今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行68

2009-03-26 21:28:41 | 鉄道旅行
   1977.8.31   Wed.
  7時前に起こされる。そんなに冷え込んでいない。顔を洗いに行った後、テントをたたむ。その後は、メシができるまでのんびりと過ごす。私は、瀬棚線に乗るつもりで銚子口発848函館行に乗る予定をしており、メシがなかなかできないので時間が気になってくる。何とか8時10分頃にできる。ミソ汁と漬物で食う。
  食い終わるとすぐにSと私は、642Dに乗るために支度する。Sは、今日の「日本海1号」で帰ると言う。実際はもう少し後の列車で銚子口を出発しても良いのだが、連絡船24便は、連絡列車がほとんどないため、すいているだろうと思ってそれに乗るらしい。私が往路に乗った連絡船と同じ理由である。
  Sは、キャンプ地を先に出て行った。私は、また荷造りに手間どってしまい、少し遅れて出発。Kも642Dに乗るので、すぐ後から追っかけると言う。まだ完全にかたずいていないキャンプ場を後ろめたさを感じながら出発し、駅へと急ぐ。Sはかなり早いペースで歩いているのか追いつけないし、姿さえ見えない。
  さて、642Dはキハ22、24の3連である。列車は50~60%の乗車率。最後尾に乗ったが、空いたBOXがなく、中間のキハ24iに移る。ロングシート部分に空席がありすわる。結局、Kは間に合わなかったようだ。Sは英会話があるし、就職活動のコネを頼るため、少し早く帰るという。結構なことだ。
  大沼858着。私は、ここでSに別れを告げ、3番ホームに停車中の905発長万部行普通列車に乗り込む。私の乗った124列車は全車ブルーの43系客車の4両編成で、先頭DD51の次位の車両に乗る。大沼からは903、04、05の一分刻みで3方向に列車が出て行く。
 大沼公園を出ると、ちょうど大沼の真ん中あたりを走り、右手に駒ケ岳が見え、切手にもあるような風景が望める。私は急いでカメラを用意したが、時すでに遅し。森の中へと列車は入って行き、湖(大沼)は見えなくなってしまった。
  赤井川で急行「せたな」と交換。123列車は右側の待避線に入り、上り「せたな」は左側の本線を通過。キハ22の3~4連だった。
  123列車は10~15%の乗車率。いつの間にやら居眠りをしてしまい、気がつくと八雲の近く。
  八雲でこの列車は20分も停車。その間、上り特急「北斗1号」と交換(通過)。下り特急「おおぞら2号」の待避。両特急とも空席が目立つ。さらに、上り240列車を待ち、本日は運転していないが、ダイヤの上では下り急行「すずらん1号」の待避となっている。これだけかためて列車が通ると、後は国縫まで快走。
  国縫1124着。1134発瀬棚行は橋を渡り1番線から出る。駅舎は木造の貧弱なもので、駅前もひっそりしている。列車は長万部発でキハ21の単行。そのため、かなり乗車していたようだが、国縫で何人か降車したため、前寄り便所後ろのBOXがあいていた。車内は70%位乗っている。
  発車すると、すぐに函館本線と別れ西進。山中に分け入り、渡島半島を横断する。山が深まるにつれて雲行が怪しくなってくる。
  途中、美利河(ぴりか)という駅がある。いかにもアイヌの言葉から来た名前らしい。何となく異国風のひびきがある。花石で上り924Dと交換。924Dは3両もつないでいる。途中から乗ってきた右手のないジイさんのタバコの煙で気分が悪くなる。
  視界が開け、平野が広がり、このあたりでは少し大きな町、今金に着く。ここで半数近い客が下車。また、同じくらいの数の客が乗る。
  終点近くになると、ローソク岩らしきものが海側の窓から見えてくる。


31年前の北海道旅行67

2009-03-23 21:51:18 | 鉄道旅行
      

  列車が発車すると、さっそくいかめしを食べる。(当時のいかめしはS寸玉子大のものが3個入っていた) 朝調製したもので、すでに6時間以上経過しているためかイカが硬い。2年前に食ったのはもっと柔らかくうまかった。今回のはうまいことはうまいが、こう硬くてはたまらない。
  この列車は森から先、海岸線を経由する。進行右手に駒ケ岳が見えてくる。海抜1140mの活火山である。登ってみたい。
  銚子口1525着。すぐに駅を出て、駅前の舗装道を通って、同好会が予定する東大沼キャンプ場へと向う。途中、函館本線の踏切を越えたが、我々が渡ってすぐに警報機が鳴り、上り急行「ニセコ1号」が通過。DD51の牽く客車列車を振り向いて見送る。なつかしい湖畔のキャンプ場に着いたが、1~3年生がいない。彼らは我々よりも25分ほど早く着く下り普通でやって来るはずなのだが、キャンプ場を捜し歩いたが見当たらない。こんな所にいても仕方がないので駅に戻る。今度は下りホームに通じる細い近道をとる。すすきがおい茂り、北海道はすでに秋といった感じではあるが、このところ暑い日が続いている。

     

  2年前雨宿りした待合室で待つことにする。当時とあまり変わっていないが、切符売場の窓口や駅員室と待合室を仕切っていたガラス戸の部分は、化粧ベニアで完全に目隠ししてある。私はベンチでごろ寝を決め込む。Sはトイレにがんばりに行った。
  さて、1~3年生は、函館で8分連絡の125列車に乗り遅れたのだろうと推測した。とすると、鉄道同好会の兵ぞろいだから、恐らく森方面から来るであろうと考えた。(その方が早い)案の定、1709に森発の2連のディーゼルカーで彼らがやって来た。我々は、2時間近く待たされたわけで、これなら札幌見物もできたのに。彼らの遅れた理由は、青森で予定の船に乗り遅れたという。連絡列車が遅れたわけではなく、青森での買い出しで遅れたそうだが、深くは追求しなかった。
  キャンプ用品は一年生が運ぶ。キャンプは2年前とほぼ同じところで行う。Nのテントを一年生が大阪駅に置き忘れたのではと、必死で探している。テントの設営と並行して飯の用意。我々四年生はヒマだったが、それでもマキを探したり、テント張りを手伝ったりする。
  飯を食う時にはあたりは真っ暗。Sと私は、ファイアーを囲んで飯を食ったら良いと思い、何とか火を絶やさないように新聞、雑誌等を燃やす。これもマキになる木が少ないためだが、焼け石に水。結局、みんな輪になり、その後ろにロウソクを立てて食う。おかずはクリームシチュー。メシは思ったより美味く炊けていた。シチューも美味い。さすが料理長K。
  食べ終わると、Sがロウソクを今使ったアルミ食器に溶かして、それを燃やして遊んでいる。しばらくして、それを消えたキャンプファイアーの石組みの中に放り込み、紙を燃やし始めた。しかし、その火も長持ちはせず、再び真っ暗闇。周りには何の遊ぶ施設もなく、わずかにテントの中でS、Kらがトランプをしだしたのでしばらく観戦していたが、10時ごろには一番湖岸寄りの砂地の上に設営されたテントにもぐり込む。すでにShとNがもぐり込んでいる。5人用テントと言うが、3人入るとちょうどといったところで、後からSがやって来たら少々窮屈だ。2年前に買って今まで一度も使わなかった夏用シュラフで寝る。Nも夏用、Shは3シーズン、Sはバスタオル。今夜はあまり冷え込まず、むしろ小さなテントのため、人いきれで暑いくらい。外では1、2年生の一部がウイスキーを飲んで騒いでいる。私は長旅の疲れで、地面の上ながらすぐに寝入った。ただ、蚊が入り込んでいて、時おり目を覚ます。

31年前の北海道旅行66

2009-03-17 21:12:51 | 鉄道旅行
  長万部1211、1番線到着。私は、ここで長万部発函館行普通列車に乗り換える。Sはこのまま森まで行き、絵ハガキを探すという。その後、私の乗る普通に合流する。
  1241発124列車は「すずらん2号」のホームの反対側、2番線に入線していた。列車は客車4両、荷物車2、3両だったろうか。外に出ると、また改札時間まで待たされるので、私は客車としては一番前寄り、茶色のオハフ33に乗り込む。「すずらん」停車中は弁当売りが2、3人おり、他に売店の人もいたのに、発車すると引き上げてしまった。この普通列車に関しては全く無視している。
  私は、函館本線の複線化状況を見るために進行右手、山側に座る。車内はガラガラ。私の車両は10~15%というところか。
  列車は森まで海岸ばたを走る。長万部-森間はゆったりとした立派な駅が多く、信号場、停留所扱いの駅を除くと、ホーム3面がほとんどである。
  国縫では、下り線をクロスして駅舎から離れた3番ホームに入る。3番線は通常は下りの待避線と思われるし、特急などに抜かれるわけでもないのに腑に落ちない。
  八雲から先は、山が海岸まで迫りトンネルも多い。しかし、静狩-礼文ほどの険しさではない。複線トンネルがほとんどだが、距離は長くない。
  石倉で貨物列車待避の待ち合わせで5分ほど停まる。停車駅の少ない合理化された高速貨物網が北海道では発達しているためだろうが気にくわない。
  2年前、夏の北海道旅行を途中で断念して引き返さなくてはならない羽目になった恨みの現場を通る。その時、台風の通過に伴う豪雨のため、函館本線は石谷-石倉間の土砂崩れにより10日ほど不通となり、函館にいた我々は、北上できずに帰宅したエピソードがある。今では土砂に埋まったところとは想像できないほど復元され、がけもかなり草が茂っている。所々名残りの爪あととも言うべき地肌を見せたところが点在するのみである。
  海側の席から北の方を見れば、はるか有珠山辺りの山々がかすかに見ることが出来る。
  森には1432着。私は、名物いかめしを買いに荷物を車内に置いて改札を出る。ここのいかめしは有名なのだが、人件費がかさむためか売り子がおらず、駅前にある商店まで買いに行く。駅舎のベンチに腰をかけていたSに会ってから外に出る。出る前にスタンプを押そうとしたが、紛失のようだ。駅前はそんなに高い建物や目立った建物はないが、にぎやかだ。駅を出ると、いかめしののぼりを立てた商店がすぐに目に入る。この店は食料品店(菓子屋)である。弁当屋ではないみたい。店に入って人を呼べどもだれも出てこない。外で遊んでいた4、5才くらいの子供が、「今ちょっと出ている」と言う。仕方ないから駅に戻りかけたが、駅に入る前に振り返って店の方を見ると、店の人が戻ったようで、子供としゃべっている。再び店へ行きいかめし(250円)を買う。これだけでは腹が持ちそうにないので、駅の売店でサイダーとパン1コを買う。
  発車5分前の改札で、Sは私がパンを買っている間に先に入って行った。列車は、かなりホームの前の方まで引っ張って停まっており、橋を下りてかなり歩かせられる。
  車内に入ると、ガラガラなのに私のBOXに行商風のオバハンがすわっている。隣のBOXの同業のオバハンとしゃべるためであろうが。列車が動き出すと他のBOXiに移動して行った。Sは私の前のBOXにいる。

31年前の北海道旅行65

2009-03-12 21:25:46 | 鉄道旅行
1977.8.30  Tues.
  今朝は、札幌858発「すずらん2号」に乗ることになっている。7時ごろに起き、洗顔、歯みがきの後、出発するべくフロントに部屋のキーを返す。ここのレストランでは朝食ができるということで入る。紅茶とパン、ハムエッグのモーニング。450円だったと思う。

         

  帰りは、すすきの駅まで往きと違う道を通る。さすが歓楽街ということでバー、キャバレー、食堂、あげくはトルコなどがずらりと並んでいる。中でもトルコは、「江戸城」という店は文字通り城のような建物、「大統領」は10階建位のビルというようにドギモを抜かれる。
  すすきの駅付近で市電の写真を撮り、地下鉄で札幌駅へ。駅のコインロッカーに入れたリュックを取りに行く。ロッカーのキーを回したのに開かない。日付が変わると1日分余計に200円入れねばならないのである。あほらしぃー。
  我々は地平の改札口に行く。途中、切符売場付近で羽幌YHに泊まったあの男みたいな女とその男を見かけた。
  列車は2番線の発車。8時35分をを少し回った頃にホームに入ったら、列車はすでに入線。DD51の牽くブルーに塗られた43系6両編成の客車列車である。先頭から3両が指定、後ろ3両が自由席である。すでに入線中ということで、自由席はかなり乗っているようだ。我々は、5号車前寄りデッキトビラ脇のBOXが空いていたので確保。この混み方ではラッキーである。すでに50%位乗っていたから。
  隣り3番ホームに855発釧路行の「おおぞら1号」が到着。Sが往きに乗った列車ということで、またその話。車両がボロボロだという話や、車内に年寄りが多く、トイレの近い者が多かったので、なかなかトイレに行けなかった話など聞く。特急は定刻より1分遅れで発車。あと2分遅れれば、「すずらん」との同時発車だったのだが。
  「すす゜らん2号」は定刻を1分遅れて発車。白石までは千歳線と函館本線の複々線になっていて、900発旭川行「かむい2号」が追いつき、しばらく併走して再び速度を上げて追い抜いていく。さすが俊足の電車急行でDD51の客車列車とは違う。「かむい2号」は昨日、深川-旭川間を乗ったやつである。
  千歳線沿線は、札幌近郊のために宅地開発が盛んである。しかし、東京、大阪圏とは違ってゆったりした敷地の家が多く、長屋のスラムのような住宅はほとんどない。
  私は、苫小牧近くになってこの客車が変なのに気付いた。デッキとの境の仕切板に掛けてある地図が、中部地方を中心として一部近畿、関東が描いてある。本来なら北海道の地図のはずである。ふと窓に目をやるとない。二重窓ではないのである。これは本州の客車だと重い、苫小牧に到着した時、窓から身を乗り出して所属区名表示を見れば「名マイ」とある。まさに名古屋管理局の車両だ。「すずらん2号」は夏場は客車列車で運行される。他の時期はディーゼルカーである。と言うこては、応援に来ているのだろう。キハ56、27が不足しているのではないかと思われる。
  苫小牧を過ぎると、国道を隔てて太平洋を望める。海も穏やかで、海水浴ができそうな砂浜もある。レールも東室蘭付近までほぼ直線で列車も快走。
  東室蘭を出ると少し地形が変わり、山が海に迫ってくる。トンネルも多くなり、複線化工事中の区間や単線区間もある。伊達紋別-洞爺付近で進行右手を見れば、あの有珠山と昭和新山が爆発の名残りの灰をかぶり、白っぽい山肌を見せている。
  静狩-礼文の間はトンネルの連続。時たま見える景色は切り立ったがけや荒磯だが、それもつかの間ですぐトンネルへ。

31年前の北海道旅行64

2009-03-05 20:40:13 | 鉄道旅行
     

  札幌1900着。私は真直ぐSとの合流場所である待合室に行く。待つ間に洗面具などの必要な物だけ風呂敷に入れ、重たいリュックはコインロッカーに入れることにする。200円のコインロッカーで、地上のものにあいたのがなく、地下にあいたのを見つける。100円玉1枚はあったが、あとは50円玉1枚と10円玉5枚しかない。仕方ないのでロッカーの向いにある切符売りの窓口で両替を頼むといやな顔をされた。少々気分が悪かった。
  再び待合室へ行く。待合室では、ホームに近い奥の方でオッサンが何やら大声で周りの待合客にいちゃもん(因縁)をつけている。こちらへ来ないことを願う。立ち食いのソバ屋は早々と店じまいしている。開いていれば軽く腹ごしらえできたのだが。
  7時40分近くになってSがやって来た。さっそく今夜の宿泊地、すすきののビジネスホテルに向うために地下鉄乗り場へ行く。その間、彼は札沼線の列車がガラガラで、キハ40型新造車2連が使われていたが、速度が表定、最高とも遅かったことなどしゃべっていた。これを聞いて私も3日後に乗ろうと思った。
  さて、札幌地下鉄は、グリーンとシルバーの美しい電車?である。車輪はゴムタイヤで、電車とは思えぬビビビビという変な振動が体に伝わってくる。レールの継ぎ目の音がしないので味気ない。4連ながら車両のスタイルは斬新。前面はモノレール風、側面は窓が大きい。室内もこげ茶色が基調ながら明るく美しい。電車、バス、モノレールを合わせたような乗り物で、未来都市に来た錯覚すら覚える。大通公園の次がすすきの。札幌から2つ目ではあるが70円は安い。
  すすきの駅地下街は落ち着いた感じだ。地上は想像に反し会社等のビルが多い。ここから市電が出ている。やっぱり市電を見ると心がなごむ。市電の走っている通りを歩く。創成小前で南に曲がる。市電もここで南行している。創成小前からは、おせじにも余りきれいと言えない小さな居酒屋や商店が軒を並べているが、暗く人通りも少ない。ボン引き風の女も立っている。道内時刻表の広告を見て、こちらの方が安いと思う「ビジネスホテル大東」の前を通る。目指す南7西6は市電東本願寺前にある。この距離ならすすきのから市電に乗ればよかった。
  「ビジネスホテル田村」はそんなに大きくない建物である。受付で名簿に住所、氏名を記入し、金を払い、キーを受け取る。部屋は3階、308。エレベーターで上がる。荷物を置くと、食事のために再び下へ。私は、外で食べるものと思っていたら、S氏、ここの1階に喫茶とレストランを兼ねたものがあるのを知っていて、そこに入る。入ったら客はだれもおらず、コックが巨人戦のテレビ中継を見ている。王があと2本で756号ホームランというところである。焼肉定食を注文。カウンターにある新聞を取ってきて目を通す。久しぶりに外の情報を得る。大した事件もない。後楽園球場で、パ・リーグのロッテ-日本ハム戦に日曜日49000人も入ったのに興味を持つ。焼肉定食はなかなかのボリューム。野菜の量も多いし、しじみのみそ汁と漬け物付き。これで650円は良い方だろう。コックは再びテレビ観戦している。我々も食べ終わった後も見ていたが、9時前に部屋に戻る。
  トイレでがんばってからフロに行く。1階にある風呂場の脱衣場は何とも臭い。くつ下のあのいやなにおいである。ここの洗い場は、湯と水がまともに出ない。出るには出るが、コックの微妙なひねり方ひとつで湯が熱くなったり水のようになったりするし、出っ放しで止まらないこともある。
  一旦部屋に戻ってから再び一階へ行き、家へ電話する。10円玉6枚入れてかけ、一言しゃべると電話が切れてしまい、話し中のブザーが鳴り出した。ちょうどフロントの電話が鳴った時だから、そのせいだろう。金も戻らないのでフロントのじいさんに言う。じいさんは電話機の中を開けて60円返してくれたが、返却口にじいさんが指を入れると、何と金が戻っている。音もなく返っている。けったいな電話。再びかけ直す。
  さて、久々のテレビを部屋で見て(タダ)、11時30分頃寝る。