今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行56

2009-01-27 21:15:05 | 鉄道旅行
  下船後、昨日来た道を稚内駅へと向かう。まず昼食ということで、今日は昨日寄った「たかはし」の先にある喫茶店に入った。この店は飲み物中心。食える物はカレーぐらい。ここの水は、「たかはし」のような磯のにおいはしなかった。
 食事の後、再び駅へと向かう。途中、駅前の土産物店に入る。Sは道内に入って以来、友人Tに送る絵葉書を探しているが、ここにも適当なのがない。私は、利尻で土産を買いたかったのだが、時間がなかったのでここで探す。だが、絵葉書で利尻の写ったのがなく、みな稚内ばかり。写真カードで「利尻、礼文、稚内」というのがあったのでそれを求め、同時に家と親類への土産に利尻わかめを買う。「ほたてうに」などのほうが私は好きなのだが、まだこれからもう少し長道中を続けねばならないので、軽くて日持ちするものにした。
 駅に着くと先に行ったSがいたが、何と改札口からえらい行列で、彼は駅舎からはみ出しそうなところにいる。この行列はすべて1331発旭川行のものである。本来、観光客などあまり普通には乗らないの思っていたのだが、本数の少ないこの線のこと、さっき利尻からの同じ船に乗ってきた者もたくさん見かけることが出来る。
 例により発車10分前くらいに改札。ホームに入って驚いた。何とキハ22の単行。もちろん我々が乗った時には空席などあろうはずがない。あいにく日曜の午後ということで、稚内への遊びや買い物帰りの人々も多数乗っている。我々が乗った後からもどんどん乗ってくる。駅員は、外や中からもっと詰めてくれとぬかしているが、それよりもなぜ単行で走らせるのか。詰めてほしいのならなぜ国鉄職員は「恐れ入ります」の一言が付け加えられないのか。私は、前夜の登山で一睡もしていないからカッカッし通し。何とか全員乗り定刻に出る。
  次の南稚内でも何人か乗客がいる。降車客がいないからさらに混む。またもや駅員が外から車内に向かって詰めてくれと言う。これも何の謝罪の言葉もない。ここでもう一つ頭にきたのは、南稚内にある車庫にキハ22が5~6両も停めてある。1両くらい途中駅まででも増結できそうなものである。特にこの列車の乗客の3分の1ほどが豊富で降りたことを考えると、幌延まででも増結できたはずである。
 列車は200~250%もの混みよう。それでも休日の買い物や遊び帰りと思われる地元の人達が各駅で降りていき、すし詰め状態だけは多少緩和された。だが、また頭にきたのは反対列車もないのに勇知で8分も停まったこと。このところ北海道らしくない暑さが続いている上この混雑。全く不愉快だ。この停車は下り「礼文51号」待ち合わせのスジである。「礼文51号」はこの日は運転していない。8月3日~17日が運転期間だが、わずか2週間のためにこの列車、一年中勇知に8分も停まらされるわけである。
  立っているために外の景色ははっきり見えないが、なだらかな起伏の土地に放牧場、草原、所々にシラカバなどが林になっていたり1~2本で立っているのが観うけられた。鉄橋の架け替えで線路の付け替え工事が行われている所があったが、今回の旅行ではこのような工事をよく目にした。
  豊富でかなりの客が降りる。ここは豊富温泉やサロベツ原野への入口である。鴛泊YHの船の見送りで、あの変な踊りを踊っていた女2人もここで降りた。我々はやっと座ることができた。それでも車内は120%の乗車率で立つ人もいる。
  空いた1BOXの進行向きに我々は座った。向かいには男女連れ立っての若い旅行者が座る。私は、その2人、立っている時はどちらも男だと思っていた。しかし、座ってチラッと顔を見て、会話を聞いていると、片方は女のようである。言葉から東京方面の人間らしい。肌は女のようだが、顔立ちは男のそれみたいなのだ。背格好、服装も男っぽかった。
  車窓右手にはサロベツ原野が広がり、利尻もかすみの中に見える。


31年前の北海道旅行55

2009-01-20 21:36:51 | 鉄道旅行
   YHに着くなり自販機のネクタージュースを飲み、受付で名簿チェックをし、部屋へ行く。何と朝食とフロはなし。おまけに10時10分の船に乗る者は9時15分までに荷物を車に積んで、会員証を取りに来てくれと言う催促。私は急いで洗顔、歯みがき後、荷造りをする。
 荷物を車に積んでYHの前で送ってくれるのを待つが、一向に車が出ない。その間今度は缶コーヒーを飲む。YHの前には10人位待っている。その間にリーダーたちも帰ってきた。
9時15分になっても車が出る様子がない。私とSは他の男のホステラー3、4人と共に歩いて港に行くことにした。港までは15分もあれば着くことができた。さっそく切符を買おうと波止場の前にある案内所へ行くが、ここでは売っていない。みやげ物屋が並ぶところに売場があり、そちらに戻る。
 切符を買い、乗船名簿を書き、リュックを港で受け取って並ぶ。並んでいる間にオッサンが名簿を集めに来ることになっている。稚内からの便は、日曜日という事もあり、かなりの客を乗せて着いた。外国人客もいる。乗船間際、あの口八丁が、並んでいる人々に握手して回っている。私も手を出して握手した。また昨日のような見送りをするのである。一日2回、このヘルパーよくやるで。
 乗船したら、往きとは違い、すでにカーペットの席がいっぱいである。それでも荷物だけはそこに置いておいた。私は、船室が暑いので、船尾の吹きさらしの椅子席のところに出て、離れ行く利尻を見送った。今さっき登った山は次第に遠ざかる。「もしこの山に観光施設など作られないで、今のままの姿でこの先残っていたならまた来よう。だが、観光施設が作られて俗化したならもうくることはない。」私はこう思い、しっかりと利尻の山容を見つめた。山頂付近は我々が登った時と違い、、船の出港時からずっと雲がかかっている。「よい時に登った」という感がこみ上げてきた。
この船の船尾の椅子席は、エンジンの上でやかましいのだが、疲れているのでしばし寝ることができた。乗り込んだ時、Sがカーペットの船室で寝ようと言っていたのだが、私は船室の空気の悪さを嫌い、また今日は客が多く、寝るスペースもないと思い船尾に出たのだ。Sも結局、船尾の私の隣にやって来て、エンジンの音がやかましいと言いながら、私よりもよく眠っていた。
 稚内が近づく。小高い丘に自衛隊のレーダーサイトが見える。昨日見たSL、C55が半アーチ状堤防の近くに見えてくる。下りる支度のために船内に置いたリュックを取りに行くと、登山の時のリーダーを見かけた。特に言葉を交わさなかったが、我々よりかなり遅れてYHに帰ったのによく船に間に合ったものだ。

31年前の北海道旅行54

2009-01-20 21:19:32 | 鉄道旅行
  下りるのは楽だろうと思いきやそうではない。ペースは早くなるのだが、この急坂では足にふんばりをきかせてブレーキを利かせねば、ずるずると下に滑り落ちそうになる。上りは比較的楽に越えられた段差も、こわごわまわりの木につかまり、尻を地面につけながら下りる。私はカメラを首から掛けていたので、なおさら慎重にならざるをえない。細い礫の道は、少々滑っても大したことはないが、大きな軽石がゴロゴロしている所の下山は大変危険である。
 途中、上下に道が分かれているが、上の道をとって小屋に向かう。小便が近くなったので、頂上からの下り道と山小屋のあるピークへ向かう上り道との谷間付近で草原に少し入ったら、すぐに人の足音がする。後ろから来たのは一人の若い女性。アーびっくりした。
 山小屋着。ここでSが帰る道は上だと言い、私は下の道だと主張していると、近くにいた人が下だと言ってくれた。五分ほど休んだだけで出発。
 ここまで、1合30分近くかかっているから、この調子だとYHに10時に着いて10時10分の船に乗れないかなと思っていた。しかし、1合ごとにペースは上がっていく。それでも、4合目くらいまでは周りに大きな木がなく眼下がよく開けている。それだけに残りの長い道のりが目に入りガックリ。実際の時間以上に長く感じる。ただ、礼文が眼下に見え、また、朝日に照らされた利尻の山、すそ野、海、すべてが美しい。観光客はやってくるが、ロープウェー、ホテルなどの観光施設がこの山にはない。まだ自然のままの山なのですばらしい。
 3合目の甘露泉では立ち止まる程度の休憩。Sは、石ころの多い道なので足が痛いとブツブツ言っている。数人の登山者とあいさつをかわす。甘露泉で水を飲む。湧き水で、匂いがなくうまい。水を飲むと再び出発。途中、荷物になる残りのおにぎり一包みを放り投げてしまう。YHでは朝食があり、フロもあるとばかり思っていた。
 樹海を抜けると1合目。あと少しなのだが、この道の何と長く感じたことか。YHまでは真直ぐな下りで道幅も広いのだが。YH着は8時45分頃だった。

31年前の北海道旅行53

2009-01-15 22:01:19 | 鉄道旅行
  再び頂上を目指す。今度はSが先に登っていった。この山は富士山のようなコニーデ型だが、多少起伏があるので、下から見て「あれが頂上か」と思いその場にたどり着いたらまだ上があるといった具合。頂上の手前まで行った時、Sが「すごい岩や」と言うのでその方向を見ると、なるほどローソク岩らしきものが立っている。頂上までのわずかの所と頂上付近は、南西と思われる 側が切り立ったがけとなり、覗くと目がくらみそう。東側はそうでもないのだが。
 やっと頂上に着いたのは5時ちょうど。出発して6時間近くかかった。1719mの標がある山頂には、信仰の山なのか祠がある。山頂からの景色は最高!東には稚内のノシャップ、宗谷の両岬が見える。北海道の陸地が見える。北東方向を見れば、雲間に見える二連の山影。これぞまさしく樺太だ!北西には礼文が見える。沿海州はと、さらに目を 先にやったが水平線は雲がかかり残念ながらわからない。利尻近辺の海がまたすばらしい。潮の流れ、渦だろうか、濃淡まだらの海である。
 この山頂の南側にもやや低いピークがあり、尾根づたいに行ける。そこまで行きたかったのだが、帰りの船の時間を考えるとそれはできなかった。
 頂上には先客で4~5人の中年のオバちゃんグループがいたり、他のパーティーも来ている。さらにあのやかましいグループなどが集まってくると、足の踏み場もなくなるほど。湯を沸かし朝メシでも作るのだろうか。そんな登山者もいる。
 我々は、出発前にYHの入口の前にあった自動販売機で買ったりんごジュースで乾杯。記念写真を撮って帰ろうとする。帰りは自由行動なのかわからない。メンバーの一人がリーダーにそろそろ下りようと言っているが、リーダーはもう少しいたそう。だが、2~3人が下りはじめた。そこで、我々もリーダーを置いて下りることにした。

         

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31年前の北海道旅行52

2009-01-12 21:24:52 | 鉄道旅行
  山小屋には3時30分ごろ到着。だが、小屋の中は先客でいっぱい。仕方なく外で待つ。しばらくして、山小屋を出て行く10人ほどのパーティーがあり、空いたので小屋に入る。元々狭いところに50人近いメンバーが入ろうというのだから、上下二段になっているとはいえ、たちまち小屋は足の踏み場もなくなる。先客にはシュラフで寝ている者もいる。3合目で食ったにぎり飯の包みに残った一個をおかずのソーセージとともに食う。一個食うのがせいいっぱい。その後、4時前まで目をつむっている。
 4時前、あたりが明るくなってきたため出発。ただし、ここからはリーダーなしの自由行動である。我々の前には、さっきのうるさい東京のグループが名古屋の方の女と一緒にいる。小屋を出るとゆるやかな下りとなる。道は、石ころが転がっていないのだが、所々木の根が張り出しており、引っ掛けそうになる。明るくなってきたので電灯は使わなかった。とは言え足元はまだ薄暗く、電灯がないと危ないのだが。
  先ほどの小屋は、この利尻岳の中腹のこぶの様なものの上にあったので、下りの道も再び急な上りとなる。前にいる東京のグループのペースが遅いので追い抜く。木は低くなり腹ぐらいの高さのものばかり。道は火山性の軽石がごろごろした急坂で、まわりの木の幹、地面に突き出た岩石を持ちながら登らねばならない所が多くなる。そろそろ夜が明けそうなので、できれば頂上で御来光をと思い、Sを後にして登りだす。頂上はまだまだ上のほうにあるようだ。
  頂上に近づくにつれ大きな軽石は少なくなり、比較的細かい赤茶けた礫の道となる。こういう道はキャラバンシューズが威力を発揮する。どこか北海道の山野を歩いて見たいと思い履いて来たのだ。Sもズックで必死で後からやってくる。ところが、9合目ぐらいだろうか。眼下に宗谷の陸地が見えるが、陸地にかかる東の空の雲間からポッと真っ赤なものが顔を出した。それは次第に丸く大きくなる。私は、「日の出だ」と言って急いで写真を撮った。真っ赤な太陽は、その姿を見せてもすぐにはあのまぶしい光を発さなかった。しばらくの間、赤い姿をはっきりと我々に見せてくれている。