今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

愚息の引っ越しに付き合って横浜1泊旅行 

2021-03-28 20:45:55 | 鉄道旅行

 先日、愚息が就職のために横浜に引っ越すことになり、ベッドとか家具の組み立てを手伝って欲しいと言う事で出かける事になりました。

 京都6時51分発「ひかり636号」で立ち、グリーン車にこの歳になって初めて乗車しました。早特を利用すれば普通車指定席料金に少しプラスすればグリーン車に乗れるし、「こだま」なら自由席よりも安い値段でグリーン車に乗れるので愚息は学生にもかかわらずよく利用していたようです。

 昔と違って新横浜には全列車が停車するのですが、今回「のぞみ」でなく時間が掛かる「ひかり」を使ったのは事前に予約状況を調べたらかなり空いていたので、このコロナの状況下少しでも空いている車両を私が希望したためです。実際、乗車当日の乗車率は私たちを含めて新横浜下車まで10~15%位だったのではないでしょうか。

 新横浜からは横浜線に乗り換え横浜まで行きました。「菊名」の駅では中田カウスボタンの野菜の「菊菜」と「聞くな」をかけた漫才ネタを思い出してニタニタ。(古いし関西人しか知らない) 東神奈川ではほとんどの客が横浜まで行くと思っていたら東神奈川で半分以上が降りて行ったのは意外でした。

横浜線の電車。失敗画像です。

 いつも通過ばかりで横浜に降り立ったのは初めてでした。そんな余韻に浸る間もなく相模鉄道の乗り場に向かいます。地元では相鉄の名で通っているようで案内表示は全て「相鉄」になっています。愚息が住むところまでは10分ほどの乗車です。地図蒐集の趣味がありながら初めて気付いたのですが横浜は結構起伏に富んでいるのですね。しかも丘のてっぺんまで開発され尽されて、相鉄沿線は戸建て住宅よりも5回以上のマンション、アパートが林立している光景に圧倒されてしまいます。同じ大都市を走る京阪や阪急電車沿線の見慣れた風景とは全く異なった印象です。(阪神間の風景の方が近いかも知れませんが)

 愚息が住むワンルームマンションは丘のてっぺんにあり、長い坂道を登って行かなくてはなりません。しかも荷物の入ったスーツケースを引きずりバックパックを背負って、道の方は上に行くほど傾斜が急になっていて丘と言うより山登りです。愚息としては横浜駅までの所要時間や家賃とかを考えての選択だったようですが、他になかったのかと言いたくなってしまいます。普段から歩く仕事をしていますので息があがるまでは行きませんが慣れない中高年にはちょっと厳しそうですね。実は一つ先の駅からの方が近道なのですが、こちらは距離の長い急階段を登らなくてはならず、スーツケース持ちでは無理との判断だったようです。階段を登り切ったあたりからよく晴れた日には富士山の頭の部分が望めるような眺望の良い所ではあります。愚息から駅名や画像はNGと言われていますので掲載しませんが、横浜住民の方ならおおよその察しがつくのではないでしょうか。

 横浜駅近くのホテルに一泊して翌日再び愚息のワンルームに向かいました。今朝は地獄の階段を登ります。駅周辺は平坦地にありスーパー、コンビニ、ホームセンター、ドラッグストアに食事処と何でも揃っているのですが、山の上には何もないので住人は買い物でも坂道や階段で上り下りしなければなりません。普段の健康には良いかもしれませんがケガや病気の時が大変でしょうね。

 昼前にワンルームでの作業終了。下界に下りてきて「かつや」で昼食後愚息とは駅前で別れて相鉄で横浜駅に向かいました。予定よりも作業が早く終わったので乗車予定の新幹線まで少し時間ができて横浜駅周辺の模型店巡りをすることにしました。まずは東口近くのポポンデッタへ行きました。JR線の下を通ってさらに地下通路から目指しますがそごうデパートへの行先表示はあっても目的地のマルイシティの表示が見当たりません。そごうの隣なんですが何か不親切ですね。

 実のところ泊まったホテルからそんなに遠くなかったので「ぽち」を昨晩覗いていました。Nゲージが主で私が探そうとするHOはほとんど置いていませんでした。あわよくば中古で入手できたらと思っている車両がありましたので今日はポポンデッタを覗いてみたのですが、こちらもNゲージが主流でぽちよりはHO車両の数はありましたが、私が探している物は見当たりませんでした。他に掘り出し物はないかと見たのですがヤフオクで競争無しでも買えるような価格では見送らざるを得ませんでした。

 再び西口に戻って来てモデルスIMONに向かいました。事前に調べたりスマホの地図で西口のすぐそばにあるのはわかるのですが入口が見つかりません。周辺を何度か巡ってやっと見つけましたが、コロナ下の平日なのにこの辺り人大杉ですね。モデルスIMONは駅近で店自体は広くて見やすいのですが、初めて来た人にはちょっとわかりづらいのではないでしょうか。それにエレベーターの前まで来て各階のテナント一覧を見たらモデルスIMONは載っていません。イモンコーポレーションとはありましたが紛らわしいですね。

 店では製作の滞りもあって何を買うかは決めてなかったのでその場の思い付きで何点かパーツを購入しました。「ポイントカードをお作りします。」と言うので通販では時々利用していることを伝えると、今までの手持ちのポイントと合算して作ってくれましたが、「次回ご来店時ご利用ください。」と言われてもいつ来れることやら・・・。

店舗のあるビルを出ると近くに地下鉄の駅へのエレベーターが目に留まり迷わずに乗り込みました。ブルーラインの快速で新横浜まで10分ほどで、横浜線とほとんど所要時間は変わらないのですね。

新横浜の南側は畑や空き地がまだまだあります。

 帰りの新幹線も行きと同じ理由で「ひかり」(519号)を利用しました。自由席でも座れなくはなかったと思いましたが愚息にがら空きの普通車の指定席車両を探してもらって三日ほど前に購入しました。案の定乗車率は最後まで8~15%程度でした。コロナの影響でインバウンド御用達で無くなったのも理由としてあるのかもしれません。それにしてもよく空いているのを見越して三人掛けの窓際を予約したら、同じ列の山側二人掛け席に入れ替わって二度も着席があるとは券売機とか窓口の機械はどうなっているのでしょうか。

 誰にでもある事とはいえ今回の旅の終わりは何か寂しさがこみ上げてくるものになりました。模型でも作って紛らわすことにしましょうかね。


急行電車男 後編5 本線回りのC62と上り急行「とも4号」

2020-08-14 20:21:34 | 鉄道旅行

 京都への帰りの列車は「長州」を諦めて三原発新大阪行の急行「とも4号」にしました。今回も始発の三原から乗車するために昨日に続いて山陽本線を西下しました。

福山13時01分発の岡山発本郷行きに乗車し、車両は80系電車でした。この列車だと三原で「びんご」の発車まで1時間半も時間があるのですが他に普通列車がありませんので仕方ありません。ただ、そのおかげで貴重な列車を見る事が出来ました。

 公済出版社版の時刻表を見ると山陽本線の糸崎発14時04分発の323列車に蒸気機関車のマークが付いています。これを初めて見た時、ミスプリントではないかと思っていましたので、半信半疑で三原駅のホームでこの列車の到着を待っていましたら正真正銘のC62が牽引してやって来ました

 

 すぐ傍にいたので体に響くような「ボゥォー」と言うものすごい迫力の汽笛一声で発車して行きました。それにしても呉線を使用せずに電化されて久しい山陽本線に、何故下りの1本だけ蒸気機関車牽引の旅客列車が設定されていたのでしょうか。

 323列車を見送った後、「とも」が停車中の1番線ホームに向かいました。発車までまだ50分ほどありましたが、今日は何としてもモハに乗ろうと車体に書かれた形式番号を確認して入口ドアの前で開くのを待ちました。この日は昨日同様に御目付け役として祖母が付き添って来ました。当時70歳くらいだったと思いますが、私の趣味に付き合わされてどのように思っていたのでしょうか。

 15時05分発急行「とも4号」は下り「とも2号」の折り返しで、どちらもヨンサントオの大改正で増発され赤穂線経由で運転されていました。

 前回「びんご2号」に乗った時は福山あたりで満席になりましたが、今回は私の乗った車両で終始50%くらいの乗車率だったでしょうか。私の座った4人掛けボックス席は福山で祖母が降りた後赤穂線内まで座る人がいませんでした。

 さて、往路の「とも3号」で味わった物足りない思いはやはりこの電車のモーターの音から来るものでした。子供の時から何度か乗るうちに自然と頭の中にインプットされていたのでしょう。この日以来急行電車、とりわけ153系のモーター音の虜になってしまいました。それもあって神戸で快速に乗り換えることなく終点の新大阪まで乗り通しました。

 ところで、153系の走行音をHobby video 39様が「153系新快速 京都から大阪まで 軽やかなモーター走行音」でYoutubeに出されています。153系のモーター音を上手く録音されていますので一度お聞きになってはいかがでしょうか。ただ、特急「雷鳥」よりも早く京都ー大阪間を走っていましたのでほとんどフルスピードでの収録になっています。山陽路の急行列車に使用されていた時はフルスピードを出しても短時間で、ほとんど時速80~100キロの間で力行と惰行を繰り返していましたので少し当時の私の記憶とは異なるのですが・・・。

 


急行電車男 後編4 急行「安芸」と糸崎界隈 その2

2020-07-28 20:30:25 | 鉄道旅行

 この旅行ではオリンパス製のハーフサイズカメラを携行していました。当時はフィルムの値段が高かったので20枚撮りフィルムで40枚撮影できると言う事でこの手のカメラが結構売れていたようです。ただ、現像代も20枚撮りと同じ値段でしたが、プリント代が嵩むのがネックでもありました。そのため、糸崎に2時間近く滞在した間に特急、急行、普通、貨物といろいろな列車が通り過ぎて行きましたが、ほとんどカメラに収めていませんでした。それと、このハーフサイズカメラについて言えば欠陥があったのではないかと思うところがあったのですが、後ほどお話ししたいと思います。

 

前面2枚窓のクハ86はよく見かけるのですが3枚窓は初めて見ました。(16時16分発広島行335M)

 

広島行623列車を見送った後、帰りの列車の都合もあって急行「安芸」はホームで見ることになり急いで駅に戻りました。

 満を持して撮ったのですが、プリントされた写真を見て「なんやこれ」と思わず言った記憶があります。この写真に限らず動く被写体を流し撮り気味に撮るとことごとくこんな構図になってしまいました。それも左側からやって来る被写体に対して顕著だったようです。前回のC59牽引の623列車もこんな感じの写真があり掲載しませんでした。もちろん私の腕の未熟さもあったとは思いますが、ファインダーから覗いた画像とシャッタースピードが合っていないと言う構造的な問題があったのかもしれません。後年に買ったペンタックスの一眼レフではここまで酷い構図はありませんでした。

ケツだけは綺麗に撮れましたが・・・

 福山までの帰りに乗った列車です。「安芸」が発車した3分後の17時07分発5460M吉永行です。80系電車の天下と思っていましたがこんなゲタ電も走っていました。車内は113系のようなセミクロスシートでした。


急行電車男 後編3 急行「安芸」と糸崎界隈 その1

2020-07-19 18:46:00 | 鉄道旅行

 京都に帰る前日の午後、蒸気機関車牽引の急行「安芸」を見るために糸崎まででかけました。本当は私一人で行きたかったのですが、従兄がお目付け役に同行することになりました。ひょっとして前日、自転車で出かけた帰りが遅かったので心配させたためかもしれません。従兄と言っても私より7つほど年上で、マツダ関係の工場で働いていてこの日は休みだったそうです。

 福山から糸崎まで何に乗ったのか全く記憶に残っていないのですが、列車を待つ間に向かいの上りホームにEF58に牽かれた大阪行きの客車鈍行が入って来たのをはっきりと覚えています。それから推測すると福山14時24分発の大阪発広島行のこれも客車鈍行だったようです。当時、姫路ー広島間の1往復と合わせて一日上下4本だけの貴重な客車鈍行でしたがどうもよく覚えていません。

 糸崎のホームに降り立った時、南側に広がる幾つもの側線の中に、テンダーの側面に緑十字のマークが入った見慣れない蒸気機関車が停まっているのが目に留まりました。さっそくハーフサイズカメラで撮ったのが下の写真です。

 さて、「安芸」の到着まで時間があるので一旦改札口を出て機関庫を探すことにしました。と言うのも糸崎までやってくれば呉線を走るC59やC62がごろごろしている思っていたのですがホームからは見当たりませんでした。糸崎まで乗ってきた列車の窓から見たところでは、上り方には機関庫らしきものはありませんでしたので下り方へ線路に沿って歩くことにしました。尤も線路沿いではなく一旦国道に出て最初の踏切が左に見えるところまで西に向かって歩いて行きました。

 踏切までやって来ると広い駅構内が望めましたが蒸気機関車が屯しているような機関庫らしき物は見当たりません、下り方向は側線が本線に収束されて行くだけです。それで踏切を渡ったあたりでカメラを手にぶら下げながら立ち止まっていると、一眼レフカメラを持って小学生くらいの子供を連れた年配の男性が近づいて話しかけてきました。その時に私も機関庫の事を尋ねたのですが、今立ってる道を行けば有るそうなのですが周辺に建物が建っているので外からは良く見えないと言っていました。仕方ないので私もこの踏切辺りで列車の行き来を見る事にしました。

 

糸崎に降り立った時に見たC50が客車を引っ張り出して来てホームへと向かいます。

 

ホームに客車を置いて一旦引き上げ線に戻るところです。

 

C50に客車の入れ替え作業をやらせた後にC59がねぐらから出てきました。

 

16時32分発呉線経由広島行がC59に牽かれて発車して行きました。(623レ)

 

 

 


急行電車男 後編2 福塩線の8620

2020-07-09 20:07:03 | 鉄道旅行

 父の実家に着いた翌日の午前中、自転車を借りて未舗装の細い土手上の道を上流に向かって探索に出かけました。以前にこの道沿いの河川敷にある畑には行ったことがあったのですが、その先がどうなっているのか見てみたいと思ったからです。けれども、この先には民家はなく、道も程なく車が通れない小道になっていました。少し不安感も出てきましたので引き返しました。途中、対岸にある取水口のために設けられた低い堰堤が水量も少なくて対岸まで渡れそうなので自転車を置いて土手を下りて行きました。堰堤を3分の1ほど進んだところで、水が流れ落ちるあたりに何か魚のようなものがうようよしているのが目に留まりました。しかしながらよく見ると魚ではなくてヒルのように見えたので大急ぎで河川敷に駆け上がりました。

 午後は家でぶらぶらと過ごしましたが、その間対岸を走る福塩線の列車の音には常に耳を澄ませていました。と言うのは、鉄道関係の雑誌で福塩線にも一日一往復の蒸気機関車牽引の貨物列車が設定されていると言う記事を見ていたのですが、時刻までは載っていませんでした。それで、ここの叔父や叔母に蒸気機関車の汽笛を耳にしたことがあるか尋ねたところ、午後に聞いたことがあるとの返事だったからです。

 このあたりは対岸を走る福塩線とは1km近く離れていますが、周囲は田畑が広がり、また当時はほとんど車も通らなかったので日中でも静かな所でした。

 その次の日の午後、自転車を借りて近くに架かる橋を渡って対岸にある福塩線の横尾駅に向かいました。蒸気機関車を見るだけならここからでも良かったのですが、ここからさらに福山駅まで行くつもりをしていました。

 福塩線は、横尾ー備後本庄間は芦田川に(正確にはこのあたりで芦田川と並んで流れる高屋川)張り出した小山を回り込むようにして走っています。私は、線路に沿って一段低い所に畦道のような細い道があるのを見つけて自転車を漕ぎました。

 左手に見える小山の終わり近くまで来た時、蒸気機関車の汽笛の音を耳にしました。それもかなり近くまで来ているようです。自転車を止めて急いでズボンのポケットからハーフサイズのバカ〇ⲟ〇カメラ(現在では禁止用語です)を取り出した時にはすぐ近くまで列車が迫っていました。何とかカメラには収めましたが、背の高い草や灌木が邪魔してイマイチの写真でした。もう少し先まで行けていたらマシな写真が撮れたかもしれません。

 さて、写真を撮ったあたりから福塩線が福山駅に向かって弧を描いて私が来た小道からは離れて行くので、近くの小さなガードを潜って線路の東側の市街地に出ました。初めのうちは線路に沿っていた道も行き止まりになり、後は左に右にと行き当たりばったりで何とか福山駅から下り方向に向かって初めての踏切までやって来てました。踏切を渡り切った時に警報機が鳴りだし、しばらくして朱色と黄色に塗られた上り臨時急行「長州」が通過して行きました。

 実は、わざわざ福山駅まで自転車でやってきたのはこの「長州」を見る事が目的でした。急行「長州」は臨時急行ではありましたが、東京ー下関間を走る日本で最長距離の電車列車で一度は乗ってみたいと思っていました。それとこれに乗れば乗り換えなしで京都に帰ることができます。そのために帰りの列車の第一候補にしていました。けれども、乗るからには4人掛け席を一人で確保できるくらいに空いていることが条件でした。それで福山駅の改札口からこの列車の込み具合を見ようとしたのでした。ところが、駅までの道中で予想以上に時間を食ってしまって、踏切で下から列車の窓を見上げる形になって車内が見渡せない結果となってしまいました。

 少しショックでしたが、この踏切の脇にある小さな機関車の駐泊所に先ほど見た福塩線の蒸気機関車が休んでいるのを見てそれも飛んでしまい、帰りは第二候補の列車に乗ることに決めました。(駐泊所に停まっている8620の写真があるのですが行方不明で見つかり次第公開します。)