1時間半立ちっぱなしで待つ間、退屈と不安と苛立ちの中で過ごし、ようやく2315ちょうどにガラスの入った入り口の大きな引き戸のカギを開け、戸を開けて駅員が改札BOXに入った。この駅は非常に厳重で、改札時以外は引き戸を閉め、カギまでかけてしまう。改札口を出ると競走である。本屋改札口ではかなりの人が並んでいたし27便から乗り込む人もあるから、人々は競い合って「すずらん」の入線している3番線へと急ぐ。私も走って3番線に向かったが、列車を見てホッとした。連絡線からの客はまだ来ていない。(滝川行普通列車は人気がないのか改札口での列は「すずらん」の4分の1くらい)私は9号車進行方向山側に席を確保できた。立つ人も出るだろうと思われたが、何と発車時になっても空席がある。結局、列車は定員の90%程度で発車した。拍子抜けである。
1977.8.23 Tues.
列車は所定の車内アナウンスの後は、終着の手前までアナウンスはなく、検札も来なかった。私は、前夜の夜行の疲れからすぐに眠り込んだが、途中余りの寒さに目を覚まし、薄いセーターを着込み、その上にジャンパーを包み込んだ。それでもまだ寒く、さすが北海道と言う感じである。昨日の「津軽」もそうだったが、こんな時軽く暖房が欲しい。それでも列車が停発車する際に、機関車から連結器を伝わってくる衝撃で起こされた以外はよく寝ていた。何とか正常な意識が戻ったのは、函館本線と千歳線とが合流する白石付近まで来たときであった。この白石から札幌までははっきりわからないが複々線になっているようだ。苗穂から分かれていた千歳旧線はレールをはずしてあったが赤茶けたバラストと土盛が面影を残してくれている。608、早朝の札幌駅2番ホームに定刻到着。
夜行続きと昨夜の冷え込みで腹の具合が悪い。ガスがたまったようだ。暖かいものを食うとマシになるかもと1番ホームで早朝営業の立食いそばを食う。このダシも醤油のにおいがきつく辛い。関西風に慣れた私には不満である。一パイ150円だから仕方ないかなぁ。食い終わると次に乗る急行「狩勝1号』釧路行の発車する5番線へ行く。待つ間にホームの洗面所でうがいと洗顔をし新聞を買い求めた。
1977.8.23 Tues.
列車は所定の車内アナウンスの後は、終着の手前までアナウンスはなく、検札も来なかった。私は、前夜の夜行の疲れからすぐに眠り込んだが、途中余りの寒さに目を覚まし、薄いセーターを着込み、その上にジャンパーを包み込んだ。それでもまだ寒く、さすが北海道と言う感じである。昨日の「津軽」もそうだったが、こんな時軽く暖房が欲しい。それでも列車が停発車する際に、機関車から連結器を伝わってくる衝撃で起こされた以外はよく寝ていた。何とか正常な意識が戻ったのは、函館本線と千歳線とが合流する白石付近まで来たときであった。この白石から札幌までははっきりわからないが複々線になっているようだ。苗穂から分かれていた千歳旧線はレールをはずしてあったが赤茶けたバラストと土盛が面影を残してくれている。608、早朝の札幌駅2番ホームに定刻到着。
夜行続きと昨夜の冷え込みで腹の具合が悪い。ガスがたまったようだ。暖かいものを食うとマシになるかもと1番ホームで早朝営業の立食いそばを食う。このダシも醤油のにおいがきつく辛い。関西風に慣れた私には不満である。一パイ150円だから仕方ないかなぁ。食い終わると次に乗る急行「狩勝1号』釧路行の発車する5番線へ行く。待つ間にホームの洗面所でうがいと洗顔をし新聞を買い求めた。