今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行43

2008-09-29 21:09:19 | 鉄道旅行
       

 浜頓別はこのあたりではやや大きな町で工場もある。中湧別からずっと一緒だったグループも浜頓別で泊まるのかと思ったが、稚内行に乗り換えていった。
 駅からすぐにハンドブックを頼りにYHに向かう。線路近くの道を一旦北へ。最初の踏切を渡り材木置き場脇のガタガタ道を歩く。最初の南北の道に出たがYHのありそうな気配などしない。周りは民家ばかり。地図ではもう一つ西の通りにYHがあることになっている。今度は南に駅裏方向へ歩く。すぐに西へ行く道があり入ったが、民家へ通じる道で行き止まり。二本目は何とか行けそう。両側に木が並んだ道を行くと急にあたりが開け、野球場に出る。そのそばを歩いていると南へ向かう道に出た。道の東側は白樺林の名残りだろうか、りっぱな大きさの白樺の木が何本か立っていて、そこにカラスの大群が休んでいる。写真を撮ろうとカメラを向けると一斉に飛び立った。この道を行くと東西方向の舗装道路に出る。西方向に目をやれば斜め右手に鉄筋の国民宿舎北オホーツク荘が見える。Sが列車内でも言っていたが「北オホーツク荘の方がよいのになぁ」とまた言っている。浜頓別YHはとあたりを見回す。YHは北オホーツク荘の位置からすると、この通りの南側にあるはずである。北側はグラウンドがあり開けているが南は雑木林。その中に赤い屋根がポツンと見え、そこから人の歓声が聞こえる。この赤屋根がYHらしい。北オホーツク荘の前を通る南北道に出て南の方向に歩く。100mも歩くと左手の雑木林が切れ、広い草地が広がる。その草地でホステラーがソフトボールをしている。ホームベースのすぐ後ろがYHの入口だ。
 このあたりはゆるやかな起伏のある地形で、YHの南を眺めると畑が多く、その向こうには雑木林が見える。西に目をやれば近くにクッチャロ湖があるのだが、起伏のある土地と低木の林にさえぎられてわずかにかいま見えるだけだ。

31年前の北海道旅行42

2008-09-26 20:52:24 | 鉄道旅行



バス停から駅まで真直ぐ歩くこと100~200mくらい離れており、その道案内もない。何人かかたまって前を歩いていくのについていくことにする。駅は小さく簡素なローカル線特有の駅だ。ホームの端には木材が積んである。その向こうに南に延びる延長戦のコンクリート鉄橋を見ることができる。
 例により時間までの間、入場券とスタンプを集める。Sは駅のすぐ前にある古臭い感じの旅館を指して「こんなとこは安いぞ」と言って泊りたそうだ。
 北見枝幸1607着927D折り返しの1612発928Dに乗る。降りた客は数人。乗り込んだのは中湧別からずっと乗ってきている我々やあの男女グループ、個人旅行者がほとんどで、地元の人はごくわずかである。乗車率も30%もあっただろうか・夏が終わればこの線に限らず北海道のローカル線の車内はガラガラとなろう。
 北見枝幸-浜頓別間は、オホーツク海沿いでも今までと少し異なった地形を見せてくれる。海に山が迫り、海岸線も岩場が目立つ。列車は海に迫った山のふちに沿って進む。その下に道路があり、すぐ海岸である。途中、山並みが岬のように海に突き出たところがあり、トンネルを掘ればよいのに山のふちを急カーブを描き進む。当然スピードはがた落ち。その急カーブを曲がりきると山並みが次第に遠ざかり、再び草原が広がる。オホーツク海は草原を隔てて望める。変わった岬があり、そこにいくと言う若者が一人無人駅で下りて行った。さっき急カーブで通過した岬のことだろうか。

31年前の北海道旅行41

2008-09-22 21:36:34 | 鉄道旅行
  赤と白に塗られた宗谷バスが、発車時刻の1435ちょうどにやって来た。前だけに乗降口のある観光バス型のワンマンカーである。と意ってもシートは地味な緑色、背もたれはビニール張りの普通の路線バスのシート。両側二人掛けである。発車後、雄武の町の2,3の停留所で数人の客を拾うと乗車客はなく、二人掛けのシートを独り占めである。私は興浜線の建設状況を見るため西側の席にいたが、ほどなく西日が入り出し暑いので東側オホーツク海側に変更する。このバスにも根室で乗ったバス同様ブラインドがなかった。
 国鉄の新線は、最近の鉄道ジャーナル紙で触れられていたように、音標まで路盤工事が完了している。しかし、かなり以前に完成しているためか草に覆われ、コンクリート製の橋がなければちょっと鉄道の路盤とは思えない。
 私がSに、あれが新線だと説明していると、我々の後ろにいた中湧別からのグループの一人が、あれが延長工事の線だとグループのメンバーに言っている。そうするとその中の一人が今度は連れの女に自慢そうにその説明をし、こんな赤字線を作るなら首都圏の混雑緩和に金を回すべきとか言っている。おいおい、女のご機嫌取りに人のネタを使うなよ。
沿道で唯一の町らしい町、音標の他は窓の東側は草地や牧場を隔ててブルーのオホーツク海。左手西側はなだらかな起伏の草地や放牧地、低い潅木の林である。これでは国鉄がもしできても利用者は少ないだろう。何しろこのバスがそうだから。現在乗っているのはほとんど旅行客。もっとも網走と稚内を急行で結べば客の流れも変わるかもしれないが。
 道路は途中から未舗装に変わる。かつて私の父の故郷へ行った時に乗ったニコニコバスを思い出しなつかしい。それにしてもここ数日雨が降らず、道路は乾ききり、対向車や追い越す車がほこりを撒き上げる。途中、自転車に乗った小学生らしい子供がバスの反対方向から来たが、すれ違った時にバスのまき散らしたほこりに頭にきたのか、自転車を降りて怒っていたと後ろのグループが話していた。
 バスは終始40~50キロの定速運行。ほぼ定刻1555北見枝幸着。今日降り立ったどことも同じ小さな静かな町である。
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31年前の北海道旅行40

2008-09-19 21:33:16 | 鉄道旅行
      

  1315定刻発車。車内はほぼ満席。列車はこれまでとは逆向きに走り出した。と言うことは、我々の座っている方が海側となる。
 先ほど買ったすし弁当をく食う。太巻ずしは干瓢だけという粗末なものとキュウリ巻きとこうこ巻きが入っている。大した弁当ではないが、この手のすし弁当はどこでもわりに安いのでよい。2月に行った伊豆急下田もそうだった。
 列車はなだらかな起伏の草原が続く中を、右手に青いオホーツク海を見ながら一路終点雄武へと走る。オホーツク海沿いのこのあたりは、時おり集落を見るが、何かさみしげな感じの風景が続く。それでも、海に突き出た岬があったりして興浜南線も結構美しい。
 1345雄武着。北見枝幸行のバスまで50分ある。駅のベンチに腰を下ろす。Sはまた喫茶店を探しに行った。茶店の好きな男だ・私はあまり好きではない。50円のコーラを200円、250円も出して飲むところだから。結局ないと言ってSは戻ってきた。この駅のトイレの横に立てば、雄武から北に延びる新線のトンネルらしきものがのぞめる。ベンチで何もすることもなくぼんやり時を過ごす。

        
          

 1410着の北見枝幸発のバスが着いたらしく、リュックを背負った男達や女の旅行者らがやってくる。1420頃バス停に行く。駅の前からバスは出ず、駅前を30mほどまっすぐ歩くと国道に出て、左に折れ40mほどのところがバス停である。
 バス停から30mほど先に警官が2~3人おり、そこに何やら緑色の紙を持ったオバちゃんが立っている。見ていると北見ナンバー以外の車を止めてステッカーを渡している。中湧別からずっと我々と同じ行程を来ている男女のグループがわざわざステッカーをもらいに行った。バスに乗る顔ぶれを見ると、中湧別で見た顔がその男女グループ以外にも何人か見ることができた。 

31年前の北海道旅行39

2008-09-17 21:04:48 | 鉄道旅行
  列車は紋別あたりまで主に林の中を走り、時たま牧場や畑、オホーツク海が顔を出す。紋別は古びた小さなうらさびれた町のイメージがおったが、紋別に着く前あたりから新しい北国の家が、多少起伏のある土地の上に並んでいる。昨日の北見もそうだったが、大都市近郊でもないのに新しい家が余りにも目につき不思議だ。紋別から興部にかけても、家が散在しながらも視界から途切れずに続いている。
 紋別でかなりの客が乗り込み車内は満席。ほとんどが興浜南線へ直通する客で、おそらく紋別へ買い物に行っての帰りであろう。渚滑でSに缶コーヒーを買ってきてもらい、ついでにスタンプと入場券を頼んだ。Sの話によると、この駅の駅員は奥で立ち話をしていて、いくら呼んでもなかなか切符を売ってくれなかったということで、えらく彼は怒っている。この駅で弁当を売っていたが、そんなこともあって、少量のためSが買おうとしたら売り切れだった。我々は次の弁当販売駅、興部に期待した。

         

 興部では名寄行と分離のため10分余り停車する。さっそく駅弁を買う。売っていてよかったが、名産のホタテ弁当はない。たぶん私が北海道へ出発する直前に出された食中毒警報のためであろう。特に紋別では1000人を超す患者が出たし、ホタテなどに菌が付着していると言うことだから。仕方なくすし弁当を二人分買い車内に戻る。Sが茶が欲しいとぜいたくを言うから、再び弁当屋に茶を求め戻ろうとすると、列車は分離作業中でドアが閉まってしまった。仕方がないから、一度改札を出て入場券を求め、スタンプを押した。ここのスタンプはすり減っていて、押しても何が彫ってあるのかよくわからない。私の前に押した男と顔を見合わせ苦笑した。この男、中湧別から我々と同じ車両に乗り込んだ男女4~5人のグループの1人で、私と同じように長く停まる駅では下車して入場券とスタンプを集めている。
 再び改札を入ると、3番線に入っていた列車が目の前1番線に停まっている。それにしても国鉄は面倒なことをする。わざわざ1番線に持ってこなくても3番線からそのまま発車させればよいものを。