今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行78

2009-06-11 20:46:36 | 鉄道旅行
  この先の記録については、北海道を出て気が抜けてしまったのか、かなり日が経過してから書いたので、かいつまんで述べることになります。

  仙台に着いた私は、駅前をしばらくぶらぶらする。東北一の都会とあって駅前には大きなビルが立ち並び、人通りも多い。夕食をとる所を探すが、結局、駅舎の2階にある食堂に入る。駅舎は、あちらこちらで新幹線関連の工事中である。この食堂も工事の影響か、それとも元からかわからないが、天井がやや低く、飾り気のない店内は少しうっとおしい感がする。
  コロッケ定食を注文。コロッケは、そこらで売っているのとは違い、ダンゴ風の大きなもので結構ボリュームがあった。
  食事後、重いリュックをかついで歩き回る気力もなく、乗車列車の時間よりかなり早いがホームに入る。ホームのベンチで写真誌を見たり、次々に発着する列車を眺めて時間をつぶす。仙台は東北一の大都市で交通の要衝でもあるので、発着する列車の数も多く、車両も様々な形式が出入りして見飽きない。
  2122発福島から急行「あづま2号」となる2124Mは、455系6両編成である。発車ホームには、色とりどりのプラスティック製特急、急行列車の乗車口表示板がホーム線路際頭上にぶら下がっているが、この列車は途中まで普通と言うことでかそれがない。そのため、6連の急行「まつしま」の表示板から判断する。当然モハをねらう。
  仙台ではほぼ満席。しかし、各駅ごとに乗客は減っていき、白石までにガラガラになる。
  福島から急行となる。もう少し客が乗るかと思ったが、がら空きのまま。私は1BOXを占領して寝ることにする。ただし、福島を出ると、さっそく検札がある。こんな遅くから来るな!この後、また寝込む。
  1977.9.3 Sat.
列車は郡山で「ばんだい6号」を併結して12両で運転。
  夜がかすかに明るくなった437上野着。すぐに東京へ向う。
  東京では519発静岡行に乗る。静岡行は440着の大垣発の折り返し運用である。ホームに立ったときには車内清掃中で、ドアは開いていない。往きとは反対に山側に座る。東京から京都に戻るのに昼間の東海道本線を利用するのは初めてだ。153系12連。当然モハのモーター近くに座る。
  発車するとすぐに、入線待ちの次発323M静岡行きとすれ違う。こちらは田町区の153系10連だ。
  列車は、早朝で東京から離れていくのに各駅で客を拾っていき、次第に席が埋まっていく。東京を出た時にはのんびりと釣りに出かける人も見られたが、徐々に通勤、通学時間になるので混み方がひどくなり、立つ人も多くなってくる。
  静岡854着。7分連絡の901発浜松行は、既にかなり乗り込んでおり、次の934発にする。その間に323Mが到着。私の乗った321Mよりもかなり空いていた。153系とわかっておればこれに乗ったのに。
  437Mは、先に出た2151Mよりも空いている。途中、金谷に停車した際、うまい具合に大井川鉄道の停車中の電車が車窓近くに見られたので写真に収める。
      

  浜松1047着。ここで駅弁を買う。「浜の釜めし」としてあるが、プラスティックの赤く平たい弁当箱風の容器に入ったかやくご飯で、鳥と玉子のそぼろが載っているだけ。どこが「釜めし」なのかと言いたくなる。車内で食ってもよかったが、朝抜きでもあったので、ベンチで食ってしまう。
  1123発豊橋から快速となる大垣行は、冷房付とナシの編成。私の前に停まったのはナシの車両。仕方なく乗車。やはり山側の席。もちろん153系モハ。往きと比べ暑い。あの時は涼しく、浜松以東では窓を開けると寒い位だったのに。9月に入っているのに逆に暑くなっている。
  1330大垣着。1358発西明石行は1番ホームに既に入線している。ここから京都までこの113系に乗る。こちらは冷房車。乗車率はそんなに高くない。
  米原で34分も停車。ふとドアの方を見ると、同学年で元同好会メンバーだったHが降りて行くではないか。少し間を置いて彼を追って外に出てみたが、その時にはもう見当たらなかった。後日、彼に会った時に聞いてみたら、彼も北海道からの帰りで、私より後の普通列車の乗り継ぎでやって来たと言う。
  米原1512発。米原-草津間は昼間30分間隔なのだが、この列車だけ前の列車と1時間開いている。そのためか途中駅で席は埋まり、立つ人もいる。1622ようやく京都着。

31年前の北海道旅行77

2009-06-08 21:12:58 | 鉄道旅行

  9時ごろに目が覚めた。船は津軽海峡を過ぎ、陸奥湾に入るところだろうか。この時点まで、私は青森から「きたぐに」に乗るか「くりこま」に乗るかまだ迷っていた。「きたぐに」なら乗り換えなしで早く京都に着ける。しかし、18時間も車内にカン詰めなのと、新潟での方向転換が気になること、電車急行の方が私には魅力があること、それに所持金も多少余裕ができたこと等から、迷ったあげく遠回りの「くりこま」利用に決めた。当初計画では「白鳥」の利用も考えたが、やはり長時間のカン詰めと新潟での方向転換がネックとなって踏み切れなかった。
  到着30分ほど前に、船内のテレビで青森の観光案内を流しだした。この船の出航後には、船の構造や救命胴衣についてこのテレビで説明していた。
  到着の5分ほど前、窓から着岸する様子を見てリュックを持って急ぐ旅ではないが出口に並びに行く。まだ10人ほどがいただけだ。下船後、連絡船待合室に行こうとしたら、通路の工事中だったのでホームへ行く。「くりこま1号」の入る2番線には上野行「はつかり4号」が客を待っている。そんなことは構わず「くりこま」の乗車位置にリュックを置く。ホームをうろついて時間をつぶす。
  1120、「はつかり4号」発車。1135頃5番線に「きたぐに」入線。乗る人は少なそう。
  折り返し上り「くりこま1号」となる下りの「くりこま1号」は、定刻より3~4分遅れで到着。車内清掃、サボの取替えが行われる。ふと私の乗る6号車クモハ455の屋根を見ると日光型クーラーであった。
  1210頃、ドアが開き乗車。デッキから2番目進行左手に座る。発車まで1時間近くあるため、車内はガラガラ。私は、一旦荷物を置いて外に出る。天ぷらそばを食い、パンとリンゴジュースを買って再び車内へ。ホタテの焼いたのを売る店があるが、残念ながら店員がいない。発車までゼミの本を読み時間をつぶす。少しづつ客が乗ってきて、発車時には100%の乗車率に。
  1305、定刻に青森を出発。発車後間もなく、電車急行の車内放送のメロディー「汽笛一声」が流され、車内アナウンスが始まった。この曲で始まる車内放送は、私にとっては旅をしていることを強く感じさせる。これは急行電車への愛着もあるし、客車列車のメロディーのように優等列車だけでなく普通列車に至るまで安売りされていないことからくるのかもしれない。
  青森を出て野内までは、43.10のダイヤ改正前に大きく南に経路変更された区間を通り、野内から浅虫あたりまで、しばらく陸奥湾を望みながら走る。一部かなり高いところを通っている所があり、下を見れば旧線跡が並行して延び、さらにその下に道路が走っている。このあたりから長旅の疲れから、せっかく電車急行に乗ったのに、モーターの音が子守唄になってうとうとしだす。時折気が付くが、夕闇迫る終点仙台近くまでほとんど眠りっぱなし。覚えているのは、三戸-二戸間のどこかと思うが、山間のかなり高い鉄橋を渡った時、下の方に赤い屋根の家並が見え、周りの景色と合わせて結構美しかったこと。新幹線工事もかなり盛んで、盛岡を出て車窓右手に高架橋が2年前より多く建ち並んでいたこと。またね小牛田は特急、急行も停まる交通の要衝なのだが、駅舎のない東側は一面の稲田が広がり、田んぼの真ん中のような駅だったことを覚えている。
  松島あたりでようやく眠気から解放された。ここまで検札に来たのだろうか。車掌は検札の時、よく寝ている客は起こしてまで検札しないことがあるからわからない。
  塩釜を出てしばらくすると、左から架線の張られた線路が寄ってきて合流する。何の線か予備知識がなくてわからないが、工場の引込線ではないようだ。仙台1815着。