば、人間の歴史というのは所詮殺し合いの歴史であったわけで、戦争と平和はインターバルで繰り返されてきたわけである。
そのことは言葉を変えて言えば、戦争は人が生きることそのものであった、ということでもある。
人は深層心理の中で、戦争を忌み嫌っていたが、いざ己が生きんとすれば、好むと好まざると戦争という渦に巻き込まれて生きてきたわけである。
今の日本で平和愛好者を自認する人々は、自分は、あるいは自分の国は、この人間が修羅場を演じている戦争の渦に巻き込まれないように逃避の思考で、戦争を糾弾しているが、これも程度問題であって、度が過ぎるとその揺り戻しが必ず来ると考えなければならない。
平和を声高に叫ぶことで、自分は良いことをしているつもりになっているが、それは人間に対する観察眼の未熟さの証明でもある。
政治あるいはその異形態の戦争というのものは、人が人に対して行っている行為であるから、人の行為や行動を観察しないことには、より良い対処法は見つけ出せない。
日本がアメリカと戦って完膚なきまでの敗北を帰したということは、相手に対する人間観察が不十分、かつ下手であったということに他ならない。
日本の古来の戦争でも、情報を握ることが勝つための大きな要因であったことは論を待たない。
情報を握って、その情報を分析して、相手の意表を突くというのが、戦法としての常道ではなかったのか。
言うまでもなく「孫子の兵法」でも言われているように、「敵を知り己を知る」ということは真理であって、戦争をする基本中の基本であるではないか。
日本が昭和の初期の時代に、中国大陸で行った戦争も、アメリカに対する戦争も、敵に対する情報収集、情報分析という概念そのものが我々の側には無かった。
とはいうものの、対米戦の前にアメリカの国情分析はすることはして、情報収集をした結果が、自分達の思惑と合致していないからといって、それを捨ててしまうということは一体どういう神経をした軍人だったのであろう。
こんな軍人に戦争指導されれば、勝てる戦争も勝てないわけで、それが見事に実証されたわけである。
そもそも「戦争はやってみなければ勝敗はわからない」では、その戦争は最初から避けるべきである。
戦争をする以上、勝つ戦争でなければしてはならないはずである。
日本民族というのは四周を海に囲まれた島国なるがゆえに、独特の思考が醸成されていたようだ。
それは潔さ、淡白、しつこく固執しない、という価値観であって、それが美徳となっている。
だから、華々しく、潔く、死ぬことに無上の価値観を見出しているので、これが特攻隊の発想にそのまま象徴されているが、こういう発想は大陸系の思考の中にはあり得ないので、他民族からすると極めて異質で、畏怖され、恐れられた。
これを今イスラム教徒が借用して、自爆テロとして生きているが、この自己犠牲の精神は、その行為の潔さの中に価値観を秘めている。
軍隊の中で派手で潔いセクションといえば、海軍では戦艦であり、陸軍では歩兵であった、というのがあの戦争中の我々日本人の認識であった。
あの戦争の敗因は実はここにある。
問題は、そのことに今に至っても我々同胞は気がついていない節があることだ。
私がこの事を危惧するきっかけは、海自の自衛艦「あたご」が漁船と衝突した事件で、この時「あたご」はハワイにおける日米合同訓練に参加して帰ってくる途中で、母港を前にして心に隙が出来ていたと解釈した。
この心の隙というのが、海上自衛隊として一番派手なセクションで、一番派手な演習・任務を無事終わらせてきた、という満足感に浸りきって、母港を前にして気が緩んでしまったのではないかと想像する。
如何なる組織でも、組織として陽のあたるセクションもあれば日陰のセクションもあるわけで、人としては誰もが陽のあたるところに行きたいのは人情だと思う。
よって陽のあたる場所というのは、常に人々の注目の的であり続けるので問題はないが、ここでその裏側を考えなければならないのに、誰もそれに気がつかない。
日本の場合、情報収集・分析というセクションは、それこそ日陰の中の日蔭者で、閑職の中の閑職である。
このことがそもそも日本の敗因の元である。
そこで敗戦の原因の考察の中では、なぜ我々は情報収集に価値を見出さなかったか、を深く深く考察すべきである。
あの戦争を遂行した人たちは、いわゆる日本のエリートたちであったはずである。
陸軍士官学校、そして海軍兵学校、なおその上に陸大、海大という超エリートのコースを歩んだ人たちであったにも関わらず、そういう人たちが情報収集の大事さに全く気がつかなかったということは一体どういうことなのであろう。
私が推測するに、こういう人たちは国益という概念が全く無かったということではないかと思う。
戦に勝てば国益が伸長するということは、頭では解っていたが、ならばその国益というのはどういう形で存在するのかと反問すると、国益国益、と口先では大言壮語を吹きながら、その実態は戦争を私物化をしていたということだ。
考えてもみよ。ミッドウエイ海戦で惨敗したとはいえ戦艦「大和」はまだ生き残っていたが、それを沖縄戦に投入するについて、その作戦の無意味さは海軍の人間ならば皆わかっていたにも関わらず、生き残った海軍の将兵の死に場所として、何の意味もない作戦に出て行ったわけである。
「大和」の将官のトップにとっては、勇ましく、そして潔い死に場所ではあったかもしれないが、冗談ではない、他の乗組員と後に残された銃後の人々はどうなるのか考えたことがあるのか。
海軍兵学校を出て、海大を出たような超エリートの考えることは、国民の存在を無視した、独りよがりの自分勝手な行動以外の何物でもないではないか。
海軍の将兵のトップが、自分達の作戦の失敗の上に失敗の屋上屋を重ねたあげく、勝手に死に場所を求めてさまよってもらっては、国民の側としてははなはだ迷惑な話ではないのか。
同じことは陸軍についてもいえるわけで、例のインパール作戦というのは、国益とどういう風に係わりがあるのであろう。
これも牟田口中将の個人的な思い込みで遂行された作戦で、結果はする前から解り切ったことをゴリ押ししたわけで、いわば戦争の私物化に他ならない。
これが当時の日本の超エリートが国益と思って遂行した行動の実態なわけで、なぜ当時の日本の超エリートはこういう思考に嵌り込んでいったのであろう。
このことを考察するには、人間の心の根本のところまで遡らなければならないと思う。
つまり人間をよくよく観察しなければならないということだと思う。
人間は、煩悩といって誰でも百八個の欲望を抱えているといわれているが、その中でも豊かな生活がしたいという思いは万人に共通した願望だと思う。
ところが、人々が考えうる最短コースで豊かな生活を得る手法というのは、時代とともに変遷するわけで、人々はみなその時々の一番有利な入口、つまり狭き門に集中する。
戦後の高度経済成長の時は工学部の人間までが銀行や証券会社に就職したがり、世の中が不景気になるとそれが公務員の方に集中するわけで、それと同じで戦前は軍人の養成機関に入る選択がいわゆる出世の一番の近道であったわけである。
基本的に、その時代その時代で、一番華やかで収入の多い職に就きたいという願望は、賎民、心の卑しい人々の根源的な思考なわけで、ある意味では人一倍欲張りで、要領がよく、先見性に富み、目先が効き、抜かりがないわけで、それを全部網羅しているということは一言でいえば頭が良いということである。
超エリートが頭が良いということは、言いかえれば、もっとも賎民的な思考に近いということにつながる。
この事に我々は未だに気がついていないわけで、「あの人は優秀だ」というと、それを頭から信用して崇めたてまつり、その人の後ろから後光が射してくるような錯覚に陥りかねない。
戦艦「大和」が意味もない作戦に出て行く、インパール作戦のように全く意味のない作戦を推し進めるということは、当事者、責任者、組織のトップの失敗に対して賞罰が科せられないからではなかろうか。
旧ソビエットや中国の組織のトップならば、意図も安易に失敗が糾弾されて、すぐ死刑ということにあるが、日本ではそういう失敗をしても首が飛ぶようなことはない。
失敗をしても首が飛ぶことがないというのは、我々の場合、当然のことで、海軍でも陸軍でも、前線のトップの司令官も、後方で作戦を練る参謀本部でも、同じ学校の同級生や同窓生であるわけで、失敗したからと言って同級生や同窓生に対してそう過酷な処罰はし得ないのが人情だと思う。
旧日本軍に対する外国人の観察は実によく的を得ている。
彼らの目に映る日本軍は、「トップは駄目だが、兵隊は実に優れた資質を持っている」という評価である。
外国人から言われるまでもなく、まさしくその通りだと思う。
やはり我々は戦後の反省として、国益に直接的にかかわり合う人たちに対するに教育を考え直す必要があると思う。
日本の教育は、昔も今もそうであるが、初等教育は実に素晴らしいが、高等教育になると駄目になっている。
教育という場合、読み書きそろばんという基本の部分を教えている分には機能しているが、これが高等教育になると馬脚を現して、みるも無残な状況を呈している。
そもそも、猫も杓子も高等教育を目指すことから間違いなわけで、教育はあればいい、高ければ高いほどいい、という発想そのものから間違っている。
この発想の裏に、物事の本質を見逃す、見間違う大きな原因があると思う。
高等教育を授かる、授けるということが高貴なことで、それは素晴らしいことである、という認識が我々の潜在意識の中に刷り込まれているので、それを否定する発言は極めて言いにくいが、宅急便の運転手や、喫茶店のマスターや、生業として必ずしも高等教育を必要としないものもあるはずなのだが、そういうことを無視して誰でも彼でも大学に送り込もうとするから高等教育の質の低下があるのである。
そして、それを金儲けにつなげようとする企業という賎民が、「高等教育は良いことだ」と吹聴しまくるので、それに踊らされる賎民が後を絶たないのである。
日本の旧軍隊を批判するとき、どうしても軍隊そのもの批判になりがちであるが、本当は軍隊をそういう方向に行かざるを得ない状況を作り出したのは、国民の側、知識人の側、あるいはメデイアの側だと思う。
軍部に海大、陸大の超エリートがいれば、市民の側には帝国大学出の知識集団があったわけで、軍部の若手の人々がテロまがいの行動、行為を繰り返せば、当然それに対して市民としての立場から、言うべきは言い、批判すべきは批判して、倫理観を説くべきであった。
田舎の百姓の成り上がり者の若者の青年将校から「黙れ!」と言われて、言われるままに黙っていたとするならば、赤子の使い以下ではないか。
昭和初期の国会答弁でも、美濃部達吉博士の「天皇機関説」の論議でも、斎藤隆夫の粛軍演説でも、政党人からのフォロー、あるいは知識人からの擁護が全く無かったということは一体どういうことなのであろう。
私が思うに、これはイジメの構図だと思う。
イジメというのは、超悪な人間が、特定の人を虐め抜くというものばかりではなく、間接的なイジメとして無感心を装うというのもあるわけで、少数意見とノーマルな意見が対立すると、事の本質を差し置いて、多数意見に手を挙げる、多数派に迎合するという行為も、我々の周りにはあるわけで、それで世の中全体が右傾化していったに違いない。
それを引き戻し、ノーマルな状態の戻すのが基本的には帝国大学出の知識人であり、大学教授であり、メデイアであり、政党人でなければならなかった筈である。
私自身はあの太平洋戦争は避けて通れない道であったと思う。
昭和初期の日本の置かれた状況は、、国際情勢の方向性が日本を虐め抜く方向になっていたわけで、そこを打ち破るには避けて通れなかったろうと思う。
ところが、昭和の軍人が軍人として如何にも情けなく思慮に欠けた人たちであったと思う。
我々はあの戦争を遂行した人たちを軍人という視点で見るから、いくら論じても真の反省は生まれてこない。
陸軍にしろ海軍にしろ、彼らは官僚であったわけで、軍官僚という視点から見れば、彼らの行為と行動は説明がつくのではなかろうか。
官僚というのは自分の仕事を自分で作って、自己増殖、アメーバーのように外に外に不定形に増殖していくわけで、その中にいる国民、当時の言葉で銃後の人々のことなど、毛頭眼中になかったのではないかと思う。
彼らは存在するだけのために仕事を作りだすわけで、その仕事というのは、他の人のためのものではなく、自分達のための仕事なわけで、自分達の存在感を誇示するためだけの仕事であったわけである。
こういう思考が、軍の中のエリート、民間のエリートたちに解らないはずはないと思うのだが、昭和初期の日本人というのは一体どうなっていたのであろう。

「国家の正体」

2008-12-13 07:40:53 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「国家の正体」という本を読んだ。
著者は日下公人氏。東京大学を出て日本長期信用銀行に勤めた人で、言うならば国を憂う憂国の士といった感じがする。
しかし、このことは主権国家の国民ならば誰しも当然のことであって、自分の国を憂うことのない国民というのはありえないはずである。
ただ、その憂い方が各人各様に違っているわけで、そのことから考えれば、この人の論旨は私にとっては当然のことだと思う。
この著者は司馬遼太郎の「この国のかたち」というアプローチから攻めているが、確かに「この国」といった場合、第三者的な印象を受ける。
自分が当事者であるということを脇においておいて、第3者が外から眺めている印象がある。
この著者の場合、銀行という業務を通じて国益というものを常に考え続けてきたので、こういう発想に至ったのかもしれない。
国益ということは、基本的には国民の幸福ということにつながるに違いない。
国が豊になるということは、一部の金持ちが跋扈することではなくて、底辺レベルの底上げが豊かな国ということだと思う。
19世紀初頭には、この目的達成のために共産主義という思考のもとで、そういう理想の実現を追い求めた人間の集団があったことも歴史的な事実ではある。
そして今でも、その理想を信じている人たちのいることも歴然たる事実ではある。
一部の金持ちが跋扈する状況を否定して、全体の底上げを目指そうという思考は、非常に説得力があることも厳然たる事実でもある。
過去にそれを実現して、結果的に80年足らずして、その矛盾に押しつぶされて元の黙阿弥に戻った国もあるわけで、だとすると統治される側の国民としては、如何に処すべきかというのがこの著者の抱えている大命題なわけだ。
日本の統治者というのは金銭的には極めて淡白だと思う。
政治家となり、ある程度は金儲けとしての利権あさりというよう行動に出る人もいないでもないが、自民党総裁、総理大臣になったからといって、私利私欲に走る人はいないわけで、大臣の椅子などいとも安易に放り出してしまうし、総理の椅子でも全く固執しないくてあっさり放り出してしまう。
あまりにもあっさり放り出してしまうので、逆の意味で無責任とそしられているが、他の民族では一度手にしたトップの座は、そう安易に放り出す人はいない。
統治のトップがあまり金にこだわらないというのは、やはりそれだけ民度が高いといってもいいと思う。
民度が高いということは、自分のことよりも国民全体のことを優先している、と考えたいところであるが、ことはそう単純ではない。
ここが極めて難しいところで、国民のことを考えて、国民に対して良かれと思ってしたことが、国民から批判を浴びることになる。
統治者が国民のためといくら思っていたとしても、国民の側には様々な考え方があるわけで、必ずしも統治者が良かれと思ったことがそのまま受け入れられないということである。
こういう考え方の相違を突く論戦が行われている内は、政治はノーマル状態であるが、この論戦が論戦のための論戦になってしまって、すべき施策の本質を突く論戦を放り出して、政権交代だけを責める論議に陥るから、政治が低迷するわけである。
もともと我々日本民族というのは、独裁政治を基本的に忌み嫌う民族である。
我々の社会は、一人のリーダーが全てを決するという方策には極めて臆病で、自信がなく、何かを決めなければならない時は、集議に図って皆の意見を聞きながらことを決する。
これは一種の責任逃れでもあるわけで、後から「あいつがやったことだから!」という後ろ指さされないようにという予防線でもあったわけだ。
だから何事においても、ものごとを決するときには、人の意見を聴いたうえで実行に移すのが、この話し合いの場で主導権争いを演じてしまうのである。
独裁で、「俺の言うことを聞け!!」と、はっきりと正面から言うことは厭だが、「俺が言ったから実現した」という風に持っていきたいわけである。
だから、すべきことの本質よりも、その手順とか、手続きとか、主導権とか、どうでもいいことに血道をあげて、名のみを欲しがるのである。
議論すべきことの本質を捨ておいて、相手のスキャンダルを暴き、手順手続きの不備を突き、議論のための議論を繰り返して、相手の失敗に歓喜する、という人間として非常に卑しい行為に走ってしまうのである。
統治する場、国会の場がこういう状況では、今日の流動化した地球規模の国際環境には適応しないことは誰の目にも明らかである。
国内の対応でも、意味もない議論に終始していれば、そのチャンスを逃がすことは当然のことで、対策が後手にまわることは自明である。
そのことは当然国益の損失という形で回り回ってくるのであるが、この著者は、その部分に大きな憂いを感じているようだ。
主権国家の国民としては当然のことだと思う。
我々は先の大戦で、自分達の政府に騙されていた部分は多大にあると思う。
当時の大日本帝国は、自国民に対して、「勝つ!勝つ!」と、大言壮語をしておきながら、結果的には完膚なきまでの敗北であったわけで、その為自国民のみならず、アジアの諸国民に対しても多大な迷惑を掛けたことは紛れもなく我々の側の政治の失敗であったことは素直に認めなければならない。
政治、あるいは統治というのも、人の為す行為なわけで、人の為す行為である以上、失敗も大いにあるわけで、失敗は失敗と素直に認め、今後は同じ失敗を繰り返さないように、細心の注意を払ってしかるべきである。
そこで、過去の反省となるわけであるが、その反省をする時に、「我々は悪いことをしました」という論点に立つと、反省が反省足りえないことになる。
我々の父や、兄弟や、おじさんという親族が、「アジアで、フイリッピンで、朝鮮で悪いことをしてきた」では、後に続く日本の若者に対して顔を上げられないではないか。
事実、そういう認識が戦後の日本の中で一般化しているから、この著者の憂いが浸透しているわけで、相手からそう言われるのはいた仕方ない部分があるが、自らの内側からの声としては、そう言うべきではないと思う。
むしろ相手からそう言われたら、当時の我々の置かれた状況を懇切丁寧に説明すべきだと思う。
相手とこちらでは立場が違うわけで、当然、その立場の違いは利害の違いとなっているのであって、異なる民族が隣り合って存在する限り、利害得失はついて回るわけで、それは昔も今も全く変わることはない。
「悪いことをした」という認識は、あくまでも戦後の認識であって、大戦前の世界的な価値観では、そういう認識は生まれていなかったはずである。
人を抑圧したり、むやみやたらと人を殺していいというわけではないが、価値基準としては非常にあいまいな部分があったわけで、それを今の厳しい基準に照らして、70年近く前のことを今日の基準にてらして評価してはならないと思う。
今の日本の知識階層が、自分達の先輩諸氏、自分達の父や、兄弟や、おじさんたちのしたことを犯罪者よばりするということは、自分たちの祖先を冒涜する行為である。
臭いものに蓋をして口を拭えというわけではない、
当時は、そうしなければ我々自身が生きてこれなかった、ということを考えるべきだ。
我々が生き残るために、昭和初期の日本の政治家たちのとった施策は、結果的には大失敗であったわけで、そのためにアジアの人々も我々同胞も、大いに困惑をしたことになる。
だがそれは生きんがための方便、方策であったわけで、「ならば人殺してもいいか!」という論議まで飛躍すべきではないはずで、善悪、正義不正義という価値観で測るべきではない。
アジアの民と、日本の人々を、二つの異なった人間の集団として運動場に入れたとしら、平和的に共存することもあれば、双方でいきり立って抗争になることも当然あるわけで、如何なる場合でも双方の自己愛に基づいているのであって、ある時は平和的に、ある時は戦争状態になるのも、自己愛のバランスによっているのであるから、それは自然の摂理というべきである。
この著者が祖国を思うとき、日本の大衆があまりにも祖国という概念を喪失している点を憂いているわけで、自分の国の概念を失うということは、あまりにも恵まれすぎているということではなかろうか。
日本が戦争の渦に巻き込まれていった昭和の初期の頃、当時の日本は、今から思えば実に貧相な社会であったわけで、貧乏からの脱出はそれこそ国民的なコンセンサスであった。
社会の上層部分というのは、どこの国でもそう大した違いはなく、貧困層の存在もどこの国でもあったわけで、問題は、それぞれの国の中で金持ちと貧困層の間にある経済力の格差よりも、知識・考え方の格差ではないかと思う。
この頃、どこの国の知識階層にも人気のあったマルクス主義、共産主義というのは、知識階層の考え方であって、知識人が金持ちの富の独占を否定していたわけで、貧乏人はそういう思考の存在そのものも知らずにゴミ箱をあさっていたわけである。
結局、金持ちのボンボンが、金持ち、資本家、不労所得者、成り金を否定し、人は皆平等であるべきだと言っていたわけである。
ところが金持ちのボンボンは、金持ちのボンボンなるがゆえに、貧乏人に金を無償で与えれば働かなくなる、ということを知らなかったわけである。
ところが理念は立派で、慈悲心に富み、博愛精神に富み、人を魅了する言葉であったので、その綺麗事の文言に騙されて、無邪気にそれに惹かれたのである。
これは昭和初期の日本人が、貧乏からの脱出のためには、軍国主義によらなければ日本は滅亡すると思い込んだ構図と軌を一にしていたのである。
ことほど左様に、理念・理想を立派な言葉でまぶし、人の善意をかきたて、魅力的で万人に受け入れされそうな美しい言辞に変えて喧伝すると、正常な感覚まで麻痺してしまう、ということを如実に表していることである。
そういう視点で、今の我々の周りを見てみると、朝鮮や中国に対して、我々の先輩諸氏がひどいことをしてきたと声高に叫ぶと、先方も大いにそれを認めてくれ、自分達も禊をした気になって、世間に対して胸を張って良いことをしてきた気でおれるのである。
ところが、それは相手を利し自分の国を陥ていることに全く気がついていない。
こういう人に限れば、相手が得をすれば、こちらにもそれがブーメランのように回ってくると思い違いをしているようであるが、この考えは無知に等しい。
戦後の日本は、それこそ何を言っても牢屋に放り込まれるということはない。だからものを言う人も、節度ということを考えたこともない。
全くの野放図というのは、こういう状態を指すのであるが、自由というのはどこまで行っても完全に自由だと思っている。
成熟した人間社会には倫理や、道徳や、慣習や、法律で、して良いことと悪いことというものは暗黙の了解の中に存在しているはずであるが、日本の知識人はそういうものを一切無視しようとする。
そういうものを無視してこそ知識人であり、教養人だと、間違った自覚を持って嬉々としている。
知識人や教養人が、自分達の統治者を信用しないというのは、先の大戦の失敗経験から、ある程度はいた仕方ない面もあるが、そこを修復するのが本来ならば知識人や教養人の使命なのではなかろうか。
ただただ反政府を煽るだけならば、誰でもどこでも安易にできる。
統治ということを考えた場合、基本的には官僚の問題にいきつくと思う。
日本の総理大臣も各省庁の大臣も、本来ならば官僚の上に君臨して、官僚を手足のごとく使ってこそ本当の行政機関であろうが、日本の大臣は私欲のために金儲けに血道をあげる人もいない代わりに、国民のために官僚をこき使う人も極めて少ない。
ぶっちゃけて言えば、官庁の烏帽子のようなものだ。
この本の著者の憂いは、この官僚に国のためという意識が微塵もないことを言いたかったに違いない。
官僚の仕事が、官僚のための仕事に終始してしまって、国民の側に視点が向いていないことに非常に怒っている。
そんなことは当然といえば当然の話である。
学校を出て23、4歳で国家公務員になる。一度なったら少々のことでは首にならないわけで、余程の刑事事件でも起こさない限り、生涯安定した生活が保障されているのである。
旧ソビエットのノーメンクラートや、中国共産党員と同じで、そういう安定した組織の中で、誰が一生県命額に汗して働く気になるかと言いたい。
何もしないことが一番身の安全を保障しているわけで、余分なことをすれば、成功すればしたで妬まれ、失敗すればそれ見たことかと評価を下げるだけである。
何もしなくてもそれなりに年功序列で収入は上がるわけで、こういう組織に国益を期待する方が間違っている。
ならば誰が祖国を支えるのかとなれば、それは物作りである。
この物作りも、今では周辺諸国の安い人件費で、海外にその拠点が移ってしまっているが、国益を考えるという場合、そこが物事の根本である。
この本の著者は、日本長期信用という民間の銀行に身を置いていたので、この部分で政府、官僚とも相当に交渉の場をもったらしいが、その経験からこの本が書かれている。
しかし、今までの概念では、国家というものが個人を庇護し、個人の身の安全を支える具体的な機関であったが、こういう考え方も20世紀までのもので、これからは国家という概念そのものが消滅するのではないかと思う。
倫理感とか、正義感とか、善し悪しの判断基準というものが世界標準として定まれば、人は国家の枠組みの中にとどまることなしに、生きていけるのではなかろうか。
ただ親類縁者が固まって住んでいるというぐらいの意味合いで、国家が一人一人の国民に対して忠誠を誓わせたり、援助や支援を差し伸べることはなくなるのではなかろうか。
人は、経済の活発な場所を求めて自分から移動していくわけで、この人間の移動は国境を超えて自由に行き来すると思う。
現にヨーロッパではそういう時代になっているわけで、20世紀における国境の意味が限りなく低くなっているではないか。

「娘は宇宙飛行士」

2008-12-12 07:11:03 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「娘は宇宙飛行士」という本を読んだ。
言うまでもなく1999年エンデイバー号で14日間の宇宙飛行をした日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんの母親の話である。
宇宙飛行士というような、誰でも彼でもおいそれとなれない人になるには、本人の努力もさることながら、親の影響も大きく左右しているに違いない、ということは十分に察しがつく。
「何事も成せばなる」というのも、ある程度までは真実であろうが、本人の努力だけではおよばない何かがあると思う。
ただ金さえ儲ければいいという単純なものならば、本人の努力だけで何とか納得出来るところまで上り詰めることも可能であろうが、宇宙飛行士ともなると、本人の意志や気持ちだけでは何ともならない関門が幾つもある。
それを一つ一つクリア―していくについては、恵まれた資質が要求されるわけで、その恵まれた資質を形成するには、持って生れたものそれを上手に育む環境が不可欠だと思う。
そういう条件を全部クリア―して始めて、宇宙飛行士という頂点にたどりつくものと考える。
私は自分の生い立ちから鑑みて、人間の人格形成には両親の薫陶が極めて大きく左右するものと考える。
俗に、「トンビが鷹を産む」ということもあるが、普通の人間の営みでは、そんなことが頻繁にあるわけはない。
宇宙飛行士ともなれば、英語が出来るだけでも駄目だろうし、頭が良いだけでも駄目だろうし、人格温厚なだけでも駄目だろうし、その総合的なバランスが要求されているものと思う。
ただ夢を持って、その夢を追い掛けて努力すれば夢は実現する、などと子供だましの説教は通用しないと思う。向井千秋さんの母親・内藤ミツさんと、父親・喜久雄さんは、この本を読み終わった後の感想としては、どこにでもあるちょっと異質な夫婦という感じである。
母親は店を切り盛りして、父親は学校の先生ということで、押し並べて言えば、ごく普通の市民という感じである。
ただこの本で強調されていることは、親が子供に対して善悪の見極めをきっちりと伝えている点であろう。
母親の威厳を惜しげもなく振りまいて、善悪の見極めでは子供に妥協しないという点ではないかと思う。
そのことは子供を愛していないということとは全く違うわけで、子供が世間に出て恥をかかないように、という愛のムチなわけで、それをわからせるためには苛酷とも思われるお仕置を辞さないという態度である。
親が子を育てるにおいて、このことこそ本当の子育ての基本であり、それを経た子供たちは極めて幸せだと思う。
子供が成長して親を超えるのは当然のことで、それこそ自然界の法則、摂理そのものであろう。
子が親を乗り越えて一回りも二回りも大きくなるとき、幼少の時受けた親からの薫陶は、その子の大きな財産となるわけで、そういう財産を授けられたからこそ、その上に本人の努力が接木されて、その力が級数的に大きくなるのではなかろうか。
親を乗り越えるという場合、その親の置かれていた環境ということも極めて大きな要因だと思う。
親が貧乏で、子供に十分なことができなかったというケースも世間には掃いて捨てるほどあるが、そういう子供はやはりそれだけチャンスが少ないことは歴然としているわけで、人が生きる目標というのはなにも宇宙飛行士になることだけではないはずだから、そういう人はそういう人にあった選択をすればそれはそれでいい。
しかし、世に名を成すには本人の努力が欠かせないことは当然のことで、本人が努力をする環境を整えるというのも、ある意味で親の責任だと思う。
家が貧しくて、子供の労力までかき集めなければ生計が成り立たないようでは、本人の努力にも限度がある。
そういう意味で親の資産が潤沢にあって、勉強のできる環境が整っていたというのも、本人の努力に大いに貢献する要因だと思う。
ただ昨今では女性でも高等教育を受ける人が多くなって、その意味では向井千秋さんもその渦中の一人であるが、女性が高等教育を受けると、自然の摂理に疑問を持ち、その自然を打ち負かし、自然に逆らい、自然を克服しようとする。
それはそれでいた仕方ない現象であるが、問題は、それに論理で整合性をもたせようと、自分勝手な思考を巡らすようになることにある。
女性が高等教育を受けて職に就く、そして子供が出来るとその赤ん坊を社会全体で面倒を見よ、という論理になるが、古い人間からすれば「自分で好きなことをしておいて、その後始末を社会でせよとは何事か」という論理になる。
女性が高等教育を受けるのは本人のかって、職に就くのも本人のかって、子供をつくるのも本人のかって、さんざん勝手なことをしておいて、子供ができたらその世話を社会全体でせよ、とは明らかに本人の我儘であって、その我儘を黙って聞くとは一体何事かと私は思う。
ここにあるのは学歴至上主義と拝金至上主義なわけで、学歴を得ることで勝ち取った目の前の金の成る木を手放したくないという我儘にすぎない。
高等教育を受けるのも金のため、職に就くのも当然金のため、自分であまりにも金、金と固執しては心がわびしいので、たまには男と寝る、その結果として子供ができると、自分自身は金蔓が絶たれるわけで、それでは困るから世間全体で何とかせよ言われても、あまりに虫のいい要求ではなかろうか。
女性が高等教育を受けることは大いに結構なことで、その女性が学んだことを社会に還元するという意味で職に就くことも大いに結構なことである。
給料が多ければなお結構なことである。
だが自分の子育ての期間ぐらいは、少々実入りが減っても、それを我慢して、我が子の養育に専念し、子育を終えてから再度社会復帰すれば何ら問題はない。
ところがそうすると子育ての間の給料が目の前にちらついて、損をしたような気になるものだから、自分の赤ん坊を他人に面倒みさせようとするのである。
こんな発想は、我儘の典型的なものだが、世間の理解ある人々は、こういう個人の我儘を奨励する方向に向いている。
世間に名の知れた人で、「そんな我儘を許すな」と叫ぶ人は全くいないわけで、なんとなく働く女性のための育児施設を作ることはいいことだ、という雰囲気におされぎみである。
こういう風潮だから、個人の我儘と本当の不合理の見境が限りなく不透明になってしまって、行きつく先が倫理の破壊ということになる。
我が身に何か不都合があると、それを他人、他者の所為にする風潮というのが、こういう綺麗事だけを並べて、個人の我儘を我儘として糾弾しないところからきていると思う。
向井千秋さんのお母さんという人も、本人が受けた教育という面では、そう大したことはないが、その分自然の母親という感情をまる出して、自分の家族に対して無償の愛を貫いたわけで、それは頭で頭脳を使って考え抜いた行為、行動ではなく、人間としての本質的な自分の子供を愛するという自然の振る舞いであったわけである。
その過程の中で、子供のために、その子たちが成長した暁に社会にすんなり順応できるように、ミニマムのモラルを叩き込むことに、母親としての威厳を最大限使ったというのが、この母親の偉いところだと思う。
普通の親ならば程ほどのところで妥協してしまうところを徹底的に押し切ったという点が素晴らしい。
とはいうものの子育ては実に難しい。子育てを終わった今でもつくづくそう思う。
親の心子知らず、その逆も又真であって、子供は親の思う通りには全くなってくれない。
人間社会はそれだからこそ進化し続けてきたのかもしれないが、親として子供のためと思ってしたことが全部裏目に出るということも、往々にしてあると思う。
ただ不思議な事に、人間というのは裕福な社会になると、後は下降線をたどるものらしい。
それは過去の人類の歴史が歴然と示しているわけで、太古から今日まで、いつも右肩上がりで来た民族はいないわけで、すべての民族が最盛期を過ぎると下降線をたどり凋落している。
だとすれば、日本もアメリカもこれから先、今まで通りの右肩上がりの成長はありえないということで、今が終末期、世紀末であったとしても何ら不思議ではない。
人間が自然の摂理を冒涜して、人間がつくった薄っぺらな真理もどきの知識に溺れ、自分で自分の首を絞め、自分で天につばを吐いてそれが顔に落ちるのを眺めている図である。
人は皆等しく同じ生存権というものをもっているのだから、差別は罷りならぬという考え方なども、明らかに自然を冒涜した思考だと思う。
人は自分の意志でこの世に出てくるわけではない。
ならば、この世から去る時も、自己の意志とは無関係に死ぬケースも、つまり病気、事故、戦争、その他さまざまな理由で命を落とすケースも多々あるはずだ。
ところが現代の知識に塗れた人間が、それを自然の摂理とは思わないわけで、示威的な殺人とみなして誰かを犯人に仕立て上げなければ気が済まないのである。
人は自分の意志で生まれてくるわけではないのに、死ぬ時は自分の意志で死ねば納得するかといえば、自殺は逃避だなどと勝手なことを言う。
人は自分の意志で生まれて来たわけでもないのに長生きは目出度いなどと勝手なことを言っている。
自分の意志で生まれてきたわけでもないこの世に、サッサと見切りをつけようとすると、自殺の防止などと勝手なことをする。
人は自分の意志でこの世に生まれ出たわけでもないのだから、長生きは自然の法則に反しているのではなかろうか。
話を元に戻すと、向井千秋さんは日本で最初の女性宇宙飛行士ということであるが、人間の能力は基本的に性による優劣はないものと私は思う。
ただ性による体の構造の違いというのは何人も克服できないので、その部分を考慮するということは、人として当然であるが、女性だから宇宙飛行士になれない、できない、してはならないという発想は、人間を冒涜するものだと思う。
昔の軍隊というのは、どこの国でも男の世界で、男だけの職場、集団であったが、昨今では女性の戦闘員も出現している。
特にテクノロジーが発達して、戦争そのものがボタン戦争と化し、重い荷物を背負って原野をかけ回るような古典的な戦争はこの世からなくなってしまった。
あるのはコンピューターで管理されたゲーム感覚の戦争なわけで、これならば女性でも容易に順応できる。
大の男が、ちまちまとスティクやマウスを弄り廻さなくても、女性のしなやかな手で十分である。
向井千秋さんの宇宙飛行士の仕事というのも、その手の仕事なわけで、筋骨隆々としたマッチョな男でなくてもできるからこそ、そういう仕事が女性にも開放されてきたに違いない。
今の地球上には極めて未開な民族がまだまだ大勢いる。
アフリカや南米、中国奥地やエスキモー、ネイテイブ・アメリカン等々物質文明から隔絶された人々がいるが、こういう人たちも赤ん坊の時から日本人やアメリカ人や、イギリス人や、ドイツ人と同じ教育を授ければ、成人した時の優劣はほとんどないと思う。
だから、向井千秋さんのような人が出るというのも教育の結果であって、その意味からすれば、公教育の充実というのは民族の根幹にかかわる問題だと思う。
ところが社会が豊かになると、労しなくても食うだけならば食っていける環境が整ってしまうわけで、そこでその現状に浸りきって、向上心を失ってしまう人が出てくるのである。
我々は過去の経験から、教育が人間の人格形成に極めて重要だということは理解しているが、これが教育に携わっている人にかかると、教育のための教育になってしまうのである。
偏差値というのは、教育のための教育を、数値化してあらわすことだと思う。
教育の目的は、読み書きそろばんを教えることに尽きるはずであるが、今の日本の公教育というのは、偏差値の優劣を競い合う場と化し、人格形成の部分を蔑にしているにもかかわらず、父兄はそれを公教育に求めている。
基本的には、子供の躾というのは親が我が子にすべきもので、公教育の場ですべきことではないはずである。
公教育というのは、純粋に読み書きそろばんを教えることに徹し、先生をクラブ活動の指導だとか、生活指導などという雑用から解放すべきだと思う。
クラブ活動などというものは本来、趣味の範疇で、地域のボランテイア―が教えるべきものであって、教育の一環にすべきことではないはずである。
本来の公教育は、先生をすべての雑用から解放して、その分、読み書きそろばんの基本をしっかり教えることに傾注すべきである。
先生も、如何に生徒の頭脳にインプットさせたかで評価されるべきだと思う。
いくら先生が一生県命教えても、それを受け入れる側には個人差があって、優劣が出ることは自然の摂理であるから、その優劣は問題ではない。
日本人の向上心というのは、その優劣にこだわりすぎると思う。
だから偏差値などという個人の能力を数値化して一喜一憂しているのである。
昔と比べて教育を受けた人間が多くなれば、世の中の犯罪は減らなければならないのに、決してそうなってはいないではないか。
犯罪者の学歴について詳しく知るわけではないが、メデイアの報ずるところから推察すると、経済事犯の大部分は、大学出の犯人ではなかろうか。
こういう背景から考えると、大学はもっともっと学生に倫理や道徳を教えなければならないのではなかろうか。
慶応大学の大麻所持の件でも、一体大学はどうなっているのかと問いたい。
大学生にもなって、して良いことと悪いことがわからないということはあり得ないわけで、知っていてしたとなれば確心犯であって、完全に犯罪者である。
だとすると、こういう人間を学生と認めた大学は一体どうなっているのかということになり、その親は一体どういう子育てをしたのか言うことになる。
明らかに向井千秋さんの母親・内藤ミツさんの言う、親の威厳で子を諭すことをしてこなかった、ということであろう。

「魔の海に勝て!」

2008-12-08 10:13:54 | Weblog

例によって図書館から借りてきた本で「魔の海に勝て!」という本を読んだ。
太平洋の真ん中で、荒波に船首をもぎ取られた貨物船の救助作業をした船長の話であった。
こういう話はたくさんあると思う。
人類の歴史の中で、船というのは太古から人間の交通手段として大いに利用されてきたわけで、その中では当然遭難もあり、その救助の話もあったに違いない。
あのタイタニック号の話などまさにそれなわけで、海難救助というのはそれだけで一つのストーリーが出来上がる。
日本に船というものがいくつあるかは知らないが、事故というのはいつ誰が遭遇するかわからない。
何十年と船に乗っていても生涯そういう目に遭わない人もいるものと思う。
私も現役の時、いささか消防に関わる仕事をしていたが、実際に火事の現場に出動するような場面には遭遇したことがなかった。
火事とか海難などということは生涯にそう度々あることではないと思う。
このケースの場合、遭難した船の船員が一人の犠牲者も出さずに救出されたという点で大きく評価されたのであろう。
海難事件でもメデイアの取り上げられ方で大きくその評価が左右されているように思う。
私の拙文は主感の塊で、自分の考えたこと、自分の思ったこと、自分の考えそのものを書き連ねているが、メデイアというのは基本的にそうであってはならないと思う。
世の中の公序良俗に従って、少しでも世の中が明るく明朗になり公明正大な方向に向かうべく、読む人を導く心がけがなければならないと思う。
その意味で、メデイアの偏向には世の中の雰囲気が大きくその影を反映していると思う。
このケースの場合、嵐の海で果敢に行われた救助作業が見事に成功したので、メデイアも好意的に大きく取り上げたがこれはこれで結構なことではある。
ただ同じように海難事故に関しても、相手が軍関係の船舶のことなると、日本のメデイアは一斉に体制批判に傾くところが偏向の顕著なところだと思う。
この部分の公明正大という価値感の座標軸が、私ども庶民の感覚とメデイアの感覚の間に、大きな乖離があるわけで、その幅がメデイアの側の偏向となっている。
今年の春先に東京湾上で起きた海上自衛隊のイージス艦と漁船、清徳丸の衝突事件でも、事故を起こしたという意味では海上自衛隊の「あたご」側にも責任の一端があることは認めざるを得ないが、犠牲者を出した清徳丸にもそれ相応の過失はあると思う。
当てられて沈没した清徳丸の親子が死んでしまったので、可哀想だという同情が、イージス艦憎しという嫌悪感に転嫁してしまって、自衛艦側を極悪人という位置づけで報道した。
大きな船の直前を横切ろうという行為は、我々の周囲で起きる交通事故に例えれば、大型トラックの直前を横切るようなもので、危険なことは当然である。
ただ陸上でも海上でも、人を死なせた方が悪者に仕立てられる風潮は、私個人としては我慢ならないことだと思っている。
大型トラックの前を横切って轢かれて、その人が死ねば当然その運転手の罪が問われるが、そのトラックの前を横切った人は死んでしまったがゆえに、何も罪が問われず、轢いた運転手に相手のミスの部分も加算して上乗せする形で悪者に仕立てられる風潮には我慢ならない。
メデイアはこういう風潮に対して警鐘を鳴らしてこそメデイアの使命だと思う。
トラックの直前を横切りうことなど、本人の自殺行為だから運転手に過失はない、といってこそメデイアの本来の姿だと思うが、昨今のメデイアは人を殺した側を何が何でも悪人に仕立て上げている。
海上の交通ルールについては詳しく知るものではないが、陸上でも海上でも交通ルーツとそれに付随する常識というものがあるはずで、それをどちらかが無視するから事故が起きるものと思う。
トラックの前を横ぎる行為も、大型船の前を横切る行為も、常識的に考えれば危険なことに変わりはないわけで、あてた側からすれば想定外のことが起きたと言いたくもなると思う。
ところがメデイアというのは、そいう背景を一切無視して、「人を殺すとは何事か」という言い方で責めるが、それは明らかに偏向した思考だと思う。
特にそれが大型トラックであったり、国家を背景にした機関、例えば海上自衛隊の船であったりすると、その偏向の振幅のトーンが一段と高まる。
普通の常識人の考えからすれば、大型トラックの前を横切ったり、巨大な軍艦の前を横切れば、危険なことは当然で、最初からそういう行為は自ら避けるというのが自己防衛本能だと思う。
事故が起きてしまった後から、トラック運転手の前方不注意だとか、ブリッジの見張り勤務の怠慢だとか、理由をこじつけるが、これは部外者の無責任な論評だと思う。
事故が起きたということは、起こしたこと自体に想定外のことに対処できなかった、という意味で一抹の責任はあるが、それは存在自体を否定しなければならないほどの根本的な過失ではないと思う。
イージス艦「あたご」と清徳丸の場合、清徳丸は3隻で船団を組んでいて、他の2隻は回避しているわけで、当たられた側にもう少し注意力があれば回避できた事件だと思う。
日本のメデイアは、こういう事件の場合、自衛隊側をさも極悪人のようなニュアンスで報じるから私は憤慨を覚えるのである。
私は個人的に海上自衛隊を応援するつもりはないが、ものの見方は公平であるべきだと思う。
メデイアは、このものの見方の公平さを求めて真実に迫るべきで、その真実に迫った結果が偏向していては、何にもならないと思う。
それにもう一つ加えれば、偏向していても構わないが、ならば公明正大ということを表看板から外すべきで、自分のスタンスをはっきりさせて、これこれの考えに基づきこういう思考を述べるのだ、ということをはっきりさせるべきだと思う。
愚痴はこれくらいにして、今の日本の海運界というのは一体どういう状況なのであろう。
詳しくはしらないが、日本の船員は給料が高いので、今では外国人の船員が多いと聞くが果たして現状はどうなんであろう。
その上、船の仕事は、海上勤務が多くて、普通の仕事とは異なっているので今の若い日本人には嫌われていると聞くが、日本男子というのも実に軟弱になったものだ。
昔は海外雄飛とか、海の男というのは若い青少年のあこがれであったと思うが、今ではそういうこと自体が若い日本の青少年からソッポを向かれている、ということを一体どう考えたらいいのであろう。
日本が豊かになった証拠ではあると思う。
豊かな社会にあれば、人々の考えも軟弱になるのは当然だと思う。
社会が豊かになれば、なにも好き好んで苦労を背負うことはないわけで、ほどほどに今ある状況にどっぷりと浸かって、切磋琢磨とか、身を粉にして働くとか、艱難辛苦などということをしなくても、ほどほどに生きていけるわけで、それが今の日本ではなかろうか。
海外雄飛などという言葉は、確かに古き貧乏な時代のスローガンであったわけで、飽食な今の日本の現状には合わないであろうが、我々、日本民族の若者の精神が極めて軟弱になったことだけは真実であろうと思う。
本日、12月8日は太平洋戦争の開始から68年目である。
あの頃の日本は貧しかったと思う。
貧しかったといっても日本全国が同じように貧しかったので、特にみじめさというようなものは感じていなかったが、全体のパイが小さかったので、一人一人がそのパイの拡大を望んでいたことは確かだろうと思う。
それがため日本は世界を相手に戦争を挑んではみたが、完膚なきまでの敗北を期し、その結果として軍事費というものをゼロにしてしまった。
その上、我々は「自分の国を自分で守ることもやめました」と世界に向かって宣言してしまったので、残ったのは物作りだけであった。
ところが、この物作りには自分でも驚くほどの才能が隠れていたわけで、結局その才能で、図らずもアメリカに次ぐ経済大国になってしまった。
この本の著者も、戦後とはいえ、基本的には貧乏からの脱出の手段として船員となったわけだが、今の我々は決して貧乏などではないわけで、当然のこと過酷な仕事を要求される船員などになろうという若者が減ったわけだ。
そういう若者のもう一つ裏の深層心理には、組織の中での仕事が嫌という面があるのではなかろうか。
つまり組織の中で、秩序だったルーチン化した仕事を嫌うという面があるのではなかろうか。
だから極端な例でいえば、文筆業や、音楽家や、芸能人というように時間に束縛されない、自由気ままに自分の好きな時に好きなように働く仕事ならば、どうにかやってみようという気になるが、そんな仕事が誰でも出来るわけではない。
心の奥底でそういうものを求めながら、現実の世界はそう甘くはないので、中途半端なところで宙ぶらりんになる。
それがフリーターであり、アルバイターであり、派遣労働者ということになるのではなかろうか。
普通の社会の仕事というのは、基本的には組織化され、組織で動き、組織の中で問題解決がなされているわけで、組織の中で歯車の一つとして働くことが厭ならば、如何なる職業にもつけないのは当然である。
戦争に負けた我々は、それ以降というもの人権ということを極度に過大視するようになったが、人権を声高さけぶならば、その前にまともな人間ということを真摯に考えなければならず、人権はそういう人の権利ということを真摯に考察しなければならない。
ただ自分の我儘が通らないのは人権侵害だ、というような稚拙な論議に振り回されてはならないはずだ。
人間の型をしていれば、犯罪人も、極悪人も、性格異常者も、お地蔵さんも、すべて同じ人権で括るのは森を見て木を見ないのと同じで、あきらかな行き過ぎだと思う。
人間としての権利ということであれば、ここでいう人間というのは常識的な意味で、普通の倫理をわきまえた普通の市民としての普通の人間であって、人殺すような殺人者まで真面目に生きている人と同じ人権という言葉で括るのはあまりにも綺麗事すぎると思う。