今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

鉄道の廃線と地図1 向日町の自衛隊専用線

2019-06-30 20:46:14 | 地形図と鉄道(関西)

 以前に遅々として進まない趣味として鉄道模型を取り上げましたが、進まない理由の一つが国土地理院の地図の蒐集にあります。小中学生の時から地理が大好きで成績も抜群、今にして思えば、そちらの道に進んでいたらなとふと思うこともあります。

 中学の地理の授業で京都の2万5千分の1地形図を買わされたのが地図蒐集の始まりですが、本格的に集めだしたのは全国的な国鉄のローカル線の廃止の頃からでした。今では2000枚くらいはあるでしょうか。地図蒐集家としては序の口でしょうが、このまま死蔵してしまうのも惜しい気がしますので、鉄道の廃線、特に専用線を中心に公開して行きたいと思います。他にも同様の記事を書かれている方もおられるようなので、できるだけ重複しないようにしたいと思います。

 公開にあたり、主要都市分については「今昔マップ」を使用する予定です。「今昔マップ」は使用された地形図の枚数も多く、広範囲を自由にご覧いただけますので、地図に興味を持っていただけるきっかけにでもなればと思っています。「今昔マップ」から外れる場所については国土地理院に使用申請の上、私の所持する地図から公開する予定です。

 ついでに地形図の買い求め方について、現行図は大きな書店とか地図専門店で購入できますが、最近書店でも置かなかったり取扱う地域が少なかったり、また専門店も廃業したりで店頭での購入が困難になりつつあります。。そのため、「地図センター」での通販利用が入手しやすいと思います。一方、廃線になった鉄道が載っている古い物については、古書店やネットオークションを利用する方法もありますが、欲しい地図をすぐに入手する事は困難です。また値段も高く、1枚1000~2000円もの値段で売られているのを多く見られます。そのため、コピーではありますが国土地理院に謄本申請すれば、白黒コピーで1枚500円で入手できます。詳しくは国土地理院のホームページをご覧ください。新橋ー横浜の鉄道開業時から入手可能ですよ。

 

東海道本線 向日町 自衛隊の専用線

 

「今昔マップon the web」より

上の地図は昭和40年4月発行の2万5千分の1地形図「京都西南部」の一部分です。

 私が中学1、2年の夏休み、日が西に傾きかけた時間になると、ほぼ毎日のように家から国鉄の向日町運転所まで自転車で列車を見るために通ったことがありました。当時は嵐電高雄口(現在は宇多野に改名)の少し北の方に住んでいました。そこから天神川、桂川に沿って南下し、地図には載っていませんが新幹線の側道を通って地図の久世橋と物集女を結ぶ道に出て、東海道本線の手前か踏切を渡って南下するのがお決まりのコースでした。行きは下り坂を飛ばして1時間ほどで到着したように思います。この頃の向日町区には181系、153系、481系、それに登場して間もない581系などの花形車両を見ることができました。いろいろな車両を見て満足して帰るのですが、行きとは逆の上り坂で何とか頑張っても1時間半はかかってしまい、8月に入ると急に日が短くなって家に着いたら辺りは薄暗くなっていたということも度々ありました。ただ今と違って地図でもお分かりの通り当時は田んぼや畑が多く、道路も国道以外は交通量が今とは比べ物にならないほど少なかったためか両親からは何も言われませんでした。

 さすがに向日町運転所までの行き帰りは時間が掛かり過ぎるので、久世橋から物集女に至る道の東海道本線との踏切で行き来する列車を眺めることも度々ありました。「雷鳥」や475系の「はやとも」(「玄海」)や臨時の「ゆのくに」、EF60,65、EH10の牽く貨物列車とかを見ていると知らぬ間に時間が過ぎて行きました。

 丁度この踏切付近で本線から離れて陸上自衛隊桂駐屯地に向かって北西方向に伸びる単線の引き込み線がありました。いつも敷地の入り口ゲートが閉まったままになっていて貨車が出入りしているのを一度も見た事がありませんでしたが、平成4年(1992年)3月発行の地形図まで掲載されていました。自衛隊の専用線としては長く残っていた事になります。(注1) 上記の地図で踏切の南東に白抜きで囲まれた土地がありますが、後にキリンビールの工場が建ちました。こちらにも貨物専用線が出来て1999年頃まで使用されていたそうですが、本線に沿って腹付けするような線形のためか地形図には記載されませんでした。(注2)

 この踏切もその後の交通量の増加に伴ってアンダーパス化され、2008年桂川駅がちょうど踏切だったところに設置され、キリンビールの工場跡地に駅のロータリーやイオンモールが作られたりですっかり風景が変わってしまいました。

(注1)「トワイライトゾーンMANUAL」(レイルマガジン社)に収録されている当時の専用線一覧表によれば、専用者は陸上自衛隊関西地区補給処または大阪防衛施設局で作業キロ1.5km、総延長2.1kmとなっていますが、何故だか所管は大蔵省になっています。

(注2)国土地理院ホームページの図歴から、解像度が悪いのですが1万分の1地形図「長岡京」「桂」を見ると記載があるように見えます。 この欄で取り上げる地形図とは一般的な2万5千分の1または5万分の1です。

今回は、初回のためと思い出のある引き込み線でしたので書く事も多くなってしまいましたが、次回からは地図と簡単な説明だけになると思います。いつになるやらわかりませんが・・・・

 

 

 


急行電車男 前編12

2019-06-28 21:07:39 | 鉄道旅行

急行[びんご2号] その3

 

 福山には10分足らずで到着し、福塩線用の4番、5番ホームから橋を渡って山陽本線の2番線へと向かいました。

すでに2番ホームには[びんご]に乗る人や見送りでざわついた雰囲気でした。

ホームに入って来た列車の車内に目をやると、満席で立っている人もいるようです。列車に乗り込むと案の定座れず、福山から乗車した人もあって混雑していました。ただ、私と妹は、「小さなお子様方は3人掛けでお座りいただきますようお願いいたします。」と言うような車内アナウンスが何度も流されたせいもあってか、以前の[宮島]のように2人掛けの真ん中にそれぞれちょこんと座らせてもらえました。今に比べたらまだ日本人の体格も良くなかったし「メタボ」と言う言葉もなかった時代だったので、こんな事ができたのかもしれません。

 帰路私は、小さな魚を入れたビニール袋を手に持っていました。近くの川で網ですくったメダカよりも稍大きな魚をバケツの中に入れて置いていたのを、高校生の従兄がビニール袋に入れてくれた物でした。列車に乗った後も袋を手に持って股の間にぶら下げて座っていたら、席を譲ってくれた人が珍しそうにいろいろと尋ねてきました。そして、袋を床に置くように勧めてくれました。床に置くと水漏れしないか心配でしたが大丈夫でした。この魚たちは長旅を終えた後、金魚を入れるために近所の酒屋からもらって水を張っていた樽の中へと入れられました。2、3日して勢い余って樽から飛び出した1匹が死んでしまいましたが、残りはほとんど餌を与えなかったにもかかわらず1~2年生きていました。

 岡山や姫路で降りる人もいて父母とも座ることができましたが、またもや神戸で快速に乗り換えさせられました。今回は座れた事や慣れもあって電車に対する恐怖心は起こりませんでした。

車両の一番後ろのボックスシート窓際に進行方向の逆向きに座りました。山側です。今でもよく覚えています。向かいの席には20代後半に見える菅原文太風のおニイさんが窓枠の上に右腕を伸ばして座っていました。私は、車窓からの景色を楽しんでいましたが、不意にこのおニイさんの人差し指だったか中指だったかが無いのに気づきました。「機械に挟まったのかなぁ。それとも機械で切ってしまったのかなぁ。痛かっただろうなぁ。」とか見ないようにしてはいましたが、気になって仕方ありませんでした。菅原文太風のおニイさんは大阪で降りて行きましたが、この方が「や」の字が付く自由業の方だと気づいたのは何年か先の事でした。

 

 

 


急行電車男 前編11

2019-06-19 22:31:31 | 鉄道旅行

急行[びんご2号] その2

この時の時刻表はないのですが、前々回の旅行の時に使ったと思われる昭和38年(1962年)8月号が出てきましたので掲載します。


  

   一日か二日遅れて母と妹もやって来ました。家族揃っての帰省はあまり記憶になく、誰かの結婚式か法事でもあったのでしょう。
  帰る日の前日、何に乗って帰ろうかと言う話になりました。時刻表は持って来ておらず、台所兼食堂の壁に張ってあった新聞の折り込みらしき「福山駅発車時刻表」を見ながら両親と時刻表オタクの私とで相談し、「びんご2号」に決めました。

 帰りの日は運悪く中小私鉄のストライキと重なり駅へ行くバスが運休となったため、芦田川の対岸にある福塩線横尾駅まで歩かなくてはなりませんでした。今ではバイパス道路と化してひっきりなしに車が通る道も当時は時たま耕運機がのんびりと走る田舎道で、天気も良かったので歩くのも苦になりませんでした。荷物を持った両親はどうだったかはわかりませんが。

 福塩線の電車は茶色に塗られた古い3両か4両の編成でした。バスのストライキもあって満員とまでは行かないものの、車内は立っている人も多く混雑していました。乗り込んだ車両は、京都駅で見かける同じ茶色の各停電車よりも長さが短く、ロングシートではなく快速電車と同じセミクロスシートだったのに少し興味を引かれました。


遅々として進まない趣味 鉄道模型

2019-06-14 21:27:48 | 鉄道模型

私の長年の趣味の一つに鉄道模型があります。中学生のころ、叔父の家でHOゲージの模型を見て走らせてもらって以来、その虜になってしまいました。

なかなか当時の小遣い銭では完成品は手が出ず、初めこそカツミのEB10の塗装済キットを買った(と言うより模型屋のオヤジに買わされた)後はペーパーキットやペーパー製の自作を行い、その後真鍮板を使った自作やキットの組み立てに移行し現在に至っています。

とは言え、カメよりも遅いペースのため、下に載せた画像の車両は製作開始から40年位経っているでしょうか。(トシがばれてしまいます)

あと何年生きられるかわからない年齢になってきて、尻に火がついて少し製作ペースを上げなくてはと思うこの頃です。

 

EF58は鉄道模型社製キットの前面のみ利用し、車体を真鍮板で自作。EF61もしなのマイクロ製キット組み立てですが、前面と屋根上パーツを除いて車体を真鍮板から自作。

詳しい経緯や今後の展開は随時投稿していきたいと思います。