今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行14

2008-07-24 21:40:12 | 鉄道旅行
列車は630に早くも入線。先頭に乗る予定が3号車と言う中間車になってしまった。この列車、道内時刻表に載っている編成より普通車自由席が1両少ない。発車までの間、新聞に目を通す。隣の4番ホームには700発の特急『オホーツク」が入線している。ところで私が乗っているキハは、急行用でありながら本州のそれと違い、床が黒っぽい木製で油が表面に塗ってある。ちょうど小学校の木造校舎の床板を思い起こさせるが、何とももっさりした感じでもあり、寒冷地対策と思われるがなぜ木製にするのかわからない。
 比較的空いている『オホーツク」を見送って5分後、本州では聞きなれない音と波長の長い発車ベルが鳴り終わると、705発『狩勝1号」はタイフォン一声、札幌を後にした。私の座った席は進行方向右側だから、北東方向に走る滝川までモロ横から朝日を食らうことになる。ブラインドを半分下ろしたが、それでも太陽の光は容赦なく入り込んでまぶしいががまんする。それよりも向かいの席のオッサンがブラインドを下ろさないか心配であった。乗車率は朝一番の急行でもあり100%近い。まわりのオッサンが一斉にタバコをふかしだしたのには閉口した。
 札幌を出て30分ほどで岩見沢である。隣のホームには多くの札幌方面への通勤客等が列車を待っている。正確に言うと列車は入っており(848M)、人々はこの駅からの増結車両を待っている。それはともかく、岩見沢市は空知支庁所在地でありながら100万都市札幌の衛星都市の感が強い。
 滝川で乗車率が少し落ちたが、依然80~90%と高い。滝川から複線電化の函館本線に別れを告げ単線非電化の根室本線へと入る。車窓の風景は函館本線内では広々とした平野で田畑が多く、本州でもよく見るけしきであるが、根室本線に入ると急に山が迫り、山間を縫うように走る。しかし、どちらも色とりどりのトタン屋根の家が目につく位で、余りたいした景色でもない。
 赤平、芦別と炭鉱の町に停車する。炭鉱の町らしくトタン屋根の長屋風の家が目につく。富良野では旭川発の車両を連結するために7分停車。乗車率は80%位であろうか。私は滝川を過ぎると金山通過のあたりまでウツラウツラを繰り返していたので、この区間ではこれ以上のことは記憶にない。
 金山あたりで意識が戻りふっと反対側の窓に目をやると美しい湖が広がっている。よく晴れわたった青い空、緑の山々、空の青さがそのまま写し出された湖面、湖岸の草地の淡い緑の対比の美しさ。ダムの貯水池だろうがすばらしい眺めでしばし見とれてしまった。

31年前の北海道旅行13

2008-07-23 21:24:05 | 鉄道旅行
1時間半立ちっぱなしで待つ間、退屈と不安と苛立ちの中で過ごし、ようやく2315ちょうどにガラスの入った入り口の大きな引き戸のカギを開け、戸を開けて駅員が改札BOXに入った。この駅は非常に厳重で、改札時以外は引き戸を閉め、カギまでかけてしまう。改札口を出ると競走である。本屋改札口ではかなりの人が並んでいたし27便から乗り込む人もあるから、人々は競い合って「すずらん」の入線している3番線へと急ぐ。私も走って3番線に向かったが、列車を見てホッとした。連絡線からの客はまだ来ていない。(滝川行普通列車は人気がないのか改札口での列は「すずらん」の4分の1くらい)私は9号車進行方向山側に席を確保できた。立つ人も出るだろうと思われたが、何と発車時になっても空席がある。結局、列車は定員の90%程度で発車した。拍子抜けである。
 1977.8.23 Tues.
列車は所定の車内アナウンスの後は、終着の手前までアナウンスはなく、検札も来なかった。私は、前夜の夜行の疲れからすぐに眠り込んだが、途中余りの寒さに目を覚まし、薄いセーターを着込み、その上にジャンパーを包み込んだ。それでもまだ寒く、さすが北海道と言う感じである。昨日の「津軽」もそうだったが、こんな時軽く暖房が欲しい。それでも列車が停発車する際に、機関車から連結器を伝わってくる衝撃で起こされた以外はよく寝ていた。何とか正常な意識が戻ったのは、函館本線と千歳線とが合流する白石付近まで来たときであった。この白石から札幌までははっきりわからないが複々線になっているようだ。苗穂から分かれていた千歳旧線はレールをはずしてあったが赤茶けたバラストと土盛が面影を残してくれている。608、早朝の札幌駅2番ホームに定刻到着。
 夜行続きと昨夜の冷え込みで腹の具合が悪い。ガスがたまったようだ。暖かいものを食うとマシになるかもと1番ホームで早朝営業の立食いそばを食う。このダシも醤油のにおいがきつく辛い。関西風に慣れた私には不満である。一パイ150円だから仕方ないかなぁ。食い終わると次に乗る急行「狩勝1号』釧路行の発車する5番線へ行く。待つ間にホームの洗面所でうがいと洗顔をし新聞を買い求めた。

31年前の北海道旅行12

2008-07-22 21:32:16 | 鉄道旅行
食事後、待合室へ。ここの待合室に公衆電話が5台ほどあるのを見て、明日泊まる予定のユースホステル(以後YHと書く)に電話することを思い出す。電話料金が安くなる8時を過ぎて電話を入れる。普通ハガキで申し込んだため、返事がまだなので確認の電話を入れるのである。若い女性の声でOKとのこと。
 電話をかけ終わり、連絡線待合室側からの方が早くホームに入れるのではないかと、そちらへ足を運ぶ。なつかしい! 2年前、大沼でキャンプの最中に豪雨にたたられ、仕方なくここの待合室の一角で一夜を過ごしたことがあった。
 ガランとした待合室の売店で8月号の道内時刻表を買い求め待つうちに、2050着連絡線25便が到着。乗客がぞろぞろ下船してきたが、その時の構内アナウンスを聞いて頭にきた。あまりはっきりとは聞き取れないが、どうやらここからは列車の改札はしないとのことらしい。私は駅員に「すすらん4号」の改札は向こう(本屋)かと確認したら、そのとおりとのこと。(実際には改札するのだが) 再び本屋待合室に戻ると、25便が着いたこともあり先ほどよりも混雑している。今着いた25便と「すずらん」に連絡する27便、さらに私のように函館から乗る人を合わせると列車は満員、立つ人も出るのではないか。自由席は4両だけ。昨年までは「すずらん」の前に臨時の「ニセコ」が運転されていたのだが、今年はバッサリとなくなってしまった。このため私は気が気でなく、少々イライラしていた。事実、待合室には「すずらん」に載るらしい人も多かったから。
 さて、3つ並んだ改札口のうち、現在真ん中の改札口上の「次の改札列車」の掲示には2351発普通列車滝川行が早々と出ている。他は江差線と森行639D である。しかしながら次はダイヤから想定して左右どちらかが「すずらん」の改札口になるであろうと思い、2137発639Dの出る時刻に待合室から改札口を見に行った。案の定、3つある改札口のうち、639Dの表示だった右のやつが「すずらん4号」の表示に変わった。さっそくリュックをかついで改札口の前に並びに行ったところ、既に二人の先客がいた。待つ間に改札は連絡線27便到着と同時の2315からとアナウンスがある。

31年前の北海道旅行11

2008-07-21 21:26:49 | 鉄道旅行
函館では乗車予定の2340発「すすらん4号」まで5時間以上待たねばならない。昼間なら函館市内を回ることもできるが、夜間ではそれもできない。函館山は2年前に登った。それに大きな登山用リュックを背負っているので行動範囲は限られてくる。やっぱり「八甲田54号」、「すずらん2号」、「大雪5号」と乗り継ぎ、摩周湖を見るコースにすべきだったとくやむ。
 とりあえず夕食をとるために連絡船口の改札を出る。連絡船口から列車駅本屋まで駅構内を目隠しするように張り巡らされたスレートの板塀脇の長く、暗い歩道を歩かなければならない。こんなところだから食堂はおろか商店など一軒もない。駅本屋の片隅に「みかど食堂」と書かれた看板を見つけたが、どこかわからない。駅前を市電が縦横に走っている。その駅前通りをしばらく歩いて食堂を何軒か見つけたが値段、メニュー、財布の中身が一致しない。駅に戻る途中、つめが伸びているのに気づき爪切りを買おうと店を探す。ぼうにデパートと言う変わった名前のデパートを見つけて,そこの1階で売っているのを見つけ購入。閉店寸前だった。
 函館駅に突き当たる駅前通りは、駅に向かって右側の車線が舗装のやり直しで片側車両通行止。市電がその脇を悠然と走り抜けて行く。京都ならこのような時、通行禁止の軌道敷内でも平気で車を乗り入れさすであろう。そう思うと函館市の勇断に感心せずにいられない。
 再び駅に戻り構内をぶらついていたら、さっき看板のあった「みかど食堂」が見つかった。駅舎の中で営業しているのである。全体に値段が安いが、あまり安いものもと少し見栄を張って350円の親子ドンブリにする。運ばれてきた親子ドンは一寸変わっていて、タマゴとかしわが入っているのは当たり前だが,シナチク、タマネギ、しいたけ、その他いろいろなものが入っている。味付けは濃い目だが量はこの値段にしてはまずまずで、他の人の食事の量をチラリと見回してもそれぞれ割りに入っている。

31年前の北海道旅行10

2008-07-18 21:46:44 | 鉄道旅行
 青森には定刻の1206を20分も遅れて、上野から14時間近くかけてのようやくの到着である。すぐに連絡線待合室へと移ったが、待合室は21便の出た後でもあるのでガランとしている。ここで次の便の乗船開始時刻1415まで2時間近く過ごさなければならない。新聞を買って読んだり,玉子入りソバで腹を満たしたりして時間を過ごす。待合室から海を眺めると、風があり波が少し高そうだ。船が揺れそうだ。
 乗船開始前になろうとするのに乗客は少なそう。ガランとした待合室でキャッチボールをする連中もいる。1405着の24便が着いて待合室がややにぎやかになって間もなく、1435発23便の乗船開始のアナウンス。しかし、並ぶ人は少なく、私はゆっくりと後から乗り込んだ。改札では乗船名簿を渡すだけ。周遊券を手に持って見せようとしても見向きもしない。おかげで手から周遊券を落としてしまったではないか。
青函連絡船23便は、青森、函館方とも連絡する優等列車がないため、予想以上に空いていて、二つに大きく分けられる普通船室の一つを閉鎖しており、乗客は後ろ寄りの船室に入れられた。船は松前丸。初めての船だ。私は、空いているのでイス席はやめてカーペット敷きのマス席へ。1BOX定員12名だと思われるが,各BOXとも4~5人。私は窓際に一ヶ所空いていたマスを見つけ荷を降ろしていると、二人組みの男が窓際に割り込んできて大きな声で話し出した。彼らのそばでは寝てられないと思い窓のない中央のBOXに移動。こちらは私を含め3人だけ。大の字で寝られそう。波は高く歩くのに少し不自由するくらいに揺れる。しかし、横になるとそんなに揺れは感じない。ただタービンの音がやや大きいが。シュラフを枕にして寝ることにする。
 昨夜はほとんど寝られなかったのでよく眠れた。17時頃に目を覚ます。1730頃にヒゲをそりに洗面所へ行く。船の洗面所は単なる便所の手洗いではなく洗面用に作られているので、明るくゆったりとスペースがとられている。
 夕日に赤く染まる空の下1825定刻に函館到着。例によって到着前に行列ができたが短い。連絡列車もないから殺気立ったところもなく、私は到着するまで席に腰を下ろし、ゆっくり後の方から下船した。戻ってきたぞ函館に!