今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行19

2008-07-31 22:06:14 | 鉄道旅行
幸い6時前には意識が戻っていた。6時15分起床。同室者はまだ皆寝ているので、遠慮しながらそっと着替え、洗顔、トイレを済まし、荷造りをする。出発時には奈良の男だけが目を覚ましていた。その男に「おさきに」と言って部屋を出る。玄関カウンターの上に置かれてあったYH会員証をとり、キャラバンをはき、リュックを背負って腕時計に目をやると6時50分。これはいかん。へたをすると乗り遅れると思い、必死で駅まで走る。重い荷物をしょっているからたまらない。途中で707発に乗ると思われる女高生を追い抜いて、これで何とか間に合うだろうと思いながらも駆け足で駅に向かう。
 324D標茶行はすでに入線。キハ22の単行だったと思う。すでに50%程の乗車率だったが、進行方向左手にまだ1BOX空いているのを見つける。中標津までの間、各駅でも多くの高校生が乗り込んできて、車内は150%くらいの混雑。
 中標津で厚床行に乗り換えるために降りる。私の乗った324Dは2番線に到着。間もなく反対側3番線に、折り返し753発352D厚床行となる351Dがキハ22の2連で入ってくる。この列車も高校生で満員である。この駅では、標茶発がさらに加わって3方向の列車がこの時間に集結し、高校生を中心とした乗降客で、廃止のうわさが出ている線の駅とは思えないほど活気があった。

 さて、私は厚床行に乗り込み、荷物を進行方向左手(東側)のBOXに置き、入場券の買い求めとスタンプを押しに改札を出る。ついでに朝食用に売店でパンとコーヒー牛乳を求める。200円もするパンを高いと思いながらも買い込み、列車内に戻りそのパンを食べようとして包みを見ると、何とカステラとしてある。こんな大きな甘いカステラなど朝から食えるわけがない。半分食ってあとは残してしまった。
 352D厚床行は定員の30%位の乗客を乗せて中標津を発車。尾岱沼からのバスの連絡駅春別で客が多数乗り込んできて60%位に乗車率はアップ。しかし、別海で40%位に落ちた。
 春別を過ぎると、なだらかな丘陵地が続き、一面放牧地のようである。イギリスのような田園地帯が広がる。真新しい舗装道路が気に食わぬが大草原といった感じで北海道らしい。
 

31年前の北海道旅行18

2008-07-30 21:45:04 | 鉄道旅行
一階の風呂場の向いが私の部屋。食事の時間が6時から始まっている。私は、荷物を適当な空きベッドに置き、さっそく夕食をとりに行く。みそ汁と茶わんは食堂の渡し口で受け取ったが、おかずがない。渡し口の女に聞くと、すでにテーブルに置いてあるという。ちょっと恥をかいた。おかずは今まで泊まったYHの中では一番バラエティに富んでいる。トンカツ、エビ2匹、イカさし、野菜、きゅうりの酢のもの、漬物もあったかな。メシは食い放題らしい。さっきまでの腹痛はどこへやら。YHでは今までで初めておかわりした。何しろ出発以来まともなメシは食ってないのだから。食べ終わると例によって食器を洗いに行かねばならない。が、奇特な人がいて洗ってくれた。礼を言って自室に戻る。
 フロに入る用意をし風呂場が空いているかのぞく。定員4人という小さな風呂だ。今、2~3人入っているらしい。洗い場は2つでふさがっているので、先客とともに湯ぶねの中で空くのを待つ。茹で上がりそう。ほぼ同時くらいに2つの洗い場が空く。3日間のアカを落とす。
 フロを出た後、退屈な時間を過ごす。8時からミーティングのうわさがあったので、7時半頃食堂へ行き、ジュースを飲みマンガを見ながら、時々かかっているテレビの方に目をやったりしていたが、8時を過ぎてもミーティングが行われる気配がない。玄関の受付カウンターにある赤電話で、次に泊まる釧路まきばYHに昨日と同じ理由から連絡をとる。補助ベッドになるかもしれぬという返事だったが、まずOK。
 一人旅と言うのは気楽なものだが、話し相手のない夜はさみしい。同室者でもいると少しは気がまぎれるのだが、どういうわけか私のいるこの部屋は空っぽ。食堂でくつろいでいる女の子に声をかけられたら最高なのだが、相手がグループだと気後れしてしまう。
 時おり思いにふけりながら、ベッドの上で時刻表を見ながら明日の計画の確認をしていると、私の部屋の同室者が続々到来、又は戻ってきた。7月中旬から一ヶ月えりもで昆布干しをしてきたという2人組。奈良出身で大阪の大学に通っていると言う一人旅の男。関西弁をしゃべるヤツがなつかしい。この男、利尻のYHでは夜間登山を、羅臼YHでは羅臼岳に登ってきたという。私も話を聞いているうちに登りたくなってきた。この時の彼の話によって、私の後の行動が大きく影響されることになったのである。他の同室者には摩周湖に行って来て、明日は尾岱沼へ行くと言う二人組もいた。二人に摩周湖の話を聞くと、今日は良く晴れていて、はっきり湖面が見えたと言う。やっぱり「八甲田」に乗るべきだったと悔やむ。
 同室者同士で話をしたりしているうちに時は過ぎ、消灯の10時。みんな騒ぐことなく消灯。奈良の男によると、国後のソ連監視塔からよくサーチライトが照らされるということだが、今晩は見えない。二夜行の疲れからかすぐに寝入る。根室標津707発に翌朝乗らねばならない。6時過ぎには起きなければならないのだが起きられるだろうか?


31年前の北海道旅行17

2008-07-29 21:46:36 | 鉄道旅行
1705、再び列車は根室標津へ向けて発車。まわりはやや低い林に変わり、こんもりした丘陵地帯には放牧場が広がっている。川北を過ぎ次は根室標津というところで、隣のBOXにいた四人組の女の子が通りかかった車掌に運転室に入れてもらってはしゃいでいる。運転手も一緒になってふざけているのか、制限速度を超えているのではないかと思われるくらいのえらいスピードでとばしている。ローカル線だからできるのだろうが、ちょっとやりすぎではないか。
   
 根室標津1734着。かなりの客が改札に殺到。若い観光客が多い。私はゆっくり最後から出て待合ベンチへ。入場券を買い、スタンプを押し、YHハンドブックを片手にリュックを背負い駅を出ると、「今日、泊まるとこ決めた?」と言い寄ってくる男がいる。「うん」と私が返事すると、「ユース?標津町YH?ハガキ?」と聞いてくる。私は、声をかけてきた最初の言葉からして、こいつはてっきり旅館か民宿の客引きだと思い、この男の言うことを振り切っていこうとすると、横のほうで、「標津YHへ行くなら荷物を積んでやる」と言うオッサンの声がして、見るとYHの車の横にそのオッサンがいる。この様子を見てさっきの男が、「信用しなくちゃ」と言ってゲラゲラ笑う。どうやらこの男はYHのアルバイトらしい。それなら始めからそう言ってくれ。とりあえずリュックをオッサンの車に載せてもらい、道を教えてもらって、カメラを肩から提げるだけの軽い装備でYHへ向かった。
 空はどんよりと雲が低く垂れこめ、静まりかえった町は、どこか最果てを感じさせる。薄手のセーターとジャンパーを着込んでいてもまだ涼しい。YHまでは結構距離がある。YHに向かう一本道を歩いていると、前の方に数人の女の子と一人の男の姿が見える。女の方はさっき運転室に入れてもらってはしゃいでいたヤツらだ。私はてっきりこの連中もYHへ行くものと思い、後方を歩いて行けば目指すYHにたどりつけると思い込んでいた。しばらくして彼らは道を右にそれた。私は、そのあたりがYHかなと期待してその場に着くと、なんと旅館であった。仕方なく、さらに一本道を進む。前方で少々道がカーブしていることもあって誰も人の歩く姿が見えない。YHも見当たらない。次第にさっき駅前でリュックを渡した車が気になりだす。さっきから気をつけて見ているのだが一向に通らないのである。リュックを盗まれたのではとか、車が先にYHに着かないとリュックに入れた会員証が出せないなどと不安な気持ちで歩く。さっきは道がカーブして見えなかったが、そのカーブを中程まで進むとYHの看板が目に入ってきた。やっと着いたと思い、その看板付近まで来てため息。YHはさらに左前方の高台にあり、直線ではなく、回り道をして上らねばならない。
 入り口の受付には、私の乗ってきた列車で来たと思われる人々で混雑している。リュックが入り口の床の上に置いてあるのを見つけてホッとしたが、それにしてもここにいる人々やリュックを運んだ車はいったいどこから来たのだろう。私は最後に受付で金を払い、部屋を教えてもらった。

31年前の北海道旅行16

2008-07-28 21:46:14 | 鉄道旅行
さて、私は札幌で兆候があった腹痛に心を奪われつつあり、次第に車窓の景色を見る余裕もなくなってきていた。ただ、釧路湿原の一部と思われるが、美しい湖沼と湿原が真っ青に晴れわたった空を映していたのが印象的だった。乗換駅の標茶に近づくにつれ腹痛はいよいよ激しくなり,時おり腹が音を立てて鳴り出した。ハラが減っておかしいのかなと思い食った釧路の駅弁も逆効果になってしまったようだ。おまけに向かいの席の二人の話を聞いていると、よけいに腹が痛くなってくるようだ。
 標茶1519着。根室標津行は1528発で3番線である。1番線に到着したので跨線橋を渡らねばならない。すでに列車は入線して高校生らがかなり乗っており、また、私が乗ってきた列車や網走方面から来た客が乗り込んだため、キハ22の2両編成の座席はほぼ満席。何とか最前部ロングシート部分の席を確保し、さっそくリュックの中から整腸剤を取り出し、ホームの水道で飲むことにした。ところが列車最前部ドアーのすぐ横にあった水道の水は白く濁っていたが背に腹は変えられぬ。仕方なくその水で飲む。
 列車は発車時には110~120%の乗車率となった。泉川付近でユースに着くまで我慢するつもりだったクソをこらえ切れなくなりトイレに入った。座席のすぐ向かいが便所だから便利と言えば便利である。トイレから出てくると、私の席は子連れのオバハンに占領されていた。しかし、程なく西春別で降りていった。
 西春別で乗客の多くを占めていた高校生も降りて車内はかなり空いた。そのため私は、クロスシート進行方向北側に席を見つける。北側だが列車は北東向きに走るせいか、西日を受けている。
 列車はシラカバ、ブナや針葉樹の林の中を行く。時たま牧場がパッと広がる。林の向こうもひょっとして牧場かもしれない。さすが北海道のローカル線。小さな駅以外に時刻表に載っていない停留所もある。1両分もないようなホームがあったり、駅舎もないようなところや、ホームが木の板を並べて簡易に作られただけのところもある。そんな駅の傍らに自転車を置いて通学している学生が、再びそれに乗って帰っていく光景は印象的である。
 中標津1638着。思ったより大きな町だ。何かしらモダンな感じのする家が多い。北国の気候に適した独特の形態がそう思わせるのかもしれないが。この中標津で何と27分も待たされる。

31年前の北海道旅行15

2008-07-25 21:42:52 | 鉄道旅行
やがて列車は道央と道東との境の狩勝峠にさしかかる。駅間距離が長いので、この落合-新得間にはいくつかの信号所が設けてあるのだが、その一つは長い狩勝トンネルの中にあった。急行「狩勝1号」は反対列車待ち合わせのためこの信号所に停車。やってきた反対列車?は何と保線工事用のモーターカーと資材を積んだ小型車両だった。この狩勝トンネルを越えると急に視界が開け、車窓に雄大な光景が映し出される。ここから十勝平野に向かってなだらかな下り斜面となり、広々とした放牧場、針葉樹の森、そして、はるか下方に新得の町が見える。列車はこの新得の町へ直線で走らず,勾配の関係から大きく迂回し、トンネルを抜け到着する。
 新得から先は広々とした十勝平野を走る。西帯広で若干遅れ気味の上り「おおぞら」を待ったため帯広に定刻より少し遅れて到着。ここで広尾、糠平方面へ行くと思われる客、その他の人々が降り、乗車客も多かったが乗車率は70%位に下がった。池田でさらに減り60%程。私のBOXは私一人である。池田を過ぎるとしばらく山の中を走る。と言っても高い山はなく、丘陵地と言ったところである・白糠まで来るとやがて太平洋の海原が見えてくる。少し波が高く荒々しい感じのする海だが砂浜は美しい。ごみが見られない。また、反対側の車窓は山が遠ざかり、湿原、畑が広がる。釧路に近づくにつれて家が多くなってきて、1343、定刻に釧路駅2番線に到着。すぐに4番線の普通列車網走行へと急ぐ。
          
 DE10が客車2両を牽いていたと思う。釧網本線網走行は既に入線しており、乗り換え客が多く乗り込んだ。私は進行方向右手に席をとった。ホームに出て400円の弁当と50円の茶を買い求め席に戻ると、女連れの男がおなじBOX にいる。その男、私の弁当を見て同じ弁当を買ってきた。「おたのしみ弁当」と称するこの弁当、400円の割りにメシは柔らかく、主に海産物を煮たものが色々と入っていて美味い。ただ、向かいの男、私と同じ弁当を「ほら、食ってみな」と言って女に分け与えながら食っている。ベタベタしやがって。女の方は男の言いなりで甘えるだけ。まったく主体性がない。顔はまあまあだが関西で言う屁みたいな女だ。二人の話を聞いていると、私と同じ目的地のようだ。やめてくれ~。